|
|
|
|
<ノベル>
1.いきなり発生、傍迷惑ムービーハザード。
三月の中旬、まだ誰もリオネが“大人リオネ”になることどころか、終末の日や最後の選択、最後の決戦などという重苦しい事件が起きることすら知らない、日差しがあれば温かいが翳れば肌寒い、そんな初春の朝だった。
「あっ」
「よう」
「ぽよんすー!」
いつものように仔狸の太助(たすけ)を頭に乗っけて、いつものように『兄』である月下部理晨(かすかべ・りしん)と連れ立ち、いつものように杵間山中腹に座す古民家へと向かっていた理月(あかつき)は、別の道から歩いてきた刀冴(とうご)を見つけて目を輝かせ、大きく手を振った。
「おう、お前らか。ずいぶん早いじゃねぇか」
そう言って朗らかに笑う刀冴も、まだ午前十時を少し回ったばかりのはずなのに、腕に大きな……というカテゴリで括っていいのかも判らないサイズの紙袋を抱えている。
「刀冴さんだって早ぇよ。どっか行ってたのか?」
「ん、ああ、中華鍋をな、新調したんだ。朝早くから開いてる雑貨屋を知ってるもんでな。大人数用の料理も一気に作れるようなでっかいやつと、あとは、同じとこで、乾し海老とかナッツとか、細々した食材を買い込んで来た」
「へえ……すげぇな、どんな料理が出来んのか、楽しみだ。なあ太助」
「そうだな、とーごの作るごはん、うまいもんな」
「あ、刀冴さん、『楽園』でフルーツタルト買って来たから、皆で食おうぜ」
兄貴分の料理に散々お世話になっている理月は、今日の昼飯と夕飯何かな、三時のおやつはぜんざいで夕飯のあとのデザートはフルーツタルトと刀冴さんの作ったベリームースがいいな、おやつまで恵森といっぱい遊ばねぇと……などと、ごくごく自然に丸一日古民家に滞在すること前提で呟き、杵間山の、古民家のあるであろう中腹を見上げた。すでにほとんど古民家の子である。
そのとき、来栖香介(くるす・きょうすけ)は、最近居場所を把握するようになってきたマネージャーを避け、仕事をサボってぶらぶらしていたのだが、気の向くままに歩いていたら、杵間山の麓辺りでシャノン・ヴォルムスと行き逢った。
「おや、くるたんじゃないか。また仕事をサボタージュしているのか? あまり萩堂を困らせてやるなよ?」
どこかへ出かける途中なのか、いつものスーツ姿よりラフな、黒いシャツにスラックスという出で立ちで、手に綺麗な布で包まれた箱のようなものを持ったシャノンに、ナチュラル極まりない調子で禁句を呼ばれ、香介はお約束の如く瞬間沸騰する。
「くるたんじゃねぇッ!」
本人の思いも寄らぬ場所で、思いもかけぬ人々に広がっていく、まったくもって嬉しくない渾名。どこで何を間違ったのか、たまに遠い目をしたり頭を抱えたくなったりするが、多分無駄だろうとも思うのでひたすら突っ込むしかない。いや、突っ込んでも無駄なのだが。
「まぁいい、怒っても無駄だ、怒っても。あんたは何か用事なのか? 仕事が趣味、のあんたがこんな時間にこんなところにいるなんて、珍しいな」
「俺もたまには息抜きをしたくなるということだ。従業員がゆっくりして来いと弁当を持たせてくれたのでな、どこか景色のいいところでのんびりしようと思っている」
ということは、シャノンが持っている包みの中身は重箱か何かなのだろう。
厚みからして、どう見ても二段重ねのそれは、ひとり分にしては大き過ぎる気もするが、女性と見紛う美貌の、すらりとした細身のこの男は、外見からは想像もつかないほどよく食うので、多分問題はないはずだ。
「なるほど、そりゃ悪くねーな。……お」
「どうした? ああ、見慣れた顔ばかりだな」
シャノンの背後、少し先に、見知った顔を見つけて声を上げると、振り向いたシャノンが同意した。
「おーい、シャノン、くるた……じゃなくて来栖!」
通りの向こう側で、太助を頭に乗せた理月が手を振っている。
大きな荷物を抱えた刀冴もいるし、理月とそっくりな理晨の姿もある。
よく見かける光景だ、と思いながら、香介は肩をすくめた。
ユージン・ウォンは、ちょっとした届け物のために黒木邸を訪れたあと、ブラックウッドと連れ立って古民家へと向かう途中だった。
黒木邸へはヴィンテージものの血のようなフルボディのワインを届け、古民家の主には煙草の葉を届けるつもりだった。
古民家へは、ひとりで行くつもりだったのだが、ブラックウッドの使い魔つっちーが、恐らく来ているであろう太助や理月と遊びたい、と主張したので、今日は特に用事がないらしい主人ともども出かけることになった。
黒木邸の主人はというと、金髪のメイド嬢がこしらえたという、ほかほかの大きなミートパイを土産に持参している。
「そうか、刀冴君に……?」
「ああ。見事な煙管を持っているのを見たのでな。だが、聞けば、気に入った葉がなかなか見つからないとか。……余計な世話と思ったが、偶然、いい葉が手に入ったのだ。彼の趣味に合うかどうかは判らんがな」
「そうか、喜んでもらえるといいねぇ」
「ああ」
かすかに頷き、懐の小さな紙包みを確かめるユージン。
シビアでシリアスな世界から実体化した、厳しく冷酷な性質を持つユージンだが、日常的な意味で言えば、彼はとても面倒見がいいし、近しいものに対しては親切だ。
特に刀冴は、ユージンの恋人である少女とも親しいし、ユージン自身、背中合わせで戦うことに躊躇がない程度には彼を信頼している。世界観こそ違えど、強くやさしい優れた武人だと思っている。
ユージンと少女の仲を心から祝福し、ふたりの幸いを願ってくれる、彼らの在り方を愛してくれる友人にちょっとした贈り物をするくらいのことは、ユージンにとって何の負担でもないし、また、彼はそれを必要なことだと思ってもいるのだ。
「……それに」
「どうかしたかね、ウォン君」
「……ああ、いや、何でもない……」
古民家が慣れた場所だというのもあるが、そこに太助や使い魔などが集まって楽しく過ごす様を見ていると心が和む。
わざわざ口にする必要も感じず、首を横に振ったユージンだったが、ドシリアスでハードな世界から実体化した武侠は、自分ではそこまで実感しておらずとも、実は『ちいさいものクラブ』のファンなのだった。
「さて、では……おや」
古民家へ続く山道へ向かおうとしていたブラックウッドが足を止め、黄金の目を細めて道の向こう側を見遣る。ごしゅじんさまの肩に乗った使い魔が、親しい人たちの姿によろこびのダンスを踊っていた。
老吸血鬼に倣ったユージンは、そこに見知った顔を見つけ、唇の端に、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。
柏木(かしわぎ)ミイラは、本日のアルバイトに向かうべく、大きなクーラーボックスを抱えて杵間山の麓を通りかかった時、B5サイズの封筒を手にした青年と、ゴシック&ロリータのワンピースを身にまとったふたりの美しい娘がこちらへ歩いてくるのを見つけた。
「おっ、『グランドクロス』のウィズ様に『薔薇よ密やかに』のリーリウム様とイーリス様じゃねっすか」
ホラーないしスプラッタ映画出身のムービースターを見ると笑顔で駆け寄りサインと握手と記念撮影を求め出演作の感想を際限なく語り始めるという悪癖を持つ、ホラー映画オタクのミイラだが、同時に、バッキーを授かるくらいには普通の映画好きでもあるので、他ジャンルであってもメジャーな映画ならば大抵は知っている。
「よっ、はよっすー」
基本的に馴れ馴れしいミイラが、自分が知っている映画出身のムービースター=知り合い感覚、で挨拶をしたのは当然だったが、何やらミイラには判らないようなディープな会話で盛り上がっていたらしい三人も、片手を掲げてのミイラの挨拶に、親しげな笑みで応えてくれた。
「おはよーさん。ずいぶん春めいてきたよな」
「おはようございます。本当、今日もいいお天気ね」
「ええ、気持ちがいいわ。こんな日は原稿日和ね、ウィズさん」
「そうだねー、締め切りも近いし、頑張らないと」
「ゲンコービヨリってなんすか」
聞いたことのない単語に、初対面なのに思わず尋ねてしまったミイラだったが、三人がそれに答えるよりも早く、
「あっ、おーい、ウィズにミイラ、それにリーリウムたちまで!」
通りの向こう側から、聞き覚えのある声が自分たちを呼んだので、そちらへ振り向くのを優先する。
「あー、理月様に理晨様。お久しぶりすな」
衣装以外まったく同じ、そしてふたりとも三十路を超えているとは到底思えない驚異の童顔をした男たちが、同じような仕草で手を振っている。
彼らとは去年の秋祭りに、自分が出店していたアイスクリームワゴンで知り合い、そこそこ親しく話をしただけの仲だが、話の中で共感する部分があったことや、出身映画を知っているのもあって、ミイラ的には『わりと親しい』という感覚を持っているので、ミイラも勢いよく手を振った。
他にも、同じくアイスクリームワゴンの客だった刀冴や、向こうはミイラを知らないだろうがミイラは知っている、メジャー映画出身のムービースターや、スター疑惑のある青年もいる。
「……なんかすげー人口密度じゃねっすか、あそこ」
「うん、何か濃いよな」
「大丈夫、ウィズ様も充分に濃いよ!」
「あー、うん、褒め言葉として受け取っとくわ」
若干微妙な顔をしたウィズがそんなことを言うのを、ミイラは、あ、そういやバイトなんだった、などと思いつつ、仔狸を頭に乗っけた理月が笑顔で駆け寄って来るのを見ながら聞いていたのだった。
ルークレイル・ブラックは、象のメアリの散歩に来ていてベルゼブルと出会い、他愛ない話をしながら連れ立って歩いていた。
単に歩くだけでは面白くないので、酒を大量に持って来ていたルークレイルは、景色のいいところでベルゼブルと飲もう、と思ったのもあって、たまにはいつもと違うルートに行くか、と杵間山の方に来ていた。
しかし、船での仕事もあるし、すぐに帰るつもりでいたのに、麓に近づくと何故かメアリが俄然ハッスルしはじめ、杵間山登頂に挑む勢いで進むため、彼女を引き止めようとしつつ引きずられると言う間抜けな格好で、古民家の主人を初めとした集団と邂逅したのだった。
「うわ、飼い象って初めて見た」
素朴な声を上げたのは、クーラーボックスを持った少年で、
「あれ、ルークじゃん。何してんだ?」
ルークレイルに気づいたのは、陸の親友である理晨だった。
妙に人口密度の高いその通りには、同じ海賊団の団員であるウィズや、レヴィアタン戦の戦友たちの他、天敵にしてトラウマでもある神聖生物、リーリウムとイーリスの姿もあり、ルークレイルは一瞬固まる。
「あっこら、メアリ! どこに行くんだ!」
ルークレイルが固まった隙に綱を振り解き、メアリが杵間山内部へと続く山道へずんずん進んでいく。
「なんなんだ、何でそんなに元気なんだ、今日は」
息切れがして追いかけられず、その場で呼吸を整えながら呆れていると、
「なんか……『くだもの、くだもの♪』って言ってんぞ、あいつ。なあ、つっちー」
「ぷぎゅ(たのしそうなのですー)」
理月の頭の上に乗った仔狸と、ブラックウッドの使い魔が、そんなことを教えてくれた。
「……果物? 杵間山に生っているということか?」
なんと自然豊かな山かと感心していたルークレイルだったが、
「っつか、もしかして刀冴さんとこの果樹園?」
ぽん、と手を打って理月が言ったので、心底納得するしかなかった。
以前中華街で一緒に戦ったことのある刀冴の、ロハス極まりない生活のことは、理晨や理月を通して聞いている。
それに気づき、引き寄せられるように向かっているメアリの気持ちは判らないでもない。何せ、あまり豊かではない海賊団の台所事情では、メアリの大好きな果物をたらふく食べさせてやる、などということは不可能なのだ。
しかし、それはすなわち、食欲旺盛な象によって、刀冴の果樹園が食い荒らされる、もしくは食い尽くされる可能性を示唆しており、
「す、すまん、すぐに連れ戻す――……」
人様に迷惑をかけるわけには、と、ルークレイルがメアリを追って走り出そうとした瞬間、いきなり、地面が消えた。
「……!?」
否、地面が消えたというよりは、何かに飲み込まれたような感覚だった。
周囲が真っ暗になり、奇妙な浮遊感に包まれる。
一瞬肝を冷やしたルークレイルの耳を、
「ハザード、か……」
誰かの、冷静極まりない声が打つ。
銀幕市の怖いところというか醍醐味というか、何でもありだなここ、などと呆れつつ、メアリのことも案じつつ、ひとまず成り行きに任せるしかない、と、浮遊感に身を任せるルークレイルだった。
2.ワールドワイド・メイズへようこそ!
降り立った先は、別世界でした。
銀幕市ではわりと日常茶飯事かもしれないが。
とまあそれはさておき、ひとまず本日のお品揃えだ野郎ども。
ボケでありツッコミだがどちらにもなりきれない、半端にもほどがある“オーディエンス”、理月。
(「半端にもほどがあるって人聞き悪ッ!?」「いやでもお前の場合は事実だろヘタレ。否定してやれる要素がこれっぽっちもねぇぞ」「刀冴さんいつもながら容赦ねぇッ!?」)
突っ込めば突っ込むほど深みにはまる不幸なツッコミ、来栖香介……じゃなくてくるたん。
(「だからくるたんじゃねーって言ってんだろしかも紹介し方が逆だ潰すぞ!?」「何? くるたんはくるたんではないのか? それ以外に何と呼べと……」「あーもういいからあんたは黙ってろこの天然蜂!」「……?」)
ボケも行けます、ツッコミも行けます。もちろんノリツッコミだってノリノリでこなしちゃうぜ、マルチな活躍が期待される柏木ミイラ。
(「いやー、お褒めに預かり光栄ですよボクは」「えっ喜んじまっていいんだ」「普通に嬉しそうだな、ミイラ」「え、だって理月様理晨様、そこは喜んどくべきでしょう」「……そういうもんか……?」「まぁまぁ理晨様。チョコレートアイスあるよ?」「食う」)
ほのかに天然の風味がするものの、理不尽な出来事には突っ込まずにはいられない、苦手なタイプには振り回されざるを得ない苦労人属性のツッコミ、シャニ……シャノン・ヴォルムス。
(「……何か違った名前を耳にしたような気がするが、気の所為だということにしておこう。それがいい」「うふふ、そういえば最近シャニィちゃんと会えていないわね」「本当ね、わたし、とってもお会いしたいわ」「……遠慮させてくれ……」)
ボケの中の本命、養殖物なんか目じゃない天然物の中の天然物。天然記念物まで行っちゃっていいかもしれない、仕事も殺しもドシリアスで超一流だが普段は超天然、ユージン・ウォン。
(「……そうだな、やはり養殖物は天然物には敵わないようだ。懇意にしている料理人たちも、そう言っている」「だよなぁ、色やハリからして違うもんな」「そうだねぇ、自然が与えてくれる素材のよさというものは、なかなか、人の手で再現することは難しいのかもしれないね」「やべぇぞつっちー、ここボケしかいねぇ……」「ぷぎゅ?」)
ボケ? ツッコミ? 違うね、オレは職人なんだ……需要があれば供給するからお金稼がせてね? シチュエーションに応じて柔軟に対応、マルチプレイヤー、ウィズ。
(「まぁ妥当な線かな」「……俺としては、『自分の色恋が絡むと超弩級のヘタレ』、という文言を入れて欲しかったがな」「はっはっは、イラナイ子の分際で何意味不明なこと言ってんのかなこのルンルンちゃんは?」「ルンルンちゃん言うな!?」)
セレブで優雅な腹黒確信犯、全部判っていてやっておられます、どこまでもボケ倒し相手を翻弄しまくる魔性の美壮年、愛の伝道師ブラックウッドと、純真無垢なる使い魔つっちー。
(「おやおや、これはご丁寧に。そう言われると、張り切って本領発揮をしなくてはならない気がしてくるねぇ」「ぷぎゅーむ!」「いやあのブラックウッドさん、あんまり頑張らなくていいと思うな、俺は。っていうかその妖艶な流し目やめてくださいお願いします」)
実はボケ、本当はボケなのに、周囲があまりにもあまりなので突っ込まざるを得ない苦労人ならぬ苦労仔狸、太助。
(「はっはっは、つっこまざるをえないってのが気になるけど、まぁそこはさておき、魔性のおなかを持つ狸とは俺のことだぜ! 撫でたかったら撫でてもいいぞ?」「撫でる撫でる! 毛が擦り切れるくらい撫でる!」「毛がすりきれるのは禁止だあかっち!」「えー」「……(密かにもふもふしたいらしい蜂氏)」)
不名誉な二ツ名がどんどん増えていく。突っ込んでも突っ込んでも猛攻に飲み込まれそうなカレー職人、台所の下僕、ルンルンちゃんことルークレイル・ブラック。
(「だからルンルンちゃんじゃねぇって言ってるだ……ろ……(森の娘たちの視線に気づいて青褪め)」「そういえば……今日は、理子さんも理佳さんも揃っておられるのよね」「あら、うふふ」「うん、俺や理月のことはいいからルンルンちゃんをよろしく頼むわ」「ちょっ、何ナチュラルに人のこと売ってんだこの理佳お姉様め!?」「はっはっは、頑張れールンルンちゃんー」「ああもう、お前は黙れウィズ!」)
容赦なく傍迷惑でも気にしない、気づかない、我が道に他人まで巻き込んで翻弄する最強のマイペース、刀冴。
(「そりゃまぁ、自分のペースでやるのが一番だしな」「……刀冴さんはちょっとマイペース過ぎると思う……」「何か言ったか、理月?」「いやあのなんでもないですすっげー謝るんで指をパキパキ鳴らすのやめてください超怖いですすんません」)
顔も性格も同じなら、残念ながら立場も理月と一緒。まったくもって使えない半端な“オーディエンス”、月下部理晨。
(「ぅおい!? 残念ながらって言うなよ!?」「……否定はしてやれないな。すまん理晨」「ちょ、そこ、心底申し訳なさそうな顔すんなルーク! かえって凹む!」「……(ちょっと不思議そうに理月と交互に見比べている蜂氏)」)
知ってます、本当は全部知ってます。でも絶対に突っ込みません、ボケ倒します。地獄の大公にして愉快犯、ベルゼブル。
(「面白い取り合わせになったな。色物大集合というか」「そういうあんたも充分過ぎるほど色物だと思う」「……くるたんもなかなか言うようになったじゃないか」「くるたんじゃねぇ!? っつかどこで覚えてきたそれ!?」)
言わずと知れた“歩くトラウマ製造機”のオプションズ。男たちを恐怖のどん底に突き落とすことならお任せ、綺麗な顔してカオスの申し子、森の娘の筆頭リーリウムに次席のイーリス。
(「今日は色々な意味で素敵な人たちと出会えてとってもラッキーだったわね、わたしたち」「本当ね。今から腕が鳴るわ」「……(思わず青褪めて黙り込む、被害者の面々)」)
統計。
オーディエンス:マルチ:ボケ(確信犯愉快犯含む):ツッコミの比率、2:2:6:4。
「……そうか、専門職は四人か。……先が思いやられるとは思わないか……」
「誰に向かって何を言ってんだ、あんたは」
「……いや、気にしないでくれ、そんな気になっただけだ」
すでに若干疲れたようなアンニュイな溜め息をつくルークレイルに、首を傾げた香介が尋ねるが、ルークレイルはフッとニヒルな笑みを浮かべて首を横に振った。
その笑みに、お前も同類なんだから頑張れよ、という視線が込められていたような気がするが、あまり認めたくなかったので無視する。
それから、面白そうに周囲を観察しているベルゼブルを見遣り、
「……あんたも来たんだな。なんであんなとこに?」
少々含みのある声で問うと、ベルゼブルはかすかに笑って香介を見た。
冷ややかなアイスブルーでありながら、古の海のように不可解な深さを有したそれに見つめられ、香介は挑むように彼を見据えた。
「ナイトメアのことなら、別に気にしてもらう必要はないぞ」
「……そんなんじゃねぇ」
「俺は、俺が楽しそうだからお前を助けた、それだけだ」
「別に、そういうのじゃ」
舌打ちし、視線を逸らす。
あの時、消えてもいいと思ったのは事実だが、助けられたことは忘れていない、それだけだ。他に何を言いたかったのか、それで何をしたかったのかも正直判らないが、忘れていないことを伝えたかったのかもしれない、と、他人事のように思う。
「とりあえず……」
益体もない思考から意識を切り替えて、香介は、一変した風景をぐるりと見渡しながら溜め息をついた。
「なんか、どっかのハザードに巻き込まれたみてーだな」
香介が言うとおり、総勢十四名(+使い魔がいっぴき+バッキー三匹)の一行は、陽光と自然にあふれる美しい場所に来ていた。
様々なハザードにまみれた銀幕市内ではそれほど珍しくないかもしれないが、美しく瑞々しい森とどこまでも続く野原で構成された、気持ちがよくなるくらい鮮やかな緑に満ちた場所なのだが、辺りを見渡す彼らの傍らに、『スタート地点』という看板が立っているのは何故だろうか。
「あー……何かここ、見たことあるような……」
額に手を当てて理晨が考え込む。
「ボクぁこれからバイトだったんだけど」
背中に粗塩と書かれた白いバッキーを肩にしがみつかせ――というかシャツに歯を立てて齧り付いているような気がするのは気の所為か――、柏木ミイラという胡散臭い名前の少年が爽やかに笑った。
「バイトをサボるいい口実が出来たっすな」
「バイトって、アイスクリームの?」
と、理月がミイラのクーラーボックスを見る。
「そうっすよ」
「へえ、やっぱ作ったんだよな……前のあれも美味かったな。でも、まだちょっと寒くねぇ?」
「暑かろーが寒かろーがアイスは美味いっすよ。ボクには」
「いや、うん、俺にも美味いけどさ。……あとでその中身、売ってもらっていいか?」
「いいっすよ。っつかここ出られるまでに溶けたら切ないんで、買ってもらうまでもなく食わすつもりでした。今回も色々な味を準備してあるよ! ホンオフェ味は残念ながらまだ実現出来てねぇすけどな!」
「げ、まだ挑戦中だったのかよ」
「やだなぁ理晨様、ボクが諦めるわけねぇじゃないすか。完成したらお裾分けするんでお楽しみに!」
「だから前も言ったけど要らねぇって!」
秋祭りのアイスクリームワゴン再び、な会話を交わす三人。
理月の頭に乗った太助と、太助の頭に乗った使い魔は、きらきらした目でクーラーボックスを見ていた。
そんな、和み系小動物の可愛らしい仕草にほんの少し目を細めた後、
「……それで」
突然妙な場所に巻き込まれたからか、どこか不機嫌さの滲む無表情でウォンが周囲を見渡す。
「このクソハザードは、どうすれば抜けられる?」
「なんだウォン、忙しいのかよ?」
「……少なくとも、わけの判らぬ場所で、意味のないダンスを踊らされることを許容できるほど暇ではない」
「ああ、なるほど」
刀冴が肩をすくめ、空を見上げた。
それから、しばし沈黙する。
「なあ」
ややあって視線を下げ、一同を見渡した刀冴は、
「なんか……精霊がスタンプ集めろっつってんだが、何のことだ?」
そう言って首を傾げた。
自然に愛される天人の血を引く彼は、どうやらこの世界の精霊たちと話をしていたらしい。
「……刀冴、あんた、前からそんなこと出来たか……?」
香介は首を傾げる。
初対面のころの刀冴は、確かに尖った耳という純粋な人間ではない外見だったし、身体能力こそ高かったが、魔法も使わないし、そこそこ普通の『人間』だったように思うのだが。
「ん? ああ、まあ……色々あったからな。実際には、出来ねぇ、関係ねぇって思ってたのを、まぁいいかって受け入れたってだけなんだが」
と、肩をすくめてから、
「で、スタンプがなんなんだろうな?」
刀冴が首を傾げる。
アイスクリームを小動物三匹(中に黒柴の片割れ一匹を含む)に味見させてやっていたミイラも首を傾げた。
「スタンプって……やっぱ、10個集めたらなんかいいことあるんすかね? ……福引一回出来るとか、好きな景品を一個もらえるとか?」
「こんな自然がいっぱいの綺麗な世界でそれだったら何かいやだなぁ」
「ああ、ロマンも何もないな」
思わずこぼす理月と、深々と頷くシャノン。
シャノンはそのあと、目を細めて緑を見遣った。
「ここは気持ちがいい。もっと景色がいいところで弁当を食えば、きっと素晴らしく美味いだろうな。……丁度いい」
「シャノンの旦那、弁当持参? しまった、こんなことならオレも何か持って来ればよかった……」
抜け出すまでどれくらいかかるのか判らないが、恐らく一時間や二時間では済まなさそうな規模のハザードに、腹が減りそうだなぁとウィズがぼやくと、ルークレイルが後生大事に持って来ていた袋を掲げてみせた。
「酒ならあるぞ」
「わールークレイルさんったらこんな昼間っから飲んだくれちゃってこの酒乱! 眼鏡! ヘタレ!」
「眼鏡もヘタレも関係ないぞそこのちびっこ!?」
ウィズの理不尽な言いがかりに目を剥くルークレイル。
「っつかこんな自然がいっぱいの場所だったら食材も色々ありそうだし、刀冴さんに何か作ってもらえばいいんじゃねぇ? 鍋も持ったまんまだし」
「ん? ああ、いいぞ? 他にも色々あるしな」
ぽんと手を打った理月がいい、刀冴が頷いた時、
「あっ、思い出した、『ワールドワイド・メイズ』だ!」
理晨が大きな声を上げた。
「ワールドワイド・メイズ? 映画すか?」
「うん、すっっっげーマイナーなコメディ映画。迷宮みてぇな変な世界に紛れ込んだ主人公がもとの世界に帰るため奮闘する……みてぇな話だったかな。知り合いが出演してたんで観たことあるんだけど……多分、それだと思う。あー思い出してスッキリしたー」
「どんな内容だ。ここから出るための手段は?」
ウォンが、静かだが鋭い眼差しで理晨を見つめ、問うと、彼は常人ならば怯み萎縮するだろうその視線を何でもないように受け止め、肩をすくめた。
「スタンプを集めるんだ」
「……何?」
「刀冴も言ったけど、えーとな、ここの世界は幾つかのエリアに分かれてるんだ。そこのひとつひとつにスタンプがあるから、それを集めてからラスボスを斃せば出られるんだ、確か。観てもう十年経つもんで、あんまり詳しくは覚えてねぇんだけど」
「……」
「あと、確か各エリアにはスタンプ集めを邪魔する敵がいるんだよな。でも、この辺記憶が曖昧で、どんなんだったかとか覚えてねぇんだー」
説明する理晨をウォンが静かな目で見ている。
表情の少ない、理知的な、他者に感情を読み取らせぬ彼の眼差しだったが、今ばかりはこう語っていた。
――正直面倒臭い、と。
「ふむ……敵と言うのは、あれのことかな」
その時、それまで黙って周囲を観察していたブラックウッドがはじめて声を発し、野原の向こうを指差した。
どどどどどど。
それと同時に、唐突に地面が揺れ、野太い雄叫びが周囲に響き渡る。
香介はブラックウッドの指し示すままにそちらを見遣り、
「うわ、暑苦し……」
げっそりと呟いた。
何十人もの集団で、こちらへと爆走してくるのは、真っ赤な甲冑に身を包み、手には何故かプラスティック製のハンマー(何かを叩くとピコッという間抜けな音がするアレ)を持った、視覚的暴力と言って過言ではないほど筋骨逞しい男たちだった。
「よくぞ来やがったなアアアァ! ここが貴様らのリラックスエリアだ、どうぞゆっくりして行きやがってくださいませゴルアアアアァアァ!!」
『おおおおおおおおおおお!!』
頭をそり上げ、つるりと光る頭の天辺に『天誅』とか『一撃必殺』とかいう男らし過ぎるペイントを入れた男たちが、半ば唖然とする一行の前に整列すると、プラスティックハンマーを振り上げて鬨の声らしきものを上げた。
「……言ってることはわりと歓迎ムードなんすけどなぁ」
「というか奴らの武器がたとえあのハンマーだとしても、あの腕で殴られた時点で普通の人間は死ぬ気がする」
しみじみと言うミイラ、呆れ顔のシャノン。
しかし、殺気というほどでもないが、闘志らしきものを漲らせている複数の筋骨逞しい男たちを前にすれば、緊張する必要はなくとも油断はできない。といっても、この顔ぶれで戦闘に関して心配するようなことは何もなさそうでもあるが。
「ふむ……ひとつ尋ねてもいいかね」
まったく平素と変わらないままのブラックウッドが、鷹揚に手を挙げ、男たちの中でも一際体格のいい、ひとりだけ黒い甲冑をまとった男に声をかけた。
「なんだテメェ絶景ポイントでも紹介させようってのか!? 幾らでもお尋ねくださいどうぞだゴルアアアアアアァ!!」
「何だ実は親切なんじゃねぇか。って……普通に返事出来ねぇのかなーあれ」
「やー、あれはあれで面白いからいいんじゃないの? とりあえず、記念とネタ用にビデオ撮っておこう」
「あらウィズさん、新しいデジタルビデオカメラね?」
「へへー、そうなんだ、最新のやつをね。お宝映像をネットで(有料で)流したいし、ネタ作りもしたいしさー」
「わたしたちもブログにアップしたいから、素敵な映像があったらいただいてもいいかしら」
「うん、もちろん」
別の会話で静かに盛り上がっているバックヤードのことはさておき、何故か返事まですべて雄叫びという男たちに、ブラックウッドが淡々とこの世界の成り立ちや約束事を尋ねている。
どうやら、理晨が言っていたことは正しかったようで、この世界から出る、つまりこの迷宮をクリアするには、各エリアに赴き、スタンプを集めなくてはならないようだった。
「冥土の土産にくれてやるぜ、どうぞお納めくださいだこの野郎がアアアアァアァァ!」
「だから普通に……」
「突っ込むだけむだだと思うぞ、あかっち」
黒い甲冑の男が、スタンプシートらしきものを投げて寄越すと、おやこれはどうも、と、まったく、何ひとつ動じない優雅な手つきでブラックウッドがそれを拾い上げ、太助の頭の上に――それ即ち理月の頭のうえでもある――陣取っている使い魔に渡した。
「ぷぎゅ! ぷぎゅ!(すかんく! すかんく!)」
「つっちー、それを言うならスタンプだ!」
思わず突っ込んだ太助が、また男たちが雄叫びを上げたので理月の頭から転げ落ちそうになる。
「ッシャアアアアアァア、準備は整ったようだなアアアアア! お楽しみの時間はこれからだ、うっとりするくらい楽しんで行きやがってくださいコンチクショオオオオオオオオ!!」
「歓迎されてんのか何なのかもう意味が判んねぇ……」
理月が、太助と使い魔を抱き取りながらぼそっとこぼす。
だが、彼の目もまた鋭い光を有していた。
何故ならば、男たちの闘志、戦意が、先ほどの倍以上に膨れ上がったからだ。
男たちの全身に、力が漲るのが判り、
「……来る、か」
香介もまたにやりと笑った。
「行くぞッ、覚悟しやがってくださいませエエエエェェアアアアアァア!!」
「だから普通……」
オーディエンス理月の弱々しい突っ込みはともあれ、次の瞬間には、ざっと数えて四十名ほどの男たちが、ハンマーを振り上げて一斉に突進して来る。
「はははッ、来いよ……!」
香介は込み上げる喜悦を隠しもしないまま笑い、野太い気合い声とともにハンマーを振り上げた男の懐に飛び込んで、その腹を思い切り蹴りつけた。
ごついブーツで固められた香介の蹴撃は、洒落にならない重さを有しており、一般人ならばその場で倒れ伏し嘔吐していてもおかしくない。
の、だが。
「ああんっ」
「え」
香介のブーツの底が硬い肉を打ち据えた瞬間漏れ出た野太い悲鳴、否、喘ぎ声に香介の動きが止まる。
何か今、妙な声が出なかっただろうか。……耳の錯覚か?
と、思いきや、
「も……もっと……」
「……?」
観れば男は目元を赤らめ、頬を紅潮させてこちらへにじり寄ってくるではないか!
「もっとぶってくれ、もっと激しくッ!!」
「はァ!?」
迫る男に、香介は反射的に蹴りを食らわせた。
「いやあん、激しいッ!」
途端に上がる、野太い、悦びの声。
「なんだそれ気持ち悪ィ!?」
「えっなにそれキモい」
すぐそばでは、カバーを外した改造扇風機で甲冑男をボコったらしいミイラが、香介と同じ反応にあったらしく、ものすごい素の表情で今の香介とまったく同じ心情を吐露している。
「あーそういえば」
襲い掛かってきた男の背後に回りこみ、首に腕を回して力を込め、あっさりと落としながら理晨が遠い目をする。泡を吹いて気絶したその男も至福の表情だった。
「ここの敵……全員ドMって設定だったんだっけ……」
「どういう話だ、それは」
額を押さえて突っ込みを入れながら、シャノンが、雄叫びとともに飛び掛ってきた男を殴り飛ばす。
「ああん女王様最高――ッ!」
細身だが身体能力には申し分のないシャノンだ、男は色々と間違った悦びの声とともに吹っ飛び、地面に叩きつけられた。
「俺は女王様ではない、が」
冷酷だがひどく美しい、誰もが虜になりそうな笑みを浮かべ、起き上がろうともがく男の腹を踏みつけて、取るに足りない虫を見る目で彼を見下ろすシャノン。
「俺はシャノン・ヴォルムス。――虫けらの如き下衆な貴様に、苦痛という名の躾を与えてやるということに関しては、やぶさかではない」
流れるように流麗に、しかし冷酷に告げると、男の頬に赤みがさした。
――正直視覚的に嬉しくない。
「さあ、呼ぶがいい、貴様の主人の名を」
わりとノリノリっぽいシャノンを、男が仔犬のような(※仔犬っつっても多分マスティフとかブルドッグですがね。いやブルドッグの仔犬も可愛いけど)眼差しで見上げた。
「ああッ、素敵、シャノン様……ッ!」
シャノンのブーツに踏みつけられたまま、語尾にハートマークが乱舞していそうな声で、男がシャノンを呼ぶ。
何がどうなってんだ、と、自分の足にすがり付こうとする筋肉男を蹴飛ばしながら、香介はちょっと顔を引き攣らせた。
もちろん、あちこちでそんなシーンが展開中。
3.賑やかなランチ
戦いは(ある意味)熾烈を極めた。
森と平原エリアでの戦いに勝利を収めた一行が、黒甲冑の男からスタンプを強奪し、至福の表情をした彼の指し示すままに大きな門をくぐると、次に広がっていたのは四季エリアだった。
前へ進むごとに季節が変わるという、なかなかに楽しく美しい区画である。
が、やはり、襲ってくるのは筋骨逞しいドM男たちなのだった。
「……駄目だ、やる気が出ん。あとは任せた」
「右に同じ。ごめん俺暑いのホント駄目なんだわ……」
現在、彼らは太陽がギラギラと照りつける夏エリアにいた。
気候を適当に整えてしまう刀冴の傍にいるものはともかく、立っているだけで眩暈がし、滝の如き汗が背中を滑り落ちる猛暑で、このまま小一時間もここで過ごしたら、間違いなく熱射病か日射病になるだろう。
結果、手っ取り早くやっつけて先に進もう、ということになるのだが、暑さが苦手な所為であっさり戦意喪失したシャノンと理月が、早々に戦線離脱して日陰へ避難し、危ないから、と太助と使い魔が理月に連れて行かれると、戦闘エリアはまったく潤いのない暑苦しい空間になる。
ちなみに、外見だけは美しい乙女の姿をした森の娘たちは、すでに銀幕市の殿方にとっての潤いではないので割愛してある。
「はははッ!」
ツッコミ気質の香介や理晨、ルークレイルなどは、男たちの反応のあまりのアレぶりにかなり引いていて、とにかく痛めつけないように(でないと野太い喘ぎ声を聞かされるから)、早々に気絶させるような戦い方をしていたが、反対に、ビデオカメラを片時も放さないウィズなどは超ノリノリだった。
彼は、ドMな男たちの姿を見ている間にスイッチが入ってしまい、言葉責めと足蹴コンボのスーパードSと化していたのだ。
「なあ……言えよ、コレがいいんだ、ってさ?」
殴り倒した男を踏みつけながらカメラで撮影し、
「ホラ……こんな風に撮影なんかされちゃって、みっともないよなぁ? でも、そんな自分にも悦んじゃってるんだろ? なあ、こうして踏まれるのが堪らないんだよな? はははッ、このド変態が……!」
更に言葉でも嬲る、というプレイで攻め立てているウィズを(もちろん彼の足元からは野太い悦びの声が上がっている)、ルークレイルがドン引きというのが相応しい表情で観ている。
「う、ウィズ……お前……」
「ん? いやあ、次の新刊(男性向き)のネタなんだよねー」
あっさりとのたまうウィズを、やはり得体の知れない生き物を見るような目で見ているルークレイル。
「……ふむ」
ウォンはというと、世界のなり立ちや約束事を大まかに理解して、妙な世界に巻き込まれて不機嫌ながらも、ひとまずここから出るためにスタンプ集めに励むことにしたのだったが、素晴らしい反応を見せるドM男たちに興味を引かれ、今も殴り倒した数名を思案顔で見下ろしていた。
「も、もっと……ウォンの兄貴、もっと激しく……!」
殺すほどのことでもない、と銃は使わずにいるウォンだが、中国武術を会得している彼の、素手による攻撃は、それだけで充分すぎるほど痛いし、ダメージも大きい。……の、だが、もちろん男たちは大層悦んでいる。
「そんなに激しくしてほしいというのか」
わずかに首を傾げてウォンが問うと、頬を上気させ目を潤ませた暑苦しい姿で男たちが頷き、彼を見上げた。
「俺、あんたになら……駄目だ、恥ずかしくてここから先は言えねぇっ」
「……そうか」
常識人ならその場で回れ右をして一直線にダッシュすること請け合いの場面で、ウォンはどこか生真面目に頷いた。
そして、懐から手帳を取り出すと、流麗な文字で、サラサラと銀幕市内にある某高級クラブの住所と名前とを書き、それを倒れたままの男たちに向かって弾いた。
「なら、ここに来い……貴様ら蛆虫の望みを叶えてやろう」
冷ややかなウォンの物言いに、また、男たちのごつい造作の顔が喜色に輝く。
中には悦びのあまり失神したものさえあった。
「なんだウォン、新しい仕事でも紹介してやったのか?」
男の首筋に指を滑らせ、血管を圧迫してあっさりと失神させた刀冴が、不思議そうにウォンの手元を見遣る。
「……いや、何でもない」
「?」
地球とはまったく異なる世界から実体化した刀冴に説明しても判らないだろう、という理由で言葉を濁したウォンだが、彼が男たちに教えた住所は、表向きはウォンが経営する高級クラブ、実際にはSMショーなどを執り行ういかがわしい店のものなのだ。
ウォンは、彼らを、そこの目玉であるSMショーのM男役にしようとしているのだった。
――ちなみにその仕事、ドMで有名な半吸血鬼の、ルが頭につく青年ですら首を縦に振らなかったものであるということを付け足しておく。
「やー、なんか、段々楽しくなって来たっすな」
爽やかな笑顔で額の汗を拭いながらミイラが言い、最後のM男を殴り倒して目を回させたところでこのエリアでの戦闘は終了となった。
どうやら秋区画と冬区画はボーナスステージのようなものであるらしく、倒れた男のひとりがスタンプを差し出しながら事切れて……もとい気絶しているのを拾い上げ、スタンプシートに押せば、いつでも次のエリアへと向かえるようになる。
「……しかし、そろそろ腹減ってきたな」
今回屁の役にも立っていなかった理月が、頭に使い魔を乗せた太助を自分の頭に乗せて戻って来て、物陰に避難させておいた自分の荷物を回収している刀冴を見遣った。
「なぁ刀冴さん、昼飯ー」
「あ? ……まぁ、そうだな、そろそろそんな時間か。秋エリアにゃあ色んな食材が収穫出来るサーヴィスエリアもあるって話だ、そっちで飯にするか」
身体の感覚で言えば今は十二時くらいだろうか。
昼食の時間としては適当だし、運動したあとという状況から見ても申し分ない。
秋エリアまでは多少距離があったのだが、最近どうにも人外臭くなってきている刀冴が軽く覚醒領域を展開し(※収束させたあと唇に血が滲んでいたが、当人的には『普通』らしい)、魔法で翼を持つ天馬を数頭召喚してくれたので、二三名ずつ分乗して一気に夏エリアを抜ける。
「おお、すごいっすな」
「すげぇけど節操はねぇな。……あー、でもあったあった、こんなシーン」
秋エリアは見事な収穫の時期だった。
一面に広がる畑には様々な野菜が実り、赤や黄色に色づいた木々には瑞々しい果物がたわわにぶら下がっている。
そこまでは普通なのだが、
「……うわーすげー、さかなの木に肉の木、たまごの木、パンの木……あ、あれは和食の木に中華の木、ふらんす料理の木か……色々あるんだなぁ。……あっちにはすいーつの木があるぞ、つっちー」
「ぷぎゅー?(おいしそうなのですー、とるのいいですかー?)」
葉の落ちた枝に、何故か新鮮な動物性タンパク質や炭水化物がぶら下がっていたり、ほかほかと湯気を上げる料理がぶら下がっていたりするという(何故皿や入れ物もなしに料理だけがぶら下がっていられるのかは不明である)、奇妙な木が何本もあるのだ。なるほど確かにサーヴィスエリアである。バイキングエリアと言ってもいいかもしれない。
「いやまぁ便利でいいんじゃねぇか?」
食材満載のエリアに来たからか、妙に上機嫌な刀冴が、食材や料理の木が並び立つ区画の傍らに、小石を積み上げて小さな竈を作りながら言う。
彼の作った竈のすぐ傍には、二十人くらいが一気に座れそうなウッドテーブルとウッドチェアがあり、鼻歌交じりに料理を始める刀冴を横目に見ながら、一行はそこを拠点に食事の準備を始める。
「うわー……なんか、すげー」
呆れた声を上げるのは香介だ。
彼は理月と理晨の傭兵兄弟とともに、料理を入れられそうな皿を、もしくはそれに準ずる葉っぱなどがあれば……と探していたのだが、
「まずこれが木に生る意味が判んねー」
大きかったり小さかったりする木製の皿が、背の高い木に実っているのを観て思わず突っ込んでいた。
「こっちにはカトラリーの木があるぜ。これ、土に埋めたら同じ木が生えんのかなぁ」
皿の木から皿を収穫する香介の傍では、理晨が箸やフォークやナイフやスプーンを収穫しており、更にその向こう側では、
「グラスの木発見! って、これ、木なのにガラスの実をつけるんだなぁ……」
理月が心底不思議そうに、コップやワイングラスなどを収穫している。木に実ったものの中には、クリスタルガラスのウィスキーグラスや、徳利と盃のセットまであった。
「ルークレイル、グラス持ってきたぜー」
グラスを抱えた理月が拠点へ戻ると、ラム酒にビールにワイン、焼酎にウィスキーにブランデー、ウォッカに老酒……という様々な種類の酒瓶をテーブルに並べてご満悦のルークレイルが知的に整った顔をほころばせた。
「ああ、すまないな。理月も自由に飲んでいいぞ」
「あ、うん、ありがとう。……いっぱい持ってきたんだなぁ」
「好きだからな。しかし、これであとは、ちょっと大き目の氷があれば言うことなしなんだがな。気泡の少ない、緻密な氷で飲む酒と言うのは、また格別なんだ」
「氷か……刀冴さんかベルゼブルさんに言って作ってもらうとか?」
と、理月が、素晴らしく充実した笑顔で豚バラ肉とカシューナッツの炒め物を作っている刀冴を見遣りながら言うと、
「氷ならここにある」
両手一杯分もの、美しく透き通った氷の塊を抱えてウォンが戻って来た。
死体なのもあって食にはほとんど興味のないウォンだが、面倒見のよい彼は、何か手伝ってやるべきだろうと思い、他に必要とされそうなものを探しに行っていたのである。
「え、それも『氷の木』みたいなのに生ってたとか?」
「いや、向こうに氷で出来た山があって、『ご自由にお取りください』と書いた看板が立っていた」
「あ、そこから砕いて持ってきたんだ。ええと……まさか素手、じゃねぇよな?」
「……素手だが」
「あー」
それ以外に何がある、といわんばかりのウォンの表情に、そういえばこの人も天然だった、と理月が遠い目をした。
その頃には刀冴の料理も一段落し、太助と使い魔が収穫してきた料理とともに、ウッドテーブルの上を飾り始めている。
「んだよシャノン、あんたの弁当肉ばっかりじゃねーか」
「……何か問題が?」
「肉ばっか食ってると馬鹿になるって誰か言ってたぞ」
「寡聞にして知らんな。……いや待てくるたん、見ろ」
「くるたんじゃねぇっつーの。で、なんだって?」
「ちゃんとトマトが入っている。肉ばかりではない」
「……」
シャノンは香介に呆れられながら従業員の少年が作ってくれた重箱を広げ、皆と共有すべくテーブルの真ん中に置いているし、
「おお、美味そうっすな、ブラックウッド様」
「そうだろう? うちのメイドがね、皆に食べてもらおうと焼いたのだよ」
「……メイドさんがいるんすかブラックウッド様んち」
「そうだね、三人雇っているよ」
「メイドさんが三人……メイドさんが……。……やっぱセレブは違いますな」
優雅な手つきでミートパイを切り分けるブラックウッドの傍らでは、何かしらのカルチャーショックを受けたらしいミイラがメイドメイドと呟きながら空を見上げている。
昼食が始まったのはそこから十分後だった。
ワインの川から二十年物のフルボディを汲み上げてきたブラックウッドが、優雅にワイングラスの実を傾ける中、健康な成人男子の面々は、テーブルを埋め尽くす料理の数々に舌鼓を打った。
「刀冴さんこの豚肉とカシューナッツの炒め物超美味い……!」
「ん、ああ、豚肉と野菜を素揚げしてあるんだ。それをタレと炒めたカシューナッツとあわせて、葛粉でとろみをつけてある」
「しかし……百戦錬磨の常勝将軍とは思えぬ手際だな、面白いものだ」
「ベルゼブルさんそれ超今更だと思う」
「あっこらラジオ、その肉はボクが狙ってた……っ痛たたたたたっ! 判った判った、判りました取りません! 取りませんから人の肉を食い千切ろうとしないでください!」
「はは、あんたんとこのバッキー、おもしれーな」
「ん? まぁ香介様のとこのルシフ様に比べたら普通な気もするけど、実際色々面白……痛痛痛痛痛痛! 千切れる千切れる、耳が千切れるって!」
「すげー、強暴だなミイラのバッキー。ラジオって言うのか? ……でも背中に粗塩って書いてねぇか?」
「本名粗塩。ニックネームがラジオっすよ」
「変わった名前だなぁ」
「そういう理晨様のバッキーはどうなんすか」
「俺んとこのか? カナンって言うんだ。理想郷って意味なんだぜ」
「へえ、いい名前すな」
「まぁ、実際理想郷でもなんでもねぇけどな……って痛ェ!? 蹴るなよ!」
「……バッキーと言うのは凶暴なものばかりなのか」
「ちがうぜウォンー。ここのさんびきはとくべつなんだと思うなー俺。るしふとかばっきーじゃねぇって言われてるくらいだし。なあつっちー」
「ぷぎゅぎゅー!」
「……言っとくがバッキーだからな」
「ええっ、そうだったのか、しらなかったぜー」
「すっげー嘘くさいぞ、太助……って、シャノン、あんたやっぱり肉ばっかりなんだな……」
「お前は小姑か、くるたんのくせに」
「くるたんじゃねーし、そもそもなんだその『癖に』ってぇのは!」
「ウォン、食ってるか? ……飯を食う気になれねぇんなら、酒とつまみだけでもどうだ?」
「ああ……いや、そうだな、ありがとう。――……ああ、そうだ、刀冴」
「ん?」
「今日は、これを渡しに行こうと思っていたのだ。いつもよくしてくれている礼だ……よければ、使ってくれ」
「ああ、なるほど。はは、そんな気を遣わねぇでくれ、俺にだってあいつは大事なんだから……って言いてぇとこだが、……へえ、煙管用の煙草か、いい匂いだ。あとで一服させてもらうわ、ありがとな」
「おい理晨、飲んでるか。もっと注ごうか」
「いや、その酒キツイから勘弁してくれ……寝る。お前よくそんな勢いで飲めるよな……酒代がかさんで仕方ねぇんじゃねぇか?」
「そうか? いや、酒代云々に関してはさておき、このくらいのペースは普通だぞ?」
「いや絶対に普通じゃねぇって」
「そうそう、リーリウムにイーリス。次のイベント、どうする? お宅らはなんか出すの?」
「ええ、一応、グッズの方で参加しようと思っているのだけれど」
「ウィズさんのところの新刊、楽しみにしているわね」
「もちろん、楽しみにしておいてよ」
「理月君、ワインをもう一杯どうだい? 君は、理晨君とは違って、それほど弱くはないのだろう?」
「ああうん、ありがとう、でもいいや。理晨ほど弱くはねぇけど、ザルみてぇな人たちほど強くもねぇしさ」
「そうか……なら、少し、向こうの陰の方に行ってみないかね?」
「え?」
「いや、折角だから、『君のワイン』でも、と」
「すみません全力で逃げてもいいですか」
「えっ何なに、萌えシーンのお話ですかブラックウッドの旦那。よい子にして邪魔しませんから撮影しててもいいですか」
「おやおや、それは気恥ずかしいね」
総勢十四人+つっちー+バッキーが三匹という大所帯が、めいめいに賑やかな会話を交わしながらの食事である。
料理も酒もあっという間に皆の胃袋へすっ飛んでいき、あっという間に皿の実の上は空っぽになった。
「いやぁ、よく食ったっすな。美味かった」
「うん、美味かった。だからミイラ、アイスクリーム」
「……理月様のその『だから』の意味が判らんのですが、まぁいいや。何味にします?」
「えーと、塩タン味? 秋祭りで味見させてもらったの、美味かったし」
「あー、残念、塩タン味は今日は持って来てねーんすわ。……塩カルビ味ならあるんすが」
「じゃあそれで」
「それでいいんだ、あかっち……。あっ、俺はさくらんぼのしゃーべっとでよろしく!」
「はいはい。つっちー様はどうすんの?」
「ぷっぎゅーむ(ぼくちょこみんとがいいのです)!」
ミイラが今日の売り物になるはずだったアイスクリームがたっぷり詰まったクーラーボックスを開けると、甘いものが大好きな面々が彼の周囲に群がる。
「おお、すげぇ人気者っすな今のボク」
「ミイラ、じゃあ俺はチョコレート味で。二段とか三段だったら尚嬉しい」
「あーはいはい存じ上げておりますですよ」
ミイラは、笑いながら、慣れた手つきでコーンにアイスクリームを盛り、次々に手渡していく。
甘い物に興味のない人々は、ルークレイルが持ち込んだ酒や、紅茶やコーヒーの池から汲んで来たお茶などをいただきつつ、スイーツ好きの面々が至福の表情でアイスクリームを頬張るのを、微笑ましげに見つめている。
特に、ちいさいものクラブの太助と使い魔がアイスクリームを喜んできゃっきゃしている姿を、ウォンなどは戦闘時の彼からは想像もつかないような穏やかな眼差しで見守っていた。
そんな、ほのぼのとした時間を存分に楽しんだあと、一行はようやく出発と相成るのだった。
4.太助姫とツッコミ不可のナイト
迷宮突破の旅はそこそこ順調だった。
ドMな甲冑男たちをしばき倒すたびに喘ぎ声や嬌声を聞かされるのさえなければ、スタンプ集めも順調だし、何よりこの世界は美しい。
初めのエリアで甲冑男が教えてくれた絶景ポイントを楽しみながら、旅は続けられた。
――もちろん、順調と言いつつアクシデントは起きた。
浮島を延々と移動する海エリアでは、海賊たちがとてつもなく元気になり、特に財宝に目がないルークレイルがどこかから宝の地図を見つけてきて、制止する暇もなくそちらへ向かい――そして何となく一行も引きずられてそちらへついて行ってしまい――、問答無用でトラップにはまったし(しかも財宝は手に入れられないというお約束つき)、空中を泳ぐ鯨やイルカに乗って移動する空エリアでは、香介がその凄まじい歌声で持ってイルカや鯨を手なずけてしまったり、可愛いイルカに乗ってはしゃいでいた理月の背後に忍び寄ったブラックウッドが彼の首筋に息を吹きかけ、びっくりし過ぎた理月がイルカから転がり落ちてあわや大惨事になりかけたりもした。
焔があちこちから噴き上がる火の山のエリアでは、熱気のあまりシャノンや理月がまたしてもやる気をなくすのを尻目に、刀冴がその火で三時のおやつ用のクッキーを焼き始め、ルークレイルと理晨、太助と使い魔は近くに湧いていた温泉に浸かってご満悦だったし、ウィズと森の娘たちはその様子をこっそり撮影しては盛り上がっていた。
花が咲き乱れ、可愛い動物たちがじゃれあっている野の花エリアでは、子狐や仔ウサギ、仔鹿たちに混じって太助と使い魔がおおはしゃぎし、理月に鼻血を堪えさせたり、ウォンの目をやさしくしたりした。
いろいろあったが、概ね順調な迷宮の旅だった。
ちなみに上記のエリアでも、襲ってくるのはすべて、いかついドM男たちであるが、その頃には、ツッコミ面子の間にも何となく「まぁそんなこともあるよね」的な諦観が流れていた。
――そして今、彼らは、ラスボスに至る最終ステージへとやってきていた。
当然、スタンプシートの空欄は、残りひとつになっている。
ここは、説明によると試練のエリア、であるらしい。
ごつごつとした岩場に囲まれた、天然の闘技場のような広場のある区画だった。
「く、くそ……」
その片隅でぎりぎりと歯を噛み締めるのは、悲壮な顔をした理月だ。
「ククク、フフフフフフ、フハハハハハハハハハハハハハッゴフッゴフッゲフウ!」
「……そこで咽(むせ)ちゃ駄目だろ」
「しかし見事な悪役笑いだな」
香介がぼそりと突っ込み、シャノンがいっそ感心するように、悲壮な表情の理月とは裏腹に、他面子は割と冷静だ。
そもそも、男たちの武器がプラスティックハンマーという時点で命の危険がないハザードだと言うのはなんとなく判るが、今回のこれは輪をかけて暢気だった。最終ステージなのに。
「ちょおおおおおー、はなせー、いいからはなせー! っていうか変なもん着せんなー!!」
割と必死な表情でじたばたと暴れる太助の首根っこをつかんでぶら下げながら、広場に連なる高台の上で、高らかな笑い声を響かせるのは、今まで目にしてきた男たちの中で一番体格がよく、一番派手な甲冑を身にまとった男だった。しかし、よくよく見ると、それは甲冑ではなく、素肌の上に絵の具か何かで甲冑を描いているだけなのだ。男自身は、実はパンツ一丁の半裸なのだった。
それだけでも十分突っ込みどころ満載なのだが、
「くそッ、卑怯だぞ……太助を、太助姫を返せ……ッ!」
「俺は姫じゃねえええええええええええ!?」
若干錯乱気味の理月が言い、太助が必死で否定するように、ちょっとした隙に掻っ攫われてしまった太助は、太助自身が気づかぬ間に、ピンク色のフリルで覆い尽された、フリフリでふわふわでキャッキャウフフなドレスを着せられていたのだった。ジャストフィットしすぎて驚愕が込み上げるほどピッタリなドレスだった。
「さあ……俺に挑もうという奴はどいつだ。一対一で俺と戦って勝てれば、ボスと戦うために必要な最後のスタンプを渡してやろう」
「そんなもんより、太助を返せ!」
「いやその気持ちはありがてぇけどそんなもんって言っちゃだめだろあかっち!?」
狸質自身から、そんな至極もっともなツッコミが返り、まったりと傍観している他面子がうんうんと頷く。
ウォンはいつでも男を殺れる状態ではあったものの、男に殺意がないことが判っていたし、ドレス姿の太助も可愛らしい、と和んでいたので沈黙を保った。ウィズは面白シーンの撮影に余念がない。
ブラックウッドは、理月君は本当に太助君が好きなのだね、と優雅に笑っていたし、理晨は若干呆れつつも頑張れよーと応援している。
これを休憩時間と勘違いした刀冴はウォンからもらった煙草の葉で一服を始め、ルークレイルは小瓶につめ直したラムをちびちびやりながら、手に入れられなかった財宝のことを切なく思い起こし、香介は無言で真紅の短剣を手入れし始めた。
シャノンは森の娘たちが妙に距離を詰めてくるのが気になって仕方なく、ベルゼブルの陰に隠れるようにしながら傍迷惑な神聖生物の様子を伺っていて、クーラーボックスが軽くなってずいぶん楽になったミイラは、普通に理月様頑張れ太助様負けんなーと応援している。
そんな暢気な空気が流れる中、理月だけが悲壮だ。
どんだけ太助が好きなんだという話だが、事実なので仕方がない。
「クククククククッゴフ、ゲフン、まぁ待て。太助姫には大事な役目がある」
「……なんだって?」
「え、そーなんだ?」
ひとしきり哄笑を響かせ、再度咽返ったあと、ボディペイント男が太助をぶら下げたままで理月を見下ろす。
訝しげに眉をひそめる理月と、一番不思議そうな表情をする太助。
それらを見遣ってから、男は実に楽しげに告げたのだ。
「そうとも、太助姫は、この闘いを制したものに祝福のキスを与える幸運の女神なのだから」
と。
「な……」
思わず絶句する理月。
そりゃそうだ。
誰もがそう思った。
あまりにも馬鹿げているし、不条理過ぎるではないか。
「だから俺は姫でもなけりゃこううんの女神でもねえええええ! だれか俺のせいべつをこいつに教えてやってくれええええええええ!?」
ぷらんぷらん揺れながら太助が猛烈な勢いで抗議する中、理月の肩が震えている。
「太助姫の……祝福のキス……」
男の物言いに激怒しているのか、と、誰かが思ったとき、
「……面白い」
理月が、ゆらり、と広場へ踏み出した。
ずごごごごごごごごご、と、妙なオーラが立ち昇っている。
「貴様のような虚弱体質のうらなりびょうたんに、この俺が斃せるとは思わないことだ……!」
……オーラは闘志でした。
「ちょ、あかっち、このさいずのむきむきまっちょに使う言葉だったか、きょじゃくたいしつって!?」
「太助姫、待っていてくれ、姫の唇は俺が奪っ……もとい、護ってみせる……!」
「いいからとりあえず落ち着け――――!!」
人の話は一切聞いていません。
ものすごい勢いで燃えてらっしゃいます。
萌えてる、かもしれません。
「……なんかキャラ変わってますよ理月様。っつかあんな人でしたかお兄様?」
「いやあ、うん、なんつーかもうそっとしといてやってくれ」
「あ、理晨様が投げた」
「しかしまぁアイツ本当に太助が好きだなぁ」
「……彼の気持ちは判らなくもない」
「ん? 何か言ったか、ウォン?」
「……いや、何でもない……」
観衆がぼそぼそと会話を交わす中、満足げに笑ったボディペイント男が、そこから動くなと太助姫に念を押したあと闘技場へと降りてくる。
「さあ……行くぞ、忠実なるナイトよ! お前の実力、見せてもらおう!」
「無論だ、来い!」
口調まで変わっちゃってる理月が、いきなりロケーションエリアを展開した。
風景に変化はないが、理月の漆黒の髪が、銀色に輝いている。
「ロケエリまで使うとか、どんだけ太助姫の唇狙ってんだあの馬鹿は」
「いやもうお恥ずかしいっていうかすみませんっていうか。……身内の後始末を頼んじまって悪いんだが、刀冴、いざという時は速やかに落としてやってくれるか、あいつ。今絶対なんか妙なとこのネジが飛んでると思うんだ……」
「……兄貴って大変なんだな、理晨」
「しみじみ言うな、ルーク。ちょっと哀しくなってくるだろ」
と、ぼそぼそ言葉を交わす観衆とは裏腹に、リング上では大層熱い戦いが繰り広げられていた。
ナイト理月はどこまでも真顔だ。
「ぬおお、何と……!?」
ボディペイント男が驚愕の声を上げる。
事実、理月は、錯乱気味という現状を差し引いても、速く強い男だった。
「……遅ぇ」
理月は、怒涛の如き勢いで突っ込んできたボディペイント男の背後にするりと回り込むと、軽やかに跳躍して男を蹴り飛ばした。
がつん、という硬い肉を打つ音とともに、横幅ならば理月の倍はありそうな筋肉男が勢いよく吹っ飛ぶ。
「ああんナイト様素敵イィ――――ッ!!」
――もちろん、野太い嬌声つきで。
あーそこはやっぱ同じなんだなーと誰かが呟いていたが、多分理月の耳には入っていなかっただろう。
「この程度で驚いてもらっちゃ困る」
たん、と軽やかにステップを踏み、羽のような身軽さで理月が跳んだ。
ボディペイント男が姿を追い切れない、そんな速さで翻弄し、固めた拳で殴り飛ばす。
「ああんナイト様ァもっとおォ――――げぶッ!!」
長く伸びた語尾がつぶれたのは、固い床に叩きつけられワンバウンドしたボディペイント男を、瞬時に追いついていた理月が蹴り飛ばし、壁に叩きつけたからだ。
「あんた……最高よ、最高の男だったわ……!」
ボディペイント男は、しばしぴくぴくと痙攣していたが、何故かオネエ言葉になったかと思うと目を開けたまま失神した。……やはり、至福の表情だった。
「……太助姫……」
勝者の笑みを浮かべた理月が、律儀にも高台に乗ったまま待っていた太助に近づくと同時に、
「とりあえず目ぇさませあかっちぱーんちッ!」
何とかドレスを脱ぎ捨てた太助が跳躍、小さな前脚で理月の頬をもふんぺにょん、と叩く。
「……!!」
目を見開いた理月は、そのまま後頭部から硬いリングへ……
「あーはいはい、回収回収っと」
そこへ一服を終えた刀冴が素晴らしいタイミングでやってきて、至福の表情で意識を失っている理月を米俵のように担いだ。
「おおおありがとよーとーごー! なんかもうどうなることかと思ったぜー!」
「やれやれ、理月君の太助君への愛はとても微笑ましいけれど、同時に少々妬ましくもあるねぇ」
「あれっなんか俺もしかしてじゃっかんしっとされてる!?」
「そんなことはないよ、太助君。……ただ、理月君が目覚めたら、彼に、私の愛を少しばかり思い知らせてみようかと思うだけでね?」
「ヒィぶらっくうっどの輝くようなえがおがこわい!? あかっちがんばれー!?」
幸せな夢に意識を遊ばせている理月の計り知らぬところでそんな会話が繰り広げられ、
「……なにやらよく判らんが、これでラスボスとやらに挑むことができる、ということか?」
ボディペイント男が失神しながらいつの間にか差し出していたスタンプを受け取り、スタンプシートにぽんと押しながらシャノンが周囲を見渡す。
「だろーな。しかしまぁ……色々あったな」
「……過去形にするのはまだ早いかもしれんぞくるたん」
「くるたんじゃねぇ! ……って、どうしたシャノ、」
ン、を言い切る前に、香介の目が大きく見開かれた。
ごおお……ん、と、空が鳴った。
先ほどまで快晴だった空がさっと夜のように暗くなり、そして――――――――空が割れた。
割れた空の向こうから、巨大な黄金の塊が舞い降りてくる。
5.アリですか。アリです。そんなラスボスバトル。
黄金のそれは、十本の角と六角形の鱗、巨大な翼を持つドラゴンだった。
『見事なり……汝らの手腕、見せてもらったぞ』
空気が震えるような荘厳な声で言い、全長十メートルを軽く超える黄金のドラゴンが、巨体を感じさせない軽やかさとともにリングへと舞い降りる。
間近で観ると一層大きく、神々しくすら感じられる、美しいドラゴンだった。
「ふむ、君がラスボス君かね」
特に動じていない――といっても、一行の中で動じているものがいたかどうかは疑問だ――ブラックウッドが、恐れ気もなくドラゴンを見上げ、問うと、
『如何にも。我はワールドワイド・メイズの王にして守護神、そして扉たる者。我を斃せば、汝らは元の世界へ戻ることが出来よう』
ドラゴンは鷹揚に頷き、身構えた。
次の瞬間、放たれた咆哮に、世界中がびりびりと震えたような錯覚に陥る。
『さあ、猛き者よ、我に挑め!』
銀色の牙が覗く大きなあぎとを開き、漲るような戦意とともにドラゴンが招く。
それはとてつもない迫力で、魂が震えるような興奮をもたらし、ドMのド変態ばかりの世界だったが、さすがにラスボスは格が違う、と、皆が感心とも安堵とも取れぬ感慨を抱いた時、ドラゴンは重ねて言ったのだ。
『そして我に気持ちいい悲鳴を上げさせるがいい! さあ、我を打ち据えよ、遠慮は要らぬ、さあ、さあ!』
――と。
「やっぱラスボスまでドMか……」
フゥとアンニュイな溜め息をついて香介が言い、しかし同時に楽しげな光をちらつかせてコートの中から短剣【明熾星(アカシボシ)】を引っ張り出した。彼の細身の全身から、白く光るような闘志が湧き上がっている。
「まぁ……そういうこともあるだろう。ひとまず彼を斃せば出られるようだ、精々励むとしよう」
少々疲れた表情をにじませながらシャノンが銃を引き抜き、
「しかしまぁ……最後の最後まで濃いなァ……」
理晨は首をゴキっと鳴らしてから、
「ある意味相応しいのかも知れんがな」
苦笑するルークレイルの隣に並んだ。
「ドラゴンの喘ぎ声とか悶えるシーンかー……まぁ、お宝映像って言えばお宝映像だよな。うん、ちょっと頑張ってみるか」
ウィズはというと、ビデオカメラを構えたままでやる気満々だ。
『では……参る!』
「ああ、来なよ……言っとくが、オレはしぶてぇぜ?」
ドラゴンの戦意が更に膨れ上がり、香介が猛々しく笑う。
――そして、双方が身構え、
「そうだわ!」
戦いが始まろうという今まさにこのとき、両手を打ち鳴らしたのは――今日は案外大人しかったリーリウムだった。
「な、何だよ、リー……」
ぎょっとなった香介が、シャノンが、理晨がルークレイルが、勘の告げる『悪い予感』に導かれるまま彼女を制止するよりも、
「すっかり忘れていたけれど、新作が出来たのよ。……ということで、使って?」
と、満面の笑顔で言い、
「何の新作だ!?」
香介が目を剥くと同時に、「レジィさまからお借りしてきたの」と、いつもの緑色のロープをけしかける方が、早かった。
「ぎゃーッ!?」
「あああ、ここに来てこれかよッ!?」
お約束と言えばお約束な展開に、そんな悲鳴が響き渡り、緑色のカーテンが晴れると、そこに立っているのは、ルークレイル、理晨、香介、ウィズ、シャノン。――もとい、ルンルンちゃん、理佳さん、香子さん、ヴィクトリアさん、シャニィちゃん。
そう、そこには、色違いのゴシック&ロリータ衣装を身にまとった五人の美漢女戦隊が、華々しく降臨していたのだった。
全員整った容貌で、お肌も綺麗で化粧乗りもよく、またその技術が巧みだったのもあって、残念ながら誰にも違和感がない。
「ちょっ……も……!?」
予想通りといえば予想通りだが、ここでこれは勘弁してほしかった、と、前のめりで打ちひしがれる四人(ヴィクトリアさんはいつでも普通にノリノリである)に、
「あー、皆頑張れよ。なんか、あんたたちで充分っぽい気がしてきたから、とりあえず傍観してるわ。理月も寝たまんまだしな」
ひらひらと手を振って薄情にも告げるのは、幸せそうに眠る理月を抱えたままの刀冴だ。
「あー、俺もなんかぐったり疲れたし、えんりょしとく……」
太助は刀冴に俵担ぎされたままの理月の背に乗って、フゥと溜め息をつき、
「っつかそもそもボクみてーな普通の人間にドラゴンとガチでやれとか言わんでしょうしな。ボクもイチ抜けたーっすわ。応援してるんで頑張っちゃってください、美漢女戦隊楽園レンジャーの皆さん」
「レンジャー言うな!?」
晴れやかに笑ってあっさり戦線離脱したミイラの文言には、レンジャー当人たちからクレームがついたが、ミイラ本人はケラケラ笑うばかりで堪えた様子もなかったし、ベルゼブルなど最初から働く気はないようで、ルークレイルに分けてもらったラム酒を舐めながら、楽しそうに美漢女戦隊の様子を観賞している体たらくだ。
薄情者ッ、と罵りたい気持ちは満載だし、
『むう……汝ら、なかなかやるようだな……!』
妙なところで感心しているドラゴンを見ていると、全身から力が抜けて行くような気すらするが、とにかくこの戦いを終わらせなくては帰れない。それどころかこの服を脱ぐことも許されないだろう。
「あーもー、仕方ねー、行くぞ!」
やけくそ気味に楽園ホワイト・香子が叫び、諦観をにじませた楽園ブラック・シャニィが頷く。楽園レッド・理佳と、楽園スカーレット・ルンルンはなるべく目を合わせないようにしながらドラゴンに向かって走り出した。
その中で、楽園ブルー・ヴィクトリアだけは、
「ふふふ、イイ声で鳴いてね、ドラゴンさん……?」
と、ドSモード丸出しに呟いていたが。
ちなみに言うまでもないだろうが、名前についた色がすなわち彼女らの着ているゴシック&ロリータワンピースのカラーである。
そして闘いは始まったわけだが、
「……っと……?」
香子さんはすぐに、自分の身体が異様に軽く、また身体の奥底から湧き上がってくるような『力』の感覚に気づいていた。
「この……服、か……」
唇が不敵な笑みを浮かべる。
衣装の形状にはクレームをつけまくりたいが、そういうことなら歓迎だ。
「っし、一気に終わらせるぞ!」
軽々と数メートルを跳躍した理佳さんが、身体を捻って回転を加えた蹴撃で、ドラゴンの脇腹辺りを一撃し、彼を強かに打ち据えて、吹き飛ばす。
『何たる快感ッ! 素晴らしいッ!』
ドラゴンは色々と間違った歓喜の声とともに吹っ飛んで叩きつけられたものの、やはり伊達にドラゴンを名乗ってはいないようで、すぐに俊敏な動きで跳ね起き、咆哮とともに長い尾を一振りした。
「っと……!」
咄嗟に跳んで避けたルンルンちゃんだったが、凄まじい勢いで空気を裂いたそれにかすめられ、頬が熱を帯びる。乱暴な手つきで拭ったら、拳には血がついていた。
「だが……この程度では、な!」
にやりと笑って踏み込み、スカートの裾を翻して跳躍、振り下ろした拳でドラゴンを殴りつける。硬い手応えが拳を襲ったが、衣装の効能なのか、不思議とダメージは受けていない。
『むううッ、もっと、もっとだ!』
牙を剥き、ドラゴンが咆哮する。
黄金のうろこが若干ピンクがかっているのは気のせいだ。気のせいに決まっている。
「全体的に見れば、わりと楽しかったんだがなぁ……」
今は全体的にアンニュイなシャニィちゃんは、なるべく自分の首から下を見ないようにしながら、無造作なようでいて実は相当な力のこもった(もちろん八つ当たりである)回し蹴りを放ち、
『ぐおおッ、お姐さま最高ッ!』
やっぱり徐々に壊れてきているドラゴンを吹っ飛ばした。
同時に、ドラゴンの元へ走り込んでいた香子さんが、彼の尻尾を引っ掴んで、
「そろそろ……終いにしようぜ……!」
自分でもびっくりするような怪力で、ドラゴンの巨体を硬いリングへと叩きつけた。
びたーん!
面積のあるやわらかいものが硬いものに叩きつけられる、大層痛そうな音がして、
『ぐう……し、至福とは……これを言うのか……』
鱗をほんのちょっぴりピンク色にしたドラゴンは、
『我が人生に、一遍の悔いなし……!』
お前人じゃねーじゃん、という香子さんのツッコミはスルーしたまま、がくり、と首を項垂れさせたのだった。
しん、と、一瞬周囲が静まり返る。
ドラゴンは動かない。
いや、尻尾が幸せそうにぴこぴこ動いているが、多分無意識のことだろう。
「おし、なかなかイイ絵が取れた! やー、今日は豊作だったなーほんと」
別の方面で喜ぶヴィクトリアさんが満足げにデジタルビデオカメラを片付けるのと、倒れたドラゴンの向こう側に、光る扉が現れたのはほぼ同時だった。
扉の上には、『Game Clear!』の文字が光りながら踊っている。
「あー……これで帰れるー……!」
主に楽園レンジャーたちから安堵の呼気が漏れる。
薄情な見物客も、やれやれなどと言いつつ、撤退の準備を始めた。
それらを悠然と見遣りながら、
「……終わったようだね」
ブラックウッドはくすりと笑って傍らのウォンに目配せしてみせた。
ふたりは、リングから少し離れた場所で、一連の戦いを見守っていたのだ。
ブラックウッドはドラゴンに殺気がないことから彼らに任せても問題ないと判断し、ウォンはウォンで痛めつけて欲しがっているものに攻撃しても相手を喜ばせるだけだ、という冷静な認識で一歩引いて見守っていた。
ウォンが小さく肩を竦めると、ブラックウッドが黄金の目を向け、問う。
「――……話の途中だったね。質問とは、何かな」
彼らは前方で突っ込みどころ満載の戦いが繰り広げられる中、戦いとは別の、様々に深い言葉を交わしていた。
「不死の存在になって後、何を思いながら長い時を過ごしてきたのか」
ウォンの問いは、歩く死者として実体化し、いつも冷え切って眠れぬ、空腹を感じないため食事をする気にもなれない、呼吸が出来ないため気を練ることすら不自由、という身体で三年弱を過ごしてきたがゆえのものだった。
他者の人生に興味を持つことはほとんどなかったが、気の遠くなるほど長い時間を同じ歩く死者として過ごしてきたブラックウッドに、いつかは尋ねてみたいと思っていた問いだった。
「……そうだね」
ウォンの問いに、ブラックウッドは穏やかな笑みを浮かべた。
「たとえ身体の命は尽きようとも、心まで死すことのないように、と」
「……そうか……」
ウォンは、ブラックウッドの答えに、わずかばかり瞑目し、
「……クソ話に付き合わせて悪かった。……多謝」
そう言ってから、『Game Clear!』の文字の躍る扉へ向かい、歩き出した。
ブラックウッドはその背中を見つめてくすりと笑い、彼もまた歩き出す。
「それほど難しいことではないと思うのだよ。君とて、何の躊躇いもなく、それを自然に実践しているだろう……?」
その呟きが、ウォンに聞こえたかどうかは、定かではない。
6.気づけばなすすべもなく夕暮れでした。
扉をくぐると、そこは彼らがハザードに巻き込まれた杵間山麓だった。
いったい何時間向こうにいたのか、空はすでに朱色に染まっており、あちこちにうっすらとした星が瞬き始めている。
「うわッ、もう六時!? やっべぇ原稿やんなきゃ!」
時計を確認したウィズが――扉をくぐると同時に『装備』は解除されたようだ――大慌てで踵を返しかけてから、
「でも、今日は楽しかった、サンキュ!」
満面の笑顔で手を振り、それから大急ぎで走り去る。
「わたしたちも帰らなくてはね。……皆さん、今日は素敵なものを見せてくださってありがとう」
「これに懲りず、またよろしくね?」
それでもいつもより大人しく冒険を楽しんでいた神聖生物ふたりが、よろしくしないでくださいという被害者たちの悲鳴をスルーして立ち去り、まったく突っ込まなかった愉快犯魔族ベルゼブルも、今日は楽しかったと笑顔を残して去っていった。
「いやー、今日は色々あったっすな。平凡なムービーファンのボクにはめくるめく一日でした。でも楽しかったすよ」
空っぽのクーラーボックスを担ぎ、んじゃまた! と手を振ってミイラが帰って行き、何か疲れた、とブツブツ言いながらも、どことなく楽しそうに、香介が道を横切り、姿を消す。
シャノンは衝撃のラストに若干疲れた顔をしていたものの、全体的には楽しかったからまぁいいか、という結論に達したようで、空の重箱を手に、かすかな笑みを見せて片手を上げ、そのまま踵を返した。
「……ではな」
ウォンは寄っていけばいいという刀冴の言葉に首を横に振り、また機会があれば行こう、とだけ約束をして、静かに、気配もなく立ち去ったし、たくさん食べておなかまんぞくなのですー、な使い魔がウトウトし始めたので、慈愛の笑みを浮かべてブラックウッドもまた帰って行った。
「さて……」
刀冴は、まだ幸せな夢を見ているらしい理月を腕に抱いたまま、鍋だのなんだのを持ってくれている理晨と、理月の背中に乗っかった太助、それから所在なげに佇んでいるルークレイルを交互に見遣った。
「とりあえず、ウチに来るか?」
「おうよ。あかっちがちゃんとしょうきに戻ったかたしかめてからでねぇとしんぱいで帰れねぇしな。しかし、今日は色々なことがあったなぁ」
「迷惑かけてすまねぇなぁ太助……っつぅかホント、太助を見てると理月とどっちが年上なのか判らなくなるぜ……」
「……というか、メアリは無事だろうか。いやむしろ人様にご迷惑をおかけしちゃいないだろうか……」
ぼやいたり溜め息をついたりしつつ、揃って歩き出す。
「まぁ、でも」
刀冴は暢気に、開けっ広げに笑って言った。
「俺は結構、楽しかったぜ?」
その言葉に、笑みと頷きが返る。
賑やかで、ちょっと刺激的で、美味で楽しい、幸せな時間。気の置けない人々と繰り広げた、悪くない冒険。
刀冴は一般常識からは多少逸脱した思考回路の持ち主だが、自分のその認識に、それほどのずれはないと思っているし、今回この大騒ぎハザードに巻き込まれた人々が、概ね同じ気持ちでいるだろう、という確信もあった。
「ま、茶でも出すから……っつぅか夕飯の支度をするから、ゆっくりしていってくれ」
そして、彼らは、そういやあかっちがぜんざい食いてぇって言ってたー、という太助の主張をBGMに、夜の暗さに沈み込もうとしている杵間山中腹の古民家へと、歩を進めたのだった。
ちなみに、象のメアリはというと。
理晨と連れ立ったルークレイルが彼女を探して古民家を訪れたところ、しっかり古民家へ到達した彼女は、何となく事情を察した刀冴の守役にちゃっかり世話を焼かれており、上機嫌で山のように積まれた果物を食べていて、ルークレイルは盛大に脱力したという。
|
クリエイターコメント | オファー、どうもありがとうございました! 大人数でのドタバタコメディプラノベをお届けいたします。
ボケありツッコミあり、バトルあり美味しいネタあり、ジョでソウなアレもあり、更には実に深い問いかけも、皆さんで過ごす楽しい一時もあり……と、てんこもりなツボネタに鼻息荒く書かせていただきました。
特に大半の方が大変お世話になった方々でしたので(でも初見のあの方も実は大好きです、記録者)、感慨深く、ありがたく執筆させていただきました。
これが記録者の、銀幕市における正真正銘最後のノベルになります。
この三年間、銀幕市で書かせていただいたすべてが、私にとっての宝物であり、喜びでした。本当にどうもありがとうございました。
この場をお借りして皆さんに感謝するのと同時に、至らない自分をお詫びし、それらを許し、私を成長させてくださった方々への敬意を表する次第です。
それでは、素敵なオファー、本当にどうもありがとうございました。 また、きっと、いつか……必ず、どこかで。 |
公開日時 | 2009-07-31(金) 18:10 |
|
|
|
|
|