★ 【最後の日々】海を見ていた午後 ★
<オープニング>

 静かだった。
 日差しは初夏の輝きをおびてはいるが、まだ海水浴をするには、星砂海岸の波も冷たい。
 だから浜辺は、静かだった。
 ただ寄せては返す波音と――、ときおり、うみねこの声がそれに混じるだけ。
 沖には、役目を終えて再び着水したダイノランド島が見える。
 銀幕市から望む海は静かで――、そして平和だった。

 マスティマとの戦いは終わった。
 ノーマン小隊も、微力なれど、市街地に展開して、こぼれ落ちてくる小ディスペアーの掃討に従事していたようだ。
 それから、数日が過ぎ。
 ポップコーンワゴン『ジェノサイド・ヒル』は、星砂海岸の堤防に停まっていた。海水浴客で賑わう頃ならともかく、今はこんなところにいても客など来ないだろう。隊員はそう思ったが、小隊長に異を唱えられるはずもない。
 ノーマンは、売り物のポップコーンをぼりぼりやりながら、視線を水平線へと投げていた。
「おい」
 あるとき、ふいに、ノーマンが口を開いた。
「いつもあのへんに、船があっただろう。大航海時代みたいなやつ」
「ああ……、少尉、それは……」
 無骨が指がさす方角を見て、隊員たちが言葉を濁す。
 ダイノランドとともに戦ったあの船は損傷を受けて――今はどこでどうしているのだったか……隊員たちは知らなかったが、その船を指揮していた人物がどうなったかは、知っていた。
 誰も何も答えないので、いつもなら怒りだすところだが、今日のノーマンは黙って口を引き結んだだけだった。
 そして。
「おい」
 次に口を開いたとき、ノーマンは言ったのだ。
「小隊は解散するぞ」
「……え?」
「あと何日もない。ポップコーン屋だの訓練だのしているのもバカらしいだろう。おまえたち全員、除隊だ、除隊。恩給は出せんが、小遣いくらいならやれる。好きに過ごせ」
 誰も何も言わなかった。

種別名パーティシナリオ 管理番号1047
クリエイターリッキー2号(wsum2300)
クリエイターコメントリッキー2号です。
このシナリオで書かせていただく「最後の日々」は、ある日の、海辺の様子です。
あなたはその日、海へやってくるか、通りがかるかしたのです。

このパーティーシナリオでは、あまり深い描写は行いません。
PCさんの描写はおそらくワンシーン。
もしかしたら、お名前も出ないかもしれません。
ですが、ひとりでも多くのPCさんの、そこにいた証を、ほんの少しずつでも描かせていただくことができればさいわいに存じます。


参加者
ルークレイル・ブラック(cvxf4223) ムービースター 男 28歳 ギャリック海賊団
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
白姫(crmz2203) ムービースター 女 12歳 ウィルスプログラム
風轟(cwbm4459) ムービースター 男 67歳 大天狗
エドガー・ウォレス(crww6933) ムービースター 男 47歳 DP警官
レオンハルト・ローゼンベルガー(cetw7859) ムービースター 男 36歳 DP警官
蘆屋 道満(cphm7486) ムービースター 男 43歳 陰陽師
真山 壱(cdye1764) ムービーファン 男 30歳 手品師 兼 怪盗
リカ・ヴォリンスカヤ(cxhs4886) ムービースター 女 26歳 元・殺し屋
浅間 縁(czdc6711) ムービーファン 女 18歳 高校生
ユージン・ウォン(ctzx9881) ムービースター 男 43歳 黒社会組織の幹部
クラスメイトP(ctdm8392) ムービースター 男 19歳 逃げ惑う人々
白闇(cdtc5821) ムービースター 男 19歳 世界の外側に立つ者
黒光(ctmb7023) ムービースター 男 18歳 世界の外側に立つ者
ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
ウィズ(cwtu1362) ムービースター 男 21歳 ギャリック海賊団
ランドルフ・トラウト(cnyy5505) ムービースター 男 33歳 食人鬼
ギリアム・フーパー(cywr8330) ムービーファン 男 36歳 俳優
レオ・ガレジスタ(cbfb6014) ムービースター 男 23歳 機械整備士
香玖耶・アリシエート(cndp1220) ムービースター 女 25歳 トラブル・バスター
シグルス・グラムナート(cmda9569) ムービースター 男 20歳 司祭
二階堂 美樹(cuhw6225) ムービーファン 女 24歳 科学捜査官
旋風の清左(cvuc4893) ムービースター 男 35歳 侠客
アレグラ(cfep2696) ムービースター 女 6歳 地球侵略軍幹部
大教授ラーゴ(cspd4441) ムービースター その他 25歳 地球侵略軍幹部
真船 恭一(ccvr4312) ムービーファン 男 42歳 小学校教師
桑島 平(ceea6332) エキストラ 男 46歳 刑事
刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
赤城 竜(ceuv3870) ムービーファン 男 50歳 スーツアクター
岡田 剣之進(cfec1229) ムービースター 男 31歳 浪人
鈴木 菜穂子(cebr1489) ムービースター 女 28歳 伝説の勇者
流鏑馬 明日(cdyx1046) ムービーファン 女 19歳 刑事
犬神警部(cshm8352) ムービースター 男 46歳 警視庁捜査一課警部
シュウ・アルガ(cnzs4879) ムービースター 男 17歳 冒険者・ウィザード
ベアトリクス・ルヴェンガルド(cevb4027) ムービースター 女 8歳 女帝
悠里(cxcu5129) エキストラ 女 20歳 家出娘
ノルン・グラス(cxyv6115) ムービースター 男 43歳 ギャリック海賊団
エフィッツィオ・メヴィゴワーム(cxsy3258) ムービースター 男 32歳 ギャリック海賊団
ノリン提督(ccaz7554) ムービースター その他 8歳 ノリの妖精
ヤシャ・ラズワード(crch2381) ムービースター 男 11歳 ギャリック海賊団
アスラ・ラズワード(crap4768) ムービースター 男 16歳 ギャリック海賊団
<ノベル>

「今更つまらぬ真似はやめよ!」
 蘆屋道満の鉄拳が、ノーマンを殴り飛ばした。
「部下の面倒は最期まで見るのが大将の役目ぞ。我はあれの最期を看取ることはできなんだが――、そなたは違うであろう」
「……」
 ノーマンは、大の字にひっくりかえったまま、無言でいた。
 その瞳は空を映す。
 やがて、深い、息を吐く。怒ることも、反論もせずに。
 隊長の言葉に、ノーマン小隊の兵士たちは、水を打ったように静まり返ったあと、天地をゆるがすような号泣を発しながらノーマンを取り囲んですがりつくような様子を見せた。それを一喝されると、今度は各自が、泣きながら四方八方へ、蜘蛛の子を散らすように走りだして行った。
 そのうちの、海のほうへ走って行ったものたちは、カニが大漁の投網を背負った蘆屋道満が褌一丁で海からあがってきたのへ出くわしたらしい。服を身につけながら事情を聞いた道満は、大股にノーマンに歩み寄ると問答無用でドカンと一発、という一幕であったらしい。
「最期の一日まで、前に立ってしるべとなってやれ」
 懇々と諭す道満。
 彼の部下たる仮面の傀儡たちは、遠巻きに体育座りで見守っている。
 そのそばで泣き崩れている隊員のひとりの頭を、傀儡がそっとなでてやった。

(我はあれの最期を看取ることはできなんだが――)
 道満はそう言ったのだ。
 最期を看取るも何も、道満が銀幕市にやってきたのはすでに彼が果てたあとのこと。
 一方で――
 自分たちの頭目を失ったものがいる。
「……」
 近づいてくる、砂を踏む足音に、ルークレイル・ブラックは振り返らなかったが、それでもなぜか、足音のぬしが誰だかわかる気がした。
 足音は止まった。
 寄せては、返す波を、ルークレイルはただただ眺める。
 うしろにいる誰かも、そうしているのだろうか。
「……一本、くれよ」
 掛けられたのは予想したとおりの声だった。
 ルークレイルの手元にはすでに吸殻が山盛りの空き缶。
 残っていた一本を、彼は分けてやった。
 マッチを擦って火をつける。紫煙を吐き出し、ウィズは、かるく礼を言うと、そのままどこかへ歩き去ってしまった。

 そんな海賊団のふたりに気づいて、遠目に見ていたものがいる。
 真船恭一だった。
 車で通りがかり、思わず停車してしまった。
 浜まで降りてはみたが――しかし、会って何になる? かける言葉も見つからなければ、どんな顔をすればよいかもわからなくて、立ち止まる。
「あ、ふー坊」
 バッキーが、ぴょん、と肩を飛び降りて、砂浜をとてとてと駆けていく。
 そうだ、別に急ぎの用があるでなし……、バッキーを浜で遊ばせることにして――まるで最初からそのつもりだったように――、真船は表情をゆるめ、バッキーの後を追う。
「ああ、すいません」
 ――と、波打ち際近くで、ふー坊は同じ色のバッキーにじゃれついて、ひとつの白い塊となり、ころんころんと砂の上を転がっていた。
「いや」
 飼い主らしい青年が笑った。
「ちょうどよかった。……ヘルさんがきてからもさ、仕事ばっかりであまり構ってあげられなかったから」
 べつだん聞かれもしないのに、青年――真山壱は語った。
 きっと今の銀幕市では、誰もがそうだろう。
 誰もが語るべき気持ちを抱いていて、それはちょっとしたきっかけであふれだし、誰かに聞いてもらったり頷いてもらったりしたい。
「こんなことならもうちょっと遊んであげればよかったな。……なんだか情けない父親の気分だよ」
 真船はその言に眉尻をさげて、泣き笑いの表情を見せた。
 その意味では、真船は全力でバッキーを溺愛してきた父親だったが、そんな真船にさえ、やり残したと思うことは多くある。いつだって、「残された時間」とは少ないものだ。

 その日、星砂海岸にはバッキーだけでなく、なにかちいさいものが飛びまわる気配があった。
 それはぼんやり海を見ていたレオ・ガレジスタの視界の端をかすめ、なんだろうと彼が振り向くともう見えない。
「……?」
 しかしおともの紀州犬・ムクは、何かいるのをわかっているようで、彼が空気の匂いを嗅ぐのにまかせて浜を歩けば、レオは岩場の影に光るものを見つけた。
「なんだろう。瓶だよ」
 コルクの蓋は蝋で封されているあたり、なにやた秘密めいているが、中に入っているのはビー玉やガラスのおはじきである。
「…………あれの、宝物でね――」
 静かな声に、レオは顔をあげる。
 先ほどまで誰もいなかった、ただムクがじっと目を虚空に向けていただけの岩陰に、ひとりの初老の紳士がいた。
「『これから行く場所』には持っていけないよ、と言ったら、それなら街のあちこちに隠しておくことにしたらしい」
 ブラックウッドの口元に、穏やかな微笑が宿った。
 彼の使い魔が、すこし先の浜で、砂になにかを埋めているのが見える。
 いつか――、魔法が消えたあと、市民の誰かが見つけるだろう。
 小瓶に封印された、彼の「たからもの」を。それはちっぽけなガラクタにすぎず、でも、たしかに「たからもの」だった。だってそれはこんなにも、きらきらと輝いていて――。
「……そっか。じゃあ」
 レオは笑って、瓶をもとの場所に戻した。
 これは彼がもらっても、やっぱり持って行けないようだったから。

  ★ ★ ★

「なるほど。よくわかった。……ほら、これを」
 堤防脇のガードレールに腰かけて話を聞いていたエドガー・ウォレスは、きれいに折りたたまれた真新しいハンカチを差し出す。
 彼は街のほうへ走り去った小隊員と行きあたり、話を聞いてやっていたのだった。
「……君たちは、素晴らしいボスに恵まれたんだね」
 そして彼は言った。
「最後に、君たちに自由に過ごす時間をあげようと思ったんだろう」
 すすりあげながら、隊員たちは顔を見合わせた。
「決して、君たちを見捨てたわけではないと思うよ。良きリーダーにとって、メンバーは何より大切なものだ。メンバーにとってリーダーが必要であるように」
 たとえばあの海賊団も――、ノーマン小隊とことあるごとに小競り合いをしていた黒衣のテロリスト集団だってそうだ。
「もし君たちが、少尉と一緒にいたいなら、君たちからも彼に、なにかをしてあげたらどうかな……?」
 エドガーの提案に、駆け出していく兵士たちを見送ってから、彼もまた歩き出す。
 ふと、視線を投げた海のほうに、見知った人影を見る。
 そして、海風にまじる光のきらめきを。

 レオンハルト・ローゼンベルガーは、波の上に、そっと花束をたむけた。
 あの日――マスティマとの死闘が繰り広げられたあの日も、レオンたちは、この浜に立った。
 レオンハルトは無言で、敬礼をささげた。
 誰からともなく、居合わせたものたちはそれに倣って……、皆が、彼が散った海へと祈ったのだ。
 その記憶もまだ新しい。
 レオンハルトが波間に送る花は“敬意”を意味する白いバラ。
 言葉は、ない。
 言い尽くせない思いは、薔薇に託した。
 風に、きらきらと輝くなにかが舞っているのを、レオンハルトは見る。
 よく見ればそれは透き通った花弁であり、それを追うように舞う硝子の蝶だった。
 それが、白姫が生み出したものだと誰か気づいただろうか。
 海に居合わせたものは、その不思議な光景を、打たれたように、無言で眺める。
 砂粒から生み出されたそれは、波にふれるともとの姿に戻ってほどけていく。それが白姫の葬送の儀礼だ。かつて、彼女を生みだした存在に教わった通りの作法で、彼女のあるじとはとうとう再会のかなわかったこの街への、別れを彼女は指先で紡ぐのだ。

  ★ ★ ★

 ぐい、とシャツの裾をひかれて、シュウ・アルガは立ち止る。
「あれはポップコーン屋であろう」
 ベアトリクス・ルヴェンガルドは、迷彩柄のワゴンを指して言った。
「だな」
「……」
「……食いたいのか」
「べ、別にそうは言っておらんぞ」
 食べたいらしい。
 シュウはがしがしと頭を掻いた。
「いいけど、俺たちこれから飯食いに行くんだぞ? ポップコーンで腹が膨れたら『海燕』のゴマ団子はどうするよ?」
「む……。『海燕』のゴマ団子は絶品であるからのう……、皮がこう、モチモチっとして、餡がなめらかで……」
「杏仁豆腐も食いたいっつってたろうが」
「おお、杏仁豆腐! あれも、甘酸っぱいフルーツと、ふるるんとした杏仁豆腐が……」
「……」
 ゴマ団子も杏仁豆腐もうまいが、ポップコーンだってうまそうなのは、シュウも認める。
 息をつき、じゃあ、1コだけ。全部食べずに、あとは置いておくこと――。そんな提案をして、ワゴンへ歩み寄る。
 ジェノサイド・ヒルでは、先客の岡田剣之進がポップコーンを買い求めたところだった。
「世話になったところに挨拶まわりをしておったのだ。そういえば貴殿にも世話になったな」
「何がだ」
 紙カップに塩味ポップコーンを注ぎ入れながら、むっつりとノーマンは応えた。
「いつぞやの……なんと言ったか――そう、ぶーときゃんぷ、だ」
「ずいぶん昔の話だな」
 ノーマンは微笑った。
 そう。かすかにだが、微笑ったのだ。

「ちょっと聞いたわよ!」
 リカ・ヴォリンスカヤが、原付バイクを押してあらわれた。
 隊員の幾人かをともなっている。泣きながら走り去ったかれらを見つけて、事情を聞いたらしい。
「軍隊やめるんですって? いいじゃない、それがいいわよ、私は大賛成!」
 意外なほど明るく、リカは言った。
「だいたいベトナム戦争なんてもう30年以上も前に終わってるんだし、戦争とか軍隊とかもう古いのよ。じゃあ、軍隊やめた記念でぱーっと行きましょう、ね?」
 どちらかというと、リカには少尉を止めてほしかった隊員が泣いてすがったが、
「せっかく除隊したんだから、楽しいこと考えなさい? んー、そうね、海水浴にはまだちょっと早いし……、漁でもする?」
 とかなんとか言われて、浜へひきずられていく。
 いつもなら。
 泣いている隊員をどやしつけて、男のくせにめそめそするんじゃないわよ、○○ついてんの!?くらいは言うのが、リカではなかったか。
 彼女をよく知る誰かなら、そんな違和感を感じたかもしれなかった。
「……ビーチボール」
 ぼそり、とノーマンが言った。
「え?」
「あっただろ。持って行ってやれ」
「あ、ああ、はい」
 ワゴンにしまってあるそれを持って、隊員のひとりが駆け出していく。
「おい」
 そのとき、陽光を遮ったシルエットが、ワゴンに影を落とした。
 大教授ラーゴだった。
「松茸狩りではアレグラが世話になったな!」
 いつかの神獣の森での松竹狩りツアーで、ノーマン小隊と遭遇してポップコーンの銃撃を浴びせられたひとりがアレグラだった。そしてその保護者がラーゴだ。ノーマンたちはそんなことはいちいち覚えていないし、当のアレグラの記憶からも消えているようだが、ラーゴは執念深かった。
「覚悟!」
 一升瓶を振り回して、ラーゴが襲いかかってきた。

 悠里は、砂浜に腰かけて、ぼんやりと海を見ていた。
 いいようのない寂しさを抱え、なんとなく足が海へと向いたという市民は、その日、少なくなかったようだ。
「……きゃっ!」
 だがセンチメンタルな時間も束の間、剛速球のビーチボールが悠里を直撃した。
 飛んできたほうを見れば、小隊員とリカたちが手を振って謝っているのが見える。ビーチボールがこんなに痛いとは、いったいどんな力で投げたというのか……、どうにか立ち上がった彼女に、今度はポップコーン弾が襲いかかり、ヒイ、と声をあげて悠里は飛びあがった。
 それはワゴン周辺で戦うラーゴと小隊からの流れ弾だった。
 あんまりだ。
 静かに別れの時間を惜しみにきたのに、ついてない。
 悠里は思ったが、しかし……、一升瓶で殴りかかられて右往左往する小隊や、スポーツよ、戦争じゃなくてスポーツをしなさい!と鬼コーチモードのリカに追い立てられる小隊を見ているうちに、いつしか、笑顔がこぼれているのだった。

  ★ ★ ★

 おおむね静かだった海岸だが、ときおり、そんな騒ぎが起こることもあり。
 昼間は虎の姿のアスラ・ラズワードは、ぴくり、と耳を動かし、薄目を開けるが、弟ヤシャがかわらず彼にもたれて寝息を立てているのを確認すると、ふたたび目を閉じる。
 ヤシャが、アスラのやわらかな毛並みの上で、ごろんと寝返りをうち、むにゃむにゃ……親父……、と寝言を言った。
 そんな兄弟たちの昼寝姿になごんだ微笑を浮かべつつ、ノルン・グラスと、エフィッツィオ・メヴィゴワームは、波止場から釣り糸を垂らしている。
 ノルンが傍に置いたラジオからは、雑音まじりにDJの声と音楽が。
 それはいつもと変わらぬ、穏やかな午後の一幕。
 くわあ、とエフィッツィオが大きなあくびをした。
 ふたりの魚籠の中には、大して獲物が入っていない。団員みんなの晩飯を釣ってきてやる、と豪語してしまったのを思い出し、ノルンは苦笑を浮かべる。
「おい」
「ん」
「勝負だ」
「あ?」
 唐突に、ノルンは言った。
「どっちが多く釣れるか。今から競争だ」
「ンだよ、いきなり」
 エフィッツィオは笑った。
「別にいいぜぇ」
 居住まいを正す。
 自分から持ちかけておきながら、ノルンのほうは大して様子が変わらなかった。
 勝負をしようがしまいが、魚が釣れるか釣れないかは時の運、なのかもしれない。

  ★ ★ ★

「ぽよんす! 塩味の3つおくれー」
 太助だった。
「……。おまえ、背が伸びたのか?」
「え?」
 狸姿の太助は、お金を払うとき、ワゴンのカウンターまで背がぎりぎりだ。せいいっぱい手足を伸ばして差し出された小銭を、カウンターの中から隊員が受け取っていたはずだ。
 本当に――わずかに、なのだが。
 出された小銭の位置が高くて。
 それに気づけたのは、ノーマンだけだった。
「えへへ、そうか? 俺、成長期だからな」
「……」
 照れたように適当なことを言って、ポップコーンを受け取り、大事そうにそれを抱えて、太助は駆け去る。待っていた老夫婦が、ノーマンのほうにも頭を下げた。たぶん太助が暮らしている家の夫妻であろう。
 およそ3年――。
 この街では、映画からあらわれた存在が、もとからいた市民たちとともに暮らしていた。
「……」
 それは、たしかに、ある種の啓示であったのだろう。
「…………俺は」
 誰にともなく、ノーマンは言った。
「あまり神に祈らなかった。ベトナムの戦場から、神は目をそらしていると思っていたからな」
 神といっても、リオネたちのことではないだろう。
 軍服の胸を、ノーマンの無骨な手が掴む。
 その迷彩柄の戦闘服の下に、ドッグタグだけでなく、ロザリオがかかっているのを、知っているものはほとんどいない。
「だが……。神は――」
 なにかを悟ったように、ノーマンは天を仰いだ。
 その双眸から、音もなく、ふたすじの涙が、すうっ――、と、流れた。

「海なんて久しぶりだ」
「だろ?」
 黒光は微笑った。
 黒光と白闇は連れ立って、浜辺を歩く。
 こんなに海が近いのに、今まであまり来たことがなかった。
 銀幕市でもそれぞれに職をもったふたりは、つい日々の雑事に忙殺されていた。
 リオネがくれた別れのいとまは、ふたりにとっては久々の休暇の時間でもあったのだ。
 白闇は水平線へと視線を投げた。
 黒光もそれに倣う。
 ただ、言葉もなく、波音と海風に身をまかせる。
 『世界の外側に立つもの』だったふたりが、文字通りやってきた外の世界の、最後の名残を見るように。
「俺は、後悔などしてない」
 ぽつり、と黒光が言った。
 白闇は、ただすべてを許し、包むかのような声で、ああ、とだけ、短く応えた。

 香玖耶・アリシエートが波打ち際を歩く。
 素足になって、波と戯れるように――でも服を濡らさないように、スカートの裾をそっと持ち上げて。
 それはまるでダンスのようだ。
 初夏の日差しの中、青い空と白い雲のカンバスを背景に、波と踊る香玖耶。その光景は、砂に座って彼女を眺めているシグルス・グラムナートにとって、新鮮な光景だった。
 彼の知る香玖耶は「森に住む魔女」……、いつも彼女は深い緑の中に居た。時に木漏れ日に微笑み、時に小昏い樹の陰に潜み――。
 まるであの頃のことが夢のようだ。
 真実、それは、映画という名の夢だったのだが……今は、一方で、銀幕市の暮らしもまた、別の意味で夢だと、シグルスは思う。
 カグヤが傍にいるという、このかけがえのない時間。
 それはたとえば、波に遊ぶカグヤ、という、今まで見ることなかった彼女に出会える、奇跡のような瞬間の積み重ねだ。
「ねえ、見て」
 香玖耶がやってきた。
 波打ち際できれいな貝殻を拾ったのだという。
 やさしい笑みを返しながら、シグルスは思う。魔法の終わりなどとうに覚悟していたが、こうしていると、もっといろいろなカグヤの姿を見たくなる自分に、苦笑してしまう、と。

「決着つけるぞ!」
「はァ?」
 振り向けば、アレグラが仁王立ち。
 旋風の清左は、ただ、戦いに散った人を偲び、海に手を合わせていただけだった。
 アレグラは愛犬ヴィヴェルチェの散歩に来ただけだったが、そこで『しくめいのらいばる』に会ったのだ。ここで会ったが百年目。今こそ決着の時!
 奇声をあげて、アレグラが躍りかかる。
「ちょ――」
 清左は真剣を抜くわけにもいかず、とっさに落ちていた流木の枝を拾い、アレグラの攻撃を受けとめる。
「嬢ちゃん、勘弁してくだせえ!」
 アレグラは手足を伸ばしてむちゃくちゃに振り回してくるが、ことごとく清左に避けられたり、木の枝に受け止められたりする。
 それを見かねたのか、ヴィヴェルチェが唸り声をあげて、清左に飛びかかってきた!
「!? ちょっと待て!」
 むしろ犬のほうが脅威だ。
「人犬、一心同体!」
 アレグラはよくわからない理屈で胸を張る。
 清左とアレグラとヴィヴェルチェが混ざり合うように暴れる。この勝負に決着がついたのかどうかはさだかではない。

  ★ ★ ★

 ゆっくりと、日は傾く。
 ムービースターたちと過ごせる一日が、今日も終わっていこうとしていた。

 堤防沿いの道を走る自転車がある。
 クラスメイトPが漕ぐ自転車のうしろに、浅間縁が腰かけ……、その姿は、何の変哲もない、本当にどこにでもいる男女にしか見えない。そう、それはたぶん、ごくありふれた、ボーイ・ミーツ・ガール。
「……ね、P」 
 縁が言った。
「なに?」
 ペダルを漕ぎながら、Pは応えた。
「…………ありがとね」
「……!!!!」
 思わずペダルを踏み外した。
 その拍子に、なぜか自転車のチェーンまで外れた。
「うわあああっ!?」
「ギャーーーー!!」
 ありとあらゆる雰囲気を台無しにして、ふたりは転んだ。
「ちょっと何!? 今の何キッカケ!?」
「と、突然、びっくりするようなこと言わないでよ〜」
「私のせいなの!?」
 怒ってもいい状況のような気もするがそれより先に笑いが出た。
 つられて、Pも、痛みも忘れて、笑った。
 出会ってから何度、こんなふうに笑い合っただろう。
「きみたち、大丈夫かい?」
 声をかけられて振り向くと、背の高い白人の男が、日本人の女性と、5歳くらいのハーフっぽい顔立ちの子どもを連れて、ふたりの様子をのぞきこんでいた。
 ギリアム・フーパーだ。

 すこし、フーパー一家(ギリアムと、その妻子)とともに歩いた。
 ギリアムたちは、市内をあちこち見て歩いていたのだと言った。
「ロスに越すことになってね」
「え」
 そう言ったギリアムの横顔を、縁は忘れないだろう。
 彼の手の中の紙カップに気づいた縁を、ギリアムはワゴンの場所まで案内してくれた。
「……隊をやめるってホント?」
「ああ。……おまらも、兵隊なんかになるなよ」
 ぶっきらぼうに、ノーマンは言った。
 別れ際――、クラスメイトPは敬礼をして、お疲れ様でした!と言った。ノーマンたちは、誰も笑わずに、敬礼を返してくれた。
「……浅間さん」
 自転車を押しながら、Pは言う。
「僕のほうこそ……。ありがとう……」

「まだやってる!?」
 リゲイル・ジブリールが駆けこんできたのは、ジェノサイドヒルのワゴンがそろそろ店じまいを始めていた頃だ。
「キャラメル味は売り切れちゃったけど、他のはあるよ」
 スコット上等兵がそう応えると、彼女は顔をほころばせた。
「よかった! 最近やっと現金でも買い物できるようになったの」
 さらりと聞き捨てならないことを言いつつ、リゲイルは財布を出してみせた。
「おう、リゲイル」
 そこへ声をかけてきたのは刀冴だった。
「どうしたんだ」
「あ、刀冴さん。……海を見てたの。ダイノランドがよく見えるでしょ」
 対策課の依頼で、出現したばかりのあの島に渡ったのは、ずいぶん昔のことだ。
 あれから、時が流れた。
「刀冴さんは?」
「ああ、俺は……ま、挨拶まわりってとこかな」
「……」
 数日後には、彼はもういない。
 彼だけじゃない。ノーマン小隊もだ。
 ほんのかすかな翳りを、引き攫うような大声で、刀冴はノーマンに向かって言った。
「いろいろ世話になってありがとうな! もし次に会うことがあったら十狼に、竜の背中から放り出すのはやめてやれって言っとくからさ。でもあれマジに見ものだったらしいぜ」
「ほぉう、そうか、なら今度はかわりに俺が引きずりおろしてやるからパラシュート用意しとけと伝えておけ!」
 ぐい、と差し出した紙カップを、刀冴が受け取ろうとした瞬間、さっと避けて空を掴ませる。そこからはじまって、こづきあいというには乱暴なタッチの応酬になる。
 リゲイルは笑った。
 口ではいろいろ言いながら、ふたりとも、笑っていたから。
 やがて、刀冴が、ワゴンに一升瓶があるのを見つける。それは昼間に、大教授ラーゴがなぜか結局置いて行ったものだった。よく見ればそれなりに値の張る大吟醸。ラーゴなりの餞別だったのだろうか……。
 せっかくだし一杯やろうぜと言い合っている少尉と刀冴を横目に、リゲイルは、いつかのみんなで温泉に行ったときのことを思い出していた。スコット上等兵にそう言うと、あのときも大変だったけど楽しかったねえ、と返ってくる。他の隊員たちもうんうんと頷いた。とりわけ、帰りの列車内で起きた、刀冴のジャムパンが犠牲になった事件は、その超絶トリックと意外な犯人に映画化のオファーが来たとか来ないとかいう騒ぎであったのだ。
 ――と、リゲイルは、ふいに、なにかに気づいて、浜へと降りる階段を下っていく。

 静かに、歌う。
 その声は、黄昏の波音にかき消されるようにはかなく、しかしたしかに、どこかへ届いている。
 ユージン・ウォンが砂浜を歩けば、さまざまなことが思いだされる。
 ここでいつか花火を見た。
 あの女侠と会ったのはいつのことだったか。
 それから――、それから……。
 いつしか口をついてでるのは、戦に出かけ、そして帰らなかった男の魂を讃える歌。アイルランドの民謡など、知っているものはそう多くはなかったが、たとえ英語を解さなくても、祈るような、咽ぶような響きは、聞くものの心を打ったに違いない。
 気配に振り向けば、リゲイルが手を振るのが見えた。
 かるく手をあげて、それに応える――。

  ★ ★ ★

 犬神警部は、打ち上げられた木の破片のようなものに気づいた。
 見れば、そういったものは浜のあちこちにあって。
「……」
 なんとなく気になって拾い上げる。
 まるで嵐があって沖で船が沈んだとでもいうようだ。
「なかなかさまになってきたではないか!」
 豪放な笑い声を聞いて顔をあげると、海からふたりの巨漢があがってきたところだ。ずいぶん暖かくなってはきたが、さすがに海水浴には早いだろうに、と、犬神警部は目を見張る。
 ひとりは風轟。六尺を締めただけの姿だが、水の冷たさなどものともしていないようだ。
 もうひとりはランドルフ・トラウトで、ビート板をもっているところをみると――泳ぎの練習でもしていたのだろうか。
「おウ、なにしてたんだ。まさか泳いでたのか!?」
 浜のほうから、ランドルフを見つけて声をかけてきたのは桑島 平だ。
「ええ……、その――、う、浮き輪なしでも泳げるようにと……」
 恥ずかしそうに、ランドルフは言った。
「そこでワシが泳ぎを教えてやったんじゃ」
 風轟が呵々と笑った。
「風邪ひくぞ……。それより、花火やらねーか、花火! みんないるんだ」
 花火セットがのぞくコンビニの袋を手に、桑島はにかっと笑った。みんないる、と顎をしゃくったほうでは、赤城竜や二階堂美樹の姿が見える。
 その中に流鏑馬明日がいるのを見つけて、あ、と、ランドルフが小さく声をあげた。

 ランドルフに風轟――そして、その時近くにいたからというだけで犬神警部まで巻き込んで、花火が騒々しく行われた。
 桑島は引率役という気もあってか、最初は「あんまりやんちゃするなよ」などと年長者ぶったことを言っていたが、赤城にねずみ花火をけしかけられたあとは本気になってロケット花火の撃ちあいに参加した。美樹の放ったロケットが桑島の頭頂部すれすれのところをかすめて飛んだが、みんなただ笑い合うばかりだった。
 鈴木菜穂子が、得意の(?)「勇者ビーム」(目から出る)で流木を破壊して火花の雨を降らせると、もはや花火ですらないわけだが、美樹は手を叩いて喜んだし、風轟は終始、上機嫌に笑っていた。
 たぶん、いつのまにかノリン提督がまじっていたことが、かれらの盛り上がりに拍車をかけていたのであろう。
 花火の火に照らされる明日の横顔を、ランドルフは言葉もなく見つめていた。気付かれて目が合うと、赤面してうつむく。
 ダイノランドのことを思い出していたの、と明日は言った。
 この浜で、島から流れついた卵を拾って……。語る明日を、ランドルフは見つめた。意を決して、なにか、口を開いたところで、風轟の突風が彼をさらって海に放り込んだ。犬神警部も桑島も赤城も次々に放り込まれて、その様子にみなが笑い転げた。
「花火は消えるけど」
 菜穂子がぽつり、と言った。
「思い出は消えないし……私たちを好きでいてくれる人はずっとここにいる――。すごく、嬉しいですよね……」
 美樹は頷いた。
 見送る側の彼女は――かれらといて幸せだったと……それだけを伝えたいのだと、一心に思っていた。


  ★ ★ ★


 どうということのない、銀幕市の一日が終わった。

 銀幕市以外ではありえない一日。でもここでは、それが日常だった一日。そしてもうすぐ、見られなくなってしまう一日だ。
 ジェノサイドヒルのワゴンも、帰途につく。
「……自由参加だ」
 ぼそり、とノーマンは言った。
「えっ?」
「自由参加にする。やりたいやつだけやればいい」
「……ええと?」
「明日の訓練の話だ、バカ」
「――……」
 スコット上等兵は、ぐい、と眼尻をぬぐって、それから……、ハイ、と力をこめて応えた。
 たぶん誰一人欠けることなく、明日の早朝には全員が河内荘の前に整列しているだろう。
「……今、何時だ?」
「はい、フタサン・マルヨンであります」
「いかん。『もりの湯』が終わる。急ぐぞ」
「はいッ。総員、急げ!」

 魔法の一日が、終わる。
 ありふれた一日という魔法がかかった時間が。

「また、あした」

 静かな祈りが、夜に溶けていった。



(了)



クリエイターコメント『【最後の日々】海を見ていた午後』をお届けします。
PCのみなさんはワンシーンずつなのに、そのお相手をする関係上、軍人どもの出番が多くなってしまいました。すみません。こいつらともこれでお別れです。そして、リッキー2号がムービースターのPCのみなさんを書かせていただくのもこれが最後なんですね。とても楽しかったです。ありがとう。
公開日時2009-06-17(水) 18:50
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