★ 白雨の詩 ★
クリエイター志芽 凛(wzab7994)
管理番号136-723 オファー日2007-08-03(金) 20:34
オファーPC シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
ゲストPC1 ホーディス・ラストニア(cpxz6110) ムービースター 男 21歳 ラストニア王国の王子
<ノベル>

 
 そこは、見るからに豪勢な部屋だった。重厚な石の壁には高価そうな絵画が掛かっていて、大きなガラスがはめ込まれた窓には、滑らかな触り心地の布がふんだんに使われたカーテンが掛かっていた。
 部屋の中央に置かれたテーブルには、銀で作られた豪勢な燭台に、長い白い蝋燭が何本も立っていて、同じく銀の大皿に、みずみずしい、手に取ればそれと分かる最高級の果物が取り揃えられていた。 そして、部屋の面積の三分の一を占めている寝台には、絹の白い布の天蓋が複雑な意匠を凝らして掛けられ、眠れるかどうか怪しいくらいの柔らかさの寝具が敷き詰められている。さらに部屋のあちこちには、溢れんばかりの真紅の薔薇。
 この部屋がどれだけ豪華なのも分かっているし、自分がそれだけ丁重にもてなされているという事も、そしてその真紅の薔薇の持ち主は自分に敵意なぞない、と分かっていても、今その部屋に滞在しているひとりの可憐な女性の恐怖心を抑えることは難しい問題であった。
 
 ――誰か、お願い。私を……。

 女性の祈るような願いは、扉を叩かれる音にかき消されていく。



 ・・・・・・


 
 最近、うだるような暑さを伴う晴天の日が続く銀幕市では珍しく曇天の日に、住宅街の細い道路の中をブーツの靴底に仕込んでいる鉛の金属音がひとつ、またひとつ響いていた。
 ほとんど人ひとり行き交うことが無い、閑静なその道を黒のシャツに、黒のスラックスという黒づくめの男がひとり、金属音の他は何一つ音を立てずにその道を歩いていた。
 ときおり弱い風が吹き、後ろでひとつに纏めた金の髪がその風に弄ばれていく。
 そんな中、彼はひとつの建物の前で足を止め、その髪をかきあげた。右腕にしているシルバーを基調としたブレスレットが音を立て、そしてそのブレスレットに留められている幾つかの石が光を帯びる。
 その建物は、他の家々の中にひっそりと紛れていた。ただ、外見は通常の住宅とは似ても似つかぬもので、ゴシック調の教会のようである。二つの細かい装飾の刻まれた、歴史を感じさせる壮大な柱に囲まれたその正面の玄関を見上げ、ひとつため息をつくと、重厚な黒の扉に手を掛けた。
 
 最初に足を踏み入れた場所には誰一人おらず、いささか無用心な事だ、と感じながらも、彼はさらに奥の大きな両開きの扉に手を掛けようとした。
 彼が力を入れる前に、鉄が錆び付いたような音が響き、自動的にその濃い深い茶色の扉が左右に開いていく。少しばかり驚きを覚えながらも、彼はその部屋の中へと足を踏み入れた。
 どうやらこの場所が噂に聞く、一般に開放していると言われている書庫のようである。彼は視界一杯に飛び込んできた円形の壁に敷き詰められた本の数々を見て、そして扉のすぐ横に座っていたひとりの青年に目を向けた。
 曇りの中、窓から差し込まれる光を浴びて反射する柔らかそうな銀髪を持つ青年は、受付のカウンターと思しき場所に腰掛け、何やら分厚そうな本を読み耽っているようであった。訪れた彼の事に気付いているのか、気付いていないのか、定かではないが――まあそれは彼にとってどうでも良いことである。
「……お前が、ホーディス・ラストニアか」
 緩やかに、だが幾分ぞんざいに投げかけられたその美声を受け、その青年――ホーディスが静かに顔を上げ、穏やかに微笑んだ。
「『鎮国の神殿』の書庫へようこそ。……といっても、あなたはどうやらここの本が目当て、という訳ではなさそうですね」
「まあな。お前に用があって来た」
 その言葉に、静かにホーディスは本をカウンターの上に置く。
「なるほど。それはわざわざのご足労、ありがとうございます。……お話を聞く前に、あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」
「……シャノン・ヴォルムスだ」
 彼――シャノンの翠玉と、ホーディスの紫水晶がほんの一瞬、何かを探るかのように絡み合った。
「それでは、こんな所で立ち話もなんですから奥へどうぞ」
 ふわりと、彼の着ている服の長い裾を微弱の風にたなびかせながらホーディスは立ち上がり、シャノンをまた別の扉への中へと案内していった。


「……まるでここは、何でも魔術で動く城みたいだな」
 別の部屋に入る扉も自動で開き、その扉の中の部屋で、何故か隅によけられていたテーブルと椅子がホーディスの指先ひとつで中央にヒョイと移動し、あまつさえそのテーブルの上に置かれていた空のガラスのティーポットに、はたまた指先をヒョイと動かしただけで水が涌き出るのを目の当たりにしたシャノンの椅子に座るなりの第一声に、ホーディスは苦笑を返す。
「みたい、じゃなくて実際にそうなんですよ」
 まあ、ほとんど勝手に動かせるのはこの神殿の中でも私だけですけどね。そう続け、奥にある台所に向かって再び指を動かした。すると、台所に備え付けられていた大きな食器棚が開き、そこからガラスのグラスがこのテーブル目掛けて飛んできた。
「……どうぞ」
「……ああ」
 折角入れてくれたものを無下に断るのも何だったので、大人しくシャノンはその涼しげなガラスに入れられたストレートのアイスティーに手を伸ばす。
「それで、私にどんな御用なのでしょうか。……まあ、妹ではなく私を指定してくるあたり、何となく予想はつきますけどね」
「それなら話は早そうだ。……とある資産家の所から、誘拐された娘を助けて欲しいと依頼がきてな……まあ、報酬は高いから引き受けたのだが……」
 シャノンは一口アイスティーを含んで喉を潤すと、その依頼の内容について語り始めた。
 その内容によると、どうやら、攫っていったのはファンタジー映画から実体化した魔物であるらしく、その魔物の拠点には、元の映画によると、魔術による仕掛け、神聖文字の暗号解読、さらには魔術や肉弾戦を仕掛けてくる敵が大勢いるらしいとの事だった。
「映画自体は、城主の花嫁にするという理由で誘拐された姫の為に、勇者様御一行がその城に助けに行くという定番ものだったが……まあそれは良いとして、問題は俺には魔術の素養も知識も無い事だ」
「……なるほど。それで、私をその依頼に引き込もうという訳ですね」
「そういう事だ。……噂によると、どうやらお前は王族の癖に金欠のようだからな。俺がお前に報酬の全額を渡せば問題ないだろ」
「……つまり、私を雇うと」
 報酬の全額を渡す、とシャノンが口にした途端にホーディスの瞳が明らかに輝いたような気がしたのは、気のせいだろうか。目は明らかに輝かせながらも発する言葉は冷静なホーディスの反応に、シャノンは、思わず首を傾げたくなった。
「そうだ。俺は依頼の成功による更なる信用と実績、お前は高額な報酬、お互い得する提案だろ」
 最近、増えた収入を元手にヴォルムス・セキュリティという会社を設立させているシャノンにとって、信用と実績は必要だが、まだまだお金の方は余っているようである。
「良いでしょう。私も魔術の専門家の端くれ。魔術にかけてはお役に立てましょう」
「……だとありがたい。俺が戦闘、お前は罠の解除などの魔術全般と分担すれば問題ないだろう……まあ、城主と戦う時は手伝ってもらうが」
「ええ。お任せください」
 極上の笑みを浮かべ、ホーディスは立ち上がった。――優雅に動きつつもその瞳には明らかに「¥」がちらついていたが、見なかったことにする。というかシャノンにとってそんな事は結構どうでも良いレベルの事である。
「……そういえば、シャノンさんがいらした時には車の音がしませんでしたね。この暑い中、徒歩でいらしたのですか?」
 ホーディスがふと思い出したように問い、シャノンは外の暑さを思い出したのか、眉を顰めた。
「こんな暑い日に、少し近場まで行くのにあのクソ暑い車の中になんか乗るもんか」
「……クルマとは、暑いものなのですか……」
「車の中は密室空間だからな。熱が篭るんだ……というかお前、暑くないのか? その格好」
 暑いと言う単語に、ふと思い出したかのようにシャノンはホーディスの服装を見た。色は白の布に銀の糸で縫い取られている明らかに厚い生地で、しかも長袖であり、おまけに着崩してはいるが、立て襟の神官服を着ているホーディスを見ているだけで、こちらが汗をかきそうな感じである。だが当の本人はきょとんと瞬きして自分の格好を見下ろした。
「……そう見えますか? といいますか、今暑いんですか?」
「……この湿気と温度の中で暑くないと言う奴はまずいないと思うのだが」
「湿気……、あ、忘れてました」
 ホーディスはぽんと手を打った。襟の間からのぞく鎖骨の一部が、蒼く輝く。その途端、シャノンは今まで感じていた湿気が嘘の様に軽くなるのを感じた。おまけに、肌に冷気の層を纏っているかのように涼しい。
「……これも魔術なのか?」
「ええ。戦闘に使うだけが魔術ではないですからね」
 便利ですよ? とホーディスは再び笑みを浮かべた。なるほど、とシャノンはひとつ頷く。
「確かにこれは便利なものだな。……さて、出来ればなるべく早く依頼に向かいたいのだが、何か準備する事はあるか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「じゃあ、早速向かうか。……今度こそはあの暑苦しい車が必要か……」
 あの夏の車の中に乗ったときの暑さを思い出し、シャノンは再び眉を顰める。それを見てか、ホーディスが首を傾げた。
「場所は分かってるんですよね?」
「ああ。……ここに拠点ごと実体化しているらしい」
 どこからか地図を取り出したシャノンは、小さく印を付けた地点を指差した。それを覗き込み、ホーディスはひとつ頷く。
「……折角の機会に、シャノンさんの車に乗ってみたい気持ちもあるのですが、シャノンさん大変そうに見えますし、それはまた今度の機会のお楽しみとさせて頂きますか」
「……?」
 微かに首を傾げたシャノンに微笑を返すと、ホーディスは緩やかに瞼を下げた。彼の人差し指が、赤く光を伴い、何かの文様を宙に描く。それは赤く軌跡を残し、ふわりと地と平行に浮かぶと、ゆっくりと彼らがいる地点に下りていった。
 額の刺青が一部、暗い藍に輝く。
「リア・デ・マルテ、我らを守護する闇の神よ、この地を繋ぐ闇、どうか我らをいざないたまえ」
 地から闇が溢れるかのように、暗い黒が溢れ出してくる、と思った瞬間、二人の視界は文字通り、闇に覆われた。完全な闇でもモノを判別できるシャノンの視界でさえ、目に飛び込んでくるのは黒い闇であった。光の中にあっても地に潜み生き続けている、本質なる闇に二人は覆われていった。



 ・・・・・・



 数秒の躊躇の後、シャノンは目の前を闇に覆われた為に本能的に閉じていた目をそろりと開けた。
「……本当に便利なものだな」
 唐突に目に突き刺さる光に目をしかめつつ、目の前に広がっていた光景を前にぽつりと呟いたその言葉に、隣に音も無く表れたホーディスがにこりと笑みを浮かべる。
 二人は僅か数秒で、目的としていた魔物の拠点の前に立っていた。
「中まで入り込もうと思ったのですが、この城全体に魔術による結界が張ってあったので、それはちょっと無理でした」
「そうか」
「……それにしても、城の城主と少し聞いていましたが……これはまた随分と立派な古城ですね……」
 ホーディスは感嘆のため息を吐いた。辺りは鬱蒼とした濃い緑の木々に覆われていて、二人の目の前には、ひとつの古城がその存在を主張していた。
 外壁は年季が入り、いい味を醸しだしている白い石壁、各階ごとに均等の距離を保って配置された窓は縦に大きく、そこから外を眺めるのには最適であろう。
 細部に渡って豪華に石を削って作られた飾りを施されながらも頑強な城門の向こうに見える屋根の上、そして城の左右に備え付けられた尖塔には、一番空に近い階の部分にアーチ状の出入り口、そして手すりにも装飾を施され、一層優美さを輝かせている。そして深い青と黒の狭間の色の屋根に規則正しく並ぶ出窓の数々。出入りする人々を睨むように、はたまたその城の城主であることを強調するかのように正面入り口の屋根の部分に造られた城主と思わしき魔物と人間の間のモノのような像がひとつ。
 ゴシック時代からルネサンス時代にかけての教会にあるような細やかなステンドグラスのような装飾というよりも、その前の時代のどこか素朴さを感じさせる重厚な造りの城であった。
「……さて、何が出るかお楽しみといったところか」
「……そうですね」
 ふたりは緩やかな微笑をかわし、城へと向かって歩みを進める。
 シャノンの後ろで纏められた金の髪と、ホーディスのやや肩までの長めの銀の髪が、ふわりと舞った。
 

 城門がよく見える所まで近付くと、どうやら、いや、やはり見張りの門番がいるようであった。 門番は二体、一体はがっしりとした頑強な体つきの巨大な黒の犬の魔物のようで、もう一体は人のようにも見える。だが城主が魔物の城の事だから、もしかしたら魔物かもしれない。
 犬は顔はひとつであったが、非常に凶悪な目つき、上顎と下顎の隙間から垣間見える大きく鋭い牙、そして何よりも三、四メートル近い体つきが一層凶悪さを醸しだしていた。
 人の方は、普通よりは少しがっしりした体つきを城の従者がよく身に付けそうなあっさりとした色合いの服に隠していた。
「……早速、門に魔術で結界が掛けられているようですね……」
 近付いてくる二人に門番達は臨戦態勢を整えているのも気にもかけず、ホーディスは目を細めて門を見据えていた。
「……そうか。では門の方は任せてもいいか?」
「はい。……そうですね、私が門の結界の源を実体化します。実体化したものをシャノンさんに倒して頂きたいのですが」
「いいだろう」
 シャノンは小さく頷くと、彼の目の前に突進してきた犬の魔物を軽く左に避けてかわし、さらに通り過ぎざまに思い切り右足で蹴りを入れる。
 その場にひとつ悲鳴を上げて横倒しになった魔物の首から頭にかけて銃弾が乾いた音と共に通り抜けた。魔物の野太い悲鳴の後、血が噴き出る寸前にカラン、という音と共にひとつのフィルムが地に転がった。
 それを見届けたもう一体の門番は目つきをギリリと鋭くさせ、両手で何らかの印を切りつつ、何事かを呟いているようであった。
 それを見たホーディスが、素早く左手で円を描きつつ、右手で円の中の文様を描き出す。額の刺青が光を帯びた、次の瞬間に完成した魔方陣から光が矢をかたどりながらもう一体の門番に向けて放たれた。
「ぎゃあぁぁ!」
 その人なのか魔物なのか分からない門番は悲鳴を上げ、彼の前に現れようとしていた魔方陣を跡形も無く消し去ってしまう。
 そして、キッとホーディスを睨みつけるとその両手を前にかざした。
 途端にその両手は何本もの触手に変化、一斉にホーディス目指して触手を伸ばし、襲いかかろうとした。

「俺を忘れてもらっちゃ困るな」
 
 一瞬、静寂を増したその場にシャノンの声が響く。門番がそろりと右を向くと同時に、銃声。
 正確に脳を撃ち抜かれた傷痕からは鮮血が溢れ、辺りに噴き出す。シャノンは右腕でそれが目に入るのを避け、同時に後ろに一歩後退。その次の時にはもう一体の門番も目を見開いて身体を痙攣させ、そのままフィルムに変じる。
「……さて……」
 ホーディスはひとつ呟くと、つかつかと門まで歩き、そのアーチ状にくりぬかれた漆黒の門をひとつ見上げると、いつの間にか闇に染め上げられた右手でその門に触れた。
 その瞬間、その門の表面の部分の膜のようなものが凝り固まり、門の中心より上部にその姿を現した。闇の、竜の頭の形のようなものが侵入者に対しての咆哮を上げる。
「……竜、か……?」
「そうみたいですね。その竜が結界の源です」
「分かった」
 シャノンは頷き、その竜に銃の照準を合わせる。
 一発、銃声。それと共に何か脆いガラスが割れるような音が響き、一瞬だけ空間が歪んだような気配がした。
 そして竜が消え、漆黒の門も消え、ただのくりぬかれた空間が二人の前に広がる。
 門の向こうには、既に全開になった、城の正面玄関の両開きの木の扉が在った。
 その向こうに広がるのは、黒く、闇の不気味な空間。
 だが、ここに立つ二人にそれを恐れる理由は何一つない。
「……さて、」
「行きますか」
 ふたりは城への一歩を踏み出した。


 ・・・・・・


 中に入るとまず視界に広がったのは、一階分の天井でさえはるかに普通の家より高い天井なのに、贅沢にも二階、三階部分を潰して造られたおそらくこの城で真ん中ぐらいを行く広間であった。
 二階部分には一部通路と手すりが設けられていて、そこから来訪者を見下ろす事も出来るようなつくりだ。
 その広場にはかなりたっぷりとした、人間が五人は横に並んで通れそうな幅の通路があり、その先に上の階へと通じる大階段があるようである。
「……これは、正面突破しかないか?」
「そうですね。……手すりの部分には特殊な結界が張ってありますからね。壊すには多少のお時間がかかるかと」
「そうか」
 シャノンがホーディスにそう返すと同時に二人は動いた。
 シャノンは二階部分の手すりから前触れも無く出現してきた無数の魔物や鎌、剣などの武器を持った従者らしきモノに対峙する為に動き、ホーディスは天井から出現した幾つもの三角、四角などを無数に組み合わせた赤、青、紫の三色の捕獲型、魔方陣に対抗する為に幾つかの文様を描き出す。
 バキバキッ。メキャッ。骨が砕かれ、内臓が潰されるような嫌な音と共に、数体のさまざまな異形の形をした魔物が壁に叩きつけられ、その強力な蹴りを食らった部分から、沸騰した時の湯気のような白い煙を立ち上らせ、一瞬後にフィルムに変じた。
 それを見届ける事無く、前方に迫っていた、鎌と剣を手にした二体の人間らしきモノに瞬時に銃をロックオン、そして銃撃。
 正確に脳と心臓部分を打ち抜かれたそのモノは、瞬時に顔を決して人のそれではない、魔物の顔に変化させ、そしてのた打ち回る。頭の部分から、ツ、と血のようなどろりとしたものが流れ出し、そして一気に噴出、シャノンに到達する寸前にそれは消え去り、後にはビロードの真紅の絨毯が敷かれた床に無機質なフィルムが二本転がるばかり。
 そして斜め右と斜め左から迫ってきていた、獅子のような魔物、もう動物にも例えがないような、敢えて例えるとしたら、たくさんの動物を掛け合わされて出来たような合成獣にそれぞれ狙いを定めて再び銃撃、獅子のような魔物には狙い通り足、脳天に銃弾が穿たれるが、合成獣はそのひとふたり分程の大きさの身体を機敏に動かして避け、さらに突進をかけてくる。
 何とか横に身体を捻り、最悪の状態は逃れるが、横にも鳥の嘴とその持ち主の顔のようなものがついていたために、嘴に左肩、左腕を一瞬で抉られる。
 だが、噴き出す血をものともせず、彼は左腕よりかは正常に動く右腕でその合成獣を撃ち抜き、どうやら上手く貫通したようでその場でもがいている合成獣に、先程のお返しとばかりに渾身の力を込めて蹴り飛ばした。
「ギャアァァァッ!」
 どこか人のような、はたまた魔物のような何とも薄気味悪い断末魔を上げて、合成獣はその場に崩れ落ち、そして煙を上げながらフィルムに変化した。
 ホーディスは捕獲魔方陣を壊すべく、幾つかの魔方陣を同時に描き、魔術を同時に発動した。一瞬、その場に魔術特有の色が何色も混じり、闇色に染まる。再び繊細なものが砕け散る音と共に、二人の上に覆いかぶさろうとしていた気味の悪い色に明滅する魔方陣が霧散する。
 その場に一番初めに足を踏み入れた時のような静寂が再び訪れた時、ゴホ、ゴポ、と咳き込むような音が高い天井に反響した。
 全ての刺客を地に沈め、フィルムに変じさせたシャノンが既に高速再生を始めた自身の左肩を見てやや鬱陶しそうな表情を浮かべつつ、ホーディスに目を向ける。
 確か全ての刺客はシャノン自身が相手をした筈だった。だが、やや下向きに屈みこんでいるホーディスの手は鮮血で血塗られ、口元には一筋血が伝い落ちている。
「……おい、平気か」
「ええ。どうも久しぶりにたくさん魔力を消費しているので、体内の方が上手くついてきてくれないみたいで……。もう大丈夫だと思います」
 ホーディスは口元を服の裾で軽く拭い、微笑みを浮かべる。
「……だといいが」
 眉を極僅かに顰めたシャノンだが、それ以上何も言わずに広間の先に見える階段目指して歩みを進めた。ホーディスもその少し後ろについていく。
「左腕、大丈夫ですか?」
 シャノンの左の抉られた痕に気付いたらしいホーディスがやや心配そうな面持ちを込めた。
「このぐらいの傷なら直ぐに治る。気にするな」
「……はあ……」
 ややぞんざいに返された言葉に首を傾げるホーディスだが、これ以上心配すると逆に煙たがれそうだと考え、素直に歩を進めた。
 その時、ふと二人は、彼らの後方で響いた何か声のような音を素早く拾い上げ、後ろを振り向いて身構えた。
 が、そこに在るのは、いくつかのフィルムのみ。だがしかし、二人の耳には確実に何かの声が届いていた。
 ――主は、私達に力を分け与えて、生きる道を下さったお方。
 ――主は、優しい方。
 ――そして、何よりも繊細な方。
 どうか、どうか……
「……」
 既に元のフィルムに戻ってしまったモノ達の願いに、二人は何も言わず再び歩を進める。
 例え何も言わずとも瞳の奥に願いをしまい、ただ前を向いて。

 広間から階段へと続く廊下に入った途端、再び魔術によるものなのか、それともこの城がやたらにハイテクなのかそれともその両方なのかは分からないが、天井の一部が障壁のように凄まじい勢いで通り抜けようとする度にいくつも落ちてきた。シャノンは元々の身体能力を生かし、ホーディスは風の魔術を使って、その場を音速の勢いで走り抜けた。二人の耳元で、風が唸る。
 さらに階段付近では、床全体が魔術の罠のスイッチになっていて、足を踏み入れた途端に炎が噴き出てくるわまた魔物は出てくるわであったが、さっくりとホーディスが水の魔法で炎を片付け、シャノンが一分の無駄のない動きで、次々と魔物をフィルムに堕としていく。
 そして階段を駆け上がり、まず目の前に飛び込んできた金の飾りのついた重厚な扉を開いた。
 中の気配に臨戦の構えをとる。シャノンは銃を手に、ホーディスは極僅かな動きで魔術を発動できるよう、途中までの詠唱を。
 その場は、ダンスホールに使われていたようで、下よりも遥かな広さを誇る広間であった。床は鏡のように磨き上げられ、中央には豪華な金とクリスタルのシャンデリア、そして隅々まで凝られた趣向の装飾の品々。
 その部屋のちょうど一番奥、小さな手すりつき階段とダンスホールを見渡せるように拵えられた階段の上の場所に、青年の時代も終わりの頃に差し掛かっている感じの見た目の、ひとりの男がこれまた凝った造りの椅子に腰掛けていた。
「どうやら、我が城に珍しくお客様がご来訪とお聞きしたので、ここまで降りてきてみたが、なかなかに変わったお客様のご様子だね」
 男は目を細めつつ、ぬけぬけと言い放つ。
「それはそれは。城に入る前からのご丁重で厚いおもてなし、大変ありがたく受け取った」
 シャノンは左肩を回してみる。すっかり傷は回復しているようだ。
「そのお言葉、至極恐悦致す。さてはて、私に用があったのだろう? 一体どんな用事でこの辺境の地まで参られた?」
「貴様が勝手な理由で攫っていった女性を返してもらおうか」
 シャノンは直球で用件を告げたが、城主は眉を顰めた。
「攫っていった? それは人聞きの悪い。私は彼女を丁重に私の花嫁にとお迎えしただけだよ」
 シャノンは口の端を僅かに上げた。
「それを世間では誘拐に監禁と言うんだが。さらにご」
「こういう事は相手の同意がなければ罪になってしまうのですよ」
 シャノンが続いて発しようとしたやや危険な言葉をにこやかにホーディスの声が封じた。さらににこやかで優しい微笑を浮かべたまま続ける。
「あなたは何人もの命を背負って立つ責任の在るお方。何故このような強行に出るのです?」
「……ただ、ただ、愛してしまったから……」
 広間に苦渋の響きが広がる。
「……ならば、何故相手の幸せを摘み取るような事をする。……何故、幸せを守る事をしない」
 男は、力を込めて椅子の肘掛けを掴んだ。何かを堪えるような苦しい表情を見せる。
「幸せを摘み取る真似なんてしていない! ただ、彼女に私から幸せを与えたいだけなんだ!」
 苦しく吐き出された言葉。それは確かに、誰の心にもきっと、存在するものであろう。その場にいた二人も、彼の純粋な彼への気持ちを痛々しいまでに理解している。
 けれでも、彼の行為はそれで許されるものではない。
「それは誰だって心の内にある事だ。だがそのせいで、ひとりの人生を勝手に動かしたり、命を潰してしまう事はやり過ぎだ。俺は、それを許す事は出来ない」
「……あなたが城の者達を纏める立場である以上、例え他の誰が見逃しても、私が見逃す訳には参りません。あなたが決断を下し、それで城の者が全てそれに従うなら尚更の事。…………所詮、私達なんて国や城の為のひとつの手駒に過ぎないのですから」
 シャノンは、真摯なまでの真剣な表情で、そしてホーディスは笑みを浮かべたその顔で、二人は決然と言い放つ。彼らが今、沢山のこの男の部下達と向き合い、その切実なるまでの想いを受け取り、心に決めた闘う理由を。
「……私も、彼らには申し訳ない事をしていると思っている。だが、だからこそ、私は退く事はしないし、また彼女を渡す事は出来ない」
 男がそう言った瞬間、ホーディスも対応出来ない速さで彼は出現させた魔方陣からいくつもの光の弾を放ってきた。
 それは文字通り光速。二人が光の銃弾を見た時には、二人の身体にいくつもの銃弾が撃ち込まれていた。



 ・・・・・・


 
「ぐっ……!」
「が、はっ……!」
 二人は言葉にならない叫びを上げながら、銃弾が与える衝撃により、後方の壁に凄まじい勢いで打ちつけられた。一瞬意識がブラックアウトする。
 ずるりと壁から崩れ落ちたホーディスは右肘、左脇腹、そして右膝、左足首に普段ちょっとした火傷の数十倍の灼熱感を感じ、続けて呻き声を上げた。立ち上がる力が湧いてこない無力感に歯をくいしばりつつ、床を這いながらも相手を見据えようとする。
 シャノンは床に倒れ伏す寸前で踏み止まり、呻き声を上げつつも衝撃で手放した銃を拾おうと前進する。その掌、腕、肩、そして脇腹、太腿にかけて焼け焦げるような灼熱感、鼻につく嫌な匂い、床にぽつりぽつりと落ちていく血の珠。何とか無事だった自分の拳銃、FNを拾うが、銃の金属の感触と同時に感じるのはぬるりとした感触。
 しかしながらも身体は既に再生を始めつつあり、二重の痛みに意識が飛んでいきそうになる。
 だが、ここで意識を手放すのは、まだ早い。
 目に力を込めて男を見ると、男は既に元の魔物であろう姿に戻っていた。それは、百獣の王、ライオンにどことなく似た姿。まさに、城主にふさわしい姿である。
 その城主の床に一瞬魔方陣のようなものが浮かんだ、それが見えた瞬間に彼はシャノンの右手に移動してきていた。彼の下顎が唸りを上げて開き、シャノンに襲い掛かる。
 ガキッ! 
 すんでの所で彼の靴が顎を蹴り上げ、襲われるのを防いだ。そのままシャノンは銃弾を撃ち込むが、城主の身体に触れる寸前で何か膜のようなものに弾かれてしまう。
 そのままひとりと一匹は凄まじい眼力での睨みあいを始めた。顎にかけられている圧力でじりじりと彼の顎を蹴り上げて閉じている足が下に落ちていく。

 ホーディスは噛み締めすぎて血が出ている唇をものともせずにさらに噛み締め、残っている左腕で空中に詠唱なしで魔術を発動する為の魔方陣を描き出す。しかし、左手でしかも無意識に描いているため、彼の魔術では禁じられている逆字に描き出してしまう。
 バリバリバリッ! 
 嫌な音と共に、先程城門で放った光の矢が再び放たれる。魔術発動と同時に、彼の既に負傷している右肘から右肩にかけて皮膚が深く裂け、鮮血が溢れ出た。
「ぐ、が……あっ……!」
 彼の叫びと共に城主に直撃した光の矢は、圧力をもって城主が纏う結界を破り、シャノンをも巻き込んで反対側の壁まで城主を引きずり、叩きつけた。
「くそっ……! この巨体、邪魔だ……! どけっ!」
 シャノンは背中を思い切り壁に打ちつけられ、顔を顰めつつも渾身の力を込めて城主を蹴り飛ばす。城主は少しだけ宙を舞い、床にその身を叩きつけられた。
 先程の衝撃で肋骨を何本か折ってしまったようだ。内臓にも鈍い痛みが奔る。
 僅か数分で次々に襲ってきた痛み。おそらく普通の人間であれば、最初の一撃で気絶してしまったかもしれない。
 それでも、シャノンは倒れる訳にはいかない。
 それはいつかの、今でも決して色褪せる事の無いあの日の誓いがあるから。
 そして、何よりも、誰よりも強い、折れない意志が心にあるから。
 ホーディスは床に叩きつけられた城主の姿を見つつ、何とか立ち上がる事に成功した。右肩からの鮮血は引くことはなく、未だ溢れ続けている。
 城主はゆらり、と立ち上がり、ゆっくりと彼の方を向いた。口の中で、何か唱えているようにも感じる。
 どんな攻撃がこようとも、ホーディスは退く訳にはいかない。
 彼にはいつかの日から今まで続く、ひとつの決意があるから。
 ホーディスは今度は逆字にならないように気を遣いつつ、自分の前に小さな結界を張った。それとほぼ同時に城主の前に魔方陣が出現、再び先程食らった光の弾丸が襲い掛かってくる。
 目の前で金属がぶつかるような鋭い音と共に光の弾丸と結界がぶつかり合って火花を散らす。
 その結界を維持する為にさらに自らの魔力を送り込んでいる為に、額に脂汗が浮かぶ。
 ゆらりと城主がこちらに向けて足を一歩。踏み出した。
 この結界を維持する為だけで精一杯、肉体に対する防御の魔術は出せず、自らの防御のスキルもないホーディスの背中に冷や汗が伝った、その時だった。
 轟音、そして城主の頭にひとつの弾丸が貫通していく。
 光の弾丸が結界に相殺されてその力を弱めていく中、スローモーションの動きのように城主の身体がゆらりと傾いだ。
 さらに足、腹、肩上と撃ちこまれていく弾丸。床に倒れ伏す城主の向こうには、満身創痍の中でも瞳の力を決して失う事無く、硝煙が上がる銃を眼前に構えたシャノンの姿。

 シャノンは静かに銃を下ろし、城主の下へと向かう。
「娘はどこの部屋にいる」
 城主は極僅か顔を向け、その口をほんの少し開いた。ホーディスには聞き取れなかったが、シャノンには城主の言葉が聞き取れたようであるらしい。
「……分かりましたか」
「ああ。この上の階の貴賓室にいるらしい」
 出窓の外に見える厚さをさらに増した雲から、ぽつり、ぽつりと水滴が地に落ちつつあった。
「では、さっくり救出してこんな所からはさっさと退出いたしましょうか」
「そうだな……お前、その身体で動けるのか?」
「こう見えても色々修羅場を迎えていますから……。それより、シャノンさんこそ大丈夫ですか?」
「……誰に物を言ってるんだ?」
 二人が、張り詰めた雰囲気からようやく開放されかけているその時であった。
 城主がフィルムに変じる寸前、最後の力を振り絞ったのだろう。ただ一言、神が使う言葉、神聖言語を呟いた。

「――光よ」

 城主を後に部屋を出ようとしていた二人のうち、何の言葉か理解できなかったシャノンは首を心持ち傾げ、反対にホーディスはさっと顔の表情を強張らせ、後ろを振り返った。
「しまった……! 急ぎますよ! シャノンさん!」
「一体どうし……」
 シャノンが言いかけた時、彼らの周りは真っ白な光に包まれた。

 バリバリバリバリッ!

 光とほぼ同時に辺りに響き渡る、耳が痛くなるほどの雷鳴の轟音。
 窓の外を見ると、雷鳴の直撃を受けた城の屋根が剥がれて落ちていった。そして同時に、上から何かが崩れていく音が地響きのように壁伝いに伝っていく。
「!」
 二人は全力で依頼人の娘のもとへと走り出した。



 ・・・・・・



「ここかっ!」
 目的の部屋の前に先についたシャノンは、扉の取ってを思い切り掴んで開けようとする。だが何か鍵が掛かっているらしく、ガタガタと音をさせるだけでビクともしない。
「どうしました!」
「鍵が……! 開かないぞ!」
 後からきたホーディスも扉の前について、二人がかりでこじ開けようとするが、開かない。
「くそっ、どうして、鍵穴もないのに開かないんだ?」
「これが鍵ですかね……」
 シャノンは扉のあちこちを探りまわり、ホーディスは扉の横についていた何らかの模様が書かれたタイルを組み合わせた物を見つけ、それをいじり始めた。
「それは一体何なんだ?」
「……先程あの方がおっしゃっていたでしょう、あれは神聖言語です。これはその言語を文字化した、神聖文字のパズルみたいなものだと思います」
 そう言いつつ、タイルを外して、別のところに組み換えていく。刻々と崩壊の時間が迫ってくる中で、それでも慎重に最後のタイルをはめ込むと、カチリという音が扉から聞こえた。
「! 開いた!」
 扉が開くとほぼ同時に、彼らの横に岩が砕け散るような音と同時に穴が開き、小さな石ころがパラパラと降り注いできた。同時に彼らの足元にも大きな亀裂が入る。
 二人は部屋の中に駆け込む。その貴賓室という名に相応しい調度品や装飾が揃えられたその部屋には、ひとりの可憐な女性が顔面蒼白で突っ立っていた。
「話は後だ、とにかくここから脱出するぞ」
「窓から外へ! 私が魔法をかけます!」
 シャノンは今にも気を失いそうな彼女をかっさらい、既にガラスが無残に割れてしまって外気が差し込んでくる窓から躊躇する事無く外へと飛び出した。その瞬間に足元に緑の魔方陣が浮かび上がり、重力によって落下していくシャノンの身体を空中に浮遊させる。
 ふと彼女の顔を見ると、どうやら窓の外へ飛び出た時の恐怖で気絶させてしまったようで、今はその愛らしさをかたどる瞳は静かに閉じられていた。その方が喚かれなくてすむから楽かもしれないな、と考えつつ彼は城門の向こうに静かに降り立つ。
「……何とか間に合いましたね」
「ああ」
 二人の真上にある厚い雲から降ってくる雨がしとしとと二人の髪を濡らしていく中、彼らは城を振り返った。
 城はふたりが脱出した瞬間にほとんどの部分が倒壊してしまっていて、残された部分や瓦礫が僅かに見えるのみであった。
「……あの行動も、ひとつの想いの形だったのだな」
「……ええ。あの城に住む者達にとって、それは誰にも止められるものではなかったのでしょう」
 城に居た者達にとって、彼らの主たる者の唯一であったろうその我侭を遮る事はできなかったのだろう。例えそれが崩壊の序曲へと導く事になったとしても。

 そして二人は来た時と同じように、音も無く闇に紛れていった。
 強くなっていく雨粒が白いカーテンのような層になり、城を誰もいない彼方へと誘っていく。

 ――どうか全ての魂が、安らかであるように。

 言葉にならない、誰かの切実なる祈りが、その場に残された。

 
 ・・・・・・


「くそ、服がずぶ濡れだ……っておい、何でお前の服はそんなに乾いてるんだ」
「え? あ、すみません、忘れてました」
 依頼人に彼女を送り届ける為に、シャノンとホーディスは依頼人の家の近くまで来ていた。城を出る時に振り出した雨はまだ降り続いていて、シャノンは彼女を庇っていたせいもあり、ほぼ全身びしょ濡れの濡れ鼠状態であったが、ホーディスは髪以外、どこもかしこも雨に降られてはいなかった。ホーディスは一瞬きょとんと首を傾げたが、シャノンの格好を見て思い出したかのように彼の服に触れる。すると、ほぼ一瞬で彼の服は乾き、雨に濡れる事も無くなった。
「……傘を差さなくて良いのはありがたいんだが、お前のその行動が確信犯な気がするのは気のせいか?」
「きっと気のせいですよ、気のせいです」
「……」
 ムッとしたような、何とも言い難い表情でシャノンは黙り込んだ。そんな中、ホーディスは再び思い出したかのように嬉々とした表情を見せた。
「そういえば、今丁度良い感じのお酒が私の家にあるんですよ! えっと、こっちの世界では何て言うんでしたっけ? 果実酒? ほら、葡萄のお酒なんですけど」
「……ワインか?」
「そうそうそれですそれです! 丁度実体化した時にあの家ごと実体化したもので、樽ごとあるんですよ。うちの馬鹿も結構酒豪なんですけど、彼女だけじゃ飲みきれないですし。折角の機会ですし、このあと用事がなければ寄っていかれませんか?」
「……」
 明らかにホーディスの目には「¥」が浮かんでいる。おそらく「こんなに怪我させたんだから金を持って逃げられてたまるかこの野郎」とか腹の中で考えているのだろう。
「……お前、その怪我で飲めるのか?」
 シャノンは心の中でため息をつきつつ、ホーディスの特に右腕の怪我に目を向けた。シャノンは移動している間にも、体内の傷から全ての傷にかけて、様々な痛みを伴って高速回復していた。この回復が快いものであるとは到底言い難いが、もう慣れたものである。この分だとおそらく依頼人の家を出たときにはほぼ完全回復している事だろう。しかし、ホーディスはシャノンのように早く回復は出来ない筈だ。血は止まっているようだが、それでも重症に入る部類の怪我である。
「そうですね、神殿に魔術を増幅させるアイテムがありますので、それを使って一度に回復させてしまおうと思っていますので、おそらく大丈夫ですよ」
 ホーディスはシャノンの懸念をよそにしゃあしゃあと答えた。全く持って魔術とは便利なものである。
「……分かった」
 こうなったら樽全て飲みつくしてやるかとシャノンはひそかに心に決める。隣でホーディスはよし、ならばおつまみは……とか何とか呟いていた。


 道の向こうで、いつもの日常を行く彼らの姿は、雨によって出来る霧に霞んで静かに消えていった。



クリエイターコメントお待たせ致しました。ノベルをお届けさせて頂きます。
今回、シャノンさんの日常の依頼の一部を描かせて頂きました。プレイングを頂いて三分ほど、ものすごくコメディなノベルにしたいなと悩んでいたのは内緒です(笑)
書いているうちに各々のプライドとか決意とか、そういうもののぶつかり合いになっていきました。ホーディスが微妙に足手纏いになっていたようで、本当申し訳なく。おそらくお金はきっちり巻き上げられるかと思いますが、どうぞ大らかな心で許してやってくださいませ。その代わりとは言っては何ですが、どうぞ奴の家のワインを飲み干してしまって下さいvv。
それでは、オファーありがとうございました。銀幕市のどこかでまたお会いしましたらば、どうぞよしなにしてやって下さいませ。
公開日時2007-08-20(月) 10:10
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