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<ノベル>
海岸沿い。海の向こうに少しずつ日が沈んでいくのを、ルカ・へウィトはぼんやりと眺めていた。アルバイトで花の配送、ふわふわのウェイトレス服にサンダルのまま、バイクを運転している最中であった。
前にも後ろにも車の影はなく、聞こえる音といえば配送用バイクのブロロロという音とカモメの鳴き声くらい。
お団子ヘアーに飾ったアマリリスの花を揺らすのは、潮を含んだ浜風。春の別れ、夏の出会いを告げるその風は、最高に心地よい。
先の方には浜辺でテントを張っている家族のような集団も見え、それがまたのほほんとした平和を伝えているようで上機嫌のルカ。
その時、強い魔力のようなものを感じた。
少し大人びた顔立ちなもののごく普通の少女に見えるルカだが、映画『アマリリス』から実体化したムービースターで、悪魔祓いを生業とするエクソシストなのだ。
こと銀幕市において、魔力を感じ取る機会なんていくらでもある。そしてその大半が、別に何も起こらない事がほとんどだ。が、ルカは妙なほどに嫌な予感がした。そう思うのは平和な日を意識した後だからだろうか? 過ぎった不安を振り払い、警戒だけは続けてバイクを走らせる。
悪い予感というもの程、的中するものである。大きな地響きがしたと思うと、地面が激しく揺れだす。
「……大変だ!」
先ほど感じた魔力が関係しているのなら、大変な事になるかもしれない。
そう感じたルカは、揺れる地面の中、バイクのアクセルを全開に捻る。
途端に加速するバイク。目指すは浜辺でテントを張っている家族。突然の地震にオロオロと座り込んでいる。
アクセル全開のルカは、浜への入り口に差し掛かっても速度を落とすことなくそのまま大ジャンプ。
――ブウゥゥゥン。
噛んでいた路面が途切れ、一際大きな音が鳴る。夕焼けの光が車体に反射してキラリと眩しいオレンジを放つ。
――ドサァ。
重い砂の音。ルカはバイクが落ちる寸前に飛び捨て、そのままテントへと向かって走る。バイクの音で気がついた家族は目を点にしたままルカを見ている。
「ここは危ない! 津波が来るかもしれない!」
ルカのその言葉に顔を青くした家族は、すぐに浜を上がろうと駆け出す。地面の揺れで巧く歩けない子供二人を、それぞれ父親とルカが支えながら歩く。
「わ、わぁぁ」
よろよろと歩いていた子供の一人が、腰を抜かしたように座り込む。だいじょうぶ? と言いかけたルカ。その視線が自分を見ていないことに気がつき、子供の視線を追う。
遥か向こうから、大きな水の壁がぐんぐんと近づいてきていた。
「……へ?」
形容するならば、気の抜けた声だった。
何かを感じて、梛織は歩いていた足をピタリと止めた。同時に後ろを振り返り、辺りを見回す。サラサラの黒髪が遅れまいとその後を追う。
くらり。
振り向いた先、梛織が最初に感じたのは視界の揺らぎ。そして何かを考える間もなく、次いでやってきたのは大きな身体の揺れだった。
「え、ちょっ。何!? ハザード!?」
地震。というのは梛織はすぐに理解した。しかし、戸惑ったのはその規模である。グラグラどころではない。ゴゴゴゴと。まさに地面が唸り声をあげているようだ。
大規模な自然災害はまずハザードを疑え。この街の教訓の例に漏れず、梛織はまず状況と一緒に自分の目に見える範囲に原因があるかどうかを確認する。
――ブチン。
嫌な音と共に影が動く。電線を引きちぎって電柱が倒れ掛かってきたのだ。
揺れる地面の不安定な足場にも関わらず、ひらりと身体を反転させて避ける梛織。それもそのはず。ムービースターの梛織。その出身映画はハードアクション映画なのだ。
自分に向かって倒れる電柱を避けた梛織。しかし、一瞬遅れて気がつく、倒れる電柱の先。自分の向こうにもう一人誰かがいることに。
「逃げ――っ!」
あまりの揺れに座り込んでいる人間に向かって、その言葉はきっと無意味だろう。瞬時に判断した梛織は、倒れこんでくる電柱の側面に合わせて回し蹴りの要領で足に力を加えて電柱を押し込む。
「にゃろ……っ!」
横からの力に僅かに軌道を変えた電柱は、座り込んでいた人のほんの数十センチ横に落ちていく。
――ドォン。
大きな音は、しかし電柱の音ではなかった。それ以上に大きな音が電柱の倒れる音を塗りつぶしたのだ。
揺れに耐え切れずに、崩壊した家屋の音だった。
「家の周りから離れろ! 広い場所に集まれ!!」
梛織はありったけの声でそう叫び、危なそうに位置に居る人に手を貸していく。
「また巻き込まれるのかよ……」
ぽつりとそう漏らしながらも、巻き込まれた以上は自分に出来ることをしようと身体を動かす梛織だった。
突然に揺れる視界に、レン(レドメネランテ・スノウィス)は最初に戸惑った。
最初に浮かんだのは、転んだか、どこかにぶつかったか。でもそれにしては痛みが無いし、視界も普通。
そこまで考えて、自分の立つ地面が揺れていることに気がついた。
ぐらぐらと、激しい地震。
途端に湧き上がるのは恐怖。
「きゃああああ」
人々の叫び声が、さらにレンの恐怖を掻きたてる。
レンはへたりと座り込み、頭を隠すようにフード付きパーカーのフードを被ってぎゅっと掴み、思い切り目を瞑って恐怖が去るのを待つ。
怖い。
はっとして、レンは目を開ける。ぴりりとした何かの感覚を感じたからだ。
よくないことが起きる気がする。
強いて言うならば、それは予感だった。
右へ左へと視線を向けると、叫んで逃げようとする人々。
パーカーのフードを襟をぎゅっと握っていたレン。手を緩めて目の前に持ってくると、その手は僅かに震えていた。
このまま怖がっているだけで、いいのだろうか?
自分の問うた答えは、けれども初めから出ていた。
「怖い……けど」
勇気を出す為に、呟く。困ったように垂れた青い瞳にきり、と力が入る。
ぎゅっ、と。今度は震えを止める為に手を握ると、パーカーのフードを取り払い、レンは立ち上がって、混乱している人の避難誘導をしている人たちの手伝いへと混じった。
その時、薄野 鎮(すすきの まもる)とフェルヴェルム・サザーランドは買い物中だった。夕食の材料も含めた買い物に二人で来ていたのだ。
ムービースターとはいえ、まだ小さな子供であるフェルヴェルム。居候先の家主でもあり、とても懐いている薄野とお出かけということもあり、どこか嬉しそうだ。
共に手に一個ずつ買い物袋をぶら下げた帰宅中。薄野がフェルヴェルムに話しかける。
「すっかり遅くなっちゃったね、早く帰らないとみんなお腹すかしてるかもね」
冗談っぽく笑って言う薄野の言葉に、フェルヴェルムが薄野を見上げてにこっと返す。
「そうですね、私もお腹空きました」
軽くお腹を押さえる仕草で照れたようにフェルヴェルム。微笑を返す薄野、何かに気がついて進路を変える。
「あ、そうだ」
とりあえず着いていくフェルヴェルム。店の前に来ていた出張屋台に、薄野は向かっていく。
「ふふ。みんなには内緒で、ね」
会計を済ませた薄野が、美味しそうだったから、と言って一つずつ紙袋に包まれた二つのコロッケを一つフェルベルムに渡す。
理解したフェルヴェルムが小さく笑い、コロッケを受け取る。
いただきます。と言って一口食べたフェルヴェルム、その美味しさに顔をほころばせる。
「美味しい」
その様子を嬉しそうに見て小さく笑う薄野。普段から落ち着いた仕草のフェルヴェルムだから、嬉しそうにコロッケを頬張るその子供らしい姿を見てなんだか嬉しくなる。
――ぐらり。
前触れも無く揺れる世界。いや、前触れはあったのかも知れないが、少なくとも二人にとっては突然のことだった。
驚き、手に持っていたコロッケを放してしまい、さらには咄嗟にそれを掴もうとしてバランスを崩すフェルヴェルム。
「あっ!」
しかしフェルヴェルムが地面にぶつかる前に、薄野が手を伸ばして助ける。ぽとり。とコロッケは二つとも落ちてしまった。
「大丈夫?」
「あ、うん。ありがとう、お兄ちゃん」
フェルヴェルムを支えながら聞いた薄野の言葉に、フェルヴェルムはお礼を言う。
「よかった。こっちも、パニックになる前になんとかしないと」
フェルヴェルムがちゃんと立ったのを確認すると、薄野はすう、と大きく息を吸ってから大声で呼びかける」
「落ち着いて! みなさん、頭上に注意して避難してください。崩れそうな建物から離れてください!」
薄野の声にはっとしてパニック状態から我に返る人々。
「お兄ちゃん、私も――」
「ありがとう。それじゃあ、あっちの方の呼びかけお願いできるかな」
名乗り出たフェルヴェルムに薄野。その言葉どおりに、少し離れた場所で同じように呼びかけるフェルヴェルム。
「みなさん、落ち着いて。頭上に注意して避難してください」
すでにパニック状態だったその場所で、フェルヴェルムの言葉は効果的だった。こんな小さな子でもしっかりしているんだから、という考えが働いたようだった。
「みなさーん――」
「…………身を隠したか」
エネルギーを放ち、大きな地震を起こした忠の玉は、再び礼の玉の気配を探る。
礼の玉の気配が察知できないのだ。
まさかあのくらいで破壊できる相手ではない。それが分かっているからこそ、忠の玉は丹念に何度も気配を探っていく。
礼の玉は自分に向かって破壊すると言った。それに対し自分は礼の玉を破壊すると言った。
言い放ったその意思が揺らぐことなど無いことはお互いに分かっていた。だから礼の玉が自分を破壊すると言って退いた以上、策を講じて自分を破壊しにくるのだろう。
だから自分もただ待っている訳にはいかない。礼の玉が策を講じるのを防ぎ、礼の玉自身を破壊しなければならない。
「…………」
湧き上がる何かの感情を、忠の玉は無言で打ち消す。
考えることなど無い。
迷うことなど無い。
戸惑うことなど無い。
「ただ。姫の為に……」
まるで呪文のように、その言葉を繰り返していた。
揺れが収まり、浜辺の家族を逃がしたルカは、徐々に迫ってくる水の壁に対峙していた。
津波。それも結構大規模なもの。このままだと、恐らくさっきの家族も、その他にも大勢の人が被害にあうだろう。
「まったく、誰よ! こんな迷惑なことをするのは! …………許せない」
大きな声で叫んだ後に、ぽつりとそういうと、ルカはどこからか綺麗なブルーの宝石を取り出す。
それはセレスチンの宝石で、良く見れば文字のような何かが刻まれている。
ルカはその宝石をぎゅっと握り締め、小さく息を吐いて意識を集中させる。
その瞬間。あたりの空気が、どこか張り詰めたものに変わっていく。一般の人にもどことなく分かるくらいに。
「……セレ」
囁くように、ルカが呟く。
それは宝石の名前だった。
「……遊んでおいで!」
ルカがそう叫んだ瞬間。あたりの空気が一気に膨張し、砂が舞い上がる。
それは魔術だった。ルカは聖なる文字が刻まれた様々な宝石を持ち、その宝石に宿した力によって魔法を開放するのだ。
ぼわっ。
沸きあがる砂のその上。そこには宝石に封じ込めた力の本体が強い力の解放によって具現化した姿があった。
風のとんぼ。
そして風のとんぼは、迫ってくる津波に向かっていく。
――コオオォォォ。
風が渦巻く音と共に激しく舞い上がる砂。辺りの視界は完全にその砂に閉ざされる。
そしてやがて舞い上がっていた砂が落ち着くと、いつのまにか津波は跡形も無く消えていた。ルカの風の魔術によって相殺したのだった。
「んー……」
まるで凪のように静かな海を見ながら、ルカは呟く。ぱっぱっと制服についた砂を払い落とし、お団子の髪に手を当てる。
じゃり。
「…………許せない」
先ほどとは違う口調でもう一度ルカは呟いてから、砂浜を後にした。
揺れが収まった後のそこは、酷い有様だった。
電柱は倒れ、半数近くの家屋は崩壊し、怪我をした人々の泣き声などが辺りに響き渡っている。
「……っ」
小さく毒づきながらも、梛織は救助活動を続けていく。
一般人には難しい場所での救助、足場の悪い崩壊寸前の建物に取り残された人の救助など、身体能力の高い者でないと難しい救助を優先してこなす。
「ほら、もう大丈夫だぞ」
半壊した家屋の三階に取り残された子供へと手を差し出す梛織。大声で泣いていた子供は梛織の笑顔を見て安心したのか、恐る恐る手を伸ばす。
が、二人の間の床は落ちており、なかなかその手は繋がれない。
――ぱらぱら。
手を伸ばそうと二人が動くたびに、どこかが欠け落ちていく。
「もう……ちょい」
ギリギリまで手を伸ばし、どうにか指先が触れた。が、それと同時に子供が立っていた床が崩れ落ちる。
うわぁぁ。と泣き叫ぶ子供。躊躇することなく、梛織は自らも追って飛ぶ。地面に落ちる前に子供を空中で抱き、すぐに上に投げる。そして自らは瓦礫の上に着地するが、その衝撃で足元の瓦礫と上の足場が崩れ落ちる。
何とかバランスを取り、再び落ちてきた子供を巧くキャッチすると、すぐに降ってきた大きな石片が子供に当たらないようにと背で庇う。
「――っぅ」
梛織の後頭部に石片が当たる。しかし梛織はその痛みを誤魔化して、子供に笑いかける。
「高いたかーい……なんてか? ちょっとスリルありすぎたか?」
子供を母親に引渡した梛織。首筋にぞわりとしたものを感じて手を伸ばすと、その指先には血がついていた。顔をしかめて後頭部に手をやると、ねちゃりと嫌な感覚。追って来る鈍い痛み。
「……ったく。シャレにならないことしやがって」
夜になっても、断続的に地震は続いていた。
薄野とフェルヴェルムは、その間中ずっと市民の救援に回っていた。
「ん。これでよし」
現場まで行って怪我で動けなくなった人の応急処置を終えた薄野。フェルヴェルムと一緒に怪我人を安全な場所まで運ぶ。
「大丈夫? 疲れてない?」
休み無しで動き回っている二人。肩で息をしているフェルヴェルムに心配そうに薄野が問いかける。
「だいじょ、ぶ、です。お兄ちゃんも、平気ですか?」
心配かけないようにと疲れを表に出さなかった薄野だが、フェルヴェルムには分かっていた。お互いに、疲れが溜まっていた。
「ふふっ。疲れたけど、でも」
「そうも言ってられませんね」
小さく笑いあって、二人は歩を進める。途中、叫び声が聞こえる。
「火が出たぞー!!」
すぐに顔を見合わせる二人。お互いに頷き、声のした場所へと向かう。
そこでは典型的な二次災害が形となって現れていた。ごうごうと燃えあがる炎。消防車も各地に出払っているし、残っていたとしても瓦礫で入ってこれないだろう。人々はバケツリレーの要領で水をかけているが、そんなものじゃ一向に消える気配は無い。
そんな中、燃えている家屋へとどんどん近づいていくのはフェルヴェルムだった。
「危ないぞ!」
注意を促す人を、フェルヴェルムの後ろを歩く薄野が手で制し、大丈夫ですよ。と答える。
燃え移りそうなくらいまで家屋に近づくフェルヴェルム。寸前まで近づき、ゆっくりと手をかざす。
すると、見る見るうちに炎が弱まっていき、やがてはぷすりと小さな音を立てて消えていく。
実はフェルヴェルムは、火の神を祭る一族の、その中でも最も貴き血を持つ子供。爆炎の呼び子。フェルヴェルムは火に関連するものを操ることができるのだ。
「母がまだ中に」
主婦らしき女性のその言葉に、薄野はすぐにバケツの水を被る。
「ここで待ってて」
火が消えたのを確認して、薄野はフェルヴェルムにミッドナイトのバッキー『雨天』を預けると、バッキーとフェルヴェルムにそう言って家屋へと入っていく。
「コホ……コホッ」
瞬間的に肺を圧迫する焼けた空気。いくら火が消えたからといって、煙などが消えるわけではない。薄野は塗らしたハンカチで口元を押さえて進んでいく。
聞いていた情報を頼りに探しながら進む薄野。燃えて脆くなった足場を慎重に歩く。
「誰か、いますかー」
咽ながらも、呼びかける。返ってくる返事は無い。
階段をあがり、聞いていた場所と思われる部屋へと入る薄野。煙に遮られる視界をよくよく調べていくと、老婆が倒れていた。
「大丈夫ですか」
直ぐに近づいて呼びかける薄野。だが、返事が無い。どうやら意識を失っているようだった。
「失礼します……」
倒れている身体を起こし、そのまま背負って戻る薄野。黒くなった階段をパキパキと音を立てながら一歩一歩慎重に階段を下りていく。
その時、階段の下のほうから再び火の手があがった。
「――っ!」
すると再びついた火は見る見るうちに壁を走り、あっという間に退路すら無くなる。
どうするか。
近づいてくる炎に、一か八か突っ切る覚悟を決めた時、急激に炎の勢いが弱まっていった。
「ごめんなさい。まだ、残っていたみたいで」
再び消えていった炎の向こうには、フェルヴェルムと雨天がいた。
「いや、ありがとう。助かった」
小さく笑って、薄野はフェルヴェルムと一緒に家屋の外へと出た。
「――はぁっ!」
待っていた人たちに老婆を預け、薄野はドサリと倒れこんで身体を反転させると、荒く息をつく。
「はぁ……はぁ」
お礼を言う人ににこりと笑って手で返し、少しずつ呼吸を整えていく。
「大丈夫ですか……? 少し、休んだ方が」
心配して言うフェルヴェルムに、薄野は小さく首を振ってから荒い息で言葉を紡ぐ。雨天がフェルヴェルムの肩から薄野の肩へと居場所を変えていた。
「だいじょうぶ……。これからきっと、二次災害の火災が増えていくから……。頑張ろう」
「でもっ――」
泣きそうな顔と声で言うフェルヴェルムの言葉を、遮って薄野は言う。
「後悔、したくないから。だから、今は全力で僕に出来る事、しないと」
薄野はよろよろと立ち上がり、大丈夫だよと笑ってフェルヴェルムの頭にやさしく手を置いた。
「火事だー!!」
遠くから聞こえた叫び声に顔を見合わせると、二人は小さく頷いて同時に駆け出した。
既に日が変わってから数時間。レンは未だに救出、避難誘導を手伝っていた。途中、携帯電話で居候先に連絡をいれ、自分は無事だというのと、みんなの安否をを聞き、このまま救出作業を手伝うということを伝えた以外は、動きっぱなしだ。
「この先の公園が避難所だから。あとは真っ直ぐいけば」
揺れている最中は体育館などの簡易避難所に避難していた人達を、断続的に起きる揺れで体育館もいつ崩壊するか危険だから、と。揺れていない時に大きな公園へと移動しおえた所だった。
「ありがとう」
かけられる色々な人からのお礼に、にっこり笑って返す。
「それじゃあ、ボク。次はあっちの方に行って取り残されている人がいないか見てくるね」
同じように有志で手伝っている人に声を掛けてから駆け出すレン。大分変わってしまった街並みを出来るだけ見ないように駆けていく。
「うぅ……た、すけ…………」
沢山の雑音の中、その声がレンに届いたのは偶然なのかもしれない。
確かに助けを求める声を聞いたレン。きょろきょろと辺りを見回して耳を澄ます。
「たす、け……」
「誰かいるの? どこ?」
声を頼りに探すと、半壊した家屋の中に倒れている全身傷だらけの男がいた。
「――っ!」
すぐに家屋へと近づくレン。どこが玄関だかもわからない状態だが、一応小さな声でおじゃまします。と言って瓦礫を乗り越えていく。
「待ってね、今助け――っ!!」
ぐちゃぐちゃになった家の中へと入り、一歩踏み出したところで、再び大きな揺れが襲った。
「わ……わっ」
ただでさえ足場が悪いのに、さらに大きな揺れ。小さな悲鳴をあげてバランスを取るレンの視界に、唐突にそれは映った。
上から降ってくる沢山の瓦礫が。
カチ……カチ。
急速に熱を失った空間が、どこか軽快なその音を鳴らす。その音源を辿ってみると、いつの間にか男の頭上を守るように氷が現れていた。ムービースターのレンが、咄嗟に出した魔法だった。
そこでレンは気がついた。男を守ることしか頭に無く、自分の頭上に降ってくる瓦礫に。 ――間に、合わない。
まるでスローモーションを見ているみたいに、ゆっくりとそれは知覚できた。
「……お兄ちゃん」
目を瞑ったら、すぐに兄と慕う大好きな人の顔が頭に浮かび、レンは無意識に呟いていた。
――ゴォン。
瓦礫の大きな音。そして強い衝撃。どこかに飛ばされるような感覚と、やわらかくて温かい感触。
「……え?」
その違和感に、レンは目を開ける。
そこは真っ暗だった。でも不思議と不安は無く、背中から感じるやわらかくて温かい感触に、むしろ安心感がある。
「……星」
真っ暗だと思っていた中に、きらりと光る小さな星を見つけて、レンは呟いた。
「こんな時でも、星は綺麗だな」
レンが兄と慕う大好きな人の。梛織の声だった。
「お兄……ちゃん!?」
呟く途中でレンは気が付き、勢いよく身体を起こして振り返る。
「よぉ、レン。……無事だったか?」
寝転んだ状態のまま、笑顔で梛織。
どういうことかというと、落ちてきた瓦礫がレンに当たる直前。梛織が横からレンを抱えて飛び込んだのだ。そして梛織がそのまま自分をクッションにしてレンを助けたのだった。
「お、お、お兄ちゃぁぁん」
寝転んだままの梛織にどさっと飛びつくレン。不安からか嬉しさからか、その両方か、目の端にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「怖かった。怖かったよぉ……。でも」
「あぁ。頑張ったな」
こんな時間にここにいるレン。そして自分のことを忘れてまで男を助けようとしたレンを見て、梛織はレンが今まで頑張ってきたことを直ぐに察した。
寝転んだままレンの頭を撫でる梛織。安心したかのように目を細めるレン。
「……来てくれるって、思った」
ぽつりと呟いたレンに、梛織は優しい声で返す。
「勿論。レンがピンチの時はいつだって駆けつけるさ」
「うん」
えへへ。と嬉しそうに笑うレン。
「さっ、て」
二人が立ち上がったところで、梛織が言う。ん? とレン。
「レンを危険な目にあわせた馬鹿野郎にガツンと一言言いにいかなきゃな」
梛織の言葉に首を傾げるレンに、続けて梛織が説明する。
「流石にこんな何度も大地震起こしやがって、シャレにならない」
「これ、って誰かが起こしてるの?」
問いかけたレンに、ああ。と梛織。対策課から発表があった。と説明する梛織。
どうやら今、街で起こっている様々な事件は、ほとんどが仁義八行の玉と呼ばれる八つの玉が起こしている可能性が高いということ、そして元となった八犬伝の大まかな内容。
「それじゃあ、その玉のどれかが……」
「そーゆうこと。それじゃ、この人を無事に届けたら、その玉を捜しに行きますかぁ」
氷の囲いの間から男を引っ張り出し、梛織が背負って歩き出す。
「え、ボクも行ってもいいの?」
梛織のいい様に、レンが聞き返す。危ないからダメって言われると思ったのだ。
「行きたいって顔してるぞ、レン。駄目って言っても付いてくるだろ?」
笑いながら言う梛織に、ばれちゃった、とレンが返す。
「うん。会って、話がしたい」
だな。と、梛織は頷いて。二人は避難場所へと向かっていった。
夜が明ける。相変わらず断続的に続く地震。公園等の避難所ではひっきりなしに泣き声や不満の声があがる。
それでも、ほとんどの避難などは済んでいて、あとは怪我人の搬送や治療、行方不明者の捜索。火災の鎮火と、主に事後処理に近い仕事になっていた。
「ぅ……ん」
ボランティアの災害対策ベースで、フェルヴェルムは目を覚ます。
「…………っ!」
すぐに状況に気が付き、きょろきょろと首を回して薄野を探す。
昨夜。と、いっても二時間ほど前のことだが、フェルヴェルムは倒れたのだ。
原因は疲労。休みの無い状態でずっと能力を使用し続けたのだ。無理も無い事だった。
実際、この近辺の二次災害で起こった火災のほとんどはフェルヴェルムが鎮火したのだった。火災の報告を聞けばすぐに現地へと駆け回って、鎮火してはまた別の場所へと駆け回る。車など使える状態じゃないので、生身の身体で駆け回っていたのだ。ムービースターとはいえ、体力的に秀でている訳ではないフェルヴェルム。しかもまだ10歳の身体には酷過ぎた。少しふらりとしたと思うと、突然パタリと倒れて意識を失ってしまったのだ。
意識を取り戻したフェルヴェルムは、見当たらない薄野を探そうと起き上がる。くらりと一瞬よろけるが、二、三秒間、頭を抑えて小さく首を振ったあと、再び歩き出す。
歩き出した先、すぐに薄野は見つかった。エプロン姿で、支給するご飯を作っている集団に混じっていたのだ。
近づいてくるフェルヴェルムに気が付き、薄野は包丁を握っていた手を止め、話しかける。
「もう大丈夫なの?」
「ごめんなさい、倒れてしまったみたいで……」
しゅんと、申し訳無さそうにフェルヴェルムが返す。それに対して薄野が優しい声で答える。
「謝ることじゃないよ。僕のほうこそごめん。無理させちゃったみたいだ。それに、着いていてあげることも出来なかった」
実際は倒れたフェルヴェルムに三十分ほど着いていた薄野だったが、人手が足りなくなり、仕方なく傍を離れたのだった。
そしてさらりと言ったものの、薄野の疲労も相当だった。ずっとフェルヴェルムと行動を共にして、人が残されている場合は鎮火したあとの屋内捜索を続けていたのだ。エプロンの下の服は煤で真っ黒になっており、肌のほうもタオルか何かで拭いたのだろうけど、それでも煤が取れきれていなかった。眼鏡もどこかに落としてしまったみたいで今はかけていない。
「私も、何か手伝います」
申し出たフェルヴェルムに、薄野は首を振って返す。
「大丈夫。もうすぐ出来上がるから、一緒に食べよう。昨日のコロッケもまともに食べれなかったしね、僕もお腹すいた」
ふふ。と笑う薄野に、視線を下げるフェルヴェルム。それを見て薄野が続ける。
「その代わり、食べたらまた色々手伝ってもらうよ」
それを聞いて顔を上げるフェルヴェルム。
「はい!」
浜辺の津波を止めた後、ルカは救助にあたりながら忠の玉へと近づいていた。断続的に放たれる魔力を感じ取り、少しずつ正確な位置を掴み取って場所を特定していたのだ。
「この辺りの、はずなんだけど」
市街地の一角へと足を運び、辺りを散策するルカ。その言葉を裏付けるように、この近辺はまったく被害にあっていない。忠の玉の放ったエネルギーによる地震は、大きな規模のものを中範囲に渡って効果を及ぼすもので、普通の地震とはまた違ったものだったのだ。
「もう一度魔力を放てばはっきりするんだろうけど、その前に止めないと!」
少しでも何かを感じ取ろうと、感覚を尖らせて歩き回るルカ。
「この辺り、怪しいな。まったく被害が無い」
その時、話し声が聞こえたので、ルカはさっと身を隠す。建物の影から現れたのは梛織とレンだった。二人も地震の原因である玉を探してこの付近へと来ていたのだ。
「なんとかして次の地震の前に止めねぇと」
「うん。早く止めないとね」
二人の会話から、恐らく目的は自分と同じだろうと考えたルカは、呼びかけて二人の前へと出て行く。
「はーい。貴方達も地震の大元に会いに来たの?」
ひらひらと手を振って、ルカ。
「ん? それじゃそっちも? この辺にいるの? こんな事しでかした馬鹿野郎さんは」
返しに手を振って梛織。
「あら、そっちは魔力を辿って来たわけじゃないんだ」
ルカがそこまで言った時、梛織の隣にいたレンが急にビクリと肩を震わせて梛織のジャケットの袖を掴む。
「ん? どした、レン……って、どうした!?」
小さく震えているレンに、梛織は慌てて言う。
「何だか……すごく嫌な感じがするんだ」
レンのその様子を見たルカ。慌てて魔力を探る。
「……見つけたっ!」
言い放ち走り出すルカ。
「え、ちょっ。見つけたって何!?」
「……追いかけよう、お兄ちゃん」
いきなり様子が変わった二人を見比べて慌てる梛織だが、レンの言葉にああ、と返してルカを追った。
走りながら、梛織はルカと情報の交換をする。ルカは大きな魔力のようなものでこの災害が起こった事を。梛織は八犬伝から実体化した伏姫が人を街を怨み『穴』に身投げをしたことからこの事件が起こったという、対策課から回ってきた情報を。
もう何度目になろうか。礼の玉の場所を探り、溜め込んだエネルギーを放ったのは。
忠の玉は一際強いエネルギーを溜めながら考える。
何度も居場所を転々とさせていた礼の玉が、ここにきて真っ直ぐに自分の居る場所へと向かってくるのを忠の玉は感じていた。恐らくは自分の居場所がばれたのだろう。そして、自分を壊す準備が整ったのだろう。
だがその時こそが最大のチャンス。真正面から礼の玉にエネルギーをぶつけれれば、礼の玉を破壊する事が出来る。
覚悟を決め、迎撃しようと大きなエネルギーを溜めていく忠の玉。
来るならば来るといい。
「ただ、姫の為に……」
まるで奮い立たせる暗示のように。忠の玉は呟く。
「やめろ!!」
その時、高らかに響いたのはルカの声だった。
「その攻撃をやめろ!」
ルカ、梛織、レンと。三人が忠の玉の前にと躍り出る。ルカの叫びに喋ることも動くこともしない忠の玉を見据えて、ルカは続ける。
「その攻撃の所為で、多くの人が傷ついている」
「止める理由には、ならない」
忠の玉のその言葉を聞いて、プチンと何かが切れた梛織。ゆらりと一歩前に出て叫ぶ。
「このヤロッ! トンカチでかち割ってやろうか!」
最愛のレンが災害で危険な目にあったというのに、言うに事欠いて。と。梛織。
レンは自分の為にこんなに怒りをあらわにする梛織に嬉しさを感じつつも、話し合いにならないから、と控えめに止める。
「君が攻撃を止めないと言うなら、僕が君の前に立ちはだかろう。君が姫を救いたい気持ちと同じ、この街の皆を護りたいと言う忠義の意志を持って!」
最悪、自分に攻撃を向けようと、ルカが忠の玉に言う。
その言葉を聞いて、忠の玉は鈍色の光を放ち、声を出す。
「そこまで伝わっているのか……。ならば話すこともないだろう。貴様らに災厄を齎すことが、姫の意思だ」
「その姫さんだが、変な状態で実体化しちまったんだ――」
言いかけた梛織の言葉を、遮るように忠の玉は叫ぶ。一際強い鈍色の光を放って。
「だが、姫だ!!」
それは忠の玉にとって何度も問いかけられた疑問。何度も自分に問いかけた疑問。
くそっ。と、小さく毒づいて、梛織は返す。
「こんなに悲しみに変わり果てた姫がお前が望む姫さんの姿? そりゃ姫は姫さんかも知れないけど、それで本当に良いのかよっ!」
「……良い」
静かに答えた忠の言葉に、梛織は昂ぶって叫ぶ。
「どんなに変わっても姫は姫。確かにその通りかも知れないし気持ちは分からなくもないけど!」
そこまで言って、くっと強く自分のジャケットの胸元を握って続ける。
「何とかしようとか、思わないのかよっ!?」
黙りこむ忠の玉。やがて静かに点滅して、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「その時期は、もうとっくに過ぎ去った。もう、どうにもならん」
「――っ! だからって、人々を傷つけるってのかよ」
「そうだ。それが姫の望みだ……。ただ、姫の為に……それが私の姫への忠義だ」
「とても清廉なこころ……」
ルカが話し始める。
「君に人の心が在ることを嬉しく思う――だが履き違えるな! 手を汚す行為を姫の為とうそぶくな! 傷付ける以外の道を見付けられなかった、己の無力と甘えだ!」
それは清廉な心を持ちながら争う道を選んだ玉に対しての怒りであり。同時に心を殺して、恐怖を殺しながらも魔物を殺す道を選んだエクソシストとしての自分に対して怒りだった。
「ならば……どうすれと言うのだ」
ぽつり呟いた忠の玉に、レンが口を開く。
「忠って忠実の忠なんだよね。でもさ、仕えてる人の事を全部肯定するだけじゃなくてさ、間違ってる事を間違いだって指摘する事も、忠なんじゃないかな」
黙りこむ忠の玉に、レンは続ける。
「間違いをそのままにして、ただ従うだけなのは、本当にその人の事を考えてるって言えないって、ライエンが言ってた」
大切な人の言葉を。その存在を思い出すように。ゆっくりと。はっきりとレンは言う。
「姫は……キラー化しているのだぞ」
ぽつり、その口調とは裏腹に、強い鈍色を放って忠の玉は言う。
「姫に力を貸すなと言うのか……? キラー化している姫は、どの道自らの手で同じ事をするだろう。ならば礼の玉と同じように、姫を討てというのか……?」
「……」
まるで泣きながら問いかけるような忠の玉の言葉に、言葉が出ない三人。
「出来るわけ……ないだろう。たとえ間違っていると思っていたとしても、見たくないと思っていたとしても。私には姫を討つことなど出来ぬ。姫がいることこそが、そのことこそが私にとっては一番大事なのだ……!」
何かを言おうとした三人だったが、忠の玉はそれをさせなかった。溜め込んでいたエネルギーの一部を三人に放つ。
「次があるのならば、覚悟を決めてくることだ。次は問答無用で……討つ!」
三人の周りの空間がぐにゃりと歪み、一瞬のうちに三人は消える。
三人が消え、一人になった忠の玉。何を思っているのか、鈍色の光が不規則に輝く。
「忠よ……!」
しばらくすると、後ろから声をかけられる。見るまでもなく、それが礼の玉だということは分かっていた。
「……来たか」
ゆっくりと向き直る忠の玉。そこにはやはり、礼の玉。そして数人の人間がいた。
「……終わったの、かな?」
瓦礫の山を退かしながら行方不明者を探している最中。薄野は腕時計を見て呟いた。
「……?」
薄野の言葉に辺りを見回すフェルヴェルム。作業はまだ終わってはいない。だから薄野の言葉の意図は別のところにある。そう考えていたところで、薄野が続ける。
「地震。今までの周期と大幅にずれてるから」
「あ、なるほど」
「朝に八雲さん達から電話があって、対策課から依頼を受けたって言っていたから。もしかしたら何か関係あるのかもしれないね」
再び手を動かしながら、薄野が言う。薄野家に住んでいる居候から、そんな電話があったと。
「そうだったんですか……。大丈夫、ですよね? みなさん」
もしもこの事件と関係があるのだとしたら、相手はこんな大きな災害を起こすような相手だ。みんなが十分に強いのは知っていたフェルヴェルムだったが、少し心配になって呟く。
「うん。大丈夫だよ、きっと」
フェルヴェルムを安心させる為に、小さく笑いかけて薄野。実際、薄野はそこまで心配もしていなかった。怪我くらいはするかもしれないけれど、大丈夫だろうと。信頼しているのだ。
「いたぞー」
近くで大きな叫び声が聞こえる。家屋の倒壊で行方不明になっている人々を、家ごとに瓦礫を退かして探しているのだ。つまりは、この家の行方不明者は見つかったということだった。
「よかった、息はあるみたいですね」
ほっと呟くフェルヴェルム。
「そうだね、よかった。……さて、それじゃ他の家の手伝いに行こうか」
地図を広げて近くの作業現場を探す薄野。
「もうひとがんばり。ですね」
あくびをかみ殺した伸びをして、二人は次の場所へと向かった。
ルカ、梛織、レンの三人は、気がついたら忠の玉は目の前から居なくなっていた。
いや、その表現はおかしい。三人が忠の玉の前から移動したのだった。それは忠の玉が使った能力の一つであり、テレポートのようなものだった。
辺りを見回す三人。三人とも場所には見覚えがあった。この場所からならば、数分程度でさっきの場所へと行くことが出来る。
が、忠の玉が最後に言った言葉を、三人は思い出す。
「問答無用で、討つ」
忠の玉の言葉を、ぽつり繰り返す梛織。
「なんだか……泣いていたように、見えた」
忠の玉のことを思い、レン。一瞬の沈黙の後、ルカが口を開く。
「……でも、だからといって」
「このままじゃだめ、だな」
ルカの言葉に重ねる梛織。
「……うん」
分かってはいるのだが、俯くレン。そのレンを見て梛織がぽすっと頭に手を置いて言う。
「なぁに。壊さなくたって大丈夫さ。魔法かなんかなんだろ? あの地震。なら魔法を使えないようにして、分かり合えるまで話せばいいんだ。なっ?」
横で見ていたルカが優しげに微笑んで、言う。
「そうだね……。きっと、伝わる」
先ほどの忠の玉を見る限り、それは難しいだろう。同じような状況に接する機会の多いルカにはそれが分かっていたが、それでも。自分と同じ甘さを持つ二人を見て、どこか嬉しさのようなものを感じていた。
「……うん。もう一度、行かなくちゃ!」
レンの言葉を皮切りに、三人は再び忠の玉への道を駆け出した。
「忠よ……」
三人が再び忠の玉の元へと駆けつけたとき、忠の玉はまさに満身創痍だった。表面は傷だらけで、深い罅もあった。
「我は、この街の者たちを殺しまわりとうない……姫様もそのようなこと、本当は望ん
でおらぬはずだ……!」
点滅しながらの礼の言葉に、忠の玉は同じように点滅しながら答える。
「そう……だな」
そんなことは、勿論忠の玉にも分かっていた。しかし忠の玉は他の道を選ぶことがどうしても出来なかったのだ。
「けれど、我らの意見は違えた……おぬしは他の玉を討つことはしない、と……。これ
だけ討ち合っても違えたままだというのならば……我は、主を討つ……っ!」
礼の玉の声を、ぼんやりと忠の玉は聞いていた。
考えることなど、きっと無い。
お互い。最初から想いは同じだった。
ただ一つ。それだけを想って動いていた。
そして、ほんの少しの間の後、礼の玉はエネルギーを忠の玉に向けて放った。
「ただ、姫の為に……」
避ける余力があったのかどうかは分からない。しかし忠の玉はそう、呟いただけで、そのまま礼の玉のエネルギーに貫かれた。
きらきらと。玉の欠片が鈍色光を反射して舞っていた。
二つの玉以外の誰も、言葉を発することなど出来なかった。
★ ★ ★
ゆるゆると陽が沈んで行く。
生温い風が臭気を運んで行く。
まるでそこにあるすべてのものが、それの場所を知らせるかのように。
ゝ大法師は山を歩いていた。
昔と、同じように。
あの時も、彼女を捜して、こうして山の中を歩いた。
「──伏姫様」
そして、見つけた。
川が流れている。
川。
そう、川の向こう側……。
そこに、姫がいる。
そして傍らには、ボロボロにひび割れた『義』と書かれた玉。
「金鋺大輔殿か……また来たのかえ」
美しく豊かであった黒髪は、今は白く振り乱されている。
ふっくらとした可愛らしい唇は、乾涸びて割れている。
「殺しに来たのかえ、金鋺大輔。それとも、また外してくれるのかえ?」
にぃ、とわらうと唇は引き攣れ、ぷつりと切れて血が滲んだ。
ゝ大は俯いた。
「その名はあの時、捨て申した。……姫様を殺してしまった、あの日に」
言うと、女は笑った。
森が不気味にざわめき、その声を掻き消して行く。
「金鋺大輔、金鋺大輔よ。私を殺しただと? 殺しただと! 貴様、貴様が殺したと! ひひひ、笑わせるな、笑わせるでないぞ、貴様が殺したなどと!」
目は赤く血走り、瞳からは赤い涙が幾筋も幾筋も零れ落ちていく。
「一思い、一思いに殺せぬなら銃など手にするでない、愚か者。迷うておる、迷うておるのだろう、金鋺大輔? 知っておる、知っておるぞ、貴様、私に懸想しておったろう。ひひひ、ここで叶えてやろうか、我は生き返った! 幸せか、幸せであろう、八房もおらぬ、貴様のものになってやろうかぁあははっはははははっ!」
ゝ大は唇を噛む。
思い出されるのは、鈴を鳴らしたような愛らしい声。
春の花が咲くような、優しい笑顔。
空は血色に染まっている。
俯いていると、すぅと細い枯れ木のような白い手が、ゝ大の頬に伸びて来た。目の前には、自分を見上げる少女。
「……私を見られぬか。さもあろう、のう、金鋺大輔」
いとおし気に頬を撫でる手。
ギリギリと爪を立てて、その頬を赤く染めた。
「まっか、まっかにならんとのう、貴様、貴様もならんとのう、目を、目を閉じるな、閉じる出ない、貴様、貴様が閉じるでない、見よ、見よ、貴様の罪を見よぉおおおおお!」
ゝ大はただ目を閉じてされるがままに引き裂かれた。
頬の肉が削られ、白い骨が覗く。
女は笑いながら削り取った肉を握り潰す。それから滴る血を赤く長い舌に絡ませて笑い続けた。
まっかだ。
「うまくいかぬのう。残った玉も『義』の玉のみ……ふふ、義はよいのぉ、戯れは面白かったか?」
『義』の玉はふよふよと弱い光を放つ。それに、女は笑った。
「そうかそうか、ふひひひひひぃい……我も、我も戯れたいのう、のう、金鋺大輔? 降りたい、降りたい、ここから出してくりゃれ」
削られた頬から流れる血が胸に降りてくる。べったりと血塗れた上に、女は頬を寄せた。ゝ大は動かぬまま静かに言い放った。
「……なりませぬ」
削られた肉の隙間から空気が漏れる。垂れ下がった皮がその空気に揺れた。
女は笑う。
「なりませぬ! なりませぬだと! ひひひい、金鋺大輔、貴様は変わらぬ! 変わらぬ変わらぬ変わらぬ、ではまた殺し損じるがよいぞぉおひいいいいいっ!!」
笑う。
甲高く。
風が。
生臭い風が運んでゆく。
今度こそ。
間違いは起こしてはならぬ。
「損じるがよいぞ! 貴様は私を殺せぬからなぁっ! ふひひひひ、今度は自ら死んでやらぬぞ、生き恥を晒せと申した者共にものど者共に思い知らせてやらねばなららならないのだからぁああああ」
今度こそ。
ゝ大は銃を構える。
間に合わなかった。
また、間に合わなかった。
だから、今度こそ。
為損じぬよう、こうして。
「なんじゃぁ、黒い筒を私に向けるとは、不忠者めが、手柄も上げられず帰ることもせず挙句私を殺し損ねた損ねた筒をまたたたまたまた向けたむけるむけるまたたまたまた」
額に。
指に力を込める。
引き金を引く。
筒が。
天を撃った。
ゝ大は目を見開く。
『義』の玉。
ぼろぼろにひび割れた『義』の玉。
『義』とは正義。
義の者は命令では従わぬ。
義の者は奴隷ではないからだ。
義の者は自らの義の為に義を尽くす相手の為に義を貫く。
『義』が選んだのは。
「いひぃひひひいあああはははははっ! 損じた損じたぞ、また損じたぞ、金鋺大輔、それでこそ貴様きさまさまよよおおぉおおいひひいひひひひ」
伏姫。
ぞぶり。
腹。
腹に。
腕。
細い。
枯れ枝のような。
声。
笑い声。
笑い声。
「さらば、さらぁばばかなかなまま金鋺だ大だいだいすす輔ぇえええ、あは、ははは、はは、は、」
銃声。
笑った顔。
醜く引き攣れ深紅に染まった顔。
ゝ大はじっと見つめていた。
ひび割れた『義』の玉は、二度同じことをする力は残されていなかった。
笑い声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
銃声。
「今度こそ、おさらばです。……伏姫様」
『義』の玉は粉々に散って。
笑い声の主は干涸びた黒い灰になって。
消えていく。
溶けていく。
生臭い空気を一掃するような風が吹いて。
がしゃり。
銃が地に落ちる。
崩れ落ちる。
山伏姿の男。
「……姫様」
流れる。
瞳から。
溢れる。
次から次へと。
止めども無く。
ごろり。
転がった。
夜が来る。
空には。
満天の、星。
笑った。
そこには。
一つのフィルムと、一丁の銃が残った。
★ ★ ★
真っ暗な室内に、梛織は居た。
八犬伝に関する一連の事件は、とりあえず解決した。と対策課から連絡が行き渡ったのは数時間前のことである。
被害の多かった地区ではなかった為、被害を免れた、家と兼用の万事屋事務所に戻った梛織は、シャワーを浴びてからはずっと椅子に座ったままだった。
疲れた身体の為には、きっと眠るのが一番いいんだろう。そんなことは梛織にも分かっていたし、身体もそれを求めていたが、どうにも出来ないでいた。
――コン、コン。
不意に響き渡ったノック音は、ほんの少しの何かで聞き逃してしまうほどにか細い音で、間を開けて二度だけ、叩かれた。
もしそれがチャイムだったら、もしそれが普通のノックだったら。恐らく梛織は無視しただろう。けれども。今にも消えてしまいそうな小さなノックだったから、梛織はドアを開けた。
「……レン。どうしたんだ?」
そこにいたのはレンだった。
事件が終わった後、居候先の家まで梛織に送ってもらったレンだったが、どうしても眠れなくて梛織のところにやってきたのだった。
「お兄ちゃん……。今日は泊まっていっても、いいかな?」
ぽつりと呟いたレンの言葉に、梛織は返す。
「……ああ。勿論?」
電話くれれば迎えにいったのに。と梛織。小さく首を振ってレンが答える。
「ううん。ノックで出なかったら、帰るつもりだったから……」
だけど、梛織は気がついて、こうして自分を迎えてくれる。きっと気がついてくれるって分かっていたレンだったが、やっぱりそれがとても嬉しかった。
「ほら、入れよ」
優しい声で梛織。レンはうん。と答えてからねえ、お兄ちゃん。と小さく続けた。
「……難しいね」
何が。とは言わなかった。忠の玉の想いとか、伏姫のこととか、結果とか。色々な事を全部含めて、きちんと説明できるほどレンの中でもまとまっていなかった。
「……そう、だな」
答える梛織。しばしの沈黙の後、ぽすんとレンの頭に手を置いて続ける。
「さて。一緒に寝るか。レン」
頭に置いた手をそのまま下げ、レンの手を掴んで梛織は歩き出す。
「うん」
歩きながら、引かれた手をじっと見て。レンはそう答えた。
浜辺に、ルカはいた。
事件が終わり、乗り捨てたバイクを取りに来たのだが、そのまま居候先の家に帰る事もせずに、ぼんやりと浜辺に佇んでいた。倒れたバイクに腰掛け、濃い藍色の海を、その水面にゆれる月を見ていた。
害を与えてくるならば、どうにかして止めなければならない。
それは自分が。そして大切な人達が生きる為には仕方のないことだ。
もしも相手がそれを止めようとしないならば、力ずくで止めないといけない。
悲しみと、それと悔しさだろうか。ルカの感じているものは。
結果として。今回の事件は死という形で終焉を迎えた。
そうすることでしか解決出来なかったという悲しさと、やはりそう思ってしまう自分の甘さへの悔しさ。
きっとそれは仕方が無い事なのだろう。キラーとなった者は、意思とは無関係に人々を殺しまわるという。
「……うん」
納得させる為に言葉を紡ぎ、ルカは立ち上がる。
辛くても、いい。
大切な人達がいるから。大切な人達を護りたいから。自分は辛くても、悲しくても。いい。と。
「んー」
立ち上がって小さく伸びをしてから。
「お花の配達しないと!」
切り替える為に、そういってバイクを押すのだった。
薄野とフェルヴェルムが救出活動を終えたのは、事件が終わってすっかり夜も更けてからだった。
まだもう少し作業は残っていたのだが、事件も終わり、対策課のほうから本格的な救援部隊が沢山やってきたので、やる事が無くなったのだ。
「くたくた、ですね」
「だね。お疲れ様」
家路の途中、フェルヴェルムの言葉に薄野。
丸一日以上、勿論無償で動いていたという事になる二人だが。しかし、勿論その顔には後悔のそれは見えなかった。
「……あ」
歩いている途中、ふとフェルヴェルムが何かに気がつく。視線を追った薄野も、すぐにそれに気がついて小さく笑う。
『被災者応援! コロッケ無料』
気がつけば、あの時の屋台だった。すっかりボロボロになっていたが、同じ店主がお腹を空かせた人々に無料でコロッケを配っていた。
「僕達も貰おっか」
「一口しか、食べれませんでしたもんね」
二人は屋台の列に並び、順番が来るのを待つ。
やがて順番が来た二人に、薄野達と同じくらいくたくたに見える店主が笑顔でコロッケを渡す。
「おう。大変だと思うけど、がんばれよ!」
「ありがとうございます」
お礼を言って受け取る二人。再び家に向かって歩きながら、ガサガサと紙袋からコロッケを取り出してフェルヴェルムが言う。
「……強いですね」
どんな災害が起こっても、人は助け合い、力をあわせて生き抜いていく。
「そうだね」
感慨深げに、薄野も返す。
電灯も壊れ、星明りだけになった家路を並んで歩く二人。紙袋から覗かせた温かいコロッケを一口頬張る。
「美味しい」
笑顔で。二人同時に呟いた。
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クリエイターコメント | こんにちは。依戒です。
コラボシナリオ。八犬伝。お届けにあがりました。
コラボシナリオには二度目の参加ですが。 うーん。やっぱり楽しかった。沢山のWRで一つの物語を作る。いいですね。 プレイヤーのみなさまも楽しんでいただけたのなら、とても嬉しいです。
さて、長くなる裏話等は、後々ブログに書くとして。あ、良ければ見に来てくださいね。 後々ブログに書くとして、ここでは少し。
やはり精神面を少し捏造。解釈の違い等、なければいいなぁ……。実は少し、不安な部分もあったり。 それと、今回は兄弟の関係が二組あり、わーー! という状態でした。私の頭の中。あはは。こういうのに目が無い。
と、それでは。あまり長くならないうちに。この辺で。
最後に。 参加してくださったみなさま。シナリオを読んでくださった誰かが、ほんの一瞬だけでも、幸せな時間だったと思って下さったのなら、私はとても嬉しく思います。
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公開日時 | 2008-06-07(土) 19:00 |
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