★ 【続・銀幕★輪舞曲】映画という名の魔法 ★
<オープニング>

「あ、すみません灰田さん、右から二番目の資料ファイルを……」
 そこまで言ってしまってから、植村直紀は口を引き結ぶ。この数日、ずっとこうだ。灰田汐はもう、いないというのに。
 汐だけではない。全てのムービースターがフィルムになってしまった。
(私のフィルムは、植村さんに預けてもいいですか?)
 消える瞬間、世間話でもするように汐は言った。彼女のフィルム、そして親しかったムービースターたちから託されたフィルムは、今も植村の机の上にある。
「――どうぞ」
 資料ファイルを取って手渡してくれたのは邑瀬だった。
「……すみません」
「いちいち考え込んでいては、いつまで経っても作業が終わりませんよ」
 普段と変わりなく見える邑瀬の声もまた、固い。
 魔法の消えた今――
『対策課』の略称で親しまれてきた、『映画実体化問題対策課』はその役目を終えた。
 市役所内の人員配置は組み替えられ、それに伴ってのレイアウト変更も着々と行われている。
 植村は、古巣の広報課へ戻ることが決まっていた。

  ★ ★ ★
 
「大変ですたいへんですへんたいです邑瀬さん植村さん!」
「このシリアスな雰囲気を力ワザで和ませるあなたが大好きですよ山西くん。……誰が変態ですって?」
「ええっと、へんたいじゃなくて大変なんです。そこに、いるはずのない源内さんがいます!」
「源内さんが……?」
 山西が指さす先には、たしかに、馴染み深い平賀源内が、最新号の銀幕ジャーナルを手に、サングラスを外しながらこちらを見ている。しかし……。
 映画マニアである植村にはわかった。彼が本当は誰であるのか。そして、なぜこの街に来たのかも。
「初めまして、リュ・ジェヨンさん。いつ銀幕市に?」
「先ほど到着したばかりです。よろしくお願いします。『対策課』の植村さん」
「もう『対策課』では……」
「失礼、そうでした。実はここでキース・クロウと落ち合う約束だったのですが……。まだ来てないようですね。彼が時間に遅れるなんて珍しい」
 韓国のアクター、リュ・ジェヨンは柔らかな笑みを見せる。品の良い流暢な日本語だ。
 彼は、映画撮影のために銀幕市に来たのだ。『世直し姫君、からくり妖変』の続編――メガホンを取るのはなんと、ロイ・スパークランドである。
「ドクターDを演じられたキースさんを杉田玄白役に配するなんて、ロイ監督も思いきりましたよね」
 すちゃらか特撮時代劇『世直し姫君』は、もともと美形俳優の無駄遣い映画として定評がある。今回、田沼意次さえ、あっと驚く美壮年が演じるそうなので、玄白が日本人離れした美貌でもノープロブレムなのだった。
 つられて笑みを返してから、あれ? と、植村は疑問に思う。
 海外からやってきた俳優ふたりが、わざわざ市役所で待ち合わせする理由がわからない。
 その気持ちを読んだように、韓流スターはカウンターに進み出る。
「協力者を募る依頼を、お願いしたいのです」
「依頼……?」
「はい。肝心の主演女優、浦安まやさんが、珊瑚姫の役を降りると言い出してしまって」

  ★ ★ ★
 
 うそでしょう? キースが出演するなんて、あたしは聞いてないわ。
 いやよ。もう顔も見たくない。あたしがどんなに傷ついたか、知ってるくせに。
 ――それに。
 わかっているでしょう?
 今のあたしでは、元気で無邪気な姫君を演じることはできないの。

 この三年間、銀幕市で起こったことは知ってるわ。珊瑚姫がみんなに親しまれてきたことも。
 だけど、いえ、だからこそ。
 続編を作ってはいけないと思うのよ。

  ★ ★ ★
 
「まやさんはそう、仰っています。……その、わたしたちも人間ですので、今まで、別の撮影現場で交流があり、プライベートでもさまざまなことが起こりました。しかし、それはそれとして、わたしは――わたしたちは、やはり新しい夢を創りたい」
 来日前に情報収集を終え、源内の衣装を身につけているリュ・ジェヨンは、すでに役作りに入っていた。
 植村をまっすぐ見据えて、言う。
「激務から解放されたばかりなのに悪いな、植村。すまんがもう一度、力になってくれ」

種別名シナリオ 管理番号1062
クリエイター神無月まりばな(wwyt8985)
クリエイターコメントこんにちは、神無月まりばなです。
とうとう、これが本当に最後のシナリオとなりました。皆様を輪舞にお誘いするべく、高槻ひかるWRとともに参上した次第です。
夢の魔法が解けた銀幕市で、新たな銀幕の夢を綴るために、どうかお力をお貸しくださいませ。

実は、こちらのパートでは、特に事件は起きておりません。
続編への出演を拒む、ひとりの女優がいる。それだけです。
浦安まやが、なぜ珊瑚姫役の降板を申し出たのか、ある程度の見当はつくかと思います。しかし今、彼女はカフェ・スキャンダルにひとりで来て、キノコスパゲッティを食べています。何かしら、思うところがあるのかも知れません。

【続編について】
家出を終了し、外様大名に嫁いでいた珊瑚姫は、源内投獄の報を受けるやいなや婚家を脱走します。源内の友人の杉田玄白と、源内を高く評価していた老中田沼意次にコンタクトを取り、獄中にいる源内を助け出すというストーリーになります。いわゆる『平賀源内生存説』をベースとしていますが、基本、トンデモ考証と特撮シーン満載のすちゃらか娯楽作品です。
前作は、通説に則り、源内の獄死が示唆される展開でした(それをよしとしなかった源内は、かつてピラミッドのムービーハザードの中で、闇に囚われたことがありました)。ロイ監督は、前作のどんでん返しを行うため、この続編を企画したようです。

※この【続・銀幕★輪舞曲】シナリオは同時系列の内容となります。同一PC様による複数参加はご遠慮くださいませ。

それでは――映画館にて、お待ちしております。

参加者
リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
小日向 悟(cuxb4756) ムービーファン 男 20歳 大学生
南雲 新(ctdf7451) ムービーファン 男 20歳 大学生
浅間 縁(czdc6711) ムービーファン 女 18歳 高校生
三月 薺(cuhu9939) ムービーファン 女 18歳 専門学校生
白木 純一(curm1472) ムービーファン 男 20歳 作家志望のフリーター
<ノベル>

Chapter.0★銀幕市立中央病院 ――一般病棟――

 長い長い夢を見ていた少女は、深夜に目覚めた。
 魔法は、終わった。

 一般病棟にうつってからは、ひっきりなしに見舞客が顔を見せてくれた。
 少女を気遣いながらも、彼らは口々に、めくるめく魔法の想い出を語る。
 最初のうちは耳を傾け、ただうなづくことしかできなかった少女も、少しずつ体力を取り戻すにつれ、気づく。
 彼らが、この3年間でとても大切な誰かと出会い、時を過ごし、うしなったことを。
 こころをえぐりとられるような哀しみを秘めながら、しかし彼らは決して、少女を責めない。

 ある日、少女のもとへ、ひとりの少年が訪れた。
 まだ小学生だったときの数少ない登校時に、運動会を見学していて話しかけられたことがある。同じ学校の上級生だ。
 陽光の下を駆ける少年の姿を、彼を応援する家族の笑顔を、昨日のことのように覚えている。
 すべてが、あまりにも自分とかけはなれていて。
 その、すこやかさがうらましくて、ねたましかった。
 ――だから、わたしはあのとき、彼にひどいことをいった。

 少年は、朝露がついたままの切りたての薔薇を数本、ばさりと少女の胸に放り投げる。
 倒壊したホテルの従業員たちが、薔薇に満ちたカフェを暫定的に運営しており、そこから持ってきたのだという。
 
「……あのさ、美原」
 何か言いたげな少年は、しかし闊達な彼らしくもなく、口ごもってうつむく。
 ……ああ、わたしのこと、おこってるんだ。
 だってわたし、ひどいこといったし、それに、ゆめの中でだって、ひどいことしたのかもしれない。
 いままで来てくれたひとたちにだって、きっとわたし、ひどいことしたんだ。
 みんな、大人だからがまんしてくれて何もいわないけど、だけど。
(でも、どんなにおこられてもいいの。聞かなきゃ)

 水滴がパジャマを濡らすのも構わずに薔薇を抱きしめ、少女は身構える。


Chapter.1★銀幕市役所 ――旧対策課――
                   
 三月薺と浅間縁が揃って旧対策課を訪れたのは、一度は撤去された依頼用掲示板が暫定的に復活した直後だった。市役所のレイアウト変更作業に人手がいると聞き及び、市民ボランティアをかってでたのである。
 つまり、ふたりが居合わせたのは偶然だった。そして、薺は何の先入観もなくリュ・ジェヨンを見て――駆け寄った。
「源内さん。源内さん……! どうして? だってもう、魔法は解けて」
「三月さん、そのかたは」
「……あ」
 植村が説明するより先に、薺は気づいた。目の前の男と、ムービースター平賀源内との相違に。
「ごめんなさい……。私」
「かまいませんよ。むしろ光栄です」
 薺は知っている。源内がサングラスをかけていたのは、闇に囚われたときの名残であることを。
 だが、リュ・ジェヨンの瞳に闇はない。ここにいるのは、決意と情熱を穏やかな笑みで覆った、ひとりの役者だ。
「そっか。世直し姫君の続編作るんだね。――主演女優がやだって言い出して困ってる、何とかしてくれ、かぁ。対策課っぽいんだか、ぽくないんだかわからないけど、なんかちょっと、いいね」
「最後の最後まで、ご協力をお願いすることになってしまいますが……」
「これも残務整理になるのかな? 植村さんも大変だね」
 掲示板を確認した縁は、植村の机にあるいくつかのフィルムをみとめ、あえて明るくそう言った。
「ところで、全然関係ないことかも知れないけど、浦安まやさんて本名? 浦安映人くんと何か関係あるの?」
「父方のいとこだと聞いています。家も近く、小さいころはよく行き来していて姉弟同然だったそうですが、まやさんが映画俳優としての活動拠点を東京に移したここ数年は、あまり会う機会もなかったとか」
 植村への問いかけの答がリュから返ってきたので、勘のいい縁は、んん? という顔をする。
「ふぅん。リュさん、まやさんのプライベートに詳しいんだ?」
「……これくらいでしたら。キースも知っている程度のことですよ」
「初めまして、リュさん。力になれるかどうかはわからないけど、まやさんの話を聞きたいって思います」
 やはり掲示板を眺めていた小日向悟が、ほわりとした笑顔を見せ、歩み寄ってくる。
「オレ、キースさんにも会ってみたいんですけど、すれ違っちゃいそうですか?」
「……そうですね、まもなく来るとは思うのですが」
「やあ。縁さんと薺さんだ。ピラミッド以来かな、こうして揃ったのは」
「そういえばそうだね。ひさしぶり」
「こんにちは。なんだか、懐かしい感じですね」

  ★ ★ ★

 永遠を望み、闇に堕ちた源内。
 馬鹿だ、すっとこどっこいだとなじりながら、源内の身を案じて、ぽろぽろ泣いていた珊瑚姫。
 そして、彼らは集まった。

(失う怖さは、オレも知っているから)
(源内さんを、一緒に助け出しましょう? そして、源内さんを元に戻せたら、皆でご飯を食べましょう? ね?)
(まったくねぇ。平賀さんってば珊瑚泣かせてんじゃないわよ)
(俺も来たぞー! ばちあたり源内をなんとかすっぞー!)

  ★ ★ ★

 縁と薺が顔を見合わせ、悟の視線がほんの少し、彷徨う。
 あのとき共に、源内救出のためにピラミッドへと赴いた、もうひとりの小さな友人を探すように。
 彼が、屈託のない笑顔と、「だいすき」と――「楽しかった?」という問いかけを残し、この街から消えたことはわかっているつもりなのだけれど。
「キースさんは大丈夫でしょうか。少し、心配ですね」
 遅れているキースを、植村が気遣う。
「何か事故に遭われたか、トラブルに巻き込まれたのでなければいいのですが。もうしばらく待ってみて、もしいらっしゃらなければ、改めて別の依頼として――」
 でも、杞憂かも知れませんしねと、植村が依頼の追加を逡巡していたときだった。
「ああ、なるほど。そういうことか」
 白木純一が、まっすぐに旧対策課カウンターにやってきた。
 リュ・ジョエンと一同に愛想良く挨拶し、ついで依頼掲示板の記載内容を確認して頷く。
「今しがた、カフェ・スキャンダルの前を通りかかったら、大人っぽいワンピース着た珊瑚姫が、窓際の席にいるのを見かけてさ。あれぇ幻かな、俺もしかして疲れてる? なんてね、思ってたところだったんだ」
「そのひとって、まやさんじゃないですか?」
「カフェにいるんだ? じゃあ、今すぐ行けば会えるね」
 薺と縁は、今にも走り出しそうなそぶりを見せる。
「おそらくそうでしょう。彼女は降板を申し出はしましたが、久しぶりに銀幕市に戻ったことだし、すぐに東京には帰らずに、しばらく滞在するという意向だったので」
「それなら、銀幕市内のあちこちを案内できる時間はありそうですね。……リュさん、たとえばオレがまやさんをデートに誘い出したら何か問題がありますか?」 
「そういうことは彼女の意思ですので、私の許可などは必要ありませんよ」
「――キースさんの許可も?」
「もちろん」
 さりげなく含みのある問いを投げる悟に、リュは穏やかな笑みを崩さない。
「あー。まやさんが出たくないっていう理由のひとつに、恋愛問題みたいなの、あるんだろうけどさ」
 純一はごしごしと頭を掻く。
「俺、複雑な女心がわかるような大人じゃないんで。単純に、役者としてのまやさんを勇気づけたいかな」
「私、この街での珊瑚姫のことや源内さんのことを、まやさんが知らないようなことをたくさん、お話したい。何か傷つくような事情があったのかもしれないけど――まやさんには映画に出てほしい。新しい夢を創ってほしい」
 薺はぐぐっと手のひらを握りしめる。
「……ありがとうございます。私やキースの説得には応じられなくても、皆さんの言葉になら耳を傾けてもらえそうな気がします」
 もうしばらくここでキースを待つというリュに見送られ、4人はカフェ・スキャンダルに向かう。

Chapter.2★カフェ・スキャンダル ――旧小さいものクラブ席――

 ベイサイドホテルをはじめとした、倒壊した建物の瓦礫など、マスティマ戦の残滓は自衛隊によりすっかり取り除かれた。復興工事も急ピッチで進んでいる。市民有志により設けられ、リゲイル・ジブリールも資金提供した『銀幕市復興ファンド』や、チャンドラ王子から市財政への多額の援助により、銀幕市が費やせる予算は潤沢だった。
 この街に、魔法が掛かる前の日常と同じ光景が戻る日は、近い。

 銀幕市名物のカフェは、今日もにぎやかだ。
 テーブルのそこここに、映画関係者や取材陣、お忍びで来ている芸能人などが散見される。
「いらっしゃいませ。カフェ・スキャンダルにようこそ。こんにちはリゲイルさん。ペスちゃんも」
 扉を開ければ、常木梨奈が明るい笑顔で出迎えてくれる。
「動物同伴席、予約してるんですけど」
「はい、承ってます。どうぞこちらへ」
 かつて「小さいものクラブ席」と呼ばれていたテーブルは、今はペット同伴用の席として特化されている。
 ツインテールを揺らし、席へ誘導する梨奈の横顔に、陰りや憂いは感じられない。彼女とて、思うことは多々あるだろうに。
 かつて銀幕市がどんな異変に席巻されようと、彼女はいつも変らぬ笑顔で市民を安心させてくれた。
 ……だからだろうか。源内は最後にあたって、梨奈に自分のフィルムを託すよう望んだと、リゲイルは聞いている。
(源内さんのフィルムは梨奈ちゃんが持ってて……。珊瑚ちゃんのフィルムは、たしか……)
 リゲイルはつい、カウンター付近を見てしまう。だが、そこを定位置とし梨奈とともに忙しく働いていた、葵の御紋つきエプロンをつけたウエイトレスは、もういない。
(りが! いらっしゃいませですえ〜。今日のおすすめは、きのこすぱげってい・安全ばーじょんですぞ。……うむ、身をもって確かめましたので特殊効果はなっしんぐ……それはそれでつまんない? むぅ、乙女心はわがままさんですのう〜)
 この3年で、我ながら強くなったとリゲイルは思う。
 けれど、親しい人々やいとしい存在がいなくなった日々に慣れるまでには、もうしばらくかかるのだろう。
 ペス殿はもう、スーパーまるぎんの前で誰かを待ったりはしていない。だが、タイムセールの音楽が流れる時間には、どんな場所にいてもそわそわと落ち着かない。何かしなければならないことを忘れているかのように。
 先日、本田家にもう一頭、グレーハウンドが増えた。
 ドッグレースを引退した、ラッカー(漆)という名の漆黒の犬を引き取ったのは、人だけでは埋められないペスの寂しさを和らげるためだと、流星は言っていた。しかしまだ日が浅いこともあり、2頭のグレーハウンドは互いの距離を計りかねているようだ。
 ――本田さん。当分の間、わたしにペスちゃんのお散歩担当、させてくれませんか?
 そう申し出て了解を得、リゲイルは毎日、ペス殿と街を歩いている。
 未だ、街の情景に残る。魔法の想い出を拾い集めながら。
「おい、ちょっとそこの。なんてったっけ、いつぞや、えらくでっかいバッキー連れてたお嬢さん。ええと、リゲイルか」
 リゲイルとペス殿が席について間もなくのこと。
 後を追うように、敏捷な動作で、しなやかな細身を店内に滑り込ませてきた青年がいた。
 南雲新である。
「あ、ちっちゃいバッキー連れてた人」
 リゲイルと新は、新の兄が演じたムービースターを通しての知り合いだった。
 お互い、銀幕市最大バッキーの誉れ高かった『銀ちゃん』と、銀幕市最小バッキーといわれた『ギア』の保護者としての認識が強い。
 その小さなバッキーは、いつも新のパーカーのフードに入っていた。ささやかだが確かな重みが失われた違和感に、ついついフードに手をやってしまうのが、このところの新の習慣になっている。
「おまえ、前の店で1万円札出しておつりもらい忘れたやろ? たまたま通りかかってよかった。ほら、7270円」
「……?」
「有機栽培野菜のポトフと、ササミ入り玄米のリゾット。人間用犬用合わせて計2600円かける消費税で2730円。レジの女の子はそういってた。合ってるよな計算」
「わん! わわん(訳:ねえリガ。さっき散歩の途中でドッグカフェ寄ったとき、あたしたち、ちょっとしんみりしてぼーっとしてて、あんたお会計のとき、上の空じゃなかった?)」
 ペス殿の犬語が理解できるわけではないが、リゲイルは記憶を喚起された。そういえば……。
「そうかも。新さん、わざわざ追いかけてくれたの?」
「放っておけんやろ。万札のおつりもらい忘れるなんて、余裕っていうより危なっかしい。悪いやつに目ぇつけられてもしらねぇぞ」
「大丈夫だもん。だって、今まで現金でお買い物できなかったけど、できるようになったんだもん!」
 リゲイル的にはそれはもう大変な成長なので、えっへんと胸を張る。
 ――と。
 窓際の席にいた少女がつと立ち上がり、こちらに近づいてきた。
 年は、はたち前くらいだろうか。「観客」を意識した、演技者独特のオーラを持っている。
「……さっきから話聞いてて、大富豪のお嬢様でもあるまいしって思ってたら、どうも本物のお嬢様みたいね。その犬連れの美少女を紹介してくれないかしら、南雲さんの弟さん? あたし、いつだって気前のいいスポンサーがほしいのよ」
「珊瑚ちゃん……!?」
 リゲイルは思わずそう言った。
 ゆるやかにカールした髪。胸元が大胆にカットされたワンピース。大人びた面差しと偽悪的な言い回し。
 一見、天然成分過多のあの姫君とはかけ離れている女性に見える。しかし、どこか人懐こさを秘めた感情豊かな瞳は、まぎれもなく珊瑚姫を思わせたからだ。
「珊瑚姫を演じたのは4年前。綺羅星学園に通っていた15歳のあたしよ。今のあたしはただの、男運と仕事運のない女優。……そう、あなたも珊瑚姫のお友達だったのね。ごめんなさいね、イメージダウンで」
「もしかして――浦安まや、かな?」
「新さんの、お知り合いなの?」
「俺は面識ないんやけどね。出演映画をいくつか一方的に見てる程度で。……スタントやってる兄貴とは話くらいしたことあるんやろうけど、あんた、俺が弟だってよくわかったな」
「なんとなく、ね。同じ遺伝子の匂いがしたから」
 まやは肩をすくめる。
「続編、撮るんやてな。ロイ監督がすごい張り切ってて、特撮シーンは時代劇版『エディ・ジャックス』だ、とかって、杵間連山全域をロケ地申請したら、市の許可下りたらしいじゃん」
 無駄に映画事情通な新に、リゲイルが目を見張る。
「そうなんだ。知らなかった」
「平賀源内役のリュ・ジェヨンも杉田玄白役のキース・クロウも、もう銀幕市入りしてるらしいしな」
「また新しい珊瑚ちゃんたちが見られるんだ。楽しみ!」
「……そうね。あたしはもう、降りたから。きっと別のアクターが、魅力的な珊瑚姫を見せてくれるでしょうね」
「え?」
 手を打って喜んでいたリゲイルは、まやの自嘲に表情を曇らせる。
「まやさんが演じるんじゃ、ないの?」
「もし監督があくまでも撮影を進めたいのであれば、そうなるわ。あたしとしては続編そのものの中止を主張したいけど」

 まやはゆっくりと、かぶりをふり――
 薺と縁、悟、純一が店内に入ってきた。

「あのひとが、まやさん……」
 リゲイルと話している少女が視界に入るなり、薺は、まるで久方ぶりの同窓会で、参加者の輪の中に親友を見つけたような――世にも懐かしげな顔になる。
「うまくいえないけど、何だか、珊瑚姫の親戚のお姉さんに会ったみたい……」
「浦安まやさんですよね? 少し――お話してもいいですか?」
 悟がそう言って微笑んだとき、まやの手の中にピンクの薔薇の花束が出現した。
「……なに? なにごと? 女に薔薇を贈るには手順てものがあると思うんだけど」
 いきなりのマジックに、まやは大きな瞳をしばたたかせる。
「あえて手順を踏まないのも、効果的かなって」
 悟は笑顔を見せ、純一は無言で頭を下げる。
「んー。何だろうね、この親しみやすさ。背伸びして悪女してる感じが、やや無理目でかわいい」
 縁は、今まであまり交流のなかった級友にでも街中で偶然出会い、新しい一面を発見したかのように破顔する。「こんにちは、まやさん。とりあえず、あんみつでも一緒に食べない?」
 
Chapter.3★銀幕市立中央病院 ――一般病棟――

「あのさ……。美原。もっと元気になって、外へ出かけられるようになったらでいいんだけど……」
 少年はなおも、言いよどむ。
 そんなにも、伝えるのが困難なことなのだろうか?
 少女はいっそう、身を固くする。

 ――そのときだ。 
 一般病棟に、もうひとり、別の少年が来訪したのは。
「やあ、のぞみちゃん。食べてみたいっていってたポップコーン、どの味が好みかわかんなかったからひととおり、塩味とキャラメル味とイチゴミルク味とチョコレート味を買ってき――あれ? 本田、おまえも来てたの?」
 ポップコーンの山を抱えてやってきた浦安映人は、バツの悪そうな顔になる。
「もしかして俺、お邪魔だった?」
「すげぇ邪魔だ。まあでもいいや」
 本田紅星は、塩味ポップコーンの袋をひとつ、つまみあげる。
「こんなん抱えてよく、受付のお姉さんに見咎められなかったな」
「ああ、ちょっとコツがあって……って、おい、おまえに食わせるために持ってきたんじゃないぞ」
「るせぇ。こんな大量に買い込んできやがって、3人でも食べ切れないじゃん。ちっとは考えろ。なぁ美原」
 ひとかたまりを自分の口に放り込んだあと、紅星は袋ごと、のぞみの膝のうえに置く。

 薔薇とポップコーンを交互に見て、のぞみは困惑し、――やがて、くすりと、笑った。

Chapter.4★カフェ・スキャンダル ――旧小さいものクラブ席――

「なるほどね。あなたたちは続編制作に賛成で、あたしに珊瑚姫を演じさせたいのね?」
 一同が会いにきた趣旨を聞き、まやはため息をつく。
 彼女の前には、2皿目のキノコ・スパゲッティがあった。
 お腹が空いていたので、ここにくるなりひと皿めを注文し、それが美味しかったのでふた皿めを頼んだらしい。さらに縁の誘いに応じて、あんみつも注文している。縁が驚くほど、まやはよく食べた。
「そういうわけじゃないよ。どうしてもしんどくて難しいんなら、やんなくてもいいんじゃないかな〜とは思う」
 縁も同じように、あんみつをパクつく。
「でも、どうしてそういうふうに思うのか、理由は聞きたい。だって、降板ってことは、一度はオファーを受諾したんでしょ? ドタキャンなんて信用問題じゃない」
「まやさんの想いをないがしろにするつもりは、ないんです。続編が持つリスクの高さも同意します」
 悟はまっすぐにまやを見つめ、やわらかな声音で言った。
「だけど、珊瑚姫も源内さんも、オレの大事な友人でした。源内さんが前作での展開に絶望していたのを知っているからこそ、続編で運命を変えてほしいと思う。……友達には、幸せでいてほしいから」
「勝手な自己満足かもしれないけど……。もし、また珊瑚ちゃんたちの『生きている姿』が見られたら、消えたという認識をしなくてすむの。どこか遠くで暮らしているんだって思いたい……」
 無理強いをしたいわけじゃなくて、と、リゲイルは慎重に言葉を選ぶ。
「それにわたし、まやさん以外の珊瑚ちゃんは見たくないな……。うまく言えないけど、『違うひと』になってしまいそう」
「私も、元気で可愛い珊瑚姫が大好きでした。あの……、初対面でこんなこというと失礼かもしれないけれども、まやさんのことも勿論好きです。だって、珊瑚姫を生み出したのはまやさんです」
 薺は訴える。思いを込めて、ひたむきに。
 新は腕を組み、
「俺は正直、珊瑚姫たちとの関わりは薄い。けど、だからこそ、続編を――彼らの新作を楽しみにしてるんや。純粋にひとりの『ファン』として」
 そして――腕組みを解く。
「俺らは単に、映画という夢が見たいんですよ。銀幕の向こうで、彼らが生きとるんやと、教えてくれませんか」
「……ここの料理はどれも美味しいけれど、特にスパゲッティは最高ね」
 まやは、食事の手を止めない。薺は身を乗り出した。
「カフェ・スキャンダルのキノコスパゲッティは、テオナナカトル騒動のとき、珊瑚姫が不思議なキノコを使って作ったときのレシピに基づいてるんです。そのときは面白い効果もついてて……。今は普通のキノコが材料なので、そういうわけにはいかないですけどね」
「……そうね。珊瑚姫は、お料理上手だったはずよ。15のあたしが、そうだったもの。スパゲッティを茹でたあと炒めてもアルデンテの歯ごたえを保つにはどうしたらいいか、なんてことを一所懸命研究してた」
 ――料理をしなくなってだいぶ経つわ。もうこの味は出せないわね。
 そう言いながら、まやはスパゲッティを食べ終えた。

  ★ ★ ★

「最初はね、単純にうれしかったの。『世直し姫君』を、あのロイ・スパークランドが撮る。ふたつ返事でオファーを受けたわ。平賀源内生存説をベースにしたシナリオなんですよと、源内に思い入れてたリュが大乗り気で連絡をくれたてっこともあるけど、あたしだって映画が大好きなのよ? ロイ監督がどんな演出をし、どんなすごい特撮映像が出来上がるか、わくわくするじゃない」

 高揚する気持ちを抱えて、銀幕市入りした。
 そして、後悔した。
 もっと早く、訪れておくべきだったと。
 せめて魔法が解ける前に。
 
「あたし、忙しさに取り紛れてこの3年、とうとう帰省する機会がなかったの。いとこの映人とはメールでやりとりしてたから、街の状況は把握できてたんだけどね」

 市内に入ったとたん、何人ものひとが、嬉しそうに懐かしそうに声を掛けてきた。
 それは、銀幕市出身の女優、浦安まやに対してのものももちろんあったが――
 ほとんどが、『珊瑚姫』と、『続編での新しい展開』への期待だった。
 銀幕広場を歩けば、気の早い人々は口々に、新作の公開予定時期を聞いてきた。

 ――楽しみに待っているよ。
 ――頑張ってね。

 頑張るつもり、だった。
 役作りに真摯なリュ・ジェヨンは、すでに新しい源内を見いだしているだろう。
 負けられない。

「『世直し姫君』は、あたしが初めて出演した映画だった。役柄をどう解釈しどんな演技をしたらいいか掴みあぐねてたら、当時の監督は『素でかまわない』って言った。『余計なことは考えず、素の魅力で演じられるよう、高校生のきみを選んだ』って」

 だけど続編は、素で演じるというわけにいかない。だってあたしはもう、そこそこにキャリアもついたアクター。
 右も左もわからないまま撮影現場でおろおろして、そのたびにリュにフォローしてもらっていた高校生じゃない。

 ならば今回は、どう役作りを進めよう?
 具体的にどうすればいいか考えて――
 ……ふと、思いついた。
 珊瑚姫のプレミアフィルムを鑑賞すれば、演技の参考になるだろうと。
 
 彼女のフィルムは、映人が保管しているということだけは聞いていた。
 けれども……。
 知らなかった。

(すみませぬが映人。お願いしても良いですかのう? 妾のふぃるむは、まやに渡してくださりませぬか。とうとうお会いすることはかないませなんだが、妾にとってまやは、ほんの少しだけ年上の、姉君のような存在でありますゆえ)

 まさか珊瑚姫が、そんな伝言を残していようとは。

 フィルムを、観た。
 実体化早々、不動明王型巨大ロボットを、タコ型火星人に奪われてしまったり、
 手持ちの正絹ちりめん風呂敷から、謎のキノコ騒動の発端となったキノコを取り出していたり、
 キノコを使って料理大会を開いたり、
 怪獣ショコラドンと戦うために、皆に美少女化チョコを食べさせたり、
『死者の書』を持ち出してミイラ化してしまった源内を心配して泣きじゃくったり、
 ジズが、銀幕ベイサイドホテルに降下しようとしたとき、巨大ロボットで特攻したり―― 
(あーれー! 市役所前に止めておいた『からくり初号機・べぇた版』がどこかへ行ってしまいましたー!)
(お早うですえ、梨奈〜! 大収穫ですぞー)
(全部作って欲しいですえ! 特にかれーを多めに! 薺のかれーは、べぇすきゃんぷでも大評判だったと聞き及びます)
(実を申せばこのちょこは、漢成分ならぬ超ろまんちっく成分を含有しているのです〜)
(……源内は……。源内は大馬鹿者なのです! いくら、ずっと銀幕市に居たくて、永遠に解けない魔法を望んだところで……。その答がむーびーはざーどの中に見つかるはずなど、ないではありませぬか!)
(――許せませぬ……! 今が、お花見のべすとしーずんだというのに!)

 ――打ちのめされた。
 こんな演技はできない。何となれば、珊瑚姫は演技をしているわけではないからだ。
 
 それでも、前作のように源内との掛け合いが多い構成ならば何とかなろう。だが、今回、源内が伝馬町の牢に拘束されている関係上、見せ場の多くは、前作には登場していなかった杉田玄白とのシーンとなる。

「それまでわたし、杉田玄白を誰が演じるのか、聞いてなかったの。そう気づいて確認したら、キース・クロウだって言われて……」

 ロイ。オファーのとき、どうして言ってくれなかったんですか。
 リュ・ジェヨン。あなたもあなたよ。どうして今まで黙ってたの?
 最初にそう言ったら、あたしが引き受けないと思ったから?

 馬鹿にしないでよ。
 こんな気持ちで、新しい珊瑚姫像は創れない。
 あたし、降りる。
 中途半端な続編なら、ないほうがいい。

  ★ ★ ★

 ひと息に語って、まやは黙り込む。
 テーブルに、しばらく静寂が訪れ――

「……うん。事情はわかった」
 でもね、と、口火を切ったのは、純一だった。
「まやさんはそれでいい? 本当に、降板したいのかな?」
「……え?」
 意外なことを言われたというように、まやは目を見張る。
「話を聞いてて、俺は、まやさんが珊瑚姫に会い損ねて哀しんでるように思えた。今降りたら、二度と珊瑚姫には会えないよ」
「……そうやな」
 新が、ゆっくりと頷く。
「差し出がましいかも知れませんが、俺は、映人に珊瑚姫のフィルムを借りにいくつもりやった。まやさんに、生きている珊瑚姫を観て欲しかったから。けど、もうフィルムを観たんなら、まやさん自身、わかってるんやと思います」
「あのね、浦安さん」
 あんみつを食べる手を止め、縁が言う。
「珊瑚は、銀幕市に実体化した時点で浦安さんが演じた『珊瑚姫』とは全然別の存在になってるんだよ。それがどんな影響を与え合うかなんて、結局本人の気持ち次第じゃん。浦安さんはどんな演技したっていいの。だって、私たちが知ってる珊瑚は何も変わらないもん」
「……本人次第……」
「平賀さんがいい例でしょ。映画の『平賀源内』」が獄中死するって設定を聞いて、ピラミッドの時の事件が起こった。逆にその影響で――かどうかはロイに聞かないと分かんないけど、今回『平賀源内』は救出される続編を作ることになった。影響がどう反映するかなんて、それこそ神様にもわからないよ」 

 ――だから、誰かを言い訳にしちゃだめだよ。プロなんでしょ。

 きっぱりと言い切る縁を、まやはまじと見つめる。
「……縁さん、あなた」
「ん?」
「そんなに若いのに、しっかりしてるのね。うんと年上の男性にプロポーズされたりするでしょう? ……うらやましい」
「ちょ、この流れで普通、そういうツッコミくる?」

 場の緊張が、ふっと解けた。
「オレ、まやさんやみんなと、銀幕市めぐりをしようかなって思ってたんだけど、どうかな? まやさんはもともとこの街のひとだけれども、この3年の間に変化した場所はたくさんあるし。気分転換も兼ねて」
 悟の提案に、純一が片手を挙げて同意する。
「それそれ。いくつかスポットをピックアップして珊瑚姫の足取りを追ったり、珊瑚姫絡みじゃなくても、キーポイントになった場所を巡ってみるのもいいよね。実際に現場に立てば臨場感もあるし、そのときのリアルな心情を想像しやすいと思う」

Chapter.5★銀幕市立中央病院 ――一般病棟――

「外出できるようになったら、一緒に映画を見に行かないか?」
 紅星は、ようやく、そう言った。
 照れ隠しに、ポップコーンをもぐもぐ食べながら。
「……あー、もー、こんだけ言うのにすっげー時間かかった」
「映画……?」
「ん。DVDで見るのもそりゃいいけどさ。リニューアルしてからの『名画座』に、美原、まだ行ってないだろう?」
「わたしのこと、おこってたんじゃ、ないの……?」
「なんだそれ。変なヤツ」
 少女の表情に深い安堵が広がる理由を、過渡期にある少年は、まだ気づかない。

「うわ先越された。それなら俺だってのぞみちゃんに言いたいことがあるッ!」
「何だ浦安。まだいたのか」
「いたとも、ずっとおまえのすぐ隣にな。……えっと、のぞみちゃん。そのぅ……」
「ぐずぐずしないでさっさと言え」
「おまえ自分のこと棚に上げて。……その、俺、いつか映画監督になりたいって思ってるんだけど……」
「うん。しってる。話してくれたもの」
「……で、撮りたい話があってさ、それって、主演女優のイメージがすごい大事で……」
「わかった。ママにでてほしいのね? ママはとてもきれいだもの」
「ち、違う、SAYURIさんじゃなくって、いや、SAYURIさんはもちろんすごいアクターだけど、俺は……、あ、でも、のぞみちゃんが進路決めるのってまだまだこれからだから、どうしてもっていうわけじゃなくて、無限の可能性のひとつに混ぜてほしいっていうか」
「そんなに言いにくいのなら、わたしが代わりに言ってあげるわ――のぞみ。映人監督は、いつかあなたに、自分の映画に出て欲しいそうよ」

 華やぎに満ちた声。
 病室がカトレアの花で埋まったような錯覚を感じて振り向いた少年たちは、そこに、少女の母である大女優のすがたを見た。
「わたしが、……わたしが映画に……? ママみたいに……? そんなこと……」
「考えたこともなかったのなら、今からゆっくり考えるといいわ」
 SAYURIはベッドのそばに膝を折り、娘の顔を覗き込む。
 少女は日一日と、少しずつ健康を取り戻し、輝くように美しくなっていく。
「銀幕の中に夢を見るのもすてきだけれど、自分がその夢を紡ぐのも、とてもすてきよ。幾多ものムービースターたちが、あなたに夢を与えてくれたように」

 ――これは映人だけでなく、わたしからのオファーでもあるわ。受けるも受けないも、あなたの自由よ。

Chapter.6★杵間山・アップタウン・ダウンタウン・ベイサイドエリア

 夏の花が咲き乱れ、きらめく噴水の飛沫がまぶしい、銀幕市平和記念公園へ。
 早咲きのラベンダーが満開の、聖ユダ教会へ。
 夏祭りのポスターがずらりと貼られた、銀幕ふれあい通り商店街へ。
 真昼の突発タイムセールでカオス状態のスーパーまるぎんへ。

 ――そして。
 復興工事中のベイサイドホテル跡地へと。

 一同は、巡った。
 ずっと、まやは言葉少なだった。

 まやの表情が歪み、瞳から涙がこぼれたのは、かつてベイサイドホテルの中庭であった場所――ジズが降り立った場所を見やったときだった。
 リゲイルが、まやの手を握りしめる。
「泣かないで。泣かないで、まやさん」
「あたしだって……、あたしだって会いたかった。珊瑚姫にも、平賀源内にも、ドクターDにも会いたかった。だけどもういない。どんなに会いたくったって、もう会えない。続編を作ったって、そこにいるのはあたしが会いたかった珊瑚姫じゃないもの」
「そんなことは、ないと思うよ」
 かつての中庭を同じようにみつめ、悟は微笑んでハンカチを差し出した。
「ロイ監督もきっと、会いたかったんだと思う。……だって、今のまやさんの泣き顔は、珊瑚姫と同じだよ」
「うん、まやさんはもう、珊瑚姫がそれぞれの場所で、どういう感情を持って行動してたか、わかってるだろう? そのときの珊瑚姫と、今回の――平賀源内投獄の報を聞いたときの珊瑚姫のことが思い浮かべられるなら」
 純一は、ふっと、言葉を切った。
 まやが、びーむ、という勢いで鼻をかみ、悟のハンカチを台無しにしたからである。
「……浦安まやの中の珊瑚姫は、まだまだ元気に生きている。まやさんが軽く声をかけてやりさえすれば、喜んですっ飛んでくるよ」


 ――ほら。
 もう、ここにいる。


 おかえり、珊瑚姫。

 また、会えたね。


 
Chapter.7★カフェ・ローズガーデン

 一同が旧対策課へ戻るまえに、カフェ・ローズガーデンへ寄りたいと言い出したのはまやだった。
 それでは、と、スタッフでもある悟が先導するかたちで、めいめいがテーブルにつく。
 期間限定のカフェは思いのほか好評で、薔薇が補充できる間は営業を続けるらしい。
「なつかしい、っていうのも変か。でも、なつかしいな。今はいないやつらが、あの時にはいたから」
 新は目を細める。薔薇のアーチの向こうに、最後の日々を過ごしたムービースターたちの姿が浮かんだ気がした。
「わ、混んでるなぁ。総料理長、お疲れ様です」
「君もお疲れ様、悟くん。皆さんも。どうやら続編を拝見することができそうですね。……今日は、関係者のお客様が多い日で」
 流星は一同に挨拶をしてから、ふたつ隣のテーブルを振り返る。
「え? SAYURIさんがいる」
「あら、映人も」
「本田さんの弟さんだ」
「この3人て、すごい異色の顔ぶれだね」
 薺、まや、リゲイル、縁の乙女メンバーが、揃ってそちらを見たとき。
 気づいたSAYURIが、優雅に手を振った。
「坊やたちが、のぞみのお見舞いに来てくれたものだから。たまには、ね」
 そして大女優は、さらりと爆弾発言をした。
「そうそう、まやさん。ロイが撮る噂の続編だけれど、わたしも友情出演させていただくことになってるの。よろしくね。平賀源内の、馴染みの花魁役よ」
「なんですってぇ〜〜! 聞いてないわよ、そんなこと!」
 がたん、と、まやは立ち上がる。
「SAYURIに出られて花魁なんか演じられたら、主役が誰だかわからくなるじゃない!」
「そうよねぇ。だからロイは今まで黙ってたんでしょう。あなたの見せ場を取っちゃうものね。それは仕方ないわよね、実力と知名度は如何ともしがたい世界だもの。……降板するなら、今のうちよ?」
「降りないわ。売られた喧嘩は受けて立つわよ」
「まあ、残念」
 ふふっ、と、SAYURIは口元をほころばせる。
(……な、なぁ、浦安。おれ、美原が女優になるのってすごくいいって思うけど……。でもそれって、こーゆーおっかないお姉さんたちと、こーゆーやりとりするかもってことだよな)
(……だな。のぞみちゃんみたいな女の子にはつらいかなぁ)
「聞こえてるわよ坊やたち。そういう心配は、もっと先のお話」

 ★ ★ ★

「よし、今なら聞けそうな気がする。ねえ浦安さん、質問いいかな?」
 縁が身を乗り出す。
「なあに?」
「キース・クロウさんと、何があったの? ついでに、リュ・ジェヨンさんはどう絡んでるの?」
「…………えjdhjmんcあ〜れ〜kd☆!」
 がたがたぐわしゃーーん!
 まやは、手にしていたティーカップを盛大に床にぶちまけた。
「わ、珊瑚姫女優にふさわしい盛大なドジっ娘ぶり。言いたくないならいいんだけど、なんか浦安さんてどっか漢らしい感じするから、聞いても許されるかなって思ってさ」

Chapter.8★傷跡

(キース、……これ。この薔薇……。ラレーヌ・ビクトリア)
(お気に召したかな? 誕生日、おめでとう)
(ありがとう! このオールドローズ、大好きなの。銀色が入った明るいピンク色で)
(それは良かった。リュも、必死に君の好みを調べた甲斐があったようだね。君がとても喜んでいたと伝えておくよ)
(……え?)
(これは、リュからのプレゼントだ)
(あなたからじゃ、ないの……? あたし、そう思って……)
(僕はメッセンジャーをうけたまわっただけだよ)
(……そんな。ひどい)
(――まや)
(あたし、言ったわよね? あなたにちゃんと、言ったわよね? あなたが好きだって! その返事がこれなの?)
(僕の気持ちは――そこに)

Chapter.9★カフェ・ローズガーデン

「ピンクの薔薇の花束に1本だけ、白いつぼみの薔薇が混ざっていたのよ。どういう意味かわかる?」
 淡々と語って、まやは6人を見回す。
 悟が、静かに答えた。
「白いつぼみ――花言葉は『愛するには若すぎる』だね」
「……ふぅん。けっこうきつい振り方だけど、リュ・ジェヨンさんが浦安さんのこと好きなのわかってて、わざと自分が悪者になったんだね」
「ええ、それもわかるから一層、傷つくというかむかつくというか」
 微妙な心情を、まやは吐露する。その口ぶりは、雨上がりの空のようにさわやかではあったにせよ。

「キースらしくもない、分の悪い賭けね」
 テーブルに合流し耳を傾けていたSAYURIが、娘の恋愛相談に乗る母親の顔で、うなづいた。
「女に夢のひとつも見せられない男は最低だけれど、過剰な夢を見せてしまう男は最悪だもの。キースは最悪より最低を選んだのでしょう」
「……リュは、じゃあ、どちらでもないのね」
「あのね、まやさん。夢の見せかたすらわからずに、何も言えないでいる男はろくでなしよ?」
「………ろくでなしかぁ」
「キースもリュも、良くない見本よ。坊やたちは、いい男になってね」
 SAYURIは男性陣を見やる。
 大女優に、映人と紅星同様、坊やとひとくくりにされて、悟と新と純一は顔を見合わせ、視線を泳がせた。
「すみませんSAYURIさん。後学のために聞かせてください。誰をお手本にすればいいんでしょう?」
 果敢にも、純一が問いを投げる。
「さあ……」
「さあ……?」
「そうだ、ユダ神父はどうですか?」
「最低ね」
「ロイ監督は?」
「最悪よ」
「じゃあ、聞いていいのかな……。柊市長は?」
「そういう意味では、彼はろくでなし。だけど厄介なのは、最低も最悪もろくでなしも、それなりの魅力があるってことなのよ」

「思うんだけどさ。いまだにそういう気持ちでいるってことは、ろくに話す機会がなかったんじゃない? この際、お互い言いたいこと全部ぶちまけてさ、それでも腹が収まらなかったら一発ひっぱたけば?」
「縁ちゃん……!」
 あっさりと縁が言い、友人の漢らしさを十分承知している薺すら、改めて感嘆の声を上げる。
「……そうね、そうさせてもらうわ」
 まやはさっそく、指を鳴らし始める。
「あたし結構、力あるの。平手でもキースの顔、2〜3日は腫れちゃうかもね。撮影開始は、腫れがひいた後にしてもらいましょう」

Chapter.10★エンドロールのそのアトに

 ようやく――
 キース・クロウは、待ち合わせ場所であった市役所前に到着した。
 彼を送り届けたのは、わけあって共に行動した一行だ。
「待ちかねたよ」
 リュ・ジェヨンが出迎える。
「やあ、ジェヨン。ごめん、ずいぶんと待ち合わせに遅れてしまった」
「キース、無事で何よりだったけど、君にはまだ仕事が残っているんだよ」
 意味ありげに微笑むアクターの目が、上首尾を物語る。
 では――また、始まるのだ。
 新しい、夢が。
「ああ! 自分の都合でここまで遅刻した僕はキミから一体どんなお叱りを受けるんだろう? ねえ、何が起こるか賭けるかい?」
 肩をすくめて笑いながら、キースは一行を振り返ってみせる。
 彼らは、察したようだ。わざとおどけてみせるキースの、さりげないセリフ回しの中に含まれている意味を。
 だからただ――一緒に笑った。
「……まやが待っているよ、キース」
「ああ……なるほど……」

Chapter.11★伝馬町、奈落のどんでん返し

「こうして婚家を抜け出してきたということは、手を貸してくれるんだね、珊瑚姫?」
「……あのすっとこどっこいは、ほんに世話の焼ける。玄白どのこそ、お覚悟は宜しいのでしょうな」
「――ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや」
「それは、源内の墓碑に記す文言ですかえ?」
「天才平賀源内にふさわしいだろう?」
「このままですと、伝馬町の牢に源内の遺骸を引き取りに行き、葬儀を行うのはおぬしの役割になりますからの」
「源内の葬儀は行うとも。恙なく」
「いかにも」
「但し、そこに源内の遺骸はない。そのころには、彼は遠州相良にのがれている――さて、用意はいいかい?」
「おまかせくだされ。あっと驚くどんでん返しを江戸中に仕掛けてみせましょうぞ」
「楽しみだ。当の源内もさぞ、肝をつぶすだろうね」

 撮影は、順調に進んでいる。

 新と悟は、ときおり見学に顔を出し、
 縁は、独自の取材活動を始め、
 薺は、自らロケ弁を作り、
 純一は、アクターたちのサインを貰い忘れ、
 リゲイルは、スポンサーのひとりとして名乗りを上げた。

  ★ ★ ★

 夢を見よう。
 何度でも。
 
 銀幕の魔法は、まだ、続いているのだから。



 END

クリエイターコメントお待たせいたしました。
高槻ひかるWRにホールドいただきまして、エンドロールの後の一幕、皆様と名残のダンスを踊ることのできた幸運を感謝申し上げます。

リゲイル・ジブリールさま。
小日向悟さま。
南雲新さま。
浅間縁さま。
三月薺さま。
白木純一さま。

お付き合いくださいまして、ありがとうございました。皆様のお気持ちに恵まれ、新しい夢は銀幕にうつしだされることでしょう。

すべての、ムービースターの皆さま。
すべての、ムービーファンの皆さま。
すべての、エキストラの皆さま。

そして、素敵なPCさまがたを創造なさった、すべてのPLさまへ。
この3年間、愛し子をお預けくださいまして、ありがとうございました。

こうして書いている今も、つい、涙ぐんでしまいます。
大好きな皆様とのお別れが、未だにつらい私を、どうかお許しください。
公開日時2009-07-21(火) 10:00
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