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<ノベル>
パニックシネマ、深夜0時。
「二階堂さん、お待たせしました」
「はい」
二階堂美樹が、ユウジ……ついこの間まで傍に居た美樹のバッキー、彼の残したDP帽子を手に、ロビーのソファから腰を上げる。
いつもは新作映画の上映に忙しい此処も、営業時間を終えたこの時は閑散としていた。売店のポップコーンマシンも1台が稼動しているだけで、植村に頼まれて一人で店番をしているバイトの少年もさっさと帰りたそうにしている。
「思ったより人が少ないんですね」
「浦安君の呼びかけで、ほとんどのフィルムが彼のところに集まってますからね。こっそり見たい人も多いんじゃないかと思って企画してみたんですが……」
自分の読みが外れたことを恥ずかしそうに笑い、元・対策課職員の植村直紀は軽く頭を掻いた。だが、美樹にはこのイベントがとても有難かったし、人が少ないことにもほっとしていた。ここに、自分と同じような境遇でフィルムを抱える人が溢れていたら、きっとどんな顔をしていいか分からなかっただろうし、リオネの魔法が寂しさや哀しさ、負の感情ばかりを残したように見えてしまうのも切なかっただろう。
「今日はストラさんのフィルムを鑑賞されるんですね?」
「はい。本当はブレイフマンのフィルムがあれば……よかったんですけど」
「ああ……」
その名を口に出してから、まだうまく笑えない自分に気づき……嗚呼、言わなければよかったと美樹は少しだけ後悔した。植村は美樹の想いを知らないが、今年の一月、下水道で何が起こったのかは対策課職員として知っている。植村が美樹に向ける、惜別の情を込めた眼差しは優しかったが、どこか見当違いだった。
***
「広いなあ……」
1番シアターに入り、真ん中の列に腰掛けた美樹は誰に言うともなく呟いた。
つい1時間ほど前まで、先週公開されたシリーズものの大作邦画が上映されていたらしい其処は、観客の残した人いきれの熱が微かに残っている。
さっきまで、其処に在ったもの。
今は、どこにも無いもの。
48時間前、たしかに触れることの出来た隣人たちは、もう、居ない。
在るのはただ、今から上映される……48時間より過去の記憶。
***
夕暮れの天幕、サーカスの舞台裏。それがまず巨大スクリーンに映し出された。
去年の9月15日、ケイン・ザ・サーカスのホラーなサーカス。そこに紛れ込んだストラとハーメルンの面々……とはいえ、皆が皆ガスマスクを被っていて、誰が誰だか分からない。カメラワークが時折切り替わり、月を映し出したり、ハーメルンの皆を一人一人順に映し出したりとせわしない。それは、まるで……。
「そっか、ストラの目線なのね……」
露の降り始めた紙コップを持ち上げ、美樹がウーロン茶を一口含む。
ドミトリ、スミルノフ、マルチニ、エミール、ベリンスキー、ドラグノフ、ヘッケラー、アレクセイ、ミハイル、セルゲイ……そしてブレイフマン。
「……あ……」
一瞬だけ映った片想いの相手。もっとよく見ようと目で追うが、ストラの目線は舞台裏の配電盤に移された。
今は、自分がまだブレイフマンと出逢う前のことを見ているのに、美樹が思い出すのは何故か、ハーメルンの皆と市民病院を探索したときのことだった。
サーカスの舞台裏で、ストラが一人一人の顔を確かめているであろうシーンは、今年の一月。自分が『同志』の名前を確かめるために、戦闘服の肩に刺繍されたネームを注視したことを思い出させる。
どうして、どうしてあの時、彼の顔をちゃんと思い出せなかったのだろう。
スクリーンではサーカスでの大騒ぎが映し出されているようだが、ストラのロケーションエリアが展開中なためか暗闇のなか爆音や怒号が響くばかりで状況がちっとも分からない。美樹は少しだけ目を閉じ、初めてブレイフマンと出逢ったときのことを思い出そうとする。
最初の最初は、彼が人質事件の捕虜になった時だった。
カツ丼を差し入れしようと思ったけれど結局実現しなかったことを思い出し、少し笑ってしまう。それから。
___女は大人しい方が好みだ
そう、バッサリ言い切られてしまったことも。
それから、半ば対抗心のようなものを抱いてブレイフマンに近づくようになり。気づいたら……本当に何時の間にか、対抗心は恋心に変わっていた。それがいつだったのか、美樹自身のことなのに思い出せない。けれど、恋とはいつもひそやかに始まるもの。追い掛け回したい気持ちは自分を認めて欲しい気持ち、見つめていたい気持ちは見つめて欲しい気持ち。……それが、どんなにイヤそうな顔でだったとしても自分は嬉しかった。
"リーダー、全部聞こえてますよ"
"――ブレイフマン、貴様は残れ"
「あっ……」
ぼんやりと昔のことを思い出しているうち、いくつかのシーンを見逃していたらしい。美樹の視線に飛び込んできたのは、自分とブレイフマンが交互に映し出されたシーンだった。美樹たちを極悪人だと言ったブレイフマン、それを大袈裟だと嗜めたストラ、美樹の『ご指名』に笑いを隠せなかったガスマスクの一人。
「あー、そうだ。ブレイフマンに殴られてたのよね」
美樹はくすくすと笑みを零し、ブレイフマンがガスマスクの誰かを殴り飛ばすシーンを眺める。そういえばこの時に殴られたのは、結局誰だったのだろう? 残念ながら、ストラの目線からは肩のネームは見えずじまいだった。
「みんな……ちゃんと、居たのよね」
フランキーに操られて騒動を起こし、52人が39人になり、ついには20人になったハーメルンだったが、正気を取り戻して銀幕市民となったその後は、不器用ながらも受けた恩義を返そうと彼らなりに努力する姿が嬉しかった。
最悪の出会いから始まった最高の友情と、淡い片想い。
それはずっとずっと続くのだと思っていたけれど。
「ドミトリ……スミルノフ……マルチニ、ヘッケラー……」
スクリーンに映る彼らは皆一様に同じガスマスクを被り、素顔を見せていてもストラに似た顔立ちは一瞬では見分けがつきづらい。
「アレクセイ、エミールに……ベリンスキー、ドラグノフ……」
少しずつ差異のある顔立ちを見つめ、時々確かめるように肩のネームを見て。美樹は20人全員の顔を目に焼き付けた。
「ミハイル、セルゲイ……ストラ……、……」
ブレイフマンの名を呼ぼうとして、言葉が詰まる。
あのとき、彼の顔を思い出せなかったことが、いつまでも心の真ん中に引っかかったまま、どうしても取り除くことが出来ない。
あんなに、好きだったのに。
「駄目よ……決めたじゃない、全部受け止めるって……」
たとえ仮初のものだとしても、命には終わりがあるし、現実も小説や映画のように必ず救いがあるとは限らない。
それならば、せめて忘れないことで彼らを生かしていたい。
ひとが死ぬのは、決して死んだその時ではない。全ての者から忘れ去られた時なのだから。
中の氷も融けてすっかりぬるくなってしまったウーロン茶を飲むことも忘れ、美樹は食い入るようにスクリーンを見つめていた。
***
"し、しゃしんとりたーい"
"きょひする!"
次に映し出されたのは、べっこう飴のちょうちょが飛び交うファンタジーな森の中。6〜8歳くらいの姿になってしまった自分が、カメラ目線で目に大粒の涙を浮かべていた。
あれは今年の1月、松の内が明けて少し経った頃。ブレイフマンを見舞いに行った帰り、ストラ、ハーメルンの皆、他にも大勢の友人とハーメルンの住まいに行く途中だった。お菓子の妖精が作り出したムービーハザードに迷い込み、子供の姿になってしまうという不思議な体験をしたときのシーンだ。
"ど……どなんなくっ、たっ、てっ……"
"……"
「うっわぁ……」
スクリーンに映し出された幼い自分を見るのはなんだか気恥ずかしい。あの時は結局自分がどんな姿をしていたのか、ちゃんと見る暇もなくお菓子作りに夢中になっていたのだから尚更だ(勿論、ストラの美少年っぷりはしっかり目に焼き付けていたのだが)。
「クッキー、美味しかった……あの妖精さんももう、居ないのね……」
あんなに美味しいクッキーを食べたのは初めてだった。双子の妖精が自分達に見せたのは、子供でも読めるとっても簡単なレシピだったのに。帰ったらまた作ってみよう。魔法はもうかけられないけれど、『おいしくなあれ』と願いを込めて作るのが一番の魔法のはずだから。
"ようせい。しつもんがある。……ババはつくれるか?"
"ババ? あ、サバランのことね"
___作戦が終わったら、ババなどたらふく食わせてやる
ストラがハーメルンの皆にした、約束。
それが守られた日のことを、美樹は知らないのだった。あのとき作ったババ、ブレイフマンは食べてくれたのだろうか……? 何か映っていればいいなと期待していると、その通り、翌日と思われる市民病院の504号室で、ババを頬張るブレイフマンが映し出された。
"子供になったリーダーは、高く売れそうな感じでしたよ。相当な器量でした"
"……"
「……ぶふっ」
まさかブレイフマンがそんな、自分達の体験を夢に見たなんて!
その事実を初めて知った美樹は、笑いを堪えることが出来なかった。ブレイフマンが漏らした、幼いストラの所感について……ストラは決して何も言わなかったが、きっと苦虫を噛み潰したような顔をしていただろう。
しかし……ブレイフマンが本当にあのムービーハザードでのことを夢に見たのなら、幼い姿になった自分のことも見ていたのだろうか。どんな感想を持ったのだろう、もしかして何か言ってはいないだろうか。そんな淡い期待を胸に、美樹は少しそわそわしながら続きを見つめた。
"あ、あと……"
"なんだ"
「……!」
"……威勢のいい女も、けっこういいかもしれませんね"
「!!!」
がたんっ。
ずっと、ずっと聞きたかった台詞。それが、スクリーンの向こうから響いた。美樹は思わず椅子から立ち上がりかけ、目を見張る。決して軽口や冗談ではない……ずっと臥せっていたブレイフマンが見せた、久しぶりの笑顔が、その言葉が心からのものであることを示していた。
「あ……あた……あたりまえでしょ……! 遅いわよ……」
すとん、と。気が抜けたように再び腰を椅子に落とし、美樹は両手で口元を覆った。
夢の女神が最後に残してくれたのは、涙と笑顔、それから欲しかった答え。
想いを告げることすら出来なかったこの恋、実ったなんて思うつもりはないけれど……けれど、美樹の気持ちはしっかりと、ブレイフマンに通じていたのだ。
美樹はこの数日後に何が起こったかを、誰よりもよく知っている。ブレイフマンが少しずつムービーキラー化していったことも知っている。
けれど、今、フィルムの中で見せてくれたブレイフマンの笑顔は、ネガティブに侵されてなどいない。
彼を助けられなかった後悔はいつまでも残るだろう。けれど、美樹にはこの笑顔が何よりの『答え』だった。
***
記憶に新しいシーンが続き、フィルムの終わりと魔法の終わりが少しずつ近づいてくる。
ストラのフィルムはもう、ブレイフマンを映し出さない。時折映るスミルノフは片腕が欠損している。時間の流れに忠実な進行が美樹の胸に迫った。それでも、絶対に目を離さない。どんなに哀しくても、最後まで見続けよう。
哀しみも喜びも、記憶の全てが大切なものだから。
ストラが、ブレイフマンが、ハーメルンの皆が大好きだったから。
皆を大切な友達だと思っていたから。
"『明日もまた会える』って言ったこと、忘れないでよね。だから、みんなに命令してよ。これからもずっと絶対に死ぬな、って。みんな、あなたの命令には逆らえないんだから"
"……ダ・ヤア、ドレルク"
___心得た、我が友よ
そして皆も、自分のことを友人だと思ってくれていたから。
スクリーンに映し出されたのは、ストラに詰め寄る真顔の……安堵と心配が少しずつ混ざった表情の自分だった。
「絶対に忘れないわ、ストラ、みんな……」
あのとき、自分が向けた眼差しの向こうの表情を。
___貴方が、本当に嬉しそうに笑ってくれたことを
Dance with films.
長い長い一曲はフェードアウトし、終わりを告げてしまったけれど。
幸せだった時間は確かに存在していた。
思い出は残された。
真っ白になったスクリーンをいつまでも見つめながら、美樹はユウジのDP帽子をそっと撫でた。
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クリエイターコメント | お待たせしてしまって申し訳ありません、【Eyes on you.】お届けに上がりました。
ラストシーンはブレイフマンさんのあの台詞で締めたかったのですが、あくまでストラさんのフィルムですし、やはり最後はハーメルンの皆さんとの友情を確かめるのがいいだろう!と考えましてこのようなラストになりました。時系列にも沿っていますしね。
ともあれ、力いっぱい書かせていただきました。お気に召していただければ幸いです。ご参加まことにありがとうございました。
また、OP作成からご尽力いただいたディレクターさまに、原稿をチェックしてくださったストラさんの生みの親、龍司郎WRに心から御礼申し上げます。 この度はありがとうございました!
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公開日時 | 2009-07-18(土) 21:00 |
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