★ "Have a nice trip!" ★
クリエイター諸口正巳(wynx4380)
管理番号100-8427 オファー日2009-06-26(金) 22:04
オファーPC レイ(cwpv4345) ムービースター 男 28歳 賞金稼ぎ
ゲストPC1 ジム・オーランド(chtv5098) ムービースター 男 36歳 賞金稼ぎ
<ノベル>

 ああ、ここでは気に病むことなど何もない。
 自分の身体は、血と肉と骨だけでできている。
 突然開く傷口からは、夢にまで見た赤い血潮だけが散る。
 そこに鉄と亜鉛はあるが、目に見えるほどの大きなかたちを持たず、触れたときに冷たさを感じるほどの硬さもない。血だけだ! 血と肉だけ!
 お にぃ ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁあああん。
 おにぃちゃあああああああああああああん。
 ありがとおおおありがとおおお。
 おおお俺も嬉しいよおおおお。
 ズンズンズンズンチャカズンズンズンチャカ
 ズンチャカズンチャズンチャズンチャ
 ズあああああチャチャチャ! おおああ
 ここは凄い! つなげなくてもつながっている気がする! そう、すべての意思とマウス、年鑑が指の間にあるのだ。こうして爪を動かすだけでつながるつながる。血潮だけが散るのだから。ここは凄い!
 ガキは画面から離れて、部屋を明るくしてから観なさい。
 でないとチカチカ。ほらこんなにチカチカしている。これはシナプスに直接刺激が与えられているから見える光だ。部屋は真っ暗にして、ドアにはがっちりロックをかけた。ドアごとブチ壊さない限り、ジムも中には入ってこられない。
 待てよ。あのパワフルなオッサンなら、ドアなんか大喜びで5枚くらい瓦割りすっぞ。
 ズンズンドカドカズンドカドカ
 鼻から吸ったっけ? 注射針使った? いや前頭葉に直接! ッスよ!
 あぉおおおおふぅ! きっくぅぅぅぅ!
 お お お
 おにぃちゃああああああああああああんん。
「おい!」
 首筋から血が飛び散った……山吹色のかがやきを浮かべた血だ。美しい。いい匂いがする。
 イイコトしてく?
 今は22XX年……22XX……。
「おい、なにしてやがんだ!」
 部屋が暗い……温かい。膝を抱えてうずくまり、ぷかぷか漂っていたい気分。
 とてもいい気分だ……ここには何も恐れるものはない……。
 そうだよレイ、皆レイに感謝してるよ……。大好きだよ……。いっしょにいようよ……。
「『RTB』?」
 え・へ・へ・へ・へ
 涎がとろとろと垂れ落ちた。
「てめ、てめぇこいつは、『ライディング・ザ・ブレット』か? そうなんだな? アホかぁーーーッ!!」

 真っ赤な衝撃。

 仮想モニタのすべてが、見事にエラーを起こした。飛んだ。何も見えない。だが、メインモニタが一瞬復旧したので、ジム・オーランドの鬼のような形相と、その馬鹿でかいパンチをとらえた静止画像だけが、黒い視界に四角く浮切り取られて、浮かび上がっていた。
 ジムが怒号を上げたとおり、レイは俗に『RTB』と呼ばれるドラッグで、はるか彼方にすっ飛んでいる最中だった。しかし今は物理的にすっ飛んでいた。ジムに殴り飛ばされたのだ。
「あぁ……うぅ……ジム……」
 もう1発。今度は頬を張り飛ばされた。パンチよりはましだろうか。ほとんど痛みはない。
「あーうージム、じゃねェタコ! 何発打ったんだ。何発、どこに打ちやがった!」
「前頭葉に3発。左腕静脈に5発。3時間前。ドアには鍵かけた。これで大丈夫だ。これで前頭葉に3発――あーうー」
「……!!」
 なんとか復旧した視界の中、ジムの顔は鬼のままだった。身体は動かなかったし、舌も、脳さえも、痺れている。まるで動かない。幸せな死体になった気分だ。とても幸せだったが、レイはジムに担ぎ上げられていた。
 おかしい……。
 ジムの帰りは明日の午後になるはずだった。
 ジムはドラッグ嫌いだった。『RTB』など、見つかり次第殴られてから取り上げられるだろう。だから、ジムの不在時を狙ってやったことなのに。
 酒瓶やら雑誌やらで雑然としている居間を、ジムはあっという間に通過する。テレビはついていない。何の音楽もない……。だが、レイの心はまだ旅行中だった。ジムが自分のどこを殴ってのかさえわからなかった。痛みを感じない。ここしばらく、寝ても覚めても彼を責めさいなんできた『声』や『過去』も、ずっとずっと遠い国にあるのだった。
『RTB』の恐ろしいところは、そこにあった。
 レイのような、脳の中までサイバー化していて、おまけに生まれる前に遺伝子操作までされている人間でも、完璧にトリップできるのだ。つまりそれは、簡単に言えば、1発打っただけで死んでもおかしくないくらい、強力なドラッグだった。
「ぅぅぅぅお、ぐぇ……」
 吐いてしまった。ジムが何か、言葉にならない唸り声を上げた。お気に入りの革ジャンが汚れたせいだ。しかし彼は何かに対して悪態をついただけで、レイには文句を言わなかった。
「お、うゲ……ぁ……」
 また吐いてしまった。
「あーもーわかったわかった。好きなだけ吐け」
 ジムは許可を出してくれたが、レイの胃袋はすでに空っぽだった。
 吐くのをやめたレイは、かわりに、しくしく泣き始めていた。
 前に泣いたのはいつだっただろう。そもそも、自分などが涙を流すのはおこがましいとさえ思えた。悲しいとき、嬉しいとき、衝動のままに涙を流していいのは人間だけだ。自分は人間ではない。機械と仲良くできるよう、ぎりぎりまでカスタマイズされた存在だ。このご時世、ファッションのための身体改造や、戦いのためのサイバー化はごく当たり前のことだ。しかしレイの身体は度を越している。
 閉じた視界の中、思い浮かぶのは、ずらりと並ぶカプセルだった。
 レイの生まれ故郷とも言える研究所で、レイの兄弟とも言える子供たちは、そのカプセルの中で眠りに落ちている。大いなる解放を夢に見ながら。
 非人道的であり、背徳的ですらある人体実験と身体改造――研究所は培養した人間を用いて日々研究にいそしみ、あるとき、突然閉鎖された。しかし電力は生き続け、コンピュータも計算と記録を続けていた。それを定期的に確認する人間がいなくなったというだけだ。研究所は閉鎖ではなく、休止していたと言うべきか。
 電力とコンピュータが生きている以上、「かれら」も生きねばならなかった。
 そのカプセルの中から一歩たりとも出られない生。
 レイだけが脱出できたのだ。
 ――俺だけが。
『助けてとは言わない』
 かれらは言った。
『僕らを解放して』
「そうか……お前、まだ、あのことを気にしてたんだな……」
 いつになく神妙な口ぶりで、ジムが言う。彼の声は、腹の奥が震えるくらいの重低音だ。担ぎ上げられているから、なおさらだった。
「それもそうか……そうだよな……無理もねぇ……」
 どうやら独り言らしい。こんな状態で、まともに意識があるとは思わないだろう。実際レイは、夢と現と吐き気しかない世界で、まだ泳いでいた。
 それもそうだ。無理もない。忘れられるはずがない。
 ようやく忘れかけたところに、レイを呼び出すメールが来た。カプセルの中からの呼びかけを、レイは無視できず――ジムとともに忌まわしい研究所へ行ったのだ。そして、生命維持装置がついたカプセルで眠る、『兄弟』と相見えた。結局、忘れずにいたほうがよかったのだ。おかげでレイは、彼らを永劫の悪夢の中から解放してやれた。
 いまだ生きていた研究所のシステムというシステムを殺したのだ。
 カプセルの中の兄弟たちは、皆、眠ったまま死んでいった。いや……ひょっとすると、死の瞬間に目覚めたかもしれない。あまりの苦痛に。死の恐怖に。
 殺してしまったのだ……殺して……。

『僕たちは、君のようになりたかった』

『なりたかった』

 なりたかったのに、殺したね?

 うわああああ。許してくれ。許してくれ。
 ああするしかなかったんだ。どうすることもできなかった。
 おまえらだってそう言ってたじゃない。ああすればどうなるかはわかってたはずだ。
『僕たちは、君のようになりたかった』
『どうしていっしょに、連れて行ってくれなかったの?』
 うあああああああああああ!


 ジムはおかまいなしに進み続けていた。
 レイの意識は、混濁と覚醒を繰り返す。アルコールで酔ったときとは比べものにならなかった。指が勝手に跳ね上がることもあれば、大声を上げてジムの腕から逃れようともしていた。精神だけが、たとえようもない世界に旅立っている。
 しかし、時間が経つにつれ、ジムがどこに向かったか、ジムが誰と話をしているかが、ノイズの向こうから伝わってくるようになった。

「おい! おい、オカマ先生! いるんだろ。頼む、診てくれ!」
「夜中に人を起こしといてオカマ呼ばわりだなんて……あぁ、でもそういうワイルドな漢っぽさがたまらないのよ……ようこそ、ジム。こんばんは」
「挨拶はあとだ。このバカを診てくれ。死んじまう」
「男の子じゃないの。ジム、あなたって……そういう趣味……あぁ、アタシと同じだったのねぇ!」
「ちがうバカ!」
「痛ぁいッ! なにすんのよぉ!」
「早く診ろっつってんだろ!」
「暴力で人に物事を強制するなんて……ワイルドを通り越してやいないかしら。もう。……あら、この子、ずいぶん派手に改造してるんじゃない。故障でもしたの?」
「……そういう言い方はよせ。こいつは人間だ」
「あ……、ごめんなさい。怒らないで。そんな怖い顔……」
「早く診てくれ。死んじまうって言ってんだろうが。『RTB』を何発もやってらしいんだ。しかも脳味噌に直接打ちやがった」
「あら大変。そういうこと早く言ってくれないとぉ」
「だから言おうとしたらてめぇが勝手にカン違いしたんじゃねぇか!」
「肝臓を解凍しなくっちゃ。……あらやだ、ストックあったかしら。先週在庫確認したっきりだわ」
「おいぃ! そんな大手術が要るんならとっととやってくれ!」
「ちょっと、大声出さないで。裏に住んでるオバサンたちから文句言われちゃうわ」
「金ならいくらでも払う……こいつを助けてやってくれ……」
「何とも言えないわね。でも、ジム。アナタからのお願いなら、聞かないわけにはいかないわ……この子も、すごくカワイイしね。それで、この子はアナタとどういったご関係なのかしら。気になって仕方ないわ。まさか息子サンじゃないわよね? そうでなかったら、やっぱりアナタ――」
「しゃべってねぇでさっさと手を動かしてくれよ! 他当たるぞ」
「ああん、ごめんなさい、行かないで! でも、このあたりじゃ、このデニー若林に勝る医者はいないのよ。その称号を守るためにも、アタシはこの子を助けなくっちゃ」

「それにしても……あんな危ないお薬を前頭葉にだなんて……ボク、死にたかったの? もっと素敵で、もっと楽で、もっと確実な死に方なんて、いくらでもあったでしょうに。……つらかったのね」

「やっぱり、肝臓は取り替えなきゃダメだわ。血と骨髄も全部入れ替えなくちゃ。こんな夜中にこんな大仕事なんて、アタシも人がいいわね。――でもジムは、これだけ身を捧げても足りないくらいイイ漢よ。ボクもそう思うでしょ? ねぇん」

「……このパーツ……正規品じゃないわね……いいえ……今まで見たこともない……噂にしか聞いたことがなかったわ。そう……アナタが誰なのかわかった。アナタの苦しみも……アナタが生まれた場所が、噂どおりの場所だとしたら……。そうね、アタシでも、『RTB』を山ほど打って、死ぬかもしれないわね」

「ジム……。手術はうまくいったわ。あの子のそばにいてあげて……」
「あ……。悪かったな、夜中にいきなり押しかけて……。死にかかってるのはわかってた。でもよ、こんな大手術になるなんて思ってなくて、その……」
「いいのよ。アナタの、『いざというときに頼る人』になれて、とても光栄だわ」
「……。まあ、なんだ。……ありがとな」
「どういたしまして。でも、内蔵記録を確認したけど、『RTB』を10mlも打ち込んでたのよ。ほとんど自殺行為だわ。普段からお薬やる子なの?」
「とんでもねぇ」
「とてもつらいことがあったのね」
「……まあな。ひと月前だったか……もっと前か……。あれからふさぎこむようになった。俺は何もしなかった。普段どおりに付き合ってたほうがいいと思ってな。でもそれがダメだったのか? カウンセリングでも受けさせりゃよかったのか?」
「アナタまで気に病んじゃダメよ。それがいちばんダメ。いくらサイバネティクス技術が進んでも、未来と人の気持ちはわからないの。とても複雑なものよ。今日こんなことをするなんて、きっと、あの子自身にもわからなかったはずよ」
「……そういうもんかね……」
「そ。――あら、数値が安定してきたわね。ジム、カレのそばに行ってあげてちょうだい。でも、すぐに集中治療室に移すから、1分だけよ。内臓を取り替えたんだから、感染症には注意しないと」
「あの野郎は、助かるのか?」
「アタシは手を尽くしたわ。陳腐な言い方だけれど、あとはあの子の意思次第よ」

「オイ、このバカ。死ねなくて残念だったな。まだ殴り足りねぇ。目が覚めたら覚悟しとけよ。……。そんな、死ぬほどつらいんだったら、死ぬ前に何かひと言話しとけよな。俺は心なんか読めねぇんだ。黙って死なれちゃ、永遠にわかんねぇじゃねぇか……」



 デニー若林の腕は確かだった。レイも噂には聞いていたが、「彼」に診てもらうのはこれが初めてだ。もしかすると会ったことがあるかもしれないが――会ったなら覚えているだろう。顔も声も体格もばっちり男なのに、性格と口調がコレならば、嫌でも印象に残っているはずだ。
 夢が少しずつ曖昧になっていく。
 見ていたものが、たちの悪い幻覚だと気づき始める。
 デニーには絶対安静だと言われて、狭い治療室にひとりで押し込められた。レイの身体はほぼ70%も機械化されていたが、残りの30%がどうしようもなく痛んでいる。いや、サイバーパーツすらぎしぎし軋んで痛みを放っているような気さえした。だがこれは幻覚だ。機械は痛みを感じない。
 治療室の中には、誰も入ってこなかった。ときどき、ジムがドアの外で暴れている物音が聞こえた。どうやら、中に入れろ、レイと話をさせろと言って、デニーを困らせているようだ。しかし、あのジムの大暴れにも屈しないデニーもなかなか大したものだ。どこかしら改造しているのかもしれない。
 ジムに会いたい。
 ジムに会うのが怖い。
 ひとりは嫌だ。だが、今はひとりにしてほしい……。
 レイは数日間、ほとんどずっと、うとうととまどろんでいた。たまに意識レベルがわずかに上がることもあったが、そんなときはずっと混乱していた。誰かに会いたいのか、ひとりでいたいのか、自分でもわからなくなっていたのだ。
 身体と脳に悪い薬は完全に取り除かれたはずだったが、たまに夢を見ると、それはすさまじい悪夢だった。
 生まれ故郷の研究所で、数え切れない数の『兄弟』を殺した。
 どうしようもなかったのだ。かれらはそれを望んでいたし、ジムの命を救うためでもあった。
 あのときジムは言った。どうにかして助けられないのか、と。
 レイもどうにかしてやりたかった。助けられるなら何でもしただろう。自分の命と引き換えなら、と言われたら、きっとそれすら差し出していたはずだ。
 だが、結局、救う手立てはなかった。

 ……何もかも、考えることは堂々巡りだ。

 それに気づくと、誰かと無性に話がしたくなってきた。ひとりきりで、こんな殺風景な密室にいるから、考えつく情報に限りがでてきてしまう。
 そのとき、ドアが開く音がした。
 まるでレイがその結論に達するのを待っていたかのように、ジムが中に入ってきて、ベッドのそばにどっかりと腰を下ろしたのだった。
 彼はなぜか汗だくで、髪も服も乱れていた。
「ちょっと! 開けなさい! まだ面会謝絶なんだからッ!」
 ドアの向こうから、デニーの野太い金切り声が聞こえてくる。どうやらジムは強行突破してきたようだ。賞金首を相手にしてもたいがい涼しい顔でいるジムが、今はふうふう言っている。デニーを敵に回すことだけは、今後避けたほうがよさそうだ。
「よう。目が覚めたみてぇだな」
「……外が騒がしかったからな……」
 レイは嘘をついた。本当はずっと起きていたようなものだ。起きながら悪夢を見ていたのだ。そして、ジムと話がしたいと思っていた。
「手術したばっかりだからな。殴るのは退院してからだ。覚悟しとけよ」
「……なんでそんなに怒られなきゃなんないんだ……?」
「ッたりめぇだ! 俺がいないときに隠れてドラッグなんて、グレたアホなガキのすることだ。クスリだけはやめとけって言っただろうが。てめぇは今までその言いつけにちゃんと従ってたじゃねぇか。一度もやっちゃいなかったはずだ。初めてのクスリが『RTB』? ふざけんな!」
 今にも手を上げてきそうな勢いで、ジムはまくしたてる。
 レイはいつもどおりに憎まれ口でも返そうかと思ったが、唇や思考回路までしびれて、遠いどこかにあるようで……何も言い返せなかった。
 デニーが、「んもう!」と一声吐き捨てて、ドアのそばから立ち去っていく気配がする。
 これで、ふたりっきりだ。
「そういうふうに育てたつもりはねぇ」
 ぽつり、とジムはつぶやいた。
「そんなになる前に、なんで俺に話さなかったんだ。少しくらいは気が晴れたはずだ。それとも、俺にはまるで役に立たねぇってのか? 20年近く一緒にやってきたってのに。まったく……信じられねぇ……」
 ジムがショックを受けている。
 それに気づいて、レイは驚いた。そして初めて、罪悪感を抱いた。
 ジムがぐったり座り込んでいるのは、デニーを突破してきたからではない。ずっと張り詰めていた緊張が解けたのだ。さすがに涙は見せていないが、今にも泣きそうでもあった。こんなジムと接するのは初めてかもしれない。
 苦しんでいるのは、自分だけではない。
「……帰ってくるのは、明日じゃ、なかったか? ……」
 ずいぶん長い沈黙のあと、レイが口を開いた。
「俺は顔が広いんだ」
 一見まるで的外れな答えを、ジムは口にした。
「お前に『RTD』を売ったアホは、俺の知り合いの弟分だったんだよ」
「……世間は狭い、って言ったほうがいい……」
「うるせぇ。とにかく、コソコソやっても無駄ってことだ。知り合いと一緒にそいつを軽くシメてから駆けつけたらこのザマだ。本当に……ふざけんなよ。買うほうも、売るほうも」
「……悪かったよ」
 いつもは、死んでも言いたくないとさえ思っている謝罪の言葉が、今はするりと呆気なくこぼれ落ちた。ジムは聞いていたはずだ。だが、生返事のようなものを返してきただけだった。
 また、気が遠くなっていく。
 しかし、どこか安らかな気持ちだった。死んでいくときも、こうでありたいと思えるほど。永遠に、途切れも知らずに回り続けていた思考の輪廻が、ようやく断ち切られたようだ。不思議と、試験管の中の兄弟に対する悔恨と罪悪感が薄れていくのだ。今はジムの姿が見える。彼は仕事を切り上げて駆けつけ、自分をここに運んでくれたのだ。そして、今までに見たこともないほど憔悴して、ぐったりと座っている。
 ――今度何かあったら、言うよ。ごめんな……、もう、二度と、しないから。
「もうやらねえよ」
 眠気のしわざだろうか。思っていたことが、うっかりそのまま、口に出てしまった。
 ジムがこちらを見る。
 だが、レイは眠りに落ちていた。

『さよなら。ありがとう』

 心の片隅で、無機質な合成音声が、そう言ってきた気がする。
 もう、終わったことだ。
 ドラッグで飛んだ先にも、かれらはいない。自分の記憶の中にいるだけだ。仮に死んでも、あの世というものが存在していなかったら、結局償うことも謝ることもできないのだ。
 それなら、もう、ドラッグをやる理由はなかった。
 デニー若林のもとを退院したとき、どれだけジムに殴られるかレイは計算して覚悟しておいたのだが、結局ジムは一発もレイを殴らず、むっつりとした不機嫌顔で、自宅に戻っただけだった。
「殴るんじゃなかったのか?」
「殴られてぇのか?」
「俺はそんな趣味ねえよ」
 レイの言葉に、ジムは笑った。
「ま、俺はてめぇのせいで仕事をひとつすっぽかしちまったからな。あの仕事の報酬ぶん、てめぇに身体で払ってもらうしかねぇ」
「病み上がりにタダ働きかよ……殴られたほうがましだったかもなぁ……」
 ぼやくレイに、ジムはどこか勝ち誇った顔だ。そして彼は、レイの背中をぼんと叩いた。
 殴られたのとそう変わらないような衝撃が、病み上がりのレイの身体中に走る。よろめいたレイの視界に、ノイズが走った。
 イルカだ、イルカの映像が一瞬、ノイズに混じっていた。




〈了〉

クリエイターコメントオファーありがとうございました。こういった親子or師弟関係はいいものです。思えば銀幕でこういったサイバーパンク系はあまり書いていない気がするので、新鮮でした。ご満足いくものであれば幸いです。
公開日時2009-07-21(火) 09:50
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