★ 不浄の檻 ★
クリエイター八鹿(wrze7822)
管理番号830-8422 オファー日2009-06-26(金) 19:25
オファーPC 二階堂 美樹(cuhw6225) ムービーファン 女 24歳 科学捜査官
ゲストPC1 狩納 京平(cvwx6963) ムービースター 男 28歳 退魔師(探偵)
<ノベル>





 男は、空に姿を現した絶望を見上げていた。
 ざわざわと、己の内にて声が騒ぐ。
 その声は、思えばずっと己の中の何処かに在った。
 聞こえぬフリをして、それは『無いもの』として、どうにかやってきたというのに。
(もう、いいだろう? 御前はもう限界だ。仕方無い。人はそういう風に出来ている。人は絶望に無力だ。そうなのだから、楽になりたいと願うのは何も忌むべきモノではないよ)
 内に潜む声は明確な力を持って囁き掛けてくる。
 意識に、ゆっくりと、だが確実に滲み込んで、何もかも投げ出したいという衝動を突き動かしていく。
(それで、いい。御前はもう解放されるべきなんだよ。明け渡せ。御前を救ってやろうというのだ)
「……救い……」 
 想像する。想像してしまう。全てを投げ出して、絶望から逃れた己を。
 歯の根が震える。
(そうだ。見ろ。あの強大な終焉に誰が打ち勝てるものか。御前が苦しみに耐える必要など、もう、とうに無かったのだよ。見ろ。あれが何であるのかを)
「……あれは……」
(絶望なのだ)




 ■不浄の檻■




 地を打って空に吹き返す湿った風に髪を騒がせながら、狩納 京平はポートに降り来るヘリの方へと歩んだ。
 宵闇のような漆黒の髪と瞳、涼しげな目元は普段からやぶ睨みだが、今は風を受けて細めて一層目付きが悪い。
 襟元を開けたワイシャツの上を、緩めた黒いネクタイが風に騒いでいた。その上に黒いレザーのジャケットを着込み、左腰には古めかしい太刀飾りの付いた黒鞘の刀を、右腰にはコルトライトニングを納めたホルスターを下げている。
 潮の匂いを含んだ風を叩き掻き混ぜていたヘリのローターが、音を変えて動きを緩めた。
 光の淀んだ空が近い。
 銀幕湾に浮上したダイノランド。
 彼はマスティマとの決戦時に結界を張る準備のため、其処に居た。
「ご苦労さん」
 降りてきたパイロットに声を掛けてやる。
「お疲れ様です。首尾はどうですか?」
 パイロットが後部のドアを開け放ちながら問い掛けてくる。
 開かれたドアの向こうには支給品の詰め込まれたダンボールがあり、台車を引いたこちらのスタッフがそのダンボールを台車に移し変え始める。
 京平は己の肩に片手を掛けて軽く首を傾けながら口端を上げた。
「完璧にしなきゃならねぇ時に限って、状況は巧く揃ってくれねぇもんだ」
「分かります」
 パイロットが息を漏らすように笑って、バインダーを手渡してくる。
 バインダーに挟まれているのは今回届けられた物のリストだ。
 それを受け取って、京平は煙草を咥えついでにパイロットにも一本を薦めた。
 二筋の煙が吹く風に伸びる。
「嫌な風ですね」
「ああ、なんせ此処ァ奴さんが近いからな」
 口の縁に煙草を咥えたままリストに目を通していく。
 まだ足りない物も幾つかあるが、予定の範囲には収まってくれてはいる。
 問題は無い――と言い切れ無いのは、どれだけ十分に時間と物が揃ったとて同じ事だった。今やれるだけの事をやるしかない。絶望を相手にするというのは、そういう事だ。
 京平はリストにサインと幾つかの補足を書き入れてパイロットに返した。
「いつ街に戻る?」
「問題が無ければすぐ出ますよ」
「そいつァ丁度良かった」
「はい?」
 パイロットが首を傾げる。
 京平は片目を顰めて銀幕市の方を見やりながら、半ば独り言のようにボヤいた。
「ントに……こういう時に限って、な」
 空に鎮座する形有る絶望の下、街は静かに佇んでいる。


 ■


 ノックの音がして、二階堂 美樹は検査機器から顔を離した。
 茶色のセミロングに黒い勝気な瞳。明るい色の薄手のシャツとスカートといったラフな格好の上に、前をはだけた白衣を着込んでおり、その胸元には大きめのネックレスが下げられている。
 ノック音がした方に振り返ると、音の主が叩いていた戸口の壁から手を離しながら、美樹の方へと首を傾げて見せた。
「ちゃんと家に帰れてる?」
 鑑識の制服を着た、美樹より少し年上の女性だ。
「大丈夫、まだロッカーに着替えは残ってるから」
 美樹は彼女に笑い掛けながら席を立ち、コーヒーメーカーの方へと向かった。
 角の丸いガラス容器には先程淹れたコーヒーがまだ残っており、美樹はそれを同僚の方へと掲げて、「いい?」と簡単に問い掛ける。
 それで、返事が返る前には既にカップに注いでいた。
「……何か分かった?」
 さっさと適当な椅子に腰掛けた彼女の声に、美樹は微かに顰めた顔を振って冷めたコーヒーを同僚の前に置き、自分は随分前にカップに注いだままのコーヒーに口を付けた。
 香りの飛んだ、冷えて水っぽい苦味が喉を通る。
「色々と思い当たる事はしてみて……今の所は薬物やガスによる中毒では無さそう、ってくらい」
 美樹は、はぁと溜め息を零して頭を垂れた。
「……つまり、何も分かってない」
「そっか」
 同僚が、ギッと椅子の背もたれを鳴らしながらコーヒーを啜る。
 美樹は組んだ両手を高く上げてンと伸ばし、己の肩が派手に鳴るのを聞いた。
 それから腕を下ろし、ふっと息を抜く。
 銀幕市では数日前に事件が起きていた。
 奇妙な関連性を持つ二つの事件。
 一つは駐車場で起きた。
 立体駐車場では無く、そこそこの広さを持った平面の駐車場だ。
 土木作業員の男性が重機で乗り込み、駐車場に置かれていた車を敷地の外へと引き摺り出し、挙句にアスファルトを剥がし始めたのだ。
 近隣住民の通報で駆け付けた警察に取り押さえられたその男は、半ば正気を失っており、何を聞いても要領を得ない。
 それと同じ頃、もう一つの事件が別所で起きていた。
 工事中で土を掘り出されて地中に覗いていた水道管が破壊されるというもの。
 と言うと、ただの工事中の事故のようだが、問題はその水道管が爆破によって破壊された事と、そもそも、その場所に工事予定など無く作業員五名が勝手に掘り出していたという事だ。
 そして、その作業員の彼らもまた、正気を失っており、駐車場を破壊した男と同じような状況だった。
 そんなわけで、ここ数日の科捜研は大忙しだった。
 爆破に使われた成分の分析では、それがニトロ類を用いたいわゆる猟銃で用いる火薬である事は判明した。購入には登録許可が必要な物だったから比較的足取りを追い易く、警察は証言などを辿って大量に入手した可能性のある男を突き止めた。
 だが、彼は持っている筈の大量の火薬を所有しておらず、また他の被疑者と同じように正気を失っていたのだ。
 それは事件がまた起きる可能性を示唆しており、手掛かりの一つとして被疑者の薬物反応検査が急がれたが、有用な結果が出ぬまま、今に至る。
 今得られている手掛かりは唯一つ……彼らの共通点は、事件前にマスティマに対する不安を漏らしていたという事だけだった。
 て、て、て、とDPの警官帽を被ったバッキーのユウジがテーブルの上を歩いていく。
 それを同僚の目が追う。
 美樹は、簡単に顔を振りながらテーブルの上のユウジを掴み、膝の上に置いた。
 彼を手の中でもにもにと遊びながら、ユウジに手を伸ばしてくる同僚の指を見やる。
 同僚は指先でユウジの腹を擽り遊び。
「あいつらの気持ちも、少し分かんのよね……。ふいに、正気を手放したくなったり、何か、そういう脈絡の無い思い付きに縋りたくなる気持ち。正直、皆、気が参ってるんじゃない? もう何日もあの化け物に見下ろされて、あの声を聞かされて……絶望を突き付けられながら、それでも日常を過ごさなきゃいけない。本当は、何時、誰のタガが外れても不思議じゃないわ」
「そうよね……でも、今も多くの人が希望を持って頑張ってる。私達は立ち向かうための力を手に入れたわけだし……まだまだ悲観すべき状況じゃない。それにだって、私、まだ花の二十四だし」
「……アタシは花の二十七だわね」
 同僚は小さく息を付いて手を引き、美樹に向ける顔を傾けた。
 美樹はユウジをころりと膝に転がして遊びながら、そちらの方へと顔を上げて口を笑ませた。
「まだ死ねないわね」
「そうね、こんな商売だけど、いつか結婚はしたいし」
 同僚は美樹と似た笑みを浮かべ。
「あー、やっぱ休憩はアンタとくだらない話するに限るわ」
「くだらない話で悪かったわね」
「褒めてんのよ。あ、そだそだ――くだんない話っていえばさ。今回の事件の被疑者の周りにね」
 そこで、同僚はワザとらしく眼を細めて、両手を胸の前で垂れて見せた。
「コレが出るって」
「……幽霊?」
「そ。かくいうアタシも検証に行った時に、変な声や気配感じちゃってたんだけど……まあ、忙しかったしね。気のせいで済ませてたら、後で皆から、自分もそうだったよーなんて話聞いちゃってさあ」
「私は、あんまり感じなかったかも?」
 同僚の話に耳を傾けながらカップを取って傾けたら、中身は既にほぼ空だった。
 軽く口元をすねながらカップをテーブルに返して、同僚の方に小首を傾げる。
「アンタ、ガツガツしてるタイプだから幽霊の方が遠慮したんじゃない?」
「そ、そんなにガツガツしてるかな……?」
「それはともかく、さ。そんなだから、交通課の子達の間じゃ今回の事件は祟りなんじゃないかって話が通ってんのよ。市道の脇入ったトコに小さな社あんの分かる? おっきな樹がある所」
「うん。ムレの社でしょ」
「へぇ……あそこってそんな名前だったんだ。つか、アンタ良く知ってるわね」
 予想以上の返答に呆れたのか何なのか、同僚が肩をこけさせながら言う。
 美樹は多少得意げな気分で軽く胸を張った。
「ゲーム作りなぞを嗜んでいる手前、ネタになりそうな市の伝承などは一通り調べ済みなので御座いますことよ?」
 高笑いまで付けようかと思ったが、止めておく。
 同僚の方は「知ってる」と、何か、垂れた肩に半眼まで付け加えながら言ってくる。
 美樹は気を取り直すように、姿勢を戻して。
「で、あの社と今回の事件と何の関係があるの?」
「事件の前に、その辺りで霊体験したって人が結構居るんだってさ。それに、今回の被疑者みたいになっちゃった人も居るって噂が――て」
 彼女の言葉が終わるか終わらないかの内に美樹は椅子から立ち上がって、ばたばたとカバンやスチールケースを取り出し始めていた。
「美樹? アンタ、一体どしたの?」
「ムレビト」
「は?」
「ムレの社には、そういうモノが祭られてるっていう話」
「……って、言われても全ッ然、意味がわかんないんだけど」
「昔々、この辺りに、大病が流行るぞって噂が流れて、それを恐れていた土地の長の元にヨルという術師がやってきた。そして、井戸の中に生贄を捧げれば救われる、と長に言う。その話を信じた長は多くの人を井戸に捧げてしまった」
「ねえ、だから、それとこれと話が繋がんないんだけど……」
 同僚の怪訝な声を横に、美樹は必要そうな検査器具を予測と勘でケースとカバンに詰め込んでいく。
「で、その井戸で亡くなった人達の無念がムレビトという霊になって漂うようになるわけ。それこそがヨルの狙いで、ヨルはムレビトを操り、人々を苦しめるようになる」
「迷惑な話だわね」
 同僚が若干、飽きてきたらしい声色で言って珈琲を啜った。
 美樹はロッカーに置いてあったディレクターズカッターも、とりあえずカバンに入れて。
「その話を聞いて、ある偉いお坊様が、この地にやってきた。で、このお坊様がヨルの正体が人間に憑いた悪霊である事を見抜き、然るべき秘法で、えいえいっとムレビトを鎮め、ヨルを封じた」
 美樹はそこで、バン、とケースの蓋を閉めてから同僚の方へ視線を上げた。
「そして、それぞれ社が建てられ……それが、ヨルの社とムレの社と呼ばれて今日に至る、と。マイナーだけど銀幕市に伝わる由緒正しい話よ」
「や、それはイイとして――アンタ」
 同僚がまじまじと見返してくる。
 美樹はその視線に対して、極当然と頷く。
「ヨルはムレビトを使い、人の不安や悲哀に取り入って悪さをしたって話なの。これからムレの社に行って来る」
「まさか、本当にユーレイの仕業だっての? って、あ、そうか――もしかしたら映画になってるかもしれないわね」
「それが……そういう話は聞いた事ないのよね。自主制作とかなら、ありえそうだけど……」
「自主制作、ねぇ……」
「とりあえず、私は社に行ってみるわ」
 そして、カバンを担ぎ、ケースを片手に、余った手で彼女の腕の中のユウジを拾い上げながら戸口の方へと歩いていく。
「って、だから……アンタ、社で何を探すつもりなの?」
 背に聞こえたのは呆気に取られた声。
 美樹は部屋を出る間際に、そちらの方を軽く振り返り見て、拳を握って見せた。
「”何か”、よ」


 ■


 風が騒いでいる。
 口端に煙草をぶら下げた京平の前には、黒々と太い樹が立っていた。
 立派なものだ。張り出した枝が天蓋のように広がっており、騒々しく騒ぐ枝葉の合間に濁った光を持つ空が見える。
 煙草を摘んで煙を吐き、樹の裏手に回り込むと樹の幹に針が刺さっていた。
 針を抜き取り、目の前に掲げ見る。
 そして、京平は吸い込んだ煙を樹の幹を眺めながら吐き出した。土の湿った匂いが煙草の香りと混ざって鼻を通る。
 遠くの通りでは信号が赤から青に変わったのか、車の音がまた騒ぎ出して聞こえてきていた。その中の一台が、この社の方へ来る気配。空を、バタバタとヘリが飛んでいく。
 パキン、と高い音。
 京平は手の中で折った針を地に落とし、片目を細めた。
「さて……そいつが一体何処に行ったか、だな……」
 呟いて顎を撫でる――と。
 社の方で砂利を踏む足音が聞こえて、京平はそちらの方へと視線をやった。
 まず見えたのは白衣の端だった。そうして姿を現したのは二階堂 美樹で、彼女はなにやら大きなカバンとスチールのケースとを抱えていた。その彼女が京平を見つけ、目を瞬かせる。
「狩納さん」
「よう、美樹嬢ちゃん。久しぶりじゃねぇか」
 片口笑みながら軽く手を上げてやる。
 彼女は、重たげな荷物を抱えて土を踏み鳴らしながらこちらの方へと近づいてきて、京平の顔を見上げた。
「ダイノランドに行ってたんじゃなかったんですか?」
「ちぃと気になる事があってな」
「気になる事?」
「最近、市内の陰水の気が――いや、なんつーか、とにかく市内の気が不安定になってるみてぇだったからな」
 美樹が何やら納得したように頷き、
「……それで此処に居るっていう事は、やっぱり此処に何かがあるから……ですよね?」
 何かしらの目算を含ませた調子で問い掛けてくる。
 京平は僅かに目を細めながら、それを受けて美樹を見返した後に大樹の方へと視線を巡らせた。
「ああ、此処は特にバランスが不自然に崩れてやがる」
「バランス……」
 美樹の呟きが聞こえて、京平は彼女の方へと視線を返した。
 彼女に説明を続けようとして、少し考え、それから軽く首を傾げやる。
「五行って知ってるか?」
「えーと……聞いた事は、あります」
 呟く美樹の眉間に僅かずつ皺が寄って行く。
 京平は軽く笑ってから、その辺に落ちていた適当な枝を拾ってしゃがみ込んだ。
「簡単に言えば、世の事象を五つの属性に振り分けた考え方だ。木、火、土、金、水、と」
 言いながら、枝で地面にそれらの文字を円状に並べ書いて行く。
 美樹が傍らに荷物を降ろして、横から覗くのを影で知りながら続ける。
「五行の基本は循環とバランス。つまり、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生む」
 説明に合わせて、それぞれの文字から文字へと線を繋いで円を形造る。
「こいつが相生の循環だな。対して、相剋の循環ってのがある。相手を剋する……つまり、打ち負かす循環。木は土を剋し、土は水を剋し、水は火を剋し、火は金を剋し、金は木を剋す。そうやって抑えていく事によってバランスを保っていく」
 その理を線で繋いで行く。そうすると頂点を円で結ばれた五芒星が出来上がる。
「これって、京平さんの手袋にも付いてる……」
「五芒星はセーマンっつって晴明が……いや、その話はまた今度にするか。俺がやり易いからこっちの図を使っちまったが、五行を説明する書き方は色々ある。――でぇ、話を戻すが。最初に言った通り、この五行には様々な事象が配当される。例えば、木火土金水の気を持つ色は青赤黄白黒って具合に、方角や干支、自然現象に身体の機関、動物、食物、感情、ありとあらゆるもんがな。時に、二種三種の気の組み合わせを持つモンもあるが……まあ、そいつは置いておこう」
 一つ、間を置いてから。
「水気に当たる感情は哀。マスティマが現れてから現状に至り、この気が強くなるのは必然っちゃ必然なんだが、どうも最近は此処らの地域だけ妙な持ち上がり方をしやがる」
 言って、京平は枝先を地面に置いたまま、樹を見上げた。
「だが、どういったわけか此処は、他の気に比べて水気だけがごっそりと少ねぇ――まるで」
「何処かに行ってしまったみたいに?」
 美樹が続ける。
 京平は美樹の方を見遣り、それから、一つ間を置いてから片眉を傾げた。
「そういや、美樹嬢ちゃんが此処に来たわけを聞いて無かったな」
「多分、目的は一緒だと思いますよ」
 と、美樹の目が何やら笑んでいた。


 ■


「水道管が爆破されたって場所を坎(カン)宮に据えるとして……駐車場が西南、坤(コン)宮。なら……西、西北には、キッチリとビジネスビルか――」
 腰掛けた石段の角を蟻が這って行く。
 長さの無い階段の石縁に、白く削られた誰かの落書き。線の曲がった合い合い傘。
 あれから、美樹は京平に現在起きている事件の事を全て話した。あの伝承の話も含め、全部だ。
 そうしたら、事件現場の場所を詳しく聞かせて欲しいと言われたので、車からこの辺りの地域地図を取り出して来て、場所を伝えた。
 そして、今、京平は地図の所々に美樹の渡した赤ペンで丸を書き込んでいる。
 京平の呟いている言葉や地図に何やら書き込んでいるものの意味はサッパリ分からなかったが、美樹は、とりあえず、それを覗き込んで、拾えるところをつらつらとメモに取っていた。
 と。
 京平の手が止まり、その目がやや細まる。
「後天方位にこじつけるにゃ離宮の火が足りねぇな……」
 彼は、しばらく、トントンと地図の上にペンの背を打って考え込むようにしてから、美樹の方へと顔を上げた。
「美樹嬢ちゃん」
「あ、はいっ」
「駐車場の事件があった時、近くで火事が起きて無かったか?」
「火事……?」
 言われて、ンと片目を顰めながら記憶を探る。
「そういえば、水道管爆破の検証に出た時に、どっかで消防の音がしていたような――」
「出来れば、正確な位置が知りてぇんだが」
「聞いてみます」
 と、携帯を取り出すのと、ほぼ同じタイミングで着信が鳴った。
「あれ?」
 同僚の彼女からのものだと確認してから、電話に出る。
「もしもし?」
『美樹。そっち、何か手掛かりあった?』
「うん。手掛かりっていうか、強力な助っ人に会った」
 電話の向こうで『助っ人?』となるのを聞きながら、美樹は京平の方を見遣った。
 彼は地図を覗きながら、指先で顎を撫でている。
『あ、それより。映画、見つけたわよ』
「え?」
『大学の民俗研究のサークルが何年か前にヨルを題材に自主製作の映画を作ってたらしいの』
「じゃあ、今回の事件は」
『アンタの読み通りなら、ヴィランズのヨルが絡んでるかも。あ、それと、もう一つ。今、ベイサイドエリアのホテルに爆弾抱えた連中が立て篭もってんの』
「た、立て篭もり!?」
『立て篭もってる連中の様子が、あの被疑者達と同じで下手に踏み込めないみたい――』
 と、それを傍で聞いていた京平が片眉を上げた。
「何があった?」
 電話向こうの同僚に一言断ってから、京平の方へ。
「ベイサイドエリアに爆弾抱えた人達が立て篭もったらしいです。やっぱり、正気を失ってるみたい」
「なるほど……しかし、そいつァ随分と領域から外れるな」
 ふむ、と京平が頬に親指の腹を撫で付けながら目元を絞り呟く。
 美樹は携帯の方に耳を返して。
「とにかく、こっちで何か対策が分かったら連絡する――あ、そうだ。駐車場の事件が起きた時、近くで火事が起きて無かった?」
『あったわよ。おかげで現場まで迂回しなくちゃいけなかったんだから。って、そこ、今日もまた火事が起きてるみたいだけど』
「えっ!?」
『そっちの火事も何か関係ありそうなの?』
「う、うん、多分……ねえ、詳しい場所分かる?」
『場所? あー、んと、ちょっと待ってね……』
 電話の向こうから読み上げられる住所を、そのまま口頭で京平の方へと伝える。
 そうして、同僚に礼を言って美樹は電話を切った。
「――急がなきゃね」
 軽く奥歯を噛んでから呟いて携帯を仕舞い込む。
「そうだな。ちぃと急がねぇと拙そうだ」
 いつの間にか立ち上がって傍らに居た京平から地図を渡される。
「何か分かったんですか?」
「ああ」
「じゃあ、私達もベイサイドエリアに――」
「いや、そっちは囮だ」
「囮?」
「俺達が行くのは、こっち」
 京平の指先が、手渡されていた地図の上を叩く。
 地図には幾つかの場所に丸印が書き込まれていて、それらが線で結ばれ、四角形を作っている。その四角形で囲まれた地域には銀幕署があり、その少し離れた場所に二重丸が書き込まれていた。
「ヨルの社」


 ■


 赤信号。
 急いでいるとはいえ、まさか率先して無視するわけにもいかずに、美樹が運転する車は停止線の前でもどかしい時間を過ごしていた。
 京平は、その助手席で寂しい口元を、顎に掛けた手の指先で撫でていた。
 車内禁煙。
 天井の端に、そう書かれたプレートを抱える小さなバッキーのぬいぐるみがぶら下がっている。
 隣でハンドルを握る美樹が、己を落ち着かせるように一つ長く息を吐くのが聞こえた。
 そして、彼女の顔がこちらの方へと半分向けられる。
「あの、地図の意味、教えてもらって良いですか? さっき言ってた、カンとかコンとか……」
 言って、彼女の目がチラッと一瞬だけ信号を確認する。
 つられて赤信号の方を見遣りながら京平は小さく頷いた。
「文王八卦方位ってのがあってな。正直に説明しちまうと時間が掛かり過ぎるんで掻い摘んでにしておくが……乾(ケン)兌(ダ)離(リ)震(シン)巽(ソン)坎(カン)艮(ゴン)坤(コン)の八卦に東西南北とその間を含んだ八方位が配当されてて、それぞれはまた五行と密接な関係にある。っつーと、まだ如何にもややこしいか……」
 ン、と軽く目を細めながら、一番伝わり易そうなものを考え。
「つまり、風水の一種だと思ってくれれば良い。何処ぞの方角にアレを置け、コレを置けって奴だな」
「んー……確か、南に水場を置いちゃ駄目なんですよね?」
「正南に当たる離が火気だからな。離は目も象徴するから、火を剋する水を置く事で眼病を患うなんて云われる。とりあえずは、そういう事だ。然るべき方位に然るべきものを置く事で正常な領域を作り出すってイメージで捉えておいてくれれば良い」
「了解です。それで、今回の事件がその方位に則って起きている、と」
「ああ、水道管の事件で現れたのは水気、駐車場の事件では土気、そう見立てて地図を手繰ってったら巧い具合に八方位の五気が嵌った。南の火災を入れてな」
「ということは……犯人は、この地域を正常にさせようとしている……?」
「いや、領域を作るって方がメインだな」
「……?」
「火災は数日前と、今日で二度起きた。つまり、一度目に領域を作り出した時には目的は達成出来ず、省みて起こされたのが、二度目。一度目と二度目の違いは立て篭もり事件の有無だ。そして、立て篭もり事件が有る事で、領域内で変化が起こる場所がある」
「銀幕署? 立て篭もり事件の所為で、多くの署員が領域の外に出向いている。それが、変化? でも……何故そんな事を?」
「銀幕署には、スターにファン、エキストラ含めて、陰水のムレビトの付け入る隙のねぇ連中が昼夜を問わず多く居る」
「……なるほど」
 美樹が何かを思い出すようにしながら、うんうん頷いている。
 それを横目で見遣りながら京平は続けた。
「どうやら、そういった連中をなるべく排除したがってるらしい。となれば、わざわざ八卦で領域を作りたがる理由も分かる。マスティマの出現で市内には哀の水気が強く出る人間も多くなっちまっただろうが、それでも、市内に居るのはそういう人間だけじゃ無い」
 信号が青に変わる。
 車を発進させながら美樹は、少しだけ考える間を置いて。
「絶望に立ち向かおうとしている人達も居る」
「そういう事だ。で、ヨルの社を収めるように領域を括って、そこに陰気を満たすってンだから、おそらく目的は伝承のヨルの封印を解くとか、その辺りだろう」
「あれ? でも、ムレビトの封印は解かれてましたよね?」
「ムレビトは鎮められて眠っていただけだからな。鎮めるのと、封じるのとは違う」
「そうなんですか?」
「鎮めるってのは認め、解き、眠らせる事だ。それに――俺が見た限りじゃ、あそこには嘆きが留まっていた痕跡は無かった。在ったのは、ただの循環するエネルギーの一端」
 京平は、流れる景色を見遣りながら言った。ふと、癖で煙草を一本取り出し咥えそうになっていた己に気付いて、多少、名残り惜しく煙草を仕舞い直しながら続ける。
「そいつが市内の陰気だかヴィランズのヨルの影響だかで、嘆きに絡まれ、ムレビトとしての性質を持っちまったンじゃねぇかな」


 ■


 ある一点を超えた辺りから、明らかに気が淀んでいた。
 美樹は頭と手足が重くなっていくのを感じながら、どうにか社の前に車を停めて、深く息を付いた。
 そのまま、ごとりとハンドルに額を落としてしまう。
「大丈夫か?」
 窺う京平の方に、美樹は額をハンドルの縁に擦りながら眉間に皺を寄せた顔を向けた。
「……大丈夫……じゃないかも、です。なんだか……無性に、体が重くて……それから、虚しいっていうか……哀しいっていうか」
「此処らには特に陰気が集ってきてるからな……キツイなら此処に残ってた方が良いかもしれねぇが」
「いえ……此処で引いたら女がすたります、からっ」
 美樹は奥歯を噛みながら、ぐぐっと重い頭を持ち上げて……だが、やはり、ごとんとまたハンドルに頭を落とした。
 そのまま、ぐったりと体が動かなくなってしまう。
 と――しばらくして、京平が咳払いをする音が聞こえ。
「『一番、二階堂美樹、歌いますっっ』」
「え゛っ!?」
 不意打ち過ぎて、美樹は勢い良く身体を起き上がらせて京平の方を見た。
 京平が悪戯気に笑む。
「恨み節。懐かしいだろ?」
「いきなり過ぎですってば。よっく覚えてましたね」
「未だに怪人ハンニャーノってのが何なのか分かンねぇんだよな」
「いや、あれはー……あははは」
「もう半年前になるか……何やったっけな? 皆で炬燵囲って、旨い飯を喰って、酒飲んで、ケーキ喰って」
「プレゼント交換もやりましたよね。それぞれ芸をしたり、歌を歌ったり、とにかく、もー、皆ハジけ捲くりで」
「つか、美樹嬢ちゃんらはハジけ組の筆頭だったよな」
 京平が思い出すように片目を細める。
「あははははは、色々とお恥ずかしい所をば……」
 言いつつ、あの空気を思い出して口元が綻ぶ。
「また皆でああいうのやりたいですよねぇ」
「ああ、俺もそう思うぜ」
 京平が優しく笑みを浮かべて、頷き。
「さて――美樹嬢ちゃんも動けるようになったみてぇだし、行くか」
 言いながら車の扉を開いて外に出て行く。
「あれ?」
 美樹は、その時になって初めて、自分に重く圧し掛かっていた気配が無くなっている事に気付いた。
 京平が車の天井に腕を掛けながらこちらを覗きこんで、
「辛い時こそ楽しく笑っとけ、てな」
 と、片目を軽く瞑った。


 ■

 
 男は見下ろしていた。
 苔生した貧相な岩だ。
 年月を経て、風雨に削られ所々の窪みにぬるい水を溜めている。
 社の裏手に在る木の無い開けた泥地に寂しく鎮座するその岩を、男は忌々しげに見下ろしていた。
 一歩、そちらに踏み出せば足元で泥が鳴って、水の腐った匂いが立つ。
 そうして、彼は握っていた手をゆっくりと開いて、その岩の表面へと伸ばした。
 岩肌に指の腹が着地して、彼は一呼吸の間を持ち、掌をそこに押し付ける。
 息を漏らす。触れた岩が、本当に僅かに震えているのが分かった。地深くより込み上がる呻きの震えだ。
「……もうじき、だ」
 男は薄らと呟いて、振り返る。


「声が聞こえるだろう?」
 こちらに振り返り、そう言った男の、光の無い冷えた瞳が京平と美樹とを映す。
「ああ」
 京平は応えてから煙草を取り出して、咥え、その先に火を付けた。
 白く絡み合う煙が真上に伸びる。
 風が凪いでいた。
 男は僅かに空を見上げる。
 その瞳に、遠くマスティマを映し込みながら彼は細く笑んだ。
「アレは良いな。晴らされぬ嘆きと苦しみに満ちている。絶対的な絶望だ……御前達には、さぞ、辛い事だろうよな……幾ら強がった所で、誤魔化す事も逃げ出す事も出来な――」
「勝手に決め付けないでよ」
 美樹が眉を潜めた声で男の言葉を、ざくりと切る。
 男が興醒めた顔を隠そうともしないで、空から美樹の方へと視線を下した。
「虚勢など」
「ちーーがうっ。『晴らせない』なんて、あなたが勝手に決め付けないでって言ってるのよっ!」
 美樹が白衣の端を払いながら威勢良く胸を張って、男に一寸ばかり無言が出来る。
 そうした後に男は緩く首を振り、「愚かな……」と呟く。
 京平は僅かに目元をすぼめ、そんな彼を見据えた。
「実際の所。恐れてンのは、あんたの方だろう?」
「……何?」
「マスティマが絶対だってンなら、ヨルは放っておいても復活しただろ。なにせ、マスティマが街を破壊し尽くせば邪魔な封印なんざ無くなり、陰の気に溢れる」
 静かな声で続ける。
「それを、こんな雑な計画を用いてまで復活を急いだのは――解けぬ嘆きなど無いと、あんたは知っているからさ」
 そして。
 男は声も無くポケットからナイフを取り出し、鞘を捨てた。
 能面のような表情で、泥を蹴り上げ、こちらへと駆け来る。
 京平は一歩だけ動いて、その正面へと立った。
 男が振り出したナイフを持つ腕の方に一歩分、足を擦り出して、外側から相手の手首と肘とに触れる。
 後は、手首を取りながら肘を押してやれば、力の行き先を制された男の体が勝手に倒れて行く。
 男が泥土に正面から突っ込む手前で、彼の横腹に足を入れ、着地に掛かる力を流し、ついでに、取った手首を捻って握力を失った手より、肘から離した方の手でナイフを回収しておく。
 泥の跳ねる音。
「美樹嬢ちゃん」
「はいっ!」
 倒れた男の背に、美樹のディレクターズカッターが振り下ろされる。
 それは男の身体をすり抜け、内側に在るモノを裂いた。
 瞬間、男の身体から気配の塊が滑り出す。
 京平の抜き放ったコルトライトニングの銃口が、当て所無く逃れようとしたその悪霊に向けられる。
 そして、銃声と共に撃ち出された封魔弾が悪霊をその場に捉え込む。
 大気を震わせるように鳴った叫び。
 呼応して、黒く形の無いモノが地から大量に吹き出し、宙を巡った。
 それらは言葉にならぬ気配で騒ぎ立て、訴え、悶え、京平と美樹とに絡みついてくる。
「――ッ!?」
 美樹が顔を歪ませながら黒いモノを掻く。
 察するに、これはヨルをこちらに引き寄せるために集わせていた陰気の塊だった。
 冷たく肌に滲む嘆きと苦しみが絡みつく中、京平は銃を腰のホルスターに返し、両手を開いた。
 一線を引くように整える呼気。
 機を取って、拍手(かしわで)を打つ。
 鳴り渡った大音が、ざわめきを払って静寂を敷く。
 渡らせ張った静けさに。
「高天原――」
 朗々と。
「天つ祝詞の太祝詞を持ち加加む呑んでむ」
 朗々と。
「祓え給い清め給う」
 紡ぐ言霊を奉上し、嘆きを鎮め祓いて、深き静かな眠りに許されるを願う。
 



 ■




 男が目覚めると、空が在った。
 鬱々とした奇妙な光を持つ、希望の無い空。
 鈍く痛む頭に触れながら、もぞもぞと身体を起こせば、黒いジャケットを着た背と白衣を着た背が見えた。
 彼らの足元には一つのフィルムが落ちており、それで、己の身体を支配していたモノはもう無いのだと知る。
 と、白衣を着た女がこちらに気付いて、駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
 覗き込んでくるその顔を見詰め、男は歪めた口元から息を零した。
「……結局、救われなかったのか……」
 上体を完全に起こして、ぐったりと向けた銀幕湾の方には、やはり相変わらず醜悪な姿を持った化け物が浮かんでいた。
 何も変わっていない。
 男は、胸元を掻きながら、泣き出しそうな程に顔を顰めた。
「あんなものにまで頼って逃れようとしたというのに……」
「アレは、あんたを救おうだなんざしちゃいなかったぜ」
 土を踏み、近づいてくる足音。
 黒いジャケットを着た男が、口元の煙草を揺らしながら続けた。
「ただ、己の妄執を叶えようとしただけだ」
「……それで良かったんだ……私は、私自身が絶望に向き合う事から逃れられれば……それで」
 力無く首を振って、地面に落ち佇んでいたフィルムを見下ろす。
「大っっ丈夫です!」
 言ったのは女の方だった。
 いきなりの大声と、その声に含まれるわけの分からない自信とに瞬きながら、男は顔を上げた。
 見上げた先で、煙草の先が揺れる。
「そう心配しなくても、俺達は負けやしねぇからよ」
 そう言った男の顔にも女の顔にも憂いの欠片も無かった。
 そして。
 彼らは空に浮かぶ六十七億の絶望を見上げ。
 絶望の下に置かれたこの街で。
 不敵に笑ったのだ。



クリエイターコメントこの度はオファー有難う御座います。
そして、期間を過ぎての提出となり、大変申し訳ありませんでした。

陰陽探偵さんと科学捜査官さんを楽しく書かせて頂きました。
この肩書きの組み合わせは非常に面白いなぁと個人的にドキドキしておりました。

心理描写、言動、設定、場面などなどイメージと異なる部分があれば遠慮なくご連絡ください。本当に。
出来る得る限り対応させて頂きます。
公開日時2009-07-27(月) 18:50
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