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<ノベル>
ギャリックが落ちた。
落ちるつもりはなかったのだが。
落ちるはずがないと思っていた。
だが、落ちてもかまわないとも思っていた。
団員と船を守ってこそのキャプテンだ。
ギャリックは団員の悲鳴と、「ひと」の咆哮を聞いていた。首に咬みつかれたのが効いたのだろうか、意識が急に遠のいていく。下から吹き上げてくる風を感じる。風が赤い血を空へ巻き上げていた。遠い空へ……手を伸ばしても届きそうにない空へ。腕に咬みついていた「いきもの」が1匹、風圧で剥がれていった。
眼帯も飛んでいった。
帽子もだ。
飛んでいくもの、遠ざかっていくものは、どれもギャリックにとって大切なものばかりだった――おっと、「いきもの」は除外だ。
自分がどれくらい出血しているのか、わからない。意識が朦朧とするくらいなのは確かかもしれないが、痛みはないし、寒さも感じない。自分は無様にもがいているのだろうか……悲鳴を上げているのだろうか。それとも、呆れて笑っているのか?
「ひと」はまだ、すぐそばにいる。
戦いは終わっていないのに、自分は退場しなければならないようだ……。
そのとき、ギャリックのシャツの中から、銀色の光が飛び出した。
その輝きを目にしたとき、ギャリックの中で、『声』が響いたのだ。
『「グランドクロス」知ってるか?』
『おれさー、あの映画の海賊団好きなんだよ。主人公食ってんだよね。キャラ立ってるんだ、団員ひとりひとりが』
『銀幕市で実体化してるらしいじゃん』
『見に行ってみてぇわ。ギャリックとか、いるんだろ?』
『おれほんと、あの海賊は傑作だと思うんだよな!』
「……!」
『いいか、今からギャリックの細かい過去設定について語ってやる。よく聞けよ』
『頼むから手短に』
『できない』
『おまえの血は、あの薄汚い妾の子とはちがうのよ。誇りを持ちなさい。その血は、正統にして好奇なるもの。よいですか。あなたの血は、神と王にも等しい、美しいものなのです……』
「彼」の父親は、「彼」と同じように、生まれたときから権力を持っていた。権力とは、広大な領地、多くの民、幾人もの美しい妻、湯水のように湧き出る金、そして何代も重なった血の歴史を、手中におさめる力であった。
「彼」は父親が持つその力のおかげで、何不自由なく育った。欲しいものは言えばすぐに手に入ったし、行きたいところがあればどこへでも馬車で連れて行ってくれたし、友人も女も向こうから寄ってきた。幼い頃は孤独とはまるで無縁の毎日を遊んで過ごし、たまに誰とも会いたくない日が来たら、誰かにそう言って部屋に閉じこもっているだけでよかった。
気に入らないことと言えば、勉強や武芸の稽古に毎日6時間以上も費やさねばならないことぐらいだ。そして、父も母もそういった教育に関してはとても厳しかったこと。特に父は厳格で、帝王学の成績が悪かったことを家庭教師に報告されたら、その日は地獄だった。家庭教師は父親に替わり、朝から晩までみっちり「補習」をさせられたものだ。
幼い頃はそんな父が嫌いだった。
10代も半ばを過ぎた頃からは、相変わらず厳しい父を疎みながらも、だんだんと同情するようになっていった。父が、ただ普通に日々を過ごすだけで、神経をすり減らしていることを知ったのである。
父は自分の部屋に五つもの鍵をかけ、就寝時間を報せる教会の鐘が聞こえてから一番鶏が鳴くまで、「彼」の母親すら自室に入れなかった。すべての窓には、マスケット銃の弾さえ破れない鎧戸がはまっていたはずだ。だから、いつ行っても父の部屋は薄暗かった。
いずれ、その暗い部屋は、「彼」のものになるはずだった。
――俺も、あの父親のようになるのか。自分の家なのに、部屋の鍵を五つもかけて、スコーンさえまず毒見させるようなやつに。でも、ときどき領民の機嫌をとってやるだけで、あとは何もしなくても金が入ってくる……。領主の暮らしというのは……楽なのか窮屈なのか、わからない……。
「だがお前は違う。見ているだけで、こっちまで自由になった気持ちになれるからな」
その言葉は、青い波のしぶきか、空飛ぶカモメか、それとも帆船に向けられたものか。
「彼」が好んでやってくるのは、いつからか、海ばかりになっていた。大人や老人たちが言うには、港はいやしい漁師や船乗りと、そんな荒くれを相手にする娼婦ばかりで、汚らわしい場所らしい。
そうは思えなかった。
潮の香りはくせになるし、おだやかな波は見ていて飽きない。ときどき訪れる嵐の夜などは、奇妙な胸の高鳴りを感じて、高級宿の部屋の中でひとり興奮していた。
ろくでなしの棺が全部で20
ハイ・ヤイ・サア!
どこの片目が並べたか
ろくでなしの船が全部で50
ハイ・ヤイ・ヤイ・サア!
どこの片目が沈めたか
夜の夜中に、そっと酒場の入口の前を横切ったとき、中からだみ声がうたう歌が聞こえてきたものだ。酔っ払ってろれつがまわっていなかったり、豪快な笑い声が混じっていたり、歌う者によっては微妙に歌詞が違っていたりで、正確に聞き取れたことはほとんどない。
船乗りや海賊たちが酒を飲めば、必ずうたう歌だった。
うたわれているのは、偉大な片目の海賊であった。
海の伝説など、貴族の「彼」にとっては不要な知識であったから、家庭教師も大人たちも、誰も教えてはくれなかった。だが、港町へ通ううち、知らないうちに、「彼」は知った。
ずっとずっと昔、遠い遠い海の向こうに、かつてギャリックという隻眼の海賊がいたということを。
ギャリックは、義賊だったそうだ。まっとうな船相手の略奪はしなかった。人道にもとる極悪な海賊を蹴散らし、民からむしり取った税で遊ぶ貴族の船を襲った。同業の海賊たちにもいつしか憎まれ、恐れられるようになったが、海賊ギャリックは神出鬼没。ふらりと遠洋に出かけたきり何年も姿を消し、死の噂が経ち始める頃、呼んだかとばかりにふらりと戻ってくる――そのたび、どこか遠くで途方もない冒険を成し遂げていて、誰もが目を見張るような財宝を手に入れているのだ。
ギャリックの噂には終わりがなかった。彼がいつ、どこで、どうして死んだのか、伝説でも語られていない。
どこか遠くの海へ行って、二度とは戻ってこなかったのか。
もしかしたら、不老不死の薬を見つけだし、まだ生きているのかもしれない。
「彼」が耳にした海の伝説は、義賊ギャリックのものだけではなかった。
帆船を飲みこむほどの巨大なイカやタコ。
永遠に日が沈まない、淡い白の夜がつづく海辺の国。
人喰い土人が支配する島。
黄金で満たされた島国。
どれもこれも、海の向こうの伝説だった。壮大な伝説を聞くたび、「彼」の領地は狭くなっていった。しまいには、城でごく普通の夜の眠りについても、海の夢を見るようになってしまった。海はいつでも、蒼いレースのドレスを着て、白い腕を伸ばし、「彼」を抱擁してくれた。
いつしか社交界での人付き合いがおろそかになっていって、「彼」は友人や弟に先を越され、女たちは「彼」から離れていった。
それでも、「彼」の地位が危うくなったわけではない。どのみち父親のあとを継げば、思うような相手がいなくても、適当に誰かがどこかの良家の娘を連れてきて、「彼」にあてがうことになる。恋愛などは必ずしも必要ではなかった。跡継ぎさえできればよいのだから。
だが、そんな気楽な日々も、彼が16歳になった頃には終わりを告げる。
思い返せば、16歳になったあの年は、波乱万丈だった。人生の絶頂期というわけではない。ただ、いろいろなことがいっぺんに起きすぎた。人生の転換期というわけだ。
母親が死んだ。
父親は3人目に迎えた側室を正室に格上げした。
それからすぐに父親も死んだ。
昨日まで元気だった領主が急に死んだとあれば、騒々しくなるのは当然のこと。
領主は暗殺されたのか、心臓発作でも起こしたのか、真相は謎のままだ。「彼」も知らない。だが、少なくとも、「彼」は殺していない。父のことも、母のことも、たくさんの弟と妹たちのことも、「彼」は愛していた。きっと人並み以上に。
「やあ、友よ……17歳の誕生日おめでとう」
「やあ。何かと思えばそんなことか。今日は俺の誕生日だったんだな……忘れてたよ。祝ってくれたのはおまえだけだ」
「冗談だろ。お前は大切なお世継ぎじゃないか。みんなそれを忘れてるっていうのか」
「それが、継げるかどうか怪しいところでな。先週は叔父夫婦が首を吊った。吊られたのかもしれないがね」
「なんてこった。お前の味方だったそうじゃないか」
「皆誰かの味方さ」
「大変だな。顔色が悪い」
「おまえのほうが悪いよ。一体どうしたんだ」
「……。ナターシャが縛り首に」
「なんだって!?」
「僕だけがこうして生きている。何のお咎めもなしにね。嗤ってくれ! 死ぬ瞬間も一緒だと、夜の教会で誓ったというのに! 父と母は、ナターシャはいやしくて汚い血統だというんだ」
「彼女ほどきれいな女性を、俺は知らなかったよ。なんだって使用人なんかやってるんだってくらいにきれいだった。……気の毒に」
「……。だから疲れてしまってね。兄上も具合が悪いんだが。……国を出ようと思う。近いうちに」
「……」
「幸い、僕の家は港で顔が利く。船はすぐに手配できる。向こうの大陸に着いたら、あとは自由だ。共和制のあの国に行けば、ふんぞりかえった貴族も見なくてすむ」
「……海か。ずいぶん行ってないな。前に行ったのは1年も前だ。まだ16歳になりたてだった頃か……昔の話だな……」
「おい、どうした。何を考えてる?」
「なあに。おまえが乗る船に、俺も乗せてくれないもんかな、ってね」
まだ10歳にもならない実の妹の目つきが忘れられない。
深夜、寝室に忍びこんできた実の叔父の顔とナイフが忘れられない。
ふたりとも、権力の魅力にとり憑かれていた。あれは、獣の眼にすぎなかった。
「彼」にとって、城は家ではなくなった。「彼」を支持する使用人は、勝手にドアに三つも鍵を取り付けてしまった。その鍵が五つに増えるのも、時間の問題だろう――
しかし「彼」は、鍵の数が増える前に、家を出る。
ろくでなしの棺が全部で20
ハイ・ヤイ・サア!
どこの片目が並べたか
ろくでなしの船が全部で50
ハイ・ヤイ・ヤイ・サア!
どこの片目が沈めたか
赤毛のギャリック
片目のギャリック
海の向こうの国々の、知識だけはあった。
もともと勉学よりも武芸のほうが向いていたらしく、立ち回りは完璧だった。やけに体力と回復力が高いおかげで、「彼」は見知らぬ土地でも自分の身を守れた。
それでも、何も知らない、無力なひとりの男に成り下がってしまった。彼はそれまでひどい暑さも知らず、凍えるような寒さも知らず、飢えと渇きも知らず、広い空と海を知らなかったのだから。
ただ、権力と欲望のためなら、人は簡単に人殺しになれるということだけは、誰よりもよく知っていた。
歳を重ねるうちに、自分の身ばかりか、他人の安全も守れるようになった。
いくつの国を越え、山と川を越え、昼と夜を重ねたか。
あてのない旅だったけれど、気づけば港町や漁村に留まっていることが多かった。
そしてあるとき、酒場で荒くれどもの大喧嘩を勝手に両成敗した。それを見ていた海賊団の船長が、「彼」の腕っぷしを大金で買ったのだ。
「彼」はその夜から、海賊になった。
結局、どこも同じだ。
世界はどこも汚れている。
雲の合間から射し込んでくる月光があまりにもきれいだったから、そんな思春期の少年のようなことを考えた。
洞窟の入口で、「彼」はようやく一息ついた。手のひらも顔も身体も、血と汗でひどく汚れていた。さんざん暴れて、大勢殺してきたところだ。海賊団を全員倒すより、死体を全部海に捨てるほうが骨だった気がしないでもない。
雇われの用心棒に壊滅されるなど、彼らもまさか予想していなかっただろう。「彼」自身もそうだ。だがいくら金を詰まれても、女子供を弄んだ挙句に殺すのはごめんだった。男の皮をはいでマストに吊るすのもまっぴらだ。やつらはそれを平気でやった。やつらは人間ではない、海の悪魔だ。
だから、目的地の島が近づいて海賊どもが油断した隙をつき、退治してしまった。
後先のことを、あまり考えていなかった。ひとりで帆船を操るのは難しい。幸い船には海図も食料もあるので、時間さえかければ何とかどこかには辿り着けるだろうが。
洞窟の入口でカニやら貝やら大味の雑魚やらを焼いていると、月が隠れて、風が吹いてきた。
風は洞窟の中に入りこみ、まるで洞窟そのものがうめいているような音を立て始める。
もしかして、この洞窟は意外と広いのか?
この島に来た理由を、「彼」は船長から聞いていない。もしかすると、この洞窟を探検するつもりだったのかもしれない。
「彼」はたいまつと焼いた食物を手に、洞窟の奥へ入っていった。
陸の中の塀の中に住んでいるとき、海賊の噂を聞くたびに、自分もいずれは未知の世界の探索をしたいと思ったものだ。家を飛び出してからは、そんな冒険の連続だった。
しかし洞窟というのは、何度探検してみても胸が高鳴るものだ。見つかるものといえば、あわれな誰かの白骨や、ゲジゲジの群れや、密輸業者の打ち棄てられたアジトくらいのものだったが。
目もくらむようなお宝など、一度もお目にかかったことがない――
けれど、その洞窟の奥底には、正真正銘のお宝が眠っていた。
「……あんたなのか」
ぼぉう、とたいまつが照らすミイラ。白骨……と言ってもいいのだろうが、細い赤毛がまだ残っていたし、干からびた皮膚も、まだ骨に張り付いているようだった。
「あんたか、ギャリック……」
ミイラの片目には、切り傷があった。
隻眼の船乗りなど、この世にはいくらでもいるだろうが、奇妙な確信が「彼」の胸を突く。ミイラがかぶっている帽子と羽織っているマントは、ずいぶん古いもののようなのに、不思議なくらいきれいだった。シャツとズボンと靴はぼろぼろで、触れれば崩れそうなほど風化している。それなのに、帽子とマントは充分使えそうなのだ。
宝箱と、金銀の食器や調度品に囲まれ、サーベルを抱えて、義賊の遺体は静かに横たわっていた。
「あんたは……まだ、死んじゃいないんだ……」
帽子を手に取り、埃を払う。
髑髏の刺繍が、じっと見つめ返してくる。
赤毛のギャリック、片目のギャリック。
あるときふいっと姿を消した伝説の義賊は、消えたときの格好のまま、またふらりと戻ってきた。以前にも増して無鉄砲になり、若干ドジになって、酒にも妙に弱くなったようだったが、それでも伝説の義賊は戻ってきた。
それがギャリック。
不死身の海賊。
『マジで細かい設定だなそれ』
『だからギャリックのほうが主人公より目立っても仕方ないわけ』
『ちゃんと映画で描ききれてんの?』
『きれてない』
『じゃあ何で知ってんだよ』
『「グランドクロス」オタなめんな。ノベライズも設定資料集も持ってるんだ』
『じゃあ当然DVD持ってるよな。今度貸せよ』
『そしておまえもギャリックにハマる』
『いやそれはわかんねえだろ』
ギャリック、聞こえるか?
あんたか、ギャリック?
そうだ。そろそろ消える頃合だ。
そうか。ギャリックはふらっといきなり消える。
時には仲間を残して。
今回は、船まで残していっちまうんだな。
きっと、また現れるときまで残ってる。
ああ、俺たちギャリックは、いつかまた、ふらっと戻ってくるのさ。
ギャリックの胸から、銀のロケットから離れた。
風圧で留め金が外れたのだろうか。「いきもの」が鎖を食いちぎったのか。ロケットは、帽子や眼帯といっしょに飛んでいく……。
あの小さなロケットの中には、豆粒のように小さな仲間たちの笑顔が詰まっている。
できれば最期に、見せてくれないか?
生まれ変わるたびに替わっていくギャリックの仲間たちだけれど、
みんな同じだ。
同じ顔で笑ってくれる。
ギャリックが望んだときに、望んだ以上の明るさで。
できれば最期に、笑ってくれ。
ウィズ。
アゼル。
ヴィディス。
ティファ。
ヤシャにアスラ。
ナハト。
ブライム。
パイロ。
ロンプロール。
エフィ。
ゴーユン。
アディ。
キルシュ。
ハンナ。
ユセイ。
ニグラ。
ベナオ。
シノン。
フィズ。
ジュテーム。
シキ。
ノルン。
ジル。
ブルーノ。
モニカ。
コキーユ。
トニー。
ルーク。
それに王様。
俺たちは、ギャリック海賊団だぜ。
波がうねり、蒼いレースのドレスを着た乙女が、波間から白い腕を伸ばしてきた。船を見ながら落ちているのに、ギャリックにはそれがはっきり見えた。
水飛沫が上がった。
一巻のフィルムが、「いきもの」を蹴散らしながら高く跳ねる。
血まみれになり、あちこち裂けたはずのマントが、新品同様の美しい姿をひらめかせて、波の上に広がった。
マントがフィルムを抱きとめる。
サーベルが……帽子が……眼帯が、次から次へと、マントの上に落ちていった。
『これ、ほんとにいい映画だな』
『ギャリック、また何かの映画に出てきてくんねえかな』
ああ、出るさ。いつか、また。
いまはふらっと、消えただけ。
〈了〉
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クリエイターコメント | オファーありがとうございました。 わたしを許してくださって感謝します。 捏造歓迎とのことなので、「ギャリック」という存在について勝手にいろいろ設定させていただきましたが、いかがでしょうか。 キャッチコピーはリッキー2号WRのプラノベからお借りしています。この場を借りてお知らせいたします。 |
公開日時 | 2009-07-12(日) 18:00 |
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