★ 【最後の日々】永いお別れ ★
<オープニング>

 御先行夫は、ぽかんと口を開けて上司にあたる男を見た。自分は何か聞き間違いをしてしまったのだろうか。
 タクシー会社「銀輪タクシー」のオフィスの中である。
 数日空いてはいたが、御先はいつものように出勤し、いつものように制服に着替えたところだった。
 そこを後ろからポンと肩を叩かれ、振り返ったところ。ニンマリ笑ってる上司に出し抜けに言われたのだ。

 今日は、客乗せなくてもいいから──と。

「一日中、のんびり街でも走ってりゃあいいよ」
「え? え?」
 さらに困惑した様子の御先に上司はさらに言った。
「お前さんに残された日はもう残りわずかなんだろ? ムービースターは、あともう少しでみんな消えちまうって聞いたぞ」
 そうだった。
 御先は目を伏せる。考えないようしていたことだったが、彼の言う言葉は事実だ。
 ムービースターはあと数日で消えてしまう。
「だったらさ、今日ぐらい思い出づくりでもして来いよ」
 上司は困惑している御先の背中を、さあさあと言いながら押して外に送り出した。駐車場にはタクシーがたくさん停まっている。
「ほ、本当にいいんですか?」
「おうともよ」
 仕方なく、御先は自分のタクシーに乗り込んだ。

「……」
 そして御先は街の中を、何をするでもなくタクシーを走らせていた。
 オフィス街を抜けるとダウンタウンだ。名画座の客の集まりのそばを通り過ぎ、道を走らせていくと商店街に差し掛かる。
「私はどうすりゃいいんでしょうかねぇ……。あ!」
 ぼやいていると、道で手を挙げている人がいて、御先は身についた習慣として即座に車を停める。
 乗りこんできたのは、長い黒髪の女だった。
「ミッドタウンの、カフェ・スキャンダルへやってくれるかい」
「はい、分かりました」
 どこかで見たことがあるような。この人、誰だったっけ? そんなことを思いながらも御先は車を発進させる。
 タクシーは右折して、ゆっくりとミッドタウンへと向かい始めた。
「この間は大変でしたねぇ……」
「ああ、そうだね」
 なんとはなしに話しかけると、女はぶっきらぼうに答えた。
「お客さんは、決戦の時どちらにいらしたんですか?」
「あたしかい? 別に、どこだっていいだろ。いいじゃないか、あのクソッタレな化け物が空からいなくなったんだから」
「そうですね……」
 会話が続かない。
 その時、赤信号になり、タクシーは公園の傍で停車した。ふと公園に目をやると、色の浅黒いオカッパ頭の人物が、小さなボールを蹴り上げてサッカーか何かの練習をしているのが見えた。
 しかしなぜか、その人物は泣きながらボールを蹴っている。独りで。

 ──ひどいじゃないのよう!
 ──今度、団員と一緒にセパタクローの試合するって、約束したじゃないのよ、バカ!
 ──死んじゃったら、試合できないじゃない!

「??」
「……信号、変わったよ」
「あ、すいません」
 彼(彼女?)は、何をしていたのだろうか。そうは思ったが、信号が青に変わったので、御先は車を発進させた。
 彼のタクシーは、街を走っていく。
 街は普段と変わらないように見えて、何かが違っているかのように見えた。雰囲気だろうか。人々の姿をたくさん見かけるような気がする。
「みんな笑ってますね」
 ふと、御先はつぶやいた。
「──え?」
「やっぱり、これが銀幕の街ですね」
 ああ、と女が呼応するように口を開いた。
「そうだね」
 バックミラーを覗くと、彼女が微笑んでいるのが見えた。不機嫌そうにしていた彼女も、きっと、この街が元に戻ったことが嬉しいのだ。そう思うと、御先も嬉しくなった。
 車はほどなくして、カフェ・スキャンダルの前に着いた。着きましたよ、と声を掛けると、女は腰を浮かせてハンドバッグから財布を出そうとする。
「あ、いいんです今日は」
「?」
「今日は、その……御代はいいんです」
「なんだよ、それ」
 それでも財布から一万円札を出し、渡そうとする女。
 慌てて両手を振り、それを押し返して御先は言う。本当に、本当に結構ですから。
「今日は、私もこの街を走ってみたくて。だから御代は本当に要らないんです」
「……」
 そう言って、御先はニッコリと微笑んでみた。
 あまり笑うことが得意ではない彼の微笑みは、ぎこちなくて、口元などはひきつっていた。
 それでも。
「物好きな奴だねェ、あんたも」
 苦笑まじりに、女も財布を収めてみせたのだった。


 空の色が戻っていた。
 水色の、綺麗な色の、透き通る青色の、空が。


種別名パーティシナリオ 管理番号1044
クリエイター冬城カナエ(wdab2518)
クリエイターコメントマスティマ決戦、お疲れさまでした!

このパーティシナリオでは、みなさんの残された最後の日々を、ちょっと変わった視点から送らせていただきます。

完成するノベルでは、御先行夫の視点から、ある一日の様子を送ります。
PCさんは、彼のタクシーに乗って少し会話をしたり、思わぬ人と同乗したり、御先や同乗者に“見かけられたり”して描写されることになります。

濃い描写は期待しないでください。濃い描写は他のWRさんにお任せいたします。ここでは、あくまでさらりとシンプルに描写させていただきます。
わたしはサラッと仕上げな最後の日々をお届けしたいと思います。

「一言だけ、誰かにお別れを言いたい」
「一目だけでも、誰かに会いたい」
……などの方にオススメです。

また、プレ合わせをしてもいいんですが、
プレ合わせをしないこともオススメです。偶然の出会いを楽しみにするのもオツだと思うので。お友達になったPCさん同士なら尚更です。お互い何をしたか分からない方が、完成したときに楽しめると思いますので。

さて、それでは以下にプレイングの指針を。
=============
【1】御先のタクシーに乗る
【2】御先に何かをしているところを見かけられる

どちらかをお選びいただきつつ、自由な行動をお書きください。
=============

※また、パーティノベルの仕様で、「他PCまたはNPCと何かをする」場合は、参加PCさんの中にそのお名前が無かった場合には、名指しではなく、ぼかした表現になります。

※そして、人間関係を完成ノベルできちんと反映したい場合には、プレイング内かクリエイター向けコメント内に収まるようにしっかり書いてください。(さすがにラストの方は追いかけきれてませんので)

参加者
葛西 皐月(cnhs6352) ムービーファン 女 16歳 高校生
梛織(czne7359) ムービースター 男 19歳 万事屋
柊木 芳隆(cmzm6012) ムービースター 男 56歳 警察官
リョウ・セレスタイト(cxdm4987) ムービースター 男 33歳 DP警官
浅間 縁(czdc6711) ムービーファン 女 18歳 高校生
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
綾賀城 洸(crrx2640) ムービーファン 男 16歳 学生
ベネット・サイズモア(cexb5241) ムービースター 男 33歳 DP警官
クラスメイトP(ctdm8392) ムービースター 男 19歳 逃げ惑う人々
ジャック=オー・ロビン(cxpu4312) ムービースター 男 25歳 切り裂き魔
二階堂 美樹(cuhw6225) ムービーファン 女 24歳 科学捜査官
ナハト(czmv1725) ムービースター 男 17歳 ギャリック海賊団
ユージン・ウォン(ctzx9881) ムービースター 男 43歳 黒社会組織の幹部
レオ・ガレジスタ(cbfb6014) ムービースター 男 23歳 機械整備士
リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
エドガー・ウォレス(crww6933) ムービースター 男 47歳 DP警官
レオンハルト・ローゼンベルガー(cetw7859) ムービースター 男 36歳 DP警官
蘆屋 道満(cphm7486) ムービースター 男 43歳 陰陽師
真山 壱(cdye1764) ムービーファン 男 30歳 手品師 兼 怪盗
リカ・ヴォリンスカヤ(cxhs4886) ムービースター 女 26歳 元・殺し屋
ベルヴァルド(czse7128) ムービースター 男 59歳 紳士風の悪魔
デヴィッド・チャオ(cfbs9216) ムービースター 男 65歳 黒社会組織の香主
那由多(cvba2281) ムービースター その他 10歳 妖鬼童子
ヨミ(cnvr6498) ムービースター 男 27歳 魔王
小嶋 雄(cbpm3004) ムービースター 男 28歳 サラリーマン
風轟(cwbm4459) ムービースター 男 67歳 大天狗
ランドルフ・トラウト(cnyy5505) ムービースター 男 33歳 食人鬼
ウィズ(cwtu1362) ムービースター 男 21歳 ギャリック海賊団
ヤシャ・ラズワード(crch2381) ムービースター 男 11歳 ギャリック海賊団
エフィッツィオ・メヴィゴワーム(cxsy3258) ムービースター 男 32歳 ギャリック海賊団
ゴーユン(cyvr6611) ムービースター 女 24歳 ギャリック海賊団
ルークレイル・ブラック(cvxf4223) ムービースター 男 28歳 ギャリック海賊団
シグルス・グラムナート(cmda9569) ムービースター 男 20歳 司祭
香玖耶・アリシエート(cndp1220) ムービースター 女 25歳 トラブル・バスター
佐藤 きよ江(cscz9530) エキストラ 女 47歳 主婦
ルヴィット・シャナターン(cbpz3713) ムービースター 男 20歳 見世物小屋・道化師
黒孤(cnwn3712) ムービースター 男 19歳 黒子
リャナ(cfpd6376) ムービースター 女 10歳 扉を開く妖精
鈴木 菜穂子(cebr1489) ムービースター 女 28歳 伝説の勇者
アレン・ブランシュ(ccpx7934) ムービースター 男 20歳 ※※※
ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
藤花太夫(cbxc3674) ムービースター 女 18歳 吉原の太夫
アレグラ(cfep2696) ムービースター 女 6歳 地球侵略軍幹部
旋風の清左(cvuc4893) ムービースター 男 35歳 侠客
アゼル(cxnn4496) ムービースター 女 17歳 ギャリック海賊団
桑島 平(ceea6332) エキストラ 男 46歳 刑事
大教授ラーゴ(cspd4441) ムービースター その他 25歳 地球侵略軍幹部
真船 恭一(ccvr4312) ムービーファン 男 42歳 小学校教師
森砂 美月(cpth7710) ムービーファン 女 27歳 カウンセラー
鬼灯 柘榴(chay2262) ムービースター 女 21歳 呪い屋
ディズ(cpmy1142) ムービースター 男 28歳 トランペッター
フォーマルハウト(cfcb1792) ムービースター 男 35歳 <弾丸>
信崎 誓(cfcr2568) ムービースター 男 26歳 <天使>
コレット・アイロニー(cdcn5103) ムービーファン 女 18歳 綺羅星学園大学生
夜乃 日黄泉(ceev8569) ムービースター 女 27歳 エージェント
ミケランジェロ(cuez2834) ムービースター 男 29歳 掃除屋
昇太郎(cate7178) ムービースター 男 29歳 修羅
コーディ(cxxy1831) ムービースター 女 7歳 電脳イルカ
王様(cvps2406) ムービースター 男 5歳 皇帝ペンギン
流鏑馬 明日(cdyx1046) ムービーファン 女 19歳 刑事
レイ(cwpv4345) ムービースター 男 28歳 賞金稼ぎ
ジム・オーランド(chtv5098) ムービースター 男 36歳 賞金稼ぎ
ヴィクター・ドラクロア(cxnx6005) ムービースター 男 40歳 吸血鬼
マイク・ランバス(cxsp8596) ムービースター 男 42歳 牧師
レモン(catc9428) ムービースター 女 10歳 聖なるうさぎ(自称)
ティモネ(chzv2725) ムービーファン 女 20歳 薬局の店長
ルカ・へウィト(cvah8297) ムービースター 女 18歳 エクソシスト
新倉 アオイ(crux5721) ムービーファン 女 16歳 学生
エンリオウ・イーブンシェン(cuma6030) ムービースター 男 28歳 魔法騎士
クレイ・ブランハム(ccae1999) ムービースター 男 32歳 不死身の錬金術師
ニーチェ(chtd1263) ムービースター 女 22歳 うさ耳獣人
須哉 久巳(cfty8877) エキストラ 女 36歳 師範
志村 剣蔵(cufp6159) ムービースター 男 27歳 神戦組隊士
シルクルエル(cpac3895) ムービースター 女 17歳 <宵>の代行者
山砥 範子(cezw9423) ムービースター 女 33歳 派遣社員
ヴィディス バフィラン(ccnc4541) ムービースター 男 18歳 ギャリック海賊団
ファレル・クロス(czcs1395) ムービースター 男 21歳 特殊能力者
Sora(czws2150) ムービースター 女 17歳 現代の歌姫
来栖 香介(cvrz6094) ムービーファン 男 21歳 音楽家
萩堂 天祢(cdfu9804) ムービーファン 男 37歳 マネージャー
ノリン提督(ccaz7554) ムービースター その他 8歳 ノリの妖精
ラルス・クレメンス(cnwf9576) ムービースター 男 31歳 DP警官
シキ・トーダ(csfa5150) ムービースター 男 34歳 ギャリック海賊団
犬神警部(cshm8352) ムービースター 男 46歳 警視庁捜査一課警部
鳳翔 優姫(czpr2183) ムービースター 女 17歳 学生・・・?/魔導師
小春(cfds6440) ムービースター 女 25歳 幽霊メイド
アスラ・ラズワード(crap4768) ムービースター 男 16歳 ギャリック海賊団
ハンナ(ceby4412) ムービースター 女 43歳 ギャリック海賊団
バロア・リィム(cbep6513) ムービースター 男 16歳 闇魔導師
RD(crtd1423) ムービースター 男 33歳 喰人鬼
三月 薺(cuhu9939) ムービーファン 女 18歳 専門学校生
ソルファ(cyhp6009) ムービースター 男 19歳 気まぐれな助っ人
<ノベル>

「よし!」
 意を決して、御先はあるスイッチを押した。
 最初の客を降ろした直後である。彼が押したのはスーパーサインのスイッチで、彼の車は「空車」の表示を出すこととなった。
 あと数日で消えてしまう自分。残された大切な日をどう過ごしたらよいか、まだ分からなかった。
 しかし、今、自分が何をすればいいかは分かる。
 自分はタクシー運転手なのだから、人を乗せればいいのだ。ずっと「空車」を出していれば、きっと沢山の人を乗せることができるに違いない。今日だけは相乗りも大目に見てもらおう。
 御先は、ぐっとアクセルを踏み込んだ。

 彼が心を決めて走り出して数分。
 さっそく道の脇で、手を挙げている人物を見つけ、御先は車を停めた。
「おお、本当に停まってくれたぞ」
 ドアを開けて、御先はギョッとした。その大柄な男──蘆屋道満の後ろに不気味な仮面を被った男たちが五人ほど控えているのに気づいたのだ。
「あ、あの、そんなに乗れな──」
 半ば臆した御先を尻目に、道満の部下たる忍たちは荷物をテキパキと後部座席に積み込んでいった。
 大きな投網や銛(もり)、クーラーボックス。最後に道満が乗り込み、彼は自分の隣に大きな風呂敷包みを置いた。弁当、か?
「星砂海岸にやってくれるか」
 勝手にドアを締め道満。見ればいつもより軽装だ。
 五人の忍が居なくなっているのに、御先はホッとする。
「海水浴──じゃないですよねぇ?」
「おお、カニを採ろうと思ってな」
「カ、カニ、ですか?」
 聞き返しつつ、御先は微妙に車が重いことに気づいた。……まるで何人も乗せているかのように。首をかしげながらも御先は、海へと車を走らせる。

 朝の光を浴びて、海の水面はキラキラと輝いていた。
 海岸で車を降りると、道満はウーンと天に向かって背筋を伸ばした。その背後に、タクシーの屋根から飛び降りた忍たちがサッと集まる。
「──団長のばかー!」
「?」
 道満はふと気づく。誰もいないと思った朝の海岸で、二人の人物がキャッチボールをしているようだ。
 二階堂美樹とヴィディス・バフィランだった。なぜか彼らは、泣きじゃくりながらボールを投げあっていた。
「──どうして一人で行っちゃうのよっ! 皆のお父さんなんでしょ!」
 美樹の方は一球投げるごとに何かを叫んでいる。ヴィディスは無言だが、目深にかぶった帽子で顔を隠している。
 誰のことを言っているのだろうか。やがて美樹の手からボールがこぼれ、砂浜を海へと転がっていく。そのまま海へ還っていくように。
 それを追いかけようとした美樹が転び──その場に泣き崩れた。ヴィディスも彼女を追いかけ、感極まったのだろうか、今まで出したことのないぐらいの大きな声で叫んだ。
「ギャリーのばかー!」
「──お二人とも、よろしいか」
 波打ち際で泣き崩れた二人。その前に大きな影が立つ。道満だった。
 彼は晴れ晴れとした笑顔を浮かべ、二人に自分が手にした投げ網を掲げてみせる。
「これからカニを採るのだが、ご一緒せぬか?」
「カニ? どうして?」
 美樹がそう聞くと、道満はいっそう破顔した。
「まるぎんのコロッケよ。あのカニコロの味はなかなか出せなんだ、こうなれば材料から自ら調達すべきかと思ってな」

 海辺の三人が、網を海に投げ始めたのを遠まきに見て、御先はホッとしたように微笑んだ。
 すると背後で「運転手さーん」という声がして、御先はタクシーのもとへと戻った。
「ええと、……んん。わたしはどこに行くのだったかな」
 次の客は、外見青年剣士、中身は気のいいご老体ことエンリオウ・イーブンシェンだった。
 そうだ、と彼は行き先のカフェを思いだし、それを御先に告げる。
「お世話になった人たちに挨拶に行ったのだけど、わたしとしたら、つい話し込んでしまってそこに自分の剣を忘れてしまってねえ」
 にっこりと微笑む彼の膝の上には、手作りなのかお茶菓子と木彫りの素朴なお守りの束があった。
「挨拶まわりですか、それはいいですねぇ」
 何しろもうすぐ我々は消えるんですから──。喉まで出かかって御先は言葉を飲み込む。
 車を発進してすぐ、また道脇で手を挙げる者がいて、御先は停車させた。
「──前のバイクを追ってください」
乗ってきたのはファレル・クロスだ。エンリオウに目で挨拶すると、前方を走るバイクを指さす。「こんな時にまで事件を起こす奴がいるなんて、迷惑な話です」
「か、かしこまりました!」
 御先はあたふたとシートベルトを締め直しアクセルを踏み込んで、言われたままにバイクを追いかけ始める。
 角を二度曲がると、そこは瓦礫の山になっていた。マスティマ──いいや「ひと」に踏みつぶされたビルの残骸だ。
 そこでは魔法で精霊を操り、瓦礫を片づけている少女と、鬼としか言いようがない大男が撤去作業を行っていた。
「畜生、何で俺がこんなことを……!」
「いくらやってもやっても終わらないわね! ──さっ、あんたもちゃんと真面目にやりなさいよ」
「肉塊にするぞ、このアマ!」
 シルクルエルと、RDだ。
 ヴィランズはバイクをとっさに乗り捨て、瓦礫の上に乗った。が、それが運の尽きだった。
 ガラガラッと大きな音を立ててそれが崩れ、彼はバランスを崩し、少女と食人鬼は怒りの声を上げる。
「それじゃ」
ファレルはタクシーの窓から、そのまま外へ飛び出そうとし、ふと振り返った。
「あの、運転手さん。変なお願いなのですが」
 珍しく口ごもる。
「もし、コレットという名の女性に会ったら、伝えてほしいのです。いつもの処で待っていると──いや」
 ──僕のことを忘れないでください、と。
 そう言い終えるや否や、彼は外へと飛び出していった。


 * * *


 カフェでエンリオウを降ろすと、代わりに乗ってきたのは一瞬、目を疑うような相手だった。
「どこかお勧めの処がいいんですけど……。この街をちゃんと観光したことがなくて」
 鳩が喋ってる! と、御先は思ったが口には出さなかった。──この人が噂の“ハト型サラリーマン”小嶋雄さんに違いない!
「お客さんは、どんなところがお好きですか?」
「そうですね……。日向でぽかぽかと温かくて、美味しいものが食べれて……」
 頷いて、御先は車を発進させる。
 途中、信号で停車すると、タクシーの前を一人の少年が通りかかった。小さなボール──それも藤で編まれた木のボールをポンポンと触りながら。
 ギャリック海賊団のナハトだった。
 何の気なしに、それを目で追って、御先はアッと小さな声を上げる。
 ナハトは小さな公園へと足を踏み入れ、そこで泣きながらボールを蹴っていたオカッパ頭のマギーを呼び止めていたのだ。

 ──オヤジはもう、居ねえけど。教えてくれ、セパタクローってヤツ。

 御先は耳をすませた。彼は何と声を掛けたのか──。
「わッ!!」
 その時いきなり耳元で誰かの声がして、御先は引きつけを起こさんばかりに驚いた。ヒィィッと悲鳴を上げ胸元のニンニクを掴んだとき、隣りで若い娘がケタケタと笑う声を聞く。
「あらあら驚いた?」
 助手席にいつの間にか座っていたのは、メイド姿の小春だった。クラシカルなスカートの先には足が無い。彼女はある意味、このタクシーの常連さんだ。
「私もお休みをいただきまして……。この際だからご挨拶に」
「もう、ホント勘弁してくださいよぉ」
 昼間に見ても幽霊は怖いようで。御先はブルブル震えながら十字架を握り締めている。後部座席の小嶋もカタカタと小刻みに震えている。彼も怖かった、らしい。──無表情のまま、だが。

「何なに? 今日は無料なの?」
 そして幽霊と鳩が乗ったタクシーに、元気に相乗りしてきたのは万屋の梛織だった。先客にギョッとするも、やあと軽く手を挙げてみせる。
「自然公園がどうなっちゃったか気になってさ」
「あの辺りは無事ですよ。『楽園』は建物が半壊したみたいですけど」
「ちょっとぉ、なんでその話振るの、何かの前フリ?」
 梛織は口を尖らせつつも、実体化したころ花見で大変な目に遭ってさ、と同乗者に話し始める。銀幕市で、男性が「大変な目に」とか「ひどい目に」という話をし始めた時。それは多くの場合が、ジョとかソウの話である。彼の話もまた例外ではなかった。
 
 途中、道端では何ら変わらない普段の光景が広がっていた。
 小さな広場で歌っている者たちがいた。歌手のSoraと仲間たちだった。病弱な彼女は、微笑みを浮かべて、陽の光を含んだように柔らかく、優しい唄を風に乗せている。
 そばには来栖香介の姿もあった。彼は一人、柵に身体を預けるように腰掛けて、彼女の唄に耳を傾けている。ふと動きを止めて、彼はゴソゴソと尻ポケットから携帯電話を──振動しているそれを取り出すと、うるさい黙れとばかりに遠くへと放り投げていた。
 その脇では、両手を刃物にしたジャック=オー・ロビンが嬉しそうにヤシの木の葉を切り刻んでいた。
 チョキチョキ。葉っぱのブレーメンの音楽隊も風に揺られ、オープンカフェのグラスは小さな人魚姫に姿を変えていく。彼もいっぱしのアーティストだ。
 さらにもう少し先で、二人がコンクリートの壁に向かっている。ペンキまみれになって笑うミケランジェロと昇太郎のコンビのグラフティアートだ。
 ミケランジェロが大きなハケで大きな鬼を描き、それに昇太郎が色をつけていく。はみ出してもお構いなしだ。
 大笑いするミケランジェロ。昇太郎も照れくさそうに笑い、黒いペンキを取り出すと大きく文字を書いた。
 ──『夢』。
 もう一文字、彼が書こうとしたとき、その筆がカチンと何かにぶつかった。
 それは、隣りで木を切っていたジャックのハサミだった。
 ふっ、と見つめ合う三人。
「あっ、ちょっとヤバイよヤバイよ」
 車の中から思わずハラハラしながら梛織。
 が、三人は同時に微笑むと、昇太郎は『刃』と書き、ミケランジェロが魔女を描くと、ジャックはそのそばにナイフを持った小鬼をリアルに掘り込んだ。
「イースト・ミーツ・ウェストだよ!」
 梛織が突っ込む中、そうして道端のアーティストのコラボレーションが実現していた。

 着いたのは自然公園だった。三人の乗客はそれぞれ降り立つ。
「ここには忘却の森があって──」
 鳩──もとい小嶋に観光案内をしようとして、御先はハッとした。小嶋の視線の先には、本物の鳩たちが餌をついばんでいるところだったのだ。
 小嶋は突然、つかつかとその鳩の群れに近寄って行く。
「あっ、小嶋さん!」
 怒ったのだろうか。御先が慌ててそれを追いかけると、小嶋はおもむろにポケットからビスケットを取り出すと、鳩に振る舞い始めた。可愛いなぁなどと言いながら。
「よ、喜んでるー!」
 驚愕する梛織。
「いやー、私ね別に鳩が好きなわけじゃないんですけどね。でも、こうやって鳩に餌やってると、会社の女の子たちに“癒されるー”って言われちゃうもんですから、つい」
 振り返った小嶋は小首をかしげてみせた。彼はきっと、たぶん、笑ったのだ。

「梛織ー!」
 その時、後方から誰かに呼ばれ梛織は振り返った。
 見ると、出前用の自転車に乗った少年──クラスメイトPがこちらに向かってきている。友人の姿に彼は手を振ろうとして、ブッと吹き出した。
 Pの背後に、突然ドラゴンが現れ、彼に手を伸ばしていたからだ。
「リチャード、後ろ! 後ろ!」
「え?」
 ──遅かった。
 少年はあっという間にドラゴンに掴まり、「助けてー」と空しくさらわれていく。
 シャーッと通りかかった自転車の真山壱が、ドラゴンに掴まれたPを見上げ、パシャリと写真を一枚だけ撮っていた。そのまま彼は「グットラック!」と叫びながら通り過ぎていく。
 ハァーと溜息をつく梛織。 
「御先さん、あれ助けなくちゃ。だから俺行くわ」
「エッ! ど、ドラゴンですよ!」
 答えず、梛織はニッと笑って走っていった。
 御先はそれを目で追って、うわっと声を上げる。空から何かが落ちてきて、顔面をふさいだのだ。
 それはハーブ色のバッキーのぬいぐるみだった。
「それ……さんに渡したくて、あの」
 預かっておいてもらえますかー。御先はクラスメイトPのメッセージを聞いた。


 * * *


 タクシーは、また空車になった。
 御先はすっかり普段のペースを取り戻し、車をゆっくり流していく。壊れた道路もあるが、走るのに支障はない。
 やがて、あの小さな公園のそばを通りかかった。
「あれっ、人が増えてる」
 小さな木のボールを持ったオカッパ頭と少年のペアに、小さな女の子と服を着たペンギンが加わっている。コーディと王様だ。

 ──泣いてるのヨ。大丈夫?
 ──この王様、哀しむお嬢さんがいるとあれば何処であろうと参上するさ。
 
 何をしているのか気になるので、降りて聞いてこようか。そう思った時、窓がコンコンとノックされた。
「やあ、乗りたいんだけど」
 スーツ姿の二人の警官。エドガー・ウォレスと、レオンハルト・ローゼンベルガーだった。
「杵間神社へやってくれるかい」
 タクシー代は無料だと告げると、エドガーも嬉しそうに頷いた。俺たちも今日はオフなんだ、と。
「レオンを連れ回してるところなんだ」
片目をつむってみせ、エドガー。「クリスマスツリーの森に行ってきたんだけど、彼、子供のスノウマンに囲まれてね、結構楽しそうにしてたんだよ。だから今度は、日本の妖怪と」
「……」
 何か反論したげにレオンハルトは眼鏡の奥から同僚を見たが、それだけだった。
「へえ、スノウマンたちは溶けていないんですね」
「ああ。この街の魔法が解けるまでは」
 御先は、思わず唾を飲み込んだ。思い出した。数日後には自分たちも──。
「でもさ、運転手さん。素敵だと思わないかい?」
 御先の反応に気付いたのか。それでもエドガーは変わらぬ調子で続けた。
「魔法が解けて、俺たちが消えたとしても。思い出だけは消えないんだ。この街の人たちはみんな忘れないよ。楽しい思い出も、悲しい思い出も」
「あなたは恐ろしくないん、ですか?」
 つい、御先は尋ねてしまった。
「恥ずかしい話なんですが、私は……」
「人が死を恐れるのは当然のことだ」
 するとレオンハルトが、呟くように言う。
「ただしそれはこの街の住民にとっても同じこと」
「レオン」
 構わず、レオンハルトは窓の外に目をやって続けた。その視線の先には『ひと』に踏みつぶされたビルの残骸がある。
「この街も、もう得体の知れない存在によって住む場所を破壊される事も、命を奪われる事も、恐怖に脅かされる事もなくなる」
「そうだね」
 バックミラーの中に映る御先に向かってエドガーは微笑んだ。
「ん? あれは──」
 その時、大きな山のような巨漢が、何かを手にドドドド……と土煙を巻き上げながら車道の脇を走り抜けていった。
 食人鬼のランドルフ・トラウトだった。
 白目を剥き、牙の生えた状態で爆走していたが、事件ではなかった。よく見れば彼が手にしていたのは岡持ちで。ランドルフは“覚醒”しながら蕎麦の出前をしているのだった。
 しかし唐突に彼は足を止めた。
 女刑事の流鏑馬明日が、手に女物の鞄を持って走る男を追いかけていたのだ。窃盗犯か。
 ランドルフは飛び跳ねるようにそちらへ走った。あっという間に男に追いつき、片手で首根っこをつまみ上げてしまった。
 追いついてきた明日は、友人を見上げ笑みを浮かべながら、犯人を捕まえてもらった礼を言っているようだ。

 ──ドルフ。いつも、貴方には助けて貰ってばかりね。有難う……。この男の取り調べが終わったら、お礼に何処か食べにいきましょう? ご馳走するわ。

 大きな男は岡持ちと男を両手に持ったまま、照れたようにふるふると首を横に振っていた。何か謙遜をしているのだろう。
「彼は明日のことが本当に好きなんだね」
 エドガーが微笑みながら言った。

 DP警官二人を神社で降ろすと、そこでは青年が一人、木々を見上げていた。
 ザザァーッと強い風が吹くと、小さな花びらが空を舞った。
「桜が」
 レオンハルトが囁くように言うと、青年──魔王の力を宿すヨミは、彼を振り返った。
「もう葉桜ですけどね」
いや、もう夏を迎えようという頃合いだ。この木も何らかの影響を受けているのかもしれない。「緑に色づいた桜も、良いものですねー」
 微かにうなづくレオンハルト。自らの身体に、大きすぎる“力”を抱えた者同士は、それと気付いたのか。
 同時に、ニヤッと笑った。

 ──ミライ、私は、ここまで来たよ。

「失礼。貴殿、相当の使い手と見受けられるが?」
「え、いやあそんなことは」
 と、エドガーの方は着物姿の青年に声を掛けられている。神社にたまたまいた“神戦組”の隊士、志村剣蔵だった。彼の視線はエドガーが持っている日本刀に釘付けだ。
「拙者、自らの剣の道を究めんがため修行中の身。ぶしつけではあるが、ひとつ手合わせでも──」

「クレ〜〜イ! 待ってぇ〜〜〜ん!」

 その時、唐突に背後から現れた男と女が、彼らの間に割り込んだ。
 必死の形相で逃げてきた女性恐怖症のクレイ・ブランハムと、歩くセクハラ女こと、ウサギ獣人のニーチェだ。
 抱きつこうとジャンプしたニーチェは間違えて剣蔵に飛びついた。そのまま押し倒しキスの嵐を浴びせる。
「#☆%◆&!!」
 剣蔵は、悲鳴というか何か声を上げる。
 そのまま呆然とするエドガーたちを置いて、クレイとニーチェは走り去っていった。


 * * *


「──いや、だからあれはちょっと話をしただけだって」
「今度飲みに行こう、は“ちょっとした話”?」
「言葉のあや、だよ。社交辞令さ」
 次に乗せたのは若い男女、レイとティモネのカップルだった。見るからに普段着ではない洒落た格好の二人だ。
 かろうじて行き先は聞けたが、二人は乗ってからずっと口論を続けていた。
 気まずかった。仕方なく御先は黙って運転を続けた。
「──電話番号聞こうとしてたじゃないですか。それも社交辞令?」
「そ、そうだよ。だって俺、調べようと思えば電話番号なんかすぐ分かるし」
「へえ。じゃあそうすればよろしいんじゃなくて? さようなら、女たらしさん」
 ガチャッ。御先は不穏な音を聞いて慌ててバックミラーを見た。
 ティモネが勝手にドアを開けているではないか。
「ちょっ、お客さん走ってる最中にドア開けないでくださいぃっ!」
「ティモネ」
 そこで素早く動いたのはレイだった。彼女の腕を掴んだかと思うとそのまま彼女の身体を引き寄せて抱きしめてしまった。
「まったく。お転婆もそこまでにしときな」
「ほんとに貴方ってズルい人」
 憎まれ口を叩き合いながらも、二人はお互いをじっと見つめあっている。
 あああ。御先はまた声を掛けられなくなり、目のやり場に困って車外へと視線を転じた。

 すると、またあの小さな公園のそばだった。
 人数がまたも増えている。ペンギンや女の子に加え、今度は黒髪の青年と大柄な青年が二人加わっていた。
 ルークレイル・ブラックと、シキ・トーダのようだ。
 なぜ、あのマギーの周りにギャリック海賊団の人間が集まってきているのか……。


 * * *


 謎が溶けぬまま、御先はレイとティモネをパニックシネマの前で降ろした。彼らは幸せそうに腕を組み映画館の中へと消えていった。
 映画館の前から走り出してすぐ乗ってきたのは、萩堂天弥だった。
 バッキーのグーリィを抱えた彼は、タクシーに乗るなり汗を拭きながら携帯電話を取り出しどこかにコールをし始める。だが相手は出ない。
 ──彼は確か、来栖香介のマネージャーではなかったか?
 御先はそう思い、声を掛けようとしたが、道端で手を挙げている者に気づいてすぐ停車する。
「わあっ、ほんとに止まってくれた!」
 乗ってきたのは黒い着物をきた子供だった。妖鬼童子こと、那由多だ。
「『たくしー』っていうの、乗るの初めてなんだ」
 天弥がタクシーを停めた仕草を真似してみたらしい。御先が、今日は無料であることを告げると、なおも彼(?)は喜んだ。
「僕、本当は車にも乗るの初めてなんだよ。今日は初めて記念日だ!」
「そうなんだ。いい思い出になるね」
 同乗者となった天弥も、目を細めて微笑んだ。相手が出ないので電話は諦めたようだ。
「あの、もしかして……」
そこでようやく頃合を見て、声を掛ける御先。「来栖香介さんをお探しでしたら先ほど見かけましたよ」
 喜ぶ天弥に、御先は先ほどSoraと香介を見かけた通りへと車を向けた。
「まったくあの人はいつもいつも……」
 そうこぼす天弥。しかし彼の顔には笑みがあった。
 そして、数分。
 現場に到着してみると、香介は今度はSoraの伴奏としてアコースティックギターを弾いていた。天弥が降りて駆け寄っていくと、それに気づいた彼は、ゲッ! と叫んでギターを抱えたまま走り出す。
「ああ、追いかけっこだ」
「ははは、本当ですね」
 タクシーの二人は和やかにそれを見送った。

 那由多を乗せたまま、次にタクシーは三人の女性を乗せた。
「『ぎんまく水族館』にお願いね!」
 元気にそう行き先を告げたのは、夜乃日黄泉だ。髪をアップにしてスポーティなチュニック姿である。先客の那由多に微笑みかけると、自分の隣りに籠のバスケットと小さな水筒を置く。
「すいぞくかん!」
 小さな少女が、日黄泉の膝の上に乗って無意味に叫ぶ。ガスマスクなしのアレグラだった。その次に彼女の保護者である女性が乗り込み、タクシーは出発した。
「どんなのいるかなー。強いかな?」
 走り出したタクシーの中で、アレグラは目をキラキラさせながら日黄泉に話しかける。
「お魚やペンギンさんがいるわよ」
「ねえ、すいぞくかんってなーに?」
 興味をそそられて那由多も話に入ってくる。
「大きな大きな水槽の中にね、いろんなお魚が泳いでるの」
微笑んだまま、日黄泉は彼にもきちんと説明をした。「水槽の中にトンネルが通してあって、頭の上を、とっても大きなお魚が泳いでいくところが見えるのよ」
「なにっ、でも襲われてもヒヨミとアレグラ、強いだから平気だ! そんでお友達なる!」
「そうね」
 うなづく日黄泉。愛しげに小さな少女の頭を優しく撫でる。

 やがて『ぎんまく水族館』に着くと、彼女たちは楽しそうに降りていった。
 それを見送る那由多。彼の手には、アレグラからもらったお菓子や飴玉があった。しかしそれに手をつける様子はない。彼はじっと彼女たちを見つめていた。
「ねえ、君。彼女たちと一緒に行ったらどう?」
 たまりかねて御先は彼に声を掛けた。
「だって僕、約束してない……」
「大丈夫。僕も混ぜて! って言えばいい」
「でも……」
「今日は初めて記念日、じゃなかったっけ?」
 そう言って、御先は微笑みながらドアを開けた。


 * * *


 日黄泉たちを追いかけていった那由多の後姿を見送り、ホッと息をつくと。御先はまた無人となったタクシーを流し始めた。
 そして花束の塊──もとい次の客の姿を見つけ、御先は車を停める。
「やっふー! 僕さ、居候先のご主人にお世話になったからさ、最後はいっぱいお仕事して恩返ししたいんだよね!」
 ルカ・へウィトだ。本業はエクソシストなのに花屋でバイトをしている彼女の“お仕事”とは、花売りの方を言っているらしい。
「御先さんもどう? 車内に華やかさが出るよ? 格安、一本50円から」
 彼が遠慮すると、ルカは、そーお? と言いながら首をかしげる。
 彼女の指定通り市役所の方へと向かっていくと、ほどなくして、もう一人乗客が増えた。
「わーっはっはっは!! 一度でいいからタクシーに乗ってみたくてのう」」
 大天狗の風轟だった。狭い車内に大きな身体を押し込むと先客のルカに満面の笑みを向けてみせる。
「こんにちわおじさん。お花いらない?」
「おう、ありがとう。お嬢ちゃん」
 二人は何やら話をしはじめ、車内は和やかなムードに包まれた。そして聖林通りで、赤信号になりタクシーは停車する。
「あ」
 と、乗車中のルカが道端を歩く猫に目を留めた。
 その猫が、魚ではなく──ばたばた暴れる蝙蝠を一匹、咥えていたからだ。

 ──あっ、ちょっ! 離して下さっ……あつっ! あちあち、やめ、熱い、熱いですっ! あああ、日向はやめて! そっちはやめて丸焼きになるぅ、アッー

 と、その蝙蝠──実は“普通の”吸血鬼、ヴィクター・ドラクロアだった──の悲痛な叫びは、誰かに届いたのだろうか。もし届けば誰もが言うだろう。人型に戻ればいいのに。
 猫のそばに、すっくと立つ影が一つ。引っ詰めて後ろで結んだ長い黒髪。ぶ厚い黒縁眼鏡のスーツの女、山砥範子だ。彼女は猫の首ねっこをがしりと掴み、それを蝙蝠もろとも持ち上げた。
「あら可哀想に、助けてあげますわね」
「──んー、天気が悪くなってきたようじゃな」
 その時、車内の風轟がそう言うなり、みるみるうちに空が曇り辺りが暗くなった。ぽつぽつと雨まで降り出した。
「まるで怪談のようじゃなぁ」
「やめてくださいよぉ」
 後部座席で風轟がそんなことを言うので、御先はバックミラーを見た。
 い、居ない! 風轟とルカの姿がない。
 御先は息を呑んだ。
 そして辺りの変化に、範子は猫を右手にヴィクターを左手にしたまま焦って空を見上げた。ちなみにヴィクターは焦げる寸前だ。
「雨だなんて、急がなくては──」
 ボキッ。ドシャァッ。
 彼女がそう言うなりパンプスのヒールが折れた。そのまま彼女は後ろに向けて派手に転倒し、たまたま後ろにあったゴミ捨て場に突っ込んだ。
 なんと、その衝撃で捨ててあったボロ傘のスイッチが入ってパッと開く。
 猫とヴィクターと範子は仲良くその中に収まって、雨露と日差しをしのいだのだった。恐るべきご都合主義。恐るべき彼女の特殊能力のなせる業だ。
「あれっ?」
 一方、慌てて後部座席を振り返った御先は、悲鳴を上げる代わりに目を見開いた。
 そこには二人の姿はなく。代わりに、いい匂いのする花束と山で採れたキノコが置かれていたのだった。

「はぁー、もうびっくりさせないでくださいよぉ」
 御先は信号待ちのときに花とキノコを助手席に移しながら、独り言を漏らした。ただしその顔には笑みがある。
「──素敵なお土産をもらったね」
「ひっ!」
 突然、後ろから声を掛けられ、また御先は声を上げた。振り向けば、黒髪の青年──信崎誓がいつの間にか腰掛けているではないか。
「い、いい、いつの間に、この車に?」
「そのセリフ、懐かしいなあ」
 彼は、くすくすと楽しそうに笑った。
「カレーの時はお世話になったね。あんなに楽しかったの久しぶりだったよ」
「いやあ、こちらこそ助けていただいて……」
 礼を言いつつも、御先の口端にはたじろいだような笑みがあった。
「やだな。今日はいろんな人たちに会いに街を回ってるだけだよ」
 もうトラブルには巻き込まないよ。そう告げて、彼はなおも楽しそうに笑っていた。

 ──さようなら、なんて言うのはおれの柄じゃなくてね。

 コン、コン。
 誓を降ろした後、しばらく一人で走っていた御先。ガラスを叩く音に気づけば、外にバイクに乗ったレオ・ガレジスタの笑顔が見えた。
「やあ御先さん。元気そうだね」
 ジズとの戦いの時に助けてもらった青年の姿を見て、御先も笑顔になる。
「ねえ、ちょっとだけ時間ある? エンジンの調子が悪いみたいだよ」
「え、そうなんですか」
 言われるままに、路肩にタクシーを停めると、レオはボンネットを開けてテキパキと中をいじってくれた。
「ハイ、もう大丈夫。大事に乗ってあげてるんだね。車が喜んでるよ」
「いやあ、そんな」
「車はいいけど、御先さんはどうなの? もう昼時だよ。自分にも“ガソリン”が必要なんじゃない?」
 御先が照れると、レオは腰に手を当ててニッと笑いそう言ったのだった。


 * * *


 言われてみれば、昼食がまだだった。
 御先はコンビニ弁当を買い、平和記念公園へと向かった。街に出来た『穴』。悲しい出来事が起きたあの跡地である。
 よく晴れた良い天気の下、人々は思い思いに過ごしている。
 噴水の前で、さまざまな人種の者たちがピカピカ光る楽器を手にジャズを演奏していた。ディズたちのピルグリムオーケストラだ。
 その陽気な音楽に御先は微笑んだ。即興で綴られていくメロディーは、終わることなくずっと続いていく。もしかすると夢から醒めるその瞬間まで、その旋律はこの街に流れていくのかもしれない。
「ノリよノリよノリノリあるよー!」
 彼にのそばにはノリン提督が飛び回って、いつものようにノリを振りまいていたが、その彼でさえ演奏の一部に思えてくるから不思議だ。

 どこで食事をしようかと場所を探していると、幼児たちがキャアキャア言いながら脇を走り抜けていった。その後ろをスタンドカラーの黒いシャツをきた男が、手描きの鬼の面をつけて追いかけてくる。
 神父のマイク・ランバスだ。先日のジズ戦で助けてもらったことを思いだし、御先は彼に会釈した。
 彼はいつものように保育所の子供たちと遊んでいたのだろう。鬼の面をふいと上げると、御先に向かって胸に手を当て、一礼してみせた。
 子供たちの幾人かは、頭巾を被り全身黒尽くめの黒孤の前に集まっていた。彼が糸で操る人形の海賊たち──その血わき肉おどる冒険に歓声を上げ、真剣な眼差しを向けている。

 ──最後の瞬間まで、こうして誰かに笑って頂けるよう尽力出来ることの、なんと喜ばしいことでしょうか。

 遠くから見つめる御先の視線に気付いたのか。彼は軽く手を挙げてみせた。顔は見えなかったが、でも分かる。
 きっと彼は微笑んだのだ。 
 モニュメントの横のベンチでは、バッキーを連れた女子高生、葛西皐月が一人の侍とクレープを食べていた。老若男女とりわけ年輩のご婦人がたに人気のあの“武士殿”だ。
 彼女が甘いものでも食べようと誘ったのだろうか。制服姿だったが皐月はレースのシュシュを付けて精一杯のお洒落をしていた。

 ──一緒にダンスを踊れて嬉しかったです。……それじゃあ、また。

 彼女も“さようなら”とは言わなかった。
 御先は仲良くクレープを食べる彼女たちを微笑ましそうに見つめ、視線を公園の中心にあるモニュメントに移す。
 そこには女が一人。黄色い紙──紙紮を燃やして風に飛ばしていた。中国での弔いの習慣か。
 すると、息子らしき少年が楽しそうに、空を舞う紙を追いかけてこちらへ走ってきた。ぶつかる! よけようとしたのだが、遅かった。気が抜けていた御先は少年と衝突し尻餅をついてしまった。
「大丈夫か?」
 きゃっと声を上げ倒れた少年に、近くにいた男が手を差し出した。デヴィット・チャオだった。珍しく洋装をした彼は扇を手に独りだった。
 立ち上がった少年が、ごめんなさいと頭を下げると、母親の方も走ってきた。
 ウチの子が迷惑かけて──言いかけて彼女はチャオに目を留めた。そのまま見つめ合う。
「あたしの顔に何かついてンのかい?」
「失礼。君が私の知り合いに似ていたので」
 あ。御先は気づいた。彼女は今日初めて乗せた客ではないか。
「私の部下はかつて、君によく似た女侠を追っていたのだ」
しかしチャオは知っていた。「力づくで金燕会を潰せという仲間を押さえ込んで、な」
 ──彼女が、かつて銀幕市を震撼させていたヴィランズ、カレン・イップであると。
「あの女と、復讐に執念を燃やしていたかつての自分を重ねていたのかもしれん」
 へえ。カレンは鼻を鳴らす。
「そいつの復讐は終わったのかい?」
「ああ。彼の中でな」
 ばさっと扇を開くチャオ。
「……老いぼれのつまらぬ話につき合わせて悪かったな」
 そう言って話を切り上げると、去ろうとする。
 カレンは、待ちなよと彼を止めた。持っていたバスケットから紙袋を取り出してチャオに押しつけるように渡す。
「肉包だよ。あんたとあんたの部下に」
 それを持ち、苦笑するチャオ。
「やはり人違いだな。私の知っているアバズレはこんな気遣いなどしなかった」
「くたばれ、爺ィ」
 カレンも笑った。


 * * *


 シケたもん食ってるンじゃないよ。と、御先もカレンから肉まんをもらい、コンビニ弁当と一緒に食べた。黒孤の人形劇を見ながら、マイクの遊ばせていた子供たちに囲まれて、である。
 時間を気にせず、こんなにものんびりと昼食を食べたことがあっただろうか。
 満足した御先は、無料タクシーを再開する。ほどなくして、次の客が乗ってきた。
「こないだは大変だったね。御先さんは大丈夫だった?」
「とにかく避難してました。車が無事でよかったですよぉ」
 女子高生、浅間縁だ。ふれあい通りの園芸ショップの名を告げる。
「そうなんだ。うちは窓が割れるだけで済んだんだけど、庭の金木犀の枝と、母さんの家庭菜園が駄目になっちゃってさ」
「それは残念でしたねぇ。ん?」
 信号で停車していたら、窓を叩くものがいたのだ。十代後半の少女、鳳翔優姫だ。
「銀映会通りってどこ?」
「ああ、まるぎんの近くですよ。今からそちらに行きますからご一緒にいかがですか?」
 今日は無料だと聞くと、優姫はすんなりタクシーに乗る。普段はまったく乗らないのだ。
「やっほ、優姫。買い物?」
「うん。ニーチェと待ち合わせしててさ。服買って、美味しいもん食べようって」
「へぇ、いいねえ」
 ムービーファンとムービースターだが、二人の少女は友人だった。
「あ、ニーチェさんだったら、先ほど神社で見かけましたよ」
「え? 神社で何を?」
「クレイさん……でしたっけ? 彼を追いかけてました」
「またあの!」
 言いながら二人は大笑いした。

 もう一人、手を挙げる者がいて、御先は停車した。2メートルを超える大男、ベネット・サイズモアだ。何か小さな檻を大事そうに抱え乗ってくる。
 その脇を、二人の男女が通り過ぎていった。
 車道側をいくのは黒い着流しを粋に着こなした、旋風の清左だ。彼の左手は優しく、傍らの女性のほっそりとした白い手を引いている。
 吉原の花魁、藤花太夫だ。
 涼しげな藤の花の着物姿の彼女は、微笑みながら何かを清左に話しかけている。清左がうなづいて何か言葉を返すと、彼女は、俯いてほほを染めた。
 何を話しているのかは聞こえなかった。
 しかし。彼らはお互いへの大切な思いを、この最後の日々を精一杯に使って伝えようとしていることが分かる。
「いいなぁー、ああいうの」
 車内でうらやましそうに縁がこぼしていた。

「実は、ある人にこいつらを引き取ってもらうことになってな……」
 隠してもしょうがないと思ったのか、ベネットは同乗者たちに自分のペットの檻と水槽を見せた。二人の少女は、ぱあっと笑顔になる。中にハムスターと金魚の姿を見つけたからだ。
「可愛いな」
 優姫が指でハムスターの頭を撫でる。人懐こい小動物はキュキュッ、と鳴く。
「その、あれだ。前にホームセンターに寄った時にな、こいつらと目が合って──気がついたら連れ帰っていたんだ」
聞かれたわけでもないのに、話し出す。「ペットは最後まで責任をもって飼えるものだけが飼うべきなんだがな……。本当に困ったものだ」
 言い訳口調のベネットを尻目に、少女たちはキャアキャアと小さな同乗者を喜ぶ。

 その時、カツンという音を聞き、御先は外を見る。そして、もう乗せられないと言おうとして、目を見開いた。
 赤毛の女が道端に立って、こちらにナイフを投げつけてきているではないか。
「止まれって言ってんのよ!」
「あ、リカだ」
 殺し屋だとばかり思ったが、彼女はケーキ屋の店員、リカ・ヴォリンスカヤだった。
「縁〜! やっぱり。あなただと思ったの。降りて降りて」
 無理やりタクシーを停めた彼女は、友人の縁をはじめ乗っていた全員をタクシーから降ろして自分の店の前へと連れていった。
 赤いギンガムチェックの可愛らしい洋菓子店。その店頭に、いかにも誰かへの贈り物ですと言わんぱかりのケーキ箱がいくつか並んでいた。リカはその一つを取り出して縁に渡す。
「この三年間の集大成のスペシャルケーキよ、美味しく食べてね」
「あ、ありがと……」
 どんなブッ飛ぶ味のものが中に入っているのか。縁はケーキの味は恐ろしかったが、リカの気持ちは嬉しかった。
 リカは優姫やベネット、御先にも焼き菓子の袋を渡す。
「仲良くしてくれたみんなに、これ渡すの」
 長いまつげを揺らし、夢見る乙女口調でリカは言う。縁には分かった。たぶんあの一番大きなやつは犠牲者──もとい“彼”に渡すものだろう、と。
「あらー? なーに、みんな集まってるじゃないの!」
 そこへ、文字通り飛び跳ねるようにレモンが顔を出した。ゴスロリファッションのウサギ、聖なるウサギ様だ。
「キャー、レモン! いらっしゃい」
 ぴょこぴょこと店の前にやってくると、レモンは運んでいた大きな風呂敷包みから、さらに小さな包みを出して、リカに渡す。
「もう最後だから、みんなにね」
 リカからもケーキを受け取り、レモンも少し寂しそうな顔をする。
「リヒャルトでしょ、リガでしょ、美樹でしょ、それからあたしのライバルこと、SAYURIとミシェルに」
 それを聞いて、御先はレモンに教えてやった。ミシェル──カレン・イップは彼女自身の店に帰り、クラスメイトPはドラゴンにさらわれ、二階堂美樹は海辺でカニ漁中だと。
「なにそれ!」
 レモンが吹き出すように笑い出し、つられてみんなが笑った。

 コロコロ……。
 すると笑っているレモンの足元に白いボールが転がってきた。卓球のボールだ。
「あっ!」
 それを追いかけてきた少年がいて、目が合う。何かと因縁のある卓球少年、ジミー・チェーだ。
「何してんだ、クソ兎」
「失礼ね、そっちこそ!」
「ジミー?」
 少年の後ろを、青い髪の青年がやってきた。ソルファだ。彼ら二人はどうやら街中で卓球のゲームをしていたらしい。
 キィキィと言い合いをし始めるレモンとジミーのところへ来て、じっと二人を見つめる。
 やがて、唐突に彼は、ポケットから取り出した人参をジミーに差し出した。
「何だよ」
「さっきから渡そうと思ってた。いろいろメーワクかけたから」
 それを受け取り、黙り込むジミー。無口なソルファは何も語らないが、きっとこの人参は別れの挨拶のつもりなのだ。
 ん、とソルファはレモンにも人参を突き出した。彼女はちょっとだけ嬉しそうな目でソルファを見上げ、人参を受け取る。
「あたしにもくれるの?」
「ついでだから」
「ついでかよ!」

「──ピラミッドの精、みっけ! ノリノリアルよー!」

 そこへ突然、ノリの妖精が現れたから大変だ。
 ノリン提督は、レモンめがけて急降下してきた。攻撃ではなく、彼なりの親愛表現だった。
「何よあんた、ヤル気!?」
 迎え撃つ体制のレモンだったが──ゴチン! 大きな音をさせて彼ら二人は脳天をぶつけて気絶しその場に倒れてしまう。
 パチリ。
 ケーキ屋の前で大きな声で笑う人々。彼らをファインダーに写し、自転車に乗った真山壱は、にっこり微笑んでそのまま走り抜けていった。


 * * *


 ベネットが降り、縁の指定した店で少女二人も降りると言う。
 御先はそうだ、と、縁にハーブ色のバッキーのぬいぐるみを渡した。実は彼女が交際中の、クラスメイトPから預かったものだ。
「何よ、どこでも売ってるやつじゃん……」
 言いながらも、はにかんだように微笑む縁。同じ色をしたバッキーが、ぴょこんと顔を出す。
「遅いか早いかの違いだね」
 ぽつりと優姫が言った。彼らの別れのことを言ったのか。彼女は多くは語らなかった。

 ──世話になった彼女を独りにしてしまうけど、でも、楽しかった。僕にはそれだけで充分。

 無人になったタクシー。運賃の代わりに縁から飴玉をもらったので、御先はそのままモゴモゴと舐めた。濃厚ミルク味だ。
「星砂海岸へやってくれるかい?」
 次の乗客は、父と息子のような二人──柊木芳隆と綾賀城洸だった。
「カフェ『琥珀』もいいけど、昼食は広東料理がいいかと思って」
「ああ『海燕』のことですか。それならさっき店主さんに会いましたよ」
 御先が公園でカレンを見かけたことを言うと、柊木は嬉しそうな顔をした。
「そうか、だから誰も電話に出なかったんだねぇー。今夜飲みに誘おうと思ってね」
 柊木は、他にも誘おうとしていた友人の名前を口にする。
「ああ、二階堂さんは海辺でカニ漁を。桑島さんは今日は見かけてないですね」
「カニ漁?」
 驚いて、洸が口を挟む。
「ええ、コロッケをつくるという方と一緒に」
「ははは、そりゃあいいね。今夜持ってきてもらおう」
 三人は声を上げて笑った。
「綾賀城くんも一緒に誘えればよかったんだけど、君はまだ未成年だからねぇー」
「いいんです僕は。あの、それよりも──」
 申し訳なさそうに言う彼に、洸は慌てて手を振り、トートバッグから綺麗に包装された箱を取り出す。
「これ、柊木さんに」
 柊木は笑顔でそれを受け取り、ここで開けても? と少年の目を見てから包装を解いた。中に柔らかい革で出来たシガレット・ケースだった。
「──ありがとう」
 少しの間を開けて、柊木は言った。いつも煙草の箱をむき出しで持っていたことに気付いてくれたのだろう。年若い友人の気遣いに、彼は胸がいっぱいになった。
「本当にお世話になって……」
 笑顔でお別れしようと思っていたのに。洸は最後まで言うことが出来なかった。とっさに俯いてしまう。涙を見られまいと。
 柊木は思った。自分が消えることには抵抗は無い。この街での生活は、映画の中からは考えられなかったもので、とても楽しかった。しかし。

 車内が沈黙に包まれた。
 気まずいわけではないのだが、御先は運転をしながら、話題を振ってみた。ちょうど、例の小さな公園のそばを通りかかったのだ。
「あ、ほら、見てください。あそこ。なぜかギャリック海賊団の人たちが集まっていて──」
 柊木と洸も公園に目をやる。
 あれからさらに人が増えていた。小さな妖精リャナが飛び回り、大きな虎にしか見えないアスラ・ラズワードの頭に張り付いた。
 その隣りには、ヤシャ・ラズワードと、エフィッツィオ・メヴィゴワームがニカッと笑う。蛇の足を持つ女、ゴーユンが小さなボールを器用に足で操って感触を確かめている。 
 さらに、公園の奥には若い娘アゼルがいて、両手の包みを地面に置いていた。もしかすると人数分の弁当のようだ。
「運動会ですかねぇ?」
 しばらく考えていた柊木は、ああと声を上げた。
「セパタクローだ」
「?」
「前にマギーくんが言っていた。クリスマスのプレゼント交換で、ギャリックくんにボールを贈ったって」
「ギャリックさん」
 その名前を繰り返す洸。三人とも知っていた。
 海賊団の団長は、先日のマスティマ戦のときに、一足先に逝ったのだ。
「……ということは、もしかして?」
 彼らは公園の様子に目を移す。

 ──セパタクローは三人ずつのチームでやるのよ。こんなに集まったら……でも、みんなありがとう。


 * * *


 いやー、参った参った。汗を拭きふき、乗ってきたのは刑事の桑島平と、ショートボブの少女、大友ルルの二人だった。
「市役所に届けられるプレミアフィルムを奪って逃げたやつがいてさ。街中、追いかけっこだよ」
「大変でしたねぇ」
 相槌を打つ御先。桑島はルルにも声をかける。
「付き合わせちまって悪かったなぁ」
「別に、いいけど」
 かつてダイモーンに操られていた彼女は少しだけ微笑む。
「そういえば、さっき柊木さんが今夜飲みに行こうって言ってましたよ」
「おっ、ほんとか? よし、じゃあルル、お前も行くぞ」
 桑島は嬉しそうにルルを誘う。
 彼女が怪訝そうな顔をしていてもおかまいなしだ。
 
 と、歩道で手を挙げる者がいて、新たな者が同乗者として加わった。
「なんだこの車は、狭いな」
 いきなりそんなことを言う女。大教授ラーゴだ。
「一度、この星のタクシーに乗ってみたかったのだが、聞きしに勝る狭さと遅さだな」
「そうですか……」
 御先はしょぼんとしたが、桑島は、これはこれで小回りが利いていいんだぜ、と笑う。
 ラーゴは、ふんと鼻を鳴らしつつも御先の運転席の魔除けグッズに興味を引かれたらしく、手をのばして触ったりし始めた。
「それは吸血鬼用、そっちは幽霊用、中でも子供用ね」
「おまえ詳しいな」
 博識なルルが説明すると関心したようにラーゴは、あれは? それは? と質問する。
「な、日本のタクシーも面白れぇだろ?」
「うるさい。刑事、外に不審者がいるぞ」
「え?」
 ラーゴが顎で外をしゃくるので、桑島も視線を転じた。
 宝石店の前である。
 黒い服を着た若い男が、店内を伺い、辺りを見回しウロウロしている。
「あれはシグルス・グラムナートよ」
 すると、映画に詳しいルルが教えてくれた。
「彼女に指輪か何かを贈るつもりなのよ、きっと」
「ああー、なるほど」
 桑島も御先も何となく知っていた。シグルスは、映画の中で離れてしまった恋人、香玖耶・アリシエートとこの街で再会したのだった。
「そうか。女は昔からピカピカ光るものが好きと決まっているからな」
 降りる、とラーゴは唐突に言った。どうやら彼女も誰かに贈り物をしたくなったらしい。
 車を停まると彼女はサッと降り立った。
「地球のタクシーも悪くはなかったぞ」
 捨て台詞のように言い残し、宝石店へとマントを翻す。
 そして彼女のいた座席には、酒の入った一升瓶が残されていたのだった。
 
 ほどなくしてルルの住むマンションに着いた。彼女は降りようとして、ふと振り返る。
「あのね、忙しそうだから言えなかったんだけど」
ルルはそっと言う。「明日、例のオスカー像窃盗事件の公判があってね。わたし証人として出廷するんだ。だから……その時に全部話すの」
 えっ? と桑島。
「あの事件、全部わたしが考えましたって」
「待てよ、だって──」
「大丈夫。わたし諦めないから。この街の夢が醒めても」

 ──絶対、女優になるから。


 * * *


「くそっ、今夜は飲むぞ!」
 銀幕署の前で降りていった桑島。それと入れ違いに背の高い女、須哉久巳が御先のタクシーに興味を引かれたらしく乗ってきた。
「こないだの戦いでボロボロにされたところを回ってくれるかい?」
「と、いうと、ベイサイドホテルの跡地あたりですかね」
「そう」
 御先が車を走らせると、彼女は無言で窓の外の街並みをじっと見つめていた。
 思えば、乗客がいるのにこんなに車内が静かになったのは初めてだ。
 やがて、ベイエリアの破壊し尽くされたホテル街に着くと、久巳と御先は車を停めて二人、瓦礫の山の前に立った。
「ずっとこの街で暮らしてきたんだけどさ」
 ぽつぽつと語りだす久巳。
「この三年のことは一生忘れないと思うよ。だからさ、こういったのを目に焼き付けておこうと思ってね。人の願いや、希望がさ、こんなにも──」
 あー、なんて言ったらいいのか分かんないよ。彼女は何かを言いかけて苦笑し誤魔化してしまった。
「そういやさ、知ってる?」
 恥ずかしかったのか久巳は強引に話題を変えた。
「ウチの道場さ、出るんだよ」
「な、何がですか?」
「雨上がりの日かなあ。ちょうど日が暮れるころに、道場の明かりを消すだろ? そうするとさ、なんか部屋の隅でさ、ゴトッて音がするんだよ」
 御先は、彼女を怯えたように見た。まさかそれって──。
 ──カタッ。
「ひぃぃッ!」
「? 何してるの、御先さん?」
 後ろからの物音に驚いた御先が振り返ると、そこには金髪の若い女が首をかしげて立っていた。
 コレット・アイロニーだ。ベイエリアでボランティアの炊き出しに加わっていて、それが終わったところだった。
 その後、久巳がタダだから乗ろうと誘うので、彼女もタクシーに乗った。
「あと数日でみんながいなくなっちゃうなんて」
「そうですね……」
 相槌を打つ御先。その言葉通り、今の乗客二人は、数日経っても消えないのだ。
「御先さんはどうだった? 実体化してよかった、いやだった?」
「私は──」
 御先はふと実体化してからのことに思いを馳せた。
「怖い思いばっかりでしたけど……でも、そういうものかなあって。分からないです。私に出来るのは、ただ毎日毎日、精一杯タクシーを走らせることだけでしたから」
「みんな一緒だよ」
 久巳が口を挟む。
「人間はさ、どんな奴だって、死ぬまでただひたすら精一杯生きるだけなんだ」
「そうですね。……あっ、そうだ」
 御先は伝言を預かっていたことを思い出した。
「ファレルさんがね、あなたに──」
 朝に出会ったファレル・クロスから預かった言葉を御先が伝えると、コレットは大きな目をさらに大きくして彼を見た。
 しばらく。
 
 ──忘れないわ。ファレルさんのことも、御先さんのことも。この街にいたみんなことも、絶対に、忘れない。

 彼女たちを降ろしたあと、御先は自分が自然に口笛を吹いていたことに気づいた。
 なぜだろう。あと数日で消えてしまうというのに、もう、あまり不安や恐怖を感じなくなっていた。
 信号で停まると、目の前をごつごつした男が二人、いちゃいちゃしながら通り過ぎていく。賞金稼ぎのジム・オーランドとその友人のオカマらしい。
 心が穏やかになっていた御先は、微笑ましく彼らを見送った。目が合ったジムに手を振る。
「だぁっ、おい、何勘違いしてんだ! オレはこいつとただメシ食いにいくだけで……!」
 どんなカップルがいたっていいんだ。御先は笑みを絶やさず、信号が青に変わったのでそのままアクセルを踏んだ。
「意味もなく、くっつくなってぇの!」
 誤解されたままのジムは走り去る車を、しょっぱい気分で見送った。


 * * *


「これから、タイムセールがあるの」
 息を弾ませながら次に乗ってきたのは、香玖耶・アリシエートだった。
 彼女の行き先は決まっていた。そう、スーパーまるぎん名物のタイムセールだ。
「今日は家でしっかり食事の支度するのよ」
「それはいいですねぇ」
 御先は、先ほど彼女の恋人のシグルスを宝石店の前で見かけたことは秘密にしておくことにした。
「じゃあ、行ってくるから、ちょっとここで待っててね」
 まるぎんの前に着くと、香玖耶は御先に待つように言うと“戦場”へと駆け込んでいった。
 仕方ないですねぇ。そう漏らしながら御先もタクシーから降りて、彼女が帰ってくるのを待つことにする。
 すると、珍しい二人が歩いてくるのを見かけた。
 香港マフィアのユージン・ウォンと、大富豪の娘リゲイル・ジブリールだ。
 彼らが交際中の仲であることを、実はみんなが知っていた。しかし彼らが連れ立って歩いていることは珍しい。ウォンが彼女を危険に巻き込まぬよう、気を使っていたからだ。
 それぞれ物思いにふけって街を歩いていたところ、彼らは偶然出会ったのだった。
「ユージンさん、こんにちわ」
「リガ、こんなところで何を?」
 普段と変わらぬ会話を交わす二人。
「漆くんとね、この道をよく歩いてたの」
「そうか」
 彼がこの街の魔法が解けることをずっと願っていたのを、リゲイルは知っていた。
 だからこの別れを覚悟していた──つもりだった。いざそれが近くなると、彼女は自分の気持ちを抑えるのに精一杯になっていた。何かもっと話したいことがあったはずなのに──。
 そんな時、どこか行きたい場所はないかと聞かれ、彼女はつい、まるぎん、と答えていた。
 魔法が消える日が近いとあって、まるぎんはなんと午後にもタイムセールを行い、この一週間だけ限定カニクリームコロッケを販売していたのだ。
「行くぞ」
 サングラスをかけたまま、表情をひとつも変えず、ウォンはまるぎんへと足を踏み入れていった。その後ろをリゲイルがそっと追いかけていく。
 えええ!? さすがの御先も気になった。まさか人死にが出たりなんて?
 そのまま御先はスーパーの中へと二人を追いかけた。カツン、カツン。靴音を鳴らし長身の男は真っ直ぐにタイムセールの──主婦たちの戦場へと向かっていく。
 そして戦場の中に一歩足を踏み入れ、彼は立ち止まり言ったのだった。

「──どけ」

 数分後。
 何人かの者たちが買い物を終えて、ゾロゾロとまるぎんから出てきた。その中に、ウォンとリゲイルの姿もある。彼女は限定品のカニクリームコロッケの袋を持ち、楽しそうに微笑みながら、ウォンに何かを話しかけていた。
 彼らの横をDP警官のラルス・クレメンスが買い物袋を下げて出てきた。これから宿舎に戻って自炊するらしく、透けて見える食材等々は生活感に溢れている。
 ラルスは無言でカニクリームコロッケの袋を取り出すと、歩きながら食べ始めた。ふと横を見ると、リゲイルがじっとその様子を見ている。
 美味しいよ? と、ラルスがニコッと微笑むと、彼女も微笑み返した。リゲイルは、彼の真似をして自分もごそごそとコロッケを取り出してみる。ウォンにも渡し、そっとかじってみた。
「美味しいね」
 無言でうなづくウォン。街中で歩きながらコロッケを食べるなど、お嬢様育ちのリゲイルには初めてのことだった。
「やー、今日は買いやすかったなあ」
 仲良く去っていった二人の後ろから、頭にたんまり食料の入ったエコバッグを乗せた狸少年、太助も店を出てきた。
 彼は同居人の老夫婦と一緒に来たようで、両前足を二人とつないでいた。
「ばぁちゃん、この人参でなに作んの?」
「いつもの煮物だよ。今日は鰹節をいっぱい入れてあげる」
「わぁ!」
 嬉しそうに笑う、その彼の後ろからは、猫耳フードの少年バロア・リィムと三月薺が出てきた。
「今日は、カニクリーム・コロッケたくさん買えて良かったね、ばっくんが早く食べたいって」
 彼らもウォンの人払いによって恩恵を受けたクチだ。
「うん、それよりも次はケーキ買いに行かなくちゃ」
「そうだね、パーティの主役はケーキだもんね!」
 バロアは買い物メモを見ながら、薺の手を引いた。彼女もニッコリ笑って彼と一緒に仲良く歩いていく。
 二人の手は強く、しっかりとつながれていた。
 まるぎんから一足先に出てきていた御先も、彼らの背中を微笑みながら見送った。

 香玖耶は、顔の右側に仮面をつけた青年、ルヴィット・シャナターンと楽しそうに話しながら出てきた。中で意気投合した二人は両手に大量の食材を買い込んでいる。
「パーティを開くんだよ」
“見世物小屋”の座長である彼は嬉しそうに話す。「団員たちに内緒でね、せっかくだから最後くらいは華やかに……。そう思ってね」
「わたしのところもそうなの。こっちは二人だけのパーティ」
 香玖耶も少し恥ずかしそうに言う。家に帰ると誰かが待っている、それは長い時間を一人で生きてきた彼女にとっては、本当にかけがいのないものだった。

 ──たくさんの幸せをもらったわ。だからこの街の景色を目に焼き付けておくの。

 香玖耶を降ろすと、すぐにまた別の乗客が乗ってきた。
「えっ、今日無料なの? やあだほんとに? あんたそれで食べていけるの」
 主婦、佐藤きよ江だ。目に痛々しいピンク色のジャケットに、いつもより少し化粧が濃いようだ。
「どこかに出かけてらしたんですか?」
 と、尋ねたのが運の尽きだった。きよ江は、小学校の同窓会に出席し、レストランの料理がどうだったとか、誰それが離婚していたとか、そんな話をマシンガンのように喋って聞かせてくれた。
「それでね、やっぱり映画のことが話題になってね」
と、隣りのルヴィットに微笑みかけ、「おばちゃん恥ずかしいんだけど、今更になって映画にハマッちゃったの。……お兄さん、あれでしょ、確か“忘却の扉”」
「“記憶の扉”」
「そうそう! 観たわよ! なんだか分かんなかったけど!」
 とにかく彼女はハイテンションだ。
「もうあと数日だなんて、悲しいわぁ〜」
「ううーん、ボクは悲しい……ってよりも、笑いたくなるかな」
 ルヴィットは口端を吊り上げて笑う。
「これで元通りに正しい世界に戻るんだってね。だから。……そうだ、うちのパーティに来る?」
「えっ?」
 きょとんするきよ江。
「うん。今夜は底抜けにバカ騒ぎしたいんだ。見世物を見る観客役がいないと思ってね」
「ほんと!? 行く行く!」


 * * *


 銀幕の街も夕暮れだ。
 昼とも夜ともつかないその短い時間を一人、御先はタクシーを流す。
 賑やかな二人を降ろした直後だからか、その静けさが妙に際立っていた。
 もうすぐこの一日が終わる。
 そう思いながら信号で停まると、脇にあったカフェのオープンテラスで、ケーキセットを楽しんでいる森砂美月と目が合った。
 にこやかに会釈すると、その目の前を大きな影がよぎり、思わず御先は息を呑んだ。
 魚とも鳥ともつかぬ大きな生き物が空を泳ぐように飛んでいたのだ。
 ──使鬼、真達羅に乗った、呪い屋の鬼灯柘榴だった。
 彼女は“見慣れた景色”になってしまった銀幕市を、もう一度よく見ておこうと空を飛んでいたのだ。
「ああ、鬼灯さん、その節はお世話に──」
 御先は彼女に世話になったことを思い出し、手を振った。
 それが聞こえたのだろうか。柘榴は振り向いてにっこり笑ってみせた。
「柘榴さーん」
 そしてカフェにいた美月も彼女に手を振った。
「良かったら、お茶していきませんかー?」
 くるり。方向転換する柘榴。
「そういえば、お正月の時にそんな約束をしましたね」
 彼女はカフェに降り立ち、同じようににっこりと微笑んでみせた。覚えていてもらって嬉しいと、美月に伝えながら。

 和風着物姿の柘榴と、ゴシック・ロリータな美月が、仲良くカフェテーブルに座って会話している姿を目に納め、御先はまたタクシーを走らせる。
 次にタクシーに乗ってきたのは、小学校教師の真船恭一だった。
「いい日ですね」
「ええ」
 二人は静かに会話を交わした。今までこの街で起こった様々な事件とその顛末を。
 御先は、今日一日どんな人を乗せたかを話した。勇気付けてもらったことも。しかし一つだけ気になっていたことがあった。
「──みなさん、さようならを言わないんです。何故なんでしょうか。やっぱり言いにくいからなんでしょうか」
「ああ、それは──」
 真船は寂しげに微笑んだ。
「さようならを言うと、少し死んでしまうからじゃないでしょうか」
「?」
「“To say goodbye is to die a little.”という、ある小説で有名な一文があるんです。さようならを言うのは、少し死ぬこと、と。元はフランスの詩の引用なんだそうです。……続きにはこうあります」

 ──何処でもいつでも、人は自分の一部を残して去ってゆく。

「僕は、この続きの部分があの台詞より好きです。解釈はどうあれ、残すとあるから」
 彼は流れていく外の景色を目に映しながら、人々が生活する様を見つめた。普段と変わらない彼らの姿を。
 御先は無言だった。
 真船の自宅に着いてドアを開けると、彼はようやく尋ねた。
「私も何か、残せたのでしょうか」
「もちろんですよ。幽霊タクシーの御先行夫さん」
 楽しそうにニッコリ微笑む真船。
「絶対に貴方達を忘れません。Merci.bonvoyage!」


 * * *


 いい言葉を聞いた。
 御先は車を走らせる。もうすっかり夜だが、彼の心は晴れ渡っていた。
「傭兵団『ホワイトドラゴン』の宿舎へ」
 次の客は、帽子を目深に被り、その奥から鋭い眼光を覗かせた男、フォーマルハウトだった。今日は無料で──と御先が言いかけると、ゴトリ。彼の懐から黒光りする拳銃が落ちた。
 無言でそれを拾うフォーマルハウト。御先は思わず青ざめた。
「あの! あの、彼らに何か恨みがあるのかもしれませんが、その」
「……? 何か勘違いしてないか?」
 彼はバックミラーの中で御先をじろりと睨む。
「世話になった姫と、本物に逢いたくなってな」
「ほん……もの?」
「俺を“演じた”役者だよ」
 そう言うと、ずっと無表情だった彼が笑みを浮かべたのだった。面白いジョークを言ったあとのようにニヤリと。

 フォーマルハウトを『ホワイトドラゴン』の宿舎で降ろしたあと、すぐだった。御先は妙に車内の温度が低くなったような気がして、エアコンの表示を見る。異常なし。おかしいな。
「今日は忙しそうだね」
 バッ。御先は後ろを振り返った。バックミラーにも誰も映っていないのに!
 後部座席に一人の紳士が座っていた。
「ブラックウッドさん……」
御先は胸をなでおろした。「び、びっくりさせないでくださいよぉ」
「すまない。タクシーの類には乗り馴れなくてね」
 ゆったりと足を組み、吸血鬼の長老たるブラックウッドは御先にゆっくりと話した。“協力者”との“契約”を解除するために今日一日中、この街を回っていると。
 その契約とは文字通り、血の繋がりのことなのだが、御先には当然、そうと理解できなかった。
「契約、ですか? 借家の賃貸契約とか……?」
「ははは、面白い冗談だね」
「──そうですか? 私には面白くありませんが」
「ぃいっ!?」
 驚いた御先は、再度振り返った。
 いつの間にか紳士がもう一人増えていた。──悪魔、ベルヴァルドだった。
「ひぃっっあ!」
 驚きのあまりハンドル操作を誤る御先。対向車線にはみ出しそうになりながらも、何とか車を戻し、後方の車にクラクションを鳴らされる。
「これから貴方のところを尋ねようと思っていたのです」
「それは良かった。うちのメイドたちのスイーツを、君にも味わってもらえそうだ」
 そんな時も、後部座席の二人はにこやかに談笑していた。彼らは出身映画は違えども、いわゆる気の合う間柄だった。

 ぜえぜえ言いながら御先が車を脇に停めると、空いてるか? と、また新たな乗客が乗ってきた。
「んん? 空車だと思ったのに」
 犬神警部だった。後部座席の二人を見て、目を丸くする。
「どうぞお乗り下さい。杵間山の方へ行きますが方向が合えば」
「おう、そうか。なら途中だ。乗る」
 ベルヴァルドがそう言うので、何も知らない犬神は助手席に乗り込んだ。
 車内の話題は、そしてマスティマの話へと流れていった。
「あれはでかいヤマだったな」
 犬神も感慨深げに語った。
「犠牲は出てしまったが……。だがこれで魔法が解ける。それはいいことだ」
「そうだね」
 微笑みを浮かべたまま、静かにブラックウッドがうなづく。
「確かに。あの絶望の巨魁──マスティマが消えた後は街が穏やかになってしまいました。つまらなくなりましたよ」
「つまらない?」
 犬神警部が聞き返すと、ベルヴァルドは怪しく笑った。
「もうこんな場所には居たくないという意味ですよ。私は退屈な場所が何よりも嫌いなのです」
 ──ぶわっ。
 その時、何の前触れもなくタクシーがぐらりと揺れた。
「わっ、ハ、ハンドルが効かない!」
 驚く御先を尻目にタクシーはゴトゴトという奇妙なエンジン音をさせながら、加速していく。ハンドルはがっちりと固定され、動かすことが出来ない!
「そんな! さっきレオさんに見てもらったのに」
「何っ、誰かに細工されたのか──イデッ」
 立ち上がろうとして天井に頭をぶつける犬神。
 後部座席の二人の紳士は、穏やかに笑っている。犬神はキッとそちらを向いた。
「さては、おまえが犯人だな!」
「そうです。よく分かりましたね」
「えええ!」
 しゃあしゃあと答えるベルヴァルド。
 犬神警部は自らの推理(?)が当たった奇跡に自分でも驚いてしまい、目をパチパチやった。
 見れば、タクシーの下に何か蠢く黒い影のようなものがあって、それがタクシーを運んでいるのだ。
「もっと刺激的に行こうじゃありませんか」
 悪魔の笑みとともに、タクシーはスピードをグッと上げた。


 * * *


「大変な目に遭いましたよ……」
 御先は次に乗せた青年、アレン・ブランシュに愚痴をこぼす。
 この街には恐ろしげな人が多すぎます、と彼が言うと、アレンは柔らかく微笑しただけだった。
 綺麗な夜景を見たくて。と、彼はミッドタウンへやるように御先に告げた。
「夜景か。そりゃいいね」
 すぐにもう1人の人物が乗ってきて、同意する。
「──女の子が1人もいなくて、野郎だけってのが大いに気に入らないけどな」
 DP警官、リョウ・セレスタイトだ。
「夜景のあとは、聖林通りにやってくれな。女の子がいっぱいいそうなところ」

 やがてタクシーは小高い住宅地の中にある公園で停まった。街が一番よく見えるところだ。
 車を降り、三人は無言で街の明かりを見下ろした。
 数日で見られなくなる、この光景を。
「まあ、でもそれはそれ、だな」
 誰ともなく、リョウが呟いた。
「俺は俺だし。どんな女性も女神で天使さ。……彼女達に触れられなくなるのだけが心残りだ」
 自分たちの行く末を言っていることがわかり、アレンも御先も寂しげに微笑んだだけで何も言わなかった。
「──ああっ! どいてくださーい!」
 そんな時、突然雰囲気をぶち壊すように、自転車が一台走り込んできた。ひゃあと声を上げて御先がよけると、自転車は公園の砂場に突っ込んで止まった。
 走るトラブル、クラスメイトPだった。
「すいません、猫をひいてしまいそうになって」
「リチャードさん。あなたという人は」
駆け寄って、それを助け起こしたのは、アレンだった。
「本当に……。あなたと過ごす一時はいつも楽しく幸せなものでした。いたずら好きの運命の女神様が、これからもあなたに祝福と、出来ればもう少しの手加減を与えて下さるよう祈っています」
 結局、壊れた自転車とともにPとアレンは九十九軒──Pのバイト先で夕食を食べることになり、二人は去っていった。純西洋風の吸血鬼であり、ラーメンなどという食べ物とは無縁に見えるアレンだったが、彼は幸せそうだった。
 それがこの街、銀幕市だ。

 やがてタクシーは街中に戻り、聖林通りでリョウは降りていった。──あんたもいい人見つけろよ、と御先に言い聞かせながら。
 代わりに乗ってきたのは、眼鏡をかけた20代後半の女性だ。
「あー、もう今日は本当に疲れましたよー」
 どさっと後部座席に身を投げ出すように乗る。ごく普通の人間にしか見えなかったが、彼女は“伝説の勇者・鈴木さん”こと鈴木菜穂子だった。
 聞けば、今日はバイトの掛け持ちで20時間も働き詰めだったそうだ。
「それはお疲れでしょう?」
「ええまあ。でも、何ででしょうね。この街では楽しい記憶の方が多いんです」
 ペットボトルのお茶のキャップを外しながら菜穂子。
「喫茶店でナンパ男にドチ切れて、アルミテーブルを野球ボール大に丸めちゃったこととかもありましたけど。でも、楽しかった」
 えええ!? 内心、御先は冷や汗をかいた。この人もしかしてヤバイ人?
「? ねえ、運転手さん。あれ見て。公園にたくさん人が集まってる」
「ああ、あれは──」
 菜穂子の視線を追って、ギャリック海賊団の面々と、マギーがセパタクローの試合をしているのだ。
 御先はそれを説明すると、彼女は興味を示したようだ。
「ねえ、あれ一緒に見に行きませんか」
「え、私もですか?」
 もちろんですよ。菜穂子ぱニッコリ笑って頷いた。
「だって今夜は──オフなんでしょ?」

 公園の脇にタクシーを停めると、二人は一人の女子高生とすれ違った。
 新倉アオイだった。元気が売り物のはずの彼女は、今日に限ってまったく元気がなかった。
 気になった御先が呼び止めると、アオイは俯いて言う。
「別に、何でもないよ……」
「良かったら、一緒にセパタクロー見に行きませんか?」
 御先が誘うと彼女は首を振る。
「団長が死んじゃって……あたし」
ぽつりぽつりと語るアオイ。「海賊船でバイトもしてたのに。みんなに何て言って声を掛けたらいいか分からなくて……」
「いいじゃないですか、それでも」
 微笑みながら、菜穂子が言う。
「何も言えなくたっていいじゃないですか。ね? 彼らの試合を見守ってあげましょうよ」


 * * *


 最初、ナハトとマギーしかいなかった公園には、次々に人が集まっていった。“彼”の死を悼んだマギーが泣き止むころには、6人以上が集まっていた。セパタクローの試合ができる人数だ。
 コーディはイルカの姿になって飛び回り、王様はペンギンだが華麗なテクニックを披露する。ルークレイルは頭が空っぽになるまで走り回った。
「ほれ、ボールいったぞ」
 時折り笑みを浮かべるが、シキはあまり元気がなかった。
 皆、マスティマとともに散った、団長のことを悼んでいたのだ。
 しかし、着々と人数は増えていった。
 瀬葉卓郎という夏のサンタが来ると聞いて飛んできたリャナは、勘違いそのままに、ルークレイルの頭に取り付き、そこ! とかキャーとか無邪気に騒いだ。
 ヤシャはケラケラと笑い、すばしっこくボールを蹴った。エフィッツィオは、レシーブを決めたところでヤシャに頭突きされ、ずっこけた。
 そんな様子を見て、観客のアゼルやゴーユンが笑う。転がってきた流れ玉を、アスラがトラパンチではじき返す。 
 皆、笑うようになっていった。
 誰かが言ったのだ。

 ──最後まで笑って元気に過ごすことが、団長への弔いになる、と。

 夕暮れ。
 マギー側のチームが優勢なころ。二人の人物が公園にやってきた。
 大柄な肝っ玉母さんハンナが、耳のとがった青年──ウィズを連れてきたのだ。ホラ、ウチら負けてるよ、とバンと彼の背中を叩く。
「勝つ事は大事だよ、これからが勝負だ!」
 ハンナは「ぴちぴちギャル」の技を使い、30分だけ若い娘になる。うおおお! とギャリック側から声が上がった。
 ウィズがふいに大声を上げる。自分の顔をパンッと叩き、試合に加わった。
 彼は全力で走った。全力でボールに食いついた。あの団長なら全力で挑む──そう思ったからだ。

「いい勝負ですね」
 御先たちはアゼルたちの横で、試合を見ていた。もらった一升瓶を開け、ちょっと刺激的な味のお菓子をみんなで食べる。アオイの顔からもようやく笑顔が見えてきていた。
 悲しいこともあった。でも──。
 御先は思った。
 最後にはみな、笑顔になるのだ。
 それが銀幕市ではないか。 
 さようならは言わない。代わりにいい言葉を教えてもらったから。
 
 
 
 
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クリエイターコメントあああありがとうございました!!

わたしもライターとして、大変楽しい時間を過ごさせていただきました。
みなさんの過ごす銀幕市はなんて素敵な空間なんでしょう!

どうか魔法の消えた余韻を楽しんでいただきますよう。
これにて、失礼いたします(^^)。
公開日時2009-07-02(木) 22:40
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