★ 人魚と仮面 ★
クリエイター西向く侍(wref9746)
管理番号252-1638 オファー日2008-01-14(月) 23:33
オファーPC シノン(ccua1539) ムービースター 女 18歳 【ギャリック海賊団】
ゲストPC1 アディール・アーク(cfvh5625) ムービースター 男 22歳 ギャリック海賊団
<ノベル>

 人魚と人間が結ばれて幸せになるなんて、そんな都合の良い話なんてありゃしない。確かに、人間たちが人魚に惚れることは多いさ。でもそれは、人魚を人間だって勘違いしているからさね。人魚が人魚だって解ったら、すぐに化け物あつかいされちまう。そうして、最後はまた海に追われちまうか、悪くすりゃ殺されちまうんだよ。いいや、良くすりゃ、かね。なにせ一度人間といっしょになった人魚を受け入れてくれる国なんて、この海の底にはないからね。一生放浪するしかなくなっちまうのさ。独りきりでね。
 シノンの祖母はいつも彼女にそう言って聞かせた。苦虫でも噛みつぶしたかのように、皺だらけの顔をさらにしわくちゃにしながら、シノンの方を見もせずに、ぶつぶつと呟く。そして、最後には決まってこう言うのだ。
 人間なんて信じるんじゃないよ。特に、男はね。
 だから、シノンは周りの友達が「大きくなったら人間の王子様と結婚するんだ」と夢を語ると、内心不思議に思っていたものだ。そんなことあるはずないのに、と。
 もちろんシノンがそれを口にすることはなかった。友達に気を遣ったわけではない。彼女は生来、言葉にしろ態度にしろ、自分の気持ちを外に向けて表現することが苦手だったからだ。彼女はいつも曖昧にうなずくだけだった。
 ある日、シノンは祖母にたずねたことがあった。
「おばあちゃんは、どうして人間を嫌いなの?」 
 すると祖母はついっと顔を背けて、言った。
「人間はね、ずるがしこいのさ。いつだって嘘ばかりをつく。いつもいつもわしら人魚をだまそうとしている。だからさ」
 シノンがもし、もう少し年を重ねていたら。少なくとも『彼』と出逢ったあとであれば。祖母の瞳が、一瞬懐かしげだったことに気づいたろう。彼女はまだ精神的に幼すぎた。
 人間――それは幼いシノンにとって恐ろしい存在でしかなかった。



 シノンは月に一度だけ陸に上がる。半分は必要に迫られて、半分は好奇心からだ。
 人魚といえども、生活のすべてが海の中だけで完結するわけではない。海で手に入らないものが必要になることもある。たとえば食材だ。人魚が生き続けるためには陸で採れる作物も不可欠なのだ。だから、理由の半分は必要に迫られて。
 そしてもう半分は好奇心。シノンはいまだに人間がどういう存在なのかよくわかっていなかった。なぜなら人間とまともに会話したことすらなかったからだ。長年祖母に、人間は恐ろしいものだと言われ続けてきたことも大きな原因だったし、彼女の控えめな性格もそういった意味ではマイナスに作用していた。それでも彼女が陸へ上がることを厭わなかったのは、楽しそうに生活している人間たちを見ると、大人たちが噂するような悲劇を、彼らが引き起こすとはにわかに信じることができなかったからだ。そういう意味では、正しくも悪くも、人間たちの本性がまったくわかっていなかったということになる。
 いつものように岩場の陰に身を隠し、人魚から人間の姿へ変化する。海の底から持ってきた人間の服を手早く身につけた。水をはじく油紙に何重にも包んでおいたので、服は濡れていなかった。彼女のオレンジ色の髪につく水滴だけが、陽光を照り返して輝いていた。
 シノンは慣れた手つきで岩に登り、浜辺へと出た。海辺の町へ向かって歩き出そうとしたそのとき、
「びしょ濡れの美女、だね」
 不意に声をかけられ、心臓が口から飛び出すほど驚いた。実際に、身体はぴょんと跳ね上がってしまっていた。
 おそるおそる振り返ると、少し離れた岩場のうえに人間の男が寝そべっていた。ゆったりと身を起こした男は、ごく普通の服装をしていたが、以下の二点がシノンに警戒心を抱かせた。腰に差した細身の剣と、いかにもうさんくさそうな仮面だ。
 それは同じ人間でさえ胸の内に警鐘を鳴らすであろう出で立ちだった。顔を隠すにはそれなりの理由というものがあるだろうし、剣を帯びる理由も同様だ。
 はじめから見られていたのか。海から上がる姿を――人魚の姿を見られたのだろうか。今すぐ逃げ出した方がいいのか。悲鳴をあげて助けを呼んだ方がいいのか。いろんな思考が頭を駆けめぐり、目がぐるぐるになる。
 男の口元がへの字に曲げられた。
「びしょ濡れの美女。ビショ濡れのビジョ。ふむ、いまいちだったか」
「へ?」
 男はうなだれていた。仮面の奥の表情はうかがしれないが、非常にがっかりしているように見える。
 ビショ濡れ、そしてビジョ。まさか……親父ギャグ?!
 シノンは嫌な考えを振り払うようにかぶりを振った。こんな場所で、そんな格好で、あんなことを言われたら、普通は判断せざるをえない。この男は、変態だと。
「あ、あ、あのっ! ええっと、その、ごめんなさい」
 意味もなく謝りつつ、シノンは走り去った。なるべく早くその場を離れたかった。よく考えてみれば、市場の店員以外で言葉を交わした人間は初めてだったかもしれない。しかし、初めてが親父ギャグと謝罪の応酬だとは思ってもみなかった。誰だって予想外だろう。
「は、初めてが親父ギャグだなんてっ! もうお嫁にいけないっ!」
 これまた意味不明だったが、シノンにとっては大問題だった。人間に対して、善悪の判断がつかない正体不明のイメージを持っているため、どう反応していいのかわからないのかもしれない。なんとなく恥ずかしくなって両手で顔を覆った。
 と、前方不注意がたたり、誰かにぶつかってしまった。
「きゃっ! ごめんなさい」
 すぐさま謝って横をすり抜けようとした。早く逃げないと仮面の男が追いかけてくるかもしれない。
「おっと」
 野太い声が頭上から降ってきた。同時に二の腕に痛みが走る。つかまれたと気づいたときにはすでに、力任せに引き寄せられていた。はっとして振り仰ぐと、黄色い歯をむき出しにした大きな顔が迫っていた。
「お嬢ちゃん、綺麗な髪をしてるねぇ」
 あまりにいやらしい口調と表情に、シノンは自分の全身を鳥肌が包むのがわかった。喉は恐怖に引きつって、音を発することができない。反射的に身を離そうとしたが、シノンを抱きすくめた男の腕はびくともしなかった。
「はな、はな、はなして……」
「んん? 聞こえねぇなぁ?」
 男がわざとらしく耳を傾ける。もう何日も洗っていないであろう頭髪から、つんと嫌な臭いがした。
 なんとかして逃げなければ。人間がどのようなものかわかっていないシノンでも、この男が危険であることは本能で察知できた。それと同時に、最近聞いた噂話が脳裏をよぎる。
 それは、人間たちの間で、人魚の肉を食べれば不老不死になれるというまったくのデマがまことしやかに流れている、といったものだった。
 人間に食べられる。考えただけでぞっとした。早鐘のように鳴り始めた心臓を、深呼吸で落ち着かせる。まだ自分が人魚だとバレたわけではないのだ。
 なんとかして腕を振りほどかないと……めいっぱい噛みつけば、なんとかなるかもしれない。
「よぉよぉ、アニキぃ。自分だけ楽しんでないで、オレらにもわけてくれよぉ」
 シノンの希望を打ち砕くように、新たに二人の男たちが現れた。二人とも同じような格好をしていた。ベルトに剣を吊しているところから、最初に出会った仮面男も仲間なのだろうと思われた。
 四人が相手では逃げ出せそうにもない。シノンはふっと気が遠くなりそうになった。
 それでも、勇気を振り絞って言う。
「あ、あの、私に何の用があるのですか? お、お、お金だったら、さ、財布に入っているだけしか、も、も、持っていません」
「金? 金だと?」
 シノンは夢中でうなずいた。
「そんなもんに用はねぇなぁ」
「そ、そんな……だったら、なにを……」
 三人の男たちはにやにや笑うだけで答えない。さんざん焦らして、恐怖をあおった挙げ句、男の一人が抜刀した。半月型の曲刀――シミターだ。
「オレたちゃ、お嬢ちゃん自身に用があるんだよ」
 冷たい刃を頬に当てられ、シノンは完全に抵抗する気力を奪われてしまった。これほど恐ろしいことは生まれてこの方、経験したことがなかった。
 そして、彼女を羽交い締めにしている男が、決定的なひと言を放った。
「お嬢ちゃんが、海から上がってくるところを見ちまったんだよ」
「人魚の肉を食ったら死ななくなるってのはホントかねぇ」
「どっちにしろ、高く売れるぜ」
 男たちは、三者三様に舌なめずりをしている。シノンは、死人同然の青白い顔で震え上がった。
「さて、と。まずはどうするかねぇ」
「うへへ。アニキ、まずはちょいと服を斬り裂いて……っ!」
 シミターの男が言い終わらないうちに、なにかが飛来してその頬を浅く斬り裂いた。砂地に突き立ったのは、一輪の赤い薔薇。
「誰だっ?!」
 お約束のように、三人ともが振り返った。シノンも振り返る。
「今すぐ、その汚い手を放すんだな」
 腕組みして立っていたのは、仮面をかぶった、あのうさんくさげな男だった。



「なんだてめぇっ!」
 シミターの男が荒い息を吐くと、仮面の男は肩をすくめてみせた。
「相手に名を訊ねるときは、まず自ら名乗るべきだろう?」
 生意気な態度にカッときた男が斬りかかろうとしたのを、リーダー格の男が制した。
「まぁ、ドラク、落ち着け。ふざけた仮面野郎だが、自分が誰に殺されるか知らないんじゃ可愛そうってもんだ。名乗ってやろうじゃねぇか」
 ドラクと呼ばれた男は、にやりと犬歯を見せると、「おうさ!」と応じた。
「どうでもいいから、さっさとしてくれないかい?」
 仮面の男はあくまで余裕綽々の態度だ。またもや斬りかかりそうになるドラクだったが、今度はもう一人の男が止めた。
「オレたちの名を聞いて、まだ平然としていられるかな?」
 まずはドラクが剣を構えた。
「オレの名はドラク! シミターのドラク!」
 次にもう一人の男。
「オレの名は、イエノン! 髭のイエノン!」
 そう言って、顎髭をさする。
 最後に、シノンを捕まえているリーダー格の男が叫んだ。
「オレ様の名は、クナバ! 鉄拳のクナバ! アシヴァ海賊団の斬り込み三人衆たぁ、オレたちのことだっ!」
 しんと沈黙が落ちた。ざざーんと波の寄せる音だけがむなしく響く。
「ふむ、では、私も名乗らせてもらおうか」
「って、ちょっと待てっ! 言うことはそれだけか?!」
 あわててクナバがまったをかけた。仮面の男は露骨に眉をひそめた。
「それだけだが。ほかになにか?」
 クナバががっくりと膝を折った。捕まっていたシノンが「きゃっ!」と軽く悲鳴をあげる。
「アニキっ! こいつきっと田舎モンですぜ。だから、オレらのこと知らないんでさぁ」
 ドラクがフォローに入り、イエノンも援護する。
「ですぜ。そうでなきゃ、斬り込み三人衆の名を聞いてビビらねぇヤツはいねぇよ」
 そんな三人を尻目に、仮面の男はさっさと名乗りを上げはじめた。
「私の名は、アディール。ギャリック海賊団のアディール・アーク。これから君たちを懲らしめる者の名だ。よく覚えておくがいい」
 しんと沈黙が落ちた。ざざーんと波の寄せる音だけがむなしく響く。
「なぁ、ギャリック海賊団って、知ってるか?」
「いいや、聞いたことねぇな」
「ギャリック? ギックリ海賊団なら知ってるが……」
 なんとなく虚しい空気がその場に充満した。
「お、お互いに知らないってこたぁ、お互いにこれからってことだよな!」
 クナバが空元気いっぱいで立ち上がった。残り二人もうんうん首を振っている。
「う、うむ。その点は同意見だ。私も君たちもこれからだ!」
 アディールも落ちかけた肩を無理矢理もとに戻した。
 シノンはというと、なんだかわけがわからず、ぽかんとしていた。さっきまでの危機感がどことなく霧散しているのは気のせいか。
「気を取り直して……いくぜっ!」
 髭のイエノンもシミターを抜いた。事態が再び緊迫の色を帯びる。しかし、ドラクの分と合わせて二つの切っ先を向けられてなお、アディールは柄に手をかけてすらいなかった。
「そのふざけた態度もいつまでもつかな?」
 まずはドラクが先に仕掛けた。残光を曳きながら、半月刀がアディールの頭頂に向かっ
て振り下ろされる。ドラクは、アディールの剣が細身の長剣、いわゆるレイピアであることを鞘の形状から見て取っていた。レイピアは刺突や受け流しには向いているが、力技には弱い。強度がないため、重い一撃を受け止めることはできないのだ。
 それを見越しての一撃だった。
 だが、アディールは一刀を、よけもしない。レイピアが鞘走った。
 ドラクは勝利を確信してシミターを振り抜いた。レイピアをへし折る感触と、頭蓋を割る手応えを予期して筋肉を硬直させる。
「なにっ?!」
 からぶった。まるでそこにアディールがいなかったかのように、刀身は空を斬った。違う。シミターの先がない。レイピアによって切断されたと思う間もなく、右腕から血がしぶいた。アディールの放った超速の一撃が、傷を負わせたのだ。
 ドラクは腕の傷をおさえながら、悠然と構えるアディールを睨みつけた。イエノンが髭をさすりつつ吠えた。
「野郎っ!」
「待てっ!」
 ドラクの制止を無視して、イエノンが袈裟懸けに斬りつける。すべては遅きに失し、イエノンもまた同じく鋼の刃を斬り取られ、剣を握れないように腕を負傷させられた。まさいく一瞬の出来事だった。
「てめぇ、なにしやがった?」
 うずくまる部下二人に忌々しげな視線を送りつつ、クナバがうめいた。本来ならレイピアごときでシミターが折られるはずもない。折られたのではなく、斬られたのならなおさらだ。
「なにも」
 アディールは不敵な笑みを浮かべつつ、レイピアを十字に振り抜いた。茜色の光があとを追うように流れた。それはレイピア自体が輝いているあかしだった。
「火、だとぉ?」
 クナバの言葉どおりアディールの剣には炎が宿っていた。ドラクとイエノンのシミターは熱によって切断されたのだ。二人の傷口からかすかに立ち上る焦げ臭さもこれで納得がいく。
「ちょっとした特技だよ」
 アディールが刀身を指先でなぞると、ふっと炎は消えてしまった。
「火を操るってわけか……この化け物めっ!」
「ふむ。君たちのように心根の卑しい者たちから、化け物と蔑まれようと、なんの痛痒も感じないね。私が心を凍えさせるのは、心通わせた仲間たちの言葉に対してだけさ」
 アディールがクナバの喉元に向かってまっすぐに剣線を合わせた。
「さぁ、命が惜しかったら、その美女を解放するんだな」
 クナバが悔しさにギリギリと歯がみした。先ほどの剣技を目の当たりにしては、彼がかなうはずもない。剣においてはドラクが一番だったのだから。幸いギャリック海賊団など聞いたこともない。不名誉な噂が広がることもないだろう。命あっての物種というやつだ。
「ちっ、今日のところは見逃してやるぜ。不老不死か、金か、どっちがお目当てが知らねぇが、こいつが欲しけりゃ連れて行きな」
 そう言って乱暴にシノンを地面に突き倒す。顔から砂に突っ込みそうになり、シノンは咄嗟に手をついた。
「化け物同士、仲良くするんだな」
 どこででも耳にするような捨て台詞を残して、クナバたちが逃げ足を発揮しようとし……アディールが立ちはだかった。
「に、人魚は渡しただろうが!」
 約束が違うとばかりにクナバが大きく両手を広げた。
「どうやら、卑しい輩の言葉で心が冷えることはなくとも、熱くなることはあるらしい。そちらの美女に謝罪したまえ」
「はぁ?」
「彼女を化け物と呼んだことに対して、だ」
 仮面の奥から流れる冷たい眼光が、三人を射すくめた。殺気だけでアディールが本気だとわかり、クナバは冷や汗を吹き出しながら「すまねぇ」と小さく謝った。もはや海賊としての矜持など考えている場合ではなかった。
「よろしい」
 アディールが満足そうに剣を納めると、アシヴァ海賊団の斬り込み三人衆は這々の体で逃げ去った。
「ふむ。そう言えば、鉄拳とやらだけ見忘れたな」
 アディールの呑気な一言は、潮騒にまぎれて誰に聞き取られることもなかった。



 仮面の男が手を差し出してくれた。無意識にそれを取ろうとして、はっとひっこめた。よくよく考えたら、この仮面も海賊と名乗っていたのだ。目的は人魚の肉か、お金に決まっていた。地面に手をつき、後じさろうとして、掌に鋭い痛みが走る。
「手を怪我したのかい?」
 身を固くするシノンの手が、半ば強引に引き寄せられた。男は胸ポケットからハンカチを取り出すと手際よく傷口の砂を払い、包帯代わりにしてそれを巻いた。
「悪い病気が入るといけない。家に帰ったらきちんと消毒するんだよ」
 シノンの胸中に光が差した。この男は今なんと言ったのか。聞き違いでなければ、家に帰ったら、と口にしたように思う。
「あ、あ、あの、わた、し……家に?」
「本来なら送ってあげたいところだけれど、さすがに海の中ではね」
 苦笑気味に唇の端をつり上げる。
 シノンには不思議だった。この仮面の男は、どうやら三人の薄汚い男たちとは仲間ではなかったらしい。だから、人魚である自分を取り合って争いが起こったのだ。ところが、勝利者であるはずの彼は、シノンを食べるでもなく、売り渡すでもなく、逃がそうとしている。それどころか、状況を顧みてみると、三人から彼女を助けてくれたようにも思えた。
 人間は善なのか悪なのか。判断しかねているシノンには、無条件で彼の手を握り返すことはできなかった。特にあれほどの恐ろしい目にあったあとだ。できなかった、けれども……
「わ、私のこと、食べない、の?」
 仮面の男は声をあげて笑った。
「宝あるところに海賊あり、ってね。まぁ、人魚伝説があるというから、散歩ついでに来てみたんだけどね。まさか本当に人魚に出会うとは驚いたよ」
「じゃ、じゃあ!」
「ああ、君のことを食べたりするもんか」
 シノンの表情がぱっと明るくなった。
「宝石、金貨、書物……宝と呼ばれるものはたくさんあるけど、そういった宝のなにがすばらしいか、わかるかい?」
 シノンは素直に首を振った。まったく予測もつかなかった。
「宝石も金貨も、美しい。宝とは総じて美しいものなんだよ。美しいものは、手で、舌で、目で、五感をすべて使って愛でるに限る。私がはじめて君を見たとき、美しいと思った。すまないね。実は私も最初から見ていたんだよ」
 かっと顔面に血が上るのがわかった。乱暴な男たちに捕まったときとはまた違った意味で、鼓動が早まった。シノン自身、どうしてそうなったのかわからない。わからないが、あのときのように不快ではなかった。
「そして、そのとき同時に思ったんだ。人魚というものは海の中にいてこそ美しい、とね」
 誘うように差し出された仮面の男の手を、今度こそ、シノンは傷が痛むのにもかまわずしっかりと握り返した。思った以上に温かく、思った以上に柔らかな掌だった。強いが優しい力でひっぱられ、すっと立ち上がることができた。
「さぁ、海へお帰り。美女がまたびしょ濡れになってしまうけどね」
 シノンはくすりと笑った。仮面の男はとても嬉しそうにしていた。後ろ手に別れの挨拶を投げかける男の背中に、シノンはずっと見とれていた。残ったのはわずかな血と炎の匂いだけだった。
 いや、違う。もうひとつ。
 シノンは砂に刺さったままの薔薇を拾い上げると、ふくよかな真紅の花弁に鼻腔を近づけた。かぐわしい花の香りが血と炎の匂いを消し去り、思い出とともに、いつまでもいつまでも彼女の胸にとどまり続けた。



 人魚と人間が結ばれて幸せになるなんて、そんな都合の良い話なんてありゃしない。確かに、人間たちが人魚に惚れることは多いさ。でもそれは、人魚を人間だって勘違いしているからさね。人魚が人魚だって解ったら、すぐに化け物あつかいされちまう。そうして、最後はまた海に追われちまうか、悪くすりゃ殺されちまうんだよ。いいや、良くすりゃ、かね。なにせ一度人間といっしょになった人魚を受け入れてくれる国なんて、この海の底にはないからね。一生放浪するしかなくなっちまうのさ。独りきりでね。
 人間なんて信じるんじゃないよ。特に、男はね。
 何百回と言い聞かされた話のあとに、シノンは決意を秘めてこう言った。
「私、人間とかかわってとても怖い目にあったわ」
 そうだろうよ、そうだろうよと、祖母はやはり苦虫を噛み潰したような顔で首肯した。
「でもね、同じくらい素敵な目にもあったの」
 祖母の目が大きく見開かれた。
「私、人間がどういうものかまだわからないわ。怖いものか、素敵なものか、わからない。だから、それを確かめてみたいの」
「あんた、人間の男に惚れたね?」
 祖母の質問はすでに質問ではなく確認だった。彼女の瞳が懐かしげに細められる。それと似た光を、シノンの瞳もまた宿していたからだ。
「父さんと母さんを説得できるかどうかは、あんた次第だからね」
 あきらめたようにため息をつく祖母は、どこか憎々しげで、どこか羨ましげな口調でそう言い置いた。止めても無駄だということを、誰よりも知っていたのは、祖母だった。
 シノンは大きくうなずくと、勢いよく部屋を飛び出した。その右手には赤い薔薇が一輪、その唇には海賊団の名がひとつ。
「ギャリック海賊団」
 シノンが彼らと出会い、そして仮面の男と再会するのはもう少し先の話だった。

クリエイターコメント納品が遅れ申し訳ありません。

ギャグ寄りとのことでしたが、気がついたらしごく真面目に執筆してしまってました。
ギャグは少ないですが、ご満足いただければと思います。

なにか訂正した方がよい点などありましたら、遠慮なくご連絡ください。
公開日時2008-02-06(水) 18:40
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