★ 彼が見たのは、お菓子と子供たちの夢 ★
クリエイター諸口正巳(wynx4380)
管理番号100-6852 オファー日2009-03-04(水) 22:01
オファーPC リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
ゲストPC1 太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
ゲストPC2 小日向 悟(cuxb4756) ムービーファン 男 20歳 大学生
ゲストPC3 二階堂 美樹(cuhw6225) ムービーファン 女 24歳 科学捜査官
ゲストPC4 須哉 逢柝(ctuy7199) ムービーファン 女 17歳 高校生
ゲストPC5 ケイ・シー・ストラ(cxnd3149) ムービースター 男 40歳 テロリスト
<ノベル>

 雪まみれのクリスマスが終わり、血まみれのムービーキラー討伐作戦が終わった。
 まだベヘモットも眠っていた、1月上旬のこと。
 銀幕市立中央病院には、こまった連中が入院していた。
 類は友を呼ぶ、という。
 ただでさえ騒がしいその病室に、にぎやかな見舞い客が何人も何人もやってきて、取り返しのつかないことになることもままあった。
 やがて中央病院の職員は、対策会議まで開くほどになり、そして、該当の病室の警戒レベルをデフコン1にまで引き上げることが決定されたのである。
 しかし肝心の入院患者とその見舞い客たちは、病院側がそんな覚悟を決めたことなど露知らず、恐らく今日も酒が入った大騒ぎを引き起こすのであった――。




「えっと、コーラだろ、大福だろ、チョコだろ……カキフライにー、串カツにー、あとコロッケがあればカンペキだな」
「やっぱりピロシキ売ってなかった……。カレーパンでいいかしら」
「『すげえウォッカ』なかったけど、スピリタスならあったよ!」
 スーパーまるぎんの店内の一画でカートを囲んでいるのは、太助と二階堂美樹、リゲイル・ジブリールだった。それまで店内に散っていた3人は、めいめいが抱えていたものを次から次へとカートの中に突っこんでいく。
 松の内は過ぎたが、スーパーの中はまだお正月ムードがわずかに残っている。初売の際、ここはそれはそれは恐ろしい戦場になったそうだ。名物コロッケをはじめとした特売の大盤振る舞いの結果が、『地獄』である。太助はその初売に出陣したのだが、恐ろしいことに記憶がないのだった。頭を強く打ったらしく、彼は数時間後、居候先で目覚めた。
 リゲイルはその様子を銀幕ジャーナルで知ったが、そのときは「そんなにまるぎんの売り物が好きなら、お店ごと買っちゃえばいいじゃない」という王女的な考えがほんの一瞬だけ頭をよぎった。今ではそれが『致命的とも言える金銭感覚のズレ』だということを周囲から指摘されていたので、口には出さなかったが。もっとも、周りから言われて注意しているのと、自覚したうえで注意しているのとでは、間に大きな隔たりがあるような気がしないでもない。
 現に今も、リゲイルは会計後のレジの数字などさっぱり気にも留めないで、ドカスカとカートに売り物を投げこんでいる。
「あとこれ、ドンペリ! 1本だけ置いてあったの。ウォッカだけじゃ、味もないしつまんないよー。これも買おう」
「ドンペリ!? ここってそんなものまで置いてあるの」
「まるぎんなめんな! って、これさんまんえんもすっぞ!?」
「いいのいいの。わたしが払うから。今日はちゃーんとカード持ってきたし」
「ここ、VISAとマスターカードとJCBしか使えないみたいよ。大丈夫?」
「ん? それなに、おいしい?」
「……」
 レジに進んだときには、カートの中身はものすごいことになっていた。美樹も太助も、増えているレジの小計を見るのが怖くなって、目をあらぬ方向に向けていた。『ポッ』『ポッ』『ポッ』『ピプピプピ』『ポッ』というバーコード読み取り完了を知らせる音までもが恐ろしい。いつまで経ってもその音が終わらない。美樹と太助は、耳もふさぎたくなった。
「なんだー、すごい量だな。新年会でもやるのか?」
 ドガス、と会計の済んだカゴをサッカー台に置くと、隣で袋詰めしていた少年が目を丸くした。彼の袋の中身は、ネギや高野豆腐や豚肉の切り落としその他だ。リゲイルたちのカゴに比べれば庶民的で、なおかつ現実的な、「ばんごはん」の食材だった。
「わ、あいきちゃん! 偶然だね」
 リゲイルは少年の顔を見て、ぱっと顔を輝かせた。リゲイルに名前を呼ばれた少年の顔をまじまじと見る太助の目が点だ。
「レッドの知り合い? ……ちゃん? どゆこと?」
「そんな失礼なこと言っちゃダメ、イエロー! あいきちゃんはおんなのこなんだよっ」
「えー!?」
「あー、べつに気にしなくていいよ。こっちも気にしないから。あたしは須哉逢柝。おふたりとも、ジャーナル見て一方的に知ってるよ」
 少年あらため少女。逢柝はからっと笑って、太助と美樹に挨拶した。太助が口をあんぐり開けていることからもわかるとおり、逢柝はどこからどう見ても10代の少年にしか見えない。声も女性にしては低……いやハスキーだ。ハスキー・ヴォイスなのだ。
「今からね、ブレイフマンのお見舞いに行くの」
 ビニール袋を広げながら、リゲイルが逢柝に言った。
「ブレイフマン?」
「テロリストよ。『ハーメルン』の」
「あー! そうだそうだ、知ってる。クリスマスで話したよ。今、入院してんだっけ? そういや、リゲイルとタヌ吉はあのときの作戦に参加してたんだったな。大変だっただろ。入院しなくてすんで、よかったじゃないか」
「俺タヌ吉じゃねーよ! 太助だよ」
「はは、悪い悪い」
「テロリスト連中は、無茶したらしいわ。だからほとんど全員入院するはめになったんだけど、みんなけっこう元気よ。お酒飲んで騒ぐくらいには」
 美樹は微笑していたが、その表情はよく見れば複雑だった。彼女の気持ちを汲み取れる者は、ここにはいない。美樹自身も、自分の今の気持ちがよくわからなくて、戸惑っているところだから。
 初めて美樹と会った逢柝にももちろん、到底推し測れるものではない。それに彼女は、3人がビニール袋に詰めているラインナップを見て絶句している最中だ。
「見舞い……にしちゃ、あんまり消化によくなさそうな食いもんばっかだな……」
 消化どころか健康にもよくないだろう。が、当の3人はてんで気にしていない。むしろおいしくてたのしくなりそうなこの飲食物のどこが悪いのかと思っているくらいだ。
「ねえ、あいきちゃんも来ない? 話、したことあるんでしょ。友達が集まれば集まるほど、元気って出るものじゃない? 行こうよ!」
「えー? あたしは今日晩飯当番――」
「ばんごはんなんていつでも作れるよ!」
「うっ! おうっ! か、買いすぎだったかもしんねぇ。タヌキ1匹と女ふたりじゃとても持ちきれねぇぞ。あーだれかてつだってくんねーかなー」
「私からもお願い。知ってる人の顔を見て話をすれば、誰でも元気になれると思うの」
 リゲイルは強引に、太助はわざとらしく、美樹はけっこう説得力のある言葉で、逢柝を誘った。逢柝は本当に、今日の夕飯の炊事担当だったのだが、結局そこで折れてしまった。ちょっと顔を出して、肉が腐らないうちに帰ればいいと思ったのだ。のちにそれが甘い考えだったとわかるのだが、予知能力者でもない逢柝がそれを知る由もない。
 4人は連れ立ってスーパーまるぎんを出ると、おしゃべりに花を咲かせながら、銀幕市立中央病院へと向かったのだった。


「おにーちゃん、またねー!」
「またあそんでねーっ」
「ばいばーい!」
「バイバーイ」
 午後1時、小日向悟の半日のバイトは終わった。パジャマやスウェット姿の子供たちに手を振り返し、彼はにこにこしながら小児病棟を出た。
 今日の仕事は、ここでのメンタルケアの手伝いだった。実にさまざまな分野で「助っ人」として毎日のようにバイトしている彼だが、とりわけ、この小児科からの要請が多い。彼自身は、まだまだ未熟な学生だと自覚しているのだが、周囲は彼の行動心理学の知識に一目置いているのだった。
 今は大学も短い冬休み中だ。しかし悟にとっては、働く時間が増えるだけのことだった。それに最近は、毎日でも様子を見たい人々が、ここ中央病院にいる。何もかもが、悟にとっての好都合だ。
 複雑に入り組んでいて、迷う人も珍しくない巨大な総合病院。そこを悟は、慣れた足取りで進んでいく。向かう先は玄関ホールではない。外科病棟、504号室。
 目的地に近づくにつれ、ざくざくざくと重々しい音が聞こえてきた。廊下の先を歩いている、黒い集団が見えてくる。悟の足は一瞬止まり、次の瞬間には、先ほどよりもわずかに足早に、再び歩き出していた。
「こんにちは、皆さん」
「プリヴェット。今日も来ていたのか、探偵」
 黒い集団に向かって、悟はふわりと笑みを浮かべながら挨拶する。黒い集団は、先頭のひとりを除いて、全員がガスマスクをかぶっていた。先頭で色白の顔と髪をさらけ出しているのは、集団のリーダーであるケイ・シー・ストラだ。
 彼らは設定上は人身売買も辞さない共産主義のテロリストなのだが、もはや銀幕市で彼らを危険な存在として見なしている市民はいないと言ってよかった。
 現に悟は、昨年のムービーキラー討伐作戦に参加している。彼らは悟にとっては戦友だったし、ストラたちハーメルンのメンバーを見かけるたびに、強くなっていく決意を抱えていた。
「ブレイフマンさんのお見舞いですよね。楽しくおしゃべりするのはとてもいいことなんですけど、お酒は控えてもらったほうが……」
「何を言うんだ。ウォッカは我々の魂だぞ!」
「ウォッカ飲んで寝りゃ何でも治るんだよ」
 悟のやんわりとした注意に、ストラは腕組みしたまま何も言わなかったが、後ろのガスマスクたちが声を荒げた。まあまあ、と軽く手を上げる悟は、銃を持った男たちに抗議されているのにちっとも動じていない。
「でも、お薬と一緒にお酒を飲むのは本当に危険なんです。ブレイフマンさんには、早く良くなってほしいじゃないですか。皆さんも、悪くなってほしいわけじゃないですよね?」
「う……」
「リ、リーダー? どうしましょう」
「フン。探偵ではなく医者と呼ぶべきかもしれんな。酒に関してはできるかぎり自粛する」
「ありがとうございます。オレもお見舞いしていっていいですか?」
「かまわない。いや、むしろ……まあいい。やつが待っている、入るぞ」
 ストラには、同志の心境すらお見通しなのか。彼は504号室のドアを顎で指した。後ろに控えていたガスマスクのひとりが、さっと音もなく動き、病室のドアを開けた。
 病室は個室だった。窓辺に白いベッドがひとつ。顔色の悪いロシア系の男がひとり、半身を起こした状態でベッドの上にいた。
 ベッドの上の彼が身じろぎした。どうやらベッドから降りようとしたようだ。ストラが手で「とまれ」と無言の指示を出しただけで、入院患者はおとなしくなった。
 男はハーメルンのメンバー、ブレイフマンだ。
 ムービーキラー討伐作戦で、ハーメルンは全員が大なり小なり負傷し、死者も出た。ストラを始め、何人も入院することになった。しかし彼らには、「傷の治りが早い」という設定があるらしく、重傷者も人間離れした回復力を見せ、彼ひとりを除いて、全員が退院済みだ。
 ブレイフマンだけが、傷も癒えず、クリスマスに引いた風邪も治らず、いつまでもベッドの上だ。
 ハーメルンは毎日のように彼を見舞いにやってきた。彼らの他にも、ブレイフマンを見舞う市民がいて、504号室は毎日にぎやかだった。にぎやかすぎて問題になっていることも、悟は小耳に挟んでいる。
 悟はブレイフマンの様子を見た。
 良くなっているようには見えなかったが、ストラや仲間たちを見る顔はとても嬉しそうだ。
「プリヴェット。カーグ・ジュラー?」
「ニ・プローハ、スパシーバ。リーダー」
「ノル・レヴェニェール、エンプローシャ!」
「フショー、カニィエスナ」
 彼らは二言三言、ハーメルン語かロシア語かで会話していたが、恐らく挨拶程度だったのだろう。すぐに、悟にも理解できる言葉で話し始めていた。
 けれど、しばらく部外者とも言える自分が入りこむ必要も余地もないだろう――そう思って、悟は病室の入口付近にとどまっていた。病院を制圧でもするのかと言いたくなるような出で立ちの18人が、入れ替わり立ち代わりベッドのそばに立って、ブレイフマンに声をかけている。みんな笑っているようだが――悟にはわかるのだ。彼らの声に、不安が滲んでいることが。
 ブレイフマンよりもはるかに傷が深かったストラでさえ、今は重い装備を身につけて歩き回っているのだ。彼によればこれでもまだ本調子ではないらしいが。
 ブレイフマンだけが、いつまで経っても回復しない――。
 ――悪い癖だな。『どうして』を考えようとするのは。
 悟は見えるものを見えたままに感じようと努めた。色々推察しても、楽しい答えが出て来そうにない。
「ん?」
 明るい笑い声と話し声が近づいてくることに、悟が最初に気づいた。ドアを開けて廊下に顔を出してみれば、そこに、悟がよく知る顔と初めて見る顔があった。
「やあ、こんにちは」
「あ、小日向さん!」
「ぽよんす!」
 リゲイル・ジブリールに、二階堂美樹、太助、須哉逢柝。
 ぱんぱんに詰まったビニール袋をいくつも抱えた4人が、504号室の見舞い客の中に加わった。


 ついさっきの、悟のもっともな注意は、あえなくどこかに吹っ飛んでしまった。
 ドンペリのコルク栓も吹っ飛んだ。ガスマスクのひとりがふざけてスピリタスをブレイフマンの頭にぶっかけた。彼は咳きこみながら、今日もあまり食欲がないと訴えていたが、美樹が鼻をつまんで太助が口にコロッケを突っ込んだ。コロッケはうまかったらしい。リゲイルがドンペリをすすめ、ストラは飲めと命令した。その後ろで、ガスマスクたちはガスマスクを頭の上に押し上げ、セロリやネギやキュウリを生でかじっていた。いつもひどい味のレーションしか食べていないせいか、生野菜が好きなようだ。しかしそれは逢柝が今日の夕飯のために買い出してきたものだった。逢柝は野菜を食べたガスマスク(ガスマスクかぶってないけど)に正拳突きと踵落としを食らわせたが、食われたものは戻ってこない。太助は誰かのガスマスクを奪ってかぶってみようとしたが、ぶかぶかだったので銅に取りつけた。ふかふかの腹芸に美樹とリゲイルは声を上げて笑った。酒臭い。すごく酒臭い。病室が酒臭いなんてありえるのだろうか。いや、消毒用アルコールなら病院にはいくらでもあるだろうが。ガスマスクどもはウォッカが切れたときに工業用はおろか消毒用まで飲んだことがあると豪語しているが、果たして本当だろうか。死ぬんじゃないか、それ。と言うかウォッカなくても酒をあきらめないなんてそれ立派なアルコール依存症じゃないの?
「ほらほら、食べて食べて。カニクリームコロッケどう? あ、こっちはメンチカツ」
「これ1日20個限定のクルマエビのエビチリまんだぞ。プリプリだから食ってみ!」
「ハラショー! Красная икра!」
「おお……ハラショー! ブレイフマン、Красная икраだぞ!」
「あれっ、キャビアがないよ。買ってきたと思ったんだけどなあ……って、あなたたちが食べちゃダメー!」
「食べなきゃダメだってば。大きくなれないわよ!」
「あー、やっぱコロッケうめー。つーか酒くせー」
「タヌキ、貴様も飲め」
「ブレイフマン、ぜんぜん食べてないじゃない。ダメよそれじゃ。食欲ないの? せめて好きなものだけでも……」
「そうだ、何なら食える?」
「ボルシチなんかどうだ。スープだけでも栄養あるだろ。いろいろ煮込むからな」
「ボルシチか。……いいかもな、食えるかも」
「おい、その肉もあたしンだってば! 焼くな! そのコンロどっから出したんだよ!?」
「なにこれ、一月限定ポテチ? すごい、おぞうに味だって」
「貴様も飲めと言っている!」
「わかったよ、一口だけだぞ。ったく、からみ酒かよ。…………ぅがぁぁああああ!」
「待ってくれ、ちょっと吐きそう……」
「吐くな! 飲みこめ!」
「そーだ、キャビアがないならイクラを食べればいいじゃない」
「貴様にやるイクラーなどない!」
「エェェェエ――」
「それ私たちが買ってきたのよ、何を偉そーに! よこしなさいよッ」
「こうして豚肉でセロリを巻いて食べンだよ。うまいだろ?」
「燃える! のど焼ける! ハラ燃える! ぐああああ」
「あ、あなたたち。いい加減にしなさい!!」
 時は止まった!
 23人のテロリスト(悟も含めた人数だが、彼にとってはさぞかし不本意であろう)は一斉に口を閉ざし、病室の入口に目を向けていた。リゲイルたち、ハーメルンのメンバーではない6人さえも、ストラによって意識を統一されたかのように、見事に動作が一致していた。
 ドア口には、ぱっつんぱっつんの白衣を着たダイナマイトすぎるボディの看護婦が仁王立ちしていた。バスト100、ウエスト100、ヒップ100と思しきその体躯からは、しゅうしゅうと殺意の波動的な怒りのオーラが噴き上がっているようだった。たぶん恐怖のあまりの幻覚だと思うが。
「あ、婦長さん。こんにちは」
 悟だけが、ほわんと笑っていつもどおりに挨拶した。
 婦長さんは、おおきくいきをすいこんだ。




 ショボーン……。
 その擬音とあの顔文字がぴったりな様相で、見舞い客は全員中央病院をあとにした。
 ものすごく怒られた。すごい勢いで怒鳴られた。全員が全員、ストラまでもが病室から張り手で叩き出された。しかもやってきたのは婦長だけではなかったのだ――叩き出された先の廊下で、ずらりと看護婦と看護士が待機していた。手に、さすまたやモップやデッキブラシを持って。腰は若干引けていたが、全員の目に悲愴なくらいの覚悟が宿っていた。
 幸いさすまたやモップやデッキブラシを向けられたのはテロリスト連中だけだったが、リゲイルたちも多大に恥をかくことになった。悟の信用も一時的に失墜している(一時的、と言うのは、彼なら後でいくらでも人を丸めこめ……もとい説得できるからだ)。
「あと手際の良さは、付け焼刃ながらもある程度訓練されていた。厳戒態勢が敷かれていたというのか……」
「やはりガスストーブで肉とイカを焼いたのがまずかったのでしょうか」
「いやいやいや、それ以前の問題じゃねえの。……つーか、あたしもフンイキに呑まれちまってた……なんてこった」
「で、俺たちどこにむかってるわけ?」
 太助の言葉に、全員が我に返った。一体我々はどこから来てどこへ行こうとしているのか。混乱のあまり哲学なことが頭をよぎる。ものすごい勢いで怒られたら、人間はそれなりにショックを受けるのだ。ショックを受けるとおかしくなるのだ。それが摂理だ。
「すぐ先の交差点を左に曲がり、500メートル歩けば、我らが本拠地です」
 すぐにガスマスクのひとりが地図を出して現在位置を確認した。ストラが頷く。どうやらストラがほぼ先頭に立って歩いていたので、あてもなく歩いていたつもりでも、無意識のうちに足が住まいに向いていたようだ。
「リーダー。拠点で飲み直しましょう。……あ、いや、訓練をしましょう」
「へえ、今はこの辺に住んでるの? 知らなかった」
 リゲイルはきょろきょろと辺りを見回した。
 ハーメルンはここダウンタウンの、老朽化のため使われなくなった公民館に住んでいた。すでに新しい公民館は完成していて、旧館は取り壊される予定だったが、悪役会が大人数のハーメルンのために押さえたのである。
「ねえ、遊びに行ってもいい? どんなところか見たいの」
「さして見所などないぞ。宿泊と炊事に最低限必要なものが揃っているだけだ」
 同年代の友人と会話しているノリで、リゲイルが無邪気に言うと、ストラは淡々とそう答えた。たぶん事実だろう。彼らがインテリアや家電にこだわるとは思えない。
「炊事……。そうだ。ブレイフマン、ボルシチなら食べられるかもって言ってたわ。キッチンがあるなら、そこで作って明日また持っていけばいいんじゃない? 今日あんなことしたから病室まで通してくれないかもだけど、いくらなんでもお見舞い品は届けてくれるはず!」
 ひらめいた美樹が手を叩くと、ガスマスクたちが戸惑ったように顔を見合わせた。
「ボルシチが食いたい? そんなこと言ってたか?」
「言ってたわよ。聞いてなかったの?」
「酒もはいってたし、あのお祭りさわぎじゃなー。俺もなにやってたかよくおぼえてねぇぞ」
「貴様はウォッカ飲んで火ィ吐いてたよ。あと腹芸だ」
「それ返してくれよ、タヌキ。自分のガスマスクだぞ」
「やだ。のる・にぇ」
「ボルシチか。確かに私は好きだ。……恐らく同志ブレイフマンも」
 ストラは無表情だったが、それは嘘でもなさそうだ。彼らハーメルンは、手の込んだ料理や日本料理より、典型的なロシア料理のほうが口に合うらしい。
 そしてストラが好む食べ物を、彼の同志たちが嫌がる可能性は低かった。どうもガスマスクたちとストラの感情は連動しているようだから。映画でモブにすぎなかったガスマスクたちは、個性や自意識が乏しいのだ。たぶん、ろくに設定されていなかったのだろう。モブにまで詳細な設定がある映画はまれである。
「じゃ、知り合いから手作りの料理もらったら、あんたは喜ぶか?」
「無論、深く感謝する。残すような非礼もできん」
「決まりだ! みんなで栄養まんてんのボルシチ作ってブレイフマンに食わせてやろうぜ。えーっ、と……ところでボルシチってどうやって作るんだ? レシピは?」
「オレ、知ってるよ。ホテルの厨房で教わったから」
 悟は太助に微笑みかけたが、すぐに、「でも」と考えこんだ。
「ボルシチには、ビーツが必要なんだ。あと、サワークリーム。この辺のお店で、売ってるかな……」
「珍しいものなの?」
「サワークリームはともかく、ビーツは日本じゃあまり食べられていないね。でも、ミッドタウンかビバリーヒルズの大きいスーパーならあるかもしれない」
「まるぎんにもあったんじゃない? どうして思いつかなかったんだろ、ボルシチ」
「ともかく、そのビーツを手に入れなきゃなんねーんだな。行こうぜ!」
 俄然やる気で、今度は太助が先頭に立った。思い出せるかぎりでもっとも大きな銀幕市内のスーパーへの道のりを思い出しながら、足早に先に進み始める。
「……?」
 地図を読んでいたガスマスクが最後尾に立ち、ふと、周囲を見回した。
「どうしたんだ?」
 その様子に気づいたのは、逢柝だった。今日はテンションの高い人々にのまれるきらいはあるものの、もともと巻き込まれて合流したこともあって、この面子の中ではかなり冷静なほうだ。
「いや、問題ない。恐らく気のせいだ」
「ちょっと待て。今の銀幕市じゃ『気のせい』はフラグなんだよ。なんか気になることがあるなら言ってくれ」
「……拠点から500メートル圏内なら、見覚えがあってしかるべきだろう。我々は毎日ランニングをしている。……あんな樹は、生えていなかったような気がするのだが――」
 ガスマスクは指さした。
 逢柝が示された方向に目を向けると、確かに、そこには、大きな樹があった。樹の後ろには、晴れわたった空があって……。
「……あ?」
 逢柝は目を細め、こらして、樹を見た。
 おかしな樹だ。ダウンタウンの住宅街の中にあっては、少々違和感を覚えるたたずまい。逢柝の今の住まいは郊外にあるので、この一帯の地理にはあまり明るくないが――あの樹は、この一帯どころか、杵間山でも見たことがない。
 ひらひらひらっ、と。
 逢柝とガスマスクのひとりが見つめる中、青い空に、ピンクと銀色に輝く光が、きめ細やかな粉のように、広がった。その光は、謎の樹の枝葉のあいだから、スギの花粉のように生まれ出てきたようで――。
「あー、みんな。ちょっと待っ――」
 逢柝が少し大きな声を出して、全員が足をとめようとした。振り返ろうとした。そのときだ。
 ちいさな女の子たちが、くすくす笑うのが聞こえた。




「うー……ん……。……んッ?」
 がさッ。
 太助は、目を覚ました。
 深い深い、森の中で。
 まわりには、日本では見かけない類の木々が生えていて、草花が生い茂っていた。ひらひらと音もなく、無数のチョウが飛んでいる。このチョウもまた、太助が見たこともないものばかりだった。
「あ、……あれ? なんだあ? 町……歩いてたよなあ?」
 タヌキである彼にとって、野山は落ち着ける環境だったが、今はそうも言っていられない。異常事態、緊急事態だ。リゲイルたちや、ハーメルンの姿が見当たらない。
「おーい! おーい、みんな! み、ん――」
 呼びかけながら少し進んだところで、太助は、切り株に腰かける人影を見つけた。
 少年だ。プラチナブロンドの短髪に、真っ白い肌。森の中にいるというのに、ぱりっとした白ブラウスと、黒いサスペンダーつきの半ズボンを履いている。彼は、燃え尽きたボクサーのような姿勢で、途方に暮れているようだった。
「ぽよんす。どしたんだ、迷子……」
 どしたんだ、迷子か。俺も迷子なんだ。
 そう話しかけるつもりで少年に近づいた太助は、彼の顔を見るなり絶句した。
 なんとなくわかったのだ。
 なんとなく面影があるような気がした。いや、冷静に思い返してみるとまったく別人のようなのだが、少年は目の覚めるようなアイスブルーの目をしていて――。
「タヌキか。じょうきょうがはあくできない。いや、わかってはいるのだがしんじたくないのだ。およそしんじがたいことだ。た……、たばこをもっていないか?」
「す、す、す、す……」
 あとに続く文字はわずか2文字なのだが、ものすごく恐ろしくて、太助はそれ以上言えずに腰を抜かしていた。
 程なくして、近くの草むらから、女の子の悲鳴が3つばかり聞こえてきた。


 およそしんじがたいことだが、太助を除いた全員が子供になってしまっていた。太助はもともと子供なので影響を受けなかったのだろう。
 リゲイルはもっとも幼くなってしまったようだ。赤毛は長く、腰のあたりまで伸びている。最初は状況を整理して考えようとしていたが、やがてチョウや花に気を取られ始めてきた。
 美樹と悟は同年代で、幼稚園の年長組か、小学校低学年といった様相だ。悟は自分たちが置かれている状況の分析に熱心で、目をきらきらさせながら周囲を観察している。美樹は……何やら顔を真っ赤にしてもじもじしているようだ……。ちらちら視線を送る先は、切り株に座っている少年である。
「うぁー! くそー! どーゆーことだよぉお!」
 逢柝は口調こそ須哉逢柝のものだったが、その見た目も声も、誰が見ても女の子としか思えないものになっていた。服もスカートだったし、髪も長い。彼女は昔はちゃんと彼女だったのだ(失礼です)。
 しかし一同の中でもっとも様変わりしてしまったのは彼だろう。究極だった。黒づくめで筋肉質で長身な40代のテロリストが、紅顔の美少年になってしまっていた。
「なんということだ……」
「そんなにテンション下がることねーじゃんか」
「すんごくかわいーい」
「えにかいたようなびしょうねんだな」
「たしかにえいがにはかいそうシーンがあったが、このすがたのでばんなど3ぷんもなかったぞ。あくむだ。あきらかにきんりょくがていかした」
「し、しゃしんとりたーい」
「きょひする!」
 顔を赤くしながらやっとのことで近づいた美樹(幼)を、ほぼ脊髄反射でストラ(幼)が突っぱねた。美樹の小さな身体が、軽く飛び上がった。ついでに、そばで花を摘んでいたリゲイルもびっくりして顔を上げた。
「ど……」
 じわ、と美樹の目に涙が浮かぶ。
「どなんなくっ、たっ、てっ……」
「あーあ泣かした。なーかしたー」
「……たんてい! きさまはこのじょうきょうをどうかいしゃくする?」
「まだぜんぜんよくわかんないです!」
 太助の非難をかわそうとしたストラだったが、悟(幼)の力いっぱいの返事に、がっくり肩を落とした。
「でも、すいそくのはんいでこたえていいなら」
 悟はにっこり笑って小首を傾げた。
「まあ、ムービーハザードですよね。子どもむけの、ファンタジーえいがじゃないでしょうか。リゲイルさん、ちょっとごめんね。うごかないで」
「う?」
 悟はきょとんとしているリゲイルに、そうっとそうっと近づいた。そして、すばやく、リゲイルの頭のてっぺんにとまっていたチョウを捕まえた。
「これ、見てください。はねはアメで、どうたいはクッキーでできてます。足はスプレーチョコ」
「へーっ、お菓子のチョウチョかー!」
「これなんかすげーぞ、はねがナッツだ!」
 逢柝が捕まえて誇らしげに見せたのは、丸い甲虫だった。クワガタのメスなのかカナブンなのかはっきりしないが、ともかく、そのずんぐりした虫は、チョコレートの胴体にナッツの鞘羽でできている。
「太助くんは言うまでもないけど、オレとストラさんと逢柝さんは、ちのうやせいかくがもとのねんれいのままいじされているようです。このそういがきょうみぶかいですね」
「おとこにはえいきょうがなかったのではないか?」
「おーい、あたしもいちおうおんななんだけどー」
「だんだんちのうがていかしていくかのうせいもひていできません。そうなってしまったら、だっしゅつこんなんになります。いそいでだかいさくを見つけましょう」
「むしかよ!」
「俺はこのままかわんない気もするなー。おっ、そしたら、俺がだれよりも年上っつー夢のようなシチュエーションがじつげんするってわけだ! 安心しろ、俺がせきにんもってめんどう見てやる」
「きょひする! タヌキにいんそつされるなどくつじょくだ」
「おまえ……」
 太助がストラを睨んだそのとき、彼らの後ろで、耳をつんざくような金切り声が響いた。リゲイルと美樹だ。太助たちは驚いて振り返ったが、ふたりの女の子が上げた声は、悲鳴ではなく歓声だったようだ。
「あっちすごい! みてみてみて!」
「おかしのおうちだぁ! すごーい! リガちゃん、いってみようよっ」
「いこいこいこ!」
 太助たちもよく目をこらせば、確かに、木々の間にキツネ色の建物が見えた。ついさっきまではなかったような気がするのだが。しかし、それより何より、お菓子の家ときたら『ヘンゼルとグレーテル』ではないか。お菓子の家は子供をおびき寄せるための罠であり、そこには、邪悪な魔女が住んでいる。
「お、おい! おまえら、ちょっとまてー!」
 太助の制止には耳も貸さず、リゲイルと美樹は手をつないで、お菓子の家めがけて猛ダッシュしていた。心は子供になってしまったとはいえ、『ヘンゼルとグレーテル』の話をすっぽり忘れてしまったわけではないが、目の前にお菓子があったら、特効せずにいられるか。ふたりは女の子なのだ。女の子は砂糖とスパイスとすてきなものでできている。なぜ子供たちは突っ走るのか? それはそこにお菓子があるから。
「すごーい! おっきいおうち!」
「いいにおーい! おいしそう!」
 お菓子の家の前に立ってみると、(子供だから何でも大きく見えるという理屈は抜きにして)それは意外と大きなログハウス風の建物であるということがわかった。ドアは板チョコ、窓ガラスはだいだい色がかった薄い飴。壁は短く輪切りにする前のバームクーヘンを組んで作られていて、屋根にはビスケットが葺かれている。そして家全体に、ジェリービーンズやアラザンが散りばめられていて、きらきら光っているのだった。
 まわりを飛んでいる虫も、みんなお菓子でできている。お菓子がお菓子に群がるはずもない。お菓子の家には、1匹のアリもくっついていなかった。
「ようこそ。来てくれたのね」
 ぽかんと口を開けて家を見ていたリゲイルと美樹の前に、突然、はちみつ色とさくら色の妖精がふたり現れた。リゲイルと美樹が上げた声は、またしても、歓声が混じった悲鳴だった。
「ようせいさん!?」
「そうよ。わたしはマディ」
「わたしはミディ」
「ここお菓子工房で、世界中のお菓子を作っているの」
 双子の妖精は、子供になってしまったリゲイルたちよりもさらに小さい。きらきらと不思議な色の光を放ちながら、半透明のチョウの翅で羽ばたいて、ふわふわ空中に浮かんでいる。
 妖精もまた子供だったけれど、どこか大人びた雰囲気があった。にこにこと嬉しそうに微笑んで、妖精たちは、リゲイルと美樹の後ろに目をやる。
「みんな揃ったかしら?」
 太助、ストラ、逢柝、悟。残りの4人も、息せき切って駆けつけてきたのだ。
「きさまら、なんのもくてきがあって――」
「まあまあストラさん、ここでケンカになってもおそらくかちめはないです。おんびんに。――オレたちをこの世界によびよせたのは、ようせいさんですよね。どうしてオレたちを?」
「かしこい子がいてくれると助かるわ。実はね、お菓子作りを手伝ってほしいの」
「お手伝いの小人やネズミが、なぜかひとりもいないのよ。困ってしまって」
「実体化しなかったのか。スノウマンといっしょだな……」
「……じったいか? 何のこと?」
 太助の呟きを聞いて、妖精たちは困惑気味に顔を見合わせた。
 どうやらこのふたりは、ここが銀幕市であることも、自分たちがどんな存在であるかもわかっていないようだ。まだ実体化して間もないのだろう。
「森の入口を横切ったあなたたち、心の中が『おいしいものを作ろう』って気持ちでいっぱいだったわ。だから、きっと手伝ってくれると思ったの」
「ごめんね。いやなら帰してあげるわ。でも、今日のノルマを達成できたら、あとは好きなだけ作って食べていいから」
「「ほんとう!?」」
 リゲイルと美樹が目を輝かせた。その反応で、もとの年齢の知能が残っている4人は、いさぎよくあきらめた。お菓子作りを手伝うしかなさそうだと。
 妖精たちは、嬉しそうに笑った。
「あ……、でも、ふとっちゃうな。わたし、ダイエットちゅうなの」
「大丈夫!」
「わたしたちのお菓子は、魔法の砂糖でできてるの。いくら食べても太らないのよ」
「うっそぉ」
「ゆめみたい」
「魔法だもの。どんな夢も現実にできるわ」
「さ、みんな入って!」
 板チョコのドアが、ひとりでに開いた。
 家の中からは、香ばしくて甘い匂いが、ひと息にあふれ出してきた。




 お菓子の家の中は、ほとんどキッチンだけだった。シンクや棚、オーブン、かまど、ボウルや泡立て器といった設備や道具は、少なくともお菓子ではない。小麦粉や砂糖が詰まった麻袋が部屋の隅に山と積まれていた。
「あー、わるいんだけどさ」
 逢柝がぼりぼり頭をかきながら、妖精たちに戸惑いを見せた。
「あたし、おかしなんていっぺんもつくったことないんだよ」
「むろんわたしもだ」
「レシピをあげるわ。その通りに作れば大丈夫よ」
「でも、自信がないなら、簡単なのがいいわね」
「はちみつクッキーなんて、どうかしら?」
 妖精が、くるんと宙返りした。
 ぽふっ、と金の光を振りまきながら、空中に羊皮紙のレシピが現れる。リゲイルが無邪気に喜びながら、レシピを受け止めた。
「クッキーか。オレも作り方しってるから、みんなにおしえられるよ」
「さとりんって何でもできんだな!」
「で、なんこつくればいいんだ?」
「1000個よ」
「そう、1000個」
 妖精たちの笑みに、若干ばつの悪そうな色があったようだ。子供たちは絶句した。


★ようせいのはちみつクッキーのつくりかた★

 1、バターをどっさりボウルに入れて、ねりねりします。
 2、バターにたくさんの砂糖とひとつまみの塩を加えて、もっとねりねりします。
 3、卵の黄身とはちみつを入れて、さらにねりねりします。
 4、小麦粉を入れて、木べらでまぜます。ここでは、ねりねりしすぎないこと!
 5、丸めて1時間寝かせるんだけど、ここは魔法でさくっと短縮しちゃいます。
 6、できた生地をたいらに伸ばして、型抜きします。
 7、オーブンに入れて焼きます。
 8、できあがり! ね、とってもかんたんでしょ!


 オーブンは、魔法のオーブンだった。型抜きしたクッキーの生地を入れると、およそ五秒で焼き上がる。焼きすぎることも焼きが甘すぎることもない。どのクッキーも、ほっかほかのさっくさく!
 リゲイルは大喜びで型抜きした。星、花、ハート、小鳥、動物――銀色のクッキー型にはびっくりするくらいたくさんの種類があったけれど、星のかたちのクッキーがやたらと多かった。
 第一ねりねりは太助、第二ねりねりは逢柝、第三ねりねりはストラが担当。第四工程にだけ、おいしく作るにはコツがいるが、悟が難なく妖精基準をクリアした。型抜きした生地を並べてオーブンに入れ、取り出すのは美樹の仕事。もちろん時間短縮の魔法は妖精たちしか使えない。彼女たちはある程度の数が集まったらまとめて生地に魔法をかけた。さすがは作業効率が高く、魔法の合間に、ふたりはふたりでジンジャーマンクッキーを作っていた。
 役割を分担した流れ作業と魔法の力で、はちみつクッキーはどんどん出来上がっていった。
「おほしさまー。おほしさまー。つぎ、ことりさーん。うふふ、はとサブレみたい!」
「あっ、つまみぐいしちゃダメだー! さぎょうがそのぶんおくれるだろ」
「ど、どなんなくったって……」
「あーあ泣かした」
「そこ、てをやすめるな」
「なによ、えらそーに!」
「まあまあ」
「ねーりねりねりー。ねーりねりねりー。おいしくなーれー」
「あとちょっとよ、みんな。ちゃんとおいしくできてるわ。がんばって!」
「疲れた? リンゴとプラムのジュースあげるわ。ひと休みしながらでいいのよ」
 1000個がノルマと聞いたときにはどうしたものかと思ったが、魔法のオーブンと子供のエネルギーがあれば、やがて終わりが見えてきた。生地を練る手が疲れてしびれて、赤くなってきても、子供たちはせっせとクッキー作りにいそしんだ。どこからともなく妖精たちが持ってくる果物ジュースは、一口飲んだだけで笑顔になるほどおいしかった。香ばしくて甘い香りにがまんできなくて、こっそりつまむはちみつクッキーやジンジャーマンも、やはり幸せの味そのものだ。
「これで最後ね。焼き上がったら、今日の仕事はおしまいよ」
「やったあ!」
 小麦粉だらけになった顔を見合わせて、子供たちは笑った。妖精が最後の生地をオーブンの中に入れる。魔法のオーブンはきっかり五秒後、ちーんと鳴って焼き上がりを知らせた。
「でっきあっがりー!」
「しゅーーーりょーーー!」
「みんなありがとう! キッチン、自由に使っていいわよ。今すぐ帰りたいなら、帰してあげる」
「ようせい。しつもんがある」
 1000個のクッキーを見てリゲイルと美樹が大喜びする中、ストラはむっつりと仏頂面で妖精に尋ねた。
「ババはつくれるか?」
「ババ? あ、サバランのことね」
「わー、リガ、ババだーいすき!」
「あら、どっちかって言ったら大人のお菓子なのに、珍しいわね」
「おかしか? どんな?」
「ラム酒とかコアントローでひたひたにしたケーキよ。ぼく、好きなの?」
「『ぼく』ではない、ケイ・シー・ストラだ。……どうしとやくそくした」
「あ……」
 ストラの一言に、悟が一瞬言葉に詰まった。
 作戦が終わったら、ババなどたらふく食わせてやる。
 年の暮れのあの作戦前に、ストラは確かに、ガスマスクたちに向かってそう言っていた。スラヴ由来の、酒の味のするケーキ――。子供よりは大人が好む味とはいえ、あれもお菓子には違いない。
「だが、いまだにやくそくをはたせていないのだ。さがしてみても、どこにもうっていなかった。ならばつくるしかないのだろうが……わたしは、つくりかたをしらない」
「わたしたちに作れないお菓子なんかないわ。あなたたちに、お礼もしなきゃね。作ってあげる」
「リガもつくりたーい!」
「みきも! みきもぉ! ブレイフマンにつくってあげるの」
「そう。じゃ、みんなで作りましょ」
 1000個のクッキーも、みんなで作ればあっと言う間だった。日本では珍しいお菓子も、きっとすぐに作れるはずだ。
 しかし、自ら手伝いに名乗り出てから、美樹ははたと立ち止まり、身体を奮わせた。
「ブレイフ……マン? ブレイフマン……、ヘンだわ、どうしていままでわすれてたんだろう! わたし、ブレイフマンのおみまいがしたかったのよ」
「気にしなくてもだいじょうぶですよ、にかいどうさん。もっていくものが、ボルシチからババにかわるだけです」
「あ!」
 太助も、急に大声を上げた。
 腹が軽くなっていることに、ようやく気づいたのだ。おなかにガスマスクを装着していたはずなのに、なくなっている。それに何より……、ガスマスクだ。ハーメルンの、ストラ以外のテロリストの姿がない。
「そうだ。あれ、あいつ……コウヤもいない!」
 逢柝も、思い出した。バッキーだ。彼女が飼っているバッキーがどこにもいない。そもそも、リゲイルにも、美樹にも、悟にも、それぞれバッキーがついていたはずなのに。
「ババのつくりかたよりもさきに、たずねるべきことがあったようだな」
 ストラが、子供とは思えない冷たい眼差しで、双子の妖精を睨みつけた。


「ぎんちゃん!」
「ユウジ!」
「ぅわああああ、リーダーぁぁああああ!」
「出してくれー! ここから出してくれー!」
 妖精たちがしぶしぶ一行を連れてきたのは、お菓子工房の地下だった。この様子を見ると、彼らはだいぶ前から大騒ぎしていたのだろうが、お菓子作りに夢中になっていたせいか、子供たちはまったくその声に気づかなかった。
 ハーメルンは子供にもならず、ガスマスクに黒づくめの格好で、牢屋の中に閉じこめられていた。銃もナイフも取り上げられているようだ。彼らの足元には、気絶してひっくり返っているバッキーが4匹。銀ちゃん、ユウジ、神夜、そしてファントムだ。1匹でも目を覚ましたら、鉄格子を食べるなりして脱出できただろうが、リーダーを失ったテロリストたちはすっかり恐慌状態に陥っていた。
「わめくな、ばかども! おちつけ。わたしはここだ」
「は!?」
「リーダー!?」
「り、リーダーが子供に!?」
「フーーー」
「ああっ、エミールが気絶したぞー!」
「――」
 ストラは頭を抱えた。悟は顎を撫で、相変わらず冷静に状況を分析する。
「きんりょくだけでなく、とうそつりょくもていかしているようですね。……でも、ふしぎだ。かれらはおとなのままだ」
「ここは魔法の森よ。どんな力持ちな大人も子供になって、だれにも危害を加えられなくなるの」
「でも、この人たちは、子供にならなかった。こんな大人は、初めてよ」
「あのかわいい色のバクは、わたしたちやこの工房を食べようとしたわ。それで……大人も、あのバクも、危ないものだと思ったから……」
「そんなぁ! ぎんちゃんはいいこだよ、いきなりたべたりなんかしないよ。かえして!」
「もちろん、ちゃんと返してあげるつもりだったわ。人質に取ろうとしたわけじゃないの」
「わたしたち、お菓子を作りたかったのよ。子供たちが喜ぶお菓子を」
 妖精たちは必死で弁解していた。
 彼女たちは、このことを黙っていただけだ。きっと、言い分は嘘ではない。妖精たちは、ここが銀幕市であるということを知らないのだ。魔法が効かない相手や、何でも食べてしまう動物が現れたら、自衛して当然だろう。
 ストラはため息をついた。
「どうしには、おさないころのせっていがないのだ。だから、こどもにはならなかった」
「……設定?」
「きいてくれ。あのバクのこともひっくるめて、このせかいのこと……おしえてやるから」
 逢柝が真顔で歩み寄ると、ふたりの妖精は戸惑い、顔を見合わせていた。




 ダウンタウンの住宅街にそびえる不思議な『樹』は、妖精たちが言うところの『森の入口』だった。砂糖とメープルシロップの匂いとともに、リゲイルたちは、戻ってきた。
 双子の妖精も一緒だ。手をつなぎ、不安そうな面持ちで、銀幕市の町並みを眺めている。
「見たこともないわ、こんな町。本当に、わたしたちが知ってる世界とはべつの世界なのね」
 彼女たちは、銀幕市の話を聞いて、理解してくれた。お菓子工房のある森を出るまでは、すべてを信用したわけではなさそうだったが――これで、納得してくれただろう。
「じゃあ、わたしたちがお菓子を作っても、意味がなかったの?」
「そんなことないよ! こっちの世界の子供も……ううん、大人だって。お菓子が好きな人はたくさんいるわ。妖精さんたちのクッキー、すごくおいしかったもの。作ってくれたら、みんな喜ぶよ」
「そう? みんなが笑って、喜んでくれるなら、これからも作りつづけるわ」
「また、お手伝いに行ってもいい?」
「もちろんよ」
 おみやげとおわびのクッキーを抱えたリゲイルと妖精は、顔いっぱいで笑った。
 その後ろでは、仏頂面のストラがぺたぺた自分の顔や身体を撫でている。紅顔のロシア美少年はどこかに消えてしまった。そこに立っているのは、物騒なライフルを背負い、今まで何百人も殺してきたっぽい人相のテロリストだ(演じた俳優さんに失礼です)。美樹はその横で、ストラをしげしげと見つめてから嘆息した。
「あんなにかわいかったのが、こんなになっちゃうなんて……」
「親のような言い種はよせ。……ああ、やはりこの姿が落ち着く」
「『静寂の要塞』のパンフ取り寄せてみようかしら。回想シーンのスチルが載ってるかも!」
「やめろ、それをどうするつもりだ!」
「いいじゃない、切抜きくらい!」
「拒否する!」
「まあまあ。そんなに振り回したら、ババが崩れちゃいますよ」
 悟のやんわりとした制止で、美樹がはたと止まった。しっかりババを作ってから工房をあとにしたのだ――完成したババはちゃんと、かわいい茶色の箱に入れて、美樹が抱えている。
 ストラと同じく、自分の身体がすっかりもとの17歳に戻ったことに安心して、逢柝がぐるりと肩をまわした。
「やーれやれ。お菓子作りって、空手とは違うとこの筋肉使うんだな。腕いてーよ。――あ! 晩飯の支度、買い出しからやり直しなんだった。あーくそ」
「お、男にもどってる……」
「だからあたしは一応ずーっと女なの。性転換まではしてないったら。……でも、なんであたしは、心まで子供に戻らなかったんだろ」
「おとめ心が欠けてるからじゃないの?」
「た、タヌ吉てめぇ、そりゃさすがに失礼だろ」
「タヌ吉じゃねって! それにおんなあつかいしなくても気にしないって言ってたじゃなイデデデデデ!」
 ぷにぷにのほっぺたをつねられて、太助はじたばたもがいた。森の中では彼が年長組だったのに、今ではこの有り様だ。
「じゃあ……明日、私、これを持って病院に行くわ」
「私も行こう。……今度は静粛にすると病院側に説明する」
「いやマジで騒ぐなよ、あんたら」
「ボルシチは、また今度ですね」
「わたしも、料理のレパートリー増やさなくっちゃ。またみんなで集まって、そのときボルシチ作ろうよ」
 すっかり、夕焼けだった。
 世間は夕食の準備を始めるだろう。今から当初の予定を遂行することもできたが、みんながみんな、疲れていた。病院を追い出されるほどの大騒ぎをしたあとに、子供になって、1000個のクッキー作り。あまりにも濃すぎる一日だった。
 妖精たちは、これから市役所に行かなければならない。リゲイルが、彼女たちを案内することに決めた。
「それじゃ、また」
「またね」
「じゃーなー」
「今日はありがとうございました」
「……ダズヴィダーニャ」
「そんじゃな」
 みんなが、ぱらぱらと銀幕市じゅうに散らばっていく。
 どこにでも転がっている、銀幕市の夕暮れの光景――。
 ラム酒のいろになって、溶けていく――。




 ベッドの上でババを食べながら、ブレイフマンは、昨日そんな夢を見たとストラに語った。話を聞いている間、ストラは妙にかたい表情だった。まるで悲惨な戦争の実話を聞いているかのように。
「子供になったリーダーは、高く売れそうな感じでしたよ。相当な器量でした」
「……」
「あ、あと……」
「なんだ」
「……威勢のいい女も、けっこういいかもしれませんね」
 ストラはそのとき、ブレイフマンの笑顔を、久しぶりに見た気がした。




〈了〉

クリエイターコメント後半、なんというひらがなの多さ。口調や二人称が変わっているPCさんもいますが、子供なので大目に見てあげてください。
クッキーは簡単だと言う話ですが、料理がフィクションのキャラ並みに下手な諸口は、クッキーを作ろうとして焦がしました。ケーキはふくらまなかった。だからもうお菓子も作らないことにした。

プライベートノベルご予約、ありがとうございました。3月中にお届けしたかったのですが、こんな時期になってしまい、自分の力不足を痛感しています。
楽しんでいただけたら幸いです。
公開日時2009-04-30(木) 19:20
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