★ 【Sol lucet omnibus】向日葵お嬢と六人のナイト ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-8467 オファー日2009-06-29(月) 20:47
オファーPC 刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
ゲストPC1 リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
ゲストPC2 ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
ゲストPC3 理月(cazh7597) ムービースター 男 32歳 傭兵
ゲストPC4 片山 瑠意(cfzb9537) ムービーファン 男 26歳 歌手/俳優
ゲストPC5 月下部 理晨(cxwx5115) ムービーファン 男 37歳 俳優兼傭兵
ゲストPC6 イェータ・グラディウス(cwwv6091) エキストラ 男 36歳 White Dragon隊員
<ノベル>

 1.お嬢、デートに出かける。

 風が爽やかな六月上旬。
 今日は雨も雲もおとなしく、明るく瑞々しい朝の太陽が、水の真珠をまとった鮮やかな緑を、きらきらと彩っている。
「刀冴(とうご)さん、皆、お待たせーっ」
 午前十時、買ったばかりのカシュクール・ワンピースに身を包んだリゲイル・ジブリールが、バッキーの銀ちゃんとともに住まいから飛び出したのも、そんな太陽が輝く明るい空の下だった。
「いーや、俺たちも今来たとこだ、気にすんなよ」
 言って朗らかに笑うのは、異世界ファンタジー映画『星翔国綺譚』から実体化した青狼将軍、刀冴。
 背の高い将軍は、今日も青い武装にしなやかな身体を包み――武人としての彼の正装がこれなので、『デート』なのにそれか、と言ってはいけない――、腰にはトレードマークとも言うべき大剣【明緋星】を佩いている。
「リゲイル、その格好、すごくよく似合ってるぜ」
 刀冴の隣で、とても三十路を過ぎているとは思えない邪気のなさで笑うのは、ファンタジー映画『ムーンシェイド』から実体化した傭兵の理月(あかつき)。
 腰に美しい刀『白竜王』を佩き、やはりいつものような漆黒の武装に身を包んだ彼は、表面的な姿かたちだけを見れば、内面の柔和さ、無防備さが伺えなくなるシャープさだ。
「えへへ、そうかな」
「うん、何か……大人っぽいっていうのか?」
「そう? だったら嬉しいな……ありがとう」
「いや、実際、こうして見ていると、君の背が伸びたことを実感させられるよ、リゲイル君。――……きっと君は、あっという間に大人に、そして今よりももっともっと美しくなって、世の男性を魅了するのだろうね」
「ブラックウッドさんって、何でそう自然に殺し文句が出てくるんだろうなぁ」
「おや、これを殺し文句と認識できるのなら、理月君もずいぶん成長したのだね」
 くすくすと洒脱に笑うのは、品のいい、上質な三つ揃えのスーツに身を包んだ魔性の美壮年、映画『Blue Blood』シリーズから実体化した老吸血鬼、言わずと知れた愛の伝道師ブラックウッドである。
「ええっ、今のって俺が成長したとかそういう話だったんだっけ……?」
「ああ、まぁ成長はしたんじゃねぇか? ヘタレはヘタレのままだが」
「刀冴さんヘタレって言わない!」
「……俺は本当のことを言っただけだぜ? それとも否定出来んのか、お前」
「うっ」
 さらりと言われて言葉に詰まる理月。
 それを見て、リゲイルが兄と慕う片山瑠意(かたやま・るい)がぷっと吹き出した。
 今日の彼は、ラフすぎず堅苦し過ぎないスーツを着ていて、長身で爽やかな美形の瑠意に、それはとてもよく似合っている。肩には、リゲイルのバッキー、銀ちゃんと同じデザインのカメオのチョーカーを可愛らしくつけた、バッキーのまゆらがちょこんと乗っていた。
 銀ちゃんはというと、大き過ぎてリゲイルの肩には乗れないので、彼女の腰にしがみついている。
「笑うなよ、瑠意!?」
「いや、だってさ……なんか、らしいなぁって思っちゃって」
「瑠意だって十狼さんの前ではヘタレだろ!」
「多分否定は許されないんだろうけど、そこでそのネタ振りはやめようぜ!?」
 必死な理月の反撃を喰らい、瑠意が思わず目を剥いた。
 首まで赤くなっているのはもうデフォルトだろう。
「……見てて飽きねぇな、お前ら」
「同感」
「楽しむな、そこのふたりっ!」
 そのやり取りを、呆れたように見ているのは金髪に金眼のイェータ・グラディウス、理月とそっくりの驚異の童顔を楽しげな笑みのかたちにしているのは月下部理晨(かすかべ・りしん)。
 ふたりとも、世界を駆け回る傭兵団ホワイトドラゴンの前衛隊員で、理晨は世界的に活躍する俳優でもある。
 どう見ても二十代半ばとしか思えない理晨は、沖縄の紅型を思わせるデザインの、鮮やかなプリントを施されたTシャツにジーンズという、いつも通りの出で立ちだったが、今までに観たことのない、不思議な風合いの指輪を左手薬指にはめていて、
「理晨さん、その指輪……もしかして、ダイヤモンド?」
「お、さすがだなリゲイル、判るのか。ジークがくれたんだ」
 リゲイルが言うと、ちょっと嬉しそうに笑って、それを空にかざしてみせた。
「ダイヤモンドをリング型にカットした、ということかな。……酔狂なパートナーを持ったものだね、理晨君」
「そ、そのサイズの直径のダイヤモンドって、幾らくらいするんだろう……」
 目を細めて笑うブラックウッドと、思わず肩頬を引き攣らせる瑠意。
「まぁ……邪悪なセレブだからな」
 言って、まんざらでもないように理晨が笑った。
「さて、んじゃ行くか。最初は買い物だったか?」
 刀冴が言い、一行を促す。
 そう、リゲイルは今日、彼らと一緒に、楽しい一日を過ごすことになっているのだ。
「うん、あのね、ティーカップを割ってしまったから、新しいのを見に行きたいの」
 リゲイルは、パッと目を引く美形に囲まれて逆ハーレムなデートをすることより、大好きな人たちと一緒に出かけられるという事実の方が嬉しかったのだが――そして彼らの男前ぶりにときめくよりも、背の高さを羨ましく思う気持ちの方が強い――、道を行きすぎる人々の視線が、目立つ集団に注がれていたことも事実だ。
「ティーカップか……マイセンかな?」
「そうだね、リゲイル君ならば、雰囲気が合うのはボーンチャイナだろうねぇ」
 瑠意とブラックウッドが言い、まずは銀幕デパートへ向かうことになる。
「えへへ、楽しみっ」
 リゲイルはにこにこ笑って歩き出した。
 彼女の笑みを見て、どこか眩しげに笑った人たちが、さながら姫君を守るナイトの如くに、さり気なく、いつでもリゲイルを守れる位置について歩き出すのを――戦いに疎いリゲイル本人は、そのことには気づかなかったが――、ただ、単純に皆で過ごせるのが嬉しいと、自分はとても幸せだと、心底思う。



 2.自然体ランチ

 午後十二時。
 外は雨になっていた。
 じめじめとした湿気が周囲を包み込むが、一行の中には、そこにいるだけで自分の周りを快適に整えてしまう天人がいるので、身体中がじっとりしてくるあの嫌な感覚は味わわずに済んでいる。
「……えーと、ここがブラックウッドさんお勧めの……?」
 熱気と喧騒にあふれたデパートでは少々ぐったりしていた理月が、薔薇と小鳥の彫刻を施された扉の前で、片隅にひっそりと置かれた店名のプレートを見ている。
 小ぢんまりとした、しかし重厚な建物は、精緻に積み上げられた石垣によって守られ、同時にその存在を際立たせていた。
「『ミュール・アン・ピエール』……はは、そのまんまの名前だな」
 店名を読んで理晨がかすかに笑い、イェータが肩をすくめて同意する。
 世界を股にかける傭兵たちは、語学にも堪能であるらしい。
「これ、どういう意味なんだ?」
「石垣」
「ああ、なるほど」
 理晨の端的な応えに瑠意も笑った。
「さて、では行こうか。ここは、一日に一件しかお客を受けないレストランなのだよ。私はここがお気に入りでね、しばしば訪れるのだけれど……その分、スタッフも気心が知れているから、誰にも気兼ねする必要はない」
「わ、それ、嬉しいかも。行きつけじゃないってちょっと緊張するけど、親しい人たちだけ、って聞いたらなんだかホッとしちゃう」
「ああ、そうだね、隅々までサーヴィスも行き届いているから、きっとリラックスできるよ。――さあ、では、リゲイル君、どうぞ?」
 ごくごく自然な動作でリゲイルをエスコートし、ブラックウッドが扉をくぐる。
「……一日に一件とか聞かされたら、否応なく緊張するんだけど……」
 自然体の刀冴、慣れているのか普通の態度の瑠意と理晨、若干渋い顔のイェータが扉の向こう側に消えたあと、多分この中で一番小市民、な理月は、溜め息をつきながら中に踏み込んだ。
 薔薇をはじめとした季節の草花に彩られた美しい庭を進み、店へ入ると、
「いらっしゃいませ、ブラックウッド様。またのお越し、ありがとうございます」
 恭しい、しかし嫌味のない自然な態度のギャルソンが、流れるように優雅な動作で一礼し、一行を席へと誘(いざな)う。
「……言っとくが、マナーなんか知らねぇぞ」
 無造作な動きで席に着いたイェータが、投げやりな口調で言う。
「残念ながら俺もこういう場所での作法には疎いな」
 刀冴もまた肩をすくめた。
「あ、あの、俺も……」
 おずおずと主張しつつ、自分だけではないのだ、と正直ホッとしていた理月だが、ごく自然に寛いでいるリゲイルやブラックウッド、案外慣れているのか動じていない瑠意や理晨が、気にしなくていい、と言ってくれたので更にホッとした。
「基本は、こぼさず残さず綺麗に、ってことで問題ないと思うよ? 理月には理月の世界とか国の作法があるんだろうしさ」
「そうね、マナーって色々あるものね。中には、ほんの少し残すのが礼儀だ、っていう国もあるっていうし。でもね、わたし、思うんだけど、あんまり難しく考える必要なんてなくて、本当は、単純に、美味しいものを美味しく食べて、『頂きます』と『ご馳走様』がきちんと出来ればいいんじゃないかな!」
「ああ、リゲイル君のそれは至言だね。その姿勢が何よりも大事なのだろうと私も思う」
「そうだな。店の人たちだって、美味いって言って食ってもらうのが一番嬉しいんじゃねぇかと思うぜ?」
「へえ……そういうものなんだ。うん、判った……ちょっと楽になった、ありがとう」
 ただ楽しく食事をすればいいのだ、と笑うリゲイルもブラックウッドも、自然体で、まったく構えていない。どこにいても、ごはんを食べるうえで一番大事なことを知っている彼女らの姿に、理月はほんの少し安堵して、なんとか笑みを浮かべて見せた。
 やがて食前酒が、前菜が運ばれてくる。
 爽やかで甘い飲み口のキール・インペリアルに、あっさりとした風合いのエクルヴィスのテリーヌだ。
 恐る恐るナイフとフォークを手に取り――マイペースな刀冴など、はじめから箸を使っていたが――、綺麗な色合いのテリーヌにナイフを入れる理月を、リゲイルが微笑ましげに……年の離れた弟を見守るお姉さんのような眼差しで見ていた。
 テリーヌを一口食べて、素直にその美味しさに感心する。
 するとようやく周囲を見る余裕が出来て、自分の『兄』、すべてが同じではなくともほとんどが似通っているはずの彼が、それなりに様になった、優雅な手つきでナイフとフォークを操っていることに気づいた。
「……理晨、案外慣れてんだなぁ」
「ん? まぁな」
「それに、瑠意も」
「まぁね。俳優やってると、そういう機会も増えるからさ。スポンサーとこういうところで会食することもあるし」
「なるほど……理晨も、仕事関係で慣れたのか?」
「いや、そっちじゃねぇよ。まぁ、瑠意が言うようなスポンサー云々がまったくねぇとは言わねぇけどな」
「ってことは個人で食いに行ってるってことか」
「無茶言うなよ、俺の稼ぎは全部ホワイトドラゴンに行くんだぜ? そんなセレブな真似してられるかって」
「え、じゃあ……ああ、もしかしてヴァールハイト?」
「おう」
「ああ、確かに彼もすごいセレブだよね……ヘリとか武器弾薬とか、こともなげに揃えてくれたもんなぁ。ってか、あの人、本当に俺よりひとつしか年上じゃないんだろーか。ものすごい貫禄を感じるんだけど……」
「あの態度のでかさはきっと生まれつきだと思う」
「ああ、彼のあれは、生まれついての貴族のものだろうね」
「ブラックウッドさんが言うんなら本当なんだろうなぁ。じゃあ理晨、ヴァールハイトに連れて行ってもらって慣れたんだ?」
「連れて行ってもらったっつーかな。俺はそもそも高級ナントカには興味ねぇし、マナーなんか知るかって話だったんだが、付き合い始めて最初の、俺の誕生日だったかな、五ツ星がどうとかいうレストランに誘われたんだよな、祝うからって」
「へえ」
「で、そんな堅苦しい場所で、マナーがなってねぇとか笑われながら飯食うのは嫌だ、絶対行かねぇって断ったんだ、もう一刀両断に」
「付き合って初めての誕生祝いでそれ……理晨さんって、なんか、ヴァールハイトさんには結構酷だよね……」
「そうか? 普通だと思うけどな。いやまぁ、そしたらあいつ、そのレストランを一日貸し切りにしてな。全裸で飯食っても誰も何も言わねぇから来いって言われて、そんで渋々行ったんだよ。その辺りでちょっと慣れたっつーか、気負わなくていいって開き直ったっつーか」
「ヴァールハイトさんなら五つ星レストランを貸し切りくらいはまぁ当然だよねって思っておくとして、全裸でフレンチ……絵的に想像するとすっごい微妙なんですけどそれ」
「そうだね、スープがかかったら火傷してしまうねぇ」
「そうだな、こぼしても服を汚す心配はねぇけどな」
「でも、全裸でごはんなんて、肌寒いんじゃないかしら。強いお酒を飲まなきゃ凍えちゃわない? あ、今の季節なら大丈夫なのかな」
「ブラックウッドさん刀冴さん、多分気にするべきなのはそこじゃないと思いますよ。リガちゃんもね」
 声を抑えつつ、他愛ない――中には他愛なくないものも混じっていたが――会話を交わす間に、スープ、魚料理か肉料理、デザート、チーズ……の順番に、彩りよく美しい料理が、次々と、しかし早すぎず遅すぎもしない絶妙のタイミングで運ばれてくる。
 銀ちゃんとまゆらは、テーブルの隅に置かれた専用のお皿にちょっとずつ料理を入れてもらい、愛敬のある鼻をふこふこと動かしながら、和気藹々とランチを楽しんでいるようだ。
「あ、この魚美味しいな。……なんだろう、これ。説明聞いてなかった。理晨さん、読める?」
「ん? ル・フィレ・ド・ロット・グリレ・ア・ラ・ソージュ……ああ、アンコウの網焼き、セージ風味、だな。ふーん、アンコウって今は旬じゃねぇけど……」
「だが、時折、とぼけたアンコウがいて、季節外でも間違えてやってくるのだそうだよ。そういうアンコウは、小振りだがとても美味だと聞いた」
「なるほどー。刀冴さんは何を食べてるんですか?」
「言葉は知らねぇけど、リ・ド・ヴォーを網焼きにして香草のソースをかけたもんだと思う」
「……その匂いからしてバジルだな」
「そういうあんたのは、子羊のローストににんにくとタイムのソースだろ」
「イェータも刀冴さんもなんでそんなに詳しいんだ……いや、刀冴さんは判るけど」
「そりゃ理月、俺はホワイトドラゴンの母親だからさ」
「母親っ……」
「むさくるしい子どもが大半だがな、ま、子どもの体調を気遣ってやるのが母親だろ。そのためにも、色んな食材や色んな料理に敏感でねぇと困るわけだ」
「判るような判らねぇような……?」
「あ、リガちゃんのは野菜料理なんだね。ブラックウッドさん、別に頼んでおいてくれたんだ」
「うん、そうみたい。ルフ・ポシェ・エ・レ・ザスペルジュ・ヴェールト・オー・トリュフ……ええと、ポーチドエッグとグリーンアスパラガスのトリュフ添え、かな。とってもいいトリュフが使われてるみたいで、すごく鮮烈な香りなの。わたし、これまであんまりトリュフには興味がなかったんだけど、これは美味しいわ」
「そっか。リガちゃんが美味しく楽しく食べられてるんなら、まぁ、俺はそれだけでいいんだけどね」
「うふふ、ありがとう瑠意兄様」
 兄妹のような会話を交わす瑠意とリゲイルを、ワイングラスを手にしたブラックウッドが、父親めいた慈愛の表情で見つめているし、理月は、ブラックウッドの隣で、彼が優雅極まりない動作で濃厚かつ芳醇な赤ワインをゆったりと飲み干すのを見ていた。
「……ブラックウッドさん、昼間っからワイン……いやあんたたちには普通なんだっけ」
「そうだね、本当は『理月君のワイン』を頂きたかったのだけれど」
「い゛っ」
「……さすがにこの場では憚られそうだから、こちらにしておいたよ」
「よかった、ブラックウッドさんが(多少は)場所とか気にする人で本当によかった。全力で逃げなきゃいけねぇとこだった……!」
 理月が全身にどっと汗をかく間に、ゆったりと時間は流れ、テーブルにはデザートのラ・ムース・グラセ・ア・ラ・マント、ペパーミントのムースが運ばれた。ちなみに、嫌いではないが甘い物にそれほど執着のないブラックウッドとイェータはチーズをチョイスしている。
「へー、爽やかな風味だね」
「うん、舌触りが柔らかくて素敵ね、これ」
「……でももっといっぱい欲しいって思っちまうのは駄目なんだろうか……」
「いや、うん、俺もちょっともの足りねぇから心配すんな、理月」
「っつっても、どうせ茶の時間には別のカフェに行くんだろ? 今はこのくらいにしておいた方がいいんじゃねぇのか」
「あ、なるほど、それはその通りね、刀冴さん」
「だろ」
「……では次は、買い物の後、どこかでお茶、かな。素敵なカフェを紹介してくれるのは誰かね」
「カフェ『楽園』は?」
「リゲイルも好きみてぇだし、それもいいなって思ったんだけどな、残念ながら今日は混んでるみてぇで予約が取れなかったんだ。この人数で予約なしはキツいだろ」
「ああ、そっかー」
「確かに」
 理晨の言に、散々酷い目に遭っているくせに『楽園』のスイーツからは逃れられない瑠意と理月が残念そうな顔をする。
「んじゃ俺の気に入りのカフェでも紹介するか。ハーブティーとエッグタルトが絶品の店なんだ。もちろん他のものも美味いけどな」
 という刀冴の言葉に頷き、茶の時間までショッピングと相成るのだった。



 3.ティータイムとバックヤード

 午後五時。
 ショッピングに精を出しすぎて――リゲイルもだが、瑠意も、恋人に贈り物をしたいと言って、刀冴の呆れ顔を尻目に必死でプレゼントを選んでいたから――、少々遅めのティータイムとなった。
 彼らが異変に気づいたのは、七人が、刀冴の気に入りというカフェ『ジャルダン・ド・ソレイユ』に腰を落ち着けた辺りだった。
「……囲まれてるな」
 リゲイルと瑠意が、仲睦まじく、かつ夢中でスイーツを選んでいるのを見ながら、彼女には聞こえないような小声でイェータがつぶやき、同じことを気づいていた理晨、恐らくもっと前から察していただろうブラックウッドと刀冴がうなずく。
「刀冴さん」
「……判ってる。見てくるから、お前、瑠意と一緒にリゲイルを守れ」
「ん」
 刀冴の表情から事情を察した理月が、ほんの一瞬手練れの鋭さを覗かせて頷くと、四人は立ち上がった。
「……刀冴さん?」
 不思議そうな表情をするリゲイルに――瑠意は彼らの動きだけで状況を理解したらしく、表情を引き締めていた――、刀冴は朗らかな笑みを見せ、彼女の頭をくしゃりと掻き混ぜる。
「野暮用だ、ちょっと待っててくれ」
「うん……?」
「すぐ戻ってくるから、特製ブレンドのハーブティーと、エッグタルトを注文しといてもらえるか?」
「うん、判ったわ、頼んでおく」
「あ、じゃあ俺フォンダンショコラとチョコレートタルト、南国フルーツのパルフェとスパイスシフォンケーキのクリーム添えに、レモンとバジルのグラニテで。飲み物はアッサムティーのストレートをホットでよろしく」
「え、ちょっと待って、メモするから! ええと……?」
「よく食うな、理晨。いやまぁそんなお前も好きだけど。……俺はコーヒーを頼む」
「ならば理月君、私には君のお勧めをチョイスしておいてもらえるかな」
「ん、了解ー」
 猛者ぞろいの銀幕市民の中でも、特に戦い慣れした手練れ四人だ、理月も瑠意も、彼らを案じてはいたが不安に思ってはいないだろう。
「……さて」
 店員に断りを入れて外へ出ると、雨はやんでいた。
 ブラックウッドが柔和なのに鋭さの垣間見える笑みを浮かべてちらりと物陰を見遣る。
「斥候らしきものが数人、本隊らしき集団は後方に。包囲が始まったのは恐らく我々が三番目のデパートを出た辺りから。……この認識で間違いないかな」
「ああ、問題ねぇ。本隊も幾つかの小集団に分かれて、そう遠くねぇ位置で待機してる。総勢で五十ってとこか。全員が飛び道具で武装。全員が訓練されたプロだ。……こいつら、ムービースターのヴィランズ集団じゃねぇな。この辺りはひとけも少ねぇし……日が落ちた辺りに、一斉に襲撃されたらコトだろうな」
「ファンか、エキストラか?」
「いや、エキストラですらねぇんじゃねぇか。銃火器で武装してる訓練されたプロで、個人を狙って集団で統制の取れた動きをするような連中っつったら、この国の人間じゃねぇだろ、多分」
「ってことは、……狙いは……やっぱり、リゲイル、か」
「俺たちの中じゃ、一番狙われる確率は高そうだな。それに何の意味があるかはさておき、鉛弾ごときで俺やブラックウッドを狩ろうってんなら、あんな半端な人数じゃ来ねぇだろうし、あんたたち傭兵組の客でもなさそうだ」
「まぁ、俺たちを狙ったって何の得にもならねぇしなぁ」
「少なくとも、今は、俺たちに賞金をかけるようなお大尽はいねぇな。そんな情報もねぇし」
「昔はかけられていたような口ぶりだね、イェータ君」
「ん? ああ、十何年か前に、ちょっとな。裏切り者をブッ潰したら、そいつの身内に逆恨みされたってだけのことだが。まぁ、よくある話さ」
「なるほど、確かによくある話だ」
 くすり、と笑い、ブラックウッドが妖艶な流し目を周囲へ向けた。
「ともあれ、リゲイル嬢の危機とあらば放ってはおけないね。――思い知っていただくとしようか」
「はっ、そもそもヒトの身内に手を出して無事でいられると思う方がおかしいんだがな」
「ま、リゲイルには理月が世話になってるし、なによりあいつはフランキー戦の戦友だしな。見過ごせねぇだろ」
「同感だ。それに……こんな平和な国で、しかも女の子ひとりに対して、武力を行使しててめぇの我を通そうってやり方が気に食わねぇ」
「その通りだ。では……まず、情報収集を」
「収集っつか、強奪な。どうせあんたの場合はメシに直結するんだろ」
「ふふ、言わぬが花、ということにしておこうかな」
 特に気負うでもない様子で、他愛のない会話を交わした後、小さく頷き、ごくごく自然な動作で物陰へ消えていく四人。
 気配が掻き消え、周囲には静けさが落ちる。
 穏やかな午後のティータイムを楽しむに相応しい、とは言えない静けさだったが。
 ――と、建物の影で人影が動いた。
 動き易い、黒のスーツに身を包んだ男がふたり、この国のものではない言葉で何ごとかを囁き合い、頷き合っている。
「……なるほど。やはり君たちは、リゲイル君の“招かざる客”のようだ」
 その背後から、突然声は響いた。
「!!」
 ふたりの男が、驚愕とともに振り向き、振り向き様に懐から拳銃を引き抜き、背後の『誰か』を蜂の巣にする……よりも早く。
「遅ぇよ」
 鋭く飛んだナイフが二本、男たちの腕を貫き、彼らの手から拳銃を取り落とさせる。
 それと同時にブラックウッドが動き、片方の男を軽く昏倒させると、流れるように素早く滑らかな動きで、片方の男の首筋に食いついた。
「……、……!」
 驚愕に、恐怖に見開かれる目。
 それが不可解な悦楽に染まり、陶然と閉じられるのを、イェータはナイフを回収しながら見ていた。
「ふむ……なるほど、大まかに理解したよ、ありがとう。……では、君たちは帰り給え、『我が家』に」
 優雅で上品な手つきでブラックウッドが口元を拭うと、たった今ブラックウッドに食事された男と、昏倒させられた男とが、人形のようなぎこちない動きで頷き、ゆっくりと歩き出した。
「……どこに行くんだ、あいつら」
 ふらふらと歩き去っていく男たちを見送り、イェータは首を傾げる。
「だから、我が家だよ」
「だからどの……ああ、あんたの家、ってことか。でも、何でだ?」
「活きのいい人間の血は美味だからね。特に、うちには同胞がふたりいるもので、食料調達は私の大切な仕事なのだよ」
「あー……そりゃ、あいつらにゃご愁傷様っつーか」
 吸血鬼の食事風景を初めて見たイェータとしては、そう言うしか他にないのだったが、そんなイェータを見て、ブラックウッドが妖しく笑う。
「……私としては、君の血にも興味があるのだけれどねぇ」
「はァ? ――やめとけ、不味いから」
 魔性の美壮年、愛の伝道師の呼び声も高い――それほど銀幕ジャーナルに精通しているわけでもないイェータが、彼の『武勇伝』についてはかなり詳しく知っているくらいなのだから、相当だ――ブラックウッドの、守備範囲の広い申し出に、イェータはちょっと呆れながらそう言った。
「おや、どうしてだね」
 不思議そうなブラックウッドに向かい、肩をすくめる。
「俺は……ちょっと、普通じゃねぇんだ、造りが。だから多分、美食家のあんたを満足させるようなもんじゃねぇ」
「そうかね。……しかしそれは、試してみなくては判らないだろう? 心配しなくても、私の好みは幅広いよ」
「いやいや、心配とか幅広いとかそういう問題じゃねぇから」
「では、どういう問題なのかね?」
「あー……うん、いや、何かもうなんでもいいや。何言ってもかわされる気がしてきた。まぁ、味見くらいなら好きにしてくれていいが、後日ってことにしてくれ、今は取り込み中だ」
 この街は変なやつばっかりだ、と若干失礼なことを思いつつ、イェータがナイフの血を拭っていると、
「まぁ、思ったとおりだったな」
「うん、なんか……情けねぇっつーか、浅ましいっつーか」
 呆れた声とともに、刀冴と理晨がこちらへやってくる。
 刀冴は、ワイヤーで縛り上げられた男を軽々と担いでいた。
「……、! ……、……!!」
 猿轡を噛まされた男は、何とかしてワイヤーを振り解こうともがき、目を恐怖と驚愕の色に染めて何ごとかを喚いていたが、
「静かにしろ、リゲイルたちの茶の時間を邪魔したらどうすんだ」
 刀冴に軽く小突かれただけで――そうとしか見えなかったのに――、そのまま目を剥いて失神した。
「そっちもお疲れ、イィ、ブラックウッドさん」
「ああ、何、こちらとしても食料調達が出来て助かるよ」
「なるほど、一石二鳥ってやつだな」
「感心してる場合じゃねぇと思うぞ、理晨。……まぁいい、それで、どうだった? 予想通りってことは、リゲイル狙いだったのか」
 一行を包囲する武装集団に関して、イェータたちが銘々に立てた予想は、世界でも有数の大富豪であるリゲイルを誘拐し、彼女の持つ富を自分のものにしようと企んだ……というものだったが、それはどうやら正しかったようだ。
「みてぇだな。リゲイルは親しくしてる親類縁者も少ねぇし……口を塞いで、財産を全部横取りしたってバレやしねぇって思ったんだろ」
「ったく、腹立つよな、なんでリゲイルみてぇないい子を狙うんだ、どうせならジークでも襲っときゃいいのに」
「それで困るのはお前だろって以前に、あいつって私兵集団持ってなかったか?」
「持ってるぜ。一族に代々仕える……みてぇなやつら。実力的にはホワイトドラゴンと張れると思う」
「おやおや、それは少々面倒だろうねぇ。彼らも、もちろん、手軽な方を選ぶだろう」
「ま、実際には手軽じゃねぇんだけどな。この銀幕市で好き勝手出来るとは思わねぇこった」
 鼻を鳴らした刀冴が、気絶したままの男を小突く。それを、ブラックウッドが受け取り、暗示を施して、また『我が家』へと帰らせる。
「もうじき日が落ちる……奴ら、それを狙ってやがる。テメェらの欲望のためにゃ手段を選ばねぇような連中だ、下手すりゃあ周囲にも被害が出る。リゲイルも、そんなことになったら心を痛めるだろう」
「ふむ、では、彼女には知らせぬままで?」
「そうだ。別に、あいつにそれを受け止める度量がねぇなんて思ってるわけじゃねぇ。そういうんじゃなく、俺は、今日を、楽しい思い出ばっかりにしてやりてぇんだ」
「そうだねぇ。私も彼女には、我々の笑顔を覚えていて欲しいと思うよ」
 女神リオネから魔法の終焉が告げられて数日。
 残り時間のわずかとなったムービースターたちの言葉は、残る傭兵組の胸にも感慨をもたらした。
 理晨が頷き、腕を組む。
「……だな。荒事は俺たちでやりゃあいい。夕飯は……確か、商店街向こうの屋台村で、って話だったよな。あそこならいつも賑わってるし、スターも多い。さすがの連中も一気に突入ってわけにはいかねぇだろう」
「俺たちスターに関しちゃ、どんなものなのか完全には判らねぇにしても、情報収集くらいはしてるだろうしな、プロなら尚更油断はしねぇだろう。まぁ奴らが油断してようがしてまいが、掌握自体はそれほど難しいとは思ってねぇんだが。……ってことは、グループを小さく分けて、隙を狙って掻っ攫おうとする……だろうな」
「俺も理晨も夜陰に乗じるのは得意だ。つぅか、ブラックウッドも刀冴も得意そうだな。――リゲイルをガードしながら、あいつに近づくやつらを徹底的に排除する、で、いいな?」
「依存はないよ。……見目のいい子は持ち帰ってもいいかな? うちのものも喜ぶ」
「あー、そこは好きにしてくれ。少なくとも俺は止めねぇ」
「そういう君も後日、うちに来てくれるのだろう、イェータ君?」
「覚えてたか……まぁ、一回くらいならいいけどな」
 見れば、太陽が、じわじわと西の空へ近づいていく。
 じきに夜が来る。
 ブラックウッドが黄金の目を細めて太陽を見遣り、それから踵を返した。
「……ならば、戻ろうか。ひとまずはお茶にしよう、すぐに戻ると言ったのに、三十分も経ってしまったよ」
「だな。あいつらも気にしてるだろうしな」
「あっ、そういや俺パルフェとかグラニテ頼んだんだった! もう溶けちまったかなぁ……」
「あー、そういや。俺のコーヒーも冷めちまっただろうなぁ。まぁ、もう一回頼んだらいいじゃねぇか」
 油断はしていないが緊張もしていないまま、四人はカフェへと戻る。
「ナイトって自称するにゃあ、ちょっとスマートさが足りねぇが……姫君の笑顔を守る騎士、なァんて、カッコいいじゃねぇか」
 理晨の唇を彩る不敵な笑みは、暗闇に乗じて動き出そうとしている愚か者たちへの警告でもあったが、たとえそれを目にしていたとしても、欲に踊らされる彼らが、その警告に気づくことはなかっただろう。



 4.表と裏の温度差

 午後七時。
 空には星が瞬き、先ほど雨が降ったお陰もあって風は涼しい。
 日本各地、世界各地の料理が手軽に味わえる屋台が連なったこの界隈は、この辺りでも有数の人気スポットで、今日も観光客のみならず地元の人々でごった返している。
 あちこちから、食欲をそそるいい匂いが漂って来て、
「リガちゃんリガちゃん、次はどれにする?」
「えっ、どうしよう、すっごく悩む! さっきの、ポテトのチーズ焼きだっけ、あれすごく美味しかったよね……じゃあ、次は甘いものかしら」
「あ、それ判る。塩辛いものと甘いものって、交互に食べた方が美味しいよね。うーん、それじゃあ、クレープなんかどうかな?」
 瑠意は、思わず現在の状況を忘れそうになりつつ、リゲイルと手をつないで混雑する屋台を回っていた。
「クレープなら、さっきイェータさんが探しにいってくれた……あっ、ほら!」
 男たちは、食料調達と銘打って、代わる代わる姿を消しては、十数分すると美味しそうな料理や甘味を手に戻って来る、というのを繰り返していた。今も、真っ赤な苺が覗くクレープを手にしたイェータが、人ごみを器用に避けながらこちらへ戻ってくるところだ。
「でも……なんだか、変よね」
「え、何が?」
「うん、皆、計ったみたいに交互にいなくなってない? それに、なんだかそわそわしてるみたいな気がする。何かあったのかなぁ?」
「ああ……いや、多分、屋台が珍しいからだと思うよ? ブラックウッドさんと屋台なんて、珍し過ぎる取り合わせだと思わないか?」
「ふふ、そうね、珍しいかも」
 瑠意のフォローにくすっと笑ったあと、リゲイルは信頼を込めた目で瑠意を見上げ、前方のイェータを見遣る。
「……皆だったら、大丈夫よね」
「うん?」
「ううん、何でもない。ね、兄様、クレープの次は、あの、汁そばっていうのが食べてみたいな! すごくあっさりしてるのに、深い……っていうのかな、とにかくとってもいい匂いがするもの!」
「あ、いいね。黒胡椒を振ると美味いんだ、あれ」
「戻ったぜ、リゲイル、瑠意。ほら、これ」
「わ、ありがとうイェータさん。美味しそう……!」
「この辺りで一番美味い、って店で買ってきた。すげぇ混雑してて、いつまで経っても注文出来ねぇんじゃねぇかと思ったぜ」
「あはは、お疲れ様。でも、こういうとこはやっぱ、人が並んでなきゃ美味くない、ってくらいだから」
「あ、そういうものなの? じゃあ、あそこのたこ焼き屋さんとか、あっちの肉まん屋さんとか、あのお饅頭屋さんも、とっても美味しいってことね! 兄様、わたしも並んでみたい!」
「そうそう、あの汁そばも、だから美味いよ、絶対。じゃあ、初志貫徹ってことで、汁そば屋さんに並ぼうか、リガちゃん」
「うんっ」
 満面の、見るだけで元気をもらえるような、無邪気で明るい笑顔でリゲイルが頷き、瑠意の手を引いた。
「リゲイルは元気だな」
 かすかに笑ったイェータが、また踵を返した。
「イェータさん、どこに行くの?」
「ん? 咽喉が渇いたんでな、ビールでも探してくるわ。あっちにドイツブースがあったから、黒ビールでも飲むかな」
「あ、そうなんだ。いってらっしゃい!」
「ああ」
 ひらひらと手を振ったイェータが、瑠意の傍らを通り過ぎる。
 瑠意は、イェータ以外には聞こえないくらいの声で問うた。
「――首尾は?」
 返ったのは、自信に裏打ちされたかすかな笑み。
「上々さ。任務完了までもうそんなにかからねぇだろ」
「そっか……了解。気をつけてね」
「ああ。そっちも、リゲイルのこと、頼むぜ」
「もちろん」
 瑠意も不敵な笑みを覗かせて頷いた。
 瑠意がここに残ったのは、年長者たちにリゲイルのエスコートと警護を任されたためだ。少なくとも、彼らはそう言って瑠意にリゲイルを託した。しかし、瑠意自身は、言葉にはされずとも、彼らが、瑠意にも、世界のどこかに必ずある醜い部分を見せたくないと思ったからだということが判っていた。
(もっと頼って欲しいって思わなくもないけど……)
 この三年、修羅場を掻い潜ってきた瑠意だが、それでも彼は、平和な日本の、一般的な日本人に過ぎない。重い過去を持ち、腕も立つものの、魔法によるものではない戦争を知らず、裏切りを知らない。
 壮絶な戦いを経験してきた刀冴や、長い長い歴史を暗部から見つめてきたブラックウッド、惨い裏切りと悲痛な別れを経験しながら戦場を渡り歩いてきた理月のみならず、今も、人の命が小銭一枚より軽い国の片隅で、0.1秒の判断が生死を分ける戦いを続けている理晨やイェータのような、激しい経験とは無縁だ。
 否、瑠意がどう思っているにしても、彼らは、瑠意を『あちら側』には近づけたくないと、近づけまいと思っているのだ。そして、瑠意を、平和な日本人のままでいさせようとしている。
(多分俺は、そっちに行っちゃいけないんだ)
 それが彼らの願いだと判るから、瑠意は素直にここに残った。
 大事な妹と友人たちの楽しい時間を邪魔しようとする連中を自分の手でぶん殴ってやれないことは残念だし、楽をして大金を得ようとし、か弱い少女を武力でどうこうしようなどという安易で卑怯な連中には怒りが湧くばかりだが、自分にはリゲイルを守るという大事な責務がある。
 ――妹を守るという、二度と違えてはならぬ約束が。
「ね、兄様、汁そばには色々なトッピングが出来るんだって! わたし、バターときのこにしようかしら……瑠意兄様は、何にするの?」
 知らず知らず、リゲイルの白く華奢な手を握り締めた瑠意だったが、リゲイルは特に驚いた様子もなく、奇跡のように青く美しい双眸で彼を見上げ、無邪気に笑った。
 それだけで、瑠意は、幸せになる。
 そして、誓いを深めるのだ。
「うん、やっぱ黒胡椒かな。あと、七味と白髪ねぎと……」
 ――人ごみの向こうから、腕に美味しそうな点心を抱えた刀冴がやってくる。
「あっ、刀冴さん! こっちよ!」
 輝くように美しいリゲイルの笑顔を見て、刀冴が笑うのが見えた。
 そう、結局思いは同じなのだ。
 リゲイルを守りたい、リゲイルに幸せでいて欲しい、リゲイルの笑顔を愛している、という。
 だから、決定的な壁を突きつけられていても、瑠意は、彼らとの絆を疑いはしないし、自分だけが仲間はずれだ、と、腐ることもない。
 大切なことは、もっと別の位置にある、と、判っているから。



 5.向日葵お嬢の金色笑顔

 『兵隊』の最後のひとりが倒れたのは、『作戦』が開始されてから二時間ほどが経った辺りだったと思う。
「あの、ブラックウッドさん……」
「どうかしたかね、理月君」
「いやあの、どうかしたかねっていうか、何もかもがどうかしてるっていうか……」
 食糧も確保して、一仕事終えたイイ笑顔のブラックウッドに『仕事の後の一杯』とばかりに迫られ、壁際に追い詰められながら、理月が思わず逃げ場を探すのを、彼は実に楽しげに見つめていた。
「ほら、皆も待ってるし。リゲイルのことも心配だし」
「ああ、そうだねぇ。でも、リゲイル君の傍には、瑠意君と刀冴君がいるから、問題はないと思うよ? 彼女に危害を与えようというものの気配は、もうないしね」
「あ、そっかー……なら安心……って、今度は俺が危機なんですけど!」
「ふふ、なかなか巧いことを言うね、理月君」
「うん、巧いこと言う気はなかったんだけどな、正直!?」
 屋台村から少し離れた、薄汚れた路地裏。
 人通りのない、ごみごみしたそこに、迷彩柄の武装に身を包んだ、三十数人の男たちがだらしなく伸びている。
 もともとは五十人ほどいた集団から、見目のいい一部を抜き取って『貯蔵』したのは、自分と同胞との最後の晩餐用にというブラックウッドの意図によるものである。
 伸びている三十数人も、理晨とイェータによってワイヤーで縛り上げられた上、理晨が警察ではなく懇意にしている軍関係者と直接連絡を取っていたので、じきに回収されることになるだろう。
 ――どちらが幸せだったのかは、ブラックウッドには図りかねるが。
「あー、お前、【聖者の系譜】か。アメリカと喧嘩してるどっかの宗教組織の末端だっけ? まぁ、宗教組織って言いつつ、信仰の欠片もないクズの寄せ集めだ、って団長が言ってた気がするけど」
「なんだと貴様っモガッ」
「五月蝿ェ、理晨がしゃべってる途中だろうが? てめぇ、か弱い女の子を寄ってたかって襲おうとするようなクソの分際で理晨の話を遮ろうたァ、今すぐその舌切り取ってスモーク・タンにしてほしいってことか、あァん?」
 怒りに眉を跳ね上げたイェータが、ごつい造作の顔を憎悪に染めて何ごとかを罵ろうとした男、今回の襲撃未遂事件の首謀者と思しき彼の顔面を鷲掴みにし、薄暗い路地裏にあってなお凶悪な光を放つサバイバルナイフをちらつかせると、情けないことに男は黙った。
 武力をかさに着て、欲望の赴くままに弱者を虐げようとするものなど、その程度でしかないのかもしれない。
「Hello,Rob? Yah,I’m Rishin.So……」
 男を小突き回すイェータの傍らで、理晨が携帯電話で何ごとかを話している。
 漏れ聞こえてくる内容から察するに、この【聖者の系譜】なる組織とつながりのある人物を――つまり、この事件の黒幕であるかもしれない人物について、心当たりを尋ねているらしい。
「なあブラックウッドさん、理晨、何て言ってんの?」
「そうだね、私と理月君の結婚式には必ず出席すると言ってくれているようだよ」
「へー、そうなんだ、そりゃありがてぇな……って、なんか、何をどこからどう突っ込んだらいいのかサッパリ判んねぇえ……!?」
「とまぁ、冗談はさておき」
「冗談でよかったって言うべきなのか、もしくは残念がるべきなのか……」
「私はどちらでも構わないよ? ともあれ、リゲイル嬢を攫って財産を奪おうとしたこの者たちには黒幕がいた、ということだね。そうでなくては、この規模の組織が、武器を所持したままでこうもスムーズにここへ入り込むことは難しかっただろう」
「ああ、なるほど。それで理晨は、何を?」
「恐らく、電話の向こうの彼は軍上層部の人間なのだろうね。しかも、理晨君とは相当懇意にしていると見た。ここからは私の推測だけれど、理晨君は、黒幕の調査と徹底的なマークを彼に頼もうというのではないかな。黒幕の側も、自分たちが軍にマークされていることに気づけば、今後は動きを自重せざるを得ないだろう?」
「なるほどー。やっぱブラックウッドさんはすげぇな」
「はは、そんな風に言われると照れてしまうね」
「……この手を離してくれたらもっとすげぇんだけどな!」
 ブラックウッドにがっちりホールドされたままで理月が主張する。
 ブラックウッドは仕方ないねぇと言って彼を解放した。
「あー、びっくりした」
 小動物さながらの動きでぴゅうと逃げた理月が胸を撫で下ろしているのが可愛らしく、ブラックウッドが胸中に笑いを噛み殺していると、理晨が「Thank You,Sir」の言葉とともに通話を切った。
「まぁ……多分、これで何とかなるだろ。ただまぁ、今後のことも考えたら、団長にも話通して、リゲイルの身内の……ええとエクリプス社のCEOだったか? あの辺りとも話をしとくべきかもしれねぇな。つっても、俺たちが言うまでもなく、リゲイル自身も判ってるんだろうけどさ」
「……まぁ、それでも、俺らがこっちにいる限りは、守ってやれるしな。魔法が終わったって、あいつの時間はこれからも続いていくんだ、出来ることはやっておくに越したこたぁねぇ」
 理晨、イェータの言葉に、理月が頷いた。
「うん、そう思う。なあ理晨、イェータ」
「ああ、どうした」
「俺はもう少ししたら帰らなきゃいけねぇけど、リゲイルのことはいつだって大切だ。だから……リゲイルのことも、頼むな」
「…………ああ」
 残る少女のことを気遣う理月の目はどこまでも真っ直ぐだ。
 ここから去ることへの哀しみは、確かに時折、彼の星光のような銀眼をかすめるけれど、それよりも尚、残る人々への気遣いで満ちている。
 それだけ理月は、この街の人々に愛されてきたのだろう、それゆえに感謝や気遣いというかたちで心を返すことが出来るのだろう、と、ブラックウッドはそんな彼の成長を愛おしく思った。
「さあ、行こうぜ皆。リゲイルたちが待ってる。それに……俺、腹減ったし」
 邪気なく笑う理月の肩を抱き、理晨が頷く。
 ブラックウッドはイェータと視線を交わし、小さく頷いた。
 それから、四人そろって歩き出す。
「あっ、理月さん、皆! お帰りなさい!」
 まだまだ賑やかな屋台村の一角には、たくさんの美味しそうな料理を抱えたリゲイルがいて、満面の笑顔で彼らを迎えてくれた。
 その傍らには瑠意と刀冴がいて、瑠意は大きな串に刺さった唐揚げを齧っているし、刀冴は煙管を手にして煙をくゆらせている。
「ただいまリゲイル。ちょっと野暮用があってさ。遅くなってごめん」
「ううん、いいの。――あのね、これ、わたしが列に並んで買ったのよ。皆、お腹がすいただろうって思って。よかったら、食べて」
 たこ焼きや肉まん、饅頭、クレープやお好み焼き。
 簡素なパックに入った、しかしほかほかと美味しそうなそれらを差し出され、理月が嬉しそうに頷いた。
「実際腹減ってたんだ……ありがとう、リゲイル」
「ううん」
 リゲイルは首を横に振り、矢車菊のような鮮やかな青の目で、背の高い男たちをぐるりと一望し、ぺこり、と頭を下げた。
「理月さん、理晨さん、イェータさん、瑠意兄様、ブラックウッドさん、それに刀冴さん」
 ひとりひとりの顔を見つめながら名を呼んで、
「ありがとう……本当にありがとう。わたしのことを、いつも、守ってくれて。いつも、大切にしてくれて。本当にありがとう……皆のお陰で、わたし、いつも幸せよ」
 もう一度、ぺこりと頭を下げる。
 ――詳しい事情は知らずとも、薄々勘付いてはいたのだろう。
 何度も何度も感謝の言葉を口にし、大輪の向日葵のような、明るく溌剌とした笑みを見せるリゲイルに、男たちは皆、眩しげな顔をする。
「……いや」
 刀冴が穏やかに笑い、リゲイルの頭をくしゃりと掻き混ぜた。
「俺たちは、お前のその笑顔が大事で仕方ねぇんだよ。だから……お前がそうやって笑ってくれるなら、俺たちも、幸せなんだ。それを守れたんなら、悔いはねぇって思うんだよ」
 刀冴の、てらいのない言葉に、リゲイルがはにかんだように笑う。
「……うん、ありがとう」
 男たちは顔を見合わせ、笑みのかたちの視線を交わして、自分たちがリゲイルを見守っていること、いつでも彼女のその向日葵のような健やかさを愛しているのだと、だからこそ彼女の幸せを願うのだということを、リゲイルの頭を撫で、肩をそっと叩くことで示してみせる。
 それにもまたはにかんだように笑い、
「わたし……これから先も、きっと、ずっとありがとうって言ってると思うんだ。皆、本当にありがとう、って。――皆が、わたしを、強くしてくれたの。わたしにも出来ることがあるって、わたしにも守れるものがあるんだって、教えてくれたのよ」
 少女の目が、ほんの少し遠い空を見遣る。
「だから……ありがとう、って」
「……ああ」
 刀冴が、理月が頷き、ブラックウッドもまた、慈しみを込めてリゲイルを見つめた。
 心の傷を、哀しい、惨い別れを経て、他者からの善意を信じ、人を愛し、許し許されることを知り、傷の痛みを抱えたままでも、太陽を見上げて凜と立つ、凜と胸を張ることの出来る少女だからこそ、彼らは皆、リゲイルを愛しているのだ。
 ――そうだ。
 皆、もう、判っている。
 会えなくなることが本当の別れではないこと、本当の終わりではないことを。
「ずっと……お前のことを、見守ってる」
 魔法が消えたあとの真実がどこにあるのか、誰にも判らない。
 だが、同じく、今の誓いに、何の偽りもない。
 誓いを言葉にしてリゲイルに残す、そこに意味があるだけだ。
 ――だから、別れの哀しみよりも、出逢えた喜びに感謝する、それだけのことなのだ。
 花が枯れたあとにもその芳香が胸の奥に残るように、花火が消えたあとも目の奥に白い光が残るように、心が大切なものを抱いたままでいられるのなら、それはきっと、救いであり喜びであるのだろうと思っているだけのことなのだ。
 喪失の痛みと哀しみは近い。
 けれど、ここにいる誰もが、寂しさの中にも、晴れやかさを感じている。
 そんな、最後の日々の一端にある、ワンシーンだった。

クリエイターコメントオファー、どうもありがとうございました!
銀幕市での思い出を描くプラノベ群【Sol lucet omnibus】をお届けいたします。

夢が醒める少し前の、皆さんで寄ってたかってお嬢さんを甘やかそう、ということで、ちょっとした事件に絡めつつ、ほのぼののんびりと、それぞれに通う真摯な感謝と愛情を描かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。

皆さん、お世話になった方々ばかりですので、書いていて楽しかったですし、皆さんのお気持ちには胸をつかれるような、同時に記録者まで誇らしくなってしまうような、そんな心持ちになりました。

素敵なオファーをどうもありがとうございました。

皆さんの、それぞれが愛しいから守りたいのだという思い、すべての壁を越えた愛情を、皆さんのお心に添って描けていれば幸いです。


それでは、オファー、どうもありがとうございました。
またいつか、きっと、どこかで。
公開日時2009-07-29(水) 18:30
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