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<ノベル>
魔法の終わりが宣告されてからも栗栖那智の日常は変わらなかったし、少なくとも彼の教え子たちの目にはそう映っていた。
だが、変化はある日唐突に訪れた。
「……私には君たちの反応が理解できない」
ざわざわとどよめくゼミ生たちの前で栗栖准教授は怪訝そうに眉根を寄せている。
「先生……どうされたんですか?」
「どうしたのかと訊きたいのはこちらだが。私の説明に不足や疑問があるのなら指摘してくれないか」
「いいえ、そういうわけじゃないんですけど。……その」
無表情を常とする准教授の前でゼミ生たちはしきりに顔を見合わせている。
事情は明快だった。那智はとある少女の所に会いに行くという。以前関わったハザード絡みの事件で知り合った相手だそうだ。知り合ったといってもその場限りで、以後付き合いなどはないらしい。そんな相手を那智が気にかけること自体が俄かには信じられないし、おまけに彼はゼミ生たちに向かって驚愕の一言を放ったのだ。
「手土産は何にすればいいだろうか」と。
冷酷というほどではないにしろ、那智は優しさや気遣いなどとは縁の薄い次元に生きている(ように学生たちには見えている)。そんな准教授からいきなり手土産の相談を持ち掛けられればゼミ生ならずとも驚くというものだ。
「そんなにおかしいことか? 何を買って良いのか分からないから彼女と歳の近い君たちにアドバイスを求めたのだが……」
那智は相変わらず無表情に眼鏡を指で押し上げた。
戸惑う那智の前でゼミ生たちは綿密なディスカッションを繰り広げた。真剣な表情でああでもないこうでもないと言い合う教え子たちを見ているとさすがの那智も少しいたたまれなくなったが、口には出さなかった。そして結局、喧々諤々の議論を経て打ち出された結論は“ケーキと花が良い”という至極平凡なものであった。
「先生。二人分ですよ、二人分」
「彼女と彼女の妹さんの分と、ちゃんと二つ買ってくださいね」
やけに念を押してくるゼミ生たちに、那智はやや苦々しい表情で「それくらいは分かっている」と答えただけだった。
彼女たちの住所は対策課で尋ねた。スター向けの安アパートで姉妹一緒に暮らしているという。姉は綺羅星学園の大学部に通いながらアルバイトをし、妹は同じくアルバイトをしながら専門学校に入ったそうだ。
姉の名は理緒、妹の名は未緒。おかしなウサギからの招待で踏み込んだハザードでの騒動の張本人となった双子だ。それなりに大きなハザードで、謎解きや戦闘のようなものもこなさねばならなかったが、那智には“スケールの大きな姉妹喧嘩”としか思えなかった。
事件当初、那智は理緒にも未緒にも苛立ちを覚えていた。特に理緒には糾弾と疑問をストレートにぶつけた。
『本当にお互いが大事ならこんな事にはならなかった筈だ』
『おまえたちに絆があるようには見えない。あるのは血の繋がりだけだ。ただ互いに依存して、互いを支配しようとしていたようにしか見えん』
『血縁者だからという理由だけでなぜ無条件に大事だといえる?』
那智の指摘はひどく的確で、厳しかった。それでも夢の女神によって魔法の終焉が告げられた時、理緒はどうしているのだろうという思いが真っ先に脳裏をよぎったのだった。
理緒は恐らく自分を嫌っているだろう。しかしこの機会を逃せば次はない。花とケーキを手に彼女の自宅へ向かう那智の足取りは淡々としていた。
案の定、呼び鈴に応じて玄関を開けた理緒は那智を見るなり露骨に表情を曇らせた。
「ここでいい」
部屋に上げてくれなくても良いと告げ、那智は手土産を差し出した。洋菓子店のロゴが入った紙箱とパステルカラーの不織布で飾り付けられたミニローズの小さな鉢植え――それは那智が手にするにはひどく不似合いな品であった――に理緒は目をぱちくりさせた。
「場所を取らないように小さな花にしたのだが。大きいほうが良かったか」
「そうじゃなくて……その」
意外なのだと。理緒は那智の様子を探るように視線を上げながらそう付け加えた。
那智は薄く笑った。
「ゼミ生にも同じことを言われた。柄ではないと」
「そういう意味じゃないんです。……いえ、それもありますけど。どうしてあたしに?」
「知っているだろうが、君達スターはじきに消える」
かつて会った時、那智は理緒を“おまえ”と呼んでいた。
「……はい。市役所の人に聞きました」
「だから、魔法が終わる前に一言礼を言いに来た」
理緒は「は?」と素っ頓狂な声を上げた。
「一方的に報告したいこともある。五分で済む」
「だったら上がりませんか? その……ここだと目立つので」
わずかに逡巡を見せた後で理緒はそう言った。年頃の少女の部屋に上がり込むような図々しさは那智にはないが、アパートは車通りの多い道路に面していて、廊下の様子は外からも丸見えなのだった。それに、コンビニ袋を提げて階段を上って来た青年が那智と理緒にちらちらと好奇の視線を向けている。
「成程。入れてもらったほうが良さそうだ」
「未緒はバイトに行ってるんですけど、いいですか?」
「ああ」
那智は理緒に促されるまま玄関をくぐった。
八畳一間の、質素な和室だった。小さな机が二つと小さなテーブルがひとつ。夜は布団を敷いて寝ているのだろう。三段カラーボックスの天板には姉妹のツーショットを収めたフォトスタンドが立てかけられ、上二段には参考書やテキストが、最下段にはジャンガリアンハムスターのケージが収められていた。
「ケーキ、早速出しますね」
理緒は二つの鉢植えを一つずつ机の上に置き、ケーキの箱を持ってキッチンに入って行った。
「それは後で妹と食べてくれ。そのために買って来た」
「……はい」
理緒は素直に肯いて箱を冷蔵庫に入れた。
「妹は専門学校に入ったと聞いたが」
「はい、インテリアデザインの学校に。……だけど、あたしも未緒も卒業できずじまいですね」
やがて二人分の紅茶が運ばれてくる。普段使いの、丸みを帯びたマグカップだ。きちんとしたティーセットがないのだと理緒は詫びたが、那智は特に気にしなかった。
「インテリアデザインの学校ということは……二人で一緒に家を作ることに決めたのか」
「え?」
「二人で住む家をデザインするのが夢だと言っていなかったか?」
理緒は呆気にとられたようだったが、すぐに「はい」と肯いた。
彼女は幼い頃の約束を果たすために――姉妹で一緒に住む家を作るために建築士を志している。その上未緒がインテリアデザインを学んでいるとなれば、二人が選んだ道を察することは容易だ。
二人だけで暮らせる銀幕市という環境のせいはあるにせよ、幼稚に過ぎた二人も少しは成長したのかも知れないと那智は思う。姉は大切である筈の妹にろくな説明もなしに進路を決めようとしていたし、妹も妹で自分が置き去りにされることのみに固執していた。それゆえにすれ違いが起こったのだが、那智の目にはどっちもどっちとしか映らなかった。
血縁など信じてはいないし、信じる気もない。家族なら無条件に大事だという感覚も分からない。自業自得ですれ違っておきながら涙を流して互いを求め合う姉妹の姿はどこか滑稽にすら見えたものだ。
「――やはり、私には君達の気持ちは分からないが」
やがて口を開いた那智の前で理緒は黙っている。
「視点を変えて考察してみた。もし君達が家族ではなく友人どうしだったらと仮定して……その上で私ならどうしていたかと考えた時に、友人の顔を思い出した。私があの状況に置かれたら君と似たような行動を取っていたかも知れない」
見た目と中身のギャップが凄まじいあの男は友人というよりも悪友だろう。やめろと何度抗議しても彼は那智を「なっちー」と呼ぶし、大学生時代のビーフシチュー伝説を言いふらしたのも彼だし、ろくなことがない。
それでも彼は友人だ。彼が囚われれば助けに行こうとするだろう。そんなふうに思えるようになったのは大切に想える人ができたからでもあるし、理緒と未緒を間近で見たおかげでもある。
家族というものを否定することしかしてこなかった。諸手を挙げて家族愛を肯定することは今後もないだろう。しかし那智は少しだけ変わった。
「“家族だから”大事、という理屈は理解できない。しかし、家族というものを違う目線から見られるようにはなった」
家族という単語を口にする那智の心は自分でも驚くほど凪いでいた。理緒の肩越しのカラーボックスの上に立てかけられた姉妹のツーショットを目にしても心がざらつくことはなかった。
理緒へ向けた言葉を撤回はしないし、謝罪するつもりもない。だが、那智は姿勢を正して真っ直ぐに理緒を見つめた。
「だから、その報告を。それと、そんなふうに思わせてくれた君達に礼を述べたい」
「え……あの」
「君達と出会わなければ私の思考は停滞したままだっただろう。――生まれて来てくれてありがとう。君も、妹も」
那智はごくごく小さく、しかし確かに理緒に向かって頭を下げたのだった。
つられるように背筋を伸ばした理緒は呆気に取られているようだった。那智が顔を上げても口を半開きにしたまませわしなく瞬きを繰り返しているだけだ。
言葉もないのだろう。以前に一度会っただけの、親しくも近しくもない、それもどちらかといえば冷淡な眼差しを向けてきただけの人間から「生まれて来てくれてありがとう」などと告げられたのでは。
那智はカップに残った紅茶を飲み干し、静かに腰を上げた。
「君達には関係の無いことなんだが。私のただの自己満足だ」
「……あ。そ、そんな」
「付き合わせて悪かった。それから、ケーキは出来れば今日中に食べてくれ。生クリームを使ってあるから日持ちがしないそうだ」
ぽかんとしたままの理緒をその場に残し、那智はいつも通り無表情に部屋を後にした。
「ま、待ってください!」
アパートの階段を下りた那智の後ろから理緒がまろぶように駆けてくる。足を止めた那智は何か用かと目だけで問うた。
「その……あの。こちらこそ、ありがとうございました」
息を切らしながら理緒がぴょこんと頭を下げたものだから、那智はひょいと眉を持ち上げた。
「あの後、たくさん話して。あたしの考えてたこと全部話して、未緒の気持ちも聞かせてもらいました。今の生活も二人で話して決めました。今こうやっていられるのもあの時来てくれた栗栖さんや皆さんのおかげです」
「あのパスワードを解いた者は他にもいた。私の功績ではない」
「パスワードのことだけじゃありません。うまく言えないけど……栗栖さんに言われたこと、少し後になってからよく分かったんです。……最初は少しイラッとしましたけど」
「正直なのはいいことだ」
「ご、ごめんなさい。――本当にありがとうございました」
もう一度頭を下げてから顔を上げた理緒は晴れやかに微笑んでいて、那智もつられるようにごくごくわずかに表情を緩めてみせた。
それから間もなくして夢の魔法は終焉を迎えた。理緒と未緒の自宅からは寄り添うように転がる二巻のフィルムと、その傍らに佇むミニローズのポットが発見された。
部屋の中は那智が訪れた時のままだったという。二つの鉢植えは瑞々しさを保っていたし、カラーボックスの上には相変わらず姉妹のツーショット写真が飾られていた。変わった点といえば、カラーボックスの上のフォトスタンドがひとつ増えたことくらいだった。真新しい写真立てには生クリームたっぷりのケーキを頬張りながらピースサインを送る二人の笑顔が収められていたそうだ。
(了)
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クリエイターコメント | ご指名ありがとうございました。いつもお世話になっております、宮本ぽちでございます。 まさか自分のシナリオを題材にしたオファーをいただくとは思っておりませんでした。
過去にご家族に関するエピソードの一端を担わせていただいた身としては、非常に感慨深かったです。少しずつ変わっていく様子を近くで見守らせていただけたような気がして。 「生まれて来てくれてありがとう」に記録者は理緒と同じくらい驚きました。
実は魔法が消える前に書き上げていたのですが、あえてこのタイミングで納入いたしました。 そのほうがラストの余韻が出るかなと。 素敵なオファーをありがとうございました。 |
公開日時 | 2009-06-14(日) 21:00 |
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