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<ノベル>
――やっぱり、自分に嘘はつけないや。
巨大な絶望が黒々とわだかまる、閉ざされた街の中で。
無力感に苦しみつつ、自分に何が出来るのかと悩みながらも。
「あたしは、諦めたくない」
新倉(にいくら)アオイは、どちらの剣も使わないことを選んだ。
「きっと、どっちを選んでも、あたしは後悔する」
……初めは、ヒュプノスの剣を選ぼうかと思ったのだ。
髪の色や名前からいじめられ、いつもひとりぼっちだったアオイに、初めての友達や、大切な人が出来たのは、銀幕市に来たからだった。アオイが明るく前を向き、日々を楽しめるようになったのは、銀幕市と、銀幕市に住まう人々のお陰だった。その中には、当然のように、ムービースターたちが含まれていた。
映画の登場人物が実体化する、ということ自体にあまり興味はなかったが、親しく言葉を交わし、心を預け合ったムービースターの皆がいてこその銀幕市だとアオイは思っているから、タナトスの剣を使うという選択は、最初から彼女にはなかった。
ずっとずっと、これからも、やさしいムービースターたちと一緒にいたい、このままずっとこんな時間が続けばいい、と思っていた。
「美原のぞみひとりを犠牲にしてこのまま生活するのも、リオネと一緒にムービースター全員を喪うのも、あたしには無理。どっちも違う気がする」
しかし、のぞみをあのままにはしておけない、とも思う。
絶望を抱き、夢の殻の中に閉じ籠って眠り続ける彼女が、かつての、頑なな自分と重なって見えるから、救いたいのだ。
けれど……判っている。
自分は、無力な、ただの女子高生で、守りたいものを守るだけの力も、その戦いを戦い抜くだけの力も、持ち合わせていないのだと。これまでの戦いで、それを痛いほどに自覚している。
――守りたいのは、淑やかに見えて強靭で頑固な親友と、彼女と結婚した天使の青年だった。
そして、堅物の若武者だった。
本当はもう、知っている。
彼がどれだけ、自分にとって特別であるのかを。
恋愛するなら断然年上派だったのに、脳裏に思い浮かぶのは彼の顔ばかりだということを。
夢の魔法が解ければ、彼らとの別れが訪れる。
それは、恐らく、永遠のものだ。
きっと、二度、同じ奇跡はありえない。
特に、親友と天使のことを思うと、ヒュプノスの剣を選ぶことがもっとも正しいような気さえして、アオイの中の天秤は、滑稽なほどにぐらぐらと揺れ動き、右へ左へと傾き続けた。
「だけど、あたし、約束したから。あの時……あの、桜の下で」
眼を奪われるほどに美しい、あの櫻の木の下で、アオイはその覚悟を決めた。
親友の少女と、殴り合い罵り合い、地面を転がって、誓った。
この先どんな災いが訪れようとも、彼らの幸いを守るために戦うのだと。
己が無力すら飛び越えて、誓いを果たすのだと。
「自分に嘘はつけない。――だったら、戦うしかないじゃん」
この、最後の選択に臨んで、自分を偽ることは出来ない。
何を喪い、自分もまた喪われることになるのだとしても、後悔ばかりを抱いて、これからの人生を生きるなど、真っ平だ。
「守るって、誓ったの。戦うって、最後まで諦めないって、約束したの。自分が、非力な、ただの女子高生だ、なんてこと、あたしが一番よく判ってる。危険だって、無謀だってことも」
タナトスの剣を選んだ父の気持ちも判る。
自分をただひたすらに愛し案じてくれる父を恨む気にはなれない。
同じく、それぞれに考えて――それぞれの覚悟で、あるいは我儘で、タナトスの剣やヒュプノスの剣を使うことを選んだ人々に、自分のためにどちらの剣も使わないことを選んだアオイが、何かを言えるわけもない。
アオイはただ、絶望に負けたくないだけだ。
危険のただ中に我が身を投げ出すことになろうとも、後悔したくないだけなのだ。
「それでも! あたしは、諦めない! 絶対守るんだ。この街を。皆を。……アイツを!」
血を吐くような叫びだったかもしれない、と思う。
この選択が、新たな……取り返しのつかない災禍を招くのかもしれない、とも思う。
それでも、アオイはもう、決めた。
「あたし、最後まで戦うよ」
覚悟は、決意は、誓いは、もう、揺らがないのだ。
* * * * *
「アオイってさ。いい加減堅物くんに告ったりしないの?」
「ハァッ!?」
いつもの海賊喫茶にて。
さすがに開店休業状態のカフェテラスで、ふたり並んで掃除をしながら、何気なくウィズが漏らした言葉に、モップを手にした新倉アオイは一瞬固まり、それからみるみるうちに赤くなった。
「意味判んないなんであたしが別にあんな奴のことなんかなんとも思ってないしあたしには関係ないし!」
真っ赤になったまま、ワンブレスで言い切り、呼吸困難に陥って咳き込むアオイを、ウィズは呆れたような眼差しで見つめた。
「……あのさー。投票ももう済ませて来たんでしょ? 堅物くんのこと考えて選んだでしょ、絶対。それなのに、もしかしたらこれが最後かもしんないのに、この期に及んでソレー? いい加減観念したらー?」
「……ッ! ……うー……」
(……正直ね。オレはヒュプノスの剣使うのに賛成なんだよね)
ウィズもまた、選択を終えていた。
実を言えば、本当は、いますぐにでもヒュプノスの剣を使いたいと今でも思っている。
ストリートチルドレンとして、十一歳になるまで、たったひとり、孤独に生きてきたウィズにとって、自分を拾い救ってくれたギャリックは『絶対』だ。彼がいなかったら、今頃ウィズは、どこかの路地裏で、誰かを虐げて悦に入る小悪党になるか、もしくは、誰かに刺されて野垂れ死ぬか、していただろう。
だからウィズは、彼だけは――そう、例え我が身を微塵に切り刻まれてでも、だ――何があっても裏切れない。
そして同時に、ギャリック海賊団は、ウィズがはじめて手に入れた居場所だった。
愛情からはぐれて生きてきたウィズは、誰よりも家族というものに思い入れが強く、それゆえに、団長や団員に犠牲が出るかもしれない、という、決してありえないわけではない未来に抱く恐怖心も人一倍強い。
だからウィズは、自分の手を汚してでも、そう、隙をついてヒュプノスの剣を奪い、のぞみを刺しにいこうとすらと思っていたのだが、
(やる前から諦めていてどうすんだ、オラッ!)
豪放磊落、大雑把で単純だが愛情深く、海賊団のことを誰よりも思っている団長が、ウィズの目の前でアッサリ戦う宣言してしまったため、盛大に溜め息をつき、ギャアギャア喚きつつも、戦うことを選んだのだった。
(だってさ、あの人が、戦うって言うんだもん)
テラスのデッキをブラシで磨きつつ、ウィズはフゥと溜め息をつく。
(楽観的とかじゃなくて、あの人マジで信じてるんだもんな、勝てるって……誰も死なせないとか、ぜってぇ無理なのに……)
家族を守りたい。
ギャリック海賊団が、彼のすべてだ。
海賊団さえ無事なら、他のことはどうでもいい。
その利己を、ウィズは否定しない。
陸の世界、銀幕市に出来た、特別な人々のことを否定もしないけれど、ウィズの根本は、やはり、ギャリック海賊団なのだ。
(自分で死ぬなとか言っておきながら、あの人、自分の命掛けて、本気で守りきる気でいるんだゼ、オレたちのこと……)
本当は、それでこそウチの団長、という、誇らしい気持ちも半分あって、だからこそ、ウィズの心中は複雑だ。
喪うかもしれない恐怖と、ギャリックのギャリックらしさに感じる、それでこそオレの信じた男だと熱くなる胸の心音、その双方が、ウィズの中で渦巻いている。
(あーもう、なら行くしかねぇじゃん、クソッ!)
ざばり、と勢いよくブラシをバケツに突っ込む。
おそらくもうじき、投票が終わる。
そして、この街の進む道と未来も決まる。
(だったら、あの人はオレが守る……命くらい、賭けてやるぜ、このやろうッ!)
イライラしているのに、口元は妙に綻ぶ。
自分でも、わけが判らない。
「ウィズ、どうしたの? なんか変だよ?」
先ほどから、赤面したまま黙々と掃除に精を出していた――現実逃避とも言うかも知れない――アオイが、モップを動かす手を止めて、不思議なものを見る目でウィズを見ていた。
「あー……うん。なんかもうね、嬉しいんだか悔しいんだか、怖いんだか幸せなんだか、自分でもゴチャゴチャで判んなくてね」
「ふーん……?」
小首を傾げるアオイに、ウィズはそれで、と続けた。
「アオイはどーすんの? このまま終わりにしちゃうつもり?」
「う! くそ、忘れたかと思ってたのに……」
少し落ち着いてきていたアオイの顔色が、またしても、みるみるうちに真っ赤になる。
「堅物くんのこと、好きなんでしょ?」
「いやだからそんなことないってなんであんたがそんなこと言うのかマジで意味判んな、」
「好きなんだよね?」
「……」
畳み掛けるようにウィズが言うと、アオイは真っ赤になったまま口をパクパクと開閉させ、モップの柄をぎゅうっと握り締めるとちょっと俯いて、それから、小さく頷いた。
「…………うん」
ウィズはその可愛らしい様子にこっそり笑った。
強気で意地っ張りなこの少女が、実はこんなに照れ屋で可愛らしいことを、一体どれだけの人間が知っているだろうか。
「好きだよ。すごく好き。ずっと一緒にいられたらいいのに、って思う」
「そっか」
「あ! こんなこと、他の誰にも言っちゃ駄目だからね!? ウィズだから教えたんだから! 絶対絶対、内緒だよ!?」
「あー、うん、判ってるって。……バレバレだろうとは思うけどさ」
「なんか言った!?」
「いーえ、なんでもございませんことよ。でもさ、だったら……やるべきことって、決まってるんじゃないの?」
「……」
この土壇場に来てようやく素直になった少女の、あまりにも遅すぎるその自覚に苦笑しつつウィズが言ったときだった、ふたりの携帯電話が、まったく同時に、まったく違う着信音を鳴り響かせたのは。
「!」
「あ、まさか」
ふたりに、メールが来ていた。
ウィズへの送信主は、陸ではじめて出来た特別な友人、何でも屋の青年。
アオイへの送信主は、愛する人とともに戦う道を選んだ親友の少女。
ふたつの文面は、言葉こそ違ったものの、銀幕市の選択が、どちらの剣も使わないことに決まったという意味合いを伝えている。
「そっか……」
拳を、携帯電話を握り締めたアオイが、一瞬ぶるりと震え、それから空に黒々とわだかまる絶望の塊を見据える。
「……あたし、諦めないから。最後まで、戦うよ」
「だね。やれやれ……んじゃまぁ、いっちょやりますか」
ウィズはウィズで、うんざり感を滲ませつつも、闘志に満ちた眼差しでマスティマを見上げた。
「で、アオイ?」
「あーもう、うるさいウィズ! 言えばいいんでしょ、言えば!?」
「そうそう、人間、素直が一番」
「……うん……。あたし、この戦いが終わったら……」
「ちょ、待っ、それなんて死亡フラグ!?」
思わず噴き出しかけながらも、ウィズは決意と覚悟を新たにしている。
アオイもきっと、同じだろう。
この先に何が待ち構えているとしても、運命はもう、指し示された。
立ち止まっている暇は、ないのだ。
それぞれが、それぞれの大切な存在のために、そして自分自身が後悔しないために、戦い抜くしかないのだ。
(団長、団長、団長ッ……ギャリック――――――ッッ!!)
(ねえ、バカなの!? そういうこと許さないって言ったでしょ、バカ春!)
(何で……何でだよ、なんでアンタが……何でだよ、返事しろよ、団長――――ッッ!)
(あたしが護るって言ったのに、どうして――……!!)
「ん?」
「あれ?」
どこからか、何か聞こえてきた気がして、ウィズはアオイと顔を見合わせた。
しかし、耳を済ませてみても、それがもう一度繰り返されることはなく、ふたりは同時に首を傾げる。
「なんか聞こえなかった?」
「ん。なんだったんだろ……」
「……だよな。まぁ……今は、やるしかねぇ、か」
「うん、そうだね」
神ならぬふたりに、これから起きることなど、判るはずもない。
――判らないからこそ、立ち向かえるのだから。
「あいつは、あたしが守るんだ」
「あの人は、オレが守る」
空にわだかまる絶望を見据え、同時に呟く。
そうして。
ふたりの運命をも飲み込んで、――最後の戦いが、始まる。
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クリエイターコメント | オファー、どうもありがとうございました。
アオイさんとウィズさんのお心を、このノベルに預けてくださったことに感謝いたします。
多くは語りません。 どうか、選択のすべてに救いと安息が満ちていますように。
ありがとうございました! |
公開日時 | 2009-06-07(日) 22:10 |
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