★ どるふそば、お待ち ★
クリエイター諸口正巳(wynx4380)
管理番号100-8487 オファー日2009-06-30(火) 21:15
オファーPC ランドルフ・トラウト(cnyy5505) ムービースター 男 33歳 食人鬼
<ノベル>

 そば屋の年老いた主人とおかみさんは、幽霊でも見たかのような顔をした。
 おかみさんはともかく、主人のほうは、すぐにむっつり顔に戻って、まな板に目を戻したが。
 ランドルフ・トラウトは、うなじをかきながら苦笑いして、ぺこぺこ頭を下げた。
「どうも、こんにちは。お久しぶりです。お手伝いに来ました」
「おい。ぼさっとしてねえで、服と帽子出してやれ」
 主人はつっけんどんに、ぽかんとしている妻にそう言い放つ。彼はまな板に打ち粉をまぶし始めた。古ぼけた割烹着に三角巾の老婦は、ぱたぱたと慌てて厨房の奥に引っ込んでいった。
「……」
「……」
 まだ、昼食には早すぎる時間だ。午前10時。そば生地を練り始めた主人の前では、すでに、5玉ぶんくらいの麺が寝かされている。開店前からあらかじめ仕込んだものだ。それが彼の作業サイクルだった。ランドルフはそれを知っている。彼はここで……働いていたから。
 年の暮れ、ランドルフはこの店で初めてそばを食べた。腹持ちが悪そうだと敬遠していた日本伝統の料理は、ランドルフの舌と腹を満足させたばかりか、感動さえ与えた。この店のそばはそれだけうまいのだ。
「本当にずいぶん久しぶりじゃねえか」
 作業の手をとめず、主人はぼそりと呟いた。
 無口な彼がそう切り出すまで、狭い店内にはまったくの沈黙しかなかった。ランドルフはぎくりとして、大きな図体を小さくする。
「すみません。そのう……顔も出さずに、失礼しました」
「いや。来てなくて安心した。店は閉めてたからな。おまえさんが無駄足踏まなくてよかったと思ってるんだよ」
「え」
 ランドルフは目を丸くしたが、よくよく考えてみれば当然ことのように思えた。
「ああ……そうでしたか……」
 ランドルフがここで働いていたのは、12月上旬から2、3ヶ月の間だ。それから、銀幕市は、手打ちそばどころの騒ぎではなくなってしまった。
 第三のネガティヴゾーンが見つかり……ベヘモットと対峙し……そして、絶望の権化マスティマが現れた。銀幕市の空を占拠したディスペアーを見上げて、市民のほとんどは絶望した。死神の尖兵は、そんな銀幕市民に厳しい選択を迫った。ランドルフもまたぎりぎりまで選択に迷い、決断し、戦った。
 あの一連の流れは、不可抗力だった。誰かが何かをしたら未然に防げた事故というわけでもない。それでも、なぜかランドルフは、一抹の罪悪感をおぼえた。
「お怪我などはされなかったようですね」
「見りゃわかるだろ」
「す、すいません」
「おとうさん、そんな言いかたないでしょ! ドルフさんは心配して言ってくれてるんだよ」
 店の奥から老婦が戻ってきた。彼女は夫をぴしゃりと叱りつけてから、ランドルフに関取サイズの作務衣に利休帽を手渡して、にこりと微笑む。
 いや、いつも温かいその笑顔は、いくらか強張っているようだった。
「おとといから営業再開したばかりなんだよ。ちょうどよかった、って言ったら失礼かもしれないけど……じゃ、またお願いね」
「はい。ありがとうございます」
「ま、暇だと思うけど……」
 おかみさんは苦笑いして付け足し、また、ぱたぱたと店の奥に戻っていった。
 小さな背中を目で追ったランドルフの視界に、壁の張り紙が飛び込んでくる。

『新メニュー どるふそば 1500円』

 ふたりとも、知っているようだ。
 銀幕市にかかった魔法が解けること。
 ムービースターが、消えて、いなくなってしまうこと。
 ランドルフ・トラウトも、いなくなる。

「へい、どるふそば、お待ち」
 どん、とカウンターにそばが置かれる。ランドルフはぎょっとした。自分はここに働きに来たのだ。注文した覚えはない。
「食わねえのか」
「あ、その……いいんですか?」
「腹が減ってたら戦も仕事もできねえだろうが」
 主人はつっけんどんに言い放ち、またそば打ちを始めた。
 ランドルフは席に座り、黙ってそばを食べ始めた。
 年越しそばに比べるとちょっとコシがなくなってしまっていたが、主人のそばは変わらず、ランドルフにとって素晴らしい味のままだった。


 無口でぶっきらぼうな主人さえ、ランドルフに対する態度は、以前と微妙に違っているのだった。貸してもらった作務衣さえ、少し乾いて、古ぼけてしまったような気がする。何も変わらないのは、この店の存在だけだった。年末に売り出され始めたどるふそばは、いつまで経っても「新メニュー」なのだろう。時の流れから取り残されたのではなく、時という概念を忘れ去ってしまったかのよう。
 割烹着の老婦が言ったとおり、客足はまばらだった。幸いにもこの店の周辺はあの戦いの被害をほとんど受けていない。主な客層は近所に住む左官屋や土木業者だったのだが、その手の人々は現在銀幕市じゅうに散らばって、復興作業に追われているのだった。
 ランドルフはそんな現場とそば屋を往復する毎日を過ごした。大切な人にも会いに行ったけれど、そうして銀幕市のために馬車馬のように働いているうちに、時間は過ぎていった。昼間は現場で腕力にものを言わせ、夜はこのそば屋でそば粉をこねる。休む時間が惜しいような気がした。必要とされているからには、働きたかったのだ。
 二人前のそばに、揚げ餅3個と揚げ玉たっぷり。ボリューム満点どるふそば。体力勝負の働き盛りが来ないので、どるふそばの注文が入ることはめったになくなっていた。

「あ、そうだ」
 ベイサイドホテル跡地で汗をぬぐい、ランドルフは唐突に思いついた。
「ここで注文を取ればいいじゃありませんか」

 現場で空腹をおぼえたとき、ランドルフが真っ先に思い浮かべたのは、自分がきっかけで生まれたどるふそば。自分の名前が入ったものを好物にしているのは複雑な気もした。だが、甘いものを差し置いて脳裏に浮かんできたのは事実だから、仕方がない。
 ランドルフは現場での仕事を終えたあと、閉店間際のそば屋に直行し、夫妻に提案した。
 出前のことを。
 数日前、店の裏口の掃除をしたとき、荷台に店名がペイントされた古い自転車を見つけたのだった。自転車はすっかり錆びつき、蜘蛛の巣がかかっていたが、かつてこの店も出前をやっていたという動かぬ証拠だった。これを見ていたからこそ、今日、いきなり思いついたのかもしれない。
 提案を受けた夫妻は戸惑っている様子で、ランドルフは失敗したかとひやりとした。
「出前は10年くらい前にやめちゃったのよねえ」
「15年前だ」
「息子とその友達がアルバイトしてくれてたんだけど、ふたりとも東京に行っちゃったものだから」
「そうでしたか」
 ランドルフは頬をかいた。ふたりはあまり乗り気ではないようだ。
「現場は本当に忙しいのですよ。お昼の休憩も取れなくて、コンビニに行けないこともあります。配達は、私がやりますから。どうでしょうか……」


 6月10日。

 6月11日。

 6月12日。

 そして6月13日。


 マルティン・ルターの最期のことばを、皆が皆知っているかのようだったと、ある人は言う。ムービースターたちのほとんどは、いつもと変わらない、いつもの日常を繰り返しただけだった。最愛の人や世話になった人に手紙を書いたり、何かを贈ったり、いつもよりもちょっとだけ長くいっしょにいたりはしたけれど――自分たちに、また明日というものがあると確信しているかのように、かれらは、普通に過ごした。
 普通でいられなかったのは、むしろ、魔法が解けたあとも銀幕市に残る人々のほうだったかもしれない。
 6月14日に訪れるものは死でも消滅でもないと、言わんばかりのかれらの姿。
 6月14日に目覚めても、変わらぬ「銀幕市の日常」があるのだと、見る者にすら錯覚を与えてしまう姿。
 その群像の中に、ランドルフ・トラウトの巨体もあった。彼は往年のマンガやコントの中でしか見かけないようなシチュエーションを、銀幕市の人々の脳裏に焼き付けていた。それは何枚も重ねたざるそばや、大きなオカモチを片手に、自転車で疾走するそば屋の出前というものだ。そのそば屋の図体がやたらと大きいときたものだから、余計に周囲の視線を集めた。
 銀幕署の中や外、おでんの屋台、中央病院の病室、タクシーの中、そして各所の工事現場で、人々は手打ちそばを配達するランドルフを見た。あるノートの中に、ランドルフの文字による、あるそば屋の宣伝を見た者もいる。



「では、また、明日。お疲れ様でした」
 明日のぶんのそば粉をこねて、ランドルフは夫妻に頭を下げ、裏口から、出て行った。



 そしてみんな、「ある日突然」、「いつの間にか」、大きなそば屋の姿を見かけなくなった。



 ふんわりと漂うのは、昆布と鰹の合わせ出汁の香り。
 嗚呼これぞ日本の香り。
 銀幕市というのは、ロサンゼルスおよびハリウッドと密接なかかわりを持つ都市なので、表立った街並みはどこかアメリカ西海岸を思わせる。それでも、ダウンタウンやベイエリアの奥まったところなどには、つつましい漁村であった頃の面影を残しているのだった。そういったところでは、昆布や鰹から出る出汁、サンマや粕漬けの白身魚が焼ける香りが、静かに風に運ばれている。銭湯があり、古書店があり、文房具屋がある……。
 そして、頑固なおやじが切り盛りする、うまいラーメン屋やそば屋があった。
 飲食店の書き入れ時もわずかに過ぎた午後2時10分、古ぼけた一軒のそば屋の前に、一台のタクシーが停まる。降りたのは、がっちりした大柄な男――いや、少年だ。18か19といったところだろうか。体格と顔の輪郭がたくましすぎて、ちょっと老けているのだ。両手に、ぱんぱんに中身が詰まったスポーツバッグを提げていた。
「こんちはぁ」
 引き戸をからりと開けて、大柄な少年はそば屋の中を覗く。
「あぁ、来た! 来たよおとうさん!」
「わかってる、声がでけえ」
「たーくん、いらっしゃあい! まーまーまー、大きくなってぇ。久しぶりだねぇ……!」
「えっと、これから4年間お世話になります。よろしくお願いします」
 少年はそば屋の夫婦に、ぺこりと頭を下げた。ちょっと照れくさそうに。
「……本当にでかくなったなあ」
 鍋からのぼる湯気の向こうから、主人はわざわざ店内に出てきて、少年の姿を頭の先から爪先まで、呆れたように、なめるように見つめた。
 このそば屋の常連が見れば、きっと驚いただろう。主人はいつも仏頂面の無愛想で、世の中が常に面白くなさそうなのに、今はちょっと嬉しそうにちょっと笑っているのだ。
「柔道をやってるのよね?」
「あぁ、最近はラグビーにも興味あって……。大学でどっちの部に入ろうか迷ってるんだ」
「なんだ、相撲じゃねえのか」
「相撲やるなら、東京に行かなきゃダメだろ? おれ、ここで暮らしたいんだよ」
「そう。ここはいいところだよ。最近は落ち着いたし……ねえ、おとうさん」
 妻がそう言って夫を見上げたとき、雷鳴のような音が、狭い店内に響いた。
「う」
 少年が真っ赤になって腹に手をやる。
「ごめん、ばあちゃん。来たばっかりで悪いんだけど、なんか食うもんない? 電車が遅れちゃってさ……なんにも食ってないんだ……」
「あ、ごめんごめん、気づかなくて。ほらおとうさん、おそばおそば!」
「わかってる、だから声がでけえ」
 主人はカウンターの中に戻り、妻はいそいそと冷蔵庫に走って、コーラの瓶を開けた。
「ちょ、そばにコーラって」
「あら、お茶のほうがよかったかい」
「いいよ、コーラ好きだし」
「甘いものはいるかい。あんみつとかくず餅とか……」
「あー、うん、いいよそれは」
 少年はきょろきょろと、古い店内を見回していた。
「変わってないね」
「何年ぶりだ?」
「何年ぶりだろ。来たかったけど、父さんも母さんも『危ないから行くな』って、そればっかりでさ。……ここは大丈夫だったの?」
「ああ」
「そっか、よかった。父さん、昔ここでバイトしたんだってね」
「ああ。友達もいっしょだった」
「おれもやろうかな」
「給料よくねえぞ」
「いらないよ、だって部屋貸してもらうんだし」
「……」
 壁の張り紙と、額縁に入れられた写真が、少年の目にとまる。

『新メニュー どるふそば 1500円』

 額縁の中では、柔道とラグビーで鍛えた彼よりも、ひとまわり以上大きな作務衣の男が、夫妻といっしょに写っていた。誰だろう、という面持ちで少年は目を細める。男は日本人には見えなかった。アメコミ映画にでも出てきそうな風体だ。だが、強面のわりに、やさしそうな笑みだった。
「へい、どるふそば、お待ち」
 主人が、少年の前にどすんと大盛りのそばを置く。
 揚げた餅が3個と、揚げ玉もどっさり、うずたかくそばの上に積み上げられている。
「うわ、何これ、すげえ量」
「どるふそばだよ」
 少年の祖母が、どるふそばの横にコーラを置いた。
「へえ、あの『新メニュー』ってやつ?」
「そう」
「うまそう。いただきまあす」
 ずそそそそ、と豪快な音が、昼時を過ぎた店内に響く。
 年老いた夫婦は、孫から壁の額縁へ目を移し、それから顔を見合わせて、嬉しそうに微笑んだ。




〈了〉

クリエイターコメント少しストレートすぎるかと思いましたが、わたしは何ごともまわりくどく書きすぎるので、これくらいがちょうどよかろうと信じてお届けします。
美しいオファーをありがとうございました。
公開日時2009-07-12(日) 18:00
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