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<ノベル>
あ、と思う。
時計に目をやれば、約束の時間になっていた。
コレットは、モニターに映っている書き掛けのレポートを保存して、ログアウトを選択した。
そうして、パソコンが内部でカタカタと懸命に作業を行っている間に、端に広げていた資料の片付けに取掛かる。
資料を畳む微かな音が、寂しく響いた。
気付けば、その部屋に残っていたのは自分一人だけだった。
パソコンの並ぶ学習室。大学が学生用に開放してくれている部屋だ。
窓の外はすっかり暗く、窓硝子が蛍光灯に照らされた学習室の風景を返していた。
その、窓に映る半透明の風景は、やはり閑散としていて、カバンに資料を片付けるコレットの姿だけが片隅で動く。
長いブロンドの髪に赤いリボン、襟元にブローチのついた縦縞の白い細身のワンピース。緑色の柔らかな瞳。
ログアウトを終えたパソコンからメモリスティックを抜いて、
「トト、帰るよ?」
コレットはモニターの横で隣のパソコンのマウスを突いていたピュアスノーのバッキーに声を掛けた。
トトがコレットの方に鼻先を巡らせる。
「急がなきゃ。ファレルさん、きっともう来てる」
差し出した手をトトが伝って肩まで登って来る。
そちらに軽く顔を傾けて頬を触れてから、コレットはモニターの電源を切って学習室の出口へと向かった。
最後の日が決まったのは数日前の事だった。
最後の日、つまり、銀幕市に掛けられていた不思議な夢の魔法が消え、魔法によって現れたムービースターやバッキー達が去る日。
残された日々は少なく、お別れに必要な時間は無限に足り無い。
ファレルと一緒に傘を差した魔法使いの映画を観ようと話をしていて、でも、目まぐるしく展開した市の危機的状況の忙しさに流され、それが未だ叶っていないままだった。それくらいは果たしたい。
だから、今日こそは、というわけでファレルとの待ち合わせをしていた。
人気の無い廊下にコレットの足音が響く。
ワックスの掛かった硬い廊下に、蛍光灯の光がぼやけた筋となって続いていた。
既に、時間は少し過ぎてしまっている。
コレットは気持ち早足になりながら、携帯電話を取り出してファレルの番号へと掛けた。
耳元で呼び出し音がくるくると鳴り、それが幾つも繰り返されない内にファレルが出た。
「あ、もしもし」
『はい』
愛想の無い、静かな声。
だが、これは別に彼が怒っているからというわけではない。
ファレルが感情を表に出す事が滅多に無い。表情も声も、どんな時であれ、つまらなそうに落ち着いている。
今でこそ慣れたが、最初の頃はそれで戸惑う事もあった。
例えば、あれはクリスマスの時。
クリスマスという行事を知らなかった彼の部屋にケーキを持ち込んで、一緒にクリスマスパーティーをした。
だが、ケーキを含んだファレルの顔が芳しくない。
口に合わなかっただろうかと心配したが、聞いてみるとどうやらそうでは無いのだと分かる。それで結局、彼は二個のケーキをすらすらと食べ切った。ドキドキして、それから、息を漏らして安心したのを覚えている。
懐かしい。彼のきちんと片付けられた部屋、というより、無駄な物の少ない殺風景な部屋に、クリスマス飾りのケーキを広げて祝ったクリスマスパーティー。
ファレルが何故か多くの種類のお茶の葉を用意してくれていて、ビックリしたというか、可笑しかった。あの沢山のお茶の葉たちは、今どれくらい残っているのだろうか。
「あの、ごめんなさい。時間に気づくのが遅れてしまって……今、学習室から出た所なの。あと、3、4分で行けると思う……ごめんなさい……」
『そうですか。急ぐ必要はありませんから、転ばないように気を付けて来てください』
彼が、まるで過保護な親のように言う。嫌な感じでは無い。彼が自分を気遣う時、そこにはとても透明な気持ちを感じる。純粋な心配。それは、家族が家族に対して抱くような……とは、想像でしか無いけれど。
くすりと笑み零す。
「大丈夫です。さすがの私もこんな所では転ばないから」
と言いながら早足を少し緩めていた。
本当に転んだりしたら格好が悪過ぎる。
「ファレルさんは、もう西門の所に居るの?」
『ええ』
「ごめんなさい……待たせてしまって」
『いえ、問題はありません。今後の予定にも支障は出ないと思われます。ですから、お気になさらずに』
返る声に、どこかズレた様な生真面目さがある。
そういえば、この調子にも、過保護な所にも、いつの間にか慣れてしまった。自然に溶け合った温度のように、居心地の良さがある。
無意識に気の和らいだ声で、二、三の言葉を交わして電話を切った。
再び、自分の耳に返るのが自分の足音だけになる。
ふと、廊下の自由掲示板に大きく貼り出されたサークル勧誘のポスターを目端に掠める。
大きさの所為もあるけれど、大胆な原色の色使いが目立って、いつも、意味も無く目を引かれてしまう。
アクション映画的弁証法研究会、と、名前からは一体何をするサークルなのかは全く分からない。ポスターの中では蜜柑のように黄色く丸い顔をしたキャラクターが真っ赤っかな口を三角に笑いながら親指を立てている。多分、マスコットキャラクターなのだろう。彼の下には小さく『ベン君』と書かれていた。
ちょうど、ベン君の前を通り過ぎた時に、背中の方で誰かに呼ばれた……ような気がした。
「……え?」
コレットは、ふと足を止めた。
振り返ってみる。
通ってきた廊下には誰も居ない。
「んー……」
小首を傾げて、なんとなしにベン君の方を見るが、まさか彼が呼んだわけも無い。
と――。
トン、と足音。
軽い、子供のそれのような。
ポスターから、廊下の方へと視線を上げる。
見掠めたのは、白いスカートの端と金色の髪先。
十歳くらいの子供の背丈のそれが廊下の側端に消えていく所だった。
ここに、しかもこんな時間に子供が居るのは不自然だった。誰かが連れて来たのか、それとも迷い込んだのか。
コレットは、むぅと考えるように目を細め、ちらっと肩に乗ってるトトの方を見やり。
「……気に、なるよね?」
問い掛けてから、子供の影が消えた方へと歩き出していた。
相変わらず、人気は無い。響く足音は自分のものだけ。
子供の影が消えた辺りには、階下へ続く階段があった。
下を覗けば踊り場が見えて、折り返した階段がおそらく下の階へと続いている。
「……こんな所に階段なんて」
あったかな、と思うけれど、思い返そうとする頭の中に妙な霞が掛かって、曖昧にしか思い出せない。
その内に――
いや、多分、ここに階段は昔からあった気がする。階下に行く必要が無かったから今まで見逃していただけ。
そう思えてくる。
下の方で軽い足音。
コレットは誘われるように階段を降りた。
階下では誰かが、泣いていた。その様子だけが聞こえてくる。
踊り場を巡り、更に下へ続く階段。
階段を降り切ると、そこは多分、広間になっているようだった。
上の方からほつりと降りた円状の光の端から先が暗くて、どれほど広いのかは分からない。
明かりの中で、子供が泣きじゃくっていた。
小さな子供。黒い髪の少年だ。
「あの……どうしたの?」
声を掛ける。
少年は応えず、顔に手を擦り付けては涙を拭っている。
コレットは彼の方へと近づいていって、そぅっと、その頭に触れ、柔らかく撫でた。
「ええと……ね、大丈夫よ」
何が理由で泣いているかは分からなかったから、言った言葉の根拠など無いが、とにかく少年を落ち着かせてあげたかった。
彼の頭をゆっくりと撫でながら、目線が合うように屈み、
「あなたが、何故泣いているのかは分からないけれど……大丈夫、私が力になるから」
微笑みかける。
少年が濡れた手を顔から離し、赤く腫れた目が見える。
「じゃあ――」
そして、その手がコレットの腕を掴み、彼は言った。
「僕と一緒にこの街から消えて」
◇
門という程のものは無く、在ったのは柵と紫陽花だった。
紫陽花の花壇と鉄柵の続いた所に立つコンクリートの支柱に挟まれて、道路が一本、大学側から公道の方へと伸びている。
その道端と支柱の間にある歩道にファレルは立っていた。
茶色の髪に紫の目。黒を基調とした服を着ている。
それほど多く無い街灯がポツポツと思い出したように照らす光だけだから、暗がりの中に半分ほど溶け込むようになっている。
少し離れた所に建っている大学の建物の方を見上げれば、ほとんどの窓に明かりが付いていたが動く影は少なかった。
自転車に乗った学生が、校舎の方から外へとファレルの前を通り過ぎていく。
その音が遠ざかって聞こえなくなった辺りで、ファレルは携帯で時間を確認した。コレットからの電話が有ってから十分以上は経っている。
コレットの番号に掛けてみる。
しばらくの無音の後、電波が通じていない事がアナウンスされる。
歩き出しながら携帯を閉じて――仕舞う頃には早足、そして、ファレルは音も少なに駆けていた。
確か、コレットは学習室を出た所だと言っていた。
校舎に入ってすぐの所にあった案内板には、学習室という文字が幾つも書かれており、その頭に数字が振られていた。
ファレルは彼女の足で西門まで五分程で辿り着けそうな一階の学習室にあたりを付け、そちらの方へと向かった。
淡々と蛍光灯が照らす、人気の無い廊下に小さくファレルの足音が並ぶ。
二つ角を曲がり、味気無い壁が続く内に掲示板に張られたポスターを見掠めた辺りで、ファレルは奇妙な感覚を覚え、足を止めた。
目的の学習室はもう近い場所に在る。
ファレルは周囲に視線を巡らせて、結局、またポスターの方へとそれを返した。
妙に目を引く黄色い顔をしたキャラクターと、アクション映画的弁証法研究会という文字。
意味はサッパリ分からない。
と、足音。
そちらの方を見やる。
子供らしき人影が廊下の壁端に消えるのが見えた。
茶色の髪先だった。追って、その辺りに行ってみれば階下へ向かう階段があった。
先ほど見た案内板を頭の中に広げて、地下階など無い筈だと改めて確認するのと同時に、ファレルは階段が続いた先の踊り場へと飛んでいた。
風鳴りを耳に掠め、身体を屈めるように踊り場の床に着地して、身体を伸ばす流れのまま、更に下へ続く階段へと身を滑らせる。
階段の続く先には、薄明かりに照らされた床が見えた。
再び、飛ぶ。
微かな音と共に着地しながら、辺りに視線を走らせる。
屈めた姿勢のまま、片手は広げて床に付けていた。そうして、感触から知る床の分子構造を頭に呼び出しておく。
そこは端の見えない暗い空間だった。ファレルを中心として4、5メートル範囲の床だけが上から差す光にぽっかりと照らされている。
気づけば、先ほど自身が飛び降りてきた筈の階段が消えていた。それはつまり、『相手』のフィールドに入ったという事。
ファレルは呼吸も薄く、気配を探る事に神経を傾けた。
今は、まだ何の気配も感じられない。
コレットの気配も子供の気配も、敵の気配も。
耳の奥が鳴るような静けさが続く。
と、背後で揺らぐ気配。
ファレルは、瞬時に、頭に敷いていた床の分子配列を組み替えながら身を捻った。床の一部の分子配列を強制的に変化させて作り上げたナイフを背後の気配に向かって、投げつけようとして、
「――っ」
留まる。
背後に立っていたのはコレットだった。
いや、コレットに良く似た少女だ。年の頃は十歳ぐらい。金色の髪と白いワンピース。緑色の淡い、怯えの染み付いたような瞳が瞬き、涙を流している。
ファレルは少女を見据え、小さく息を呑んで問いを口にした。
「貴方は……?」
問い掛けには応えず、彼女はそろりとこちらに歩を進めた。
ファレルのナイフを持つ手が、一度、震えた。
少女に投げつけようとする衝動を抑えたのだ。経験と状況から考えれば、彼女の接近を許す事は、おそらく、とても危険な行為だった。
薄く、奥歯を噛む。
どうしたって、近づいてくる少女に向かってナイフを投げる事は出来なかった。
彼女にはやはりコレットの面影があるのだ。
そばに来た少女の、白く傷だらけの細い手が伸びる。
そして、彼女はファレルの腕に触れて、小さな口を開いた。
「捕まえた」
声は、二つ重なって聞こえた。
次の瞬間には、ファレルは躊躇無く少女の身体をナイフで裂いていた。
彼女の身体が裂けた所から歪んで消滅する。
そして。
「――スターに用は無かったんですけどね」
そう言った声の方へと振り返る。
そこには少年が居た。彼は、ファレルから少し離れた位置に立っていた。
茶色の髪に、表情の無い紫の瞳。見覚えの有る、戦闘訓練用の服を身に付けている。
その足元にはコレットがトトと一緒に倒れていた。
「心配しなくても、まだ生きてますよ」
少年が感情の無い声で言う。
ファレルはナイフを持ったまま立ち上がり、彼の方へと身体を向けた。
少年はコレットの方へと視線を落とし、淡々とした調子で続けた。少年の手には銃が握られている。
「彼女は優しい人ですね。貴方のように斬り掛かったりなどせず、真摯に慰めてくれました」
「そうでしょうね。彼女は私とは違います」
ファレルは答えながら、手の中のナイフを回して逆手に持った。
少年の視線がコレットからファレルへと上げられる。
「だから貴方は彼女に惹かれた?」
少年が、つまらなそうな顔のまま首を傾げる。
ファレルは体横に垂らした手のナイフを何時でも投げ出せるように意識しながら、己と同じ色の瞳をした少年を見返し、
「コレットさんを道連れにでもするつもりですか?」
少年の問いには答えず、問いを返した。
少年は傾けていた首を戻し、頷いた。
「一緒に消えてくれる人を探していました」
「心配せずとも、私達は共に消えるでしょう。この街を去るのは貴方だけじゃない」
「……貴方は、嫌じゃないですか?」
「……?」
少年が言った問い掛けの意味を拾い切れず、ファレルは首をかしげた。
少年は、別段それを気にした風でも無く続ける。
「私達が去ってからも、彼女らの時間は進む。やがて、彼女は貴方の事を忘れ、あるいは過去に在った出来事として片隅に追いやり、貴方とは全く関係の無い生活を送るようになる――嫌じゃないですか? そういうの」
「……貴方がコレットさんを選ぶ理由にはなりませんね」
「私は誰でも良かった。この街で続く筈の時を一つでも止める事が出来れば、それは、ほんの少しでも運命に逆らえた事になると思いませんか?」
「ちっぽけな自己満足を叶えるにしては犠牲が大き過ぎます」
「今まで、貴方が彼女に支払ってきた犠牲と比べても?」
言った少年の表情にも声にも、ずっと変化は無かった。
言葉は、ただ淡々と義務的に並べられていく。それはそうだ。そういう風に訓練されてきたのだ。感情を削られ、精巧な道具となるように、大人達に造られてきた。
ファレルが返す言葉を紡がない事を、間で確認し、少年は続けた。
「貴方は、幾度と無く彼女を危機から救ってきた。彼女を守るために、その手を汚してきた。愚かしいほどの無償の奉仕を繰り返し、手に入れたものは何ですか? 貴方が大切に守った彼女は、いずれ貴方がどんなに手を伸ばしても届かない未来を生きる。その未来だって、彼女に取って幸せなものでは無いかもしれない。魔法は消え、彼女を守る貴方は去るのです。彼女は、決定的な弱さを内に飼っている……知っているでしょう?」
温度の無い声が言葉を続けていた。
彼女の中に、何か暗く拭い切れない怯えのようなものが在るのは何となく分かっていた。
でも、だからこそ彼女はいつも必死なのだと思う。
必死で、泣いて、笑って、怒って、喜んで、嘆いて、時に空回ったり、間違ったり、傷つき……それでも、足掻きながら、彼女は優しくあろうと生きている。
その懸命さは、ファレルが、かつて大人達に奪い取られた温度だった。
血の通う鼓動だ。
彼女を守る時、彼女と共に居る時、自分の体にも同じように血が通い、脈を打つような気がしていた。
少年は、言う。
「貴方に守られてきた命です。最後に、共に消えるくらい、してもらったって良いでしょう」
少年の言葉はそれで最後。
ファレルは小さく息を吸い。
笑った。
守りたかったのは、彼女が未来を求める鼓動。
「全て、私が勝手にしてきた事です。彼女に罪は無い。それに、これは夢の魔法です――」
手に下げていたナイフを手放す。
「消える時は、人を巻き込んではいけない」
ナイフが床に落ちる音。少年の視線がそちらの方に滑る。
同時に、ファレルは駆けていた。己の上着に掌を添えて、脳裏に連ねた分子配列を組み替える。
少年の紫の瞳が、つまらなそうな無表情でファレルの方を見た。
そして、少年が身動きを取る前に。
「一足先に行っているといいですよ」
ファレルの手にした刃が、無表情の首を刎ねていた。
◇
道の向こうに、街灯の明かりのおこぼれを受けた紫陽花の色が見えていた。
校舎から西門へ続く、コレットには見慣れた道だ。
隣にファレルが居るけれど、そちらの方に顔を上げる勇気が彼女には無かった。
先ほど目覚めた時の事を思い返して、恥ずかしさで、また、くぅと顔に血が上ってくる。
目が覚めた時、ファレルの顔があった。自分が居たのは廊下だった。末松君のポスターが貼られた掲示板の下に腰を降ろした格好で、壁に背を預けていた。
何が何だか分からなくて、混乱していたら、彼に「転んで気を失っていたみたいですよ」と言われた。
強烈だった。
恥ずかしくて恥ずかしくて、ごめんなさいを連呼した。泣きたかった。ちょっと泣いた。目尻に涙を溜めるくらい。
そんなコレットを見たファレルの無表情が、奥に何故だかとても申し訳なさそうな雰囲気を持っているように見えたけれど、その時のコレットには深く分析する余裕など無かった。
はぁ、と大きな溜息を付く。
(格好……悪いなぁ)
自然、足取りもトボトボとしたものになり、ふと気付いたら、隣に居た筈のファレルが少し先を行った所で立ち止まってこちらを待っていた。
「あ――ご、ごめんなさいっ」
慌てて足を急がせ、靴先を地面に引っ掛けてしまう。
「きゃっ――」
転ぶ寸前でファレルの手に腕と肩を取られ、助けられる。
「大丈夫ですか?」
「あ……う、うん……」
顔を上げられるわけが無い。自分が心底情けなくなる。
ファレルの方へ顔を向けられないまま、コレットは自分の足でバランスを取り直して彼にお礼を言った。
「いえ……」
感情の少ない彼の声が、ちょっと困っているように聞こえた。
それから、しばらく共に歩いて西門を出る。
駅の方へと向かいながら、コレットは、とにかく冷静さを取り戻すべく深呼吸をしていた。
ほんのりと水気を含み始めた夜気が透明さを持っていて、そこには冷えた紫陽花の香りがひそんでいる。
どうにか、落ち着いてきた所でファレルに話掛けようとしたら、彼が零すように言った声に先手を打たれた。
「あれは……」
「え?」
そちらの方に顔を上げる。
道の先を見つめながら歩くファレルが、少しを間を取ってから改めて。
「あれは、何だったのでしょうか?」
「あれって……?」
分からず、小首を傾げる。
ファレルが、いつもの少し眠そうな無表情をこちらに向けて、やや真剣味を帯びた調子で言う。
「アクション映画的弁証法研究会です」
コレットは、思わず吹き出してしまい、それから肩を震わせて笑った。
ファレルが首を傾げてこちらを見てくる。
目尻の笑い涙を指で拭ってから彼の顔を見返す。
「あれ、ね。私も何だか分からないの。私が大学に初めて行った時からあそこに貼ってあって、でも、先輩も友達も皆、あれが何かを知っている人は居なくて」
「なるほど……不思議ですね」
「うちの大学の七不思議の一つ。でも、後の六つを聞いた事が無いのはお約束ね」
道の先へと視線を戻して、ぱち、と軽く両手を目の前に合わせながら笑う。
ファレルが隣でまた「不思議です……」と繰り返すのが、また可笑しかった。
一つ息を付いて、ファレルの方に軽く視線を向ける。
「ねぇ、お茶の葉ってまだ残ってる?」
「ええ。コレットさんがいらっしゃらないと、中々使う機会が無いもので……」
「じゃあ、今日はお茶パーティーも兼ねよう?」
「助かります」
ファレルが頷く。
コレットは、「やった」と微笑んで、肩に乗っているトトに頬を触れた。
そんなコレットの様子を見て、ファレルがどこか安心したように息を漏らしていた。
そして。
「ねえ、ファレルさん。お茶請けのお菓子は何がいい? 何か買っていこう」
コレットはファレルを覗き込むようにしながら小首を傾げた。
つ、と顎先を揺らしたファレルが、ふむ、と考えるように視線をこちらから少し外し。
それから、頷く。
「では――クリスマスケーキを」
聞いて、コレットは肩をこけさせた。
不思議そうに見てくるファレルの顔を、そろっと見返し、可笑しくなって笑う。
彼にクリスマスの事をもう少し詳しく教えたら、代わりのケーキを買って帰って、色んな種類のお茶の香りの中に並べよう。
そうして彼は、つまらなそうな顔でそれを食べるのだ。
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クリエイターコメント | この度はオファーありがとう御座いました。 八鹿プラノベ最多登場の御二人を、最後の最後に書かせて頂きました。 中々感慨深い思いです。
万が一の訂正申請が行える期間が非常に短くなってしまった事をお詫び致します。 期間内、御連絡頂きましたら出来得る限り対応させて頂きますので、お気付きの点がありましたら、遠慮無く御連絡ください。
〜〜〜〜〜〜〜〜 さて。 これが銀幕で書く最後のノベルとなりました。 シナリオに参加してくださった皆様、オファーをしてくださった皆様、物語を読んでくださった皆様……本当に有難う御座いました。 この場を借りて、心よりお礼を申し上げさせて頂きます。
本当に、有難う御座いましたッ!! |
公開日時 | 2009-07-30(木) 18:30 |
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