あちこちがクリスマスを目前にしてどこか浮かれたムードになる中、それに漏れなくひとつの海賊団も浮かれたムードに入っていた。皆が浮かれた表情を浮かべ、あちこちで騒いでいる。
仲間が目の前をどこか陽気そうにバタバタと走り去っていくのを眺めながら、ルークレイル・ブラックは船の甲板を歩いていた。
彼はふと空を見上げてそこに広がる光景に、どこか苦笑いのような、そんな笑みを見せる。
「あの日の空と、似てるな……」
ぽつりと呟いた独り言。
周りが騒がしい中、そこだけ静けさで満たされているようだった。
* * *
その日、ルークレイルは船を降り、市内をぽつりと歩いていた。
賭場で負けたのだろうか。無表情な表情の中に、苛立ちのようなものを混ぜているようだった。
ちょうど夕刻ということもあって、彼とすれ違う人々は皆、どこか忙しそうに歩いていく。
「……帰るか……」
何人かとすれ違った後、彼は気が乗らない様子でぽつり、とひとつ呟いた。
そのまま道をしばらく歩いていたのだが、風に乗って潮の匂いが強く漂う度、歩む速度が一歩、また一歩と遅くなっていく。
歩いていく内に、時間を置いて漂っていた匂いが、常に感じられるようになる。そんな時、ついにルークレイルはその歩みを止めてしまった。
何だか、訳も無くむしゃくしゃしていた。
いや、むしゃくしゃする理由なら自分でも分かっているのだが、今日はそれに積み上げるかのように、その鬱憤がたまっているようだった。
こういう時は、自分の部屋に帰って、一眠りするに限る。そう頭では考えているのだが、どうにもこうにも足は重たくなっていくばかり。
――無性に、どうしてか今日は船に帰りたく無かった。
はあ、とひとつため息をついて地面を軽く蹴り飛ばす。
アスファルトに転がる小石が、小さな音を立てながら飛んでいく。
長く伸びた自分の影を眺め、そしてルークレイルは空を見上げた。
傾いた太陽はその力を弱め、赤い夕陽が空を茜と蒼に染め上げている。
銀幕市は自分が居た所よりも幾分か背が高い建物が多いから、丸い太陽の端っこが、建物に覆われて欠けていた。ルークレイルはそれを子供じみた単純さで眺める。
その時だった。
風も無いのに、僅かに太陽がほんの一瞬、揺らいだ気がしたのだ。
太陽だけではない。今まで眺めていた、背の高いアパートも、道路の端に立つ標識も、どこか揺らいでいる気がする。
「……?」
今のは何だったのだろう。太陽を直に見ていたから、目が少しおかしくなったのだろうか。そう考えた彼は、ふと道路にひょろりと佇む、自分の影へと目を向けた。
まるでフィルターを掛けられたかのように、どこかおかしな色で並ぶ道路と影。しばらくそれを見ていると、そのおかしな色も段々と正常な色彩へと戻ってくる。
そうして影を見ていたから、ルークレイルは気がついてしまった。
その影の右腕が、彼が動かしてもいないのに、ひょい、と持ち上がっていくのを。
そう、まるでルークレイルに挨拶するかのように。
その影は表情も無いのに、驚く彼の反応を見て、「にやり」と笑みを見せたような気がする。
驚いて言葉が出ない彼の前で、自分の影はさらに驚くことをやってのけた。
その影は、むくむくと地面から浮き上がってきたのだ。段々と目線がルークレイルと同じ高さに近付いてくるにつれ、黒かった影に色が浮かび上がってくるようだった。黒い髪の毛、肌の色、目の色、唇……。そして黒かった体に、今着ている彼の洋服の色が浮かび上がってくる。
それは、彼と全く同じ姿になると、にや、と笑みを見せて、こう言ってのけたのだった。
「やあ、俺。元気?」
この時になってようやく、ルークレイルと、影の自分以外、この場に誰も居ないことに、彼は気がついたのだった。
* * *
いつもと同じだが、二人、いやひとりしかいないその空間で、ルークレイルは正反対の表情を見せて向き合っていた。
「元気……じゃなさそうだな。随分ご機嫌斜めだな、ルーク」
「おまえに言われたくない」
即答された言葉に、影のルークレイルはにや、と笑う。
「言われたくない、って事は、図星って事だろ? おまえの大好きな財宝探しも出来なくなったしな」
船はあんなだし? と続けて告げられた言葉に、一瞬、ルークレイルの脳裏は白く、沸騰したようになった。
いつもだったらさらりと交わすはずの言葉。だが、いつも以上に不機嫌が積み上がった感情で、そしてさらに心の内に隠していたことをさらりと告げる。
――もうひとりの、自分が。
彼は素早くナイフを取り出し、そのままの勢いで、影のルークレイルの右肩から斜めに切りつけた。
「ぐわっ!」
もうひとりの自分から呻き声が上がり、そして切り口から最初に見た黒い色が体を覆う。
その黒い色は靄のように体から立ち上り、二人の周りに広がる、銀幕市の光景を黒く塗りつぶしていった。
それと同時に、ルークレイルの姿も闇へと消えていって。
影のルークレイルの姿が闇に溶ける頃には、すっかり、黒い景色の中に閉じ込められていたようだった。
「まったく……これが夢なら、随分夢見が悪そうな夢だ」
ぽつりと独り言を呟いてため息を吐く。
すると、独り言の筈のその言葉に、返答する声があった。
「知ってるか? 銀幕市じゃ、ため息を吐くと幸せが逃げるって言われてるぞ」
闇の向こうから響く声に、ルークレイルはその声を探すように視線を動かした。だが、周りは闇なのだから何も見えない。彼の行動に気がついてか、また声が聞こえた。
「探さなくても大丈夫だ。こっちから、出て行くからな」
先程の声よりも、随分幼い声だった。下手をすると声変わりする前の、自分の声かもしれない。尤も、自分の声なんて普段、こういう形で聞く機会は無いのだから、よくは分からないが。
そう、どこか場違いな事を考えている内に、まるで瞼を閉じた時に広がる光のように、僅かに白い光がその空間を満たした。
また自分が出てきたら切りつけてやろうと、ナイフを持って身構える。
一歩、また一歩。どこかおぼつかない、そんな感じの足音が響いて。
そして現れたその人間に、ルークレイルは相手に切りかかることも忘れて、その場に立ち竦んでしまった。
「……おまえ……」
「ふふ。こっちの姿の方が、幾分か効果はあるみたいだな。ねえ、ルーク?」
どこか嬉しそうに笑うその人間の姿は。
――ルークレイルの、子供時代の姿だった。
*
突然現れた昔の自分の姿に、体が動揺してしまったのか、錆付いたようにその場を動こうとしない。
「思った以上に効果はあるみたいだね」
「……うるさい」
精神はそんなに潰れてはいないはずなのに、声まで掠れる始末。背中に、じっとりと嫌な汗をかいているのが、分かる。
そんな彼をまるで嘲笑うかのような表情で見ると、子供のルークレイルは、一歩、また一歩、彼に向かって歩いてくる。
子供の自分と向き合っている筈なのに、どうしてか彼は、異様なまでの圧力をルークレイルに与えているような、そんな気がした。
それはただの気のせいなのか。
それとも、――彼の、その姿が。
「なあ、おまえは俺に感謝しなくちゃなんだよ、本当は」
「……なんでだ」
一歩近付きながらにっこりと告げられた言葉に、辛うじてそれだけ返すルークレイル。また一歩進む、子供の彼。
そうしてついにルークレイルと、子供の彼と、距離が五十センチも無くなってしまった頃だった。ようやく、子供の彼は、その理由を告げた。
「なあんだ、そんな事も分かんないのかな? くすくす」
「なんなんだ。――随分不愉快な子供だな」
眉を潜めて告げると、また子供の彼は、くすりと笑う。
「そう、ほら今俺が言葉を返してやってるから、おまえはそうやって、俺に『不愉快』という感情を持ってる。でもさ、本当の『俺』に、言葉を返してくれる人は、いなかったよな?」
――感情を返してくれる人は。
誰も、いない。
「……うるさい」
それは決して自分である筈が無いのに、同じ黒い瞳が、残酷にルークレイルの心を抉る。
咄嗟に返した言葉が、揺らいでいた。
過去の傷が癒えることは、無い。
時が経って、抱えている痛みが薄れようとも、それは綺麗に崩れた心を積み直し、長い時間をかけて心の中を整理しただけだから。
再びその痛みを見せ付けられれば、心の積み木は、あっという間に――崩れていく。
「皆、無関心」
「――……、」
「街を歩けば、周りには、温かい視線を交わす親子。本来なら、俺達にもあった筈の、それ」
目の前に立つ、子供の自分の笑みが深くなるほどに、絶望へと追い詰められているような感覚を覚える。
「うる……さい」
「どんなにそれを心の奥底で渇望しても、決して手に入るはずも無いのに」
「うるさい! おまえに何が分かる!」
「分かるさ」
一瞬頭の中が真っ白になって、思わず叫んだルークレイルに、少年はじり、とにじり寄って、下からルークレイルの瞳を覗き込んだ。
そうして、微笑する。
「おまえは、俺だから。――俺は、おまえだから」
「……――ッ」
その真っ直ぐな黒い瞳に、現在のルークレイルの顔が映り込んで。
そんな事は無い、と言い返そうとしたルークレイルに、自分自身の、どこか焦ったような表情を突きつけられ、思わず口ごもる。
例え、どんなに楽しい生活で過去を塗り替えようとしたって。
昔の時間は、決して塗り替えることなど出来るものでは無いのだ。
彼は軽く瞳を閉じて、深呼吸した。そして、記憶を塗り替えることを諦める。
――そうだった。
かつての自分は、自分でもはっきりと認識して、そしてそれが分からなくなってしまう程に、孤独だった。孤独と言う言葉を持て余していた。
いつも隣には、無関心、が佇んでいた。
どんなに平静を装っていたって、通りを歩く家族を見ると、妬けるような、そんな何かを心の奥底に抱えていた。
それはどんなに、楽しい毎日を送っていたって。決して消えない、過去なのだ。
周りに漂う闇が、それを雄弁に語っているような、そんな気がした。
「分かっただろ? 俺はおまえ。だから、おまえが今、どうして苛立っているのか、その理由だって、分かる」
「――それが何だって言うんだよ……」
もう、先程の言葉で、精神を根こそぎ奪われた感覚を覚えたルークレイルは、もう、何だかどうでもいいような気分になって、半ば投げやりに答える。
「財宝探しが出来なくて、むしゃくしゃする気分を抱えているおまえ。そうだろ?」
「――」
ルークレイルは沈黙を保ったままだったが、その沈黙は雄弁に正解である事を語っていた。それを感覚で感じ取ったらしい子供のルークレイルは、に、と笑みを見せる。
「なあ、――また、財宝を手に入れる道を教えてやろうか?」
「――……え?」
ルークレイルは、子供の彼が告げた言葉の内容が理解できなくて、たっぷり十秒間は沈黙していた。そして、些か間抜けと捉えられるような、そんな言葉で返す。
「簡単さ。誰でも出来る。頭の良いお前なら、尚更だ」
「それは――」
まるで子供に教えるかのように、ゆっくりと喋った子供のルークレイルに、ルークレイルは、どこか引き込まれるような感覚を覚えていた。
そうして過去の自分が、ゆっくりと、だが簡潔に現実を突きつける。
「仲間を殺せば良い」
簡潔に告げられた二の句に、引き込まれかけていた彼の感覚が、氷にでも当てられたかのように、冷やりとして、ルークレイルは我に返った。それに気がついてか気がつかないからか、子供のルークレイルは、またにっこりと笑って言葉を続ける。
「またひとりにはなってしまうが、宝は奪える。おまえにとって、財宝は、何者にも代え難いものだろ?」
そう言って、子供の彼は、手を伸ばした。
「ひとりなんて、俺達にはどうって事、ないだろ?」
「そんな事――」
「出来ない? 嘘はついちゃいけないなあ。――……今までだって、そうやって生きてきたのに、ね」
からからの口が、僅かな言葉を紡ぐのだが、その数倍の言葉で返されていく。それはどれも真実だから。
からからの、干上がった口は、今、それを上手く切り抜けるための言葉を紡ぐ事は、出来なかった。
「人を殺して。財宝を奪って。今までの日々を取り戻せば良いじゃないか。そんなイライラを抱えている暇も、無くなるぞ」
「……」
だらりと両手を下げて、沈黙を続けるままのルークレイルに、まるでとどめを刺すかのように、子供の彼は笑った。
――どこまでも、無垢な笑みで。
「こんな退屈な日常なんて、捨ててしまえば良い」
今までは子供の、過去の自分に圧倒されるだけだったが、ふと我に返って考えると、それは自分にとって、ひどく魅力的な提案に映った。
闇は、幾人も堕ちる人がいるくらい、魅力的なものなのだ。だから、闇が決して良いものでは無いと知っていても、幾人もの人々がその黒に手を突っ込もうとする。
かつて財宝を手に入れるために闇に身を投じていたルークレイルも、その甘美な味を知っている。
だから、ふと、その手をじっと見つめて考えていた。
――もしこの手を、深い、深い紅い色に染めた時。
自分は、この心に抱えている気持ちも全て解消して、そしてこの体を軽やかに動かすことが出来るのだろうか、と考えた。
かつてのように。
――賑やかな声がひっきりなしに続く、船内。
決して量も多いわけでは無く、質も良いわけでは無いのに、美味しく感じる食事。
財宝を追ってるはずなのに、何故かいつも極貧の、海賊団。
今、彼の隣に並ぶのは、怒ったり、喧嘩したり、そして、――笑ったりする、仲間。
ふと脳内で鮮やかに浮かんだ光景に、ああ、とルークレイルは小さく呟いた。
この今直面している闇も、過去に受けた、心の傷も。自分は船の中でも、何度も思い出していたじゃないか。
ふとしたきっかけで、かつての孤独と、無関心と、そして堕ちた闇を。
――そんな時は仲間と飲んで騒いで。感情を投げて、受けて。
彼らは自覚してはいなかっただろうが、そっと、傷を思い出す度に崩れた心を共に組み上げなおしてくれたのは、仲間達だったじゃないか。
入団してしばらくは捨て切れなかった闇。その闇の淵から、彼が這い上がってくるのを迎えてくれたのは、他でもない、仲間達だったじゃないか。
鮮やかにそれを自覚した時、ルークレイルの顔には、自然と不敵な笑みが浮かんでいた。
そして、目の前に対峙するもうひとりの自分を――過去の傷と、対面する。
「……馬鹿だな、おまえも」
「え?」
突然強い言葉を返してきた彼に今度は、子供のルークレイルが、先程ルークレイルが浮かべていたであろう表情を浮かべる。それを目にしながら、ルークレイルは叫んだ。
『俺達、ギャリック海賊団だぜ!』
* * *
ルークレイルが叫んだ瞬間、誰一人動きの無かったその場に、津波が起きた。ざばん、と騒々しい水音が響く。
唐突に起きた津波は目の前にいた子供のルークレイルにまともにぶつかり、彼を攫っていった。
「うわっ!」
叫び声を上げながら波に呑まれた彼は、小さい身体のせいか、波に隠れて見えなくなった。
闇に塗りつぶされていた彼の周りの風景も、波が洗い流していくかのように、もとの銀幕市の光景へと戻っていく。
赤い、茜の光が、唐突に黒い闇の中から広がってきた。
久々に受けた日の光に、目を細めるルークレイル。
波が去っていくのを耳で感じながら、しばらくそうしていると、段々と目が周りの明るさに慣れてきた。
そこは、最初に違和感を感じた銀幕市、そのものだった。ルークレイル以外誰一人見当たらない、そんな不可思議な場所。
「さて、どうするかな……」
ぼそりと呟いたルークレイルの前に、ゆらりと、ひとつの影が現れた。
それは最初に出会った、もうひとりの自分の姿。それが唇を歪めるようにして言う。
「俺は、死なない。お前が死なない限り、な」
「……ふーん」
ルークレイルはどうでも良いかのように呟くと、ナイフを仕舞い、ホルスターから拳銃を素早く取り出した。そのまま流れるように両手で構え、引き金を引く。
軽やかな音が幾つか、その場に響く。
一発は避けた相手のルークレイルだったが、二発目は避けきれず、肩の辺りに弾を受けて後方へと弾き飛ばされた。
そして宙を舞った三発目はそのまま太陽に消えていくかと思いきや、太陽の付近でパリン、とガラスのような繊細な音を立てる。
「――?」
何か変なものでも撃ったか、と感じたルークレイルだったが、目を細めて太陽を見ると、少しおかしな所がある事に気がついた。
太陽の一部の端が、まるで日食のように黒くなっているのだ。
パズルのピースのように欠けたそれ。よく見ると、太陽の光の色も、夕陽にしては何だか禍々しい色に感じる。
まるで、満月が昇り始める時のような、そんな奇妙な違和感を感じた。
「あれが、この空間の核なのか……」
確信した彼は、そのまま太陽へと向かって走り出した。普通だったら、太陽に近付くことは出来る訳が無いのに、ハザードのせいか、ぐんぐん太陽との距離が近付いていく。
そのまま、太陽へと発砲した。三発、四発。
短い音と共に、太陽の端が再び欠ける。
そうして走っていると、彼の横に併走してくるものがあった。
大人の身体に戻ったらしい、もうひとりのルークレイルが、走りながら彼にナイフを向けているのだ。
彼の右手が上がり、ナイフが煌く。それを目にして、ルークレイルも身構えた。しばし、走るスピードが落ちる。
かきん、と鋭い音が響いた。
銃の先端で、影のルークレイルが振り下ろしたナイフを受けた彼は、そのまま逆の手に持つ銃を発砲する。
「ぐっ! がっ!」
発砲した二発がそのまま彼の脇腹へと食い込み、影のルークレイルの身体がゆらりと歪んだ。
その隙にまた彼は走り出し、太陽へと近付いていく。彼は再び太陽へと銃を向け、銃弾を放った。
太陽と思しき光がその銃弾を受けた時、横に並んでいた建物の影が、ゆらりと動いた、と思ったときには、その影からいくつもの人々が飛び出してきた。
恰幅の良さそうな感じを受ける影が、飛び掛かってくる。
ルークレイルはそれを左に飛び退いて、避けた。そのまま左手を動かして、銃弾を撃ち込む。
銀幕市にある影をコピーしてきてるのかどうかは分からないが、銃弾一発で、その影は霧散して消えた。
影の一体は弱いことが判明したが、いかんせん数が多い。
ずらりと並ぶその影は、どれもルークレイルをこの不可思議な場所から逃してくれる訳では無さそうだった。皆表情が無いながらも、ただ彼をこの先へと進めないようにしてやる、という意思だけは感じられるのだ。
「ふん、上等だ」
やってやる。と呟きながら左手の指先に力を込める。左の銃から硝煙が上がると同時に、撃ち込んだ影の上から身軽そうな影がひとつ、ひょいと霧散する影を越えて飛び掛かってきた。
それを右の銃で撃ち抜いて、そのまま身体を横に捻る。
右腕も動かし、ぴんと伸ばした先にいる相手に照準を合わせて、そのまま引き金を引いた。照準を合わせた先の影が沈むのを目にしながら、空いた場所から走り出す。
「ぐわっ!」
「逃げたぞ!」
「あっちだ! 追え!」
どうやら影が発しているらしい声を耳にしながら、ルークレイルはひたすら走った。
どうしてか周りの光景は変わらないが、ひたすら太陽だけが近くなる。本当に不思議な空間だ、と感じながら、前を向いている彼の口の端が少しだけ上がった。
目の前にひとりの男性が現れた。懲りる事無く現れた、もうひとりの自分。
ルークレイル自身を死なせる訳にはいかないのだろう、その手には銃では無く、ナイフがあった。
「……それでこそ、俺だ」
そのまま、二人はぶつかり合った。銃声が間延びしながらその場に響き渡る。更にその銃声を引き裂くように、ナイフが振るわれた。
「よっ!」
軽く上体を捻って、空間を引き裂くように振るわれたナイフを避けた。上空をきらりと煌くものが横切っていくのを目で追いながら、バランスを取って、再び銃弾を放つ。
その銃弾は綺麗にわき腹に決まり、もうひとりの自分の顔が苦渋に歪んだ。
「ふうん、――影でもこんな表情を見せるんだな」
「……この……!」
何かを叫びかけたもうひとりの自分に、だが、と笑みを見せる。
「俺は悪いが、こんな表情は見せないな。ましてこんな無様な姿は、な」
その言葉と共に、丁度心臓部分にひとつ、銃弾を撃ち込んだ。
歪んだ表情のままそれを受け、霧散していく影を背に、彼はさらに走り出す。
そして両手をもう見上げるほどに近付いた、太陽へと向けて、ありったけの銃弾を放り込んだ。
だあん、たあん、と幾つもの銃声が、その場にこだましていく。
激しく飛び散る、何か。まるでガラスのような、破片。
それを避けるようにしながら、ルークレイルは太陽の欠けた部分へと、身体を押し込めるようにして飛び込んでいった――。
* * *
ふと気付いた時、彼の前方では小さな小石がころころと転がっていた。それがさっき自分が蹴り飛ばした石だという事に、暫くしてから気がつく。
周りには忙しなく行き交う人々。
前方には、今にも海に吸い込まれていきそうな、太陽。
そして地面に長く伸びる、ひとつの影。
それらはきちんとあるべきところにあって、今までの出来事が、まるで幻のように感じられるのだ。――もしかして、白昼夢でも見ていたのだろうか。
「……あ」
そう考えながら道路を見回すと、そこには先程無かったものが沢山転がっていた。
いくつもの、ゴミ。空き瓶や、ペットボトルや、海草。
それはギャリック海賊団がロケーションエリアを発動した時に起きる波が残していく置き土産だ。
ただそれだけが、今まで起きていたことを象徴付けるかのように、残されていた。
面倒な事だけが残ったな、とルークレイルはため息をつき、ゴミを拾おうと屈もうとした。その時脳内にひとつの考えが浮かび、ゴミを拾わずに立ち上がると、小走りで道を走っていった。
仲間を巻き込んでしまおう。
きっと彼らはルークレイルに対してブツブツと文句を言うだろうが、それでも手伝ってくれるだろう。
良い事を考えた、とほくそえんでいる内に、海賊船が停泊している港へ、いくらも経たずに到着していた。
ボロボロの海賊船は、今にも落ちていく夕陽を浴びて、茜色に輝いている。ゆらり、と船が揺れ、縄がぎし、と音を立てて。
それを目にしてか、ルークレイルはしばし足を止めて、その海賊船を見やった。
逆光でよく見えないが、誰かがルークレイルに向かった手を振っているのが分かった。
――ルークレイルの口の端が、少しだけ上がって。
「おーい! ちょっと手伝ってくれ!」
彼はそう叫びながら、再び走り出した。
茜色に染まる、光り輝く船へと。
そこに、先程まで心に積み上がっていた鬱憤は、もう無かった。
* * *
銀幕市の冬は、陽が落ちるのが早い。茜色と蒼色のコントラストを浮かべる空を見ながら、ふと過去の事を思い出したルークレイルは、しばしその場に佇んで空を見上げていた。
茜色に染まる夕陽に、その手を伸ばす。
今は、財宝探しも無く、ただ毎日を送っているだけだ。
そこには、銀幕市ならではのスリルがあるかもしれないが、基本的には驚くほど平和な日々。
だが、こうしてもうすぐ訪れるクリスマスに、自分もどことなく心が浮ついているのは。そんな事を考えていたルークレイルに、後ろから声が掛けられる。
「おい、ルーク! ちょっとこっち持ってくれ!」
「そう! これ破けそうでさ、ってぎゃああっ!」
「うわ、やべっ! 早く助けろルーク!」
甲板で繰り広げられる騒ぎに、振り返ったルークレイルはひとつ息を吐いた。
「――まったく、騒々しい連中だ」
そうして口では文句を言いながらも、どことなく楽しそうな表情で、彼は「家族」の下へと歩いていったのだった。
こうしてもうすぐ訪れるクリスマスに、自分もどことなく心が浮ついているのは。
その些細な一日を仲間と過ごす事が出来るから、なのだろう――。