★ night walker ★
クリエイター志芽 凛(wzab7994)
管理番号136-4714 オファー日2008-09-15(月) 01:13
オファーPC エマヌエーラ・モディリアーニ(cutz2617) ムービースター 女 18歳 血を啜るシスター
ゲストPC1 エリク・ヴォルムス(cxdw4723) ムービースター 男 17歳 ヴァンパイア組織幹部
<ノベル>

 

 彼女は、ふわりふわりと、その身を漆黒に溶け込ませていた。
 何故ならば、普段、質素なシスター服を纏っているはずの彼女のその身は、今は漆黒のドレスに包まれていたからだ。所々にさり気無くレースがあしらわれ、甘すぎないデザインのドレス。赤いロザリオを身に付け、そして、黒髪には、大輪の薔薇が咲くヘッドドレス。手には黒い手袋を纏った彼女。
 唯一漆黒に包まれていない為、浮き上がっているようにも見えるその白い肌には、今の姿を艶やかに見せる化粧が施されていた。赤いルージュが、小さな微笑をかたどっている。
 そんな彼女――エマヌエーラ・モディリアーニは、ゆっくりと夜の道を歩いているのだった。かなり夜も更けた時刻で、その道には彼女以外、誰もいないようであった。道の両端に点る明かりが、かろうじて彼女の行く先を照らしている。道の両側は丁度住宅街が途切れていて、何とも閑静な場所であった。少し高台を歩いていたので、道の向こう側に、ぽつぽつと銀幕市が放っている明かりが見えている。
 その景色を悠々と噛み締めながら楽しんでいる時、不意に小さな咆哮がエマヌエーラの耳に届いた。
 それは微かに耳に届いたものだったのだが、明らかに人間のそれとは違う、異質なものでもあるように聞こえる。
 しかも、これから歩く道の向こうから、その音は聞こえる。
「……」
 エマヌエーラは、右腕に引っ掛けている日傘をきちんと持ち直すと、そっとその道の角をゆっくりと、警戒しながら曲がった。
 その時、警戒していた通り、エマヌエーラの耳の傍を何かが通り過ぎた。
 耳の近くで、風が渦巻いて鳴る。
 その風の正体を追いかけて振り返ると、そこにいたものは、「不思議なモノ」だった。
 まず、それは明らかに、人の形をしていない。ぼう、と街灯に照らされて浮かび上がるその姿は、まさに異形と言うべき姿をしている。。
 もとは何かの動物であったのだろうか。その身体には、エマヌエーラがかつていた世界では見ない文字を散りばめた札のようなものがべたべたと貼られ、その身体を異形たるものにしているようであった。目が、異様な輝きを彼女に放っている。
 エマヌエーラと、その異形のモノは、お互いに視線を切り結びながら、じり、じり、と同時に動き出した。お互いに反対方向へと距離を広げるように動き、そして次の一歩で、唐突にその距離を縮めてきていた。
 その異様さをさらに明らかにしている、歯がぞぶりと並んだ口を大きく開いて襲い掛かってくるそれに、彼女は手にしていた傘をその身体の下から入れ込むように、突き刺した。
「ギャンッ!」
 どこか、犬みたいな声を上げて、その異形のモノは、跳ね飛ばされていく。それを見ながら向こうとの距離を測っていると、また、彼女の向こう側から、不思議な気配が姿を見せた。
 どうやら、異形のモノ、は一体だけではないらしい。
 ぞろりと、幾つもの札をその身体に散りばめたそれらが、道の端に佇む彼女を囲むように、姿を現したのだ。
 エマヌエーラは、それを目にしつつも慌てる事無く、ゆっくりとドレスの裾を翻し、手に持っていた傘をもう一度持ち直す。
 その間にも、ゆるりと、その不恰好なモノ達は、エマヌエーラに向かって歩いていく。ゆっくりと、ふたりの間に狭められる、その距離。
 異形のモノが、エマヌエーラにゆっくりと襲い掛かる時、彼女は持っていた傘を、躊躇無くそれらに向けて突き出した。
「ギャアアアアッ!」
 耳障りな咆哮が響く。エマヌエーラが突き出した傘は、容赦なくその異形のモノへと向かい、異様な輝きを見せる眼へと突き刺さった。
 どろり、とその突き刺さった部分が溶け、そこから全身に波及するように、その身体が溶けていく。残ったのは、液体と、少しの肉の塊と、いくつかの札。そして、それが見えたかと思うと、それらはあっという間にフィルムにとって変わっていった。
 その隣にも一体、二体……、と異形のモノ達が迫ってきて。
 エマヌエーラはそれを見ながら、折角の夜の散歩の時間が潰されてしまった事に、小さく息を吐くのだった。


 * * *


 その日、エリク・ヴォルムスは、たまたま仕事絡みで、夜も大分更けた時刻に外を歩いていた。もっとも、元々夜の住人と呼ばれる彼にとっては、別段それが辛いと言う訳では全く無かったのだが。
 空を仰ぐと、雲が流れているせいなのか、幾つかの星が見えるだけで、月は姿を隠しているようであった。街灯だけが、彼の姿をひっそりと照らしている。
 そんな折角の夜の中を歩いていた時、エリクは、自らの周りから、幾分おかしな気配が漂っている事に気がついた。
 人が歩くような気配では無く、また今まで遭遇してきた魔物とも、幾分それは違う気配である。
「――……」
 エリクはそれが何かと言葉にしようと口を開いて、そしてそのまま口を噤んでいた。自然と手が、ファイティングナイフへと伸びる。
 何故ならば、彼の視界には、幾分おかしな生き物が映りこんでいたからだ。
 それはどこかおかしな毛並みを持つ身体に、幾つもの、そう、銀幕市でよく見かける、お札のようなものをべたべたと貼っている姿で、異様な感覚を覚える。
 そしてその異様な輝きを見せる、瞳。街灯の灯りしかないこの闇の中で、その瞳は異様にぎらぎらと輝いて、そしてエリクを捉えていた。
 彼等は一瞬だけ視線を切り結び、そして瞬時にエリクは動いていた。
 あまり大きな足音を立てずに飛び掛ってきたその異形のモノの攻撃を軽く右に動くことで避け、そして素早くナイフを真一文字に切り結ぶ。
 ぷすり、とどこか頼りない、まるで風船を割るような手ごたえをエリクが感じたかと思うと、その異形の生き物は、唐突にその身体を崩していった。
 黒いアスファルトに、どす黒い水溜りが広がる。それが何なのかを確認する間も無く、エリクはいくつかの足音をその耳に捕らえていた。
 そして、完全な闇の中でも物を識別することの出来る彼の視界が、その足音の主を視界に捉える。
 それらは皆、人間とは違った、或いはモンスターとも呼ぶべき奇妙なモノ達だった。
 どこかが、見たことのある動物にも似ているのだが、それでも濡れたような毛並みと、異様な輝きを見せている瞳、体中にべたべたと貼り付いているその札は、動物らしからぬさせているようであった。
 ひとまず分かることと言えば、それらが皆、はっきりとエリクに敵意を示している、という事だけである。
 エリクは、ちらりと辺りを見回して、異形のモノ達の立ち位置を確認する。前に一体。右に一体、左に二体、そして後方に一体。
 それを確認すると、一歩前へと足を踏み出した。
 それに、向こう側もどうやら気がついたようで、じり、と足を動かして距離を縮めていく。
 だが、そこからのエリクの動きは流麗だった。
 止まる事無く、右に身体を動かして、ナイフを突き出す。それは丁度飛び掛ってきた、異形のモノへの喉下へと突き刺さり、そこから大量のどす黒い血が、シャワーのように、ごぽりと音を立てながら溢れ出た。
 それを確認する間も無く、身体を半歩ほど動かして、右膝を素早く繰り出す。
 鈍い音がして、常人以上の力を込められた蹴りを喰らったそれは、街灯へと叩きつけられた。
 さらにそのまま勢いを止めずに動いて、斜めにナイフを動かした。それは丁度左側にいた、異形のモノの顔を切り裂き、大きな咆哮が上がる。
 そして最後に、そのナイフを動かしている手の勢いを止めずに、ナイフを鋭く投げ出す。
「……フゴオオッ……!」
 初めに彼の背後にいた、それの眉間にナイフが突き刺さり、それは異様な叫び声を上げる。その異形のモノの身体がぐずり、と溶け、そしてフィルムへと変わっていくのを見届ける。
「……一体何なのでしょうね」
 その異様さを浮き彫りにする生き物に首を傾げながらも、エリクはアスファルトに軽く音を立てて転がった、ナイフを拾い上げた。
 薄っすらと街灯の明かりに照らされるそれは、半分ほどどす黒い血で染まっているようであった。しばらくそれを沈黙のまま見届けた後、ゆっくりと顔を上げる。その視線の先、少し坂を降りた道の向こうで、何かがひらりと動くのが見えた。
 まだ、いるのだろうか。
 そう感じたエリクは、ナイフを指先で弄びながら、ゆっくりと坂道を下っていく。


 * * *


 ふわり、と足を動かして、一息ついたエマヌエーラは、再び彼女の周りに現れた気配に、眉根を寄せていた。
 先程までに彼女に寄ってきたモノ達は、傘で全て片付けた。
 だが、それでもまだ、異形のモノ達は現れる。
 際限が無いのか。そう考えながらも、エマヌエーラは敵意を示してくる相手に対して、身構えた。
 そんな時。
「あれ、こんな所に人がいるとは思いませんでした。こんばんは」
 どこからか唐突に、ひらりとひとりの男性――エリクが現れた。
 彼のどこかのんびりとしたような挨拶とは裏腹に、彼の手には血に染まったファイティングナイフが握られている。
「あら、こんばんは。折角の夜のお散歩をしていたのですが、少しばかり邪魔がはいってしまいまして」
 エマヌエーラは、そう告げながら淡く、優雅に微笑む。
 エリクが現れて二人になったからか、異形のモノ達の数も、先程よりも明らかに倍増しているようだった。
 じりじりと、異形のモノ達がその牙を煌かせて、距離を詰めてくる。エマヌエーラはエリクより少し離れて、傘を握り締めた。
 エリクはその場に佇んだまま、相手との距離を確かめている。
「がアあっ!」
 異形のモノはエマヌエーラが倒せるに値すると思ったからなのか、先に彼女の方へと襲い掛かってきた。
「あらあら……」
 エマヌエーラはひとつ微笑みながら、その傘を鋭く横に振り払う。その攻撃で、異形のモノの札が切り裂かれた。たったそれだけで、それらは力を失うらしい。一度咆哮を上げて後退し、再び敵意の視線を持って彼女を睨みつけていく。


 少し距離を置いたところでは、エリクとそれらが対峙していた。
 異形のモノ達が、一歩動くとエリクもそれに合わせて素早い動きを見せる。
 一歩踏み込み、間合いを一気に詰めて、そしてひらりと一閃。暗い色の血が吹き上がり、断末魔の叫びが途絶える事無く響いていく。
「……多いですね……」
 彼は今までの動きで、かなりのそれらを倒してきたつもりだったのだが、それでも未だ街灯の明かりには、道路一杯にひしめいているそれらが浮かび上がっている。どれも攻撃本能だけを持った、異形のモノ達。
「……?」
 エリクは首を傾げていたが、その考えも、飛び掛ってきた異形のモノ達によって中断された。最初にいた時よりも明らかに増えていた異形のモノ達が、数体一斉に襲い掛かってくる。
 たん、と軽く足を踏ん張って、エリクは跳躍した。色々な能力を人間のそれよりも凌駕している彼は、一跳びで、人の身長を軽々と飛び越え、異形のモノ達が集まっている反対側へと足音軽く着地する。
 襲う対象を見失ったそれらは、スピードを抑え切れなかったからか、お互いでぶつかり合っていった。
 そしてお互いに敵意の視線を込めて咆哮を上げた。それらはお互いの距離を測るために、一瞬だけ静まり返ると、次の瞬間にはぎらぎらとした眼をぶつけ合うかのように、お互いへと飛び掛かっていっている。
 どうやら、そこまで知能は高くないようである。
 それでも彼の周りには、未だ幾つものそれらがひしめいている。


 エマヌエーラの周りにも、かなりフィルムへと返した筈なのに、未だいくつもの異形のモノ達がひしめいていた。
 最初は、犬やネコの身体を二倍にしたような大きさの、まだ動物とも取れるものだったのだが、今彼女の前にいるのは、人間なのか動物なのかよく分からない体に、蛇なのか、犬なのか、大小さまざまな動物の顔を模したものがくっついていた。
「……かなり悪趣味ですね」
 丁度今の時間帯が、闇に覆われている為に色までは識別出来ないのがせめてもの救いだ。きっと色まで識別することが出来たのなら、それはかなり生々しく、気味悪いものに見えるだろう。
 そんな考えを巡らす間もなく、それは襲い掛かってきた。
 先程までは四本の足で歩いていたのだが、何故か器用に二本の足で歩き、残った二本の腕を振るってくる。
 右腕が斜め上から襲い掛かってくる。それを傘をかざして、真っ向から受け止めた。
 がき、と鈍い音が響く。
 右腕を受け止められたまま、その異形のモノは、左腕を振りかざした。エマヌエーラは、その襲来を軽くしゃがんで避け、そして一歩、異形のモノへと踏み込んだ。
 小さな蛇のような頭につく眼が、異様な輝きを見せながらエマヌエーラを睨みつける。彼女は、そんな異形のモノを見ながら、口を小さく開いた。

 ぞぶり。

 彼女は肩の辺りにさらに近付いて、そして口に潜む刃を異形のものへと突きたてた。口の中の牙から、彼女の体の中へと、赤い液体が流れ込んでいく。
 それは、人間のように、甘い、甘美なる味がするように思われた。突然の攻撃にそれは体を震わせ、そしてしばらくすると、がくり、とその足を折る。
 エマヌエーラがようやく体を離した時には、その体からは全て血が抜き取られた為、呻き声さえも発せずに、それはどさり、と体を地面に横たえていた。
 彼女はそのまま、再び傘を掴んで、周りへと視線を向ける。
 ――相変わらず、異形のモノ達は、彼女の周りを取り囲んでいた。


 ぴちゃり、と血溜りの上を歩くと、まるで雨の日の水溜りを歩くような足音を立てた。エリクが立てたその音に反応してか、一体の異形なモノが、彼に飛び掛かってくる。
 飛び掛かってきたそれにも、エリクは驚く事無く、冷静にそれにナイフを向けた。避け切れなかったそれの眉間と思しき場所に、ずぶり、とナイフが潜り込んでいく。
「ぎゃ、ぐアァアァ!」
 それはまるで人のような叫び声を上げながら、腕を振り回して襲い掛かってきた。唐突なその動きを軽く見計らって、右に、左にしゃがみ込む事で、その攻撃を避けていく。
 そして、一旦抜いたナイフを一閃して、とどめを刺す。
 彼は後ろで、それが上げる断末魔の叫び声を聞きながら、新たに表れた異形のモノ達へと、視界を向けた。
 先程まで、体にいくつもの札のようなものを付けていた筈のそれらには、今は何もついていない。
 ただ、薄っすらと街灯の明かりに浮かび上がるそれらは、幾つもの動物が組み合わさっているかのような、体毛が混ぜ合わさった色をしていた。
 それにしても、本当にキリが無い。関連性がないようで、どこか似通っているそれらは、倒した筈なのに、まるでそれらを上回るかのように、幾つも幾つも溢れ出てくる。
 ――まるで、自分達の侵入を拒むかのように。
 そこまで考えたエリクは、自分の考えにハッとして、顔を上げた。
 もし、自分の考えが当たっているとすれば。そう考えながら、左手を動かす。


 エマヌエーラは、普段はこの自分が持つ性質を心苦しく思い、彼女が愛する神へと一身に祈りを捧げることによってこの衝動を紛らわせている。
 だが、衝動は一旦箍を外すと、際限なく湧いてくるものなのだ。
 時に人はその衝動に身を任せ、死に似た闇へと堕ちていく。
 攻撃の手段に、彼女が持つ吸血の衝動を取り入れた途端、エマヌエーラはどこか貪るかのように、異形のモノ達への吸血を始めていた。
 きっと今の時間帯が夜である事も重なっているのだろう。抵抗することの出来ないその衝動に半ば身を任せつつ、どこかで苦しい気持ちを抱えながら、エマヌエーラは動いていた。
 そんな彼女に対抗すべく、幾つかの異形のモノ達が、一斉に襲い掛かってくる。それをちらりと視界に入れて確認し、そして傘を鋭く振るった。数体を怯ませ、その隙に、別の一体へとかぶりつく。
 エマヌエーラの周りには、いくつもそれらが倒れていくのに、一滴も血が零れてはいない。
 だが、それにしても数が多い。
 一向に減ることの無いそれらに、いささか不審な気持ちを抱き始めた彼女に、声が掛けられた。
「エマヌエーラさん。……気付きませんか?」
「……はい?」
 隣でナイフを鋭く振るうエリクに言われ、エマヌエーラは辺りを見回す。そこに見えるのは、先程までと変わることの無い、異形のモノ達に囲まれる景色。
 だが、その時、ぴりりと彼女の肌が粟立った。
「……――何か、感じます」
 エマヌエーラは、異形のモノ達との戦闘で気付かなかったが、今まで肌がぴりぴりと粟立つような感覚を上げている事に気が付いた。
「やはりそうですか。魔力のようなものを感じませんか?」
 エリクはそう呟きながら、ナイフを振るって自らの安全を確保する。
「ええ。――そうですね、あちらの方に、何かがあるように感じます」
 エマヌエーラは、肌の感覚を読み取り、それをエリクに告げた。彼女が振り返った先から、また一頭、異形のモノが現れる。
「――ひとまず、僕はこのモンスターみたいなものをここで足止めしますから、エマヌエーラさんは、その力を探ってみてくれませんか? もしかしたら、これらの根源は、そこにあるかもしれません」
「ええ。行ってきます」
 二人はお互いに頷きあい、エリクは軽く跳躍して、エマヌエーラが佇んでいた場所に入り込んだ。
 唐突に現れた人物に、異形のモノ達の意識が一斉にそちらに向く。
「――よろしくお願いします」
 エマヌエーラは小さく囁くと、素早くその場から立ち去った。黒いドレスの端が、ひらりと翻る。
 それをちらりと見送ったエリクの口の端が、僅かに上がった。


 * * *


 勾配の低い坂道が続く。
 出来るだけ闇に溶けるように気をつけながら、エマヌエーラは歩いていた。一歩歩くごとに、先程感じた、肌が粟立つような感覚が、強くなっていく。
 確実に、この先に何かがある。そう確信した彼女の横を一頭、異形のモノが通り過ぎていった。彼女が坂道に足を踏み入れてから、背後でエリクが、殺気を放出しながら戦っている為、皆そちらに気が向いているようである。ありがたい事だ。
 一歩歩くと、まるでお香を焚き染めた部屋のように、濃厚な空気が漂ってくるようになった。まるで、密室に百合の花だけを咲かせたような、濃厚な匂いが鼻をつくように感じるのは気のせいだろうか。
「う……これはひどい……です」
 エマヌエーラは思わず裾で鼻を覆いながら、ぽろりと言葉を零した。その時、彼女の言葉に反応してか、横を歩いていた異形のモノの動きがぴたりと止まった。
 しまった、と思った時にはもう遅く、確実に、異様な輝きを見せるその瞳が、こちらを睨みつけている。
「仕方ありませんね」
 見つかってしまった以上は、対峙するしかない。それも、出来るだけ素早く。
 そう判断した彼女は、なるべく音を立てないようにしながら、素早く異形のモノとの間を詰めていた。
 それが、何かしらの咆哮を上げる前に、素早く血を吸い取っていく。
 喉を滑り落ちるのは、甘美なる露。素早くその体の露を搾り取り、その異形のモノをフィルムへと戻したエマヌエーラは、一度だけ口元を押さえると、再び歩き始めた。
 ころころと、坂道をフィルムが転がっていく。


 何とも凄まじい数だ。今までとは違い、殺気を全開にしたエリクが一番に考えたのは、そんな事だった。
 殺気を全開にした事によってか、今までどこに狙いを定めて良いのか分からなかったらしい異形のモノも、完全にエリクをターゲットにしたらしく、今までの比にならないくらいの、一対の眼がエリクを睨みつけていた。
 それは赤だったり、鮮やかな青だったりと、様々な輝きで彩られている。だがどの異形のモノ達にも言える事は、どれも自然では出来ない、何とも不自然な輝きである、という事であった。
 きっと眼の内側に電球を付けて、光らせたらこんな感じになるのではないかという、異常な輝き。
 異形のモノ達は、皆目を光らせて、そして、一斉にエリクに襲い掛かってきた。
 十頭程が、上から、そして足下から彼を支配しようと試みる。だが、どれだけ数が増えようが、それは彼の敵では最早無い。
 エリクは素早く横にナイフを滑らせた。たちまちそれらの一角が崩れ、手薄になる。そこから素早く脱出し、くるりと向き直った。
 横合いから一頭が、ぞろりと並んだ牙を光らせて腕に噛み付こうと襲ってくる。そこにひとつ、ナイフを打ち込み。苦悶の声を上げるそれをナイフごと掴み上げ、常人よりも遥かに優れた身体能力を生かそうと試みる。
 ぶん、と遠心力を利かせて、ナイフを基点としたそれを先程までいた場所に投げつける。
 鈍い音が響き渡り、何頭かがその衝撃を受けてその場に崩れ落ちる。投げ付けた時に抜けたナイフを再び手に持ち、体重を乗せて、襲い掛かってきた異形のモノに差し込んだ。
「ぎゃグヲウぅうッ!」
 どこか人工的な、断末魔の叫び声が響く。
 彼の背後では、今度ははっきりと、これら以外の何かによる、魔力のようなものが発せられているのを感じ取っていた。


 気配を殺して歩く彼女の視界に、次第に何かが朧に浮かび上がってきた。
 また何か異形のモノの類かと、傘を握り締めて身構えながら進むエマヌエーラ。そんな彼女の先には、今まで見てきたものとは違うものが映し出されている。
 それは、道路に描かれた、そう――魔方陣と呼ぶべき、そんな記号の羅列だった。その魔方陣の中心からは、今までの濃厚な空気が凝縮されている。
 ちりちりと、肌がむず痒くなるように、粟立つ。
 ここから魔力が放出されているのは明らかだった。
「――……随分沢山の言語が使われているのですね……」
 暗い紫に輝くその魔方陣を見回して、エマヌエーラはぽつりと呟いた。幾つかの複雑な記号で囲まれたその陣の中には、日本語と思しき言語、英語、他にもギリシア語など、様々な言葉が使われているようであった。そこに、小さな疑問が浮かぶ。
 普通、魔方陣はひとつの言語で練り上げるものではないのだろうか。それとも、ここは銀幕市であるから、幾つかの魔方陣が混ざり合ってしまったのだろうか。その可能性は、あるかもしれない。
 そこまで考えた時、彼女の目の前で、魔方陣が初めは朧に、だが段々と色濃く輝き出してきた。
 紫の光の帯が、その魔方陣を包む。
「……なるほど……」
 紫に光を帯びた魔方陣からは、先程の、体中に幾つも札をつけた、異形のモノがゆっくりと現れようとしていた。
 つまり、この魔方陣が、先程のあれらを生み出す根源なのだろう。何とかして破壊しない限り、安らぎの夜が訪れることは無い。
 だが、どうやってこの魔方陣を崩せば良いのだろう。エマヌエーラがそう思案している内に、銀幕市に新たに現れた異形のモノが、彼女をぎらりと睨み付けた。
 
 ――ぐぐぶぐおううう

 異様な唸り声をそれは上げ、ゆっくりと彼女に迫ってくる。エマヌエーラはそれと対峙しつつ、魔方陣を注視していた。
 魔方陣は新たなモノを生み出し、ゆっくりとその光を収束させようとしている。その中で、最後まで光を保っている所があった。
 小さな記号が描かれている、角になっている部分だった。どうやらその記号が、魔方陣の「核」となっているのだろう。
 そこまで確認した時、距離を測っていた異形のモノが、一気に距離を詰めて襲ってきた。傘を持っている腕に、その光る牙を奔らせてくる。
「……――」
 傘を持つ右腕に、灼熱が奔った。一瞬遅れてずぷり、と血が噴き出るような音が聞こえる。
 だが彼女はそれに構う事無く、そのモノとの距離を詰めた。そのまま、異様に輝く目に傘の先端を突き立てる。
 断末魔の咆哮が上がる。
 彼女はそれを耳にしながら、先程確認した、魔方陣の角の部分へと歩み寄る。未だ僅かに光を残すそこに、もう一度傘の柄を振り上げ、そして、先端をその部分へと突き刺していった。
 ぴし、とヒビが入るような音が響く。
 そしてさらにそこに、完全に模様を潰すために、ぐりぐりと傘の先端をねじ込んでいく。
 傘を動かすごとに、さらにヒビが入っていき、そして――。
 その魔方陣は、ぱしん、と呆気ない音を立てて、消えていった。
「ひとまず、これで一件落着、でしょうか」
 肌に粟立つように残っていた魔力が、完全に消え去るのを確認すると、エマヌエーラはひとつ息を吐いた。


 * * *


 相手の位置を読みつつ、無駄の無い動きで一体一体、異形のモノを倒していたエリクは、ある時からぐんとそれらが少なくなるのを感じていた。
「――……どうやら、上手くいったみたいですね」
 ふふ、と小さく笑うと、右足を踏み込んでナイフを横に振るう。
 ごぽり、と血が溢れ、その異形のモノの体が傾いでいくのを横目で確認しながらまたナイフを振るう。そうしていると、坂道の向こうから、エマヌエーラが歩み寄ってくる足音が響いてきた。
「あとは、ここだけでしょうか?」
 彼女はそう呟きながら、傘を振るった。彼女に跳びかかろうとしていた異形のモノがその攻撃を諸に受けて、道の端に弾き飛ばされる。
 二人の手によって、あっという間に異形のモノはフィルムへと戻されていった。


「これで、最後、と」
 エリクがそう呟きながら突き刺したナイフを拾うと、おかしな叫び声が上がり、そしてフィルムが地に落ちる乾いた音が響いた。
「ふう。何とか無事に、終わりましたね」
 エマヌエーラはそう言って微笑むながら、さりげなくポケットから出したスカーフを右腕に巻きつけて止血していた。そして傘を一度振るい、血糊を落とす。
「そういえば、今更なのですが、どうしてこんな夜更けにここを歩いていたんですか?」
 ナイフについた血糊を落としながら呟いた言葉に、エマヌエーラは一瞬きょとんとして、そして口の端を上げながら空を仰いだ。
「今日はお家の窓から素敵な月が見えていましたので、お散歩をしていたのです」
 途中で邪魔が入りましたけどね。そう言って空を仰ぐエマヌエーラの言葉を聞き、エリクも空を仰いだ。
 そこには、ここに来るまでには見えなかった、上弦の月が華美なる姿を見せていた。
「――確かに、素敵な夜ですね」
「でしょう? ――……そうです、折角ですから、エリク様さえ良ければ、ご一緒に散策を致しませんか?」
 エマヌエーラはふふ、と微笑んだ。その微笑に、エリクも自然と頬が緩む。
「――これも何かの縁、ですからね」

 ――もうすぐ月は、完全に満ちる。
 その前の、僅かなひと時。
 
 

クリエイターコメント大変お待たせしてしまい、申し訳ありません。ノベルをお届けさせて頂きます。
今回は、散歩中にモンスターとの戦闘、という事で、全編戦闘シーンとなっております。洋風で塗り固めようかなとも思ったのですが、微妙にモンスターに和風を取り入れた感じにしてみました。少しでもお気に召して頂けるようでしたら幸いです。

それでは、素敵なオファー、ありがとうございました! またいつか、銀幕市のどこかでお会いできますことを願って。
公開日時2008-10-11(土) 22:10
感想メールはこちらから