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<ノベル>
オレはこいつになにをしてやれるんだろうな――
自問自答を繰り返してみたが、いっこうに正しい答えなんざ出てこねぇ。
正しい答え? 笑わせる。
この世の中、なにが正しくてなにが正しくないかなんて、だれにもわかりゃしねぇ。そんなことはジュニア・ハイ・スクールに通うガキだって知ってることだ。
正しいか正しくないかは関係ねぇ。だったら、オレはなにを基準に選択すればいい?
オレはよっぽどしんどそうな顔をしてるらしい。鏡なんざ見なくてもわかる。後藤の野郎がニヤニヤしてやがるからだ。
奴とはそれなりに長いつきあいだ。こいつは、オレが嬉しそうにしていると顔をしかめ、オレが辛そうにしていると笑いやがる。いつもそうだ。
だったら、奴が目の前でニヤついてる以上、オレはいま辛気くさい顔をしてるってことだ。わかりやすすぎて、まったく反吐が出るぜ。
後藤がコートの内側に手を入れた。
オレは奴の行動を警戒する前に、あわてて隣に立っているレイの腕をつかんだ。
後藤はそんなオレを見て苦笑しながら、コートの裏ポケットから煙草とライターを取り出す。火をつける前に、軽く両手を挙げて肩をすくめられ、「おいおい、そんなにオドオドするんじゃねぇよ」と揶揄されてるような気がして腹が立った。
腹が立ったが、オドオドしているのも事実だったから、なにも言えなねぇな。
視線を落とすと、熱に頬を赤らめたレイがきょとんとしていた。あわてているのも、オドオドしているのも、オレだけだ。
オレはこいつがまた暴れ出すんじゃないかと思ってあわてちまったんだが、よくよく考えたら、こいつはすべてお見通しだったに決まっている。左目のセンサーがすべてを感知してるんだから、後藤がなにか物騒なものじゃなくて、たんに煙草とライターを取り出そうとしてたことなんか、余裕でわかってたはずだ。
それに、後藤が本当に銃なんかを持ち出してたら、オレが腕をつかむ前にこいつは後藤を――
オレは不吉な想像を振り払うように、ぶるぶると頭を振った。
レイの身体に施されたサイバネティック技術は時代の最先端をいくもので、違法まがいの町医者にちょちょいと手術してもらったオレのボディなんかとは比べものにならないくれぇ高性能だ。
オレにはこいつを止めることなんかできやしねぇ。そいつは身に染みてわかったじゃねぇか。
後藤が紫煙をくゆらせながら、言った。
「で、どうするんだ?」
ことさらゆったりとした口調に、オレは苛つく自分を感じた。
しかし、オレはいったいなにに対して苛ついてるんだろう? 後藤か? 自分か? それともレイにか?
「なぁ、ジム=オーランドさんよ。そいつを捨てるのか、捨てねぇのか……どっちにするつもりだ?」
後藤の野郎は満面の笑みだ。
ってことは、オレはそうとう酷い顔をしているんだろうさ。
オレはこいつになにをしてやれるんだろうな――
オレがレイを拾ったのは、2〜3ヶ月前のことだ。拾ったっていうと犬っころみたいな言い方だが、実際に拾ったんだからしたかねぇ。
そのころ、雨の日に傘をさして町をぶらつくのがオレの日課だった。
雨はいい。雨はぜんぶを隠しちまう。
雨水にけぶる景色は、スラムだろうが、セントラルだろうが、どこでも同じだ。雨は、文無しのストリートチルドレンから中央政府のお偉いさんまで、みんなに平等に降る。平等ってのはいいもんだ。昔っからそう相場が決まってる。
その日、雨のスラムを歩いていたオレは、ぼろっちぃアパートの壁に寄りかかって地面に座っている少年を見つけた。
宿無しの子供なんざ珍しいもんでもなんでもねぇ。ただ気になったのは、そいつが雨をよけていなかったところだ。
みんな建物の軒先やビルの陰なんかに隠れて雨をやりすごそうとしてるってのに、そいつだけは堂々と雨に濡れていやがった。しかも、どう見ても生身のボディじゃねぇ。いくら防水加工がしてあるっていっても、サイバネ・ボディが水に弱いことに変わりはねぇってのに。
オレはまったくの考え無しに、そいつに近づくと、傘をさしかけていた。
「おい、少年。こんなところで雨に打たれてっと風邪引くぜ」
言ってから、サイバー化の割合次第じゃ風邪なんか引かねぇなと気づいたが、まぁ、訂正はしなかった。そいつがひどく弱々しい目でこっちを見上げやがったからだ。
オレはガラにもなく動揺しちまった。なんというか、よくわからねぇが、あまりにまっすぐに見つめられたからかもしれねぇ。
オレは動揺を隠すようにペラペラしゃべりつづけた。
「ん? これか? アンチ・バリアとかなんとかで雨を防ぐとか、なんかバカらしい気がしねぇか? 雨なんて傘で十分だろ。おまえ、もしかして口がきけねぇのか? だったらなんでしゃべらねぇんだ? って、そうか! 自己紹介がまだだったな。おまえ、名前は?」
ようやくそこで、そいつの目に感情みたいなもんが浮かんだ。それはひどく悲しげで、ひどく痛々しく……
「僕は、No.0……ゼロ、いいや、レイ……」
「ふぅん。レイか、良い名前だな。まぁ、とにかくついて来いよ。少なくとも雨風はしのげるぜ」
これまた考え無しに、オレはそいつに――レイに手をさしのべていた。
「外の世界にはとても楽しいことがたくさんあるって、おかあさんが言ったんだ」
おかあさん? 母親に捨てられたのか? だからこんなにも泣きそうなのか?
「なんだよ、その泣きそうなツラは? そうだなぁ、外の世界ってのはよくわからんが、ここじゃ楽しいことも辛いことも半々ってとこだな」
「半分ずつ?」
「ああ、そんなとこじゃねぇのか」
世の中なんてそんなもんだろう。楽しいこともありゃあ、辛いこともある。そう昔っから相場が決まってる。
「おまえ、今まで楽しいことなかったのか?」
「少しだけ」
「つーことは、これまで辛いことがたくさんあったってことだろ。だったら、おかあさんは嘘なんてついてねぇな。半分ずつなんだから、これからは楽しいことがたくさんあるってことだろ?」
オレは、いつの間にか必死に、そいつを励ましていた。励ましてたんだ。
オレは学があるわけでもねぇし、弁が立つわけでもねぇ。どっちかというと腕力に物を言わせて生きてきた人間だ。それが、おかしいことに、懸命に言葉を選んで、レイを生かそうとしてやがった。
本当にあのときのオレはどうかしてたと、今でも思う。おせっかいの焼きすぎだ。
でも――
でも、レイがオレの手をにぎりかえしてきたとき、なんて冷てぇ手だと考えると同時に、なんてあたたけぇ手だって思ってたんだ。
それからオレはレイを仲間のところへ連れて行った。
このスラムで仲間といえば仕事仲間しかいねぇ。オレの仕事はというと……あまり大きな声じゃ言えねぇような、人がいやがるようなことを率先してやるような、まぁ、そういったたぐいのもんだった。
そんなオレが、仲間のところへこいつを連れていったら教育上よくねぇんじゃねぇか、なんてちらっとでも考えたんだから、洒落にもならねぇ。
それでも他にアテがあるわけでもねぇから、連れて行くしかなかったんだが。
根城に着くと、予想どおり仲間たちは「隠し子か?」だの「おめぇもついに年貢の納め時だな」だの、いっせいにからかってきやがった。オレは「うるせぇ」とそいつらをてきとうにあしらっていたが、中にはレイの高度なサイバネティック・ボディに興味をしめす奴らもいて、注意しなけりゃいけなかった。なにせ、自分の仲間ながら、どいつもこいつも油断ならねぇ奴らばっかりだ。気づけば、レイが闇ルートで売りに出されてた、なんてことにもなりかねねぇ。
オレはなるだけレイから目を離さないようにしていた。
しかしすぐに、オレは思い知らされることになった。レイから目を離そうもんなら、別の意味で危険だってことを。
レイは生まれたての赤ん坊といっしょだった。良い意味でも悪い意味でも無邪気ってところだ。
ふつう無邪気な赤ん坊をまわりの悪いもんから守るのが、大人の役目ってもんだ。ところが、レイの場合はまるで逆だったんで、こちとら大弱りだ。なにせ、こいつはただの赤ん坊と違って、たいそうな力を持っていやがったから。
たとえば、ちっちゃな子供はわけもわからずに虫なんかを殺す。大人はそれがいけないことだと教えてやらなくちゃならねぇ。虫の命は戻ってこねぇが、子供はそれとひきかえに大事なことを学ぶ。
子供が悪気なく虫を殺しちまうのと同じレベルで、人間も殺しちまえるほどの戦闘力を持ってるのがレイだった。
ここで虫の命も人間の命も重さは同じだ、なんて講釈は無しだ。オレたちは人間様のつくった社会で生きてるんだ。悪気がなくても、人を殺しちまったら社会全体を敵にまわしちまう。
あるとき、レイは自分にいちゃもんをつけたスラムの子供たちをあやうく殺しかけた。
止めようとしたオレが軽く傷を負ったのを見て、暴れるのをやめてくれたんで助かったんだが、そうじゃなけりゃ、あの場にいた全員が命を落としていたろう。想像するとゾッとしちまう。
そのときのレイの戦闘力のすさまじさは、驚くのをとおりすぎて、あっけにとられちまうほどだった。真っ正直な感想は、これなら相手がサイバネ手術を受けたサイボーグの一個師団でもじゅうぶんに殺戮できるだろうってところだ。
これはレイ自身から聞き出した話をもとにしたオレの推測だったが、どうもこいつはどっかの大企業が非合法に運営していた生体実験施設から抜け出してきたみてぇだった。そのときに「おかあさん」から助けてもらったとか。
それだけのことができる大企業っていやぁ、SHIかSEJか……ふたつ、みっつしか思い浮かばねぇ。どれも危険な香りがプンプンする名だ。
オレは過去の生い立ちをだれにも話さないよう、レイに念を押した。こいつの造り主って奴が、どっからかぎつけるともわからねぇ。こういう秘密ごとは秘密のままに処理されるのが世の道理ってもんで、それにはこっちも秘密で対抗するしかねぇ。
そいつが功を奏したのか、もしくはレイはすでに見捨てられちまってたのか、とにかく、それから2〜3ヶ月は比較的平和に過ごせた。ある程度常識ってもんを教え込めば、レイもむちゃくちゃなことはしなくなり、オレも危ない仕事にはあんまり手を出さなくなっていった。
レイとの共同生活は順調にいっていたが、その反面、仲間たちの一部にオレたちを危険視する奴らが出てきてやがった。要するに、オレが仲間を裏切るんじゃねぇかって話だ。長くいっしょにいれば、レイの力の断片を知っちまう者も出てくる。その言葉の裏には恐怖心なんかがあったんだろう。
オレはこのときすでに、レイを取るか仲間を取るか選択を迫られてたのかもしれねぇ。
そして、「運命の日」なんてガラにもねぇが、そうとしか言いようがねぇ日がやってきちまったんだ。
レイが突然高熱を出した。
こいつのボディはオレたちなんかよりも随分頑丈にできてて、それまで怪我も病気もしたことなかったもんだから、オレのあわてっぷりはそうとうなもんだった――らしい。自分じゃわからねぇが、仲間たちがそうからかうんだから、そうだったんだろうよ。
近くの闇医者に診せると、サイバーパーツの不適応だって言いやがる。原因は成長痛だってんだからどうしようもねぇ。しかも、ふつうの成長痛ならほうっておけば治るが、サイボーグの成長通ってのは、肉体の成長に、成長しない機械が合わなくなってくもんだから、ほうっておくわけにもいかねぇ。
それじゃあパーツを交換してくれって言うと、こんな高価なパーツはスラムのどこにもありゃしねぇときたもんだ。そりゃそうだ。大企業のハイテクで造られたこいつに合うパーツなんて、セントラルにでも行かなきゃ手に入らねぇ。じゅうぶん予測できたことだ。
オレはなんだか情けなくなって、レイを背負って根城に戻ることにした。
「僕、ひとりで歩けるよ」
レイが熱っぽい頬を耳のうしろあたりにくっつけながら言う。
実際にそうなのかもしれねぇ。こいつは、この程度の内部障害だったら、一時的に自力で抑えてふつうに動けるだけのシステムを搭載してるんだろう。そうじゃなきゃ、戦闘用としてはやっていけねぇからだ。それでも、オレはレイを背中からおろさなかった。
「子供ってのはな、病気のときはおとなしくしてるもんなんだよ」
レイは「ふぅん」とだけ答えた。
「なぁ、レイ」
「なぁに?」
「出会ったときのこと、おぼえてるか?」
「うん」
オレはこのとき妙に感傷的になってた。レイを治してやれねぇ自分がよっぽど情けなかったんだろう。弱気になってたんだろうよ。
「あんとき、オレ、言ったよな」
背中でレイが首をかしげるのがつたわってきた。
「楽しいことと辛いことは半分ずつだって。これまで辛いことばっかりだったんなら、これからは楽しいことばっかりだって……」
こっから先は言っちゃいけねぇ。自分の中でなにかが叫んでやがった。それでもオレは止めることができなかった。
「……おめぇ、この数ヶ月、オレといて楽しかったか?」
ついに言っちまった。こいつは魔法を解いちまうNGワードだ。この一言で、嬉しかったことも、楽しかったことも、すべてがゼロに戻っちまう。台無しだ。ぜんぶ、ぜんぶ、台無しだ。
オレは胸中で自分自身をののしった。オレはなんてバカなんだ! そいつは訊いていいようなことじゃねぇ。すくなくとも賢い奴なら絶対に口にしねぇ言葉だ。
いますぐレイを放り出して逃げ出したい衝動に駆られ、それでも、絶対にレイを放さない自分を呪いたかった。
レイが口を開くのが気配でわかる。
耳を塞ぎたかったが、あいにくとオレの両手はおんぶしたレイを支えている。
「僕は――」
そのとき、複数の銃声がオレを現実の世界へと強制的に引き戻しやがった。
「内海組の、カチコミ…だ。や、山崎が……へま……やり、やがっ…た」
篠原は血の泡を吹きながら、ようやくそれだけを言った。
「篠原! しっかりしやがれ!」
オレは血まみれになった篠原の身体を大きくゆさぶる。今までの経験から、こいつはもう助からねぇってわかっていた。わかっていたからこそ、叫ばずにはいられなかった。
篠原は唯一レイのことを気にかけてくれた仲間だった。オレに野暮用ができたとき、レイの面倒を見てくれたのも、こいつだ。
チクショウ! 良い奴だった。良い奴だったんだ。
「こ、これだから……これだ、から、ヤク…ザな、しょ、商売はやってらん――」
そこで途切れちまった。声も、命も。
そう、これだからヤクザな商売はやってらんねぇ……
オレは篠原の身体をその場に横たえると、そいつの手から無反動ガンをゆずりうけた。銃ははっきり言って苦手だったが、そうも言ってられねぇ。
昔の自分なら――数ヶ月前までの自分だったら、かっと頭に血がのぼっちまって、激しい銃撃戦のさなかへなにも考えずに特攻してただろうよ。なにせ仲間を殺られたんだ。殺られたら、殺りかえす。それがオレたちの流儀だったし、オレはそうやってこれまで生きてきたんだ。
昔の、レイに出会う前の自分だったら。
「おじちゃん? 篠原のおじちゃん!」
レイはつたないながらも感情を表して、篠原の死を悲しんでいた。オレはその手を無理やり引っ張って、「行くぞ」と駆け出す。
「どこに?」
レイが訊いてくる。
そいつはオレが訊きてぇところだ! って台詞はかろうじて呑み込んだ。代わりに、
「とにかく安全なところまで逃げるんだ!」
それくらいしか答えようがなくって、あまり変わらなかったが。
内海組ってのはこのあたりを仕切っている最大勢力の組織だ。このスラムの裏社会を一手に牛耳っていて、ぶっちゃけた話、政府警察でさえおいそれと手が出せねぇほどの一大勢力だった。本来、オレたちみてぇな小物が関わっていい相手じゃねぇ。
山崎がしくじったって話だったが、原因なんてもんはどうでもよかった。奴らは軍隊並みの兵力を持ってるってもっぱらの噂だ。たかだかオレたち程度にそこまでしてくるとは思えねぇが、全滅させるだけの戦力はそろえてきてるはずだ。
今頃、オレたちの根城じゃ大量虐殺が行われてることだろう。
「チクショウ!」
毒づかずにはいられねぇ。
「ジム! こっちだ!」
不意に名を呼ばれた。
マシンガンを持った紳士がビルの陰から手招きしてやがった。背後には見知った仲間たちが面を並べてやがる。みんな悲壮な顔で手に手に武器を持っていやがった。こっちへ来ていっしょに戦えってことだろう。
本当なら、そこがオレのいる場所だ。
紳士たちの援護を受けながら、オレが敵のところへ突進し、得意の接近戦で蹴散らす。接近戦に特化したサイバネティック手術を受けているオレにしかできねぇ戦法だ。オレと仲間たちはそうやって、縄張り争いなんかをくぐり抜けてきたんだ。あいつらは今回もそれを期待してるだろうし、それである程度は生き残れるかもしれなかった。
一瞬の間に、オレの脳裏にいろんな考えが浮かんでは消え浮かんでは消え――結局オレは身を翻していた。
レイの手をにぎったまんま一目散にそこを逃げ出す。
紳士たちがいるってことは、そこが戦場になるってことだ。そんなところにレイを近づけるわけにはいかねぇ。
仲間に背を向けたオレを、紳士たちはどう思っただろうか? 泉なんかは声高にののしったかもしれねぇ。ほら、やっぱり裏切りやがったぜ、ってな具合に。
戦うのが怖かったわけじゃねぇ。仲間といっしょに死ぬのが怖かったわけでもねぇ。ただ、オレはこいつを死なせたくなかっただけだ。
オレは一度も振り返らずに走った。振り返る勇気なんて、オレは持ち合わせちゃいなかった。
「おじちゃんたち……死んじゃったよ」
レイがぽつりと漏らす。
高感度センサーだかなんだか知らねぇが、そういうもんを内蔵しているレイの言うことだ。こいつの左目が教えてるってことなら、100パーセント確定の、現実に起こったことなんだろう。
オレはだんだん自分のやってることがわからなくなってた。オレがやってることは、仲間を裏切ってまでやるようなことなのか、ってね。
だけど、現実ってのは考える暇すら与えてくれねぇ。そういうもんだと相場が決まってる。
「このままじゃ、囲まれちゃうよ」
つぎにレイの口から飛び出したのは警告だった。これもまた左目が教えてくれたことで、100パーセント確定の、現実に起こりそうなことなんだろうよ。世の中本当にままならねぇ。
「どうやったら逃げられる?」
オレの質問に、レイは脳内でめまぐるしく計算してくれてるようだった。
その間にオレは無反動ガンの弾倉を開けて弾丸が装填されてるのを確認した。いざとなったらやるしかねぇだろう。
レイが、
「ダメだよ。もう逃げられない」
なんてことをひどく冷めた口調で言いやがった。
「おまえなぁ、もっと子供らしくおびえるとか、ねぇのかよ? それがふつうの感情ってもんだぜ」
「そうなの?」
レイは不思議そうにしている。
ため息が出ちまった。こいつに対してじゃねぇ。自分に対して、だ。
絶体絶命のピンチだってのに、レイを教育しようってあたり、オレもそうとうヤキがまわっちまってる。仲間は裏切れても、レイは裏切れねぇってことか。おかしなもんだ。
「来るよ」
レイが身構えようとしやがるのを、オレは後ろ手に制した。そのまま、背中にかばうようにする。囲まれちまってるってことは、オレの背後にいようが前にいようが関係ねぇってことだろうが、気分の問題だ。
「来やがったな」
レイの予測は正確だ。なにせ視えてるんだから、当たり前っちゃあ当たり前。
ご丁寧に全身を黒一色でまとめた、いかにも軍人めいた奴らが、整然とした動きでオレたちを包囲した。動きからして、生身の人間じゃなかった。あきらかにサイボーグのたぐいだ。しかも、オレなんか足元にもおよばねぇほどの高性能ってとこだろう。
警告もなにもねぇ。奴らはいっせいに銃口を向けてきやがった。そらそうだ。オレたちを殺すのが目的なんだから、言葉なんざ必要ねぇ。
そこでオレは――銃を捨てた。
降伏してもいっしょだ。どうせ殺される。だから、白旗振るために銃を捨てたわけじゃなかった。
オレは身をかがめて、レイの顔を真っ正面からのぞきこんだ。
最後まで暴れてやろうって思ってたんだ。ひとりでも多く、敵を道連れにしてやって、レイが生き残れる道を少しでもつくってやろうって思ってた。
でも、実際にこうやって命の危機にさらされちまうと、そんなことよりも、こいつを守ってやることに命を使いたくなっちまった。
オレはレイをかばうように抱きすくめた。パーツの不適応からくる高熱がこっちの身体にもつたわってきやがる。こんなに熱を出してやがるのに、文句ひとつ言わず逃げつづけたんだ。褒めてやらなきゃな。
「レイ、よくがんばったな」
レイは黙っていた。
殺気がオレの全身をつらぬく。年貢の納め時ってやつだ。
と、途端に。なんの前触れもなく。
オレはものすごい力で吹き飛ばされちまってた。
自慢じゃねぇが、オレはガタイがいい方だ。しかもサイバーパーツを埋め込んでる分、体重も増してる。そんなオレが数メートル、空を飛んだんだ。信じられねぇ力だ。
空中で必死に目をこらすと、走り出すレイの姿が見えた。
やめろ! そんな身体で無茶するんじゃねぇ! 叫びは声にならねぇ。
背中にだれかがぶつかった。奴らのひとりだろう。オレはそいつと、もつれるようにして地面を転がり、天も地もわからなくなったころに、ようやく停止した。
はげしい目眩に頭を振りながら立ちがある。
「チクショウ……」
オレがずっと恐れてた光景がそこにあった。
レイが、まるで虫けらでもひねり潰すみたいに、兵士たちを虐殺していく。武器なんか持ってなくても簡単に人を殺せる方法を、こいつの左目は知っていやがるんだ。レイはただそいつの言うとおりに、無感情に、淡々と動いているだけ。
兵士のひとりが、レイの指先のチタンカッターでまっぷたつに斬り裂かれる。
オレはレイを死なせたくなかった。
兵士のひとりが、仲間の銃を奪ったレイに蜂の巣にされる。
だからオレは仲間を裏切ってまで逃げ出したんだ。
兵士のひとりが命乞いをしたが、レイの腕は迷いなくその首を折った。
だけど、こんなことをするために、生きて欲しかったわけじゃねぇ。
ものの数分もかからずに、レイは敵とみなした全員の命を奪い尽くしていた。そして、血まみれのまんま、ひどく無邪気な笑顔をオレに向けて、地面に倒れこんじまった。もともと高熱があったんだ。いくら一時的にパーツ不適応をおさえこんだとしても、限界ってもんがある。
オレはひどく脱力しちまってた。
仲間を裏切ってまでこいつを生かそうとして、結果として生き残りはしたものの、悲惨な生き方をさせちまってる。オレのやってることはなにひとつ良い方向に行ってねぇんじゃねぇか? ったく、情けねぇ話だ……
オレは倒れたレイを抱きかかえ、とにもかくにも遠くへ逃げちまおうと思った。
そして今、後藤の野郎がオレに選択をつきつけてやがる。
後藤ってのは、まぁ、いわゆる悪徳警官ってやつだ。オレたちの縄張りあたりを担当にしてやがるので、良い意味でも悪い意味でも、いろいろと結びつきがある。特にオレは妙に気に入られちまってるのか、ちょっかいを出されることが多くて、正直めんどうだって思ってる相手だ。
今回も、どっから仕入れたのかわからねぇ情報をもとに、内海組から逃げるオレたちのことを先回りしてたらしい。今回の虐殺に目をつむるよう、内海組とは裏で取り引きしてやがるだろうから、おおかたそのスジからの情報だろうよ。
後藤の目的がなんなのかは正直わからねぇが、さっきから銃声ひとつ聞こえねぇから、すくなくとも、ひとまず安全な場所へは連れてきてくれたようだった。
「てめぇ、いったいなにを企んでやがる?」
後藤が真っ正直に答えるなんてことはねぇとわかっていた。それでも訊ねちまったのは、自分自身考える時間が欲しかったのかもしれねぇ。
「忠告に来てやったって言ってんだろ?」
後藤は恩着せがましく言った。
「そのガキの氏素性はうすうすながらつかめてんだ。今回の内海組はまったくの別件だけどな、そいつが内海組の兵隊相手に大暴れしちまったって話じゃねぇか。確実に製造元が嗅ぎつけるぜ。そうなったら、ふたりともあっさり消されちまうだろうなぁ」
情報の早さに舌を巻く。
いや、そんなことより、まるで他人事のように――実際、他人事だが――話しやがるから、また苛立ちがつのるってもんだ。
「……だったら、どうしろってんだ?」
苦し紛れにしか聞こえなかったろう。本当のところ、苦し紛れだ。
後藤は、オレのその台詞に、耳元まで裂けんばかりのいやらしい笑みで答えた。
「ほっぽっちまえばいい」
「――なっ?!」
オレは絶句しちまった。それができるなら、仲間を裏切ってまで生き残っちゃいねぇ。
「まぁ、そのガキは、このスラムで生き残れるだけの器量っつーか、生活能力っつーか、そんなもんは持ち合わせちゃいねぇだろうからなぁ。そうなったら……おまえがそいつを拾ったときの様子を思い出せば、結果はわかるだろうよ」
こいつ、どこまで知ってやがるんだ? とことん嫌な野郎だ。
「公的機関に預けるって手もあるがなぁ。そいつの生まれがバレちまったら……」
そっから先をわざと口に出さないところが、後藤の性格の悪さをあらわしてやがる。
「だったら、そのガキを捨てちまうのが、一番賢いやり方ってもんだろ?」
レイといっしょにこの場をなんとか切り抜けたところで、内海組なんて話にならねぇくれぇでっかい組織に命を狙われることになっちまう。そうなりゃあ、オレもレイも確実に命はねぇ。だったら、オレがここでレイを捨てちまうことで、すくなくともオレの命は助かるってわけだ。ばるほど、理にかなってやがる。
理にかなってやがるが……
「なぁ、ジム=オーランドさんよ。そいつを捨てるのか、捨てねぇのか……どっちにするつもりだ?」
後藤が火の点いた煙草の先をオレにつきつける。最終通告ってか?
オレは、オレの半分も背丈がねぇレイを見下ろした。
オレはこいつになにをしてやれるんだろうな――
レイを捨てる、なんてことはできやしねぇ。そんなことしちまえば、どういう結果になったとしてもこいつは死んじまうからだ。
だったら、こいつを連れて逃亡生活でもするか。生き延びれる可能性だってゼロじゃねぇんだ。そっちの方がマシって気もするが……それはそれで、レイを兵器としての道に進ませることになるんじゃねぇのか? さっきみたいな事態が何度も、何度も起こるに決まってる。なんせオレにはこいつを止めることなんかできやしねぇんだから。
自問自答を繰り返してみたが、いっこうに正しい答えなんざ出てこねぇ。
きゅっと腕をひっぱられ、オレは我に返った。
レイが物言いたげな顔で見上げている。内緒話をするように口元を手のひらで隠す仕草をしやがったんで、オレは腰を落として耳をよせた。
「……僕ね……僕、ジムといっしょにいると楽しいよ」
……チクショウ。
このタイミングであのときの返事をしやがるなんて、このときばかりは狙ってやってんじゃねぇかと、子供の無邪気さを疑っちまった。
ああ、本当にオレもヤキがまわっちまってる。今度はオレが逆にレイに耳打ちする。
「だったら、おまえのことはオレが守ってやる。これからずっとだ。だから、おめぇはもう人殺しなんざすんな。オレがしなくていいようにしてやる」
レイは熱に浮かされ潤んだ目でおもいきりうなずいた。オレはその頭をくしゃくしゃに撫でてやった。
「相談は終わりかい?」
後藤の野郎は嫌そうな顔になっちまってた。そらそうだ。なにせ今のオレは満面の笑みなんだからよ。
「オレはこいつを捨てたりしねぇ」
言い切ったオレに、後藤は「ほぅ」とわざとらしく感心してみせやがる。
「それに、死なせもしねぇ。守ってみせるさ」
いつもはとぼけた感じの後藤の目が鋭く光る。こいつに本気でにらまれると、だれもかれもがすくみあがっちまう。だからこそ、こんなスラムでうまいこと警官なんてもんをやっていけてるんだろう。
オレはしっかりとにらみ返してやった。今のオレにはレイがいる。怖いもんはなにもねぇ。
「……じゃあ、世話になったな」
オレはレイの手を引いて、その場から立ち去ろうとした。
すると、意外なことに後藤が爆笑しやがったんだ。こいつが笑うところなんざ初めて見た。
「その言葉はまだ早ぇよ。世話するのはこれからだ」
後藤が背後に向かって手招きする。どういうこった? 世話をするのはこれから、だと?
「あらぁん! かわいい坊やねっ!」
どこに隠れてやがったのか、後藤に呼ばれて出てきたのは、なんつーかひどくけたたましいっつーか、ひどくけばけばしいっつーか、まぁ、そんなたぐいの男だった。たぶん、男にまちがいねぇ――と思う。
そいつがさっさとレイに近寄ろうとするもんだから、オレはあわててレイをかばった。
「ちょいとお父さん。その子、病気なんでしょ? だったら、あたしに任せなさいよ」
「お、お父さんだとっ?!」
オレはその呼ばれ方に悶絶しちまった。オレが、お父さん?! どうなんだ、そりゃ? でも、そういうことになんのか?
かたまったまんま動けないでいるオレを無視して、その男女は手早くレイの身体を診ていく。
「そいつはデニス若林。凄腕のサイバネ医師だ。まぁ、任せておけよ」
後藤が付け足すように紹介しやがった。
「ふぅん、肉体の成長にともなうパーツ不適応ってとこね。よし! お姉さんに任せときなさい。すぐに治してあげるからねー」
薄い胸をとんと叩くデニス若林に、オレはとことん不信感を覚えた。とてもサイバネ医師とは思えねぇ外見や言動だったからだ。しかたねぇだろ、この場合。
「だけど、そいつのボディに使われてるパーツは高級品で、このあたりじゃ手に入らねぇって……」
デニス若林は、ちっちっと人差し指を左右に振ると、妙にセクシーな口調で言った。
「このあたしを信用なさいな。パーツなんてもんはね、医師の腕次第でなんとでも代用できんのよ」
ぐっ。オレはおもわずあとじさるしかなかった。そんなオレを後藤が馬鹿にしたように笑ってやがる。
「ジム。それにレイ、か。これから、俺がおまえさんたちの新しい身分をつくってやる。きれいさっぱりクリーニングした戸籍や身分証だ。それで製造元には見つからなくて済むだろうよ。おまえさんたちがヘマをやらかさなけりゃって条件付きだがな」
こいつ、本当にいったいなにを企んでやがるんだ?
「そんなに怖い顔すんじゃねぇよ。なにも無償で、ってんじゃねぇんだ。身元を保証してやるかわりに、もちろんこちらの条件も呑んでもらうぜ」
ほら、来やがった。こいつは心底嫌な奴なんだ。オレはどんな条件を出されるのか、無意識に身構えちまってた。
「おまえさんたち、賞金稼ぎになれ」
後藤は笑顔でそう言い放った。
なるほど、助けてやるかわりに、これからは自分のために働けってことか。後藤の考えそうなこった。
「今度こそ他に選択肢はねぇだろ?」
オレはおおきくため息をつくしかなかった。
オレとレイがそれなりに平穏に暮らしていくには条件を呑むしかねぇ。最初に、レイを捨てるか捨てないかなんていう、めちゃくちゃな選択肢を突きつけといて、散々悩ませたあとに一番甘い選択をもってきやがるところが、後藤のいやらしいところだ。そして、その選択肢が後藤の本命っていうんだから、さらに気にくわねぇ。まるっと、こいつの思い通りじゃねぇか。
レイが笑顔でこっちを見てやがる。
オレはもう一度ため息をついて、「わかったよ」と悪徳警官に対して白旗を揚げた。
「じゃあ、これからもよろしくな」
後藤が差し出した手のひらを、オレはけっして握りかえそうとはしなかった。してたまるもんか。
こうして、オレとレイの賞金稼ぎとしての生活がはじまった。それは、この悪徳警官の後藤や天才サイバネ医師のデニス若林との長いつきあいの始まりでもあったんだが……まぁ、それはまた別の話だ。
レイはデニス若林となにやら楽しそうに話してやがる。オレは不意にサイバネ医師の言った「お父さん」って呼び方を思い出しちまい、ひとりで顔を赤くしちまった。いつか、そう呼ばれる日が……来るのか?!
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クリエイターコメント | お届けが遅れまして、申し訳ありませんでした。
思えば私が初めて納品したプライベートノベルが、レイの子供時代のお話でした。それから、最後に納品するプライベートノベルがレイのその後のお話であったことに、なにかしらの因縁めいたものを感じずにはいられません。
今回、悪徳警官である後藤善一の名を見たときに、とあるアニメのキャラクターを思い出しました。 よって、劇中のNPC名をすべて統一してみたのですが、これで合っていたでしょうか。 違っていたら笑うしかありませんw
それでは、またいつかどこかでお会いできることを祈りつつ。 オファーありがとうございました。 |
公開日時 | 2009-07-30(木) 18:30 |
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