★ 祈夜祭 ★
クリエイター諸口正巳(wynx4380)
管理番号100-8382 オファー日2009-06-21(日) 00:33
オファーPC ファレル・クロス(czcs1395) ムービースター 男 21歳 特殊能力者
ゲストPC1 コレット・アイロニー(cdcn5103) ムービーファン 女 18歳 綺羅星学園大学生
<ノベル>

 夜が訪れた。
 誰もが、来てほしくないと願っていた夜が。
 ひとが足掻いても泣いてもどうにもならない物事は、確かに存在するのだ。
 それは最後、最後の時。
 だから、誰も足掻かなかった。
 だから、いつもよりも静かな夜が、いつものように訪れただけ……。
 それは、6月13日の夜のこと……。


「走ると危ないですよ。足元に気をつけてください……暗いですから」
 急ぎ足のコレットが前を行く。ファレルはこの夜の散歩のあいだ、何度も似たようなことを言っていた。そう呼びかけるたびにコレットは謝り、ファレルと歩調を合わせるのだが、5分も立てばまた彼を置いて前に行ってしまう。
「ごめんなさい」
 今もコレットはちゃんと謝って立ち止まり、ファレルが追いつくのを待った。
「……」
「……」
 ファレルとちがって、コレットは感情表現が豊かだった。年相応の明るさも持っていた。ときおり、底知れぬほどの翳りを見せることもあるが、それでもファレル自身、自分と比べるべくもないほど、彼女は「かがやいている」存在だと思っていた。
 けれど、今夜のコレットは暗い。とても、暗い。
 理由はわかっている。その理由に納得もしている。
 今夜が最後なのだ。
 夢の神リオネはオリュンポスへ戻り、銀幕市はこの世の日常に戻ってくる。不思議で理不尽な夢の魔法は消え、ムービースターとバッキーは、良き隣人を残して、銀幕市を去らねばならない――。
 夕方、ファレル・クロスはコレット・アイロニーを見つけた。偶然出くわしたようでもあり、お互いに探していたようでもあった。挨拶をして、いっしょに歩きだし、ファレルが通っていたレストランで夕食を食べた。そこのレストランのコーヒーは、いつもファレルに至福のひとときを与えてくれたから。だから最後も、そのコーヒーを飲んだ。
 レストランでも、街の中でも、泣いている人をちらほらと見かけた。涙を流す人のほとんどに、連れがいたような気がする。泣いているのがムービースターなのか、魔法が解けてからも銀幕市に残る人々なのか――見ただけでは、区別がつかなかった。
 銀幕広場のベンチで、ただぼんやり座って空を見上げている人もいた。
 ファレルとコレットは、レストランで食事をとったあと、ほとんど立ち止まらなかった。
 そして今は、ただ歩き、歩いて、歩き続けて、静かな住宅街のはずれにたどり着いている。繁華街からは離れていて、畑や木々が多く見られるようになってきていた。
 あてのない散歩の終盤に現れたのは、そんな郊外の小山だ。階段があり、灰色の鳥居が見えた。階段の両脇に並んだ灯篭には、明かりがついている。日はとうに暮れているが、この神社はまだ門を閉ざしていないようだ。
 鳥居を見上げて、コレットがようやく歩みをとめる。
「ファレルさん」
「はい」
「お祈りしたいことがあるんです。神社に寄っても、いいですか?」
「かまいませんよ」
 この世界の神も、自分の世界の神も、信じてはいないけれど――
 それをわざわざ口にする必要があるだろうか。
 今夜のコレットの望みを聞いてやらない理由など、あるだろうか。
「でも、足元には気をつけて」
「はい」
 何度同じ注意をしたか、もう、わからない。でも、コレットはそれを煙たがる様子も見せず、逆に恥ずかしそうに微笑んでうなずいた。そして、ファレルといっしょに、階段をのぼっていった。


 実に小ぢんまりとした神社だ。手水舎もひどく簡素なもので、あまりありがたそうに見えない、普通の水道の蛇口がついているだけだった。
 だが、この粗末な手水舎も含め、狭い境内も、小さな拝殿も、手入れが十分に行き渡っているようだった。拝殿と石灯籠は、ささやかな灯で、どこか温かく照らし出されている。拝殿の扉は閉ざされていたが、格子状の窓から、薄暗い殿中と神鏡の輝きが見て取れた。
 コレットは小銭を賽銭箱に投じ、柏手を打って、手を合わせた。
 ファレルは見よう見まねで祈ってみた。しかし、信じてもいない神に何を頼めばいいのかすぐには思いつかず、ただコレットの真似をして目を閉じただけで終わってしまった。そんなファレルが早々に目を開けて隣を見てみると、コレットはまだ祈っている最中だった。
「熱心にお祈りされていましたね。何をお願いしていたんです?」
 ようやくコレットが目を開けたので、ファレルは尋ねた。
「ファレルさんが映画の中に戻っても、元気でいられますようにって」
「……」
 答えてくれたコレットの、痛々しい微笑を目の当たりにして、ファレルは束の間言葉を失った。
 礼を言えばいいのだろうか。
 いなくなる人間のためではなく、自分のために祈ったほうがいいとでも言えばいいのか。
 ファレルは珍しく、……困惑した。
 そのわずかな間に、コレットがはっと大きな目を見開いて、ファレルの背後を見つめた。それまでコレットにどう言おうか迷っていたのに、その反応に対しては、すぐに問いただせた。
「どうしました?」
「いま、ちっちゃい子が走っていったわ。お社の裏に行ったみたい」
「え」
 そんな気配など、何も感じなかったが。ファレルは振り向いたが、やはり、子供の姿など影も形もない。
「こんな時間の、こんなところで、子供が? ひとりでしたか?」
「うん」
「気のせいでは……」
「ちょっと確かめてくる!」
「コレットさん――」
 走ると、危ないです。
 本当に、そう注意するのはこれで何度目になるだろう。そう思っていたが、注意は途中で切れてしまった。コレットはすでに走り去っていたし、こう何度も言われては、さすがに腹が立つのではと気が引けたからだった。
 コレットの足音が聞こえなくなった。拝殿は本当に小さなものだったから、裏までさほどの距離もない。ファレルは待った。待ったが、足音も、話し声も、何も聞こえない。
「コレットさん?」
 ごく普通に呼びかけたつもりが、自分でも驚くくらいの大声が出ていた。
「コレットさん!」
 応えはない。
 ファレルは、自分には人間らしい感情などないと自覚していた。そう育てられたのだから仕方がない。育てた人間を恨もうにもここにはその対象がいないし、何かを憎むという感情さえ希薄なのだった。
 それでも、このまちに実体化して、コレット・アイロニーと出会ってから、それは勘違いに過ぎないのかもしれないと気づいたのだ。彼はコレットに惹かれていたし――ムービーハザードやヴィランズによってたびたび彼女の身に危険が迫ると、心臓が凍りつきそうな感覚をおぼえるようになっていた。
 これは、不安というものだ。
 不安になったファレルは走りだし、小さな社の裏にまわっていた。
「コレットさん?」
 ここはほんの小さな山にすぎなかったはずなのに、神社の裏に広がる森が、恐ろしいくらい広大や樹海に見える。そこには、ただ草木と枝葉の夜のざわめきが広がるばかりで、コレットの姿など、どこにも見当たらないのだった。
「コレットさん!」
 大声を上げたことなどめったになかったが、ファレルは声を張り上げていた。
「コレットさん!」
 腰の高さまで伸びた草をかきわける。さめざめと鳴いていた虫が黙り、飛び立った。ヨタカかフクロウが、近くの木の枝から飛び立って、頭上を横切っていく。
 あとには、恐ろしいくらいの静寂が広がった。風さえ止まっているようだった。突然聴覚を失ったのではないかと思えるほど、息苦しい沈黙だった。
 ――この感じは……、ムービーハザード? ロケーションエリアかもしれない。ともかく、現実世界とは隔離されたかもしれませんね。
 ファレルはため息をついていた。こうして突然何らかの事件に巻き込まれたら、とりあえずため息をつくのが癖になってしまっていた。コレットや自分の不運を恨むつもりはない。ムービーハザードは災害のようなものだし、悪質なロケーションエリアの中に閉じ込められたのだとしたら、そんなエリアを展開したムービースターが悪いのだ。
 短いため息のあと、ファレルはコレット捜しを再開した。
 やがて、それは見つかった。
 リボンだ……コレットがいつも髪を結んでいる、赤いリボン。
「コレットさん……」
 ファレルはそれを拾い上げ、今までに発したどんな呼びかけよりも小さな声で、彼女の名前を呼んだ。
 ちり……ん。
「!」
 しかし、応えがあったのだ。何度目かの呼びかけに応えたのは、コレットの声ではなく、そもそもが人の声ですらなく……鈴の音だった。
 ちり……ん。
 音の方向が、二度目に聞こえてきたときにわかった。
 ファレルはリボンをズボンのポケットにねじ込んだ。もはや何も言わず、拝殿の正面に取って返す。
 賽銭箱の向こうにある拝殿の扉は、閉ざされていたはずだった――いまは、開いている。しかも、中途半端に。
 ファレルは賽銭箱をひらりと跳び越え、拝殿の中に入った。神に対する遠慮はなかった。法に対する後ろめたさも。
 コレットは、祭壇の前に横たわっていた。彼女のバッキーも、そばで目を回している。ファレルはほんの一瞬、息を呑んだ。彼女の顔も腕も、血まみれに見えたから。その横には、彼女が目撃したであろう子供が立っている。
 ちり……ん。
 子供は金槌を持っていた。顔には、狐とも犬ともつかない、灰色の獣の顔を模した面をかぶっている。黒ずんだ着物を着ていた。帯にはかんざしが刺さっている――鈴の音は、そのかんざしについたごく小さな鈴から流れ落ちているようだ。
 子供はファレルを見つめてきたが、ファレルは子供どころではなかった。コレットの安否だけが気がかりで。
「コレットさん」
 返事はない。気を失っているようだ。
 幸い、彼女は血にまみれているわけではないようだった。赤い塗料か……もしくは、超常的な力によって、謎めいた紋様が描かれているのだ。オカルトとは縁遠い世界出身のファレルにも、その紋様が呪術的な意味と力を持っていそうなのは容易に想像がついた。銀幕市では、どんな呪術や奇跡でも、現実に起こりうるのだから。いまは、まだ。
「コレットさんをどうするつもりです?」
 静かに、ファレルは尋ねた。
「いっしょにきてもらいたくて」
 意外にも、子供は素直に答えた。幼児特有の高い声だ。顔かたちもわからないので、性別すらはっきりしない。
「ぼくら、もうぎんまくしにいられないんでしょ?」
 一人称が『ぼく』ということは、男児だろうか。
 ファレルは無碍にせず、静かに頷いた。
「えいがのなかにかえらなくちゃならないんだったら……ぼく、またひとりぼっちだよ」
 面の子は、金槌をいじった。表情はわからない。今のファレル以上に、感情が隠されている。
「でも、このじゅつをつかえば、たましいだけはいっしょにいてくれるはずだから」
「その術とやらの対象になった人間は、どうなります」
「しんじゃうよ。でも、なんかいもゆうけど、たましいだけはぼくといっしょだ。ずうっと。ぼくがかえったあとも」
 子供の言葉には抑揚がなく、術の効能を賞賛している様子もない。笑ってもいないし、罪悪感を抱いているわけでもない――。
「コレットさんが気絶していてよかった」
 ファレルは呟いた。
「彼女はとても優しい人です。特に、貴方のような子供には。それを聞いたら、もしかすると……喜んで、貴方といっしょに行くと言うかもしれません」
 コレットは微動だにしない。だが。顔や身体に描かれた緋い紋様は、息吹を持っているかのようにうねり、蠢いていた。
「しかし、私は、行ってほしくない。コレットさんは……生きて、銀幕市にとどまるべき存在です」
「じゃあ、おにいちゃん、ぼくのじゃまするきだね」
 獣面の目出し孔の奥で、異様な色の光がまたたいた。
 ファレルは小さくため息をついた。この子は、子供ではない。邪悪で、誰かが始末しなければならない存在だ。それも、いますぐ。
 何もかも、あと数時間。数時間、この獣面の子の話し相手にでもなってやれば、余計な殺しをせずにすむ。だが……この子供は、ファレルの説得に耳を貸してくれるだろうか。ファレルには自信がなかった。
「はい。申し訳ありませんが……ね」
「ぼくがいたせかいをしらないくせに」
「貴方も、私がいた世界を知らないでしょう。お互い様です。ですから……貴方の気持ちはわかります。銀幕市はとても平和で、いいところでしたよね」
 それでも、なぜか一応の説得を始めていた。子供には、その言葉がそこそこ効いたようだ。面の奥の光がまたたき、わずかに弱まったのを、ファレルは見逃さない。
「その人は、コレット・アイロニーさんといいます。コレットさんにとっても、私たちがいた3年間が、すばらしいものであったことにしたいのです。貴方といっしょに行く人が、コレットさんでなければいけない理由がありますか?」
「このひと、やさしいひとだよ」
「そうですね」
「ぼくとも、ともだちになってくれるよ」
「そうかもしれません」
「おにいちゃんは、このひとの、なに?」
 子供は純粋に尋ねた――小首まで傾げて。
 そんな単純な質問に、ファレルは本当に、詰まってしまった。説得しようとしたのに、逆に言い負かされそうだ。
 ――私は、コレットさんの、何だというのでしょう。コレットさんにとっても、いったい、何だったのでしょうか。そう……、私は、ただ、単純に……。
「なんだ。こたえられないの」
「……好きなのです。それだけです……私は、この人が、好きです」
 ようやく絞り出したファレルの答えは、ほとんど、ささやき声だった。
 ずっと自分の心のうちにだけしまっておいた気持ちだ。コレットが自分をどう思っていようとかまわなかったし、自分のこの気持ちに気づいていなくてもかまわなかった。
 ただ、好きなだけ。
 今となっては、どんなきっかけがあって、彼女に思いを寄せるようになったか、うまく思い出せない。
「そう」
 だが子供には、そのささやきが届いたようだ。そして、それなら仕方がないとばかりに、納得もしてくれたようだったが――
「じゃあ、かわりに、おにいちゃんでいいや。いっしょにきてよ。じゅつにかかって、ぼくといっしょに」
 子供の身体から、赤黒い光の筋が幾本も伸び、蛇のようにうねった。いや、それは蛇ではない……紋様だ。いかにも日本の呪術めいた、忌まわしい紋様だった。右手には金槌。そして左手に、どこから取り出したのかもわからない、杭ばりに太い釘。
 子供はただの子供ではなかった。その突進の速度たるや、大人どころか、車さえ凌駕していた。手にした金槌が、振り上げられる。赤い気迫の紋様が視界を埋める。
 ――わかりました。
 だがファレルはむやみに動かなかった。腰を沈め、身を乗り出すように、右手を突き出したのだ。
 ――貴方は、ひとりぼっちで行くのではありません。
「あ、がひ!」
 貫手が濡れる。
 温かさを通り越した熱さで、右手が燃えるようだ。
 凍りついたように動かないファレルの顔に、びしびしと血しぶきが降り注ぐ。
「先に、行っていてください」
 ファレルの前で、子供はぐったりと動かなくなった。ファレルの右腕が、かれの左胸を貫いていた。ファレルはかれを抱きとめて、ゆっくり腕を引き抜こうとしたが――その必要はなかった。ファレルの抱擁をすりぬけて、プレミアフィルムが、板張りの床に落ちたのだ。
 ファレルと顔と手と身体を濡らした真っ赤な血も、じんわりと色と存在が薄くぼやけていき、やがて消えていった。
「……」
 ファレルはフィルムのそばに屈みこんで手を伸ばしかけたが、結局、拾わなかった。
「――私たちは」
 ファレルの口から、独白が漏れる。
「映画の中へ、帰るのでしょうか。ちがうと言う人が多い。私も、この考えがちがっていたほうがいいと思います。けれどそれは、きっと、私が帰りたくはないからそう思うだけで……。実際は、どうなのでしょうね。貴方に、また、会えますか?」
 コレットを見ると、彼女の皮膚を埋めていた緋色の紋様は、跡形もなく消え失せていた。



「う……ん……」
 目覚めたコレットは、ファレルの匂いを感じた。
 木々と草花と虫の声と、静かな夜気も。
「コレットさん。気がつきましたか……」
 目を開く。
 コレットの身体には、ファレルの上着がかぶせられていた。
「あ、あれ。私……?」
「おはようございます。よくお休みでしたね」
 ファレルはかすかに、かろうじて笑みのように見える表情を浮かべた。何があったか、それ以上語ろうとはしない。
 身体を起こしたコレットは、何が起きたか思い出そうとしたが、うまくいかなかった。ファレルといっしょに、神社にお参りしたことまでは覚えているのに、どうして自分が拝殿の入り口で倒れて、ファレルに介抱されているのか、まるでわからない。ファレルを見上げて事情を尋ねようとしたが――拝殿の外に見える空に、目と心を奪われた。
 虹色だ……。
 オーロラにも似た色彩が、夜空で渦を巻いて……。
「もうじき、午前0時です」
「え……」
 ファレルはかすかな笑みのまま、それだけ言って、空に目を移した。
 あれが、魔法の終わり。
 コレットのバッキーも、ちょこちょこと隣に歩いてきて、じっと空の虹色を見上げていた。やがてバッキーはふたりの前に進み出て、ふたりの顔を交互に見つめた。
「トト。行っちゃうの?」
 コレットの声は、震えていた。バッキーはこくりと頷いた。
 この神社が小山の上にあったおかげで、銀幕市の市街地を見下ろせる。街灯が照らす街から、パステルカラーの光球が、次から次へと、ふわふわふわふわ、空にのぼっていくのが見えた。光は、夜空で渦巻く虹の中へと吸い込まれていく。そして、その虹色に新たな彩りを添えるのだ。
「トト!」
 コレットが叫んだ。
 ピュアスノーのバッキーが、オフホワイトの光に包まれて、ふわっと地面から浮き上がったから。
 バッキーはぴすぴすと鼻を鳴らした。泣いているのだろうか。コレットのバッキーは、とても寂しがりやだった。コレットと同じくらいに、寂しがりやだった。
 けれどトトは、光の中でちょこんと座り、その短い前足を振っていた。
 ばいばい。
 手を伸ばさずにはいられないコレットの前からも、バッキーは飛び立った。オフホワイトの不思議な光の球は、いくら手を伸ばしても届かない、はるか遠くへ……上空へ……音もなく飛んでいった。
「……」
 ファレルは何も言わず、コレットの後ろ姿と、パステルカラーを飲みこむ虹の渦を、ひたすら見つめていた。ふと、その光景がぼやけて、かすんだ気がする。身体が宙に浮いたような感覚もあった。ファレルはコレットの後ろで、ひそかに目をこすった。
 気のせいだったのか……めまいは一瞬でおさまった。
 コレットが振り向いた。大きな目から、ぼろぼろ涙を流していた。
「!」
 がば、とコレットがファレルにしがみつく。首に腕を回し、肩に顔をうずめる。
「もうしばらく……。あと、ちょっと……」
「……」
「お願い、そばにいて」
「……」
 ファレルはそっと、コレットの身体を抱きしめ返した。

 今日の、この瞬間が訪れるまで、何を言おうかずっと考えていた。
 考えは結局、まとまらないまま。
 だからふたりとも、ただ静かに、虹色と神の下で抱き合っていた。

 ――貴方のことが、好きでした。

 それが最後、最後の時。




〈了〉

クリエイターコメントオファーありがとうございました。
最後の最後の瞬間は、あえて書かないほうがよさそうだと判断しました。
おふたりの最後のひと騒動をしたためたこの記録が、ご満足のいくものでありますように。
公開日時2009-07-16(木) 18:20
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