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<ノベル>
市の命運を決する“選択”が突きつけられたあの日。黄金の名を冠する彫像の前に真っ先に赴いたのはキャプテン・ギャリックだった。
「誰かを犠牲にしてまで生き延びるのは性に合わねぇ。航海の途中で船を降りるってーのも御免だ。俺には俺の部下を守る義務がある」
背中にウィズの視線を感じる。誰かが欠けるのは嫌なのだとウィズはいつも言い続けていた。
しかしギャリックは胸を張り、背筋を伸ばしたまま決意を告げる。
「という訳で、だ。俺は最後まで戦うぜ」
その瞬間、ウィズがはっと身をこわばらせる気配が伝わった。
「やる前から諦めていてどうすんだ、オラッ! ……なあに、誰も死なせやしねえよ。絶対守りきってやる。この街も、住民もな」
ウィズを含めた団員たちに自分と同じ選択を強いるつもりはギャリックにはなかった。それでも漠然と、根拠もなく確信していた。ウィズはギャーギャー文句を言いながらも自分と同じ道を選ぶのではないかと。
「よーし、野郎ども! よく聞け! 死ぬ事はこのキャプテン・ギャリック様が許さねえ。いいか絶対に生き延びろ。分かったなっ!? 」
ニッと笑って振り返った先には唇を噛み締めたウィズの姿がある。
しかし――目が合うと、ウィズは大きく肯いてみせたのだ。あの時と同じようにして。
「……チックショウ。ああ分かってるよ、ソレでこそウチの団長だよ! オレの信じた男だよ! あーもう嬉しいんだか、悔しいんだか、ゴチャゴチャで分かんね、クソッ! 絶対だ! 絶対あの人はオレが守る! 命賭けてやるゼ、チキショウッ!」
次いで進み出たウィズは半ば喚くようにまくし立てながらギャリックと同じ選択肢に票を投じた。
「死ぬなよ。絶対に生きろ」
荒く肩を上下させたままのウィズの頭にぽんと手を置き、ギャリックはかつてのように告げた。
「……お互いに、ッスよ」
ウィズもまた泣き笑いの顔を作ってかつてのように応じた。
「こいつ。あの時と同じこと言ってやがる」
「お互い様っしょ、団長」
ああ――なぜこんな時にあの日のことを思い出すのだろう。
初めて出会った時も二人は同じような言葉を交わしたのだった。
◇ ◇ ◇
埃っぽい石畳。湿気とカビとすえたような臭気。それがウィズの世界のすべてだった。光と人と活気に溢れた表通りに出るのは“仕事”の時だけだった。
「……っと。スンマセン」
大通りの人波を縫いながら進み、肩がぶつかった紳士に小さく詫びる。上等な仕立ての洋服に身を包んだ紳士は一目で孤児と分かる身なりのウィズを見下ろして露骨に顔をしかめた。
「スンマセン」
ゴミでも見るような冷たい視線をすり抜け、ウィズは紳士の懐から抜き取った金貨袋をさりげなく服の下に押し込んだ。
もう十一歳になる。誕生日は忘れた。孤児院は規律と大人たちに嫌気が差して逃げ出した。昼間はスリをして日銭を稼ぎ、夜になれば薄汚い路地裏の片隅でぼろきれを纏って眠った。醜く痩せて垢にまみれ、目ばかりをぎらつかせながら表通りを睨みつける孤児は他にもいくらでもいた。
グループを作り、組織的に窃盗や売春を行いながら生計を立てる孤児たちもいた。ウィズの元にも彼らからの誘いが舞い込んだことがあった。手先の器用さと逃げ足の速さを兼ね備えたウィズの腕前は確かだったからだ。
しかしウィズは決して集団に属しようとはしなかった。
「あんたらがオレの稼ぎを横取りしねえって保証がどこにあんだよ?」
ウィズは用心深くて疑り深かった。それが路上暮らしを続けるうちに自然と身に付いた性質だった。
(さて。もう一人くらい……)
今日もそつなく仕事をこなし、戦利品を確かめながらさりげなく視線を巡らせる。
――いた。傭兵だ。
傷だらけの体格の良い男が大きな剣を背負って歩いている。最近、ここから山ひとつ越えた町で大きな戦いがあったと聞いた。その戦いに加わった傭兵ならば報酬を得たばかりに違いない……。
距離を取ってさりげなく後をつけ、なりを観察する。何とも不用心な男だ。ぱんぱんに膨らんだ路銀の袋を腰からぶら下げて呑気に歩いている。しかし肩や腕の逞しさは着衣の上からでも容易にうかがえた。歳の頃は二十代半ば、最も体力が充実している時だろう。
子供のウィズなどひとひねりにされてしまうに違いない。捕まれば、の話だが。
絶対の自信があった。相手が手練れの傭兵ならこちらは百戦錬磨のスリだ。それにこの人ごみだ、小柄で身の軽いウィズに分がある。おまけに傭兵の男は初めてこの街を訪れるのか、先程からしきりにきょろきょろとしている。この辺りの地理を知り尽くしているウィズなら追跡をまくこともたやすい。
ちょろい獲物だ。そうである筈だった。
「待ちな、ボウズ」
だが、追い抜きざまに首尾良く“仕事”を完了したと思った瞬間、のんびりとした声で呼び止められて腕を掴まれていた。
「全部持ってかれたら今夜のメシ代がなくなっちまう。半分で勘弁してくれねえか?」
糾弾するでも批難するでもなく、傭兵の男はぼりぼりと頭を掻きながらそう告げたのだった。
スリの少年を見下ろすギャリックは内心感嘆していた。こんな貧弱そうな子供が一目見て傭兵と分かる格好の自分を標的にするとは。
(よっぽど腕に覚えがあるんだろうな。それとも……)
そうせざるを得ないほど追い込まれているということなのか。
ギャリックの路銀袋を握り締めたまま、薄汚れた少年はぽかんとしてこちらを見上げている。孤児だろう。頭はぼさぼさ、顔も手足も垢で黒ずみ、着ているものも穴だらけだ。
「事情があるんだろうが、盗みは良くねえぜ。金が欲しけりゃまっとうな方法を考えろ」
「……まっとうな方法?」
痩せて汚れた顔の中、緑色の瞳が研ぎ過ぎた刃のような光を帯びた。
「まっとうな方法ってどんな方法だよ。物乞いか? 金持ちの変態相手に体でも売れってか? オレたちクズがまっとうに生きられると思ってんのかよ!」
声変わりすら迎えていない少年の声が人ごみの中に甲高く響き渡る。行き交う人々がちらちらと視線を送ってくるのが分かる。
ギャリックは答えなかった。答える術が見つからなかった。こんな子供なら傭兵として各地を旅するうちに何度も目にした。家柄に従って屋敷の中にいたのでは決して気付かなかったであろう現実だ。
「……とにかく盗みは良くねえ。自分をクズだなんて言うのもだ」
その瞬間、少年の顔がカッと紅潮した。
「っざけんじゃねえ!」
そして路銀の袋をギャリックの胸に投げつけたかと思うと、そのままつむじ風のように走り去ってしまった。
「おい、こら――」
地べたに散らばる路銀もそのままに慌てて追いかける。しかし少年は思いのほかすばしっこく、人波に遮られてすぐに見失ってしまった。
(……まずいな。どこだ、ここ)
おまけに、初めてこの街を訪れるギャリックは少年の追跡に夢中になるあまり道に迷ってしまった。その時になって初めて、路銀を道にぶちまけたまま残して来てしまったことに気付いたのだった。
「ちきしょう、ちきしょう、ちきしょう!」
腹立ちまぎれに壁を殴りつけても拳が傷つくだけだ。皮が弾け飛び、薄い肉が削げて血が噴き出してもウィズは手を止めなかった。
「オレだって! オレだって好きでこんなこと……っ」
噛み締めた唇がぶつりと破れ、口の中に鈍い鉄の味が広がっていく。
まっとうに生きられればと思ったことがないわけがない。しかしクズはクズだ。ゴキブリのように薄汚い路地裏を這いずり回るしかないではないか。
ウィズは卑屈な少年だった。己の卑屈さを自覚できぬほど荒み、疲弊していた。
「ちきしょう……あの野郎」
このままではおさまらぬ。せめて一泡吹かせてやらねば気が済まない。
少し肌寒いが耐えられないほどではないし、野宿にも慣れている。ギャリックはやれやれと溜息をついて草の上に仰向けになった。
街の外れの、とある川にかかる橋の下だ。さらさらと素知らぬ顔で流れる水音が耳を素通りしていく。橋桁で途切れた夜空にはぽつぽつと星が浮かんでいるようだった。
スリの少年を見失った後で路銀の回収を試みたのだが、初めての土地で道に迷った状態ではそれもかなわなかった。旅を続けながらまた雇い先を探せば良い。戦場での野営に比べれば野宿など楽なものだし、もし不逞の輩が襲ってきたとしても戦場で鍛えたこの腕で切り抜ける自信がある。
(だが、子供ならそうはいかねえだろうな)
あの少年の顔が脳裏に浮かんだ。
路上で暮らす浮浪児が死体となって発見されることはそれほど珍しくない。何らかの事件に巻き込まれたのか、変質者の類の標的になったのか。いずれにせよ、庇護してくれる者も抵抗する術もない子供たちは見捨てられた路地裏に襤褸雑巾のように打ち捨てられるしかない。
かと思えば自分のように何不自由ない生活を送っていた者もいる。格式と体裁を重んじる暮らしや跡目争いに嫌気が差して出奔したが、あのまま家に居れば恐らく死ぬまで裕福な日常を享受していただろう。
浮浪児たちと自分とでは何が違うのだろう。身分か。血筋か。そんなもので人の生涯が分かたれるのだとしたら、これほど馬鹿馬鹿しく愚かしいことはない。
身分の差も差別もない、そんな国があれば良いと思っていた。しかしそんな楽土は実際には存在しないらしいということはおぼろげに理解しつつある。
ないならば作れば良い。誰が? いっそ自分が。どうやって? それはまだ分からない。
(……方法が分からねえなら探せばいい)
くすぶる思いを強引に嚥下した時、不自然な足音がかすかに耳に届いた。
ギャリックは素知らぬ顔で寝たふりを決め込んだ。騒ぎが大きくなれば面倒なことになるかも知れない。
相手はこちらが気付いていることには気付いていないようだ。懸命に足音を殺そうとしているようだが、気配すら断てぬようでは意味がない。爪先までこわばっている様子が背を向けていても伝わってくる。
六人。いや、七人、八人か。手練れの気配ではないが、まったくの素人というわけでもないらしい。
「おい、おまえら」
ギャリックは横になったまま、振り返ることもなく彼らに告げた。
「怪我したくなかったら帰りな。死んじまったら金を受け取ることもできねえだろうが」
いらえはない。しかし息を呑んだ気配ははっきりと感じられた。
「――警告はしたぜ」
のっそりと立ち上がったギャリックは暗闇に浮かぶ八つの気配を順々に睨めつけた。
「てめえらに恨みはねえ。だが俺にもやりてえことがある。ここでこの命をくれてやるわけにはいかねえんだ」
沈黙。しかし、殺気は消えない。
しゃりん、と剣が鞘を滑り、幾条もの閃光が迸った。
金で雇われた連中などギャリックの相手ではなかった。一人、二人。容赦のない、しかし急所を外した一撃を浴びて次々と倒れて行く。四方を囲む敵兵の壁を突破したこともあるギャリックにとって、一対八の数の差は大した問題ではなかった。
土手の陰から新たな人影が現れるまでは。
河原を見下ろすウィズは戦慄していた。
何だ、これは。一体何なのだ?
あの後、傭兵を探しに戻ったウィズはほどなくして彼を見つけ、そのまま後をつけるうちにこの河原に出た。傭兵が無防備に橋の下に寝転がったので、寝込みでも襲って脅かしてやろうと考えていた。
それだけだったのだ、本当に。だが、機をうかがっているうちに別の男たちが現れて傭兵を取り囲んでしまった。
目の前で繰り広げられているのは紛れもなく“戦い”だった。闇を切り裂く閃光はあまりに鋭利で、兇暴だ。路上で幾度も見たことのある喧嘩や殴り合いなどとは次元が違う。
このままここにいては巻き込まれるかも知れない。ならばどうする? 逃げれば良い。
それなのに、体が動かない。足は竦み、立ち去ることすらかなわない。
複数の敵に囲まれた傭兵に怯えは見えなかった。わずかな月明かりを受けて剣が煌めく。大柄で厚い体がハリケーンのような唸りを上げながら男たちを吹き飛ばしていく。まさに吹き飛ばすといった表現がぴったりだった。大柄な傭兵はそれほどのパワーと勢いに満ち溢れていた。
それはまるで恒星のような。見る者を無条件に惹きつけてやまない太陽のような。だからこそウィズはがたがたと震えながらも傭兵から目を離せずにいた。
傭兵を取り囲む男たちは一人減り、二人減り、ついに残りは三人になった。二人は息を合わせて傭兵の前後から襲いかかったが、一人は尻尾を巻いて逃げ出した。
そう、ウィズが息を潜めている方向へと。
(やべ――)
ウィズがあたふたと駆け出そうとした時には遅かった。
「……てめえ」
男の声音がさっと変わるのが背中越しでもはっきりと感じ取れた。
「見てやがったのか、ああ? 汚えガキだな」
男は露骨に顔をしかめ、雑巾でもつまむような手つきでウィズの首根っこを引っ掴んだ。ウィズは手足をじたばたとさせたが、痩せた子供がいくら抵抗したところで成人男性の腕力にかなう筈もない。
「放せ! 放せよ!」
甲高く喚くウィズの声に気付いたのか、剣をふるう傭兵の手がはたと止まった。
「おい」
傭兵はにわかに気色ばんだようだった。
「そのボウズは放してやれ。そいつは関係ねえ」
「あん? このガキ、てめぇの知り合いか?」
男の顔の上に下卑た笑みが広がるのがウィズの目にもはっきりと見て取れた。
「……いや。だが、通りすがりの子供を巻き込むこたあねえだろう」
「そうも言ってらんねえよ。どうやら顔を見られちまったみたいなんでな。それにこんなクズガキの一人や二人、死んだところで誰も――」
男の言葉は最後まで続かなかった。
この大きな体のどこにそんな敏捷性が潜んでいるのか、瞬きのうちに肉薄した傭兵が剣の柄で男を殴り倒していた。
げひっ、という醜い悲鳴が聞こえると同時にウィズは解放された。鼻の骨が折れたのだろうか、顔面を強打された男は鼻からだらだらと血を流しながらその場にうずくまっている。
「……人のことをクズだなんて言うな」
傭兵は忌々しげに舌打ちし、へたり込んだウィズに手を差し出した。
大きな手の前でウィズは戸惑うばかりだ。なぜ。どうして。なぜこの傭兵はこんなことを言うのだ?
唖然としたままでいると、二の腕を掴まれて引き上げられた。そして次の瞬間――傭兵の顔が不意にくしゃりと歪んだ。
「……ぐ」
大きな体がぐらりとかしぐ。肩の辺りからどくどくと溢れ出す血はやけに黒ずんで見えて、ウィズは思わず悲鳴を上げそうになった。
声をかける暇もない。傭兵はぐるりと振り返り、背後の敵二人に剣を叩きつけて昏倒させた。かと思えば先に倒した筈の数人が呻きながら体を起こすのが目に入った。殺したのではなく気絶させただけだったのだとウィズはようやく気付いた。
「ボウズ。一人で逃げられるな」
ウィズに背を向け、剣を振りかざしながら傭兵は吼えた。
「死ぬなよ。絶対に生きろ!」
ウィズは目をいっぱいに見開いて大きな背中を見つめていた。
「あんたは……あんたはどうすん……」
一人で食い止めるとでもいうのか。知り合いでも何でもない自分のために。
傭兵は肩を揺すって豪快に笑った。
「てめえのケツはてめえで拭くぜ。怖い思いさせて悪かった……が、詫びは後だ」
襲い掛かってくる男たち。ぎいん、ぎいんという耳障りな金属音、青白く飛び散る火花。
「どうしたオラッ、さっさと逃げろ!」
「で……でも――」
「いいから行け!」
男たちの目にはウィズがこの傭兵の知り合いであるように映ったらしい。人質を取って有利に事を運ぼうとでも考えたのだろう、何人かの男たちが目標をウィズに定めて襲い掛かってくる。させじと傭兵が回り込む。中途半端な体勢になった傭兵に容赦のない剣戟が浴びせられる。
――このままここにいてはこの傭兵が殺される。そう悟った瞬間、得体の知れない感情が全身を駆け巡った。
「う……あ……」
殺される。目の前で。自分のために。
「うわあああああああああああああっ!」
ウィズは駆け出した。長く尾を引く絶叫を残して、その場から一目散に逃げ出した。
喉が裂けるほど叫んで、胸が破れそうなほど走って、何度も転んで、膝や肘から血を流した。夜が明ける頃になってようやく気を落ち着けたウィズは恐る恐るあの河原へと戻った。
黒っぽく濡れた草地の上にあの傭兵が大の字になって寝転がっている。男たちの姿はない。殺さずに痛めつけて追い返したのだろうか。
ぬるぬると滑る草に足を取られながら近付くと、血と土埃にまみれた傭兵は「おう」と笑みを見せた。
「無事か、ボウズ」
「……あんたは?」
「見ての通りよ」
無事だ、と付け加えて傭兵は笑った。
ウィズは傭兵の傍らにそろそろと座り込んだ。服は元から汚れている。今更血糊や土がこびりついたところでどうということはない。
沈黙が流れる。傭兵はだらりと仰向けになったまま、まるで眠っているかのように軽く眼を閉じている。何を言うでもなく、余計な真似をしたとウィズを責めるでもなく。
「……あんた」
やがてぽつりと声を落とすと、傭兵は眠そうに片目を開いた。
「なんであいつらに? 何かしたのか?」
違う。こんなことを訊きたいのではない。こんなことを言いたいのではない。
しかし傭兵は苦笑交じりに答えてくれた。
「生まれた家の関係で、ちょっとな」
「家?」
「ん。ま、色々ややこしいことがあんだよ。しがらみってやつか」
何年も前に生家を出奔したこと。それなのに敵対する家の人間に未だにつけ狙われ、時折ああいった騒ぎに巻き込まれてしまうこと……。傭兵はからりとした口調で説明してくれたが、ウィズは唇を噛み締めたまま答えなかった。
――人のことをクズだなんて言うな。
そんなふうに言われたことがあっただろうか。
――死ぬな。生きろ。
そんなふうに言われることがこの先あるだろうか。
クズと言われ続けて生きてきた。薄汚い路地裏に掃き溜められて、人々から白眼視されながら朽ちるのを待つだけのゴミと同じだった。
「悪かったな、巻き込んじまって」
「……どうして……」
「あん?」
「どうして、オレなんか……っ」
違う。違う。違う。こんなふうに言いたいのではない。
「おまえだから助けたわけじゃねえよ」
「………………」
「あそこにいたのが見ず知らずの奴でも同じことしてたぜ、俺は。目の前で危ねえ目に遭ってる人間がいたら助けようとすんのが普通だろ。相手が誰でも同じだ」
当たり前のことだと呆れたように付け加え、傭兵は再び眠そうに眼を閉じた。
だが、ウィズにとってはそれは当たり前などではなかった。“人間”ではなくクズだと言われ続けてきたウィズにとっては。
「……っ、うっ……」
込み上げてくるものを懸命に噛み殺し、拳を握り締める。肩を震わせるウィズに気付いているのかいないのか、傭兵は相変わらず静かに目を閉じている。
東の果てが白み始めた。もうじき朝がやってくる。静かな川面の上、朝日の先触れのように光の破片がちらちらと踊っている。
こんな開けた場所で日の出を見たことがあっただろうか。ウィズが見る日の出の光景はいつだって素っ気なく、ぼんやりとしていた。いくつもの建物に遮られ、路地裏の奥には朝日のかけらすら届かなかった。
「だから、なァ? ボウズ」
目を閉じたままの傭兵の傍らでウィズはこくんと肯いた。
「この世にクズなんか一人だっていやしねえんだよ」
ウィズはもう一度肯いた。肯くことしかできなかった。
「人間はみんな生きなきゃなんねえんだ。生きろ。何があっても生きろ」
「……お互いにな」
ようやくそれだけ言い返すと、傭兵は愉快そうに「おっ」と眉を持ち上げて目を開いた。
「あんた、無茶な性格してるだろ。さっきの戦い方もそうだし。あんなんじゃ命がいくつあっても足りねえんじゃねえの」
「こいつ。言うじゃねえか」
「……へへっ」
ウィズはぐしゃぐしゃの顔で笑った。そんな当たり前の表情すら久しく忘れていた。
「おお、笑ったな。そっちのほうが子供らしくていいぜ」
傭兵もまた笑った。ひどく無邪気に、開けっ広げに。
ゆっくりと昇る太陽が朝の訪れを告げる。清潔なカーテンをさっと引き開けるように、夜の帳に沈んでいた街並があっという間に光に染め上げられていく。
「子供じゃねーよ。ウィズだ」
「俺はギャリック。見ての通り傭兵だ」
「えーと、オレは……スリ?」
「その仕事はやめろって言ってんだろうが」
ギャリックの笑顔が眩しく見えたのは、きっと朝日のせいのみではなかった筈だ。
◇ ◇ ◇
以来ウィズはギャリックに心酔し、彼の後をついて回るようになった。ギャリックに「子連れの傭兵」という揶揄的なあだ名だついたのはそれから間もなくのことであった。
世の中の汚い部分ばかり見て育ったとはいえ、所詮ウィズは子供だった。おまえはギャリックのお荷物なのだと指を差されて言われているようで、屈辱だった。実際、何もできなかった。初めて会ったあの時、逃げろと言われて逃げることしかできなかったように。
悔しかった。読み書きすらできず、何の教養も持たず、日々の食べ物にすらろくにありつけなかった自分を人間にしてくれたのは他でもないギャリックであったのに。ギャリックの役に立ちたいと幼いウィズは必死になった。
ギャリックは良く言えば大らかで、悪く言えば世間知らずな一面があった。人を疑わぬゆえに騙されやすいところがあったのだ。泣き落としに引っかかって金品を騙し取られることもあれば、怪しげな呼び込みに誘われるまま入った酒場でぼったくりの被害に遭うこともあった。しかしギャリックは暢気に「仕方ねえ」などと笑うだけで、ウィズのほうがやきもきしたものだった。
だが、ギャリックの役に立てるのはここしかないとも感じた。
「アンタそれでよく今まで生きてこられたな。危なっかしくてしょうがねぇから、オレがついてって守ってやるよ」
そうして半ば強引にギャリックと行動を共にするようになり、やがて海賊団という家族を得るに至った。海賊団設立後はギャリックの呼び方を「ギャリック」から「団長」に改めた。ウィズなりのけじめのつけ方だった。敬語を使い始めたのもこの頃からだが、どうにも慣れずに砕けた口調になってしまうことも多かった。
物心ついた時からウィズは孤独だった。初めて手に入れた居場所がギャリック海賊団だった。団員は皆家族だった。一人だって欠けるのは嫌だった、だから命を賭けて守ると誓った。
(命を賭けて……か)
銀幕市の港に実体化した海賊船の甲板、海賊喫茶のテラス席でウィズはぼんやりと酒を口に運んでいる。刻が深更を告げても眠る気にはなれず、一晩中こうしていたのだ。既に白々と夜が明け始めている。
絶対守ると投票の場で誓った。あの時と同じように。
それなのに。
「……嘘になっちまった」
ぽつりと呟いた手から酒瓶が無表情に落ち、甲板の上を転がる。
誰も死ぬなと言ったのはギャリックではないか。
ギャリックを絶対に守ると言ったのは自分ではないか。
それなのに、それなのに、それなのに――
「………………っ」
分かっているのだ、本当は。ギャリックのフィルムを見た時から。彼に悔いがなかったことも、彼が最期まで自分たちを信じてくれていたことも。大事なものをすべて守り抜いて逝った団長を今は誇りに思う。
だから泣かない。泣くものか。
だけど。
それでも。
衝き上げる感情はまだ苦しくて、ウィズは痛みをこらえるように体を折り曲げて押し黙ることしかできなかった。
朝日だけが見ていた。生まれたての朝日だけがウィズを包んでいた。ゆっくりと水平線を離れた太陽はあの日と同じようにひどく白くて、眩しかった。
(了)
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クリエイターコメント | ※冒頭、【選択の時】イベントの投票掲示板より一部引用させていただきました。
ご指名ありがとうございました。PC様には初めまして、宮本ぽちでございます。 『丸投げオファーは信頼の証』(…?)を合言葉にごりごり捏造させていただきました。
少しオファー文の筋から逸れてしまったような気もしますが、ギャリック様の出自や「生きろ」の台詞をどこかで活かしたくてこのような形といたしました。ご寛恕ください。 ギャリック様にとっては「危ない目に遭っている人間がいたら助けるのが当たり前」でも、当時のウィズ様にとってはそれは当たり前ではなかったのだと思います。 多分、初めて人間として扱ってくれた相手がギャリック様だったのかな…と。
お二人の出会いという特別なエピソードを託してくださってありがとうございました。 イメージに添えていれば幸いです。 |
公開日時 | 2009-06-25(木) 18:00 |
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