★ 静寂のスタジオ ★
<オープニング>

 ケイ・シー・ストラはあそこにいる。スタジオタウン、旧ベリーウッドスタジオに。
 サーカス会場から拉致され、人質にされた銀幕市民も、そこにいる。
 テログループ『ハーメルン』の目的はハッキリしないまま、30人あまりの市民が、家や親しい人のそばに戻らない日が続いている。
 映画の中で、最初から最後まで主人公の敵だった『ハーメルン』とケイ・シー・ストラ。彼らは現実の世界で、何の落ち度もない銀幕市民と対立していた。
 誘拐された人々の捜索活動から始まった有志の行動は、壮絶な戦闘にまで発展した。誘拐された人々のすぐそばまで辿り着いたものの、一度撤退して体勢を立て直すハメになったのだ。戦闘の結果、『ハーメルン』はそのメンバーの数をいくらか減らしているはずである。
 有志が見守り、人質救出の作戦を練る間、『ハーメルン』の動きはない。持ち主を失った旧ベリーウッドスタジオは、ついさっきの戦闘がウソだったかのように静まりかえっている……。
 ケイ・シー・ストラからは何の声明も出されていない。
 まるで、体勢を立て直した市民が再びスタジオに押し寄せるのを、待っているかのよう。
「何を言おうと言うまいと、おまえたちは来るのだろう」と、暗に言っているかのよう……。


 確かに、ケイ・シー・ストラが何も言わなくても、わかりきっていることがある。
 彼らを放っておくかぎり、人質は家や親しい人のそばに帰ってこないということだ。
『ハーメルン』にさらわれた子供たちが無事に家に帰れたのは、主人公が『ハーメルン』を壊滅されたときだけだったのだから。

種別名シナリオ 管理番号778
クリエイター龍司郎(wbxt2243)
クリエイターコメント 龍司郎です。まずは掲示板での捜索活動、お疲れ様でした。予想をはるかに超えた人数のご参加をいただいて、恐縮のかぎりです。
 捜索活動によって、サーカス会場から拉致された人々(PC3名含む)の居場所や、武装集団の正体が判明しました。現在、犯人グループは拉致された30名あまりを人質に取り、スタジオタウンの旧ベリーウッドスタジオに立て篭もっています。
 敵の情報や現在の状況については、お手数ですが『ケイン・ザ・サーカス行方不明者捜索隊』掲示板をご参照ください。
 また、このシナリオは同掲示板と連動した判定と執筆がされます。掲示板内の【人質解放作戦支援活動】スレッドにて、このシナリオに参加しなかった、できなかった方も、人質解放作戦のサポートができます。詳しくは該当スレッドの説明をご参照ください。
 捜索活動の結果、ドサクサにまぎれて『ハーメルン』のメンバーをひとり拘束することができました。こちらも参加人数同様想定外の展開ですが、この結果はきっと作戦を優位に進めるために役立ってくれるはずです。
 なお、このシナリオではフランキー・コンティネントにかかわることはできません。というよりも、しないほうが賢明です。人質を救出することに集中したほうがよいでしょう。

 このシナリオは募集期間が短めですのでご注意ください。忙しい数日間になると思いますが、ヨロシクお願いします。

参加者
エルヴィーネ・ブルグスミューラー(cuan5291) ムービースター 女 14歳 鮮血鬼
ランドルフ・トラウト(cnyy5505) ムービースター 男 33歳 食人鬼
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
リカ・ヴォリンスカヤ(cxhs4886) ムービースター 女 26歳 元・殺し屋
クラウス・ノイマン(cnyx1976) ムービースター 男 28歳 混血の陣使い
流鏑馬 明日(cdyx1046) ムービーファン 女 19歳 刑事
<ノベル>

★Oct 8, 2008 20:26

「チーム・フレーテと連絡は取れたか」
「ダメです」
「……残念なことだ。仮にフレーテが全滅したとなれば、われわれは昨日の防衛戦で13名の同志を喪った」
 硝煙も土煙もなく、廃スタジオの中には冷たい空気と緊張感だけが漂っている。その中には、かすかにウオッカの香りが混じっていた。
 7つのプレミアフィルムはすべて丁重に回収され、部屋の片隅に安置されている。ケイ・シー・ストラはウオッカが入っていたタンブラーを置くと、『ハーメルン』の旗を広げて、7つのフィルムにかぶせた。
「『ハーメルン』の52人は、今や39人になった。これに対して、銀幕市の『正義の味方』は少なくとも数百名はいる。防衛戦で相手取ったのは20名ほどにすぎなかったが……ここがわれわれの作戦地であり、人質の収容場所と知った以上、次に戦いを挑んでくる敵は、少なくとも前回の数を上回るだろう。子供でも想像がつく」
「われわれはリーダーの判断に従うだけです」
「そうか。私の笛(フレーテ)について来るか?」
「ダ・ヤア!」
「私がヴェーザーに身を投げろと命じたら、貴様らは身を投げてくれるか?」
「ダ・ヤア!」
「正義の仇となり、歴史にマグス(悪魔)として名を残せるか?」
「ダ・ヤア!」
「己が役割を果たせるか!」
「ダ・ヤア!」「ダ・ヤア!」「ダ・ヤア!」
「ハラショー! 感謝する、わが同志たるモイゼ(ネズミども)。覚悟は決まった。配置につけ!」
 ガシャガシャガシャガシャッ、と重い音が一斉に響く。38人の軍人めいた男たちが動き、持ち場に戻っていった。
 その場には、ウオッカの香りと、ケイ・シー・ストラだけが残された。


★Oct 12, 2008 10:00

 人質の救出に向かう者は、何人いても足りないくらいだと思われていた。しかし同時に人質を取られている以上、あまりハデな攻撃を仕掛けるワケにもいかない。
 ダイレクトに『ハーメルン』本拠地に挑む人員は8名に絞られ、30余名が支援活動に加わることになった。旧ベリーウッドスタジオに直接乗り込む8名には、エルヴィーネ・ブルグスミューラー、ランドルフ・トラウト、太助、シャノン・ヴォルムス、リゲイル・ジブリール、リカ・ヴォリンスカヤ、クラウス・ノイマン、流鏑馬明日が名乗りを上げた。
 準備や作戦会議に最も熱心だったのはリカだった。仲間に対してはいつもどおり笑顔を見せるのだが、ナイフを磨いたり旧ベリーウッドスタジオの状況をライブカメラで見たりしている間は、終始ピリピリしていたし、物騒な悪態をつくこともあった。
 リゲイルはやる気満々のリカとは対照的に、突入班に志願したにも関わらず、シュンとしている。ベイエリアの倉庫街で取った自分の行動を、浅はかだったと悔いていた。誰も彼女を責めなかった。誰ひとり、嫌味のひとつも言わなかった。それでも、彼女は、30人をすぐに助けられなかったのは自分のせいだと思っている。普通よりひとまわり以上大きいバッキーを抱え、思いつめた顔で溜息ばかりついていた。
「ねぇ、貴方。ジャーナルでお名前をよく見かけるわ」
「あ……」
 エルヴィーネが、リゲイルに歩み寄った。彼女はバーの中でも傘をさしている。エルヴィーネも突入作戦のメンバーだとはリゲイルも知っていたので、慌てて立ち上がって、ペコリと浅く頭を下げた。
「よろしく、エルヴィーネさん」
「ええ、よろしく。……浮かない顔ね。嫌々参加したのかしら?」
「そ……そんなことないわ。さらわれたレモンちゃんは大事な友達だもの。ううん、レモンちゃんだけじゃない。さらわれた人たちは、みんな誰かの友達よ。絶対に助けたいの」
「そう」
 エルヴィーネは傘を持ち替え、微笑んだ。
「でもね、お嬢さん。『覚悟なくして成長なし』よ。私たちは、これから殺し合いに行くの。いざというときには引金を引いて頂戴。優しさが通じない相手もいるの」
「……」
「……フフ……説教くさくなってごめんなさい。これは、私からのお願いよ」
 リゲイルは、真顔でコクリと頷いた。エルヴィーネはドレスの裾をちょっとつまんで膝を折り、優雅に歩き去っていく。その先には、何丁もの銃の手入れをしているシャノンの姿があった。
 明日とランドルフのふたりも、深刻な顔で話し合っていた。いや、明日は真顔がデフォルトなのだが。ランドルフは大きな身体を小さくして、ソワソワと落ち着かない。
「本当に、本気で潜入するんですか? 明日さん」
「ええ。市民を護るのが警察の務めだもの。――本当は、こういう事件を未然に防ぐのが務めなのだけれど」
「しかし、あなたもその市民の一人ですよ」
「ドルフ。今度こそ、貴方の手をわずらわせないように気をつけるわ」
「明日さ……」
「よう! クラウスの準備できたってさ」
「すいません、時間がかかっちゃって」
 バーの片隅にいた明日とランドルフを、太助とクラウスが呼びに来た。
 クラウスはポリポリうなじをかきながらペコペコしている。彼の周囲を、婀娜っぽい水色の精霊が飛び回っていた。
「なににそんなに時間かかったんだ?」
「ミアがなかなか納得してくれなくて……。でも、これで俺も少しは役に立てそうだ。やつら、魔法や精霊には慣れてないみたいだったからね」
 ミアというのが、水の精の名前だった。精霊は太助の鼻の上を音もなく飛び回り、クスクス笑っている。
「よし……そろそろ行くか」
 音高く銃のスライドを引き、シャノンが立ち上がる。こんな修羅場を何度も経験している彼なので、今このときも普段どおりの生活を送っているかのように落ち着いていた。
「状況は少々不利だが、相手の正体も人質の位置もわかっている。ストラは俺とリカとランドルフでできるかぎり引きつけておく。人質は頼んだぞ」
「あんなヤツら、ブッ潰してやりましょ!」
「おー! 正念場だっ! みんな助けたら、俺もそっち行って手伝うかんなっ」
 テンションが上がった太助の頭に、トスン、と竹川導次が手を置いた。
「よっしゃ。カチコミ、行くぞ!」
 悪役会御用達のバーが、その瞬間燃え上がり、すぐに静かになった。
 闘志を燃やした市民たちは、旧ベリーウッドスタジオへ、ベイエリアへ、銀幕市の地下に張り巡らされた下水道へ散らばっていった。


★Oct 12, 2008 10:15

 旧ベリーウッドスタジオは静寂に包まれていた。
 人質30名が押しこまれた地下は、とりわけ重い空気に包まれている。
 武装したテロリストは常に視界の中をウロついているし……レモンは食事のとき以外は口にガムテープを貼られ、厳重にロープで縛られていた。ちなみに、こんな扱いを受けているのは彼女だけだ。誘拐されてからというもの、数日前に攻防戦が繰り広げられたときさえ、彼女だけは果敢にもテロリストに罵詈雑言を吐き続けて……いや、猛抗議をし続けていた。小日向悟がなだめても、秋津戒斗がちょっと呆れて皮肉を言っても、銃やテロには屈さなかったので、レモンは拘束されてしまったのだ。
 地下フロアは広く、少し空気は悪いが、待遇はさほど悪くない。彼らはどこから調達してきたのか、充分な食料や水を確保していたし、私語も特に禁じていなかった。だがムービーファンはバッキーを取られているうえ(悟が観察したところによると、ご丁寧に殴って気絶させてから金庫の中に放りこんでいた)、視界の中には常に重火器がある。誰も抵抗する気持ちにはならなかった。そもそも、30名のうちのほとんどが女子供だ。
「あー、くそっ」
 戒斗はガシガシ頭をかいて悪態をついた。
「なんなんだよ、もう。何がしたいんだ、こいつら」
「うーん、そろそろ何か動きがあると思うけど」
 戒斗の愚痴に、悟が付き合う。キョトンとした戒斗に、悟はちょっと笑って、そう思った根拠を説明した。
「レヴィアタンにだって挑んだこの街の人たちが、こんな状況で黙っているはずがないし。それに、3日前に戦闘があったよね? 3日あれば、体勢も立て直せるし、作戦も立てられる。あの……傭兵みたいな人たちも、朝からピリピリしてるしね」
「すごいな、探偵みたいだ」
「そうかな。そう言ってもらえたら嬉しいけど……探偵がさらわれちゃ世話ないよ」
 悟が照れ笑いをした、そのときだった。
 上で爆発音がした。建物全体がビリビリと震動する。天井からは埃や細かなコンクリート片が落ちてきた。人質たちは悲鳴を上げ、身体を寄せ合う。レモンはガムテープの下でわめき、ジタバタもがいた。
 銃を手に人質の前をウロついていた男たちも色めきだつ。英語でも日本語でもない言葉で怒鳴りながら、すばやく動き出した。そして――
 どぅん、とあの独特の衝撃波がスタジオを走った。土埃と煙が広がる。悟は立ち上がって、レモンに駆け寄った。彼が何をする気なのかすぐに気がつき、戒斗も急いで走る。武装した男たちの注意は飛んでこなかった。それどころではない状況らしいのは誰の目にも明らかだ。
 怒号と銃声が響き始める。
 悟はレモンの足を縛り上げているロープに手をかけていた。戒斗は、ベリッとレモンの口からガムテープを剥がす。
「プハァ! ちょっとちょっとちょっと、何なの、いったい何が起きてるのっ! 説明しなさいよっ」
「シーッ! 今はマジで静かにしてくれ!」
「何言ってるの、今こそこの聖なるウサギ様が――」
「……」
 戒斗は無言で、レモンの口にガムテープを貼り直した。


★Oct 11, 2008 10:16

 土埃と喧騒が渦巻く、地下への階段。その片隅を、音も立てずに、ゆっくりと流れる液体。いや、液体ではない。ゲル状の物体だ。よく見れば、そのスライムは意思をもって動いているとしか思えないのだが、武装した男たちは、階段の隅の水汚れにかまっている場合ではなかった。

 同じく土埃と喧騒が充満した一階フロアに、一羽のカラスが入りこんできたのだが、ソレにすぐに気づいた者はなかった。奇妙なカラスだった――足が三本ある。ソレがヤタガラスであるとは、架空の国で戦ってきたテロリストたちは知らなかっただろう。
 カラスは赤い目で、煙でいっぱいのスタジオ内をねめつけ、飛び立った。


★Oct 12, 2008 10:16

「オラァアアアアアアッ! クソ野郎どもが、きたねえ手ばっかり使いやがって。出て来い、相手になってやる!」
 壁を発泡スチロールのように容易く粉砕し、ランドルフが一階に乱入する。
 たちまち彼を銃弾の雨が出迎えた。しかし、ランドルフの膨れ上がった筋肉が、残らず弾丸を跳ね返す。
 そしてランドルフの背後から、熱い硝煙をさらりと吹き飛ばす、風が吹いてきた。
『ハーメルン』の弾丸があらぬ方向へ飛び、失速し、落ちていく。風の精霊のささやきが、ランドルフの耳元をかすめる。
 咆哮を上げて突進したランドルフは、一気にふたりを殴り飛ばした。それこそ弾丸のような勢いでふたりのテロリストは吹っ飛び、土煙の中に消えていく。
「ランドルフ!」
 シャノンの声がランドルフに突き刺さった。
 風の精霊の加護で銃撃が有効ではなくなったと見るや、テロリストたちは武器を銃から手榴弾に変えたのだ。3個、4個、5個……煙の向こうからランドルフの足元に、ピンのない手榴弾が転がる。
 爆発。
 支援による風の力がだいぶ軽減はしてくれたが、さすがに5つもの手榴弾の爆発を完全に防ぐのは難しかったようだ。爆発はランドルフの巨体を2メートルほど突き飛ばし、彼が開けた壁の穴の大きさを拡げた。
 シャノンはとっさに5メートル以上も横に跳躍して、床に伏せていた。
 ランドルフが木っ端微塵になったハズはないと確信しながら、銃を抜いて走りだす。
「風をとめろ! 俺の武器も銃だ」
 風に向かって彼は言った。
 風が止まる。
 そしてコルト・ガバメントが火を噴いた。
 煙の向こうで低く短いうめき声が上がり、吹いてもいない風が煙を押し流したかのように――さあっ、と視界が一瞬晴れた。シャノンが放った弾丸は、偶然、ロケーションエリアを展開したテロリストを仕留めたのだ。
 寒々とした、コンクリートがむき出しの廃墟が、シャノンの眼前に広がっている。アサルトライフルを抱え、ガスマスクをかぶった黒い男たちと、壁際で倒れているランドルフの姿が目に飛びこんできた。
「ランドルフ!」
 シャノンの呼びかけに応じたのか、たまたまタイミングが合っただけか、ランドルフはシャノンの声が上がると同時にムクリと身体を起こした。猛獣のようなうめき声を上げ、巨漢は首を振る。服はボロボロになっていてすっかり煤けていた。しかし、どこにも深刻なケガは負っていない。
 シャノンがソレを確認した次の瞬間には、テロリストの誰かが新たにロケーションエリアを展開したようだった。ブワッと拡がる煙幕と土煙。ソレが完全にテロリストたちの姿を覆い隠す前に、シャノンはコルトを連射していた。煙の向こうで、男が倒れる音がした。
「まったく、バカの一つ覚えもいいとこね」
 ふさがれた視界の中で、リカが毒づく。
 彼女の声と息吹は、ランドルフとシャノンの間をすり抜けていく。
「ストラ! いるんでしょ、出て来なさいよ! たった3人が怖いの? このタマナシ!」
 銃声と硝煙の世界で、リカの、あまり品のない挑発が響く。頭上からヘリのローター音が聞こえた。
「ヘリの音だ。ヤツら、ヘリまで持ち出しやがったか!?」
 思わずランドルフは頭上に視線をめぐらせたが、スタジオの外にいる支援班からすぐに連絡が入ってきた。
『スタジオ上空に機影はありません。ロケーションエリアがもたらす効果音に過ぎないようです』
「フン、コケオドシかよ」
「銃声も効果音かもしれないな。……ストラはどこだ?」
「ヤツら、皆同じようなニオイしてやがるぜ」
 コンクリートの床で、何かが跳ねる。
 コロコロとランドルフとシャノンの足元に転がってきたのは、またしても、手榴弾だった。2個だった。
「本当に、バカの一つ覚えだな!」
 ランドルフは両手ですばやく手榴弾を拾い上げると、何も考えず前に向かって放り投げた。考えるヒマがなかったとも言う。
 空中で爆発音がし、コンクリートや鉄のカケラが、ランドルフとシャノンの上に降り注いできた。
 シャノンはカケラをはね飛ばしながら走る。手榴弾が飛んできた方向へ。銃弾は、シャノンが向かう先から飛んできた。1発がシャノンの右肩を砕き、もう1発が右の頬にかすり傷をつけた。2発をわずかに食らった次の瞬間、シャノンは人間離れした疾さで左に身体を傾けていた。3発目以降は、すべて外れていた。
 砕かれて血を噴いているにもかかわらず、シャノンは右手に構えたコルトで応戦した。
 煙の中に見えてきた敵影は5つ。さらに奥から、続々と駆けつけてくる気配と声。
 どれも同じ人間に見えた。ケイ・シー・ストラはいないようだ。シャノンの目に、言われているほど腕の立ちそうな敵の姿は映らなかったから。
 横合いから大きな黒い影が、ものすごい怒号を張り上げながら飛びこんできた。ランドルフだ、いちいち確認するまでもない。
 シャノンのコルトが、ランドルフの豪腕が、5人を瞬く間に蹴散らした。
 だが、煙は晴れなかった。


★Oct 12, 2008 10:21

 スタジオ1階のほぼ中央に位置する部屋。ガスマスクをかぶったテロリストのひとりが、軽自動車ほどもある大きな機械の前にいた。彼はこの騒ぎの中でも落ち着いていて、配線をいじっていた。
 やがて調整が済んだのか、機械から離れた男は、通信機に向かって、誰かに何か呼びかけようとしていた――
「ソレが貴方の大切な『バシャー』?」
 不意に響く、侮るような、静かで冷めた声。少女の声だ。テロリストは通信をやめ、ハンドガンを構えて辺りを見回す。
 天井付近から突き出したパイプから、一羽のカラスが飛び立った。
 テロリストがカラス目がけて思わず発砲したが、カラスはヒョイと弾丸を避け、ひとりの優雅な出で立ちの少女に姿を変えて、軽やかに着地した。
 エルヴィーネである。彼女は今度はハンドガンの弾を避けようとさなかった。まるで受け止めようとするかのように、手を前に突き出した。テロリストが放った3発目の弾丸は、エルヴィーネの手のひらの中央を貫通した。
 その傷口から、異常な量の血が噴き出す。
 噴き上がった血は床には落ちず、テロリストのガスマスクの大きなレンズをビシャリと汚した。思わず男は顔をそむける。その顔から飛び散る血は、意思を持っているかのように、不自然な方向へ飛んでいった。巨大なコンプレッサーにも似た機械――電子ジャミング装置『バシャー』のほうへと。
 慌ててマスクをはぎ取ったテロリストに、エルヴィーネはどこかファンタジックなデザインのアサルトライフルを突きつけた。
「大きな機械の前にいる……というコトは、貴方がマルチニさんね。会えて光栄よ」
「……なぜ自分とこの装置の名を知っている?」
 声にはさほど驚いた様子はなかったが、マルチニは銃を持つ手に力をこめていた。
「この『バシャー』、なかなか面白い機械ね。できれば手取り足取り使い方を教えていただきたいところだけれど、今はその時間もないわ。残念だけれど――」
「『バシャー』は自分のロケーションエリア内でなければその威力を充分に発揮できない。何をするつもりか知らんが、ムダだ」
「あら。急につまらないものに思えてきたわ。……ま、改造次第でどうにかなるでしょう」
 エルヴィーネが、アサルトライフルの引金を引こうとした。
 だがこの瞬間、煙を切り裂く勢いで、ここに新たに飛び込んできたものがいる。
 エルヴィーネよりもはるかに長身な男。飛び蹴りが、アサルトライフルの銃口をあらぬ方向にそらした。
「リーダー!」
「マルチニ。おまえは地下の応援に行け」
「――ダ・ヤア!」
 マルチニが煙の中に消える。エルヴィーネは追うかどうか一瞬迷ったが、やめておいた。
 自分は今、単独行動を取っている。そのうえで、『ハーメルン』のリーダーと対峙しているのだ。
 ケイ・シー・ストラ――彼は、エルヴィーネの目とはまた違った赤色の目を持っている。まばたきをするとまぶたの裏に焼きつくくらい明るいのだが、LEDライトのような機械じみた輝きを放っているワケではないのだ。
 ガスマスクはつけていない。白い顔と短く刈り込まれた銀髪、それに冷徹そうな顔をさらけ出していた。装備自体は他の『ハーメルン』メンバーとそう変わらない。ガリルARMを背に負っていて、今は素手だ。
「……勇気ある者は8人いるようだな。私にはわかる。とりわけ貴様は勇気があると見た。しかし、先日の戦闘で把握しなかったのか? いかなる方法をもってしても、私の目は欺けない。潜りこんでくるモイゼが何匹か……どこに向かい、どう動いているか……私には、手に取るようにわかる。貴様はそれを知りながら、仲間のそばを離れたのか?」
「あら。ご丁寧に私の行動を添削してくださるの? さすが、人質という切り札を手にしていると違うわね。まったく余裕だわ」
 エルヴィーネは手を口元に持っていって、クスクス笑った。その手の銃創からは、タラタラととめどなく血が流れ続けている。
「ハラショー。貴様の余裕もまったく素晴らしい」
 ごうっ、とエルヴィーネの眼前の空気が裂けた。
 気づいたときには、アサルトライフルが蹴り飛ばされていた。
 エルヴィーネの血が、床に落ちるままになっていた血が動いた。そして、彼女の首筋や手首で、見えない刃に切られたかのごとく、パシパシと傷口が開く。レース布のように拡がる、彼女の血液。ソレはたちまち赤いヒトガタと化し、ストラの手足にしがみつく。
 ストラは舌打ちすらしなかった。回し蹴りと裏拳で『血の軍勢』を薙ぎ払う。
 エルヴィーネは再びヤタガラスに姿を変え、飛び立っていた。
 ストラが脇のホルスターから使いこまれたジェリコ941を引き抜く。
 即座に弾丸が飛んだが、ヤタガラスの尾羽が一枚ちぎれただけだった。
 どこからともなく飛んできたナイフが、ストラの手をかすめたのだ。
「このチ×××野郎! 女の子を足蹴にしてから撃つなんて、恥ずかしいと思わないの!?」
 煙の中で、赤い髪がチラリと躍る。あまり品のない罵声が飛ぶ。ストラはナイフが飛んできた方向に鋭い一瞥をくれて、ジェリコを両手で構え直した。
「私は男も女も差別していないつもりだ。それだけなのだが」
「そういうエラそうなことが言える分際だと思ってんの? 人質なんか取って、コソコソ隠れて! あんたはカスよ。切り取ったタマ以下よ!」
「プリクラースナ! ハラショー! 貴様は美しいに違いない。気が強い女は大概美しいからな」
「――カニィエーシナ!」
 次の瞬間、ナイフと弾丸が交錯した。


★Oct 12, 2008 10:18

 階段から地下にかけては、銃声や叫び声や泣き声で騒然としていた。ロシア語ともドイツ語ともつかない言語と日本語が、爆発音や銃声の合間を縫っている。慌しい足音。ザリザリとノイズ混じりにがなり立てる通信機。
 戦闘は、地下フロアへの入口と階段口付近で行われていた。人質のそばで警戒していた数名のテロリストは、すでに奇妙な色のスライムが殴り倒している。
 泣き声は、囚われの子供たちが上げていた。テロリストが展開したロケーションエリアのせいか、そこかしこで誰かが咳をしている。
 リゲイルは自分で手配したガスマスクをかぶり、明日に防弾防刃外套を着させられ、そのうえクラウスの背後で守られている。同じくガスマスクをかぶった明日が、容赦なくアサルトライフルで銃撃しているテロリストに応戦していた。彼女が携帯している武器の中で、まともな殺傷能力のあるものはシグ・ザウエルP230だったが、この状況下でも、ソレは最後の手段であった。明日が主力にしているのは金属ネット銃だ。併用しているのはスチルショットである。
「数が多いわ。陽動は失敗かしら」
「そんな。ストラっぽいのはいないみたいだ、少しは成功してるはずだよ。……そう信じたいよ」
 そのとき、地下フロアの入口でひときわ大きな声が上がった。次いで、何かとてつもなく大きい獣の咆哮のようなもの。床も壁もビリビリ震え、クラウスとリゲイルは首を縮めた。
 かっ、と凄まじい熱量と光が、階段の下からあふれ出してくる。
「伏せて!」
 明日の警告に、クラウスとリゲイルは従った。
 地下から駆け上ってきたのは、炎だった。その猛攻がやむと、辺りはほんの一瞬、完全な静寂に包まれた。すぐに、よくわからない言葉のうめき声や悪態っぽいものがそこかしこで上がり始めたが。
 スタジオは鉄筋コンクリート造りで延焼の心配はなかったが、大事をとってクラウスが水の精霊に命じ(頼みこみ、とも言える)、熱と火を消し去った。
「おうい! 今のうちだ。地下にいるヤツらはやっつけたぞう!」
 太助の声だ。やけに大きい。
 3人はすぐさま立ち上がって、走り出した。途中、ネットの下でもがくテロリストを踏みつけ、リゲイルは反射的に謝っていた。
「優しいんだね、リゲイルさんは……って、うわっ!?」
 クラウスの悲鳴が踊り場に響きわたる。地下からドラゴンが階段の踊り場にヌッと首を出していたのだ。
「みんな大丈夫か? ケガとかしてねーか?」
 ドラゴンは太助の声で喋った。クラウスはホッと安堵の息をつく。
「なんだ、タヌキくんか。すごいね、何にでも化けられるんだなあ」
「ホントはちゃっちゃと片づけて1階戻って、みんなの盾になるつもりだったんだけどさ。階段がスゲー混んでカオスになってて……。悪い悪い」
「みんなは、みんなは大丈夫?」
「うん。咳こんでたから、リゲイルのガスマスク、みんなにくばっといた。泣いてる子もいるけど、パニックにはなってないよ」
「よし、魔法で転送させよう。急ごしらえになるから、そんなに遠くまでは飛ばせないんだけど……」
「それなら、下水道がいいわ。待機してる人が多いし、先輩もいるから、すぐ連絡できる」
「水があるところなら余計に都合がいいよ。すぐに」
 無線を手に取る明日に頷いて、クラウスが走った。彼を追うように、リゲイルも地下フロアに飛びこむ。
「みんな、もう大丈夫よ。助けに来たから! みんなが頑張ってくれてるから!」
 広い地下フロアの片隅で、30人あまりの人質は身を寄せ合っていた。子供たちは泣いていたが、ほとんどがホッとした様子を見せた。ほぼ全員がリゲイルが手配した携帯ガスマスクをかぶっていたので、表情はわからなかったが。
 リゲイルはそんな人質の中に、レモンの姿を見つけた。口にガムテープを貼られてガスマスクもかぶっていなかった。彼女の隣には秋津戒斗がいる。彼はリゲイルの姿を見るや、レモンの口からガムテープを剥がした。
「プハァ! まったく、こんなに待たせるなんてどういうつもり!? ……グズにはお礼なんて言いたくないけど、レッドには特別に感謝してあげてもいいわ」
「……ソレ、今流行りのツンデレってやつか?」
「う、うるさいわねっ」
 レモンと戒斗のやり取りを見て、すぐそばにいた小日向悟が苦笑いしている。悟と戒斗はガスマスクをかぶっていなかった。悟はリゲイルに向かって頷く。
「ありがとう、待ってたよ。みんな落ち着いてるから、大丈夫。指示には従うよ」
「よかった……。クラウスさんが魔法で近くの下水道に飛ばしてくれるから、そこから地上に上がってほしいの」
「なんで下水道? 連中はもう全員片づけたんじゃないのか?」
「あ……、ソレは、まだ……。だからスタジオの中を移動するのは危ないの。でも下水道には警察の人とか、味方がいるって。上では医療班も車も待ってるわ」
 まだ敵が残っているということに、人質の中には不安を覚える者もいたようだが、すぐに納得してくれた。警察である明日もいたし、リゲイルの説得は真摯だったからだろう。彼らが納得した頃、クラウスが床に魔法陣を描き終えた。
「味方と連絡も取れたし、すぐに転送できるよ。……リゲイルさん、頼みがあるんだけど」
「うん、なに?」
「皆と一緒に、向こうに行ってくれないかな。話にも出てたみたいだけど、まだ『ハーメルン』と決着がついてないし、それに……君がいると、皆安心できると思うんだ」
 リゲイルは振り返って30人の顔を見た。皆が、固唾を呑んで成り行きを見守っている。皆緊張していた。リゲイルはクラウスに向き直ると、コクリと頷く。クラウスはホッとした。
「明日さんはどうする?」
「……私は、上の援護に行くわ。皆の無事が確認できたから。じゃあ、お願い」
 明日は背負っていたスチルショットを手にし、階段を駆けのぼっていった。
「あ、待てよ! ひとりは危ないって!」
 いつの間にか狸の姿に戻っていた太助が、慌てて明日を追いかけた。
「わわ、じゃあ、急がなきゃ。ああ、でも、落ち着こう。落ち着いて転送するんだ。皆、魔法陣の中に入って」
 クラウスがチョークで描いた魔法陣は、立って場所をギュウギュウに詰めれば30人がギリギリ入るくらいの大きさだった。もうひとまわり大きくすればよかった、とクラウスはちょっと後悔したが、すぐに気を取り直し、真顔になった。
「ミア、手伝ってくれ」
 つまらなさそうに瓦礫に腰かけていた水の精は、いつになく真剣なクラウスの声を聞くと、素直に彼に従った。描かれた魔法陣の周りを飛び回る。光を放ちながら。
 水色がかった白い光は輝きを増していく。
 魔法陣の中で、リゲイルはレモンの手を握った。


★Oct 12, 2008 10:29

 ふっ、と30人の視界から白い光が消えて、湿気と暗闇が広がった。
 土煙も、硝煙も、消え失せていた。リゲイルの足が、澱んだ水にくるぶしまで浸かっていた。
「あっ、来た!」
「あそこだ!」
「おーい、みんな大丈夫かー?」
 バシャバシャと、水音や足音や、懐中電灯の光が近づいてくる。
 彼らがバーで見かけた顔ぶれであることに安心して、リゲイルは手を振った。


★Oct 12, 2008 10:30

 煙が晴れていく。スタジオのどこかで、ロケーションエリアを展開したテロリストが、死んだか気絶したか解除したのか。それとも、展開されてから30分が経過したのか。時間を確認しているヒマはない。緊張状態の中にあると、1分も1時間に思えてくる。
 しばらく、1階中央で銃声と金属音が響いていた。ランドルフとシャノンは、その音と匂いを辿る。道中、いくつものプレミアフィルムが転がっているのを見た。気絶しているのか、ピクリとも動かない迷彩服とガスマスクの男が倒れているのも見た。念のためシャノンはそんな男を見つけるたびにガスマスクをはぎ取ったが、男たちは皆、白人でもとりわけ色素の薄いロシア系だった。そして皆、気を失っていた。無傷の男はひとりもいなかった。
「生の肉の匂いがする」
 ランドルフが唸った。
 シャノンはぐるりと右肩を回した。ついさっき撃たれた肩の傷はすでに治っていたが、パキリとかすかに関節が鳴った。武器は380ガバメントからS&W M686に持ち替えている。攻撃力が高いに越したことはなかった。相手を6発以内で仕留める必要はあったが。
 柱にもたれかかるようにして、リカが座りこんでいた。
 彼女がサッとシャノンとランドルフに顔を向ける。汗と煤で汚れていたが、双眸には険のある光がしっかり宿っていた。
 ランドルフが嗅ぎ当てた肉の匂いは、彼女のものだったのか。リカは右腕と右のふくらはぎから血を流していた。
「来ないで! ストラよ!」
 しかし、ランドルフは文字通り暴走状態だった。食人鬼である彼には、鮮血の匂いがあまりにも強烈過ぎたし、残っていた温厚な理性も、傷つけられた仲間を見たことで吹っ飛んでしまった。怪物の声で吼え猛り、突進したランドルフの頭上から――
 銃弾が降り注いできた。
「上だ!」
「野郎ォオオオオッ!」
 スタジオの天井には照明器具と鉄骨の梁が格子状に張り巡らされている。銃撃者はそんな鉄の足場から撃ってきていた。コンクリートの柱と床がはじけ、灰色の煙が上がる。シャノンは地面を転がって弾幕を避けた。
 ――独りだ。
 弾幕、とは言っても、ソレはアサルトライフル一丁の連射に過ぎない。
 ランドルフの鋼の肉体はいとも簡単に弾丸をはね返す。
 シャノンはテスタジオの天井に銃口を向けた。マズルフラッシュを確認し、引金を引く。マグナム弾が飛び出す衝撃は生半可なものではない。それでも彼は片手でマグナムを扱っている。
 鉄製の梁にマグナム弾が命中し、耳障りな音が上がった。銃撃がやむ。
 ピシュルッ、と奇妙な音がした。
 リペリングか、ターザンの真似事か、迷彩服の男が、梁からワイヤーロープにつかまって飛び降りてきた。弧を描いて飛んできた男の蹴りが、ランドルフの延髄にまともに命中した。
 ランドルフが倒れる。
 シャノンがマグナムの引金を引く。
 男はスライディングした。空薬莢とコンクリート片が散らばる床は、滑るのに最適だった。蹴りがシャノンの足首に当たる。
 男は目にも止まらぬ速さで、そのまま両足をシャノンの片足に絡めた。
 シャノンも倒れた。
 男はブリッジから倒立して起き上がるのに1秒もかけなかった。
 延髄を蹴られてさすがに数秒意識を失ったものの、ランドルフはその後ろで身体を起こしていた。立ち上がった迷彩服の男は、振り向きざまランドルフに回し蹴りを見舞っていた。またしてもランドルフの太い首に、コンバットブーツの固い靴底がめりこむ。
 続けざまに、軸足だったはずの足から蹴り。
 2発もまともに蹴りを食らって、ランドルフは後ろによろめいた。
「この、クソ……!」
 それでも今度は倒れなかったランドルフ。彼は、男の右足をガッシと掴んだ。
「ヌ・トゥイ・ダヨーシ、ハラショー」
 男が、ニヤリと笑ってそうささやいた。
 ランドルフは死んでも男の足を離さないつもりだった。
 しかし男は、ランドルフの胸板を駆け上がり、巨漢の背中に飛び降りたのだ。ランドルフの手首が瞬間裏返り、力がゆるんだ。男はその隙に、足首をランドルフの手から振りほどく。
「ドルフ!」
 奥から明日の声が飛んできて、ランドルフは息を呑んだ。
 その後頭部に、男は手にしていたガリルARMの銃底を叩きこむ。
 シャノンが倒れた体勢のまま、マグナムで男を狙撃した。
 リカは柱の後ろからナイフを投げつけた。
 マグナム弾は男の頬をかすめ、衝撃波が皮膚を切り裂く。リカのナイフは右手の甲をまともに貫いた。初めて男が舌打ちした。ガリルARMが落ちる、固い音。
 何人もの血が飛び散るこのフロアに、突然、バラバラと血の雨が降った。
 天井の梁の下スレスレを、三本足のカラスが飛んでいる。身体中から血を噴きながら。床に落ちた血は不自然なくらい美しいミルククラウンを作り、そして、のっぺらぼうのヒトガタに姿を変えた。真紅のヒトガタが、迷彩服の男の足にしがみつく。
「ケイ・シー・ストラ! 武器を捨てて両手を上げなさい!」
 明日がスチルショットを構えて凛と言い放つ。彼女の前に太助が飛び出して身構えた。
 シャノンのそばにヤタガラスが降り立つ――カラスはたちまち、エルヴィーネという鮮血鬼に姿を変えた。

 男は赤い目で6人をねめつける。口元には笑み。
 ケイ・シー・ストラ。
「……今こそ、貴様らがカタルシスを得るときだ」

 シャノンが放った弾丸が、エルヴィーネの血の軍勢を一部吹き飛ばし、ストラの左足を傷つけた。
 ストラはいつの間にか左手にジェリコを握りしめていたが、さすがに顔を歪めてバランスを崩した。
「この……クソ……野郎ッ!! ファック!!」
 柱の影から飛び出したリカが、ナイフの、『最後の1本』を投げつけた。
 ドスッ、とまともにストラの右胸に刺さる、そのナイフ。
 ストラは倒れながら、ジェリコを連射していた。
 太助の姿は一瞬で巨大なドラゴンになり、弾丸から明日を守る。
 ランドルフが叫び、倒れゆくストラの脇腹に、渾身のダブルハンマーを食らわせた。メキッとボキっという音が、ストラの体内で重なっていた。
「が…………ハっ…………!」
 どう、と倒れる長身。
 シャノンが、リカがストラに駆け寄る。リカはストラの上に馬乗りになって、その襟首を掴んだ。
「あんたみたいな……あんたみたいなクソ野郎がいるから……善良なわたしが、わたしたちが、迷惑すんのよっ!」
 シャノンとストラの頭に銃の照準を合わせ、黙っている。太助と明日が駆け寄ってくる。
「どういうつもりでこんなマネしたのよ、この××××! 言いなさい! どうして!」
「……平和を乱すのが悪というものだ。違うか、ジェーブシュカ?」
「……なんですって?」
「貴様らは今、とてつもないカタルシスを味わっただろう。久しぶりに訪れた平和を乱す悪の集団を蹴散らし……さらわれた人々を救いだした。貴様らがわれわれを追跡するために、手がかりまでくれてやったが、どうやら『筋書き』には気づかなかったようだな」
「そうか、言葉か」
 シャノンが呟く。どういうことだと、仲間たちは彼の顔を見た。
「普段は組織内でしか通じない言葉を使っているはずなのに、無線のやり取りには、俺たちが理解できる言葉を使っていた。ワザとだったのか……」
「あ……!」
「さあ、あとに残った仕事は、私を殺すことだけだ。正義を名乗るなら、最後の役目をまっとうしろ」
 ストラが赤い目を細めて、口の端を吊り上げた。
「私は悪だ。憎いだろう。殺して、終わりにしろ!」
「……!」
 リカは身を乗り出した。
 その膝が、ストラの脇腹に食いこむ。ソレは故意ではなかった。しかしその結果、ストラの体内で恐ろしいことが起こったようだ。
 砕けた肋骨が、内臓に刺さったらしい。
「……う……! グ……!?」
 ストラの目がいっぱいに開かれたとき、リカも、シャノンも、明日も、目を疑った。
 ストラの双眸から赤い光が消えて、冬の空のようなアイスブルーの目に変わったのだ。
「なん……だ!? なにが起こっ……、ゴホッ! ガフッ!」
「ストラ!?」
「あら、いけない。すぐ肋骨をなんとかしないと死ぬわね。刺さりどころが悪かったみたい」
 エルヴィーネが傘を回しながらのんびり言った。シャノンはリボルバーを懐にしまう。
「どうやら事情がありそうだな。この男には話してもらわなければならないことが山ほどある。もっとも、今殺すべきだと思う者がいるなら楽にしてやったほうがいいだろうが」
 血を吐きながらうめくストラの頬を叩いて、リカは思わず呼びかける。
「ストラ! ストラ、フ・パリャートケ?」
 ストラが声を絞り出す。
「……ニ、……ニェ・オーチン・ハラショー……」
「ストラ」
「……ティ・タカーヤ……ニェージュナヤ……スパシーバ――」
「え、ちょっ」
 ぼっ、とリカがいきなり赤面して絶句した。
「……何語? 宇宙語?」
 太助がおずおずリカに尋ねた。
「ロシア語」
「なんて言ったんだ?」
「……『大丈夫?』って聞いちゃったのよ。思わず。わたし、バカみたい。……そしたら、『あんまり大丈夫じゃない』だって……」
 リカは乾いた苦笑を漏らし、ストラの身体から離れた。

 ティ・タカーヤ・ニェージュナヤ――貴様はひどく、優しいな。
 スパシーバ――ありがとう。

 そう言った直後、ケイ・シー・ストラは意識を失っていた。


★Oct 12, 2008 14:30

『ハーメルン』に拉致されていた30名の市民は無事救出されたあと、リゲイルが手配した車や駆けつけた救急車で、銀幕市中央病院に運ばれた。ケイ・シー・ストラ以下、『ハーメルン』メンバー18名は、さらわれた人々の心証も考慮して、別の病院に搬送された。
 さらわれた人々は大事をとって全員がひとまず入院することになった。レモン、小日向悟、秋津戒斗の3人は状態もよく、明日には退院できるらしい。特にレモンなどは半日で帰ってもよさそうだと医者や見舞い客に言われる始末だった。
 旧ベリーウッド・スタジオに突入した8人もむ、中央病院で手当てを受けた。シャノンやエルヴィーネなどはケロリとしていたが、リカとランドルフのケガは無視できないものだった。ランドルフなどは暴走状態を解除してみると、顔と頭はボコボコになっていて、明日とリゲイルの心配をかうほどだった。
「やれやれ……ってところだけど、まだ全部解決したワケじゃあないんだよねえ。結局、『ハーメルン』は何が目的だったって?」
 医者のあとをついてまわっている水の精の動きを見守りつつ、クラウスが間延びした声で言う。彼のケガはかすり傷程度だったが、急ごしらえの魔法陣で30人以上の同時転送はかなり体力を消費した。
 明日が視線を床に向け、無表情で呟く。
「あの様子だと、洗脳されていたか、操られていたか……そんなところね。『悪』と『正義』のあり方に、ひとつの主義をもって行動をおこしたようだったけれど……彼の意思ではなかったのかも……」
「どうもそうらしい」
 治療を終えて待合室に集まっていた8人のところに、竹川導次とケイン・ザ・クラウンが現れた。ドウジはキセルでタバコをふかしていたが、看護婦に睨まれ、難しい顔でキセルをしまった。
「おまえら蹴りまわしたりチャカブッ放したりしたこと、詫びてたで」
「へえ、あたしのサーカスのゴタゴタのことも、丁寧に謝っていただきやしてねえ」
「あいつ、もう気がついたの? ああいうのに限ってムダにタフなんだから」
「おんなじ言葉話せる仲だろ、見舞いに行ってやれよう」
「ばっ……、な、何言ってんの!」
「ひゅーひゅー」
 太助が駆け出し、8人の中でいちばん傷が深いはずのリカは、猛然と彼を追いかけ始めた。
 そんなふたりを見ながら、病院の中でもさしている傘の柄をまわし、エルヴィーネがちょっと息をつく。
「機械いじりが得意なあのテロリストも、仲良く搬送されたはずよね。『バシャー』の仕組みについて聞いてこなくては」
「生き残ったのはストラも合わせて20人か。例の糸巻きにした捕虜はどうした」
「あ、忘れてましただ。デヘヘヘ」
「連中、悪役会に入る言うてたわ。まだ落ち着くのは先やな。20人も登録せなあかん」
「あの……、ストラさんたちが入院してる病院……、どこですか?」
 リゲイルの問いに、ドウジが「どうして聞く」とばかりに目を細めて眉を上げた。
「市役所から、住民登録用の書類をもらって、渡してこようと思って。だって……もう、あの人たちも銀幕市民でしょ?」
「お嬢さん、あなた……」
 エルヴィーネがリゲイルを咎めようとした。
 優しさが通じない相手もいる――。そう言ったことを、忘れたのかと。
「ちゃんと謝ってくれるひとに、悪いひとなんていないわ」
 リゲイルはそう言って、ちょっとすり傷のついた顔でいっぱいに笑った。


★Oct 12, 2008 16:40

「そうだ……フランキー・コンティネント……あのアメリカ人に会った。それからのことが……わからない。自分がやったことも、考えたことも、ボンヤリしている」
 ケイ・シー・ストラは顔を上げ、アイスブルーの目で『ハーメルン』の生き残りを見回した。
「すまなかった。ここは『現実』の日本の中であって、われわれが敵としたアメリカはどこにもないのだ。必要のない戦いで私は同志を死に追いやり、貴様らは手傷を負ったのだ」
「リーダー。われわれはそのアメリカ人を憎むだけです!」
「われわれの敵はアメリカではなく、そのフランキー・コンティネントになったのです!」
 口々に言っては身を乗り出すメンバーに囲まれて、ベッドの上のストラは口を閉ざす。
 彼らにしか通じない言葉がワイワイと飛び交っていたが、ある瞬間を境に、ピタリとやんだ。
 見舞い客が来たのだ。
「……こんにちは」
 頑健なテロリストたちの中にあっては小さすぎるくらいの、赤い髪の少女。手には何枚もの紙切れと、ウオッカの瓶。ロシア語のメッセージカードが添えられている。
「ドーブルィ・ジェニ、ジェーブシュカ」
 こんにちは、お嬢さん。
 ストラは静かにそう挨拶を返して、彼女を病室に迎え入れた。

クリエイターコメント龍司郎です。このたびはBBSイベントに続くシナリオ参加、ありがとうございました&お疲れ様でした!
さらわれた人々は全員無事に救出できました。このたびは事務局に許可をもらい、龍司郎が……いやハーメルンが拉致したPC3名様も描写させていただきました。
さらわれたPCさんが何とか運動会イベントにも参加できるようにと、急ピッチで執筆いたしました。BBSイベントが駆け足になってしまったのも同様の理由です。流れが早すぎるというご意見もいただきました。申し訳なかった、忙しなかったと反省しています。
今回のノベルは銃の名前をガンガン出せて嬉しかったです。
ストラは壮絶に散る予定でしたが、生け捕り系(この言い方なんか野生動物みたい)プレイングが多かったこと、戦力が分散していたことから、このような結果になりました。もっとも、殺害した場合もこの真相は変わらなかったワケですから、後味は悪くなっていたかもしれませんね。
ストラを含めた『ハーメルン』を信用するもしないも市民の自由です。
この問題はひょっとすると序章に過ぎなかったのか、それともとっくに序章は始まっていたのか……。今後の展開を楽しみにしていただけたら幸いです。

※ストラのセリフは一部ロシア語です。架空言語のほかにロシア語も話せるヒトなんだということにしてください。ハーメルン語=ロシア語ということではないです。あと龍司郎はべつにロシア語ができるというワケではなく、ネット上や本で調べたあいさつや単語を並べてるだけです。ロシア語ムズカシイネ。
ノベル中で表記したハーメルン語と言えるものは「ダ・ヤア!」のみです。「了解」とか「はい」とか「わかりました」とか、そんな意味の言葉です。
公開日時2008-10-18(土) 06:40
感想メールはこちらから