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<ノベル>
◇ネコとウサギのいざない
休日の銀幕市は、いつにも増して賑やかだ。
肌寒さはまだ残るものの、それでもずいぶんと春めいてきた聖林通りを、浅間縁はバッキーのエンを鞄に入れて足早に歩く。
待ち合わせ場所はカフェ・スキャンダル。待ち合わせ時間は午後1時。ところが現在、縁の腕時計は1時5分前を示している。
出がけに母親から待ち合わせ相手への『お土産』を押し付けられて、ああでもないこうでもないと言いあっているうちに瞬く間に時が過ぎてしまったせいだ。
「薺、ごめん」
思わずこぼれるのは、自分を待っていてくれる相手への謝罪の言葉。
すでに遅刻予告のメールはしているが、それでもやはり気がとがめる。彼女は待ち合わせの15分前にはそこにいるような子だから余計だ。
もちろん遅れたお詫びはするつもりだが、さて、なににするべきだろうか。
オーソドックスにジュースをおごるべきか、それとも最近お気にいりのケーキショップの焼き菓子にすべきか、彼女に喜んでもらうならウサギモチーフのなにかにするべきか。
「おいそぎですか?」
「え」
予想外の方向から、いきなり声をかけられる。
「おいそぎですか、お嬢さん?」
シルクハットに燕尾服、いかにも英国紳士然とした格好のスマートな長身の猫がなぜか優雅に隣を歩いていた。
「思い切りいそいでるけど?」
この銀幕市で今更驚くこともなく、無論足を止めることもなく、縁はちらりと彼を見やる。
「人生とはかくも儚い。お嬢さん、そんなに急いでは損をしますよ」
悠然と微笑む猫は、そう言って白手袋に包まれた手を差し出し、縁の腕をするりと取った。
「え、ちょ、こっちは急いでるって言って――」
行き交う人々をただ映し出していたはずのショーウィンドウ、更にその中で飾られていたアンティークの鏡の中に、少女がひとり、引き込まれる。
突然の消失。
けれど、それはあまりにも唐突に過ぎて、誰ひとり、縁の身に起きたことに気づいたものはいなかった。
休日のカフェ・スキャンダルは、いつにも増して賑やかしい。
三月薺はテラスが見える壁際の席で、携帯電話をテーブルに置いたまま、ぼんやりと待ち合わせ相手の到着を待っていた。
「ねえ、ばっくん、縁ちゃん、急ぎすぎて転んでないといいね」
頬杖をつきつつ声を掛けると、『ちっちゃいもの』愛好家諸氏から差し入れられた苺パフェのせいで顔が真っ白になったバッキーがきゅるりと飼い主を見上げてきた。
「お暇ですか?」
「え?」
「お暇ですか、お嬢さん?」
いつのまにか薺の傍らには、シルクハットに燕尾服をまとった英国紳士然とした兎が、目を細め、佇んでいた。
「えと、別にヒマなわけじゃないですけど」
戸惑うというよりもキョトンとした顔で、スマートな長身の兎を見上げる。
それはまさしく、先程のばっくんとまったく同じ仕草だ。
ただひとつ違うのは、ウサギをこよなく愛する薺の心が、いかにも胡散臭いこの紳士に対しても一瞬キュンっとなってしまったことくらいだろうか。
「人生とはかくも儚い。そのように無為に過ごしていては損をしてしまいますよ」
悠然とした微笑みを浮かべ、兎はさも当然とばかりに、するりと薺の腕を取った。
「え、ええ?」
あまりにも自然な振舞いに、拒むことすら思いつかないまま。
薺はカフェの窓ガラスの中に引き込まれた。
驚くほどの俊敏さでとっさに飛びついたばっくんだけを道連れに、少女がまたひとり、攫われる。
『鏡の迷宮へようこそ』
謎1◇鏡の中の悪魔
縁が目を開けると、そこにはなぜかもうひとりの自分がこちらを向いて立っていた。
「……え、ああ、鏡? うわ、凝ってる」
遊園地で見るようなミラーハウスとはずいぶんと趣が違うと感じるのは、その1枚の鏡にかけられた装飾の手間と質感のせいだろうか。
『人生とはかくも儚い。お嬢さん、君は答えを見つけられるでしょうか?』
鏡の中に浮かび上がり、問い掛けるのは――
「あ、あんた、さっきの猫!」
『求め、思考し、そして掴み取ってください。あなたに与えられた問いは実にやさしい』
「ちょ、なに言ってんのか分かんないんだけど! 待って」
手を伸ばす、けれど猫はすぅっと鏡の奥に広がる闇の中に溶けて消え、縁自身は鏡の表面に阻まれ、中に入ることすら叶わない。
「そもそも『与えられた問い』って何よ」
『問いは問いだ、お嬢ちゃん』
猫が消えた空白に、今度は悪魔が入り込む。振り返っても誰もいない。鏡の中の縁の背後でニヤリと笑う、鏡の中にしかいないもの。
スキンヘッドに捩れた角、紫の肌、金の瞳、そして何より、蝙蝠の羽と先の尖った長い尻尾が彼を悪魔だと言っている。
『お嬢ちゃん、さあ、どうする? こっちのあんたが俺に食われたら、そっちのあんたも喰われるぜ?』
先の割れた紫の舌が、味見とばかりに鏡の中の縁の髪をひと房つまんで、舐めあげる。
「ちょ、まじキモ! ちょっと、やめてよ!」
ぶわっと全身に鳥肌が立つ。
『さあ、どうするね、お嬢ちゃん?』
『さあ、どうするね、お嬢ちゃん?』
鏡の中の薺の髪をひと房つまんで、悪魔はちろりと舐めあげ、問いかける。
「あ、う、やめてください!」
ジタバタと薺は両腕を振り回すけれど、鏡の中の悪魔はニヤニヤ笑いながらスルリと手を放して一歩下がった。気のせいか、悪魔の足元が軽く宙に浮いているように見える。
『何とかしないとお嬢ちゃんは俺の腹の中だ。俺から逃げられるかい、カワイイお嬢ちゃん』
さあ、答えを聞かせてくれと紫の悪魔は言う。
ニヤニヤニヤニヤ、唇の端から覗く牙はナイフのように鋭い。あの牙に頭からバリバリと食べられるところはあまり想像したくなかった。
「……ばっくん、やるしかないよね」
薺はぐっと拳を握り、相棒に決意を表明する。
紳士兎のエスコートでいきなり巨大な鏡の前に立たされ、あまつさえ、不可解な謎と命の危機に迎えられてしまったが、なぜかパニックには陥っていなかった。
縁が自分のいない間にカフェ・スキャンダルに着いて、そして自分が消えたことに気づいたらきっと驚くし、とても心配するだろうな、とは考えた。
でも、元の世界に戻れないかもしれないとか、そんな不安で泣きたくなることはない。
「鏡の私が食べられちゃったら、負け……悪魔さんと私の勝負……悪魔さんはひとり、私もひとり、ひとりだけど」
悪魔は相変わらずふわりふわりと浮いている。
こちらとあちらの薺を交互に見やる姿をじぃっと眺め、ゆっくりと視線を床に下ろしていき。
「あ」
不意に閃いたのは、居候の闇魔導師とちょっとした合間、たぶん、テレビのオカルト特集か、あるいは余所様のブログを渡り歩いていた時にかわした会話だ。
影。
自分の影と、バッキーの影と、それだけ。
鏡の中にも外にも、落ちている影はそのふたつだけ。
「影を持たないモノは、光を反射しない、だから写真にも鏡にもうつらない……」
薺はこちらとあちらにいる。けれど悪魔はあちらにしかいない。
バッキーがごそりと薺の肩から動く。ずり落ちないように支えようとして、ワンピースに合わせたボレロのポケットに入れていたものを思い出す。
これは賭け。
けれど、賭けるに足るもののような気がした。
『タイムリミットだ、お嬢ちゃん。さあ、喰われてしまえ!』
毒が滴るような鋭い牙を剥き、刺さりそうなほど長い爪の生えた歪な腕が、ぐっと伸ばされた。
刹那。
「そんなの、お断りだもんっ!」
とっさに薺が鏡の前に突き出したのは、ポケットの中に収まっていたウサギの形のコンパクトミラーで。
鏡は鏡の中にもうひとつの鏡を映しこむ。
更に鏡を取り込んで。
合わせ鏡の迷宮は、無限に薺とラベンダーカラーのバッキーを生み出していく。
生み出して生み出して生み出して、悪魔だけがただひとり、増え続ける獲物の前で驚愕の顔を作る。
「正解は――」
「正解は、鏡の中に自分を増やして逃げ切る!」
縁はバッグから取り出したヘアブラシの柄を振りかざし、鏡面に思う存分叩きつけた。
砕け散る、美しいカケラ。
無数の鏡の中に生まれる、無数の縁。
『どこだ、どこだ、どこだ! ええい、どれがホンモノだ、どこにいる!』
慌てふためく悪魔を残し、縁は不敵に笑って見せた。
「ふっ、残念だったねぇ。悪魔に影はない、影のないものは鏡に映らない、その原理を既に私は知っていたのだよ。君の負けだ」
仁王立ちで勝ち誇りながら宣言するが、しかし、ふと、バッグの中から見上げるエンのまんまるの黒い瞳と目があった瞬間、我に返ってしまった。
勝利の優越感が、何とも言い難い脱力感へ。
「……、なんか最近、どんどんネタキャラに走ってる気がする……」
おもわず自己嫌悪に陥りそうになったが、深く追求する間もなく、いきなり、景色が切り替わった。
「おめでとう、お嬢さん」
「おめでとう、第1問は正解ですよ」
ぱちぱちぱちと、気の抜けた拍手が向けられ。
まるで背景の画像だけをすり替えるように、唐突に、縁の周りを作っていた景色が抜き取られ、差し替えられる。
そして。
「縁ちゃん」
「薺!」
天井も床も壁も何もないまっ黒な部屋の中、遠く離れていたはずの、けれど会う約束だけはしていたふたりは再会する。
「うわ、薺も連れ込まれてたんだ。大丈夫、ケガしてない? もう、マジ信じらんないよ、ホントごめん」
「え、どうして縁ちゃんが謝るの?」
首を傾げて、ほんわりと薺は笑う。
自分が遅刻しなければ今頃は一緒においしいケーキを食べていたかもしれない、面倒なことに巻き込まれなかったかもしれない、などという縁の罪悪感を軽く吹き飛ばしてしまう笑顔だ。
「お急ぎかな、お嬢さん」
「お暇かな、お嬢さん」
だが、縁の感動に横やりが入る。いつからこそにいるのか、いつの間に現れたのか、紳士兎と紳士猫が並び、立ち、舞台俳優のように両手を広げ、微笑んでいる。
「時は無情に過ぎゆくのだ」
「人生はかくも儚い」
「考えたまえ」
「考え、次なる問いに答えたまえ」
少女たちからの返答など一切待つつもりはないらしく、猫と兎は目を細め、どこからか取り出したステッキで床をコツリと1回叩いた。
ソレが合図。
ソレが次のステージへ進むための儀式。
縁と薺はまばゆい光に包まれて、ぐらりと揺らぐ世界の中で、自分のいる場所を見失った。
謎2◇鏡の中の落とし穴
『次なる問いは、永遠だ』
『永遠に底につかない落とし穴を掘るのだよ、お嬢さん』
『頑張りなさい、お嬢さん』
少女たちが立つのは、美術展を髣髴とさせる回廊の、その一角だった。
ふたりが両手を広げて並んだくらいの幅しかない通路の白い壁には、空や草原や町並みや横たわる女性の絵画がずらりと並べられ、その合間合間に鏡が掲げられ、そして、曲がり角のポイントにアポロンを初めとするギリシャ神話の彫刻が据えられていた。
「ここで穴を掘れっていわれてもね」
縁のつま先が、コツリと床を蹴る。
いかにも冷たく硬い大理石の床を、はたして自分たちだけの力で掘れるものなのだろうか。
もし正解に辿りつけなかったとしたら、どうなってしまうのだろうか。
ちらりと様々な可能性を思い浮かべる縁に対し、バッグから顔を出していたエンは実にのん気に、危機感のカケラもなく、ふわぁっと大きくあくびをしている。
見ているだけでこちらの気まで抜けてしまいそうだ。
「ん〜、あんまりシリアスに思い悩むのは向いてないんだけどさぁ」
「シリアスになることないんじゃないかな」
エンとは違うのんびりほんわかっぷりで、薺はぐるりと辺りを見回した。
「知恵を絞って挑戦ってなんだかゲームみたいだし。ほら、前に縁ちゃんとはまったナゾナゾゲーム、思い出さない?」
どことなく声まで弾んでいる。
「……薺、もしかしてとことん楽しもうってしてる?」
「うん。だって縁ちゃんと一緒だもん、何にも心配ないんだから、うんと楽しまなくちゃ。ね?」
小さく首を傾げて笑う薺、彼女の髪飾りのウサギまで一緒になって縁に笑いかけてきている気がしてきた。
「ん、そうだよね、せっかくなんだから楽しまなきゃ損じゃん」
「それにウサギさんもネコさんもステキだったから、きっと本当にコワイことなんかないと思うの」
根拠があるのかないのか分からない、けれど自信に満ちた薺の言葉は耳に心地よい。
「よし、それじゃ頑張ってみますか」
「うん!」
少女たちはにっこりと笑いあい、冒険者か探偵かの勢いで探索と思考実験を始めた。
「永遠に続く穴って、どんなモノなのかな?」
「さっきは鏡を割って自分を作って逃げたんだから、きっとここでも鏡を使うのが正解なんじゃないかって思うけど」
「後はやっぱり、この状況にもヒントがあるよね」
「無駄な演出じゃないことを祈ろっか」
ふたりは肩を並べ、延々と続いているかのような回廊を、歩く、歩く、歩く。
いくつもの曲がり角、白い壁、絵画、彫刻、鏡、そしてまた絵画と鏡。
海、森、ダンスホール、カーニバルの街中、窓辺に佇む女、地面に横たわる男、そしてまた、海、森、と繰り返すモチーフたち。
けれどいっこうに落とし穴を掘れるようなアイテムは見つからない。
永遠のループ。
永遠に終わらない時間。
同じものばかり見続けてると、だんだん方向感覚まで麻痺していく。
「あ、ねえねえ、縁ちゃん、この鏡の飾りって、さっきの悪魔さんが入っていたのと同じデザインなんだね」
「え、マジ? ミニチュア版? へぇ、凝ってんのか手を抜いてんのかビミョー」
「これもヒントかな? 応用問題ですって意味だったりして」
「なるほど。ん〜……、鏡か、鏡の特性ってなんだと思う、薺?」
「んと、やっぱり1番は『映す』、かな? 悪魔とかだと、映らなかったり別の姿が映ることで正体見たり! とかになるし」
壁に掲げられた鏡の中には、薺と縁、そして薺の肩に乗るばっくんが映り込んでいる。少し角度を変えれば、バッグの中のエンの顔もちらりと映るだろう。
ミラーハウスを思い出すよね、と薺が笑う。
「ずっと向こうにも同じ景色が続いてるみたい。鏡の中の私たちもいっぱい、どれがホンモノがわかんなくなりそうだよね、縁ちゃん」
「ずっと向こう……、って、薺すごいよ、ソレだ!」
「え? なにが?」
ビシィッと人差し指を突き出す縁を、キョトンとした顔で見る。
「さっきさ、鏡の中の悪魔を惑わすのに、自分たちを増やしたじゃん? つまりさ、あれって結局、鏡に映ったモノが現実と同じだけの存在になるってことだよね?」
「う、うん? ええと?」
「だったら答えはこれしか思い浮かばないんだよね」
「え、縁ちゃん、勝手に鏡はずしちゃっていいの?」
「外れるんだからいいんだって。あ、薺、そこの絵、一緒にはずしてこっち持って来て」
「これ? んんん、あ、ホントだ、簡単に外れちゃう」
冷たく硬い床の上になぜか縁はガラス面を上にして鏡を置き、指示した絵画を薺から受け取ると、角度を調整しながら、ゆっくり鏡の中へ『風景』を映しこむ。
「縁ちゃん?」
「雨上がりにさ、水たまりのぞくじゃん」
「うん」
「そこに青空なんか映ってると、そのまんまどこまでもどこまでも落ちていきそうな気がしちゃうなって思ったんだよね」
足を踏み入れたら、そのままどこまでもどこまでも落ちていきそうだと、小さい頃から縁は密かに思っていたのだ。
「鏡に映ったものは現実と同じなんだから、これが『永遠に底につかない落とし穴』への答えってわけ」
「“水たまりは異世界の扉”、ってこういう意味なんだぁ」
鏡の中の空を覗きこみながら、薺もしんみりしみじみと呟いた。
「なに、それ」
「うんと小さい頃にね、教えてもらったの。その時はただただ『へぇ』って思ってたんだけど、なんだか縁ちゃんの言葉聞いて、すごく納得しちゃった」
誰に教えてもらったのか、薺は言わないし、縁は聞かない。ただほんのかすかの間、ふたりの少女の間に不思議な沈黙とやさしさが降りる。
けれど、それはほんのわずかな時間だけ。
にっこり、にやりと、少女ふたりは互いに笑顔を向けあって。
「というわけで、正解は、床に鏡を置いて、絵に描かれた空を映す!」
どうだ、と言わんばかりに胸を張り、縁がどこかにいるかもしれない兎と猫へ向けて大声で宣言する。
一瞬のタイムラグ。
そして。
「おめでとう、お嬢さん」
「おめでとう、第2問も正解ですよ」
ぱちぱちぱちと、2度目の気の抜けた拍手と祝いの言葉を向けられた。
またしても、背景の画像だけをすり替えるように、ふたりの周りを作っていた景色が抜き取られ、差し替えられる。
見覚えがあるのは、当たり前だ。ふたりが再会した時、導かれた〈黒い部屋〉と同じロケーションなのだから。
「正解のたんびにここに戻される仕様?」
「ホントにゲームみたいだね」
そんなふたりの感想が聞こえているのかいないのか、紳士兎と紳士猫は再び並び、立ち、舞台俳優のように両手を広げ、微笑んでいる。
「時は無情に過ぎゆくのだ」
「人生はかくも儚い」
「考えたまえ」
「考え、次なる問いに答えたまえ」
それもすべて先程と同じ。
どこからか取り出したステッキで床をコツリと1回叩いた。
これが合図。
これが次のステージへ進むための儀式。
縁と薺はまばゆい光に、けれど先程よりはずっと心の準備を完了した状態で包まれていた。
謎3◇鏡の中の出口
『開かない扉を開けたまえ』
『いかなる方法でも構わないのだから』
『さあ、終わりの時を見つけたまえ』
「すごいねぇ、誰がこれ作ったんだろう」
ふわあ……っと声に出して感嘆の溜息をつき、首が痛くなるまで薺は、シャンデリアと、それが下がっている天井に描かれた壮麗な天使たちを眺める。
3問目の出題場所は、回廊の壁に掲げられていた絵画のひとつに入り込んだのだろう、見覚えのあるダンスホールだった。
しかも、あの絵には着飾った貴婦人や、それをエスコートする紳士たちがいたが、この場所には薺と縁のふたりきりだ。
「出口を探せってことは、ついに最終問題ってこと?」
「そっか、もう最後なんだ。そう考えるとなんかもったいない気がするね」
つい終わってしまうことが名残惜しくなり、薺は縁を見る。
「なんか、もうちょっといろいろ見てみたかったかも、なんて……」
「ま、それはそうなんだけどさ。でも挑戦されたら受けて立たなきゃ、じゃない? なんとしても脱出してあのネコとウサギにギャフンと言わせなきゃ!」
「縁ちゃん、気合入ってるね」
「とうぜん! やるからには徹底的に楽しむけどね! 薺と一緒に」
拳を握る縁の姿はじつに凛々しく頼もしくまぶしくて、『ああ、好きだな』と思う。彼女のようになりたいとかそういう次元でなく、ただただ好きだなと思ってしまう。
「頑張ろうね、縁ちゃん」
「もちろん。さ、それじゃまずはヒント探しだけど……」
にっこり笑いあい、改めてぐるりと豪奢なダンスホールを見回した。
スワロフスキーの豪奢かつ巨大なシャンデリアが天井からきらびやかな光を放ち、磨き上げられた床にまで映り込んでいる。
円形ホールの壁にそってぐるりと十以上の扉が並ぶさまはいっそ壮観だ。よく見れば表面には12星座のカタチにガラス玉が埋め込まれ、上にはローマ数字まで振られている。
だが。
「ま、開くとは思ってなかったけどさ」
おひつじ座から魚座まですべてのドアノブを回してみても鍵が掛けられているのか、どれもこれもが固く閉ざされ、1ミリたりとも開く気配がない。
「あ、でも開いてもハズレの可能性もあるかな? ね?」
「うわ、このごにおよんでモンスターとバトルはヤダ」
「うん、いやだけど、でも何かのヒントにはなるかも。鏡の中の悪魔さんみたいに」
「鏡の中、かぁ。そういやここのホールには鏡見ないけど」
「あ、もしかして、鏡を探すところからスタートだったりして。そしてね、見つけた鏡をこんなふうに」
そう言って薺は自分のボレロのポケットから再び手鏡を取り出した。
「ね、こうやってかざして隠されたものを探す真実の鏡ごっこ、なんて……あれ?」
「……あ」
ふたりで覗きこんだ手鏡の中に違和感と答えが映りこんでいる。
「ね、縁ちゃん、いて座の番号、鏡の中だと1個増えてる」
「ね、薺、さそり座といて座の間にさ、なんか見覚えがあるようなないようなのが増えてない?」
しばしそのままふたりは鏡の中を凝視して。
「鏡、鏡さがそう、薺! うちらが通れるだけのおっきい姿見が絶対どっかにあるって」
「うん、うん、縁ちゃん! さがそ!」
がぜん探索にも熱が入る。
絶対どこかに鏡が用意されているはずなのだ。これは確信。だからふたりはとにかく広すぎるホールを隅々まで探索する覚悟を決める。
どれだけ時間が掛かるかは分からないが、とにかく始めなければ終わらないのだ。
ところが。
それを不思議そうに眺めていたエンとばっくんだったが、何を思ったのか、ひょこりとそれぞれの居場所から飛び出し、とてとてと走り出した。
「え、どうしたの、いきなり、エン?」
「ばっくん?」
広い広いダンスホール、空かない12の扉たち、そして花に飾られた100号を超える絵画たち。その中のひとつ、このダンスホールを描いた額縁の留め金めがけ、ガッツリと2匹同時に飛びついて。
ばきり。
「……あのさ、ときどきバッキーって予想外なことするよね」
「うん」
引き剥がされたその裏側から、探し求めていた『大きな鏡』が姿を現した。
鏡の中には扉が映っている。13番目、蛇つかい座が刻まれた、現実にはない現実に続く扉が待っている。
拍子抜けするくらい、あっという間の出来事だ。
「あとは、この壁をどう攻略するかってとこか」
コツリとガラス面を拳で叩きつつ、むう、と考えをめぐらす縁の横で、
「あのね、これって結局ムービーハザードなんだよね?」
薺は唇に人差し指を押し当て、首を傾げて、そしてごくごく何気ないふうに提案を口にした。
「うん?」
「だったら、ばっくんたちに食べてもらったら、鏡にだって穴開いちゃうかも」
「薺……」
「なあに、縁ちゃん」
「惚れてもいい?」
「え? ええ?」
「ちょっと反則だけど、これで行こう!」
いきなりな告白の意味が分からずうろたえる薺の背中を軽く叩き、縁はウィンクをひとつ。
「まさかこんな解決されるなんて、アイツら思ってないかもしんないじゃん」
本当に嬉しそうに、縁が笑う。
「エン」
「ばっくん」
「「おねがい」」
重なるふたりの声に反応し。
ばっくんは薺の肩から一気に鏡へ飛んで、かぶりつき。
エンは、それまでまるで興味なさそうに床でくつろいでいたはずなのに、突然食欲に目覚めたかのように鏡へ牙を突きたてた。
鏡が喰われる。
鏡であって鏡ではない、強固だった夢の産物が食われていく。
喰われて、隔たりを失って、そこに現れたのはひとつの扉。鏡の中にしか存在しないはずの『扉』が少女たちを待っていた。
「ラスト問題はこれで!」
「ええと、正解は、『鏡に映した扉を開けて脱出する』です!」
ふたり同時に『自分たちの辿り着いた回答』を叫び、一緒に扉のドアノブへ手を掛けた――
まばゆい光、はじける紙吹雪、そして、盛大なファンファーレが縁と薺を迎え、鳴り響く。
「おめでとう、お嬢さんがた」
「おめでとう」
どこからともなく延々と細かく刻んだ色紙が舞い落ちてくる〈白い部屋〉で、紳士猫と紳士兎は相変わらず気の抜けた拍手とひどく婉曲で謎めいた言葉を送ってくれる。
「人生とはかくも儚い。けれど」
「その儚さの中で答えを追い求める行為は素晴らしい」
だが、その台詞回しに変化が起きる。
「さあ、お名前をお聞かせ下さい、お嬢さん」
「儚き人生に意味を持たせる名前を教えて下さい、お嬢さん」
思いがけない申し出に、ギャフンと言わせるつもりで企んでいた縁も、それをドキドキと見守っていた薺も、ついつい押し切られるように素直に名乗っていた。
「浅間縁、だけど」
「ええと、三月薺、です」
少女の名を知り、2匹の紳士はひどく満足げに微笑むと、するりと自身の懐に手を入れた。
そして。
「それではエニシ、あなたにこれを」
「それではナズナ、あなたにこれを」
猫と兎からそれぞれへ差し出されたのは、ベルベッドに敷布に乗せられた小さな銀の手鏡だった。
ガーベラのレリーフを施された手の平サイズのその鏡に、縁と薺は自分を映す。
「真実を映す鏡を」
「願いを映す鏡を」
おめでとうと、猫と兎の紳士は笑う。
「映るもの、映すもの、この鏡は隠されたものを暴く」
「この鏡は願うものの場所を示し、導く」
「お嬢さんたちの〈友情〉へ敬意を評して」
「お嬢さんたちへ〈希望〉の光を与えよう」
猫と兎は問いかける。見事3つの問いに答えを見出した少女たちの、鏡に向けた最初の願いを・
「「さあ、最初に何を映すかね?」」
これまでで最も簡単な問いだ。
「それはもちろん」
「うん」
バッキーを肩に乗せ、縁と薺はたった今渡された小さな鏡を手にし、声を揃えて――
◇カフェ・スキャンダルにて
休日のカフェ・スキャンダルは、普段よりも数段賑わってる。
楽しげな語らいと、ふんわりとした甘やかな香り、そしてどこかかお馴染みの客たちの間にあって。
薺と縁はなぜか、食べかけの苺パフェを挟んでテーブルに向かい合って座っていた。
時計の針は12時55分。
「ええと、もしかして、私、セーフ?」
「うん、待ち合わせ5分前、だね」
ふたりが同時に鏡に願い、映し出したのは、待ち合わせ場所のカフェ・スキャンダルだ。
だが、よもやあの迷宮で費やした時間まで巻きもどされることになるとは夢にも思わなかった。
「結局アレってムービーハザードってことなんだろうけど……どこまでもお約束ってのがすごい」
「あのウサギさんとネコさんの名前、聞きそびれちゃったね。対策課で聞いたら分かるかな?」
もともとは一体どんな物語だったのだろうか。
ファンタジー映画好きの好奇心が刺激されるのか、薺は戦利品となった自分の手鏡を嬉しそうに眺める。
そんな薺を眺めていた縁は、そこでようやく本日の遅刻の……というよりはむしろ冒険の原因となったモノの存在を思い出した。
「ああ、そうだ。薺、これ、うちの母親から。バレンタインに薺がくれたチョコ、親も食べてさ、ホワイトデーには早いけどお返しだって」
「え」
縁がエンと一緒にバッグから取り出し、差し出されたのは、小さな紙袋だった。
開けていいよ、という言葉を待って、いそいそと薺が袋の封を解く。
そして。
「あ、ウサギの巾着! しかもおっきぃ!」
驚きと感激の声をあげる。
両手で広げるように取り出されたのは、可愛らしいウサギのシルエットが刺繍されたキルト地の巾着袋だった。
「よかったら料理道具入れるのに使って。エプロンもお玉も、なんならちっさい鍋だって入っちゃうらしいからさ」
「ありがとう! だいじに使わせてもらうね」
「伝えとく」
ギュッと巾着を抱きしめてはしゃぐ薺の笑顔に満たされて、縁もまた幸せそうににっこり笑う。
「さてと、ちょっと寄り道しちゃったけど、本題。まずどこ行こっか?」
「ええとね……じつは縁ちゃんに付き合ってほしい所があるの」
紳士姿の猫と兎に案内された『鏡の中の冒険』は終わったけれど、少女たちの休日はまだまだ始まったばかりだ。
ふわふわふわふわ、昼下がりのやわらかな光の中に、ふたりは連れ立って歩きだす。
END
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クリエイターコメント | はじめまして、こんにちは。 この度はお嬢さんふたりのステキ冒険にご指名くださり、有難うございましたv 鏡でゴシックでミステリーで、なおかつ少女。 じつにときめくキーワード満載で、かつ、捏造も可というお言葉に甘えてアレコレめいっぱい書かせて頂きました。 案内役や戦利品も含め、かなり趣味に走っているのですが、そして思いがけず可愛いテイストになっているのですが。 お二人の関係性ともどもイメージにそう物語となっておりますでしょうか?(ドキドキ) 鏡の中の迷宮でのひととき、楽しんでいただければ幸いです。
それではまた銀幕市にて、お二人にお会いできるのを楽しみにしておりますv |
公開日時 | 2008-03-16(日) 22:20 |
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