★ 銀幕妖怪絵巻 名残月之巻 ★
クリエイター諸口正巳(wynx4380)
管理番号100-4427 オファー日2008-09-01(月) 22:01
オファーPC ゆき(chyc9476) ムービースター 女 8歳 座敷童子兼土地神
ゲストPC1 クラスメイトP(ctdm8392) ムービースター 男 19歳 逃げ惑う人々
ゲストPC2 浅間 縁(czdc6711) ムービーファン 女 18歳 高校生
<ノベル>

 クラスメイトPがつかまえたのが浅間縁だったというのは、偶然にしてはできすぎていた。彼にしては幸運すぎた。まだ残暑厳しい9月の真っ昼間、Pはゾンビのように青褪めていた。
「どうしたのよ、幽霊でも見たよーな顔して」
「の、ののの呪いだよ。僕に呪いの手紙が届いたんだよ。僕も今度こそとうとうおしまいだよ」
「はあ? どんなの? 見せてよ」
「し、ししし知らないよ、の、ののの呪いが伝染するかも……」
 かたかた震えながらPが差し出した手紙は、封筒も便箋も古ぶるしく、文字は毛筆で書かれていた。達筆だ。しかし縁はこの手紙に見覚えがあって、怯えるPを笑い飛ばした。
「ちょっとちょっとー、Pがそんなこと言ってたなんて知ったら、ゆきが泣いちゃうかもよ?」
「え? ゆきって、あのゆきちゃん?」
「そそそ。これね、私にも届いてさ。『9月○日丑三つ時に銀禅寺裏の墓地で、魑魅魍魎の運動会と縁日が催されるのじゃ。人間と妖怪の交流が目的なので遠慮なく来るがよかろう』って書いてあるの」
「す、すごい! 浅間さん、これ読めるの」
「まあねー」
 呪いの手紙あらため招待状をひらひらさせ、縁は満面の笑みで胸を張った。実は広い人脈を駆使し、時代劇出身のムービースターや古典の教師らに解読してもらったのだが、そこまで語る必要はない。ここで大事なのは、この手紙の内容、それだけだ。
「ねーね、当然行くでしょ?」
「行きます行きます! ――しまった脊髄反射で二つ返事しちゃった……! 場所はお墓なのに。お墓と妖怪がいっぱいなのに!」
 頭を抱えるクラスメイトPはまた青褪め始めていたが、縁は彼の苦悩にはノーリアクションで、あっと手を打った。
「大事なこと忘れてた。ここにね、『人間参加者資格:妖怪こすぷれしている者』って書いてあるから。妖怪コス必須ね」
「コっ……コスって言うか、仮装ってことだよね? ハロウィン混じってない? お墓の前で仮装なんて、罰当たりそうだよ。あああやっぱり呪いかけられそうだあぁ――」


 9月某日丑三つ時のこと。
 ころんころんとぽっくりを鳴らし、着物の童女が墓石と墓石の間をうろうろしていた。ころんと歩いては足をとめ、背伸びをして遠くをうかがい、またころんと歩いてきょときょとしている。明らかに、誰かを待っていた。
 手持ち無沙汰が過ぎたのか、童女は頭の上に斜にずらしていたお面を引っ張って、顔にかぶせた。お面は般若だ。神楽に使われるような凝った意匠のものではなく、むしろ200円で売られていそうな稚拙なものだったが――
「出たぁああああーッ!! 子鬼だぁあああーッ!!」
「キャー!? なんなのやめてよ急にデカイ声出さないでよぉ、もー!」
 童女の近くで、少年と少女の絹を裂くような悲鳴が上がった。
 般若面の童女は慌ててお面を頭の上にずらし、にこにこ笑ってふたりの名前を呼んだ。
「りちゃーど、縁。まっておったぞ」
「あ、なんだ、ゆきじゃん」
「え、ほ、ほんとにゆきちゃん?」
「いかにも、ゆきじゃ。般若面をかぶっただけのゆきじゃ」
 それは確かに、いつもの格好に般若のお面をかぶっただけの、座敷童子だ。
 浅間縁とクラスメイトPを祭りに招待した、ゆきだった。ゆきは喜色満面で、誘ったふたりの出で立ちをしげしげと眺めた。
 クラスメイトPは緑のマントですっぽり身体を覆い、頭にもすっぽり橙色のカボチャをかぶっていた。そんな格好でなぜPだとわかるのかと言えば、彼がカボチャのマスクの上からいつもの眼鏡をかけているからだ。眼鏡は顔の一部ですから。いやそれ以前に声がPなのだった。
 縁はゆき同様、頭の上に斜にずらした狐面をつけていた。顔には赤くあやしい隈取りメイク。お尻にはふさふさと狐の尻尾。しかし大方の人間がそこで浴衣だろうと言うところを、縁は現代女性の流行りのスタイルで挑んできた。チュニックにホットパンツにスニーカーだ。
「どう、妖怪コス……じゃなくて仮装は合格?」
「うーむ。縁はなぜ浴衣にしなかったのじゃ」
「えー、だって運動会なんでしょ。動きにくいじゃん。意外と暑いしおなか苦しいしいいことないよ、あんなモン」
「……むぅ。して、りちゃーどのそれはいったい何かの?」
「西洋妖怪のジャック・オー・ランタンです。よろしく」
 カボチャを通して聞こえてくるPの声は、ごもごもとくぐもっている。ゆきはふたりの仮装クオリティの高くなさにしばらく腕組みをしていたが、背後でぱあんと花火の弾ける音を聞き、もう一度笑ってみせた。
「まあ、いいじゃろ。もうじき運動会が始まるぞ。案内しよう、こっちじゃ」
 クラスメイトPと浅間縁よりもずっと長く生きているはずなのに、ゆきは子供にふさわしいはしゃいだ笑顔と足取りだ。かぽかぽとぽっくりが土を蹴る音を追いかけて、Pと縁は墓石の間を走っていった。

 不意に、不思議な風。

 冷たくも熱くもない風を浴びて、Pと縁は足をとめ、目をつぶった。まぶたを閉ざしていたのはほんの一瞬だったのに、目を開けたふたりの眼前に飛びこんできたのは、ごちゃごちゃと立ち並んだ出店の群れだった。
「あれ、……あれっ? お墓は? お寺もない」
「なにコレ。ほぼハザードじゃん」
 銀禅寺の大きな本堂も、ずらりと並んでいた墓石も、ふたりの視界から消えてなくなっていた。妖怪たちの妖術が生み出した異空間なのか、縁が言ったような局地的なムービーハザードなのか、さだかではない。
 祭囃子と行進曲が聞こえてくる。
 オレンジの灯と無数の裸電球、色とりどりの提灯が、縁日を暗闇の中に浮かび上がらせていた。青白い鬼火を閉じこめたカンテラが、からからとかすかに揺れている。見上げた空には星も月もない。その虚空からは、薄汚れた万国旗が垂れ下がっていた。
 威勢のいい呼びこみに、雑踏と笑い声が混じっている。
 鬼に天狗に唐傘のお化けに、河童の子とぬっぺっぽう。垢舐めが林檎飴を舐めている。猫が足元を横切ったと思えば、その尾は二つに分かれていた。焼きそばを売っている威勢のいいおやじは、目がひとつしかない。
 しかしそんな魑魅魍魎に混じって、お面に化粧をしただけの人間もあるいているようだった。気合が入った仮装をしているものもいるようだが。縁やクラスメイトPのように、招待された人間も少なくはないらしい。
「お好み焼き200円だって。安くない? 昭和の価格設定じゃん。普通500円とか600円するし。やだよねインフレって」
「ゆきちゃんいなくなっちゃったよ。どこ行ったんだろう」
 案内役のゆきは確かに忽然と姿を消してしまっていた。すでに縁日の雰囲気を楽しむ縁とは対照的に、Pはカボチャ面できょろきょろあたりをうかがい、すっかり小さくなっている。
「ちょっと、なにそんなにビクビクしてんのー。背中まるいまるいもう、ちゃんと歩きなよ」
「だ、だって妖怪がいっぱい……」
「そんなこと言ったらゆき泣いちゃうよ。なんにも危なくなんかないって。――おじさーん、フランクフルトふたっつー。ケチャップだけでいいでーす」
「ほ……ホントにね、危なくなければいいんだけど――」
 Pの言葉がいきなり途切れた。そばの射的屋で子鬼が撃ったコルク弾が、的に当たって跳ね返ってカボチャ頭に命中したのだ。
「大当たりぃぃぃ!」
 射的屋の店番は化け狸だった。ゲラゲラ笑いながらデカい声を張り上げている。
「ヘンな頭だ、うわあい」
「やあい、どてかぼちゃ」
 一部始終を見ていたらしく、河童の子供たちがPを指差して、やっぱりゲラゲラ笑っている。Pはこんなことで腹を立てて怒鳴り散らすような人柄ではなかったので、言われるがままにぼうっと突っ立っていた。カボチャの中で彼がどんな表情をしていたか、知る者はない。
「きしゃーッ! うっさい!」
 Pのかわりに縁が、フランクフルトを持った手を振り上げて威嚇した。
 河童の子供たちはワタアメや林檎飴の串をふたりに投げつけ、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。ワルガキどもが投げたゴミは不自然なくらいに縁を避け、後ろで突っ立つPの顔面に当たっていた。
「あんなことが許されるのも子供のうちだけだよね」
 子供を追い払いはしたが、縁は笑っていた。
「はい、これ。たった100円だよ。私が奢ってあげる、この私が」
「あ、ありがとう」
 フランクフルトを受け取ろうとしたPは、右手を上げようとしたが、上げられなかった。しっかと右手をつかまれたのだ。
「ぼくおおあたりしたんだ。おまえにたまあてたのぼくだ。だからおまえぼくのもんだ」
「……」
 まさしく、射的屋でPにコルク弾を当てた子鬼にちがいない。
 子供なのにものすごい力だった。それに、そのじっと見上げてくる金色の眼力は、かつてCMで日本国民の心を鷲掴みにしたチワワのものに匹敵している。
 Pは「ぅぅ」とカボチャの中で呻いたまま硬直し、縁は声にならない声でかーわーいーいーかーわーいーいーと繰り返すばかり。このまま時は何時間も、ただ流れるばかりになりそうだった。
「お、何をしておる」
 ようやく助けが現れた。
 わら半紙の運動会プログラムや何やらを抱えて、ゆきが戻ってきたのだ。Pと縁、そして子鬼まで、はっと振り返って彼女の顔を見つめる。
「なんだ。おまえ、ゆきのともだちか。じゃあおまえ、ゆきのもんだ」
 青っぱなをすすって、子鬼はPから手を離し、人ごみの向こうにさっと走り去っていった。
「どこ行ってたの、大変だったよう、ゆきちゃん」
「すまんすまん。おぬしらのえんとりいをすませてきたのじゃ」
 ほれ、とゆきがPと縁にゼッケンを渡した。成分がよくわからない糊のようなものが裏面に塗りたくられていて、やたらとべとべとしている。すごくべとべとしている。
「こ、これ背中と胸に貼るの? このチュニック先週買ったばっかなんだけど……」
 しかも番号の上に書かれている縁の名前は『浅間緑』になっていた。よくある間違いだ。クラスメイトPの名前も『くらすめいとq』になっている。数字の9と限りなく似ているので非常に紛らわしい。
「舌切り雀じるしの糊なのじゃ。洗えば落ちる」
 ゆきは問答無用で、ふたりの背中と胸にゼッケンを貼り付けた。ゆきの胸にもすでにゼッケンがついていた。名前は『幸』と達筆に記されている。
 ぱぱん、どぱん、と3人の頭上で音が弾けた。
 真夜中の運動会が始まる合図だ。


 入り組んだ露店の迷路を、ゆきはすいすいと何気ない足取りに歩いていく。クラスメイトPと縁は彼女について歩いた。オレンジの燈と赤い光が、鬼火の仄かな燐光が、見た目が恐ろしいだけの妖怪たちが、前へ後ろへ、視界の片隅から片隅へ、次々に現れては流れていく。
 醤油の香り、じゅうと焼けるソースの匂い。何かを揚げる音。子供の歓声、子供の泣き声。店のおやじのダミ声とドラ声。
「安いよ」「うまいよ」「いらっしゃああい」「どうだいひとつ」
 金魚すくいの小さな生簀で、錦色の魚が跳ねる。
 小さな鬼火を入れた小さな提灯やカンテラが並ぶ店先は、からからきらきらと音で溢れている。鬼火がガラスと提灯の中で動いているのだ。
 そんな、目ににじむような橙と赤の光景が、不意に終わった。
 虚空から垂れ下がる万国旗に混じった裸電球が、夜の学校のグラウンドを照らしていた。どこにも校舎はないし、ここは寺の裏側のはずなのに、ただ、運動会をやるにはもってこいのグラウンドが広がっている。
「運動会の初っ端と言えば徒競走よの。ほれ、ゆくぞ」
「えー、ヤダ。走るだけでしょ、つまんないよ」
「3等までに入ると特大林檎飴をもらえるぞ。それに参加賞として選手全員にべっこう飴が当たるのじゃ」
「出ます出ます」
「ええ、アメで!?」
「もらえるもんはもらっとかないと。あんたアメいらないの? なら私にちょーだい」
 コンマ5秒で前言撤回し、縁はPを引っ張って徒競走の列に並んだ。ゆきはにこにこ顔いっぱで笑って、ふたりの横にちゃっかり並んだ。
 ぱあん、ぱあんと銀玉鉄砲のチープなスタート音が続いている。妖怪も人間もみんな飴を狙っているのか、参加者は多い。天狗がすごくテキトーに7、8人ずつ走者を区切っていた。ゆきたち3人がスタートラインに立つときが来た。銀玉鉄砲に弾をこめているスターターは、めんどくさそうな表情のぬらりひょんだ。
「ほい、位置について」
 めんどくさそうにぬらりひょんが言った。
 ゆきはぽっくりを脱いで裸足になっていた。コースの外から小鬼がちょろちょろと出てきて、ゆきのぽっくりを預かると言ってくる。縁もいざスタートラインに立つと異様な闘志に満ちてきたので、本気のクラウチングスタート体勢だ。縁の隣のPは、ふと視界がやけに暗くなったのと、横からごふうと鼻息のような風が吹いてきたので、ぎょっとして自分の右隣の選手を見た。
「メリケンカボチャ、おまえ、もすこし左側に寄れ。轢っ殺しちまうぞ」
 デカい車輪にデカいおっさんの顔がついている妖怪がそこにいた。輪入道という種族名がついているのだが、メリケン生まれメリケン育ちのクラスメイトPが知るよしもなく、それはただのデカい車輪にデカいおっさんの顔がついた怪物でしかなかった。そのインパクトたるや何をかいわんや。
 クラスメイトPは悲鳴を上げて、左側に寄るどころか、左側に倒れた。
「ちょっ、なに! ジャマ――」
「よーーーい」
 ぱあん。
 Pにスタートの呼吸を乱された縁は出遅れた。そのうえ、「ぅわははははははははは」と豪傑笑いしながら転がっていく車輪を見て度肝も順位も抜かされてしまった。
「え、早ッ!? つーか車輪じゃん、足で走ってないじゃん! 反則じゃないの!?」
 距離はたぶん100メートルだ。輪入道は仏恥義理の1位でテープを切ったが、ブレーキのタイミングを失敗したらしく、派手にスピンして大会本部テントに突っ込んでいた。
 ゆきが2番手を走っていた。裸足で、般若のお面も後ろに飛ばして。
 輪入道がブレーキをかけたせいで、ゴール手前の土はめくれ上がり、土煙がもうもうと立ちこめていた。幸い、ゆきはいちばん左端のコースを走っていたから、視界も路面もいくぶんマシだ。彼女はいつもちょっとだけツイている。
 輪入道の隣のコースのPなどは最低だった。彼はいつも笑っちゃうくらいツイてねえのだ。彼はゴール前で溝に足を取られて転んだ。その転びっぷりとへんな悲鳴に気を取られて、同時に走っていた唐傘と狐顔の少年の速度が落ちる。
 土煙を駆け抜けて、ゴールに辿り着いたゆきに、皿屋敷のお菊が寄ってきた。
「はい、2等賞……おめでとう……そっちで飴と引き換えてねえ……」
「おお、林檎飴か! やった! 走ってみるものじゃ」
『弐』と書かれた皿をもらって、ゆきが歓声を上げる頃――『残念』と書かれた皿を手に、縁とPが土煙の中から出てきていた。
「もー、ゆきのお面キャッチしたから遅れちゃった。3位までには入れると思ったのに。てか、なんで引換券が皿なの」
「痛い……すりむいた……絶対すりむいた……」
 相変わらずぶつくさ言っている縁と、早くもボロボロのクラスメイトPを、ゆきは満面の笑顔で出迎えた。ぶんぶん『弐』の皿を振りかざしながら。
「2位じゃった! 2位じゃ!」
「へえ、やったじゃん! ゆきって足速いんだねえ」
 縁の台詞は社交辞令ではなかった。ゆきよりも体格がしっかりしている選手は他にもいたのだ。ゆきの身体はいつまでも子供のままで、そう簡単に体力勝負で勝つことはできない。ゆきが飛ばした般若の面を、縁は笑いながらおかっぱ頭の上に乗せた。
「アメもらってこようよ。次の競技なんだっけ?」
「障害物競走と騎馬戦なのじゃが、あれは少ぅし危険でのう……」
 ゆきは遠い目をしてグラウンドの中央を見た。
 障害物競走の障害とは、針の山、棘つきムシロくぐり、火の道、鬼たちの金棒だった。
 そして、グラウンドの片隅ではすでに騎馬戦に出場する選手がチームごとに気合を入れている。顔ぶれは鬼や牛鬼や土蜘蛛や天狗や大入道とかそんなラインナップ。ガチの漢の戦いになりそうなのは火を見るより明らかだった。


 グラウンドから、妖怪たちの阿鼻叫喚……もとい、歓声と声援がかすかに聞こえてくる。参加賞と2等賞の飴をもらって、ゆきたち3人は屋台の迷路の半ばにあったベンチに腰かけた。ベンチを照らしているのはひときわ大きな提灯お化けで、べろっと舌を出したまま居眠りしている。居眠りしているせいか、赤い輝きは弱々しく、明滅を繰り返していた。あたかも、光の強弱で寝息をあらわしているかのようだ。
 ベンチの周りはゴミだらけだったが、ちょうど林檎飴をくわえた垢舐めがぶつくさ言いながらゴミ拾いをしているところだった。
「あんたらゴミその辺に捨てんじゃないよ」
「わしが責任を持って面倒を見るゆえ、心配いらぬぞ」
「ゆきのお客なら信用したいところだね。でも、そこのカボチャは土だらけじゃないか。舐めてきれいにしてやろうか?」
「い、いやいやいやいや、結構です。大丈夫です。ほんとすいません」
 ひととおりゴミを片づけた垢舐めは、けらけら笑いながら立ち去った。身体中についた土汚れを払うクラスメイトPを、縁がにやにやしながら小突く。
「舐めてもらえばよかったのに」
「や、やだよ! なんで!」
「舐めるって言えばそのアメ、いらないんだったらちょうだい。これ超ウマイし」
「えっ、あっ、やめて! やだっ! やめてよぉ!」
「女みたいな声出すのやめなって!」
 縁はすでに参加賞のべっこう飴を味わっていた。台詞のところどころに、かろろころろという音が混じる。クラスメイトPは必死で飴を縁から守った。マントをたくし上げてジーンズのポケットに入れる隙が見つからず、しばらくそこでディフェンスとオフェンスのやり取りが繰り広げられた。その横で、ゆきは虹色の光沢を放つ特製林檎飴にうつつを抜かしている。
 飴の味は懐かしさと甘さでできていた。煮詰められた夏と喧騒と歓声の味だった。かすかに鼻に抜けていくのは、うだるような夏の昼が終わり、黄昏色の風が運んでくる涼しさの香り。
 クラスメイトPが、とうとう飴をポケットにしまうのをあきらめて、自分の口の中に投げこんだ。勢いよく投げ入れすぎて、あやうく飲みこむところだった。
「あ、おいひい」
「でしょ」
「うん、おいひいねほんとに」
 その様子を見てにこにこしていたゆきに、笑いながら縁が近づく。
「次は何に出る、ゆき?」
「おお、パン食い競争なぞどうかの」
「パン! ……あ、私ってどこまで単純なんだろ。今すっごい目ぇ輝かせちゃった」
「むろん、取ったパンは選手のものなのじゃ。アンパンの餡は小豆とぎのじいさまが腕によりをかけたものだと聞いておる」
 ゆきが一軒の出店を指差した。赤い提灯に照らされた出店の主は小柄な小豆とぎで、売り物は赤飯とおはぎだ。縁はものも言わずふらふらと店に歩み寄り、たちまちおはぎと大福を買い求めていた。彼女の頭から、財布を取り出して金を払った記憶はごっそり抜け落ちていて、気づいたときにはすでにおはぎを食べていた。
「ぅーわ、これすっごい美味いし! マジ美味いし!」
「あぁぁ、アンパンを獲る前におはぎなぞ食うてどうするのじゃ」
「甘いものは別腹なんだと思うな……。でも、ここの食べ物はみんな美味しいから仕方ないよ」
 がやがやと、妖怪の子供たちが露店の間を駆け抜けていく。過酷な競技は終わったようだ。そして今から、パン食い競争が始まるらしい。


 少しグラウンドが血なまぐさいような気もするが、みんな気のせいにしていた。グラウンドのあちこちに黒い染みがある気もするがやっぱり気のせいらしい。血みどろの鬼たちがパンをぶら下げる木枠をどこからか運び入れてきた。どことなく絞首台やさらし首の台にも見えるのだが気にしてはいけないようだ。
 手長と足長がてきぱきと木枠にパンを結び付けていく。目玉が小豆とぎ印のアンパンらしく、数は多かった。菓子パン目当ての子供たちがわいわい騒ぐ中、ゆきたちもスタートラインにつく。
 子供たちにどつかれ、こづかれ、押し流されて、クラスメイトPと縁のコースは成り行きに任されてしまった。自分の直線状にあるパンを見て、Pはがっくり肩を落とす。
「なんか、僕のコースのパン、どう見てもフランスパンなんだけど……」
「えー、いいじゃん、しばらく朝ごはんにこまんなくて」
「いや、でもあれすっごい大きいし……それに僕もアンパンのほうが――」
「位置についてー」
 スターターは徒競走と同じくぬらりひょんだった。めんどくさげな表情に拍車がかかっている。
「よーい」
 ぱあん。
 Pのコースのパンはどう見てもフランスパンだったとおり、フランスパンだった。縁のパンはなんだかよくわからない揚げパンだ。ゆきはさすが幸運の化生、小豆とぎ印の特製アンパン。
 さらし台……もとい木枠を押さえているのは赤鬼と青鬼だ。ぬらりひょん同様ヤル気なさげに枠を押さえている。赤鬼などは鼻をほじっていた。が、クラスメイトPがあたふたパンに到達すると、壮絶に噴き出した。
「あれ!? あれっ、なんかすっごく、すっごく歯が届かない! なんで!」
「ばっ! ちょ、Pあんた! カボチャかぶったまんまパンくわえられるワケないでしょーが!」
「あぁッ、忘れてたどうしよう! もうすっかり顔の一部に……」
「メガネじゃあるまいし何言ってんの!?」
「おろ? おろっ、届かん」
 Pに縁が激しくツッコミを入れる横で、ゆきがピョンピョン跳ねている。パンの高さは地上160センチ程度の少年少女仕様で、幼女には不親切だった。
 観客席から笑い声と声援が飛んでくる。
「どうれ、小僧。カボチャ取ってやる」
「お、お願いします」
 見かねた赤鬼がクラスメイトPの頭からカボチャのかぶりものを引っこ抜いた。引っこ抜き方がとても乱暴だった。Pはよろめいて木枠に激突した。
「あ、馬鹿! ちゃんと押さえてろ赤てめえ!」
 コースの左端から青鬼が怒鳴ったが、時すでに遅し。
 パンがぶら下がった木枠は倒れた。
 3秒ルールを適用し、ゆきと縁は落ちたパンをくわえて拾って一目散に走りだす。Pはヂ面に落ちてから5秒経ったでかいフランスパンをなんとかくわえて走り出そうとしたが、コース上に倒れた木枠にけつまずいてやっぱり盛大に転んだ。
 コース上では赤鬼と青鬼がものすごい罵り合いと殴り合いを始めている。ガタイのいい天狗や大入道が止めに入っていた。ゆきと縁はほぼ同着、Pは案の定ビリだったが、爆笑と温かい拍手に包まれながらゴールした。
「……またすりむいた……もうダメだ……アゴ外れそうだし……メガネとカボチャ取りに行ける状態じゃないし……」
「あ、これカレーパンだ。おいっしー! ゆきのアンパンはどう?」
「うむ、やはりじいさまの餡子は格別だの。ひと口どうじゃ」
「やっさしい! いただきまーす」
「フランスパンがやけにしょっぱいや……外側パリパリ……フ……フフ」
 グラウンドのそばの観客席でパンを食べているところに、トスン、トスンと奇妙な音が近づいてくる。フランスパンから音の方向へ顔を向けたクラスメイトPが、へんな悲鳴を上げた。突然上がった奇声に縁は驚き、ゆきは物音の主に笑顔で手を振る。
「一本だたら! 元気にしておったか?」
「ボチボチだあよ。これ、このメリケン小僧のカボチャとメガネだ。赤鬼のぼんくらがすげえ鼻血出して救護テント行きだあ」
 一本足の妖怪が持ってきてくれたカボチャには、点々と赤い血痕がついていた。Pは青い顔で受け取る。
「じ、じゃ、この赤いの、血なんだ……」
「しかも鼻血」
「あぁ……テンション下がるなあ……」
「なあ、小僧。おれっち、あのぼんくら赤鬼と次の二人三脚出るはずだったんだが、このざまだで。よかったら、かわりに小僧がおれっちの相方になってくんな」
「えぇ!?」
 一本だたらの申し出に、Pは目を丸くして、思わず彼の容姿を頭から爪先まで舐めるように見つめてしまった。
 足が1本しかない。当たり前だ、一本だたらなのだから。
「二人三脚ですよ、足縛っちゃうじゃないですか。そしたら二人二脚になるし、そうなると1ひく1で妖怪さんの足がなくなるわけだから、走れなくなるんじゃないですか!? どうなんですか、どういうことになるの!?」
「あー? おめさんなに言ってるだ? 出るのか、出ねえのか、二人三脚」
「出ます出ます」
 カレーパンを食べ終えた縁が、Pのかわりに二つ返事した。悪意はない。から、余計にタチ悪い。
「え、ちょっと!」
「よーしよしよし。早速グラウンド行くだあよ」
「あー、待って! どういうことか説明して! 二人二脚でいいんですか、間違ってないんですかー!」
 連行されていくPを、ニヤニヤ眺める縁。その肩を、ゆきは叩いた。
「二人三脚、わしらも出るとするか」
「私とゆきで?」
「無理かの」
「そんなことないよ。さっきだってほとんど同時にゴールしたし、気が合うから息だって合うんじゃない」
 にかっ、とゆきが顔中で笑った。
「そうか」
 ちょっと口の端にあんこをつけた顔で、ゆきが笑った。


 からからからからから。
 それは光の音。
 魑魅魍魎の夜を照らし、人間たちの朝を呼ぶ……。


 授業を受けている間も、浅間縁の意識から、昨夜の香りとざわめきが離れない。ザラメと醤油とソースが入り混じった匂いが、教室の机の間にさえ漂っているかのようだった。目を閉じてしまえば、それこそ、おしまいだった。カンテラの中に閉じこめられた仄かな青い炎、ずらりと並ぶ赤い裸電球、けらけら笑う赤い提灯が、まぶたの裏の暗闇を照らしだすのだ。そして、ごみごみとした夜店の並びが、思い出の中に浮かび上がってくる。
 夜の夜中に走り回って歩き回ったせいだろう。縁はそうして、月曜の授業の大半を居眠りで過ごしてしまった。
 銀禅寺の裏の不思議な空間でひらかれた、妖怪たちの運動会と縁日。
 たった一夜で、夢のように終わった夜。
 夢と思い出が入り混じった世界の中でも、クラスメイトPは変わらずドジで、何かに巻き込まれていた。ゆきももちろん、縁が知っているゆきで、昨晩ずっと笑っていたゆきのままだった。
『ありがとうのう。ほんとうに、ありがとうなのじゃよ』
 古文の教師に教科書で頭をぶっ叩かれて目が覚める直前、縁の夢の中のゆきは、ぴょんぴょん跳ねながら手を振っていた。いや、夢の中の出来事だったのだろうか。ただの思い出かもしれない。
 二人三脚は、やはり18歳と8歳では歩幅が合わなくて、一度転んでしまったのだ。ゆきの般若面と着物は、すっかり土で汚れてしまった。最後のほうはゆきも縁も自分たちの転びっぷりがツボに入ってしまって、腹が痛くなるくらい笑い転げながらゴールしたはずだ。
 ゆきに見送られた縁とクラスメイトPは、気づけば、朦朧とした意識と筆舌に尽くしがたい疲れを抱え、銀禅寺の墓地に立ち尽くしていたのだった。すっかり夜は明けていて、スズメの鳴き声が空に充満していた。縁は事前にたっぷり昼寝をしていたのに、やはり昼行性動物のサガか、夜を眠らずに過ごしたのはきつかった。
 クスクス笑いが墓の間から聞こえたのを覚えている。狐と狸の尻尾が、ちょろりと見えた気もする。
 あれは夢だったのかもしれない、狐や狸に化かされたのかもしれない。だとしたら、何だかがっかりだ。夢幻であったと信じたくはない。
 食べたべっこう飴やパンや露店で買った食べ物の味が、鮮明に記憶に焼きついている。
「縁、あたしたちこれからミッドタウンのほう行くけど、一緒に行かない?」
「あーゴメン、今日はパス。超眠いんだよねえ」
 放課後のお誘いを全部断って、縁はひとりで下校した。
 まっすぐ帰ってすぐ寝るつもりだったのに、足は自然と九十九軒に向けられていた。
 昨夜から今朝にかけての出来事が、ちゃんと現実に起きていたのなら、クラスメイトPも同じ体験をしているはずだ――。睡魔のせいで重くなった頭のどこかで、縁はそう考えたのだ。
 九十九軒にはPの姿があったが、彼は黄ばんだ紙切れを見つめてぶるぶる震えているところだった。仕事も手についていない状態だ。
 そこはかとないデジャ=ヴュ。
「やほー。どうしたのさ」
「の、ののの呪いだよ。やっぱりこれは呪いだったのかもしれない。僕もとうとう今度こそおしまいだ……」
 デジャ=ヴュが確定した。
「昨日、さんざん妖怪さんたちを巻き込んだから……」
 しかし、この日のPの頬と額には絆創膏が貼られていて、目も赤く腫れぼったい。夜通し誰かのサンドバッグにされていたか、さんざん顔面から転んだか……ともかく、彼が昨晩の間にとてつもない災難に見舞われた証拠だ。やはり、夢や幻ではなかった。
 と、考えているうちに縁は思い出した。一本だたらと二人三脚の競技に出て、とにかくすごくひどい目に遭っていたPのことを。いつもの調子で一本足で跳ねる妖怪に、クラスメイトPはガクガク振り回されていた。走るのではなく、ジャンプしながら前に進んでいた。あんな笑撃の光景が現実にあったことだとはあまり考えられないが、Pならやれる。そんな気がする。
 縁は顔をしかめて、Pから手紙を取り上げた。
 文面は毛筆による達筆な字で綴られている。縁もこれと同じものを持っていて、大切にしまっていた。これは……ある座敷わらしが書いた、妖怪たちの縁日と運動会への招待状のはずだが……。
 明らかに、文章が短くなっている。
 縁はしかめっ面をさらにしかめ、字面を必死で追った。これから古文を真面目に勉強しようかと、ほんのちょっとだけ思いながら。

『運動会と縁日、楽しかったのう。来てくれてありがとう。また一緒に、参加しておくれ』

 そのようなことが書かれているっぽい。また、古文の教師の世話にならなければ。
 縁はちょっと笑って、軽くため息をついた。
 息の中に、甘いべっこう飴と餡子の香りが混じった気がする。
 夢だったはずがない。そうとも。何もかも、現実にあったこと。
「ちょっとちょっとー、Pがそんなこと言ってたなんて知ったら、ゆきが泣いちゃうかもよ?」
「え、え? 呪いじゃないの? 妖怪さんたちに迷惑かけた報いとかじゃないの?」
「ねえ、今度バイト休みなの、いつ?」
「確か明後日」
「一緒に市ノ瀬荘行ってさ、ゆきに会いに行こうよ。おんなじ街に住んでるのに、手紙のやりとりでオシマイなんてさあ、友達としてどうよ? って感じでしょ」
「あ、ああ……うん」
 絆創膏を貼ったあたりをぽりぽり書いて、Pは頷いた。
「私、今日は早く寝る」
「僕も。眠いしクタクタだし」
「楽しかったよねー」
「うん」
 大変な目にも遭ったけど、とPは小さく付け加えたが、縁に笑顔を見せていた。


 数日後に、市ノ瀬荘を友人が突然訪ねてくることになるとは、ゆきもまだ知らない。
 ゆきは汚れてしまった般若面を拭ったあと、冷凍庫からパピコを出した。
 二人三脚の参加賞だ。
「きら! これ、かたっぽいらんか?」
 にこにこ笑いながら、彼女はとてとて中庭に走っていった。




〈了〉

クリエイターコメント納期ぎりぎりのお届けになってしまいました、申し訳ございません。ノベル内容は9月の出来事ということになっています。
海洋堂の妖怪食玩集めていたことを思い出しました。
楽しんでいただけたら幸いです。オファーありがとうございました!
公開日時2008-10-08(水) 23:20
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