★ ごぉ・とぅ・ざ・ふゆ〜ちゃ〜 ★
<オープニング>

 その日、銀幕市役所の前に止まった車は見た目からして明らかに異様だった。
 無理に一言でまとめれば、軽トラック、いわゆる軽トラだ。一言でまとめず、いろいろと異質な部分を挙げていくならば、それこそ陽が暮れてしまいそうだ。
 たとえば、軽トラを使用する主目的は荷物の搬送だ。それは運転席後方の荷台によっておこなわれる。ところが、この軽トラの荷台には荷物を置くスペースがまったくなかった。そこに奇妙奇天烈なメカニックが据え付けられているからだ。
 縦横無尽に伸びている銀パイプ、赤や緑に明滅するライト、時折蒸気のようなものを吹き上げるダクトなどなど、どのような用途のために造られたのか皆目見当もつかない。
 その軽トラは、不思議なものを見慣れている銀幕市民でさえ、近寄りがたい雰囲気を発散していた。
「なんでしょうかね、あれ?」
「軽トラに見えるけどな」
 市役所の入り口に立っていた守衛が、額に汗しながら言葉を交わす。
 守衛とはその名のとおり、警護する者。彼らの使命は市役所の入り口ドアを守ることだ。誰彼かまわず無節操に身を開いてしまう自動ドア。それをサポートするのが守衛という職業。
「とりあえず、入り口前の駐停車はご遠慮ください、だな」
 マニュアルを思い起こしながら、守衛の一人が軽トラに近づく。
 銀幕市役所には日々様々な人物が出入りする。便利屋、もとい対策課が存在するためだ。
 守衛たちは、そんなこんなで異常事態にすっかり慣れてしまっている。
 ところが、今回はその『慣れ』が裏目に出てしまったようだ。
「ぎゃん!」
 運転席の窓へと不用意に寄せた顔面に、ドアがぶち当たる。まさか軽トラのドアが上に開くとは思ってもみなかったので、咄嗟によけることもできなかった。
「ここが市役所だな!」
 中から飛びだしてきたのは、白衣の袖を腕まくりした白髪の男性だった。
「むぅ! もう時間がない。急がなければ!」
 唸りながら腕時計を確かめると、男性は守衛を突きとばして市役所へと突入していった。止める暇などありはしない。
「大丈夫っすか? 入っていっちゃいましたね」
「イテテ。ちっくしょう、あのおっさん」
「どうします?」
「植村さんがどうにかするだろうさ」
 そうとう痛かったのか、忌々しげに吐き捨てる。
 こういったこともまた、守衛たちにとっては慣れた出来事だった。



「あんたが植村か? 早くせんと手遅れになる。対策課とやらの力を貸してくれ!」
「まぁまぁ、落ち着いてください」
「もう時間がない!」
 男性は苛立たしげに、コツコツと腕時計を指で叩いた。
 植村の目が細められる。デジタル表示の腕時計だ。赤い文字が液晶画面に映っている。どうやら流れている数字は時刻ではないようだ。
「ストップウォッチですか?」
「ストップウォッチ? まぁ、当たらずとも遠からずというところだ。この数字がゼロになった時が手遅れのときだ。このままでは、168時間後、つまりは一週間後には歴史が変わってしまう」
 近くで様子を見ていた職員たちが一様に首をひねった。男性の言っていることがまったく理解できない。
 植村は「ふむ」と顎先を指でなでてから、心持ちずり落ちた眼鏡をくいっと持ち上げた。
「とにかく、まずはあなたの出演していた映画のタイトルからお聞きしましょうか」
 とにかく慣れっこな植村だった。
 男性の名はハクスリー・フィーデルといった。彼は映画『Go to The Future』から実体化した科学者だ。『Go to The Future』は、このハクスリー博士が軽トラ型のタイムマシンを発明したところから始まる。彼は友人であり、主人公でもあるジャック青年とともに20年前の過去にタイムスリップすることに成功する。しかしそこでハプニングが起こってしまう。ジャックの母親になるはずの女性――サラ・ガーランドがハクスリー博士に恋してしまうのだ。サラは年上好みだった。それを知ったジャックはタイムパラドックスによる自身の消滅を阻止するため、なんとかしてサラと、父親になるはずの男性――フランク・グレンをくっつけようと奮闘する。
 それだけの情報をパソコンから引き出すと、植村は問題の核心を突いた。
「で、そのジャックさんだけが実体化していないというわけですね」
「銀幕市に初めて来たとき、タイムマシーンに乗っていたはずのジャックが消えておった。おそらく、あんたの言うとおり実体化しておらんのだと思う」
 ハクスリー博士は息も絶え絶えにうなずいた。女性職員の一人が水の入ったグラスを持ってくる。それを一気に飲み干してようやく博士は人心地ついたようだ。
「サラが私に恋をするなどまったくもって予想外だった。どうにかしてサラとフランクをくっつけにゃならん。しかし、私では無理なんだよ。私が会いにいけば、ますます……」
「サラさんのお熱が上がってしまいますね」
 植村が後を受ける。博士は映画の結末を知らないようだ。とにかく映画を観てみれば、今後の展開もある程度はわかるだろう。舞台が銀幕市に変わっている以上、脚本どおりとはいかないだろうが。
「わかりました。協力してくれる方を捜してみましょう」
「ありがたい!」
 ハクスリー博士は、がっしりと植村の手を握った。
「今後ジャックが実体化することがあるかもしれん。そのときに、実体化してすぐにタイムパラドックスで消滅してしまったのでは洒落にならん」
「ええ、わかっていますよ。では、サラさんとフランクさんとの間にこれから何が起こるのか観てみるとしましょう」



シーンA 喫茶店にて

「サラったら、また溜息ついてるわよ」
 指摘されてから、あわてて口をおさえた。そんなサラを、親友のジュディはニヤニヤしながら見つめている。
「なによ。溜息くらいついたっていいじゃない」
 サラはぷいっと横を向いて表情を隠した。そうしなければジュディにすべてを見抜かれてしまいそうだった。ジュディは「ふーん」と言ったきり、意味ありげに沈黙している。
「と、ところで、リックとは最近どうなの?」
「リックとは別れたわ」
「え?! 本当に? じゃあ一週間後のダンスパーティーはどうするの?」
「あなたこそどうするのよ?」
 うまく話をはぐらかしたつもりが、やぶ蛇だ。サラは口ごもってしまう。
「あなた本当にそのなんとかっておじさんに惚れちゃったわけ?」
「おじさんじゃないわ! ハクスリー博士よ!」
 ものすごい勢いで身を乗り出したサラに、ジュディは引き気味だ。自分でも必要以上に興奮してしまったことに気づき、サラは頬を赤らめてゆっくりと腰を落とした。
 今度はジュディが溜息をつく番だった。
「しょうがないわねぇ。そんなどこの誰だかわからない人よりも、ほら、彼なんかいいんじゃない?」
 ジュディが後ろの席をこっそり指さす。コーヒーを飲む間も惜しんで読書にいそしむ眼鏡の青年がいた。
「ええっと……誰だっけ?」
「あきれた! 同じクラスの男の子を知らないの?」
 同じクラスと言われてはさすがに気が引けるのか、サラは控えめに首肯した。
「『くそまじめフランク』よ。いつも勉強ばかりしてるけどね。きっと将来は弁護士か政治家になってお金持ちになるわよ」
 サラはジュディの肩越しにフランクの様子をうかがった。少しだけ興味が出てきたのだ。『くそまじめ』というあだ名や将来の職業が気になったわけではない。彼の手にしている本のタイトルが、自分の大好きな小説と同じだったからだ。
 ふとサラとフランクの視線が交差する。フランクは突然本を閉じ、ばたばたと帰り支度を始めた。
「彼、私のほうを見てたみたい」
「本当に?」
 自分で勧めておいて少し気の毒そうなジュディだ。
「おかわりはいかがですか?」
 いつの間にか、見慣れない顔のウェイターがコーヒーサイフォンのガラス瓶を片手に立っていた。妙にこわばった笑顔だ。
「ここに、おかわりなんてサービスあったかしら?」
「あー、えーと、今日はサービスなんです」
「じゃあ、いただこうかしら」
 サラに向かって話していたはずなのに、ジュディの方がカップを差し出す。ウェイターが露骨に「え?」という顔をする。
「どうしたの? サービスじゃないの?」
「え、ええ。サービスです」
 ウェイターはジュディのカップを受け取り、コーヒーを注いだ。なぜかやたらと後ろばかり気にしている。
 そのとき、帰り支度を終えたフランクが、不自然に顔をそむけてサラたちのテーブルの横――ウェイターの背後を通り過ぎようとした。
「うわっ!」
 フランクが、ウェイターの足につまずいてよろめく。その拍子にウェイターがコーヒーをこぼしてしまった。
「ちょっと! あなた、なんでわざわざこっちを向いてこぼすのよ!」
 サラのつっこみももっともだ。ジュディにおかわりを渡そうとしていたはずなのに、黒いシミは向かいの席のサラのスカートにできていた。
「すみません!」
 ウェイターが頭を下げる。
「あなた、本当に反省しているの? 嬉しそうにニヤけちゃって」
「ぼ、僕が悪いんです。すみません」
 フランクがあわててハンカチを取り出す。
「あ、いえ、あなたのせいじゃないわ」
 サラが遠慮するように両手を振ったが、フランクは丁寧にスカートのシミをふき取っていく。そばに置いた鞄から本の背表紙がのぞいていた。
「ねぇ、あなた、その小説好きなの?」
 サラがフランクに話しかけた。
 ウェイター――ジャックは腰を折ったまま、誰にも見えないところでガッツポーズをつくった。



シーンB ハイスクール前の通りにて

 ハイスクールのダンスパーティーまであと三日しかない。
 フランクは意を決して家を飛び出した。ところが、家を飛びしたときは確かに持ち合わせていたはずの勇気も、通りに来るまでにどこかで落としてしまったらしい。
 フランクは、数メートル先を歩くサラに話しかけることができずに、ストーカーまがいの追跡行為を実行中だった。
 サラのことはハイスクールに入学したての頃から気になっていた。明日こそは話しかけようと毎日のように思い続けて今に至る。
「僕の意気地なしっ!」
 自分自身をなじりながら頭を叩く様は、失笑を誘う光景だったが、彼にしてみれば本気なのだ。
 勉強ならば誰にも負けない自信がある。しかし、色恋沙汰となると……
「僕は彼女をダンスパーティーに誘う勇気もないのさ」
 自嘲たっぷりに呟く。
 それに噂によればサラには今好きな男性がいるらしい。どんな男か知らないが、うらやましいことこの上ない。
 もう帰ろうか。いい加減ストーカー行為がむなしくなってきたとき、突然背後から両肩をがしっとつかまれた。
「あんた、こそこそとなにやってんのよ」
 野太い声に後ろを振り返ると、クラスメイトのマリリンが巨体を揺すっていた。
「や、やぁ」
 弱々しく挨拶するフランクに、マリリンは「ふん」と鼻を鳴らす。鼻息でフランクの前髪が逆立った。
「あたしは、あんたがここでなにをしてるのかって訊いてんのよ、『くそまじめフランク』」
 ひょいっとフランクの身体が持ち上げられる。細身とはいえフランクとて成人男子だ。おそるべき握力と膂力。
 マリリン・アーチャー。クラスで、いや、ハイスクールで最も危険な女子。
「べ、べつに散歩をしているだけだよ」
 がたがたと歯を打ち鳴らしながら、フランクは両手を組んで身の安全を神に祈った。
「散歩ねぇ」
 マリリンがにやりと嗤う。衝撃的光景にフランクの息が止まった。
「あんた、ちょっとあたしにつきあいなさいよ。どうせ暇なんでしょ?」
「え? いや、ちょ、それはさすがにマズイ……」
「デートといえば、まずは映画よね」
「え?! で、デートってなに? いや、もう、意味がさっぱり……ひえっ!」
 マリリンが狩猟民よろしく獲物――フランクを肩に担いだ。
 絶体絶命。まさにそのとき。
「マリリン、マリリン・アーチャー!」
 お持ち帰りされようとしていたフランクの瞳に、一人の若者の姿が映る。
「あれ? 君は確か喫茶店のウェイター?」
 マリリンは名前を呼ばれて、ぎろりと振り返った。あまりの迫力にウェイターが数歩後じさる。
「あたしになにかよう?」
 ウェイターは何かに耐えるように拳をかためている。額には脂汗。
「じ、じつは、あなたに話があるんだ!」
「はぁ? あたしはこれからデートで忙しいのよ。邪魔しないでくれる?」
 マリリンが立ち去ろうとする。フランクがいよいよ蒼白になる。
「お、おれ、おれ、俺はっ! マリリン・アーチャーが好きだっ!!」
 激白。そして、沈黙。
 ぽーんとマリリンがフランクを放り投げた。紙くずをゴミ箱に投げ捨てるくらい無造作だ。
「ぎゃっ!」
 尻をしたたか打ち付けてフランクが地面にうずくまる。
「俺の愛を受け入れる気があるなら、俺を捕まえてみろっ!!」
 意味不明の言葉を叫んで、ウェイターが二人に背を向け全力疾走し出した。
「だぁぁぁぁぁぁりぃぃぃぃぃぃんっっっっ!!」
 つぶらな瞳をハートマークに変えて、重機関車、いやいや、恋の奴隷と化したマリリンが突進する。地響きがフランクのお尻をバウンドさせる。
「いいか、フランク! 勇気だ! 勇気を出せば何でもできる! 君の場合は勇気に加えて愛まであるんだ! やってやれないことはない! 必ずサラをダンスパーティーに誘うんだぞぉぉぉぉぉ……」
 フェイドアウトしていくウェイター――ジャックの涙声を聞きながら、フランクはサラをダンスパーティーに誘う決意を固めていた。

種別名シナリオ 管理番号214
クリエイター西向く侍(wref9746)
クリエイターコメント四つ目のシナリオになります。西向く侍です。
ますますオープニングが長くなっていってるのは気のせいではありません。読みにくくてすみません。

さて、今回は皆さんに恋のキューピッド役を演じてもらいます。
ダンスパーティーでのファーストキスへとサラとフランクを導いてあげてください。

シーンAでは、あらゆる手段を使ってサラとフランクに話をするきっかけを与えてください。偶然を装うもよし、直接サラやフランクと接触するもよし、ご自由にどうぞ。
シーンBでは、フランクにサラをダンスパーティーに誘わせてください。ただしオープニングをご覧になればおわかりのとおり、最大の障害が、文字通り立ちふさがります。彼女の戦闘能力の高さは並々ではないのでお気をつけください。
ラストシーンである、シーンC、ダンスパーティーのシーンはみなさんのプレイング次第となります。

ちなみに、映画で主人公(ジャック)が動いたとおりに動けばいいというわけではありません。舞台が銀幕市に移っていますので、同じようにはシナリオが進まないと考えてください。

最後に、ハクスリー博士を利用したプレイングはOKですが、軽トラ(タイムマシーン)を利用したプレイングはNGとさせていただきます。

また、このシナリオはイベント「タナトス兵団襲来」以前に起こった出来事とします。

参加者
鴣取 虹(cbfz3736) ムービーファン 男 17歳 アルバイター
ニーチェ(chtd1263) ムービースター 女 22歳 うさ耳獣人
<ノベル>

「あー、えー、本当にあなたがニーチェさん?」
 目が点になっているハクスリー博士に、ニーチェが「Yes!」とウィンクする。
 下半身はハイヒールにタイトなミニスカート、すらりと伸びた脚線が男性の目にはまぶしすぎる。それだけでも十分に目立っているのに、上半身にいたっては、『胸元が開いている』だの『へそが出ている』だの、そういったレベルを通り越していた。誤解を恐れずに表現するならば、『布きれを巻いている』だ。
「えーっと、植村から話は聞いておると思うが……」
 目のやり場に困りながら、ハクスリーは話を切り出した。年甲斐もなく頬が紅潮しているのは仕方のないことだろう。
「わかってるわよ。とにかくどんな手を使ってでも、フランクとサラって二人をくっつけちゃえばいいんでしょ?」
 そう言って艶やかに微笑む。
「う、ま、まぁ、簡単にいえばそういうことなんだが。事態はもっと複雑というか。タイムパラドックスの可能性を考慮すると、なるべく目立たぬように時間軸に干渉せねばならず……」
「タイムパートなに? パートで働くの?」
 ニーチェはきょとんと首をかしげる。頭の上で揺れていたウサ耳の片方がぺこりと折れた。
「いや、そうではなくて。タイムパラドックスというのは、時間干渉における……」
 ハクスリーの説明をさえぎって、ニーチェがぱたぱたと手を振る。
「アタシ、難しい話は苦手なの。まぁ、おじさんは泥船に乗ったつもりでここで待っててよ」
 素早く抱きいて、頬に軽いキスをかます。
 真っ赤に固まってしまったハクスリーに「またねン」と言い残してニーチェは悠然と歩み去った。
 口紅のあとを拭くことも忘れ、後ろ姿を見送るハクスリーに「泥船じゃなくて、大船じゃないのか」というつっこみを入れる気力はすっかりなくなっていた。



シーンA 銀幕市とあるカフェにて

 その日、客も少なく、いくぶん手持ちぶさたにしていた鴣取虹(ことり こう)は、カフェの入り口にいつもと同じ青年を発見した。
 いつもと同じように「いらっしゃいませ」と挨拶をし、いつもと同じ足取りで、いつもと同じ席へ案内する。いつもと同じように水の入ったグラスを置くと、いつもと同じように「『いつもの』ですか?」と尋ねた。
「あ、ああ、『いつもの』を頼むよ」
 この青年の『いつもの』はアメリカンだ。
 年は二十歳くらいだろうか。最近彼はよくこのカフェにやってくる。最初に座席を指定されたときは、「わがままな客だ」くらいにしか思っていなかった。しかも、その座席が毎回変わるのだ。かなりのわがままっぷりだ。
 実際に、他のバイト仲間の評判は良くない。愛想も悪いし、長身痩躯で眼鏡をかけた容貌がいかにも『くそまじめ』と呼ぶにふさわしく、理由のない反感を買ってもいた。優等生は嫌われるものらしい。
 しかし、虹の青年に対する印象はすこし違っていた。仕事の合間、なにげに彼の様子を観察していて気づいたことがあったからだ。
「あの、ちょっといいっすか?」
 アメリカンのカップを差し出し、遠慮がちに声をかける。
 なにかを夢中で見つめていた青年は、びっくりした拍子に手にしていたコーヒーカップをひっくり返しそうになった。
「な、なんですか?」
 眼鏡の奧の目つきがいぶかしげだ。
「ええっと、いつも彼女のこと見てるっすよね?」
 虹は声を低くしてそっと耳打ちした。
 途端に、青年の顔色が赤くなって青くなって白くなった。
「な、君はいったいなんなんだい?」
 盛大に唾を飛ばしながら抗議する青年に、虹は頭をかいた。
「あ、あのぉ、俺、ココっていいます。あ、ココっていうのはあだ名で、本名は鴣取虹っていうんすけど……」
 青年があわてた様子で本の後ろに隠れた。ちらっと目だけで見てみると、前の席に座っている女性――つまりは青年がいつも見ている女性がこっちを気にしていた。
 とりあえず、誤魔化すように営業スマイルを送る。誤魔化しきれたかはわからないが、女性はまた友人との会話に戻ったようだ。
「か、彼女はもうむこうを向いたかい?」
 こそこそと青年が訊いてくる。虹は神妙な面持ちでうなずいた。
 青年は「そうか」と安堵のため息をついた。
「ココくん、だっけ? 君が気づいたってことは、彼女も気づいているだろうか?」
「それは、どうっすかねぇ。すんません。そこまでは俺もわからないです」
 青年はいつも違う席を指定しているように見えて、実は法則があった。必ずその女性の座っている席の後ろの席なのだ。
「彼女、綺麗だろう?」
 青年のブラウンの瞳がやさしく細められる。
 虹は素直に「そうっすね」と答えた。
「君は忠告したいんだろう?」
「え?」
「いつも見てて見苦しいから、やめてくれって言いに来たんだろう?」
「え! 違うっす! 逆っすよ! 俺、ずっとお客さんのこと見てたんです。本当にいつもやさしそうな目であの人のこと見てて、だから俺、お客さんのこと応援したくて……」
 途端に青年の顔がくしゃくしゃになった。
「ごめんよ。そんなこと言われるとは思ってなかったんで。僕はダメだなぁ、年下に応援されているようじゃ」
「ダメだなんて、そんなことないっすよ」
 虹がにっこり微笑む。
「ありがとう」
 青年も涙をぬぐって微笑んだ。
「僕の名前はフランクだ。君はムービーファンなんだね」
 虹の背中にくっつき、肩越しに頭だけ出しているパステルブルーのバッキーを見ながら、フランクが言った。
「ええ、こいつの名前は蒼拿(ソーダ)っていうんです」
「ソーダ? めずらしい名前だね」
「こいつの鳴き声が……」
 言いかけたとき、芳しい香りがふわりと空気に混じった。香水の匂いと気づいたときにはすでに、虹とフランクの間に女性が割って入っている。
「ちょっと失礼。相席いいかしら?」
 他に席はたくさん空いているのに、むりやり相席を申し出たその女性の姿を見て、フランクはいそいで鼻血を押さえた。純朴な青年には刺激が強すぎる。
 言わずとしれたウサギ獣人のニーチェだ。
「うふふ。あなたがフランクね。アタシはニーチェ、よろしくね」
 勝手にフランクの隣に腰掛け、語尾にたっぷりハートマークをつけている。
「あ、あ、あ、あ」
「ン? 『あ』なに? わかった! もしかして、愛してる?」
「って、さすがにそれは違うっすよ!」
 虹が横からつっこむ。
「なに? あなたもアタシのこと好きなわけ?」
 今度は、虹がつっこむより先に、フランクがつっこんだ。
「あなた『も』ってなんですか! あなた『も』って!」
「なぁに? じゃあ、フランクはアタシのこと嫌いなの?」
 ニーチェが爪の先でフランクの顎の線をなぞる。フランクは顔全体を紅潮させて口ごもった。
 ニーチェは得意のお色気で、フランクに気持ちを言葉にする勇気を与えようとしていた。たぶん……
「ぼ、僕にはもう好きな……」
「なぁに? 聞こえないわ」
 そう言ってさらに身体を密着させる。たわわにみのった二つの果実がフランクの腕で押しつぶされる。紅い唇がフランクの頬に触れるか触れないかの位置まで近づく。
 保護者属性の虹は、無意識のうちに蒼拿の目を両手で隠していた。テレビでお色気シーンが始まると、年下の同居人にはまだ早いと、さりげなくチャンネルを変えたり、前に立ちふさがったりしているいつもの癖が出てしまっている。
「ぼ、ぼ、僕にはもう好きな人が……」
 蚊の鳴くような声だ。ニーチェがそこからさらに近づこうとする。
「やめてください」
 そうはっきりと言い切ったのはフランクではなかった。腰に手を当て、義憤に燃えた表情で、前の席に座っていたはずの女性が立っていた。
「さ、さ、サラっ! い、いや、こ、これ、これは違う!」
 フランクがものすごい勢いでニーチェを突き放す。「うにゃ」っと奇妙な悲鳴をあげて倒れかかったニーチェを虹が支える。
「あら? なに? お嬢ちゃん、ヤキモチかしら?」
 体勢を立て直しながらニーチェが鼻で笑うように言った。ちょっと当初の目的を忘れつつある。
「公衆の面前です。大人として恥ずかしくないのですか?」
 サラの態度はあくまで毅然としていた。
「このアタシから男を奪おうなんて、いい根性してるわねって、あら?」
「あなたもあなたです、フランク・グレン!」
 サラはすでにニーチェからフランクへと矛先を変えていた。
「ぼ、僕?! 僕はなにもしていないよ!」
「嘘おっしゃい! このような場所で、き、き、き、キスなんて!」
 言った本人も恥ずかしそうにうつむく。
「キスなんてしてない!」
「だって、あなた、さっき顔を近づけて……」
「無実だ! な、なぁ、ココくん?」
 話の急展開についていけず、ぽかんと口を開けていた虹が「フランクさんはなにもしてないっす」とあわてて首を縦に振った。
「そんな、だって、向こうの席から見たら……」
 なんとも気まずい沈黙が降りた。
 サラは勘違いを指摘され、怒っていいのやら泣いていいのやらわからない。フランクもそんなサラにかけるべき言葉を見つけられないでいた。
 作戦が失敗したことでニーチェの耳はしゅんとうなだれ、虹もまた二人を仲直りさせたいがどうしていいのかわからない。
 そのとき、「しゅわわっ」と一声鳴いて、バッキーの蒼拿が虹の肩からサラの肩へと跳び移った。
「きゃっ!」
 突然のことに軽く悲鳴をあげたサラも、次の瞬間には蒼拿の愛らしさに思わず笑みが漏れる。
「なにこの生き物? かわいい」
 次に、蒼拿はぴょんとフランクの膝の上におさまった。
「こ、こいつはね、バッキーっていうんだ」
「バッキー?」
「名前はソーダっていうんだよ」
「しゅわわ!」
「まぁ! 鳴き声が『しゅわわ』だから、ソーダ?」
「たぶんね」
 フランクが肩をすくめる。いつの間にか場の空気がなごやかになっていた。
 虹は「グッジョブ!」と親指と目線で蒼拿に合図を送ると、そっとその場を離れた。名残惜しそうにしているニーチェの手を引くのも忘れていない。



シーンB 聖林通りにて

 虹は時間を気にしながら聖林通りの一角にたたずんでいた。
「遅いなぁ。このあと事務所でバイトがあるんだけど」
 もうかれこれ待ち合わせの時間を十五分ほど過ぎている。
 職業・主婦とはいえ、虹も青春真っ盛りの男子だ。女性と待ち合わせをすれば胸がドキドキする。たとえ、どんな用事があるのか聞かされていなくても……
 人混みがざわめいた。
 それだけで彼女がやってきたことがわかる。
「Hi! ココ!」
 手といっしょに長い耳もおおきく振られていた。
「こんにちは、ニーチェさん」
 いつもどおりの派手な服装に少しだけ目をそらしながら挨拶をする。
「もうっ! ココったら、女性との待ち合わせに遅刻してくるなんてダメよ」
「って、遅れてきたのは、ニーチェさんっ?!」
 正確に四十五度の角度で手のひらが閃く。鋭い動作だ。
「ナイスつっこみよ、ココ。さすがアタシが見込んだ男ね」
「え?」
「いや、こっちの話」
 手をひらひらと振る。
「ところで、俺になんの用なんすか? フランクさんとサラさんに関係することって?」
 カフェでの一件で知り合いになったものの、虹はニーチェが対策課から依頼を受けていることを知らない。もちろん映画のこともだ。ただ単に、フランクとサラのことで話があるから来てくれと呼び出されただけだ。
 そんな虹に、ニーチェはまったく関係のない話を始めた。
「ねぇ、ココくん。スーパーのタイムセールは好きかしら?」
 虹の瞳の奧に炎がともった。まるで古い野球漫画のようだ。
 タイムセール。主婦にとってそれは開戦を告げるラッパ、もしくは突撃の法螺貝。主婦属性の虹がその言葉に反応しないはずがない。
「もちろんっす」
 不敵な笑みだ。
「ということは、逃げ足とか対ぜい肉防御とか、完璧よね」
「逃げ足とか対ぜい肉なんとかはわからないっすけど、狙った獲物は逃がしません」
 虹がどんと胸を叩くと「よく言ったわ」とニーチェがその肩を叩く。
「あれを見て」
 婉然と微笑むニーチェの、白魚のような指先がさす先に、見たことあるような青年がいた。
「あれは……フランクさん?」
「そうよ」
「あれ、大丈夫なんすか?!」
 虹の心配ももっともだ。フランクは『なにか』につかまっていた。たとえて言うなら、肉の塊か。いや、たとえてないか。ともかく、フランクは『なにか』に持ち上げられて苦しそうにしている。
「早く助けないと!」
 急いで駆け寄ろうとする虹をニーチェが止める。
「走る方向が逆よ」
「へ?」
 ニーチェがおおきく息を吸い込んだ。
「マリリーン!」
 『なにか』がぎろりとこちらを振り向いた。虹は視線で射すくめられただけで動けなくなった。
「この人がアナタに告白したいんですって〜!」
「え? いや、ニーチェさん、なに言って?!」
 『なにか』がフランクを放り投げた。紙くずをゴミ箱に投げ捨てるくらい無造作に、そして無慈悲に。
「あとは任せたわよ」
 ニーチェはそう言い残すと、ウサギにふさわしい俊足でフランクをキャッチしに走る。
「って、だいぶ嫌な予感がっ!」
 虹の背中を滝のように冷や汗がつたう。
 『なにか』が咆吼を上げた。
「だぁぁぁぁぁぁりぃぃぃぃぃぃんっっっっ!!」
 つぶらな瞳をハートマークに変えて、重機関車、いやいや、恋の奴隷と化したマリリンが突進する。
「ってこれじゃあ、バイトに間に合わないっすよおおおおおおぉぉぉぉ……」
 フェイドアウトしていく虹の涙声を聞きながら、ニーチェはフランクを抱きかかえた。
「貴い犠牲ね。さぁ、サラのところに行きましょう。ちゃんとダンスパーティーに誘うのよ。じゃなきゃ、ココが浮かばれないわ」
 フランクは一も二もなくうなずいた。



シーンC ダンスパーティー会場にて

 トレイの上にいくつもグラスを乗せ、さらにはそれを両手に持ったまま、器用に人と人の間を抜けていく。一晩限りのアルバイトはそれなりに給料が良いため、気合いが入る。
 どこもかしこもカップルだらけで、独り身の男子には辛い光景ではあったが、虹に気にしている余裕はない。給仕のバイトはなにせ忙しい。
 ふと見知った顔を見つけた。ドレスアップしたサラだ。
「あれ?」
 サラに声をかけているのは、しかしフランクではなかった。いかにも悪人面で身体のおおきな若者だ。
 謎の物体に追いかけられ、バイトに遅刻し、筋肉痛にまでなって助けたフランクはどこへ行ってしまったのか。
「お飲物はいかがですか?」
 さりげなく二人に近寄って、若者にジュースをすすめた。
「いらねぇから、むこうに行ってろ」
 乱暴に追い払われた。
 むっとして立ち去ろうとすると、サラがすがるような目で虹のことを見ている。明らかに強引に誘われて困っている様子だ。
 今回の事情を知らない虹でもわかる。ここは自分の出る幕ではない。すでにキャストは決まっているのだ。
 虹はフランクを探し始めた。彼は必ず会場のどこかにいるはずだ。
 だが、ダンスパーティーの会場には老若男女が入り乱れており、フランクの姿はなかなか見つからない。本来なら学生が参加するパーティーであるはずだが、お祭り騒ぎが大好きな銀幕市民が放っておくわけがなかった。もはや会場の収容人数以上の人が集まりつつある。
「フランクさん、こんなときにどこに行っちゃったんだ」
 気が焦るばかりの虹。
 そのとき、人混みがざわめいた。いや、どよめいた。
 やはり、それだけで彼女がやってきたことがわかる。
「みんな、楽しんでるかしら?」
 ダンスホールの中央に颯爽と現れたニーチェは、深紅のカクテルドレスを身にまとっていた。今夜の衣装を一言で表すなら『きわどい』だろう。とにかく『きわどい』。
 その場にいたすべての男性が、ごくりと唾を飲み込んだ。
 つづいて、すべての女性が自分たちのパートナーをあらゆる手段で攻撃する。軽く睨みつける者から、耳を引っ張る者、頬をはたく者に、ピンヒールで足を踏みつける者、果てはコブラツイストをかけている者もいる。
 ニーチェは一瞬にしてすべての男を虜にし、すべての女を敵に回した。
「もうっ! みんな、仲良くしなきゃダメじゃない」
 そう言って、近くにいた女性の手をとる。
「今夜はダンスパーティーよ。男も女も関係ないわ。みんな楽しく踊りましょう」
 女性といっしょに楽しく踊り始めたニーチェを見て、周りのカップルたちも徐々に踊り始める。
「まだ夜は始まったばかりよ!」
 次々とパートナーを変えては様々なダンスで全員を魅了する。会場は次第にニーチェのペースに巻き込まれていった。
「に、ニーチェさん……やりすぎっす」
 あっけにとられていた虹の視界の隅に、ひとりだけニーチェではなく別の方向を見ている男性が映った。
「フランクさん!」
 フランクは人混みをかきわけながら、まっすぐにサラの元へ走っていく。愛ゆえにサラしか見えていないのか、ただ単にニーチェの格好に慣れてしまっただけなのか、それは誰にもわからない。
「フランクさん、サラさんが!」
 虹が声をかけると、フランクは固い決意の表情で首肯した。
「サラ!」
「フランク!」
 フランクとサラの間を、若者がさえぎる。
「なんだ? てめぇ、『くそまじめ』フランクじゃねぇか。こんなところになんのようだ? さっさとお家に帰って参考書でも開きな」
 肩を軽く押されただけで、フランクは尻餅をつきそうになった。
「さ、サラをはなせ!」
 フランクも勇気を振り絞って若者の胸ぐらをつかむ。相手は蚊に刺されたほどにも感じていない様子だ。
「おいおい、『くそまじめ』がなにしようってんだ?」
 若者は余裕で笑っている。
「サラは、サラは、僕と踊るんだ!」
 フランクが思い切って拳を振り上げるのと、若者がダンスホールの方に気を取られたのはほぼ同時だった。
 派手に踊りまくっていたニーチェがサービスとばかりにセクシーポーズを取り始めたのだ。これで目を奪われない雄がいるだろうか。
 おかげでスロースピードのフランクのパンチでも若者の顔面にぺちりと炸裂した。もちろん腕力のなさが災いして、ダメージはゼロに近い。
 とっさに虹が、手にしていたトレイをフリスビーの要領で投げた。後頭部に見事命中し、若者がそのまま気絶する。
「サラ、大丈夫かい?」
「ええ、ありがとう、フランク」
 ようやく二人は手を取り合うことができた。すべての想いを込めて見つめ合う。
 虹はそんなフランクとサラを見て、心の底からよかったと思えた。
「そこのお二人もこっちに来て踊りましょう!」
 ニーチェがフランクとサラを手招きした。二人ともやさしく微笑みあってダンスホールへと向かった。



「ありがとう、ニーチェさん」
 ハクスリー博士がニーチェの手を握りしめて言った。その手のひらには万感の想いがこもっている。
「まぁ、楽勝だったわね。ココも手伝ってくれたし」
 ニーチェが虹に向かってウィンクする。虹は照れ隠しに頭をかいた。
「まさかそういう事情があるなんて思いもしなかったっすよ」
 すべてが解決したあとにニーチェが事情を説明し、虹もこうしてハクスリー博士と会うことになったのだ。
「ココのこと勝手に利用しちゃってごめんね。他にいなかったから」
 すまなそうに両手を合わせるニーチェに、虹は首を横に振った。
「いや、いいっすよ。気にしないでください。俺もフランクさんとサラさんが結ばれてよかったと思うから」
「そういえば、マリリンはあのあとどうしたのかしら?」
 虹がすこし複雑そうな顔をする。
「ええっと、実はあのあとそのままバイト先へ直行したんすよね。そこの社長がめちゃくちゃ強いんで、助けてもらおうと思って。けっこう苦戦してたんすけどね。それでも、なんとか社長が勝ったんすけど、今度は社長に……」
 嫌な予感にニーチェが青ざめる。くしゃっと両耳をつかんで、聞こえないようにふさいだ。
「も、もういいわ、その先は言わなくても」
 口にするのもはばかられるのか、虹も素直に申し出を受けた。
「ところで、ハクスリー博士」
「なんだね、ココくん」
「タイムマシーンはどうするんすか?」
 興味津々で訊いた虹に、ハクスリーは遠い目をした。その態度に虹もニーチェも不思議そうに首をかしげる。
「壊そうと思っとる」
「「ええっ!」」
 期せずして声がハモった。
「どうして?!」
「私はどうしても未来が見たくてこのタイムマシーンを造った。でもな、この銀幕市に来てから考えが変わった。銀幕市は実に面白い! 未来など覗き見する必要がないくらいに今が波乱に満ちておる。もうタイムマシーンなど必要ないよ」
 ハクスリーが下手なウィンクをしてみせると、ニーチェと虹は顔を見合わせたあと、笑顔でそれに応えた。

クリエイターコメント四作目になります。西向く侍です。

お二人(と一匹?)の活躍によってフランクとサラは結ばれることとなりました。
ありがとうございます。

なにかご意見・ご感想があれば、随時受け付けておりますので、よろしくお願いします。
公開日時2007-09-27(木) 19:40
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