★ 悲劇の雫と見せかけて ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-6305 オファー日2009-01-11(日) 19:39
オファーPC 刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
ゲストPC1 来栖 香介(cvrz6094) ムービーファン 男 21歳 音楽家
ゲストPC2 片山 瑠意(cfzb9537) ムービーファン 男 26歳 歌手/俳優
ゲストPC3 吾妻 宗主(cvsn1152) ムービーファン 男 28歳 美大生
ゲストPC4 リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
ゲストPC5 ミケランジェロ(cuez2834) ムービースター 男 29歳 掃除屋
ゲストPC6 浅間 縁(czdc6711) ムービーファン 女 18歳 高校生
ゲストPC7 クラスメイトP(ctdm8392) ムービースター 男 19歳 逃げ惑う人々
ゲストPC8 スルト・レイゼン(cxxb2109) ムービースター 男 20歳 呪い子
ゲストPC9 理月(cazh7597) ムービースター 男 32歳 傭兵
ゲストPC10 十狼(cemp1875) ムービースター 男 30歳 刀冴の守役、戦闘狂
<ノベル>

 1.邪神プレーステール

 凜と空気の透き通った、気持ちのいい冬の早朝である。
 杵間山中腹に座する古民家には、いつもの面々が集まっていて、素朴だが心尽くしの朝食を味わっていた。
「瑠意(るい)、飯お代わりは? 何乗っけて食う?」
「要ります! えーと、じゃあ、玉子ご飯にしようかな!」
「判った、玉子は自分で好きなの取って来てくれ、厨に置いてあるから。……リゲイル、とりあえず飯は起きて食え、ああほら、髪の毛が汁に浸かってるって」
「んー、むー、ふあーい」
「……駄目だな、もう少しそっとしとくか。で、ミケ……じゃなかったタマ、」
「逆だッ!」
「味噌汁のお代わり要るか?」
「ってスルーかよ!? ……いや、まぁ、んじゃもう一杯もらう。この豆腐、味が濃くていいな」
「そりゃ、無農薬の大豆を使って作ってあるからな。スルト、何か足りねぇもんはあるか?」
「いや、大丈夫だ、美味しくいただいている」
「そうか、ならいいんだが。……理月(あかつき)。恵森(メモリ)に目尻下げっ放しなのもいいが、飯が冷めるだろ、早く食え」
「あ、うん、ごめん、だってあんまり可愛いからさ、つい……」
 賑やかな、いつも通りの朝食風景だった。
 少し違うことといえば、刀冴が弟のように可愛がっている修羅の青年の代わりに、彼の親友である堕ちた神がいること、くらいだ。
 修羅の青年は、昨晩までここに滞在していたのだが、鉄塊都市から赤ん坊の様子を見に来てくれと最古の廃鬼師が誘いに来たもので、ミケランジェロにすぐ戻って来るからここでゆっくりするよう言い置いて出かけて行ってしまったのだ。
 ミケランジェロは、自分ひとりでここへ取り残されるなど猛獣の檻にほどよく脂の乗った肉の塊を投げ込むようなものだと大層ごねたのだが、どうにも修羅の青年に弱いこの堕ちた神は、念を押すような彼の言葉に言い返せず、そのまま唯々諾々と一晩を過ごしてしまったのだった。
 爽やかなのに腹黒な片山瑠意、総天然色のリゲイル・ジブリール、基本はボケのスルト・レイゼンに完全にボケではなくてもツッコミには到底回れない“オーディエンス”理月、愉快犯ドSの十狼(じゅうろう)とゴーイングマイウェイの権化、刀冴。
 自分がもっとも苦手とするタイプの人々が集まるこの空間に、修羅の青年が立ち去ってしばらくの間、親に捨てられた子どものような顔をしていたミケランジェロは、たかだか一晩で六人に振り回され、正直、ぐったりしている。
「あー……豆腐美味ぇ……」
 味の濃い、豆の旨味が凝縮した豆腐の味わいに逃避してしみじみと呟くミケランジェロ。
 刀冴がそりゃよかったと笑い、厨から熱い茶を入れて戻った十狼を労って彼が携えた盆を受け取った。
 その時、大きな爆発音がした。
 どおん、というか、ごおん、というか、とにかく大きな音だ。
 山の頂に向かって、理月の愛犬、恵森が盛んに吼えている。
 刀冴と十狼が同時に立ち上がった。
「……お前は残れ、こっちに何かあったときのために」
「しかし……若、おひとりでは」
「じゃあ俺がついて行く!」
 腰に『白竜王』を佩きながら理月がいい、ツイと流した銀色の視線にミケランジェロを捕らえた。嫌な予感がして思わず目を逸らしたミケランジェロの耳を、
「タマも行くってさ、刀冴さん」
 理不尽以外のなにものでもない台詞が打つ。
「ちょ、待て、俺はタマじゃねェし一緒に行くとは、」
「よし、まぁ三人いりゃあなんとでもなるだろ。行くぞ、理月、ミケ!」
 言って、刀冴が大股に玄関へ向かう。
 その背後を理月が追った。
「人の話を……!」
 口をパクパクと開閉するしかなかったミケランジェロだったが、しかし、タマではなくちゃんとミケと呼ばれてしまったのもあって、反射的に立ち上がっていた彼は、癖のある銀髪をガシガシと掻き回し、盛大に溜め息をついて玄関へと向かった。
「あー……何でこんな目に……」
 ぼやきつつも歩みが止まらないのも、実はお人好しなミケランジェロの性質ゆえだろう。無論、途中で愛用のモップを手にするのも忘れない。
「……遅ぇぞ、タマ」
「だから、タマじゃ……」
 疲労感に圧し掛かられつつ言うものの、刀冴に反省の様子はない。
 一瞬泣きたい気分にすらなった――堕ちたとはいえ神をここまで切ない気分にさせるのだから、さすがは天敵である――ミケランジェロだったが、無言のまま刀冴が走り出したので、唇を引き結んで彼の後を追った。
 隣では、理月が、少年のように邪気のない、嬉しそうな眼差しで刀冴の背中を見つめている。
「……妙な気配だ」
 しばらく無言で、互いの息遣いのみを感じながら走り、頂上まであと十分二十分、と言った辺りまで近づいたところで、刀冴がぽつりと呟いた。
 同じことを感じていたミケランジェロ、理月も小さく頷く。
「悪意? 邪気? 違うな……もっと重々しくて、ねっとりしてるっつーか」
「んー……あんまり経験したことのねぇ感覚だなぁ、これ。気持ちいいもんでもねぇけど」
「そうだな……少なくとも清浄な気じゃあねぇ。ふん……なんか不穏な奴がいる、ってことか……?」
「まぁ、さっきの爆発音からして、不穏だったしな」
「はッ、巧いこと言うじゃねぇか、タマ」
「タマじゃねぇ!」
 いちいち律儀に反応して訂正するミケランジェロだが、そのツッコミが刀冴にも理月にもまったく通じていないのは明白で、俺もう嫌んなった、などと肩を落としつつ、やたら健脚な青い将軍と漆黒の傭兵に追い縋った彼は、
「――……いた」
 しばらく走ったところで、刀冴が唐突に立ち止まったので、その広い背中に追突しそうになった。
「ンだよ、」
 言いかけて口を噤むミケランジェロ。
 ――刀冴の、澄み渡った青空のような視線の先に、得体の知れない何かを見い出したからだ。
 ぱきぱきぱきぱき、と、卵の殻が割れて砕けるような音がする。
 否、事実、谷間の清流の真ん中で、人間がひとり楽々入れそうな大きさの『卵』があって、それが少しずつ少しずつ砕けて割れていくのが見えるのだ。
 そして、割れた『卵』の殻の中に、鱗と羽毛で覆われた、角を持つ何かの姿が見えるのだ。
「……なんだ、ありゃァ」
「さァな。まぁ……少なくとも、友好的に話が出来る気はしねぇな」
「あんたと意見が揃うってのは癪だが、俺も同感だ」
「え、なんで癪なんだ、タマ? 刀冴さんのこと、嫌いなのか?」
「……へェ?」
「バッ、理月、なんでそういうとこにだけ合いの手を入れる……!」
 決して感情の機微に聡いわけではないくせに、何故かミケランジェロに都合の悪い部分で素晴らしいツッコミを放つ理月に、刀冴が胡乱な笑みを向け、ミケランジェロが背中にびっしり脂汗をかいた、その時だった。

 ぴしっ、ぱきん!

 『卵』の殻が完全に割れて砕け、中のなにものかが姿を現した。
 びゅう、と、生温かい風が吹き、谷底のか細い草を揺らす。

 カタカタカタカタ。

 割れて落ちた殻が、風に吹かれて鳴いている。
『おお……なんとも、清々しい場所だ』
 猛禽の後脚を思わせる下肢ですっくと立ち、『それ』はゆっくりと呼気を吐き出した。
 笑みを見せた端正な口元から、虎のような鋭い牙が覗く。
 頭の天辺に漆黒の角が一本、身体のあちこちに赤い鱗と羽毛のある肌は赤銅、背には、ボロ布を貼り付けた傘のような、歪な赤い翼。
 『それ』は、ところどころに猛禽や獣の形状を備えながら、決定的にはヒトのかたちをした、異形にして美麗なる男の姿を持っていた。
『見たことのない場所だが……彼奴(きゃつ)も……ここに、来ておるのか』
 漏れる声は嬉しげで、いっそ無垢ですらあった。
 だが、
『ならば……斃さねば。粉々に叩き潰し、彼奴の血で大地を染めねば』
 その喜悦は、無垢でありながら、邪悪だった。
 彼の放つ気配、瘴気とでも称すべきそれと同じく、善に属するものではあり得なかった。
「……」
 刀冴の眉間に皺が寄る。
 理月も、ミケランジェロも胡乱な何かを感じ取り、厳しい表情のまま、無言で男を見つめている。彼らの存在には気づいていたのだろう、その三人へ、彼は、瞳孔の縦に切れた朱金の双眸を向け、
『そこなものども』
 傲然と――しかし同時に親しげに――声をかけた。
 三人の間をぴりりとした緊張が走る。
『そう固まるな、彼奴でもあるまいし、取って食いはせぬ』
「だが……てめぇは碌でもねぇことを考えてる。そんで、てめぇのその『碌でもねぇこと』は、色んな奴らを巻き込む。これは……予感じゃねぇ、確信だ」
『ふむ……碌でもねぇこと、とは何だ?』
 男は小さく首をかしげ、その後すぐに三人には興味を失った様子で空を見上げた。
『感じるぞ……レクヴィエム、貴様の存在を』
 にやり、と笑った彼の全身を赤が覆う。
 それと同時に、男の全身が大きく隆起し、かたちを変えていく。
 ――背の翼が大きくはためいた。
 飛ぶ気だ。
「待て、」
 彼が何をするにせよ、彼が斃したいと言った誰かにしか興味がないにせよ、男の身じろぎひとつひとつに、周囲のものを巻き添えにする破壊のエネルギーを感じる。
 刀冴が咄嗟に、全長十メートルにまで巨大化し、竜と蛾と魚を混ぜ合わせたかのような、翼ある何かに変化した男の元へ走り寄ったのは当然とも言えたが、しかし、
「……ッ!?」
 更に膨張し巨大化したそれの、やわらかくしなる鞭のような翼の羽ばたきに引っ掛けられて巻き込まれ、彼とともに空を飛ぶ羽目になると、刀冴は予想していただろうか。
 ――無論、勇猛の塊のようなあの男は、それを恐れはしないだろうが。
「刀冴さん……ッ!?」
 爆風を巻き起こしながら飛び上がり、凄まじい速度で杵間山から去っていく『竜』を見上げ、理月が名を呼ぶが、答えは返らなかった。ただ、激しい風が、理月の髪や、ミケランジェロのつなぎを揺らしただけだ。
「ど……」
 あっという間に豆粒のような点になってしまった『竜』を呆然と見上げ、理月がつぶやく。
「ど?」
「どうしよう、助けに行かねぇと……!」
「あー……うん、そうだなァ」
 この世の終わりのような顔をしている理月とは対照的に、ミケランジェロは、不可抗力とは言えあっさり掻っ攫われてしまった天敵のことを、いっそこのままいなくなってくれた方が(主に自分の身辺が)平和になるんじゃないか、などと薄情なことを考えていたのだが、
「あー……いや、でも昇太郎が寂しがるしな」
 それを、かなり間違った方向性の思考により軌道修正していた。
「……ミケ、もしかして今、刀冴さんがこのまま帰ってこねぇ方がいいとか考えてなかったか」
 そんなミケランジェロに、不審そうな眼差しの理月が鋭い指摘を向ける。
 ぎくりとしたミケランジェロだったが、内心などおくびにも出さず肩を竦めてみせた。
「何の話だよ?」
 が。
「……刀冴さんに言いつけてやる」
 ぼそり。
「あと、十狼さんにも教えてやらねぇと」
 半眼の理月が、恐ろしいことをいう。
「ちょ、待っ……!?」
 そんなことをばらされたら、まず間違いなく、ミケランジェロの事務所には等身大ミケパンとかいう恐ろしい代物が運び込まれることになってしまう。ミニチュアサイズのミケパンだけでも息絶え絶えのダメージを受けたのだ、等身大など命が幾つあっても足りない。
「……バラされたくねぇんなら」
「な、なんだよ」
 天然、マイペースという人種はミケランジェロにとって鬼門だ。
 突っ込み気質のお人好しという苦労性属性のミケランジェロでは、どう逆立ちしても勝てない。
 だから、彼は、
「一刻も早く刀冴さんを助け出す手伝い、よろしく」
 理月のそんな言葉に、唯々諾々と頷くしかないのだった。



 2.魔神と邪神(街中にてボケツッコミ攻防戦)

 それが始まったのは、浅間縁(あさま・えにし)が今時の女子高生らしくショッピングを楽しんでいるさなかのことだった。
「んー……こっちのシャツとこっちのスカート、どっちも欲しいけど……そうするとちょっと今月厳しくなっちゃうんだよね……。お年玉の残り、使ってもいいけど……うーん」
 お気に入りの、シンプルかつ機能的だがそれでいて小洒落たデザインの服を取り揃えたショップで、シャツを買うべきかスカートを買うべきか、それとも両方とも買うべきかを延々と悩んでいた縁は、ここからそう遠くない場所で、

 どおおぉんッ!

 慣れたくもないのだが聞き慣れた、爆発音などというものを耳にして思わず動きを止めた。
 遠くの方から、甲高い悲鳴が聞こえてくる。
「……爆発音とか悲鳴を聞き慣れちゃってる自分もどうかと思うんだけど……」
 結局、常連客だったのもあってスカートは取り置きをしてもらえることになったのでシャツを買うことにして、ごくごく冷静に支払いをしたあと、ショップの紙袋を手に外へ出る。
 ――そう遠くない空に、もくもくと黒煙が上がっている。
「あれ……なんか、近づいてくるような、気が……」
 また、どおん、という爆発音。
 個性的な店の連なる専門店街の、小さなショップから次々に顔を出したお客や店員たちが、不安げに黒煙の上がる方向を見遣り、音が――そして『何か』が近づいてくるのを見て取って息を飲んだ。そして、取るものも取りあえず避難をはじめる。
 もちろん縁もそれに倣った。
「……何か……誰かが、戦ってる……?」
 何かとトラブルの多い銀幕市のことである。
 縁はごくごく普通のムービーファンだが、事件には色々と関わっているし、本人はあまり意識していないが肝も据わっている。
 だから、他の人たちと一緒になって逃げつつも、縁は割と冷静だったし、誰か、人間ではないなにものかがふたり、激しくぶつかりあっているような音を聞き取ることも出来た。
 とはいえ、危険が迫っていることには変わりがなく、背後を気にしつつも、縁が、
「こういう時、映画みたいにスターに会えれば……!」
 何気なくそう漏らした時、
「う、うわああああああああっ」
 ――脇道からものすごい勢いで、転がるように逃げてきたのは、クラスメイトPだった。
「確かにスターとは言ったけど、よりにもよって余計に事態が悪化しそうなこのチョイス!!」
 思わず叫んだ縁を誰が笑えただろうか。
「あ、あああああ、あ浅間さんんんん……!」
 縁を見つけたクラスメイトPが必死ににじり寄ってくるのを蹴倒してでも逃げるべきなのか真剣に算段してしまったのと同等に。
 すでに転んだり踏まれたり巻き込まれたりしたのか、いつもの出で立ちのクラスメイトPはどろどろのずたぼろだ。手に綺麗な千代紙で包装された箱を持っているが、それだけは死守しているようで、まだ汚れてはいない。
「ううう、おやっさんのお遣いで、お茶買いに来ただけなのに……な、なんでこんなことに……!」
「まぁそこはPだから仕方ないとして、P、何か見た?」
「うん、そうだよね仕方ないよねははは。……え、うん、なんか……魔神っていう人に邪神っていう人が勝負を挑んで、それで……」
「なるほど、納得。って、傍迷惑な……」
「うん、それだけじゃなくて、その邪神っていう人が放ってる瘴気? っていうのから、なんか、鬼みたいな悪魔みたいなのが生まれて、周囲にいる人を襲おうとしたり、魔神っていう人を襲おうとしたりして、大騒ぎになってた」
「あー、それ困るね。そんなのに襲われたら私とPじゃなすすべもないよ……って来たァ!」
 漆黒の身体に赤い鱗、青い三本角の、全長1.2メートル程度のずんぐりとした身体つきの『鬼』が、わらわらと大挙して押し寄せてくるのが見え、縁はクラスメイトPや他の人々とともに脱兎の態勢に入る。
 相当あちこち動き回っているようで、そのころには、魔神と邪神の姿が、もう目視できるようになっていた。
 片方――魔神は、全体的に竜を思わせた。
 黒銀に輝く鱗で全身を輝かせ、背には三対六枚の竜翼、竜のような尾と鋭く尖った角、そして猛獣のような牙を持ち、全体的な造作は人間の、しかも相当な美男子のものであるのに、その目の前に立つだけで膝から崩れ落ちそうになる威圧感を持った男だ。
 もう片方――邪神は、全体的に猛禽を思わせた。
 下半身と、全身を彩る赤い羽毛が主な理由だろう。
「どっちも……イケメンなのにあんまり近づきたくない、って意味では共通してるよね」
「でもちゃんと顔のカッコよさを判断しちゃってる浅間さんがすごいと思う……って、うわあ、あああああ浅間さん、前前前!」
 クラスメイトPの悲鳴は、前方からも『鬼』がなだれ込んで来たのを目にしてのものだった。
「やばっ……P、こっち!」
「うん……って、そっちにも!?」
「ああもう、わらわら湧きすぎでしょこれ! 子沢山にもほどがあるわ!」
 無尽蔵に湧いて出る『鬼』、邪神が生み出したのなら邪鬼とでも呼ぶべきなのだろうか、そいつらに追われて逃げ惑ったふたりは、気づけば、メインストリートから少し離れた位置にある、開発がまだ途中の――本当はショッピング・モールになる予定だったのが、不況のあおりを受けて開発がストップしてしまったらしい――、様々な物資が乱雑に積み上げられた広場へと迷い込んでいた。
 隠れる場所はたくさんあるが、邪鬼の数も多く、下手に隠れたらかえって追い詰められることになりそうだ。
『今日こそ決着をつけようぞ、魔神レクヴィエムよ!』
 鉄筋の一角に舞い降り、猛禽の男が竜の男に向かって笑いかける。
 殺意や瘴気に満ちていながら、彼の笑みはどこか無垢だった。
『そうだな……邪神プレーステールよ。我かそなたか、どちらが真に闇界の猛者であるかを決めるのも、悪くはないだろう』
 言った二柱が身構える。
 どちらも楽しげだ。
「ああもう、何この怪獣大決戦……!?」
 こんなところでやるな、ついでにこの邪鬼を何とかしろ、と縁が思わず突っ込みを放ちそうになった時、邪鬼の一群が目に見えて崩れた。
「ったく、何なんだ、これ……!」
 不機嫌そうな声と、
「うん……すごいことになっているね。……香介(きょうすけ)、無茶は駄目だよ?」
 こんな場面でも驚くほどやわらかい静かな声。
 その双方に聞き覚えがあって、縁がそちらを見遣ると、そこにはやはり、来栖(くるす)香介と吾妻宗主(あがつま・そうしゅ)という、この街に魔法がかかった頃から“ムービースター疑惑”を持たれている青年がふたり、めいめいに邪鬼を蹴散らしているところだった。
「わお、地獄に仏! 来栖さんが仏に見えるって超異常事態だよね!」
 縁の素直な物言いに、向こうでもこちらに気づいたらしく、香介が凄まじく嫌そうな顔をした。
 邪鬼を蹴散らして合流したあと、追い縋って来る邪鬼たちから逃れて資材の影に隠れる。
「……異常事態ってなんだよ」
「ん? 言葉のまんまだけど。ってか、ふたりも巻き込まれたクチ?」
「あはは、そうなんだよねぇ。びっくりしたよ」
「って言いつつあんまりびっくりしてないのが吾妻さんだよね」
 と、縁が呆れた時、向こう側から大きな爆発音がした。
 どおん、という音のあと、ものすごい衝撃波が来て、四人が姿を隠している資材が吹っ飛ぶ。
「う、わ……ッとぉ!?」
「ああっ、浅間さん、危な……あああああっ!?」
 一緒に吹き飛ばされそうになった縁を必死で庇ったクラスメイトPが悲痛な声を上げた。
 何故なら、縁を助けたとき、衝撃波に、おやっさんのお遣いだというお茶の入った箱が彼の手を離れてすっ飛んでいき、空中分解して茶葉をあちこちに撒き散らしたからだ。
「あ、いいお茶だね。茶葉が細くよれてて、黒い光があるし、木や茎の部分もほとんどない」
「そ、そうなんです、手に入れ得る限りの品を、って言われて……あああ、ま、待ってええええええええ!?」
 素晴らしく的確に――しかし実際にはそれどころではないはずなのだが――茶葉のよさを指摘する宗主と、こくこくと頷いてから、一体どんな力が働いているのか空中に遊ぶ茶葉を追いかけて駆け出していくクラスメイトP。
「ちょ、P、危ないって!」
 必死なクラスメイトPを制止しようとした縁だったが、
「あれ、P、なんか光って……って、眩しっ!?」
 悲壮な眼差しで走り出していったクラスメイトPの全身が光り輝いたので、驚愕とともに顔を覆った。
「な、何これ……もしかして、ロケエリ!?」
 何故か唐突に現れた、美脚のラインダンサーたちが軽やかにステップを踏みながら、その美麗な足技で邪鬼たちを蹴散らしていく。
 何故か唐突に降って湧いた身の丈二メートルを超える巨大雀の群れが、邪鬼たちを啄ばみ嚥下したのち飛び去っていく。
 何故か唐突に雪崩れ込んできたサッカー選手たちが、邪鬼たちなど目にも入らない風情でボールを追い――その結果邪鬼を蹴散らし――、散々大騒ぎしたあとまた唐突に広場から消える。
 何故か唐突に湧いて出たなまはげの集団が、「悪い子はいねがぁ」と野太い声を上げながら、何故か怯えている邪鬼たちをつまみあげ、やはり「悪い子はいねがぁ」と繰り返し去っていく。
「助かったけど、若干グロい!」
 縁は思わず裏拳で突っ込み、えぐえぐ泣きながらいじましく玉露を拾い集めているクラスメイトPを見遣った。
「ええと……これはつまり、高価なお茶をぶちまけちゃった哀しみがPに力を与えた、ってこと? にしても微妙過ぎる『力』だよねこれ! 戦隊ものとかだったらもう少し熱くてカッコいい展開になるはずなんだけど、なにせ対象がPでお茶だからね……!」
「うーん、すごいなぁ、P君は。でもさっきの雀、大きかったね。あんなに大きかったら電線に留まれないんじゃないかなぁ」
「あー、うん、そうだよね。大事なのは多分そこじゃないけど、吾妻さんの言う通りだと思うよ、それに関しては」
 何故か唐突に飛来したUFOにどつかれて、邪神が地面に墜落するのと同時に、何故か唐突に地面から物凄い勢いで伸びた極太の筍に張り倒されて、魔神が高々と空を舞う。ついでに、自重に耐え切れなくなって折れ、倒れた筍に挟まれて、クラスメイトPが「むぎゅ」という悲鳴とともに地面に張り付く。
「……不条理だ……」
 ぼそ、と半眼になって呟く香介。
「……喧嘩見物してんのは面白ぇけど、このまんまここにいると、なんかすげー面倒なことになる気がする……」
「あ、来栖さん今魔神邪神ほっといて帰ろうかとか思ったでしょ」
「悪ぃか」
「悪くないっていうか来栖さんらしいとは思うけど。……逃げらんないと思うよ」
「……なんでそう言い切れる」
 首を傾げる香介に、縁は若干引き攣った笑みを浮かべた。
「……聞こえない? 多分、魔神より邪神より、一番怖いヒトが……近付いてきてるよ。しかもなんか……滅茶苦茶怒ってるっぽいし」
「んあ? 何だ、それ……」
 言いかけて、香介が沈黙する。
 ――空の向こうから、恐ろしい速度で近づいてくる黒い影。
 びりびりと空気を震わせるのは……紛れもない、怒りのオーラだ。
「うわぁ、大きな竜だなぁ」
 のほほんと空を見上げ、宗主が感心の声を上げる。
「十狼さん……」
 魔神と邪神までもが見上げる中、見事に滞空した黒い竜は、純血の天人・十狼の半身に他ならない。
 その背中には、規格外の天人が佇んでおり、激怒しすぎて温度をなくした銀の双眸を、魔神と邪神、そして筍の下から這い出して、未だ泣きながら玉露を拾い集め続けるクラスメイトPに向けている。
「何、なんで怒ってんの、十狼さん? 刀冴さんに何かあったとか? それともまさか、Pのさっきの暴走で何か被害をこうむったとか?」
「……後者の可能性もありそうなとこがアレだな。容赦なく微塵切りにされっぞ、あいつ」
「だよねー」
 どこか暢気に言葉を交わす縁と香介。
 無言のまま、十狼が黒竜の背から飛び降り、魔神と邪神を睨み据えた。
「貴様ら――……」
 殷々と響く声。
 毒と殺意を含んでぎらりと輝く銀の眼差しは鋭利な刃のようだ。
「――……百度死しても償えぬ罪と知るがいい……!」
 負のオーラ駄々漏れな様子から、恐らく彼が絶対と言って憚らぬ青い将軍に何かあったのだろうと察せられ、彼が激怒しているということは、単純に助けが来たと喜ぶわけには行かない、ということでもある。
「……怪獣大決戦が、一対一じゃなく、一対一対一になっただけのことだよね、これって……!」
 と、縁が素晴らしく的確な指摘をするのと、
「ちょ、駄目ええええええぇえぇッ!? 十狼さん、ちょ、気持ちは判るけど、落ち着いて――ッ!!」
 ちょっとどころでなく声を裏返らせた片山瑠意と、彼に半ば引き摺られたつなぎ姿の青年が、広場に走り込んできたのとは、ほぼ同時だった。
「あ、片山さん」
 縁は、ちょっとホッとすると同時に、なんかカオスになってきたなぁ、いやぶっちゃけこういうのももう慣れちゃってるんだけど、などとしみじみ思っていた。



 3.最強の天人、激怒中

 瑠意は戦々恐々としていた。
「じゅ、十狼さん……」
 十狼が、命よりも大切な刀冴を攫った――というか、理月とミケランジェロの話からすると巻き込まれて連れて行かれた、というのが相応しいのだろうが、多分その辺りは十狼の耳には入るまい――邪神と、一年ばかり前、危うく刀冴を永遠の眠りに陥れかけた魔神、双方に対して激しい憤怒と憎悪の炎を燃やしているのは明白だったが、この規格外の天人が激怒しその力を存分に揮うということは、周囲に甚大な被害が発生することと同義なのだ。
「だだだ駄目ですって! 十狼さんが本気出したら奴らが滅ぶ前に銀幕市が滅ぶから! 人間とか街とかは脆いんだから、ちょ、も、そんな無茶しちゃ駄目ええええぇッ!?」
 何とかして止めるべく、十狼の腰の辺りにしがみついて彼を押しとどめようとするが、無論、瑠意の腕力、瑠意の体重程度で止められるほど、怒れる天人は生易しくはない。
 無言のまま前へと歩を進める十狼に引き摺られ、瑠意は歯噛みするしかなかった。
「うぐぐ、やっぱ駄目か……! っつか魔神! 何であんたがここにいんだよッ!?」
『む、そなたには以前、世話になったことがあったな。……勘違いするな、恨んでも怒ってもおらぬぞ、我は。そなたらに叩きのめされ、冷静になったお陰で、この街の楽しさに気づけたのだからな』
 飄々と言う魔神を見遣れば、確かに、普通にシャツとジーンズなどを身につけ、肩掛けの鞄まで持った彼は、すっかり銀幕市に馴染んでいるように見える。
『以前迷惑をかけた連中には、詫びも入れてある。……そういえば、そなたらの友にはまだだったな、あとで行かねばなるまい』
「へえ、ちゃんと順応する道を選んだんならよかった……って、それだけの問題でもねぇッ! だったらあんたのその友達を一刻も早く止めろ、銀幕市が灰になる前に!」
『そうしたいのは山々なのだがな、我とこやつは、残念ながら友達ではないのだ』
「えっ」
『私とレクヴィエムは永遠の闘争を運命付けられた好敵手なのだ。私たちが出会うということは、即ち、闘いの始まりに他ならぬ』
「なんつー傍迷惑な……!」
 瑠意が呻くと同時に、彼の腕をあっさり振り解いた十狼が走り出す。
 手には、白と黒の双剣、【皓天(こうてん)】と【聖獄(せいごく)】。
「ぎゃーっ、も、十狼さん――ッ!」
 頭を抱えて瑠意が叫ぶが、それで十狼の動きが止まると言うことはなかった。
 無言のまま跳躍した十狼が邪神に斬りかかり、済んでのところで双ツの刃を受け止めた邪神が朱金の目を細めて彼を見遣る。
『……私の邪魔をするか』
「邪魔? 否……そのような穏便なものであるはずがない。若を危機に晒した罪……貴様の身を持って償わせる」
『はは……それも、面白い』
 笑った邪神が、魔神と十狼、双方に攻撃を仕掛ける。
 邪神と魔神、邪神と十狼がぶつかり合うたび、凄まじい音が響き渡り、びりびりとした衝撃波がここまで伝わってくる。
「ったく、面倒臭ぇ……!」
 舌打ちしつつ、ミケランジェロがモップで宙に陣を描く。
 きらり、と輝いた陣が、瑠意たちを包み込み、バリアとなって彼らを守ってくれる。
 ――のは、いいのだが。
「よし、次は……うんん?」
 とにかく怪獣大決戦を止めるのが先だ、と思ったのだろう、再度陣を展開しようとしたミケランジェロの声が若干裏返る。
「どうした、ミケ……あっれぇ!?」
 瑠意の声も裏返った。
 何故なら、
「ちょ、なんだこれ……!?」
 ミケランジェロが展開しようとした魔法陣、魔神や邪神や十狼が振り撒く激しい殺気や戦意までが、キラッキラの星や花、綺麗なセロファンで包装されたキャンディやチョコレートに変わっていたからだ。
 先ほどからわらわら湧き続けている邪鬼は邪鬼で、目が大きくてパステルカラーで効果音が可愛らしい、えらくファンシーな何かに変化している。
「あ、もしかして、Pの……」
「え、何、これってリチャPが原因?」
「うん、さっき、魔神と邪神の戦いの最中、頼まれものの超高級なお茶をぶちまけちゃって、哀しみのあまり」
「だから今もなんか拾い集めてるのか、リチャード。しかし……哀しみのあまり、事態が愉快化する現象を引き起こすリチャPって、すごいよなぁ」
「ああ、うん、私もそこはある意味すごいと思う」
「っくそ、もう一回だ!」
 ぼそぼそと会話を交わす瑠意と縁の傍で、懲りずに魔法陣を展開するミケランジェロ、光る陣が現れた……と思った瞬間、ピンク色に光るハートになって周囲に散るミケランジェロの魔力。
 もう一度試すと、今度は、『修羅 Forever』というわけの判らない文言が、花火のように空中に明滅し、
「なんじゃそりゃあああぁっ!?」
 理不尽な状況に弱いミケランジェロが絶叫する。
「あ、何か、どこかで見たことあると思ってたんだけど、やっと思い出した! 体育祭の玉(タマ)入れの時、紅組の籠に刺さってた人だ!」
「刺さってねえええェえ!?」
 そこへ、そんな場合ではないはずなのに、縁がミケランジェロの苦い記憶(ちなみにこのときの諸悪の根源は、今はここにいないマイペースな天人の将軍であったらしい)をしこたまに刺激し、またしても堕ちた神に絶叫させる。
 十狼の揮った【皓天】が邪神の翼の一部を跳ね飛ばし、邪神の鉤爪が十狼の白い頬に赤い筋を走らせる。むせ返りそうなほどに――常人であれば近づくだけで腰が抜けそうなほどの――濃厚な殺気が、彼らの周囲には充満している。
 の、だが。
「なんか……メルヘン、だよね……」
 瑠意はアンニュイな溜め息をついてふっと視線を逸らした。
「うん、パストラルってこんな感じだよね、きっと。なんか……とっても真剣な勝負なのに、じゃれあいみたいに見えてきちゃうから、不思議だなぁ」
「あー、うん、確かに不思議だ。……でも、吾妻さんも大概動じないよね」
「そうかな? そりゃ、十狼さんが怒ってるのは、ちょっと困るなぁって思うけど……彼が怒るのって、自分の大事な人のためだもの、あんまり怖いとは思えないんだよね」
「……まぁね。正直、怒ってる十狼さんもカッコいいなんて言わないよ」
「え、何か言ったかい、瑠意?」
「ん、や、その……うん、何でも」
 思わずこぼれた内心を宗主に聞きつけられ、瑠意はちょっと赤面して首を横に振る。
「しかし……すごいなぁ」
 誤魔化すように呟く。
 魔神の周囲も邪神の周囲も、負のオーラ駄々漏れな十狼の周囲にも、淡い暖色系の可愛らしい花が咲き乱れ、彼らは牧歌的でファンシーな春の野原に埋まっている。
 彼らが殺意をぶつけ合うたびに、迸ったそれらがトゥインクルなお星様に転じ、周囲をキラキラと彩る。
 それなのに、十狼も邪神も魔神もシリアスだ。
「ぶっちゃけ怖い」
 思う存分内心をぶっちゃける縁は真顔だった。
『なんとも愉快な場所だな、我が邪鬼どもがこのように可愛らしい存在になろうとは……!』
 小さな女の子が喜びそうな、ファンシーでメルヘンなぬいぐるみのようになった邪鬼たちを見遣り、面白そうに邪神が言う。
『それもまた愉快。愛らしきものどもに囲まれるも、楽しきことよな! うむ、もっと色々なものを持ってくるがよいぞ!』
 ……銀幕市がこう言う場所だと見事に勘違いしている。
 おまけに魔神も、当然十狼も訂正しない。
「シリアスっぽいファンタジーから実体化したみたいなのに、そこで疑問に思わないとか! あの無駄に高い順応性が正しい方向に向いてれば、もっと話が楽なのに……!」
 アイドル声優のような萌え声になった邪鬼たちが、『我らは瘴気の髄、貴様らを喰らって力とするが身上!』などと声に似合わぬ物々しい台詞を吐いて襲ってくるのを蹴散らしつつ、縁が力いっぱい裏拳を放つ。
「あああ、もう、意味判んねえぇ……!」
 あまりのカオスぶりに切れたのか、自分のバッキー、ルシフを引っ掴んで絶叫した香介が、ばたばたと手足を動かすルシフを、えぐえぐ泣きながら玉露を拾い集めているクラスメイトP目がけて力いっぱいブン投げる。
「うっうっ、こ、このままじゃ僕を信じてお遣いを託してくれたおやっさんに顔向け出来な……痛い!?」
 投擲されたルシフは、当然、クラスメイトPの後頭部に着弾すると同時に彼の頭に陣取り、自分がブン投げられたのも貴様の所為だ的な眼光とともに、クラスメイトPの後頭部をがじがじと齧り始めた。
 食う気はなさそうだが、地味に痛そうだ。
「痛い痛い痛い痛いヒイィすみませんごめんなさいPですみませんリチャードなんて生意気な名前を名乗ってすみません地面に足をつけててすみません呼吸しててすみませんんんん!!」
 その場でもんどりうち、涙を誘わずにはいられない言葉とともに土下座したおすクラスメイトP、その後頭部を踏みつけて荒い息を吐くルシフ。
「くるたんくるたん、ルシフその辺にさせとけよ、リチャードが死んじまうだろ」
「誰がくるたんだっ!」
「えー? くるたん以外にくるたんって呼ばれる奴がいんのかよ? 来栖香介=くるたん、だろ?」
「全力で却下だ!」
「却下してもされても、事実だしー」
「だしー、じゃねぇえ……! ……いや、もういい、疲れた。オレは帰る」
「あれ、帰っちゃうの、香介? まだ終わってないよ?」
「うるせー、付き合ってられっか!」
 瑠意の言葉に疲労感を倍増させられたらしく、肩を落としアンニュイな溜め息をついた香介が踵を返そうとすると、小首を傾げた宗主が彼に声をかけた。返った言葉は身も蓋もなかったが、宗主がそれに動じている様子もない。
 おやおや、と笑って宗主が肩をすくめた。
「香介の、そういう短気なところも可愛いとは思うんだけど、ね」
「可愛いとか言うな!」
「や、だって、可愛いでしょ。なんか……いちいち反応するとこなんかさ」
「……あんたと話してると、疲れる……!」
 どうでもいいが、吾妻宗主という人物は、仕草のひとつひとつに色香のある、透明な美しさを持った男だと瑠意は思う。
 ……思いつつ、
「まさか、ここで逃げられるなんて、思っちゃいねぇよな?」
 香介の肩に腕を回し、がっちりホールドして耳元に囁く。
「死なば諸とも……付き合ってもらうぜ?」
 香介が顔を引き攣らせた。
「冗談抜かせ、」
「嫌だっつったら、今度、事務所のブログに香子ちゃんの写真載せてやる」
「ちょ、おま!?」
「あれ、結構人気高くて、欲しいって人多いんだよねー」
「ぐぐぐ……!」
 若干どころでなく卑怯な脅しに、香介が奥歯を噛み締め、火を噴きそうな目で睨むが、瑠意はどこ吹く風だ。
 同類は多いに越したことはない。
「だったら……」
 ぼそり、という呟きに首を傾げたところ、
「あのキレっぱなしの傍迷惑なの、何とかして来い!」
 叫んだ香介が、瑠意を蹴り出す。
「ええぇ、俺が何をどうやれば、あの状況の十狼さんを止められるって言うんだよ!?」
 たたらを踏んで振り返り、怪獣大決戦な魔神邪神十狼の大バトルを見ながら言うと、
「やーでも、ぶっちゃけ、ここで今一番危険で怖いのって十狼さんだよね。……片山さん、何とかできない? ほら、色仕掛けとかで」
 瑠意をまじまじと見つめながら縁がそんなことを言い、瑠意は首まで赤くなった。
「い、いいい、い、色仕掛けとか……ッ」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。どうせバレバレなんだし」
「バレバレ……!?」
 そこまで!? と自己ツッコミを交えてショックを受けつつ、ひとまず、ルシフに踏まれたままぐったりしているクラスメイトPを助けるべく歩み寄る。絶賛混戦中の十狼たちに近づくことになるが、恐らくお互い以外見えていないだろう彼らより、萌え声の邪鬼たちの方が瑠意たちには危険だ。
「リチャP、だいじょう……」
 ぶ、を言い終わる前に、
『……埒が明かぬな』
 言って手を空に掲げた魔神が、
『氷界より来たれ――……永劫の凍れる水晶よ』
 多分氷系の魔法を紡ごうとした途端、

 がらんがらんぐわわわわわあぁんんんん。

 ――空から金盥が降ってきた。
『おや……おかしなことだ』
 魔神も邪神も十狼も、当然のようにそれを避けてしまったが、瑠意とクラスメイトPはそうはいかない。
「っぎゃーっ!?」
「いいいいい痛あああああああああァ!?」
 どこのコントですかこれといいたくなるような的確さ、非情さで降り注いだ金盥に全身を強打されて引っ繰り返る。
「あ、頭がぐわわわんって言ってる……」
 呻きながら身を起こそうとした瑠意だったが、
『ははは、やはり愉快な場所だな、ここは。なら……私の場合は、どうだ……?』
 楽しげに笑った邪神が片手を掲げると、彼の周囲にメルヘンでファンシーな邪鬼たちが滲み出るように現れ、魔神や十狼に襲いかかろうと――……

 ぱおおおおおおおおおんんんんん!

「インド!? アフリカ!?」
「どっちにしても、何でえええええぇえぇ!?」
 何故か唐突に、どこからか象の群れが押し寄せ、邪鬼を蹴散らす。
 ……その群れにクラスメイトPと瑠意が一緒に巻き込まれ吹っ飛ばされたのは、彼らが貧乏籤カルテットの一員であり、現在は貧乏籤デュオとなっているからに他ならない。
『なるほど……こうなるか』
『少々楽しい気分になってくるな、これは』
『む、まったくだ』
「人の不幸を楽しむんじゃねええええ!」
 盛大に絶叫したあと、瑠意はあちこち痛む場所をさすりながら呻いた。
「ううう、なんだこの理不尽な空間は……」
「というか、象の群れに吹き飛ばされて死ななかった自分をちょっとすごいと思ったよ……」
 べちょ、と地面に帰還し、ずたぼろで呻く瑠意とクラスメイトP。
「……」
 そんなふたりに気づいているのかいないのか、それともちょっと事態を面白がっているのか、無言のまま右手を掲げた十狼の周囲から清冽な水が湧き上がり、激流となって魔神と邪神を襲う。
「うわ、ちょ、やばい近過ぎ……ッ」
 巻き込まれる、と退却しようとしたら、何故か足元の水道管が派手に破裂し、
「何でこんな微妙な位置に水道管――――ッ!?」
 やはりクラスメイトPとともに巻き込まれ、吹っ飛ばされる瑠意。
「や、やばい……別の意味で生きて帰れるか不安になってきた……!?」
 びしょ濡れで乾いた笑みを浮かべるクラスメイトPを引き摺って何とか距離を取りつつ瑠意は呻く。
 ――その間にも、怪獣大決戦は途切れることなく続いている。



 4.瘴気の坩堝にて

 その頃、理月とスルト、そしてリゲイルは、邪神の飛翔に巻き込まれて行方不明になった刀冴の姿を探し、飛翔方向などから割り出した邪神のねぐらを訪れていた。
「うわ、なんか……すげぇ嫌な気分。これが瘴気ってやつか……」
 邪神は、杵間山からはずいぶん離れた位置にある、ちょっとした住宅街の中の小さな山、古い、名前も忘れられてしまったような氏神の座する社の奥の岩山を住処と定めていた。
 古く小ぢんまりとした社の裏側にある岩山に穴を開け、そこに住まうことに決めたらしい。
「……見て、理月さんスルトさん。これ……」
 穴は、大の大人が立って歩ける程度の規模があり、決して小さくはなかったが、広くて動き易い、というほどでもなく、三人はそろそろと、用心しながら進むことを余儀なくされている。
 先ほど瑠意からツッコミに満ち満ちたメールが来ていたので、邪神は過去に色々あった魔神とともにここから徒歩で二十分程度のショッピング街に現れたあと、ショッピング・モールになる予定だった場所で十狼の強襲を受け、現在もそこで戦闘中であろうと推測されたが、邪鬼の存在を疑わないわけには行かず、また、息苦しいほどの瘴気を意識しないわけにも行かないのだ。
「それ……刀冴さんの」
 懐中電灯を手に、周囲を照らしていたリゲイルが、岩穴の隅から、深い青色をした絹紐を拾い上げる。
 ――刀冴の長い黒髪を結っている紐だ。
「じゃあ……やっぱり」
 顔を見合わせ、頷きあって、中へ進む。
 まだ一月なのに、こういう岩の中は温度が低くならなくてはおかしいのに、ねっとりと絡みつく空気は、妙に生暖かく、不快で不安だ。
「なんだろうね、この気持ち……胸の奥がざわざわってする。昔のいやなことが、咽喉元まで這い上がってくるような……」
 ぎゅ、と刀冴の絹紐を握り締めてリゲイルが言い、理月もスルトも小さく頷いた。
「瘴気ってのは……そういうもんなのかな。俺も……なんだろう、すげぇ苦しい気分だよ。自分がまだ、ちっとも自分自身を許せてなかった頃のことを思い出すような……そんな気分だ」
「……そうだな。俺も、少し、昔のことを思い出していた。やるせない、やりきれない、苦しい、辛い、哀しい……って、過去が語りかけてくる」
 邪神の放つ瘴気には、そういう力があるのだろうか。
 奥を目指し、刀冴の姿を探して進みながら、三人は、それぞれに、自分たちが経験した辛い苦しい記憶を脳裏に蘇らせていた。
「こんな場所に長時間……刀冴が心配だ、早く探し出さないと」
 眉根を寄せたスルトが歩みを早くすると、理月もリゲイルもそれに倣った。
 ざわざわと、胸の奥から……咽喉元から、苦い感覚が這い上がって来る。
 懐かしい人の声が聞こえた気がして、苦い痛みが更に増す。
 三人は、それぞれの脳裏に展開される記憶と否応なく向き合わされ、心臓を鷲掴みにされる感覚に、ときおり低い喘ぎを漏らしながら、それでも見失うわけには行かないもののため、真っ直ぐに進む。
「見て、ふたりとも! 向こうに、大きな空洞が……!」
 懐中電灯を向け、ぽっかりと開いたそこを照らしてリゲイルが言い、走り出す。
「あっ、リゲイル、駄目だ、何か危ねぇやつがいたら……!」
 慌てて後を追う理月、スルト。
「刀冴さん、お願い、しっかりして!」
 悲鳴めいたリゲイルの叫びがふたりの耳を打つのはその一瞬あとだ。
「!」
 眼差しを厳しくして飛び込んだ空洞の中では、泣きそうな表情のリゲイルが、ぐったりと意識を失ったまま倒れ伏す刀冴を呼びながら、彼を懸命に抱き起こそうとしている。
 解けて流れた黒髪の艶やかさにどきりとし、同時に、その持ち主が身じろぎもしない寒々しさにぎくりとする。
「刀冴さん、刀冴さん、しっかり……あ、ああ……!?」
 声に驚愕が混じる。
 リゲイルの、サファイアのような青の双眸が、宙に向けられ見開かれる。
 一体何が、と問う暇は、理月にもスルトにもなかった。
「団長、クロカ、皆……!」
「どうして、あんたが、こんな……」
 リゲイルの目には、自分を庇って死んだ両親の姿が。
 理月の目には、あの日自分ひとりを残して壊滅した傭兵団『白凌』の人々の姿が。
 そしてスルトの目には、ただの道具として死ぬはずだった自分を逃がして死んだ父親の姿が、それぞれに映っていた。
「違うの、そうじゃない……そんなんじゃ、なかった……」
「一緒に逝きてぇって、そう思った気持ちは、今も……消えちゃいねぇ、よ……」
「……そうだな、今も……まだ見つかってはいない、の、かもしれない。生きる意味、なんてものは」
 それぞれに見える幻に、それぞれの言葉で痛みを伝える。
 そうするしか、なかったのだ。
 それらの痛みは、今もまだ、決して、癒されてはいないのだから。
 ――しかし。
「う……」
 不意に、低く呻いた刀冴が身じろぎをした。
 三人と同じような幻を見せられているのだろうか、苦悩とともに寄せられた眉根が、彼の眠りが決して安らかではないことを教えてくれる。
「刀冴さ、」
 名前を呼ぼうとして、理月は思わず目を瞠った。
 閉ざされたままの刀冴の目から、ひとつ、ふたつと、涙が零れ落ち、白い頬を……翼を意匠化した刺青の上を、伝っていく。
「いやだ……そんなのいや、泣かないで、刀冴さん……!」
 リゲイルは、自分の見ていた哀しい別れの幻も忘れ、服が汚れるのもお構いなしでその場に膝をつくと、刀冴の身体を……頭を、必死で掻き抱いた。自分をいつも温かく包み込んでくれる、兄のような父親のような同胞のような刀冴に、そんな痛みがあるのだと考えるだけで、胸が押し潰されそうだ。
「あんたにも、あるのか……そんな痛みが、過去が」
 スルトは呟き、リゲイルと同じく刀冴の傍に膝をつくと、細く骨ばった指先で、刀冴の髪を、瞼をそっと撫でた。
 何故か、胸の奥から、守ってやりたいという思いがふつふつと湧き上がってくる。
 そう、力だけならば、到底敵うはずもない、この、強くてやさしい青い将軍を、自分の持てる力すべてで守ってやりたい、という思いが。
「邪魔すんな……俺は、刀冴さんを、助けるんだ!」
 ぐっと唇を噛み締め、理月は、ぐったりと意識のない刀冴の身体を抱え上げ――自分よりも格段に体格のいい刀冴を担ぐことは、相当な力を必要としたけれど、その時の理月は、重さなど感じてはいなかった――、ゆっくりと歩き出す。
「それに……痛みは痛みで、俺のもんだ! わけのわかんねぇものに、好き勝手されてたまるかよ……!」
 歯を食いしばり、なおも脳裏を行き来するあの日の記憶に歯噛みしつつも、リゲイルとスルトに励まされながら刀冴を担ぎ、必死で邪神のねぐらから這い出す。
 空洞から外までは、およそ三十分。
 それまでに、理月の息は上がり、汗が顎から滴り落ちていたが、いつもいつも助けられてばかりの刀冴を少しでも助けられるなら、こんなものは苦労でも何でもない、と思っていた。
「っし、救出……完了……っぎゃー!?」
 理月は、岩穴から脱出した瞬間力が抜け、刀冴諸とも――というより、刀冴の身体に押し潰されるかたちで――地面にへばりついた。
「重い重い潰れる……ッてかスルトもリゲイルもそこで引っ張んのやめてくれ、腕が取れるって! あああ、刀冴さん、いい加減起きてくれーっ!」
 刀冴の下敷きになった理月を助けようと、リゲイルとスルトが腕を引いてくれるのはいいのだが、完全に押し潰された状態では腕が伸びるか千切れるかの二択しかないような状況で、理月はちょっと泣きそうになった。
 自分が押し潰されるから、という意味ではなくて、このまま刀冴が目覚めなかったらどうしよう、という、腹の底が冷たくなるような嫌な想像が這い上がり、理月が息を詰まらせた時、
「……ん?」
 唐突に、自分の上で、不思議そうな声が上がった。
「何だ、何で俺は理月の上で寝てるんだ……?」
 リゲイルの、スルトの顔がパッと輝く。
「起きたか、刀冴」
「目が覚めたのね、よかった!」
「ああ、何か心配かけたみてぇだな、悪い……おい、大丈夫か、理月」
 首を傾げながら起き上がった刀冴が、ぐったりしている理月の腕を掴んで引っ張り上げ、立たせてくれる。
 いつも通りの力強さに、理月はホッとして、またしても泣きそうになった。
 あまりに情けないから、ぐっと堪えたが。
「あー……そうか、そういや、邪神の奴に巻き込まれてここまで運ばれたんだったな」
 リゲイルから受け取った絹紐で髪を結いながら、刀冴が記憶を探る目つきをする。
「なんか……辛そうだったが、大丈夫なのか?」
 彼が泣いていたことは、何故か口にはしたくなくて――三人だけの内緒にしよう、と目配せだけで確認しあって――、スルトがそう問うと、刀冴は苦笑して軽く肩をすくめた。
「碌でもねぇ夢ばっか見てたな。まぁ……正直、ちょっとキツかった。……助けに来てくれて、ありがとうな。なんか……あんたたちの顔を見て、救われたような気分になったわ」
 伸びてきた力強い手が、三人の頭を交互に掻き混ぜ、感謝と喜びとを伝える。
 リゲイルはスルトと顔を見合わせたあと理月と目配せし、にっこりと微笑んだ。
「あ、そうだ、十狼さんたちが……!」
 そのあたりで、怪獣大決戦のことを思い出した理月が声を上げ、
「そうだわ、わたし、邪神さんに言ってやらなくちゃ……!」
 珍しく眦を厳しくしたリゲイルが走り出す。
「まぁ……あんたが無事だったんだから、後はなんとでもなるだろう」
 スルトは刀冴と並んでリゲイルの背を追いかけながら、そう笑った。



 5.勢いあまって仲直り(十狼の至福とストマライザー10)

 広場上空では、怪獣大決戦が佳境に入っていた。
 十狼の怒りのパワーたるや凄まじく、魔神と邪神双方が追い詰められ全身をぼろぼろにするほどのダメージを与えていた。
「……ってことで、魔神は銀幕市に馴染んで、穏便にこの街で楽しむ道を選んだらしいですよ」
 到着した四人、特に刀冴に事情を説明し、瑠意が絶賛大暴れ中の十狼を見上げる。
 魔神と邪神は翼を持っているので空を飛ぶことに何ら違和感はないが、十狼が何の不思議もないといった風情で宙に浮かんでいるのは少々不可解らしく、ときおり首を傾げている。
「純血の天人は物質だけで出来てるわけじゃねぇからな、それと意識すりゃ、てめぇの身体を空に、なんてことも難しくはねぇんだ」
 瑠意の疑問に答えてやりつつ、刀冴もまた三大怪獣戦を呆れた顔で見上げた。
「俺はまぁ……魔神に関しちゃ、どうでもいいんだ。邪神も、別に、他の連中に危害を加えねぇってんなら、好きにしてくれりゃいいと思う」
「ですよね」
「……しかし、だ」
「はい」
「今のとこ、うちの馬鹿が一番周囲に被害を与えそう、ってのは、いただけねぇな」
 十狼の拳が魔神を強かに打ち据え、遠くへと弾き飛ばす。
 瞬時に間合いを詰めた十狼に懐に入り込まれ、驚愕の声を上げた邪神を、十狼の双剣が襲う。咄嗟に背後に跳んで直撃を避けた邪神の、その背後に、いつの間にか十狼が回り込んでいる。
 ――振り上げられた双剣が、凶悪な輝きを放った。
「ったく……あいつは、ホントに……」
 空を見上げたまま、刀冴が盛大な溜め息をついた。
「だが……幸せなことでもあると思うぞ、俺は」
 苦笑したスルトの助け舟に、刀冴は肩をすくめた。
 それから口の横に手を添え、
「十狼、愛してるぞー」
 ぼそり、と小さく刀冴が言った途端、今まさに邪神に双剣を突き立てようとしていた十狼の動きがぴたりと止まった。魔神と、体勢を立て直した邪神が、驚いて思わず後方へ跳んだくらいの唐突さだった。
「……若、今なんと仰いましたか」
 唐突に振り向いた十狼が、物凄い瞬間移動振りで刀冴の前に立つ。
 恐るべき速度だった。
 しかし、先ほどまでの刀冴の状況を鑑みるに、無事だったのかとか怪我はないのかとか、多分、十狼に尋ねるべきことはたくさんあるはずなのだが、
「いや、だから、愛してるぞ? って」
 可愛らしく小首を傾げた刀冴の、その言葉のインパクトにはすべてが無意味だったのだろう。
 刀冴のそんな物言いに、
「若から……愛などというお言葉を……いただくことになるとは……ッ!」
 手で口元を覆った十狼が言葉をなくす。
 肩が震えているのを見ると、どうも、感涙にむせんでいるらしい。
「自分でやっといてなんだが、有り体に言うと若干うざい」
 十狼をあっさり現実に帰還させた当人は、身も蓋もなく言い捨てていたが、
「やっぱ、俺の最大のライバルは刀冴さんなんだよなああぁ……!」
 頭を抱えてもんどりうつものもいて、周囲は少し騒然とした。
 そこへ、
「邪神さん! わたし、あなたに言いたいことがあるの!」
 毅然と声を上げたのはリゲイルだった。
『む、私か?』
 やたら素直に反応し、リゲイルの元へ舞い降りる邪神。
 危険を感じないのは、邪神に殺意や戦意があっても悪意や邪気がないからだ。
 おまけに、彼から滲み出て邪鬼に転ずる瘴気も、今は鳴りを潜めている。
「そう! とりあえず、そこに正座しなさい! お姉さんが今から大事なことを教えます!」
 理月がこちらへの道すがら、邪神は『卵』から生まれたばかり、だと言ったからか、腰に手を当てて仁王立ちしたリゲイルは、年上としての気概に満ちている。
『む……そうか』
 そう、思わず邪神が、言われた通り、彼女の前に正座した程度には。
 少し屈んだリゲイルは、そんな邪神と視線を合わせ、
「さっき、邪神さんのおうちに行ってきたんだけどね! 皆、辛いことを思い出して、とっても哀しい気持ちになったんだよ!」
 白い頬を上気させて、そう言った。
 それから、
「何でこんなことするの! 人の嫌がることしちゃ駄目って、ママから習わなかったの!?」
 彼女が、邪神と目を合わせたままそう問うと、リゲイルを見上げた邪神は、ほんの少し寂しげな笑みを浮かべ、
『ママ? ああ、母御か……彼女ならば、私を生むと引き換えに身罷った』
「え?」
『……もうおらぬ』
 そう、静かに言って、リゲイルの美しい柳眉を顰めさせた。
「そう……そうなの」
 うっかり自分と重ね合わせて哀しくなったのだろう、眉を、細い肩を落としたリゲイルは、声をずいぶん優しくし、
「酷い言い方してごめんね、でも……人の嫌がることはしちゃ駄目だよ。自分の嫌がることも、自分がされたくないことも、人にしたら駄目なんだよ。お姉さんも、それ、いっつも気をつけてるんだ……難しいことかもしれないけどね」
 まるで本当の姉のように、邪神の頭を撫でてそう言った。
『……』
 慈愛すら滲ませて微笑むリゲイルを見上げ、邪神が沈黙する。
「今がチャンス!」
 そこで動いたのが縁だった。
「ここで邪神の誤解を解いとかないと埒が明かないよこれ!」
 正座したままの邪神を立たせ、胸倉を掴む勢いで事情の説明という名のマシンガントークをはじめる。
「まずここは銀幕市って言います! 映画って言う色んな世界から、邪神さんたちみたいな人たちが実体化して暮らしてる世界です!」
『ほう。それで……こんなに、珍しい気配ばかりがあったのか、なるほど』
 素直に頷く邪神。
 まとっている気配が瘴気でさえなかったら、誰も彼を邪神だなどとは思わないだろう素直さだった。
 多分彼は、まとう気配やその性質のゆえに『邪神』と呼ばれているだけで、邪神という言葉から一般人が想像するような、邪悪で無慈悲な存在というわけではないのだ。
 そこに付け入る隙がある、というのが縁の言い分だ。
 邪神という称号でも、邪悪でないのなら、話し合う余地はあるし、殺したり殺されたりすることなく、判りあうことだって出来るだろう。
 縁は、そのための下地を作るべく、勢いに任せて邪神を懐柔する。
「とりあえず、ショッピング街の皆さんの営業妨害と、皆の通行の邪魔したのを謝る! 返事は!」
『む? ああ、そうか、判った』
「じゃあ次、連絡いってそうな対策課にもストマライザー10持って謝りに行って、ついでに住民登録する!」
『む?』
「声が小さい、返事は!」
『ところでそのストマライザーとは何なのだ? 我も知らぬぞ、それは』
「ややこしくなるから魔神さんはちょっと黙ってて! 知りたいんなら後で説明してあげるから! ってことで邪神さん、返事は!?」
『そうか、相判った』
「素直で大変よろしい! それと、ここは色んな人たちがいるところです。戦うのは勝手だけど、そういう人たちに迷惑かけちゃいけないの! そういうこともちゃんと考えて楽しくやるのが、銀幕市のルールなの! 判った!?」
『……しかし、私とレクヴィエムは、』
『まぁ待て、プレーステール。闘争が我らに義務づけられたものなのだとしても、この世界は少し違うようだ、しばし様子を見るのも、悪くはないと思わぬか?』
『……ふむ、そうかもしれぬ。そなたがそのように馴染んでおるところを見るに、悪い場所ではなさそうだ』
 そう言って、ぐるりと周囲を見渡した邪神が、小さく頭を下げ、
『迷惑をかけたな』
 と、詫びを口にしたところで、縁は盛大にガッツポーズを取った。
「よし、これにて一件落着! ……P以外は!」
 未だに泣きながら玉露を拾い集めているクラスメイトPをチラ見して高らかに宣言する。
「ううう……拾っても拾っても終わらない、これじゃ帰れな……あれ? どうしたの、皆?」
 視線がクラスメイトPに集中する。
「――ハッ! 皆が僕を見てる……ななな、何で……!?」
 そのことに気づいて盛大に動揺するクラスメイトP。
『……先ほどから気になっておったのだが、そなたは一体、何をしておるのだ?』
 そんなクラスメイトPの傍にしゃがみ込み、彼の手元を覗き込む魔神。
 やたら人間臭い仕草だった。
 たかだか一年で、よくぞここまで馴染んだものだ、とすら思う。
「ヒィ魔神……さん!? すみません気配が怖い怖い何か気配だけで切れそう……って、いえ、あの。はっ、魔神さんだったら、この玉露、もとに戻せませんか……!?」
 恐らく願いを叶えてくれるのは魔神ではなくランプの精である魔神ジンだが、色々テンパって混同しているクラスメイトPには気づく様子もない。
 しかも、幸運なことに、
『ふむ、この散らばったものを、この筒の中に入れればよいのか? その程度ならばお安い御用だ』
 この魔神も、その程度のことは軽々とやってのける、便利な力の持ち主だったのだった。
「や……やったあぁ……!」
 魔神がぱちんと指を鳴らすと、玉露が、さらさらと音を立てながら筒の中へ戻っていく。更に、粉微塵になったはずの箱や綺麗な包装紙が再生されて筒を包み込み、きちんと体裁が整ったかたちでクラスメイトPの手の中にすとんと収まる。
「こ、これでおやっさんに顔向け出来る……魔神さん、どうもありがとうございました……!」
 実際には、魔神と邪神の闘いに巻き込まれてこうなったのだから、当然といえば当然なのだが、自分が彼らの所為で酷い目にあったということも忘れた様子でクラスメイトPが満面の笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げる。
『いや、何、気にせずともよい』
 鷹揚にうなずく魔神。
 と、その時、誰かのお腹が盛大に鳴った。
「あ」
「お」
「……そういや」
 それは安堵の中にいるクラスメイトPだったかもしれないし、食欲魔神・瑠意のものだったかもしれない。
「なんか……理不尽な事件に巻き込まれて疲れた所為か、腹減ったな……」
 はあ、と大きく溜め息をついて香介が言い、
「そうだね、俺もちょっとお腹減ったよ。……まぁ、今回のは、実は結構楽しかったんだけど。皆、仲直りできてよかったよね、平和で、なかよく幸せに生きられるのが、一番だもの」
 いつも通りの穏やかで飄々とした笑みを浮かべた宗主が言って、
「……んじゃ、ラーメンでも食いに行くか? せっかくだし、九十九軒にでも」
 肩をすくめた瑠意がそう提案する。
「あ、さんせーい。私、ねぎたっぷりのチャーシュー麺がいいな!」
「俺は……うーん、坦々麺とラー油たっぷりの餃子、かなぁ……。理月は?」
「え、俺? 醤油かな、それとも塩かな?」
『……ところで』
「何、どしたの、邪神さん」
『らーめんとは、何だ?』
「……ああ。よし、じゃあ、吾妻さんが言うみたく、せっかく仲直りできたんだし、皆でラーメン食べに行こうぜ! なんなら俺が奢るから、懐に関しては心配しなくていいよ」
 瑠意の申し出に、ぱっと場が明るくなり、皆が笑顔になる。
 それは、色々とすれ違いはあったが、最後に判り合えた、殺したり殺されたりすることなく大団円的なものが迎えられたことに対しての笑顔でもあっただろう。
「……やれやれ、一件落着……ってか」
 巻き起こる理不尽な事象すべてに突っ込んでしまい、ひとりで疲労を抱え込んでいたミケランジェロは、深々と溜め息をついていた。
 皆と一緒に歩きながら、たかだか一日で、物凄く疲れた気がする……と、滲み出る疲労感と戦っていると、
「……ところで、タマ?」
 胡散臭いほど晴れやかな笑顔の刀冴が、唐突に隣に立ったので、ミケランジェロは思わず全身の筋肉を緊張させて身構えた。
「だから俺はタマじゃ……って、な、何だよ」
「俺が邪神に掻っ攫われた時、もう二度と戻って来んなあいつの餌になっちまえ、って言ってたって本当か?」
「はァ!? ちょ、待て……そんなこと誰も言ってねェ、」
 ダラダラと冷や汗を流しつつ、黙ってるって言ったじゃねェかっつぅか滅茶苦茶脚色されてるじゃねェか、という抗議の視線を込めて理月を見やると、
「違ぇよ刀冴さん、タマはそんなこと言ってねぇって」
 一応フォローらしきものを入れて……
「――……単に、二度と顔も見たくねぇからちょうどよかった、って言っただけで」
 ……くれなかった。
「あァ、そうか、なるほど……?」
「そんなことひとッッことも言ってねえええええぇ!?」
 絶叫するミケランジェロに向かって拳をぱきぱき言わせた刀冴が、にっこりと微笑み、
「……そんなつれねぇことを言うタマには、等身大ミケパンの刑だな!」
 ミケランジェロにとっては死刑宣告めいた宣言をするのを、今回もしかしたら一番の被害者かもしれない堕ちた神は、真っ白に燃え尽きそうになりながら聴いていたのだった。

 ――ちなみに、事務所に届いた等身大のアレ第一号に、ミケランジェロの親友である修羅の青年が大喜びし、ミケランジェロに更なるダメージを与えるのは、そこから三日後のことである。

クリエイターコメント大変お待たせいたしました!
オファー、どうもありがとうございました!

全力ボケツッコミコメディバトル、大変楽しく書かせていただきました。バトルというよりコメディの方向で書かせていただいたので、あまり闘いのシーンは濃厚にはなりませんでしたし、人数とページ数の関係ですべては拾い切れなかったのですが、それぞれに出していただいた小ネタを大変楽しく活用させていただきました。

ドタバタで不条理な、ボケと突っ込みとオーディエンスな人々の織り成す賑やかで楽しい物語を描けていれば幸いです。

何を言っても、何をしても、彼らの間に通うのが確かな友情で、愛情で……というところが大好きです。

素敵なオファー、どうもありがとうございました!
また、どこかでご縁がありましたら、よろしくお願い致します。
公開日時2009-05-05(火) 09:30
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