★ Game in the Dark ★
クリエイター志芽 凛(wzab7994)
管理番号136-2928 オファー日2008-04-30(水) 19:49
オファーPC 梛織(czne7359) ムービースター 男 19歳 万事屋
ゲストPC1 クライシス(cppc3478) ムービースター 男 28歳 万事屋
<ノベル>

 
 そこは、銀幕市の一角、梛織が良く彼の大切な人と遊び回っている場所だった。彼の目線は、はっきりと目の前の男を追っていた。
 そこにいたのは、梛織自身。もうひとりの自分が、そこにはいた。
 そして彼らに背を向けて、彼にとっての大切な人がそこには佇んでいる。
 彼はもうひとりの自分の動きを見て、ハッとなる。それは、明らかに攻撃を仕掛けようとしている動きであった。
 やめろぉッ! 梛織はそう叫んだ筈だったのだが、実際には彼の口は彼の意志に反して、開かなかった。
 ――自分の身体が、自分でないみたいに動いてくれない。
 そうこうしている内に、もうひとりの自分は鮮やかに、滑らかに右足をその大切な人の背中に繰り出していた――。その人の身体が揺らいで、床に崩れ落ちる。
 いつの間にか、辺りの風景は真っ黒な闇に切り替わっていた。そこには光なんて無い筈なのに、もうひとりの自分と、そして床に崩れ落ちた大切な人の姿だけは鮮やかに浮かび上がっている。
 その人の顔が、こちらを向いた。その表情は、驚愕に染まっている。
 その表情を見、そしてもうひとりの自分が手にしている物に気が付いた梛織は、咄嗟にそこへと駆け寄ろうとした。
 だが彼の身体は、壁にもたれ掛かったまま、動かない。
(動けッ……! 頼むから動いてくれよ……!)
 こんなに心の中では脂汗を浮かべているのに。視線だけそこに張り付けたまま、一歩だって足は動いてくれない。
 そして。
 た、んっ――。
 乾いた轟音がひとつ。
 視線の先には、びくん、と身体を痙攣させて、目尻から一滴涙を落としていく大切な人。
 どうして、何で。彼の脳内は混乱を極めていく、その時、どこからか笑い声が、それも嘲笑を帯びた笑い声が響いてきた。
 こんな時に誰が笑っているんだ。数秒憤慨して、そして彼は気付く。
 はははははっ、あははははははっ。
 声は、とてつもなく近いところから聞こえる。
 そう、梛織自身の口から発せられて、いる。
 アハハ、あははははははははははははははははははははははははははははh

「……!」
 唐突に、天井が視界に入った。それはいつもの見慣れた部屋の天井。
 がばりと起きて辺りを見回す。そこには、もうひとりの自分も、最早人形と化してしまった大切な人も、いない。
 耳に入るのは、ちゅんちゅん、と言う平和な雀のさえずり。
 ……夢か。そこまで来て、ようやく今まで見ていた光景が夢だという事に気が付いた梛織は、弾ませていた息を潜めようと大きく深呼吸をした。
「――……くそっ」
 ただの夢だ。そう自分に言い聞かせる意志は一瞬で砕け散り、彼はくしゃりと前髪を掴んだ。
 ぽつり、と額から汗が掌を伝っていく。


 * *


 その日、いつものように優雅な身分で朝食をとるつもりで椅子に座っていたクライシスは、通常なら包丁の音が聞こえ、仄かに甘い卵焼きの匂いが漂ってくる筈なのに、匂いはともかく台所から音さえしないのを不審に思い、台所へ首をのばしてみた。
 誰もいないのかと思ったのだが、そこにはいつものように梛織が立っている。だが彼は、卵の入ったボウルをかき混ぜようとして菜箸を突っ込んだまま、ぼうと突っ立っていた。
 そのどこか浮かない表情に、クライシスの整った眉がひそめられる。
「……梛織……、おい梛織! 何とろとろしてるんだよ?」
「はっ!」
 クライシスが声を掛けると、ようやく梛織は自分がぼんやりと思考を漂わせている事に気が付いたようだった。再びボウルの中の卵をかき混ぜ始める。
 そして、慌ててかき混ぜたので、ボウルの淵から卵が勢い良く飛び出てしまった。
「うわっ! もー、ついてないなあ……」
 ため息をひとつつき、台拭きを探し出す梛織の覇気のない背中を見て、クライシスのこめかみが一瞬ぴくりと引き攣るのであった。

 やがて、さらにたっぷりと時間が経った後、ようやく梛織がひょこりと台所から姿を見せた。手には二人分の味噌汁が入ったお椀。
「お待たせー……」
 相変わらず覇気のない声に眉をひそめつつ、クライシスが梛織の方へ顔を向けた時だった。梛織はいつもなら絶対につまずかないはずの段差に勢いよく突っかかったのだ。
「おい、ぼさっとしてるんじゃない!」
 味噌汁の入ったお椀が宙を舞って床に落ちそうになるが、そこはさすがアクション映画出身。素晴らしい反射神経の良さを見せ、はしっとお椀を掴み、大事を逃れる。
「あ、……すまん」
 一瞬慌てた様子の梛織だったが、クライシスが両手にお椀をキャッチしたのを見てほうとため息をついた。
「全く。気をつけろよ」
 クライシスもひとつため息をつき、食卓にお椀を並べた。その隣に卵焼きがのったお皿と、茶碗に盛り付けられたご飯が出てくる。
 だが、普段なら焦がさない筈の卵焼き。今日はあちこちが黒く焦げている。おまけに、何だか形もいびつだ。
 手先が器用で、家事はプロ並みにこなせるクライシスは、今までの行動とも相まって、さらにこめかみが引きつっていた。
「何だよこの卵焼き。いつもよりも随分焦げてるじゃないか」
「ちょっと失敗しちまって……何なら俺のやつの方がまだ焦げていないから、交換していいよ」
「当たり前だ」
 クライシスは無表情に差し出された卵焼きを当然のように受け取ると、自分の前にあった卵焼きを梛織に押し付ける。
「んじゃ、いただきます」
 そうしてようやく朝食にありつけた、と思ったクライシスだったのだが、味噌汁を喉に流し込んでから卵焼きを口に入れた途端、ガリリと嫌な音がし、あからさまに顔を歪めた。
「何だこれ、……卵の殻が入ってるじゃないか。本当にしっかりしろよ」
 箸でつまみ出された白い破片を見て、呆れたような声を出す。梛織は一瞬ぽかん、とした表情を見せたが、すぐさまそっか、とどこか無表情に返した。
「俺の方は何ともなかったんだけどな……」
 その淡白な表情に、クライシスのイライラのゲージはさらに満たされていくのであった。


 * *


 朝食から失敗続きの梛織。おまけに今日はどこかジメジメとした雰囲気を漂わせている。当然、その失敗は朝食だけで済むことは無く、ゴミ箱を蹴飛ばしたり、洗濯機に入れる洗剤の量を間違えたり、お金の計算を間違えたり。
 その度に律儀にクライシスが突っかかるのだが、明らかにいつもとは違う、覇気の無い返事に彼のイライラのゲージはついに昼前には満杯になっていた。
「あー、もうっ!」
 我慢ならなくなったクライシスは、乱暴にテーブルに本を置くと、ソファから乱暴に立ち上がった。
「鬱陶しい! テメー、いい加減にしろよッ!」
 ついに怒りオーラを前面に漂わせて叫んだクライシス。だが、それにも梛織はあまり反応を示さなかった。
「……うん? ごめん、俺何かしたっけ? ちょっと考え事してて……」
 あっさりと返答し、そのまま自室へ引っ込もうとする梛織の襟首を、クライシスの手ががしりと捉えた。
「あ? 何だその態度。一体何の考え事だよ?」
 襟首を引っ張り上げて問うクライシスの言葉に、梛織は何かを言いかけようとして、そして口ごもった。
「……」
 その瞬間、ブチリという音が響いた。確実に。
「ちょっと来やがれこの野郎」
 クライシスは半ば引きずるように、首根っこを引っ掴んで梛織を外へと連れ出す。梛織はなすがまま、ずるずると引きずられていた。
 訳が分からず相変わらずどこか抜けた表情でこちらを見てくる梛織に向けて、冷淡な、冷ややかな言葉を放つ。
「お前が何悩んでんのかは知らねえが……、俺のいう事を聞かねえ奴は、焼き入れてやる!」
 そして、彼は向けた。とあるものを。


 * *


 あの悪夢から数時間、未だ悪夢の余韻が完全に抜け切っていない梛織は、その事をいつまでも思考の中心へと持ってきていた。
 だから、本当にクライシスが彼を表に引きずり出すまで、今どんな事態が進行しているのかさえ、はっきりと把握できていなかった。
 そしてクライシスの言葉と同時に、黒い、闇の深淵が梛織の前に現れていた。
「……!」
 それは銃口。冷たい黒い闇を突きつけられて、ようやく、そして無理矢理彼の思考を引きずり出される。
 思考の前に、身体が瞬時に反応した。身体を伏せるように低くする。タイミングを計ったかのように乾いた音が響いた。
「ちょ、何すんだっ……!」
 彼が口を開く半ばで、クライシスは怒りを滲ませた無表情のまま、再びその引き金を引いた。たあんという銃声と共に、梛織の頬のすぐ近くを銃が過ぎていく。
「ギャーッ! ……どんな教育方針だッ!」
 完全にクライシスが本気モードであると読み取った梛織は、全力で街中へと疾走を始めた。彼の読み通り、怒り全開モードであるクライシスも全力で梛織を追いかける。
「キャーッ! 私の買い物袋がっ!」
「何だ何だ? ヴィランズの争いか?」
 ぎりぎりで避けた主婦の買い物袋を蹴り飛ばしたり、仲睦まじく話し合っているカップルの間を全力疾走で割り込んで行ったり。あちこちで抗議の声が上がる。心の奥で梛織は謝りながらも、足を緩める事はしなかった。
 何故ならば。
 ぱあんっ。轟音とほぼ同時に、頭の頭上スレスレを銃弾が掠めていくのだ。クライシスはかなりの正確さで銃弾を放っていく。
「くそっ! マジで危ねえからヤメロって!」
 そう叫んだ梛織の前に、やや交通量が多い交差点が近づいてきた。朝のようなラッシュよりも車の量は少ないとは言え、それでも結構な車が行き交っている車道。
 彼はちろりとクライシスの方を振り向いたが、彼は先程と同じ表情のまま、銃を梛織へと向けていた。このまま止まれば、確実にその銃弾は彼の身体を貫通するだろう。
「くそっ……!」
 梛織はひとつ舌打ちすると、一旦深くしゃがみ込むような体勢を取る。
 そして、だんっ、と大きな音を立てて蹴り、ふわりと舞い上がった。そのまま自由落下していく身体を丁度行き交う車線の真ん中へと落としていく。
 彼の前と後ろで、唸りを立てて通り過ぎる幾つもの車。中には梛織の姿を見つけてクラクションを鳴らす車もいるようだった。
 混乱が起きる前に、再び大きく足を踏み込み、反対車線を飛び越えていく。だん、と足に大きな衝撃を感じながらも走り出し、そのまま大きなビルが立ち並び、陰になって見えにくい路地へと走っていった。
 そこでようやく立ち止まり、弾んだ息を整えながら辺りを見回す。
「はあ、はあ……。さすがにここまでは、追いかけて来ない、よな」
 いや、でも奴ならやりかねない、との不安を心に秘めつつ、それにしても、どうして今日はこんなにご機嫌斜めでいらっしゃるんだろうなどの愚痴をブツブツと呟きながら、足を一歩踏み出した。
 び、りぃ。
 首筋に奔る、鋭い殺気。
「!」
 梛織はその気配に咄嗟に振り向いて、大きく後ろへと飛び退いた。足に大きな衝撃が奔る。飛び退いた瞬間に、アスファルトに銃弾がめり込んだ。顔を上げれば、斜め上にクライシスの姿がある。
 そこにふざけた表情は無い。無表情なのか真剣なのか分からないまま。
 一体どうして、彼は攻撃を続けるのか。どうしてだか分からない。考える間も無い。
 クライシスはほぼ一瞬で梛織との間を詰めてきた。右足の鋭く高い蹴りを地面ほぼスレスレの位置で避けつつ後ろに退く。
「くそっ! ホントに止めろよ! シャレになんねえ……!」
 僅かにあいた間で、梛織は抗議の声を上げた。
 だが、その一瞬の間に出来た隙に、クライシスは綺麗に間を詰める。
「……!」
 美麗、と言うべきだろうか。銃を握った右腕をびしりと綺麗なフォームで梛織の眉間に突きつけた。彼の視界に入る、冷たい、暗い闇の空洞が見える。
 つう、といつの間にか背中を伝う汗。
 クライシスは梛織に銃を突きつけたまま、初めてその無表情を崩していた。にや、と笑みを浮かべる。
「ほら……平和ボケしてるから一回死んだ」
「……く……」
「今、俺が引き金を引いたら、大好きな友達にも弟達にも会えないなあ……梛織?」
 その笑みが。その言葉が。
 ぴしりと梛織の脳裏に張り付いて、鮮やかにあの夢を引っ張り出してきた。

 俺が、殺す。大切な、人を。
 いや、俺は殺さない。誰一人。
 俺が……。

「ほら、またその平和ボケ。俺はお前と同じ顔で人を殺せるぞ?」


 くすり。

 
「!」
 クライシスがそう言った瞬間に梛織の身体は動こうとしていた。その足の動きは、ほぼ確実に頭を狙っている。
 それは人を殺せる位置。
「……く……!」
 ほぼクライシスの頭に届くギリギリの位置で、何とか梛織の足は止まった。だがその事に安堵する間も無く、彼の目は、クライシスがその銃の引き金を絞るのを捉えている。
 ビルの谷間に、再び銃声が響く。
 梛織が反射神経を利用して動かした右肩の上を銃弾が掠めた。鋭い鉛の弾は、そのまま奥のビルの窓に吸い込まれ、ガシャリ、と鋭く、そして脆い音を立てている。
 あちこちで鳴り響く、日常と違う警告。
 それを受けて胸の奥で鳴り始める、危険信号。
 ぱり、とガラスを踏みしめながら、梛織はそれでもクライシスには反撃しなかった。

 俺は、殺さない。殺さないって決めてるんだ。
 だからだからだから。

 梛織は一瞬躊躇した後、クライシスのいる方向とは反対へと飛び退いた。バリバリと足元で鳴り響く、ガラスの壊れる音。ガラスは切り取られた空から差し込む光を受けて、刹那の輝きを見せている。
 かなり勢いをつけて飛び退いた筈なのに、クライシスもそれを読み取ってか、ほぼ同じ間合いを保とうと飛びついてくる。
 逃げることさえ、許されないのか。
 梛織は全力で、そのガラスが撒き散らされた空間から抜け出していた。再び車の走る通りを車が来ないうちに突っ切っていく。後ろからは、幾つもの銃声が響き、時折彼のほんの一ミリほど横を銃弾が通り過ぎていく。
 胸の奥に押し込めている筈の、危険信号。自分への救難信号が、抑えきれないほどに騒ぎ出していくのを感じていた。


 * *


 クライシスは、梛織には余裕があるように見せながらも、かなり神経を使っていた。梛織の身体が心配と言う事では無い。彼なら、必ず自分の攻撃を避けることが出来るであろう、と彼は確信しているからだ。
 それよりも、いつ、彼が本気で反撃を繰り出してくるか、に神経を注いでいるのだ。
 手を抜く事はしないし、出来ない。
 それはただ朝からの梛織の態度に怒りを覚えているから、と言う訳では無い。
 もっと奥の、深いところにある想い。
 クライシスは、こちらに背を向けて走り出した梛織の、太腿、右肩などを狙って銃の引き金を幾回か絞った。彼は一度立ち止まって狙い撃ったが、梛織が動きを見せているので、まともな照準を合わせるスコープなんてないこの銃の狙いは、あっさりと外れていく。
 それを見届けるか見届けないかの所で、彼も走り出した。太陽の光を受けて瞬くその道を全力で抜け出す。
 その路地を抜け出すと、目の前には再び通りが広がっていた。クライシスの目の前では、梛織が持ち前の足の強さと身軽さを生かして、車が未だに走っている通りを強引に横断していく。
 クライシスはそれを横目で眺めると、一瞬の内に決断した。こちら側で、反対側の歩道を走る梛織を追いかける。前では、昼間という事もあって人はまばらだが、それでも片手に銃を持ち、全力で疾走するクライシスの姿に驚いた人々が、脇に避けたりして、クライシスの攻撃の巻き添えにならないようにしていた。梛織を追いかけながら、通りの車の通行を確かめる。
 そしておもむろに彼は、銃を構えた。その時の一瞬だけ、車の窓と、梛織の姿が重なる。
 クライシスの目に、カツ、ンと左右の車の窓を銃弾が貫通して、小さな穴が開くのが見えた。ほぼ同時に、すぐ近くで銃声が上がる。その音の鋭さに、クライシスは顔を顰めながらも、次の行動への準備を始めていた。
 びしり、とその車から窓にヒビが入る音がして、そして勢いよく音を立てて窓が割れていった。その車は突然の出来事に混乱し、急ブレーキをかけ、そしてハンドル操作を誤ってしまったようだ。鋭い、タイヤが道をこする音がその通りに響き渡り、そして他の車がクラクションを思い切り鳴らしてその車を避けようと焦りだす。
 一瞬にして起きた混乱に、向こう側を走る梛織は、驚きに目を見開いたようで、ほんの一瞬だけ、その足を留めていた。
 それを見るか見ないかの内に、車の動きが止まった通りを身軽にひょい、ひょいと通り抜け、そして躊躇無く足に力を込めて、飛び上がった。
 ひらり、と宙を舞うひととき。梛織の頭上を越え、反対側へと着地する。そのままの体勢から一気に身体を捻って、蹴りを入れていた。
 梛織からは息を呑む音と共に、左足と右腕が瞬時に差し出され、鈍い音と共に、二人の動きが止まる。
「……今度は余所見か? だらしねぇなあ……」
 くす。自然と出た笑みと共に、一旦後退。そして再び、地を蹴った。


 * *


 くすり。再び笑みを見た。
 何故かその笑みで、梛織の視界がぐらり、と揺れたような錯覚を感じる。ひとつクライシスが技を繰り出せばひとつぐらりと揺れる。
 そして一度後退したクライシスは、再び地を蹴って彼の身体目掛けて足技を繰り出そうとする。
 もう既に、梛織の身体は彼の精神を越えようとしていた。それはアクションスターの性なのか。

 くそ。止まれ、止まれよ……!
 俺は、俺は誰も殺さないって、決めてるんだ……よ……。

 彼の精神などお構いなしに、身体は彼の持つ全ての筋力を一気に収縮させて、そして反転させた。
 左足が華麗に回って蹴りを出す。耳元では、勢いよく風が過ぎていく音がごうごうと鳴っている。ガッ、と鈍い音とそして鈍い衝撃と共に、クライシスの右肩に、梛織の左足がめり込んだ。
 クライシスはその攻撃を受け、反動で後方に身体が吹っ飛んでいく。
「……はあ……、はあ……」
 梛織はそれを目にしながら、口元で荒く息を吐き出していた。目がいつもよりも鋭く、だがどこか濁った輝きを見せている。
 彼の耳には、周りから響いている、人の悲鳴や、車のクラクションなどの喧騒は届いていなかった。ただごうごうと、自分の心臓の音が、鳴っている。

 ――どうして。なんだろう。

「くそ……俺は殺さないんだ。殺さないって、決めてるんだよおぉっ!」
 梛織は今度は、自分から地を蹴って飛び掛った。が、とクライシスの襟元を掴んで、近くにあったコンクリートの塀にその身体を投げつける。
 クライシスの身体は僅かに宙に浮かんで、そして背中から思い切り塀へと叩きつけられた。少しだけ顔をしかめるような表情を見せる。梛織はその間に、再び飛び掛る為に地を蹴る。
 一瞬だけ、合う視線。同じ輝きが、交錯する。
 確かにその一瞬、クライシスは普段滅多に見せることの無い、優しい笑みを見せた、ような気がした。
 どうしようもないな、とどこか呆れた、しょうがないな、と思っているかのような笑み。
 だが、今の梛織にはその笑みはよく見えない。
 代わりに見えているのは、あの悪夢。あの時の笑みが、甦る。
 
 俺は違う。俺は、人は殺さない。

 膝から蹴りを入れようとした梛織の前で、クライシスがす、と身を屈めて銃を構えた。それに瞬時に身体が反応し、左に捻ってそれを交わす。
 たあ、ん――。

 殺す奴の全てが悪いわけじゃないなんて、分かってる。分かりきってる。
 でも、俺は殺さないんだ。殺さない殺さないころさない。

 銃弾が彼の右腕を掠め、いや命中する。熱い、ものが右腕を通り抜け、ざり、と脳裏に嫌な音が響く。
 右腕が熱いのも構わずに、そのまま膝をクライシスの脇腹に叩き込む。
 
 なのに。どうして俺をこいつと同一とか言うんだッ!
 もし、クライシスが俺の自分の未来だとしたら。

「俺の今の覚悟はどうなるんだよおぉぉッ!」

 自然と彼の思考が口をついて言葉となっていた。クライシスとまともに目が合う。強い、強い視線。脇腹に膝がめり込んで入るはずなのに、どうしてそんなに涼しい表情を見せているんだろう。

 俺の覚悟はそんなにやわいものじゃないのに。
 違うのに。
 
 ――何で何でなんでなんでなんでなんで――!

 どうしてか、頭の中でもいつのまにか分からなくなっていた。自分は何を考えているのか。どうしてこんな事になっているのか。
 ぐ、と顔を滲ませて。僅かによろめいたクライシスの身体を引きずるかのようにして、再び塀に叩き付けた。
「……ぐ……」
 初めてクライシスが苦痛な声を滲ませる。力が入らなくなったのか、右手がだらりと垂れ下がり、地面にカラン……と銃が落ちた。
 お互いに息を弾ませたまま、しばらくどちらも動かなかった。梛織の目は、その中で唯一音を立てている銃に引き寄せられていた。
 駄目だ、と思う声と。もうどっちでも良いんじゃないか。という声と。
 こいつがいなくなれば、という声と。
 もう頭の中の思考はぐちゃぐちゃに入り混じっていた。何をどうすればどうなるのか。今どうしてここに立っているのかも分からない。


 * *


 ゆっくりと梛織の身体が動く。
 地面に転がったその銃をそっと拾って。その質感に、僅かに右手が震えているのを感じる。
 数秒、悩んだ。そして数秒の後、素早くその右手をクライシスの額に突きつけた。
「……はあ……はあ……はあ……」
 クライシスは突きつけられたその格好のまま、不敵に、にやり、と笑った。
「……同じシリーズで、同じ顔で人を殺す俺が憎いだろ? お前のその覚悟を踏みにじるみたいに人を殺す俺が」
「……」
 梛織は僅かに眉をひそめたまま、答えない。
「それでも俺は変わらない。きっとこれからも自分が生きるために、ルフトを守るために。……――これが俺の殺す、覚悟だ」
 その言葉に、梛織の構えている銃が、少し震えた。ぽつり、と何かが地に落ちる。
「お前が憎いんじゃない。――気にしなきゃ良いのに、……気にしてる俺が憎いんだ。もう何がなんだか俺にも分からない。――俺は――」
 ぽつりと言葉を落とすその声音は、いつもよりもずっとずっと低く、暗いものだった。
「どんなに考えても悩んでも俺は誰かを殺すことなんて出来ないのに。――……殺さないのに」
「――なら、それで良いじゃねぇか」
 震える銃を支えようと腕に力を込め、唇をかみ締めようとした梛織に、クライシスが先程よりもかなり優しい声音で、そう言った。
「え?」
 ずるり、と彼の腕が力を失い、ゆっくりと下へ降りていく。
「顔が同じで、やっている事が違っても……それがお前の生き方なら、馬鹿みたいに悩んでないで、泣いてないで胸を張れよ。――勝手に俺と比べて悩んでんじゃねえよ」
「……」
 梛織の手から、銃が滑り落ちる。うっかり目尻に滲み出した涙をこっそり拭おうとする。クライシスは顔を顰めつつ、ようやくその場から一歩、動く。
「梛織が、お前がちゃんとした覚悟を持っているならそれで良いじゃねえか。そう覚悟は決めてんだろ?」
 クライシスの言葉に。梛織はしばらくゆっくりと言葉を探しているようだった。彼らの視界の端で、小さな黄色の花と、ふわふわの白い球体が揺れている。
「……違う。これは覚悟じゃなくて、確信だ。俺が俺で。そして梛織でいる為の」
 ゆっくりと、静かにその言葉を発した梛織。その表情を見て、クライシスはにや、と再び笑った。
「まあ、だから馬鹿みたいに苦労するんだろうけどな……兄貴のお人好し」
「え……?」
 唐突な、しかも半ば意味が分からないクライシスの言葉に、ぽかりと口を開ける梛織。そんな彼の様子などお構いなしで、クライシスは彼から離れつつ、さりげなく呟いた。
「あ、そうだ。言うの忘れてたけど、監督と俺らの俳優がこの町に来てるぞ」
「え、な、は? ええっ……?」
 高い空に、梛織の困惑した叫びが響いていく。その声の響きを楽しむかのような表情を見せるクライシス。

 ――欲しいのは、言葉じゃない。言葉ならとうに、貰っているから。
 だから――。

 ふわり、と白い綿毛が飛んでいく。


クリエイターコメント大変お待たせ致しました。ノベル第一話(?)をお届けさせて頂きます。

今回は気合のはいったオファーを頂き、色々考えました結果、かなりシンプルな感じのノベルとさせて頂きました。二人の関係が浮き彫りになっていくと良いなあと思いつつ。

それでは、オファーありがとうございました! もう一話、お届けまでもう少々のお時間を頂きたく思います。
公開日時2008-05-24(土) 23:50
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