★ An Ominous Party 〜探偵たちの宴〜 ★
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
管理番号156-7719 オファー日2009-06-02(火) 22:01
オファーPC 朝霞 須美(cnaf4048) ムービーファン 女 17歳 学生
ゲストPC1 メルヴィン・ザ・グラファイト(chyr8083) ムービースター 男 63歳 老紳士/竜の化身
ゲストPC2 小日向 悟(cuxb4756) ムービーファン 男 20歳 大学生
ゲストPC3 リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
ゲストPC4 京秋(cuyy7330) ムービースター 男 38歳 探偵、影狩り
ゲストPC5 仲村 トオル(cdmc7442) ムービースター 男 25歳 詐欺師探偵
<ノベル>

 長く艶やかな黒髪がさらりと背に流れる。
『役者は選ばれ、宴の準備は整った』
 見上げた石造りのエントランスは英国風の堂々とした佇まいだった。
 手を伸ばせば、その指先が触れるより先に薔薇の意匠のステンドグラスで彩られた扉がゆっくりと開かれる。
『愛しき君に、薔薇と秘密と謎の宴を捧げよう……』
 それは自らの選んだ《主》を招き入れると、無音のまま、再び閉じられた。



「ね、ホントにここどこなんだろうね? だれもいないみたいだし……」
 リゲイル・ジブリールは何度も瞬きを繰り返しながら、朝霞須美とともに玄関ホール、腰板をめぐらせた廊下、その先に続く大食堂までを臆することなく歩いていた。
 床に敷かれた深紅の絨毯は、ここに招いた客人へのひとつの道標のようでもある。
「ね? 須美ちゃん、変だよね」
「そうね。けれど、招待されたのだから、まずは大食堂に行くべきだわ」
「大食堂?」
 どういう理屈でそうなるのだと問いたげに首を傾げるが、
「その扉の向こうよ」
 言葉にすくなに、須美は目の前に立ちはだかる扉を指差した。
 その横顔は相変わらず凛とした雰囲気を持っていたが、ほんの少しだけ違和感となってリゲイルの目に映る。
「とにかく、開けましょうか」
「えっと……うん、わかった!」
 ふとよぎる不安を振り払うように、リゲイルは須美の促しに元気良くうなずいて扉に手をかけた。

 煌びやかなシャンデリアが光を散らす。

 そこはまさしく、《大食堂》の名にふさわしい場所だった。
 端と端に座った者同士の会話は成り立ちそうにない大テーブルには清潔な純白のテーブルクロスがかけられ、等間隔に、薔薇の花籠と硝子のキャンドルスタンド、銀の彫刻がなされた三又の燭台とが並べられていた。
 四方の壁紙は落ち着いたつる薔薇モチーフのパターンで、窓と扉を除いた二方の壁には巨大な絵画も掲げられている。
 そして。
「あれ、須美さんにリゲイルさん?」
 そこには先客がいた。
「わ、悟さんだぁ! こんにちは! ねえ、悟さんも招待状をもらったの?」
「こんにちは。ええとね、うん、どうやらオレも招待客なんだ」
 そう言ってほにゃりと人懐こい笑みを浮かべるのは、ふたりにとって顔馴染みの大学生、小日向悟だった。
 ホテルやイベント、あるいは出張カフェなどでスタッフとして働くことの多い彼にしては、確かに客人という立場は珍しい。
「そっか! 誰もいないかと思っちゃったから、びっくりした」
 久しぶりに会う親しい友人を前に、リゲイルは嬉しそうに笑顔を弾けさせる。
「なになに、なんですかー? また新しいお客さん?」
「これで……6人ということだね」
「ほう? これはまたずいぶんと華やかになったものだ」
 さらに食堂のあちこちに散っていた者たちも、リゲイル達の前までやってくる。
 黒縁眼鏡をかけたやや童顔の青年、モノクルの美しい紳士に、物腰の穏やかな老紳士、と並ぶ。
「こんにちは! はじめまして!」
 リゲイルは自己紹介を兼ねて、招待状を胸の前に掲げて見せた。
「えっと、みなさんもおんなじですか? コレを受け取って、気づいたら館の前に立っていた?」
「そうそう! ボクらもおんなじですよー。そですり合うも多生の縁。ボクは仲村トオル言いますー。トオルって呼んでください。可愛く、『トールちゃん』って呼んでくれてもいいですけど。悟クンとは知り合い? じゃあ、他の人。こっちのキレイな紳士さんが京秋さん。んで、こっちのしぶーい紳士がメルヴィン・ザ・グラファイトさんですー」
 人当たりの良いした笑顔で、仲村トオルは訪問販売員のごとき流暢さで以てそれぞれの紹介を勝手に進める。
「ちなみにー、京秋さんとは《花嫁殺し》の事件でご一緒した仲だったり」
「だが、全員が知り合いというわけでもない。知っている者もいれば、知らない者もいて、もちろん銀幕ジャーナルなどで名は知っていても、それで我々6名の間に関係性を見出すのは些か早急にすぎるだろうがね」
 メルヴィンは少女たちへ視線を向ける。
 その視線を須美は冷静に受け止め、それから悟へと顔を向けた。
「……もしかして……玄関の扉は開かないのかしら?」
「うん。オレたち、ここにきてからね、その不自然さに首を傾げていたんだよ。玄関から外に出て見ようとしてもドアは開かない。がんばってみたんだけどね」
「つまり」
「そう、閉じ込められてるってことなんですわー」
「この《館》はどういうわけか、立ち入るものは拒まず、立ち去るものを拒むという仕様であるらしいね。そういうハザードなのだと思う」
 悟に続き、トオルと京秋が状況を補足する。
「リゲイルに須美、だったろうか。貴女たちをこう呼んでも?」
「ええ、構いません」
「いいですよー、メルヴィンさん」
「では、須美、そしてリゲイル、貴女たちはこの状況をどのように捉えているのか教えてはくれないだろうか」
 彼らはすでにここに集い、現状について語り合っているのだと言葉を添えたが、どのような意見が出たかまでは口にしなかった。
 メルヴィンは、少女たちの感性と直感、あるいは思考力を興味深く眺める。
「何かのハザードだっていう以外はサッパリです! ただ、ちょっと……えと、この屋敷って全体的にさびしい感じがして、ちょっと気にはなってるんですけど」
 いっそ清々しいほどきっぱりと、けれどほんのわずかな戸惑いを含んでリゲイルがまず答えた。
 続いて、
「招待状には……」
 須美はテーブルに指を這わせ、視線を落したまま言葉を紡ぐ。
「……招待状には、何か問題はないのかしら」
 招待状とはやはり、羊皮紙に綴られた文字と白い封筒、そして紋章の刻まれた赤い封蝋が王道ではないだろうか。
 文章は、暗示的であるべきかもしれない。
 たとえばマザーグース、たとえば暗号めいた碑文の写し、たとえば……ただひとりに宛てた告発文。
 そして、差出人は時に、企みとともに己の正体をくらますものだ。
「そういうふうに、誰かが仕組んでいるのだとしたら……私たちはそれを見つけ、解かなくてはいけない……《館》の意思に応えるの。そうしなければ、閉じた扉は開かれない……」
 ぽつりとこぼれたその台詞に、誰かが反応しようとしたその時、

 ゴォオォォ…ン、ゴォオォォン……、ゴォオ……ォォォ…ン……

 この部屋ではないどこかで、古く重々しい鐘の音が響いた。ちょうど3回、おごそかに時を告げる。
「あの柱時計、音階がずれているわね」
「あれ? 須美さん、ここを知ってるの?」
「いえ、知らないわ。なぜそんなことを聞くのかしら、悟さん?」
「ん、なんでもないよ」
 一瞬凍りついた無表情で返された言葉に、悟はあえてふわりと微笑みかけ、首を振った。
「どうやらあれは開演のベルのようだね。約束の時間は来て、そうして招待客は全員そろった、と見てよいのだろう」
「遅れてやってくる可能性もゼロやないと思いますけど」
「遅れてやってくる客は、良くも悪くも事態を動かすものだけどね。今回の場合、その役回りはお嬢さんたちということになるのかな」
 京秋の意味ありげな台詞と視線を、リゲイルはキョトンとした表情で受け止め、首を傾げた。
「なあに? なんだろう、すっごくドキドキする」
「探偵が集められたのなら、起こることはひとつだと私は思うよ」
 京秋はさらりと告げる。
「第一の事件はたいてい食堂から始まる、なんてね、オレはつい思ってしまいます」
 悟がそれに乗る。
「人物紹介を兼ねた《日常》のエピソードが語られて、そうしてみんなでこの状況や主不在の不自然さに首を傾げながら過ごすんです。そうしてついに晩餐の席で――」
「スープかワインを口にしたひとりが、いきなり、“うっ!”だねー!」
 さらにその台詞を引き継ぐように、トオルが自分の首をつかみ、もがき苦しむジェスチャーをしてみせた。
「書斎の場合もあるのでは? その場合の被害者は、館の主である確率が高いかもしれないけれどね」
「京秋さん、それイイねー。そのシチュエーション、もらいたいわー」
「僕が以前手にしたものには、このようなパターンも見受けられたよ。何事もなく一晩を過ごし、翌朝食堂に皆が集まる。だが、ひとり姿を現さない者がいて、そのものの部屋を訪れると鍵のかかった部屋の中では、と云うものなのだが……」
「ああ、いいですね! それも定番です」
 どこか楽しげに嬉しそうに、そしてどこか無邪気に4人の男たちは『事件』の可能性について次々と既存のミステリーやその定石を追って語りだす。
 書斎、階段の踊り場、遊戯室に客室、寝室……洋館を舞台にすれば、死者を配置する場所は実に多彩になる、など。
 緊迫感、緊張感というものがそこにはなかった。
 不思議と誰もが、この状況で起こりうるものを想定していながら、そこに危機感や恐怖感、焦燥感、不信感といったマイナスの感情を抱いていない。
「中庭も場合によって興味深い舞台となると思うよ。けれど、最初の事件にはなりえないかな」
 それから、ふと思いついたように京秋は一同を見まわし、そして問いかける。
「先ほど悟君も言っていたが、いくら待とうともおそらく招待主は我々の前に姿を現さないと思うのだけど、どうかな?」
「しかし、こうも考えられる。僕がこの館の主であるなら、どうにかして僕たちの会話を聞き取ろうとするだろう。……そう、例えば同席するなどして、ね」
 メルヴィンの深い思索をたたえた灰色の瞳がゆっくりとほかの客人たちを、そしてこの大食堂を捉えていく。
「この館の主がどのような人物か、そして今現在どこにいるのかを推理するというのは有意義な過ごし方ではないかね?」
 そうしてメルヴィンの視線は、全員の顔から、天井へと移される。
「たとえば、あの天井の彫刻」
 テーブルのほぼ真上に位置する天井には、純白の美しい彫刻がぐるりと施されていた。
「よく見たまえ。実にすばらしい」
 言われなければ気づけないかもしれないが、果物と植物を組み合わせたモチーフはひとつとして同じものがなく、照明によって浮かび上がる陰影は気が遠くなりそうなほどに緻密だった。
 メルヴィンは楽しげに、これはあらかじめ別の木材に彫刻したものを張りつけたのではなく、職人が直接天井に彫刻したものだと説明する。
「おそらく職人は天井と向かい合い、数ヶ月を費やしてアレを完成させたのだよ。かなりのこだわりを持って設計させた逸品であり、そこから見えてくる人物像というものに想いを馳せたくならないかね」
「あー、わかりやすそうでわっかりにくい所に美学を感じますー。建築年数は短く見積もっても70年越えって感じですけど、漆喰にシミひとつホコリひとつないですねー。どんだけ維持に費やしてるんでしょー」
「なるほど。トオル、君は建築関係に詳しいらしい。そして付け加えるなら、燭台や花籠にも塵ひとつないのだよ。舞台装置に対し、非常に潔癖な面がうかがえると思わないかね?」
「花にも生気が感じられるね。切り花にしてからあまり時間がかかっていないようだよ。私も詳しくは知らないけれど、薔薇の色は《緋色》に統一されているということは、秩序を重んじるタイプと考えてもよいかな」
「緋色の薔薇の花ことばには……《陰謀》というのがあったのではなかったかな?」
 メルヴィンは京秋を見、それから悟へと視線を向ける。
「ええ、確かにそうです。さらに、ふたつの蕾にひとつの花という組み合わせ……アレンジメントにも意味があるとしたら」
 そこで悟は一度言葉を切り、記憶をなぞるように告げた。
「花ことばは、『あのことは当分秘密』……となります。そうなると、視覚的小道具への演出にもこだわりが見えますね」
「悟クン、花とかめっちゃ詳しい人?」
「あ、いえ、ええと……実は以前花屋でバイトしたことがあるんです。アレンジメントの手伝いだったんですけど」
 目を細めて愉快そうに聞いてくるトオルに、照れたような笑みで返す。
 だがそんな彼らのやり取りは唐突に打ち切られた。
「須美ちゃんがいない!」
 リゲイルの、悲鳴にも似た台詞が場の空気を動かした。
 集まった探偵気質なものたちの会話を楽しそうに聞いていた彼女は、親友にも話を振ろうとして気づいてしまったのだ。
「なんで? さっきまで確かにいたのに」
「……ん、どうしたんだろう。須美さんらしくないね。何も言わずに姿を消すなんて、あり得ない」
 須美の突然の消失に、悟もまた表情を曇らせる。そして、思いだす。3時を告げる鐘の音、そこで交わした須美との会話以降、彼女の声を聞いていないことに。
「あーなるほどー」
 そこで何かを納得したように、トオルが大げさに頷いた。
「物語が大きく動き出すときには、たいてい誰か消えるもんですー。みんなが探し出して、それで何かを発見! そういう段取り的な、ネ?」
「どうしよう。須美ちゃん、探さなきゃ!」
「単独行動をとるべきだと思うかね? 動き出した物語の舞台上で、我々を操る存在が用意した筋書きに沿う必要があるとも思えないのだがね」
「それじゃあ、……ひとまず全員で行きましょうか? もし必要性が出てきたら二手に分かれるということで」
 メルヴィンの問いに悟が控えめながら提案を乗せる。
「全員で動くことに異論はないのだけれど、ね。はたして、この館がそれを許すだろうか、と私は思う」
「え?」
 京秋の言葉に反応したのか、あるいはタイミングを見計らうモノが隠れていたのか、もしくはただの偶然か、再びいずこからともなく鐘の音が聞こえてきた。
 しかし、先ほどのような時刻を知らせる厳かでありながらも単調な反復音ではなく、どこか旋律的な印象を与える。
 遠くから響くその音色を正確に辿ることはできないが、印象的なメロディラインだ。
 それに耳を傾け、聞き覚えのあるその曲がなんであったのか思いだそうと追いかけた時間はさほど長くはなかった。
 なのに――
「え? あれ、悟さん? トールちゃん?」
「京秋も姿を消したようだ。……なるほど、この洋館は我々に孤立してもらいたいらしい」
「どうしてですか?」
「全員で行動してしまっては、《事件を起こしにくい》からではないかな?」
「……事件を起こすために、バラバラにしたの?」
「そう考えられるということだ。さて、リゲイル。僕とコンビを組むということで構わないだろうか? 何か要望があるのなら言ってくれたまえ」
「んと、……ないです! よろしくおねがいします!」
 初対面の自分に対しても一切物怖じせずに返答する少女へ、メルヴィンは目を細めて微笑んだ。



 被害者も加害者も、謎を生み出すためには他者の目を欺き、かいくぐらなければならない。



 京秋は階段の踊り場に立ち、窓にはめ込まれたステンドグラスから注ぐ色の中、ソレを見つけた。
「……不吉な予感、というやつかな……」
 薔薇の意匠が彫り込まれた手すりをもった折れ階段に敷かれた絨毯を汚す赤黒い染みは転々と上の階に続いている。
 それを追いかけていけば、いずれは、べったりと赤い液体でけがれてしまった床に横たわる《人物》に行き当たるだろう。
 それはミステリーの世界においては実に見慣れた光景であり、現実においては決して見慣れたくはない光景であるはずだ。
「これは……なるほど……」
 階段の踊り場であっても現場にはなるのだと、誰かが言っていた。
 では、これはその期待に応えた形になるのだろうか。
 招待状を手にした男性陣が食堂に集まり、大食堂という与えられた部屋を探索している間は何も動きがなかった。
 だが、やや遅れて少女たちがやってきたとき、《物語》は確かに動いたのだ。
 静止状態が、あの瞬間に切り替わった。
 そっと《招待状》を広げてみる。
 羊皮紙にインクでつづられた文字列は、今日この日、この場所に来ることを告げていたが、その末尾には、ひとつの単語が添えられていた。
「……“red herring”とはね……」
 自然、笑みの形に唇がつり上がる。
 音階のずれた旋律を聞いた時、自分にはそれが何の曲であるのか察しがついていた。
 自分のなすべきこと、したいと思うことが明確な形を持ち、同時にひどく惹かれるものを感じてもいた。
 己の感性に従い、行動すべきだろう。
 顔を上げる。
 古い血の跡は点々と、京秋を導くように二階の奥へと続いている。
 その先にはおそらく、自分だけに与えられる《何か》が待っているのだろう。
 京秋はふわりと地を蹴り、赤黒い色をまとって落ちた陰に溶け込んだ。



「おー? 何でこんなとこにボクら二人で立ってんのー?」
 トオルの第一声は、人間消失マジックを見せられた観客の感嘆とも驚きともつかないような台詞に似て非なるものだった。
「ええと……たぶん、オレたちは飛ばされたんだと思いますよ。京秋さんが言った通り、《全員での行動を館が許さなかった》というところでしょうか」
 首を傾げながらも、悟が律儀に返答する。その表情には驚きも怯えもなく、むしろ披露された手品を喜び、その種を知ろうと考える無邪気な様子が見て取れた。
「悟クン、めっちゃ余裕ですけど怖くないの?」
「《舞台装置》である館そのものに何らかの意思が宿る、というのは稀にミステリーでも暗示的に使われますよね」
「正直、アレはどうかと思うんですけど。ボクとしては、意思をもつ館なんてホラー系の展開はカンベンしてほしいわ。コワイの禁止」
「オレは結構好きですよ? 館モノの醍醐味って感じもします。にじみ出る《予感》や《予兆》は物語を盛り上げるじゃないですか」
 そう言いながら、改めて悟はトオルとともに部屋を眺める。
 天井に8連の照明器具が取り付けられていた。
 その真下に置かれているのは、8つ足のビリヤード台だ。
 大理石の磨きこまれた床に、ひんやりとした質感の壁、そしてここにもマントルピースと飾り鏡が配置されている。
「……どうやら遊戯室みたいだけど、誰かが使っていた様子はないですね。とても綺麗に片づけられていて……なんだか生活感がないような……」
 そのまま窓に近づけば、すぐ眼下に美しいコニファーで整えられた前庭と石畳が広がっているのが見えた。
「……たぶん、ここは二階、なのかな……」
 玄関ホールから大食堂、そして、いま自分たちがいる場所までを考え、館内部の図面を頭の中に描こうとするがあまりうまくいかない。
「……トオルさんは建築関係、詳しいんですよね?」
「詳しそうに見えますかー?」
「はい。先ほどもメルヴィンさんと色々お話しなさっていましたし」
「必要にかられて勉強しただけですよ。そんなん詳しくありません」
「そうなんですか……」
 言いながら、悟は今度は窓近くに設えたキューなどが展示されている飾り棚に手を伸ばす。
 ガラス戸の向こうに飾られたそれのひとつに、やはり薔薇の刻印がなされていた。その一本だけ他のものよりやや短く、女性用と解釈できるかもしれない。
「おお、見て見て、これ見て、悟クン!」
 いつのまにかビリヤード台の下に潜り込んでいたトオルが、声を上げて這い出てきた。
「台の裏側にこんなもん貼り付けてあったわー」
 トオルが掲げて見せてくれたのは、薔薇をかたどったイミテーションの指輪だった。
「はてさて、一体コレにどんな意味があるんでしょう?」
「ひどく見つけにくい場所に隠されていた指輪の謎、というところですか?」
「そうそう! こういうのも雰囲気出るわー。館に隠された過去、暴かれる20年前の惨劇、みたいな!」
「あ、以前ジャーナルで読んだことがありますよ、洋館を舞台にしたハザードを。オレが関わったのは、“すでに終わった後の館”の方でしたけどね」
 あの時、閉ざされた館でともに3時のティータイムを過ごしたのは、ほかならぬ朝霞須美だった。
「洋館といえば惨劇、ってやつですか? なーにをさせたいんやろねー、ここの人。須美ちゃんだっけ、あの子、大丈夫かなーって思いますけど」
「……須美さんは、大丈夫だと思いますよ。たぶん、危害は加えられない」
「お、なんでそう思いますの?」
「勘です」
「探偵の?」
「ホントは『刑事の勘』とか『女の勘』とかの方がはるかに信憑性があるんですけど」
「刑事ねー、刑事の勘はねー、侮れませんねー」
 肩をすくめて笑う悟に何か含みのある口調で応えながら、トオルは今度はマントルピースへ近づき、暖炉の淵を手で触れた。
 その行動を悟は興味深そうに視線で追いかける。
「あー、前にこんなことがあったわー。いやなこと思いだした」
 あからさまに顔をしかめ、トオルは悟を見やる。
「記憶の中にある映画の話で。あれは、映画本編よりも、舞台となった洋館そのものにやたらと謎が多かったわー」
 そう言ってあげた映画のタイトルは、悟もずいぶん前に見たことのあるミステリーともファンタジーともつかないものだった。
「あれは確かに」
「場所がズレている、通れないはずの場所が通れる、大黒柱と思わせて昇降機、階段裏の隠し通路……密室はいつだって密室を壊す要素であふれてるんですわ」
「トオルさんのその記憶の中には、この館の記憶も?」
「さあ、どうでしょー? だけどもねえ悟クン、この洋館、めっちゃ変だと思いませんかー?」
「外観で確認したものに比べて極端に窓が少ない、窓の形に所々違いがあること、ですか? そして、壁が厚い。10センチや20センチどころではないレベルで……とか」
「おお、見てますねー。で、ですよ、厚い壁の中には何か隠されてないといけないと思いませんか? それがミステリーへの“期待”とちゃいます?」
「あはは。確かにそう思います。あとはやっぱり隠し扉とかの類ですね。カラクリ屋敷はロマンです。トリックとして使うにはちょっと邪道な時もありますけど」
「あー、たとえば、ここをこんなふうに、なんて……へっ!?」

 ――ガコン。

 無遠慮に手を置き、何気なく力を入れた、その拍子に一部がへこみ、使われている様子のなかった暖炉の中で何かの開く音がした。
「トオルさん、すごいです!」
「あーわー! なんで期待に応えるんですか? めっちゃアヤシイ!!」
「オレは探索してみたいですよ。せっかく来ることができた洋館です。何かが起こる予感がするなら、それが何か見届けてみたいじゃないですか」
 純然たる好奇心に輝く瞳で悟は言う。
「まあ、その心意気にはボクも賛成しとこかな?」
「では、行きましょうか。隠し扉が開いたのに入らないのは失礼にあたる気がします」
「変な理屈だねー」
 トオルはへらりと笑いながら、それでも暖炉の中を悟とともに覗き込む。
 明らかにどこかへと続くだろう空洞が窺えた。誘っているようにも、挑発しているようにも見える。
「ところで何度も話しかえるけど、なあ、悟クン。この屋敷の主人って、ボクらの中にいると思います? それとも、全然別のところから眺めてるンと、どっちやと思います?」
「まだ全然わかりません!」
「うわー、すんごいさわやかな笑顔で言い切るねー」
 互いに笑いあい、軽口ともとれる言葉を交わしながら、ふたりはそろって大きく口を開けた暖炉の中へと体を潜り込ませた。



「アンティークのシャンデリアがいっぱい……」
「植物をモチーフとした真鍮の土台に磨りガラスのランプを用いたものだね。よほどここの主人は薔薇がお気に召していると見える」
「だけど薔薇園はないんですよ? こんなに薔薇であふれてるのに」
 リゲイルはメルヴィンとともに、まるで洋館見学に来た客のごとく、部屋から部屋、通路から通路を、見えない順路をたどるように歩いていた。
 いや、事実、決められた順路があるのかもしれない。
 1階から細い通路を経た先へと続くのは建物の天井や壁の具合からして《別棟》のようだったが、エッチングガラスのパネルを嵌め込んだ扉を通して向こう側をかすかに見ることはできるのに、扉が開く気配は微塵もなかったからだ。
 屋敷の表面だけをなぞらえているような感覚になる。
「どうして、あちこちに鍵がかかっているんだろうって思うんです」
「本館だけを捜索しろということはないかね? 舞台裏や準備のまだ整っていない場所、あるいは、ここではまだ明かすわけにはいかない秘密があり、そこへ至ることを禁じているという考え方もできる」
「……須美ちゃんがあそこにいたらどうしよう」
「だとしても、いや、だとしたら尚更、扉が閉ざされているということは《まだその時ではない》という意思表示ではないかね?」
 開かれた部屋のどこにも須美を見つける手がかりはない。
 けれど、この館の主が、照明器具、扉、窓、腰板、壁紙、ポーチに至るまでふんだんに薔薇の意匠を盛り込んでいること、それらひとつひとつが丁寧に磨きあげられていること、それでいて人の気配を一切感じさせない、ということはわかった。
「ところでリゲイル。いくつか君に質問をさせてもらいたいのだが、構わないかね?」
「はい、なんですか?」
 改まったメルヴィンの声かけに、リゲイルも大きな瞳をしばたかせ、首を傾げながらも礼儀正しく答える。
「君はご友人とここへ来た。君も招待状を受け取った。君の招待状の最後にはどんな文字が綴られていたのだろう? たとえば……僕には“judge”……鑑定士という文字があったのだが」
「わたし? うんと」
 リゲイルは肩に下げた小さなバッグから改めて招待状を取り出し、封を開ける。
 羊皮紙の便せんにはほのかな香りが付いていて、とりだす瞬間、それが鼻先をくすぐった。
「ええと……あ、わたしには“tricky”ってあります! ……トリッキーって、なんのことなんだろう?」
「奇抜……というのだったね。ふむ……」
 言葉を交わしながら、ふたりは扉に導かれるままに、開かれた部屋へと足を踏み入れる。今度は華やかな小花の壁紙が印象的な場所だった。
 マイセンと思しき陶器で縁取られた大きな鏡が壁に掲げられ、薔薇のレリーフのドレッサーも置かれているところから、おそらくは婦人用の客室だろうと予想する。
 贅を尽くしたその部屋を視線でもって検分しつつ、メルヴィンは再び口を開く。
「君の友人の便箋にも、同じように何か書いてあった可能性はある。おそらくは、そう、舞台で言うならば《振り分けられた役柄》というものが……」
「須美ちゃん……そんなこと何にも言ってなかったけど……」
 リゲイルは顔を曇らせ、視線を落とす。
「須美はなぜ姿を消したのだろうか?」
「えと、それなんですけど……っ」
 リゲイルの台詞が唐突に途切れた。
 ガタン――と、何かが倒れるような物音がふたりの会話を遮ったためだ。
「いまのは」
「ほぼこの真上の階ではないかな?」
「須美ちゃんかもしれない!」
 何かを考えるより先に、リゲイルは駆け出していた。メルヴィンがそのあとを追う。
 婦人用の客室を出、長い廊下を勢いで曲がり、滑らかなオーク材の手すりに縁取られた折れ階段を登り切った先に、リゲイルは扉を見つける。
「ここ!」
 ドアノブに体当たりする勢いで飛びつく。耳を寄せれば、ガタゴトと、何かを動かすような物音がさらに大きく聞こえた。こんな事態で聞くには少々不吉な連想をさせる音だ。
「どうしよう、なんだろう、メルヴィンさん、どうしよう!」
 何度まわしても扉が動く気配がない。体当たりをしても、おそらく華奢な身体ではびくともしないだろう。
「……落ち着きたまえ、リゲイル。そして、僕に代わるといい」
 友人を案じる必死な姿に胸打たれた、ということになるのだろうか。
 メルヴィンは、「申し訳ない。後ほど必ず修復させてもらうから許してくれたまえ……」と小さく呟き――扉に手を掛ける。
 ガコン。
 美しい彫刻の施された分厚く硬いウォールナット材の扉を、素手でゆっくりと文字通り壁から引き剥がした。
 せめてもの礼儀として、閉ざされた扉を蹴破るのでも斧などを用いるのでもなく、その美しい一枚の芸術品に傷をつけないよう細心の注意を払って。
 そして、無理矢理に開かれた扉の奥でふたりが目にしたものは――
「――っ!」
 リゲイルは息をのみ、心臓が跳ね、そのまま硬直してしまった。
 ぽたり、ぽたり、神経質なほど入念に清潔さを保たれたタイル張りの部屋に、どす黒い染みができる。
 天井から滴り落ちてくるモノ、奇妙に粘り気のあるその赤黒い液体の正体が何か、気づいてしまった。
 滴り落ちる血の先、天井から何が下がっているのかを半ば予想しながらも、その先を見上げることができない。
 しかし、
「どうやらここにあるのは《血まみれのロープ》のみ、というところだね。どういう演出意図によるものかは不明だけれど」
 扉を壁に立てかけ、メルヴィンはゆっくりと室内へ踏み入る。
 一見して、そこは喫煙室のように見受けられた。広々とした空間に下がるシャンデリア、そして、木製の大きな箱のような椅子と寄り添うように置かれた長方形の木箱。
「……だれか……誰か殺されちゃったの?」
「それはないから安心したまえ。そもそもこれは血液ではないのだよ。視覚的ショックは大きいが撮影用に使う血糊にすぎないのだからね」
「……そっか。よかった……」
 まだ動悸は収まらず、多少蒼褪めてはいたが、それでもリゲイルはほっと胸をなでおろす。
「しかし、この家の主の趣向からは、少々系統が逸脱しているような気がする」
 言いながら、メルヴィンは窓や他の扉の戸締りを確認する。物音は確かにした。だが、この部屋は内側から鍵がかけられている。
「煙のように消失した、と考えたくなる状況ではあるが」
「つまり、ええとそれって……あ!」
 一生懸命考えようと辺りを見回し、自分たちが来た扉や窓を見るとはなしに見、今度は驚きで目が大きく見開かれる。
「メルヴィンさん! メルヴィンさん! 鳥の影!」
 驚きを率直に口に出し、懸命に訴える。
「あのね、おっきな鳥の影が、いま窓ガラスに!」
「……ほう」
 リゲイルが指さす窓はカタガラスであり、ほのかな明かりを部屋の中に取り込んではくれるが外の景色を明確な形で見せてはくれない。
 念のためとサッシに手をかけるが、その手ごたえだけで悟る。どれほど力を込めようとここが開くことはないだろう、ということに。
 嵌め殺しというわけではない。もっと別の力によって閉ざされているのだ。
「今の影が何かしたのかな」
「いや、そうではない、と思うのだがね……」
「あ、こっちは開く」
 あまり調度品の置かれていない喫煙室をゆっくりと半周していたリゲイルが、ぴたりと動きを止めた。
「僕が確認した時には確か鍵がかかっていたと思うが……ともかく、そこに向かってもらいたいという意思表示なのだろう」
「だけど、これ……、これって……すごく、ヘン」
 大きな窓を横にスライドさせれば、そこには当然《外の世界》が広がっていると思うだろう。中庭か、あるいはただの通路やもっと別の景色かはわからなくとも。
 だが、予想に反してリゲイルの前に現れたのは、10センチ程度の距離を置いてすぐ目の前に立ちはだかる木製の重苦しい扉だった。
「先入観を覆すべく作り出された部屋というわけだね。なるほど」
 リゲイルの隣に立ち、面白そうに、そして思案深げにメルヴィンは窓枠の向こう側の扉を見つめる。
「いったい、どうしたいというのだろう」
 何度も繰り返してきたその問いを、再びメルヴィンは口にする。
 限りなく密室に近いこの部屋に飾られた血まみれのロープ。
 ふと、何かの気配を感じ、メルヴィンは振り返る。
 当然そこには誰もおらず、何もなく、ただ、たった今外したばかりの扉が元の位置に戻っているのだった。
 まるで館そのものの意思による、自己修復がなされたかのように。



「……物語は動きだした……これらはすべて君に捧げられる《謎》となる……」
 ワインカラーの深い絨毯に、落ち着いた暖色系の壁紙、窓を背にして置かれた重厚なデスク、そして壁を埋めるステンドグラスをはめ込まれたウォールナット製の本棚。
 その中心で、《ソレ》はひっそりと呟く。
「私の選んだ探偵たちは、物語をどこまで構築し、どこまで見せてくれるのだろうか……」
 溜息のように、こぼれる言葉。
「さて、その問いに答えてくれる人はいると思うかい?」
 ふいに差し込まれる声に、ソレは弾かれたように振り向いた。
 黒髪がその背で跳ね、床に落ちていた自身の影がその揺らめきを真似る。
 そして。
 ひとつの意思をもって大きく揺らぎ、揺れ、ねじ曲がり、解けて、両翼を広げた歪な鳥を一瞬かたどり、やがてしなやかに螺旋を描きながら床から立ちあがった。
 実体をもつ影、厚みをもった影、影でありながら色をもつ、それは――
「《京秋》……モノクルをトレードマークとするクラシカルな探偵、か」
 笑うでもなく淡々と、それは言葉を落とす。
「どういう基準で私たちを呼び集めたのか、その理由がうかがえる台詞だね」
 なぜここが分かったのか、どうやって入ってきたのか、とは問わない。
 影を渡るものに、扉に掛けた鍵の存在意義などないに等しいだろうことを、《ソレ》は知っていた。
 自らの選んだ探偵の能力は把握している。
 そして、この館の特性も。
 彼はそこにいる。
 対話を望んで。
 だからここへ来ることができたのだろう、と《それ》は理解する。
「君が消えた後、私たちの耳に届いたあの曲は、ショパンの《スケルツォ 第2番 作品31 変ロ短調》ではなかったかな。冗談と戯れの意味をもつ名でありながら、死を意識させる曲であり、そして重い中にもやがて華やかで力強い明るさを見せてくる……そういう曲だと解釈しているよ」
 そして。
「君の目的も、私はほんの少しとはいえ、理解できた気がする」
 浮かぶ微笑みは、不思議な色を湛えていた。憐れむでも蔑むでもなく、むしろ共犯者めいた色だ。
「そもそも、誰か一人の思惑通りに進むことに納得がいかないというのもある。だから、私もこの舞台上で面白い試みをしてみようかとは思っていたのだよ」
 たとえばミステリーらしい演出を、と京秋は続けた。
「幸い此処に集まったのは正しい目を持った者ばかりだ。私などには惑わされずに、真相に辿り着いてしまうのかもしれないけれどね」
「君たちに、辿りつくべき《真相》が用意されていると思うかね?」
「用意されていなければ、《ミステリ足り得ない》のではないかな?」
「……」
 それは俯き、その口元に笑みを浮かべた。限りなく苦笑に近い、かすかな笑みを。



「え、悟さん?」
 リゲイルは目を瞬きながら、何度も自分の目の前にいる人物、そして自分たちのいる場所に驚きの声を上げた。
「合流できちゃったね、リゲイルさん」
 縄の揺れる部屋の窓、その裏に冗談のように隠されていた扉を果敢にも開け放ってみた先、視界に飛び込んできたのは、豪奢なシャンデリアによって照らし出された応接間であり、一度は《館の意思》によって分かれてしまった悟と、そしてトオルの姿だった。
「なるほど。このように繋がるとは少々予想外ではあったね」
「暖炉の中の隠し通路の続きが最終的に応接間って言うのはまた、ひねりがないというか寂しさを感じるというか」
「もっとびっくりするような……ええと、たとえば人体実験と化してそうな研究室がよかったですか?」
 首を傾げて問う悟に、トオルは「むぅっ」と悩むように眉を寄せた。
「それはそれでイヤですけどー」
 磨りガラスのシャンデリアが下がる広い応接間には、立方体を思わせる7つのソファが円を描くようにして並んでいた。
 中心には猫足のアンティークテーブルが据えられ、焼き菓子の盛られたガラスの器が置かれている。傍に控える銀のワゴンの上にはティーポットに7人分のティーセット、そして茶葉の缶と沸かしたてと思しき湯の入った別のポットがあった。
「宿主さんからのおもてなしですかねー? ほんま、シャイな方ですわ」
 冷やかし半分に、とりあえずはそんな感想をトオルはもらす。
 誰かが用意したのだろうが、誰が用意したのかは分からない。ここに全員がそろう前に誰かがいたという気配が感じられないのだ。
 だが、不可解さをあえて追求するつもりはなかった。
「このようなところで、そしてこんなにも早くみなさんとお会いすることになるとは思わなかったよ」
「おや京秋、君もここへ辿り着いたのかね」
「ええ」
 いつの間に、という問いをメルヴィンは発しない。ただ眼を細め、彼が床に落とす影をさりげなく注視するのみだ。
 京秋もまた、意味ありげな視線が含むものに気付きながらも何かの問いを口にすることはない。
 やがてメルヴィンは、その場にいる全員を見回し、
「どうだね、せっかく我々はこうして再び巡り会えたのだから、僕たちはここで情報交換をするというのは? 須美以外の全員が再びそろったということは、そうすることを勧められているということ。これもまたミステリにありがちなのだと思うのだがね」
 洋館でティータイムを――そう彼は提案する。
「では、オレにティーサーブをさせてください」
 他のメンバーにソファへ着くよう勧めながら、悟自身は銀のワゴンの前に立つ。
 ポットの中の湯を確認し、それがまだかすかに沸騰直後の余韻を残していることを知ると、小さく満足げな笑みを浮かべた。
 銀のキャディスプーンを使って茶葉を計り、白磁のティーポットにソレを入れる。湯を注ぎ、真鍮の意匠を凝らした砂時計をひっくり返し、蒸らし時間を十分に取って、頃合いを見計らい、あらかじめ温めていたカップへと紅茶をそそぐ。
 その一連の動作には迷いも隙もなく、彼を教育の行きとどいた優秀な《執事》に見せる。
 ほどなくして、心地よい薔薇の香りが立ち上るティーカップが全員の前に行き渡った。
「悟、ありがとう。では、進めよう。まずは探索結果についてだが」
 自然、議長役はメルヴィンが務める流れとなっていた。
 彼の視線は一同をめぐり、それはトオルの前で止まる。
「では、トオル、君達から話を聞かせてくれたまえ」
「あー、一番バッターですか? ええとですねボクと悟クンは指輪見つけましたよー、薔薇の指輪。ビリヤード台の裏に貼り付けられてたモノですー。まあ、たぶんイミテーションですけど」
「ほう?」
 むやみに胸を張って指輪を見せるトオルを、メルヴィンは目を細め、見つめる。その瞳の中にはイミテーションを見破る鑑定士としての閃きがあるようにも思えた。
「オレたち、初めにビリヤード室に飛ばされたんです。そこでは、一本だけ薔薇の刻印がされた女性用と思しきキューを見つけました。あとは、使用人たちの控室のようなところも」
「そこにはなにかあったのかい?」
 やわらかく、京秋が問いを挟む。
「あー、部屋はなんていうか、家具の展示場みたいなとこでしたわ! この家の来歴や名簿とかでもあればいいのに、書類らしいものは一切ナシでしたもん」
「では京秋、君は?」
 次に彼へと水を向けるが、京秋は肩を竦め、
「あいにくと、わたしが見つけたのは階段の踊り場に続く血痕、くらいなものだよ。それ以外は何も」
 と答えるのみだった。
 ふむ、と内容を吟味するように、あるいは何かを見透かすように議長は頷いた。
 それから、顔を上げ、
「我々は血糊で汚れた絞縄のようなものならば見つけた。そして、開かない扉と開く扉を確認したのだがね、どうも書庫や書斎、ここの主の私室と思しき場所には辿り着けていない」
「後は鳥の影も見たの。おっきな鳥だったけど、よくわからなくて……おかしなものはたくさんたくさんあるのに須美ちゃんはいないの」
「そっか」
 思わず、きゅっと自分のワンピースの裾を握りしめたリゲイルへ、悟はいたわるように頷きを返した。
「早く見つけてあげよう」
「ところでリゲイル、君はまだ僕の質問に答えてくれてなかったね。その続きを聞いても?」
 場の流れを読み、メルヴィンはそれまでの情報共有の話題から、今度はリゲイル自身へと質問を切り替えた。
「続き?」
 一瞬、なんのことだろうという疑問符を浮かべたが、すぐに彼女は合点し、
「須美ちゃんのことなんだけど、あのね……」
 ひっそりと声のトーンを下げて、少女は自分より背の高い男性陣へむけて真剣な顔つきで囁く。
「須美ちゃん、変なの。今日一緒に遊ぶ約束して、でも、会った時からもうずっと変な感じなの……うまく言えないんだけど……すごくヘン……」
 むぅっと眉を寄せて、他の探偵たちを見る。
「だからね、たぶんね、これはわたしの推理なんだけど」
 眉を寄せ、影を落とし、重大な秘密を告白するかのように十分な間を置いてから、リゲイルは宣言した。
「須美ちゃん、宇宙人に乗っ取られちゃったと思うの! きゃた……っ、きょと……、き……きゃしょるみょーてーしょん、されちゃったんだよ!」
「はい?」
「ええと……キャトルミューティレーションのこと、だね?」
 小さく首を傾げながら、そろりと悟がフォローの言葉を差し出す。
「そう、それ! わたしね、須美ちゃんは須美ちゃんだけど須美ちゃんじゃなくなったって思うの! 宇宙人にさらわれてね、操られてるんじゃないかな!?」
「おお、なるほど、いやあ、ここにきてまさかの宇宙人乗っ取り説かー、って、それめっちゃないわ!」
 高度なノリツッコミでトオルは、リゲイルの肩辺りをぱしりと叩く。
「えー、なんで!?」
「“なんで”も何もないんですー! ミステリに宇宙人登場禁止」
「だって須美ちゃん変だもん!」
「ヘンはヘンでも、宇宙人じゃロマンが台無しですー。そもそも、キャトルミューティレーションってのは動物虐待を指すんですー。誘拐は《アブダクション》ですよー、お茶目さん」
「え? あれ? あぶだくしょん……だっけ?」
 混乱して首を傾げるリゲイルにさらなるツッコミを入れようとしていたトオルだったが、
「ああ、でも……うん、須美さんがおかしいっていうのはオレも同感、かな。リゲイルさん、鋭いと思う。色々なことを見てるんじゃないかなって」
 そんなふうに差し込まれた悟の台詞と、そしてちょうど空になったカップに紅茶を注ぐ慣れた手つきを前にして、言葉を引っ込める。
 そして、彼が次に続ける台詞を待った。
「ひとつだけ多い席、ひとつだけ多い食事やカップ、ひとつだけ多い、というのは何かの暗示であるべきです。ただ……もう一人いると思わせたいがための演出じゃないのかなって、そう思えてしまうんです」
「それはつまり、実際にはいないということなのかな、悟君?」
「ええ。いないけれどいる、いるけれどいない、という感じで。オレとトオルさんは暖炉の隠し通路から、ダンスホールや小食堂にも行くことができたんですが、どこにも肖像画やポートレートの類がなかったんです。写真も絵画もない。カオを絶対に見せようとしない意思を感じました」
「ふむ。僕とリゲイルは客室も巡ったのだが、結局のところ、ここの主のプライベートな部分には一切触れられていないのは確かだね」
「家族の写真とかあってもいいよね。なんか、家族の写真とか自分の肖像画とか飾ってない方が変な感じがするもん」
「顔のない招待主って、なんかますますホラーめいててイヤなんですけどー」
 他の者からの意見ももらい、一度深くうなずいてから、悟はもうひとつ、気になることを口にした。
「……こうしてお話をうかがっていて改めて思うんですが……オレたちが動くたび、謎が増えてませんか? それって、オレたちのために誰かがオレたちを追いかけながら用意してくれてるようにも思えます」
「確かに、次々と増えてはいるようだね」
 京秋はひとつひとつ数えるように、挙げていく。
「消えた少女、廊下に点在する赤いシミ、閉ざされた扉、ビリヤード台裏に張り付けられた指輪、密室らしきところから聞こえた物音、天井から下がる縄、中庭を見渡せる窓に映った大鴉の影、いつの間にか用意されひとり分だけ多いティーセット……なるほど、ミステリらしいといえばミステリらしい」
「ホントだったら死体のひとつやふたつは登場してもらわないと読者のみなさんに叱られそうですけどー」
 死体がなければ、殺人は実証できない。
 殺人が起こらなければ、洋館は惨劇を名乗れない。
「本当は、そうなるはずだったかもしれません。だけど、そうじゃないから……でも、それ以外にもそれぞれが把握していない謎もありそうな気がします。何より須美さん自身が抱える謎が大きい……」
「悟さん……」
 穏やかな表情を浮かべたまま言葉を綴る悟を、リゲイルは見つめた。
「謎ばっかり増え続けてなんにも解決されてないとか、気持ち悪いですわー。閉ざされた洋館から、いつになったらボクらは開放してもらえるんでしょうねー」
「ああ、そのことなのだが」
 手を組んで大きく伸びをしながらボヤいてみせるトオルに、メルヴィンが答える。
「すべての謎が謎のままというわけではないのだよ。少なくともひとつは解決できる」
 そうして怜悧な瞳が正面に座すものへと向けられた。
「質問をさせてもらっても構わないかな、京秋?」
「ええ」
「君は先ほど、我々が遭遇した《窓に映った鳥の影》について、《大鴉》と、そう明言していたね。中庭に続いている窓だ、とも。リゲイルは確かに鳥の影を見たけれど、その種類はわからず、そしてカタガラスの窓を開くこともできなかったから窓の向こうが何かもわからないのだけれどね」
 老練な灰色の瞳と、右に漆黒を、左に酔いの色彩をもつ瞳とが交差する。
 人ならざるモノの影が交差する。
「この矛盾について何か意見があれば聞かせてくれたまえ。なければ僕が説明するのだが」
 メルヴィンの指摘に、京秋は口の端を大きく吊りあげた。
 だが、問いかけそのものには沈黙でのみ応える。
 十数秒ではあったが、それはひどく長い時間のようにも思えた。
 京秋はやはり答えない。
 メルヴィンは穏やかに彼を見つめ、確認する。
「あの部屋を演出したのは君だね? そして、この館の扉に鍵をかけていたのも、君ではないかな?」
 それは、探偵からの告発に等しい。
 京秋はさらに笑みを深め――拍手した。
 瞬間。
 鐘が鳴った。
 いや、鐘の音に似せた、旋律だ。
 いずこからともなく流れてくる、決して軽妙とは言えない《葛藤》を思わせる旋律。
 そして。
 彼の姿が応接間から消える。
 そこに一本の鍵を残して。
「……なるほど……これが君の答えなのだね、京秋」
「メルヴィンさん、それは?」
「どうやらマスターキーのようだ。相当古いものだが、美しい細工がなされている。彼が借り受けたものなのか、あるいは彼が見つけ出したものなのかは不明だがね」
 拾い上げ、メルヴィンは目の前に掲げながら光の反射を確かめるように角度を変えながら観察する。
 ここにも薔薇は刻まれている。
「……薔薇を好むのは女性に多いかもしれないが、薔薇にこだわり、贈りたがるのは男性に多い気がするね」
「つまりは、ここの館の主はやっぱし男ってことですかー?」
「《本来の主》はそういうことになるのではないかな。あるいは男性寄りの感性を持つ《何か》でもよいのだがね」
「……誰に捧げるつもりだったんだろう」
 悟の唇から、ぽつりとまたひとつ疑問がこぼれた。
「……まだハザードのもとになった映画が何かもわからないし……」
「この建築物に施された《趣向》は見えてくるのだがね、僕にもまだ見当がつかない」
「あ」
 リゲイルが、小さく声を上げた。
 焼き菓子の乗ったガラスの器とティーカップが乗るテーブルにもうひとつ、それまではなかったものが増えていることに気づく。
 青い薔薇だ。
 一輪だけではあったけれど、それは確かな存在感を示している。
「悟さん! これは!?」
 思わず手に取り、リゲイルは悟へとそれを差し出した。
「……青い薔薇の花ことばは、《神の祝福》なんだけど……たぶん、この家の性質から考えて《不可能》の意味を選んだのかもしれない」
 元々は《存在しない色の薔薇》ということで、《不可能》の意味を持ち、のちに《存在する色の薔薇》になって意味が変わったものなのだが。
「あー、ということは、京秋さんの置き土産の鍵で、これまで不可能だった場所に行けるとかいうメッセージ?」
「むしろ、《挑戦状》とも取れるのではないかね? ミステリには時に《挑戦状》が差し込まれるものなのだから」
「そこになら、須美ちゃん、いるかな?」
「きっといる。だから、行こう」
 にっこりと力強く頷いて、悟はリゲイルの手を取った。
 一行は、婦人の部屋の窓に隠されていた扉でも、ビリヤード室の暖炉に隠されていた通路でもなく、自分たちから最も遠く離れた、この部屋の本来の扉――薔薇の意匠を彫り込まれたエッチングガラスのそれを押し開いた。
 どこかで鐘の音が聞こえる。
 今度は音階の外れていない、美しい旋律だった。
「……なるほど、これはショパンのスケルツォ……第3番だね」
 耳を傾け、味わうように目を閉じて、メルヴィンはそっと呟きを漏らした。



 ソレは書斎の窓辺に立ち、深呼吸を繰り返す。
 この館には今、望んだものが少しずつ蓄積されていた。
 入り乱れる謎。
 解かれるべきものが複雑化する時、そこには故意と偶然と必然が混ざり込む。
 ソレは厳しくも悲しげな眼差しで、窓の向こうに広がる景色を見据えていた。
 その傍らには、漆黒の影が立つ。一瞬でひらめく雷(いかずち)の光が、彼のモノクルと口元の笑みをも浮かび上がらせる。
「彼らを招いたよ。君が柱時計に隠していたマスターキーを、ね」
「なぜ?」
「私もまた探偵であり、解明されるべき謎には挑みたいから、かな?」
「ならば……《時は来た》ということか」
「そろそろではないかな。そろそろ、彼らは君の望むものを携えてやってくるだろうね」
 くすりと、彼はまた笑みをこぼす。笑みを浮かべながらも、その瞳はどこか切なげにそれを見ていた。
 だがソレは、彼の視線を受け止めず、ゆっくりと窓を背にして、部屋を出た。



 探偵一行の手によって薔薇の意匠を施されたガラスの扉が開かれた時、窓辺に佇むソレはゆっくりと彼らの方へ向き直り、そして呟く。
「ようこそ探偵諸君、というべきなのか……それとも、ようやく辿りついたか、と言うべきなのか……」
 サンルームから見える景色は、本来ならば美しい薔薇の庭園と白いガーデンチェアであるのかもしれない。
 だが、いま窓には大粒の雨が叩きつけられ、時に稲光を映す。
 雨の幕の向こうにある薔薇の園は見えず、サンルームのその窓のそばに立つ人物の表情もまた伺い知れない。
 誰かが手探りでスイッチを入れた。
 光が、部屋を曝け出す。
 薔薇の花で飾られた花籠が天井から下がり、薔薇をかたどったシャンデリアが照らし出す、薔薇の壁紙と薔薇のアンティークチェアの置かれたその部屋と、そして一人の少女を。

「須美ちゃん!」

 リゲイルの声が弾けた。
「須美ちゃん! よかった!」
 ずっと心に引っかかっていたのだ。ずっとずっと、《ミステリーでは単独行動が命取りとなる》ことを、リゲイルは気にし続けていた。
 乗っ取られている可能性を考えながら、それでも万が一のことを考えていた。
 だから、大切な親友の無事な姿に、まずは心の底から安堵し、そして彼女のもとへと駆け寄ろうとする。
 だが、それをメルヴィンが制止した。
「待ちたまえ、リゲイル」
 そして紳士は、少女の肩越しにもう一人の少女へと興味深げな眼差しを送る。
「――君が持っている招待状には、“puppet”の文字が綴られているのではないかな、操り人形という文字が? あるいは、“mistress”……女主人という役割が」
 その問いに、彼女は目を細めはしたが、答えない。
「舞台を美しいままに保とうとした、そうして探偵たちの意思を組み、その存在を引き立たせようとした、その気遣いに僕は随分と驚かされたのだがね。僕の記憶によれば、……そう、この手の館は本来、和洋調和を目的として設計されたものではないかな。僕はぜひとも拝見したいところだけれど、ミステリーに日本家屋はあまり適さない。だから君は隠したのではないだろうか? そのこだわりは、散りばめられた薔薇の意匠とともに素晴らしいものだ」
「ああ……メルヴィン・ザ・グラファイト、あなたはやはり多くのものに注目し、この館の価値を見出してくれましたね」
 鑑定士の役割を求められたメルヴィンは、この屋敷の価値についての解説をも求められていた。
 惨劇にふさわしいものであるのだと、本格ミステリにふさわしい舞台であるのだと、そう宣言してもらうために。
「須美ちゃん、わたしたち、須美ちゃんを探してたんだよ? 須美ちゃんはやっぱり、《あぶだくしょん》されちゃったの? だとしたら、中にいる人は早く須美ちゃんをわたしたちに返してよ!」
「リゲイル・ジブリール、あなたは奇抜な発想と、思わぬ気づきをもたらしてくれた。《ノーマン少尉殺人事件》を参考にさせてもらったのだけど、楽しかったわ」
「……須美ちゃんは、わたしにそんなふうにはしゃべんないよ」
 どこか傷ついたような眼をして、リゲイルは告げる。
 そして、早く返して、と繰り返す。
 その声に重ねて、トオルは苦笑を浮かべ、横から言葉を投げかける。
「なんやかんやで、ずいぶん遊ばせてもらったとは思いますけどー、いろいろ反則なんじゃないですかー?」
「仲村トオル、あなたはまさしく“Trickster”でした。その性質ゆえに、差し出された問いと答えは入れ替わるのだわ」
 彼女はひそやかに目を細め、口元を緩めた。
「“かつてないほど孤独を感じる”だったかな……スケルツォの第1番を作ったころにショパンが語っていた言葉なのだけどね」
 いつの間にそこにいたのか。
 幾度、この問いを繰り返すのだろうか。
 光あふれるサンルーム、雷の轟きが窓の外で閃くこの部屋の扉の前には、京秋の姿があった。
 京秋は須美の内にあるモノを見る。
「自身の前途への多大なる不安、膨れ上がる感情、己の役割を求めながらも己の役割を全うできないその絶望が、ショパンのスケルツォの背景に隠されている」
 だから君はそれを選んだのではないか、と問いかける。
 ソレは答えない。
 だが、彼は初めから答えなど期待していなかったのだろう。
「しかし、どうせ選ぶなら、私はガーシュウィンとサティをこそ聞くべきだと思う。そう、《ヴェクサシオン》ならば思索にも向くだろうからね」
「……京秋。あなたの行動がこの館にもっとも多くの謎を生み出したわ。意図が隠れるように、ミスリードを誘うように、まさしく“red herring”のごとく、ね」
 そこで、彼女は言葉を切った。
 告発者であり糾弾者である探偵たちの中にあって、ひどくやわらかな視線を感じたからだ。
「ずっと……違和感があったんです。たぶん、他の方も気づいていた」
 悟は目を細め、辺りを見回す。
 ここで起きた事件は、惨劇とは呼べない代物だ。
 それでも、謎であることに変わりはない。
 だから、微笑む。
 静かに、やわらかく、寄り添うように、微笑み、おだやかに言葉を紡ぐ。
「オレは、オレたちは、謎を謎のままにしておけません。ですが……」
 ふわりと浮かべた笑み。
「ここには本来、《謎なんてなかった》んですよね? それでも、あなたは存在意義を見出すように探偵を招き、探偵が望むものを映そうとした。……違いますか?」
 かつてこの館は謎であふれていた。
 ありとあらゆる謎が、《館》という舞台の上に乗せられ、探偵の存在を支えてきた。
 しかし、今まで彼らが対峙してきた謎のほとんどは、薔薇以外に目にした《謎》は、招待客たる自分たちの手によって生み出されたものだ。
 飾られた薔薇の花は何かを暗示する。
 しかし、そのバラが直接彼らに何かを提示したことはなかった。
「かつて、須美さんとオレは語り合いました。閉ざされた館で。物語における探偵は、事件と不可分だって」
 そして犯人と探偵もまた不可分なのだと。
「事件が起きて探偵が来るのではない、探偵がいるから事件は起こる、と。あなたはそれに賭けた」
「……小日向悟、あなたはそのまま“aid”……あらゆるものの助力者であるのね」
 そして。
「“では探偵諸君、わたしは君達に敢えて問おう”」
 須美の口を借りて、須美であって須美ではないモノが、厳かで挑戦的な表情をもって問いかける。
「“探偵とは、何ぞ? また、如何なるものであるべきかね?”」
「探偵とは……、解くべき謎を正確に解き明かし、事実から真実を導き出す存在、ではないかな」
 メルヴィンが答える。
「では、“ミステリ”とは何ぞ?」
「謎がなければミステリーとは言えず、探偵がいなければミステリと呼べず、トリックを駆使した様式の美しさ、緻密な論理性がなければ、《本格》とは呼べない、だろうね」
 京秋が答える。
「“では、謎のない洋館に探偵だけが集まったとしたら、それはどういうことになる?”」
「そりゃ詐欺ですわー。探偵がいるのに事件がないなんて、ほんとないですー」
 トオルが答える。
「まあ、だからといって、むりやり探偵に謎を作らすとかないと思うんですけどー」
「“では、どうすればいいと思うかね?”」
「須美ちゃんをね、返してほしいの。きっと須美ちゃんだって、この館の謎に挑みたかったと思うもん!」
 問いに、答えにならない答えを返し、リゲイルはもう一度訴える。
「ない謎ならば、作ればいいだけのこと。しかし本来、用意された謎を解くべき役割を持つ者は、我々ではないのではないかな? だから、貴方が本当に待ち望んでいるのだろう存在に、ここに残っているだろう謎を解いてほしいとも思うのだがね」
 そう、とメルヴィンは続ける。
「あの客室を使っていた婦人探偵に、だ」
 雨雲で闇色に染まっていた空が光を放つ。
 数秒遅れて、雷鳴が轟く。
「でー、結局ボクらはいろいろ頑張っちゃったわけですけどー、犯人の告白がないとラストが締まりませんよー」
「君の話を聞かせてくれないかな?」
 トオル、そして京秋が言葉をつなぎ、
「解放、されませんか? 解放しませんか? あなたの願いもあなたの声も、オレたちにはちゃんと届いています」
 悟の手が、差し伸べられた。
「もちろん、オレたちは探偵です。薔薇の下で交わされた会話はすべて“秘密”にさせていただきますから」

 ソレははじめて、諦観とも安堵ともつかない、静かな笑みを浮かべた。



 キラキラと輝くもので、世界は満たされている。
 めくるめく謎によって、世界は保たれている。
 探偵たちはここで、数多の事件と向かい合う――



「おー、めっちゃ晴れてるわー。さっきの雷鳴轟く演出って、ほんとはどっかに撮影班がいたんじゃないのかなー」
 トオルは、青空のもと、大きく伸びをして笑う。
「そんな存在がいてもおかしくない、とは思うかな」
「京秋さんなら、嵐くらい呼べそうですけど? 違いますー?」
「私には無理だよ」
 雲が切れ、太陽光が差し込む庭園は、先ほどまでの雨による雫をキラキラと反射させて眩しく輝いていた。
「このような建築物にはやはり薔薇の庭園が似合うものだね」
「はい!」
 メルヴィンへと嬉しそうに笑いかけ、それからリゲイルは須美の腕を取って、咲き誇る薔薇の庭園へと踊るようなステップを踏んで駆けていく。
「え、リガ、危ないわ!」
 少し慌てたように声をあげながら、それでも須美はリゲイルに引っ張られるようにしながらもどこか嬉しそうに走る。
 開放感、という言葉がよく似合った。
 秘密を告白し、アレは消えた。
 床に崩れ落ちかけた須美をとっさに抱きとめたのはリゲイルで、けれど力がないために彼女たちはそのまま一緒に床に倒れ込む。
 それを更に寸でのところで支えたのは、思いのほかあるらしい腕力を発揮した悟だった。
 その一連の出来事の後、須美はこれまでのことを聞き、今に至る。
 楽しそうに嬉しそうに、リゲイルに手を惹かれて須美は、庭園の向こうに見える鳥籠を模した休憩所を目指していた。
 そんな彼女を眩しげに悟は眺め、
「あ、そういえばトオルさん」
 視線はそのままに、隣に立つトオルへと言葉を掛ける。
「はいはい、なんですかー?」
「ええと、ビリヤード室で見つけたもの、オレにも見せてもらっていいですか?」
「この指輪?」
「いえ、その指輪はトオルさんの持ちモノなので結構です。本当にビリヤード台に隠されていた方です。たぶん、ポケットに入るサイズのものだと思うんですけど」
「……なんで?」
「はい?」
「なんで、こっちがダミーだと思うの?」
 慌てるでもなく、むしろ不思議そうな顔でトオルはさらりと問う。
「指輪、貼り付けてあったという割にはキレイすぎたので。粘着物質とか、そういうのが付着していないのは不自然だし、何か封筒とかに入っていたとして、それを開けている気配もありませんでした。そして何より、その指輪はごく最近レプリカとしてあるイベント用に作られたものですから」
 悟もまた記憶でも臆する風でもなく、ごく自然体でほわりと微笑みながら理由を述べていく。
「なんで言い切れるの?」
「種明かしするとガッカリされちゃうんですけど」
「種明かしされないとガッカリするんですけどー」
 わざと口調を真似て答えるトオルに、悟は若干困ったような表情を浮かべ、それから申し訳なさそうに打ち明ける。
「その指輪、この間開催された《銀星デパート英国大展覧会》のイベント会場で売ってましたから、オレ」
「へ?」
「バイトしてました」
「うーわー! なにそれ、めっちゃ反則! っていうか、なに君、どんだけバイトしてんの? ホント何者? 潜入捜査官やれるんじゃないの?」
 わざとらしい詠嘆とともにそんな言葉をまくしたてながら、それでもトオルは負けを認めて、渋々ポケットから手帳を取り出した。
「手帳?」
「僕も興味がある。ぜひ見せてくれたまえ」
「君はなぜそのようなモノをもってくるんだね?」
「そういうツッコミをする人には見せませんー」
 わざと京秋に向けて舌を出し、
「薔薇の下で交わした会話は秘密、でしたっけ? でも、ここは薔薇の下じゃないから約束破りにはならないと思うんだよねー」
 そう言って、トオルはメルヴィンと京秋と悟の視線を受けながら、その中心で手帳のページを開いた。

 はらり。

 舞い落ちたのは、一枚の写真。
 そこに写っているのは、薔薇の刻印がなされたキューを誇らしげに持ち、長い黒髪をやわらかく肩に垂らした――朝霞須美におもざしの似た袴姿の美しい少女だった。

 ――わが愛しの探偵に、この薔薇を捧ぐ

 写真の裏には、流れるような美しい文字でそう記されていた。




 須美はそっとケースからバイオリンを取りだした。
 テーブルには、トオルが見つけた手記がページを開いた状態で置かれていた。
 自分によく似た少女の写真も、添えられている。
 あの日――リゲイル達に招待状が届くよりも少し前のあの雨の日、須美はひとりで、古い映画のリバイバル上映を小さな映画館の中で観た。
 決して大きくはないスクリーンの中に映し出されたのは、薔薇の花咲く洋館、和装と洋装の入り乱れる貴人たち、そしてそこで起きた陰惨なる連続殺人事件だ。
 血染めの首吊り死体、ナイフによる刺殺、暖炉に放り込まれていた焼死体、開かない扉と閉じ込められた人々の悲鳴と恐怖。
 館は意思を持つ。
 ひそやかに、己の存在意義を示す。
 そして。
 至る所にちりばめられたその薔薇をいとおしげに見つめ、亜目の洋館に遅れてたどり着いた袴姿の少女は、庭園の見えるサンルームでそっと『相手』に呟いた。

 ――あなたの仕掛けた謎はすべて、解けましたわ……

 あの瞬間、須美の意識が途切れた。
 それからはずっと、夢の中。
 少女のために捧げる謎を望み、求め、役者をそろえる《意思》の中。
 けれど。
 でも。
 謎を作り出す探偵たちの競演を、自分は確かに、ソレの目を通して楽しんでいた。
 そしていま、須美は、薔薇の花ことば、薔薇であふれたあの館で彼らとともに過ごした時間に想いを馳せる。

 ――忘れてしまおう

 薔薇にはそんな意味もあるのだと、のちにとあるミステリ小説で知った。
 薔薇であふれかえった館はもしかすると、事件を持ち込めず、探偵を迎えることのできない我が身を嘆いたのかもしれない。
 あの少女を必要とできない我が身に悶えたのかもしれない。
 だが、館は忘れることを望んでいたのではないと思う。
「終わらない夢を求めていたのは、私も同じよ」
 須美の唇から、呟きがこぼれた。

 ヴァイオリンは途切れない。
 須美は演奏し続ける。
 ショパンに己を映したあの館のために、かつてショパンが己の葬儀に流してほしいと望んだ曲――モーツァルトのレクイエムを手向けにして。



END

クリエイターコメントこのたびは、銀幕市の探偵諸氏の物語を綴る記録者にご指名くださり、誠にありがとうございました!
このノベルがわたくしの銀幕での最後の仕事となります。
趣味趣向に美学と思考を重ねつつ、あれやこれやの思いの丈をネタと掛け合いに詰め込んだ次第です。
『解くべき謎』と『解けない謎』と『謎とも言えない謎』をちりばめた洋館でのひと時、力の限りお待たせした分も含めて、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

それではまたいつか、銀幕の夢が終わったその先で、別の形で、別の謎とともに、別のミステリ足り得る舞台の上で、皆様とお会いできる日がきますように。
公開日時2009-07-28(火) 18:50
感想メールはこちらから