★ 【最後の日々】Harmonia 〜見果てぬ地へ〜 ★
<オープニング>

 夢の終わりが告げられる。
 三年に渡って続いた不思議の街に、終焉が訪れる。

 これまでに起きた様々な事件の端々から、魔法の終わりを敏感に感じ取っていた人々は、惜しみ、哀しみ、寂しがりながらもそれを受け入れ、残された時間を有効に、悔いのないよう過ごそうと、それぞれに、自分なりの方法を模索している。

 森の女王もまた、その中のひとりだった。

「そう……季節が一巡りして、統合された、と……」
 森の女王レーギーナは今、かの『穴』が塞がった跡地に造られた、平和記念公園にいた。
 初夏の陽光にいつもの美貌を輝かせる彼女の隣には、どこか見たことのあるような、それでいて初めてのような、美しい女性がふたり、佇んでいる。ふたりとも、二十歳くらいに見えた。――外見だけならば、だが。
「そのようですわ。プリマヴェーラ、エスターテ、アウトゥンノ、インヴェルノ。四つの神聖性がひとつに解け合って為ったのが、わたくし」
「なんとお呼びすればいいかしら?」
「では……四柱の女神たちの名づけに従って、スタジョーネ、と」
 四季という意味を持つ名を告げて、赤と青の左右色違いの瞳に黒髪、そして透けるような白皙の女性は微笑んだ。
「夢が覚めるまでの最後の時間を、この街の方々と過ごせること……嬉しく思いますわ」
「ええ……わたくしもよ、スタジョーネさん」
 女王もまた艶然と頷き、それから、四季女神の隣に立つ、もうひとりの乙女に微笑を投げかけた。
 眩しい白銀の髪に神秘的な紫の目をした、華奢で美しい、しかしどこか凛とした雰囲気を持ち合わせた彼女は、
「ねえ、リオネさんも、そう思われるでしょう?」
 女王の問いかけに、はにかんだような笑みを浮かべた。
「そう……でしょうか。だったら、嬉しいです」
 ――そう。
 彼女は、あの絶望の巨魁との戦いのあと、『大人』になったリオネなのだ。
「ええ。皆、喜んでくださると思うわ」
 『お別れを言うための時間』をくれたのは、リオネだった。
 きっと、今、たくさんの人たちが、この時間を有意義に使おうと、思いをめぐらせていることだろう。
「さあ……なら、わたくしたちも、準備を」
 女王が言うと、スタジョーネが頷き、手を空に掲げた。
「ええ……では、ほんのひととき、それぞれの季節の美しいものたちを、このお茶会の彩りに」
 そう言うと同時に、彼女の周囲を金色の光が渦巻き、そしてその光が公園を包み込む。
「わあ……素敵」
 リオネが言って、笑った。
 春の薄紅、萌える緑。
 夏の鮮やかな青。
 秋の燃える赤。
 冬の静謐な白。
 平和記念公園は、四つの区画に分かれることになった。
 すなわち、桜が咲き誇る麗らかな区画と、南国を思わせるエメラルドブルーの海に変化した区画、周囲一面が紅葉し、果実がたわわに実った区画、そして冷たさのない雪が津々と降り積もり、穏やかに周囲を包み込む純白の区画とに。
「皆さんに、お好きな場所で、お好きな方々と、楽しい時間を過ごしていただきましょう」
 森の娘たちや、助っ人である妖幻大王真禮は、その準備で大忙しだ。
 きっと、お茶会が始まれば、平和記念公園には、美味しいものがあふれ、人々の笑顔に貢献することだろう。
「それと……もうひとつ」
 女王が手を掲げると、ふわり、と森の神気が凝り、四つに分かたれた区画の真ん中に、色とりどりの、かたちも香りも様々な、神秘的に美しい花々が咲き誇る場所が現れた。
 花に満ちたその『場』の中央には、見つめていると何故か懐かしい気持ちになる、水晶のモニュメントが静かに佇んでいる。
「……きっと、思うところがおありの方、思う人がおられる方もいらっしゃるでしょう。花を捧げ、言葉を捧げて、ご自分の思いと向き合っていただくのも、大切なことでしょう」
 女王は言い、にっこりと微笑んだ。
「さあ、では、お茶会の始まりまで、もう少し準備を続けましょうか。……たくさんの人たちが来てくださるといいわね」
「ええ」
「そうですね……本当に」
 頷き、笑みを見せるふたりの乙女に目を細め、女王は、最後のお茶会がここに残るすべての人々を励まし、ここから去り往くすべての人々の心に安らぎをもたらすように、と祈った。

種別名パーティシナリオ 管理番号1046
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
クリエイターコメント皆さん今晩は。
最後のパーティシナリオのお誘いに参りました。

有り体に言えば、このパーティシナリオは、最後の一時を楽しく過ごしていただくためのものでありつつ、同時に、「大好きなあの人と通常シナリオに入ってお別れが言いたかった/約束がしたかった/何かを遺したかった。でも、同じシナリオに入るって難しいから……」という方々にご利用いただければ、という意図によるものです(もちろん、他シナリオでご一緒されている方々も、こちらで別のひとときを楽しんでいただけます)。

プレイングによって登場率に偏りが出るのはいつものことですが、同じく、いつも通り、ボツはありません(もちろん、お名前だけの登場になる可能性があるのも、いつも通りです)。

大好きな友人と、愛しいあの人と、かけがえのない家族と。
様々な彩りを見せる平和記念公園で、お好きな時間をお過ごしください。

なお、今回は、公式NPC及び各WRさんがお持ちのNPCの方々にも登場していただこうと思っていますので、お目当てのNPCさんが出ておられるシナリオ争奪戦に敗れてしまわれた場合、そのようにご指名いただければ、必ず、とお約束を差し上げることは出来ませんが、出来る限りご希望に添えるようにいたします。よろしければ、ご利用くださいませ。

そして、ご参加に当たっては、以下の項目よりお好きな場所をお選びになり、行動をお書きください。

【1】春の区画でお花見お茶会を楽しむ
【2】夏の区画で海遊びと海上お茶会を楽しむ
【3】秋の区画で収穫とお菓子作りを楽しむ
【4】冬の区画で雪遊びとかまくらお茶会を楽しむ
【5】裏方に回り、お茶会が成功するよう手伝う
【6】中央の区画で花を捧げ、喪われたものに思いを馳せる
【7】リオネにメッセージや今の気持ちを伝える
【8】その他の行動を取る
(※『場所はどこでもいいからあの人と絡ませて欲しい』という
場合は、お相手のお名前を明記の上【0】の数字をお書きください)

場面は設定してありますが、あまり厳密には決まっていませんので、お好きなシーンをご想像の上、プレイングにお書きください。なお、行動は、具体的に、かつ、なるべくひとつの方向性に絞った方が採用されやすいですし、大人数で集まって行動されるのもまた、採用はされやすいかと思われます。

そして、どの項目を選ばれるにせよ、今回もっとも重要視されるのは、PCさんの『気持ち』です。お友達、恋人、ご家族とお過ごしの際は、お相手のお名前とその方々への思い、伝えたいことや約束、愛の言葉などをきちんとお書きください。必ず採用出来るとは限りませんが、大切な、どなたかに伝えたい台詞のみ、クリエイター向け欄に書いていただいて構いません(それ以外のクリエイター向け欄での追記やノートは拝見しません)。

以上、細々と申し上げましたが、最後に際して、皆さんの心に残るワンシーンを描き出せればと思っておりますので、どうぞ、皆さんのお気持ちを、ほんの少し、記録者に預けてやってくださいませ。

それでは、皆さんのお越しを、楽しみにお待ちしております。

参加者
理月(cazh7597) ムービースター 男 32歳 傭兵
月下部 理晨(cxwx5115) ムービーファン 男 37歳 俳優兼傭兵
ヴァールハイト(cewu4998) エキストラ 男 27歳 俳優
片山 瑠意(cfzb9537) ムービーファン 男 26歳 歌手/俳優
阿久津 刃(cszd9850) ムービーファン 男 39歳 White Dragon隊員
ジラルド(cynu3642) ムービースター 男 27歳 邪神の子、職業剣士
小日向 悟(cuxb4756) ムービーファン 男 20歳 大学生
シグルス・グラムナート(cmda9569) ムービースター 男 20歳 司祭
二階堂 美樹(cuhw6225) ムービーファン 女 24歳 科学捜査官
綾賀城 洸(crrx2640) ムービーファン 男 16歳 学生
梛織(czne7359) ムービースター 男 19歳 万事屋
クライシス(cppc3478) ムービースター 男 28歳 万事屋
香玖耶・アリシエート(cndp1220) ムービースター 女 25歳 トラブル・バスター
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
沙闇木 鋼(cmam9205) ムービーファン 女 37歳 猟人、薬師
市之瀬 佳音(csvm1571) ムービーファン 女 25歳 バックダンサー兼歌手
ランスロット(cptf5779) エキストラ 女 28歳 White Dragon隊員
クラスメイトP(ctdm8392) ムービースター 男 19歳 逃げ惑う人々
エドガー・ウォレス(crww6933) ムービースター 男 47歳 DP警官
ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
トト・エドラグラ(cszx6205) ムービースター 男 28歳 狂戦士
ディズ(cpmy1142) ムービースター 男 28歳 トランペッター
桜夜(cfyd8813) ムービースター 女 9歳 夜桜に涙する姫君
森理(cwex5456) ムービースター 女 27歳 異端の聖騎士
神畏=ニケ・シンフォニアータ(cpuv3573) ムービースター その他 24歳 隠者・古竜神
リカ・ヴォリンスカヤ(cxhs4886) ムービースター 女 26歳 元・殺し屋
神宮寺 剛政(cvbc1342) ムービースター 男 23歳 悪魔の従僕
マリエ・ブレンステッド(cwca8431) ムービースター 女 4歳 生きている人形
エズヴァード・ブレンステッド(ctym4605) ムービースター 男 68歳 しがない老人(自称)
刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
十狼(cemp1875) ムービースター 男 30歳 刀冴の守役、戦闘狂
イェータ・グラディウス(cwwv6091) エキストラ 男 36歳 White Dragon隊員
ベルナール(cenm1482) ムービースター 男 21歳 魔術師
ヨミ(cnvr6498) ムービースター 男 27歳 魔王
四幻 ミナト(cczt7794) ムービースター その他 18歳 水の剣の守護者
小嶋 雄(cbpm3004) ムービースター 男 28歳 サラリーマン
ルウ(cana7787) ムービースター 男 7歳 貧しい村の子供
ヘーゼル・ハンフリー(cbsw5379) ムービースター 女 29歳 美しき殺人鬼
ダニエル・リッケンバッカー(cymd7173) ムービースター 男 29歳 花嫁殺し
レドメネランテ・スノウィス(caeb8622) ムービースター 男 12歳 氷雪の国の王子様
ウィズ(cwtu1362) ムービースター 男 21歳 ギャリック海賊団
レオ・ガレジスタ(cbfb6014) ムービースター 男 23歳 機械整備士
相原 圭(czwp5987) エキストラ 男 17歳 高校生
リャナ(cfpd6376) ムービースター 女 10歳 扉を開く妖精
ルヴィット・シャナターン(cbpz3713) ムービースター 男 20歳 見世物小屋・道化師
ルドルフ(csmc6272) ムービースター 男 48歳 トナカイ
夜乃 日黄泉(ceev8569) ムービースター 女 27歳 エージェント
アレン・ブランシュ(ccpx7934) ムービースター 男 20歳 ※※※
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
森砂 美月(cpth7710) ムービーファン 女 27歳 カウンセラー
サマリス(cmmc6433) ムービースター その他 22歳 人型仮想戦闘ロボット
ルーチェ(chpw1087) ムービースター 女 7歳 神聖兵器
アルト(cwhm5024) ムービースター 女 27歳 破壊神
葛城 詩人(cupu9350) ムービースター 男 24歳 ギタリスト
守月 志郎(czyc6543) ムービースター 男 36歳 人狼の戦士
ブルース・吉沢(cahe7016) ムービーファン 男 52歳 ラーメン屋
マリアベル・エアーキア(cabt2286) ムービースター 女 26歳 夜明けを告げる娘
スルト・レイゼン(cxxb2109) ムービースター 男 20歳 呪い子
ミケランジェロ(cuez2834) ムービースター 男 29歳 掃除屋
昇太郎(cate7178) ムービースター 男 29歳 修羅
北條 レイラ(cbsb6662) ムービーファン 女 16歳 学生
フェイファー(cvfh3567) ムービースター 男 28歳 天使
ミリオル(cwyy4752) ムービースター 男 15歳 亜人種
狩納 京平(cvwx6963) ムービースター 男 28歳 退魔師(探偵)
朱鷺丸(cshc4795) ムービースター 男 24歳 武士
白亜(cvht8875) ムービースター 男 18歳 鬼・一角獣
柊木 芳隆(cmzm6012) ムービースター 男 56歳 警察官
流鏑馬 明日(cdyx1046) ムービーファン 女 19歳 刑事
唯・クラルヴァイン(cupw8363) エキストラ 男 42歳 White Dragon隊員
ハリス・レドカイン(cwcs2965) エキストラ 男 34歳 White Dragon隊員
リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
南雲 新(ctdf7451) ムービーファン 男 20歳 大学生
旋風の清左(cvuc4893) ムービースター 男 35歳 侠客
新倉 アオイ(crux5721) ムービーファン 女 16歳 学生
真船 恭一(ccvr4312) ムービーファン 男 42歳 小学校教師
アレグラ(cfep2696) ムービースター 女 6歳 地球侵略軍幹部
大教授ラーゴ(cspd4441) ムービースター その他 25歳 地球侵略軍幹部
結城 元春(cfym2541) ムービースター 男 18歳 武将(現在は学生)
鈴木 菜穂子(cebr1489) ムービースター 女 28歳 伝説の勇者
クレイ・ブランハム(ccae1999) ムービースター 男 32歳 不死身の錬金術師
一乗院 柳(ccbn5305) ムービースター 男 17歳 学生
ギル・バッカス(cwfa8533) ムービースター 男 45歳 傭兵
ルークレイル・ブラック(cvxf4223) ムービースター 男 28歳 ギャリック海賊団
トイズ・ダグラス(cbnv2455) エキストラ 男 23歳 White Dragon隊員
マイク・ランバス(cxsp8596) ムービースター 男 42歳 牧師
鹿瀬 蔵人(cemb5472) ムービーファン 男 24歳 師範代+アルバイト
アル(cnye9162) ムービースター 男 15歳 始祖となった吸血鬼
ルイス・キリング(cdur5792) ムービースター 男 29歳 吸血鬼ハンター
犬神警部(cshm8352) ムービースター 男 46歳 警視庁捜査一課警部
成瀬 沙紀(crsd9518) エキストラ 女 7歳 小学生
リシャール・スーリエ(cvvy9979) エキストラ 男 27歳 White Dragon隊員
続 歌沙音(cwrb6253) エキストラ 女 19歳 フリーター
シュウ・アルガ(cnzs4879) ムービースター 男 17歳 冒険者・ウィザード
来栖 香介(cvrz6094) ムービーファン 男 21歳 音楽家
Sora(czws2150) ムービースター 女 17歳 現代の歌姫
原 貴志(cwpe1998) ムービーファン 男 27歳 警備会社職員
エンリオウ・イーブンシェン(cuma6030) ムービースター 男 28歳 魔法騎士
<ノベル>

 1.四季彩(しきさい)はめぐる

 ――どこかから、歌が聞こえてくる。
 幼い、やわらかい、美しい歌声だ。
 歌声は会場中を包み込み、ゆったりとした一時に彩りを与えている。

 薄紅色の花が咲き乱れている。
 桜の花は薫らぬものだが、見ていると、胸の奥にまで春の香で満たされるようだ。
「美しいな……身体中が、薄紅の春に染まるような心持ちだ」
 神畏=ニケ・シンフォニアータは、あちこちで繰り広げられる花見光景や、ちらほらと見られる屋台などを見遣りながら、特に食べるでも飲むでもなく、咲き誇る桜を飽くことなく見つめていた。
「綺麗ですねー」
 かかった声は、魔王には見えない“システムに反逆した魔王”、ヨミのもの。
 神畏は彼と面識があるわけではなかったが、微笑んで頷いた。
「春はいいですねー。妻に似てるからかもしれませんけど、一番好きな季節なんですよねー」
 飄々と笑うヨミ。
「おや……それは、睦まじいことだ」
 神畏もまた笑い、ふたりはまた、桜を眺めた。
「飲み物のお代わり、食べ物の追加、ありませんかー? 美漢女メイド・ミナ子に幾らでもお申し付けくださいませー!」
 華やかな色合いのゴスロリワンピースに身を包んだ四幻ミナトもといミナ子ちゃんは、ほのぼのとした光景の中、スカートの裾を翻して走っていた。
 あちらへハーブティー、こちらへはコーヒーを、向こう側にはクッキーの盛り合わせを。
「この際だから、楽しまなきゃ、損だしね」
 美漢女メイドとして駆け回りながらも、本心からの笑顔をこぼすミナ子ちゃんである。
 ミナ子ちゃんがチョコレートをお届けした先に、マリエ・ブレンステッドとエズヴァード・ブレンステッドがいた。
「きれいね……おじいさま」
 瀟洒なテーブルにお行儀よく腰掛けて、マリエは桜を見つめている。
 テーブルにところ狭しと並べられた、色とりどりの果物を使ったタルトと様々なチョコレート菓子は、孫のためにエズヴァードがチョイスした品だ。
「あの方は退屈そうなご様子でしたが、穏やかな日々は貴いもの。余生を静かに過ごすとしましょう」
 今はもうここにはいない――その理由を知っているのはエズヴァードだけだ――悪魔紳士のことを脳裏に思い描き、くすり、と笑って老人はティーカップを手に取る。
「どうなさったの、おじいさま?」
「いいえ、何でもありませんよ、マリエ」
 エズヴァードが微笑むと、マリエも微笑み、そして祖父を真っ直ぐに見つめた。
「マリエね、おじいさまといっしょにいられて、ほんとうにうれしかった。アーベルがいないのはさびしいとおもっていたけど……おじいさまが、マリエのいちばんですもの」
「ええ……私にとっても、マリエは一番ですよ」
「だいすきよ、おじいさま。おじいさまといっしょなら、きえるのだってこわくないわ。ずっとずっと、マリエのそばにいてね」
「勿論ですとも。マリエをひとり置いて逝くことも、マリエひとりを逝かせることもあってはならぬこと。……我々はともに在り、ともに逝くのです」
「ええ。マリエはとてもしあわせだわ、ずっとおじいさまといっしょなのだもの」
 穏やかな感情と時間とが流れている。
 それは、レオ・ガレジスタも同じだった。
 彼は職場で飼われている紀州犬ムクを連れてお茶会に参加していた。
「ああ……綺麗だ。自然って……素晴らしいものだね」
 自分の足元にごろりと寝そべり、ゆったりした時間を満喫しているムクを、眼を細めて見つめたあと、レオは薄くすべすべした手触りの、白磁の湯呑み茶碗を傾ける。
 一晩かけて淹れたという、水出し玉露は、やさしくほろ苦く、緑のにおいがして、甘かった。
「でも……この世界でも少しずつ自然は少なくなっているんだよね」
 自然の破壊された世界から来た彼にとって、ここは楽園だった。
 だから、この世界の人は自然の大切さを忘れないでほしいと思うのだ。
 自然が失われた世界とそうでない銀幕市の両方が写った自分のフィルムは、啓蒙という意味でも最適だろう。人々は、彼の故郷を見、この世界の美しさを見て、その貴さを知るだろう。
「だから……今は、少しでも多くの、美しい風景を目にしておこう」
 眼に、記憶に焼き付けておきたい。
 すべての美しいものを。
 しかし、それは何も、景色だけを言うのではなかった。
「人が人を呼ぶって、こういうことなんだろうなぁ」
 スウィートなロリータファッションでお茶会に参加した森砂美月は、森の娘たちとガールズトークを楽しみながら、銀幕市らしい『つながり』の輪を……和を、微笑を浮かべて見つめていた。
「……素敵な連鎖」
 あちこちで笑顔がこぼれている。

 ミケランジェロと昇太郎もまた、笑顔だった。
 ふたりは、十年来の親友のように並んで座り、一面を埋め尽くす桜を見つめていた。
 この街で――この生で初めて得た、何よりも大切な親友。
 ミケランジェロは、彼が幸せで在れる今を終わらせたくなどなかったし、故郷に還したくなどなかったが、彼がそれを恐れていないのなら自分が何を言うことも出来ないのだ、と己を納得させている。
「ミゲル」
「あ?」
「あの約束……覚えとるか」
「……ああ」
 それは、かの絶望の巨魁が空を埋め尽くした選択の時に交わした誓い。
 『どこへ消えても必ず見つけてやる』。
「待っとるけぇ。……破ったら、承知せんぞ」
 昇太郎は笑って言った。
 この街で得た赦し、たくさんの出会い、与えられた愛。
 それらに感謝し、自分の幸いを思うと同時に、その傍らにいつもミケランジェロがいたことを実感している。
 その日々があまりにも愛しく、輝くから、願わくは――否、必ず――もう一度出逢いたいのだと、そして同じように肩を叩き合い、笑いあうのだと、子どものような頑是ない強さで思う。
「ハッ、お前こそ、忘れんじゃねェぞ? 俺ァ執念深いんだ。どこに逃げたって、必ず見つけ出してやる」
 ミケランジェロは陽気に笑い、昇太郎の肩を叩いた。
 そこへ、
「お茶いかがですかー」
 鳩の頭部を持つ小嶋雄が、お盆に湯飲み茶碗を載せて通りかかった。
 無表情な鳩フェイスなのにもびっくりするが、今の雄は明るい黄緑色のゴスロリワンピースに身を包んで――多分、包まされて――いて、
「ちょ、おま、それ、」
 あまりにもあまりな光景に、今までのしんみりした空気もどこへやら、思わず噴くミケランジェロ、過去何回か味わった悪夢を思い出して顔色を悪くする昇太郎。
「皆さんに楽しんでもらおうって裏方希望したんですけど……これ着せられちゃったんですよねー。もう勘弁してくださいよー」
 彼は、手伝いを、と申し出たら、ウェイターではなくウェイトレスになってしまったのだった。
「しかも、納得行かないことがあるんです」
「まァそりゃ今の姿の全部が納得行かねェだろ」
「やー、それもなんですけどね。源氏名が鳩子なんですよね」
「……え、わりと当然っぽい気がすンのは気の所為か?」
「えー? だって俺コジマユウですよ? コバトオスじゃないですよ? 鳩なんてどこにも関係ないですし……もうホント勘弁してくださいよー」
 アンニュイな溜め息をつく鳩子ちゃん。
 どこまでも無表情なので若干怖い。怒っているのだろうか。
「いや、……うん、そうだな、俺が悪かった……」
 あまりにもツッコミどころ満載過ぎて色々なツッコミを諦め、思わず目を逸らして謝ってしまうミケランジェロだった。
 そんな愉快な一場面。
 それら賑やかな喧騒から少し離れた場所で、狩納京平は日本酒を手酌していた。
「……もう、心配は要らねぇんだよな」
 この街の未来と師の笑顔を想いながら桜を愛で、馥郁とした香りの日本酒を楽しむ。
 傍らには形見の太刀『鬼斬丸』、手には金の耳飾り。
 自分が消えることに恐れもなく、ただ少しでも誰かの心に何かを残せたならそれでいい、と思う。
「俺は俺らしく生きた……概ね満足さ」
 師の最期の笑顔の意味が、何となく理解出来る。
 そんな気がして、京平は晴れやかに笑った。

 そこから少し離れた、桜ではなく薔薇が咲き誇る区画で、
「……不思議な日々だったわね」
 ヘーゼル・ハンフリーは優雅な手つきでティーカップを傾け、呟いた。白いテーブルの、隣の席では、ダニエル・リッケンバッカーが同じように白磁のティーカップを手にしている。
 ふたりは、とある事件で知り合い、たまにお茶をご一緒する仲だった。
「ああ、やっぱり……ファースト・フラッシュの華やかな香りはいいね」
「そうね、瑞々しいわ」
「それにこのスコーンもいい。お茶を引き立ててくれるよ」
 他愛ない会話を交わしてくすくすと笑い合うふたりの周りで、色とりどりの薔薇が華やかに薫る。
 来たのも唐突なら去るのも唐突だ、とヘーゼルは思っていたが、気持ちは穏やかだ。そんな時間を過ごしたからだろう。
 どこで何をしていようとも自分は自分で、とても真っ当とは言いがたい人間だが、
「……それでも、この日々を失うのは少しばかり惜しい気分だわ」
「そうだね、僕はここに来て日が浅いから、特に何ということもないけれど……非日常が終わるのか、と思うと、少ししんみりするね」
 その思いもまた、真実なのだった。



 2.鮮やかな日々を、

 相原圭は、青い海と空がどこまでも広がる夏の区画で、妖精のリャナとプレゼント交換をしていた。
「これ……昨日頑張って作ったアイスクリームなんだ。虹を再現しようと思ったんだけど……どうかな」
 ちょっと照れながらクーラーボックス差し出すと、リャナは幻想的な羽をふるりと震わせてそこへ舞い降り、中を覗き込んだ。
 赤はイチゴ、橙は杏、黄はレモン、緑はキウィフルーツ、藍はブルーベリー、紫は紫芋。青だけそれらしきものがなく、ブルーキュラソーシロップを使用してある。
 それらが、真っ白なヴァニラアイスクリームの中に練りこんである、とても美しいアイスクリームだった。
「おいしそー! ありがとう、けい!」
 にこにこ笑ったあと、リャナは、夜なべして作った『涼しいマフラー』と銘打たれた手作りスカーフを差し出した。
「これ、プレゼントこうかんのプレゼントだよー! がんばったんだから、だいじにしてよねー!」
「う、うん……ありがとう」
 圭が受け取ったそれは、淡いやさしいブルーのグラデーションカラーで、日に当てると銀の飾り模様と『K』のイニシャルが浮かぶ凝ったつくりになっている。……リャナが凝った云々を理解していたかどうかはさておき。
「……リャナちゃんにもらったもの、全部大事にするよ」
 圭はスカーフを握り締めた。
 リャナは約束が果たせたので大喜びだ。魔法のことも、自分が消えることも、よく判ってはいないので、無邪気に笑っている。
「……リャナちゃんの笑顔にいつも元気をもらってたんだ。ありがとう」
 だから、圭の言葉にも、不思議そうに首を傾げただけだ。
「? どしたの、けい?」
「ん、いや、何でもないよ。よし、じゃあお茶会を楽しもうか」
「うんっ」
 元気いっぱいのリャナに、圭は笑った。
 今は、こうして笑うことが、そしてこの時間を楽しむことが、何よりも大切なことなのだ。――それだけでいいのだ、と、寂しさを仕舞い込み、思う。

 青い海の真ん中の上空では、ルドルフが夜乃日黄泉とともに最後の時を楽しんでいる。
「今日ほど、永遠にこのまま時が止まればいいと思ったことはないぜ……」
 長い髪をまとめ、身体のラインを美しく際立たせるシルクのドレス、シンプルだが優美な黒いそれを身にまとい、同じ色の手袋をした日黄泉は、いつものように……そしていつにも増して、美しい。
「貴方と出会ったのって、いつだったかしら……」
 麗しい唇がゆったりと言葉を紡ぐ。
 ルドルフの背中に、しな垂れかかるように寝そべり、日黄泉は彼の逞しい横顔を見ている。
「……色んなことがあったけれど、楽しかったわよね。この世界と出逢えて」
「世界と、かよ?」
「ふふ……もちろん、貴方ともよ。出逢えて最高だったわ……」
 白いしなやかな手を伸ばし、ルドルフの首に腕を回して、目尻に、鼻先にキスをする。
「ああ……俺もだぜ」
 愛している、なんて陳腐な言葉は使わない。
 視線と視線が絡み合い、笑みのかたちに細められる。
 ――それだけで通じていると、信じている。

 同じ頃、葛城詩人もまた、恋人との逢瀬を楽しんでいた。
 傍らを歩くのはマリアベル・エアーキア。
 凛と強い眼差しの、やさしい、愛しい女だ。
 どこまでも続く白い砂浜を、手をつないで歩き、それから茣蓙を敷いて彼女が作ってくれた弁当を広げた。
 赤青黄色、白に茶色、目にも鮮やかな弁当に、たくさんの愛情が詰まっていることを感じ取り、それだけで幸せな気分になる。
「ん、この唐揚げ、美味い。spicyで、そのくせあっさりしてて」
「あら、そう言ってもらえたら嬉しいわ。ハーブをね、色々とブレンドしてみたのよ」
 にっこりと笑うマリアベルは美しい。
 詩人も、彼女を見つめて笑った。
 夢が醒め、逢えなくなることへの寂しさよりも、それ以上に、彼女とともに在れたこと、この街での思い出が愛おしく満ち足りていて、それらすべてに対する感謝の気持ちの方が大きいのだ。
 だからこそ、こうして、穏やかな時間を、彼女と過ごしている。
「Maria. I remember you, and I love you」
 手を握り、静かに告げられたそれに、マリアベルはまた、微笑む。
 そして、詩人に寄り添い、彼の身体に寄りかかると、
「……私もよ、詩人君。――大好きよ」
 近すぎる距離に嬉しさと戸惑いを感じ、そっと、つながれた手を引き寄せ、指を絡めて、ずっと一緒にいたいな、と真摯に思う。
 幸せで嬉しい。
 例え短い時間でも、それは違えようがない事実だ。

 恋人たちが静かな時間を過ごす中、一乗院柳は寂しさを振り切るようにお茶会を楽しもう……として、女王と無体な仲間たちの餌食になっていた。
「魔法終わっちゃうのかぁとか覚悟はしてたけど猶予があると余計寂しさが増すとかだからこそ楽しんで過ごさなきゃとか、色々思うことはあるんだけど、何もかもがこれで持って行かれたよ……!」
 柳は、これまで世話になった人々への礼や感謝をこめてお茶会の手伝いをしよう、と張り切ってやってきたら、いきなり例のツタにとっ捕まったのだった。そのうえ、いつも通り問答無用でパステルピンクのゴスロリワンピースで装わされ、すっかり柳紗ちゃんになってしまい、白い砂浜に半分埋まって打ちひしがれていた。
「最後までこれって……僕って、不幸……?」
「あら、そんなことはないわ、とっても幸せよ? ……主にわたくしたちが」
「僕の意志ってそこには含まれてませんよね」
 思わず素で突っ込む柳。
 もちろん女王はうふふと美しく笑うばかりだったが。
 女王の背後には、夏区画用の調理スペースがあって、森の娘数人に取り囲まれた鹿瀬蔵人がいる。
 たくましい身体を女物の着物と割烹着という大正おかん風ルックに包んだ蔵美ちゃんは、なんと、自ら志願して森の娘たちの生け贄もとい手伝いにやってきたのだった。
 もちろん美★チェンジは本意ではないが、もう今更だ。
「僕、『楽園』のレシピを全部覚えたいんです。このままこの味がなくなるのは惜しいし、皆さんがここにいた証って言うか……そういうものを、ちょっとでもいいから継いで伝えていきたいんです」
 『その日』のことを想像するだけでちょっと泣きそうになりながらも、真摯にそんなことを言い、森の娘たちを感動させた蔵美ちゃんだが、だからといって、傍迷惑な神聖生物のセクハラにストップがかかるわけでもなく、思う存分遊ばれている。
「こ、これも……幸、せ……なのかなぁ……?」
 若干首を傾げつつも、せっせとスイーツを作るサリクスの傍らで、蔵美ちゃんもまた懸命に働いている。
 その横を通りかかったサマリスも、夏の祭典でのブローチのお礼を兼ねて、お茶会の手伝いに従事しているひとりだった。
 精密機器の塊であるサマリスは、海に入ることは出来ないが、水場さえ避ければ力仕事から迷子捜索まで、なんでもござれだし、本人としても、戦い以外で役に立てることを喜ばしく思っている。
「あの時はありがとうございました、レーギーナ様」
 仕事が一段落したところで、サマリスは女王たちに礼を言った。
 きっとあのブローチの力もあったと、サマリスは信じているから。
「んん、ちょうどいいところに」
 そこへやってきたのはエンリオウ・イーブンシェンだった。
「あら、エンリオウさん」
 森の娘たちが魔法騎士を迎え入れると、彼は、綺麗にラッピングされたマドレーヌと、故郷のお守りを差し出した。双方、手作りである。
「んん、よい日和でよかったねぇ。お世話になったお礼を言ってまわっているのだけれど……気持ちが穏やかになるよ」
「そうね、本当に。……ありがとう、エンリオウさん。あなたのお心、嬉しく思うわ」
「こちらこそ、ありがとう。楽しい時間を過ごさせてもらったからねぇ」
 笑うエンリオウはどこまでも自然体だ。
 その傍らを、マイク・ランバスが通り過ぎていく。
 彼は、広い会場を色々と回り、今まで出会い、お世話になった人たちに声をかけ、感謝を伝えようと、やってきたのだった。
「ああ……心が洗われるようですね……」
 孤児院の子どもたちは気懸かりだが、今までに注いだ愛情に嘘も偽りもない。きっと彼らは、強く、健やかに伸びていくことだろう。その確信があるから、マイクは、嘆かないし、悔いもないのだ。
 あおいあおい、どこまでも続く海と空を見上げ、目を細めながら、マイクは、穏やかな表情で歩いていく。



 3.そして、きみの言葉を深く刻んで

 秋の区画は、紅葉と落葉の真っ只中だった。
 鮮やかに燃える葉が辺りを彩っている。
 ディズはそれを、桜夜とともに見つめていた。
「見られただろ、モミジ。……ちょっとずるいかも知んねえけどな?」
 昨年の秋に、奇跡のように美しい景色を見ながら交わした約束だった。
 春には桜を見に行こう、そしてもう一度秋が来たらまた紅葉を見に行こう、と。
 秋までの滞在は叶わなかったが、こうして、紅葉を見ることは出来た。
「ああ……見事じゃ」
 目を細め、頬をほんのりと上気させて桜夜が頷く。
 ディズは笑って青いトランペットを構えた。
 ――たぁん、と、高らかにメロディが響き渡る。
 再びの、紅葉の下で。
 彼女だけのために、最高の演奏を。
 そんな約束だった。
 桜夜が、ディズの紡ぐメロディに聞き惚れている。
 それが判るだけで、ディズは幸せだ。
「――忘れねぇから」
 妙なる響きを収束させてから、ディズは、もうひとつ約束をする。
「絶対に、忘れねえから。今日、ここで、サクヤと見たモミジのコト。――この街の全部」
「……ああ……そうじゃな……」
 すべての感慨、すべての思いをその笑みに乗せ、桜夜が微笑む。
 ディズもまた微笑み、桜夜と手をつないだ。
 はらりと舞い落ちる紅い葉を目で追いながら、ゆったりと流れる時間を楽しむ。
 森理は腕に大きな籠を抱えて歩いていた。
 籠の中には、林檎や葡萄、梨や柿など秋の果物がたっぷり詰め込まれている。森理は、これらを使って、シンプルなパウンドケーキを焼き、振る舞おうと思っていた。
「楽しい時間を過ごさせてもらったこと……感謝しなくては」
 彼女もまた穏やかな気持ちで今を過ごしていた。自分の時間がもうじき終わりを迎えるのだと判っていても、あの選択の時とは違って、酷く穏やかで凪いだ気持ちだ。やるべきことをなしとげた安堵がある。
 きっとそれは自分だけではないのだろう、と彼女は思った。

「危なかったぜ……ったくあの女王と非道な仲間たちはよ……」
 妖幻大王のランチを食べに来てうっかり女王たちに捕まりかけた神宮寺剛政は、ぶつぶつ言いながら歩いていて、ブルース・吉沢の引く屋台ラーメンと出会った。
 ブルースは、最後だから記念に、と、長らく仕舞いこまれていた古い屋台を出してきて出張ラーメン屋を開いていたのだが、これがまた、鶏がらスープのたまらなくいい匂いを漂わせており、ランチを食べ損ねた剛政が思わず吸い寄せられたのも道理と言えた。
「おやっさん、一杯いいかい?」
 問うと、ブルースはにかっと笑って頷いた。
 剛政は破顔し、礼を言って、特製チャーシューラーメンにんにくチップ載せを堪能した。
 その後、この上もなく満たされた気分で歩いていると、
「あっ、剛政! 貴方も来てたのね!」
 白いテーブルセットに陣取ったリカ・ヴォリンスカヤが満面の笑顔で手を振っているのを見かけ、また笑顔になって歩み寄った。
「『楽園』の新作スイーツなのよ、一緒に食べない?」
「ん、ああ……そうだな」
 剛政は甘い物がそれほど好きなわけではないが、相手がリカとなれば話は別だ。向かい合って座り、色鮮やかなスイーツを突きながら他愛ない会話に話を咲かせる。
「ええ、そうよね、ホント、楽しかったわ」
 話しながら、リカはもじもじしていた。
 実は彼女、今日こそは剛政に告白しようと思っていたのだ。
「えーと……その、あの。あと数日、よね……」
「ん、ああ、そうだな。本当にあっという間だったな」
 正直に言えば、リカは映画の世界には帰りたくない。
 ここでずっと、“可愛いパティシエ”のままでいたい。
 しかし、それが叶わないのなら、せめて、思いを伝えるくらいはしたい、と思った……の、だが。
「あの、あのね……実は……前からス……ス……」
「ス?」
「……スイートポテト作ったから食べない?」
「へ? スイートポテト? ああ、そりゃもちろん、ありがたくいただくが」
「じゃなくて、あの、その、ス……」
「ああ、ス、なんだ?」
「ス……スシ詰めで通勤電車に揺られる気持ちってどんなものなのかしらね」
「???????」
 剛政は、物凄いハテナを周囲に飛ばしたあと、ややあってくすりと笑った。
「あー……うん、なるほど」
「えっ」
「あ、悪い、ちょい席外すわ、待っててくれな」
「え、ええ……?」
 朗らかに笑った剛政が立ち上がり、どこかへ歩いていくのを見送って、リカは頭を抱えた。
「キャー! 好きだなんてとてもじゃないけど恥ずかしくて言えないわー!」
 思わず叫ぶリカ。
 はっきり言って周囲にはバレバレなのだが、リカ的にはどう頑張っても真正面から伝えるなどということは出来そうにない。
「ああもう、最後なのに……!」
 と、頭を抱えたまま叫ぶリカの元に、可愛い花束を手にした剛政が戻るのは、その五分後のことだ。
 春区画で手に入れてきたという紅い薔薇の花言葉は、愛。
 そしてそれと同時に、内気な恥ずかしさ。
 ……それを受け取ったリカが、一体どういう反応をしたのかは、ご想像にお任せする。

「はて……これはどう使えばいいのだ?」
 ベルナールは泡立て器を片手に首を傾げていた。
 今日の茶会には鉄塊都市の人々も招かれている。
 実は料理初体験のベルナールだが、最後の日々に、手作りの料理を振る舞いたいと思って、調理スペースで奮闘しているのだった。
「……皆元気そうだな、よかった」
 そのすぐ傍で、朱鷺丸がきゃあきゃあと喜び笑う赤ん坊を抱き上げながら笑っている。ケーキや甘味をご馳走したい、と鉄塊都市の人々を招待したのは朱鷺丸なのだ。
「そうだな、いつも通りだ。皆、この時間を楽しんでいる」
 答えるのは、ダークラピスラズリ最古の廃鬼師、壱衛だ。
「ベルナール、朱鷺丸、本当にありがとう」
 ベルナールは首を横に振った。
 完成した焼きケーキを皿に盛り、皆のもとへ歩み寄る。
「いや……最後に貴殿らに会えてよかった。和奏殿も、息災のようだ」
 きゃあ、と笑った赤ん坊が、ふくふくとした手をベルナールに伸ばす。
 ベルナールは、その手を取り、穏やかに微笑んだ。
 この街で、会うはずのないものたちと出会い、友も出来た。
 知らなかったことを知り、色々なものを――それは何も、物質的なものだけを言うのではない――もらった。主が不在であっても、ここはベルナールにとって優しい夢だった。
 彼はそれを、静かに感謝する。
「こうしてみると、この世界は本当に美しいな。ここに来られたことを、俺は感謝しなくては、な」
 朱鷺丸の、憧憬の込められた呟きに、いくつもの頷きが返る。
 と、そこへ、
「何をしている朱鷺子さん、仕事だぞ!」
 シンプルで可愛らしいエプロンドレスに身を包んだ白亜もとい亜子ちゃんがやってきて、間違った名前で雄々しく朱鷺丸を呼んだ。
 ぼふう、と、朱鷺丸の口から呼気が噴き出す。
 無論、今この場面でもっとも呼ばれたくない名前だったからに決まっている。
「っちょ、白亜、それ、」
「亜子先輩と呼べ」
 どこからどう見ても完璧なる美漢女メイドの亜子さんは、どこかハードボイルドに返して目を細めた。
 赤ん坊に視線が注がれている。
 それだけで、朱鷺丸の心境を察したのだろう、
「長い休暇が終わる。それだけだ。……あぁ、でも、素晴らしい休暇だったことは、間違えようがないな」
 微笑む亜子さんは、満ち足りた表情をしている。
「感謝以外の言葉は思いつかない……ありがとう」
 それは、たくさんの人々、事象に向けられた言葉だっただろう。
 朱鷺丸はほんの一瞬唇を引き結び、それから、盛大な溜め息をついて赤ん坊をベルナールに託す。当然、亜子さんとともに、最後の職務をまっとうする覚悟を決めたからだ。
「不思議な気分だわ……いつもと違った自分、と言えばいいのかしら」
 スタッフスペースにやってきた朱鷺丸が朱鷺子さんになって旅立つ横では、何故かメイド服を着た流鏑馬明日が、レーギーナとともに給仕に精を出している。
「素敵よ、明日さん。一緒にお給仕が出来て嬉しいわ」
「……そうかしら? だったらいいのだけれど」
 明日は小首を傾げたあと、
「以前頂いた宝玉で、大切なお友達を守ることが出来たの。……それと、あの春のお茶会。……あれから自分の心が晴れた気もして……よい友達にも恵まれたし……後悔せずに、今日まで進んで来られた気がするわ。感謝しています」
 ぺこりとお辞儀をして、若干ぎこちない手つきでトレイにアールグレイのお茶と苺のチーズタルトを載せた。
 届けに行く相手は、――ドクターD。
 彼は、木陰のテーブルで、分厚い本を広げている。
「ドクターD……キリアン」
 そっと、彼女にだけ許された名を呼ぶと、美しい精神科医はその白い面を上げ、微笑んだ。
「……明日」
「あの……お茶を。貴方の大好きな、苺のチーズタルトを持って来たの」
「おや、それは嬉しいですね。ありがとうございます」
 白く繊細な指先が、明日の手からティーセットを受け取る。
 明日はそれを、飽くことなく見つめ、
「…………ありがとう」
 そう、小さくつぶやいた。
 そこに込められた万感の思いなら、きっと、彼に届いたことだろう。
 何故なら、白く穏やかな微笑が、明日にだけ、向けられたから。

 リゲイル・ジブリールは、最後のお茶会に裏方として参加していた。
 以前、哀しい事件があって落ち込んでいた時、とてもやさしく持て成してもらったことがあり、救われる思いをしたので、そのお礼と今までの感謝を込めて、精一杯働きたいと思ったのだ。
「ええと次は……あら?」
 忙しく立ち働いていたリゲイルは、接客用ブースの料理置き場を行き来していて、きのこと鶏ささみのクリームパスタをつまみぐいしている小さなバッキーを発見した。
「わ……うちの銀ちゃんの半分以下?」
 リゲイルのバッキーは大き過ぎるという噂だが、このラベンダーカラーのバッキーは小さ過ぎた。誰かに踏まれてしまうかもしれない、と両手に掬い上げ、きょろきょろと周囲を見渡す。
「誰のだろ……ねえ銀ちゃん……って、あれ?」
 相棒に問いかけようとして、サニーデイの特大バッキーがいないことに気づいた。
「銀ちゃん? どこに行っちゃったの? まさか……銀ちゃんがあんまり可愛いからって、誘拐……!?」
 あらぬ方向へ想像が転がり、冷や汗が噴き出しそうになったリゲイルだったが、
「ほんまにおまえは食い意地が張っとるのぅ」
 呆れたような声とともに接客用ブースに踏み込んで来た、不思議な風合いの瞳をした青年の肩に、相棒の姿を見い出して安堵の息を吐いた。
「銀ちゃん!」
「ん、このバッキーはアンタのか。そりゃよかった。うちのを拾ってくれてありがとう、助かりました」
 青年は南雲新と名乗った。
「あ、そうなんだ、よかった。それと、ありがとう。……あなたのバッキー、小さいね」
「ギア言うんやわ。確かに小さいな……アンタんとこのバッキーと比べたら、なんや、別のもんみてぇな気がするわ。正直、あまりのでかさにびっくりしたもんなぁ」
「銀ちゃんっていうのよ。ホント、全然違うわね」
 顔を見合わせ、くすくすと笑い合う。
 最大と最小のバッキーが、それを、鼻をふこふこと動かしながら見上げていた。
 ふたりはその愛らしさにも和む。
 もうじきお別れになる『相棒』だけに、今は、記憶の中に姿を焼き付けておきたい、と思うのだ。
 そこへ、シンプルなエプロンを身に着けた続歌沙音がやってくる。
「お邪魔するよ。向こうのテーブルで、果物のタルトワンホール希望って人がいるんだけど……丸々残ってる奴ってあるかな」
 歌沙音は、お世話になった人たちがたくさん来ているのもあって、裏方に回って手伝いをしていた。
 あと数日で別れを向かえる人々の中にも、もちろん、親しく言葉を交わし、様々なイベントで顔を合わせた人たちがいる。
「本当に……あとちょっと、なんだよね」
 歌沙音が呟くと、リゲイルと新が小さく頷く。
 歌沙音はタルトを準備しながら、でも、と続けた。
「寂しいけど、なんだろうね。本当の別れだとは思えないんだ」
 会えないことすべてを別れというわけではない。
 それに、夢はなくならないだろう、と。
 そう思えるからこそ、嘆かず諦めずに、前を向いて歩けるのかもしれない。

「――……ん」
 スイーツ目当てにやって来て、色々な人と擦れ違っていた来栖香介は、
「……Sora」
 紅葉に燃える秋区画の一角で、歌姫Soraとばったり行き逢った。
 いつものように、色素の薄い、華奢な身体を、洒落たデザインのワンピースで包んだ少女は、驚いたように目を瞠り、
「あんた、いろんなところで歌ってるだろ、最近」
 香介の、その言葉に、ほんの少し、目元を上気させた。
「……ええ。それが?」
「ん、いや……別に」
「そう。……それじゃあ」
「ああ」
 気づかれていたことに照れているのか、気恥ずかしげに、そそくさと表現すべき速さで立ち去るSoraの背に向かって口を開きかけ、香介は首を横に振った。
「ったく……オレらしくねぇ」
 いいのか、と、訊きたかったのだ、本当は。
 だが……無意味だし、無粋だと思いなおして、やめた。
 淡々と過ぎていく、その事実に変わりはない。
 それ以上もそれ以下も、彼らにはないのだから。



 4.その刹那にすべてが宿る

 梛織は上機嫌だった。
「見よ、俺の、弟たちへのラヴパゥアッ!」
 とかなんとか叫びながら、ものすごい勢いで特大シャベルを動かし、怒涛の速さでかまくらを創っていく。
「すごいよお兄ちゃん、カッコいい!」
「さすが梛織お兄ちゃんだよね。すごーい」
 傍らでは、最愛の弟たち、レドメネランテ・スノウィスとミリオルがいて、梛織の鮮やかな手つきに惜しみない声援を送ってくれる。
 ――これでハッスルしない梛織など、梛織ではない。
「はっはっは、任せなさい! でっかいかまくら創って、兄弟水入らずでイチャイチャしようぜ……おっとやばいやばい、鼻血が……!」
「……相変わらずだナこの変態君め」
 兄弟愛という無限のエネルギー源でひとりかまくらを作る梛織に、クライシスが呆れたような小馬鹿にしたような表情で突っ込む。
 ちょっと手を止めた梛織が、小首を傾げた。
「あれ、挨拶まわり終わったの?」
 クライシスは、目を輝かせてかまくらを見上げている少年ふたりを見遣った後、肩をすくめた。
「俺には挨拶する奴がいねぇよ」
「あー……」
「だが、お前にはたくさん出来たな」
「えっ」
「挨拶するような、大切な奴らが。――……よかったじゃねぇか」
「ええっ」
 いきなり気遣いらしきものを見せたからか、とんでもなく驚く梛織を無視して、
「お前の料理は塩辛かったし、掃除は雑だった。部屋の隅はもっと丁寧に掃けよ。それから味付けはちゃんと軽量カップを使うように。それと……」
 思う存分文句と小言を垂れ流した後、ちょっと笑う。
「でも、退屈はしなかったし、なかなか楽しかったゾ」
「……知ってるよ、お姑さん」
 同じ俳優、同じ顔だからこその、以心伝心の絆。
 この街で出会って、暮らした日々を、愛おしく思う気持ちに変わりはない。
「……じゃあナ。まぁ、変態行為にだけは及ぶなよ、通報するゾ」
「及ばねぇよ!」
 けらけら笑って離れていくクライシスを見送り、梛織は弟たちを手招きする。
 梛織に、ミリオルともどもぎゅっと抱き締められて、レドメネランテは、久々の雪に故郷を思い出していた。もうすぐお別れか、と思うとしんみりするが、梛織やミリオルと一緒だと、その寂しさも和らぐ。
「俺はレンとミリオルのお兄ちゃんだ」
 同じことを感じていたのか、梛織がぽつりと言った。
「誰に何言われても、ふたりは大切な弟だよ。それだけは忘れないでくれ」
 レドメネランテは頷き、梛織の腕を抱き締めた。
「ボクたちは離れ離れになっちゃうけど、それでも、ボクはきっと忘れないよ。忘れてしまうかもしれないけど、それでも、忘れない」
「うん……僕も。あのね、もう少しで僕たちは銀幕市からいなくなっちゃうけど。でも、消えたあとどこにいくんだとしても、お兄ちゃんやレドのことは忘れないから。絶対に忘れないよ……ずっと兄弟でいる。大好きだよ」
 ミリオルの笑顔も晴れやかだった。
 ここで築いてきた温かい感情が、彼らに、今を嘆くより喜ぶ気持ちを与えている。
「みんなみんな、お兄ちゃんもミリオルも大好きだよ! ありがとう」
 レドメネランテは満面の笑みを浮かべて、梛織を、ミリオルを抱き締めた。
 それだけで、胸が熱くなる。

 シグルス・グラムナートは香玖耶・アリシエートとお茶を楽しんでいた。
 降りしきる雪で、ひとしきり遊んでからの、穏やかな時間だ。
 子どものようにはしゃぐ香玖耶の姿を思い出すと、それだけで幸せな気持ちになる。
「カグヤ」
「……シヴ」
 かまくらという、小さなふたりきりの空間が楽しい。
 他愛ない軽口の応酬の後、ふと会話が途切れたところで、ふたりは同時に名前を呼んだ。
「魔法が終わらなければいいのに、と、何度も思う。ここで、お前に触れて、名前を呼んで、愛していると何度も言葉にして、ずっといられたら、と」
「ええ……判っているわ。だけど私、満足もしているのよ。だって、貴方の傍で、貴方を思いながら、一緒に最後を迎えることが出来るんですもの」
 そっと伸ばした香玖耶の手が、シグルスの頬をなでる。
 シグルスはその手を取り、手の平に口づけた。
「カグヤ……愛している。魔法が終わっても、俺の誓いは消えない。俺の心は、永遠にお前のものだ……だから、ずっと一緒にいような」
 歓びに頬を上気させ、頷く香玖耶を、
「私もよ……愛しているわ、シヴ。魔法が解け、この身が朽ちても、心は永遠に貴方の傍に在る。それが、とても幸せ」
 指を絡めて引き寄せる。
 視線が絡み合い、――そして、そっと、唇が触れ合った。
 その温かさに、息が詰まるような幸福が、込み上げる。

 ルウはシャノン・ヴォルムスと一緒に雪だるまを作っていた。
 故郷は雪深い地だったから、冬の光景を見ると、そのことを思い出す。
「ルウ、次はかまくらを作ろう。中で、温かいココアを飲もう」
「……うん」
 故郷は怖い記憶ばかりだ。
 痛い、辛い記憶ばかりだ。
 それでも、七年間も過ごしたところなのだから、懐かしく思わないはずがない。雪を見ていると落ち着くことに不思議もない。
 ルウが大小ひとつずつの、親子雪だるまを眺めている間に、シャノンは手際よくかまくらを作り上げ、中へとルウを招いた。
 雪で作ったテーブルに、温かいココアや、生クリームや果物がたくさん載ったタルトを置き、楽しむ。
 のんびりとした穏やかな時間が流れる。
 シャノンは、無心にケーキを食するルウを、目を細めて見つめていた。
 愛しい日々ももうじき終わる。
 そのことを寂しく思うと同時に、これまでに築いてきた温かい感情を貴く、得難くも思うのだ。
「……ぱぱ?」
 ふと気づくと、ルウが真っ青な目でシャノンを見上げていた。
「ああ、どうした」
「あのね、るう……ぱぱのこと、だいすき」
「……ああ、俺もだよ、ルウ」
 シャノンは微笑み、ルウを膝の上に抱き上げた。
 ルウがぎゅうと抱きつく。
 その髪をやさしく梳いてやりながら――そしていつしか眠ってしまったルウの可愛い寝顔を見つめて、どうかこの子が幸せであるように、とシャノンは祈った。
「……あの、すみません」
 そこへ顔を覗かせたのはアルだった。
「アル。……どうした?」
 ルウを片腕に抱き上げたまま歩み寄ると、アルはシャノンの、空いている方の手を取った。そして、手の甲に、そっと唇を触れさせる。
「……ありがとう」
 穏やかな微笑が、少年の唇を彩っている。
「シャノン、貴方と過ごせて……貴方を愛せて、僕は幸せでした。いいえ、きっと、ずっと、幸せです。本当に、ありがとう」
 透き通った眼差しにシャノンは思わず言葉を失い、瞑目して、アルのしなやかな身体を抱き寄せる。
「礼を言うべきは、俺だ。ありがとう、アル……俺に再び、愛する者を得る幸いを与えてくれて」
 別れが迫る。
 そのことに、胸が押し潰されるような哀しみを感じる。
 けれど、出逢ったこと、愛したこと、ずっとずっと愛し続けることへの感謝と喜びに、ひとかけらの偽りも、曇りもないのだ。

 ジラルドは途中で行き逢ったアレグラとともにリオネへの挨拶を済ませたところだった。
 彼はそもそも、難しいことを考えるのが苦手だが、だから、というだけではなく、自分が消えることへの辛さや哀しみ、別離の寂しさは感じていなかった。それ以上に、晴れやかな気持ちでいた。
「何でだろーなぁ」
「ん、どした、ジル」
「いーや、不思議だなぁってさ」
「ふーん?」
「ま、難しいことはいいや。……ありがとな、アレグラ」
 笑って、アレグラの頭を撫でると、アレグラはきょとんとして、それから笑った。
「ありがとう、アレグラも言う。いっぱいいっぱい、皆に、言う」
「……ん」
 ジラルドが、アレグラと同じ黄金の目を細めて笑った時、
「む、また貴様か」
 目の前に、仏頂面の大教授ラーゴが立ちはだかった。
「あ、ラーゴ。あんたも、ありがとな」
 ラーゴはもちろん、アレグラと仲良くしているジラルドに嫉妬心満開だったに違いないのだが、ジラルドにとってはラーゴもまた同じ思い出を共有した大切なひとりに変わりはなく、彼は、無邪気ですらある笑みを向けた。
「……むう」
 悪態をつくにつけなくなり、思わず唸るラーゴ。
「ラーゴ、雪ガッシャーンするぞ!」
 そのラーゴ向けて、アレグラが、掌の口から雪を発射した。
「ぶお!?」
 雪塊を諸に喰らい、ラーゴが引っ繰り返る。
 アレグラはジラルドにも雪をぶつけて笑った。
「はは、よし、オレも負けてらんねー!」
 楽しげに笑ったジラルドが、せっせと雪玉を作っているところへ、
「あのう……」
 つい先刻まで勇者解禁で裏方に回っていた鈴木菜穂子が声をかけた。
 残像が見えるくらいの速さで、各テーブルへ食べ物や飲み物を運んだり、食器運搬や食器洗いに従事したりしていた彼女だったが、最後なので少しくらい遊びたいなーと思って、ここへやってきたのだった。
「ん、お前も雪合戦してーのか? もちろん、大歓迎だぜ!」
 彼女の意図を正しく理解してジラルドが笑う。
 その向こうでは、ラーゴが、瞬間移動しながらアレグラを翻弄し、特製の銃で雪玉を撃っていた。もちろん、手加減はしているのだろうが、どちらにせよ、雪玉がばんばん当たってもアレグラは笑顔だ。
 両手の平から、菜穂子に向かって雪を発射する。
「はっ!」
 伝説の勇者はそれを残像が見える速度で避け、くるくると華麗なターンを極めて手にした雪玉を投擲した。
 ぎゅァおん、という、雪合戦にあるまじき音がしたが、それはアレグラの放った雪塊によって打ち落とされてしまった。
「なかなか……!」
 四人の中では一番普通の雪合戦をしているジラルドが、普通に投げてくる雪玉を避けつつ、思わず唸る菜穂子。
 そうして小一時間楽しんだ辺りで、菜穂子の腕時計がアラーム音を鳴り響かせた。
「ん?」
 眼を瞬かせたジラルド、アレグラに、
「鈴木の遊び時間終了! お世話になりましたッ!」
 ものすごい低姿勢でへこへこと頭を下げながら、菜穂子は再び自分の戦場へと帰っていく。もちろん、このあとも、勇者パワー全開でお茶会を支える所存である。
「……ふむ」
 ラーゴは雪玉射出銃を仕舞い込み、アレグラを呼んだ。
「甘酒でも飲みに行くか」
「む。いいだろう、受けてたとう。……ジル、またな」
 ジラルドと別れ、ラーゴは、雪の降りしきる道を、彼女と歩いた。
 深い感慨が、じわりと込み上げてくる。
 映画では絶望して死んだが、ここでもう一度会えた。
 知らなかった表情を沢山見られた。彼女について知らなかったたくさんの真実を知ることが出来た。少しだけ判り合えた。
「楽しい世界に来られて、よかったな……」
 ぽつりと呟き、小さな手を握る。
 ――アレグラは、手を振り払わなかった。
 それだけで、また、ラーゴの胸を、熱いものが込み上げる。



 5.さあ、消えぬ誓いをここに

 冬区画の別の場所では、賑やかな輪が出来ていた。
 古民家メンバーとWD隊員、そして彼らの友人たちという、いつもの面々が色々な材料を持って集まり、特大のかまくらを創って、そこで鍋パーティを始めたからだ。
 そこには、既に十人以上が集まっていて、わいわいがやがやと銘々に様々なことを話しているし、外では、寒くないのに完全防寒ルックの綾賀城洸が、かまくらや中にいる人たちの撮影に勤しんでいる。
 沙闇木鋼はどこかからしとめてきた山鳥や兎、それからとっておきの焼酎を持ってかまくらを訪れ、今は穏やかな表情で賑やかなパーティに加わっているし、折角だからと公園を訪れたはいいものの森の女王と愉快な仲間たちに取り囲まれかけて死ぬ目を見たというクレイ・ブランハムは、かまくらの隅っこで雪の壁にめり込みかけながら遠い目をしている。
「……十狼さん、おでんダネと猪肉って一緒に入れていいと思います?」
 片山瑠意は、かまくら内の大きな鍋の前に陣取って、自分が持ち込んだおでんダネと阿久津刃が持ち込んだ色鮮やかな猪肉とを交互に見比べていた。
「……さて。深みは増すやも知れぬが、雑味も増しそうだな。若はどうお思いで?」
 慣れた手つきでせっせと野菜を鍋に入れながら、十狼が隣の刀冴に尋ねると、刀冴は傍らの徳利から猪口に酒を注ぎ、それをくいと飲み干して、ぐつぐつと煮え滾る別の鍋に白身魚の切り身を沈めた。
「こっちは魚系用の鍋だから肉ッ気入れたら殴るぞ。味が濁る」
「御意」
「殴るって言っちゃう刀冴さんも刀冴さんだけど、そこで御意とか返す十狼さんも凄いよね……」
 ホントどんだけこの人刀冴さんが好きなんだ、と、天人主従のあまりの主従っぷりに、やっぱり俺のライバルは以下略、と瑠意が悶絶している横では、お気に入りの紅茶葉を持って来ていたランスロットが、これを鍋で煮出したら美味しいのでは……と真顔で口にして刃に呆れられている。
 何せランスロット、生粋のイギリス人である。鍋などという文化は、さっぱり判らない。
「ナベとは不思議な食べ物ですね……」
「いや、ひとっつも不思議なことねェから。つぅかハリス、お前も何持って来てンだよ」
「……見れば判るとおりだ」
「いや、見りゃ判るが明らかにおかしいだろそれ」
 刃にまたしても呆れ声を上げさせたのはハリス・レドカインで、彼は、海老や豆腐はさておき、何故かバナナやトマトや丸ごとのココナッツ、更にパパイヤやアボカド、マンゴーまで持ち込んでおり、しかも本気で鍋にはこれ、と思っていたらしく、
「お前らは鍋をどういう食い物だと思ってンだ……?」
 若干疲れた風情の刃の溜め息にも、きょとんとした表情をするのみだった。
「幸せだなぁ、ホント」
 大好きな人たちに囲まれて幸せ笑顔の理月は、刀冴が取り皿に入れてくれた魚や野菜を食べているところだった。
 隣には、保護者の老夫婦と、以前何かの依頼で親しくなったという神聖騎士グリゼルダ同伴の太助がいて、老夫婦とグリゼルダが穏やかに親交を温めるのを、嬉しそうに見ている。
「太助、この白身魚美味いぞ、食ってみろよ」
「ん、ありがと。んじゃあかっち、こっちの肉もうめぇぞ、食え食え」
 大好きな仔狸と具材の交換をして蕩けるような笑顔を浮かべている理月を、月下部理晨とイェータ・グラディウスが、年の離れた弟を見るような目で見つめていた。
「ん、どした、理晨?」
「……いいや。こういう雰囲気、好きだなぁって思ってるだけさ」
 穏やかな微笑を浮かべる理晨。
 ヴァールハイトはそれを見ながらワイングラスに深紅の液体を注いでいた。
 鍋の具材を持って来いと理晨に厳命された彼は、いつものセレブ振りを発揮してとんでもねー高級食材ばかり持ち込み、言った当人に呆れられていたのだが、ヴァールハイトにとっては普通のことだったので、首を傾げていた。
「ったくこのセレブ様には毎度のことながら恐れ戦くぜ……」
「何持って来たんだ、ヴァールハイトは」
「なんかスゲー高そうな肉とか蟹とか鮑とか」
「……金持ちってすげぇなぁ」
 理晨が呆れ、理月が遠い目をする。
 ヴァールハイトは特に気にしておらず、グラスに注いだフルボディの赤ワインをブラックウッドに勧めた。
 金の目を細めて礼を言ったブラックウッドが、優美な手つきでグラスを持つ。
「ほう……これは、シャトー・オー・ブリオンの1989年ものだね。深い薫りと色合い……ふむ、これは素晴らしい」
「参考までに訊くけどそれって幾らくらいすんの、ブラックウッドさん」
「何、それほど高価でもないよ。三十万円くらいのものだ」
「いやいやいやそれ俺の一ヶ月の生活費以上だから!」
「そうだろう、ヴァールハイト君」
「そうだな、本当は記念に1945年ものでも、と思ったんだが、生憎在庫が切れていたようでな」
「……それ幾らくらいするもんなんだ、ジーク」
「二百万くらいのものだろう。大した額でもない」
「お前一遍呪われるべきだと思う」
 ぼそりと言われて心底納得の行かない顔をするヴァールハイト。
 スルト・レイゼンは刀冴の隣で世話を焼かれながら『雪で作った家』に感激しているところだった。
「雪と言うのはすごいものなんだな……」
 そもそも砂漠の民である彼に雪は馴染みの存在ではなかったのだが、以前、刀冴とともにそれを見て以来、更に特別な感慨が加わったのもあって、スルトの眼差しには憧憬がある。
「そうだな、面白ぇよな。……ほらスルト、食え。あんたが持ってきた大量の糸蒟蒻もいい感じに煮えたぜ」
 器用に長い菜箸を操り、刀冴がスルトの取り皿に魚や野菜、糸蒟蒻を入れてやる。
「……賑やかな場所で、皆で美味しい食事、って……幸せだな」
 最後だからどう、ということでもなく、のんびりと今の幸せを噛み締め、ゆったりと流れる楽しい時間に浸るスルトに、
「はは、あんたらしくていい」
 刀冴が快活に笑った。
 と、そこへ、
「おおーい、オレたちも混ぜてくれー」
 と、やってきたのは金の獅子型獣人トト・エドラグラと人狼の戦士守月志郎だった。すでにどこかで一杯やってきたようで、トトは少々足取りが危なっかしい。それを、苦笑交じりの志郎が足元に気をつけろよ、などと気遣ってやっている。
「あ、トト、志郎さん! こっち来いよ、一緒に食べようぜ!」
 動物大好き、な理月が満面の笑顔で手招きすると、トトは上機嫌な笑顔でひとつしゃっくりをし、おもむろに、鬣で身体を覆ってかまくらの入り口で丸くなった。
 そして、
「蜜柑」
 と、何の説明もなく一言。
 えっそれ何の一発芸!? とツッコミ気質の方々が思わずツッコミを放つ中、尻尾で志郎を促す。
「えー……どうしてもやらなきゃいけないのか……?」
「トーゼンだろ! 早く早く!」
 テンションの高いトトに急かされ、志郎はしばし逡巡していたが、ややあってひとつ溜め息をつくと、何故かいきなり人狼化した。
 そして、トトの隣で彼と同じように丸くなり、
「晩白柚」
 またしても何の説明もなく一発芸を披露。
 ぶッ、と誰かが吹き出した。
「あ、受けた」
 やれやれ、と溜め息をついて志郎は人狼化を解いた。
 勧められるまま中へ入り込み、グラスを受け取ってトトや友人たちと乾杯する。
 トトが、自分がこの街でやるべきことは終わった、もう何も心配は要らない、と晴れやかな気持ちでいるのに対して、志郎は平和なここから去らねばならないことを寂しく感じている。
 ここで、気のいい人々と、ずっと過ごせたら、と願わずにはいられない。
「……皆、いいカオしてるな」
 けれど、もうじき去ってゆく人々を含め、皆が、迷いも曇りもない、後悔のない笑顔をこぼしているのを見て、自分もまたやるべきことを精一杯やったのだから、と、思いもするのだ。
 後からやって来た人々がまったりと鍋をつつく中、満腹した連中が外へ飛び出していき、一面の雪景色に歓声を上げて雪だるまを作ったり雪合戦を始めたりして、一気に騒がしくなる。
 太助は理月と彼の愛犬恵森、ワイバーンの稀邏、そしてブラックウッドの使い魔と一緒に雪塗れになってはしゃいだ。
 ふわふわとした雪が降り積もる。
 冷たくないのに、それは、手の平でゆっくりと溶けていく。
「……なあ、あかっち」
「ん」
「俺と遊んでくれて、ありがとう」
「……うん」
「楽しかった?」
 笑って訊くと、無防備な笑みが返った。
 太助も笑って、自分だけの特等席、彼の頭の上によじ登る。
「楽しかった。太助と会えて、よかった」
「……そっか」
 誰かを楽しませるために生まれて来たことが、太助の誇り。
 誰かの笑顔のために存在できたことが、太助の喜びだ。
 別れは間近に迫るけれど、幾重にも幾重にも織られたその日々を、何ひとつとして後悔しないから、最後まで笑う。
「俺さ……何も後悔してねぇから。不思議なくらい、静かで穏やかな気分なんだ」
 理月もまた、同じ気持ちなのだ。
 この街がくれた喜び、幸い、救い。
 笑顔で終わる以外の在り方が判らないくらい、感謝している。
 それを、理晨が、切ないような嬉しいような表情で見つめている。
 理月の、彼を愛し彼が愛した人々の笑顔を記憶に刻みつけようと、一挙手一投足を見守っている。
 別れが迫る。
 それが哀しい。寂しい。
 けれど、
「だけど……この時間をもらえたから、俺は、絶望しねぇで、また明日も歩いていける」
 この一年間で得たすべてを愛しく思うから、嘆かない。
「理晨はとてもよい出会いを経験しましたね」
 隣に立ったのは、微笑を浮かべた唯・クラルヴァインだ。
 理晨は小さく頷いた。
 唯は、彼の頬に手を当て、慈しむように指先でなぞった。
「彼がいつまでも貴方の中に存在し続けることを、貴方は知っていますよね?」
「ん」
「貴方が彼の笑顔を覚えている限り、彼はずっと笑顔ですよ。同じく、貴方が笑顔でいれば、彼も、ずっと貴方の笑顔を覚えていてくれます」
「……うん」
 家族の気遣いが嬉しくて、理晨が目元を和ませる。
 リシャール・スーリエは妙な牛柄のファーつきジャケットに身を包み――といっても寒くはないのだが、気分の問題だ――、元気一杯雪合戦をしている連中と理晨とを交互に見比べた。
 理晨の気持ちは勿論判る。
 魔法が消えることよりも、それで理晨が哀しむ方がリシャールには問題だ。
 だからといって、あまりしんみりするのも好きではない。
「別れたってさ」
 ぼそり、と言うと、理晨はやっぱり気づいてくれて、
「ん、どした、リシャール?」
「……別れたって、本当のさよならなんてないよ、リシン」
 リシャールの言葉に、困ったような――しかしすべてを受け入れたような、穏やかな顔で笑い、頷いた。
「……うん」
 トイズ・ダグラスはハリスや理月、太助と雪合戦に興じていたのだが、理晨が視界に入ったので引き寄せられるように彼に駆け寄った。
 夢が終わることに関しては、スターが消える、程度にしか考えていないトイズだが、理晨はどうなんだろうとふと考えて、自分はWDのメンバーがいるだけで充分だが、『弟』や友人のスターが消えて理晨は寂しい思いをするのだろうか、と、少し心配になったのだ。
「……理晨!」
 心配になった挙げ句、いきなり理晨に抱きつき、大型犬さながらにその場に押し倒してしまうトイズを、憤怒の表情で刃が見ているが、気にしない。
 彼は、自分がここにいるのだから寂しくなんかない、と言いたかったのだが、巧く言葉にならず、強く抱きつくに留める。
「っと……どしたよ、トイズ」
 雪に埋もれつつ、理晨が笑顔で背中を撫でてくれる。
 ――トイズの世界は理晨を中心に回っている。
 理晨が寂しいなら自分が支えようと思う。
 だから、笑っていて欲しいと思う。
 ハリスはそれらの光景を静かな眼差しで見つめていた。
 皆がここにいること、様々な人たちと出会ったこと。
 奇跡めいたそれらには、礼を言っても言い足りないほどだが、口にはしない方がいいのだろう、とも思う。
「……忘れない」
 市之瀬佳音がかまくらにやってきたのはその辺りだった。
 彼女は、一歩先んじてかまくらに到着したギル・バッカスが、酔っ払って寝ているトトを見つけて、
「よう、俺様も混ぜてくれや……おっ、毛皮を敷いてるとは気が利くじゃねぇか!」
 どすんといきなり腰を下ろし、獅子型獣人に「ぶぎょ」という奇妙な声を上げさせたのをびっくりしながら見ていたが、トトがそのまま昼寝を続行し、ギルが『敷物』の手触りを楽しみながら酒を飲み始めるという素晴らしい順応ぶりに驚きつつ、かまくらの中で鍋奉行に勤しんでいる刀冴へと歩み寄った。
「あの……刀冴さん」
 刀冴は映画の中と同じくらい――否、映画よりももっと晴れやかで透徹した笑みを浮かべて佳音を見た。
「よう、あんたも来たのか。ゆっくりしていってくれ、歓迎するぜ」
 そこに純粋な友愛の情を感じ取り、佳音はそれだけで幸せのあまり卒倒するかと思ったが、
「あ、あのっ、これっ」
 綺麗にラッピングされたギフトボックスを無我夢中で差し出した。
 中には、佳音が昨夜丹精込めて焼き上げたバタークッキーが詰め込まれている。
「……うん?」
 咄嗟に受け取ってしまった刀冴が首を傾げる。
 彼の夏空のような青の双眸に見つめられ、その場で鼻血を噴いて死にそうな心持ちになりつつ、佳音は刀冴を真っ直ぐに見つめた。
「刀冴さんのこと、見ているだけで元気をもらいました。ずっとずっと、そのことを忘れません」
 最初は映画の大ファンだった。
 実体化した彼を見て恋心めいたものを抱いた。
 今は、もっと純粋な、単純な、『好き』という気持ちに落ち着いた。
 ――それでいいと、彼女は思っている。
「そうか……ありがとな」
 刀冴は佳音の言葉に頷き、そしてまた、迷いも濁りもない笑みを彼女に向けた。
 と、そこへ、
「おーい、ぱぱー」
 ルイス・キリングのあっけらかんと明るい声が響く。
「六つしか年の違わねぇ息子を持った覚えはねぇぞ」
 笑いつつかまくらから出てきた刀冴に、ルイスは笑みを向けた。
「アルは?」
「……お兄様のとこじゃね?」
「ああ」
 複雑な表情をしたのが判ったのだろう、刀冴が肩を竦める。
 ルイスはそんな彼に手を差し出し、硬い握手を交わした。
「ありがとな」
 言いながら、刀冴の、筋張って硬い身体を抱き締める。
「……どうしたルイス、なんか悪いもんでも食ったのか」
「このしんみりしたいい場面でその返し!」
「え、いや、……ルイスだしな」
 あっけらかんと言われて若干凹んだルイスだったが、微かに笑った刀冴が、
「いかなる世界であっても、あんたと、あんたの小さき兄の幸いを祈る、ルイス」
 厳かですらある口調で言って、背中をぽんぽんと叩いたので、苦笑して頷くしかなかった。

 ルークレイル・ブラックは、雪合戦に勤しむ一団から少し離れた場所でそれを観戦している理晨を見つけて歩み寄った。
「……ルーク」
 理晨の銀眼が気遣いと労わりを帯びる。
 ルークレイルは唇を引き結び、懐から拳銃を取り出した。
 Cz75 SP-01。
 レヴィアタン戦にて、理晨から譲り受けた相棒だ。
「この銃……お前が持っていてくれ。俺の、大切な相棒だ」
「ルーク?」
「恐らく、俺はこれを持っていくことはできないだろうからな。陸に出来た初めての親友だ……お前に持っていてもらいたい」
「……ああ」
 苦笑し、頷いた理晨が、ルークレイルの手から拳銃を受け取る。
「こういうのは苦手でな……どう言ったらいいか判らんが」
「うん?」
「俺は、あの化物との戦いの後、ギャリックを奪ったこの街を憎んだ。だが……憎みきれなかった。お前が……理月が、いるからな。消えちまえとは、思えなかったよ」
「……そっか」
「理晨、死ぬなよ。この街の魔法なんて関係なく、お前はヤバイ橋を渡ってるんだろ? 死ぬんじゃねぇぞ。あんまり早く再会なんて、笑えない冗談だからな」
「ん」
「――……じゃあな」
 無論彼は、団長の死から立ち直ってはいない。
 しかし、自分たちもまた消えると判った今、彼は一足先に違う海で待っているのだと、自分たちはそれを追いかけるのだと考えるようにしている。
 彼が最後まで失わなかった矜持と覚悟に悖らぬように。
「ルーク」
 立ち去ろうとした彼を、理晨が引き止め、その手に何かを握らせた。
 手を開いて見ると、そこには、幾つかのピアスが輝いている。
「お守りだ、持って行ってくれ」
「だが、」
「……頼む」
 スターが消える時、それがどうなるのかは判らない。
 判らないけれど、理晨の胸中も痛いほどに判って、ルークレイルは瞑目し、小さな金属片を握り締めた。
「ああ……ありがとう」
 迫る別れに胸が痛む。
 この街は彼から誰より大きな男を奪った。
 ――けれど、それでも、この街は、彼に優しかったから。



 6.忘れ得ぬ真実と痛みを託し、赦し、愛し

 小日向悟は、花で溢れた中央区画の、水晶で出来た大きなモニュメントの前に佇んでいた。
「……」
 何故か懐かしい輝きを放つモニュメントを見つめる彼の双眸には、緩やかな痛みと哀しみ、そして甘受とがたゆたっている。
「ありがとう」
 花を摘み、水晶の根元に捧げて、一言。
 魔法のお陰で、失った親友への想いを罪悪感だけでないものに変えることが出来た。
 二度と得られないと……得るまいと思っていた大切な存在に巡り会えた。
 彼との別れは間近に迫るけれど、そのことを思うだけで胸を掻き毟られるような焦燥にかられるのもまた事実だけれど、例え彼が喪われても、彼と過ごした時間は消えない。
「ありがとう、J君。J君のお陰で、オレは変われた」
 ゆらゆらと輝く水晶塔を見つめ、悟は自分と向き合う。
 護るために戦う覚悟を、胸の奥に刻んで。
「なくすことに怯えるよりも……護るために、オレは生きたい」
 再度瞑目し、
「ありがとう……リオネちゃんも」
 頭を垂れて、祈るように呟く悟の背後から、
「ヒナくん」
 声をかけたのは、犬神警部だった。
「雪之丞さん」
 悟は穏やかに微笑む。
 彼とももうじきお別れなのだと思うことは寂しいが、
「ありがとう、ヒナくん。――……楽しかったよ」
 この街で出会って、ひとつの時間を共有し、笑いあった、それらに何の後悔も、偽りもない。
「それだけ言いたかったんだ……じゃあ」
 照れ屋の犬神警部が、そそくさと立ち去る背中を見つめ、悟はくすりと笑った。
「オレも楽しかったです……忘れません。ありがとう」
 言葉はきっと届かなかっただろう。
 けれど、心はきっと、届いているだろう。
 悟がそこから立ち去ってほんの数分後にやってきた原貴志が、一連の戦いやキラーの手にかかり命を落とした人々に黙祷を捧げているところへ姿を見せたのは、イェータとギルだった。
 ふたりは連れ立って来たというわけではないようだったが、双方、特別なウォッカの瓶を手にしていて、しかも同じような動作で、それを水晶の根元に捧げ、黙祷した。
「あんたも、か」
 イェータの黄金瞳に見つめられ、貴志は小さく頷いた。
「我々は、この街で起こったすべてを忘れてはいけないのでしょう。亡くなった方々への弔いとして」
「……ああ。だが……俺は、感謝もしてるんだ。この街が、理晨に、たくさんの救いをくれたから」
 言ってモニュメントを見上げるイェータは、穏やかな目をしていた。
 ギルは無言で顎を撫で、果たせなかった他愛ない約束を思い出しながら、目を細める。
「まァ……ここでの生活も悪くはなかったが、な。おめぇさんらと一杯酌み交わせなかったのは、ちぃっと残念だな」

 二階堂美樹は、花を摘み、捧げ、マスティマが残していった絶望の棘を感じながら、今はもういない男の面影を思う。
「ブレイフマン……」
 なすすべもなく喪ったあの絶望、喪失感、激しい痛み。
「あなたの最期を思い出すと、今でも、どうしようもなく苦しい。あの棘に刺されて、動けなくなりそう。――だけど」
 しかしそれは、想いのゆえなのだ。
 痛みさえ、大切な贈り物なのだ。
 人を愛するとは、きっと、そういうことだ。
「だから、忘れない」
 この苦しみも、絶望も、すべてが彼へと向う想いだから、大切に抱いて生きていく。
「出会ってくれてありがとう。痛むほどの想いを、ありがとう。――……あなたのことが、大好きよ」
 伝えたかった言葉を口にして、晴れやかな笑みを浮かべた美樹が、お茶会に加わるべく踵を返すと、
「……エドガーさん」
 背後に、エドガー・ウォレスが佇んでいた。
 告白を聞かれただろうか、と、ほんの少し気恥ずかしくなった美樹だったが、エドガーは、
「赤い本をともに追った時から今までのことを考えていたんだ。今の君は、初めて会った時よりもずっと凛としている」
 そう、静かに微笑した。
「……そうかしら」
「五年後、十年後の君はもっとずっと成長しているはずだよ。君が、己が心を磨くことを怠らなければ、ね。勿論、心配はしていないけれど」
 人生の、そして警官という同じ立場での先達の、労わりと励ましに満ちた言葉に、美樹の背がぴんと伸びる。
「これからも烈日の如き情熱を胸に」
 言って、エドガーが敬礼した。
「ええ……そして、人々の心には慈雨を」
 美樹もまた笑い、敬礼を返す。
 人間として、警官として、守るべきものを持つものの矜持とともに。

 中央区画を訪れた最後の人間が、ウィズだった。
「花じゃないんだけど……、いいかな?」
 ぽつり、と呟き、水晶塔の根元にビールを置く。
「……」
 ビールの銘柄は、マスティマとの戦いで逝った男が好きだったものだ。
「……あんたは、満足だったんだよな」
 彼を喪った直後は、自暴自棄になり、自分も他人も傷つけた。
 彼を喪って、自分がここにいる意味が判らなかった。
 けれど、彼のプレミアフィルムを見て、団長が、最後まで自分の思うように生きたこと、最後までウィズたち団員を信じてくれていたことが判ったから、今は、ギャリック海賊団として、皆で彼の待つ海へ還ることを望む。
 無論、今もまだ胸の奥に激痛が残る。
 喪失の、耐え難い痛みが。
「それでも、うん……悪くはなかったよ」
 楽しかった。
 その思いに、偽りはない。

 今や女神となったリオネは、それをじっと見つめていた。
 すべてを見届けることが、自分自身の果たすべき務めなのだというように。
「やあ、こんにちは」
 ルヴィット・シャナターンはそんなリオネに声をかけた。
「……もうすぐ、だね」
 ルヴィットの静かな言葉に、リオネは小さく頷く。
「ありがとう」
 魔法のお陰で、『昨日』とは違うことができるようになった。
 ルヴィットはそう思っている。
 同じことを繰り返すだけの映画から抜け出して、たくさんの経験をした。
 たくさんの楽しい時間を過ごした。
 魔法が消えて、自分の記憶がどうなるのかは判らないが、この『今』を、今の自分の心に刻み付けておくだけだ。
「本当に、ありがとう。ボクらも夢を持てたんだ……ありがとう」
 少し遅れてやって来た柊木芳隆が、ルヴィットの感謝の言葉に重ねるようにリオネの手を取り、自分もまた謝意を告げる。
「君のお陰で、得難い経験をしました、ありがとう」
 成瀬沙紀もまた、伝えたいことがあってやってきた。
 最後の日々にちなんで手に入れた贈り物と、「わたしはあなたを忘れない」と書かれたメッセージカードをリオネに手渡し、
「お花見で約束したわ。何があっても、わたしはリオネちゃんやこの街で起こった出来事を忘れない。――だから、あなたもこの街のことを忘れないで」
 女神の目を真っ直ぐに見つめて言う。
 リオネは困ったように微笑んで、小さく頷いた。
「ありがとう」
 この街で触れ合ったたくさんの人たちに感謝している。
 たくさんの出来事に触れて、色々な経験をして、幸せだった。
 忘れたくないから、忘れて欲しくない。
 ここにあった、すべてを。
「大人になったなら、口説いてもOK?」
 いつものように森の女王を口説きに行ったらいつものように見事にとっ捕まってシエラちゃんになってしまったシュウ・アルガは、魔女っ娘姿のままでリオネの元へやってきていた。
 この格好では口説くもくそもないのだが、最後だし、とすでに開き直っている。
「楽しかった。ここで過ごせて本当によかったと思ってる……ありがとう」
「……いいえ、わたしは」
「いい神様になってくれよな」
 困ったように笑い、首を横に振るリオネに向かい、祈るように言う。
「あんたになら出来るよ……信じてる。この街や、この世界のこと、頼むな」
 去る自分たちに出来るのは、これからの銀幕市が、残る人々が幸せであるように祈ることだけだ。
 勿論、この街の人々ならば大丈夫だろう、と確信してもいるのだけれど。



 7.ただ、数多の偽りなき想いを、捧ぐ

 アレン・ブランシュは、冬区画をゆっくりと移動していてブラックウッドの姿を見かけた。
 魔性のと称される美壮年氏は、雪の降り積もる大きな木の傍らで、無防備な笑みを浮かべた漆黒の青年と穏やかに語り合っているようだった。
(貴方との出会いから、多くのことを学びました)
 付き合いはそれほど長くなかったが、同じ吸血鬼であり、人生の先達である彼に、たくさんのことを教わった。彼の邸宅に集う人々とのあたたかな交流で、かけがえのない思い出が出来た。
(そのどれもが、僕の心に深く刻まれました。……そのことを、感謝いたします。どうか……幾久しく健やかに)
 ブラックウッドの邪魔をしたくない、と、アレンは心の中で語りかけるに留めたが、ほんの一瞬、金の双眸がこちらへ向けられ、細められたような気がするのは、きっと錯覚ではないはずだ。
「あの、レーギーナさん」
 クラスメイトPは、今日も馬車馬の如くに働いた。
 若干クララちゃんだったが、血涙を堪えつつ、口から魂をはみ出させながらも、今までのスキルを生かし、皆に最高の紅茶を振舞った。
「あら……どうなさったの、Pさん」
 彼の姿を認めて微笑む女王は、いつも通り、何の変化もない。
 クラスメイトPは、人生で最高の出来、と言える紅茶の入ったカップを女王に差し出した。
「あの、その……」
 大事な人との別れは済ませて、寂しくて辛かったけれど納得して、今まで、泣いたりしなかった。
 けど。
 女王の笑顔を見たら、ほろり、と、涙がこぼれた。
 ずいぶん前のお茶会での、彼女の最後の言葉を思い出して。
「……Pさん?」
 憎みましょうと彼女は言った。
 求められるままに、と。
「ありがとう、ございました。今まで……本当に、楽しかった、です」
 無理だと判っていても、願わずにいられない。
「……幸せだったこと、忘れないでください」
 例え結末が用意されているものを映画と呼ぶのだとしても、幸せでいて欲しい、と。

「あんたらには……本当に感謝してる」
 旋風の清左は、中央区画に日本酒と黙祷を捧げた後、真船恭一と並んで茶を飲んでいた。
 実体化した当初は絶望しかけたが、この暢気でお人好しな夫婦に拾われて、救われた。赤月一家と同じように、騒がしく楽しく過ごせた日々は、清左の宝物だ。
「……いや、お礼を言うのは僕の方だよ。世話になってばかりだったけど……君と知り合えてよかった」
 暢気でへたれな癖に無鉄砲な彼に、何度もヒヤヒヤさせられたが、今はそれも大事な思い出だ。
「無茶すんなと言っても聞かねぇだろうから、死なねぇ程度に、やっていきな。皆や姐さんたちと末永く幸せに。……頼むぜ、兄弟」
 恭一は微笑み、頷いた。
 彼は自分にとってのヒーローのひとりだ。
 そして家族であり、親友だった。
 その絆は、魔法が消えたからと言って、消えるものではない。
「いつでもどこでも、絆を信じている。そうだろう? 兄弟」
「……ああ」
 こつん、と拳をぶつけ合うふたりを、メンデレーエフが見つめている。
 バッキーの視線が、ふと、空を向いた。
 そのつぶらな目には、軍馬に乗って空を飛ぶ結城元春と新倉アオイの姿が映っていた。
「……風、気持ちいいね」
 元春の腰に腕を回して抱きつきながら、アオイは眼下に広がる銀幕市を見て、目を細めた。元春が自分の我儘を聞き入れてロケーションエリアを展開してくれたことに、くすぐったさが隠せない。
 他愛ない会話や、くだらない冗談を言って笑い合い、思い出話に花を咲かせる。
 たったそれだけのことなのに、胸の奥がふわふわと幸せだ。
「ね、元春」
「……どうした」
「こないだ、庇ってくれて、ありがと」
「ああ」
 闊達な笑みを見せ、元春が首を横に振る。
「護りたかったから護った、それだけだ」
「……うん」
 アオイは、敢えて想いは伝えまいと思っていた。
 ただ、
「会えてよかった」
 笑顔で、一言。
 今までが愛しいから、頑張って、最後まで笑おうと思う。
「ありがとう……忘れぬぞ」
 元春もまた、同じ気持ちだろうと思うから。

 北條レイラは冬区画にいた。
 隣には、最愛の夫フェイファーの姿がある。
 ふたりは、津々と降り積もる雪を、飽くことなく見つめている。
「美しいですわね」
「……ああ」
 色々なことがあった。
 とても辛いことや哀しいことも。
「貴方が傍にいてくれたから、これまでの時間全部が、かけがえのない宝物になりました」
 微笑み、掌に雪片を受けて言うと、フェイファーが笑った。
 手には、いつの間にかブランケットがあって、それを半分こして被る。
 寒くはない空間だが、愛しい暖かさがじわりと込み上げる。
「……愛してますわ」
 万感の思いを込めて告げる。
「ああ……俺もだ、レイラ」
 飛び切りの笑顔が返り、レイラの胸はそれだけで幸せに満たされる。
 逢えなくなることよりも、出逢えたことが嬉しい。
 この想いは、ずっと彼女の中に在って、彼女を温め続けるだろう。
 だから、レイラは歩いていける。
 だから、レイラは、この雪がフェイファーにとって温かいものであるようにと、ただただ、祈るのだ。

 会場中を愛しい気持ちが満たしている。
 会場中を、やさしい歌声が満たしているように。
 歌っているのはルーチェだった。
 それは、魔法で喪われたすべてに捧げる鎮魂歌だった。
 幼い、美しい歌声が、会場中を包み込んでいる。
 アルトはルーチェの傍らで、母の歌声を聞いていたが、
「還りたくない……」
 零れた言葉は、少し、震えていた。
 光の加減で次々に色合いを変える虹彩を持つ緑の目から、ほろり、と涙が零れ落ちた。
「……アルト?」
 親子としてともにいられる残り少ない時間だ。
 彼女らは、夢が醒めれば、また殺し合わなくてはならないのだ。
「戻りたくない……もっと、ずっと、お母さんといっしょにいたい」
 泣きじゃくるアルトを、ルーチェは抱き締めた。
「それでも、わたしは幸せよ。短い間だったけれど、あなたと過ごすことができて。ありがとう――愛してるわ、わたしの天使」
 ルーチェの小さな身体から、ぬくもりが伝わってくる。
 それは、彼女の愛そのものだった。
 アルトはなおも涙をこぼしながら、母にしがみついた。
「私は天使なんかじゃない、ただの我儘な子供よ。――ただの、貴方の子供なの。お母さんと、別れたくなんか、ないわ」
 大好きよ。
 大好き。
 大好き。
 ――お母さん、大好きよ。
 故郷では言えなかった言葉を繰り返す。
 その背を、ルーチェが優しく撫でている。
 アルトは、母のぬくもりを身体中に刻みつけようと、目を閉じた。



 数多の心が会場中を満たしていた。
 ――別れは近い。
 哀しみは深く、涙は数え切れない。
 けれど、決して消えぬものがあることを、誰もが理解している。
 誰もが、自分が得て来た素晴らしいもののことを思っている。

 深い思いを幾重にも重ねながら、今少し、お茶会は続く。

クリエイターコメント大変お待たせいたしました!
最後のパーティシナリオをお届けいたします。

皆さんがこれまでに築いてこられた関係、絆、愛情、そんなものを思いながら書かせていただきました。どうもありがとうございました。

夢はもう醒めてしまいましたが、これをご覧になった方々に、在りし日のあの方を思い起こし、微笑んでいただければ、幸いです。

それでは、どうもありがとうございました。
きっとまた、どこかでお会い出来ることを、切に祈って。
公開日時2009-07-11(土) 13:40
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