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<ノベル>
橙色の果実の中で、橙色の灯がゆれる。
そんな橙色が、まちの中には、たくさん、たくさん、たくさんだ。
あの夜に限って、たくさんだ。
ああ、橙の夜、銀幕市の夜、1年に365回訪れる夜のうち、ただ1回だけの夜。
そんな橙の夜には名前があってね。
そう、あれは特別な夜だったのさ。
ハロウィンの夜、だったのさ。
古いホラーマニアなら多分知っているだろうが、ブリーズ&バリーズという凸凹殺人鬼コンビが存在している。もともと彼らはイカレたヨーロッパ製のゴア・ムービーのシリーズ内にしかいなかったが、まさしく神の悪戯によって、銀幕市に実体を持って存在してしまっていた。
彼らが非力なティーンエイジャーを殺しまくるのは大概『祭り』の日だった。感謝祭、イースター、そしてハロウィン。若者たちがハメを外してバカ騒ぎしていると、凸凹コンビがどこからともなく現れて、あたりに血と挽肉をぶちまけてから颯爽と姿を消す。ただそれだけの映画だが無駄に4作目まで作られていた。
「おい、バリーズ!」
「うー」
「今日はハロウィンらしいぜ! ハッピーハロウィン!」
「うー」
「すげーな、つい最近ハロウィンやったばっかな気がするんだけどハロウィンなんだぜ!」
「うー」
「早速ショーだな! オレたちのショーだな! なあバリーズ!」
「うー」
「なんかノリのいいこと言えよこのボンクラ!」
「う? うー」
バぎゃス、とチビのブリーズのほうがデカブツのバリーズの頭をハンマーでぶん殴ったが、デカブツはちょっと首を傾げただけで平然と立っていた。殴られたところからはばたばたと血が滴ったが、出血はすぐにおさまっていた。
チビは早速血まみれになったハンマーをベルトに差しこみ、どこからともなく古めかしいビデオカメラを取り出す。いまどきのハンディカムではない。90年代初頭に普及していたビデオカセット式だ。
このチビはデカブツが人をミンチにするところを撮影するのが役目であり、趣味でもあった。デカブツのほうは――いつもろくにしゃべらないのだが、たぶん喜んで殺人の実行犯になっているのだろう。
「テープは山ほどあるんだぜ、相棒。さあ、とっととおっぱじめようじゃねェか、ひへへへへ……! 見ろよ、ショーの開幕にうってつけのアマが来る!」
こんな夜に、こんな暗い路地を、こんな挑発的な格好で歩いている女のほうが悪いのだ。もしミレがそのまま惨殺されていたら、銀幕ジャーナルや新聞に載った記事を読んでも、心無い小市民はそう思ったかもしれない。
ミレは物騒度がいや増す(気がする)ハロウィンの夜の路地裏を、よりにもよってひとりで歩いていた。フラフラしているようにも見えるが、いちいちしなを作りながら歩いているようでもある。
「ぁっ……あら……」
不意に、ミレは桜色の頬をほんの少し赤くして立ち止まった。
彼女は(評判はともかくとして)女優をつとめている。そのせいか、感じたのだ。見られていることに――そして、撮られていることに。どこかで、じりじりとテープが回っている音さえ、彼女には聞こえた気がした。
「キレイに撮ってほしいわぁ……」
ガリリ、り。がリん、がりっ。
実際には、テープが回る音よりも、ずっと「その音」のほうが激しく、大きい。
それは、刃物が硬い地面の上を這いずる音だ。
誰かが、引きずるくらい大きな刃物を引っさげて、ゆっくりミレに近づいてきている――。
ミレの肩に乗っていたバッキーが、不意に怒り狂った猫のような体勢を取った。ぷすぴすと鼻息が荒い。もしかして威嚇しているつもりなのだろうか。迫力はまったくないが。
曲がり角から、ぬううと現れたのは――
バリーズという名の殺人鬼。
顔は骸骨だった。古い血とカビで汚らしく彩られた、誰かの頭蓋骨をかぶっているのだ。ひび割れたふたつの眼窩の奥は、真の闇だった。闇しかなかった、そこには獣じみた眼光も、星ほどの光もなかった。
「ぁら……イヤだわぁ……私、殺されちゃうのかしら? 撮られながら殺られるの? ――あァ! そ、それって、すっごく、あぁ、ステキじゃなぁい!」
以前彼女はそのようなことを言って、襲ってきた強盗をドン引かせた経歴がある。おまけにその強盗は何も取らずに脱兎のごとく逃げていった。強盗でもちょっと相手にしてはいけないタイプの人間(かもしれない)、それがミレ。
しかし今回はそんなスレスレの発言も通用しなかった。殺人鬼は引かなかったし、歩みをとめず、バカみたいにデカい大鉈を振り上げていた。
「このアマ、ヤクでもキメてんのか? ヒヒ。面白ェ、ヒイヒイわめかせてやれよ、バリーズ――右足から殺っちまえ!」
大柄なバリーズの陰から、チビのブリーズがちょこまか出てきて、早口でそうまくしたてた。興奮しているのはミレばかりではない。チビもだいぶ、ゾクゾクしている。舌なめずり。手の震え。カメラが記録する映像がぶれる。
ミレはとろんとした目つきで、ゆっくりじっくり、なめるように艶やかに、振り上げられていく大鉈の動きを追っていた――。
「おい。まさか本気で殺そうとしているのか?」
突然投げかけられた声に、大鉈の動きはひたととまり、ビデオカメラの中の映像はぶれた。今度のぶれは大きかった。
暗く湿った路地の先に、眼鏡をかけた男がふたり。ふたりとも背は高かったが、さほど身体つきがたくましいわけでもない。
ひとりは金髪で耳が長く、残るひとりは黒髪で、どこか翳りのある雰囲気だった。ロゼッタ・レモンバームと栗栖那智だ。ロゼッタは、片方しかない腕に、肉まんが山ほど詰まった袋を抱えていた。
ふたりは偶然、殺人鬼が売れない女優を殺さんとしている場面を見かけて、つい5秒ばかり「観戦」する体勢に入りかけていた。今日は、そう言えばハロウィンだ。街には殺人鬼に扮する人間などごまんといたし、人を驚かせて楽しむ日と言っても過言ではない。もしかすると、これもただの寸劇ではないかと思ったのだ。
違う、と那智がロゼッタよりも先に気づいた。
あの殺人鬼の殺気は本物だ、と彼にはわかったのだ。
チビが振り向きついでにビデオカメラをロゼッタと那智に向けてしまった。録画中を示す小さな赤いランプが、ひどく下卑たものに見えて、那智は顔をしかめる。
「バリーズ! さっさと殺っちまえ!」
「うー?」
「『どっちを?』じゃねェェェェ、全員だよ! 皆殺しにしろ!」
デカブツがデカい得物を握る手に力をこめたのがわかる。ロゼッタは肉まんの袋を那智になかば押し付けた。
「持っていてくれ」
どうして、と那智が問う前に、ロゼッタは杖を振り上げていた。彼は腕が一本しかない。肉まんを抱えたまま杖を振りかざして魔法を使うことはできなかった。
どこからともなく――いや、アスファルトのひび割れや建物と道路の隙間から、突然植物の蔓が伸びてきた。それは大柄な殺人鬼と大鉈に絡みつく。びちびちと蔓の下から湿った音が上がった。
蔓は茨のものだったが、その茨は現実にある茨ではなかった。棘があまりにも鋭く、大きく、多すぎる。たちまちがんじがらめにされた殺人鬼の皮膚と服は裂け、肉は抉れて、血が噴き出した。
目の前の大男からしぶく鮮血。鮮血の雨。ミレは口をOの字にして、目を見開いて、震えていた。恐怖しているのではなかった。彼女のそれは、恍惚である。
しかしロゼッタの茨が拘束したのはとりあえず図体の大きいヤツだけだった。残りのチビは奇声を上げ、ビデオカメラはしっかり持ったまま、ベルトに差しこんでいたハンマーを抜くと、ロゼッタと那智のほうに向かって突進してきた。
「おっと。こちらも危険だったか」
ひょい、とロゼッタが杖を手前に引いただけで、茨の一本が反応し、小男ブリーズの右足に絡みついた。しかし小男の足があまりに貧弱だったためか、少しきつく巻きついただけで、右の足首から下が飛んだ。
「おひゃあああぉエエエエエ!? なんだこりゃ! なんなんだよテメェは! ここはおとぎの国か!?」
小男の言葉を、ロゼッタはふんと鼻で嘲笑う。
「おとぎの国よりたちが悪いぞ、ここは」
血を撒き散らしながらわめき散らしている間に、小男の右足は傷口から生えてきていた。あっと言う間の再生だ。どういう理屈か、靴まで復活している。小さいほうの殺人鬼はまた奇声を上げてハンマーをふりかざしたが、茨はその間にもちゃんとロゼッタの命令どおりに動いていて、たちまち小男の全身に絡みついた。
今度はハンマーを握った右腕が飛んだ。
飛ぶ腕。
ロゼッタはあまり楽しくないことを思い出し、眉をひそめた。知らず、茨を操る力に熱がこもる。
ばつばつみちみちと音を立てて小男の服と肉が裂けたが、出血は二秒もあれば止まっている。後方、ミレの前で咆哮している大男のほうも同様だ。自分の肉ごと茨を引きちぎっているが、傷口はあっと言う間に肉芽を吹いてふさがっていく。
ロゼッタと那智の目と眼鏡がきらっと光った。
「こいつら不死身らしいぞ」
「不死身の殺人鬼か、そうかそうか」
ロゼッタの不機嫌は、それきり吹き飛んだ。
「なんだい、騒がしいねぇ」
カサンドラ・コールの声が、不意にそこに加わった。褐色の肌には見事な刺青。白衣を羽織ってはいるが、この肌寒い秋の夜でも、白衣のボタンはとめずに、肩までもさらけ出していた。刺青が嫌でも目に入るのはこのためだ。
カサンドラは目をすがめ、わずらわしいものを見る表情で、すっかり血まみれになった路地の光景を眺めた。彼女は驚きも怖がりもしなかったが、すぐにこの物騒な現場を立ち去ろうともしない。
彼女がここでの出来事に興味を持ったと踏んで、ロゼッタはうっすらと笑いかけた。
「見ていくか?」
「何をさ?」
「不死身の殺人鬼を捕まえたのだ。どこか適当なところ――いや、私の研究所に持っていって解体でもしようかと思ってな」
「解体? 反対だ。解剖のほうがいい」
「日本語を間違えた。そう、解剖のつもりで言ったのだ」
ロゼッタと那智のふたりは、こんなことになる前からわりと意気投合していた。道すがら、ロゼッタが今研究しているキメラの製造方法について話し合っていたからだ。
「不死身、ねェ。あんたら、そいつらを解剖して研究して、不死身にでもなろうってのかい?」
「まさか。人は不死身にはなれないし、私はなりたいとも思わない。ただ……面白そうじゃないか。どんな突飛な理屈で、なくなったはずの足まで再生するのか知りたいね。理屈がないのだとしても、そうなると理屈もないのにどうして再生するのかと、疑問の方向性が変わるだけだ。どちらにしても、奴らからは何かしら未知の情報を得られるんだ」
那智は授業中よりも饒舌になっていた。表情は冷めていても、眼鏡の奥の目に浮かぶ高揚の光は隠し切れない。カサンドラは口をへの字に曲げた。
「あんた、科学者かい」
「いや。……ああ、いや、そうかもしれないな。自分でも、自分が何なのかよくわからない」
「あたしは遠慮しとくよ。不死身やら不老不死にはちょいとウンザリしてるのさ」
「そうか――」
カサンドラが立ち去ろうとしたとき、ロゼッタが本格的な拘束の呪文でも唱えようとしたとき、ミレの悲鳴のような歓声が上がった。
「あぁ! あぁ、ほどける! ほどけちゃうわ、すごい! なんてすごい力!」
ばちばち、ぶちぶち――ぐしゃりぐしゃりと肉の弾ける音がしたあと、血の匂いのする暴風が路地を走った。大男が右腕から茨を引き剥がし、強引に大鉈を振り回したのだ。
ミレは相変わらずその場に棒立ちだったが、奇跡でも起きたか、鉈の刃先は彼女の鼻先の数ミリ手前を薙いだだけだった。
異形の茨が切り伏せられ、切り飛ばされ、散らばり、たちまち枯れていく。砂になって消えていく。
「バリーズ! バリーズ! とっととこいつらブッ殺せ! ついでにオレを助けろ、今すぐ助けろ、この能無し!」
髑髏の仮面の大男は、小男の甲高い命令に従った。
「おァ、馬鹿――」
ぐぉん、と唸る大鉈が、チビの身体ごと茨を叩き切った。
ゴキブリが潰れる汚らしい音が響く。血袋になったチビの殺人鬼は、ものすごい勢いで近くの建物の壁に激突した。
ほとんど肉塊と化した小男がひくひく痙攣する様に、那智は0.5秒だけ目を奪われた。それはまるで、死んだ人間が見せるような様であったから。
――奴は人間ではないし、たぶんあのくらいでは死なないはずだ。
それがわかっていても、那智は見つめてしまっていた。
あれが断末魔。あれこそ、人間の死に様。知っている……那智は知っている……。
大男は夜気と地面を揺らし、ロゼッタ、那智、カサンドラめがけて突進してきていた。
ロゼッタが杖をかざそうとしたその眼前に、カサンドラが悠々と歩み出る。彼女は見た限りでは手ぶらで、しかも腕を組んでいた。
「ったく、うるさいケダモノだねぇ」
殺人鬼が、カサンドラの脳天めがけて巨大な鉈を振り下ろした。
カサンドラがわずかに首を傾けた。
耳がどうかなりそうな金属音が響く。女の肉を鉄塊が潰すには、あまりにふさわしくない音。大鉈は砕け散っていた。カサンドラの褐色の肌と刺青には、圧迫した痕さえない。ただ、金属音をまともに引き受けたのは不快で、彼女は顔をしかめた。
そのとき、雲に隠されていた月が現れた――。
細い月の淡い光が、カサンドラの肌に刻まれた魑魅魍魎を呼び覚ます。ぼんやりと、肌の上に浮かび上がるように光る白銀の刺青。
ロゼッタは彼女の後ろで、ほう、とかすかに唸った。彼のような魔術師でなくとも、カサンドラ・コールの刺青が単なるアートではないとわかるだろう。ロゼッタは純粋に感心した。不死身の殺人鬼を切り刻んで研究するのもいいが、この女の刺青の謎にも迫ってみたいと――次の瞬間までは、ほんの少し考えていた。
「この眼鏡のニイさんたちが、あんたの不死身ッぷりを拝みたいとさ。とくと見せてやるといい」
ず、おッ。
形容しがたい音と衝撃。
気配が爆発する。カサンドラ・コールの皮膚から、銀色の怪物たちが現れたのだ。そこには、10月31日の夜を盛り上げる主役の顔ぶれがあった。
ロゼッタは、カサンドラの刺青に抱いた好奇心を撤回した。
「すてき……、なんてキレイなのかしら……」
いつの間にかミレが近寄ってきていた。彼女は呆けたように幻獣たちを見上げていたが、不意に座りこんだ。
それから、壁際でうごめいている肉の塊(小男ひとりぶん)の中に手を突っ込み、ミンチまみれのビデオカメラを引きずり出した。小男ブリーズの右手の指ががんばってバンドにしがみついていたが、ミレは細い指でつまんで捨ててつまんで捨ててつまんで捨てた。
そして、ロゼッタと那智という男性ふたりがいるにもかかわらず(殺人鬼はなぜか男性として勘定に入れない)、ドレスの裾をまくり上げて、カメラのレンズをいそいそとぬぐう。幸いロゼッタも那智もミレは見ていなかった。
レンズはしかし、べたべただ。血と肉はもちろん、髪の毛と血管までこびりついている。ミレのぬぐいかたはかなり適当だった。しかし、彼女は急いでいたのだ。どうしても、この『殺戮ショー』を記録に残しておきたかったから。
恐ろしくも美しい、銀と黒と灰色に輝く怪物は、国境や宗教などおかまいなしのオールスターだ。ワイバーン、コカトリス、グリフォン、キメラ、九尾の狐に管狐、鎌鼬と牛鬼――なんとなく西洋出身の怪物が多いのは、カサンドラがこの夜のために気を利かせてやったからか。
無数の怪物はすべてが白銀と墨の色で描かれているためか、多くにしてひとつなる怪物のようにも見えた。怪物どものいくつもの口は、巨大なひとつのあぎとに並んだ危険な牙だ。触れただけで、肉も骨もずたずたに引き裂いてしまうようだった。
「うううーッ、うぁああああァー! ぉアーーーッ! ァガァアアーーーッ!」
殺人鬼バリーズは、もはや「うー」と唸るだけの殺人鬼ではなかった。かぶった髑髏の中から、悲痛にも聞こえる叫び声を上げている。
足が喰われているのだ、ばりばりと骨ごと喰われているのだ。腕も手も、喰われているのだ、頼みの大鉈はなくなってしまった。殴りつけても振り払っても、横から、後ろから、頭上から、しろがね色の怪物たちが……。
大男の身体は湿った地面に倒れ、高々と血飛沫が上がった。すでに彼の足元には血の海が広がっていたのだ。
「バリィィィズ! バリ、ィィイイイズ!」
ビデオカメラを取るために、ミレが引っ掻き回した小男ひとりぶんの肉塊から、しわがれた叫び声が上がる。見れば、肺が片方と、喉と歯と舌だけが真っ先に再生されていて、小男はそこからとりあえず悲鳴を上げているのだった。
「バリィィイイイズ、目が見えねえ、オレの目ン玉がねえええんだ! バリィィイイイズ! バリ……」
ぶち、と喉がハイヒールに踏みつけられてあえなく潰れた。ミレに悪気はなかった。白銀の百鬼夜行の、「引きの画」を撮りたくなっただけだ。彼女はビデオカメラと、カメラが切り取る映像に夢中だったので、生温かいものを踏んだ感触にさえ気づいていなかった。そもそも小男の目玉は、ちゃっかり再生中の殺人鬼(小)を調べていたロゼッタに回収されている。
「おい、踏まないでくれ。大事なサンプルだ」
ロゼッタは少しだけ難色を示して、ミレを咎める。ミレは全然聞いていなかった。仕方なく、那智が彼女の腕を引っ張って、解剖現場から少し引き離す。夢中になって撮影しているわりに、那智によって位置を変えられても、ミレは文句を言わなかった。ただ、カメラをのぞきながら那智の腕を振り払ったが。
那智は軽く肩をすくめ、ロゼッタと肉の塊のそばで屈みこむ。
小男の目玉は、頭部と思しき塊の中で再生されるたび、那智が引っこ抜いて、ロゼッタがどこからともなく取り出した大きなビンの中に放りこんでいた。目玉の数はあれよあれよと言う間に増えて、今やビンの中にぎゅう詰めだ。
眼球は、神経が脳や筋肉につながっているわけでもないのに、きょときょととビンの中で動いている。青い虹彩の中の黒い瞳孔は、せわしなくその大きさを変えていた。
「すまない、もう入らないんだが」
「ん? ああ、考えてみたら同じ目玉ばかりあっても困るな。半分捨ててくれ」
「イチゴを摘んでる気分になったんだ。つい採りすぎた」
ロゼッタが軽い笑い声を上げ、那智はビンの中身を半分捨てた。どぼっ、と10個ばかりの眼球が道ばたに転がる。どこでこの様子をうかがっていたのか、白銀の毒蛇とコカトリスが寄ってきて、那智がぶちまけた眼球を丸呑みにし始めた。
「バリィィィィイイイ……づ!」
ロゼッタはだいぶ再生してきた小男から舌を引き抜いて、容量が半分開いたビンの中に突っ込んだ。
「は、ぃいいいいいい……う!」
舌もないままに叫ぶチビの殺人鬼の肺と喉の動きを、那智は熱に浮かされたような目で観察している。
「こいつは本当に、何をしたら死ぬんだろうな。いや、バッキーという選択肢は除いて」
「さあて、見当もつかん。それも含めて調べたいものだ。あのデカイのは運びにくそうだから、せめてこいつだけでも回収していきたいところだが……」
「あんたらも本当に物好きだねェ」
いつしかカサンドラがロゼッタと那智の後ろに立っていて、呆れ顔で腰に手を当てていた。彼女の身体からは、白銀色の煙がたちのぼっている。いや、よく見れば、煙は刺青じみた紋様が絡み合い、ほつれて、揺らめいているのだった。
彼女の後ろでは、相変わらず白銀色の妖怪と幻獣の群れが、大男を削って喰って引きちぎっている。高みの見物にも飽きたので、彼女はショー会場を横切り、解剖現場に入ってきたのだった。
「こんな野暮やケダモノどもは、いないほうがせいせいするさ。あたしの刺青のエサにでもしちまえばさすがに死ぬだろ」
「ちょっと待て。待ってくれ、せっかくの研究材料だぞ」
ここにきてようやくロゼッタが焦りを見せた。
「これがあればいいキメラを生み出せるかもしれない。栗栖は興味がなくても、私は不死の肉体の謎を解き明かしたい。見逃してくれ」
「この街にある『映画』じゃ、よくそうやって科学者連中がバケモンとっ捕まえようとして失敗してくたばってるじゃないか。あんたも同じ轍を踏むのかい」
「踏まない」
「フン……。きっぱり言い切れるその口、潰したくなるじゃアないか。だったら、好きにするといいさ。そいつはもともとあたしのモンってわけじゃないしね」
「テープ……、テープ」
「あっ」
あまりよろしくない取引が行われている裏で、ミレがチビの殺人鬼の体内に手を突っ込んでいる。小男は悲鳴を上げていたが、まだ舌が半分しかなかったので、言葉になっていなかった。那智が急いでミレの腕をつかむ。
「何を探してるんだ、心臓か?」
「テープよ、テープ。なくなっちゃったんだもの。まだショーは終わっていないのよ。急いでテープを……」
ミレのとろんとした目と紅い唇が、どこかうつろな笑みを浮かべた。那智は少しだけ顔を曇らせる。
「酔ってるのか?」
「かもねぇ」
「……どうやらそうでもないみたいだな。腹の中にテープはないだろう、しかし」
「そうかしら。だってさっきはこの赤い塊の中からカメラが出てきたんだもの、テープだってあるかもしれないでしょ」
ミレはまた笑って、小男ブリーズのほうに向き直った。そして、なぜか大事なはずのビデオカメラをぞんざいに捨てると、両手を蠢く肉と内臓の中に突っこんだ。チビの殺人鬼はまた悲鳴を上げた。バリィィィィィズ、バリィィィィィズ! 舌が復活したらしい、今度はちゃんと言葉になっている。
「あぁ、ほら!」
ミレが顔を輝かせた。指が太い血管を破ったか、彼女の美貌に血が飛び散る。
づぼり、と引き抜いたミレの両手には、ビデオテープが収まっていた。
「あったじゃなぁい。うふふ、イイ温度……あったかぁい、このテープ……」
「バリィィィィィズ! バリィィィィィィズ、殺せ、こいつら殺せ、はああああやく殺せェエエエエ!」
ばしッ、とロゼッタが杖でしたたかに小男の頭を殴りつけた。
その一撃で殺人鬼は昏倒した。ただ殴ったわけではなく、昏倒させる魔法を使ったのだ。
「これ以上騒がれると人が来るかもしれない。そろそろ私の研究所に持っていこう。体内でそのビデオテープとかいう物体を合成できるのだとしたら、その仕組みも解き明かしたい」
「手伝おうか」
「手伝ってくれるのか」
那智は血まみれの手で眼鏡を押し上げ、にやりと笑った。
「解剖と研究に立ち合わせてくれるならな」
「貴方にはそれ相応の知識があるようだ。ぜひ助手を頼みたいと思っていた」
「助手か。まあ、ぼうっと見ているよりは楽しいかもな。明日は仕事なんだが……」
那智は小男を担ぎ上げた。肩を貸すような担ぎ方だ。どぼろどぼろと、地面に内臓が流れ落ちた。生温かい、人間ひとりぶんの肉。那智はこの重みを、その重みが肩にのしかかるこの感覚を、すでに知っていた。
ロゼッタは舌と眼球が入ったビンを拾い上げる。ミレは……ビデオカメラと、地面にだらしなく広がる内臓をまとめて抱え上げた。
「解剖と人体実験をするのね。すてきだと思うわ。ねぇ、私も行っていいでしょ? ね?」
「……そうだな、おとなしく撮影係になっていてくれるなら」
「ふふ、いいわよぉ。撮影はするのもされるのも大歓迎」
「ただ、約束してほしいんだが。……もう手を突っ込まないでくれ」
「んふふ、りょおかぁい」
チビの殺人鬼と、血まみれの眼鏡の男ふたりと、どこかおぼつかない足取りの女が、路地の闇に消えていく。づるづるびたびたと、血なまぐさい痕跡をしっかり残しながら。
ロゼッタの声が、闇の向こうから飛んできて、それきりだった。
「ハッピーハロウィン。おまえには世話になった。ありがとう」
むせ返るような血の匂いの中に、カサンドラ・コールはひとりたたずむ。最後のロゼッタの礼は、彼女に向けられたものだ。
「……やれやれ。楽しい夜だよ、本当に」
闇から自分のそばに目を移せば、白銀の魑魅魍魎が、巨大な肉の塊に喰らいついている。喰っても喰っても、喰ったはしから再生するので、大喰らいな幻獣たちの食事はいつまでも終わりそうになかった。
「あんたたち、ほどほどにしときな」
カサンドラが言うと、白銀の妖怪たちは一斉に顔を上げた。美しい、銀と墨の彩りに、生々しい赤がこびりついていたが、それは見る見るうちに水のように滴り落ちて消えていく。ものの数秒で、もとの美しさを取り戻した怪物たちは、カサンドラの皮膚の中に舞い戻った。
白い紋様の輝きが、再び彼女の褐色の肌に浮かぶ。
ぷち……みちっ……くち、くちくち。
喰われるがまま横たわっていた血袋から、かすかな音。こんな状態になっても、まだこの化物は生きている。
それを見下ろすカサンドラの表情が少し翳るのを、見たものはない――はずだった。
ふと、カサンドラは足元に目を落とす。
そこにはハーブ色のバッキーがいて、ぴすぴすと鼻を鳴らしていた。
「おや。あんたは、どこの誰の持ちモンだい?」
カサンドラは知る由もなかった。それはミレのバッキーだ。ミレ自身がほとんどないがしろにしていたせいか、カサンドラの印象に残っていなかったのだ。
本格的に蠢き始めた肉の塊の前に、バッキーは近づく。そして、一度ちらりとカサンドラのほうを振り向いた。
「……楽にさせてやりな」
カサンドラはそう言い残し、血だまりを踏み、鉈の破片をまたいで、路地を出て行く。
いや、出て行こうとして、ふと足を止め、屈みこんでいた。血まみれの袋がそこにあった。中にはぎっしり肉まんが詰まっている。ロゼッタが買いこんで、ショーのためにすっかり忘れ去られたのだ。
カサンドラはほんの少し考えたが、
「ま、迷惑料だね」
結局拾い上げて、今度こそ路地を出て行った。
バッキーが殺人鬼を喰う様は、見物しなかった。
大鉈を振り回し、人がミンチになる光景を録画する、殺人鬼の凸凹コンビが、ハロウィンの夜に生まれて、その日のうちにいなくなった。
幸い、銀幕市民の大部分はそんなことも知らずにハロウィンを過ごした。
凸凹コンビが出会った相手が、例の4人でなかったなら……正しい意味の殺人ショーが、ビデオテープに収められていただろう。
『バリィィィイイイズ! バリ、ィィィィィイイイズ! 助けてくれ! 助けてくれェエエエエ、バリィィィィズ早く殺せ、はあああああやく殺せェエエエエエ!』
『ああん、イイ悲鳴。もっと近くで聞きたいわぁ……耳元で叫んでぇ、ねぇお願い……』
『あ』
『どうした?』
『肉まん持ってきてくれたか、栗栖』
『あ』
『……しまった、夜食が……!』
『バリィィィィイイイズ! バリィィィイ――』
そしてイカレたテープはそれきり終わる。
砂嵐。
〈了〉
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クリエイターコメント | 最後のハロウィン企画プラノベをお送りします。11月中の納品を目指しておりましたが、当方の不手際でかなわず、たいへんご迷惑をおかけしました。 10月31日の月は18時頃には沈んでいたそうですが、演出のため事実をねじ曲げました。 こういう殺人鬼ものもいいですねえ。 |
公開日時 | 2008-12-06(土) 11:10 |
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