★ 花言葉に想いを詰めて ★
クリエイター桐原 千尋(wcnu9722)
管理番号645-8474 オファー日2009-06-29(月) 23:23
オファーPC 臥龍岡 翼姫(cyrz3644) エキストラ 女 21歳 White Dragon隊員
ゲストPC1 ジョン・ドウ(caec2275) エキストラ 男 32歳 White Dragon隊員
<ノベル>

 窓にぶつかる雨音で翼姫は目が覚めた。いつから降り出したのかもわからない雨は静かに、ただ静かに降っていた。スターがいなくなった今、銀幕市では爆音も銃撃音もすることはないのだ。
 ゆるりとした微睡みの中で薄く目を開ければ、腕を伸ばさずとも触れる距離に愛しい男の身体が見える。数回瞬きをし、ベッドを少し揺らして身体を起こすが男が起きる気配はない。
 自分だけが起きている事になんとなく腹を立てた翼姫は男の胸元に身体を乗せ、間近で男の顔をのぞき込むが白い髪の向こうにある黒い瞳は閉じられ、薄く開いている唇から一瞬だけ苦しそうな呼吸が聞こえたが直ぐに静かな寝息を立てる。つん、と頬を指先でつつくと眉をしかめるが、やはり男は起きなかった。
 ――いつから、こうやって寝るようになったんだったかな――
 些細な物音にも反応し、すぐ起きる筈の男は死体のように微動だにせず、ちょ
っかいをだしても起きない事が嬉しくもあり、おかしくもある翼姫はくすりとわらうと、薄暗い外を見る。
 ――確か、こんな曇り空の日だったっけ――
 重たい灰色の空を見やり、翼姫はうっすらとした記憶を思い返す。



 クリスマスイルミネーションが銀幕市を彩る中、臥龍岡翼姫はジョン・ドウを連れて買い物に出かけていた。仕事柄あちこちを飛び回ることが多い二人だが、銀幕市に長居する事が決まってから翼姫はちょくちょく買い物に出かけていた。
 だいたいは一人でウィンドウショッピングを楽しむ翼姫だが、確実に買うときはこうしてジョンを荷物持ちとして連れ回す。今も大量に買い込まれた洋服やアクセサリー、化粧品が入った大小様々な袋をジョンは両手にぶらさげ、翼姫の半歩後ろをついて歩いている。ジョンはといえば、特に自分が見る物もないのだが、翼姫が何件渡り歩こうが長々と試着して吟味しようが文句一つ言わずにおとなしくつきあっている。
 何度も翼姫の買い物に付き合っているジョンはどの店を巡り、どこらへんで休憩にするかもなんとなく理解している。この道ならあの喫茶店で休憩かな、と思った時だ。翼姫が思いも寄らない店で立ち止まったのでジョンは首を傾げる。
 今まで見向きもしなかった、男性向けの店のショウウィンドウ。真ん中に色違いのハットが並べられ、両脇にはハットとコートを着たマネキンがポーズを決めて立っている。その片方、黒いハットと黒いコートを着たマネキンを、睨むように見ているのだ。ジョンがマネキンへと視線を移すと、翼姫はガラス越しにジョンを見て、こう聞いてきた。
「ねぇ、ポチ。あなた……兄弟とか、いたかしら」
 ジョンは左右に首を振る。
「じゃぁ…………映画に出たことは?」
「ん、無いと、思う。どうしたの?」
「…………なんでもないわ。お茶にしましょう」
 すたすたと歩いていく翼姫の後ろ姿を見ていつもの喫茶店に入らないんだな、と思ったジョンがなんとなく、翼姫が見ていたマネキンに目をやると、ガラスに映る自分が黒いハットとコートを纏っているように見えた。



 翼姫は休憩をとるつもりでデパートの中に入った。こういった場所の喫茶店なら静かに過ごせると思ったのだが、1階のフロアに広がる化粧品と装飾品についつい足を止めてしまった為、ジョンは少し離れた場所で自分を見ているのがわかる。宝石店が経営してるのか、小さいながらも輝くルビーやペリドットがついたシンプルなデザインの指輪やピアスを手に取り眺めるが、翼姫の思考はまったく別のことを思っていた。
 たかが同じような黒ハットとコートを見ただけだというのに少し前に出会った男を思い出してしょうがない。しかも、ガラス越しにジョンがそれを纏っているように見えたせいでなおさらだ。
 とある事件で出会ったジョンにそっくりな男はスターだ。先ほどジョンに兄弟が居るか、映画にでたかと聞いてみたのも、翼姫なりに勇気を出して聞いてみた事だったのだが、聞かれた本人はどうしてそんな事を聞くのかと不思議そうな態度で、NOと言った。彼を知らない人が見れば無表情のままだったと言うだろうが、いい加減つきあいの長い翼姫は些細な態度で相手の思いはわかる。
 手に持っていた装飾品を置くと、なにやら周囲が騒がしいが翼姫は気にせず他の装飾品を手に取り、品定めを続けた。
 ジョンとそっくりの顔で、声で、あの男は私がジョンにしてほしい行動を、やってのけた。甘い言葉を囁き、手の甲に唇を落とし、見上げるほど大きな体と戦う男の掌で、私を抱きしめた。
 いや、してほしい行動ではないのかも、しれない。ただ、あの男にされるのはまっぴらごめんだが、ジョンにしてもらうなら良いと、思っただけかもしれない。
「お、おいそこのちっさい女!! お前も手を挙げろ!」 
「うるさいわね!! まさかとは思うけどちっさい女って私の事なわけ!?」 
「ほ、ほほほ他に誰が居る! お前だけが手を挙げてないんだ!」
「はぁ? 手?」
 気がつけば翼姫がいるフロアの人間は全員手を挙げて立っている。眉間にしわを寄せ、なんなの?と呟きながら声をかけてきた相手をみれば、お約束な目出し帽をかぶった男や、顔をサングラスやマスクで隠した鎧を来た男が銃や剣を店員に向けていた。
「まさかとは思うけど、スターも混ざってますよっていう強盗? こんな場所で?」
「見てわかるだろうが!! さ、ッさっさと手を挙げろ!」
 周囲を見渡し、ジョンが居たはずの場所に荷物しか置かれていないのを確認した翼姫ははぁ、とあからさまなため息をつき、相手を哀れむような目で睨め付けた。
「あのね? どこの世界に手作り感満載の剣と鎧着て、モデルガン改造した拳銃もってるスターがいるわけ?」
 翼姫の言葉に手を挙げている店員や数人しかいない客もまじまじと鎧を着た男を見るとぺらっぺらの肩当てから糸が飛び出しているし、掲げている剣には塗り残し部分があり、ダンボールが覗いていた。銀幕市では本物のスターが多く居る為、本物だと思ってしまったのだろうが、化けの皮がはがれれば恐怖でもなんでもない。
「どんなアングラサイト見たのか知らないけど、その拳銃、撃ったら暴発してあんたの手が吹っ飛ぶわよ」
 胸元で腕を組み、自信満々に言う翼姫に強盗の一人が一歩たじろぐと、入り口付近にいた男が一人、倒れる音がする。そこからはもうあっという間だ。音に振り向いた強盗の拳銃を持った手を翼姫は蹴り上げ、持っている改造銃を取り上げると、足払いをして男を転ばす。入り口付近からは音もなく動いていたジョンが翼姫と同じように武器を取り上げ次々と転ばせていた。
 本物のスターか、戦い慣れている人物かどうかなどWhiteDragon隊員の二人には一目でわかる。二人が場を納めると、フロアからは拍手喝采が溢れる。武器を持たない強盗団なら荒事に慣れてきた銀幕市の店員で対応できるだろうと、翼姫が荷物を持ったジョンとともに場を去ろうとするが、フロアマネージャの男が是非お礼を、と二人を帰そうとしなかった。
「そういうの面倒だからいらないわ」
 翼姫はそう言い、さっさと逃げ出したい気分だったのだが、それではこちらの気が済まない、とフロアマネージャーも譲らない。商売根性というかなんというか、とうとう翼姫が相手の熱意に折れ
「わかった、わかったわ。じゃぁこの荷物を家に送ってちょうだい」
 ジョンが持つ荷物を指差すと、フロアマネージャーはでは2階にある喫茶店でお待ちください、と付け足した。
――どうせ休むつもりだったし、いいか――
 ため息混じりに翼姫が頷くと、ジョンと共に2階の喫茶店へと連れて行かれた。ブランドショップの喫茶店は客も少なく、店内もシックに纏め上げられている。店内にはクラシック音楽が会話の邪魔にならない程度の音量で流れ、二人は一番見晴らしのよい窓際の席へと案内された。
 適当に注文をし、送付伝票を書き終えた翼姫はジョンと二人で静かな時間をすごした。運ばれたコーヒーに口を付けて大きな窓を見下ろせばイルミネーションに彩られた道路が見え、あちこちでカップルらしい二人組が寄り添って歩いている。
「あんたって結局何も言わないし、何も出さないのよね」 
 遠くを見つめたまま、翼姫がぽつりと漏らす。急に言われた事に驚いたのか、意味がわからなかったのか、ジョンは首を傾げながら
「あ、えーと……ごめん?」
 と語尾を上げてそう言った。
 わかっているのだ。こうして会話がない事も、自分を出さないのもジョン・ドウという男なのだと、そうでなければ彼ではないと思っているのだが、どこかで寂しさも感じる。
「……行きましょ」
 半分ほど飲んだコーヒーは、もう湯気を立てていなかった。



 つい今し方見下ろしたイルミネーションの下を歩き、翼姫ははぁ、と白い息を吐いた。らしくなかったかな、と隣を歩くジョンをちらりと横目で見るが、相変わらずの無表情だ。きっと、何を言っても何をしても、彼はこのままなのだろう。どうせなら、と翼姫はジョンに仕草で少し屈めと合図をし、自分がつけている長いマフラーをジョンに巻き付け始めた。
 首元にマフラーを勝手に巻き付けても、ジョンは何も言わない。少しだけ屈んだジョンと視線が合う。身長差から、二人の視線が合うことなどほとんど無く、新鮮な気持ちになった翼姫は
「もしわたしがジョンの事を好きだと言ったらどうする」
 と問いかけた。
 距離が近いからか、マフラーの長さを調整していると内容が良く読み込めていないジョンの仕草がいつもよりよくわかった。もう動いて良いわよとジョンの胸元を軽く叩くが、ジョンは姿勢を正さず視線を合わせたまま
「好いてもらえるのは嬉しい」
 とだけ言う。他の団員に言う“好き”だと思っているような、相変わらずぼんやりした答えに翼姫は少し眉をひそめたが、ふぅ、とため息をつくと微笑む。翼姫がもう一度ジョンの胸元を軽く叩くと、ジョンは姿勢を正し、二人は並んで歩いていった。





 屋根からこぼれ落ちる雫がぽたり、ぽたりと窓辺に置かれている鉢植えに落ちる音が、雨音より強く聞こえる。そろそろ雨が止みそうだ。
 雨のせいでまだ薄暗いだけかと思っていたが、ベッドサイドに置いた時計を覗くとまだ早朝というにも早すぎる時間だった。翼姫は小さなあくびをすると眠るジョンの顔を見てもう一眠りする事にした。少し前に思った、“どうしてこうやって寝るようになったのか”という疑問は、もうどうでも良くなっている。
――あいつが似ているとかどうとかじゃない。これが、ジョン・ドウ。わたしが惹かれた相手なんだ――
 ジョンの首もとにそっと、触れるか触れないかのキスをすると翼姫は身体をベッドに埋めた。





 しとしとと小雨の音が聞こえる部屋でジョンはゆっくりと目を開けた。顔を動かさず、目線だけを横に向ければ瞳を閉じ、深い眠りに落ちている翼姫の寝顔がすぐ傍にある。
 翼姫が胸元に乗ってきたときも、首元に口づけされたときもジョンの意識は起きていた。その時に目を開けてしまえば、この幸せな時間が掻き消えてしまうのをジョンは無意識にわかっていたのだ。翼姫はとても恥ずかしがりだから、と。今でこそこうして翼姫とベッドを共にしているが、もちろん、元々は別々に寝ていた。あれは、いつだっただろうか。翼姫が自分に兄弟がいるか、映画に出たかと聞いてきた、その日の夜だったか数日後だったかは忘れたが、そういう事を聞いていた後だ。
 もちろん、その時はそんな事を聞かれた意味さえわからなかった。後になって、自分そっくりのスターがいると友人伝に聞いて、それでか、と思った。同時に、そのときはわからなかった感情がふつふつと沸いていたのを覚えている。
 そう、今では、その時どうしてそんな事を思ったのか、なんとなくわかっている。そう。だからこそ、あの花を贈ったのだ。
 ジョンは枕を沈め、窓辺の花を見やる。



 目が覚めた瞬間、隣に翼姫が寝ているのを見て驚いたジョンは無表情のまま固まっていた。ジョンが慌てて起きあがった振動で目が覚めた翼姫は、眉を顰めるとジョンの頬をむにっと引っ張った。ビックリしているが相変わらず表情の変わっていないジョンを見て腹を立てたらしい。半ばパニックしているままのジョンはむにむにと頬を引っ張られ、戸惑いと痛みから逃げだそうとささやかな抵抗をし、翼姫の手から頬を離すと両頬に両手を添えて背を向ける。
 僅かにひりひりとする頬を撫で付け、どうして隣で寝てたのか翼姫に聞かなければと思った矢先、今度は首を擽られる。が、ほんの少し擽っただけで翼姫の手は止まった。首の後ろにある、古い引っ掻き傷を翼姫がなぞる。優しく指を這わせる翼姫の手をジョンはそっと握り、ゆっくりと向き直った。
 翼姫が見つけ、指を這わせたのはジョン・ドウという男の過去の、捨てた名前。かつて共に過ごし、名を与えてくれ、ジョンが殺した人物。過去の名前は愛情故の暴走かジョンの首元に焼印として深く刻まれ、痛々しい引っ掻き痕で潰されている。
 特に知られないようにしていたわけではないと思う。場所的に普通に衣服を着ていれば見えない場所だ。翼姫に見られた事がどこか居心地の悪い気分になるのは、少し前に言われた言葉のせいだろうか。

――何も言わないことが寂しい――
 
 実際に翼姫が言った言葉は違うものだが、ジョンはそういう意味だと受け取った。だから、何か言わなければ、説明しなければという焦燥に駆られたのかもしれない。
 翼姫と向き直ったジョンが何から言えばいいかわからず、口をもごもごとさせているとぽすっと顔に枕が投げつけられた。いつものような攻撃的な行動ではなく、ちょっと投げつけただけの枕はジョンの顔からぽとりとベッドへ落ちる。
「あんたはポチよ。それでいいの」
 翼姫はそれだけ言うと、今度は柔らかく頬をむにっと掴んだ。
 恥ずかしがり屋でヒステリックな面を持っている翼姫だが、こういった優しさも持っているんだった、とジョンは改めて思う。名前も過去もどうでもいいから、同じWhiteDragon隊員として、ジョン・ドウという男で居れば良い。そう、言ってるのだと、ジョンは理解する。
 本人が気がついているかどうかも定かではないが、彼は笑った。翼姫のように、間近でジョンの顔を見つめていないと気がつけないような、本当に些細な変化だったが、彼は、確かに、笑っていた。



 やたらと目の敵にされていてちょっと怖いと思っていたジョンの翼姫への想いは、その日から少しずつだが変化していた。同じ団員として家族としての情は抱いていたが、傍目から見てジョンが翼姫に気を許し始めたのを、他の団員達もジョンの態度で気がつき始めるくらいだ。それを良い変化だと思ったのか、いろんな意味で好機だと思ったのかはわからないが、皆はその変化をただ見守っていた。
 その矢先に、翼姫が足を負傷して帰ってきた。他の団員に抱えられ、包帯をしっかりと巻かれた足を庇うように歩く翼姫は何があったのかと問いただしても
「なんでもないわ」
 と、付き離され、彼女は自室に籠もってしまった。共に帰ってきた団員に事情を聞こうにも、彼らもただ無言で首を横に振るだけだ。
 WhiteDragonは傭兵団だ。別に負傷が珍しいわけではない。ただ、普通に出かけただけの翼姫がなぜ足を負傷したのか、どうしてその事情を話してもらえないのかが不思議でしょうがなかった。
 銀幕市がこの小さな島国の中では危険な場所だと知っている。何か依頼を受けたというのであれば、ここが戦地だというのであれば、翼姫が傭兵として赴いたのであればジョンもこんなに気になりはしなかった筈だ。
 数週間の間、ジョンは翼姫の部屋によく居るようになった。
 もう聞いても答えてくれないのを知っていたジョンは特に話をするわけでもなく、ただベッドに横たわる翼姫の傍に座る。飲み物が必要であれば手渡し、食事を運び、甲斐甲斐しく看病をしていたのだが、一度だけ、翼姫の部屋に訪れるのが遅くなった日があった。何で遅くなったのかは、覚えていない。
 氷の入ったピッチャーを持って部屋に入った時、翼姫はうっすらと汗ばんだ顔で眉間に皺を寄せて眠っていた。痛みに魘されているのだろうか、と想いサイドテーブルにピッチャーを置いてベッドに腰掛けると、起こしてしまったのか、翼姫の目がゆっくりと開いた。
 ゆらゆらと、朧気な視線で自分を見た翼姫に水を飲むかと仕草で問いかけると、翼姫の手が伸びる。微かに震える翼姫の細く小さな手が自分に向けられてジョンはその手を握った。まだ疲れているのか、夢現なんだろう。ジョンが開いている手でそっと翼姫の瞼をそっと撫でると、ジョンの手を握る翼姫の手にぎゅっと力が込められる。思いの外力強く握ってきたので少し驚いたが、目を閉じた翼姫の顔は安らかになっている。
 自分の手を握るくらいで安心して眠れるのなら、このままでいい。
 ジョンは引き寄せられるまま翼姫の頬に手を添え、彼女の寝顔を見下ろしていた。


 それからも、ジョンはよく翼姫の傍にいるようになった。今まで通り怒られたり、殴られたりすることもあったが、それでもジョンから翼姫に寄っていく事が多くなっている。
 ある日、翼姫が部屋に居なかった時だ。共同スペースにも他の団員の部屋にも居ない事を知ったジョンは、何故かそわそわと落ち着かなくなる。出かけたんじゃないか、と誰かが言った途端ジョンは外に出かけていく。
 足の怪我が治り歩ける様になったばかりだというのに、一人で出かけたのかとジョンは足早に市内を歩き回る。何度も買い物に付き合わされたのだ。どこの道を歩いているのか、どの店に寄るのかはだいたい予想がつく。
 ある店の前に翼姫はいた。ジョンの予想とは少し違う花屋の前だったが、道は合っていたようだ。飼い主を見つけた犬のようにジョンは足早に翼姫に近寄ろうとして、その足を止める。
 店先に並ぶ花を見る翼姫の顔が、今まで見たことのない微笑みを浮かべていたので見惚れたのだ。どこか寂しそうな、柔らかな微笑みを見てあぁ、あんな顔するんだ、とジョンが惚けていると、翼姫はジョンに気がつかず歩き出してしまう。
 直ぐにでも追いかけようとしたが、翼姫が何を見ていたのかが気になったジョンは、今し方まで翼姫が立っていた花屋の前に立ち寄る。色とりどりの花が咲き、どの花にも花の名前と花言葉が書かれているプラカードが添えられている。愛、熱い思い、大きな望み、乙女の心、恋の告白等どの花言葉を見ても翼姫にはしっくりこない気がして、ジョンは首を傾げる。同時に、翼姫が誰かに想いを寄せているのかと考えると、胸の奥がずんと重くなった気がする。
 ふと、別に花言葉を見てたわけでなく、ただ花を綺麗だと思ってたのかなと思ったジョンは、二つのプラカードに目を止めた。
 ツバキの花言葉には気取らぬ魅力と書かれていて、翼姫に似合うなと思った。
 もう一つの花言葉、それをみて、ジョンはやっと、自分が翼姫をどう思っているのか気がついた。
 花言葉が翼姫にしっくりしないのでは、ない。ジョンがそう思いたくなかっただけだ。お互いに過去は知らない。だけど、ジョンはWhiteDragonの中で、誰よりも翼姫を知っている。
 どの道を通ってどの店に寄るかも、洋服もアクセサリーの好みも、化粧品のメーカーだって、知っている。きっと、誰よりも臥龍岡翼姫という女性を知っていて、誰よりも彼女に囚われているのだ。滑稽なほどに。
 ジョンは一鉢の花を買うと、翼姫を追わずに一人家路を歩いた。
 
 
 


 窓辺に置かれた花びらがゆらゆらと動くのを見て、ジョンはゆっくりと瞬きをする。翼姫が花言葉を知っているかどうかは、聞いていない。花をあげたときは驚いていたが、
「じゃぁ、あんたがちゃんと水をあげて世話するのよ? いいわね? 綺麗な花を咲かせなさいよ?」
 と、花を受け取って貰え、この部屋に入る理由も貰えた。部屋に入る理由がなくても、きっとジョンは翼姫の部屋に入り浸っていただろう。翼姫が自分のベッドに潜り込んだように、俺が翼姫のベッドに潜り込んでも彼女は怒らなかった。試しに翼姫より先に彼女のベッドで寝てみたが、
「本当に犬みたいね」
 そう、くすくす笑い、翼姫は普通に隣で寝た。

 雨音が無くなり静かになった部屋で、ジョンはゆっくりと翼姫の寝顔を見る。あの時も今も、俺と翼姫の距離は曖昧なままだ。
「俺も、男なんだけどな」
 小さな囁きは翼姫の耳に届かない。穏やかな寝息のきこえる中、ジョンは翼姫を優しく抱きしめると額にキスをする。


 窓辺に揺れるイカリソウの花から花粉で真っ黄色になった蜂が一匹、飛び立った。



クリエイターコメントこんにちは、桐原です。
この度はプライベートノベルのご依頼ありがとうございました。

お二人の中を少し、いえ、かなり近付けてしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
花言葉はたくさんありますが、イカリソウの花言葉はきっとお二人にちょうどいいのでは、と想い使わせていただきました。ここで明記するのも野暮というもの、そっと覗いてみてくださいませ。

書かせていただき、ありがとうございました。
公開日時2009-07-30(木) 18:30
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