★ Door to Door……? ★
クリエイター志芽 凛(wzab7994)
管理番号136-7553 オファー日2009-05-07(木) 05:19
オファーPC ジナイーダ・シェルリング(cpsh8064) ムービースター 女 26歳 エージェント
ゲストPC1 ウィレム・ギュンター(curd3362) ムービースター 男 28歳 エージェント
ゲストPC2 チェスター・シェフィールド(cdhp3993) ムービースター 男 14歳 魔物狩り
<ノベル>

 大通りを軽やかに一台の車が走っていく。日が落ちる前の時間、街灯が照らす道路の中をすい、とそれは進んでいた。
 その車の中では、明るく、だがどこかぼんやりとした会話が繰り広げられているようだった。
「――で? どこに連れてってくれるんだ?」
 後部座席から身を乗り出すようにして、チェスター・シェフィールドは首を傾げる。
 そんな彼に、ハンドルを華麗に操りながら、ジナイーダ・シェルリングは小さく笑ってみせた。
「さてね。それは着いてのお楽しみだ」
 助手席に座っているウィレム・ギュンターがまあまあと言いながら、チェスターを振り返った。
「ほら、危ないから座ってください。ジナイーダさんの見立てですから、きっと良いところですよ」
 チェスターはウィレムの言葉に渋々と従つつも、瞳をきらきらと輝かせている。
「だよな! だよな! 一体どこなんだろな! すっげー楽しみだぜ」
「はは」
 後ろでひとりはしゃいでいるチェスターに、自然と前の二人の顔にも笑みが浮かぶ。それは、銀幕市に来てからの、よくある光景のひとつだった。
 車が、道を曲がって奥へと入っていく。その時だった。
「……ん?」
 今まで明るい表情だったジナイーダの表情が、ふと真顔になる。ほぼ同時に、隣に座っていたウィレムの表情も引き締まっていた。
 ジナイーダはぎゅん、とブレーキを踏み、その場に車が止まる。それを予期していなかったチェスターは前につめんのり、助手席のヘッドに顔を沈ませてしまう。しばらく撃沈していたが、顔を上げ、ジナイーダに詰め寄ろうとしていた。
「ぶっ! な、なんだよ一体。もう着いた……」
 突然止まった車にチェスターは猛然と反発しかけ、そしてようやく彼も、道の先にあるものに気がつく。
「なんだ……?」
「さあ……」
 三人は訝しげに車の外に出て、この車を止めた元凶をじっと見る。
 その視線の先。

 道の真ん中には、扉があった。

 両開きの扉のそれは、黒く鈍い輝きを放つ石のような素材で出来ているようだった。その扉の前面には細かい彫刻が並び、まるで一枚の絵のような美しさを見せている。
「これは……一体何でしょう……ムービーハザードかなにかでしょうか?」
「……他に説明のしようもないしな」
 慎重に近付きつつ、ウィレムがひとまず見ての感想を述べた。
 車のドア部分に寄りかかっているジナイーダは、手に煙草を持ち、静かに煙を吐き出しながら頷く。
「なんか、それにしてもすげぇ彫刻だな。これは魔物か? まるで本物みたいだ」
 少しだけ扉に近付いたチェスターが、目を細めて眺めながら、感嘆の声を上げた。
「ええ。まるで芸術品のようです。……いや、本当に芸術品なのかもしれませんね」
 ウィレムもチェスターの言葉に同意して、ひとつ頷いた。
 その時だった。
 ぎ、い……。
 扉から、僅かに軋んだ音が響いた。その音は微かなものだったが、たまたま三人の沈黙と重なった為か、その場には妙に大きく聞こえたようだった。
「……何だか嫌な予感ですね」
「ウィレムが言うと、本当になりそうで嫌だな」
 ウィレムの言葉に、ジナイーダがため息を吐いた。
 だが予感というものは、嫌な時ほど的中するものだ。
 再びぎい、と軋んだ音が今度は大きく響いた。そう感じた時には、一枚の絵のような扉に白い線が入る。
 白い線かと思ったそれは、段々と太く大きくなり、直視できない程の光に包まれていた。
 唐突に広がった光に、三人は目を開け続ける事が出来ずに、瞼をきつく閉じていた。瞼を閉じてなお、白い光が瞼の裏一杯に広がっている。
 やがて、白い光はその威力を潜め、静かに収束していったようだ。
 三人はおそるおそる瞼を開いて、そして目の前に広がる光景に、三者三様の表情を見せていた。
「あーもう……余計な事を言わなければ良かったです……」
「本当に」
「うおーっ、すっげぇ!」
 三人の目の前には、今までの銀幕市とは一転して、赤茶色の大きくひび割れた大地が広がっていたからだ。


 赤茶色の大地は、砂漠の一歩手前のように乾燥していた。そして大きなひび割れは、縦にも横にも人を飲み込んでなお、余る大きさだ。
 どこからかぶくぶく、という小さな音が響いてくる。
「さて……ここはどこなんでしょう? 先程の扉も見えないですし」
 ウィレムは後ろを振り返って、目を細めていた。ウィレムの視線の先には、ただ赤茶の大地と、そしてどこか濁った空が見えるだけである。
「……それにしても、ここは暑いな」
 ジナイーダは灰色の髪をかきあげて、ぼそりと呟いた。その時、ひびのひとつの手前まで歩いていたチェスターが、大きな声を上げる。
「うおっ! すげえな、ここ。溶岩みたいなものが流れてるぞ」
「溶岩?」
 チェスターの言葉に二人もひびの近くまで歩き、そこから口を開いている部分を覗き込んだ。
 ひびの奥底には、どろりとしたものが流れていた。それは赤く黒く、そして何よりも熱気が覗き込んでいる目に当たる。そのどろりとした溶岩は、表面にぶくぶくと小さな泡を立てていた。
 あの小さな音は、これのせいだったようだ。
「溶岩ね……。ここは本当にどういう場所なのでしょう」
 ウィレムが小さく呟く。
「ムービーハザードである事だけは間違いなさそうだな」
 ジナイーダがため息をひとつついた。
 不意に、彼等の頭上で、風を切るような音が響いた。それは微かな音だったが、普通の人よりも気配に敏感な三人はその音に気がつき、顔を上げる。
「……」
 黙って視線を見据えた先には、彼らが銀幕市に来る前、さんざん付き合わされたもの達が小さく見えていた。それらはこちらに向かってきているようで、その姿を段々と大きくしていく。
 細長い、鋭さを秘めた翼に、鋭い目を持つ頭。そして細長い尻尾。
 その、竜に良く似た魔物は、ばさりと翼をはためかせて、群れをなし、確実にこちらへと向かってきているようだった。


 * * *


 竜に良く似た魔物、恐らくワイバーンが二十体程、三人の下へと向かってきている。それを見て、ウィレムは小さく息を吐いた。
「……まさかあれが友好的に迎えてくれる訳は……ありませんよね」
「そりゃあそうだろうな。すげぇ殺気が伝わってくる」
 チェスターはワイバーンから目を離すと、よいしょ、と呟きながら屈伸を始めていた。このハザードはかなりの広さがあるようで、ワイバーンとの距離はまだ遠い。
「今日は食事に行く予定だったからな。武器はこれだけか」
「それに銀幕市よりかなり暑いですしね。ジナイーダさんには踏んだり蹴ったりですね」
「本当だ。とにかく、さっさと片付けるぞ」
 ジナイーダは手にMP-442 グラッチを取ると、一旦銃の具合を確かめる。
「よしきた」
 ひとまずの準備運動を終えたらしいチェスターは、ウィレムの横に並んで、ワイバーンに対して静かに構えの姿勢を取った。
 ウィレムはそれを横目で見ながら、精神を一度統一する。
 このハザードから鑑みるに、ウィレムの魔法が一番効果がありそうな予想を立てていたのだ。それに、この大地に根付いている大きなヒビがある限り、おそらく動くのは大変であるだろう。
 ジナイーダの魔法は風がメインで、チェスターの魔法は炎がメインだ。恐らく、自分の動きで、色々と決まってしまうのではないだろうか。
 ごう、とウィレムの頭上で風が舞って、それから耳障りな甲高い音が響く。
 大きな影が素早く動いているのを見て。ウィレムは一歩後ろへ下がった。
 ウィレムの髪が、突然沸き起こった風を浴びてさらりと風になびいた。
 その横で、チェスターが凄まじい瞬発力を発揮してワイバーンに向かうのが見える。
 ウィレムは一瞬瞼を閉じ、そしてまた開いた。そして両手を前に出す。
「――水のエレメントよ」
 彼がそう唱えると、影の部分から一斉に水が溢れ出してきた。それらは銃をワイバーンに向けて構えるチェスターの横に並び、チェスターの攻撃を援護する。
 だ、あんと幾つかの軽やかな音が鳴った。
 チェスターの拳銃から銃弾が軽やかな音を立てて飛び出していく。その銃弾を追いかけるようにして、ピックのように先端が尖った水が、ワイバーンに向かう。
 その次の瞬間、単純な色彩の空間に、耳をつんざくような咆哮が響いた。銃弾がワイバーンの首元を抉り、尖った水が翼を貫いたのだ。整然と隊列を組んでいる内の何頭かが、耐えかねて地面へと墜落していく。
 上空を飛んでいるワイバーンは、どこか整然とした動きで、ぐるぐると三人の上を旋回していた。その妙な動きに、首を傾げた横で、ジナイーダがぽつりと言う。
「……あそこに、こいつらを操っている奴がいるな」
「……本当ですね」
 ワイバーンの群れの中で、一番空高く飛んでいるワイバーンの背に、何かの姿が見えた。良く目を凝らすと、どうやらそれは人間らしいという事が辛うじて理解できる。
 ジナイーダは加えていた煙草を一度持って息を吐くと、手にしていた銃をそのまま上空に向けた。そのまま銃弾を放つ。その動作は無駄が無く、美しくて鮮やかなものだった。
 だが、上空では手元での一ミリのずれが、何メートルものズレになる。さらに上空では動いている的だった事もあり、ワイバーンの動きに変化は無かった。
「……流石に遠いか」
 ジナイーダはそう呟くと、もう一度煙草を口に加えた。そして上空を見上げる。
「あーあ……」
 ウィレムが諦めたような声音で呟く横で、ぽろりと、煙草が地に落ちていった。


 * * *


 煙草が地に落ちると同時に、ジナイーダの身体を中心に、見えない風の渦が沸き起こった。
 ぽろり、と落ちた煙草の火が一瞬赤々と燃え上がり、そして風の強さに耐えかねて消える。
 そして、風が一度ぴたりと止んだ。だが、彼女の茶の目は爛々と輝きを増し、身体全体に、彼女が持つエレメントのパワーが溢れ出しているようである。
「風よ、舞い上がれ」
 どこか愉しげに、彼女の唇が弧を描くと、再び風が舞い上がっていた。
 音と感覚でしか感知出来ないその風は、彼女の身体を中心に、大きく上空へと舞い上がる。
「おっと」
 ワイバーンの突進を避けていたチェスターが、背中の風を感知してか、身体を大きく捻らせた。彼の身体の横を鋭い鎌となった風が、瞬間的に通り過ぎる。
 風の刃はワイバーンへと向かい、その魔物の身体を大きく切り裂いていた。

 ヒギャァアァィァアアアッ

「うわっ」
 間近で響いたワイバーンの咆哮に、チェスターは僅かに顔を顰めて、反射的に耳を塞いでいた。そしてジナイーダを振り返って叫ぶ。
「こいつら、攻撃よりも叫び声の方がダメージでかいな!」
 チェスターの後ろで、風に切り裂かれたワイバーンが大きな地響きを立てて地に墜落した。乾いた赤茶色の土が風に舞い上がり、その場の空気を汚していく。
「そうですねぇ。口の形状もどこか細長いですし、声に何かしらの特徴があるのかもしれないですね」
 斜め上のワイバーンを見据えたウィレムが、ぽつりと呟いた。彼の体から再び水が沸き起こり、触手のようにそれは伸びてワイバーンの翼を捉えていく。
 彼らが一歩動くたびに、ワイバーンの群れがバラバラと地に堕ちていく。ウィレムがすい、と水の魔法を消失させた後ろで、チェスターが放った弾丸がワイバーンの襲い掛かった。
「よっしゃ! まだまだ行けるぜ!」
 チェスターは歓喜の声を上げて、右へ素早く足を踏んだ。彼が動いたすぐ後で、そこの地面を抉るようにしてワイバーンの足にある、鋭い爪がそこを通り抜け、ぶわりと砂が舞い上がった。
 その砂煙を切り裂くように、乾いた音が響く。音に折り重なるようにして響く、魔物の叫び声。
 チェスターはさらに飛び退って、砂煙を避けながら銃を上に向けた。
「見た目と数はかなりのものだが、意外と大した事は無かったな」
 ジナイーダがそう呟くと、すう、と息を吸い込んだ。そして、銃を持っていない手をぎゅ、と握ってぐい、身体の後ろに持ってくる。
 ふわり、と彼女の髪の毛が舞った。彼女の握りこぶしの手前に、大気が凝縮され、風となって集まっていく。
「……いけ」
 彼女はその言葉と共に、掌をそっと開いた。耳の傍で、ごお、という風の唸りが聞こえる。ジナイーダが放った鎌鼬は、空中を乱雑にすり抜けて、様々なものを切り裂いていった。
 空を飛ぶワイバーン。赤茶けた岩。
 岩の隙間にある溶岩に鎌鼬が突っ込んで、どろりとその赤を動かしている。
「……降りてきましたよ」
 ジナイーダの斜め前で、あちこちに水の魔法を放っていたウィレムが、中空の一点を見据えてそう言った。ジナイーダが視線を向ける。
 そこには、他の個体よりも少し大きめのワイバーンと、その背に乗る人の姿がはっきりと捉えられる。
「……」
 ジナイーダは無言で掌をかざそうと、そっと動かす。そんな彼女の目の前で、ワイバーンはぱかりと口を開いた。
 だが次の瞬間、彼女の脳内をつんざくような衝撃が奔っていた。


 * * *


「なんだっ?」
 突然襲ってきた衝撃に、とっさにチェスターは頭を抱えてしゃがみ込んでいた。目の前にワイバーンがいる訳では無く、何らかの魔法の攻撃を受けた訳でも無い。
 だが、頭の中が割れるように痛む。ぐらり、とよろめいたチェスターの前に、不意に一頭の魔物が急降下してきた。
「くっ!」
 痛むような頭のまま、ワイバーンの攻撃軌道を予測して、横へと転がる。足を一歩動かしただけで、頭の痛みは急激に増していた。何とか銃は手放さないようにがっちり構えつつ、顔をしかめる。
 その、割れるような頭の痛みは数十秒間続き、そして始まりと同じように、唐突に終わった。
「……?」
 ずきずきと痛みの余韻を残すこめかみを押しつつ、チェスターは首を傾げる。彼がそれが何だったのかを考えるよりも早く、後方でウィレムの声が上がった。
「超音波……!」
「……なるほどねぇ」
 彼の発言に、思わず納得の感覚を思い出すチェスター。上空を見上げる。
 彼等の攻撃で三分の一程に減っていたワイバーン達は、それでもまだ秩序というものを持って上空を旋回しているようだ。おそらく先程、少しだけ降りてきたワイバーンに乗る人間が、上手くワイバーンを操っているのだろう。
「このまま全てのワイバーンを落とすのもいいが……、ひとまず先にあれを落とすべきだろうな」
 チェスターの横に並んだジナイーダが、手にしている銃の先で、あのワイバーンを差す。上空を旋回しているワイバーンがぐん、と勢いをつけるのを尻目に、チェスターはひとつ頷いていた。
「そうだな。またあれが来たらって……!」
 再び脳内に刺すような痛みが奔る。思わず頭を抑えたチェスターの斜め前に、勢いをつけて急降下してきたワイバーンが目に入った。
「うわっ!」
 突然の攻撃に、彼は持ち前の反射神経を起こして斜めに逃げる。脳内を占領する激痛に顔の表情を歪めつつ、ジナイーダに視線を送ったチェスターの表情が唐突に変わった。
「ジナイーダッ!」
 風の防壁を咄嗟に繰り出したジナイーダだったが、肩の部分が障壁を破られ、そこにワイバーンの鋭い歯が食い込むのが見えた。
 叫び声を上げるチェスターの横で、僅かに顔をしかめたジナイーダは、再び風の刃を作り、ワイバーンの顔目掛けて叩き込む。
 ぶしゅり、と音がして、固そうな鱗に、刃が突き刺さった。苦悶にジナイーダを放したワイバーンは、チェスターの目の前で暴れまわる。
「くそっ! ジナイーダが見えねぇ!」
 暴れるワイバーンに、チェスターの手にある銃がその怒りを吹き上げた。ぶしゅり、という音と共に赤い血を噴出しながら倒れていくワイバーン。
 そして、チェスターはその魔物の向こうに、彼女の姿を見ていた。
 正確には、ひびの部分に身体を落とし、辛うじて右手が見えたいた。
「……ッ!」
 チェスターは彼女の名前を呼ぶのもそこそこに、思い切り足を踏み込んでジナイーダの元へと急ぐ。
 ひびへと近付いた時に、彼女の呻き声が小さく上がるのが分かった。
「大丈夫か……!」
 チェスターは地に這いつくばり、ジナイーダの腕を掴もうとして、とある事に気がつく。
 それは、ジナイーダが辛うじて掴んでいるその手の肩には、ワイバーンが噛み付いた痕があった事だ。チェスターの躊躇いに気がついてか、ジナイーダは弟分を見上げて、小さく笑った。
「いいから、早くひっぱってくれ。ここは暑くてたまらない」
「……分かった」
 負傷しているにも関わらずの言葉に、チェスターもひとつ頷いて、彼女の身体を引っ張り上げる。ずりずりと赤茶色の大地に投げ出されたジナイーダに、心配そうな声が掛けられた。
「大丈夫ですか? 傷の具合は?」
 ワイバーンの猛攻をさらりとかわしてやって来たウィレムに、ジナイーダはひらひらと手を上げる。
「これぐらいは治癒の魔法で治る。いつもの事だ」
「そうですか……」
 ウィレムはひとつ息を吐くと、チェスターに視線を向けた。
「もうワイバーンの数も少ないです。さっさと頭を倒して終わりにしましょう」
「よしっ」
 チェスターはウィレムに笑いかけると、宙へと視線をやる。数頭が空を旋回している中、一頭に目を向けると、そのまま銃を向けた。
 チェスターが銃を構える横で、水が槍のように鋭くなって飛んでいく。それは寸分違わず一頭のワイバーンを打ち落とし、ワイバーンは苦悶の声を上げて速度を下げた。
 チェスターは足を踏み込んで前へと飛び出すと、焦点をあわせて銃弾を打ち込む。銃弾が連発する音と共に、ワイバーンの目から鮮血が飛びあがるのが見えた。更にその銃弾は、その魔物に乗っている人にも命中したようで、肩を抑えてワイバーンから落ちていくのが目に入る。
「よし、一丁あがりっと!」
 チェスターの目の前に、翼と目をもがれたワイバーンが地響きを立てながら落ちていった。彼に追いついたウィレムが、目を細めて、ワイバーンの元へと近付いていく。
「さて。答えていただきましょうか。ここは一体、何なのですか?」
 ウィレムはワイバーンの隣に落ちた男性へと近付くと、冷淡に声を上げた。肩からどろりと血を流す男は、ウィレムをちらりと見ると、何事かを呟く。それはあまりにも小さすぎて、チェスターには届かなかったが、どうやらウィレムには届いたようだ。
 そして彼等の目の前で、瞬時に男はフィルムへと変化していた。


 * * *


 フィルムを持ち上げて、ポケットにしまったウィレムに、チェスターの声が掛けられる。
「そいつ、何て言ってたんだ?」
 ウィレムはゆっくりと振り返ると、さあ、と首を傾げた。
「ここは門の世界と言っていたのですが、よく意味が分からないですね」
 チェスターの後ろに、どうやら無事に治療を終えたらしいジナイーダが近付いてきた。肩を押さえて様子を見ているようだ。
「どうやら、他のワイバーンもいなくなったみたいだぞ」
「あ、言われてみれば」
 彼女の言葉にチェスターが上空を見回して、驚きの表情を浮かべていた。ジナイーダは早速煙草を取り出して、口にくわえて火をつけようとする。
 だが、ライターが近付いた直前で、ぽろりと煙草が地面に落ちた。
「落ちましたよ。煙草」
 ウィレムがそれを指摘するが、彼女はウィレムでは無く、ウィレムの後ろに視線を送っているようだった。その事に気がついたウィレムが何でしょうかと後ろを振り向いて、そして彼も口が止まっている。
 ウィレムの丁度真後ろには、何の前触れも無く、最初に見た時と似たような扉が現れていたからだ。
「まただ――」
 そう呟くチェスターは、少し扉に近付いてまじまじとそれを眺めている。その後ろへジナイーダが歩み寄り、扉を眺めた。
「ふむ。また何だか沢山彫ってあるな」
「本当ですね。――これは、波……水、ですか……?」
 ウィレムも後ろから覗き込み、彫られている一部分を指差して呟いた。
 確かに、その扉の前面には、彫刻が施され、一枚の世界が広がっていた。底の部分にはさざめく波が描かれ、何か動物のようなものが蠢いている。
「これは……ワニか?」
「うーん……何だか妙にリアルだなあ」
 三人でその見事な彫刻を眺めていると、再び扉がみしり、と軋む音がする。
「……」
「……」
 後ずさる間もなく、三人の目の前で静かに扉は開かれていく。最初の時と同じように、白い光に包まれるかと思って身構えていた三人は、何も起きないの事に気がついた。
「……眩しくないな」
「ああ。……これは……」
 ぎいぃ、とどこか不気味な音を響かせながら開く扉。その扉の向こうには、再び違う空間が広がっている。
「……扉の絵と、何だか似ていますね」
 どうします? とウィレムは二人を振り返った。ウィレムの視線を受け、ジナイーダは小さくため息をつく。
「どうもこうも、行くしか道は無さそうだな」
「また闘うのかー」
 チェスターも、少しだけ面倒そうに呟く。
 そうして三人は、静かに扉の向こうへと、足を踏み入れていった。


 * * *


「うわっ」
 初めに、扉の向こうに足を踏み入れたチェスターは、足に生暖かい何かが触れて、思わず声を上げた。
 視界にはこの空間前面に水がある事が分かっていたし、覚悟もしていたのだが、思っていたよりも水深がある。
 扉の向こう前面に張られている水は、ちょうど彼等の膝あたりまであったのだ。
「なんなんだ、ここは」
「これでは、かなり動きにくいですね」
 二人も口々に文句を言いながら、水の中へと足を下ろす。
 三人が扉を通り抜けると、それが理解できたかのように、扉は音も無く、空間に霧散していた。
 彼等は、黙ってその世界を見回していた。
 そこは、扉に描かれた空間と寸分のくるいも無い世界であった。
 灰色の空と、地に張られた水。水の上には、丸太を組んで作られたであろう、筏がぷかりと浮かんでいる。ただそれだけの、世界。
「……なんだか偽物っぽい世界だな」
 ぐるりと世界を見回したチェスターは、思わずそう呟いていた。それを聞いたウィレムも、ひとつ頷いている。
「……確かに。あの彫刻を見たせいもあるのでしょうが、妙に人工的で、そしてどこか刹那的な世界ですね」
「そうだな」
 水面は、三人が動くと水紋が広がっていく。逆に言えば、それ以外の要因で水が揺らめくことは無いようだった。
 ここは、風も無いのだ。
 全てが澱んでいる世界。空も、水も。
 そうしていると、不意に、彼等の向こうで水がざわり、と揺らめくのが分かった。風もないのに、不自然に水が波を作っている。
「そういえば……あの彫刻に、何か描いてあったな」
 ジナイーダがその水の流れを見て、ぽつりと言葉を落としていた。その横でウィレムが小さくため息をつく。
 三人は、しっかりと目に焼き付けていた。
 ――水の中を滑らかに泳ぐワニにような魔物と、遥か彼方にぽつりと浮かぶ小船を。
 そして、目の前に見えるのは、何かがすいすいと泳いでいるように動く波と、向こうの方にぽつりとある、小船。
「――これだけ水が張ってあると、動きにくくて不利だな」
 そう言うと、波がこちらに近付いてくる前に、ジナイーダはいち早く動き出した。三人の少し前にある筏へと、ざばざばと水をかき分けながら歩いていく。
 チェスターとウィレムもジナイーダの後を追って、筏へと急いだ。一歩歩く度に、ねっとりと水が纏わりつく。
 そして、すいすいと近付いていく波の波紋。
「急げ」
 一足先に筏に上がったジナイーダが、二人を急かした。チェスター、ウィレムも続いて筏に登る。
 次の瞬間。
 筏の周りに、ぶわり、と一層大きな音が上がっていた。


 * * *


 まるでスローモーションが起きているかのように、三人の目の前で白い水しぶきが背よりも高く上がった。
 そして、水面へと顔を出す、ワニに似た魔物。そのワニ達の背中の鱗が、ぬるりと水の艶を帯びていく。
 ウィレムはそれを目に、ふ、と意識を集中させた。
「……水よ」
 水へと力を働きかける。すると、一瞬にして、水の一部が氷柱となって、筏の周りを取り囲んでいた。
 ワニ達が、まとめて氷柱に縫い付けられる。その時、不意に一頭のワニの目が鈍い光を帯びたのが、ちらりと目に入った。
「おっとぉ!」
 ばりばり、と彼等の足元で不吉な音がした。そしてその音は実体を伴って、筏に氷の槍となって貫く。
「……こいつらも魔法を使えるのか!」
 間一髪の所で、三人は中空へと飛びあがった。チェスターがやや焦りを帯びた声で叫ぶ。ウィレムは他の二人の着地点を見極めつつ、再び水へと意識を集中させていた。
 水が渦を為して凝り固まる。そしてその部分が急速に冷えて固まり、氷の島を作り上げていた。
「その上に!」
 三人は上手く身体を動かして、その氷の上に着地できるようにする。
「……どうやら、あそこで見物をしている奴が、こいつらを操っているのに間違いなさそうだな」
 軽やかに氷の上に着地したジナイーダは、眉を上げて右へと視線を動かした。ウィレムは彼女の言葉にひとつ頷く。
「ええ。前の世界と関連があるとすれば、間違いなくそうでしょうね」
 再び氷の下の部分から、ぶくぶく、と不穏な音が響く。そして水面へと氷の槍が突き出している。
「くそっ、これじゃあ、埒があかないな!」
 再び氷の槍を飛びあがって逃れながら、チェスターがいらただしげに言った。水上には氷の槍がもたらした水しぶきが豪快に上がり、水中では落ちてくる三人を狙って、ワニ達が蠢いている。
「そうだな……」
 再びウィレムが水上に作り上げた浮島に足を乗せながら、ジナイーダは小さく唸った。そして彼女の目がウィレムを捉える。
 ウィレムもジナイーダへと視線を返し、そしてチェスターへと視線を向けた。そのまま三人は小さく頷いて。
 三人は示し合わせたように、一斉に動き始めた。


 * * *


 ジナイーダはちらりと水面へ目を向けると、素早く精神を統一させていた。そして、轟音を立てながら砕け散る氷から足を離し、空中へと飛びあがる。
 そして水面へと身体が戻る前に、素早く魔法を繰り出していた。彼女の身体を中心に、円状に風の鎌鼬が繰り広げられる。
「いよっと!」
 鎌鼬が、固そうな鱗に囲まれたワニ達の身体を切り裂き、そしてその風圧でワニ達を吹き飛ばしていく中で、くるりと宙返りをしたチェスターの銃が火を噴いた。
 だん、だん、と人工的な世界に、鈍い音が響き渡る。それらは幾つか水面を叩いて、そして水面にどす黒い花を咲かせていった。
 そして二人は、それぞれがワニ達を蹴散らした場所に、ざぶりと音を立てながら足をつく。少しだけ息を吐いて休息すると、再び水を叩いて飛びあがった。
 白い飛沫が立ち上る。それと同時に、かぱりと顎を上げたワニが、ふたりの足にくらいつこうと、水の上に顔を出す。
「う、わ」
 二人は出来るだけ足を水から遠ざけながら、顔を出してきたワニに、それぞれの武器を向けた。ふたりの銃から同時に銃弾が飛び跳ねる。
 ずぶ、り、と顎が切り裂かれる音が響いた。激しい水音が響いて、顔を出していたワニ達が水中へとその身体を次々に沈めていく。
「まだまだっ!」
 チェスターは水中へと降りる一歩手前で、さらに銃弾を水中へと放った。一度、その銃弾は水滴をあちこちへと弾き飛ばし、そしてそこから、ワニの身体が躍り出た。
 ジナイーダはばしゃりと音を立てて水辺に降り立つと、再び水面を蹴って一歩、また一歩進んだ。一歩歩く度に、彼女の歩いた足跡を残すかのように、ぶわりと水面がさざめいていく。
 そして、繰り出される風の刃。鋭く、強い風圧を持つそれは、水面を低く奔っていく。その刃の風圧により、水面はゆらゆらと大きく揺れた。
 ざぶり、と風の刃が水中へ潜っていく。そして一瞬だけ、水面が静けさに満ちたかと思うと、大きく揺れ、水しぶきと共にワニが飛びあがっていた。
 それはあちこちで同時に起こり、何体ものワニが飛びあがり、そして水の中へと叩きつけられる。
「大分減ったんじゃねえか?」
 ざぶり、とジナイーダの傍に足を下ろしながら、チェスターは息をひとつ吐いた。ジナイーダも辺りを見渡しつつ、ひとつ頷く。
「そうだな」
 確かに今まで見境なく襲ってきていたワニ達は、二人を警戒してか、直ぐに襲ってくるような事は無かった。丁度二人から少し離れた所で円を描くように相対し、じっとこちらの出方を伺っているようである。
 そうしていると、二人の足元に、何かが引っ掛かるような違和感が起きた。二人はその違和感に即座に気がつき、勢いつけてその場から飛び退る。
 水面がごぼごぼと泡だったかと思うと、そこから氷の塊が突き出した。鋭いそれは水しぶきを我が物にしながら中空へと姿を見せる。
 少しだけ飛び退くのが遅れたチェスターの足に、小さな衝撃が奔った。
「……ッ!」
 チェスターは声無き叫びを上げながらも、ワニが起こした氷の魔法から何とか避けきる。僅かに足の肉を抉られたようで、水の中に再び足を浸す時、足から鋭い痛みが奔っていた。
 だがその痛みに構うことは無く、くるりと銃を周りにいるワニ達に向けると、一気に銃弾を放った。彼の周りが一時的に騒がしくなるが、少し経つと驚く程に、妙な静けさを見せていた。
「……ん?」
 大人しくなった周りに、チェスターが首を傾けると、煙草を抜き出して口にくわえるジナイーダの姿があった。
「……終わったな」
 彼女はぽつりと呟いて、静かに息を吐いていた。


 * * *


 二人が一斉にワニ達の中へと入っていたのに対して、ウィレムは反対方向へと足を向けていた。水面に連続で氷を浮かべ、次々に渡っていく。普通に水の中を駆け抜けるよりも、かなりの時間短縮になる。
 走っていくウィレムの先に、段々と大きくなる小船の姿が見えた。その小船には、ひとり、男性が乗っているのが見える。
「……あれですか」
 ウィレムは小さく呟くと、静かにその男を見据えていた。船の上の男は、僅かに動揺の色を見せたようだ。
 ウィレムの後方から、魔物が追ってくる気配を感じる。ちらりと目線を後ろに送ると、そこには
ワニの姿こそ見えないものの、水面にゆるやかな波が起きていた。恐らく追ってきているのだろう。ウィレムは目線を元に戻すと、たん、と軽やかに足を進めて、そして男へと掌を向けた。
「……!」
 ウィレムの身体の周りの水が集まって、彼の周りに水の膜を作る。それは生き物のようにゆるりと動いて、そして一気に氷結した。
 凶器となった氷の固まりは、男の頭上に降り注いでいく。そうしていると、男の周りにざ、と波が立っていた。そこから一頭のワニが、ゆるりと顔を出している。
 その次の瞬間、水面からその氷を砕くために、幾つもの水滴が飛び出し、それらはたちまち凍りながら中空へと向かっていた。
 あちこちでびし、と氷と氷がぶつかる音が響き、あたりに砕けた氷の粒が降り注ぐ。それは一瞬だけ煌いて、そして水面を次々に揺らしていった。
 それを片手で器用に避けながら、ウィレムは銃をもう片方の手にする。
 びしり、と銃を男に向け、そして二人は静かに対峙していた。
「先程もかなり変わった空間でしたが、ここも随分と変わった空間ですね。……そして扉の絵と同じ空間でもありますね」
 ウィレムの言葉に、男は僅かに逡巡して何か思考を巡らせているようだったが、やがて、小さく口を開いていた。
「ここは、作られた世界だからな」
「……どういう意味ですか?」
「俺達の領地には、彫刻に、命を吹き込むことが出来る彫刻師がいてな。そいつが、あの『扉』を作り出したのさ……!」
 男が言い終わらぬ内に、ウィレムの周りに水しぶきがあがった。彼を追ってきていたワニ達が、一斉に水面に顔を出す。
 そして、彼が乗っていた氷から、みしみしと音がしたかと思うと、島の下から、氷の刃が幾つも突き出してきた。
「……なるほど。所詮は、作り物、という事ですね」
「な……」
 男の顔に、明らかに焦りの表情が浮かぶ。一瞬の内に、高く中空へと躍り出ていたウィレムは、男の前で、優雅に船の端に着地していた。
 そして、にこりと笑んで、銃の引き金を引く。
 轟音が一発、その場に響いていた。


 * * *


 辺りの様子を伺いつつ、ゆっくりとウィレムの元へ歩いていたチェスターとジナイーダの前に、ゆっくりと小船がやってきていた。その上には、ウィレムがいる。
「終わったのかー?」
 ウィレムの姿を認めたチェスターが、手を上げた。ウィレムはすい、と小船を動かして二人のところまで来ると、ええ、とひとつ頷く。
「とりあえず、魔物を操っているであろう男は倒しましたよ」
「そうだな。魔物もいなくなったようだし」
 よいしょ、と船に乗り込みながら、ジナイーダは呟いた。確かに、今まで三人に襲い掛かっていたあのワニ達は、いまや気配も見えない。
「ワニと男の存在は、どういった関係にあるんだろうな」
 ジナイーダに続いて小船に乗り込んだチェスターは、濡れた部分を絞りながら、そうぼやいていた。
「先程、あの方に面白い事を伺いましてね。どうやらこの世界は、ひとりの彫刻師によって作られたようですよ」
「彫刻師? ……ああ、あの扉のことか」
「ええ」
 ウィレムがにこやかに言う言葉に、ジナイーダは一瞬眉を寄せたが、すぐに納得したようで、頷いた。
「え? ってことは、あの扉に命が吹き込まれたって事か?」
「らしいですね」
「なるほど。すげぇなあ」
 チェスターは妙に感心したように頷いていた。そういえば、あの扉には、ここと良く似た世界が描かれていた事を思い出したのだ。
「……ところで、どこへ向かってるんだ?」
 煙草から煙を昇らせたジナイーダは、すい、とどこかへ進んでいるらしい小船に疑問を持ったのか、ウィレムに問う。ウィレムは無言で、船の先を指差した。
 その先には、また、扉がひとつあった。
「……またか。あの扉を抜けないと、ここからは抜け出せないって事か」
「まあ、ともかく、この世界を作り出している、彫刻師とやらを探さなくてはならないようですしね」
 空中に、煙草の煙がゆらりと揺れて、そして消えていく。
 その中を小船はゆっくりと、波を立てながら進んでいった。

 どこまでも続く同じ世界に、唐突にそれは現れていた。どこまでも続く水の中に、その扉はぽつんと建っている。
 相変わらず黒い、艶やかな光沢を放つ扉で、表面には一枚の世界が彫りこまれている。
「……これは……、館?」
 小船の先に立って、その絵を眺めていたチェスターは、その絵の前で、首を傾げていた。
「館だな」
「大きいですね」
 やがて扉に近付くにつれ、二人も同じ意見を交わす。
 扉の中央には、大きな館が彫りこんであった。館の後ろには山並みが見え、そして幾人かの人々が館に出入りしている光景だ。
「今度は……普通の世界なのか」
「だと良いですね」
 そう言い合う三人の前で、静かに扉は開いていく。
 三人は船に乗ったまま、その扉の向こうへ吸い込まれていった。


 * * *


 扉を潜り抜けた瞬間に、ふ、と足元が軽くなったかと思うと、唐突に船は消えていった。
「おっとっと」
 よろめきそうになったチェスターが、それでも転ばないようにバランスを取って、地面へと降り立つ。
 扉を潜り抜けた時に、水も無くなってしまったようで、三人はしっかりと大地を踏みしめて立っていた。時折あちこちに雑草が生えている、ごく普通の道の上に三人はいるようだった。
「……無い」
 ジナイーダが後ろを振り返ると、そこには確かに今まで潜り抜けてきた筈の扉は、そこには無かった。山並みに囲まれ、家がぽつりぽつりと並んでいる姿が見えるだけだ。
 そして彼等の目の前には、扉に描かれていた壮麗な館が建っていた。
 石造りのどっしりとした構え。
 豪華な門。
 そして館を囲むように建つ、壁。
「……これは、なかなか立派な建物ですね」
「魔物はいないみたいだな」
 口々に館への意見を言い合いながら、ひとまず三人は館へと向かう事にしたようだった。
 真っ直ぐな一本道を歩いていくと、大きな門、そして二人の門番が三人を迎える。
 どこか堅苦しい洋服を着た門番は、三人を見て驚きの表情を浮かべていた。
「いらっしゃいませ。旅のお方ですよね?」
「……は?」
「いえいえすみません、領主様の館をこちらに移してからは、めっきり誰かが訪れる事など無かったもので驚いてしまいました」
「いえ、あの……」
 どこをどう見て勘違いしたのか、門番は三人を旅人だと思い込んでいるようだった。どう弁解すれば良いか悩む前で、門番がにこりと笑みを見せながら門を開ける。
「中へどうぞ。領主様は旅のお方をお迎えするのがお好きですから、さぞ歓迎されるでしょう」
 にこやかに門番はそう言うと、三人を門の中へと押し込んだ。流されるまま中に入ってしまった三人は、それぞれ顔を見合わせる。
「……どうするんだ?」
「――これじゃ、銀幕市に実体化した事には気がついてないだろうな」
「まあひとまずは良いんじゃないんですか? 詳しいことは中で聞いてみましょうよ」
 そうして、三人は豪華に飾りつけられた庭の中を進んでいくのだった。


 館に入った三人は、入り口にいたメイドに案内されて、毛足の長い絨毯が敷かれた廊下を延々と歩いていた。落ち着いた色合いの壁には、一定の距離ごとに華奢なランプが括り付けられている。
「こちらでお待ちください」
 メイドはそう言って、三人を応接間のような部屋へと案内していた。大きな長椅子が二つ、対面するように並んでいて、壁には幾つかの絵が掛けられている。
「はあ……」
 曖昧に返事をする三人にひとつ礼をして、メイドは扉から姿を消した。美しい柄の布が張られたソファに、ウィレムが近付く。
「やはり、かなり中も豪華ですね。どういう領地を治めていたのでしょう」
「どうなんだろうな……」
 訝しげに話をする二人をよそに、チェスターは早速長椅子へと腰掛けていた。そうしていると、メイドが出ていった扉ががちゃりと音がして、ひとりの男性が現れる。
「おぉ……これはまた珍しい服をお召しなお方だ。ようこそこちらに来てくださった」
 その、壮齢にさしかかろうという見た目の、どこか黒い雰囲気を持った男は、三人の向かい側にある椅子へと腰掛けていた。領主の後からついてきたメイドが、三人の前に、紅茶が淹れられたカップを置いていく。
「さあさ、遠慮しないで飲みなされ」
「……」
 それぞれ三人はカップを一瞥したが、それに手を付けることは無かった。領主はそれを気にしてか気にしていないのか、自らの前にも置かれたカップに手を伸ばすと、口へとひとつ運んで、そして話し出した。
「さて、私はあなた方のような服を着た方を生まれてこの方初めて見たのだが、一体どちらからいらしたのかな?」
「……銀幕市ですよ」
 三人はちらりと目配せをし、一番丁寧に話を進めるウィレムが代表して口を開いていた。
「ほう、それは初めて聞く言葉だな。どの辺の国なのかね?」
「ここですよ」
「――ここ?」
 ウィレムは首を傾ける領主に、簡潔に銀幕市の事と、自分達は映画の中から実体化してきたのだ、という事を説明する。
 領主はウィレムの言葉に、初めは目を白黒させていたのだが、やがて何かに気がついたかのように、なるほど、と言葉を漏らす。
「だから、最近はあの門に引っ掛かる者が多かったのか……」
「あの門とは、黒い彫刻が彫られたものの事ですか?」
 ウィレムが聞くと、領主は驚いたかのように顔を上げた。そして、ひとつ頷く。
「そうだ。もしかして君達もあの門からやってきたのか?」
 三人がその言葉に頷くと、今度ははっきりと驚きの表情を浮かべていた。そして、顎に手をひとつ当てて何かを考えているようである。
「あの門は、とある彫刻師に依頼して、頼んだものなんだよ。私達の領地は、どうも武力が足りない場所でなあ、毎回色んな国から攻め込まれている時に、その彫刻師の存在を聞いたのだ」
「……つまり、あれは……戦う為に作らせたものなのですか?」
「ああ。見事な細工だったろう。あやつが作り出した世界も中々のものでな、今まであの門が破られた事は無かったのだ……」
「……」
 領主の、何かを含むような言葉に、三人は互いに視線を交わした。領主はしばらく俯いていたが、静かに面を上げると、ふ、と笑みを零す。
 そして言った。
「なあ、是非とも、その力を我々の為に貸して頂けないかねぇ……?」
「……!」
 彼のその言葉と同時に、扉から幾人もの、武装した兵士が入り込んできた。三人が立ち上がって構える間も無く、たちまち包囲される。
 ほの暗い笑みを浮かべる領主に、ウィレムは皮肉げに笑みを見せた。
「……その彫刻師にも、こうして脅しを掛けたのですか?」
「いいや。彫刻師は喜んで私のお抱えの彫刻師になってくれたのだよ。彼の妻を蘇らせるのならば、この仕事を引き受けても良い、と言ってね」
 まあ勿論、そんな事はありえないが、と領主は愉しそうに言葉を続ける。
「くそ……、さっきから聞いてりゃ……」
 兵士に剣を向けられて、動きを封じられているチェスターは、領主の言葉を聞きながら、顔の表情をしかめていた。
「……その彫刻師は、自らの芸術が武器となる事に、何も感じていないのでしょうか?」
「ああ。今日も奴は、新しい門を彫り続けているよ。馬鹿馬鹿しくも、あんな嘘を信じてね……!」
 ウィレムの問いに、そう領主は答えていた。僅かにその場に漂う沈黙。
 その沈黙を一番に破ったのは、ジナイーダだった。
 彼女は周りの兵士達の包囲をいとも簡単にすり抜けると、領主の前に立ち、滑らかな動きで銃を構えていた。
「……悪いが、交渉決裂だな」
 静かなその場に、やけに銃声が大きく響いていた。


 * * *


 ジナイーダが銃弾を領主に撃ち込むと共に、未だ兵士に包囲されていた二人も、素早く動き始めていた。
 チェスターは、右足を後ろに繰り出し、後ろの兵士をなぎ倒し、さらに手に銃を持ち、右側と左側の兵士達を撃ち抜いていく。
 銃声が三発響いた横で、ウィレムも肘を横の兵士に突き出した。呻き声を上げて倒れる兵士には構わず、さらに左へと、膝蹴りを繰り出してその場から脱出する。
 ジナイーダの周りには、新たに兵士達に囲まれそうになっていた。彼女は小さく笑うと、一息に動いていた。
 右側の兵士達を銃で一気に壁際まで吹き飛ばしたかと思うと、彼女の左側へ風の刃がおきて、次々と身体のあちこちを切り裂いていく。
「ぐわっ」
「うぎゃっ」
 醜い呻き声が聞こえる中、ジナイーダはひとりの兵士へと近付いた。
「ひぃっ……」
「彫刻師とやらはどこにいる?」
「……この館の、南翼館と呼ばれる場所だ……」
 兵士はジナイーダが近付いてきた事に怯えながらも、そう答えた。
「そうか」
 ジナイーダは短く答えると、腹部を蹴り飛ばして気を失わせる。
「南翼館と呼ばれる部屋にいるそうだ」
「行きましょうか」
 くるりと振り向いて言ったジナイーダの言葉に、既に包囲を抜け出してきていたウィレムはひとつ頷いた。チェスターも隣にやってくる。
 三人は、呻き声と叫び声が聞こえる中を走り出す。


 館のあちこちを兵士や、館の人間達の包囲から上手く抜け出しながら走り回り、三人はようやく南翼館と書かれた部屋を見つけていた。
 その部屋は、館の主要な部分からは大分離れた、細長い廊下の先にある部屋だった。
「よし、ここだな」
 チェスターは扉の上にある部屋名を確かめると、その両開きの扉に静かに手を掛けた。
 ぎいい、とどこかで聞いたような、扉が軋む音と共に、その扉が開いていく。
「……ここは……」
 何が出てきても大丈夫なように銃を構えていた二人は、扉の向こうに見えてきた光景に、小さく口を開いた。
 そこは、小さなアトリエだった。
 どこか油の匂いが漂うその部屋は、綺麗に整頓されていながらも、どこか乱雑な印象を残している。
 床に転がった絵の具。
 部屋のすぐ横に置かれた机にまとめられている、幾つものクロッキー帳。
 どこか薄汚れた色の、カーテン。
 そして、その部屋の奥で、三人に背を向けて、ひとりの男性が黙々と作業をこなしているようだった。
「……はい、ちょっと待ってくださいよっと……」
 そこで作業をしている彫刻師は、この館の誰かが訪れたものと勘違いしたようで、こちらに顔も向けずにそう言うと、しばらく作業に没頭していた。
「はいはい、なんです……」
 そうして、やっとその作業にキリがついたらしく、道具を置いて彼は振り返った。そしてそのまま、彼の表情は止まっていた。
 困惑した表情が浮かんでいたので、素早く彼等は彫刻師に事情を説明する。説明し終わっても、突然の事に彫刻師は困惑している表情を隠せなかったようであった。
「……そうか……やっと終焉が来たのか……」
 しばらくして、彫刻師はぽつりと呟いた。しばらく放心した表情を見せていたが、何かを思い出したように、後ろにある彫刻を手に取った。
「それは……」
「どうでしょう。ちょうど趣味で作ってたものが完成したんですよ」
 彼はそう言って、小さく笑った。そして、チェスターの右手の銃を指差す。そして、その彫刻師は、自分の額を指差した。
「さあ、この空間から抜け出すには、それでここを撃つ必要がありますよ」
 躊躇いのないその表情に、一番手前にいたチェスターは、どこか戸惑った声音を出した。
「でも……消える必要はないだろ?」
「俺は、自分の創ったもので沢山の人を傷つけた。それ相応の報いというものがあるんです。俺は、これで良いんだ……」
 彫刻師は、緩やかに首を横に振った。
 未だ躊躇いの表情を見せながらも、チェスターは銃を構える。
 静かな眼差しでチェスターを見つめ、そうして、静かにぽつりと呟く。
「――これから見るものを忘れないでいてくれたら嬉しいな」
 そうして、彫刻師は、静かに瞼を閉じた。


 * * *


 どこかゆらゆらと身体が揺れる世界。彼等は気がつくと、そこに立っていた。
「あれ……、ここは……?」
 たった今まで館にいたはずの三人は、戸惑いの表情を隠せずにあちこちを見回す。
 ――そこは、大地を緑が覆う、野原だった。
 沢山のクローバーが植えられたそこには、幾つもの、野の花が咲いていた。
 爽やかな風が通り抜け、そして綿毛が飛んでいく。
「野原……」
 ウィレムはそうぽつりと呟くと、何かに気がついたように、振り返る。
 そこには、一本の大きな木があった。そして、その下に佇む、二人の人の影。
「……――」
 静かにジナイーダは煙草を取り出し、カチリ、と火をつける。
「何か普通の野原なのに……懐かしく感じるなぁ」
 少ししゃがみ込んだチェスターは、クローバーをひとつ手に、顔の表情を緩めている。

 強く、風が吹く。 

 そして、その風によって彼らがいる景色がまるで砂のように吹き飛ばされて。一瞬でその景色は、見た事のある光景に塗り替えられていく――。
 彼等が瞬きをした時には、そこはもう、いつもの銀幕市の景色だった。
「――帰って、来たんだな……」
 ぽつりと呟いたチェスター。その横で、ジナイーダはもう一度咥えている煙草に火をつけると、彼女の前に最初と同じように止まっている車に戻っていく。
「さて……時間はどうやら進んでないようだな。予約の時間には、間に合いそうだ」
「――何だか、夢を見ていたようですね」
 ウィレムは誰にともなくそう呟くと、ひっそりと笑う。
「行きますよ、チェスター」
「あ、ああ……」
 チェスターはウィレムに声を掛けられ、呆けていた事に今になって気がついたかのように声を上げる。
 そして、二人が車の中に戻っていくのを見ながら、そっと掌を開く。
 ――そこには、ひとつのフィルムと、四葉のクローバー。
「――忘れないから」
 彼はそう呟くと、二人を追って歩き出した。



クリエイターコメント大変お待たせ致しました。ノベルをお届けさせて頂きます。
今回は、またちょっとだけ色々変えてのお届けとなりました。前半の戦闘をメインとして、三人の役割分担や、やりとりが段々私の中で出来てきて、とても楽しく描かせて頂きました。普段もこんな感じかな、という想いを込めつつ。
最後の領主からのくだりは、あまり書きすぎると重くなるので、さらっと書いてみました。
何か気がかりな点などございましたら、いつでもツッコミを入れてください。

それでは、オファー、本当にありがとうございました!
公開日時2009-05-26(火) 18:10
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