★ VS me ★
クリエイター志芽 凛(wzab7994)
管理番号136-2129 オファー日2008-02-18(月) 10:57
オファーPC バロア・リィム(cbep6513) ムービースター 男 16歳 闇魔導師
ゲストPC1 ホーディス・ラストニア(cpxz6110) ムービースター 男 21歳 ラストニア王国の王子
<ノベル>

 

 冷たい風が段々と暖かさを含む風に変わろうとしている頃、頭を紫のネコ耳フードですっぽり覆った少年――バロア・リィムは、ひとり悩んでいた。ちなみに彼が今いる場所はどうやらどこかの書庫のようで、彼の周りには、本棚と幾重もの本が並んでいる。どれも分厚く、おまけに一瞥しただけでは書名も分からなそうな本ばかりだ。
 バロアは本棚の高い位置に収められている本を取る時に使われる脚立に腰掛けて、一冊の分厚い本を前に何事かを考え込んでいたのだった。そこに浮かぶ表情は、少年のものとは言い難い、年齢を重ねた者にだけ生じる厳しさが滲み出ている。
 その本は世にある百科事典のごとき分厚さであった。表紙は漆黒の如き黒い色に、金で綺麗に模様が彩られている豪華な一冊である。
 バロアはもう一度、それを眺めてからおもむろにその本を開こうと表紙に手を掛けて力を込めた。だがかなりの力を加えているのにも関わらず、その本は頑固よろしく一向に中の文字を見せようとしない。その本からは色濃く魔導の波動が漂っているので、おそらく何らかの封印が施されているのだろう。
「esaeler ここに明らかなる解を」
 彼はその本に掌を当て、ぼそりと呟いた。確実にその言葉は魔法発動の言霊として掌に伝わり、じわりと彼と共にある闇の波動が蠢くのが分かったが、それまでだった。本には何の反応もない。
 今のは簡単な魔導だから何も起こらなかったのだろう。もっと高度な魔導を発動しても良かったのだが、本にどんな魔法が掛けられているのかそれが分からない限り、余計な手出しは出来ない。猛烈な反動を受ける恐れがあったからだ。
 そこまで考えてバロアは、苦虫を噛み潰すような表情を見せた。魔導を探求する者としてそこまで厳重に封をされた本に対して、非常に興味をそそられるのは、どうしようも無い事と言っても良いだろう。それに、この魔導に屈して諦めるのも何だか悔しいものだ。
 しかし、バロアにある残りの手段は、何というか、場合によっては、その悔しい思い以上に嫌な事に巻き込まれそうなものであった。そんな訳で彼はまた悩んでいたのである。
「でもなあ……やっぱり気になるしなあ……」
 彼はその本を見てひとつため息をつき、よっこいしょと脚立から腰を上げていた。



 バロアは明かりは点いているのにどこか暗い本棚の間をすり抜けて、受付として使われているカウンターの所まで歩いていった。そこには、いつものようにバロアが入り浸っている書庫の主、ホーディス・ラストニアがカウンターの奥に鎮座していた。ちなみに今日も何らかの本を読んでいるようである。
「どうしましたか?」
 バロアがこちらにやってくる気配に気がついたホーディスが本から顔を上げた。むっつりとした表情のバロアに首を傾げる。
「ちょっと協力して欲しい事があるんだけどさ」
 バロアはそう言ってカウンターの上に、先程からの悩みの種となっている本を置いた。どさりと言う思い響きが二人の耳に届く。
「いやあ、この本がちょっと厄介なもんで」
 バロアが持ってきた本を彼と同じく魔導の探求者のひとりであるホーディスは興味深そうにしげしげと眺め、触って引っ繰り返したりしていた。
「これはまた、珍しい本を持ってきましたね。表題も随分擦れてしまっていますし、大分月日が経っている魔導書みたいですね」
「そうなんだ。この本、随分厳重に封がされていてさ。僕ひとりの力じゃこれを解くのは難しいんだよね」
「ふむふむ……なるほど、確かにこれは魔法の波動ですね。それにしても、随分とこれまた闇の気配が濃い波動ではありませんか?」
 ホーディスが訝しげに眉を顰めて言う言葉に、バロアは首を傾げた。確かに闇の魔導による封印である事は分かっていたが、それ程までに濃い気配とは思っていなかった。それ程に彼が闇の魔導にどっぷりと浸かってしまったせいなのかもしれない。
「そうかな……。僕はそこまでは濃いとは思わないんだけど」
「……まあ、魔法なんて人それぞれに感じるものですからね。ええっと、これには今までどんな魔法を使ってみました?」
「ひとまず、基本的な魔法解除のものをね。属性は闇だよ」
 結果はこの通りだったけど。バロアは肩を竦めてその本の表紙を軽く叩いた。ホーディスもなるほどと呟きながら中身を開こうとしてみるが、接着剤で全てのページをくっつけられたみたいに、その本はビクともしない。
「基本的な闇魔法では効かない……という事は、上級魔法なんですかね」
「多分ね。それも幾つかの魔法を掛け合わせて複雑にしてる気がするんだよね」
「そうですね。この感じは。――ううむ、ひとまず、『照らし出して』みましょうか」
 ホーディスはそう言うと同時に、素早く本の上に文字と記号を組み合わせた陣を描き出した。暖かい気配が満ち、ふわりと本の周りに不思議な模様が幾重も浮かびだす。
「……どれも闇だね。それも二個……いや、三個掛け合わせてあるんだね、これは」
「一個は『鍵』となる魔法で、残りの二つは結界魔法ですね。となると、最初の二回は光の属性の魔法が必要でしょうか」
「そうだねえ。反属性の方が良く効くだろうね」
 二人は半ば身を乗り出すようにしてその本を眺めながら、ぶつぶつと呟きあっていた。その様子は見ようによっては、怪しげな光景にも見えるのだが、勿論のめり込んでいる二人には分かる筈も無い。これ幸いな事に、今の時間にこの書庫には彼等以外、誰もいなかった。
「では、ひとまず私が結界魔法を解除しますね」
「よし、頼んだ」
「これは借り一、ですね」
「……」
 にやりと笑むホーディスに、懸命にもバロアは沈黙を通す事にする。余計な事を言うと、さらに墓穴を掘る羽目に陥りそうだったからだ。
「retlehs」
 ぼそりと呟いて印を描くホーディス。キンッという小さな音が響き、一瞬だけ本の周りが明るく輝いた。本に鮮やかな紫の陣が浮かび、そして消え去る様が二人の眼前で展開される。
「terces 鍵となり解除せよ」
 バロアが呟くと同時に、彼の掌が一瞬闇色に染まる。魔法が「照らされて」いる中、ぞわりと辺りから集まってきた闇が鍵の形をかたどり、錠となる魔法へ向かっていくのが見えた。
 カチリ。小さな音と共に、ふつりと本に掛かっていた魔法が消え去る。一瞬だが鍵が錠に差し込まれる様が浮かび上がり、本に掛けられていた魔導の気配は跡形も無く消え去っていた。
 だが、それが騒動の種になろうとは、二人とも思ってもみない事であったのだ。



「よしっ!」
「やりましたね」
 二人が上手く解けた封印に、歓喜の声を上げた。その時だった。
 ぞわり。
 本が一瞬、不気味に震えた。
 そう思った途端、今まで頑として開くことの無かった本の表紙が勝手に開かれ、本のページがぱらぱらとめくられていく。二人が不穏な気配を感じ取ったのも束の間、ページをめくり続けていた本が今度は唐突に動きを止めた。
 その次の瞬間には部屋中の明かりが一瞬にして消え去っていた。二人の間を闇が包む。
「な、何だ?」
 二人は思わず身構えていた。本からぞぞぞ、と何かが蠢くような不気味な音が断続的に響き、二人の前に形を成さない何か、真なる闇のようなものが滲み出てきていた。
「う、わああっ」
 二人が身構えているにも関わらず、唐突に、何の前触れも無く頭をかき回されるような感触に襲われた。バロアは思わず頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
 その時だった。
 どうしてだろう、バロアは目を瞑っていたのに、まるで走馬灯の如く彼の前に過去の映像がどんどん流れていくのだ。
 ――まだ何も恐れる事の無かった、楽しかった子供時代。
――神官を目指して学ぶ姿。
 ――仲間達に応援されながら、闇の魔導を追求する姿。
 そして。――かつての、あの事件。
 それはほとんどが、封印していた過去で。バロアは見たくもないそれに、反射的に目を瞑りながら頭から追い出そうと必死に念じていた。
 目を瞑ったはずの彼の暗闇の世界に、過去の、二十八歳の時の、「俺」が今のバロアを見返している姿があった。その瞳に映る、今の十六歳の、「僕」。
 それを見た時、再び彼の前を闇が襲っていた。どこからか滲み出る、永久なる闇が。
「バロアさん!」
 ホーディスのどこか切迫した響きがその時彼の耳に届き、それに気がついたバロアは、何とか目を開けて立ち上がった。そして、目の前に繰り広げられた光景に目を見開いていた。
 うれしや。
 うれしや。
 にくしや。
 かつて、常に耳にしていたその声に、二重に驚く。
 そこには、見たことのある姿が二つあった。ひとつは紛れも無い、過去の二十八歳のバロアの姿。もうひとつは、やけに幼い銀髪の少年だった。刺青もないが、どこと無くバロアの隣に並ぶ人物に似ている。
「これ、もしかして……」
「ええ。過去の『僕』ですよ。隣にいるのは、やはりバロアさんですか?」
「ああ、そうだ。過去の『俺』だよ」
 憎しみの声を上げた目の前に立つ自分達は、壮絶な笑みを浮かべると、一瞬で影ごと消え去っていた。
 後には、ただ本が残っているだけ。その本を二人が覗き込むと、全てのページが白紙の本であった。
「やられたな。まさかあんな悪魔が封印されているなんて」
「道理で、あんなに封印が厳重だったんですね。恐らく何年も力を蓄え続けた悪魔なんでしょうね」
 ため息をつくバロアの横でホーディスは、つい、と指を振ってその本を何処かにしまっていた。
「ひとまず、あれらを探してまたあの本に封印しなければなりませんね」
「ああ。――それにしても、恐ろしいものを置いてるね、この書庫は」
「ふふ。知識はある意味で強力な兵器ですから」
 二人は書庫の外へ走り出した。


 *


 市内に出た二人は、自らの影を使ってあの悪魔を探して走り回っていた。その途中で市内の異変に気がついて足を止める。
「静か過ぎる……」
 動かない車。人のいない、歩道。
 そう、人の気配が、微塵もないのだ。人が生きて呼吸をしている気配がない。
「何かが変だぞ……」
 バロアは根気良く辺りを見回し、そして道端で倒れ付している人を発見していた。
「! 大丈夫か?」
 走りよって声を掛けるが、反応が無い。辛うじて息はあるようだが、顔は青ざめているし、まるで死人のようである。
 バロアはその青ざめた状態と、その人から滲み出る魔法の残滓にふとある事例を思い出して、そっとその人の頭上に手をかざしてみた。
「nethgil」
 呟きとともに、彼の脳裏にその人の状態が手を通じて流れ込んでくる。バロアは独特のあの気配を探っていた。
 やはり、ない。彼は確信を抱くと共に、こちらへ向かって走ってくるホーディスの方を振り向いた。
「魂が、喰われてる」
 目で状況を問うてきた彼に端的に説明する。ホーディスはその人を一瞥すると、ひとつ頷いた。
「あちらで見つけた方も、同じような状態でした」
「何年も閉じ込められていたのだから、その分己を十分に満たすための魂が必要なんだろうな。ともかく、急がないと……」
 もし自分の姿をしたあの悪魔が、バロアにとって大切なあの人の魂を攫って行ったとしたら。バロアは妙にひやりとした心持ちでそれを考えていた。
 もしそうなったとしたら自分は、自分自身を許す事の出来ない対象として見るのだろうか。
 もしかしたら、何もかもを許すことが出来なくなってしまうかもしれない。
 そう考えていた時、二人の脳裏に、影の魔法の警鐘がわんわんと鳴り響いた。彼らが放っていた影達が、目的の悪魔を見つけた印だ。
「急ぎましょう」
「ああ」
 二人が頷くと同時に、彼等の地に伸びていた影が盛り上がって彼らを包み込んでいた。



 二人が再び影から市内に姿を見せた時、既にその場所も人気が全く無い、半ばゴーストタウンのような表情を見せていた。彼らは周りに倒れ伏す人々を一瞥すると、奥に目を向ける。
 そこには、太陽でさえ隠す強大な闇がじわりと光の市内を浸食している光景が広がっていた。ひだのように広がる闇の中心には、かつてのバロアとホーディスの姿を写し取った悪魔の姿が小さく見える。
 そしてその後ろには、幾重もの命の輝きが舞っていた。様々な色を成すそれは、まるで宝石のように煌き、その存在感を表している。
 その幾つもの魂の数に比例してか、彼らが感じる闇の波動も、最初に見た時よりも明らかに増していた。バロアにとっては闇の波動は随分と馴染みのあるものだったので、それ程の圧力は感じていなかったのだが、隣に立つホーディスはこの場所に現れてから荒い呼吸を繰り返している。彼はつと苦笑して、額の汗を拭った。
「やはり闇に関しては、私はまだまだ修行不足ですね」
「それはどうだろうな。時によっては、光に溢れている人物が羨ましく思えるからなあ」
 バロアも苦笑を返した。その光に溢れていたかつての自分が今、闇の道を探求して目の前にいるのだから、どうしようもない。バロアは、彼自身の道を貫いた結果、このようになっているのである。
「まあ、あの姿は僕自身で一番見たかった姿なんだけどねぇ」
 バロアはそう溢してひとつため息をついた。こうして対峙するのではなく、今立つこの身が、そうであって欲しかった。
かつてこの身と成り果ててから今まで、どれほどそれを願っていた事だろうか。何度と無く思い返していた切ないほどの願いが胸の内に込み上げ、バロアは思わず息を零した。
 そんな彼の横で、同じようにホーディスもひとつ、ため息をついている。
「私もあの頃の自分に戻れたらなとは思うんですけどねぇ」
 その瞳には、必死に何かの感情を押し隠したかのような、そんなものに満ちているようだった。
「ま、ひとまずはあれを何とかしないとね」
 バロアはそう言うと同時に、一息で後方へと飛び退いていた。
 びしり、と一瞬後のその場に、闇に侵食された事によって大きな亀裂が奔る。
「今度は私が破壊魔になるんでしょうか……。嗚呼」
「日頃の行いが出てるんじゃないの?」
「そんな事言っていて良いんですか? 後で何が起こっても知りませんよ、バロアさん?」
 軽口を叩き合う二人の周りは、徐々に濃くなる闇で覆われていく。


 *


 大気にはねっとりとした、纏わりつくような濃い闇の気配が流れ、空には分厚い雲が局地的に作り出されていた。その中で、二人の魔法が清らかに、高らかに鳴る。死に満ちる気配の中で、耳に響く、幾つもの生命の鼓動。二人が織り成す闇と光の法則(リズム)。
 ホーディスが作り出した円形の結界に飛び乗り、バロアは腕を前に翳した。
「tsalb 浄なる風よ、大気に舞え!」
 彼の言葉と同時に一陣の風がバロアに迫っていた闇を切り裂いていった。僅かな間だが、纏わりつく闇の気配も消え去ったようだ。
 その隙に、ホーディスが四方を見渡し、一気に辺りを照らし出す印を描く。
 小さな陣を中心として、この空間に満ちていた分厚い雲が一気に消し飛び、俄かに周りの状況が明らかになっていた。
「これは……新たに空間を作り出して、その中に魂を閉じ込めているんですね」
 言葉と共に円を描く。瞬間に陣が巨大化し、悪魔から飛来してきた鎌の形状の闇をはじき返した。
「つまり、あいつらを封印して、この空間を壊さなきゃならないって事か」
 バロアは苦い表情で呟くと、彼らと対峙する、もうひとりの彼らと視線を切り結んだ。
 二人の魔法が影響しない程度の距離に立つ悪魔の目には、いつもの二人が見せる表情は微塵もない。ただあるのは、やっと狭い空間から抜け出せた喜びと、魂を喰らう事の出来る、愉悦の表情。
 そんな緊張が行き交う中、不意にかつてのバロアの姿を取った悪魔が、口を開いた。
「かかかか……。ここにも魂が、あるぞ」
 彼の口から、彼とは想像もつかない言葉を発せられてバロアは瞠目した。そしてその表情を見て、ある事を理解していた。
 この悪魔は、人の過去を盗み見て、そして明らかに楽しんでいるのだ。そうでなければ、彼の大人の姿なんて模る事はないだろう。
 それが分かると不意に、心の奥底に、怒りの渦が巻き起こってきた。
 どんなに封印した記憶でも、戻りたいと思った記憶でも、それは自分のものだ。自分だけのものだ。こうして、人に弄ばれる道具の為にある訳では無い。
 自分の、ある意味で聖域ともとれる記憶を汚したものへの、怒りが彼を取り巻いていく。
「こいつ……」
 言葉に含まれた苛立ちの感情が伝わったのか、悪魔は再び嘲笑した。そして、新たな楽しい遊びを見つけたかのような表情を見せる。
「こいつの魂を喰らう前、あのこの魂を見つけて喰ら、ったら、随分と楽し、そうな事なり、そうだ」
 その言葉を聞いた瞬間に、バロアの怒りは沸騰していた。
 頭の中が真っ白になっていた。
「sagittarius!」
 気がついたら、言霊が勝手に破壊の魔導を叫んでいた。全身に赤い魔法の波動が駆け巡り、一気に発散されていた。
 それは目の前で神々しい、馬の足と人の身体を取った幻影となり、その姿から一瞬で炎の如き苛烈な波動を含んだ矢が放たれていく。
 同時にどう、という音が耳に響き、全身を唐突な倦怠感に襲っていた。絶えられずにがくりと膝をつく。まるで内臓が何かの手でかき回されているような気持ち悪さ。全身からは冷や汗が飛び出て、薄ら寒さに襲われる。
 くそ、反動だ。虚ろに、だが沸騰しきった筈の頭でやけに冷静にそう考えていた。
 矢が再び覆われていた闇を切り裂いていく時、それを打ち消すかのように、その悪魔からも幾つかの闇の弾丸が放たれていた。
 二人と二人の間で、赤い火花がスパークする。耳に鳴り響く轟音。真っ赤になる視界。
ふたつの魔法、ほぼ全てが相殺されて残ったエネルギーが零れて飛び散った。バロアの前にもそのエネルギーが凄まじい速さで飛んでくる。避けようにも、今は魔法の反動がそれを許してはくれなかった。ゆっくりとしか動くことが出来ない。
 だが、屈してなるものか。
 こんな人を弄ぶ事しか脳に無い、陳腐な奴らに屈してなるものか。その考えが、彼の瞳を閉じさせなかった。反射で閉じそうになる瞳を無理やりにこじ開けていた。
 そのエネルギーの欠片が、バロアに届く直前。
 大きな円陣が彼の前に現れていた。ごう、と風が渦巻く。円陣が全てのエネルギーを受け止めた時、彼の横に、よく知る気配が並んでいた。
「まあまあ、バロアさん。私もいるんですから、ここはじっくり腰を据えて挑みましょう」
 相変わらずの落ち着いた口調に、バロアは半ば呆れた表情を見せてその気配を振り向く。
「この状況でよくそんな事言ってられるな。大体、目の前のアレを見て――」
 言葉半ばで彼の表情に気がついたバロアは、それ以上の言葉を飲み込んでいた。
 ホーディスは、相変わらず、穏やかな笑みを佩いたままの表情だった。
 だが、穏やかな笑みを浮かべたまま、猛烈に怒っていた。
 身体全体から発せられる魔力の波動が、いつもとは違った、全て冷たい、殺気を帯びたものになっていたからだ。おまけに、身体に帯びている刺青が様々な色に絶えず変化している。
「じっくり腰を据えて、あれを欠片ほども残さずに滅却しましょう?」
 にっこり笑みを浮かべたまま発した彼の言葉に、バロアは半ば本気で呟いた。
「こういうタイプの人って、本気で怒らせると怖いんだよねぇ。気をつけよっと」
 彼らの傍に転がっていた小石が、ぴしりと音を立てて崩れ去っていく。



 再び体勢を整え直した二人の頭上に、大気が揺らぐような感覚に襲われていた。
「……空間が、開いた……?」
 呟いたバロアの前で、過去の彼等がさらに楽しそうな起こるかのような表情を見せている。
「ふふふ。かかか。お前ら、魂喰う前に、違う魂を喰らってやる」
「その方が、面白い」
「それに美味そうだ。お前らと違って」
「美味そうだ」
 舌なめずりでもしそうな表情で彼らはそう言うと、ぞわりと彼らに凝っていた闇が動き出した。
 素早く飛翔出来そうな、かつ攻撃性もありそうな、そんな姿へと形を変え、幾つも分散して空間が開いたと思しき上空から、一瞬にして飛び立とうとしているようである。
「させるかよ! 従いし闇よ、喰らえ!」
 自分では言いそうもない、気味の悪い言葉に内心で戦慄しながらも、バロアは自らの影に潜んでいる「闇」を放った。一気に影から歓喜を上げるかのように放出された幾重もの闇に、ホーディスが手を掲げる。
「加担せよ」
 短い言霊を発し、同時に空へと放出されたバロアの闇にやどる魔力が、ぞわりと増えていくのが分かった。半ば歓喜に咽ぶように、悪魔達の闇を喰らう自らの闇を見つつ、バロアは脳内で幾つかの魔法を一瞬で組み立てる。
「ganf・krad」
 最後に短い言霊を発すると、途端に上空で他の闇を喰らっていた彼の闇が集結し、一体の巨大な獣になっていった。その百獣の王の如き闇の姿が一息でもうひとりの自分達の下へと飛び、そのぞろりと並ぶ牙を収めた顎を開く。
 鳴り響く咆哮に、地が揺れた。
 その時、初めてほとんど動かなかった彼らが、左右に分かれて飛翔していた。そして再び上空の大気が蠢く。今度は空間が閉じられたのだ。
 ホーディスはかつての自分の分身を追って飛翔し、バロアもかつての自分の分身を追って飛翔する。隣に彼が組み立てた魔導による闇が並び、それを共に追う。
「かかか。お前が我に攻、撃している間に、取り逃がした我の分身、魂捕らえるぞ」
 かつての自分は愉悦に唇を歪め、残された闇を再び弾丸状にして放った。
「飲み込め」
 バロアがその言葉を口にした瞬間に、隣に並んでいた闇が一瞬にして彼の前に並び、再びその顎をかぱりと開けていた。
 ブラックホールの如き闇に、ひとつの闇が吸い込まれていく。
「かかか。そんな事、していていいのか」
「別に良いさ」
 バロアはにや、と口の端を僅かに上げていた。
「お前が魂を分捕る前に、俺の手で元の通りに封印してやるからなあっ!」
 その言葉と同時に、闇の獣が動いた。その漆黒の顎で、かつての自分を飲み込もうと動く。その為に再び放出される魔力が、彼の身体を蝕んでいく。
 それにも退く事なく、バロアは魔力の放出を続けた。僅かに飛翔の距離が落ちていくのが目に取れた。
 顎は、かつての自分をすっぽりと飲み込んだかのように見えた。だが、やはり同じ闇の属性だからだろう、すぐさま軽々と飲み込まれた反対側から脱出されてしまっていた。
 こちらに向かってくる勢いでその悪魔は、闇色に染め上げられた右腕を突き出してきた。一瞬にしてそれの腕が、バロアの首を掴み取っていた。
「ぐ、がっ……!」
 その右腕に喉を絞められ、呼吸が止められてしまう。だが、それでも退く事はしない。
「お前みたいなのがいるから、闇が……悪く、見られるんだよっ……」
 言葉の勢いと同時に、バロアは右腕を突き出していた。そこには咄嗟に出した光を放つ短剣が握り締められている。
「!」
 さすがに光の属性をその身に受けては、相手も耐えることが出来なかったようだ。それは苦悶の表情を浮かべながら地に墜落していった。
 ようやく掴まれ続けていた喉から手を離されたバロアもさすがに耐え切れなくなって、ゆっくりと降下する。
「げほごほっ……はあはあ」
 一気に酸素が供給されたせいでさすがに咳き込んだ。その咳に血が混じり、改めて自らに返ってきた魔導による反動を思う。
 それでも何とか立ち上がったバロアは、冷ややかに近くに転がり落ちていた、かつてのバロアを見下ろした。
 あの時の自分を光の魔導で封じる事に、些細ながらも小さな波風が立つのが分かる。
 けれども。それでも自分は。
「elaze・rebas」
 脳内で組み立てた幾つかの魔導の最終部分の言霊を口にすると、バロアの手に先程よりも幾分大きめな、光に包まれた剣が出現した。
「く、そ、なめ、るな」
 悪魔がそれを見てか、苦悶の表情ながらも、自分が持つ闇を精一杯操作して、彼に対抗しようとしている。背中にぞわりと、闇が群を成して襲ってくる気配がしていた。
 だがそれでも、バロアは後ろを振り向く事はしなかった。闇が近づいた、そう思った時に、背中にひとつの良く知る気配が出現していたからだ。
 その気配にふと、唇を吊り上げて。
「……今度会う時は、自力でこの姿に戻った時だな」
 ぼそりと呟くと共に、バロアは一気にその剣を振り下ろしていた。


 *


 剣を振り下ろすと同時に、周りに凝り固まっていた気配が一瞬で拡散されたのを感じた。
「グガアアアアアッ!」
 それと同時に、最早バロアの声を保てなくなった悪魔が断末魔の声を上げ、元の姿のない闇へと消え去っていく。
「さ、この本に」
 バロアの背で襲い来る闇を受け止めていたホーディスが、どこからか先程の本を彼に差し出した。どうやらかつてのホーディスに化した悪魔は怒りの彼の前に封じられてしまったようで、半分ほどが何かしらの言葉で埋め尽くされているようである。
「よいしょっと」
 バロアがその残りの白紙のページをそれに向けると、掃除機で吸い込まれるかのような勢いで綺麗にそれは封じられていった。どうやら、この本自体もこれらを封じる為の特殊な魔導が使われているようであるらしい。全てのページに、精緻な何かの印が織り込まれているのが見て取れる。
「あとは厳重に封印だね」
 彼がそこまで口にして、そして一息つきながら周りを見回していた。そこには様々な光が彼等を取り囲む光景が広がっていた。悪魔達によって、集められていた魂である。
 それらは一瞬その場に留まったかと思うと、流れ星の如くにその場から勢いよく飛び去っていった。これで恐らく、倒れ伏した人々も、市内も元に戻るであろう。
 その半ば幻想的な光景を目にしながら、やっとの事でいつもの調子に戻ったバロアは、大きく伸びをして、暖かな空気を吸い込んでいた。
「いやいや、これは世話になったねえ。助かったよ、ははは」
 ホーディスも笑みを浮かべながら、いえいえと首を振っている。だがそこには、黒いものが見え隠れしている。
「お気にしなくていいんですよ。この借りはこれからしっかり払って頂くんですからね。勿論そのお体で」
 にっこりとした表情ながらも冷酷な言葉を最早臆面も無く言い放ち、うきうきとひとり先に立って歩くホーディス。
 どうやらまたひとつ貧乏籤を引いたらしいバロアは彼を遠目で追いながら、本を抱えて肩を落としていた。足取りも遅く歩き出す。

 そんな二人を暖かい陽の光が照らし出していた。周りに響くのは小鳥が楽しそうなさえずり。

 ――春は、近い。
 
 

クリエイターコメント大変お待たせ致しました。ノベルをお届けさせて頂きます。
魔法バリバリなお誘い、ありがとうございました(笑)全編魔法だらけなノベルとなりましたが、少しでもカッコよさ、願いなどが描写出来ていれば幸いです。
おそらくこの後ホーディスにこき使われるかもしれませんが;どうかご容赦を。こんな腹黒ですみません。

それでは、素敵なオファー、ありがとうございました! またいつか、銀幕市のどこかでお会いできることを願って。
公開日時2008-03-15(土) 12:10
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