★ ヘリクリサムの微熱 ―哀しみと絆の遁走曲― ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-8293 オファー日2009-06-10(水) 23:53
オファーPC ギャリック(cvbs9284) ムービースター 男 35歳 ギャリック海賊団
ゲストPC1 ウィズ(cwtu1362) ムービースター 男 21歳 ギャリック海賊団
ゲストPC2 ナハト(czmv1725) ムービースター 男 17歳 ギャリック海賊団
ゲストPC3 アゼル(cxnn4496) ムービースター 女 17歳 ギャリック海賊団
ゲストPC4 ヴィディス バフィラン(ccnc4541) ムービースター 男 18歳 ギャリック海賊団
ゲストPC5 ルークレイル・ブラック(cvxf4223) ムービースター 男 28歳 ギャリック海賊団
ゲストPC6 ノルン・グラス(cxyv6115) ムービースター 男 43歳 ギャリック海賊団
ゲストPC7 ロンプロール(cbwr9939) ムービースター 男 43歳 ギャリック海賊団
ゲストPC8 ハンナ(ceby4412) ムービースター 女 43歳 ギャリック海賊団
<ノベル>

 ――墜ちた。
 海賊船に乗っていた誰もが、それを見て叫んだ。
 叫びは、墜ちた男の名前であったり、意味をなさない悲鳴であったりした。
 キャプテン・ギャリック。
 映画『グランドクロス』から銀幕市に実体化したギャリック海賊団の団長であり、創始者であり、要であり、太陽だった男。――今でも、ずっと、変わらずに太陽であり続けている男。
 絶望の首魁《マスティマ》との最終決戦で、喪われた男だ。
 彼は、誰よりも前線で、誰よりも雄々しく猛々しく、誰よりもギャリック号を――家族を、仲間を護り、そして逝った。
 絶望が振り払われ、その棘の痛みが銀幕市民の中に戻り、街が平和を取り戻したあと、人々は彼の死を悼み、彼の戦いぶりを讃え、遺されたギャリック海賊団の団員たちを気遣った。ぼろぼろになった海賊船に引きこもり、鳴りを潜めた団員たちを案じ、海辺から船を見つめる人々の姿も多く見られた。
 映画を観たことがなくとも、銀幕市での、海賊団が、どれだけギャリックという男を愛し、頼りにし、彼の存在によって立ち続けていたかを、人々は見てきたのだ。愛すべき海賊団員を、案じないはずがなかった。
 団員たちは無論、それらの人々の姿に気づいてはいたものの、激しい悲嘆に身を焦がす彼らに、愛敬を振り撒く余裕などあるはずもなく、海賊船は沈黙を保った。
 ――時折、壁にガラスらしきものが叩きつけられて砕け散る、断末魔のような物音がするばかりで。

 * * * * *

 ギャリックが船から墜ちた時から、彼が死ぬはずなどない、と無事を信じて海中を捜索し続けていたのは、ヴィディス バフィランだった。
「ギャリー……ッ!」
 彼はギャリックが墜落した瞬間、武器や帽子を投げ捨て、敬愛する団長を追って自分もまた海へと飛び込んだのだ。
 派手な水しぶき。
 衝撃、大きな泡、そして戦いの余波を受けてか激しくうねる水。
 海水はひどく冷たかった。
 季節の所為なのか、それともヴィディスの血の気が引いていたからなのか、今でも判らない。
(早く早く、治療しないと!)
 ヴィディスは、ひたすら、必死に海中へと潜り、ギャリックの姿を追い求め続けた。
 絶対に無事でいる、そうに決まっていると、水の冷たさ、重さに萎えかかる意志を叱咤して。
 ――その間に戦いが終わっていたことも、街がどうなったか、他の人々がどうなったかも、ヴィディスは知らなかった。ただ、ギャリックがどこにも救助されていないこと、あれから彼の姿を見たものがいないことだけを聴いては、何度も海に潜り続けた。
 絶望的だと、ヴィディス自身どこかで感じていた。
 生きているのなら、もうそろそろ、どこかで見つかっていなければおかしい。
 本当は判っていた。
 ウィズをはじめとした団員たちが、その事実に気づき、何故護れなかったのかとそれぞれに苦しみ、やりきれない思いを抱えて涙を流すことも出来ぬまま慟哭しているように、ヴィディスもまた、もうギャリックはここにはいないのだと、本能的に感じ取っていた。
 けれど、諦め切れなかった。
 だから彼は潜り続けた。
 冷たい水に体温を、体力を奪われながら、昼夜を忘れ、脳味噌をどこかで忘れてきたかのように、ただひたすらに潜り続けた。
 そこに加わったのがロンプロールだった。
 泳ぎを、素潜りを得意とする彼は、誰の――そう、団員たちの、もういい、もうやめろという声も――言葉も耳に入らぬまま、誰かにそう動作を設定された人形のように海に潜り続けるヴィディスを黙って見つめ、黙って仕立て屋の青年に倣ったのだ。
 ノルン・グラスは今までに誰にも見せたことがないような真面目な――苦い懊悩の滲む顔で舵を取り、船大工の娘がどうにか修理したギャリック号を、ふたりのために待機させた。
 操舵士であるノルンは、あの時逃げるために舵を切ったのは間違いで、ギャリックを救うために何としてでも残るべきではなかったのかと、そうすれば彼は助かっていたのではないかと、頭の片隅で思い悩んでいたが、いずれにせよギャリックの生死がはっきりするまでは何も言えないと自分を戒め――仮にも年長者の自分がうろたえていたら回りも困るだろう、と――あくまで冷静であるよう努めていた。
 ヴィディスもロンプロールも、黙々と、朝早くから夜遅くまで、海のあちこちに潜り続けた。
 ハンナは自分の哀しみを押し隠して明るく振舞い――決して涙を見せぬ彼女が、夜、自室ではひっそりと涙しているなどと口にするはずもなく――、そんなふたりを気遣って、体調を気にかけた。アゼルはむしろこんなときこそ自分がしっかりしなくては、と奮起し、憔悴している団員たちのために温かい食事を作ることを怠らなかったし、海からふたりが戻ったときのためにいつも温かいココアを用意していた。
 ナハトはまだギャリックの無事を信じていて――信じたいと思っていて、暗い海の中を潜り続けるふたりのために、対策課の職員たちが用意してくれた大型のサーチライトの傍らに立ち、夜遅くまで、海の底を照らし続けた。
 他の団員たちも、様々な手段を用いてギャリックの捜索に従事した。
 一日が経ち二日が過ぎ三日を超えても、ギャリックの消息は掴めなかった。ギャリック海賊団以外の銀幕市民も、その頃には団長の捜索を様々な方法で手伝ってくれるようになっていたが、やはり、ギャリックは見つからなかった。それは即ち、ギャリックはもうこの世界のどこにもいないのだという事実に直結したけれど、誰もが、心の底では判っていてそうせずにはいられなかった。
 立ち止まり、背後を振り返れば、汚泥のような悔恨と悲嘆に飲み込まれてしまう。
 ――否、その感情といずれ向き合わねばならぬものと知っていて、尚、今はまだ、劇毒のような希望に縋っていたいと、思考を止めて身体を動かしていたいと、そう思っていたのかもしれない。
 ヴィディスもロンプロールもノルンもハンナもアゼルもナハトも、他の団員たちも、それだけギャリックを愛していた。今だって、変わりなく、愛しているのだ。
 海中の捜索に没頭するヴィディスたちは知らなかった。
 ヴィディスが、息切れし始めた自分を叱咤しながら、その日数十回目の潜水に挑んだ頃、あまりにもギャリックを愛し、依存もしていたがゆえに、彼の死に自暴自棄になったウィズが、友人たちに言ってはならぬことを言い、殴られて地面を転がっていたことを。
 ロンプロールが密集する海藻を掻き分けてごつごつした海底を捜索していたころ、ウィズを案じて彼を探しに――迎えに、かもしれない――行ったアゼルが、身も心もぼろぼろのウィズを連れて戻ってきたことを。
 ノルンが、ヴィディスの要請で、船を少し北に進ませた頃、ふたりきりで船へと戻りながら、ウィズの悔恨を前にして、アゼルが悔し涙を流していたことを。
 ナハトが、その恐ろしくよく見える目で、サーチライトの照らす先を見つめ続け、ついに、一巻のプレミアフィルムを発見した時、憔悴し死んだような灰色の目をしたウィズの当てしてやりながら、ハンナが彼を抱き締めていたことを。
 ――そして、部屋に引きこもりひとり悔恨に苦悩するルークレイル・ブラックのもとに、彼の“陸の親友”から、素朴な黄色い花が届けられていたことを。
 知らなかったけれど、判っていた。
 誰ひとりとして、ギャリックを喪ったという事実から、逃れられないのだという真実だけは。

 * * * * *

 ルークレイルは、真っ暗な自室の隅で、壁をじっと見つめていた。
 時折、視界に、小振りの鉢に植えられた、銀緑色をした卵型の葉と、これといった特徴のない小さな黄色い花とが入る。
 絶望し憔悴しているだろうルークレイルを気遣って、銀幕市で出来た親友が「あんたの団長に」と届けてくれたものだ。名を、ヘリクリサムというらしい――花の名前などどうでもいいが。といってもルークレイルは、彼が訪ねてきたときも、顔を出す気にもなれず、それを受け取ってくれたのは他の団員だった。
「……」
 彼の気遣いを嬉しく思ったが、それで立ち直れるほど浅い絶望でもなく、ルークレイルは鉢から視線を外し、自分の手を見下ろす。足元には、酔えないまま浴びるように飲んだ酒の瓶が無造作に転がっている。
 ――苦い酒だった。
 何ひとつとして楽しさのない酒だった。家族、仲間たちと飲む酒と同じものなのに、ディーゼル油のような絶望の味がした。
 あれから、誰とも口を利いていない。
 そういえば、食事も摂っていないのではないだろうか。
 閉じ籠ったきり出て来ないルークレイルを、部屋の前で、アゼルが呼んでいたような気がするが、それも定かではない。
「……ッ!!」
 咽喉元を激情が込み上げ、ルークレイルは手近にあった瓶を掴むと、それを壁に向けて思い切り投げつけた。
 ばしゃあん、と、ガラスの断末魔が響き渡る。
 何も考えられなかった。
 否、ひとつのことしか、考えられずにいるのだった。
(何故、あの時、俺は……)
 取り返せないと判っていてまわる、虚しい堂々巡り。
 果たすべき責務を果たせなかった自分への、激しい怒り。
 悔恨ばかりがルークレイルの胸を灼(や)く。
 不意に、ノックの音がした。
「ルーク」
 ふらふらと扉を開けると、震える声が彼を呼んだ。
 アゼルだ。
 彼女は叫ぶように、ギャリックのプレミアフィルムが見つかったことを告げた。
 ルークレイルは息を飲んだが、すぐに唇を引き結び、拳を握り締めて言う。
 団長のプレミアフィルムを映写機にかけようと。
 ――団長はもういない。
 プレミアフィルムの発見で、それが、突きつけられた。
「向き合うんだ……俺たちのためにも、彼のためにも」
 死は驟雨のごとくに、誰の元へも降り注ぐ。
 愛しいものも、慕わしいものも、命より大切だと思うものも、均しく奪われ、二度と帰っては来ない。
 彼らはそれを突きつけられていた。
 だが、そのまま、彼らが日々を嘆き暮らすことを、あの豪快な……愛情深い男は望んでいただろうか?
 それゆえの、ルークレイルの言葉だった。
 アゼルが息を飲む間に、ルークレイルは走った。
 その場にいた団員たちを捕まえてことの次第を説明し、アゼルに言ったのと同じことを繰り返した。
 誰もが、頷いた。
 ――そして、準備が始まり、機具が用意され、翌日の午後。
 それは、始まった。

 * * * * *

 カラカラカラカラ……。
 フィルムが回る。
 明かりを遮った暗い部屋の中、小さな音を立てて。
 カラカラカラカラ。
 懐かしい、愛おしい記憶が、あふれていく。

(ああ……これは……)
 ルークレイル・ブラックは、目を細めてそのシーンを見つめていた。
『団長! 聞いてくれ、ついに“ヴェラ=エルトレリア文書”を解読したぞ! ずいぶん長くかかってしまったが、見てくれ……ここだ、ここに財宝が眠っている……!』
 難解な古文書を解読し、その中に財宝のありかと思しき地点を発見し、喜び勇んで報告するルークレイル。
『そうか……よくやったな、さすがだぜルーク!』
『どうだろう、他の連中への説明や準備のことを考えて、一週間後の出航というこ……』
『よし、今すぐに出発だ、待ってろよお宝……!』
『今すぐはさすがに無理だと思うぞ!?』
 思わずルークレイルが突っ込んでしまったほど、彼以上に乗り気で楽しげなギャリック。
 彼の笑顔。
『わはは、冗談だ!』
『いや今明らかに本気だっ……痛ッ!? 馬鹿力でばんばん叩くな、背骨が折れる!』
『ん? そうか、悪い悪い。……よし、なら祝杯でもあげるか! 今日はめでたい日だからな!』
 北海の氷のように冷えた黒エールを持ち出してくるギャリック。
『なあルーク、どんなお宝が眠ってると思う?』
『そうだな……竜の宝珠、人魚の竪琴、古の王の宝冠、それとも海王の至宝か……いや、神々の与えた伝説の武器やアイテムが見つかるかもしれない』
『そいつを、俺たちがいただこうってワケか! 血が騒ぐじゃねぇか、なあ!』
『まったくだ』
 気の早すぎる祝杯を挙げながら、地図の向こう側に眠る財宝について期待を膨らませ、熱く盛り上がるふたり。
(ああ……)
 白い画面の向こう側で、ギャリックが笑っている。
 人の欲望という暗闇の中を彷徨っていた自分を明るい場所へと掬い上げ、家族と生きる意味を与えてくれた男が、笑っている。
(あんたは、俺の兄だった。父だった……)
 何をおいても護りたかった。
 かけがえのない存在だった。
 あの時のギャリックの行動を責める気はない。
 彼は彼らしく、最期まで戦い、家族を――人々を護った。
 ただ、そのギャリックを護れなかった自分の不甲斐なさこそが、ルークレイルにとっては責められるべきことだった。
(ギャリック……それでもあんたは、笑ってるんだな……)
 彼の笑顔を目にするだけで、胸の奥がほのかな熱を帯びる。
 あの日々が蘇り、自分は今でも彼を愛しているのだと、強く思う。

 カラカラカラカラ。
 フィルムは回っていく。
 記憶を載せて。

(おや、これはあのときの……)
 ノルン・グラスは火のついていない煙草を咥えたまま、じっと画面を見つめていた。
 ノルンの目の前では、いつも通りの宴会を繰り広げる海賊たちの輪の中で、団長とふたりで話しているシーンが流れている。
『なんやかやで、大所帯になったもんだ』
『ああ……そうだな、ずいぶん賑やかになった。俺が仲間になったときに比べたら、雲泥の差だ』
 ノルンがギャリック海賊団に入ったのは、およそ五年前、海賊団設立初期のことだ。
『ノルン、おめえはどう思う?』
『何がだ?』
『今の、海賊団さ』
『……ああ』
 ノルンがギャリック海賊団の仲間になったのは、ギャリックと賭けで本気の勝負をして負けたからだが、半分は好奇心からだった。海賊になるか、自由を取るかで、幸運の女神に“お伺い”を立てて、負けたのだ。
『確かに、はじめは好奇心だったからな。だが、仲間が増えて、仲が深まって……今は、この海賊団に入ってよかったと、素直に思うよ』
『……そうか』
 その時、手練手管のノルンには珍しく、率直な言葉で海賊団への親愛を告げた。
 するとギャリックは、ノルンの言葉に、あまりにも開けっ広げな、少年のような笑顔を見せて、ノルンの背中をばしばしと叩いた。
『だったら、おめえを仲間に入れたこのギャリック様の目に狂いはなかったってことだな! よし祝杯だノルン、飲め飲め、今日は無礼講だぜ!』
『いつも祝杯ばかりだし無礼講だろうという至極まっとうな意見は多分聞こえていないんだろうが……まぁ、いい』
 団長がずっと笑っているので、ノルンも思わず笑った。
 仲間たちも皆、笑っていて、全員で乾杯を唱和した。
(……幸せ、ってのは……ああいうのを言うんだろうな)
 色々なことがあった。
 生きること戦うことの節々に苦しみがあふれるように、彼らの日々は楽しいばかりではなかったし、時には命の危機に直面することもあった。
 出身も考え方も様々な彼らは、決して一枚岩ではなかったが、ギャリックという大きな男が、団員たちの心を結んでくれたから、彼らは分かち難い絆でつながれた家族になれた。
(あんたがいてくれたから……ギャリック)
 ノルンは、自分たちが確かに幸せな時間の中にいたことを実感していた。
 あの時、ああしておけば。
 その苦い悔恨は、今でもノルンの胸の奥を焦がすけれど、同時に、ギャリックはそれを憎んでも恨んでもいないだろうと、無事に逃げ延びた彼らに安堵しているだろうと、確信してもいた。
(ギャリック。やっぱりあんたは、俺たちの太陽なんだな)
 彼の笑顔が画面いっぱいに広がるたびに、ノルンの唇に静かな笑みが浮かぶ。ノルンの胸を、静かな熱が満たしていく。
 これを絆と呼び、愛と呼ぶのかと思いながら、ノルンは煙草に火をつけた。

 カラカラ、カラカラカラカラ。
 フィルムは回る。
 あの日の、心を載せて。

(団長、あんたは本当に……手のかかる『弟』だねぇ……)
 くるくると切り替わる場面を見つめながら、ハンナは穏やかな笑みを浮かべていた。
 ギャリックをはじめとした海賊団員が、ところせましと暴れまわり、笑い合う映像を見ているだけで、ハンナの胸は愛情でいっぱいになる。
 ハンナにとって海賊団は家族のような存在だ。
 ハンナは、若い団員たちのことを、自分の実の子どものように愛してやまないし、同年代の海賊たちのことは気心の知れた兄弟のように思っている。ギャリックは確かにちょっと手がかかるが、命を預けられるに値する、尊敬する『船の長』でもあるのだった。
『俺と一緒に来るか、ハンナ』
 フィルムは、ハンナが、海賊稼業から足を洗うほど愛した男の死の直後、ギャリックと出会ったときのシーンを映している。
 『海で生き生きとしていた君の姿をもう一度見たい』。
 ハンナの十数年を明るい色に染め上げてくれた、ひ弱だが心優しい、芯の強い男は、そう言い残して息を引き取った。
 ハンナは、誰より愛した男の、その言葉を実現させようと港へ出て、ギャリックと出会った。
『後悔はさせねぇ。そうとも……俺はキャプテン・ギャリック! すべての海を制覇して、すべてのお宝を手にする男だからな!』
 言って笑った彼の、なんと自信に満ちあふれていたことか。
『おやおや……威勢のいいことだねぇ、あっはっは』
 海を見つめていた、彼の熱くひたむきな眼差しを、今でも覚えている。
 あの漆黒に輝く目が、ハンナの心を捕らえ、彼女を海へと駆り立てた。
『一個の人間として生まれたからにゃあ、てめぇの思うように生きなきゃ損だ。そうだろう? 俺はただのギャリックとして、自由に、誇り高く……後悔しないように生きたいのさ』
 海賊団には、ウィズやアゼルなどの少年少女もいた。
 彼らが、口には出さずとも母や姉と慕ってくれたことも、ハンナには大きかった。
 ――ギャリックは、ハンナを海へ戻すと同時に、かけがえのない家族をくれた。
 そのことを、ハンナは、今でも感謝している。
『いいよ……一緒に行こう、団長。あたしはあんたの、その姿をもっと見ていたい』
 彼の自由奔放さ、海賊団への熱意、愛情、カリスマ性。
 ハンナは今でも、ギャリックに初めて出会ったときに感じたその衝撃を忘れない。
(だからこそ、哀しみは、まだ尽きないけれど……)
 海賊団の中でも年長者であるハンナは、船内の重苦しい雰囲気を払拭するためにも、いつも通りでいなければならなかった。少なくとも、彼女自身はそう思っていた。
 笑顔で、大声で、団員たちを隅々まで見つめ、彼らを気遣う。
 もちろん夜には、哀しみと寂しさが込み上げて、寝る前には密かに涙せずにはいられないけれど、ギャリックが最後までこの船を守りぬいたこと、彼が何を望んでいるかが判るから、このまま折れるわけには行かないとも思っている。
(団長。あたしは見守るよ……あんたの愛する船の、子どもたちの行く末を)
 ギャリックはもう、ここにはいない。
 けれど、彼が海賊団を愛した気持ち、今でも誰よりも思っているという確信は、ハンナの胸をじんわりと温める。

 カラカラカラカラ……。
 フィルムは回り続ける。
 あの、懐かしい日々を映し出し、人々の胸を想いで満たしながら。

(……………………)
 ロンプロールは黙りこくったままでスクリーンを見つめていた。
 照れ屋で極端に無口な彼は、ギャリックが船から墜ちたあとも、特に何を言うでもなく、表情ひとつ変えずに、苦しい潜水を黙々と続けていたが、付き合いの長い団員たちは、きっと、ロンプロールが数多の思いを抱いてギャリックの名を呼び続けていたことに、気づいていただろう。
『なんだ、作業中だったか』
『……………………』
 フィルムは、ロンプロールが趣味のランプ作りに没頭していたときのシーンを映し出している。
 ギャリックはその時、部屋にこもりきりの航海士のために、とっておきのラム酒を差し入れてくれたのだった。
『図体に似合わねぇ、そんな細かいもん作りやがって』
 悪態めいた言葉だったが、ギャリックの顔は友愛に笑みをかたちづくっていた。
『……………………』
 何を言うべきか考えて、考え過ぎて言葉が出てこなくなったロンプロールを面白そうに見つめ、ギャリックは机の上にラム酒が入ったジョッキを置いた。
『おめえは……本当に、ランプみたいな奴だよな。いつも、少し離れたところから景色を……皆を見てやがる。船が暗い嵐に飲み込まれかけたときは、いつでも、何も言わずに明かりを灯すんだろうな』
 強面で、無口で無愛想だけれど、実はロンプロールが深い愛情を持って仲間たちを見ていることを、ギャリックは知っていた。ロンプロールを、きちんと見ていてくれた。
『…………いざとなったら、ランプ屋にでもなるか』
『ははは、おめえが冗談なんて、珍しいな』
『……………………もしくは、俺のランプを売って腹の足しにしてくれ』
『おいおい、不吉なこと言うんじゃねぇよ、これから死にに行くみてぇな気分になっちまうだろ。勘弁してくれよな、ルークだけじゃ、この船は遭難しちまうぜ――……』
 言って豪快に笑い、ロンプロールの背中をばしばし叩くギャリック。
 何でもない一時の、ちょっとした出来事だ。
 それが強く記憶に残っているのは、ギャリックが分け隔てなく自分たちを見てくれているのだという、深くじわりとした喜びの所為だろう。
(…………馬鹿野郎…………)
 明るいスクリーンに照らし出されながら、胸中に呟く。
 馬鹿野郎、と罵りながらも、その双眸には悼みと、彼を喪ってなお揺らぐことのない友愛が満ちている。
(お前が、死んじまいやがって――……)
 ああ、それでも。
 フィルムの中で、ギャリックは笑っている。
 何も後悔のない、くもりひとつない顔で。
 今でも海賊団の皆を愛しているのだと、信じているのだと、そればかりが伝わってくる晴れやかな笑顔で。
(だけど、お前は……自分の生き方で、奔り抜いたんだよな)
 褪せぬ思い出が、ロンプロールの胸を熱くする。
 その熱によって、自分は今も生きているのだ、と思った。

 カラカラ、カラカラ、カタリ。
 プレミアフィルムは、なおも回る。
 愛情と、思い出と、笑顔とを映し出しながら。

(オヤジ……)
 ナハトは、ぼろぼろと涙をこぼしながらスクリーンを見ていた。
 ギャリックが死んだなどとは信じたくなく、プレミアフィルムが見つかってなお――しかも見つけたのは自分自身だというのに――信じず、仏頂面でいたナハトだったが、ギャリックの記憶、ギャリックの日々が詰まった映像を次から次へと見せ付けられては、もう観念するしかなかった。
 あとからあとから、熱い雫が目からあふれて、頬を伝い落ちていく。
 止めようとして止められるものではなかった。
(オヤジ)
 途切れることのない思いと同じく、涙があふれていく。
『なんだ……行くところがねぇのか、おめえ。……ウチに来るか?』
 森の種族だったナハトは、都市の人々の森林開発によって住まいを追われ、一族や家族とはぐれて長い時間あちこちを彷徨った。
 ある日町の片隅で見かけた、同じ尖り耳のウィズを一族と勘違いして後を追い、ギャリック号に乗り込んで、そのまま眠ってしまい――知らない間に船が出港して、知らない間に密航者になっていた。
『お、オレ…』
『心配すんな、ここの連中は皆気の好いやつらばっかりさ。おめえもすぐに好きになるぜ』
 見つかってこってり絞られたあと、ウィズが一族のものではないと――博識な者の言によると、先祖が同じなのではないかということだったが――言われて落ち込み、泣きそうになっていたところを、ギャリックが豪快に笑って背を叩き、仲間に入れてくれたのだ。
 あの時、ナハトがどれだけ嬉しかったか、どれだけ安堵できたか、ギャリックは知っているだろうか。
 何くれとなく世話を焼いてくれた海賊団の仲間たちに、ナハトがどれだけ感謝しているか、皆は知っているだろうか。
 カラリ。
 フィルムが、別のシーンを映し出す。
『オラオラ、行くぜー! このキャプテン・ギャリック様の走り、とくと見やがれ! 俺より順位の低かった団員は罰ゲームだ、気合い入れていけよ!』
 昨年の年明けに行われた、銀幕鉄人レース。
『ギャアアアアアアアァアァッ、なんか来たあああああああ!!』
 ラン種目に乱入してきた団長にビビり、悲鳴を上げて泣きながら逃げるナハト、途中のハプニングでマンホールに落ちたのにまったく気づかずガンガン攻め立てるギャリック。
『オラオラー、まだまだ行くぜー!!』
 正直怖かった、と本気でナハトが呟くくらいの気迫でナハトに迫るギャリック、必死で逃げるナハト。
 結果的にギャリックより早くゴールできた上、なんと総合で三位という好成績を残したナハトだったが、団員たちが褒めてくれたのも嬉しかったし、
『ナハト、おめえよくやった!!』
 上機嫌のギャリックに、腕一本で担ぎ上げられ、乱暴に……豪快に褒められたことも、嬉しかった。
(オヤジ、オヤジ)
 故郷の海でも、銀幕市でも、彼との思い出があふれている。
(何でだ、何でだよ……!)
 思い出のあたたかさと同じ温度の涙が止まらない。
 しゃくりあげるナハトの頭を、ロンプロールが撫でてくれている。
 物静かな巨漢の、手の温度に、わけもなく安堵する。
 ――生きていると、判るからかもしれない。
(皆を護り抜けたって……)
 あの戦いの、最後の瞬間が、まだ瞼に焼き付いている。
(あんたが死んじまったら、何の意味もねぇじゃねぇか……ッ!!)
 生きていて欲しかった。
 もう一度笑って、ただいまと言って担ぎ上げて欲しかった。
 ギャリックは、ナハトの世界を照らす太陽だったのだ。
(オヤジ……大好きだ、大好きだ)
 何度も何度も、心の中で告げる。
 涙はまだ止まらない。
 熱い慟哭が、胸の奥まで満たして、止まらない。
 ――けれど。
(だけどオレたちは、生きて行かなきゃいけない。あんたが護ってくれたものを、無駄にするなんて出来っこない)
 涙は、現実の拒絶ではなかった。
 嘆き哀しみ、苦しみながらも、ナハトは確かに前を向こうとしていた。
 太陽であり父であった男の死を乗り越え、前へ進む。
 それこそが、ギャリックの望みだろうとも思うから。

 カラカラ、カタカタ、カラカラカラ……。
 フィルムは回る。
 彼を愛する人々の慟哭とともに。

(ギャリー……嘘だ、こんなの、嘘に決まってる……)
 ヴィディス・バフィランは、回り続けるフィルムを前に、茫然自失していた。
 絶望的だと感じつつ、どこかで信じてもいた。
 きっと生きていると、信じていたのだ。
 だが……それは、このプレミアフィルムに、打ち砕かれた。
 フィルムの上映が始まってからも、ヴィディスは現実味を感じられないまま、ギャリックや仲間たちの姿をスクリーンに見ていたが、
『いきずりの海賊! お前に俺の大切な宝を託していいか!』
 自分の思い出がそこに映し出された瞬間、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
『ティディ、嫌だ! やめてくれ、ティディは何も悪いことをしてない……お願いだ、誰か、彼を助けて……!』
 斬首台に立たされ、今にも処刑されようとしながら、ただヴィディスのことを案じていたのは、ヴィディスが十歳の時に出会った仕立て屋の男だった。
 ヴィディスが幼少時からストリートキッズとして過ごした街に、国王づきの仕立て屋としてやってきた、気のいい男は、王族の衣装を仕立てながら街の中ほどに店を構え、たくさんの服を作った。
『ティディ、ティディっ!』
『どうだ……海賊! お前に、俺の宝を守りぬく気概はあるか!』
 店の窓から見える仕事風景に興味を覚え、見守っているうち、仕立て屋の男は彼を中に入れてくれるようになり、お菓子をくれるようになった。話をして、頭を撫でてもらって、彼の笑顔が大好きになると、店の手伝いをするようになった。
 ヴィディスの感性の鋭さや豊かさ、腕のよさを見抜いた仕立て屋は、彼に、見習いとして部屋を与えてくれた。
 そして、男が国王毒殺未遂事件の濡れ衣を着せられ、公開処刑されるまで、ヴィディスは彼のすべての技術を受け継いだ。――そして、彼の技術を受け継ぐ、最後の者となった。
『――……いいだろう、守り抜いてやるさ』
 ギャリックはその事件の最中に出会い、結果的には果たせなかったものの、ヴィディスの悲痛な訴えに応えて彼を助け出そうとまでしてくれた。
『おめえがそこまで言う宝なら、このキャプテン・ギャリック様が手にするに相応しい。俺は海賊だ、一旦手にしたお宝を手放すなんてことはありえねぇ。――……だから、心配すんな』
 茶目っ気たっぷりに、安心させるようにウインクして見せたギャリックに、彼が安堵の表情を浮かべたことを、凶悪な光を放つ斬首剣が彼の首を跳ね飛ばした、あの惨いシーンと同じく、今でも鮮明に覚えている。
『ティディ、ティディ……嫌だ、どうして……どうして……!』
『だったら、ヴィディス、おめえは俺のために服を創れ!』
 誰よりも大切な、兄であり師匠でもあった男を喪って、すべての意志を失い、もうどうなってもいい、と自暴自棄に陥りかけていたヴィディスの肩を掴み、ギャリックは力強く、豪快に言ってくれた。
 あの時の言葉と光景が、今でも、ヴィディスの心に熱く残っている。
 ギャリックの言葉に従って海賊団に入り、仲間を……家族を得て、ヴィディスは救われることが出来た。
 今でも、ギャリックには、深い深い感謝ばかりがある。
(ギャリー……あんたまでが、俺を置いて逝くのか……!)
 また取り残されるのかと思うと、何もかもがどうでもよくなる。
 意志が潰え、希望が消えるのを、止めることが出来ない。
「……」
 震えるその肩を、ハンナがそっと抱いた。
 温かい手の感触に、また涙が込み上げる。
 ――生きている。
 今や家族となった海賊団の人々は、まだ生きている。
(ギャリー……あんたなら、どうしただろう……)
 ギャリックの笑顔がスクリーンいっぱいに広がる。
 それを見るだけで、心の奥底に、熱い火が灯る。
 ああ、自分の中にもギャリックはいるのだと、そんな風に思った。

 カラカラカラカラ。
 フィルムはゆっくりと回っていく。
 数多の思い出を、淡々と映しながら。

(お帰りなさい、団長)
 アゼルはスクリーン内のギャリックに向かって呟いた。
 ちらり、と傍らのウィズを見遣ると、彼は、悄然と――呆然と、スクリーンを見上げているようだった。
『美味え……最高に美味ぇぜ、アゼル! おめえ、天才だな……!』
 フィルムは、アゼルが、ギャリックとウィズに出会った日のことを映し出している。
 初めて出会ったとき、ふたりは空腹のあまり行き倒れていたのだった。
 誰よりも愛し誰よりも愛してくれた母をなくして、どれだけ経ったころだったか。
 失意のどん底で、アゼルは、母が遺してくれたわずかな財で、ただ寝て起きて食べて、母の遺言を読み返しては泣く日々を暮らしていた。
 このままではどうしようもない、街に出て何かをしなくては、と思いつつも、十二歳の少女に出来ることなど知れており、頼れる人もいない心細さから、気持ちばかりが焦る、そんなある日、島の浜辺に流れ着いたふたりを見つけた。
 アゼルが生を受けたこの島は、島にありがちな、ひどく閉鎖的で排他的な人々の住む場所だった。竜を父に持つアゼルと、竜を夫に持つ母は、それゆえに白眼視され、冷遇されてきたのだが、それゆえにアゼルは、このふたりを助けようと思ったのだった。
 はじめは、知らない顔をしようとしたのだ。
 自分も、食べるだけで精一杯だったから。
 けれど、こんな閉鎖的な、よそものに冷たい島で、自分までが見捨てたら死ぬかもしれない、それでは自分も彼らと同じになってしまう、と、ふたりを家に連れて行き、食事を振る舞った。
『いやー、助かった。ありがとうな、アゼル』
 それが、アゼルの転機だった。
 ふたりはギャリックとウィズと名乗り、行くあてのない彼女を海へと誘った。
 聞けば、海賊団を結成するのだという。
 ともに天涯孤独の身、ならば力を合わせ、助け合ってやっていこうと、アゼルはギャリック海賊団の設立に立ち会った。
 だから、というだけではなく、ふたりは、アゼルにとって特別な存在だ。
『海ってのは凄いんだぜ、どこまでも続くんだ。色んな命を内包して、輝いてる』
 熱い眼差しを海の向こうへ向けるギャリックの姿を、今でも覚えている。
 ギャリックも、ウィズも、初めて出来た家族であり、友人であり、実母以外に初めて彼女の料理を褒めてくれた人たちだったし、海と世界の広さを教えてくれたのもふたりだった。
『おめえの父さんは、すげえやつだ。一番いい女を見つけて、迷わず一緒になったんだからな。なかなか、並の男にゃあできねえことさ』
『本当? 本当にそう思う?』
『ああ、おめえは幸せもんだぜ、アゼル。そんなすげえ男を父親に持てたんだからな』
『……うん、うん……!』
 何よりも嬉しかったのは、ふたりが父親を否定しなかったことだった。
 竜を畏れる風習の残った島では、仕方のないことだったのかもしれないが、あの島では、母親以外のすべてが、竜でありながら人間の娘を娶った父親のことを否定してきたから。
 そして、
『しかし……聞けば聞くほど、おめえの母さんはいい女だな。やさしくて強い、一本芯の通ったいい女だ』
 惚れ惚れとそう言って、頭を撫でてくれたこともまた、何よりも嬉しかった。
 ウィズもまた、同じように、彼女の父を、母を讃え、認めてくれた。
 それゆえに、アゼルにとって、ふたりは他の誰よりも特別な存在なのだ。
(団長……)
 だからこそ、護りたかった。
 どこか無防備なあの男を、何でも受け入れ合えるあの青年を。
 だからこそ、今のウィズを支えたいと思っていた。
(わたし、頑張るから)
 ウィズが自暴自棄に陥る気持ちは判る。
 彼にとってのギャリックが、どれだけ大きな存在だったか、知っている。
 アゼルにとっても、ギャリックは、今でもとてつもなく大切で、大きな太陽だから。
 一朝一夕で立ち直れるはずがないとも、判っている。
(わたしたちの義務は、団長の分までごはんを食べること)
 けれどアゼルは、ウィズが荒れに荒れたからこそ、逆に冷静になった。自分がしっかりしなくては、ウィズを支え、海賊団を守らなくてはと、奮起し奮闘した。
 ――胸ならば、今でも、アゼルを焼き尽くし押し潰さんばかりの勢いで哀しみに疼いているけれど。
(見ていて、団長)
 彼がどれだけ家族を、ギャリック海賊団を愛しているか、知っている。
 フィルムのワンシーンワンシーンに、彼の愛情があふれている。
 フィルムが回り、次のシーンを映し出すたびに、団員たちとの記憶があふれるたびに、アゼルの胸を、哀しみにも勝る熱が満たす。
(わたしたち……大丈夫だから)
 彼の愛するものを、彼の守ったものを、無駄にはさせない。
 それがアゼルの生きる意味でもあるのだ。
 アゼルは、そっと手を伸ばして、ウィズの手を握った。
 ウィズはびくりと震えたけれど、アゼルの手を振り払うことなく、スクリーンを見つめ続けた。
 アゼルは、上映が終わったらプレミアフィルムを抱き締めてもう一度お帰りと言いたい、と思いながら、明るい画面で繰り広げられるたくさんの思い出を見つめ、フィルムの回るカラカラという音を聞いていた。

 カラカラカラ、カタカタカタカタ……。
 フィルムは回り続ける。
 彼がどれだけ、たくさんの思いとともに生きていたかを示しながら。

(団長、団長……ギャリック)
 ウィズは、次々に映し出される場面に、唇を噛み締め、拳を握り締めて見入っていた。
 ――フィルムには、ギャリックの思いがあふれている。
 ギャリックがどれだけ海賊団の皆を愛していたか、――喪われた今でも磊落で深い愛で包み込んでくれているかが、毛穴のひとつひとつにまで沁み込んで行くようだ。
 ギャリックが笑う。
 ギャリックが吼える。
 ギャリックが剣を揮う。
 かと思えば、騙されて無一文になり、野原に寝転がる羽目になる。
 腕っ節は強いのにどこか抜けたところのある、人の好すぎる男だった。
(ああ……あんたは、そういう人だった……)
 孤児でスリだったウィズを拾い、『人間』にしてくれた恩人だ。
 自分はクズだと思い込み、卑屈に捻じ曲がっていた――そして自分が卑屈になっているとすら気づけずにいたウィズを、人間として扱い、クズなんかじゃないと言ってくれた人だった。
『っざけんじゃねぇ!』
 そのときは、彼の言った言葉を受け入れられず、激昂して立ち去った。
 このままでは収まらない、せめて一泡吹かせてやらねば気がすまないと、野宿している彼を、夜陰に乗じて――寝込みを襲い、嚇(おど)かしてやろうと思い、近づいて、事件に巻き込まれた。
 貴い家柄の出であるらしいギャリックは、家を出奔しても、敵対する家から命を狙われているのだといい、ウィズは、それに巻き込まれたのだった。
 下卑た笑みを浮かべる男に首根っこをつかまれ、殺されそうになった。
 顔を見られたから、というのが男の言い分だった。
 クズガキのひとりやふたり、死んだところで誰も何も思わない。
 そう、惨い事実を突きつけられたウィズは、
『……人のことをクズなんて言うな』
 ギャリックに、そのときはまだ名前も知らなかった傭兵に助けられたのだった。
 殴り倒された男の潰れた鼻と、だくだくとあふれる鼻血を、ウィズは今でも鮮明に覚えている。――そのあと、不意をつかれ傷を負ったギャリックが、ウィズを逃すために、傷ついた身体に鞭打って、単身、数人の男と渡り合った姿と同じく。
『死ぬなよ。絶対に生きろ!』
 助けられたときのカッコいい背中、広くて大きなそれは、未だに目に焼きついている。そして、ウィズのような“クズ”にまで、死ぬな、生きろと言ってくれた、あの時の眼差しも。
 そんな風に言われたのは、生まれて初めてだった。
 ウィズは、街の片隅にわだかまる塵芥のひとかけらだった。
 人々に蔑まれ、嘲られながら、どうしようもないクズとして、恐らく長じては人々の生活を脅かす悪党として、追い立てられ狩られるばかりの存在だった。
 少なくとも、そう思っていた。
『どうして、オレなんか……ッ』
 信じてみたい。
 自分にも、まっとうな光があると、信じたい。
 血塗れの野原に転がる傭兵を見て、初めてそう思った。
『おめえだから助けたってわけじゃねぇ。あそこにいたのが誰でも、俺はそうしてた。誰かが危険な目に遭ってたら助けようってのが人間だろ? 少なくとも、俺は、そういう人間でいてえんだよ』
 傭兵の言葉は、クズだクズだと言われて歪んだウィズの中に新鮮な空気を吹き込んだ。
『だから、ボウズ。クズなんていねえんだ。人間は、誰だって必死で生きなきゃなんねえ、ってのと同じく、な』
 傭兵は……ギャリックは、その瞬間から、ウィズの『特別』になった。
『アンタそれでよく今まで生きて来られたな。しょうがねぇから、オレがついてって守ってやるよ』
 あまりにもお人好しで、あまりにも騙されやすいギャリックを見かね――そして、これなら彼の役に立てる、と思って――、そう言って、半ば強引に行動をともにするうちに、海賊団を設立することになった。
 昔はギャリックと呼び捨てにしていたが、海賊団設立後はけじめをつけるために団長と呼ぶようにし、敬語も使うようになった。もちろん、砕けた敬語にしかならなかったが。
(判ってる……本当は、判ってる)
 それだけ愛した男だった。
 ギャリックはウィズのすべてで、世界そのものだった。
 ギャリックが死んだと判った時、自暴自棄になって周囲も自分も傷つけたのは、あまりにも深い悲嘆のゆえで、『周囲』ならば受け止めてくれるだろうという甘えのゆえだった。
 ウィズが甘えて傷つけた、ふたりの親友は、きっと彼がどうしてそれをしたのか判っていて、心を痛めてくれているだろう。
 もうどうにでもなればいいという思いから、慰めてよ、と迫ったウィズを平手打ちにした娘も、ウィズが禁断の言葉を口にしたために、彼を殴り飛ばした青年も。
 判っているからこそ、心を痛めているのだろう。
 ――不意に、アゼルがそっとウィズの手を握った。
 ウィズが思わずびくりと震えたけれど、ずっと一緒に頑張ってきたアゼルの手の温度にほんの少し安堵したことも事実で、振り払うことはしなかった。
 思いが深過ぎて、家族だからこそギャリックのことを話せない。
 あふれるような思いがあるのに、お互いに苦しんでいると判るから、口には出来ない。
 アゼルがそんなウィズの思いに気づいていて、歯がゆい思いをしていることは知っていたが、素直に泣いて甘えられるほど、ウィズはまだ納得できていなかったし、ギャリックを守りきれなかった自分に、泣く資格などないのだとも思っていた。
 それが、団員たちの共通した思いだということにまでは、気づけなかったが。
 そう、誰もが、ギャリックの死に、自分を責めている。
 同時に、ギャリックは、誰ひとりとして責めてはいない。

『よっしゃあああぁ、行くぜ、野郎どもォ!』

 ――そして、フィルムは、ついにあの最後の戦いを映し出す。
 あの、別れの時を。

 * * * * *

 ウィズの視界いっぱいに、誇らしげに帆を膨らませて空を飛ぶギャリック号が映った。
 巨大な絶望の首魁を打ち倒し、すべてを終わらせるべく、馴染みの銀幕市民が、めいめいの装備で、武装で飛び立ち、マスティマへと向かっていく。
 全員が意気軒昂!
 誰もが、この街を守るのだという気概に満ちて、剣を揮い、銃を撃ち、ゴールデンアローを握った。
 戦況が変わったのは、マスティマが「ひと」という何かに変わってから。
 「ひと」はバランスを崩したギャリック号を握り締め、空母ダイノランドへと向かった。
 ギャリックは肩に留まっていたオウムを毟り取ると、サーベルを抜き、「ひと」の手首に切りつけた。
『ギャリック、ギャリックー!!』
 半狂乱のオウムの声、弾ける白い光。
 弾けた腕がばらばらになり、ギャリックに襲い掛かる。
 画面が揺れたのは、彼がそのとき感じた衝撃のゆえだろうか?
 腕に、脚に、身体に、首筋に、無数のばけものが喰らいつく。
『ギャリィ――――――ッック!!』
『団長――――ッ!!』
『お、オヤジィイ――――ッ!!』
 長く長く伸びる、人々の悲鳴、絶叫。
 それを聞きながら、ギャリックは墜ちていく。
「ああ……!」
 その時のことを思い出したのだろうか、誰かが呻き声を上げた。
 ――暗転。
 不思議な光、不思議な声。
『おれほんと、あの海賊団は傑作だと思うんだよな!』
 何故かその時、真っ暗な画面の向こう側で、ギャリックが笑ったのが判った。
 たぶん、ここにいる全員、判ったと思う。

(遣り遂げた……護り抜いた。だから、悔いはねぇ)
(おめえらなら、大丈夫だ、そうだろう?)
(生きろよ、絶対に生きろ。人間ってのは、生きなきゃいけねぇんだからな)
(なあに……心配は要らねえ、ギャリック海賊団なら、大丈夫だ)
(信じてるさ、ずっと)
(おめえらを、信じてる)
(なあ、そうだろう)
(俺は幸せもんだ……最後まで、てめえの思うように生きられた)
(ありがとう)
(おめえらは俺の家族だ。誇りだ)
(――……愛してるぜ、俺の海賊ども)

 直接口にされた言葉ではなかった。
 ただ、回り終えたフィルムのすべてから、ギャリックの思いがあふれていた。
 それが判るだけだった。
 それを、絆と呼ぶのだろうと、漠然と理解しているだけだった。
「キャプテン」
 ルークレイルが、滅多に呼ぶことのなかった敬称でギャリックを呼び、胸に手を当てて頭(こうべ)を垂れた。
「あんたの思い、確かに」
 言ったルークレイルの横顔が誇らしげに見えたのは、きっとウィズの見間違いではなかったはずだ。
「オヤジ……」
 その傍では、しゃくりあげるナハトの頭を、ロンプロールが撫でている。
「……笑っとけ、意地でも。あいつはそんな顔、望んでない」
 ロンプロールの言葉に、また新しい涙を落とすナハト。
 だが、その目には、強い光が戻ってきている。
 前を向こうという意志をナハトから感じ、ウィズは静かに瞑目した。
「皆、お腹空いたわよね。ごはん……作るわね」
 ウィズの手を離し、アゼルが立ち上がる。
 彼女は、部屋を出て行きながら、そっと手を伸ばしてギャリックのプレミアフィルムに触れ、「お帰りなさい」と呟いていた。
 彼女の眼差しにあふれる慈しみと、友愛とが、ウィズの胸にも染み渡る。
 アゼルの強さに、救われる気がする。
 ――判っている。
 自分たちのなすべきことが、何なのか。
 苦しみは尽きず、哀しみが途切れることはないけれど、もう、判っている。
 ギャリックに悔いはなかった。
 ギャリックは、最後まで自分たちを信じてくれていた。
 そして今でも、彼らに、幸せであれと、生きろと望んでいる。
 哀しい。苦しい。
 彼の不在に、魂が震えている。
 同時に、船を、団員を、この街を守り抜き逝ったギャリックを、誇りに思う。
 街の人々がギャリックの思いを理解し、彼を悼んでくれていると、彼は皆の中にも行き続けるのだろうと思うと、息の詰まるような哀しみと均しく、せつない喜びが湧き上がる。
 今、この時、ウィズはようやく、ギャリックの死と向き合い、受け入れようとしていた。ギャリックのフィルムが、たくさんのことを教えてくれたから。
「ウィズ」
 ヴィディスを抱き締めながら、ハンナが静かにウィズを呼んだ。
「……ん」
「あたしはね、あんたが一番適任だろうと思うんだよ」
 ハンナの目が、慈母のような穏やかな光をたゆたわせ、ウィズを見つめる。
 ウィズはそれを、真っ直ぐに受け止めた。
「これからの団を纏めるのは、あんたしかいないだろうってね。だって、あんたは、団長の姿勢をずっと見てきたんだからねえ?」
「……うん、でも……」
「やろう、ウィズ」
「ヴィディー?」
「ギャリーが守ってくれた全部を、今度は俺たちが守るんだ。そのために、ウィズ、おまえの力が必要なんだ」
「……」
 まだ涙の伝う頬をぐいと袖で拭い、ヴィディスがウィズを見つめる。
 その目には、ギャリックのために海賊団を存続するのだという、明白な意志が瞬いていた。
 ウィズは唇を引き結んだ。
 ――どう応えればいいのか判らない、というのが正直な気持ちだった。
 ギャリックを喪ってなお続ける意味があるのかと、海賊団に意味があるのかと、つい先ほどまでは思っていたから。
「うん……」
 しかし、ギャリックの残したフィルムが、ウィズを、少し動かした。
「出来ることを、やろう。オレたちで」
 心はまだ、深く重く沈んでいる。
 けれど、最後の戦いは、終わった。
 ここから先何があるのかは判らないけれど、きっとまだ、やるべきことがある。だから、ここにいる。
 そして、ギャリックがそれを望んでいる。
 そのために、ウィズは生きている。
 ――厨房から、いいにおいがしてきた。
 生きた匂いだとウィズは思った。
「アゼルを手伝いに行くか……そうだ、あいつにもらった花に、水をやらないと」
 ルークレイルが呟き、部屋を出て行く。
 それを合図に、皆が立ち上がった。
 白に戻ったスクリーンを、映写機にかけられたプレミアフィルムを見つめ、黙祷を捧げてから、それぞれに部屋を出て行く。
「気負わなくていいんだぞ」
 出て行きながら、ノルンがウィズの肩を叩いた。
 普段から飄々とした男の、静かな笑みに、ウィズは頷く。
 ナハトとロンプロール、ハンナとヴィディスがゆっくりと出て行き、ウィズはひとり、部屋に残された。
「……」
 もう一度振り返り、スクリーンを、フィルムを見遣る。
 唇に、弱い笑みが浮かぶ。
「何が出来るのかなんて、オレには判んねぇけど」
 それでも、そこから自暴自棄の、自分も他人も傷つける色彩は消えていた。
「もう少し……やってみるッスよ。あんたがそう、望んでるなら」
 言って、ウィズは部屋を出て行く。
 おやすみ、と言うべきなのか迷ったが、結局言わなかった。
 ぱたん。
 扉が閉まる。
「……そうだ、梛織と美樹ちゃんに、謝らないとな……」
 小さく呟き、甲板から海の向こうを見遣り、ほんのわずかに瞑目して、ウィズは歩き出した。
 波間で、光が揺れている。



 ――それは、女神となったリオネが魔法の終焉を告げる、ほんの少し前の出来事だった。

クリエイターコメントオファー、どうもありがとうございました。

多くを語ることは致しません。
ただ、彼と彼を愛する人々の、数多の思いを、精緻に描けていれば、嬉しいです。
なお、タイトルのヘリクリサムについては、花言葉を調べていただくと、意味が判るかもしれません。そういうものなのではないかと、記録者は思う次第です。

口調、心情、行動など、おかしなところがあれば出来る範囲で訂正させていただきますので、ご一報下さいませ。


それでは、どうもありがとうございました。
また、きっと、どこかで。
公開日時2009-07-26(日) 23:00
感想メールはこちらから