|
|
|
|
<ノベル>
蝉がけたたましく鳴いている。
須哉久巳は縁側に扇風機と団扇と氷水を張ったタライにと、涼を満喫しまくっていた。ちりんと風鈴に眼を細める。
そこへ愛弟子と可愛がる須哉逢柝が、そうめんの入った桶を持ってきた。
「へぇ、珍しいことがあるもんだねぇ」
いつもはぶちぶち文句を言いながらアイスでも囓りながらのろのろと準備をするのに、今日は何も言わないまま用意に向かい、早々と昼食を持ってきた。
しかし今は暑い盛り、喉も渇いたし小腹も空いたし、とにかく久巳は箸を進めた。
「……師匠」
「んー?」
「水族館に行きたい」
久巳は一瞬目を点にした。
逢柝が何かをしたいと言い出すこと自体が珍しいことであるのに、行きたいと言うのが水族館。よりにもよって水族館とは是如何に。
「師匠?」
早く返事しろよと言わんばかりに睨め付けてくる逢柝に、久巳は何かを察した。にやりと笑って、その頭をぽんぽんと叩いた。それに顔を真っ赤にして、逢柝は立ち上がった。
「ルシファたちに電話してくる」
それに笑って、久巳はそうめんを啜った。
もうすぐ魔法が終わる。あの絶望との対峙の後、神として成人したリオネがそう告げた。その前に、彼女なりの思いで作りといったところだろうか。
「明日、あいつら大丈夫だってよ。八時に水族館の前で待ち合わせだから」
心なしか嬉しそうに戻ってきた逢柝に笑って、久巳はそうめんを啜るのであった。
◆ ◆ ◆
逢柝は水族館の前にやってきた時、思わず目を点にした。
そこには義妹と可愛がるルシファと、何故だかもじもじしているレイドがいたのだ。
「「なんだよ、それは!」」
「うっ、うるせぇ、この師弟っ!!」
腹を抱えて笑う逢柝と久巳に、レイドは顔を真っ赤にして叫んだ。
それも仕方ない。レイドは小脇に、白イルカのヌイグルミが収まっていたのだから。
「何考えたんだよ、ははっ……腹痛ぇ!!」
「黙れコラッ!」
「ぶっ」
顔に白イルカを押しつけられて、逢柝はぽかんとする。
すると今度笑うのは、レイドと久巳である。
「「あっはっはっ! 似合うじゃねぇか逢柝!」」
「なっ!」
顔を真っ赤にして怒り出すところに、ルシファが真っ赤な瞳をキラキラと輝かせて、
「お姉ちゃんかわいいーっ!」
などと言うものだから、怒りのゲージがひよひよと下がってしまった。くつくつと笑っているレイドと久巳を睨み付けて、逢柝は「ふんっ」と白イルカを抱きしめた。
「年寄りは放っといて行こうぜ、ルシファ」
「うんっ!」
そう微笑んだルシファの耳には、赤い桃の花をモチーフにしたイヤリングが光り。
逢柝はくすぐったそうに微笑んで、ルシファの手を握った。
「おらっ、師匠もレイドも行くぞ!」
「年寄りは放っておくんだろ」
「うるせぇ、つべこべ言わずにさっさと来いっ!」
早く早くと急かす二人に、レイドと久巳は笑った。
まったくどちらなんだ、と。
「見てみてーっ、らっこさんがいるよ!」
ルシファがはしゃいで指さす。その先には、くるくると顔を洗うラッコの姿がある。
「そうそう、ルシファがくまと間違えたラッコな」
逢柝が言うと、ルシファは今はもうわかるもんっ、と胸を張った。その後ろでは、レイドが不思議そうに見ている。
くりりとした黒目をした動物がきょとりと小首を傾げたり、仰向けになってぷかぷかと浮いている。器用にもお腹に乗せた石に貝を打ち付けて割り、中身を食べる姿はたいへん愛らしい。
「どれがクマだよ?」
「だからラッコだっつってんだろ」
ビシッと逢柝の裏手が飛ぶ。
「ぐぼっ」
もちろん鳩尾にクリーンヒットだ。
「て、てめぇ……」
「なんだよ、これくらいもガードできないのか?」
「るっせぇ、ちょっと油断してただけだ!」
「油断大敵ってね」
「どわっ?!」
後ろから膝かっくんされ、レイドは水槽にがつんと頭をぶつけた。拍子に、驚いたのだろうラッコが打ち付けていた貝をぽとりと落とした。それはそれで可愛いのだが。
「おら、おまえのせいでラッコが驚いちまったじゃねぇか」
「誰のせいかとっ!」
「ダメだよ、レイド。らっこさんに謝らないとっ」
ルシファにまで言われて、詰まらないレイドではない。いきなりこれかとがっくりと肩を落とし、ラッコに「すまなかった」と呟く。
どっと笑いが広がって、レイドは豆鉄砲を喰らった鳩のような顔で振り返った。
「ほ、ホントに謝りやがった!」
「しかもラッコ、全然気にしてないしっ!」
「レイド、いい子!」
「あっはっはっはっは!」
ルシファになでなでされ、水族館に来ていた人々にすら笑われ、レイドは真っ赤になって真っ青になってぐったりした。
何度でも言おう。
「いきなりこれかっ!!!」
叫んだレイドに、久巳がにやにやと小突く。
「ほらほら、お父さんしっかり立てよ。この前みたく、迷子になるぜ?」
「誰がお父さんっ……! つか、迷子になったんじゃねぇ!」
「ほう、館内の隅の方でぶつぶつ呟いてはいなかったと」
「な」
「体育座りして背中丸めてたわけじゃねぇと」
「そ」
「「はっ!」」
立て続けにこれか──…っ!!
がっくりと膝を付いたレイドに、くすくすとした声が聞こえる。
あ、なんかもういきなりお星様が見える感じ?
なんだかもう泣きたいのを通り越して笑いしか出て来ない。
それを見下ろして、逢柝は「あー」と額を掻いた。
「おら、レイド」
がつんと蹴り飛ばして、逢柝はニッと笑った。
「行こうぜ」
差し出される手。
逢柝とルシファの。
レイドは一瞬呆けたような顔をして、それからくしゃりと前髪を掻き上げた。
「……ったく」
その口元に笑みを乗せて、立ち上がる。
「わっ」
「うえっ」
二人の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。
「おら行くぞ!」
それを一歩離れたところで眺めながら、久巳は笑う。
「良いお父さんしてくれよ」
「誰がお父さんかっ!」
呟いたつもりが、レイドの耳にはしっかり届いていたらしい。
◇ ◇ ◇
「わぁ、かわいい!」
「ペリカンか……お、餌をやれるみたいだぞ」
「行く行く!」
はしゃぐルシファに、レイドは今にも魂を吐き出しそうな顔をする。
去年は飼育員のにこやかな笑顔に引き摺られて、一人で大勢の客の中、餌をやることになったのだ。
「ほら、レイドも!」
「お、おう……」
しかしそんなことをルシファや逢柝や久巳が知るよしもなく。別の意味で顔を引き攣らせながら、レイドはペリカンと向かい合った。
そんなしょっぱいことを思い出しながら(レイドだけ)、四人ははぐれることなく、水族館を回った。
別れが近い。
そんなことを微塵も感じさせない賑やかさで。
レイドは最後ぐらいサービスしてやるかと、逢柝が気持ち悪がったりしても「この野郎」と茶化しながら「良い父親」らしく振る舞った。ルシファのように、自分の娘が逢柝というのも、悪くはないと思っている。その辺をしっかりと久巳には見抜かれていることは、頭を掻き毟りたい衝動にかられるのだけれど。
「ルシファ、転ぶぞ」
「大丈夫だよ。お姉ちゃんと手、繋いでるもん」
二人が笑っている。
それが何より嬉しい。
「イルカのショーだって! ね、行こう!」
ルシファと逢柝が自分に笑いかけている。
ああ、なんて。
「っし、行くか!」
軽快なリズムに乗せてジャンプするイルカたち。
躍るアシカやペンギンたちのジャンプ。
白イルカの歌声。
一年前と変わらない、歓声と拍手。
その中で。
レイドの本心には、黒いものが渦巻いていた。
元の世界に帰っても、あの虚しい生活を送るだけだとわかっている。誰からも必要とされず、たった二人で荒野を生きていくのだと。
だから、死んででも銀幕市に残っていたい。
それが嘘偽りのない、レイドの思いである。
けれど、その虚しい生活があったからこそ、今ここにある幸せを感じる。
それも真実なのだと思う気持ちがあるから、レイドはそれを言わない。
言っても意味のないことだとも、わかっている。
だから。
「うわっ?!」
「わ?」
突然抱きしめられて、逢柝は真っ赤になった。
「何だよ、ロリコン!」
そんなことを言ってみたりして。
その脇には、ヌイグルミの白イルカが微笑んでいる。
感謝、している。
ルシファの姉になってくれたこと
こんな俺たちに、俺に、寄り添ってくれて
たくさんの思い出と
たくさんの気持ちと
真っ直ぐに向き合ってくれて
ショーが終わり、またわんにゃんだの似顔絵だのと盛り上がって。
そろいのイルカのストラップを買って、四人は家路についていた。
「……あ、ありがとな」
逢柝の声に、レイドは視線をやる。
顔を真っ赤にして、逢柝はレイドとルシファとを交互に見た。
「あんたら二人にあって、家族ってもんを知って……知ることができて、嬉しかった」
顔を上げる。
「ルシファと、レイドに会えて、良かった」
眩しいほどの、笑顔。
ああ、なんて。
なんて幸せなのだろう。
ルシファとレイドは顔を見合わせて、笑った。
「俺たちもだよ」
久巳は静かに微笑んでいる。
「それじゃ」
分かれ道。
四人は微笑んでいる。
「「「「また明日」」」」
|
クリエイターコメント | お待たせ致しました! 楽しんでいただければ、幸いです。 この度はオファー、誠にありがとうございました! |
公開日時 | 2009-07-31(金) 23:50 |
|
|
|
|
|