★ ロケット・イン・メモリー ★
クリエイター志芽 凛(wzab7994)
管理番号136-3509 オファー日2008-06-15(日) 22:11
オファーPC ガーウィン(cfhs3844) ムービースター 男 39歳 何でも屋
<ノベル>

 銀幕市のとある通りにある花屋で。店先に溢れるように置かれている花達が目に入り、今日も赤いYシャツを羽織っているガーウィンは足を止めた。
 彼の視線の先には、ちょこんとある、可憐なマーガレットの花。
 それを見たからか、彼は無意識の内に胸元を探り、そしてそこにあるロケットを掴む。無骨な指先が、その繊細な細工が施してあるロケットの突起を押した。
 そのロケットの蓋が、ぱちん、と音を立てて開かれていく――。


 * * *


 その、やや埃を被っている薄暗い建物には、幾人もの人が出入りしていた。その誰もが銃やナイフを手にしていて、そして身体からは鋭敏な気配を感じさせている。
 それを室内でぐるりと見回している青年がひとりいた。歳は若い頃よりも僅かだが落ち着きを見せ始めている二十代後半と言ったあたりだろうか。
「それで……ガーウィンといったか」
「……ああ、そうだ」
 彼が佇んでいる手前にある、大きな机の向こうから男に話しかけられ、青年――ガーウィンは頷いた。その机には大きな見取り図が広げられている。
「今、丁度うちの奴らがでっかい仕事をしている所でな、上手くいけばそろそろ上玉が運び込まれてくる頃だ。お前には、その上玉の警護を頼みたい」
「――了解だ」
 ここは、この世界でも暗部の「裏」の組織のひとつだ。人身売買を目的として、彼らが言う、上玉の女性を誘拐しては売り飛ばすと言う仕事のようである。
 ようである、と言うのは、ガーウィンがこの組織に属しているという訳ではなく、何でも屋の仕事として雇われていたからである。
 そうしている内に、彼らがいる部屋の向こう側が、一挙に足音がバタバタと騒がしくなっていた。ガーウィンに説明をしていた男が、ニヤ、と口の端を上げる。
「――来たか」
 彼等の部屋の扉は開いていた。その開いた扉の向こうで、先程よりも幾分増えた人々が騒がしく行き交っている。
 その鋭い、どこか擦れているとでも言うべき人々の波を眺めていると、不意に、その気配は現れた。
 それは、清楚、と呼ぶべきなのだろうか。
 後ろから銃を突きつけられながら歩くその女性の姿は、ガーウィンの心の何かを揺り動かすようなものがあった。
 彼女が、ガーウィンの方を向く。

 二人の視線が、一瞬、交錯して。

 彼女の視線はただ怯えるものだけでなく、どこか落ち着いた所がある、まるでこの状況を理解しているかのような、そんな眼差しであった。
「あの女が今回のターゲットだ。くれぐれも逃がさないようにしてくれよ――って、聞いてるのか? おい」
「ああ――、すまん、聞いてる」
 ガーウィンはそう言いながらも、まだどこか頭の芯がぼうと、痺れたようになっているのを感じていた。

 それ程に、彼女の存在は――眩しかったのだ。

 *

 どうしてなのか分からないが、落ち着かない。ガーウィンはひとつの扉の前で、先程から落ち着きを無くしていた。そわそわと腰の拳銃に触れたり、扉の周りを意味も無く歩き回っていたりする。
 どうしてなのか分からない。
 そんな事は無い。落ち着かない理由は、明確だ。
 その理由は、その扉の向こうにいる、女性。
 ガーウィンが目にしたのはほんの数秒だったが、彼の脳裏にはしっかりとその女性の姿が焼きついていた。
 その様子を廊下を巡回している男が、不審そうに見ていた。
「さっきから見てりゃあ……落ち着きねえなあ……」
「いや……俺はじっとしているのが苦手なんだよ。じっとしていると、こう、ケツの辺りがムズムズしてくるもんじゃねえか?」
「まあ、そう言われるとな……」
 その男はそう呟くと、廊下の向こうへと歩いていく。その腰の部分に付けられた鍵束が、ガチャガチャと音を立てていた。
 それを見送ると、再びガーウィンの周りは静けさに包まれる。どうやらこの女性を誘拐した後の、作戦会議でも行っているようであった。
 ガーウィンは暫しの間落ち着き無く動いていたが、やがて意を決したようにひとつ頷くと、ポケットからピンを取り出し、周りに誰もいないことを確認すると、扉の前で屈みこんだ。
 がちゃがちゃと数回ピンを動かすと、あっけなく扉の外側に付けられた鍵が外れる。ガーウィンはその鍵と、ピンをポケットにしまうと、ひとつ扉の前で深呼吸をした。
 そして、扉のノブに手を掛けた――。

 *

 ゆっくりと開いた扉の向こうには、古びた椅子に、先程見た女性がちょこんと座っている光景があった。その部屋は窓も無く、小さな灯がぽつんとあるだけの、薄暗い部屋だった。
 やはりその中でも、ガーウィンにはその女性がどこか輝いているように見える。
 ガーウィンがゆっくりと歩を進めると、一瞬だけ、その女性はその瞳に怯えの表情を浮かべた。だが、もうどこか諦めたような、そんな表情に取って代わる。
 きっと普段は、もっとその瞳はいきいきと煌いているのだろう。彼はそう考えた途端、その女性がとても不憫に思えてきた。
 その時には彼の心に今まで僅かにあった、仕事を果たすという考えと、彼女を助けるという考え、二つの葛藤は消えていたのだった。

 ガーウィンは彼女の前まで近付くと、その腕に掛けられていた縄を解いてやる。彼女の目に、驚きの表情が俄かに浮かんでいた。
「今は多分あいつらもこっちに目をやっていない時だからな。安全な所まで連れてってやる。さ、来いよ」
「――お気持ちは嬉しいのですが、あなたもこの組織の一員でしょう?」
 彼女は、驚きと、困惑の表情を浮かべていた。無理も無いだろう、彼女はたった今、この組織に脅され、誘拐されて来たのだから。ガーウィンはその言葉に、肩を竦めた。
「生憎、俺はここいらの奴らに雇われているだけの何でも屋だからな。あいつらとはあんまり関係が無いからな」
 さ、今のうちだ。ガーウィンはそう言うと、頭の中にこの建物の図面を再生しながら、早足で進んでいく。
 女性は未だ困惑を残しながらも、彼からはぐれまいと必死についていった。


 ガーウィンは先程女性が入ってきた正面からの道では無く、人が少ないと思われる裏玄関へと進んでいった。
 丁度今はその女性を誘拐したばかりで、おまけにこれからの事を話し合っている、という事もあって、運良く誰かにぶつかる事無く女性を誘導することが出来た。
 裏玄関を出て、女性を表通りへと繋がる道へと押し出す。
「ここまで来れば大丈夫だろ。あとはさっさと表通りに出て、人ごみに紛れちまうのが良いだろうな」
 そう言って彼女の背中をとん、と押した。未だ建物内からは騒いでいる気配は見受けられないが、それも時間の問題だろう。今は、彼女が安全な所に辿り着くまでの時間稼ぎが必要だった。
「あの――」
 彼女が走りながらも振り向いた時、建物内からひとりの男が躍り出てきた。拳銃を手にし、全身に怒りを滾らせている。ガーウィンはさっと女性に手を振り、自分は腰の拳銃部分に手を当てながら、さっと身構えた。
 頭の隅で、もうあの女性にも会うことはないだろう。そんな事を考える。それは少し、寂しいと思うことでもあった。
「へっ、やっぱりばれちまったか」
「てめぇ、何考えてんだよ! 折角の上物を何逃がしてやってんだぁ!」
 ガーウィンはその男の言葉に、不敵に唇の端を吊り上げた。そしてポケットのひとつに手を突っ込み、小さな丸い物体を取り出す。
 轟音が響いた。男が拳銃を発砲したのだ。ガーウィンの身体のすぐ脇を銃弾がすり抜けていく。彼は巧みに身体を捻りながらも、後ろへ飛び退いてその丸い物体――小型爆弾を放り投げた。
 派手な爆発音が響く。それと同時に、地面からもうもうと砂埃が立ち上がっていった。
 その派手な音に、組織がある建物内からも、ばたばたと騒ぎ出す声が響いていた。裏口から拳銃を持った男達が飛び出てくる。
「さて、ばれちまった事だし、ここはひとつ派手に行くか!」
 ガーウィンはそう言って腰にある拳銃を手にすると、男達の中へと突っ込んでいった。


 * * *


「あいててて……」
 ガーウィンは痛そうに顔をしかめると、棚の上に置いてある救急箱に手を伸ばした。そしてまた顔をしかめながら椅子に腰を下ろす。
 あれからガーウィンは、見事にたったひとりで血相を変えて襲い掛かってきた面々を返り討ちにし、おそらくはその女性が通報したであろう警察の姿を目にしてそそくさと逃げてきたのだ。警察が出てきてくれて組織がお縄になったのはありがたかったが、ガーウィンも実際は脛に傷だらけの人物だ。おそらく良い顔はされないだろう。そう思って逃げ出したのだ。
 そんな訳で、彼は何とか無事に今、自分の城である古びたガレージの中にいた。返り討ちにはしたものの、決して無傷での帰還、という訳にはいかず、あちこちに銃弾が掠った傷や、切り傷、痣などを拵えていた。
 救急箱を開いた時、ガレージの改造した玄関から、コンコン、という控えめなノックの音が聞こえてきた。
「あーもう……何だよこんな時に……あいててて……」
 ガーウィンは毒づきながらも、立ち上がり、玄関へと向かった。それは、シャッターの一部を半ば無理やり改造して、扉を嵌めこんでいるものだけのものであったが、彼にとっては立派な玄関だ。
「はいはい、なん……」
 面倒臭さを隠そうとせずに声に出しながら扉を開けて、ガーウィンはそのまま固まった。
「あの……この前のあなた、ですよね?」

 もう会うことは無いと思っていた。だから、咄嗟に言葉が出なかった。
 ――この前の、あの、女性だった。

「勝手に押しかけてすみません……。でも、どうしてもお礼を言いたくて。あの時あなたが私を解放してくださらなかったら、私は今どうなっていたか分からないですから」
「…………そんな事気にすんなよ」
 彼女の言葉の後、暫しの時間を置いてようやくガーウィンはそう答えた。そのぶっきらぼうな答えに、彼女が伏し目がちにそっと見る。
「……もしかして、私がここに押しかけてしまった事、ご迷惑でしたか……?」
 ガーウィンの態度が怒っているように見えたのだろう。その事に気が付いた彼は、やや態度を和らげた。
「いや、そんな事ない。俺は場所も知らせてないのに、いきなりあんたがここに現れたからびっくりしただけだ」
「……ああ、そうですね。私を逃がしてくださる時、何でも屋さんと名乗られていましたから。だから少し調べさせて頂いたんですの」
 女性はそう言って、にっこりと微笑んだ。

 *

 彼女はユリアと名乗った。ガーウィンはひとまず、ガレージの中のお客を通す比較的綺麗な部分にユリアを案内した。
 いつも通りにしているつもりなのだが、どことなく声がよそいき用になっていたり、ぎこちない動きになっていたりして、ユリアに変に捉えられていないか、やたらと気になる。そしてそんな自分に、苦笑してしまった。
「わぁ……。すごいですね。ここがガーウィンさんのお宅、なんですか?」
 ユリアはガレージ内部にごちゃごちゃと広がっているガラクタの数々を目にして、キラキラと瞳を輝かせていた。まるで子供のような反応だ。
「お宅って言う程立派なもんじゃないけどな。まあ俺の城だ。色々汚くて申し訳ねえな」
「いえいえ。私が勝手に押し掛けたのですし、とても楽しそうな所です。初めて見ます」
 ユリアの言葉遣いや、その反応からして、彼女はどうやら裕福な家庭のお嬢様なのだろうか、と彼は考えた。
 そしてそれは、ユリアと話す内に、本当の事であるらしい事が分かってくる。
「私、親から外に出てはいけないと厳しく管理されていまして……時折こっそり監視の目を抜け出して外に出ていたのですが、あの日も外に出ようとした所をあのように……」
「――外に出てはいけない? どうして?」
「外は危ないから、と」
「……そうなのか……」
 大金持ちを夢見ているガーウィンではあったが、彼女の話を聞いていると、彼女のあまりの自由の無さに、自由を謳歌している彼としては不憫な気持ちになる。

 *

 ぎこちなく話していると、ユリアが床に転がっていた小さなロボットのようなものを見つけたらしく、目を先程のように輝かせてそれを手にしようとしていた。
「あら、可愛らしいものが落ちてますね。なんでしょう?」
 その行動を慌ててガーウィンが止めようとする。
「ちょ、待て、それは――」
 見た目は可愛い玩具、だがここはガーウィンの事務所だ。彼は爆弾をそういった玩具によく仕込んだりする。そしてそのようなものがここにはあちこちに転がっているのだ。
 勿論ユリアはそんな事は露知らず。そのロボットを拾い上げた。
 カチリ。そのロボットから小さな音が響く。ガーウィンがその音に目を見開いた時、彼の頭上に白い縄を組み合わせたものが降りかかってきた。
 そうだ。それを見上げながらガーウィンは思い出す。これは何かを捕まえた時に役に立つようにと、ロボットの中に捕獲用の網を仕込んだんだった。
 どうやらその試作は上手くいったようで、あっという間にガーウィンは網で捕獲されてしまった。慎重に抜け出そうとするが、彼は生憎長身だ。
 あちこちが網に引っ掛かって、抜け出せなくなる。
「あ――、すまん、手伝ってくれねぇか……」
 そう言ってユリアの方を向くと、ユリアは目を見開いている所だった。それはそうだろう。お嬢様なユリアが、こんなものを見る機会なんてそうそうないだろうから。
 しばしの後、ユリアはガーウィンのその網がこんがらがった姿に堪えきれなくなったようで、くすくすと笑い出した。その笑いに、どこか憮然としない気持ちになる。
「おいおい……笑うなんて失礼だろ……」
「すみません……でも……くすくすくす」
 ユリアがガーウィンを手伝いながらも笑いを漏らしているのを見て、いつの間にかガーウィンの口にも笑みが浮かんでいた。

 彼女の瞳の輝きを取り戻せて良かった――。笑いながらも、ガーウィンはそっと、そんな事を思っていたのであった。


 * * *


 べたりと床に座っているガーウィンの周りには、様々な工具が転がっていた。ガーウィンは細いドライバーのようなものを手に、真剣に何かを組み立てているようである。
 丁度その時、コンコン、と控えめなノックの音がして、そして扉が開く音と共に、明るい声が響いてきた。
「こんにちは、ガーウィン。お邪魔します」
「おーユリア、ちょっと今手が離せないから勝手に上がってきてくれ」
「はい。……あら、今日は何をお作りなんです?」
 にこりと微笑みを浮かべながらユリアがガーウィンの傍まで歩いてくる。ガーウィンは一度顔を上げ、に、と笑った。
「俺が作るんだから、爆弾に決まってんだろ?」
「くすくす。そう言うと思いました」
「それにしてもユリア、お前また抜け出してきたのか?」
 ガーウィンの言葉に、ユリアは悪びれる事無く舌を出しておどけて見せた。


 ユリアがガーウィンの事務所を訪ねてきてから、二人が俗に言う、恋人同士になるまでそう時間は掛からなかった。
 ユリアはちょくちょく厳しい家の監視を抜け出しては、ガーウィンの事務所を訪れていたのだった。


「よし、これでひとまずは良いだろ」
 ガーウィンは仕事がひと段落すると、いつもの癖でポケットから煙草を取り出し、そして今はユリアの前だという事を思い出して、煙草をポケットにしまい込んだ。
 ユリアは心臓に病を抱えていると聞いてから、ヘビースモーカーのガーウィンであったが、一切彼女の前では煙草を吸っていない。
「さてと、いつもガレージにいるのもあれだし、どっか行くか?」
 ガーウィンの言葉に、ユリアは首を横に振った。
「いいえ。別に無理して何かをしたいとは思いません。ガーウィンは作業を続けていて下さい」
「ああ――って、ユリア、それに触ったら」
 ボーンッ! 轟音が響く。

 ガーウィンにとってその日々は、光に溢れた日々だった。
 ユリアのその眩しさに、思わず目を細めてしまうような、そんな幸福。
 けれども。
 その光はひっそりと、影に侵食されようとしていたのだった。


 * * *


 いつものようにガーウィンがガレージで作業をしていると、すっかりお馴染みになった、控えめのノックが聞こえてきた。
 普段だったらガーウィンは作業を続けているのだが。今日はその音に、工具を床に置いて立ち上がり、玄関へと向かった。
 何故なら、ここしばらく、ユリアが姿を見せていなかったからだ。初めはユリアが抜け出した事が見つかって、監視がより厳しくなったのかと思っていた。
 だが、日数を重ねるごとに、何故か胸がざわめく感覚を覚えていた。
 それは、漠然とした不安感。
 その不安が重なって、ガーウィンがついにユリアの家を覗きに行こうかと思った時、ようやくユリアの、あのノックの音が聞こえてきたのだった。
「……ガーウィン……」
 扉を開いた先に立っていたユリアは、いつものように明るい表情では無く、どこか陰のある、何かを思い悩むかのような表情だった。それを見て、ガーウィンは眉根を曇らせる。
「……ユリア……まあとにかく入れ」
 こくりと頷いて、ユリアはとぼとぼとガレージの中へ足を踏み入れた。ユリアがスプリングが飛び出た部分があるソファーに腰を下ろす。その隣にガーウィンも腰を下ろした。
「……お話があります……」
「……ああ。どうしたんだ? そんなに思いつめたような顔をして」
 ガーウィンの無骨だが彼女を案じる言葉に、ユリアは意を決したように口を開いた。
 彼女の話というのは、ガーウィンとユリアが恋人同士である事がユリアの両親に見つかり、そしてガーウィンがしがない、裏の世界にも足を突っ込んでいる何でも屋である事を知った両親は烈火の如く怒りを顕わにし、ユリアに見合いをさせようとしている、という事であった。
「……私はガーウィンが良い人である事を知っていますし、お見合いなんてされてもそれでガーウィンときっぱりお別れが出来るなんて思っていません。でも……お父様達はとても厳しくて、私ひとりの力で反抗する事は、とても無理なんです……もう……どうすれば良いか分からなくて……」
 滅多に涙を零すことの無いユリアの瞳から、ぽろりと涙が一滴。

 ガーウィンはそれを見ながら、暫く沈黙を続けていた。ユリアはきっと、彼女の父親からもうガーウィンとは会うな、と言い渡されて、それでも苦悩の末にここまで来てくれたのだ。
 彼には何よりも、その気持ちが、ユリアがここまで来てくれたという事が嬉しかった。
 ガーウィンは、そっとユリアの手を取る。
 普段のやんちゃな彼を微塵も感じさせない、真剣な眼差しをユリアに向けた。
「――俺はユリアに悲しい思いはして欲しく無い」
 ガーウィンの言葉に、ユリアの目がそっと伏せられる。でも、とガーウィンは続けた。
「それと同じくらい、いや、それ以上に俺はユリアを手放したくは無い」
「――……ガーウィン」
 ユリアが伏せた目を開いた。その動きで、再び眦から涙が零れ落ちていく。

 確かにユリアにはいつも笑っていて欲しい。傷ついてなんか欲しく無い。
 でも、それ以上に、今この手にある、何よりも大切な光を黙って見送る事は、ガーウィンには出来なかったのだ。

「だから――俺はユリアに辛い選択をさせてしまうかもしれない。俺には大したものはないけど、ユリアには沢山の大切なものがあるから。それを全て捨てさせるなんて、俺はなんて罰当たり者だとも思う」

 でも、俺は――お前とずっと一緒にいたいから。
 ――だから、一緒に逃げよう。

 ユリアと共にいたい。だから全てを捨てて、共に逃げる。その提案は、ガーウィンの独りよがりな考えなのかもしれない。
 それでも、それはガーウィンの紛うこと無き、本当の言葉だから。
 だからユリアはそっと、ガーウィンの言葉に頷いたのだ。


 * * *


 がちゃんと、古びた扉が音を立てて開いて、そこから花束を手にしたガーウィンが現れた。椅子に座って編み物をしていたユリアは、立ち上がってガーウィンを迎えようとする。
「ああ、立ち上がらなくていい。身体に堪えるだろ」
 律儀に迎えようとするユリアを苦笑いで制したガーウィンは、どこからか探してきた、端が欠けた花瓶にその花束を生ける。
「あら、可愛いマーガレット。……良い匂い」
「へへ、花屋のおばちゃんが安く譲ってくれたんだよ。ユリアはマーガレット、好きだからな」
「ええ。嬉しいです。私もその内、種から育ててみたいです」
 ユリアは微笑んで、再び編み物を手にした。
 テーブルの上には、小さな靴下がひとつ、置かれている。それを見たガーウィンの表情が、たちまち緩んだ。
「これが赤ん坊の靴下か。ホントにちっちぇなあ」
「ふふ」
 ガーウィンは微笑むユリアの傍まで来て、屈む。
 ゆったりとした服を着て椅子に腰掛けているユリアのお腹は、ふっくらと丸みを帯びて膨らんでいた。
 新たな命がそこには宿っているのだ。
「触ってもいいか?」
「ええ。勿論」
 ガーウィンはユリアの許可を得て、そっとユリアの腹部に手を伸ばす。
「おまえは男かな、女かな。――お、動いたぞ!」
「ふふ。本当に男の人ってせっかちですね。特にガーウィンは。まだまだ分からないですよ」


 彼らが住んでいた街から遠い、遠い街まで逃げてきてもうすぐ一年。ふたりは平穏そのものな生活を送ることが出来ていた。
 ――それは暖かな陽だまりの下にいるような生活。


「はい、こっちを向いてください」
 いつもよりも少しだけめかし込んだ服を着たガーウィンが、ぎこちなく首を向ける。
「もう。ぎこちないわね、ガーウィン。もっといつものようにしていれば良いのに」
 一台のカメラの前で、ガーウィンと、ユリアと、その腕に抱えられた赤ん坊が、寄り添っている。
 ぎこちなさを指摘されたガーウィンがややむっとして言い返そうとした時、ユリアの腕の中にいる赤ん坊が甲高い泣き声を上げた。
「ほら、あなたが怖い顔をなさるからですよ。もう、パパは駄目でちゅねー」
「……むぅ」
 反論出来ないガーウィンが、さらにむっつりとした表情になる。


 * * *


 ぱかりと開かれたロケットの中には、少し色褪せた写真が入っていた。
 すっかり母としての穏やかな表情のユリア、そして生まれたばかりの娘の泣き止んだばかりの顔。
 本当はこの写真は三人で撮ったのだが、ロケットに入らなかったので、二人の部分だけを切り抜いて入れたのだ。

 それは、かつての一番幸せだった時のカケラ。

 ガーウィンは二人をしばし眺めると、そのロケットの蓋をぱちんと閉めた。


 * * *


 その日の朝。いつものようにガーウィンが仕事の準備をしていると、ユリアがいる部屋からだん、と何かが床に打ち付けられるような音がした。
「……ユリア!」
 ガーウィンがその音にその部屋を覗くと、そこには、胸を押さえて倒れているユリアの姿が、あった。
 元々心臓の病を抱えていたユリアにとって、おそらく出産が、かなり心臓に負担を与えたのだろう。ここ数日間、ユリアは体調が優れないと、寝たり起きたりの繰り返しの日々だったのだ。
 ガーウィンはすぐにユリアをベッドに運び、そして掛かりつけの医者を呼びに飛び出していった。
 ユリアが落とした水差しから、床に水が筋になって溢れている。

 *

 そこからは、まるで早回ししたビデオのような、そんな時間の流れ方だった。
 医者と共に駆け込むガーウィン。
「――ユリアさんは頑張っておられます。ですが、もう――」
 ユリアを診察し、そして絶望的な言葉を継げる医師。
「そんな事ねえだろ、まだユリアは若いんだよ! 何とかしてくれよッ!」
 ただ、ぎゅっと拳を握って叫びを上げる、ガーウィン。

 *

 既に窓から差し込む陽は、赤みを帯びていた。
 ガーウィンは、ベッドの傍にあった椅子に力無く座っていた。その陰のある視線はユリアへと注がれている。彼の後ろには、何も知らない赤ん坊がすやすやと寝息を立てていた。
 ユリアは眠っていた。そっと瞼を閉じて。
 もう、二度と覚めることの無い、眠りについていた。元々白かった肌はさらに白く、それはもはや生きている者の色では無い事を雄弁に語っている。
「――……ユリア……」

 どうして、こんなにも早く、逝ってしまったんだ。どうして。どうして。
 こんなにも早く、光を失ってしまうなんて。
 もう、ユリアが彼に明るい眼差しを見せることは無い。
 うっかりフライパンに油を敷き忘れて、目玉焼きを焦がしてしまう事も無い。
 もう、ガーウィンの行動に、くすくすと堪えきれない笑みを漏らすことも無い。

「――どうして……」
 彼がぼそりと呟いた時。玄関の方から、ばたばたと騒々しい音がしていた。ややあって、乱暴に扉がノックされる。
「……?」
 動く気力も無いが、訪問者を放っておくことも出来ない。ガーウィンはその身体を引き摺って、玄関まで移動すると、扉を開いた。
 そこには、もうすぐで初老と思しき、威厳に溢れた男性と、厳しい眼差しで彼を睨む据える女性がいた。その後ろには、幾人もの屈強な男達が控えている。
「失礼するよ」
 その威厳に溢れた男性はガーウィンを一瞥すると、彼を押しのけるようにして中へと入っていった。
「おい、テメェら、一体何なんだよ! 勝手に人の家に入るんじゃねぇ」
 ガーウィンがその男性の肩を掴もうとすると、後ろから屈強な男達にその腕を掴まれ、外へと引き摺り出された。
 近所の人々がガーウィンの叫び声に、なんだなんだと様子を伺っているようであったが、今の彼にはそんな事を気にしている場合ではなかった。
「おい、何すんだよ! 離せよ! くそっ!」
 ガーウィンがその男達と揉み合っている中、家の中へと踏み込んでいったその男性と女性は、それぞれにユリアの遺体と、赤ん坊を抱えて外へ出てきた。
 それを見たガーウィンの血相が変わる。
 彼は狂ったように暴れ出した。
「おい、ユリアと俺の娘をどうするつもりだよッ! ふざけんじゃねぇぞ!」
「――ふざけるな? それは私のセリフだ」
 ガーウィンに叫ばれ、その男性は彼を睨み返した。その視線に、一瞬彼の動きが止まる。
「私はユリアの父親だ。――ユリアとこの赤ん坊はこちらで引き取らせてもらおう」
「ッ!? ふざけるなあぁぁ!」
 ガーウィンが叫んで父親へと掴みかかろうとするが、かなりの力を持つ男達によって阻まれる。彼はぎりりを唇をかみ締めた。
「くそ! 連れてかれてたまるかよ! 返せよ! 離せよおぉぉッ!」
 ガーウィンが腰に提げている銃に手を伸ばそうとした瞬間、腹部に猛烈な衝撃を食らい、彼は耐え切れずにその場に崩れ落ちた。
 その間に、ユリアと彼等の娘は車に乗せられ、そしてエンジン音と共に通りを走り出す。
 彼は砕ける足を踏みしめて立ち上がりながら、銃を抜いて引き金を絞った。
 その瞬間、肩を熱い何かが奔り抜ける。耳には痛いくらいの、轟音。
 男達は車が通りの向こうへ消えたことを確かめると、素早くもう一台の車に乗り、撤退していった。
「あ……」
 ガーウィンはその場にぺたりと膝を付いていた。腹部に衝撃を受けたからか、視界がぼうやりと薄く、白くなっていく。
 倒れこんだ彼に、近所の人々が心配して声を掛けてきてくれたのだが、今の彼の耳には届いていなかった。
 
 ――何もかも、無くなってしまった。
 たった一瞬で。こんなにも脆く、崩れ去ってしまうものなのか。

 彼の今の家には、微かにそのカケラは残っている。彼女のカップもあるし、記念に撮った写真もあるし、窓際で育て始めたマーガレットもある。
 花瓶には相変わらずマーガレットの花が揺れている。

 だけどもう、彼の一番大切なひとは、いない。

「うぅぅぅう……!」
 地面に倒れ伏したガーウィンの、きつく閉じられた眦から、一滴の涙が零れ落ちていった。


 * * *


「そうか。この先が墓地か。……ありがとう」
 メモの切れ端に簡単な地図を記して、お礼を言うと、ガーウィンは歩き出した。やや年月が経って精悍さを帯びた顔の顎には無精ひげが伸び、どこかくたびれた雰囲気を感じさせない事も無い。
 ガーウィンはポケットから煙草を取り出すと、口に咥えた。そして、言われた通りの道を曲がる。するとその先には、木々が生えた、静かな印象を与える墓地が見えてきた。
「やっと……見つけた」

 ここ数年、ガーウィンは絶望や、全てを失った虚無感に打ちひしがれながらも、ユリアの安置されている墓を探し回っていた。
 一度はユリアの実家に、墓の場所だけでも教えてくれと頼み込みに言ったものの、やはり門前払いを食らい、それでも諦めきれずに、自力でずっと探し回っていたのだ。

 そこは、前にガーウィンやユリアが住んでいた場所よりも遥かに遠くの、本当に寂れた小さな墓地だった。人の気配も無い。
 ガーウィンはその中をゆっくりと歩いていく。
 墓石に刻まれている名前を確認しながら歩いていくと、やがて、「ユリア」と刻まれている墓石の前まで辿り着いた。
「……やっと、見つけた……」
 彼女の墓は、隣に並んでいる墓と比べても、明らかに手入れもされてなく、雑草は伸び放題、荒れ放題の墓だった。こんな遠くに墓を作るくらいだ、ほとんど誰も訪れて無いのだろう。
 ガーウィンは、腰を下ろすと、荒れ放題の雑草の内、目立つものを抜いていく。
 暫し彼女の墓の周りを掃除し、ようやく隣の墓と同じくらいには綺麗になった墓の前に立ち、ガーウィンはそっとマーガレットの花束をそえた。
 じっと、その墓の前で、祈りを捧げる。

 ――その時、確かにガーウィンには、ユリアの穏やかな笑みを浮かべている表情が見えた、気がした。
 あの、ガーウィンに光を与えてくれた、その笑みで。


 *数年後*

 がやがやと沢山の人の声で埋め尽くされているその市場をガーウィンはぷらぷらと歩いていた。煙草を口に咥えながら歩いている為、三歩進むたびに、通行人に嫌な表情で見られるが、知ったことでは無い。
 その中を丁度逆方向に、ひとりの気の強そうな少女が駆けてきていた。その様子に、彼は眉根を上げる。
 彼とその少女がすれ違う時、彼はがしりとその少女の腕を掴んだ。走っていた少女は止まらざるを得なくなり、じろ、とガーウィンを睨む。
「――おいお前、食べ物盗んでるだろ」
 
 それは、その後彼の「相棒」となって共に走り回る少女との出会い。
 そして運命の、再会。


 * * *


 ガーウィンはふ、と笑みを浮かべると、その花屋へと足を進めていった。
「いらっしゃいませ」
「このマーガレットの花が欲しいんだけど」
「かしこまりました。リボンの色はいかがなさいますか?」
「――ああ、赤で」
 それは彼の記憶の向こうにいる、何よりも愛しき人達との、光の記憶。


クリエイターコメント大変お待たせ致しました。ノベルをお届けさせて頂きます。
今回、とても素敵なオファーを頂きまして、個々のシーンに光が見えるようにイメージしながら描かせて頂きました! 少しでも光や痛みや、悲しみが浮かび上がってくると良いなあと思いつつ。私がガーウィンさんを描くと、どうも少し真面目(?)な感じになってしまうような気もしつつ……。

それでは、素敵なオファーありがとうございました! またいつか、銀幕市のどこかでお会い出来ますことを願って。
公開日時2008-07-07(月) 19:20
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