★ 激闘! 雪山大決戦!! ★
クリエイター紅花オイル(wasw1541)
管理番号422-7132 オファー日2009-03-17(火) 03:25
オファーPC フェイファー(cvfh3567) ムービースター 男 28歳 天使
ゲストPC1 吾妻 宗主(cvsn1152) ムービーファン 男 28歳 美大生
ゲストPC2 続 歌沙音(cwrb6253) エキストラ 女 19歳 フリーター
ゲストPC3 続 那戯(ctvc3272) ムービーファン 男 32歳 山賊
ゲストPC4 アル(cnye9162) ムービースター 男 15歳 始祖となった吸血鬼
ゲストPC5 ルイス・キリング(cdur5792) ムービースター 男 29歳 吸血鬼ハンター
ゲストPC6 ギルバート・クリストフ(cfzs4443) ムービースター 男 25歳 青の騎士
<ノベル>

0.

 その戦いはまさに苛烈を極めた。
 地を揺るがすような男達の雄叫び。女達が巻き起こす、ビョウッと耳をつんざく咆哮にも似た猛吹雪。
 方々から飛び交うのは大小様々な雪のつぶてだ。しかし高が雪とて侮ってはいけない。
 中には性質悪く石が含まれた物もあり、戦場は気の抜けぬ修羅の場と化していた。
 霞む視界の向こうでは仲間達が戦っている。
 在る者は黄金色に輝く大剣を振りかざし敵陣を目指し、在る者は巨大な槍で前方を指し示し陣営の女兵達に指示を飛ばし、また在る者は冷静に戦況を見守っている。
 その時オレは、各所に設けられた雪を積み上げ作った土嚢のひとつを目指していた。
 そこでは雪の壁に身を潜め、女達が攻撃の弾となる雪玉をこしらえては、はるか前線の攻撃部隊――銀髪と黒髪の仲間の元へ運んでいる。いわゆる急ごしらえの武器補給基地だ。
 女達は懸命に、雪玉を作る。
 そう、短い着物の裾の中身が、中腰や四つん這いの姿勢でチラチラと見えそで見えないその様に、自分で気付かぬくらい、一心不乱に。
 そこへ、オレは、頭上を飛び交う砲弾を身を低くして避けながら、ほふく前進でただひたすら目指していた。
 もちろん、その着物の奥のお宝を拝むたm……いやゲフゲフン。
 女達の盾となるべく、万が一の時はこの身を犠牲にしてでも彼女達を護る為、最も危険な戦場を突き進んでいたのだ。
 辺りは一面の雪原、引っ切り無しに襲いくるのは肌に痛い身も凍るような氷点下の厳しさ。
 這って進む為、腹と腕、手のひらの感覚は既にない。冷たさでもう麻痺してしまっている。
 だからと言ってここで諦める訳にはいかなかった。
 じりじりと僅かだが、少しずつ確実にその距離をつめる。
 もう少し。うん、あともう少し。
 もうちょっと…もうちょっと……、もうちょっとで着物の中が見え……―――。
 え、アレ、止めてっ!? オレ味方だってば、コラ!
 ぶはっ! いや、あの、雪、玉、ぶつけ、ぶつけないでって、ゴメンナサイ!
 見てません、まだ見てませんからほんの少ししか!
 あ、嘘、ゴメ…っ、ア、やん、そこは、駄目、アッ! 馬鹿ばかんっ☆
―――んごふっ。
 ……え、アレ、嘘、アル見てたのん? やだなぁ、冗談だってばー。
 ボクちゃん流の、ハイセンスな一流のエスプリジョーク……って、いやまってお願いうそうそ落ち着いて話せば分かるからマジでゴメンゴメンナサイもうふざけません真面目にやりますだから許しておにいちゃぁん☆
 ん゛き゛ゃ゛っ゛。
……アッ、
    アッ、
     アーーーーーッ!

 『我が青春と闘争の回顧録』より / 著:ルイス・キリング


1.招待

「では、吾妻さんの所にも届いたのですか……!」
「うん。俺とフェイと2人分ね」
 和紙で織り込まれた丁寧な作りの封筒を指先に、吾妻 宗主 (アガツマ ソウシュ)はそれを口許に宛がった。
 鼻先に、仄かに感じる白檀の香り。恐らくは香だろう。
 男の物とは思えぬ美しく長い指先で宗主が中から取り出したのは、同じく一片の和紙だ。
 中には丁寧な文面で、指定の日時と共に、温泉宿『緋鬼』までの道筋が墨文字でしたためられている。
 ある日突然、彼らの元に届いた。それは招待状だった。
「僕の所にも。僕とルイスの奴のと、2人分届きました」
「そう」
「なんなのでしょうか……」
 大人の落ち着いた口調で、その反面まだ幼さの残る可愛らしい仕種で小首を傾げるアルに、宗主は彼の為に用意したコーヒーとタルトを、冷めないうちどうぞと改めて勧めた。
 宗主が自宅を尋ねてきてくれた友人に振舞ったのは、程よくハイローストしサイフォンでじっくり時間をかけて落としたブルーマウンテンと、カフェ『楽園』で教えてもらい自分なりにアレンジを加えた宗主お手製の飴色に輝くタルト・タタン。
 香り高く味の濃いそれらは、味覚が未発達な少年にも深い味わいを与え、アルの舌を楽しませてくれた。
「『緋鬼』というとアレですよね。先日この街に出現したムービーハザードの」
「うん。映画『緋鬼山』だね」
 そう頷いて、宗主はリモコンを手にテレビをつけた。
 リビングの薄い液晶画面に映し出されるのは、趣き深い雪山の景色。
 どうやら、宗主はアルが来るまで、1人元となった映画を鑑賞していたようだ。
『姉やサマ、姉やサマ。お別れしとうございません』
『ならん。ここは緋の山、鬼の山。雪妖怪が住まう里。人の童子がいつまでもおってよい場所ではない』
 古い日本を思わせる和装の幼子と白い着物の幼女の会話に、宗主が声を被せる。
「映画『緋鬼山』。子供が雪妖怪の里に迷込み、幼い雪女に助けられる。その数年後、妖怪のその村は悪鬼に悩まされるが、かつて助けられた子供が徳の高い僧となって舞い戻り、村の危機を救う、という話だね」
「杵間山の隣、出現したハザードエリアは季節に関係なく雪深い山で、何でもその雪妖怪達の温泉宿が市民に流行っていると聞きました」
 道すがら立ち寄った対策課で仕入れてきた情報をアルは宗主に伝えた。
「じゃあ、俺達を招待してくれたのは、雪女って事かな?」
 楽しげに宗主が上げた笑い声に、カタンと背後で鳴った音が重なった。
 次の瞬間部屋にふわりと白い羽が舞う。
「ただいまー」
 この部屋に住まう、宗主の同居人であるフェイファーが帰宅したのだ。
 銀幕市の空から軽やかに開かれていた宗主の部屋の窓の桟に降り立つと、天使である彼はその象徴である美しい四枚羽根を背の中に仕舞い、黒豹を思わせるしなやかな動作で窓辺からリビングへと入室してきた。
「よう、アル。来てたのか」
「お邪魔しています、フェイファーさん」
 印象的なアルファベットがデザインされたノースリーのTシャツの上、ロックテイストのシルバーチェーンが揺れる。
 およそ神に仕える天使とは思えぬ現代的でカジュアルな格好のフェイファーは、まるでスタイリッシュなロックミュージシャンを思わせる風貌である。
「随分と楽しそうですね。どちらかお出掛けされていたのですか」
 一見鋭い金色の瞳はアルの知るいつもの彼よりもどこか活き活きと輝いていて、思わずアルはそう尋ねた。
「んー? デート」
 軽い口調で楽しげにフェイファーはそう返す。
 目敏くテーブルの上のタルトを見つけ、手を伸ばしかけるが、
「フェイ」
 宗主に窘められ、慌ててその手を引っ込める。
 自由奔放な天使は、恩人とも言える宗主には唯一頭が上がらないようだ。
 いつも言われている事なのか、自主的にフェイファーは促される前に手を洗うべく洗面所へと向かった。
 その背に宗主が声をかける。
「そうだ、フェイ。今度の週末、空いてるよね?」
「ああ、暇だけど。何かあるのか?」
「うん、彼女には泊りがけで出掛けるって、ちゃんと連絡しておくんだよ。バチェラパーティだなんて思われちゃ大変だからね」
「はぁー? だから何がだよ」
 そのやり取りに、クスクスとアルは笑みを零している。
「皆で温泉に行くよ」
 宗主の宣言に、フェイファーは更にその瞳を輝かせた。
 さあて、何が待っているのやら、と。
 その裏に潜む騒動の予感に、宗主は口の中小さく呟いた。


2.緋鬼の里

 ただより高いものはないという事を、続 歌沙音 (ツヅキ カサネ)は若いながらもその年で、嫌というほど知っていた。
 唯一血の繋がった破天荒な叔父のような男が身近にいるからだろうか。
 世の中そうそう巧い話ばかりが転がっている訳がなく、物事には何でも裏というものがある。
 14の時から独り逞しく生きてきた歌沙音だからこそ、到達した境地だ。
 それでも、今銀幕市で話題の高級温泉宿への招待は、日々切り詰めて生活する少女には、到底抗える筈もないとても魅力的な誘いだった。
(温泉、料理、浴衣、お土産……)
 乏しい表情の中、その実彼女はそれは大層浮かれていた。
 たとえこの先何が待っていようと、どんな事が起ころうと、そんな物は目の前にぶら下げられた久方ぶりの『贅沢』の前には、些細な事と気にならなくなっている。
(料理は、うん限界まで食べよう。持って帰れる物は根こそぎ持って帰るとして。タオルや、浴衣は流石に駄目、かな? いや鞄に余裕さえあれば……。服とか持ってきた圧縮袋で小さくすれば、うんいくらかは詰まる。あとお土産は上限の金額決めて、なるべく実用的な物を……)
 妖怪の里の町並みは、季節外れの雪深い山奥であるというのに、まるで京の町のように歴史を感じさせる深みと趣きに満ちていた。
 桟に薄っすらと雪化粧が施された紅殻格子に、瓦屋根の下覗く虫籠窓。里の真ん中を通る宿まで続く一本道には板塀と犬矢来が真っ直ぐ連なり伸びていて、歌沙音を導いてくれているようである。
 踏みしめる雪道の下、スニーカーの裏から感じるのは石畳の感触。
 冬の白と、格子の紅と、突き抜けるような空の明と、艶やかな瓦屋根の暗と。
 目にも鮮やかな色彩をたたえる緋鬼の里は、宿に着く前から訪れた歌沙音の目を存分に楽しませてくれる。
 街に居ながらにして、遠い地へ旅行に訪れたような気分が味わえるこの銀幕市は本当にお得だな、と歌沙音僅かに表情を緩ませる。
 ああ、後は。
「後は那戯がいなければ、もっとこの旅も楽しめたのにな」
「またまた、俺と一緒で嬉しいくせに。照れちゃってお前も可愛いなー。あ、アレか。今流行のツンデレってェヤツか。そうやって俺の気を引こうってんだな? 安心しろ。俺にとってお前は何時までも可愛い姪だし、お前にとって俺はずっと変わらず偉大な叔父だ。その大好きな叔父サマと、温泉行けるんだから、ちったァ嬉しそうな顔しろよ。なァ、オーエン?」
「煩いな。いちいち突っ込むのも否定するのも面倒臭いから言わないけど、いい加減その減らない口閉じてくれる? 人が町の風情楽しんでいるって時にペラペラペラペラ那戯ってば騒音、まさに公害だよね。その存在だけで迷惑なんだから、少しは大人しくしていてくれないかな、自分とこの町の人の為にも。そもそも呼ばれてもいない那戯がどうしてここにいるの。招待状持ってないクセに。何、また誰か脅して無理矢理手に入れた?」
 この叔父にして、この姪である。
 立て板に水とはまさにこの事。淀みない喋りは明らかに二人が血縁である事を示していた。
 雪妖怪のその町を、着流しに着物用のコートを羽織り、肩にへばりつくボイルドエッグのバッキーを気にするでもなく、その身で冬の風を切るように颯爽と歩くのは、歌沙音のこの世で唯一の血縁者、叔父の続 那戯 (ツヅキ ナギ)である。
 和装の彼の佇まいは、突如出現したこの雪山の町に違和感なく溶け込んでいた。
「あのなァ、そんな得たいの知れない温泉旅行に可愛い姪っ子だけじゃ心配だろォよ。それにお前ェはまだ未成年だろ? 保護者ってヤツだな。 わざわざこの俺が骨を折って、お前の為に招待状を手に入れてきてやったんだ、有り難く思え?」
「うん、凄い迷惑」
「コラコラ、あのなァ……―――」
 丁々発止の口論は、いつもの事である。
 憎まれ口ばかりの応酬であるが、その実何より心から歌沙音の事を大切に思っている那戯である。
 その本心は軽いふざけた調子に隠れ、決して表に出ては来ないが、それは彼なりの姪とのコミュニケーション方法なのだ。
 大切な彼女との久しぶりの遣り合いが楽しくてたまらないのか、もう1ラウンド、と嬉々として口を開きかけた那戯は、
「あァん?」
 突然背後から、激しい喚き声と雪煙を巻き上げ爆走してくるその2人組に気付き、さりげなく歌沙音の肩を抱き引き寄せるとヒョイと脇に避けた。
「どうして貴殿が私の後をついてくるのですか……ッ!? こ、こんな、一緒に居て、誰かにコレを見られたら、ま、万が一、絶対にないとは思うけれど――だって赤の他人だろどう見ても別人纏うオーラも気品も全くの別格天と地との差くらい開きがあるというのにッ! そ、それでも、この私が、ナルバエス王にお仕えする名誉ある三騎士のこの私が! こんな男と同類だと思われたら、思われでもしたらッ!! ああ、私はもう生きていけない! ギャアァ、離れなさい、離れろ、馬鹿、ついてくるなアアアァァァァーーーーーーーッ!!」
「やーん、待ってぇー、ギルギルー。だって行き先一緒なんだからしょうがねぇじゃーん……って、聞いてないか。ははははは、コイツぅー、まてまてぇー」
 その場を爆音と共に駆け抜けていったのは、同じ顔をした青年2人だった。
 金髪に碧眼の容貌はまさに王子様。目を引く長身に引き締まった体躯。彫刻のような均整の取れた肉体からも、騎士としてのその実力を存分にうかがい知る事が出来る、美丈夫であるギルバート・クリストフ。
 しかし残念なことに、今の彼はこの世界でただ1人、絶対に会いたくなかった一生会いたくなかった天敵ともいえる男――否、彼の言葉を借りればナマモノの、ソレと遭遇してしまったが故、普段の誠実で紳士的な人柄など見る影もなくぶっ飛び、壊れていた。
 だからいつもの格好良さも、当社比3割減だ。
 そして、もう1人。
 褐色の肌に灰色の髪、しかし外見はギルバートと瓜二つ。
 ウフフアハハ捕まえてごらんなさーいこら待てーぇ、と海辺で追いかけっこをする恋人同士のようなふんわりスキップで、しかし全力疾走の半狂乱で逃げ惑うギルバートを抜かさんばかりの同スピードで追いかける、その様は奇怪で係わり合いにならない方が無難だと、見る者の目を背けさせる破壊力がある。
 男がその小脇に抱える桶の中身は、何故かシャンプーハットとオモチャのあひるちゃん。
 黙っていればカッコイイのに、口を開けば三枚目半。そろそろムービーハザードとして認定されてもおかしくない、彼の行く先々ではイロモノ事件が連発する。
 銀幕市のある意味有迷人、ルイス・キリングである。
 意味をなさない悲鳴と、意味をなさない哄笑を上げながら、同じ役者が演じた為同じ顔で実体化してしまったそのムービースター達は、爆音と爆風と爆振を巻き起こしながらそのまま山の上の温泉宿まで駆け抜けていった。
「なんだありゃァ」
「ああ、アレね。確かルイス・キリング……と、そのドッペルゲンガー? 有名だよ。面識はないけど、名前と噂だけは知ってる。確か再生の力を持ったムービースターだった筈だけど……潰され過ぎて、遂に分裂しちゃったのかな?」
「はァー? 何だかまたおかしなヤツが一緒になったモンだな。噂って?」
「変態」
「ハァーッ」
 姪のストレートな表現に、荒々しくため息をつくと那戯はそのオレンジ色に染め上げた髪を掻き毟った。
 あんな猛禽猛獣ならぬ珍獣のいる旅館に、同じ屋根の下一応年頃の娘である姪を1人行かせなくて良かった。
 やっぱりついてきて正解だったと那戯は心の中で密かに安堵する。
「それに」
「え?」
 いつにない叔父の真面目な声音に、歌沙音は思わず顔を上げた。
 何かを探るように、那戯が周囲に向け殺気の様な気を発している。
「……那戯?」
「相変わらず、こっちを監視しているような妙な気配は収まんねェし、な?」
 那戯は気付いていた。この雪女の招待の裏に潜む何かに。
 ただでは終わらないであろう、その気配に。
「…………」
 歌沙音もまたやはりと頷いた。
 ただより高いものはない、巧い話には裏がある。そう教えてくれたのは、他でもないこの叔父なのだから。
「いくぞ、歌沙音」
「ん」
 さて向かうこの先、2人を待ち構えているものは―――
 鬼が出るか、蛇が出るか?
 山のてっぺんの温泉宿へと続く道、緩やかに勾配がかったその石畳を踏みしめるように、那戯は、そして歌沙音は無言でのぼった。

 こうして到着した温泉宿『緋鬼』で一同に会した面々は、総勢7人のこのメンバーが何らかの理由で、この地に招かれた事を知ったのだった。


3.温泉宿『緋鬼』

「冗ッ談じゃありません……ッ!」
「これは、ちょっと私も異議ありかな」
 叫んだギルバートに続き、歌沙音も静かに手を上げた。
 歌沙音の後ろでは、どこか恐ろしい程の迫力を纏った那戯が腕組みをしたまま一同を睨み付けている。
「コラ、ちょっとじゃねェだろ。歌沙音、ガツンと言って来い、ガツンと。んで迷惑料、慰謝料ぶん捕ってこい!」
 那戯の口調はいつもの軽さを含んでいたが、その目は決して笑ってはいない。
 宿について早々勃発したのは、部屋割りを巡る騒動だった。
 二間続きの和室は2人部屋。
 雪妖怪と思しき髪も肌も着物までもと全体的に白い仲居は、到着した一同をそれぞれ部屋へと案内してくれたのだが。
「どうして私とこのナマモノが! 同じ部屋なのですかッ!?」
 よりにもよって、ギルバートが毛嫌うルイスと彼は同室とされていた。
「ヒッドーイ! そんなに嫌がんなくたって、ルイス傷ついちゃう☆」
 明らかにギルバートをからかい遊んでいるルイスが女子高生のような非難の声を上げるその横では、アルが真っ赤な顔で歌沙音に対し頭を下げていた。
「スミマセン!」
「いや、アル君が悪いわけじゃないし。明らかに宿側の過失だし」
 そして歌沙音は、なんとアルと一緒の部屋にされていたのだ。
「那戯さん1人部屋なんでしょう? だったら歌沙音さんにその部屋譲って……ええと、ギルバートさん、でしたよね?」
「ああ、そんな改まった呼び方をしていただかなくても結構です。ギルバートとお呼びください」
「おっけぇーぎるばーと!」
「貴様は呼ぶな!!」
「ありがとう。俺は吾妻 宗主、よろしく。じゃあ、ギルバートと那戯さん、ルイスとアル君が同じ部屋って事でどうかな」
 綺麗に同じ顔の騎士とイロモノのやり取りはスルーして、フェイファーと同室であった宗主があげた提案で、その場は何とか収まった。
 恐らくはギルバートとルイスは兄弟と、歌沙音はアルと年の近い同性…つまりは男の子と間違えられ、このような部屋割りになったのだろう、と宗主は思ったが、後者の特に彼女を気遣ってか自分の考えを口にはしなかった。
「なあ、そんな事よりいいからよー。早く温泉行こうぜ温泉! 宗、これどうやって着るんだ?」
「フェイ、それ反対だよ。今着かた教えてあげるから」
 温泉が大好きなフェイファーは待ちきれなくて堪らないらしい。終始ご機嫌の笑顔で、部屋に置いてあった浴衣を広げたり、タオルを振り回したりしている。
「そこのまともな方の金髪! 来い。同じ部屋のよしみで浴衣の着かた位教えてやる。その後は温泉だな」
「あ、ハイ」
「夜は酒付き合えよ」
「喜んで」
 姪の身の安全が確保できそれで安心したのか、那戯もまたギルバートに気さくに対した。
 彼自身温泉もこの和のテイストも彼の好むところなので、姪の歌沙音の目から見ても普段に増して機嫌が良いように見える。
「……さてと。じゃあ自分も温泉……」
「お供します!」
「…………は、もう少し後にして。お土産物でも見てこようかな」
「ちょ、歌沙音ちゃん!? んもう、華麗なスルー技術! リアクション薄いからボケ甲斐がなくて困るわ!?」
 一瞥もくれずさっさとその場を離れ歩き出す歌沙音の背に、ルイスはうそ泣きを送った。
 直後、どんっと背骨が軋む程強い力で背に衝撃を受け、ぐえっと潰れた声を上げる。
「あまり醜態を晒すな。恥ずかしい」
 愛らしい顔に似合わず迫力のある眼光で、アルが相棒の背を小突いたのだ。
「はぁい。自重しまーす」
「それにしても、まさかあの人まで招待されていたとは、な」
 ニヤリとニヒルな笑みを向けられ、ルイスはやや憮然と視線を逸らした。
 同じ顔を持つギルバートは、ルイスにとって憧憬と羨望の存在である。自分には成りえなかった、もう一つの可能性。会えば面白がってからかうが、実はどうやって対していいか分からないくらい苦手な相手でもある。
 それを、長年連れ添った相棒であり、同じ血を持つ唯一の兄であるアルは、密かに弟の胸中をなんとなく察していた。
「さて。僕達も温泉を楽しむとするか。行くぞ、ルイス」
「はぁい。お供しまーす」
 先ほどと同じやる気のない返事ではあったが、この時ルイスの顔はやや複雑であった。
 何も言わなくても分かってしまう、分かってくれるアルの存在が嬉しくてくすぐったくて、恥ずかしさも相まり、それを押し殺す為どんな表情をしていいか自分でも分からないのである。
 そんなルイスの様に僅かに微笑を零すと、アルは連れ立って温泉へと向かった。


 買い物を終え、1人温泉へとやってきた歌沙音は目の前に飛び込んできた光景に僅かに眉を寄せた。
 倹約家としての性がここでも如何なく発揮され、予算と実用性考え真剣に土産物を検分しながら慎重に買い物した為、幾分時間が掛かってしまった。
 にも関わらず、隣の男湯は未だに騒がしい。
 ちなみに、歌沙音が買ったのは先日自宅で割れてしまった湯のみである。
「男の癖に皆長風呂だな」
 ひとつ木板を隔てた向こう、聞こえてくるのは「彼女のお祖母様は確か日本人だろ。フェイ、温泉の入り方くらい覚えておかなきゃね」「タオルは湯船に入れねぇんだな。分かったぜー」という宗主とフェイファーの会話や、「貴重品は部屋の金庫に保管すると良い、とありましたよ?」「余計な気を回すな! ……あ、っと、わわっ、スミマセン! ついルイスと……いえ、何でもありません。ええと、いえいいんです、このネックレスは肌身離さず傍においておきたいので」というギルバートとアルの声、「だははははっ、顔が同じならそんなトコまで同じなのか、てめぇら!」「ッ!!!」「いやんっ!!!」という叔父の下品な笑い声だ。
 意識的にそれらの喧騒を鼓膜が拾わぬよう顔を背けるも、喧しくも響き渡る叫び声や時々上がる悲鳴と振動はどうしても遮断できるものではない。
 小さくため息をつきつつ、歌沙音は再び目前の状況に向き直った。
 温泉は、露天風呂だったのである。
 僅かな逡巡の後、思い切って歌沙音は服を抜き去るとタオルを一枚片手に引き戸の向こうに飛び込んだ。
 もうもうと上がる湯煙と、硫黄の匂い。チラホラと見える先客は、皆里の雪女達であるらしい。
 当然、誰もバスタオルなど持ち込んでいない。
 何が起こるかわからないこの旅行、本当はタオルを巻き入浴したいところだったが、マナーは守らなければ、と自分に言い聞かせ歌沙音は他の雪女達と同じように湯に足を踏み入れた。
 岩場から、そろそろとゆっくり奥へ移動する。
 じんわりと身の内から温まるような心地よさ。
 見事な松の木の上、積もった雪がサラサラと零れ、湯面にさざ波を立てる。
 火照る体に、湯から上晒された素肌に心地よい風が吹く。
「ああ、気持ちいいな……」
 湯の中両腕を前へ突き出し軽く伸びをすると、そう小さく呟く。
 煩わしい事も多いけれど、この時歌沙音は最高に贅沢なこの瞬間に、来てよかった、と心から思った。
 そうして一息ついた、その次の瞬間だった。
 ザザザッ
「キャアアァァァーーーッ!」
 大きく枝が揺れ、次いで吹雪が渦巻く。
「何!?」
 雪女達より上がる悲鳴。
 驚きそちらに顔を向け、そして歌沙音は松の下、その少年を捉えた。
「兜……?」
 年代を感じさせる見事な鍬形をあしらった、筋兜の少年がそこには居た。
 兜人が静かに歌沙音達に向け手をかざす。
 再び轟音と共に、女湯に吹雪が巻き起こった。


 その振動は、確かに男湯にも伝わっていた。
「何だ……?」
 いち早くその異変に気付いたフェイファーが表情を引き締め柵の向こうを睨み付ける。
「何者だ。こんな場所でイキナリ攻撃をしかけてくるなんて、卑怯だな君は。よほど雪女か、この里か……、ああそれとも、ウチの叔父に何か恨みでもあるのか? 那戯に酷い目に合わされた?」
 次いでビョウッという風の音に混じり聞こえてくるのは歌沙音の声。
「にゃろォ……っ」
 この向こうで起こっている緊急事態に、毒づきながら姪の身を案じ那戯が湯の中柵のそばに駆け寄る。
 ドォンと一際大きい振動に、軋む柵。
「……危ない、離れろ!」
 宗主が、叫んだ。
 次の瞬間、二発目の衝撃に、男湯と女湯を隔てていた垣根は大きな音を立て弾け飛んだ。
 素早く腰にタオルを巻く宗主と那戯。
 その様に倣い、フェイファーは湯の中抵抗を感じさせない身軽な動作で後ろへ飛ぶと指を鳴らす。次の瞬間フェイファーは、いつもの服を身にまとっていた。彼が行える天使の技、ショート詠唱である。
 バラバラと頭上から降り注ぐ柵の残骸の一つを軽く宙で掠め取ると、那戯はクルリと体の周りで回転させ棒術の型でそれを構えた。
 湯煙と吹雪のその向こうでは、雪女達が戦っている。敵は、兜を目深に被った年若い少年のようだ。
「那戯、駄目だ! コイツ話し掛けても無駄みたい!」
「わかった!」
 湯に深く身を沈め、後退した歌沙音が男勢に向け叫ぶ。
「攻撃は、手のひらから繰り出す吹雪。雪女達の吹雪は相乗されるだけで、効かない!」
 的確な状況把握と分析、伝達。裸で、襲われているというのに、肝の据わった少女である。
「まっかせろーっ!」
「大丈夫ですか!? 危険ですから、下がって!」
 低くなった垣根を越え、真っ先に女湯に飛び込んだのはルイスと、そしてギルバートである。
 同じ顔を持つ2人の行動は似通っていたが、その内面はまるで違った。
 タオルを腰に兜の少年の前、というよりも雪女達のまん前に鼻息荒く飛び出したルイスは、明らかに下心丸出しであり、対して【武装具現】の力で魔力で編み上げられた鎧を纏い、肌身離さず身に付けている青の首飾りより聖剣ライト・ブリンガーを取り出したギルバートは、背後の雪女達へはなるべく視線を向けないよう配慮しつつ突然の敵に身構えている。
 語らずとも一見すれば、現れた助けの手のいずれが善で、いずれが悪かは決まっている。
「キャアアァァァーーーッ!」
 一斉に雪女達が悲鳴を上げた。
 そうして突き飛ばすようにかざす両手から噴出すのは激しい冷気。
「っ!!!」
 悲鳴を上げるまもなく、ルイスは雪女達によって氷漬けにされた。
「何をやっているのだ、この馬鹿ルイスッ!」
 透き通るような白い肌に鮮血が散った。
 自らの手首を噛み【血液武装】にて全身を真紅のボディーアーマーで覆わせたアルが、氷のまま湯の中沈む相棒の様を罵るも捨て置き、得意の怪力で残った垣根の残骸を少年に叩きつける。
 鎧人は、アルの攻撃、次いで突き出される那戯とギルバートの攻撃を易々と交わし、ふわりと飛んだ。
 降り立ったその先は、松の木の上。
 すかさずそこへ、フェイファーが指を鳴らし枝をなぎ倒す。
「……へぇ。飛べるのか」
 悔しさよりも、どこか愉悦を滲ませ、フェイファーが少年を睨み付ける。
 兜の子供は、フワリ宙に浮いていた。
「来ます……!」
 ギルバートが注意を促した。
 鎧人が天に向け手のひらをかざし、ゆっくりと振り下ろそうとしている。
 叩き落されるように一面を襲う吹雪、それは一同を直撃する筈だった。
「いっけえぇ……ッ!!」
 同じように吹き上げたのは、アルが世界干渉により生み出し発した火柱だった。
 それはまるでエネルギー砲のように宙でぶつかり合い、激しい力比べの後どちらともなく弾け消滅した。
「消えた……」
 そしてその少年も、吹雪と共にいつの間にか掻き消えていた。
「歌沙音!」
「あ……」
 未だ湯に小さく身を潜める歌沙音に向け、那戯がバスタオルを乱暴に放った。
「ありがとう」
 それには素直に礼を言い、ひとまずは自分の素肌を隠す。
「皆怪我は……」
 女性の目もあるので武装したまま、仰ぎ見たギルバートは宗主の背面に声を上げた。
「吾妻殿! 怪我をされたのですか……!?」
 慌てて駆け寄ったギルバートは、宗主の背に刻まれた無数の傷跡が、新しい物ではない事実にその時気付き口を噤んだ。
「……あ、と。これは、失礼」
 フェイファーが持ってきた浴衣を笑みで受け取り、宗主はその背をさり気無く隠す。
「吾妻さん……?」
 それまでゲシゲシと沈んだルイスを蹴り倒していたアルは、初めて見る宗主の背に驚き両目を見張った。
「まさか、レヴィアタンとの戦いで……?」
 それとも、と言い掛けアルは唇を噛み締める。
 かつて悲しい戦いがあった。闇に落ちた仲間をほふる悲しくも辛い激戦。
 彼は、確かその戦いに参加していた筈だ。
 もしやその時の、と思いアルは口を噤んだのだが、
「内緒」
 宗主は穏やかに、しかしそれ以上踏み込ませない笑みで人差し指を唇の前そっと置いた。
 姪の裸を晒された事に静かに怒りを膨らませていた那戯は、コンタクトを外したが故、紫から本来の色を晒した漆黒の瞳に激しさ炎を灯しながら、振り返りざま低い声を叩きつけた。
「どォいう事か、説明してもらおうかァッ!?」
 那戯の言葉に、皆揃ってそちらを向く。
 破壊された入り口には、一際艶やかな紅色の着物に身を包んだ、この温泉宿『緋鬼』の女将が静かに頭を下げ佇んでいた。


4.相談

 先付けにくみ上げ湯葉と蒸し鮑、前菜に鴨ロースの山椒煮とハマグリの酒蒸し、上品な味の吸い物の後、刺身の豪華伊勢海老の姿盛りが続く。
 大皿の上はみ出さんばかりに盛られた煮魚はこれが一人前だろうかという程大きな鯛の兜煮、小さな鉄板の上、ジュウジュウと香ばしい煙を上げるのは焼き物の鮑の踊り焼き。
 揚げ物は季節の山菜が盛りだくさんで、ホッキ貝の酢の物はちょうど良い端休めとなってくれる酸味の中にも風味が感じられる一品。
 ふっくらつやつやに立ち上がった白米と赤だしの留椀には、それは見事な蒔絵の椀が用いられ味覚だけでなく視覚も楽しませてくれる。
 最後に水菓子に、綺麗にカットされたメロン、パパイヤ、巨峰、さくらんぼで贅をつくした夕食膳はしめられた。
 食事は美味しかった。
 どれも丁寧に調理され、見た目にも色鮮やかで、確かに市民の間でこの宿がブームになるというのも頷ける一級の味だった。
 食事は確かに美味しかった。
 しかし―――
「へーっくしょんっ!」
 一同集められた大広間の別間、50人は入るかと言うほどの巨大な宴会場で、畳の上座るのは合わせて7人。
「ぶえーっくしょっ!」
 加えて先ほどの騒動において氷漬けをくらったルイスはどうやらくしゃみが止まらないらしく、この食事の最中にも、ひっきりなしに飛沫を撒き散らせていた。
 初めこそアルも心配そうに気遣わしげな表情を見せていたが、それが延々くり返されること小一時間、巨大な広間の端に身を寄せ合うように小さく座り、尚且つ響き渡るのは連弾くしゃみ。
 いい加減共に食事を取る一同もうんざりしていた。
 玉露が行き渡った所で、しずしずと入室してきた女将は一同に向け腰を降ろし、思いつめた表情のまま深く深く頭を下げた。
「本日は当旅館『緋鬼』にお越しくださいまして、誠にありがとうございます」
「前置きはいい。俺達を呼んだ魂胆はなんだ。さっさと話せ」
 膳の上乱暴に箸を放り投げ、那戯が鋭い視線で女将を射抜く。
「那戯さん」
「那戯」
 宗主と歌沙音が同時に那戯の名を呼び窘める。
「やはり、あの兜人が原因なのですか?」
「ひぃーっくしょっ!」
「いえ、アレは……。私共にも、分かりません。しかしあの兜、アレは里に伝わる伝説の防具。卑怯な、男衆が持ち出したに決まっております……!」
 アルの問いに、女将は声を荒げた。
「男衆というと、里の?」
「ふへーっくしょっ!」
「ええ。恥を忍んで申し上げますと、ただ今我が緋鬼の里は男衆と女衆の間で諍いが起き、対立しております。決してどちらも譲らず、話し合いは泥沼化。それを憂いた里の長老が、一族の伝統祭の合戦で決着をつけろと申しまして」
「ぶっはーっ。じゅるじゅるじゅる。ぶひぃーっ。じゅるじゅるじゅる」
「本来の雪妖怪一族の伝統祭では」
「びぇーっくしょっ!」
「伝説の兜を手にした者が」
「ふぇーっくしょっ!」
「里の祭事の決定権を得るのですが」
「はーっくしょっ!」
「口惜しいや、我ら女衆、どうしても力では負けてしまいます」
「はーっくしょっ!!」
「ですから」
「はーっくしょっ!!!」
「ええい喧しいいい加減にしろこの馬鹿ルイスーーーッ!」
「ぎょえーーーーーーっ」
 女将の話の最中も、延々くしゃみをくり返すルイスに、遂にアルがぶち切れた。
 浴衣の裾からすべらかな白い足を覗かせて突如襖を蹴り倒したかと思えば、ルイスの座る座布団をわし掴み、そのまま広間から覗く庭園の遥かその向こう、勢いに任せてぶん投げた。
 半音下がり遠く消えていく悲鳴に、小さくくしゃみが続き、それもやがて聞こえなくなった。
「はあ、はあ、はあ……っ」
 怒りのあまり肩で荒く息をするアルの横、無言で立ち並ぶギルバートがアルの行動に賞賛の拍手を高らかに打ち鳴らしている。
 そんな一連のコント劇は気にも留めず、残された者達は普通に会話を続けていた。
「お話は分かりました。俺達に助太刀して欲しい、という訳ですね」
 宗主の問いに、女将は静かに頷いた。
「はぁー。妖怪事情ってのにも、色々あって大変だなー」
 肩を竦めるフェイファーのため息に続き、笑い声を上げたのは那戯だ。
「はははッ、んじゃアレだろ。この宿への招待は、男手が欲しくって銀幕市の連中にランダムで声掛けたっていう……!」
「那戯、煩い」
 女将の肯定に、那戯は更に声を高めた。
「はははははッ! 聞いたか、姪よ。お前男と間違われたんだよ。だァーから部屋があの小僧と一緒だったてェ訳か! わははははははッ!!」
「だから那戯、煩いっ!」
 先程から積み重ねられた座布団の上、楽しげにポージングを取りながらトランポリンのようにその上で跳ねる己のバッキーを横目に、その笑みのまま宗主が快諾の意を伝えると女将はありがとうございます! と深々と頭を下げた。
「それで、その伝統祭の合戦というのは?」
「はい。雪妖怪一族に古来より伝わる伝統祭」
 顔を上げる女将の唇に引かれた色鮮やかな紅が、弧を描く。
「雪合戦にございます」


5.雪妖怪一族伝統祭 雪合戦

 翌朝、法螺貝の音と共に行われた祭は、「祭」とは名ばかりの正真正銘の激しい合戦であった。
 雪山の麓に切り開かれた合戦会場は一面の雪原。
 その左右に陣を取り、集う男衆と女衆は皆鎧姿である。
「昨日氷漬けにされ、更には雪山に放られて、まだ懲りないのかお前は?」
 冷たい口調でアルが、地に這うルイスを見下ろす。
 見渡す限りの真っ白な雪景色。しかしその一点だけ、そこは色濃い鮮血で染まっていた。
「だってよぉ」
 うつ伏せのルイスが吐息混じりに呟いた。
「そもそもなぁーんで、ここの男共と女連中は仲違っちゃってる訳。昨日もその辺あの女将、ぼかしてただろ。理由が分からないんじゃ、本気になりようもないだろ?」
「確かに……」
 そうなのだ。
 昨夜女将の口より告げられた助太刀依頼。
 事情は分かった。温泉に、豪華な食事を振舞われ、曲者揃いではあるが基本的に皆根はいい人間ばかりである。
 雪女達が困っているのならば、と今回のこの助っ人を引き受け女衆の陣営につきたしたものの、肝心のその諍いの原因を彼らは聞かされていなかった。
「それでも」
 飛んできた雪だまを避け、正面から突っ込んできた雪男の1人を魔力で覆った素手で跳ね飛ばしながら、アルは続けた。
「今は戦うしかない。そうだろ?」
「はいはい」
 笑顔でそう言い切られ、兄が望むなら、と仕方なくルイスも身を起こす。
 先程アルに潰された背も腹も、今は脅威の再生能力であっという間に復活している。
「行くぞ、ルイス」
「困っている雪女ちゃん達を捨てては置けないしねー」
 飛んできた雪の砲弾に拳を突き出し打ち砕くと、ルイスもまたアルの背を追い敵陣営へと突っ込んだ。

「3℃3℃3℃3℃3℃3℃3℃3℃」
「熱め熱め熱め熱め熱め熱め熱め」
 合戦の両陣営の戦力が真っ向から衝突した最前線、そこではもっとも激しい戦いが繰り広げられていた。
 この祭には、基本戦いに雪玉が用いられるようであったが、エキサイトした戦場では最早何でも有りになっている。
 飛び交う雪の砲弾の中、鎧武者達は普通に武器を繰り出し戦っていた。
 武器といっても、本物の刃ではない。刃先の丸い氷の刀や槍である。
 討てはそれは簡単に脆くも崩れる。しかし当然当たれば痛い。
 ギルバートもまた、雪女達より作り出して貰った氷の剣をふるい、敵の本陣を目指していた。
 アルやルイスと同じように、彼もこの諍いの原因が気になっていた。
「何故です。何故争うのです!」
 戦いながら問いかけるも、大柄な雪男たちは皆氷や拳を返してくるだけで、誰1人ギルバートの問いに答えようとはしてくれなかった。
「3℃3℃3℃3℃3℃3℃3℃3℃」
「熱め熱め熱め熱め熱め熱め熱め」
 同じく前線で補給基地から届けられる雪玉を手に戦っているのは、宗主とフェイファーである。
 互いに背中合わせで背後を預け、前面より襲いくる雪男達を軽いフットワークと速球で撃破していく。
「ははッ、雪合戦ってのは面白ぇーなー!」
 戦いの最中でも、フェイファーにとってそれはスリルのある遊びなのだろう。
「宗、どっちが多く敵を潰せるか、競争だぜ?」
 背面の宗主に対しフェイファーはニヤリと笑ってみせる。
「わかった。負けた方が、1カ月ゴミ出し当番ね」
 対する宗主も迫る軍勢に対し臆することなく、その顔に浮かんでいるのは笑みだ。
 はためく裾は特殊加工を用いた特注の漆黒のコート。しかしまだグローブは嵌めてはいない。
 これは合戦とはいえ、祭だ。まだ。
(まだ?)
 自分の考えに、宗主は小さく笑った。
 本能だろうか。それともそれが自分の有する本質?
 どこか知らない内に戦いを求める己の性に、宗主は自嘲とも鍾愛とも取れる笑みを浮かべた。
「それにしても……」
「3℃3℃3℃3℃3℃3℃3℃3℃」
「熱め熱め熱め熱め熱め熱め熱め」
「この叫びは、一体なんなんだろう?」
「さあ、呪文か掛け声かなんかじゃねーの? よっと! これで18人目!」
「……19、20」
「あ、くっそ。負けるかよっ! オラッ!」
 フェイファーと宗主は、つかの間のゲームを楽しんだ。

「何やってるんだか……」
 雪女陣営側の割と小高い丘の上で、歌沙音はぼんやりと戦況を見物していた。
 遠く下方では、あの傍若無人な叔父が何やら雪女達を集め、雪玉の中に石を込めることや、落とし穴を掘ってそこに雪男を落とす方法など、ノリノリで張り切って教えている。
 歌沙音としては、この合戦の助太刀料に、宿泊に上乗せして土産物と料理の持ち帰りを要求し、それが叶えられたから満足していた。後は叔父率いる他のメンバーが頑張ってくれるだろう。
 歌沙音としては、欲しいものを手に入れられれば、後はどうでもよかった。
「ん?」
 戦いは今や最高潮に盛り上がり、各所で雪煙や猛吹雪が乱発している。
 左右に分かれた陣の脇、合戦場を見渡すように配置された歌沙音がいる場所よりも更に高い、台座のような丘の上。そこには、この合戦の勝者側に渡される事となっている、里に伝わる伝説の兜が納められている。
 それを手にした者に祭事の決定権が与えられるという里の掟。
 勝敗はあくまで合戦にて決する筈だった。にも拘らず。
「あの雪男……」
 血迷った1人が禁を犯し、台座の上によじ登らんとしている。
 思わぬ助太刀の加勢に、押されているのは男衆。
 焦った誰かの指示なのか、男の独走か、先に兜を手に入れてしまえと、どうやら卑怯にも抜け駆けに出たらしい。
「那戯!」
 歌沙音は叫んだ。
 万が一に負けでもしたら、上乗せの土産も料理も、下手したら宿泊料さえも請求されるかもしれない。それだけはなんとしても避けたい。
 歌沙音の叫びに、その視線に、那戯は全てを理解したらしい。
「待てコラ、雪もじゃ達磨野郎ォ!!」
 勢いよく駆けていって、炮烙と名づけられた巨大な槍を重さを感じさせない手裁きでぶぅんぶぅんと振り回す。
 それを見た雪男は、焦って傍に落ちていた漬物石を掴み持ち上げた。
「那戯……!」
 歌沙音の叫びに、
「え?」
「なん、だ?」
「これは……」
 地の底から重く響く激しい振動が重なった。
「あれは!」
「いけない、あれは封印石!」
「ああ、悪鬼が!!」
 慄く雪妖怪達の悲鳴は、突如上がった爆音に消しさらわれた。
「大山が……」
 昨夜彼らが湯を楽しみ、豪華な食事に舌鼓を打ったあの宿が、炎に包まれた。
 山が燃えている。緋鬼山が噴火したのだ。
 そして合戦場のその真ん中に、ゆらり陽炎の様に湧き出た黒い影に雪妖怪達は一斉に逃げ出した。
 映画の中で里を襲い苦しめていた悪鬼が、解かれた封印より復活したのだ。
「ガアアァァァァーーーッ!!」
 悪鬼が上げた咆哮に、地は揺れ山は更に火を強くした。
「ああ、土産が料理が……」
 無感情に、歌沙音が呟いた。
「あれは悪鬼だね。怪力で、地を揺らし、炎も使う。気を付けて」
 グローブを嵌めながら、宗主が一同にそう注意を呼びかけた。
「映画の中じゃどうやって倒したって?」
 空から舞い戻ったフェイファーが翼を仕舞いながらそう尋ねる。封印岩を元の位置に戻してみたが、効果がない事を確かめてきたらしい。
「里に恩を受けた人間の僧が悪鬼を倒し、封印したそうです。でも、肝心のその僧は実体化してないようです」
「まあターイヘン」
 アルの答えを、ルイスが茶化す。
 口調はふざけているものの、でもその目は決して笑ってはいない。
「私達で倒さねばならない、という事ですね。分かりました。騎士として、民を守り救うのは当然の役目です」
 ギルバートが胸に拳を押し当て、高らかにそう宣言した。
「歌沙音、下がっていろ」
 那戯は短くそれだけを発した。
 頷く歌沙音に僅かに笑みを返す。
「よっしゃ、行くぜッ!」
 那戯の声を合図に、戦士達は一斉に悪鬼に向け駆け出した。


6.決戦! VS 悪鬼

「ルイス!」
 アルの声が雪原に響き渡った。
「おう」
 心得たようにルイスが右腕を差し出す。
 アルよりうねりを上げ発せられたのは赤い細い糸。魔力によりアルの体内より引き出された血の糸だ。
 その血糸が、ルイスの腕に絡みついた。
 鮮血が散った。ルイスの腕が赤く染まる。
 次の瞬間眩い光と共にその場に出現したのは、ルイスの血を使いアルが武装化の能力で生み出した『黎明の剣』であった。
 人と始祖の混血ゆえに、ルイスの血は始祖や吸血鬼の世界干渉では不可能な太陽の光を発する剣を生み出すことが出来る。
 この際アルのおかげで剣を形成する始祖の血が活性化している為、所有者であるルイスの能力はロザリオ解除時並みに上昇する。
 フェイファーもまた、眩いばかりの神々しい光に包まれていた。
 彼の背は四枚羽の翼が覆い、彼の身を纏うのはいつものカジュアルな服ではなく白い天使の正装装束である。
 手に開かれたのは辞書のように分厚い本――天使帳簿。
 人の耳にはその意味は分からぬが、聞けば心安らぐ荘厳な調べで高らかに天使は神に捧げる歌を紡ぐ。
 雷鳴の後、光の刃が悪鬼を貫いた。
 しかし僅かに動きを止めただけで、何事もなかったかのように魔物は再び歩き始める。
 里を、雪妖怪達が住まう町を破壊する気なのだ。
「させるかッ!」
 炮烙が、火を噴いた。
 全長180センチ程ある美しい姿の直槍は、年代物の様相に反して現代科学を活用したカラクリがいっぱいに詰め込まれている。
 柄の中身に詰め込まれた火薬が発火の秘密だった。特殊な金属を用い鉄よりも強い耐久性を持つその槍は、千℃近い高熱にも耐えられる。
 手元の房飾りを引き、那戯が愛用の獲物に着火させたのだ。
 大きく槍を振り回しながら、悪鬼の気を里からこちらに逸らす様に立ち回り那戯は攻撃を繰り返す。
「吾妻さん、今です!」
 血糸をふるい、悪鬼の体に巻きつけその動きを止めたアルは、後方の男に向け叫んだ。
 黒のコートがはためく。軽やかに舞うように雪原を蹴り飛ぶと、宗主は動けぬ悪鬼の急所を正確に狙いすまし、拳と蹴りの猛攻強打を繰り出した。
 ぐらりと、3メートルにも及ぶ赤黒い悪鬼の体躯が傾く。しかしその目を逸らしたくなるような恐ろしい形相から、その攻撃もあまりきいていない事が伺えた。
「悪鬼は闇を好む鬼だ! 光に弱い!」
 映画から得たその情報を、宗主は同じ顔を持つ2人のムービースターに告げた。
「心得ました」
「了解っ」
 ドォン、と地が揺れた。
 アルの血糸を厭い、我武者羅に拳を振り上げた悪鬼が大地に大岩の如く巨大なそれを叩きつけたのだ。
 振動に、雪妖怪達が悲鳴を上げる。
 その刹那、
「光を纏え、我が魂の刃! 明日を照らす黎明の輝きをこの地に示さん!!」
「ウラアアァァァッ!!」
 辺りは光の爆発に包まれた。
 地を震わすその衝撃に足を捕らわれる事なく、同時に飛んだギルバートとルイスがそれぞれの剣をふるい悪鬼に叩きつけたのだ。
 ルイスの黎明の剣と、ギルバートの聖剣ライト・ブリンガーの放つ「聖なる輝き」が、悪鬼の目を焼き尽くす。
 重ねて、アルが絡めた血糸より生命力を奪う「略奪」を行う。
 その周辺だけ、衝撃に岩肌が剥き出しとなった雪のない雪原に、悪鬼がグラリと膝をついた。
 勝てる、そう思った。
 悪鬼は明らかに弱っていた。それは幼い雪妖怪の雪子達を避難させるべく誘導に走り回っていた歌沙音の目から見ても、明らかだった。
「よし!」
「畳み掛けるなら、今だ!!」
 誰もが勝利を確信した。あと一歩で悪鬼を倒せる。
 しかし―――
「ああ、里が! 町がぁ!!」
 歌沙音が手を引く雪子の1人が、頭上を見上げ泣きそうな声を上げた。
 溶岩が、迫っていた。噴出した火の龍は周囲の木や岩を飲み込み、土石流となり、雪妖怪達の故郷をも飲み込もうと間近まできていた。
「チィッ!」
 フェイファーが飛んだ。
 新たな書を取り出し、新たな賛美歌を奏でる。
 地より芽生えた新たな岩が、壁となって町を守ろうとするが、フェイファーの力ではどうにも足りなかった。
「今こそ輝け、我が魂の刃よ! 明日を斬り開く希望の刃となれ!!」
 フェイファーの眼下に駆けつけたギルバートもまた、剣をかざし凛とした声を張り上げた。
 「閃光の斬撃」が光の砲弾となり、迫りくる熱波を力で押し戻す。
 均衡していた力のバランスが、崩れた。
 6人合わせての戦力で、対抗出来ていた悪鬼へ攻撃。
 2人抜け、視力を失っても尚周囲を破壊しながら暴れる悪鬼を止めるには、僅かに力が足りない。
 しかし、里の危機は目の前まで迫っていた。
「ルイス、後は頼んだぞ」
 ルイスに己の腕を噛ませて、内面世界への干渉を行わせる事により青年体へと成長を遂げたアルは、まっすぐ前を向いたまま背中でそう告げた。
 答えなど、聞かなくたって分かっている。
 そのままアルは、フェイファーとギルバートが食い止める炎の龍の元へと向かった。
「さて、どうしようかな」
「ここままじゃ分が悪いって、なァッ!?」
「アイツに任されたんだ。引けるわけねぇだろッ!!」
 炎を吐き、拳を振りかざし暴れ狂う悪鬼を三方向から囲い込み、宗主、那戯、ルイスの3人は、深い碧と、猛る紫、閃く青のそれぞれの瞳で目前の怪物を睨み付けた。
 暴れる悪鬼は町の傍まで移動しており、もうここから先一歩も近づけさせる訳にはいかない。
 3人は一瞬の内に目配せをし、その事実を確認しあう。
 危機的状況に、歌沙音は息を飲んだ。
 自分に出来る事はないか、周囲を見渡しその光に気付く。
「あ……!」
 台座を駆け上がり、歌沙音は火山の噴火により飛んできた落石で埋もれていたその兜を引っ張り出した。
 岩の間、僅かな隙間から光を発していたその伝説の兜は、歌沙音の手により救い出されるとより一層の輝きを放ち、天高く上っていった。
「君は……」
 兜の下、光と共に薄っすらと姿を現したのは、昨日露天風呂で歌沙音達を襲ってきたあの少年だった。
 目深に被られた兜の下、少年は僅かに笑ったように見えた。
 その次の瞬間、閃光が悪鬼を貫いた。
 天より落雷の様に直撃したその光の槍は、それまで暴れていた悪鬼の体躯を地に串刺し、その動きを完全に止めさせた。
「兜人様じゃ!」
「おお、兜人様じゃぁ!!」
 雪妖怪の老人達が口々にそう叫び、兜を拝む。
 その遥か昔、悪鬼の出現よりも更に前。里を襲った大山の大噴火に、現れた兜の武者は天より光の矢を放ち火を鎮めてくれたという。
 その兜は伝説の武者が、村を今一度助けたいと力を宿し現れた姿だった。
「私達を、試したね?」
 歌沙音は、天高く舞う少年を睨み付けた。
 あの時、あの露天風呂で、里を守るに相応しい戦士たる力の持ち主か、兜人は歌沙音達の力を試したようだ。
 少年が山を指差す。
 青年体となったアルが、その持てる力を全開にし、極低温を大規模に発生させ噴火の凍りつかせている。
 フェイファーの歌と、ギルバートの操る聖剣が、力を重ね町を守るエネルギーの城壁を作り上げる。
 収まりつつある噴火に、安堵した兜は小さくその光を弱めていくと、最後の力を使い果たしたのか音もなく再び台座に落下した。
 その次の瞬間、
「ゴグアアァァァァァァァーーーーーーーッ!!」
 激しい断末魔が大気を震わせた。
 振り返り、歌沙音は巨体を雪原に沈める悪鬼の最期を見た。
 手の埃を払う宗主。剣を振るい穢れた血を飛ばすルイス。そして叔父の那戯は、ドンと柄を地に置くと、歌沙音に向けニヤリと笑みを送った。
「勝ったんだ……」
 歌沙音の呟きに、男衆も女達も手を取り合い喜びの声を上げる。
 こうして悪鬼は闇へと帰り、緋鬼山の怒りも収まり、雪妖怪の里に平和が舞い戻った。

―--仲良くね、と。
 どこからともなく胸に響いた声が、歓喜に沸く里を優しく包み込んだ。


7.顛末

 果たしてその原因は、お茶の温度だったという。
「「ハァッ!!??」」
 那戯とルイスは大きく声を上げた。
 アルは真紅の瞳を大きく見開き、ギルバートもまた驚きのあまり声を出せないでいる。
「お茶というと、アレですねよね。昨夜宿でも振舞っていただいた」
 宗主の確認に、頭を下げた男衆の頭と、宿の女将は揃ってそうですと神妙に頷いた。
 一同の前に進み出た、長老が背後に控える民と同じように頭を下げた後、もごもごと長く蓄えられた白髭を揺らした。
「この者達は、茶の熱さ温さでも揉めておったのです。諍いは、ワシが気付いた時にはもう大きく膨れ上がり、納める事の出来ぬ所まで亀裂を生んでおりました。あまりの馬鹿馬鹿しさに、ワシは祭にて決着をつける旨命じたのです。お客人には、このような事に巻き込んでしまい、誠に申し訳ないことをいたしました」
「「「「「「「「申し訳ありませんでしたッ」」」」」」」」
 再び頭を下げる老人に、続いて背後の雪妖怪の民が一斉に土下座した。
 ピッタリ揃った声に動作。それはまた有る意味迫力のある、見事な光景だった。
「ははッ!」
 その様にフェイファーが快活な笑い声を上げる。
「すっげぇー。茶の好みでここまで熱くなれるのは、ある意味すげーよな」
 呆れてはいるものの、特にわだかまりはないのか、天使は悪鬼を蘇らせ火山を噴火させ町まで滅ぼしかけたその茶の湯騒動を明るく笑い飛ばした。
 そういえば、と思い出す。
 夕食後に配られた茶は、最高級の玉露であったにも関わらず、甘みも半減してしまう冷えたものであった。
 文句ない会食膳だったからこそ、最後の茶の温度は残念を通り越して疑問が残るものだった。
 宗主は、昨夜の出来事をそう思い出す。
「勿体ない」
 口を開いたのは歌沙音だった。
「あのね、玉露の温度は温めの50℃から60℃。湯飲みは必ず湯ざめの意味も込めて温めて、適温まで温度を覚ましてから静かに急須に入れる事。蒸らす時間は2分から2分半、じっくり甘みを引き出して、濃さが均等になるように最後の一滴まで丁寧にまわし注ぐ……ホラ」
「おお!」
 歌沙音の実演で入れてくれた玉露の味に、雪妖怪達は感嘆の声を上げた。
 同じく激戦に喉がカラカラだった一同も、ご相伴に預かる。
 口の中いっぱいに広がる香りと深い甘み。
「うん、美味い」
 知らずに声が漏れた。
 俺にも寄越せと、戦いに草臥れた格好でよってきた那戯に、歌沙音が手渡したのは被害を免れた宿の茶碗ではなく、1人だけ違う深い藍色の湯のみだった。
「お、流石貧乏少女。雑草すら食らって生きてる奴は、食い物のうま味を最大限に引き出す技ってのを知ってるなァ、オイ」
「那戯、煩い」
「何だよ、褒めやってるんだぜ? 金がなくとも、男に間違われようとも、しぶとく生きろ? その雑草根性で」
「煩いってば、黙って飲め」
 那戯は気付いてはいない。
 その湯飲みが、歌沙音が家で割ってしまったが為、新たに買いなおした叔父専用の湯飲みである事を。姪が土産に自らの金で買った唯一の物が、それである事を。
「さてと」
 宗主が立ち上がる。
「どこから手をつけようか?」
 町に被害はなかったものの、山頂付近にあった宿は流石に噴火の牙を諸に食らい半壊している。
「さっさとやっちまおうぜー」
 宗主の声に、フェイファーがフワリと羽を広げる。
「げぇー? これからもう一仕事? ボクちゃんなんだか眩暈が。あ、ホラ昨日の風邪が、また完治してないみたいで……ふえーっくしょっ! ぶぇーっくしょっ!」
「―――ルイス」
「あハイスミマセン嘘ですやりますやらせていただきます」
「早く立て直して、宿を再開できると良いですね」
 早くも木片を担ぎ始めたギルバートの爽やかな笑みに、女将もまた微笑と共に顎を引いた。
「ホラ、那戯」
「やれやれ……」
 姪に促され、那戯もまた立ち上がった。
 復興作業には幾分時間は掛るかもしれないが、きっとまた『緋鬼の宿』は再開出来るだろう。
 何しろ、市民にも大人気の最高の温泉宿なのだから。
「ホラ、なァ? ただより高いものはねェって」
 那戯のぼやきに、そんなの知ってるよ、と姪はクールに返す。
「那戯が教えてくれたんじゃないか」
 歌沙音は珍しくポーカーフェイスを緩め、僅かに微笑んだ。

クリエイターコメントお待たせいたしました!
雪山の大決戦、お届けいたします。
思ったよりも長くなってしまい、その分お時間をいただいてしまいました。スミマセン。
ご参加くださった皆様にお礼申し上げると共に、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

残り僅かの銀幕ライフ、皆様にとって実りのあるものでありますように。
公開日時2009-06-02(火) 19:10
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