★ 青狼将軍、北方の賊を討ちたる次第 ★
クリエイター西向く侍(wref9746)
管理番号252-1300 オファー日2007-11-21(水) 19:50
オファーPC 刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
<ノベル>

序 −少年−

 その瞬間、少年の心をかすめ盗っていったのは恐怖だった。
 すべてが始まる前、彼の小さな胸には正義感がいっぱいに詰まっていた。誰がなんと言おうと悪行を許してはならないと。
 ところが、いざ命の危機に瀕すると、固い決意もするすると解けてしまい、未成熟な中身がさらされてしまった。
「ははっ! こいつ、しょんべんチビってやがるぜ!」
 罵声を浴びせられて初めて、自分が失禁していることに気づく。
 たとえただの強がりだったとしても、言い返すべきだ。「うるさい」の一言でいい。虚勢が必要な時もある。
「あ、あ、う……」
 声が出ない。顎は金縛りに合ったかのように微動だにしないし、声帯は喉の奥にひっこんでしまって姿を見せない。
「おらよっ!」
 男のひとりが馬の手綱をおもいきり引いた。いななきを後に残しつつ馬頭(ばとう)が持ち上がり、たてがみが千々に乱れる。
 少年はひっと呻いて頭をかかえた。耳のすぐ真横に、蹄が突き立った。
 蹄鉄(ていてつ)が地面にめり込んだ深さが、その威力を物語っている。あと少しずれていたらと思うと、気が遠のきそうになった。
 大地にうずくまる少年を、取り囲む男たちは四人。全員が馬に乗り、武装していた。
「怖くて声も出ねぇみたいだな」
「そいつぁ、困ったな。こいつにはせいぜい派手に泣き叫んでもらわねぇと」
 腰に大剣を帯びた男が、ひらりと鞍上(あんじょう)から身を投げた。
「手伝ってやるぜ」
 少年は出し抜けに左腕を踏みつけられ、悲鳴を張り上げた。
「声、出せるじゃねぇか」
 げらげら笑いながら、さらに男は大剣に手をかける。
 涙で曇った少年の視界に、陽光を照り返した白刃が不吉に煌めく。
 少年は歯を食いしばり、抵抗すまいと意を決した。痛みに、恐れに、なにより自分の無力さに耐え抜いて、すべてをやり過ごすことに決めたのだ。
 少し前まで義憤に燃えていた自分は、いったいどこへ去ってしまったのだろう。いや、最初からそんな自分などいないのだ。
「下手に動くなよ。動くと余計なところまで斬れちまうぞ」
 すっかり萎縮してしまった少年を見下ろす男の目は、黄色く濁っていた。
「まずは指だ」
 左腕は踏みつけられて動かせない。その指に剣先が近づく。
「うあ、や、やめ、やめ……」
 嗚咽混じりの哀願に、男が答える。
「これがてめぇの仕事だろ? 泣いて助けを呼びな!」
 嗚呼、本当に自分は無力だ。
 少年はきつく瞼を閉ざした。



壱 −邂逅−

「それくらいでやめといたらどうだ?」
 ひどく呑気な口調だったので、男たちの誰もが一瞬呆気にとられてしまった。
 話には聞いていたのだが、本当に独りだったことに驚いたのもある。
「聞こえなかったか? それくらいでやめとけって言ったんだけどな」
 二度言われてはさすがに我に返る。大剣の男がお約束の台詞を吐いた。
「てめぇ、何者だ?」
 見当は付いていたが、確かめざるをえない。なにせ現れた男の服装は、とても将軍職に就く者には見えない。
 男は――星翔国軍第三部隊『青狼軍』将軍である刀冴(とうご)は、庶民が身につける一般的な服装に、薄汚れたマントを羽織っていた。まるでただの旅人だ。
 いや、一点だけ、背中に負った長大な棒状のものだけが、彼が尋常の旅人ではないことを示していた。これもまた持ち主同様に、土気色をした布にくるまれているので中身は判然としない。
 刀冴は面倒くさそうに頭をかくと、無言で歩を進めた。
「それ以上近づくな!」
 大剣の男が剣線を、足元の少年から刀冴へと向ける。
「おまえら最近このあたりを荒らし回ってる賊の一味だろ?」
 刀冴の歩みは止まらない。
「それじゃあ、やっぱりてめぇが……」
 男は最後まで言い終えることができなかった。一足跳びに近づいた刀冴の右手が、喉を塞いだからだ。くけっと空気の漏れる音と、ごきっと頸骨の折れる音がした。
 そのまま片腕で力任せに男を放り投げる。残った三人の賊のうちの一人が、仲間を受け止め落馬する。血を吐いたところを見ると、内臓が破裂したようだ。
「野郎っ!」
 いまだ馬上にある二人が同時に動いた。
 一人はベルトに仕込んであった短剣を投擲し、一人は手にしていた革の鞭を振るった。
 刀冴はといえば、別段慌てた風もなく、手の甲で短剣を軽く弾き、逆の腕で、首に巻き付くはずの鞭を受け止めた。至近距離にもかかわらず恐ろしいほどの反射神経だ。
 だが、必殺の一撃をかわされたにしては、賊たちもまだ、刀冴同様に余裕のある表情だ。
 訝しげに鼻の頭にしわを寄せた刀冴の背後から、土埃が舞い上がる。もうもうと立ちこめる砂塵の中から、短剣を持って跳びかかる影があった。賊の一味が、地面に掘った穴に潜って機をうかがっていたのだ。
 両の腕をふさがれた刀冴に、この一刀は防げない。誰もがそう思った。
 誰しもの予測を裏切って、刀冴が肩先にぶら下がった紐に噛みつく。その先は背中にくくりつけた得物の先端につながっていた。龍の彫り物が着いた根付けだ。
 紐を口にしたまま、思い切り首を下にひねり、引っ張る。すると、肩を支点にして長大な得物が勢いよく跳ね上がった。
「ぐがっ!」
 得物の先端が、後背の敵の鼻っ面を殴打する。盛大に鼻血がしぶく。
 刀冴はぷっと根付けを吐き出すと、大きく弧を描いて正面に落ちてきた得物を右手でとらえた。
「ったく、用意周到な賊なんざ、洒落にもならねぇ」
 身体と得物をつないでいた紐を解くと、多少意味不明な言葉をつぶやく。要するに気にくわないということだろう。
 ひゅんと風が鳴いた。
 神速の突きを受けて、短剣を投擲した男が馬上から吹き飛んだ。
 得物は長身の刀冴とさして変わらないほど長い。少しの移動で間合いを詰めることが可能だ。
 さて、刀冴の左腕には鞭が巻き付いている。彼が動けば、鞭を持った男も引っ張られるのが道理だ。
 体勢を崩した鞭男の頭頂部に、無造作な一撃が振り下ろされる。数瞬前には逆の方向で短剣男を突き飛ばしていた得物を使って、だ。突く動作だけでなく、引く動作もまた神速だ。
 額から血を吹きながら鞭男が倒れる。
 この場で息をしている賊は、土の下に隠れていた男だけとなった。
「へ、へめぇ、ほんなほとをひてたたてすむとおもふな」
 鼻を押さえながらしゃべっているのでよく聞き取れない。
「なに言ってんのかよくわかんねぇけど、こういう時の台詞はだいたい相場が決まってるからなぁ。どうせ生意気なこと言ってんだろ」
 自分でうんうんと納得すると、刀冴は男の腹部に蹴りを入れた。
 息が止まって苦しむ男に、刀冴はそれまでとは打って変わって殺気のこもった視線を送ると、
「この子が味わった恐怖や苦しみはこんなもんじゃねぇだろ」
 と言って、上体を起こしたまま惚けている少年に、手と笑顔とを差し出した。
 少年がおずおずとその手を握り返すと、ひょいっと持ち上げられ、立たされた。
「大丈夫か?」
 訊ねる刀冴に、少年は一も二もなく首肯する。
「おい、おまえ。アジトに帰って頭領に伝えな。近々、星翔国将軍、この刀冴様がおまえら全員を叩き斬りに行くってな」
 賊の生き残りは「ひょぼえへろ」とやはりお約束の台詞を残して、這々の体で逃げ去った。



弐 −寒村−

「将軍様みずからお越しいただけるとは」
 村長(むらおさ)を名乗った老人は、感涙にむせびながら刀冴の両手をきつく握りしめた。村長宅に集まった村人たちも、老若男女を問わず、皆顔を輝かせている。
 あまりの歓待ぶりに刀冴は今ひとつ釈然としないものを感じつつも、勧められるままに座に着いた。
 村長宅といってもたいして広くはない。刀冴が、背負っていた棒を傍らに置き、その横で寝そべるだけで部屋の端から端まで届いてしまうだろう。そこに十数人の村人が押し合いへし合いしながら詰め寄っている。
「このようなものしかお出しできませんが」
 村長の妻と思われる女性が、ためらいがちに温かな湯気のたつ湯飲みを据えた。
「ありがたい」
 ほとんど白湯に近い茶をすすり、しかし嫌な顔ひとつせず、刀冴は話を切り出した。
「あらためて言う必要はないかもしれねぇが、俺は、ここら一帯を荒らし回ってるっていう賊どもを平定するため、国王より派遣された者だ」
 どよめきが場を渡る。十数対の目が異様ともいえる期待の光にぎらついた。
 またもや刀冴の胸先を違和感がよぎる。
「できれば、賊の情報が欲しい。人数、武装、拠点、なんでもいいから知ってることを教えてくれ」
 刀冴の申し出に、村人のひとりが勢い込んで叫んだ。
「やつらの砦の場所を知っております」
 熱狂的な同意が渦巻くかと思いきや、なぜか水を打ったように静まりかえる。
 場を取りなすように、村長が慌てて口を開いた。
「わしが代表して話をしましょう」
 老人の目配せを受け、最初に叫んだ村人はうなだれて人混みの後方へと消えてしまった。
 村長の話をまとめると、賊の規模はおよそ五百人。グリフィンやトロルなどの魔物を操って武装しており、自警団程度ではまったく歯が立たない。頭目(とうもく)の男は半魔族であるらしい。半魔族とは、天人族や精霊族と並ぶ超常種のひとつである魔族と人間の、いわゆるハーフであり、高い魔力と身体能力とを有している。
「魔物に半魔族……そいつぁ、並の兵士じゃ相手にならねぇな」
 顎をさすりながら独りごつ刀冴に、若々しい声が疑問を投げかけた。
「将軍様、ひとつおうかがいしたいことがあります」
 大人たちに混じって、先刻彼が賊の手から助けた少年が真剣な顔で刀冴を見ていた。腕に巻かれた包帯が痛々しい。
 周りの大人たちが渋面をつくる。先ほどと似たような空気だ。
「なんだ?」
 刀冴の面白がるような口調に、緊張のあまり気づかず、少年は続けた。
「将軍様はお独りでおいでになったのでしょうか?」
「独りだな」
「失礼かとは思いますが、お独りですべての賊と魔物を退治なさるのですか?」
「まぁ、そうなるな」
「賊は五百――」
「実はな」
 少年を途中でさえぎって、刀冴が身を乗り出す。
「人手が足りねぇんだよ」
 にやりとする一軍の将に、少年をはじめ、すべての人間がぽかんと口を開け放ってしまった。
「たかだか辺境の賊を懲らしめるのに、割ける兵卒はいねぇってことだな。おっと、だったら将軍は割けるのかって顔だな。それがよぉ、なんたら会議やら式典やらに出ねぇからって、文官どもが俺のことをやたらのけ者にしやがるんだよ。典礼長官(てんれいちょうかん)なんか、どうせ最初から式典に出るつもりがないなら都(みやこ)におらずともよいのでは、だとよ」
 からからと笑う刀冴に、誰も何も言えないでいる。
「そういうことで、俺が独りで片づける。他に何か訊きてぇことは?」
 もちろん他になんの質問もしようがなかった。



参 −前夜−

 小さな掘っ立て小屋の中、眉間にしわを寄せながら、刀冴は畳一枚分ほどの広さの紙片とにらめっこしていた。
 村長宅を辞してからすぐにこの小屋に移動してきた。賊に殺された、とある村人の住処(すみか)だったらしい。
 当然、村長は自身の家にて刀冴をもてなすと主張したのだが、独りで考えたいことがあったので固辞した。
 彼が賊の討伐にやってきた理由に嘘はない。本当に王都では人手が不足しているし、本当に賊程度なら彼独りで十分なのだ。むしろ、部下の命を失うことがない分、独りの方が気楽だとさえ思っている。彼独りで十分。十分なのだが――
「きな臭ぇよなぁ」
 と、小屋の戸を叩く音がした。
「入れよ」
 短く答えると、開け放たれた戸の向こうに例の少年がいた。
「ここに来て座りな」
 眼前の畳を叩く。ほこりが舞ったが気にしない。
 躊躇しつつも少年は指定された場所に座った。
「長いことかかったな」
 ここに入ってくるまでの時間を言っているのだ。天人の血を引く刀冴には、少年が戸の前で逡巡している足音が聞こえていた。
「何か俺に言いてぇことがあるんだろ?」
 少年はうつむいたまま沈黙を守っている。
「おまえは唯一、俺のことをまっとうな眼で見てやがる。おまえの問いかけはもっともなもんだったぜ。ふつう賊の討伐隊が独りだってわかったら、困惑するはずだよな。ところが、ここの村人ときたら、平気な顔して俺のことをもてなしやがる」
 少年は、こみ上げてくる激しい感情に耐えている表情だ。
「さらには、自分で言うのもなんだけどよ、俺のこの格好を見ても、将軍だってことを疑いすらしねぇのは、さすがにな」
 なにせ刀冴は平民服を着用しているのだ。まともな神経の持ち主なら、まずは刀冴の素性や実力を疑ってかかるだろう。
 刀冴がにっと白い歯を見せる。少年のこわばりが少し解けたように思えた。
「で、俺に何の用なんだ?」
 言外に、ここまでお膳立てしてやったんだという意味が含まれている。
 少年の瞳が前を向いた。その色はまだ迷走しており、定まっていないようだった。
「将軍様は、どうされるおつもりですか?」
「刀冴でいい」
「刀冴様は、どうされるおつもりですか?」
「どうって?」
「明日には都に帰ってしまうおつもりですか? それとも、ぼくたち村人も斬って捨ててしまうおつもりですか?」
「はぁ?」
 そんなことは考えてもみなかったと、目を瞠(みは)る。
「わざわざそんなことを言いに来たのか? 宣言しただろ、村長の家で。明日は砦に行って賊どもを、それこそ斬り捨てるんだよ」
 少年が大きく首を横に振る。意を決して歯を食いしばった。
「罠が……罠があります」
「まぁ、罠くらいあるだろうな。俺が、おまえを襲っていた賊の一人を逃がしちまったからな」
「そうではありません! そうではなくて、ぼくたちが……」
「もうどっちでも同じことだろ?」
 楽しそうに言う刀冴。
 もしかして、と少年は思い当たったことを口にした。
「刀冴様は、わかっていらっしゃったのですか? わかっていて、わざとあの男を逃がしたのですか?」
「そこまではっきりとは考えてねぇよ。念のため、だな」
「すべてわかっておいでなのに、明日砦に行くのですか?」
「当たりめぇだろ。それが俺の仕事だ」
 刀冴が自慢げに胸を叩く。
「すべてがわかっているのに、それでも行くだなんて……どうしたらそんな勇気が持てるのですか?」
 最後は自問の形だった。
 刀冴は腕を組んで低くうなり声を上げた。
「そうだなぁ、こういうのが勇気って言うのかわからんのだが」
「勇気でしょう?! 死ぬかもしれないんですよ!」
 つい先頃感じた死への恐怖を思い出し、少年の全身に鳥肌が立つ。
「でも、俺が行かなきゃ、おまえたちが殺されちまうだろ?」
 刀冴の口調も表情も、ひどく単純で、ひどくあっさりしたもので、少年はたまらず小屋を飛び出していた。自分自身の弱い部分に耐えられなくなったのだろう。
「あっちゃー、言い方間違えたかな」
 がしがしと頭をかく。
「子供の扱いは苦手だぜ。あいつだったら上手く伝えれたかもしれねぇなぁ」
 都を出る際に、最後まで付き従うと言って聞かなかった相棒の顔を思い出しながら、刀冴は反省しつつ畳に寝転がった。
 明日の出立は朝早い。



四 −開戦−

 村長に案内されて到着した先には、たしかに砦と呼ぶに相応しい建築物が威風堂々と鎮座していた。
 道中、刀冴が「あんたまで付いてきたら見張りに見つかっちまう」と村長の同行を断ろうとしたのだが、「秘密の抜け道を通るから見つかりはしない」と結局最後まで付いてきてしまった。
 実際、通ってきた道は、目的地まで多少遠回りなだけで、特に秘密の抜け道といった感はなかった。昨夜、少年から確証を手に入れていたので、あえて刀冴は何も言わなかったが。
 そして、二人は砦から少し離れた藪の中に身を潜めている。
「どうやって忍び込みますかな?」
 村長の台詞からは慎重な言葉選びがうかがえる。
「老獪だねぇ。忍び込むって言えば、俺のこの性格だから逆に真正面から行くんじゃねぇかと思ってるのかい?」
 老人の皺だらけの顔面がみるみる蒼白になった。
「いつから……いつからおわかりで?」
 あきらめたように漏らす村長に、刀冴は砦の方を見透かしながら答えた。
「最初からいろいろと違和感はあったんだけどな。あの子が偶然襲われてたにしては、地面に賊が潜んでたりとかな。あとは、場所だな。この砦とあんたの村な、やたらと近いんだよ」
 昨夜刀冴がにらめっこをしていた相手はどうやら周辺の地図だったようだ。
「あの砦の奴ら、人を人とも思わぬ所業を繰り返しててな。この村よりも遠くにあるのに壊滅させられちまった村がたくさんあるのさ。だったら、こんなに近くにあるのに、どうしてこの村は生き残ってるんだってな。まぁ、どうやって生き残ってきたのかを考えれば、おのずと答えは出るってもんだ」
 少年のことを告げなかったのは、彼が裏切り者呼ばわりされないようにとの配慮からだ。
「なるほど、たしかに。辺境の寒村に住んでおりますれば、そこまで大きな視野は持てませなんだ」
 そう言って、ぺちりと額を叩く。
「かくなる上は、老い先短い老骨の身ではありますが、わしの命ひとつで済ませていただくわけには参りませぬか? 村人たちも、生死を分くる瀬戸際での選択でした。どうか村人たちには累が及ばぬよう」
 地面に膝をつき、深々と頭を下げる村長に、しかし刀冴は刃を振り下ろさなかった。それどころか、
「真正面からでいいんだろ?」
 と平然と訊いた。
「は? と申しますと?」
「だから、奴らとの約定(やくじょう)だと、俺は砦の真正面におびき出されるはずなんだろ?」
 事態が飲み込めず呆気にとられていた村長も、徐々に理解が進み、最終的には両方の眉を跳ね上げた。
「罠とわかっていながら、みずから飛び込むとおっしゃるか?!」
「あのなぁ、罠にかけようとした、あんたらが口にする台詞じゃねぇだろ」
「それはそうですが」
 口ごもる村長をあとに残し、刀冴は立ち上がる。
「それから、あんたらには何の罪もねぇよ。賊が罠を仕掛けていたのは、俺があの子を襲っていた賊の一人を逃がしちまったせいだ。あんたらのせいじゃねぇ。じゃ、一晩だけだが、世話になったな」
 軽く手を挙げ、飄々たる風情で死地へと赴こうとする。
 その背中に、老人の手が伸ばされたが、むなしく空をつかんだだけだった。
 これで自分が死んでも、村人たちが害されることはないだろう。罠にかかったのも自分の間抜け話で済む。素直に約定を守る連中とも思えなかったが、今回の件で利用価値がまだあると判断されれば村の寿命が延びる。延びれば、次の討伐隊が間に合うだろう。
 もとより刀冴には死ぬつもりなどさらさらなかったが。
 刀冴は右肩から突き出た得物の先に触れ、何度か握りしめて感触を確かめると一気に砦の前の広大な原野に躍り出た。
 びょうびょうと風が吹く。
 まるでこの時のためにあつらえたかのような原野だ。砦は常緑樹の森の奧に建てられているにもかかわらずの、何ひとつ遮るもののない更地だ。
 いや、実際にあつらえたのだろう。罠なのだから。
「さて、トロルにでも森を伐採させたか」
「御名答」
 独りのつぶやきに、応える者がいた。
 砦の正門とおぼしき両開きの扉がゆっくりと開いていく。押しているのは人間の二倍ほども上背のあるトロルたちだ。大人十数人が並んで通れるほどの巨大な門が開ききると、妙にこざっぱりした男が出てきた。
 長身痩躯の標準的な体型で、鎧兜どころか装飾品すら身につけていない。言うなれば、平民服とボロマントで立ち尽くす刀冴と似たような格好だった。
「トロルに木を引っこ抜いてもらい、岩をどかしてもらい、地面を均してもらいました。彼らの取り柄といえば馬鹿力だけですからね」
 砦の中で待機する男に、刀冴の微かな声が届いたとでもいうのか。返答はしっかりと刀冴の疑問に解答を与えている。
 刀冴はそれを不思議とも思わなかった。彼の視力がはっきりと捉えていたからだ。
 男の瞳が、まるで爬虫動物のもののように縦に割れている。魔族の血を引く証だ。
「あんたがこの砦の主か?」
「いかにも。私がこの砦の主、鬼双(きそう)と申します。お初にお目にかかりますね、星翔国軍第三部隊の刀冴将軍」
「すべてお見通しってわけか」
「その割には落ち着いていますね。罠に嵌ったのに慌てないところを見ると、よほどの剛胆か、よほどの阿呆か」
「どっちかってぇと、前者かな」
 うそぶく刀冴に、鬼双は不敵な笑みを浮かべた。
「すぐにわかりますよ、あなたが阿呆かどうかは」
「だから――」
 刀冴の片手が背の得物に伸びる。
「前者だって言ってんだろ!」
 勢いよく抜刀したはずなのに、急制動がかかる。抜けない。それどころか、背中に張り付いたように微動だにしなかった。
 動揺した隙に、二体のトロルが突進してきた。腹の底に響くような足音を響かせ、刀冴めがけて殺到する。
 軽く舌打ちして、後方に跳びすさる。
 人間の頭ほどもある巨大な拳が、地面に穴を穿った。ふだんは門を開閉するのに使われている怪力も、こうして使えば恐ろしい凶器となる。
 続いてもう一撃。
 さらに後方へ。
 そこでぴたりと追撃がやんだ。
「剣が抜けなかったことが不思議でしょうがないといった顔ですね」
 嘲笑混じり、鬼双の勝ち誇った言いように、刀冴は用心深く辺りを見渡す。
 広大な平地の四隅に、飾り太刀のようなものが突き立っているのを発見した。
「見つけましたか? 罠に嵌ったと言ったでしょう? 四方にある剣は、魔法具です。特殊結界を張るための、ね」
「なるほど。その結界のせいで俺の剣は抜けないってわけだ」
「御名答。しかし、さすがは名にし負う銘刀【明緋星(あけひぼし)】、本来なら結界の作用によって千々に砕けるはずなのですが、動きを封じるだけで精一杯とは――。刀冴将軍は星翔国軍一の剣の使い手と聞き及んでおります。はてさて、必殺の剣を抜かずにどこまでやれますかね」
 刀冴はゆっくりと息を吐いた。抜刀できなかった時はさすがに焦ったが、原因がわかれば対処のしようもある。それに……
「剣無しか、ちょうどいいハンデだぜ」
 刀冴の瞳が白金色の光を揺らめかせる。人間ではなく天人としての力を使うべく、覚醒領域を展開したのだ。
 刀冴は右の拳を左掌に軽く打ち付けた。
 ぱんという乾いた音が、激しい戦闘の始まりを告げる戦鼓のように鳴り響いた。



五 −結界−

「まずは力比べといくか!」
 言うが早いか、刀冴は宙に舞っている。
 両脚を折りたたんだ状態で、トロルの額に足の裏を押しつける。発条(ばね)のように刀冴の身体が勢いよく伸びた。
 衝撃を一手に引き受けたトロルの頭部はぐしゃりと潰れ、巨躯は大地に倒れ伏した。
 体術のみで軽々と一匹目を仕留めた刀冴の着地際を狙って、もう一匹が覆い被さるように迫る。トロルは脚が短いかわりに腕が長い。捕まってしまえば、刀冴の拳打や蹴撃は届かなくなってしまうだろう。
 刀冴は逃げるでも、かわすでもなく、すっと胸元に滑り込み、トロルの肘関節をとった。力任せの鈍重な魔物の動きでは、刀冴の体捌きについていけるはずもない。
 突進の勢いも利用して、思い切り投げ飛ばした。
 落下の衝撃で内臓を破壊され、緑色の血を盛大に吹き上げる。
 仰向けに寝そべった魔物は二度と立ち上がることはなかった。
「で、お次はどこの誰だい?」
 汗ひとつ流さず、涼しい笑顔の刀冴に、鬼双もまた笑顔で応じる。
 二人ともまだ余裕たっぷりだ。
「トロル程度では相手になりませんか。では、これでどうでしょう」
 鬼双が手を挙げると、砦の中から武装した人間の兵士が駆けだしてきた。
 次から次へと登場する兵たちの様は、まるで蟻の行列だ。最初の二十人までは数えていた刀冴も、無限に増殖するかのような兵卒たちに、ついには馬鹿らしくなってやめた。最後までかぞえきっていれば、ぴったり百人と出たことだろう。
「今度は数頼みってわけだ」
 周囲を取り囲んだ兵士たちをゆっくりと舐めるように見回す。
 トロルとの戦闘を砦の中から見ていたのだろう。すべての人間たちに隠しようもない怯えがあった。誰が最初に挑むのか、それが問題だ。
「来ねぇのか?」
 刀冴が挑発するように肩をすくめる。誰も動かない。
「じゃあ、こっちからいくぜ」
 姿が霞んだ。ように見えた。
 あまりに速すぎて常人の目では追えなかったのだ。
 三人の兵士が、文字通り吹き飛んだ。トロルを投げ飛ばすほどの腕力だ。人間の体重など軽い。
 間近で危険を感じて、ようやく本能に火がついた。賊たちが一斉に動き始める。
 刀冴は止まらない。
 剣や槍など刃物の類は身をかわすしかない。包囲戦なのだから、前後左右から繰り出される攻撃を避け続けるには、足捌きが要(かなめ)だ。
 刀冴は、一人に一撃ずつを加え、丁寧に敵を無力化していく。
 剣が使えれば、一刀のもとに数人の敵を倒す自信があるが、無手となると確実性を重視するしかない。ただし、同じ一人一撃でも、彼の体術は殺人術ではない。あくまで格闘術だ。真の意味で確実には致命傷を与えきれていない。人体の急所を狙って絶命に至らせることができない分、力をこめるしかない。余計な力が入ると、体力の消耗も早い。
「めんどくせぇな」
 二十人ほど蹴散らしたところで、乱戦から抜け出すように跳躍した。
 人の輪の外に着地する。距離を稼ぐことによって時間を稼いだことにもなる。
 刀冴はおもむろに両手を胸前で合わせた。
「『紅蓮姫』第八節【翔炎鳥】」
 次の瞬間、天に掲げた掌に炎がともり、見る間に巨鳥へと姿を変じていく。刀冴の指先を宿り木にして、紅蓮の鳳凰が今にも飛翔しようと羽ばたいた。その翼長は、大の大人が両手を広げて三人分ほどもある。
 声にならないざわめきが敵軍を駆けめぐった。
「いっくぜぇっ!」
 刀冴が大きく腕を振ると、鳳凰は地面すれすれを低く低く疾走した。地面が焼ける匂いが鼻孔を突く。
 逃げようもなく、ましてや悲鳴を上げる暇もなく、超高熱によって兵士たちが蒸発していく。
 高度な魔法の前では数などまったくの無意味だった。かろうじて難を逃れた者たちが這々の体で逃げ出すばかりだ。
 そのまま全ての敵を焼き尽くすかと思われた火の鳥は、しかし、半分ほどの敵兵を消滅させたあと、真っ直ぐにある一点に向かっていった。四隅に仕掛けられた魔法具のうちのひとつだ。
 刀冴の狙いは魔法具の破壊にあったようだ。魔法具がひとつでも破壊されれば結界は崩れる。
 ところが轟音を立てて突進した炎鳥を、何かが弾き飛ばした。
 強制的に方向を変えられた炎魔法は、砦の一角に飛来し、建物の四分の一ほどを破壊して消え去った。
「残念でしたね」
 門の前に立ったままの鬼双が、腕を魔法具の方に向けていた。別の魔法を使用して邪魔をしたのだ。
「そっちはついでさ」
 強がりか本意か判然としなかった。ただ、まだまだ刀冴に余裕があることは確かだ。
「では、次にしましょうか」
 鬼双が再び手を挙げる。
 すると、大量の賊たちがまた追加された。
「全部で五百だったか」
 村長の話を思い出しながら、刀冴が構えをとる。その耳に、獣の咆吼がねじ込まれた。
 思わず顔をしかめると、砦から鎧を帯びた人型の魔物が出てきた。トロルではない。トロルよりは一回りほど小さい。だが、筋肉は遥かに引き締まっていた。
「今度はオーガかよ」
 うんざりした口調の刀冴が、食人鬼の数を確認する。全部で六体。
 食人鬼としてだけでなく戦闘狂としても知られるオーガだ。単純な攻撃では、かなうまい。
「まだ、ですよ」
 鬼双の不吉な一言とともに、空一面に羽ばたきが散った。
 鷲の頭と翼に、四足獣の身体を持つ魔物、グリフィンだ。その背には人間が跨り、弓矢や投槍で刀冴を狙っていた。こちらは八体。
 空の高みからは矢と槍の雨、地上には二百人以上の兵士と六体の魔物が待ちかまえている。
 果たして、その状況で、刀冴は口元にうっすらと笑みを流していた。
「おもしれぇ。とことんやってやろうじゃねぇか」



六 −血戦−

 降り注ぐ幾本もの矢を巧みにかわしながら、刀冴は魔法を行使すべく魔力を練り上げた。
「『白廉士』第三節【鬼迅風】」
 指先から空気の塊のようなものが放たれる。
 真っ直ぐに飛んだそれは、一番近くにいたオーガの胸元に吸い込まれると、ぶわっという音とともに一気に膨張した。
 風の檻に囚われ、鎌鼬(かまいたち)に切り刻まれる。鉄よりも硬いと言われている食人鬼の皮膚が容易く引き裂かれ、吹き出した血しぶきが渦を巻いて取り囲む。檻の中が真っ赤に染まると、ようやく突風が収まった。後に残ったのは、細切れの肉片だけだ。
 風魔法の恐るべき威力に人間たちは蒼白となったが、オーガたちは同胞の死など関係ないのか、怯む素振りさえ見せずに各々の武器をかまえている。
 その一体に、刀冴が走り寄る。それこそ風よりも速い突進に、オーガの反応が遅れる。
 両手持ちの大剣を大上段から振り抜いたときには、刀冴はすでに空中にいた。
 地面をえぐって停止している大剣の背に、とんと片足で着地すると、そのままオーガの手首、肩と、順番に足を乗せ駆け上がる。
 刀冴はオーガの長身を踏み台にしてさらに上空へと跳び上がった。もちろん去り際に、置き土産としてオーガの頭頂に風魔法を叩きつけるのを忘れていない。
 頭蓋を破壊されて、ゆらゆらと揺れるオーガの死体など一顧だにせず、刀冴は飛翔していたグリフィンの後ろ足につかまっていた。
 刀冴の体重によりバランスを崩した空の魔獣が苦しそうに羽ばたきを強める。
 乗り手も黙ってはいない。手にしていた短槍を下に向けて刀冴を突き刺そうとする。
 繰り出された鉄の槍を片手で受け止めると、刀冴は全力で引っ張った。
 悲鳴を曳きながら落下する乗り手と入れ替わるように、反動を利用してグリフィンの背に登る。
 振り落とそうと暴れるグリフィンの太い首を、刀冴は万力のように両腕で締め上げ、瞬時に頸骨を折った。
 自由落下するグリフィンから、さらに別のグリフィンへと跳び移る。
 乗り手、騎鳥ともに始末したときには、残りのグリフィンたちは警戒して距離をとりつつあった。
 舌打ちして、地面に飛び降りる。
 賊のまっただ中へと降り立った刀冴は、休む間もなく一撃必倒の体術を使い始めた。
 ここまでで、賊の精鋭であるオーガ六体のうち二体、グリフィン八体のうち二体が、瞬殺されていた。驚異的な戦闘力だ。
 だがそれも長くは続かない。体力にも魔力にも限界というものがあった。どちらも使えば使うほど消費していき、最後にはゼロになってしまう。剣が使用できず、慣れない闘い方をしているのでなおさら効率は悪い。
 つづけてオーガを二体、グリフィンを三体、数えきれないほどの兵卒を倒したものの、右脚で兵士を蹴りつけ、左手で飛来した槍をつかみ、右手でオーガの棍棒を受け止めたとき、背後からまた別のオーガの大剣が襲ってきた。
 咄嗟に身体の位置をずらし、背中の得物で防御する。剣が結界の作用によって背に固定されていたことが逆に幸いし、刀傷は防げた。しかし、衝撃は防げない。たまらず前のめりになる。
 ここぞとばかりに殺気が押し寄せた。
「ぐっ! 『黄老翁』第五節【雷縄覇】!!」
 刀冴は力を振り絞り、両手を大きく広げた。
 全身からまばゆい雷撃の網が迸り、周囲の敵をなぎ倒す。目標など定めている時間はなかった。幾条かの雷は、砦を破壊し、森を焼いた。
 しんと静まりかえった戦場で、刀冴が荒い息をつく。
 黒こげの死体も多数あったが、オーガは皮膚を焼かれた程度でまだ健在であり、グリフィンに至っては魔法が届かず無傷だった。
「そろそろお仕舞いですか?」
 黙って見守っていた鬼双が静かに告げた。
 対して刀冴は――
 疲労が色濃い顔に、ふてぶてしい笑みを刻むと、
「まだまだ、だな」
 鬼双を睨みつけ、
「俺を殺してぇなら三千歳級の竜でも連れて来な!」
 と言い放った。
「この期に及んで、まだそのようなことを……」
 鬼双の歯ぎしりは、刀冴の闘気に気圧された証拠だった。
 死する運命のたかだか人間に、自分が一瞬でも圧倒されたことが許せない。鬼双は殺気丸出しの視線で刀冴を射ると、「ならば今すぐに死になさい」と三度手を挙げた。それは最終通告でもあった。
 まだ砦に居た賊たちがすべて出そろう。もとが五百、倒した数が百と五十。孤立無援の将軍を、死地に追い込む兵の数は三百五十ほどもいた。
「懲りねぇ奴らだな」
 刀冴があらためて拳をかまえる。
 今まさに、最後の闘いが開始されようとしたその瞬間。
 場の空気が変わったことに気づいたのは、魔法が使える刀冴と鬼双の二人だけだった。
 原因と思われる場所に、目を向けたのも二人同時。
 戦場の片隅で、結界の魔法具である長剣を引き抜いた少年が叫んだ。
「刀冴様! 思う存分、闘ってください! そして、勝って――」
「莫迦っ! 逃げろっ!」
 刀冴が走るのと、鬼双が魔法の槍を放つのは、これも同時。
 光輝く魔槍は、少年の肩口を貫き、小さな身体は木の葉のように宙に舞った。



七 −解放−

「なんでこんなところに来やがったんだ」
 たまらずきつく揺さぶると、少年はゆっくりと目を開けた。肩からは出血が続いている。
「ぼく、役に立てましたか?」
「しゃべるな。いま治療してやるからおとなしくしてろ」
 傷口に掌をかざし、治癒の魔法を唱える。ただ、傷口をふさぐことはできても、刀冴の魔力では失った血液を補充することまではできない。
「昨夜ははっきりと言えなかったけど……刀冴様と初めて会ったとき、ぼくはわざと襲われてたんです。刀冴様に助けられて、村の人たちを信用させるために。ぼくは全部知ってたんです」
「黙れって言ってんだろ」
 淡い白光が、肩胛骨(けんこうこつ)に穿たれた貫通穴にしみこんでいく。刀冴の口調には焦燥が表れていた。
 それでも少年は口をつぐまない。
「襲われる前は、刀冴様に出会ったらすべてを話すつもりだったんです。あいつらのやってることは悪いことです。でも、それを手伝う村の大人たちだって悪いんだって、思ってたんです。でも、できなかった」
「そんなことはどうでもいいんだよ」
「どうでもよくありません。自分の命が危ないとわかったら、勇気がしぼんでしまったんです。なにもできなかった……」
 少年の声が次第に小さくなっていく。
「刀冴様は言いましたよね。刀冴様が行かないと、ぼくたちが殺されるって。ぼくも思えたんです。ぼくが行かなきゃ、刀冴様が殺されるって。だから、勇気を出して……ぼくには勇気がありますか?」
 刀冴は「莫迦!」と思い切り叱りつけたい衝動をこらえて、なるべく優しく言った。
「ああ、おまえは勇敢だよ。村の大人たちだってできなかったことをやったんだからな」
「そうか……嬉しいです。刀冴様、必ずあいつらを――」
「任せとけ。一人残らず斬り捨ててやるさ。もうどんな悪事もさせねぇよ」
 一度満足げに微笑むと、それきり少年は意識を失ってしまった。
 刀冴は少年を抱きかかえると、振り向きつつ立ち上がった。
 三百の敵兵が見つめていた。
 不思議なことに、刀冴が少年を助ける間、だれも攻撃を仕掛けなかった。それどころか、おとなしく事の成り行きを見守っていたのだ。これは頭目である鬼双の命令というわけではない。鬼双自身も同じ状態だったのだから、命令を出すことなど不可能だ。
 オーガも、グリフィンも、半魔族も、刀冴の全身から立ち上る闘気に当てられ、動けなかったのだ。動けば即殺されると本能が告げていた。
 そして今もまだ呪縛は継続中だ。
 刀冴が一歩前に進む。
 軍勢が一歩後ろにさがる。
 刀冴の視界には敵の姿が入っていない。入ってはいるのだろうが、存在を無視している。それでも襲いかかる者は誰一人いなかった。同族が無惨に殺されても、闘うことをやめなかったオーガたちすら、唸り声さえひそめている。
 刀冴が足を進めるたびに、賊たちは道をあけた。波が引いていくように、両側に分かれていくのだ。まるで触れることすらはばかられる、やんごとなき身分の貴人を迎え入れるかのようだ。
 三百の兵隊たちの壁を無傷で通り過ぎると、刀冴は藪に向かって叫んだ。
「村長、こいつを頼む!」
 すると、刀冴を送ってきた村長が、つまずき転びつつ瀕死の少年を受け取りに出てきた。帰るに忍びなく、こっそり様子を見ていたようだ。
「こいつを死なせないでくれ」
 一言だけ残すと、身軽になった刀冴は再び賊たちの前に立ちはだかった。
 当然ながら、彼の通ってきた道はすでに閉ざされている。
「おまえら、覚悟はできてんだろうな?」
 背に帯びた得物の下端を左手でつかむ。もうそれを縛るものは何もない。
 巻いてあった布きれをひきはがすと、風にたなびく薄布の下から、狼と蘭が現れた。見事な装飾は、長剣を守るべく造られた鞘に施されたものだ。
 右手が肩口まで上がり、柄にかかる。
 無音の戦場に、澄んだ鞘鳴りが響き渡った。
 神代の金属で鍛えられし銘刀【明緋星】。
 朱色の刃は血よりも紅く、柄頭から切っ先まで真っ直ぐに伸びたその長身は歓喜に震えていた。鞘から解き放たれ、主の手におさまったことによって、ようやく力を発揮することができるからだ。
 ここに来てやっと、鬼双が我に返った。
「何をしているのです! そいつをさっさと殺しなさい!」
 屈辱に唇を歪め、殺戮の号令をかけた。
 呪縛の解けた魔物と人間たちが、それまで溜まっていた殺意を吐き出すように、刀冴めがけて殺到した。
「しゃらくせぇ!!」
 左から右へ横薙ぎの一刀。
 オーガの鋼鉄の皮膚も何も関係ない。すべてを易々と斬り裂いて、明緋星が爛と輝く。
 ただの一振りで、十数体の、両断された屍ができあがった。
「――【流転】」
 ぽつりと漏らしたのは、彼が得意とする剣技の名だ。
 まさしく死を振りまく旋(つむじ)と化して、刀冴が往く。
 一振りごとに複数の賊たちが葬り去られる。直接刀身に触れない者もまた、剣圧によって斬り捨てられた。
 かろうじてグリフィンが天からの反撃を試みたが無駄だった。
「――【隔世】」
 空気を断つ一撃が真空を作り出し、地上から空の魔物を斬殺する。
 それまでの激闘が嘘のように、決着という終わりが異常な速度で近づきつつあった。もはや彼を止められる者は存在しない。
 一人を除いては。
「『魔眼王』第四節【黒閃峰】」
 朗々と唄われた呪文は、鬼双のものだ。
 黒い光が一度天に向かって奔(ほとばし)り、戦場の上空で無数の魔力の矢と化し、地上になだれ落ちた。
 無差別攻撃に、仲間であるはずの人間たちも巻き込まれていく。断末魔を叫ぶことすら許されず、多くの兵士が死出の旅へと強制的に送り出される。
 刀冴は魔力の矢を明緋星で斬り伏せ、一切傷を負っていない。これではただ単に自軍の戦力を削るだけだ。
 きっかり十秒後、その場に立っているのは刀冴と鬼双の二人だけになっていた。
「なんの真似だ?」
 愛剣を肩にかついで問いかける刀冴に、鬼双は「邪魔だったからですよ」と答えた。
「正直あなたがここまでやるとは思っていませんでした。久しぶりに闘いを楽しみたいのですよ。一対一でね」
「一対一ねぇ。いろいろと仕掛けてきた割には、最後は一騎打ちかい? 解せねぇなぁ」
「信じる信じないは自由です」
 鬼双がぱちんと指を鳴らすと、結界を張っていた四振りの剣が空を飛び、彼の手元に集まってきた。
「理由が違うんじゃねぇか?」
「理由、ですか?」
 四つの魔法具が鬼双の眼前でひとつに寄り集まる。溶鉱炉に放り込まれたかのように溶け出し、混じり合い、徐々に一本の大剣になっていく。
「誤算だったんだろ? 本当なら明緋星は結界の効果で粉々に砕けるはずだったって、おまえが言ってたじゃねぇか。どうにもその結界とやら、明緋星だけじゃなくて俺の天人としての力まで封じてやがったみてぇだぜ。だから、明緋星は動けなくなる程度で済んだ」
 鬼双は無言で完成した剣をとった。黒い刃の魔法剣だ。
「結界が壊れてから俺が取り戻した力――それが予想以上だったんじゃねぇのか? だから仲間を腹いせに殺しちまった」
「私が八つ当たりしたというわけですか?」
「まぁ、そういうこったな」
「勝手にほざいているがいい!!」
 鬼双が本性むき出しの凄まじい形相で、刀冴に跳びかかった。
 


八 −決着−

 斜め下から斬り上げる魔法剣を、上からねじ伏せるように明緋星が動いた。
 黒と朱の鋼同士が咬み合う。
 散華する火花が、ぶつかり合う力の激しさを示していた。
お互いの刃が逆方向に弾かれ、鬼双はその勢いのまま肩を回し、上段へと刀身を持っていく。袈裟懸けの二撃目を、刀冴に見舞うためだ。
 鬼双の、縦に割れた瞳孔が驚きに見開かれる。
 上に弾かれたと見えた明緋星がまだ下段にとどまっていたのだ。
 実際は、刀冴は手首を返すことによって、最小限の円の動きで弾かれた剣を元の位置に戻したのだが、最初から動かなかったように見えたのもしょうがない。それほどに刀冴の剣捌きは速かった。
「――【不変】」
 刀冴の口から技の名がまろび出たのは余裕からか。
 今度は刀冴の一刀が斜め下から斬り上げる。
「ぐおおおおっ!」
 鬼双にはこれを迎え撃つしか術がない。そして、迎え撃つには剣速をはやめるしかなかった。
 再び、鋼の咬み合う音。
 かろうじて間に合ったものの、鬼双の体勢は大きく崩れた。
 間髪入れずに、刀冴の突きが繰り出される。長刀である明緋星の突きは後ろにさがって避けられるものではない。
 喉元を狙って研ぎ澄まされた刺突を、強引に首をひねって逃げたものの、首の皮が破れ血が流れる。
 一合目は互角、二合打ち合って体勢を崩され、三合目には攻守が入れ替わっていた。おそるべき剣技の冴えだ。
「ならば! 『魔眼王』第一節【連閃華】!」
 なおも追いすがる刀冴に向かって、鬼双の掌が突き出される。小さく咲いた漆黒の華がその花弁を散らすと、敵を切り刻む凶器となって、刀冴に襲いかかった。
 さすがにこの至近距離では、無数の魔力の刃をよけようもない。
「ぐっ!」
 刀冴は魔法の当たる面積を減らすため、身を横に開きつつ、最低限守らねばならない急所だけを明緋星で防御した。
 その結果、腕や脇腹や太腿から血がしぶく。
「ンの野郎っ!」
 すべてをしのいだ後、敵の姿を確認しようとした時にはすでに、鬼双は刀冴の間合いの外へと避難していた。
「『魔艶妃』第三節【壱閃蜂】!」
 剣ではかなわないと、遠距離戦に切り替えた鬼双が魔法を放つ。
 鋭く細い魔力の針が、刀冴の眉間に伸び迫る。
 それを明緋星で瞬時に切断して、間合いを詰めるべく刀冴が詰め寄った。
「『魔眼王』第四節【黒閃峰】!」
 先ほど味方を惨殺したあの魔法だ。
「そいつはさっき経験済みだぜ!」
 刀冴はすべての矢を斬り伏せることによって、この魔法を受けても無傷だった。同じように、明緋星を振るおうとして――
「なにっ?!」
 剣が動かないことに気づく。切断したはずの魔針が明緋星を絡め取っていた。その先は鬼双の手ににぎられている。針ではなく鞭状の魔法だったのだ。
「子供を助けるため最後の魔力を使い果たしたあなたには、これを防ぐ魔法はない。最期です!」
 刀冴を串刺しにするべく、数百もの魔力の矢が地上に突き立った。
「なにっ?!」
 今度は鬼双の叫びだ。
 降りかかる矢を叩き伏せつつ、突進してくる刀冴が見えたからだ。
 明緋星はその手にはない。簡単には魔法のしがらみを断ち斬れないと判断した刀冴自身によって、地面に突き立てられている。彼の剣と化しているのは、背に負っていた鞘だ。鞘を木剣さながらに振るっている。
「鞘ごときで!」
 迫りくる刀冴に向けて、鬼双が魔法剣を片手でかまえた。
「死ね!!」
 まともに受けては鞘など容易く折られてしまう。刀冴は迫りくる剣を、受け止めた瞬間に鞘を手放した。
 鬼双にしてみれば、手応えを期待して振った剣だ。片手であることも災いし、重心を狂わせたまま、前のめりになってしまう。
 刀冴はここで、拳を使うでもなく、蹴りを放つでもなく、まずは鬼双の、剣を持つ腕とは逆の腕に手を伸ばした。
 一瞬、鬼双が訝しげに眉をひそめる。
 刀冴はにやりと笑みを返した。
 刀冴の手につかまれたのは、鬼双が持っていた魔力の鞭だ。その先にはもちろん――
 今度こ鬼双のそみぞおちに蹴りを当てながら、刀冴は鞭を引っ張った。
 明緋星が陽光を反射しながら飛翔する。
 よろめいて膝をつきそうになった鬼双が顔を上げると、眼前には今まさに飛来した愛刀を受け止めた刀冴がいた。
「くっ、ま、待って……」
 一閃。
 賊の頭目は、頭から股間までを一息に斬り下ろされ、両断された。
 ゆっくりと地面にくずおれる鬼双を見下ろしながら、刀冴は血ぶりをする。
「殴り倒してもよかったんだけどな。こいつが結界に封じられたお返しをしたいって言うんでな」
 明緋星が主人の声に応えるかのように、きらりと光を放ったかのように見えた。
「さてと、けっこう手こずっちまったな」
 そんなことを独りごちながら、大きくひとつ伸びをすると、刀冴の瞳から白金色の輝きが失われていった。闘いが終了した証だった。
 トロルによって開かれた原野に、五百からなる賊の屍と、半魔族の屍が散乱している。砦もまた魔法戦の影響でほぼ壊滅状態だ。
 刀冴は、そんなことなどもはや興味がないとばかりに、剣を納めると、のんびりと戦場を後にした。



終 −少年−

 その瞬間、少年の心をかすめ盗っていったのは恐怖だった。
 すべてが始まる前、彼の小さな胸には正義感がいっぱいに詰まっていた。誰がなんと言おうと悪行を許してはならないと。
 ところが、いざ命の危機に瀕すると、固い決意もするすると解けてしまい、未成熟な中身がさらされてしまった。
 そして今、彼の胸中に残っているのは、一度無惨に壊されたものの、新生した想いだった。
 あのときどうして封印の魔法具を抜きに行くことができたのか、よくはわからない。
 わからないが、刀冴が口にした「俺が行かなきゃ、おまえたちが殺されちまうだろ?」という言葉を、今なら少しだけ素直な気持ちで思い出すことができる。
 また同じようなことがあるかもしれない。恐怖の前に勇気が膝を屈してしまうような時がくるかもしれない。
 そのようなことがもしまたあれば、少年は肩の傷跡に触れようと心に決めていた。
 そうすれば、命を救ってくれた刀冴のことを思い出すことができるからだ。
 思い出すことができれば、力がわいてくるような気がする。
 少年はもはや無力ではなかった。

クリエイターコメントこのたびは戦闘オファーありがとうございます。
楽しみながら書かせていただきました。

最初は戦闘のみを描いていたのですが、盛り上げるためにいろいろと味付け(少年など)してしまいました。
味付けしすぎて、元の味がわからなくなっていないか心配です(^^;

魔法は他WR様のプラノベ等から引っ張ってきました。
剣技は名前がなかったようだった(あったらすみません)ので作ってしまいました。

PCの口調・行動等で誤りがある場合は遠慮無くお申し出ください。
公開日時2007-12-08(土) 11:50
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