★ Calling ★
クリエイター鴇家楽士(wyvc2268)
管理番号103-8449 オファー日2009-06-28(日) 02:28
オファーPC 朝霞 須美(cnaf4048) ムービーファン 女 17歳 学生
ゲストPC1 リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
ゲストPC2 南雲 新(ctdf7451) ムービーファン 男 20歳 大学生
<ノベル>

 部屋の窓から見える景色は、いつもと変わらないように見える。そして、写真の桜も散ったりはしない。
 ――けれども、もう写真に映っている二人は居ない。
 そして、いつもデスクの上で須美を見守っていたバッキーも、もう居ない。
 じめじめと降る雨と湿気が、気持ちを余計に憂鬱にさせる。思わず、ため息をついた。この季節はヴァイオリンも傷みやすい。手入れが面倒だと思っている自分も嫌だった。そんなことは当たり前のことで、面倒だなんて今まで思ったことはなかったのに。
 ――こんなことではダメだ。
 朝霞須美は、ゆっくりと立ち上がると、置きっ放しになっていたヴァイオリンを手に取った。弓を弦に乗せる。とりあえず、何かエチュードでも弾こうと思い、手を動かした。
 ――良くない。
 けれども、奏でられたのは、満足とは程遠い音だった。さらに、暗譜していた曲だったのに、運指を間違えてしまう。
 はぁ、と再び大きなため息をつき、須美はヴァイオリンを台に置いた。集中力がない時にやっても、あまり意味がない。
 ――少し気分を変えよう。
 紅茶でも飲もうかと、部屋を出ようとした時に、本棚の文字に目の端が留まる。
 "The Murder of Roger Ackroyd"。
 まるでその文字から映像が生まれたかのように、一瞬にして意識は過去へと飛ぶ。
『朝霞は? これ好きじゃないのか?』
 彼が好きだと言った作品だ。
 少しでも須美のことを理解しようと、手に取ってくれた本だ。
 ぼさぼさの前髪に隠れた紫黒色の穏やかな目を、不器用な優しさを、背中に回された臆病な手を、須美は思い出す。
 思い出すまでもない、覚えているのだ。
 最初から分かっていたはずなのに。
 後悔しないと決めたのに。
 なのに、割り切れない自分が酷くもどかしく、情けなかった。

 ◇ ◇ ◇

 重苦しく垂れ込めた空が、淡く街を照らす。雨粒がビニール傘を叩き、模様と音を残していく。
 けれども、街に活気がないのは、天候のせいだけではない。数多くいたムービースターたちは姿を消し、賑やかに繰り返されていた日常も、今はもうない。
 南雲新は、ぶらぶらと当てもなく街を散策していた。すれ違う人々の気の抜けたような顔を見ると、ムービースターたちが、いかに銀幕市の皆の中で、存在が大きいものだったかということに、改めて気づかされる。
 どこをどう歩いたのかは覚えていないが、気がついたら一軒の小屋の前に来ていた。小ぢんまりとした佇まいの入り口には、『団子』と書いてある幟が立っている。
 ここは、兄に似た友人と初めて会った時、一緒に訪れた場所だ。彼は、ここの団子が美味いと言った。その独特な言葉の響きも、色褪せぬまま耳に残っている。
 あの時は彼を兄だと思って、気が動転して、いきなり本気で殴ってしまった。けれども、彼は気にするなと明るく笑った。
 彼は兄ではないと分かっていても、どこかで兄の存在を感じている自分がいた。彼が笑えば、兄が笑っているように思えたりもした。それが温かくて、どこか不思議だった。
「……あ」
 何気なくパーカーのフードに遣った手は、何の感触も掴まない。新は思わず苦笑した。この癖は、しばらく抜けそうにない。
 扉を開け、店の中に入ると、店の主人の「いらっしゃいませ」の声が小さく響いた。
 新は、腰をかがめてショーケースの中を見る。みたらし、草、きなこ……豆大福や、葛餅などもある。
 どれにしようかと迷っていたら、店主が声をかけてきた。
「もしかして、新さん?」
「え? ……はい。そうですけど」
 不意に名前を呼ばれ、新が戸惑っていると、店主はほっと表情を緩めた。丸い顔が、さらに丸く見える。
「ああ、やっぱり……良かった。あのね。頼まれたんですよね。新っていう、自分に顔が似てる人が来たら、団子いっぱい食わせてやってくれって。いつもご贔屓にしてくれるお客さんで、ええと……」
 店主が告げた名前には覚えがあった。兄の名であり、友人の名だ。
 ぽかんとしている新の前で、店主は団子をプラスチック製の容器に次々と入れ、目の前に積んでいく。
「……阿呆。こんなに食えへんわ」
 新は小さく呟き、そして笑った。

 ◇ ◇ ◇

 リゲイル・ジブリールは、窓際で静かに紅茶を飲みながら、胸に下げた蓮とアメジストのペンダントを見つめた。大切な人からもらったプレゼント。目を閉じると、目蓋のスクリーンに、沢山の思い出が映し出される。
 部屋に目を向ける。ぼろぼろになったピンクのパンダのぬいぐるみが目に入った。ずっと自宅として使っていた銀幕ベイサイドホテルは、マスティマとの戦闘で破壊されてしまったため、今は市内の別のホテルに住んでいる。ベイサイドホテルは、まさしく彼女の『家』だったから、どうしても喪失感は大きかった。
 でも、銀幕市が好きだから、どこに居たって平気だ。そう彼女は思うと、また窓の外に目を向ける。
 その時、ふと、須美の顔が脳裏に浮かんだ。彼女は、魔法が消えてからどうしているだろう。落ち込んではいないだろうか。
 リゲイルは携帯電話を取り出し、ボタンを押す。
『……はい』
 やや長いコールの後、須美が出る。少し、ドキリとした。何だか元気がないと思ったからだ。
 でも、それも仕方ないことかもしれない。リゲイルだって、沢山の大切な人が居なくなり、とても寂しく思っている。
「もしもし、須美ちゃん? 良かったら今日、どこかで会わない?」
 しばし、間があった。
『ごめん。今日はあんまり出かける気分じゃないの』
 返ってきたのは気のない返事。もちろん、無理を言うつもりはない。
 だが、なんともいえない不安が、胸に生まれる。
「……最近、友達と遊んだりしてる?」
 おずおずと尋ねてみる。また少し間が空いた。
『別に……なかなかスケジュールも合わないし』
「じゃあ、出かけたりとかは?」
『レッスンと学校以外には。……特に用事もないし。……もういいかな? 切るね』
「須美ちゃん、ちょっと待――」
 リゲイルの言葉が終わる前に、通話は途切れる。ツー、ツー、ツーという音に合わせるかのように、リゲイルの胸に徐々に不安が広がっていく。
 須美は、大丈夫なのだろうか。
 彼女のことだから、きっと辛い思いを誰にも言えず、一人で抱え込んでいるのだと思う。でも、それを続けていたら――そう思うと、彼女が心配でならない。
 リゲイルは少し部屋の中を歩き回った後、意を決した。
 須美の家に行ってみよう。もしかしたら迷惑かもしれないが、怒られても構わない。
「銀ちゃ――ん……は、居ないのよね」
 思わず、今は姿のないバッキーに声をかけそうになってしまう。まだ自分も、魔法のない世界に馴染めていない。
 それでも、前に進まなければいけない。生きていかなければならない。いつまでも失った悲しみに留まっていてはいけない。
 だから、須美のことは放っておけなかった。

「ローエ――ン……」
 笑顔を作り、開きかけた口が途中で止まる。
 雨の中を歩いてきて、たどり着いた場所。そこには、見知ったクレープの屋台はなかった。
 考えてみれば当たり前だ。クレープを作っていた彼も、ムービースターなのだから。
 赤い傘を雨が叩く音を聞きながら、リゲイルは息を長く吐く。
 こんなにも、彼らの存在は日常に染み込んでいて、未だに大きい。
「あ、リゲイルやないか」
 突然、聞き覚えのある声がして、リゲイルはハッと振り返る。
「久しぶりやな。どうした? 恐い顔して」
 そこには、新が団子を頬張りながら立っていた。青いパーカーを着ている。手には紙袋を持っていた。
 どうやら、自分で思っているよりも、思いつめた表情をしていたらしい。リゲイルは、意識して笑顔を作る。
「新さん、お久しぶり。……実は、クレープを買おうと思ったけど、買えなかったの……」
 そう言って、またため息をつくリゲイルを見、新はしばし考えてから、手に持っていた袋から団子を取り出し、「食うか?」と差し出した。

「なるほど。その友達を、何とか元気づけたいって訳なんやな」
「うん」
 二人は人を避け、スーパーの表に設置されている、休憩所のベンチに腰掛けている。様々な色の傘を持った人たちが、目の前を横切って行った。
「ここのクレープは、須美ちゃんとの思い出もあるし、食べたら少しは元気になるんじゃないかと思ったの。でも、どうしよう……」
 リゲイルはしょんぼり言うと、もらった団子を少し口に入れる。甘辛い味が、口の中にじわりと広がった。ちょっと、元気をもらえる気がする。
「……そうだ! 新さんも一緒に来てくれない?」
「はぁ? 俺が?」
 リゲイルのいきなりの提案に、新は目を丸くする。
「だって、俺が行ったって、友達だって困るやろ?」
「ううん、そんなことない。きっと新さんなら大丈夫だと思う」
 新ならば、須美の力になってくれるような気がしたし、ひとりで心細いというのもあり、リゲイルは必死に説得にかかる。
「お願い。きっと、一人よりも二人の方が、何かいいアイディアが出ると思うの……お願いします!」
 そう言って手を合わせるリゲイルを、新は戸惑った顔で見つめていたが、やがて表情を綻ばせて頷く。元から困っている者を放っておけない性分だ。
「ええよ。……まあ、力になれるかはわからんけど」
「やったぁ! ありがとう!」
 喜ぶリゲイルに、もう一度頷くと、新も団子を一口食べた。


「どうぞ」
 二人が須美の家に行くと、彼女は少し困惑したような表情をしていたが、何も言わず家に入れてくれた。両親が出かけているとのことで、須美がお茶を淹れ、応接室に持って来てくれる。新が持ってきた団子も、皿に載せられ、一緒に運ばれて来た。
「どうも、すいません」
 そう言って新は、須美の端正な顔を見た。リゲイルとはまた違った魅力のある少女だ。けれども、黒檀の瞳には、陰りが見える。気丈に振舞ってはいるが、相当堪えているのではないだろうか。リゲイルの心配が、少し分かったような気がした。
「じゃあ、私は部屋に戻るから。ごゆっくりどうぞ」
「待って、須美ちゃんもここにいて」
 用事が済んだとばかりに立ち去ろうとする須美を、リゲイルが呼び止めた。須美は振り返ると、あまり抑揚のない声で答える。
「……ごめん。私、部屋に行きたいの」
「それなら、わたしたちも行きたい。須美ちゃんと話がしたいの」
 そう言って食い下がるリゲイルに、須美は目を瞬かせた。元々どこか強引なところのある友人だが、今日はいつもと様子が違う。その眼差しの真剣さに、思わず視線を逸らしてしまう。
「……分かったわ。散らかってるけど、どうぞ」
「ありがとう。……行きましょう」
「え? 俺も?」
 流石に、さっき初めて会ったばかりの女の子の部屋に入るのは気が咎める新だったが、成り行き上仕方がない。リゲイルの後に続き、須美の部屋へと向かう。
 ドアを開け、招かれた須美の部屋は、彼女の言葉とは違い、綺麗に整頓されている印象を受けた。新の住んでいるアパートの部屋よりもずっと広い。壁際には大きな本棚があり、そこには音楽関係と思われる書籍や楽譜、雑誌の他に、小説と思われる単行本や文庫本がぎっしりと詰まっていた。
 部屋の中央に、洒落たデザインのテーブルやソファーなどはあったが、あまり女の子らしさや、生活観は感じられない。でも、それが彼女自身のクールな雰囲気と合っていた。
 ふと部屋の隅を見ると、ヴァイオリンやケース、譜面台や譜面などが雑然と置かれている。散らかっているというのは、このことなのかもしれない。
「……それで、話って?」
「ええと……」
 テーブルに三人分のお茶と皿に盛られた団子を置き、窓際のデスクの前にあるワークチェアに腰を下ろすと、須美は口を開いた。けれども、リゲイルは何を話していいのか分からない。
 いきなり気まずい雰囲気が訪れ、どうしたものかと必死で考えていると、持ってきたバッグが目に留まる。
「……そうだ、新さん。良かったら、お願いしたいことがあるんだけど」
 そう言って、リゲイルはバッグから、ピンク色をしたパンダのぬいぐるみを取り出した。それを見て、新は目を丸くする。
「なんや、えらいぼろぼろじゃんか」
「うん。壊されたホテルにあったから……これ、直るかな?」
 新は、まじまじとぬいぐるみを見た。ぼろぼろではあるが、原型は留めているし、生地もしっかりしているので、何とかなるように思う。
「たぶん。やってみる。……裁縫道具は?」
 そう言われ、リゲイルは携帯用のソーイングセットをバッグから取り出し、新に渡した。
「わたしの大好きな人がね、お裁縫がすごく上手だったの。このパンダも、その人が作ってくれたのよ」
 そう言ってリゲイルは、不思議そうにこちらを見ていた須美に、顔を向ける。
「大好きな人?」
 リゲイルは、彼の屈託のない笑みを思い出しながら答える。
「うん。……もう、会えないの。でも、それは、魔法が消えるもっと前の話」
 そう言ってリゲイルは、上品にお茶を一口飲んだ。その言葉で、二人にも誰のことを話しているかは分かったと思う。
 あの事件は、銀幕市を震撼させた。
 そして須美は、彼らの魂のためにヴァイオリンを弾いてくれた。月に照らされた夜桜の中、聞こえてくるレクイエムが、とても美しかったのを覚えている。
「あの時、すごく悲しかったけど、須美ちゃんや、みんなが励ましてくれたから、すごく救われた。……本当にありがとう」
 そうして、リゲイルは微笑む。須美の瞳が、微かに揺れた。
「……友達を励ますのは、当たり前のことだもの」
 ぼそり、と言って目を逸らす須美が微笑ましく、リゲイルの顔がまた綻ぶ。
「俺も」
 パンダを縫う手を休めないまま、新がポツリと話し出す。二人の視線が、新に集まった。
「スターの友達、色々おったけど……兄貴に似た――まぁつまり、兄貴が役をやったスターともバッタリ会ってさ、すっげぇビビって」
 幾度かパンダに針を通してから、新は再び口を開く。
「……俺の兄貴、居なくなってしもうて、俺は兄貴を探しに銀幕市にきたんやけどな、見つからんし」
 結局、兄が失踪した理由は分かっていない。けれども、新はずっと自分のせいだと思って来た。
「だから俺は、リオネの魔法に救われたとこがある。あの人は兄貴やなかったけど、でも、なんか救われた。あの人も居なくなってしもうたけど、会えて良かったって思うてる」
「わたしも、みんなに会えてよかった」
 新に続き、リゲイルも言う。須美は、窓の外を見て呟く。
「私だって……」
 会えて良かったと思っている。会わなかった方が良かったなどとは思っていない。でも、いざ失ってみると、その理屈を押しのけるくらい、辛い。
 またしばらく、静寂の時間が訪れた。外で鳴いている雀の声が聞こえる。
 気まずい空気に堪えかね、新が視線を窓の方に向けると、デスクの上に、フォトフレームに入った写真があった。桜の花に囲まれ、須美とぼさぼさ頭の男性、犬のような耳を持った少年が写っている。
「あの二人は誰?」
 新が指差し、そう尋ねると、部屋の空気がさらに重たくなった。どうやら核心に触れてしまったらしい。
「……仲が、良かったんです。三人で」
 須美はワークチェアを回転させると、窓の方に体を向けた。
「対策課で一緒になったのがきっかけで……そう、二人とも、すごく非常識な態度だったわ。でも、一緒にいるうちに、それはただの一面に過ぎないってことが分かった」
 話す気などなかったのに、言葉はどんどん湧き出てきて、口からこぼれ出て行く。
「やめてって言っても、私のこと、ツンデレーってへんなニックネームで呼ぶし、世間知らずだし、すごく危なっかしいし」
 くしゃくしゃでぼさぼさの髪と、ピンクベージュでふわふわの尻尾。
「人のこと考えてるようで抜けてるし、いつも飄々としてる割に、臆病だし」
 あの時は頭に血が上って、思わず平手で叩いてしまった。
 逃げるように家に帰った後、声を殺して泣いたことを覚えている。
「時々子供っぽいし、鈍いし……でも、一生懸命で」
 話がしたくて使った方法は、我ながら回りくどいものだったけれど、でも、その意味に気づいてくれた。
 白木蓮の中、交わしたやり取りは、今でも鮮やかに目に映る。
 出会ってそんなに長い時間は経っていないはずなのに、ずっと一緒にいたかのような感覚がある。大切な思い出も、沢山ある。
「約束した――決めたの。後悔しないって、正面から向き合うって……でも、ダメなの。――何も手につかなくて」
 そんな自分が、とても嫌だった。自分が間違っていたのだろうかと、不安に襲われる時がある。
「私――、一緒に居たかった。ずっと、一緒に居たかった……」
 込み上げて来る思いが、瞳からこぼれる。こぼれた思いは、頬の上をすう、と伝った。
(――私)
 体が震え、目の前がぼやける。窓の外に見える紫陽花が、水彩画のように滲む。
(私、ずっと泣きたかったんだ)
 そう気づいたら、崩れてしまった。頑張って抑えていた、全部。
 そして、一気に溢れ出した。
「えっ、あーっと……」
 突然泣き出した須美に、新はどうしていいか分からず、うろたえてしまう。その横でリゲイルは立ち上がり、須美のそばまで行くと、彼女を強く抱きしめた。背中の震えが指先から伝わる。
 須美は、ワークチェアから滑り落ちるようにして力なく崩れ、リゲイルの胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。リゲイルは、優しく須美の髪を撫でる。
 誰も、何も言わなかった。須美の声だけが、産声のように響いた。


「ごめんなさい……みっともないところ見せて」
「ううん。そんなことない」
 目を伏せて言う須美に、リゲイルが、お茶を差し出す。須美は、それを一口飲んで小さく息をついた。沢山泣いたので、まだ少し頭がボーっとする。
「ええやんか」
 すると、黙って二人を見ていた新が、口を開いた。
「みっともないところ見せたって、ええやんか。いつもカッコつけんでも。友達なんやから」
 須美は、静かに顔を上げる。新の目は力強く、優しい。
「泣きたいなら、好きなだけ泣けばいい。それって、自然なことやろ? 恥ずかしいことじゃねぇ。自分の気持ちしっかり受け止めて、感じれば、きっとそのうち、喪うことを嘆くことじゃなく、一緒に居られたこと、誇れるようになる」
「そう……ですね。そうかもしれない」
 言われてみればそうだ。ずっと自分は、喪った悲しみばかりに目を向けていた。そして、そうしている自分を責め、認めないでいた。
 今すぐでなくとも良いのかもしれない。いつか、共に在れたことを喜び、懐かしむことが出来るならば。
 それから、穏やかな時間が過ぎた。三人で魔法の日々の思い出を語ったり、他愛無い話をした。須美にとって、こんなに穏やかな時間は、久しぶりだった。
 一度心を開けば、自分の気持ちを話すことが、ずっと容易になる。
 やがて、リゲイルが思い立ったように言った。
「ねぇ、須美ちゃん。良かったら、ヴァイオリン聴かせて」
「俺も聴きたい」
 須美は、もちろん承諾した。こんなことで良いのかは分からないが、二人には礼をしなければならない。
 彼女は部屋の隅まで行くと、置いてあったヴァイオリンを静かに手に持ち、深呼吸をした。その時、彷徨わせた視線が、また本棚の文字を拾う。けれども、その文字が彼女を責めることはない。穏やかに、ただそこにあるだけだ。
 須美はすっと背筋を伸ばすと、優雅にお辞儀をする。拍手の音が部屋の中に響いた。そして、厳かにヴァイオリンを構える。
 良い緊張感。
 神経が研ぎ澄まされ、胸には穏やかな気持ちと、心地よい高揚感が染み渡る。
 良い演奏をしたい。――それよりも、楽しく演奏をしたいと、強く思った。自分も、観客の二人も、楽しめるような演奏がしたい。
 そして、弦に弓を乗せる。

 最初の音が届いた時、リゲイルの全身をぞくり、と震えるような感覚が走った。そしてそれは、音が音楽になるにつれて、増していく。
 繊細で、けれども力強さと情熱のこもった深みのある音――まるで、ヴァイオリンが意思を持って歌っているかのようだった。
 この情熱は、彼女が秘めたもの。淡々として、どこか冷めているようでいて、でも実は持っている熱い思い。
 須美のヴァイオリンの腕は元々良かったが、リゲイルが以前に聴いた時とは、まるで違う。それはきっと、音楽を嗜んでいない者でも分かるほどの変化だろうと思う。
 その理由は、ひとつしかない。
「二人と、出会ったからだよね」
 思わず、そうリゲイルは呟いていた。
 その呟きは、ヴァイオリンの音色と混ざり、どこかへ行ってしまう。
 隣を見ると、新も目を輝かせながら、須美の演奏を聴いていた。

 そして時は、また動き出す。

クリエイターコメントこんにちは。鴇家楽士です。
お待たせ致しました。ノベルをお届けします。
またぎりぎりになってしまいました……。
少しでも楽しんでいただけることを祈ります。
ありがとうございました!
公開日時2009-07-30(木) 22:50
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