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<ノベル>
その日、綺羅星学園小学部は慌しかった。
7月の終わりにオノデラ・アキラが誘拐された後、8月に入って2件の誘拐が相次いだのだ。
いずれも誘拐された子どもの家族にJOKERと名乗る犯人から連絡が入った事、そしてヒントが添えられた事から、連続誘拐事件と断定、本格的な対策本部が設置された。この段階では報道管制がしかれていたが、公開捜査への移行を訴える声は小さくない。そんな折、4件目の誘拐事件が発生したのである。誘拐された小学生は1件目と同じ綺羅星学園の生徒だった。
綺羅星学園大学部にある総合体育館で医学学会のシンポジウムに出席していた栗栖那智は、久しぶりに訪れた母校を懐かしく思い、かつての学び舎へと足を伸ばした。中高大はクラブ活動で賑わっているものの、小学部の校舎は比較的静かなはず。それが、生徒どころか教員にも見えない、どちらかというとやんごとならない風貌の連中が行ったり来たりしているのが目に止まった。
中学部と小学部を分ける中庭の木陰から訝しげに眉を顰める。
「何か、あったのか?」
リオネの魔法が解けて2ヶ月。事件に遭遇する機会もなくなっていたから物珍しさも手伝って那智が興味を惹かれたように目を凝らしていると、背後から軽やかなスニーカーの足音と共に聞き知った声。
「何でも子どもが誘拐されたとかって話らしいぜ。それで――」
遠くを覗き見るように手を翳した男―――たまたまゼミのレポートを仕上げるために大学構内にある図書館に調べものに来ていた黒瀬一夜である。彼はそこで仕入れた情報を早速披露しようとそこに立っていた白衣の男―――那智を振り返った。
振り返った瞬間、一夜は内心でげっと呟いただろう。
「お前は……」
忘れもしないチョコレートクルーズ。那智はその時わけのわからない仲裁をしてくれた、どっかの大学の教授だか准教授だったのだ。
一夜は頬を若干強張らせつつ愛想笑いを返して言った。
「その節はどうも」
視線を彷徨わせつつ頭を掻く一夜に那智が何か言いかけた時、更に。
「きゃっ!!」
植え込みの木の根元に足を取られたように女が1人派手に転んだ。パンツルックが幸いしたがスカートなら間違いなくその中身を見せていただろう転びっぷりで持っていたものをぶちまけながら。
「だ…大丈夫か?」
半ば呆気に取られたように一夜が女に手を貸す。
「す、すみません」
女は立ち上がると、慌てて散らばったメモ用紙を拾い始めた。
その1枚を那智が拾い上げる。
「? 黄色いカーテンがかかっている部屋の隣の部屋のドアには太陽のマークが付いている?」
読み上げる那智に慌てて女が手を伸ばした。
「返してください!」
メモを取り上げる女に、那智は取り上げられたそれを考え深げに目で追っていた。その視線に気付いて女がメモを翳しながら那智の顔を覗き込む。
「あの……」
これが、何か。
「あ、いや。懐かしいなと思って」
「懐かしい? ――って、知ってるんですか!? これ!!」
女がメモを手に那智に詰め寄る。那智は面食らったように後退った。
「え? いや、知ってるというか……」
「教えてください。答えはどこなんですか!?」
「あ…あの、ちょっと待って、落ち着いて」
胸倉を掴みあげる勢いの女の肩を那智はなだめるように押しやった。
「…………」
女は我に返ったように那智から離れる。それにホッと息を吐いて那智は言った。
「残念ながら、その答えはそれだけではわからない」
「他にもあります。それならわかりますか?」
女が言った。
★
「―――で、生活安全課の刑事が誘拐事件を担当?」
綺羅星学園大学部、一夜が使っているゼミの研究室は丁度誰も使っていなかったので、那智と一夜と、それから女―――屋良洋子は、中庭からそちらに移動したのだった。机を囲むように座る3人。それぞれの前でインスタントコーヒーのカップが湯気を立ち上らせていた。
「担当じゃありません。最初から、ただの人海戦術要員で、今も……別の仕事が……」
洋子は段々尻すぼみになりながら答えた。
「ああ、それで」
一夜は得心がいったように頷く。だから捜査員たちから隠れるようにして中庭の植え込みの影にいたというわけなのだ。
「……で、その刑事さんが何で?」
「ちょっと、気になる事があって……」
洋子は視線を泳がせる。
「気になる事?」
インスタントコーヒーを啜りながら那智が尋ねた。
洋子は考えるように俯く。一歩間違えれば懲戒免職にもなりかねない。会ったばかりの2人をどこまで信用していいのかわからず逡巡する。だけど、彼はメモの事を知ってる風だった。
洋子は意を決した。これは絶対他言無用ですと冒頭に添えて。
「誘拐犯JOKERの要求は1つ。自分の居場所を見つけろ。さっきのメモはそのヒントなんです。誘拐事件が起こる度にヒントが1つ出されるんです」
「へぇー」
不謹慎だと自覚しつつも、まるで魔法がかかっていた時の銀幕市のような事件に胸が高鳴るのを感じて一夜は身を乗り出した。
「さっきのメモは1件目、この綺羅星学園小学部のオノデラ・アキラくんが誘拐された時のヒントです。ヒントが見つかったのは銀幕市広場でした」
そう言って洋子は机の上にそのメモを置いた。
「2件目は洛陽南小学校の3年生コヤマ・カズキくん。これがヒントです」
そうして洋子は2枚目のメモを並べて置く。
ヒント2.ドアに【月】のマークの付いた部屋は一番左、【クラブ】のエースは【白】いカーテンの部屋の隣にいる。
「このヒントが発見されたのは銀幕市自然公園でした。3件目はソノダ・サツキちゃんでえぇっと……」
「もしかして、月の付く小学校……たとえば桐月学院とか?」
メモを見ながら那智が言った。
「え? あ、はい」
手帳を確認しながら洋子が驚いたように頷いた。ソノダ・サツキは桐月学院初等科の3年生である。
「どうしてわかったんだ?」
尋ねた一夜にだが那智はとぼけたように首を傾げてみせただけだった。
「さあ?」
「おい」
一夜が那智をせっついたが那智は洋子を促すように目配せした。話す気はないのか。洋子は3枚目のメモを机の上に置いた。
ヒント3.中央は【服】に埋もれた部屋。【ハート】のエースは【スペード】のエースの隣の部屋にいる。
「そして4件目の事件は昨日起こりました。綺羅星学園の生徒で、トベ・タクミくん。やはり小学3年生です。そしてこれが昨夜遅くに見つかった4つめのヒント」
ヒント4.ドアに【月】のマークの付いた部屋は【赤】いカーテンの部屋の隣、【薬】に埋もれた部屋には【ハート】のエースがいる。
メモを机の上に並べて洋子は那智を見た。
那智はメモを食い入るように見ている。一夜はメモからキーワードを抜き出しホワイトボードに書き出していた。
「これでJOKERの居場所はわかりますか? 懐かしいってどういうことなんですか?」
洋子は切迫した口調で那智に詰め寄った。
「ああ、よくある論理学の問題だったから。昔よくやったなと思ったんだ。まだ全ての条件が出揃ったわけじゃないが……ジョーカーを探すということはスペード・ハート・クラブ、恐らくこの他にダイヤもあると仮定して部屋の数は5つ。ドアのマークとカーテンの色、4×5で全部で20項目+左右の並びが入って25。これ以上項目が増えないならば、最低13個は条件が必要になるかな」
「13個!? ……って、後9回も誘拐が続くっていうんですか!?」
思わず洋子が腰を浮かせる。それに一夜が横から割って入った。
「それはないんじゃない? これ、最初のヒントの条件は1つだけど、それ以降2つづつ入ってるみたいだから、後3回で済むと思うよ」
「3回……」
気が抜けたように洋子は腰を下ろす。とはいえ後3回もこの誘拐事件は続くのか。
「しっかし、現時点では殆ど埋められないな」
3つほど埋まって一夜のペンは止まっていた。とてもJOKERの居場所を特定できそうになり。全てのヒントが出揃うのを待つしかないのか。
「そういえば……なんでさっき、月の付く小学校ってわかったんだよ?」
一夜が思い出したように那智に尋ねる。
「ああ、1つ目のヒントに太陽のマークとあって、その後誘拐されたのが洛陽南小の生徒だったから、もしかして、と思っただけだ」
特に根拠があったわけじゃない、とでも言いたげに那智が答えた。
「なるほど。じゃぁ次は月の付く学校か? でも3つ目のヒントにマークはないよな。もしかしたら中央の服に埋もれた部屋が綺羅星学園の星だったりしないかな?」
一夜はホワイトボードのドアのマークの欄の中央に『(星)』と入れてみる。
「さぁな。それより、気になる事とは何だ?」
那智が洋子を振り返った。洋子は困惑げに答える。
「この事件はある映画から派生したもののような気がして」
「もう魔法はとっくに解けてますよ」
一夜が言った。
「わかってる」
洋子とて先輩刑事にも釘を刺された事なのだ。
「ハザードは起こりえない」
那智も言った。
「ええ」
それでも洋子はどうしても気にかかるのだ。
「ある映画ってどんな映画なんです?」
「タイトルは忘れてしまったの。ただこんな風に子どもが1人誘拐されるたびになぞなぞが1つ出されるんだけど。なぞなぞを出していた犯人は誘拐されていた子どもたちだったのよ。動機は―――寂しくて、親の愛情を確かめたかったから」
洋子の言葉に那智はわずかに目を見開いた。
「親の愛情……」
噛み締めるように呟く那智を怪訝そうに一夜が覗き込む。
「那智さん?」
「あ、いや」
無意識に首を擡げた過去の記憶を意識下で押しやるようにして那智は洋子を促すように顔をあげた。
洋子は続ける。
「忙しい両親になぞなぞを出しても相手にしてもらえないでしょ?」
彼女の言葉に一夜は納得した。
「だから……」
やり方は間違っているけど気持ちはわからないでもない。
「今回誘拐された子どもたちもみんな、共働きの家庭の子どもたちなの」
「もし親に振り向いて欲しいなら、このヒントは我々や警察ではなく、誘拐された子どもたちの親が解くべきではないのか?」
那智はメモ用紙を指して言った。
「ええ。でもまだ、そうだと決まったわけじゃないから……」
「でも誘拐してJOKERを見つける以外に何も要求がないなら、犯人が子どもたちの可能性は大いにあるよな」
一夜が言った。
「…………」
洋子は俯く。
もしそうなら―――那智も一夜も考えないではない。この事件に警察は介入しない方がいいのではないか。
子どもたちの動機はどこにあるのか。せめてそれを確認しなければ。
「警察より先に見つけた方がよさそうだな」
那智が言った。
「だけど今見つかってるヒントはこれだけなんだよな……服に埋もれた部屋って服屋とかかな?」
一夜がホワイトボードを睨みつける。
「市内にいくつ服屋があると思ってるんだ?」
呆れた調子で那智が言った。服屋だけではない。薬局だって何件ある事か。
「誘拐された子どもの家にそういうのはないんですか?」
一夜が尋ねるのに洋子は首を振った。
「殆どが普通の共働きのサラリーマン夫婦って感じで」
「それ以前に、誘拐された子どもが全員そこに集まっていたら、気付かない親もどうかしてないか?」
JOKERが誘拐された子どもなら、行方不明になっている子どもたちは同じ場所にいる可能性が高い。
「そうだけどさ。まだ報道管制がしかれてるならその親は事件を知らないのかも。なら子どもの友達が泊まりに来たぐらいにしか思ってないとか?」
「知らない可能性は低いな。被害者の身辺は警察が既に聞き込みをしてるだろうし。更に言えば、その点で、同じことをしていても警察より先には見つけるのは難しいだろう」
だが自分たちは今警察より先に子どもたちを見つけなければならない。そして動機を確認し、場合によっては警察の介入を止めさせる事も考えなければならない。
唯一の救いは、警察なら銀幕市内の服屋や薬局を全店捜査出来るという事。出来るからこそ、そちらに時間を割くことになる。という点に於いて、やり方次第ではこちらが先を越せる可能性もある、という事だ。
「……なら、次は桐月学院の生徒の可能性が高いんだろ」
「行ってみるか?」
尋ねた那智に一夜が立ち上がった。
「勿論! 犯人が子どもたちなら、きっとソノダ・サツキちゃんと仲のいい子だよな」
「でも今は夏休みで聞き込みをしようにも生徒たちは……」
洋子が言う。
「確か、全員同じ塾の子じゃなかったか?」
那智が立ち上がった。
「ええ」
「ならば、その塾に行ってみよう」
「そうね」
洋子も立ち上がる。だがその肩を那智が掴んだ。
「あなたは待った」
「え?」
「あなたには別の任務がある」
「別の任務?」
「警察が犯人を見つけてしまわないようにする事だ」
こちらが考えたくらいの事なら、警察も既に考えついてるはずである。
自分たちの目的はただ犯人を見つける事ではない。警察より先に犯人辿りつく事なのだ。だからこそ、捜査の邪魔をしないまでも、警察の捜査がどこまで進んでいるのか監視する者が必要なのである。万一、服屋や薬局にJOKERがいたら……。
「……やってみるわ」
洋子が言った。
★
「親の愛情を確かめるため……」
塾までの地図を一夜に持たせ道案内させながら那智がぼんやり呟いた。家族の愛情。那智にとってそれは苦手なものであり、その一方で憧れるものでもあったのだ。
「はい?」
聞こえるか聞こえないかの那智の呟きに一夜が振り返る。
「いや、犯人が子どもたちだったとした、今度の子どもたちの動機は何なんだろうなと思って」
「もう1度夢を見たかった、とか? それとも勉強によるストレスが起こした、ただの愉快犯?」
「なんで勉強したらストレスになるんだ?」
「…………」
それから小一時間、一夜は勉強とストレスの因果関係について那智に説明する事になった。人は元来嫌な事を強制されたらストレスが溜まるものだと言っても、いまひとつ腑に落ちない顔をされるので、手っ取り早く体感してもらおうと、一夜はちょっとした試みを行う。那智が嫌な事―――なっちゃん、なっちゃん、なっちゃんと連呼してみせたら、問答無用で殴られた。少しは子どものストレスとその発散について理解してくれただろうか。
一夜は殴られた頬をさすった。一応手加減はしてくれたのか。さほど痛かったわけではないが。一夜はしみじみ思う。やっぱりこの人は苦手だ、と。何を考えているのかさっぱりわからないところが。
その上、人をパシリのように顎で使うところがある。自分も単位という言葉に脊椎反射してしまうのが問題なのだろうが。一夜は疲れたように息を吐いた。
「あ、ここだ」
そんなこんなで。何とか2人は塾にたどり着いた。最近流行りの個別指導がメインになった塾らしい。入口には夏期講習臨時休業のお知らせと書かれた貼り紙がしてあった。まだその詳細は公にはなっていないものの、同じ塾ばかりで4件も誘拐事件が続いたのである。とはいえ全ての事件が塾の帰宅途中というわけでもなかったが。これは偶然なのか、或いは必然なのか。
ガラス戸を覗くと中に人が見えたので、那智と一夜は早速ドアを押した。鍵は掛かっておらず難なく中へ進入。
「すみません。ちょっとお話を伺いたいのですが」
受付らしいカウンターに声をかけると、スーツ姿の男が2人を頭の天辺から足のつま先まで見やってから神妙な面持ちで尋ねた。
「警察の方ですか?」
「あ、いや……」
一夜が咄嗟に言葉に詰まる。
「私、法医学研究室の者でして―――」
慣れた調子で那智が営業用と思しき愛想笑いと共に男の前へ一歩進み出た。
流れるような嘘八百に一夜のほうが思わずポカーンとしてしまう。論点を曖昧にして正に相手を煙に巻く論法。
「―――というわけでお話を伺いたいのですが」
「お帰りください」
那智にも負けない営業用スマイルで男は2人を出口へと促した。必要な事は警察に全て話している。事件は報道管制がしかれている。塾としては余計な風評被害は受けたくない。どうやらそんなところらしい。下手に流麗に話したのがよくなかったのか、2人をゴシップ誌か何かのライターと勘違いしたようである。
かくして一夜と那智はあっさり追い出されてしまった。
「何が悪かったんだ」
那智が納得いかなげに眼鏡のブリッジを押し上げた。
「やっぱり刑事さんも連れてきた方がよかったんじゃない?」
一夜が肩をすくめてみせる。警察手帳は水戸黄門のご印籠。
「仕方ない。桐月学院に行ってみよう。案内してくれ」
「…………」
一夜は携帯でマップを開いた。言いだしっぺは那智だが、言うだけで調べるのはもっぱら一夜の担当なのだ。
桐月学院は夏休みとあってかやはり殆ど校内に子どもたちの姿はなかった。ただ唯一登校している2人の女子生徒を発見。ヘチマの水をやりに来ていたのだという。早速話を聞いてみた。塾の男に比べてこちらは好奇心を掻きたてられたのか、警戒心もなく事件や詳細などは知らないまでも、好意的に那智と一夜に話してくれた。2人とも残念ながらソノダ・サツキのクラスメイトではなかったが同学年な上に去年まで同じクラスだったらしい。ソノダ・サツキの友人関係について聞いてみると。
「サツキなら、ノダっちと仲良かったよね」
「ノダっち?」
「ノダ・ナホコちゃん。サツキと同じクラスの子」
「その子の住所とかわかるかな?」
「住所はわからないけど、家は知ってるよ。まるぎんの近くだよね」
「うんうん」
「!!」
「教えてくれないか」
★
「ノダ・ナホコ。桐月学院初等科3年。5人目の被害者。そしてこれが5つ目のヒントだ」
拠点と化した一夜のゼミの研究室。それぞれ低位置となっている椅子に腰を下ろして、那智がメモを取り出して机の上に置いた。
昨日、一夜と那智はソノダ・サツキの親友を追ってノダ・ナホコの家を訪問したのである。残念ながら留守だったが、家人の帰りを待っていたら程なくして夕方母親が帰宅した。事情を話して中に入れてもらうと、留守電にJOKERからの伝言。というわけで警察に連絡と称して洋子を呼び出し5つ目のヒントを警察より先に入手したのである。警察はまだ、この5件目の事件の事を知らない。
ヒント5.ドアに【雲】のマークの付いた部屋は【本】に埋もれた部屋の隣、【緑】のカーテンのかかっている部屋は【青】いカーテンのかかっている部屋の左。
「本に埋もれた部屋」
ホワイトボードに書き出しながら一夜が呟く。
「ブティック、ドラッグストア、本屋?」
「だから、いくつあると思ってるんだ」
那智がやれやれといった態で返した。
そうだけどさ、と拗ねたように一夜は5枚目のヒントを見つめる。
「次は雲の学校かな?」
「雲というと雲竜館あたりか」
那智は考えるように人差し指の背で顎を撫でた。ドアのマークは学校を示す。今のところそれで間違いはないようだが。
「―――学校? 学校じゃないか?」
閃いたように那智はホワイトボードを振り返った。
「何が?」
怪訝に一夜が尋ねる。それに那智は質問で返した。
「たとえば、学校で本に埋もれた部屋といえば?」
その問いに一夜は首を傾げる。
「図書室?」
「なら薬はどうだ?」
一夜は薬品が並んでいる部屋を想像してみた。
「理科準備室とか?」
他に挙げるなら保健室というのもあるだろうか。
「だったら服は?」
「更衣室」
「それはないだろ……」
那智は呆れたように脱力したが、服に埋もれた部屋で咄嗟に一夜の脳裏に浮かんだのがそれだったのだから、仕方がない。
「服で学校といえば……被服室かしら?」
洋子が言った。
「小学校なんだから家庭科室じゃないか?」
「それだ!!」
「よし、探しに行こう」
那智が立ち上がる。
「でも、後2つわからないぜ」
一夜が言った。
「学校の教室をしらみつぶしに探せばいいだろ」
「でも学校に人が立てこもってたら普通誰か気付くんじゃないか?」
「今は生徒はいない」
プールにしても、朝顔の水遣りにしても校舎には殆ど入らない。
「夏休み中って事か」
「そうだ。そして小学校は雲と月と太陽。それに綺羅星学園の星を加えて4つとして、後一つがわからないが……1番最初に誘拐された小学生は綺羅星学園の生徒だ」
「なるほど、綺羅星学園の可能性が一番高いって事か」
「ああ、きっとJOKERは綺羅星学園の小学校校舎のどこかにいる」
3人は小学校校舎に急いだ。
教員用玄関からこそこそと受付に見つからないように腰を低くして何とか生徒用下足室まで移動すると、3人はどこで仕入れてきたのか来客用スリッパに履き替えた。
「俺はとりあえず図書室を見てくるよ」
「私は理科室を見てこよう」
一夜の後に那智も続く。
一夜は大学生だったが他の校舎に出向く機会もあったし、那智は元々綺羅星学園出身である。マンモス校と呼ばれるだけあって巨大な校舎でも迷う事は早々ない。2人がさっさと目的の教室に向かってしまうのに、洋子はぽつんと一人取り残されて、学校案内板を探した。
「家庭科室ってどこよ」
半ば諦めたようなため息を吐き出して、とりあえず端の教室から順に覗いていくことにする。
一方先行した2人。
「理科室にはいなかった」
渡り廊下で合流した一夜に那智が言った。
「図書室も駄目だ」
一夜が首を振る。
「後は家庭科室を先に覗いてみるか?」
「ああ」
途中の音楽室や図工室なども覗きつつ2人は家庭科室を目指した。思えば中央が星と仮定した場合、服に埋もれた部屋が大本命だったのかもしれない。
勢いよくそのドアを開いた。
「!?」
「いたーーーーーーっ!!」
果たしてそこには、ペットボトルや食べ終えたコンビニ弁当の空きパックだののゴミと一緒に5人の子どもがいた。
「…………」
すっと立ち上がった1人の少年に一夜が近づく。
「オノデラ・アキラくんだね」
「おじさんは……警察の人じゃないね」
お兄さんではなくおじさんと言われたことに少なからず精神的ダメージを受けて一夜が半歩よろめいたのに、那智が代わって続けた。
「JOKERは君だろ」
オノデラ・アキラは頷いた。
「どうしてこんな事を?」
たった一夜にして銀幕市の人口は激減したのだ。それでもいつもと変わらず朝は来て、地球は回り続ける。家を出るといつもかけてくれる『おはよう』の声がなくなっていて、道を歩く人はずっとまばらで静かで。
両親が共働きで親にあまり構ってもらえなかった子どもたちの相手をしてくれていたムービースターは子どもたちの中で思っていた以上に大きな存在で。
それが消えて、まるで祭りの後みたいな静けさと寂しさだけが彼らの胸に転がった。
みんなわかっていた。魔法が解ける執行猶予。それが終われば魔法がかかる前の銀幕市に戻る。
だけど。
魔法がかかる前の銀幕市―――って、どんなだったっけ?
どんなに想像しても、どんなに覚悟しても、驚くほどぽっかり空いた穴は大きくて、日常という瑣末で埋めるには途方もなくて、カラ元気で乗り越えるには穴の向こう側は遠すぎて。笑顔に絡みつく寂寥は梅雨の湿気よりもうっとうしくて。終わった後は、終わるとわかった時の予想を遥かに上回って―――寂しかった。
それでも知っている。
雨がいつかあがるように、夜はいつか明けるように、いつか―――。
だけどそんな陳腐な慰めをいくら並べたてられたって、この心の穴はそんな容易に塞がるものではなかった。
色あせていく世界。寂しげな色に沈む街。
それでも器用な人々は仮面を上手く被ってしまう。1ヵ月も経てば日常は日常に埋もれ、過去は過去へと遠のいて、そして時折思い出に変えた過去を懐かしむ。
なら、不器用な人はどうすればいい?
誰もがそんな簡単に割り切れる心を持っているわけじゃない。心にぽっかり空いた穴の埋め方もわからない者たちだって大勢いるはずだ。自分たちのように。
一生懸命隠しながら、笑顔でごまかしながら、本当はみんな―――。
ジャーナルを賑わしていた数々の事件。大きなものから小さなものまで。心の中で胸の奥底で求めている。あのスリルとドキドキとハラハラ、それからワクワク。
そんな時、古い映画を見つけた。これなら自分たちにも出来るかもしれないと思った。ドキドキとハラハラ。
銀幕市のみんなもきっと心のどこかで少しだけあの日々を夢見ているはずだ。
ムービーハザードが起きたら、きっとまたみんな、ドキドキハラハラして、あの頃のようにキラキラした街に戻るに違いない。
「犯罪でワクワクなんて誰もしない。それは映画の中だからワクワク出来るんだ。犯罪は割に合わないからやめた方がいい」
那智がぴしゃりと言った。
「…………」
オノデラ・アキラも他の子どもたちもしょんぼりと俯く。
そんな子どもらに別に責めるつもりはなかったのだと思いなおして那智は困惑げに少年の頭に手を伸ばした。
本当はただ、銀幕市のみんなを励ましたかっただけなんだよな、とそっと撫でる。
「その気持ち自体は決して悪いものじゃない」
少しやり方を間違えただけなのだ。彼らの気持ちは大切にしてやりたいと那智は思う。
「まぁ、青春は一度きり、夢も同じ一度きりってね。いつかそういうのが宝物になるんだよ。時間はかかるかもしれないけどさ」
今は哀しくて辛くて、それをどうにかする方法も思いつかないくらい凹んでて、世界は色あせて見えるかもしれない。だけど、沈うつに時間を重ね、灰色に極彩色の明日を重ねていけば、いつかまた世界はきっとキラキラに輝きだす。そして、極彩色の明日を作るのはきっと彼らなのだ。こんな犯罪まがいの方法じゃなくて、もっと別の方法で―――。
だけど、何を聞きとがめたのか。
「誰が青春は一度きりと決めたんだ?」
那智が言った。
「へ?」
「少なくとも私の友人に1人いる。いつまでたっても子どもで、いつまでたっても青春真っ只中って老人になっても言い張りそうな奴がな」
真顔で言ってのける那智に一夜は思わず面食らった。そういう意味ではない。15歳の青春は15歳その時だけのものだ。甲子園を目指す夢は高校時代だけのものだ。何より、同じことを繰り返すわけではないし、繰り返していたのでは成長がないという事になってしまう。同じ青春も同じ夢もない。それが1度終われば次に待っているのはまた別の青春で別の夢なのだ。
だけど、何だか真剣な那智が可笑しくて、一夜は揶揄するように言った。
「……それ、実は那智さん自身の事だったりして?」
「失敬な」
那智はムッとしたように眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
少し苦手なタイプだと思っていたけど、食べず嫌いみたいなものだったのかも、と思い直す。
「夢も青春ももう1度繰り返してもいいと思う?」
一夜は聞いてみた。それは本当は微妙に違う。繰り返すのではない。正確には夢や青春を宝物に変えるための別の方法を考えてみるという事。新しい青春を追いかけるという事。新しい夢を見るという事。
「さぁな。但し、現実にしていい夢は他人に迷惑をかけないものだけだとは思うぞ」
那智が答えた。
一夜はそこにあったメモを手に取る。残り2つのヒント。
ヒント6.【緑】のカーテンのかかっている部屋は【絵】に埋もれた部屋で、【音】に埋もれた部屋の隣の部屋のドアには【星】のマークが付いている。
ヒント7.【白】いカーテンのかかっている部屋は【音】に埋もれた部屋の隣で、ドアに【風】のマークの付いた部屋には【ダイヤ】のエースがいる。
「ならさ、出来るだけ迷惑にならない夢にしちゃおうぜ」
「は?」
それから一夜は言った。
「本気か?」
那智が眉を寄せる。
「このままいったら犯罪で終わるだろ? 報道管制でジャーナルにも事件の詳細は出ていない。せっかくの問題も公になってないし、銀幕市民も全然ドキドキワクワクしていない」
「確かに、そうだが」
「どうだ? やるか?」
一夜が子どもらに尋ねた。
オノデラ・アキラは他の4人を振り返って一夜に向き直る。
「うん!!」
「……乗りかかった船だ」
那智が肩を竦めて言った。
★
「どういう事だ、これは!?」
銀幕署署長は怒鳴り声と共に新聞をたたきつけた。
「いつ公開捜査などと……」
「捜査じゃありません。そもそも誘拐事件でもありません」
洋子はシレッと言った。
「なにぃ!?」
いきり立つ憤怒の形相の署長に、しかし臆した風もなく洋子は淡々とした口調で答えた。
「誰も誘拐したなんて言ってないですよ。警察が勝手に勘違いしてただけで」
「貴様……言うに事欠いて……」
「これはJOKERが、夏休みで暇を持て余した子どもたちから熱さにまいってる大人までを巻き込んだ大かくれんぼ大会です。隠れているのはオノデラ・アキラくん、以下6名。ヒントは7つの場所に隠されています。ヒントを頼りに、隠れてる子どもたちを見つけるんです。市民の安全確保のために、警察も大会運営に協力して下さい」
洋子が頭を下げた。
★
「なんか、ワクワクしてきた」
「そうか」
「街に活気が戻るならって市役所の人たちも快諾してくれたし」
一夜は浮かれた調子で風船を膨らませていた。謎解きはみんなでしなきゃ意味がない。警察だけが楽しむべきものでもない。子どもたちの気持ちを汲みつつ、犯罪じゃないようにしてしまう方法。そうして思いついたのがこの大かくれんぼ大会だったのだ。
市役所の会議室を一室借り切って、スタッフは夏休みに暇を持て余してる大学の連中を駆り出し、それに隠れている子どもたちの同級生を加えた。
地図は市役所で配りヒントを各ポイントに置く。各ヒントの下に次のヒントの隠し場所が記されているといった具合だ。
ちなみに6つ目のヒントの下に書かれているのは7つ目のヒントの隠し場所。『わくわくバッキー大運動会準備局』
そうここは、大かくれんぼ大会運営本部兼―――最後の7つ目のヒントが隠された場所。
「この会議室さ、わくわくバッキー大運動会の準備で使ったんだよ」
一夜はヒントの入った風船で埋もれた会議室を見渡しながら懐かしそうにその日の事を思い出した。あの時はドタバタしていてなんだかわからない内に終わってしまったような気がするけど、こうやって振り返ると懐かしくも楽しかったな、と思う。いなくなってしまった相棒。今はちょっぴり肩が寂しくて物足りなくて。だけどこんな風に振り返れるほど思い出になってて、ちゃんと心の中の宝物になってるんだな、と思う。
子どもたちも、早くそうなればいい。
ヒントを探しながら心の中の宝箱を開いて少しだけあの日を懐かしんでくれたらいい。ヒントの隠された場所は大きな事件の起こったそんな場所を選んだ。
「ヒントはこんなもんでいいかな?」
「ああ、そんなもんだろ」
そこに、このかくれんぼに参加した子どもたちが飛び込んでくる。ヒントを求めて子どもたちの楽しそうな歓声と喚声と共に、風船の割れる音が部屋を満たし、一夜も那智も耳を塞いでいた。
そして―――。
大かくれんぼ大会優勝者と参加賞の即席メダルを首に掲げたかくれんぼ参加者たち。大かくれんぼ大会は元々予定されていたベイサイドで行われる銀幕市民花火大会で幕を閉じた。
打ち上げ花火を見上げながら。
「まるで後の祭りのようだな」
那智がぽつんと言った。
「後の祭りって、祭りが終わったって事?」
大会の後かたづけをしながら一夜が尋ねる。
「祇園祭は7月1日〜31日までやっている。その内宵山が14日からで、クライマックスの山鉾巡行が17日に行われるんだが、その前の期間を前の祭り、クライマックスの後の期間を後の祭りと言うんだ」
「それで?」
「後の祭りも、祭りの途中―――なんだよ」
「それって帰るまでが遠足、みたいなもの?」
「…………」
魔法にかかっていたあの日々がクライマックスなら、今はまだ―――。
来年以降、類似のかくれんぼ大会が恒例化するかどうかはともかくとして、魔法が解けて2ヶ月あまり、漸く後の祭りも終わりを告げそうな気配がしていた。
夏休みが終われば新学期が始まる。次の季節は、もうすぐそばまできていた。
【Fin】
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クリエイターコメント | 魔法が解けてもまだ、あの頃の途中。
というわけで、ご参加ありがとうございました。 楽しんで書かせていただきました。 服に埋もれた部屋は正解だったのですが……このような結果に。
キャライメージなど、壊していない事を祈りつつ。 楽しんでいただければ嬉しいです。 |
公開日時 | 2009-07-17(金) 20:10 |
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