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<ノベル>
カタカタカタ……。薄暗い部屋の中で、その部屋に設置されているスピーカー以外のどこかから規則正しい音が聞こえてくる。
ほんのりと浮かび上がる白い光。その光に、薄らとひとりの男性の顔が照らされていた。
スピーカーからは、ざわめいた声。ざらついた音が響く。
その声達は、ひどく慌てている様子だった。
「電力、復帰しました。メインシステムが落ちていた時間は約30秒です!」
「サブシステム、まだ復帰できません」
「このままだと向こうの次元が離れてしまう……!」
「向こうの奴らに連絡を取れ! このままではあいつらもあの次元に取り残されてしまうぞ」
「駄目です! もう、時間が……」
「くそっ、頼む、返事してくれっ! 紅――ッ!」
ぶつん。
部屋が暗くなる。響き続ける、規則正しい音。
カタカタカタ……。
* *
すらりとした長身の女性がひとり、きょろきょろと辺りを見回していた。ちなみに彼女――鳳翔優姫は全く持って気づいていないのだが、ここは朝早くから対策課で近づかないようにと警告を受けた地区である筈であった。
「あれー、確かここを抜けるといつもの場所に出る筈だったんだけどなあ。銀幕市にこんな所あったっけ?」
緊張感ゼロの声音を発しながら、彼女はもう一度周りを見回した。
そこは薄い煙幕が張ったかのように霞んでいて、遠くまでは見渡せない場所だ。だが、よくよく見ると、端の方はいつもの住宅街であるという事が分かる。
「銀幕市にもこんな所があるんだなあ……」
再びぼそりと呟きながら、まあ適当に歩けばどこかに出るだろうと楽観的に考え、再び歩き出した。一歩歩くごとに、足元からは砂埃が上がる。舗装されていない道であるから、でこぼこして歩きにくい。そういえば民家もいつの間にか消えて、背丈の高い枯れ草が時々ぽつんと生えているだけだ。
その枯れ草の内のひとつが唐突にがさり、と揺れた。
ひょい、という音が似合いそうな雰囲気を出しながらひとり、少女が現れる。
「……」
その黒髪を後ろでひとつに結った少女は、きょとんと首を傾げながら優姫を見ていた。優姫も、どうして見つめられているのか分からず、また少女が何も発しないので、沈黙のまま、硬直していた。
時間が止まったかのような錯覚。
「……あれ? おかしいなあ……」
「へ?」
しばし見つめあった後に発せられた少女の第一声に、優姫はぽかりと口を開いた。
少女は意味不明な一言を残し、そのまま身を翻して、たたっと走り去っていく。
その、唐突に始まって唐突に終了した出来事に、しばし首を傾げていたが、優姫は持ち前の天然精神を前面に押し出して勝手に納得すると、再び歩き出した。
だから、気づかなかった。
その後ろから、先程の少女がてくてくと後をつけていることに。
* *
ひしひしと、感じていた。
アルシェイリ・エアハートはムービーハザードとなっている世界と銀幕市の境界に立って、静かに目を閉じて佇んでいる。
彼は他人の感情を感じ取ることが出来る。
だから、そうやって静かに感情を感じ取っていたのだ。
そこからは、いつも銀幕市において感じ取る事の出来る、楽しさや幸せなどの、思わず微笑を零してしまうような感情を感じ取る事は出来なかった。
代わりに肌に感じるのは、ひしひしとした冷たい何か。
その内容をアルシェイリは感じ取る事が出来なかったが、それは決して良いものではないという事は分かっていた。
一歩足を踏み入れると、ふわりと大気が揺れて何かが変化する。薄っすらと大気に、靄のようなものが混じり、普通に目にしている住宅街が揺らめき、代わりに鉄くずのようなゴミが見えてくる。
一歩進むたびに身体に何かの重みを感じた。
「……何て、虚ろな世界……」
ぽつりと言葉を落としつつもしばらく進むと、埃だらけの道端に横たわるひとりの少年を見つけていた。
その少年の虚ろな横顔を見、アルシェイリは咄嗟に駆け寄っていた。そっとその少年の肩に手を掛ける。
「だ、大丈夫か……?」
春先のまだ肌寒い季節にも関わらず、Tシャツ一枚と汚れだらけのズボンを纏った少年は、僅かに視線をアルシェイリに向けた。
そっと触れただけでも、その少年は呻いていた。小さな呻き声に、ハッとして手を放してしまう。
「へへ……失敗しちゃったんだ、僕達」
少年は僅かに苦笑した。アルシェイリはその言葉に些細な違和感を覚える。そして、その言葉の意味を探ろうとして道を見渡して――愕然とした。
その道には、幾つものフィルムが落ちていたのだ。恐らく、ここで少年と彼らの仲間は襲われたのだろう。そしてただひとり、少年だけを残して、他の皆はフィルムへと変わってしまったのだ。
「……こんなこと、このセカイでは普通なんだよ。いや、これが、このセカイの日常なんだよ」
辺りを見回して沈黙したアルシェイリが、彼らのセカイの住人ではないと分かったのか、少年は薄らと笑っていった。その言葉に、表情は変わらなかったが、アルシェイリの心がぎゅう、と縮むのが分かる。
この少年は、見たところ十歳前後だ。
まだそんな子供までもが何かを諦観したかのような表情を見せていたから。
「ここは、捨てられた、セカイだからさ……」
カラン。道端に小さな埃を立てて、ひとつのフィルムが落ちていった。アルシェイリは静かにそのフィルムを拾い上げ、埃を払う。
「……俺は、捨てない」
ひっそりとした呟きが、広がっていた。
* *
沈黙が広がっている鎮国の神殿の入り口。ふと、ミズホが煙の先を追って視線を動かした。その僅かな表情の変化に気づいたホーディスも、そっと視線を動かす。
「あ……。えっと、確かこの前、ムラクが世話になった……筈だよな? スルト……だったかな」
ミズホの視線の先には、ただ壁があるだけだ。だが、その言葉の後、ごそごそと音がして、門からひょこりとひとりの青年が姿を現した。スルト・レイゼンだ。
スルトは嬉しいかのような、困ったかのような、それとも目の前の女性と見紛う彼に戸惑っているのか、幾つかの感情がない混ぜになった微妙な表情を見せていた。
「……やはりそうか。この前はあの悪餓鬼が世話になったな」
「いや、それは良いんだ。……つい、あんたを見つけて後を追いかけてきたら、その話を」
やや気まずげに切り出すスルトに、ミズホはああ、と呟いた。
「聞いてたのか。まあその、またあの悪餓鬼がどうしようも無い事をしでかしてな。全く、困ったもんだよ」
煙草を摘みながら苦笑するミズホ。そんな彼に、スルトは真剣な表情を見せていた。
「……その事なんだが、俺も加わりたい」
ミズホにとっては予想外であったろう言葉に、彼は少し目を見開く。
「それはありがたいんだが、……また、迷惑を掛けてしまうな」
「ムラクには偶然と言えど、縁が出来た。放ってはおけないさ」
どこか困ったような声音に、断固とした響きでスルトは返す。その響きを聞いてか、ミズホはひとつ頷いた。
「助かる。あまり気持ちの良い依頼ではないが、……頼んだ」
そう言ってひっそりと笑ったミズホに、スルトは僅かながら疑問を感じていた。
「……あんたには、きっと進み続ける世界を望む他に、やはり壊したくないものもあるんだな」
スルトの言葉に、ミズホはしばし考え込んでいるようであったが、ふと微笑を見せた。それはどこか儚い笑みで、いつものスルトならたじろいでしまっただろうが、共に見せていたその儚さに彼は動けなくなっていた。
「……俺はあのセカイで生まれて、あのセカイで育ったからな。あそこ以外で生きる事は考えたこともない。だから壊したくないものもあるし、進み続ける世界をも望むんだろうな」
「……俺は」
スルトは先程の言葉を反芻するかのように、ゆっくりと紡ぎだしていた。
「きっと、世界がめまぐるしく変わっても、何か一つ確かなものがあれば人は生きられると思う……」
かつて砂漠の中での歩みを脳裏に浮かべ、そしてそこで出会った幾人もの人々の言葉を浮かべながら、スルトは真摯な瞳を向ける。
――だから。
その先に紡ごうとした言葉を知ってか知らずか、ただミズホは艶やかに、スルトをたじろがせるかのように笑んで――実際スルトはたじろいでしまったが、そして彼らに足を向けていた。
「……頼んだ」
その呟きを残して去るミズホ。スルトはそれを見届けると、ホーディスの方を向く。
「あんたは、どうするんだ? 俺は出来れば、あんたにも手伝って欲しいんだが」
「ええ。私もあなたと共に参りましょう。気になる事もありますしね」
「気になる事?」
「ええ。誰か、あのセカイにいらっしゃるみたいで」
スルトの問いに、ホーディスは肩を小さく竦めて微笑していた。
* *
対策課から話を聞いて、その地区に一歩足を踏み入れた三人がいた。
彼らは銀幕市と何かが混ざり合ったかのような場所の隅で、壊れたコンクリートの塊の上に腰を下ろしている人物を見つけていた。
「お前は……ミズホ……か」
その見知った顔に、三人の内のひとり、シャノン・ヴォルムスはぽつりと呟いて彼に近づいた。その横にいたルースフィアン・スノウィスは、昔の自分から聞いた名に、なるほど、彼が、と興味深く観察するかのような表情を見せ、最後のひとり、レイは、事前準備のひとつとして観てきた映画の主人公と、目の前にいる人物が同じ顔である事に気付いていた。
「ああ、久しぶりだな。偶然だろうが、おそらく偶然ではないのだろうな。――対策課とやらの依頼で来てくれたのか?」
「ああ、そうだ」
ひとつ頷いたシャノンの横で、レイは小首を傾げていた。
「今、何だか小難しい事を言ったな。偶然だろうが、偶然ではない、だったか? それはどういう意味なんだ?」
レイの言葉に、ミズホはああ、と呟く。
「つまり、俺はあんた達が来るのをここで待っているという意思はなかったから偶然の筈だが、まあ、こういう偶然はこのセカイでは良く起こる事だという事だ」
「……ふうん、そりゃ何とも」
「それは、この偶然も、何らかの意思が起こしている、という事なんですね?」
杖を持っていない手を顎に添えて思案していたらしいルースフィアンの言葉に、ミズホはただ肩を竦めるだけであった。そのしぐさで、自然と四人の間には、その事が肯定されたと伝わっているようだ。
「ま、その事はこの世界に関わっているうちに、何か判明することもあるだろう。ひとまず今は、銀幕市に侵食している原因とやらを止める事が先決だな」
「……すまない」
シャノンの真摯な態度に、ミコトは視線を外して苦く笑んだ。そして、右を向いて、その先を指差す。
「原因と思しきムラク達は、この先の地点に潜伏している可能性が高い。俺は申し訳ないが、先にプログラムを立て直さなければならないから、後から追い掛ける」
「分かりました。……本当にこの先で、大丈夫なのですね?」
「ああ。偶然が起きるだろうから、な」
「……そうか」
シャノンとルースフィアンがミズホの言葉の先を見つめる。
「俺はプログラムをいじる方が得意だからな。ミズホ……だっけ? おまえの方を手伝おう」
「助かる」
そして四人は、それぞれ二人ずつに分かれての行動を始めていった。
ふわり。
舞い上がる埃に紛れる、赤い衣。
微かな気配を残して。
* *
ルースフィアンとシャノンが歩いていく道々は、かつて商店街のような、店が軒を連ねている場所らしかった。右にはつぶれたシャッターが転がって、左にはすっかり埃と砂に塗れた看板がひしゃげた状態で落ちている。
ここに人の住む気配は、無い。
ただ、かつて賑わっていたと思しき気配が立ち込めるのみだ。
二人が辺りを見回しながら歩いていると、ふと、人の姿がちらりと視界の隅に映った。
「誰か、いるな」
真っ先に見つけたシャノンが、表情を変えないながらも緊張感を漂わせてその動向を目で追う。ルースフィアンも、ゆっくりと歩いて近づきながら、そっと相手を伺っていた。
二人と、向こうの人影の距離が縮まるに連れて、その姿は、お互いに見知った顔である事に気が付いた。
「あれ」
「……えーと……」
その人物とは、マントを風にそよりとなびかせたスルトと、ホーディスの二人であった。スルトとホーディスは、心底この偶然に驚いている表情を見せていたが、先程の話を聞いていたルースフィアンとシャノンは、何とも言い難い気持ちを抱えて、その偶然を見つめていた。
「……これも、『偶然』なんだな」
「そうですね、きっと。ところで、お二人は一体どんな目的でこちらにいらしたんですか?」
ルースフィアンの言葉に、スルトはやや渋るような、曇った表情を見せた。しばしの躊躇いの後、実は……と、ミズホから頼まれた依頼について簡潔に語る。
その話を聞くにつれ、シャノンは眉を顰め、ルースフィアンも何事かを考えるような表情を浮かべていた。
「……こういう場合、喧嘩両成敗、とか言いませんでしたっけ?」
スルトの話の後、初めに沈黙を破ったのはルースフィアンであった。どこか少しおどけた口調ながらも、淡々と語る。
「まあ、そうかもしれないな」
スルトも腕組みをしながら、小首を傾げていた。彼らの隣で、シャノンは顔をしかめている。
「さて、如何したものかな。これはとにかく、原因である奴から話を聞かないことにはな……」
「そうですね。僕も、少し聞いてみたいことがありますし」
シャノンの話に同調して頷くルースフィアン。
「俺はミズホの事もあるし、ひとまずムラクに会う前にそのグループとやらに接触したいんだがな」
スルトの言葉に、では、と今まで沈黙を決め込んでいたホーディスが口を開いた。
「私とスルトさんで何とかそのグループを見つけ出している間に、シャノンさんとルースフィアンさんにはムラクさん達を見つけ出して頂く……という事が良いのではないでしょうか?」
「……そうなるだろうな」
「出来るだけ早く、俺達もムラクの所へ行けるようにするよ」
四人は数分の話し合いの後、再び別れて進みだした。
舞う砂埃。
僅かに差す光。
* *
レイがミズホと共にやってきた地下鉄構内を見て最初に抱いた印象は、彼がかつて住んでいた世界よりも確かに古いながらも、どこか似ている、というものだった。
幾人かの人々が、一斉にミズホの遅い帰りをなじっているが、ミズホは一向に構わない様子で、正面の小さなディスプレイへと歩いていった。その奥には、整然と大きな箱が並んでいる。
「今、このディスプレイがあっちのハードと繋がっている。どのハードにウイルスが入り込んだか調べて、除去して欲しい。場合によっては、リカバリーする必要があるかもしれない」
ミズホの言葉に、レイは肩を竦めながら椅子に座った。
「任せとけって。これぐらい朝飯前さ」
「……ああ」
ミズホはそのまま、ひとつ横に設置されている机の前に座って、何やらキーボードをいじり出していた。レイとは丁度背中合わせの距離だ。
これは都合が良い。レイはにや、と不敵に笑むと、普通にキーボードでウイルス除去の作業を進めながら、内臓の携帯機能からひっそりとスーパーコンピューターの中へと入り込んでいく。
脳内の視界にひとつ、画面が増えた。彼はウイルス除去の作業と並行してその画面をしげしげと視ていった。
それを視ている限りでは、スーパーコンピューターは、レイがいた世界のものと変わらないくらい、高い水準のプログラムを備えている事が分かった。まあ、彼の世界のものよりも、かなり大きかったが。
レイが事前準備として見てきた映画は、完全に戦争状態のこの世界で、ミズホが一匹狼の状態からこの世界の最大勢力グループのリーダーを務めるまでの物語であった。そこには電子戦は含まれてなく、だからこそ、高い水準のプログラムに驚きを覚える。
主にこのコンピューターの演算機能を使用しているプログラムは、常に同じ次元を保ち続けるものであった。何か新しいものを創りだすような機能は一切備わっていない。
つまり、このセカイは元々存在していて、崩れ始めたセカイを何とか保つ為にこのプログラムで抑えているか、それともどこかでこのセカイを作り出して、このセカイを保つ為にこのプログラムがあるかのどちらかになるのだろうか。
そこまで考えて、ふと映画の初めの部分を思い出していた。
ミズホが画面上に出る前に、確かどこかの研究所のような場面で、皆が慌てふためいているシーンがあったような記憶がある。
切迫した叫び声。
(くそっ、頼むっ、返事してくれッ! 紅――ッ!)
……紅? 誰かの名前だろうか。
そこまで考えていた時、ふと画面の端に、小さな「傷」を発見していた。
何だろう。そう思ってもっと探ろうとした時、がたりと椅子を動かす音をさせて、後ろで作業をしていたミズホが立ち上がった。
「どうだ? 終わりそうか?」
その言葉に、レイは目の前に設置してあるディスプレイを指した。
「もうすぐだな」
「そうか。俺はちょっと抜ける。何かあったら、近くにいる奴らに聞いてくれ」
「分かった」
小走りで去っていくミズホの後ろ姿をちらりと一瞥すると、レイは脳内のディスプレイに再び集中していた。先程の「傷」をよく調べてみる。
よくよく見てみると、それは巧妙に偽装され、隠蔽された何らかのデータである事が判明していた。
これはきっと何かの重要な情報に違いない。彼は薄らと笑いを浮かべながら、そのデータを開いていった。
* *
優姫は、相変わらずの天然を発揮しながら虚ろなセカイを歩いていた。
しばらく歩いていると、今まで彼女の周りにはほとんど建物らしい建物がなかったのに、ぽつりとひとつ、ぼろぼろの家が佇んでいるのを見つける。
「ん? 何だろ、これ」
優姫は、危機感を全く持たないままに、その家の、崩れた扉の隙間から中を覗き込もうとした。
「うわっ!」
中を覗き込もうとして、そのまま瞬間に後ろに仰け反る。そこから、尋常とは言えないスピードで、ガラスの破片が飛び出てきたのだ。間髪入れずひび割れ、隙間だらけのドアが派手な音を立てて吹き飛ぶ。
「誰だっ!」
もうもうと立ち込める砂埃の中で、少年の甲高い声が響いた。優姫は自分は何か悪いことをしたかと思いつつ、身体の隅々まで緊張感を滲ませた。
やがて砂埃が収まったその場には、優姫と向き合うひとりの少年が立っているのが見えてきた。まだ小さいながらも、全身に殺気を漲らせているようである。
「おい、止めろよ。後ろにカリンがいるだろ」
その少年の爛々と輝く目と優姫の目が合った時、少年の背後から、こちらは声変わりはしているものの、それでもひどく若々しい声がした。その言葉と同時に、少年の瞳の輝きが一瞬にして消えていく。
「さて、カリン。これはどういう事だい?」
その言葉と同時に、奥からもうひとり、少年が歩み出てきた。そして優姫の後ろからも、ちょこんと先程の少女が歩み出てくる。
「あ、きみはさっきの……!」
全く事態の飲み込めない優姫を置いて、少年達の間ではどんどん話が進んでいくようであった。
「外部の住民みたいだから、『眠り』につかせようとしたんだけど、失敗しちゃったの。私はその人より、『弱い』みたい」
「成る程な。それでここまでこっそり誘導して来た訳か」
「うん。向こうの人達に先に接触されちゃうのもアレだし、ね」
三人の中で、一番存在感を放っていた少年が何やらひとつ頷くと、優姫の方に向き直った。
「はじめまして、かな? こちらのセカイへようこそ」
「……はじめまして?」
やはり事態を良く飲み込めないまま、それでもひとまず優姫は挨拶を返していた。
*
かたん、かたんと足を踏み入れる度に、下の床が小さくたわんでいた。
先に立って歩くムラクの後に続きながら、手すりが錆付いた階段を上っていく。そうしながら、優姫は少しずつ、この世界についての仕組みを聞いていた。
「何も難しい事じゃないよ。このセカイは、自分の持つ、様々な強さが全てにして唯一の掟、それだけが目に見えるものとして存在しているだけなんだ」
精神的な強さは、このセカイでは何故か目に出現するから、力はあんまり関係ないんだ。ムラクはそう言って、自分の目を指差して笑った。その仕草は、どことなく誇らしいというよりも、少し自虐的に響いている。
「……へえ、少し変わっているんだね。それにしても、どうして目に力が込められるんだい?」
優姫の言葉に、ムラクは小さく首を傾げていた。
「俺もよく分からない。前にミズホ兄ちゃんが、この空間がどうとかこうとか話してた気がするんだけどなあ……」
ムラクはしばし考え込んでいるようだった。しばしの沈黙が広がる。
「まあ、それはミズホ兄ちゃんの方が詳しいと思うよ」
「ミズホ、兄ちゃん? 兄弟?」
唐突に飛び出て行った結論に出てきた名前。優姫がそれを問うと、ムラクは首を横に振った。
「血は繋がってないけど、実質的にはそういうもんかな」
そして、それで、と繋げながら、ムラクは優姫の方に振り返っていた。そこには、思わず目を逸らしたくなるような、そんな輝きを放つ瞳が二つ。
「これからの、敵になるのかな」
「え? どういう事?」
その問いに、ムラクはぽつりと呟いた。
「この前、偶然に見つけちゃったんだよね」
*
レイが覗こうとしていたファイルは、どうやら隠蔽に隠されている以外には何の変哲もない、ただのテキストファイルのようだった。
「……?」
どうしてただのデータをそんなにも隠蔽するのだろうか。半ば首を捻りそうになりながら、そのデータをしげしげと覗き込む。
それには、簡潔な、誰かの覚え書きのようなものであった。
○○年○月、あちらの次元からのアクセス断絶。修復の見込みなし。時間軸ズレる。緊急対策として、似た時間軸の次元を作成。
○○年、スパコン動作不良により、セカイの一部が崩壊。残された土地を巡っての大戦勃発。
○○年、大戦が泥沼化。一番強い力を持つ二人が率いるグループが主戦力。当初の予定通り、仲介に入り大戦を終結へ。
○○年、今回の大戦によるデータ完成。予定よりもやや強めに感応しているおそれあり。スパコン、プログラム修正。
○○年、再びスパコン動作不良。セカイが別次元の場所へ侵食。大戦が勃発する。
○○年、大戦が泥沼化。……再び大戦を終結へ。
そこには、延々と似たような出来事が繰り返し記されていた。
「これは、一体どういう事なんだ……?」
○○年、大戦が泥沼化。この時一番強い力を持つのはミズホ、ムラクの二名。この二人に接触、大戦を終結へ。
読み進めていくと、そこに先程聞いた人物の名も書き連ねてある事に気が付く。
調整し続ける世界。別次元による、まるで実験のように扱われる出来事。
偶然が、頻繁に起きる世界。
「……おい」
レイはがばりと立ち上がり、近くでデータを収集していると思しき男性に声を掛けた。ミズホはどこに行ったのかを聞くと、足早にその場を後にする。
階段を上りきると、彼は全力で走り出した。
今まさに起きようとしている、事件。
それは。
* *
ざりざりと砂を舞い上げながら、このセカイを探索していたアルシェイリは、ふと前方に、幾人かの集団を見つけて、足を止めた。
その人々は、皆瞳をどこか陰鬱に輝かせて、そしてよく見ると、身体のあちこちに武器を装着している事が分かる。
その中のひとり、長めの前髪を後ろに掻き揚げる仕草を見せた男が、静かにその漆黒の目でこちらを見つめてきた。
その威圧するような視線は、真実アルシェイリの脳裏にも、何かを染み渡らせるような視線である。アルシェイリも、じっとその目を見つめ返していた。銀の瞳孔で。
ざああ。風がなびく。
その一瞬、その場が固まったかのような印象を受けて。
その一瞬の後、アルシェイリに向けて、静かにその男が歩み寄ってきた。共に行動している面々も、彼について近づいてくる。
「……あんた、どっかのグループにいる……って訳じゃないよな」
「グループ?」
アルシェイリの思考に無い言葉を言われ、そのまま首を傾げた彼に、その男はいや、何でもないと呟いた。
「じゃあ……そうか、銀幕市だっけ? そこから来たのか、あんたは」
「……まあ来たと言うより、そっちが来た、の方が正しいだろう」
無表情にぽつりと零した言葉に、その男は苦笑を漏らした。
「すまんな。ちょっと手違いでな。……それにしても、あんた、強いんだな。俺も随分強いと思っていたが、自惚れなのかもなあ」
「……強い……」
「ああ。そうか。このセカイの特徴みたいなもんだよ」
その男は、そう言って、自分の目を指差しながら、簡単にこの世界の強さについて説明した。
そのどこか突飛に外れた力に、アルシェイリはそんな世界もあるのか、と胸の内に呟く。
「まあ、俺達にとっては当たり前なんだけどねえ……」
その男はそれだけ呟くと、急にその表情を引き締めて、アルシェイリの向こう側を睨み付けていた。なるほど、近くでこうまじまじと見ると、何だか目の辺りからもやもやとした波動のようなものが漂っているような気もする。
そう感じながら振り向いた先に、ふたりの人影を見つけた。ひとりは銀髪の青年、そしてもうひとりは黒の髪に、白い布のようなものを巻きつけた青年。ホーディスと、スルトだった。
「……あんたが、カイ、だよな?」
ゆっくりとカイと呼ばれた青年の近くまで歩み寄ってきたスルトが呟いた言葉に、どこか自嘲めいた笑みを見せるカイ。
「やっぱりこうなるとは思ってたけどねぇ、どこかで。ま、あのお方がそうしたいなら、俺は『それに従うまで』、さ」
とたんにひょうきんな言葉でそう言うと。
彼は瞬時に動いていた。
*
アルシェイリが気配を感じ、風を操作してその場から飛び去る。その次の瞬間、ずぶり、と何かが地面に突き刺さる音と同時に、乾いた地面に大きなひび割れが起こった。
唐突に、何の前触れもなく始まった戦闘に、アルシェイリはやや困惑の表情を浮かべながらも、邪魔にならない、少し離れた場に自らの身を置いた。
――彼には、自らに課した決まりを持つから。だから、あまりこういう事に、自ら飛び入る事は、無い。
カイの前で、スルトは素早く自らの両手に巻いていた呪布を取り去っていた。その時に起きたタイムラグで、ほんの僅か避け損ねた左腕に、カイが飛び退きながら放った銃弾が掠めていく。
ぷしり、と小さな音と共に赤い雫がしぶいた。
だがそれを気にすることもなく、静かに、素早くスルトは呪布を取り去った両手を前に翳していた。
さあ、と音も無く、スルトの両手から、赤い血の霧が霞がかるかのように、カイと、その周りを固めている男達へと広がっていく。
それを吸い込んだカイ達は、たちまち胸を押さえ、痛みに耐えるかのように顔を歪めている。手から銃が滑り落ちそうになっているのを堪え、それでも虎視眈々と隙を狙っているようであった。
スルトはそれを見つつ、大気に漂う「負」の感情を探し出し、自らの中へと取り込んでいく。呪いの力を高める為に。
より一層、大気の中に広がっている血の霧の色が紅く、濃くなるようであった。
アルシェイリはその様子をじっと見つめていた。
その戦いは、どこかでよく起きているようなものであり、そして、長い時を行く彼だからこそ目にしてきた、世界が滅びる様への戦いともよく似ているものであった。
それでも、彼が戦いに参戦する事は無い。
手を出さない。それが、彼が自らに課した、ひとつの誓約であるから。
時には、どれだけその事を後悔しただろう。何もする事のない自分を歯がゆく思ったろう。
それでも。
彼は、例えどんな事があっても、信じているから。世界を変えていける、人々の力を。
その力を愛しているから、彼は、じっと見つめるがまま。
その瞳に抱えているものは。
* *
ムラクを探して歩き回っていた、ルースフィアンとシャノンは、目の前にぼろぼろの家が建っているのに気付き、その家に近寄ってみていた。
大分近づいた時、唐突にほとんど壊れている扉が乱暴に開き、二人は反射的に構える。
だが、その扉からヒョイとムラクが出てきて、ついで優姫が出てくるに至って、警戒心を半ば解いていた。
「こんな所にいたのか」
「あ、えーと、シャノン……兄ちゃんだっけ? それと……? 何か、前に会った時よりも随分でかくなってない?」
「……別人ですよ、きっと」
少し身体を警戒させながらシャノンが声を掛けると、ムラクは前のように、飄々とした調子を見せてきた。
「貴方がムラクさんですか。それにしても、一体どうしてこんな所にいらっしゃるのですか?」
「そうだ。それに、これから一体どうするつもりなんだ?」
怒りを見せる訳でもなく、ただムラクに疑問を投げかける二人の言葉に、事態を知っていると理解したのか、ムラクは微笑んだ。
「……これから先は、きっと戦争になるだろうね」
調子外れの答えに、シャノンとルースフィアンはそれぞれ眉を顰めていた。ムラクはただそのまま二人の間をすり抜けて歩いていく。
「……ちょっと待ってください、ムラクさん」
ルースフィアンは間髪入れずにムラクを追っていった。
その場に残ったシャノンは、そこに佇んでいる優姫と目を合わせる。彼女は笑っているような、それとも困っているような、何とも言い難い表情を見せた。
「……何か聞いたのか? あいつから」
静かに問うたシャノンの言葉に、優姫は静かに肩を竦めた。
「うん、まあね。さっきさ……」
*
「偶然に見つけた? ……それがきみをこういう事に駆り立てた原因かい?」
優姫の問いにムラクは答える事無く、ただ部屋の奥へと歩いていった。仕方がないので、優姫もそれに続いてついていく。
その部屋は、どこから拾ってきたのか、びっしりと古びた電気コードや、ケーブルがひしめいていた。そして床の上に直接、何台かのノートパソコンが開かれている。何台かは未だに排熱のファンを回す大きな唸りが響いていて、その音がやたらしっくりとその部屋には馴染んでいた。
ムラクは、その内の一台を操作して、そして優姫に場所を譲る。何が出るのか、興味をそそられた優姫も、それを覗き込んでいた。
「さっき、この世界はスーパーコンピューターの演算によって維持されているって言ったよね? そのスパコンの中に、隠されてたファイルなんだ」
そこには、簡潔にその年起きた出来事が延々と綴られていた。興味を持ってそれを読んでいた優姫も、その内容の異常さに気が付く。
「……これ、ほとんど同じ出来事の繰り返しじゃないか」
「そう。どうしてかは僕にも分からない。でも多分、このセカイは同じ歴史を延々と繰り返しているセカイなんだ」
そして、あの時もそうだった。ムラクはぽつりと呟く。
「あの時も、僕とミズホ兄ちゃんとで戦っていた。それで、もう誰にも止められなくなって、どうしようもなくなった時に」
彼はそこで言葉を切る。
そして、再びぽつりと落とした言葉。
「あの後のあのセカイ。あれこそが僕の望むセカイだったから」
だから、僕はまた戦うんだ。
*
「僕はたまたまここに迷い込んだだけだったから、詳しい事情は知らないよ。だけど、話の内容からして、ムラクくんはまた同じ事を再現しようとしているんじゃないかという事は分かる。そしてそれが、あまり良い事では無いこともね」
「確かにそうだな。俺はクレナイとやらを探す為に、あんな事をしているのかと思ったが、どうやらそれだけではないようだな」
優姫の話を聞き、シャノンは腕を組みながら、何事かを思案しているようであった。
優姫は再び小さく肩を竦める。
「……止めるのがスジなんだろうけど、僕がどうにかするにはここは不安定すぎるから、ね。ひとまずここは手助けに回ろうかと」
優姫は、彼女がかつていた世界においても、少々特殊な位置における魔導師だ。大抵のものを消してしまえるので、この世界でそれを使用すればどうなるかは、彼女自身にも分からない。だから手助けをして早く済ませる事によって、なるべくこの世界に負担が掛からないようにしようとの魂胆であった。
「確かにそれは一理あるな。……もっとこの世界について色々と知る必要もあるな」
シャノンも優姫の言葉に同意して、ルースフィアンと何事かを話し合っているムラクの方を振り向いた。
「繰り返す歴史、か。少なくとも銀幕市に実体化した以上、自分達次第でどうにもなるとは思うんだけどね」
優姫も視線を追って、ぽつりと呟く。
「でもこうして、延々と世界が同じ事を繰り返しているのを見ていると、俺が在る『世界』も、刻々と変わり続けているんだな」
「そうだね。……でも僕は、世界がどれだけ変わろうとも、在るべくして在る自分、自分が望む、人を護る為に此処に在る自分を徹するだけ、かな」
優姫はそう言って、清らかに微笑を浮かべた。何の含みも無い笑みで。
「世界が変わる、か……」
シャノンはただ一言呟くだけだった。幾年もの時を生きてきて。唐突に変化した世界。それはある意味では、とても不安になるけれども。
それでも、この変化がなければ、見ることさえ叶わなかった事もある。
「……変わるのが良い事ばかりじゃないだろうが、変わった事には、感謝しているかもな」
それのお陰で、未来、そして色づいた世界を取り戻す事が出来たのだから。
「さて、これからどうするんだ?」
「うん、ひとまず、ムラクがやって欲しい事があるからってさ」
ざあ。
風が、澱んだ大気を掻き乱していく。
*
ムラクは、ルースフィアンの言葉を振り切る事無く、その場に立ち止まってゆっくりと振り返った。
その後ろから後を追ってきたルースフィアンは、ムラクのいる場所より少し手前で足を止める。
「実は、この前貴方が会ったのは、過去の私でして。……まあ今は難しい説明は省きますが、彼から少し話を聞いてきたんです」
「そっかあ。道理で似てるんだね」
ムラクは屈託なく笑った。その動作のどこにも、これから自分が起こす事についての後ろめたさなどは出ていない。
「それで、貴方に是非聞いておきたいお話が幾つかあるのですが、よろしいでしょうか?」
「うん。僕で答えられる事だったら、ね」
ムラクの笑顔に、ルースフィアンも少しだけ笑みを浮かべる。
「貴方は『クレナイ』さんをどう思われているんですか?」
ただ彼女の傍にいたいのか、心底彼女を慕っているのか。
下世話かもしれないが、興味があった。
「僕らにとっての、光だよ」
ムラクは迷う事無く、そう即答した。その、唐突ともとることの出来る言葉に、ルースフィアンは首を傾げる。
「光?」
「そう。闇を照らし出してくれる、光。前へ進む道を示してくれる、光のような存在。クレナイの姉ちゃんがいてくれたから、ミズホ兄ちゃんもあんなに優しくなったんだよ」
「……では、もうひとつよろしいですか?」
ルースフィアンはムラクの話に対する言葉を保留したまま、そう提示した。
途端に彼の眼光は鋭くなり、どこか身に帯びる彼の責務の表情を見せている。
「貴方は、世界の状況についてどう思っているのですか? 自分達の行動が、この世界に何をもたらしているのですか?」
ムラクは、ひとつ困ったように笑った。そして、飄々とした態度は崩さずに言う。
「クレナイの姉ちゃんがいなくなって、またこのセカイは暗くなっちゃった。俺が先導を切らなくても、多分また戦争は起きるだろうね。俺達が行動することで、きっとまたセカイは元に戻る」
延々と繰り返すだろうね。ぽつりと上を向いて呟いたその言葉に。ルースフィアンは、どこか冷たさを醸し出していた。
「変わらないままで何かを犠牲にするのは、許しませんよ。僕が、ね」
例えこの世界がどんな世界であったとしても、自分の意思で変わる事が出来る場所にあるのなら、きっと自分は変わっていくのだろう。
変わる事がいいとは言わないが、この行動が停滞を望むだけのものならば、それを許すことはしないだろう。
ルースフィアンの言葉のどこかが珍しかったのか、ムラクは驚いたかのような表情を見せた。
* *
じわじわと、その世界が紅い霧に覆われている。
誰もが苦悶の表情を浮かべる中で、ひとり、スルトのその霧をもがき破るかのような勢いで突破していた人物がいた。カイだ。
「先に行く! 頼んだ!」
カイは、スルトとホーディスを攻撃すること無く、その横を全力で抜けていった。一瞬その行動に逡巡したホーディスが、すぐさま立ち直って魔法を放とうと宙に指を浮かべる。
「!」
そこに、銃弾ではなく、一振りの剣が振り下ろされていた。そのお陰で上手く避けられたが、微かな違和感に眉を顰める。
「俺が、見てくる。だから心配するな」
ふわりと上空で風を操っていたアルシェイリが、動きを止められたスルトとホーディスの代わりに、動いた。
手を出さないと決めていた彼であったが、この世界の人と対峙しているのが、銀幕市の住民であった事は理解していた。尋常ではない事態のようである事も。
だから、彼は先にカイを追いかける事にしたのだ。
もしかすれば、この世界に何かが出来るかもしれない。
(捨てられた、世界――)
この場の大気を動かしながら去っていくアルシェイリ。
そして、それをちらりと視界の端に捕らえたホーディスは、目の前の剣に目を戻して、再び眉を顰めた。
どこかで見たような、そんな気がしたからだ。
剣の持ち主は、灰色のフードを目深にかぶっていて、顔が分からない。だがほんの一瞬、その奥に潜む、その目と、ホーディスの目が合った気がした。
青。
「まさか、いや、やはり、そうなのか……?」
ホーディスの目が、驚きに見開かれていた。
* *
レイは目星をつけた方向へ疾走していた。
幾ばくか繁盛しているらしい、人がそれなりにうろついている地区を抜け、唐突に荒涼とした、何も無い土地が広がる。その向こうに、点のように見えるが、確かにミズホの姿があるのを見て、レイはひとまず安堵のため息をついていた。
「おい、ちょっと待て!」
レイはミズホを呼び止めながら、どうやってこの今の疑問を説明しようかと、少し悩んだ。
何せ、その疑問は、本当ならば見てはいけないものを見てしまったからこそ沸き起こってきたものなのだ。
ミズホの前に辿り着き、不思議そうな表情を見せる彼の前でしばし悩むが、ここはやはり本当の事を白状する事にした。
そして、隠蔽されたデータにあった、歴史の事を話す。ミズホはレイの話を聞きながら、どこか諦めたかのような苦笑を浮かべていた。
「見つけられたか。まああれは、俺が書いたものではないけどな」
「じゃあ、あんなの一体誰が――」
レイはそう言って、その言葉にハッとなった。
あれはかなり長い年数を記録したものだった筈だ。目の前にいるミズホは、どんなに見積もったとしたって、その年数には到底追いつける訳が無い事が一発で分かる。
「俺はまだ二十代だぞ、辛うじてな」
レイの考えている事が顔に出ていたのか、ミズホはやや真面目めかしてそう言う。
「俺も、詳しい事は分からない。けれど、確かにあれの最後の方に書かれている事柄は事実なんだ」
俺はあの時、確かにムラクと泥沼の戦いを繰り広げていた、とミズホは苦笑して言う。
「……じゃあ、この、何度も何度も延々と繰り返している歴史が本当だって言うのかよ」
やや困惑した感情を声に滲ませるレイ。だが、頭のどこかでは、理解してもいた。
そしてそれが、次のミズホの一言で決定的となる。
「多分、俺の予想だが。それが、この世界の仕組みの一部じゃないかと思っている」
「という事は、あのスパコンも、その為にあるのかもしれない、という事か」
レイの言葉に、ミズホは頷いた。
「そうじゃないと可笑しいだろ。このセカイはあまり潤ってない。なのに、あんなにスパコンがずらりと並んでいるんだからな。しかも、このセカイでは最先端の、な」
「そういえば、そうだな。……という事はあれか、ムラクとやらがやろうとしている事は、その歴史とやらをまた、引き起こそうとしているのか」
ミズホはただ歩き続けるだけで、答えることはしなかった。だが、その沈黙こそが肯定を示していた。
レイもミズホに並んで、ただ黙々と歩いている。
少しして、ミズホはぽつりと呟いた。
「……今度こそ、もしかすれば世界が変わるかもしれない。それが良いことなのかは、こうしてセカイを変えようとしている俺でさえも、分からない。……セカイが変わる事をお前はどう思う?」
ミズホの問いに、レイはしばらく沈黙していが、やがてその口を開く。
「人が生きて死んで。時間が流れる限りは、どんなセカイが揺らいだり流れていくのは当たり前だと思うぜ。……ただ、俺はその中も、大事だと思う存在はしっかり護りたいと思う」
そう言いながら、まあ、大事なものに「大事です」なんて絶対に言わないけどな、と胸の内でひっそり思った。
「……そうか」
ミズホは、ただひっそりと笑んでいた。
その時。
二人の横で、確かに、誰かの赤いワンピースの裾の端が翻っていた。
* *
優姫は、ムラクに言われた通りの場所に向かっていた。手には、パイプよりも少し細い、筒状のものを持っている。シャノンも彼女を手伝い、その筒をいくつか手にしていた。
「それにしても、これは一体何なんだ?」
「さあ。僕はそういう知識はあまり詳しくないんだ。何かの電子機器ではあるんだろうけど、イマイチ、ね」
優姫もそれを持ち上げて、間近に眺めて、そして首を傾げる。そして手にしていたメモを覗き込み、きょろきょろと辺りを見回していた。
「あれ? ここら辺かな。確かにあの建物と、あの岩がある所って書いてあるから」
彼女の言葉に、シャノンもやっとこの荷物を下ろせる、と安堵のため息をつきながら筒状のものを地面に下ろそうとした。
ざあ、と風が吹く。砂埃が舞い、それを避けるために、彼らは腕で目の辺りを覆っていた。
その一瞬後。今まで誰もいなかった筈なのに、確かに今、彼らの後ろに人の気配がある事に、気が付く。
「誰?」
二人は一気に身体を緊張させて、後ろを振り向いた。
そこには、赤い、長袖のワンピースを着た女性が、ちょこんと壊れた壁に腰掛けていた。
「……赤い服。もしかして、お前がクレナイ、か?」
シャノンがホルスターに油断無く片手を当てながら尋ねる。その女性はふふ、と笑うだけで、その質問には何も答えなかった。
「その筒は……、ああ、なるほどね。ムラクね」
「……これが何だか、知っているのかい?」
今まで出会った中で、一番強い眼光を放つ彼女が、その筒を一瞥しただけで納得した様子に、優姫が眉を顰めて問いかけた。女性はまた、ふふ、と笑う。
「ええ、勿論。それはね、この空間が発している、電磁波のようなものを遮る装置よ」
「電磁波?」
シャノンが彼女の言葉の一部を鸚鵡返しに呟いた。その女性は、ふふ、とまた笑う。
「ええ。それこそが、この空間の全てを象徴する、唯一の特徴だから」
「どういう――」
唐突に現れ、意味の分からない事を話すその女性にシャノンが警戒を解かないまま、銃を手にして近づいた。だが、彼の言葉は、半ばで途切れていた。
送って差し上げるわ。その女性はそのように言ったのかもしれなかった。だが、その言葉は耳には届かない。
目の前の空間が、ぐにゃりと歪んで。
そして、ひと時、闇が広がっていたから。
* *
カイとスルト達が遭遇した場所と、ムラク達がいる場所はあまり距離的には離れていないようであった。カイはほとんどスピードを落とさないまま全力で走っている。そのまるで、何かに憑かれたかのような疾走に、追いかけているアルシェイリは半ば疑問を感じながらも、付かず離れずで追いかけていた。
アルシェイリの視界の向こうに、幾人かの人々が映る。おそらくあの中の人物と、カイは接触したいのだろう。
段々と近づいてくる人々の中で、一際楽しそうな笑みを浮かべてカイを見つめる少年が、アルシェイリの視界に入る。
少年が何かを叫んでいた。それは1拍遅れて、アルシェイリの耳に入っていた。
「さあ、もう一度だけで良いから。――このセカイよ!」
アルシェイリにも、おそらくその場にいた誰にも、その言葉を完全に理解出来たものはいなかったかもしれない。
だが、カイは何かを理解したらしい。弾む息の中で、叫んでいた。
「ふざけるなッ! お前がいるから、ミズホの地位が落ちるんだろ!」
カイがそのまま、瞳に凄まじいまでの力を込めて、そして跳躍した。
ムラクがどこか喜びの表情を浮かべて、その両手に銃を構える。
交錯する、二人の視線。
それは明らかに急激に始まったから、それを止められる者は、その場にはいなかった。
だが、次の瞬間、その場にいた者は、確かにそれを見ていた。
赤いワンピースが、ひらりと翻るのを。
ひらりと。
「う、わっ?」
誰の目にも、赤いワンピースが映った次の時、その場に四人、唐突に増えていた。
次元の歪みがそこに発生したのか、「偶然に」その場に現れたミズホとレイが、カイを押さえつけ、スルトとホーディスが、ムラクへと向かう。
ムラクは押さえつけなくても、今目にした光景を呆然と見ていた。
「どうして……。どうして。さっきのは、確かにクレナイの姉ちゃんだよね? どうして、クレナイの姉ちゃんがこんなことを」
呆然自失とした表情で呟くムラクに、スルトが静かに語りかけていた。
「……ムラクに戦争の火種となって欲しくなかったんじゃないか? まがりなりにも、あんたはそのクレナイとやらを慕っているんだし、な」
「でも……」
何かを言い掛けたムラクは、そっと歩いてきたミズホの姿に、口を噤んだ。
一瞬だけ、くしゃりと顔が歪む。
「……ただ、光を見たかったんだ。もう一度だけ。僕達が生きる場所は、過去の、あのセカイでしかありえなかったから」
自分がいて、ミズホがいて、クレナイがいて。
どうしてだか分からないけど、確かにあの時のセカイには、明るい光が見えていた。
だから。あの歴史を知った時。もう一度だけあの時のセカイを見る事が出来れば、と……。馬鹿な願いを考えていた。
あのセカイだけが、自分のいる事の出来る、世界だと思っていたから。
「そんな事考えてたのかよ。素直なんだか、馬鹿なんだか、な」
レイが半ば呆れた表情を見せてため息をついてみせた。隣に並んだミズホは少しだけ眉を顰め、そして真摯な眼差しをムラクに向けていた。
「気付け、ムラク。――お前だって、俺には光のように見えているんだ」
こうして、幾人も集ってきているだろ、と言うミズホ。
その言葉に、ムラクは周りの皆の顔を見回していた。スルトにカイ、ルースフィアンのアルシェイリ。その誰もが彼に、呆れたような、しょうがないという表情を見せていたが、彼を嫌悪するような眼差しはどこにも無かった。
「……俺は本当に、このセカイを前に、進めていく事が出来るのだろうか」
ぽつりと呟いたその言葉に、ルースフィアンがどこか冷たさを残しながらも、微笑を見せた。
「進もうと思えば、きっと進めるんですよ」
「そうか、な」
ムラクは静かに空を見上げて。――そこには、確かに光がある。
虚ろなセカイでも、燦々と。
*
「……何だか、こうして見ていると、今までのが夢のように感じるんだけど」
ムラク達より少し離れた場所で、優姫とシャノンが、半ばぼう、とした表情での様子を見ていた。
「でも、あの声は鮮明に残っているし、確かにこの目は、あの女の姿を覚えている」
「そうだね。……それにしても。あれは、魔法なんかじゃ、無かったよ」
優姫は自分の手を見下ろし、ぽそりと呟いた。先程の目の前が歪むあの感覚は、今まで彼女が目にしてきた魔法とはどれも違ったし、魔力の気配は欠片も感じられなかった。
魔法で無ければ、一体何なのだろう。
「電磁波か。……気になるな」
シャノンがぽそり、と疑問を落とす。
その時、遠くにいる筈のミズホと、目が合った。
彼はシャノンと視線が合っているのに気が付くと。
に、と艶やかではあるが、どこか含みのある笑みを見せた。
「……まだこれで、終わりでは無いと、言うのか……?」
「ん? 何? ごめん、今聞こえなかった」
「――いや、何でもない」
問いかけてきた優姫に、シャノンは独り言だと返す。
雲の切れ間から降り注ぐ光が、翳りを見せていた。
* *
夜の闇が満ちる中。
ミズホの前にふとよく知る気配が現れたのを感じて、椅子に座って目を瞑っていた彼はそっと目を開いた。
「……やはり来たか」
「ええ。……正直、後悔してるわ」
「……」
「あの時の私のミスは、あの時、あなた達と深く関わり過ぎた事ね。あなたがこうして私に宣戦布告を突きつけてくるとは、思いもしなかった」
見くびってたわ。
「……それで、こうして来たのか」
「ええ。そうね、あなたにはまだ死んで貰ったら、私は困るの。だからどちらか選ばせてあげる。力と、記憶と」
「……あれほどいらないと思っているのに、いざ必要となる時に限って、俺の手から零れ落ちて行くんだな」
ミズホはひとつ苦笑して、ぽつりと呟いた。
力と。
ずしゅり。
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クリエイターコメント | 大変お待たせ致しました。ノベルをお届けさせて頂きます。 ひとまずムラクが過去を見ることを諦めた事によって、銀幕市への侵食も留まったようですが、まだまだ色々と含む所がありそうです。 今回は、戦闘よりも人の思考や会話を重視させて頂きました。多分今回の反動で、次回はバリバリのアクションになりそうな気も致します。よろしければ覗いてやって下さい。
それでは、ご参加、ありがとうございました! またいつか、銀幕市のどこかでお会い出来ることを願って。 |
公開日時 | 2008-04-17(木) 00:10 |
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