★ 暗赤色の箱庭で ★
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
管理番号156-4770 オファー日2008-09-22(月) 20:03
オファーPC 麗火(cdnp1148) ムービースター 男 21歳 魔導師
<ノベル>

 カッ――、と、網膜を貫き視神経を焼くような明かりが、麗火を見舞った。
 自分がどこにいて、何をしていて、次に何をすべきか、それどころか自分自身が一体何者であったのかすらも吹き飛んだ。
 現状把握への瞬間的な混乱。
 だが、すぐに上体を起こし、眼鏡越しに視線を周囲に走らせた。
 硬いフローリングの床に転がっていたらしいが、いまのところ自分の体に異常は見当たらない。
 そして、むやみに広い空間は上も下も右も左も、なんの飾りも凹凸もない白い壁に囲まれている。
 自分を照らす照明がどこにあるのかすらも分からない、徹底した白だ。
 どう見ても、つい先程まで自分が歩いていた聖林通りとは思えない。どう考えても、自分が入ろうと思っていた書店でもない。
「……なんだ、ここ」
 思わず洩れた声は、ただのひとりごと。
 答えが返ってくることなど、さして期待していなかった。
 だが。
『お目覚めですね。ようこそ、レイカ様。美しい箱庭の遊戯へ』
 声が降ってきた。
 頭上から。
 反射的に見上げれば、真っ白な光の中に、いつからそこにいたのか、白と銀の衣装をまとったピエロがひとり浮いている。
『それではこれからゲームの説明に移らせていただきましょう』
 優雅に一礼し、ピエロは麗火のすぐ目の前に降りてきた。
 真っ赤な付け鼻を揺らし、真っ赤な大きな口と真っ赤と真っ青の十字のペイントがなされた仮面の奥で、その目が、歪なくらいに大きくわざとらしく笑みのカタチに曲がる。
『ルールはとても簡単です。ダイスを振ってください。そしてダイスの示した数字の部屋へ進み、仕掛けられた“罠”をクリアして、再びダイスを振り、次の部屋へ、それが――』
「何言ってやがんだっ!」
 とっさに手を振り上げる。
 血の色を模した鮮赤の炎が舞った。
 至近距離の発火。
 だが、絶対的な力にでも守られているのか、繰り出す炎のすべてが、ぷしゅりと音を立ててピエロの前で消失した。
 まるで手品のような消失。
 チリチリと焔が麗火に訴える。
 届かない、触れられない、絶対的な見えない壁があるのだと。
 改めて麗火は目と鼻の先に立つピエロを見やる。
『全てはその繰り返し、繰り返しの先にゴールはあるのです。10の扉をすべて開け、10の部屋をすべて踏み越え、そうして白から赤に変わることに耐えられるものだけがゴールに辿り着けるのです』
 ニヤニヤ笑いを止めないままに、相手は決められた台詞を続け、全ての説明を終えた後にもう一度優雅に一礼した。
『それでは、お客様が楽しいひと時をお過ごしになられますよう……』
 そして。
 彼はパチンと軽快に指を鳴らす。
 血を固めたような赤黒い十面ダイスがひとつ、麗火の目の前に落とされた。
 カツン――っ、と冷たく床の上でダイスが跳ねる。
 跳ねて、転がり、くるくる回って、カツリと止まった。
 『5』
 そうダイスは告げている。
「……? おい、どういう――」
 麗火が転がり跳ねるダイスを視線で追いかけた、その一瞬の合間に、ピエロは跡形もなく消えていた。
 探るべき気配すらない。
 どこにも何も見当たらない真っ白い部屋の中、いやに赤いダイスが示す数字を見つめる。
 溜息が洩れた。
 結局自分は巻き込まれたのだ。そしてこのくだらないゲームに参加せざるをえないらしい。
 しかたなく自分でダイスを拾い上げようと手を伸ばした。
 だが。
 ダイスに指先が触れたとたん。
 ずぷり。
 硬質だったはずの白い床が不自然にたわんだ。
 硬質であることをやめたのだ。
 床はぐんにゃりと波打ちながら、麗火の腕を、足を、転がっていたダイスごとのったりと飲み込んでいく。
「う、わ」
 底なし沼に飲まれるというよりもむしろ、ひどくやわらかなものに埋まっていくような感触に包まれて――

 暗転。



『夢を見せてください、美しい悪夢を。さあ、あなたの心に巣食うおぞましき罪に赤く染まりましょう』




『――レイカ』

 誰かの声がする。
 声に促がされるようにゆっくりと目を開けて、麗火は再び眩暈のようなものを感じた。
 白い迷路。
 白い六角形のこの部屋を基点に、十の白い道が続いているようだ。
「ここが『5』の部屋なのか?」
 とりあえずひとつを選んで歩きだすが、景色に変化が生まれることもない。装飾のひとつもない白い壁が延々と折れ曲がりながら続いている。
 何の意味も意図も読み取れない白い世界に思わずこぼれたひとりごと。
 だがそれに、応える声があった。
「なあ、アンタもこれに巻き込まれたのか?」
 呆然とした表情で、若い男が部屋の隅にうずくまっている。絶望で縁取られ、精神があともう少しで擦り切れる、そんな印象の男だ。
「どういうことなんだ、これは」
「もう、勘弁してくれ……なんで忘れてたのに……なんで、もう、終わったことなのに……なんで、ようやく忘れられたのに……」
「どういう意味だ?」
 事情がなにひとつ分からない、その麗火の両腕を掴み、男は焦点の定まらない目で訴え掛ける。
「なあ、教えてくれ、なんでだ、なんで俺は、こんなことになってるんだよ、教えてくれ、オレは、オレの世界に帰りてぇよ……」
「一体いつからここにいるんだ?」
「ダイスなんかもういい、出してくれ、もう、オレを終わらせてく――」
 どこかで、何かが弾ける音。
 引き鉄がひかれたのだと瞬時に悟り、その麗火の目の前に、有無を言わさず無数の槍が降ってきた。
 降ってきた槍は麗火をすり抜け、麗火にすがりついていた男だけを貫き、燃えた。
 目の前で、男の表情が恐怖と想像を絶する痛みに大きく歪んだ。
 断末魔の叫びさえ上げられず、もがくことすら許されず、終わりを望んだ男はその場に縫い止められ、絶命した。
「一体どういうルールだ?」
 何故槍が降ってくるのか、何故男が燃えたのか、何故自分の目の前でなのか、その必然性なんてものはきっと聞いたところで答えてもらえる代物ではないだろう。
 理不尽さを訴えたところで、それに答えてくれるはずもない。
 麗火の周りで、槍が燃え落ちていく。
 男もまた炭になり、崩れていく。
 それでもまだ、焼けつく【赤】が目の前で燃えさかっている。
 麗火は黙って視線を逸らす。
 逸らして、そのまま再び歩きだす。
 見てはいけないものがそこに現れるような気がして怖くなったわけではないと、死にゆく見知らぬ男に胸が痛くなったわけでもないと、そう、ここにはいない誰かに言い訳しながら。
 白い白い白い壁。壁の中でときおりゆらりと影が揺れる。それ以外は何もない、何もなさ過ぎていっそ気持ち悪くなってくる。
 不安にじわじわと浸食され始めた頃、目の前が不意に開け、実に唐突に扉が6つ現れた。
 真っ白な扉の上には真っ赤な数字が『1』から『10』までふられている。扉を開けようにもドアノブにあたる部分がどこにもない。
 そして、手の中にはダイスがひとつ。
「……転がせってことか?」
 何が目的で自分に何をさせたいのか釈然としない、だが行動しなければ何も起こらないのだろう。
 とりあえず床に転がした。
 転がして、出た目は『7』――
 『7』の番号が記された扉が開け放たれた。
 それ以外の扉が壁に吸い込まれて――

 それらの変化を認識し、理解した時にはすでに、麗火は身知らぬ場所に立っていた。
 白い迷路はもうどこにもない。
「……草原?」
 白い空と白い大地と白い草木が、白い『人影』を取り巻いていた。
 あるべき色のない、画用紙に黒インクのペンで主線を引いただけのような、すべての色が抜け落ちた白い空間で、赤だけが燃えている。
 ふわりと声がした。
『麗火』
 誰かの血を燃やしている、誰かの血によって燃えている、禍々しく毒々しい紅が、無口で無表情な存在となってゆらりと形を作る。
 麗火はそこに立っていた。
 燃えさかる炎と、その中心に佇む彼女の後ろ姿をなかば呆然としながら眺めることしか出来なかった。
 白い草原は彼女が一歩動くごとに、赤い炎に飲まれていく。
 火の海だ。
 動物の本能を脅かす炎。
 だが麗火にとっては、恐ろしいとはけして思えない色彩。
『本当は、いらないの』
 彼女は呟いた。つい……と顔を空に向け、どこか遠くを見つめながら、ポツリポツリと呟きを落としていく。
『あなたじゃなければよかった』
 彼女は肩越しにゆっくり振り返り、告げる。
『……ちがう……あなたならよかった』
 どちらも、抉る台詞。
 どちらも、否定の言葉。
『どうして、あなたは生きているの?』
 気をつけていたはずだ。
 誰にも付け入る隙を与えないように、鉄壁の守りを築いていたはずだった。
 なのに。
 揺らいでいる。
 滑稽なほど隙だらけの自分をいっそ笑いたくなる。
『ねえ?』
 炎をまとった彼女が麗火へと歩みよってくる。
 燃えさかる炎が、血色の火の粉を振り撒きながら麗火へと近づいてくる。
 足元の草が燃え始めた。
 一度燃えてしまえばもう、それを止めるものなどなにもない。
 純白の草原は、鮮赤の炎で染め上げられる。
 このままここに留まれば、普通の人間なら間違えなく骨まで消し炭に変わるはずだ。
「どけろ、どけてくれ、邪魔なんだ、どけてくれ……」
 無関心に無感情に振り切ることが出来たなら、どれほど楽になれるだろうか。
 まとわりつく言葉の棘とそこに塗り込まれた毒が麗火を蝕む。
『ねえ、あなたなんて、生まれてこなければよかった――』
 彼女の手の中には、先程転がして、そのままどこかに消えたしまったはずの赤いダイスが。
『でも、そばにいて……』
 彼女は泣き笑いの表情で、手の中に握っていた赤いダイスを自ら飲み込んだ。
 こくりと、ノドが鳴る。
 白い彼女の腹の中に、ダイスは落ちた。
『ずっと傍にいて、呪われていてもかまわないわ、いらないけれど、いてほしいのよ、ねえ……』

 麗火はほんのわずか顔を歪めて、そして彼女の腹に手を伸ばした。
 炎は一層勢いを増す。
 白い草原のもうどこにも白い場所などありはしない。
 このままダイスを転がさずにいれば、麗火は彼女の望むまま、赤い炎に永遠に焼かれることになるのだろうか。
「……母さん、ごめん」
 鮮赤の、先程より深みを増したダイスが麗火の手の中に戻る。
 コロリと転がした。
 『3』
「……これか」
 白い草原に、赤い『3』の数字を閃かせた白い扉が出現した。
 麗火は黙って、扉に手を伸ばした。


『麗火』
 自分の名を呼ぶ、そこには少女がいた。
 白い絵画と白い彫刻に囲まれた白い美術館で、白いワンピースの少女はクスクス笑いながら立っている。
『ねえ、素顔を見せてよ、伊達眼鏡だって知ってるんだから』
「見るな」
『いいじゃない』
「見るなって!」
『嫌がらなくたっていいじゃない、ね?』
 クスクスと彼女は笑った。
『素顔を見せて、ねぇ、いいじゃない、あなたの顔が見たいんだってば』
 必死に抵抗する麗火を上目遣いで笑いながら見つめる。
『ほら、ね、ほら取った! ……、…………』
 楽しそうにイタズラめいた笑みをこぼしていた少女の顔が強張り、固まった。
 怯え、そして嫌悪。忌避すべきモノへの、侮蔑にも似た恐怖。
『……なんで……、なんで、あなたの眼……』 
 怖い、そう呟いた彼女は死んだ。
 怯え、後退りし、踵を返し、掛けだした美術館の壁の向こうで、白い壁から不意に姿を現した腕が、壁の中から抱きしめる腕がナイフをかざす。
 あの時と同じ。
 あの時の光景。
 純白の、石膏のようなナイフが彼女の首を切り裂いた。
 ああ、また記憶が白と赤に塗りつぶされる。
 噴き出す赤。
 どうしようもない赤。
 赤く染まりながら、床に倒れ伏しながら、彼女はクスクス笑っている。
 白いナイフを持った腕が、床から、壁から、天上から、至る所から伸びてくる。
 麗火の肌がザッと粟立つ。
 無残なかつての友人の姿、不吉な白い刃の輝き、無数の腕、無数のナイフ、無数の白、無数のおぞましい――恐怖。
 その中にちらりと閃く赤の色彩。
「あの中から取れって言うのか」
 刃が、閃く。
 無数の腕を薙ぐのは、麗火ではない、麗火とともにある風精だ。
 刻む、切り刻んでいく、石膏のような腕と石膏のようなナイフの内側から流れ出る赤い液体の中から、麗火は小さなダイスを拾い上げた。
 そして、ダイスを転がす。


 大切なものが壊れて行く。
 呪われた自分のせいで。
 自分が魔導師だから、世界の敵だから、呪われた存在だから、それなのにぬくもりを求めたりなんかするから、幸せになりたいと願ったりするから、だから、ほら、だから――


『もうおやめになりますか?』
 時折気まぐれに姿を現しては、白と銀のピエロは冷ややかな笑みと囁きと吐息とを、ざわりと麗火の耳元に吹き込んでいく。
『もう、終わりになさいますか?』
『もう、ご自身の赤に耐えることをおやめになりますか?』
『もう……』
 この遊技場は、麗火の記憶によって作られている。
 見覚えがあって当然だ。
 麗火の記憶の中にあるものばかりなのだから。
 ただそれら一切から色が奪われているだけで、すべては麗火の心の中にあるものばかり。
「人の記憶を喰らって生きてんのか?」
 ピエロは相変わらず楽しそうにニヤニヤニヤニヤ笑っている。
 麗火の感情に反応し、嬉々として焔と風が攻撃を仕掛けるが、相変わらずピエロは何かに守られ、ニヤニヤニヤニヤ笑っている。
『マスター以外が私に触れることはできませんよ、麗火様』
「どうすりゃマスターになれる?」
『ゴールなさった方だけが、我等がマスターとなるのです』
 クスクスニヤニヤ、ピエロは時折情報をこぼしていく。
 だが、それでゲームが有利に進むということはなかった。
 麗火はダイスを振る。
 純白の部屋で槍に襲われ、純白の書庫でナイフに襲われ、そうして真っ赤な記憶達に心の奥を掻き混ぜられながら、、麗火はダイスを転がし続ける。
「ああ、くそ! どこだ、どこにある?」
 このゲーム盤自体をひっくり返し、あのピエロの赤い鼻をめいっぱい締め上げてやりたいと本気で思う。
 だが、ダイスを壊そうとしても『転がす』という以外の一切の干渉を受け付けず、壁はあらゆる攻撃を無効化する。
 壊すことはできない。
 自分が壊れることはあっても、この『世界』を構築するものには一切の破壊が許されない。
「……これを作ったヤツは、一体なに考えてんだ……」
 誰かの願いを叶えるために、チカラを貸すことは嫌いじゃない。
 だが、誰かの思惑で、何ひとつ納得できないままに自分が動かされるのは吐き気がするほど気持ちが悪い。
 自分は人形じゃない。
 自分は道具じゃない。
 自分は、自分は、自分は――、では、なんだと言うのか?
 逃げるという選択肢は、自分にはない。
 だが、このまま唯々諾々とゲームに付きあうこと、そして笑いながら眺めているだろう相手を想像すると不快感が増す。

 それでもやはり赤い〈ダイス〉は転がり、白い〈扉〉は開かれる。

 ――『4』

『どうしてだ?』
 例えばその部屋では、自分に背を向けて、男がうなだれ、問いかける。
『どうして、おまえはおまえの役目を放棄するんだ?』
 彼は問う。
 何度も何度も問いかける。
 どろりと融けるのは、彼を守っていたはずの精霊だ。
『どうして、おまえばかりが……愛され、許される? ……どうして……』
 精霊が彼を取り巻き、彼を呑み込み、彼を燃やし尽くしていく。
 彼はそうなることを望んだわけではないはずだった。なのに、彼は、燃えていく。
 彼の名を、麗火は呼べない。
 呼ぶ資格がないことは、誰より自分が一番よく分かっている。
「くそ、これか!」
『あ』
 目の醒めるような炎の赤の中でたたずむ相手の顔に手を伸ばす。
 自分は機械だ。感情で揺れることなどない、硬質で無機質な機械だ。どんな言葉にも揺らがない、どんな干渉にも反応しない、どこのカテゴリーにも属することのない異形の存在。
 そう自分に言い聞かせて、かつての友人の眼窩にはめ込まれたダイスを抉り出す。
 嫌な感触に、視線だけ外す。
『……麗火……』
 名を呼ばれる、名を呼ばれる度に、頭の芯が痺れて、息が苦しくなる。
 強制参加の赤いゲーム。
 強制的に降り注ぐ真っ赤な記憶。

 ――『9』

『麗火』
 そこでも、やはり名を呼ばれる。
 顔を上げると、そこに『箱』がおいてあった。
 白い信者席と白い祭壇が置かれた、白だけで構成された広い教会の中央に、ぽつんと置かれたその『箱』に、麗火は急激に吐き気を覚える。
 真っ白な箱の底面からじわじわと赤黒い色がしみ出していて、白い床に水溜りを作っていた。
「……今度は、これか……」
 開けてはダメだ。
 開けてはいけない。
 開けてしまえば、
 ほら、ほらそこには、そこには優しかった友人の――
『これはキミへの贈り物だ』
 ほら。ほら、ほら、ほら、開けてごらんよ、そこにある箱を開けて、確認して――
「……」
 気づけば麗火の周りには、同じ箱がいくつもいくつもいくつもいくつも置かれている。
 それらが一斉に開いた。
『さがして』
『さあ、どこにあるかな』
『探せるかい、麗火』
『さがしものはどこかにあるよ』
 いやに毒々しい紅を振り撒きながら、『かつて友人だったもの』の『破片』が飛び散った。
 紅だ、どうしようもないくらいにベッタリと赤にまみれて、麗火は呆然と立ち尽くす。
 本当に殺されるのだ。
 見せしめに、あるいは魔導師の『心』を殺すために。
 大事なものが次々と奪われて、大事なものがいとも簡単に壊されて、大事になってしまったから、大事だと思ってしまったから、悲劇になる。
『ああ、ほら、壊れはじめたよ』『ほら、神様が落ちてくる』『見てよ、天井が』『床が』『壁が』『ほら、早くダイスを見つけなくちゃ、キミはこのまま僕らと一緒に埋められる』
 くすくすくすくす笑い声を転がしながら、無数の記憶の中の友人たちが囃し立て、感情を煽る。
 子供みたいに、いや、子供だ、友人たちはまだ幼くて、年端もいかなくて、これから歩むべき時間がたくさんあったはずの子供だった。
 なのに。
 ああ、匣の中から、悲劇が飛び散る。
「大事じゃなけりゃ、悲劇にならないんだよ」
 匣の中に手を突っ込む。
 ぐしゃりと嫌な感触に包まれるが、あえてソレを無視した。
 心と思考を切り離すことは簡単だ。理性的であればいい。ただ物事をひたすら客観的に、正確に、分析し、解析し、見つけるべき答えを見つけ出せばそれでいい。
 ここに来てようやく、麗火はこの『ゲーム』の趣旨を、その悪趣味な嗜好を知る羽目になる。
 記憶を揺さぶられるのだ、赤い記憶、赤く染められた罪と悲劇の記憶。
 その中にダイスは置かれている。
 ダイスを手に入れ、進まなければ、永遠に終わることがない。
 心が折れ、リタイアを望めば、あるいはそれに類する言葉を口にすれば、ゲームオーバー。
 そういう決まりだ。
 そういう決まり以外にはルールらしいルールがない。
 ため息が落ちた。
 眼鏡のブリッジを押し上げて、眉間にシワを寄せる。
 麗火は忘れることができない。
 忘れることのできない〈魔導師〉にして〈神子〉には、忘れることを望むことすら許されない。
 だから忘れていた過去を付きつけられるのではない。
 忘却の罪を責め立てられるのでもない。
 いつだってそれらの記憶は麗火とともにあるからだ。
 だから今のこの状況は、ひたすらに目の前に並べられていたモノたちを、無理矢理口に押し込まれているのに近いだろうか。
 だが、この程度の攻撃で、心など揺れない。
 揺れたりしない。
 そうでなければならない。
 誰かとともに歩むことも、諦めた。
 なにもかも、『友人』が箱詰めにされ、風精の長が消滅し、少女が炎にまかれ、母に殺されかけたあの日々の中で、感情のすべてを厚い壁の中に閉じ込めた。
 そうすることでしか、自分を守るすべがなかったから。
 誰にも付け入る隙を与えないように、誰も踏み込んだりできないように、誰とも関わったりしないように。
 完璧なまでに鈍感で、無感情で、けして他者によって揺れたりしないから、平気な顔をしてダイスを転がす。
 麗火は突き進む。
 いくつもの扉をくぐり、いくつもの記憶と対面し、いくつもの部屋で血にまみれて、白かった麗火の服が、鮮やかな赤に染め上げられていく。
 それでも麗火は突き進むことをやめなかった。
 突き進むことが麗火の意思だ。
 なんでもないことだ、すべて終わったことだ、なにひとつ心揺さぶるものではない、なにひとつ、なにひとつ……自分を傷つける力はない。
 そう自分に繰り返し言い聞かせながら歩き、ダイスを手に入れ、転がし、扉を開けて、進み続ける。
 出目は、『0』――
「次は『0』だな!?」
 もう何度目か分からない。
 それでも、扉は現れる。
 数字が赤く光る白い扉に、これまでと同じように麗火は手を掛けるのだ。
 そう。
 扉が出現するはずだった。
 気狂いの『白』に塗りつぶされた扉が。
 だが。

「……なんだ?」

 目の前に現れたのは、違う、視界に飛び込んできたのは、〈気狂いの白〉ではなく、〈不穏の赤〉だった。
 天井も床も左右の壁も、置かれたテーブルも、アンティークの椅子も、掲げられた絵画も、ありとあらゆるものは、おぞましいほどに赤一色だ。
 そして、そこに白と銀のピエロがひとり。
『お疲れ様でした、麗火様。お疲れ様でした、ご主人様。お疲れ様でした、魔導師様。お疲れ様でした、罪深き我等が同士』
 ニヤニヤ笑いながら、それでも恭しく礼をする。
「つまり、ここがゴールってことか……」
 全身ありとあらゆる血によって赤く染め上げられた麗火は、この部屋でなによりも赤い存在だ。
『さあ、ご命令を、そして願いを、お聞かせくださいませ、我等がマスター』
「だったら聞かせろ。目的はなんだ? 何がしたくてこんなことしてんだよ。大体さっきのあの男、アイツは本当に巻き込まれた人間なのか、と言うかここに人間っているのかよ、俺だけか、俺になにして欲しくてやってんだよ、答えろ、答えるのは義務だろ、違うか?」
 たまりにたまった疑問をピエロに向けて思い切りぶつける。
 だが。
 パン――ッ
 相手が答えを返すより先に、焔と風が憤怒をともなって襲い掛かっていた。
 攻撃対象は、鮮赤のピエロ。
 ピエロがはじけた。
 ピエロの仮面が引きはがされた。
 ピエロの素顔。
 ピエロは。
 ピエロは、麗火にそっくりの顔で笑って。
 そして。

 ゲーム終了。
 祝福のファンファーレは、どこからも聞こえてこなかった。




 気がつけば、麗火は青空の下に立っていた。
 瞬間、状況把握に混乱をきたす。
 自分がどこにいて、何をしていて、次に何をすべきか、それどころか自分自身が一体何者であったのかすらも分からなくなる。
 ついで、麗火は世界中から自分ひとりが取り残されているかのような錯覚に陥った。
 うんざりするほどの不快感。
 吐き気がこみ上げてくる。
 振り返れば、何もない。
 いつもどおりの銀幕市、いつもどおりの聖林通り、いつもどおりの書店に続くいつもどおりの雑踏の中。
 おもわず舌打ちすれば、労わるように風精に頬をなでられた。
「結局何だったんだ」
 ゲームはクリアした。だが、そこで何を得たわけでもない。
 この街は夢を見ている。
 この街は夢の中で生きている。
 だからあの奇妙なほど白で埋め尽くされた遊技場も、あのゲームも、ピエロも、夢だ、すべて夢、夢なのに、麗火の心は疼いている。
 どうして自分はこんなにも傷ついているのだろう。
 どうして自分は、ちょっとしたアトラクションに巻き込まれただけのはずなのに、こんなにもこんなにもこんなにも痛がっているのだろう。
 いつから自分はこんなにも、あらゆる刺激に『心』が反応するようになったのだろう。
 別に泣いているわけではないし、泣きたくなっているわけでもない。
 ただ、太陽から注がれる光がひどくまぶしいだけだ。
 ただ、それだけだ。
 ――コロリ。
「ん?」
 掠めるように、何かが落ちる。
 どこに引っ掛かっていたのか、麗火の足元で血色の十面ダイスがひとつ転がった。
 赤いダイス。
 真っ赤な、血の色のダイス。
 くるくるとコンクリートの地面の上でまわり、転がり、やがてソレは止まり――
 パン――っ
 数字を確定させる前に、それは粉々にはじけ飛んだ。
「……爆発させるなら余所でやれよ……」
 ダイスをはじけさせた焔は、悪びれもなく麗火にまとわりつき、クスクスと愉しげにしている。
 
 銀幕市の空は、どこまでも青い。
 銀幕市は呆れるほど多彩な色に染まりながら、麗火につかの間の夢を見せる。



END

クリエイターコメントこの度はご指名有難うございますv
遊技場、ダイス、そして心を抉るトラップと、実に惹かれるキーワードから、このような『徒労に終わるゲーム盤』をご用意させて頂きました。
臨場感あふれる戦闘や緊迫感漂うトラップ解除……というよりは、こう、じわじわと内側が浸食されるようなやり取りを目指した演出となりましたが、いかがでしたでしょうか?
少しでもイメージに沿うものとなっておりますように、と祈るばかりです。

それではまた、夢に呑まれた銀幕市のいずこかで再びお会いすることができますように。
公開日時2008-10-10(金) 18:50
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