★ With Angel−a ★
<オープニング>


 今日も盛況なCafeスキャンダルの奥のテーブルに、二十歳過ぎの女性が座っていた。
 不自然なほどまっすぐなプラチナブロンドをウェストまで垂らしている。ファンデーションに隠れて、左頬に走る古傷は目立たない。大ぶりのサングラスで目元は判然としなかったが、不機嫌な気配をまとっていた。
 ワンピースとブーツ、ネイルにグロスまでチェリーピンクで統一している。アイテムもブランドも違えば色味が変わるというのに、まるで同じインクを使って印刷したかのように同じ色をしていた。
 彼女はシガレットケースから、ハイライトを取り出した。使い捨てのオイルライターで火をつけて、唇に挟む。
 紫煙を吸い込み、吐いて、吐き捨てる。
「不味い」
 がさがさとひび割れた声。
 それから、思い出したように紙ナプキンを取った。ハンドバッグから細身のペンを出し、マゼンダ色のアルファベットを綴る。いびつな文字は、懐かしい名前を作った。
 ――Emerald Evangeline Laywood.
 サングラスの上部から覗くように、向かい合う相手を見やる。
 チェリーピンクの唇が、しわがれた声を紡いだ。
「Kill "it"」




 今日も盛況なのは銀幕市役所の対策課も同じことで、ネタに尽きないなあと思いつつ邑瀬文はデスクワークをしていた。
 窓口は言葉の弾丸が行き交い、時にヴィランらしきムービースターが現れ瞬殺され、ストラマイザー10は飛ぶような早さで減っていく。大変なのはわかるが、そちらに加勢したら最後、生きて帰ってこれない気がするので生温い目を向けるに留めておいた。
 書類整理も忙しくないわけではないが、まあ、精神的な負担の違いだ。
 時に隣の同僚と談笑していると、胸ポケットで携帯電話が震えた。笑顔の温度を保ったまま会話を打ち切ると、トイレへ駆け込んだ。
 仕事用はズボンの右ポケット、奥さん専用ホットラインは首からぶら下げ、そしてこれはプライベート用。もちろん奥さんには申告済みだから、夫婦喧嘩のタネにはならない。
 着信履歴には、アナグラムにした知り合いの名前が表示されている。リダイヤルすると、二コールで繋がった。
「仕事中に電話をかけてくるなんていい度胸ですね?」
『おお、お久しぶりっす邑瀬センパイ……っ!』
 必死の悲壮感が漂う、大学時代の後輩の声がした。
「や、そこは『お帰りなさいませ、ご主人様』じゃないと……ああでも、この間クリティカルな萌えを堪能しましたので、君程度では太刀打ちできませんね。すみませんでした」
『なにげに毒舌度が上がってませんか。いえ、そんなことより。センパイは銀幕市にお勤めっしたよね?』
「ええ、対策課でのんべんだらりと公僕をやっていますよ」
 短い沈黙の間に、この後輩が入国管理局に籍を置いていることを思い出す。
「誰が来ました?」
『……アンジェラ・モーガンが、正規のパスポートで来日しました。見張りはことごとく巻かれたんすが、なぜか昨日、警察署で銀幕市への経路を聞いてまして。なんつーかその、この話を黙ってたのがバレたら命に関わると思いまして。報告した次第です』
「そうありがとう仕事中に」
 感謝薄っ、とか叫ぶ声を聞き流し、電話を切った。
 エメラルド・レイウッドを演じた役者――アンジェラ・モーガン。
 その後の紆余曲折はさて置き、今は"The angel of the delete"の名で通る抹消屋だ。契約が成立すれば、標的を『不自然でない』方法で排除してくれる。フィルムの中のダークヒーローか敵役のような設定だが、需要がある限り供給は生まれる。
 という事情はまあ、その世界の住人でもなかなか知り得ないものだが。
 定位置に携帯電話を戻して、邑瀬はさてどうしたものかと考えた。
 まだ何も、起こっていない。
 事前に騒ぎ立てたとて、アンジェラの目的がわからないのだからどうしようもない。職業柄、騒動の香りはするが――警察が捕まえられない相手を、一般人がどうしろというのだ。
 知らぬが仏。
 確信犯は席に戻り、何事もなかったかのように日常業務に戻った。
 なるべく植村を見ないようにしていたから、気づかなかった。
 プラチナブロンドの青年が窓口を訪れ、住民名簿でエメラルド・レイウッドの情報を確認したのを。




「Stamp stomp stomp♪」
 歌声が響くのは常夏の島、ダイノランドだった。
 南国の舞台から来たエメラルドにとって、日本の秋は厳しい。
 なので怪獣島は天国に思えた。豊富な食料と水があり、暖かい。彼女を捕食できるサイズの相手から、身を隠すための洞窟も豊富にある。
 いっそここに永住してしまいたい。
「暴君竜〜、大海蛇〜、小角鳳凰龍〜」
 最近覚えた和名で、危険な連中の名前を歌う。
 怪獣はまずい食べ物ではない。手加減をしないと一瞬でフィルムになってしまうから、食料にするのは難しいのだけれども。
「ああ〜、愛しのグリズリー」
 狩りをして食事をして歌ったら、眠くなってきた。
 ねぐらへ帰ろう。

種別名シナリオ 管理番号270
クリエイター高村紀和子(wxwp1350)
クリエイターコメントカオス香る。
……シリアスです。今回は。
エメラルドの命を狙う女、アンジェラ・モーガン、市役所を訪れた青年。三者三様(?)の思惑に加えて、怪獣(人外)いっぱいの土地にエメラルド。
なお、チェリーピンクの女と向かい合っていたのは青年ではありません。

今回の主な舞台は、怪獣島ダイノランドです。
謎と伏線しかありませんが、節度を守ってお楽しみくださいまし。

参加者
瀬崎 耀司(chtc3695) ムービーファン 男 41歳 考古学者
来栖 香介(cvrz6094) ムービーファン 男 21歳 音楽家
ルドルフ(csmc6272) ムービースター 男 48歳 トナカイ
レモン(catc9428) ムービースター 女 10歳 聖なるうさぎ(自称)
栗栖 那智(ccpc7037) ムービーファン 男 29歳 医科大学助教授
<ノベル>


 瀬崎耀司は、色違いの瞳を紙ナプキンに落とした。静かな和装のたたずまいが、これほど目立たないのは銀幕市ゆえだろう。
 筆跡をなぞるように目で追う。そして、静かに言った。
「わかった」
 チェリーピンクで武装した女は、安堵したように紫煙混じりのため息をついた。
「殺せ。殺せ、早く。『あれ』を殺せ。天使が来る前に」
「天使?」
 うわごとめいた呟きがひっかかった。女は緊張を浮かべて、周囲に目をやる。そして誰も二人に注意を払っていないとわかるや、彼にだけ聞こえる声で告げた。
「アンジェラ・モーガンが狙っている」
 とづ、と左手のネイルでマゼンダ色の名前を指す。憎しみを込めて刺す。






 角を曲がった直後、向こうから走ってきた相手にぶつかった。
 容姿もサイズもレモンは、たまらずとばされてしまう。縦方向の意味で三回転半して、止まった。
 一拍。
 怒りに耳の先を赤くして、飛び起きると同時に怒鳴る。
「なにすんのよ! 気をつけなさいよ!」
 それからようやく相手を見た。
 二十歳前後の青年だった。眉根を寄せて何やら考え込んでいたが、納得したようにレモンを指さす。
「かーわーいーいー」
「違うでしょ!」
「かわいくないー?」
 真顔でさらにボケられて、レモンはつっこんだ。言葉ではなくMy杖を使用して。
「疲れるわ……」
 ちょっと遠くを見てしまう。しっかりと青年を踏んづけて。
「お嬢さん」
 足元から声がする。
「幻聴よ、幻聴。疲れているんだわ。スキャンダルに甘いものを食べに行けば――」
「ドロワーズは白なんだ」
 改めてしばき倒して。
「今日は『楽園』にしようかしら」
「トゥルー・ラーズのうさぎさん、哀れなしもべの悩みを聞いてくださいますか? スイーツおごるから」
 正直、心が揺れた。ラーズの名前と最後のお誘いに。
 澄んだ瞳で、青年がとどめの後押しをする。
「時間も金額も無制限で」
「そこまで言うんなら、聞いてあげてもいいわよ。べ、別に食べ物につられたわけじゃないんだからね!」
 テンプレっぽい台詞をのたまって、レモンは青年から足をどけた。
「……で、あんたの名前は?」
「アンジェラ・モーガン。アンジーって呼んで」
 にっこりと笑って、手を取るとその甲にキスをした。
「呼ばないわよ変態!」
 うさぎ様のサマーソルトキックが、華麗に決まった。






 来栖香介はムービースターではない。たぶん、きっと。
 だから寝返りを打った時に、まだ癒えていない肩の傷が痛んだ。それで目が覚めた。
「……あー」
 身を起こす。
 録音スタジオは一年中快適な室温に保たれているが、床が寝心地悪いのはいかんともしがたい。
 音楽を生み出している途中で、寝てしまったらしい。というか、五十時間ほど作詞作曲編曲をした後に仮歌を入れて微調整……という仕事を繰り返せばたまには意識も途切れるだろう。
「続き、やらねえと」
 納期寸前の今になって、前に仕上げたものよりいいものが現れた。もちろん現在形も悪くはないのだが、脳内にいるこれとは、比べ物にならない。
 だから、納期までに形にする。最悪、デッドラインまで先方に待ってもらう。
 文句など言わせない。それだけの出来になるから。
 録音した部分を確認しようと機材に手を伸ばし、ふと気づいた。
「ルシフ?」
 相棒が、いない。






 所変われば品変わる、というわけで。
 映画によって千差万別なのは、スターだけではない。ロケーションエリアやハザードもしかり。そしてそこに生息する――細菌もしかり。
 だから休暇を利用して、栗栖那智は怪獣島ダイノランドへ来ていた。公衆衛生学を専門とする准教授にとって、未知の細菌は気になる存在だ。
 植物の葉の裏、湿った土の上、きっと水の中にも。
 先に冒険に来ていた人達は、ひょっとしたらそれらを持ち帰っているのかもしれない。自覚がないだけで。
 映画の数だけ……いやそれ以上に存在しているであろう新種の細菌に思いを馳せつつ、那智はサンプルを採集しては、容器に密閉していく。
 移動しようかと腰を上げた時、視界の隅で何かが光った。
 近づいて拾い上げる。ずいぶん傷だらけの、金色のプレートだった。両端に穴があり、すり切れた紐が申し訳程度にぶら下がっている。
「……エメラルド・エヴァンジェリン・レイウッド?」
 刻印された名前を読むと。
「呼ぶ、だ!」
 がさがさと密林の奥から、少女が現れた。小さな体で大きな棍棒を担いでいる。
 那智のバッキーを見て、警戒したように後ずさる。
「もちもち一緒、はヒト。ヒト、わし呼ぶ。何?」
 何、と言われても用があったわけではないのだが。じっと待たれると、落ち着かない。
「エメラルドは、ここで暮らしているのか?」
「うん! にくいっぱい。しあわせ」
「文明とは無縁の生活のようだが」
「にくある。水ある。火が出来る。生きる楽しいぞ。ぬしも暮らすえ? 共に暮らすえ?」
「無理だ」
 那智は即答した。怪獣島にはパソコン以前に電気がなく、コンビニも図書館もない。自給自足のスローライフ……と表現するには生ぬるいサバイバルライフだろう。そもそも、情報社会と完全に別れるなど那智には不可能だった。この世から本がなくなったら、生きていけない。
 エメラルドはしゅんとする。が、すぐにまた目を輝かせた。
「そうか。では、昼餐に招くぞ。ぬし、名は?」
「栗栖那智。招待にあずかろう」
 逡巡したが、受けることにした。食べ物にそれほどこだわりはないし、知的好奇心がうずく。これだけ文明から離れて、どう生活しているのか。特に衛生面はどうなっているのか。
 にく〜とかStamp〜♪とか歌うエメラルドに連れられて、那智は歩き出した。






 Cafeスキャンダルの奥のテーブル席、つい先ほど殺人の依頼が行われた場所に彼らはいた。
「銀幕市にね、何もしないことをしに来たんだー。でもそれって、何をすれば何もしないってアピールになるのかな」
 ジャンボパフェをおかわり三杯した口で、アンジェラは謎の相談を持ちかける。
 林檎のカルテットケーキを味わって、レモンはずびしと答えた。
「帰れば」
「冷た!」
「もう来たんじゃない。だから帰れば何もしなかったことになるのよ」
 通りがかったウェイトレスを呼び止め、メニューの端から端まで各三個ずつオーダーという漢な真似をして、レモンは続けた。
「わけわかんないけど、観光でもして帰れば? 記念写真撮ったり、お土産買って帰ればいいのよ。それは『何かをした』うちに入るの?」
 栗の渋皮煮のシロップがついた指を舐めて、アンジェラは笑った。
「んー。それいい案。レモン様、マジかーわーいーいー。一緒にプリクラ撮ろ?」
「とてつもない身の危険を感じるから却下するわ」
 反論しかけたアンジェラを遮るように、ワゴンに山盛りのスイーツが運ばれてくる。皿を下げる間に逆わんこそば状態の食いっぷりを披露してから、彼はレモンにねだった。
「じゃーさ、じゃーさ、デートして」
「このレモン様とお付き合いするなんて、百億年早いわよ」
「じゃー、恋人ごっこして」
「イヤ」
「じゃー、清く正しい交際をして」
「ダメ」
「それなら、清くも正しくもない交際を」
「しつこいわねあんた!」
 今なら、こいつを一言で表現できる。
 マジうざい。






 寒さも一段と厳しくなるこの季節、植物の生育は遅れ……停滞していく。加減して食べていたつもりでも、気がつけば公園の芝生は丸裸になっていた。
 管理人に根城を追い出されたルドルフは、豊かな緑を求めてダイノランドを訪れていた。
 確かに食べ物には困らなかった、が。
「こりゃ、ハズレだな」
 冬仕様のトナカイに、常夏の島は暑すぎる。自慢の艶やかな毛並みが、汗でぐっしょり濡れそぼっている。
 午後になり、さらに日差しがきつくなったら――考えるだけでうんざりしてくる。
 帰路につくべく歩いていると、地面にはいつくばっているエメラルドに遭遇した。気配を察したのか、彼女は飛び起きて――目を見張った。
「なにゆえ、か。極上肉、いる。これは……」
 棍棒を構える不穏な気配に、ルドルフはチチチ、と舌を鳴らして蹄を振った。
「おっとカワイ子ちゃん、待ってくれ。俺は餌じゃねえ」
「……話す、はヒト。ヒト? トナカイ? 冬の贅沢、どっち?」
 よだれを垂らして首を傾げている。
「俺はトナカイだ。だが、ヒトの格好をしてるからヒトってわけじゃあないだろ?」
「難しい、言う……」
 解体手順をシミュレーションしつつ、ルドルフを観察していたが。ふと本来の用件を思い出した。
「なち、待つ。わし、戻る急ぐ。冬の贅沢も、来るかえ?」
「ルドルフって呼んでくれ、バンビちゃん」
 いたずらっぽく片目をつぶる。
 あまりのダンディズムに、エメラルドはよろめいた。長い下まつげにときめいた。外見がトナカイという時点で高得点なのに、こんな攻撃反則だ。今すぐその毛皮に顔をうずめて、もふもふしたくなるではないか。
「冬の贅沢、食う……食わぬ……食わぬ……食う、もったいない」
 渦巻く欲望の間で揺れる。それでも体は正直で、棍棒を取り落としてふらふらと近寄ってしまう。
 ――伸ばした手が、ルドルフの体に触れる寸前。
 ザッ、と砂煙を巻き上げて(イメージ)、二人の前に白い影が立ちはだかった。
 銀幕最凶伝説がささやかれている、三白眼のバッキーだ。相方が缶詰めで忙しそうだったので、ぶらり一匹ダイノランドに狩りに来た。そこで因縁の姿を見かけて、現在に至る。
「ギャ!」
 久しぶりだな小娘、とニヒルに笑った。
 たちまちエメラルドは晩夏の出来事を思い出し、『ゲテモノが来たー!』と泣きわめく。とルシフは確信していたのだが。
「……真っ白もちもち、はぐれた?」
 すっかり忘れ去られていた。否、本来の姿を初めて見るため、『ゲテモノ』だと思わなかった。
「ギャギャギャ!」
 ならば体に思い出してもらおうと、助走をつけて飛ぶ。蝶のように舞い、蜂のように刺――
 す前に、顔面に蹄がめりこんだ。脇から、ルドルフが前足を伸ばしていた。
 一応ルシフもバッキーではあるから、衝撃にたまらず気絶する。
 手荒な真似はしたくなかったんだが、とルドルフはルシフを見下ろす。カワイ子ちゃんをいきなり襲うなんて、男の風上にも置けない。バッキーだから、性別はないが。
「おっと、危ない。大丈夫かい?」
「大事ない、冬の贅沢」
「俺は……まあ、いいか」
 馬だの鹿だのと間違われるより、トナカイと認識した上で妙なあだ名をつけられる方がまだマシだ。
「はぐれー? もちもち」
 エメラルドは木の枝を拾って、ルシフをつつく。直接触るのは怖いらしい。つんつんというより、ぶすぶすという擬音が似合いそうな光景だ。だがバッキーの体は弾力性に富んでいるので、モズのはやにえにはならない。
「ところで、カワイ子ちゃん。誰かを待たせてるんじゃなかったのかい?」
「お。なち待つ、忘れるした。戻る」
 木の枝でルシフを持ち上げる。
 ルドルフはエメラルドに流し目をくれ、背中を向けた。
「カワイ子ちゃん、乗ってくかい?」
 あまりの誘惑に、エメラルドは木の枝ごとルシフを取り落とした。






 ターゲットは、トナカイの背にまたがろうとしていた。
 離れた場所から観察していた耀司は、袂に手を忍ばせた。
 相手が子供と知って逡巡したが、クライアントの追いつめられた表情が、良心を隠した。
 カラーボールの要領で、内側に液体を封じた球を取り出し。高い身体能力を活用して、エメラルドめがけて投げた。
 球は当たって割れて、ねっとりと腐臭を含んだ甘い芳香をたちのぼらせる。恐竜は鼻が悪いと言うが、これだけ強烈であれば気づくだろう。
 素早く移動しつつ、己に宿る蛇神と呼吸を合わせる。怪獣の大半を占める爬虫類系に、話しかける。
 ――襲え。襲え、襲え。
 本能を独占する香りと、脳裏に響く声。
 怪獣達はやがて、一個の生物をめぐって熱に浮かされる。
 懐から顔を出した、バッキーの春日が鳴いた。

 たちまち、絢爛豪華な悪臭と狂気に包まれた。
「カワイ子ちゃん、しっかり掴まってな」
 ルドルフは密林を駆け抜ける。その背で、エメラルドは小さくなって震えていた。
 あまりの騒ぎに目を覚ましたルシフは、ギャと呟いた。
 島中の生き物が、エメラルドを狙っている。陸から空から、あふれるように。水中にもきっと、敵がいる。今は木々が障害になっているが、それがなくなれば。
 ルシフはぴたんとエメラルドの腕を叩いた。
 逃げたり隠れたり、ばかりではどうにもならない。何もしないで負けるより、圧倒的に不利でも戦うことを選ぶ。勝つ可能性に賭ける。
「ギギャ!」
 往生際悪く、あがけるだけあがく。――だから、ロケーションエリアを。戦うのにマシな体をよこせ。
 エメラルドは鼻水をすすり、大きく頷いた。
「美★チェンジ!」
 どこから仕入れたのか、間違ったかけ声と共にロケーションエリアを展開する。
 小山のような怪獣が、古代ローマの戦士風になる。空を舞う翼竜が、落下傘部隊になる。群れは勝ち鬨を上げて、少女を狙う。理由も目的もよくわからず、ただ狂乱に突き動かされて。
 長身の男が、怯えるエメラルドと敵の間に立った。
 黒いレザージャケットと、シルバーのアクセサリ。以前より迫力を増した悪党顔。
「ぬし、ゲテモノか!」
「ギャッギャ」
 何を今更、とルシフは鼻で笑う。
 彼の隣に、髭の似合うナイスミドルが並んだ。
「ヘイ、ゲテモノ。あんたも使うか?」
「ギャ、ギギャ」
 もちろんだ。(ゲテモノ呼ぶな)
 ルシフは差し出されたM3サブマシンガンを受け取る。道具を使った戦闘についても着々と学習中だ。
「わしも!」
 意気込むエメラルドに、ルシフはM3を放り投げた。受け取った、はずが重すぎて尻餅をつく。使うどころか、持ち上げることさえままならない。
「……ギャ?」
 お前にはまだ早いだろ、と片手で悠々と持ち上げてみせる。
 ルドルフは引き金に指をかける。
「カワイ子ちゃん、耳を塞いでな」
 二機が、揃って火を噴いた。
 ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ ダダダ
 からんからんと、プレミアフィルムが量産されていく。それでも熱狂は止まらない。
 ルドルフは空気を嗅いだ。胸くそ悪くなる甘い匂いと硝煙が混ざり合い、鼻腔を埋める。それでも求めるものが、ほんのひとひら見つかった。
 右、四時の方角を重点的に撃つ。撃つ。
 ――道が生まれる。
 トンプソンM1928を捨て、グロック17に替えた。エメラルドの腰をすくって、担ぐ。
「失礼、カワイ子ちゃん。行くぜ、ゲテモノ」
 ルドルフは走った。追いすがる相手を掃射しながら、ルシフも続く。
 戦略的撤退は数分間、すぐに彼らは足を止める羽目になった。
「ギャ!」
 ルシフの抗議も当然だった。密林が途切れて断崖絶壁、下は急流。
 上からも後ろからも、血迷った連中がおしよせてくる。
 ルドルフはエメラルドを下ろして、言った。
「この匂いをつけられてから、襲われてるだろう。洗い流してみないかい?」
 なるほど、とルシフは崖下を一瞥した。川までの距離も流れの早さも、まあ死なない程度ではある。
「ぬしら、先に行く、だ。わわわしは泳ぐことは出来るであるになりつつあるのである」
 エメラルドは蒼白な顔で、別の手段を模索している。
 だが、液体をまともに浴びたのは彼女で、狙われているのも彼女だ。そして現在、戦力として一番劣っているのも彼女だ。
 説得している暇はない。ルシフは襟首を掴んで、放り投げた。
 咆吼と呼ぶべき絶叫が遠ざかり、水音を最後に途切れた。
「おいおいゲテモノ。カワイ子ちゃんにずいぶんとヒドイことをしやがるな」
「ギャ」
 あきれ顔で肩をすくめたルドルフに、ルシフは蹴る仕草をする。
 追いついたアマゾネスが腕を振り上げた時、二人は崖から飛んだ。






 暖かに思える日でも、暮れが近づくとぐっと冷え込む。チェリーピンクのトレンチコートを羽織った女はベンチに座り、足踏みしながらブラックコーヒーを飲んでいた。
 耀司は隣に腰を下ろし、途中で買ったたい焼きを渡す。そして穏やかな顔で報告した。
「失敗したよ」
「What?!」
「爬虫類にとって高揚効果のある芳香剤を対象に浴びせ、群集心理を利用して怪獣に襲わせる。だが彼女の側には手強い味方がいたから、なかなか殺されてはくれなかった」
 先客がいなければ、住居にしている洞窟であれこれ小細工したのだが……准教授は、その知的好奇心だけでも、殺すにはもったいないと思える人物だった。専門外であるのに考古学にも造詣が深く、生半可な同業者よりよっぽど会話がはずむ相手だった。
 だから、やめることにした。
 女は小刻みに震える。
「来るのに。天使が来るのに。それまでに殺さないと」
「落ち着いて、メロディア」
 彼女は動揺に目を見開いた。
「なぜ、私を知っている」
「やあメロディア、久しぶり。――と、彼が」
 言うやいなや、紹介を待っていた人物が姿を現す。反射的に逃げようとしたメロディアの肩に、耀司は手を置いた。落ち着け、と軽く叩く。
「ハイ、メロ。偶然なんてないから、この再会も必然だったんだねヤホー」
 口から魂がはみ出たレモンとがっつり腕を組んで、というか一方的に拘束しているようにしか見えないが、アンジェラが満面の笑みを浮かべていた。
「ドチラサマカシラ」
 半日ほど市中引き回しの刑……もとい、観光案内をさせられたレモンが、ぐったりと尋ねる。
「メロはピンクと歌が大好きな女の子。……で、こちらは?」
「名乗るほどの者ではありませんよ」
「僕は名乗るほどの者だから名乗るね。アンジェラ・モーガン。アンジーって呼んで」
 気さくに差し出された手を、耀司は握る。手のひらで、職業がわかった。だから詮索のための思考を終了した。
「えっとねー、レモン様。肉大好きエメラルドは僕。けど、究極の音痴だから、歌だけメロが吹き替えたんだ」
「ソーナノ」
「また歌ってよ、メロ。骨髄をおいしく食べる歌」
「もう、歌わない」
 かすれて震えた、決意の言葉。
「知っているだろう、アンジー。あの歌の方法で、子供を煮て食べた事件が起こったことを」
「知ってるよ? でも、それはメロが悪いんじゃない」
「アンジー、あんたはいつまでも頭ん中が春色だ」
「ねえ、歌ってよメロ。毛皮をなめす歌」
「もう、やだ」
「メロってば、」
「いい加減にしなさい!」
 レモンが一喝した。
「嫌がる人に無理強いしない、それぐらい常識でしょ。強引だとかしつこいとか通り越して、あんたわがまますぎよ。たまには我慢するの」
「他人の意志を尊重することも、大切だよ」
 耀司が同意する。
 アンジェラは唇を尖らせて、それでも「わかった」と答えた。
 メロディアはうつむく。
「そんなに聞きたいなら、『あれ』に会いに行け。ダイノランドにいる」
「ううん。『何もしない』アピールのために、あの子には会わないで帰るんだ。元気かな?」
「いい友達に恵まれていたよ」
 耀司が見たままを伝える。
「よかったー。レモン様、エメラルドに会ったら仲良くしてあげてね。とってもおいしそ――可愛いから、すぐに仲良くなれると思うんだ」
「食料!? 食料扱いなの!?」
 別の意味で、ダイノランドが危険スポットになっている。
 かーわーいーいーと裏声を出した後、アンジェラはふと真顔になった。
「Hello, me. Are you fine?」
「...Good-bye, me」
 メロディアの答えに手を振って、アンジェラは立ち去った。うさぎ様が、離しなさいよとじたばたしていたが。そのあたりの意思は尊重されないようだ。
 耀司はさて、と立ち上がった。
「間違ったものを、すべて消すことはないよ。いちいち消していては、間違ったことを忘れてしまう。それでは学習しない」
 歩き去った後ろ姿が消える。夕日が沈みきって、藍色に暮れる空をメロディアは見上げた。
「…………」
 何事かを呟いた。けれど聞く人はなかった。






 熱い会話と洞窟内の探索を終えて、心地よい疲労に包まれた那智はうとうととしていた。
 がた、と入り口で物音がして現実に戻った。
「なちー、わし帰る。客もっといっぱい」
 長い中座から、エメラルドが帰ってきた。ずぶ濡れで、棍棒もなくなって。でも、楽しそうな笑顔で。
「カワイ子ちゃん、男は狼だ。簡単に招くと誤解するぜ」
 同じくずぶ濡れのルドルフと。
「オレは、別に……」
 ルシフを抱えた香介を連れて。
 まずどこから話を聞こうか、那智は迷う。
「なち、待たせたすまぬ。嬉しい時、贈るもの。探した」
 ててっと駆け寄って、エメラルドは彼に差し出した。
 摘んでから時間が経った上に、もみくちゃにされたり川を流れたりしたせいでよれよれの。
 花を。
「ありがとう」
 那智は受け取った。
 激動の体験の間に、細菌が付着したかもしれない。貴重なサンプルだ。だから保存しておく。そういうことにしておく。
「ああ、それと。紐を付け替えておいた。大切なものではないのか?」
 交換のように、名前の刻まれたプレートを返す。
「大切、わからない。でも、なくさないのこと気を付ける」
 手首に巻き、ぶんぶんと腕を回して感触を確かめる。
「さて、誰から手当てするか」
 那智は面々を見渡した。派手なものはないが、全員が全員負傷している。医者として、新鮮な怪我人を放っておくのは夢見が悪い。
 回復過程にあるムービーファンをちらりと見る。
「くるたんは最後にとっておくとして」
「くるたん言うな!」
 確信犯に向かって、香介はつっこんだ。

クリエイターコメントウィザード・オブ・スレスレ(自称)です。ギリギリから進化しました。退化かもしれませんが。

エメラルドとダイノランドでシリアス、という時点で間違っていましたね(笑顔)。
口調等、気になる箇所がありましたらご指摘ください。
ご参加、ありがとうございました。
機会がありましたら、また。
公開日時2007-11-25(日) 21:10
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