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<ノベル>
絶望の権化は、依然として銀幕市の上空に居座り続けていた。不気味で巨大な姿がもたらす存在感と絶望感は、あまりにも圧倒的だった。マルパス・ダライェルによって『マスティマ』と名づけられた巨大ディスペアーは、いままでたくさんの困難を乗り越えてきた市民に、厳しい選択を突き付けた。
街や味方の陣営に被害が出るのを覚悟のうえで、これと戦うのか。
大切な街と友人たちを救うために、神の子を殺すのか。
夢のような魔法を永遠に存続させるために、病に臥せる少女を永遠に眠らせるのか。
風轟はマスティマと戦う道を選んだ。
佐藤きよ江は神の子を殺す道を選んだ。
どの選択肢も、生半可な覚悟では選べなかった。市民は三つの選択肢に、期限ギリギリまで悩まされ――そして多数決によって、道は選ばれた。
銀幕市は、マスティマと戦うことになった。
あらかじめエネルギーをチャージしておいたバッキー砲で初撃をお見舞いする。
運がよければこれで倒せるだろう。だが、誰もがコレだけでは終わりそうにないと考えていたのかもしれなかった。その覚悟のおかげで、初撃の軌道をそらされても、ほとんど動揺せずにすんだ。だがマスティマが、血のかわりのように小型ディスペアー〈ジズ〉を放つとは思いもよらなかった。コレも幸い、ジズの襲撃を見越して、ジズ迎撃部隊が結成されていたのだが……。
数はあまりに多すぎた。想像を絶する、とはこういうときに使う言葉なのだろう。それくらい、ジズの大群は圧倒的な数だった。
風轟は、ジズ迎撃班に属していた。
今回の作戦は空中戦だったから、多数のムービースターが協力して、希望する者に飛行能力を与えている。風轟は、与える側だった。彼は大天狗だ。飛行に慣れていない者を、風でサポートしていた。マスティマからジズが噴き出してからも、戦うより、羽団扇を用いて、みんなが飛びやすいよう風向きを調節していたほうが多かったかもしれない。
「まったく、蜂よりも図体のでかいモンが、群れおって!」
風轟はまるで地に足をつけているかのような身のこなしで、向かってきたジズを蹴りつけた。一本歯のゲタが、グロテスクなジズの身体にめりこむ。
ジズの姿ははじめ、翼を生やした光のかたまりだった。しかしいまや、醜悪な、肉と臓物と、牙のかたまりだ。風轟の白い着物やゲタに、腐りかけた色の血糊がベットリ絡みつく。
さすがに、いつもの豪傑笑いを響かせている場合ではなかった。風轟としては、いつでも余裕タップリで笑っていたいのだが。いまはたとえ笑っても、ジズやマスティマの咆哮や、数多の銃声にかき消されそうだ。
「まだだ……ムービーボムは使うな……マスティマに当たらなかったら意味がない……」
マスティマ攻撃班が、ジズの大群に行く手を阻まれている。無線から聞こえてくる音声はどれも焦りを隠しきれていない。
ジズ迎撃班は、予定以上に動く必要があった。風轟は羽団扇を振るい、ジズの群れを吹き飛ばして、道を開けてやった。
「図体のわりに、木っ端のような軽さじゃのう」
ようやく風轟は笑った。
風に飛ばされたジズは、あまりに数が多すぎるせいで、グシャグシャと個体同士が衝突している。翼が折れたり、身体が潰れたりしたジズは、次々に地上へと落下していき――多くは、地面や建物にぶつかる前に、黒い霧と化して消えていった。
「む! いかん」
風轟の目が偶然、自分が吹き飛ばしたジズのある一団をとらえた。
3、4匹のジズが、突風で飛ばされ、糸のようにもつれ合い、空中でジタバタしていた。悪運強く何にもぶつからず、かれらは体勢を立て直した。そこで何か見つけたのか、かれらは地上めがけて急降下していった。
地上からも、ゴールデンアローやスチルショットの攻撃が飛んでいる。ジズは空中の部隊を優先して攻撃しているように見えるが、本当はただ単に目についた市民や動物に手当たり次第に襲いかかっているだけにすぎないのかもしれない。風轟が吹き飛ばした一団は、偶然横をかすめたゴールデンアローの一撃に反応したようだった。
風轟は身をひるがえし、大きな翼で風を一度だけ打って、ジズ同様に急降下した。トンビのような速さで。
羽団扇は使えない。吹き飛ばせば、ジズが住宅街に衝突するだけ。
風轟は、腰の太刀を抜いた。
「キーッ! 外れた! 外しちゃったわっ!」
頭上でもみあっているジズの集団めがけて、きよ江が放ったゴールデンアローの矢は、見事に外れてしまった。3、4匹が固まって飛んできたので、1発撃ちこめば1匹には当たるだろうと考えていたのに、ヤツらは合図でもしたかのようにパッと散開したのだ。きよ江の矢はかすりもしなかった。
急いで第二撃を用意する。
とにかく大声で叫びながらもう一度撃った。
野良犬を追っ払うときの気分そのままだ。とにかく大声で、人間様の怒りがホンモノであるということを言い聞かせてやるのだ。きよ江は昔、ドーベルマンみたいな野良犬を家の前から追っ払ったときを思い出していた。
あのときと同じくらい怖いし、同じくらい必死で、だがあのとき以上に怒っている。
「どりゃーーー!」
「ギシャアゥッ!」
距離が縮まっていたおかげもあって、今度は命中した。
真正面からまともにゴールデンアローを食らった1匹は、たちまち墜落した。だが、あと3匹残っている。
「近づくんじゃないよ! 近づくんじゃ!」
きよ江の後ろには、スーパーまるぎんがある。
後ろに下がりながらもう1発撃った。
ジズはもう、本当に、目の鼻の先にいた。射撃が外れるハズもない。黄金の光が、ジズのいびつな口の中に飛びこむ。そのジズは、悲鳴を上げる間もなく破裂した。
あと2匹……!
しかし、もう、攻撃は間に合わなかった。きよ江は金切り声を上げてとりあえず逃げる。ジズの牙か爪が、腕のあたりを引っかいた。痛みを感じる余裕さえもない。ジズはきよ江の頭を狙って牙をひらめかせたが、きよ江はヘルメットをかぶっていた。ジズの牙は、スコン! と音を立ててはね返される。きよ江がかぶっているヘルメットは、丈夫で安心なステンレス鍋だった。
きよ江はものすごい声を上げて両手を振り回した。いくらか恐怖も混じっているが、ほとんど怒号と言ってよかった。クマでも恐れて逃げだすかもしれない剣幕だ。きよ江はこの怒号で、朝っぱらのカラスをいままで何十羽撃退してきたか知れない。
「フワァアアーーーッ!! アッチ行きなさいアッチ、ふごぉおおおお! ヌオオオオーーー!」
バシッッ!!
きよ江に襲いかかっていた2匹のうちの1匹が、突然まっぷたつになった。
残る1匹は、耳障りな声を上げて身体をひねる。きよ江よりも危険な存在を感じ取ったのだ。目もないのに、ソレがわかるらしい。
しかし振り向いたところで、そのジズもまっぷたつにされた。
「無事かの?」
天狗だった。赤ら顔に高い鼻、一本歯のゲタに、山伏のような出で立ち。どこからどう見ても天狗だ。天狗はジズの成れの果ての黒い霧を吹き飛ばすように、太刀をヒョンヒョン振るってから、腰の鞘に収めた。きよ江ははじめポカンとしていたが、すぐに目を輝かせ始める。
「あらあらあら……! 天狗さん見られるなんて、縁起がいいわぁ!」
「縁起!?」
天狗は素っ頓狂な声を上げて首を突き出したが、やがて空を見上げて大笑いした。
「妖怪ではなく山の神としてもてはやされるとは、久しぶりに鼻が高いわい!」
「ちょっとちょっと、天狗のお兄さん。ヒマならちょっと手伝ってちょうだいよ」
「う? いや、ヒマではないのじゃが……」
「このスーパーをあの怪獣から守りたいの。あたしの職場なのよ。おねがい!」
天狗はちょっと困った顔をしたが、腕を組んで、きよ江の背後のスーパーを見た。
銀幕ジャーナルでもおなじみの、スーパーまるぎん。
周りは住宅街だ。非戦闘員の避難はとっくに終わっているので、空の戦闘の音とディスペアーの叫び声をのぞけば、ひどく静かなモノだった。
「おまえさん、ひとりで、そんな格好で……ここを守っておるのか」
「ほかにも防衛隊はいるんだけどね。散り散りバラバラで好き勝手にやってるのよ」
「見たところ、バッキーも連れておらんようじゃが、よもや」
「そう、そのまさかよ。おばちゃんは身体ひとつで頑張ってんの!」
きよ江は鼻息荒く胸を張った。装備は……エプロンにサンダル。胸にスーパーまるぎんパートの証、プラスチックのフツーの名札。刻印された名前は「佐藤」。おばちゃんパーマをさっき見事にガードした、ステンレス製の鍋。武器はゴールデンアロー一本のみ。
ハッハッハ、と風轟は団扇で顔をあおぎながら高笑いした。
「コリャたまげたわい。女は度胸と言うが、見上げた度胸のお嬢さんじゃ」
「んまぁ……そんな、お嬢さんだなんて……やぁねぇ、天狗さん」
「ワシは杵間山の風轟。あの木っ端どもから、このすうぱあを守ってやるとしよう。佐藤殿」
「佐藤きよ江よ。きよちゃんって呼んでくれていいのよぉ、アハハハハ」
「うわっはっはっは!」
そのとき、上空――マスティマのほうから、ものすごい光と轟音がした。住宅と窓、スーパーまるぎんのシャッターは、ビリビリ震えた。きよ江は悲鳴を上げた。だが、とっさにかがんだ風轟が、光からも衝撃波からもきよ江を守ってくれた。
「な、なに? なんなの、この世の終わり?」
「終わってやせん。あのデカイのは……終わったやもしれんが……」
風轟は言いながら振り返って、ギリ、と歯噛みした。
まだ終わってはいなかった。マスティマは生きている。触手のほとんどを失って……その姿は、さらに醜悪なものに変わっていた……。
それからも、ジズは飛んできた。だが、数えるほどだった。
1匹、はぐれたように飛んできたジズなどは――
「ほうれ!」
風轟がつむじ風を起こしてキリキリ空中で舞わせたところを、
「はいよ!」
きよ江がゴールデンアローで狙い撃ち。
うまく空中で即死させられれば、死骸は地面に落ちる前に消えてしまう。
もう2匹、もつれるようにして飛来してきたが――
「そうりゃ!」
コレも、風轟が風でまるぎんに寄せ付けなかった。
「はーい!」
空中でアタフタしているところを、やっぱりきよ江が狙い撃ち。
きよ江のボウガンの腕前は、格段に上がっていった。主婦には縁のないスキルだと思うが。
しかしふたりの連携は何かに似ている。
バレーボール? ……いや違う、もっと家庭的で日本的っぽいモノ。
「ほーい!」
「はいよー!」
……そうだ、餅つきだ。
ジズの数は目に見えて減っている。マスティマは、空中の攻撃班に任せておくしかない。目下、ふたりの目的は、スーパーまるぎんを守ることだった。
メシャメシャメシャ……。
上空から、イヤな音が聞こえてくる。
マスティマが、ただでさえ気持ちの悪いその姿を、変えていく音だった。
「餅つき」している間にジズの姿をほとんど見かけなくなったので、風轟ときよ江は、手を休めて、その変化を見守っている。
「佐藤殿。おまえさんは、あんな気色の悪いモンを見ずにすんだハズじゃ。なぜ避難せんかった」
「そりゃあ、おばちゃんだって戦わなきゃ、って思ったからだよ」
「いや……ワシのように神通力があるならまだしもじゃが……佐藤殿は、素人じゃろう?」
「天狗さん。あたしゃね、今日も明日も、ウチの人のために晩ごはん作ってあげなきゃなんないの。あんなモノが空にプカプカ浮かんでたら、どんだけおいしいごはん作っても、ロクにノド通りゃしないよ。だから、やっつけたかったの」
「……」
「なんでだろうねぇ。なんだか、コレさえ乗り切れば、あとは大丈夫っていうか……すっかり落ち着いてくれそうな、そんな気がするのよ。怪獣はアレでおしまいって気がね。おばちゃんのカンって、けっこう冴えてるんだよ」
どこか呆然としたような、遠い国の出来事を眺めているような、そんな面持ちで……ふたりはマスティマを見上げ、言葉を交わした。風轟は笑わなくなっていた。きよ江は相変わらずおしゃべりだったけれど、やはりどこか、うわの空なのだ。
マスティマはやがて、巨大な「ひと」へと姿を変える。
「ひと」は、ベイエリアのほうへ走っていき、両腕を振り回し、叫び声を上げ――。
「まるでだだっこだよ。何がそんなに気に入らないんだろうね。イヤなことがあったんだったら、おばちゃんが聞いてやるのにさあ……」
「アレは人間の『絶望』の権化じゃ。荒ぶるのが性のようなもの」
「ふーん。おばちゃんには難しくて、よくわかんないよ」
きよ江は、鼻をすすった。
「アラ。あたしなんで泣いてるんだろうね」
そして。
マスティマは……消えた。
夕飯を作り始めるには、ちょっと遅い時間に、すべての作戦が終了した。
日が沈み、辺りは暗くなってきた。
しかし、地上の勝利の興奮は、しばらく収まりそうにない。
「天狗さん、ほんとにありがとね。助かったわぁ。あたし腰痛くなっちゃったよ」
「わっはっは、人間のおなごにしてはようやったもんじゃ! 感動した! ワシはモーレツに感動しておるぞ」
「これからごはん炊いてお味噌汁作ってお魚焼いて……あー、面倒だわ! 今日はカレー! 勝ったからフンパツしてカツカレーだね。天狗のお兄ちゃんもどーお? 招待しちゃうわよぉ」
「お兄ちゃんとはまた、照れるのぉ。そう呼ばれるのは何百年ぶりかのぉ」
「アラやだ、赤くなっちゃって!」
「いやこの顔はもともと赤いんじゃ! ……しかし、ちょうど腹が減っておってなぁ……お言葉に甘えて馳走になろうかの」
「そうこなくちゃ。ささ、あたしの家はあっち。あ、その前に、ウチの人避難所まで迎えに行かなきゃ。忘れるとこだったわ」
「……して、佐藤殿、カレーの鍋にはよもやソレを使うのではあるまいな?」
「あったり前でしょ。コレがウチでいっちばん大きいお鍋なんだから」
カコカコと、サンダルとゲタを高らかに鳴らしながら、今日仲良くなったばかりのふたりが、黄昏時の住宅街を歩いていく。
とても静かだった。
何もかもがようやく終わったことを、銀幕市の空気までもが理解したかのように。
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クリエイターコメント | 参考画像のイベントピンナップは公開直後に見ましたが、あまりのインパクトに吹いてしまったクチです。申し訳ありません。 おまかせ部分が多かったため好き勝手にやっています。楽しんでいただけたら幸いです。 ありがとうございました! |
公開日時 | 2009-07-24(金) 18:30 |
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