★ 【神さまたちの夏休み】暴れ馬を捕まえろ! ★
<オープニング>

それは、何の前触れもなく、唐突にやってきた。

 銀幕市タウンミーティングがいったん終了となり、アズマ研究所の件はいまだ片付かないものの、あとはどうあれ先方の出方もある。
 そんなときである。リオネが勢い込んで、柊邸の書斎に飛び込んできたのは。
「みんなが来てくれるんだってー!」
 瞳をきらきらさせて、リオネは言った。嬉しそうに彼女が示したのは、見たところ洋書簡のようだった。しかし郵便局の消印もなければ、宛名書きらしきものも、見たことのない文字か記号のようなものなのだ。
「……これは?」
「お手紙ー」
 市長は中をあらためてみた。やはり謎の文字が書かれた紙が一枚、入っているだけだった。
「あの……、これ、私には読めないようなんだけど……」
「神さまの言葉だもん」
「……。もしかして、お家から届いたの? なんて書いてあるのかな」
「みんなが夏休みに遊びに来てくれるって!」
「みんなとは?」
「ともだちー。神さま小学校の!」
「……」
 どう受け取るべきか、市長は迷った。しかし、実のところ、リオネの言葉はまったく文字通りのものだったのだ。
 神さま小学校の学童たちが、大挙して銀幕市を訪れたのは、その数日後のことであった。


★ ★ ★


 空を大地のように駆けめぐり、雲の中を突っ切って一台の戦車が走っていく。
 古代ギリシャの絵画そのままに、大きな車輪を回し続けて滑走する戦車は四頭の馬に引かれ、四人の子供が乗っていた。
 外見も服装もばらばらな四人は、これから向かう銀幕市に期待を、そして久しぶりに会う友人リオネに思いを詰めたプレゼントを用意して乗っていた。
 「いぃぃぃぃやっほーー! 飛ばせ飛ばせー! 他の誰よりも早く到着するんだ!!」
 握っている手綱を忙しなく動かしているのは褐色の肌に白い髪の男の子だった。十分なスピードは出ているというのに、もっともっと、と馬をせかし続けるせいで馬たちも必死で走る。空の上で障害物も段差もないのが唯一の救いか、手綱を動かす度に雲が通り過ぎる時間は短くなっている。
 「ぼ、ボエレス! これ以上スピード出したらあぶないよぉ! もうちょっとゆっくり……」
 「うるせぇぞノトス! 誰に指図してんだよ!」
 「そりゃぁ、短気で野蛮なボエレスにだよねぇ」
 「んだとゼフュロス!」
 にこにこと微笑んでいる金髪碧眼の少年、ゼフュロスは今にも噛みつきそうなボエレスをどこか小馬鹿にしたような笑顔で見ている。そんな二人の間に挟まれながら、おろおろとしているのはノトス。彼は栗色の髪の毛と薄い緑色の目をしていた。
 「や、やめなよぉ〜ふたりともぉ〜。いっつも喧嘩するんだからぁ……エウロスも、のんびり本読んでないで止めてよぉ〜」
 名前を呼ばれたアジア系の少年は、目だけでちらりと兄弟達を見るが、そのまま目を本に戻した。いつも通り関わりたくない、と無言で意思表示をしたらしい。
 「だいたい、ボエレスに手綱を持たせたのが間違いだよね、クサントス達が可哀想だ。ほら、手綱貸してよ。」
 「お前より俺の方が馬の扱いは上手いんだよ!」
 ボエレスとゼフュロスの喧嘩はいつもと一緒、ノトスがおろおろするのも。ただ、ここはいつもと違う地上の空。
 このままではリオネに会うことなく、強制送還されそうだな、と思ったエウロスは諦めたように溜息をついて一言だけ呟いた。
 「……あまり暴れるとリオネに渡すプレゼントが落ちるぞ」
 ぴたり、と言い争いが止まると3人揃って自分が用意したプレゼントがあるか確認をしてしまった。先程まで取り合っていた手綱は持ち主がいなくなり空に舞う。
 気が付いたエウロスは手綱から一番遠い、叫んでも間に合わないのは、みんな気が付いた時にわかっていた。だからせめて、せめて…………
 「3人とも手綱をつかめ!どれでもいい!神馬を逃がしたら大変だ!」 
 
 四頭の馬が暴れ出した。途端、風勢いが増し竜巻を創る。風に呼ばれたのか空は一面暗雲が覆い尽くし、雷と氷を降らせる

 一頭は戦車に綱がったまま、子供を一人だけ乗せて
 二頭は、子供を乗せて。
 最後の一頭は 見えなかった。
 子供の一人は 落ちていった。
 
 その真下は 銀幕市 

種別名シナリオ 管理番号192
クリエイター桐原 千尋(wcnu9722)
クリエイターコメントこんにちは。イベントシナリオをお届けにまいりました。

今回は四頭の馬の確保です。
馬、といっても神様の馬なので、炎を飛ばしたり竜巻起こしたりします。興奮してるので落ち着かせてくだされば大丈夫ですが、子供達が一緒ではない場合は、ちょっと難しいかもしれません。

参加者様はお手数ですが、どの馬を助けに行くかを決めるのに、プレイングに【1】〜【4】の数字を書いていただきたいと思います。

偶然な出会いのシナリオになりますので、ちょっとだけ、夏を満喫しているプレイングも頂けるとありがたいです。

皆様のご参加、お待ちしております。

参加者
ディーファ・クァイエル(ccmv2892) ムービースター 男 15歳 研究者助手
三月 薺(cuhu9939) ムービーファン 女 18歳 専門学校生
李 白月(cnum4379) ムービースター 男 20歳 半人狼
トト(cbax8839) ムービースター その他 12歳 金魚使い
浅間 縁(czdc6711) ムービーファン 女 18歳 高校生
神月 枢(crcn8294) ムービーファン 男 26歳 自由業(医師)
<ノベル>

 兄弟達が帰る日になった。リオネに会えなくなるのは寂しいが、リオネはいつか自分たちの世界に帰ってくる。その時がいつかはわからないが。
 兄弟達は戦車の上、来たときと同じ空から二度と会えないであろう人達がいる銀幕市を見下ろしていた。何も言えないまま帰る事になってしまったのを、今更後悔していたのだ。
「…………ノトス、袋、持ってる?」
 急に言い出したエウロスにびっくりしたノトスはポケットをごそごそと漁ると、幾つかの袋を取り出した。お菓子が入っていた袋を見て、ボエレスが茶々を入れるが、エウロスは6つの袋を取った。
「これ、頂戴」
「う……うん。いいけどぉ、どうするのぉ?」
 ちょっと、と言ったエウロスは袋をじっとみてから、魔法を使い出した。父親に絶対に使っちゃいけないとあれだけ言われていた魔法を。
「え、エウロスぅ。」
「悪戯は、バレないようにするのがポイント、なんだって。…………良くないことだろうけど」
 エウロスが何をしたいのかわかったノトスは、一緒に魔法を使い出した。エウロスがノトスを見ると、えへへ、と照れくさそうに笑う。
「……俺も混ぜろって!!」
 強引に混ざってきたボエレスも笑っていた。後ろから近寄って来たゼフュロスも一緒に手をかざす。
「怒られるなら、みんな一緒、じゃない?」
 四人とも楽しそうに笑い、袋は銀幕市に落ちていった。
 

★ ★ ★ 


 本日快晴夏真っ盛り。
 今日も銀幕市は最高気温を見ただけでうげぇと言いたくなる数字が並んでいる。
 雲は見えても影を落としてくれることはなく、道路の向こうが熱気でゆらゆらと揺れ、逃げ水も見える。こんな日は外を歩かず家の中でのんびりと、と行きたいところだが、そうも言っていられないのが夏休み真っ最中の学生達だ。
 遊べる時間は限られている。夏だ休みだ海山花火プールお祭り屋台ちょっとときめく甘酸っぱい出会いと思い出。そんな楽しい時間すら、今ではカレンダーを見れば熱さを一瞬だけ忘れさせてくれる事が残っていた。
 そう、学生達の最大の難関宿題だ。
 いい加減手を付けないと確実に去年の二の舞になりそうな状況だが、今年は違う!と浅間縁は意気込んでいた。
 彼女は今、友人三月薺の家に来ている。同じ学校の友人達では何故か得意科目が重なり、苦手な教科ばかり残るので最後は半泣き状態に陥る。学校の違う薺ならば自分より進んでいる教科もあるだろうし、何より誰かと一緒にやるというのが一番楽しい。
 が、そうはいかないのもまた、年頃の乙女達の悩みである。
 まだ涼しい時間から訪問し、最初はお菓子をつまみつつやっていた。だが徐々に話しが盛り上がり脱線し、辿り着いた結論はご飯を創ろう!だった……のだが
「な〜ずな〜ぁぁぁ、ダメぇ〜むぅりぃ〜このあっつい中でお湯沸かすなんて無謀。夏場のラーメン屋さんは凄かった。バタリ」
 ぐったりと食卓に倒れ込み、縁はギブアップ、と両手をあげた。夏だから冷やし中華!とメニューが決まったのは良かったが、麺をゆでる為のお湯を沸かしてる間に熱さに負けたらしい。
「ん〜、じゃぁ夜にしようか。夕方なら涼しいかも。あ、残り物で良かったら昨日のカレーあるよ。食べる?」
「たっべるー!って、薺んトコの居候は?」
「さっき出かけたよ〜。縁ちゃんとご飯つくるって行ったのに今日は遅いんだって」
「……逃げたな」
 小さくツッコむと部屋が急に薄暗くなった。やっと日差しが和らぐのか、と思った縁が外を見ると、和らぐどころか真っ黒な雲が空を覆っている。だが、ごく一部だけで遠くは変わらない青空が見えた。
 不思議に思った縁が窓から空を覗くと、家の周りだけ雲が発生していた。うそぉ、と呟くと今度はこんこんと音がしだす。屋根や窓に何かがぶつかり続け、目を凝らしてみると氷の粒が庭先に転がっては溶けている。
「わー。私の願いを神様が聞き届けてくれたのかしら……ってなんでさ!氷!?冬でも雪なんか滅多に降らないって!いいやいや!それより夏だから!今!!!」
 季節外れどころか有り得ない天候にツッコミをいれた縁は空に馬が飛んでるのが見えて、無言で裏手を付きだした。
 なんでやねん、と縁の心の叫びを代弁した薺も並んで外を見上げ息を飲む。
「縁ちゃん、もしかしてムービースターかな、あのお馬さん。でも、なんか暴れてる、よね?苦しいのかな」
「…………行ってみよっか」
 言うが早いか、二人は薄手のカーディガンを片手に微笑みあう。薺は車の鍵を持ち先に外にでた。縁は適当にお菓子とニンジンをコンビニ袋に詰め、車の後部座席に飛び乗ると、音をたてて車が動き出した。
「薺の運転ってはじ……めぇぇぇ!?」
 急発進急カーブ。普段の大人しい薺とは想像がつかない猛スピードと荒々しい運転に縁は後部座席で倒れ込む。お菓子の入ったコンビニ袋が身体の下敷きになり、中でくしゃっとスナック菓子が潰れる音がする。 
「ちょ、待っ、薺!ブレーキかけてブレーキブレ――うぷっ」
 内蔵を一気にシェイクされた間隔に縁は顔色悪くしながらも、何とか身体を支えようと必至に手を延ばし、取っ手に掴まる。カレーを食べなくて正解だったかもしれない。必死に叫ぶ縁だが、その声は一生懸命運転する薺の耳に届かなかった。車はあっという間に行ってしまった。
 




 木々が生い茂る山の中、町中の喧噪も聞こえない森の先でさらさらと流れる川があった。剥き出しの土と丸みを帯びた石に囲まれた川に足を浸して涼んでいたトトがいる。傍には赤と黒の金魚がふよふよと浮いていた。
「夏だねー。暑いねー あれ、どうしたのアカガネ」
 のんびりと涼んでいたが、アカガネと呼ばれた赤い金魚は急にそわそわしだした。そんな相棒を心配するように黒い金魚が近寄るが、落ちつきなくトトの周りをくるくると回る。
「うん? 上に何かあるの?」
 見上げると眩しい青空の中で不規則に動く影があった。陽の光を手で遮る姿は遠くを見ようとしている様にも見える。
「変な動きだねー。アカガネ、クロガネ、いってみよ。困ってるのかも」
 ぱしゃんと川から出した足に草履を履き、トトは二匹の金魚と共に後を追いかけることにした。



 カランカランと扉に付いたベルを鳴らして外に出ると、後ろから聞こえた店員の声に李白月はいつもなら俺が言ってる台詞なんだよなぁ、と苦笑した。
「しっかし、かき氷のシロップってなんでこんなに舌に色つくんだ? これじゃ兄貴達にばれちまうぜ……ん?」
 喫茶店の窓ガラスにんべっと舌をだし、カラフルな色がついを確認していると、向かいの屋根の上に変な影が現れた。
 振り返ってみると一頭の馬が空を飛んでいた。
「おぉー。さすが銀幕市。面白い事はつきないぜ」
 ふらふらと飛ぶ馬の動きを不自然に感じ、よく見れば馬は何か、荷台のような物を引きずっていた。馬一頭で轢くには大きすぎる荷台は傾いている。
「おいおい、なんだありゃ、荷台か?あっぶねぇな。あのままじゃ屋根にぶつかっちまうぜ」
 馬は荷台を離そうとしてるのか、ぶつけないようにしているのか。右に左に移動しながらも高度は少しずつ落ちている。事故が起きて誰かが怪我でもしたら大変だと思った白月は、軽く助走を付けて電柱を足場に屋根の上に移動した。白月が近寄ると馬が光り、青空から一筋の稲妻が落ちてきた。
「うっお!あっっぶねぇ!いきなりは反則だろ!」
 稲妻は白月を狙っているのか、彼が避けると幻のように消えていく。近づこうとすれば稲妻、かといって放っておけば大惨事になりかねない。馬が嘶けば稲妻が白月を狙い、彼は一歩近寄っては一歩下がる、を繰り返していた。
 少々乱暴だが一気に近寄って馬を押さえつけるか、と考えた白月の目に予想していなかった事が見えた。ほぼ真横に傾いている荷台に子供が一人乗っていたのだ。馬の手綱だろうか、身体を紐でぐるぐるに巻かれた子供はぐったりとしている。
「まじで。いや、振り落とされなかった事を良かったって思うトコか?」
「あーーのーーだいじょーぶでーーすかーー」
 白月が声のする方を見てみると、子供が一人、赤と黒の金魚をつれて叫んでいた。屋根からみても金魚だとわかるのだから、それなりの大きさなのだろう。ふよふよと浮いている金魚を見て白月はラッキー、と呟いた。
「荷台に子供が乗ってるんだ!その金魚!荷台支えられねぇか!!」
 子供が頷いた後、金魚は更に大きくなり二匹揃って尾鰭を動かし、馬に近づいていく。金魚に気が付いた馬が光り出し、稲妻が現れる。
「馬さんこっちだぜ!?」 
 わざと大きな声を出し駆け寄ると、稲妻は白月の方に向かって落ちてきた。一定の距離を保って横に動き続けると案の定馬は白月を狙い続けた。落ちてくる稲妻を避けながら、白月は馬を誘導する。
「当たらねぇなぁ!俺の動きを本気で追いかけてみろよ!せっかくの雷も当たらなきゃ意味ないぜ!」
 金魚がゆっくりと荷台の下に入り込み押し上げているのが見えた。もう少し、と時間を稼いでいた白月だったが、馬が盛大に嘶くと空に稲妻が集まった。今までと違い、バチバチと放電しているその塊がどんどん大きくなる。荷台が安定した事で馬の負担が減ってきたのだ。
「やっべ、ちょーっとやりすぎたか?」
 口調とは裏腹に、どこからか取り出した棍棒を真剣な顔で構える。先手必勝!ダンッと屋根瓦を壊して飛び込む。稲妻に当たるのが先か、止めるのが先か。馬と白月の距離が一気に縮まった。
「止めろ!クサントス!」
 荷台から身を乗り出し、絡まってる紐を取りながら子供が叫ぶと馬の光と稲妻がふっと消えた。慌ててスピードを緩めた白月は急ブレーキをかけた反動でぼこっと屋根に片足を埋め込んでしまった。ゆっくりと瞬きをして、見なかったことにした。
 

 無事白月と馬、そして荷台が道路に降りたつと、金魚が気持ち小さくなる。褒めて、と言いたそうにトトの傍に行った。荷台にいた少年の名はボエレス。二人に礼を言うと、兄弟と共に銀幕市を訪れたらしいが、ちょとした事から馬が暴れだし、散り散りになってしまったという。
「あそこでゼフュロスが余計なことしなけりゃこんな事にならなかったのに」
 ぶつぶつと文句を言い、金魚が羨ましかったのか馬がボエレスに擦り寄る。
「お馬さん、いなくなっちゃったの? こんなに暑いのに迷子してたら、たいへん…。」
「おっし、一緒に探してやるよ。ここらへん知らないだろ?」
「ボクも探すの手伝うね。つかれちゃってるかもしれないから、お水と食べもの持ってってあげようか。」
 ぱっと明るい笑顔を上下に動かしながら二人の顔を順番に見る。知らない場所で一人きりになって心細かったのだろう、ボエレスは二人が頷くのを見るとばんざいをして喜んだ。
「サンキュー!助かる!クサントス達は綺麗な水が餌なんだ。どこか綺麗な水あるとこ知ってるか?」
「その前に兄弟と他の馬を見つけようぜ」
 他にも空を飛んで雷を出すような馬がいるとしたら大変なことになりかねない。白月は早く兄弟を会わせてやりたかったのかも知れないが。
「アカガネが同じ匂いがするって。こっち」
 白月が傾く荷台を支えてやる。トトの言う方向にそろって歩き出した。





 すんすんと鼻水を啜りながら子供が一人、ぽてぽてと歩いていた。小さな子供は立ち止まっては辺りを見回し、見慣れない街がどんどん大きくなって自分を襲う怪物のように見えて、また泣き出した。
「う…うえぇ、ボエレス〜、ゼフュロス〜、エウロ…スぅ〜……ぐすッみんなぁどこぉ……うぅぅ…えぐ、」
 呼びかけても返事は無い。ぽつん、と立ちつくした子供がふぇと息を吸い、ぼろぼろと涙を流し出したとき、頭の上にこつん、と氷が落ちてきた。
「…………あ!バリオス!まって〜!まってよぅ!ぼくだよ!ノトスだよぉ〜!」
 子供は遠い空を飛ぶ馬を追って走り出した。





 連日の熱さで今日もここ、銀幕市民プールは大盛況だ。日に焼けた男、紫外線を気にして日焼け止めを塗る女、水を掛け合いきゃっきゃと楽しむ真っ黒な子供達と色鮮やかな浮き輪やビーチボールが溢れ、もはや芋洗い状態のプールだが、それでも水の傍にいれば熱さは和らぐ。
 同じ職場で働くヴァイオリニスト奏者、サキと共に遊びに来ていたディーファは初めて食べたアイスクリームのおいしさに感動していた。
「美味しい…次は…ソフトクリームの方…食べようね」
 周囲のにぎわいに比べ、のんびりと微笑む二人を遠巻きにナンパ狙いの男達が見ていたが、ディーファが男だとわかると舌打ちをして違う場所に行く。先程からこれの繰り返しが続いているが、二人は気が付いていない。
「…なんだろう、急に…温度があがってる……」
 陽炎が揺らめく周囲を見渡すと、遠くから徐々に人がざわめきだした。あれ、とか何だろう、とか言いながら一人、また一人と空を指差すと、知り合いでもなんでもない人達が釣られるように空を見上げ始める。
 誰かが、悲鳴を上げた。それは病原菌のように感染し、人々は押し合いながらプールからあがり、プールサイドを走りながら逃げ惑う。
 それは、馬だった。上空を旋回し少々不安定になりながらもプールに向かって降りてきた。僅かな波紋をつくってプールの上に降り立つ。荒く鼻息を鳴らしながら水の上に立つ馬は、鬣と尻尾が炎だった。
 逃げ惑う人のなかにいながら、サキは綺麗、と呟いて馬に見とれていた。ディーファもまた、彼女の隣りから動かない。馬の影からひょっこりと現れた子供は馬の首を撫で、声を掛けて宥めている。小さな子供は馬の影に隠れて見えなかっただけのようだ。
 「よしよし、良い子だアイトン。さぁ、みんなの所に帰ろう、な?」
 ぶるる、とないた馬は子供が撫でる手に気持ちよさそうにしていた。大人しくなったのだろうか、逃げ遅れた人がそろそろとその身を物陰から乗り出すと、馬が首を伸ばしてプールの水を飲もうとした。
「アイトン!その水はダメだ!こら!ダメだったら!!」
 馬は余程疲れていたのだろう。背に乗せている子供の言うことも聞かず、一口プールの水を飲んでしまった。馬の顔が歪む。後ろ足だけで立ち前足が空を切るように動かされる。嘶く馬の叫び。その心の声を表すのなら
―まっず〜〜〜〜〜い!!!!!!!!―
 だ。
 鬣の炎が揺れ、尻尾が膨れあがった。子供が必死で声をかけるが揺れ動く尻尾からは炎が飛び散り始めた。その熱さを教えるように馬の足下から水がぶくぶくと泡立ち始めた。落ち着いたと安堵していた人達は次から次へと叫びながら逃げ出す。
 その中で一人だけ、流れに逆らって前にでるのはディーファだ。このままだと炎が何かに点いてしまう。
 ディーファは掌に小さな黒い塊をつくる。球状のソレを飛ばすと、馬から飛び散る炎を吸い込んでいった。どんなに小さな炎の欠片も逃さず、全て吸収させながら、彼は一瞬にして馬の前に立ち、馬の顔を撫でていた。
 彼もまた、水の上に浮いている。
「…だ……大丈夫、だよ。怖がらなくて…いい…から」
 優しく微笑みながら馬に声をかけてやると、馬の背に乗っている子供も一緒に宥め始めた。徐々に荒い鼻息が収まってくると馬は大人しくなり、プールの水も泡立つことがなくなっていた。
「ありがとう。ボクはゼフュロス。お兄さんは?」
「僕はディーファ・クァイエル…以後お見知り置きを…」
 そういって和やかに微笑みあった二人はゆっくりとプールサイドに移動する。サキが迎える中、ゼフュロスは兄弟達とはぐれたと言ってきた。
「ボクと同じくらいの、馬を連れてる子供見ませんでしたか?」
「…ちょっとまってね」
 そう言うとディーファの瞳から光りが、顔からは微笑みが消えて無機質な声がおとされる。途切れることなく続く機械音声のような声が止まると、ディーファは微笑み、ゼフュロスを見た。
「二人…いたよ。近いから…一緒に行ってあげる」
「ありがとう。」
 ディーファが傍らのサキに行って来ます…と微笑めば、サキも無言で微笑み返す。ぽっかりとあいたプールサイドで微笑みあう三人は物凄く絵になっていた。が、同時にとても近寄りがたかった。色んな意味で。





「くっそ、馬鹿みてぇにあっついじゃねぇか…誰か宇宙まで行って太陽ぶっ壊してこいよ。俺が許す」
 物騒な事を呟いている男、神月枢は心からそう思っていた。颯爽と歩いている姿とは裏腹に彼は夏が苦手で、今もアイスを囓りながら頭にバッキーを乗せて歩いている。食べるより先に溶けてるんじゃないかと思うくらい、アイスの減りは早い。
 無くなったアイスを惜しむように棒を囓っていると頭上のバッキーがたしたしと彼の頭を叩く。これは彼のバッキーの意思表示だった。
「なんだソール。くだらねぇ事だったら……!?」
 神月の前方から物凄いスピードの車が走ってくると、彼の横すれすれを通り過ぎて角を迂った。振り返ると同時にどすん、と音がする。風は気持ちよかったが、もうちょっとで轢かれそうだったのだ。機嫌の悪い神月は一言文句でも言ってやろうか、と角を覗くと、丁度車から女の子が降りてきた。
「縁ちゃん。ほらあそこ!さっきのお馬さん!!」
 運転席から降りてきた子は空を指差して叫んでいる。後部座席の扉が開くが一度閉じかけ、それからゆっくり開くと、縁と呼ばれた女の子が這い蹲って出てきた。どうやら扉を開ける力が足りなかったようだ。
「に……二度と、薺の運転する車は乗らない……違う乗れない……うぇ」
 よろよろと降りてきた縁に薺と呼ばれた子が近寄っていく。女の子だったのか、と神月は迷った。どうも轢かれかけたと思ったのは自分だけで、運転していた彼女はそう思っていないようだ。実際、轢かれてはいないわけだし。それよりも気になったのが、薺が指差していた馬だ。
 車が大きな音をたてて止まったせいか、こちらをじっと見ながらゆっくりと高度を下げ、道路に降り立った。
「あ、こっち来たよ!縁ちゃん!」
「おぉぉぉぉ、よし、ここはいっちょお馬さん大好きニンジンだ!」
 まだ顔色の悪さを残しつつ、がさがさとコンビニ袋を漁りニンジンを取り出すと彼女たちはおいで〜と声をかけながら一歩、また一歩と近寄っていった。馬が二人のもつニンジンに目を輝かせると、急に鼻息荒く興奮しだした。
「な、なんか、思った以上に効果大?」
「う…うん。だ、大丈夫かな」
 じりじりと寄ってくる馬の目が、息づかいが恐くなった彼女たちは今度は後ずさりしだす。神月はやれやれ、と溜息をついた。この熱さの中面倒事に巻き込まれるのは、と思ったのだ。彼の気が変わったのは、馬がその歩みを早めた時だった。一歩走り出す為に深く踏み込んだ馬の頭が下がると、馬の首にもたれかかっている子供が見えた。
 コンクリートを叩き馬が走り出す。爛々と目を見開き、舌をだらりと出して唾液をまき散らしながら急激に近寄ってくる馬に縁と薺はお互いを抱きしめあって悲鳴を上げる。
 そんな二人の横を一気に駆け抜けた神月は片手で子供を抱きかかえると、開いた手で馬を力ずくで押さえつけ、座らせた。
「馬畜生が、めんどくせぇことおこしてんじゃねぇよクソッタレ。また熱くなったじゃねぇか」
 嘶き、立ち上がろうとする馬を更に力で押さえつける。何も起こらなかった二人がそろそろと目を開けた時には微笑む神月しかいなかった。



「今のような場合、お菓子とかは興奮してしまうので逆効果なんですよ。気を付けましょうね。」
 にっこりと笑いながら言う神月に縁、薺の二人は頭を下げて感謝した。どうやら先程の彼の言葉は耳に入っていなかったようだ。三人がお互いの名前とバッキーを紹介しあっていると、馬にもたれかけさせていた子供が目を覚ました。子供は立ち上がり、無言で馬を撫でながら辺りを見回す。
 じっと三人を見上げると、助けてくれたのだ、と理解したのか子供は小さく頭を下げた。
「怪我がなくて良かったですね。でも、動物の管理は適切に、人に迷惑はかけないように。悪戯・暴走行為はバレないようになるのがポイントです」
「そうそう……ってちょっとまったぁぁぁ!なんで悪戯推進委員会みたいな事いっちゃってんの!?最初良いこと言ったのに!」
 縁の鋭い突っ込みに神月はあはは、と笑って誤魔化した。まぁまぁ、と苦笑しながら縁を止めた薺が子供に声をかけた。
「一人なの?お父さんかお母さんは?」
 じっと見つめる薺を見上げ、困ったように視線を泳がしてから口を開こうとした時、後ろから違う子供の声が響いた。
「バリオス〜!バリオス!あ、エウロスもいるぅぅ!よかったぁぁぁぁ」
 走ってきたもう一人の子供は神月達の傍まで来ると足を止めた。息を切らしているのに、必死に何かを言おうとしていた。泣きはらした顔で呼吸の合間に言葉を発しようとしたせいか、けほけほとむせ出す。
 馬と一緒にいた子供はどこか冷たい、呆れたような顔でむせている子を見ていた。
「大丈夫ですか?落ち着いて、ゆっくりお話しましょうね」
 そう言ってしゃがんだ神月が子供の背中を撫でてやると、やっと子供は落ち着いたが、涙目なのは変わらなかった。
「よ、よかったよぉ、ぼく、ひとりぼっちになっちゃって、みんな呼んでもいないし、そしたら、バリオスの氷が落ちて、だから、エウロスがいて、」
「えっと、バリオスが馬ね? で、この子エウロス? じゃぁ君の名前は?」
 縁が途切れ途切れの情報を纏め、名前を確認すると、最後の子供はノトス、と名乗った。ノトスの話しでは兄弟四人で銀幕市に来たらしく、彼は一人はぐれて寂しかったらしい。今も話しながらぐしゅぐしゅとないている。
「では、他にもあと二人、君たちの兄弟がいるわけですね」
「んー。四兄弟なら、馬も四頭かな? ほーらー!そんなに泣かないの。男の子でしょ!おねーちゃん達が探すの手伝ってあげるから!」
 ほんと、とノトスが顔を上げると、縁はもっちろん、と元気良く返事をする。薺も笑顔で頷き、ノトスが不安そうに神月を見ると、彼もまた笑顔で頷いた。
「俺も手伝いますよ。人は多い方が良いでしょうし」
 ぱぁ、っと音がしそうな笑顔になったノトスはありがとう〜と間延びした声を出し、目の前の神月に抱きついて喜んだ。縁と神月がノトスに他の兄弟や馬について聞きはじめたが、薺だけはずっと無言で佇むエウロスが気になっていた。
 うん、と頷き、エウロスに声をかけようとしたが、急に彼女の携帯が鳴り響き、そのまま話しをする事は無かった。
 
 


 ふいよふいよふいよ
 空中を泳ぐ金魚に続きこっちーとかあっちーとか指を差しながら歩くトトがいた。後ろからは荷台を轢いた馬と、ソレを支える白月の姿もある。
 ボエレスはといえば、力強く、怖れることなくクサントスに向かい合った白月を気に入ったらしく、彼の横から離れなかった。目をキラキラと輝かせ、白月に魅入っている。
「くるまー。とまってから、こっち!」
 彼等の目の前を一台の車が通り過ぎた。トトは車が来た方向を指差し、荷台をぎしぎしと言わせながら角をまがると、探していた馬と子供、それに白月達と同じく手助けをしたのであろうムービーファンが三人いた。
「あー!こうづきだぁ!こんにちは」
「はい、こんにちは。トトくんもお手伝いですか?」
「そうなの。お馬さん探してたの。そーるもこんにちは」
 顔見知りらしい神月とトトがお互いに挨拶をすると、縁がぽむっと手を叩いてにっこり笑う。
「金魚使いのトトくん、だね。ジャーナル見たよー。私は縁、こっちがバッキーのエン。よろしくね。そっちが、弟さんの方かな?」
「ああ。俺は白月。こいつがボエレス」
 自分の隣りにいた子供の頭をくしゃくしゃと撫でると、ボエレスは楽しそうに笑っていた。白月が子供を二人、順番にみると、薺が一歩前にでて子供の肩に手を置いた。
「三月薺です。バッキーはばっくん。それにノトスくんと、向こうがエウロスくん。」
「金魚すごいな!あっさりみつかったよ!後は、いけすかねぇゼフュロスだな」
「誰がいけ好かないって。乱暴者ボエレス」
 声が空から降ってきた。そこにいた人が揃って天を仰ぐと、馬が一頭と一人の青年が浮いていた。
 青年が馬の首に添えた手を軽く叩き、馬と一緒にゆっくりと下に降りてくる。馬から一人の子供が飛び降り、笑顔でこんにちは、と言ってきた。
「ボクがゼフュロス。兄弟達を保護してくれてありがとう。まったく、ボクがいないと何もできなくて困るよ。」
「ばっかいってんじゃねぇよ!お前だって一人じゃないじゃねぇか!」
「だ、だめだってばぁ、ふたりともぉ」
 再会した瞬間に喧嘩を始めたゼフュロスとボエレスはぎゃんぎゃんとお互いに馬が暴れたのがお前のせいだ、と言い張る。間に挟まれたノトスがおろおろしていると、縁が二人の頭をわしっと掴んで喧嘩を止めた。
「はーいはいはい。喧嘩はしなーい。えっと、君は?」
「あ……僕はディーファ・クァイエル…プールでゼフュロス様とお会いしまして」
 なるほど、と皆が一気に納得した。彼はハーフパンツにパカー、つまり水着のままここまで来てしまったのだ。接客時そのままのディーファの態度に白月が一人、苦笑していた。どうやらこの二人は顔見知りらしい。
「あいっかわらずかたっくるしい口調だなディー。で、子供はそろったが、馬がたりねぇんだよな。どうする? この大人数に馬連れて町中歩いたら、いい見せ物だぜ?」
「綺麗な水があるところにコナボスは行くと思います。三頭とも疲れてるから、コナボスも一緒だと思うんだ。どこかないかな?」
 ゼフュロスがそう言うが、薺がコンビニで買ったミネラルウォーターは彼等の言う綺麗な水ではないらしい。他に思い当たる節がない面々はうーん、と考え込む。
「お水? お山にある川なら大丈夫かな?」
 トトが言うには、その川は湧き水でできているらしく、山に住む動物たちの水飲み場らしい。それなら大丈夫か、と一応行ってみることになったのだが、大人五人、子供五人、馬三頭に金魚が二匹この大所帯でどうやって山中まで行くか、が問題になってしまった。
 いくら神馬といえど、疲れている状態での定員オーバーは途中で落ちてしまうかもしれない。
「…あ……あの」
 控えめにディーファが手を挙げた。

 


「すっごいすっごい!街が小さい!気持ちいい!あ、見て薺!あそこに学校が見える!」
 空を駆ける戦車に乗り、風に踊らされる髪を押さえた縁が大きな声で叫んだ。すぐ隣りでは薺も感動している。白月がずっと荷台だと思っていたのが本当は戦車で、本来なら座る椅子や車輪にも棘が付いていたというが、今は何もない。
 銀幕市民は引きつった顔をしたが、きっと対策課がうごいているだろう、と最後の馬を見つけることにした。
「ディーファくんがいて助かりましたね。重力まで操れるとは……ムービースターは凄いですねぇ」
 感心するように頷き、神月が言うと、ディーファは顔を赤くして俯いてしまった。
「…長い……時間は無理……ですが、近くだったので……その……」
「照れんな照れんな!こう、俺すげぇだろ!て威張って良し!」
 白月がディーファの肩を抱き頭を乱暴に撫でると、それを見たボエレスが同じようにディーファの頭をくしゃくしゃにし出した。神月の傍ではノトスがトトの金魚と遊んでいるし、ゼフュロスは縁、薺のバッキーを笑顔で撫でていた。
 そんな賑やかな戦車の中を薺が見渡すと、笑顔で溢れる事が無性に嬉くなった。だが、後ろの方で一人座っているエウロスが目に留まると、悲しい気持ちにもなる。
 なんとかしたいとは思うが、薺はどう声を掛けて良いかわからない。
「あ!見て!後ろから馬が追いかけてくるよ!」
 縁が指を差す先に最後の一頭が遠くから追いかけてきていた。無理に近寄って驚かせてしまってはまた逃げ出しそうだったので、最初の作戦通り水辺で待つことにした。
 エウロスの声を誰も聞かないまま、戦車は目的の場所についてしまった。
 


 静かな森は小鳥のさえずりが聞こえたが、人が来た事に驚いたのか、木々を揺らして逃げていった。都会の喧噪を忘れさせる自然の中、こんな場所があったんだ、と縁は呟く。 
 三頭の馬は水辺に真っ直ぐ行き、がぶがぶと水を飲みだした。白月とディーファが馬の首を撫でてやり、トトは草履を脱いで水の中に入っていった馬の傍にいる。
 神月と薺は四人の兄弟が空にいる馬に声を掛けているのをすこし遠くから見ていた。馬はこちらに来たいが、知らない人も沢山いるので戸惑っている感じだった。
「おいしい? よかったね〜。お馬さんいっぱいがんばったもんね〜。」
「本当は鞍も外してやりたいんだけどな。もうちょっと、がまんな」
 水をタップリ飲んだ馬達は落ち着いたのか、揃って草の上に座り込んだ。馬達は言葉を理解しているようで、お疲れさま、と縁が頭を撫でてやると気持ちよさそうに瞬きを繰り返す。
 最後の一頭も目の前にいる。これで少し休んだら彼等を対策課に引き渡せば終わりだ。誰もがそう思っていた。だが、何時まで経っても降りてこない馬に痺れを切らしたのは、ボエレスだった。
「いい加減にしろコナボス!さっさと降りてこい!」
 ボエレスが怒鳴り散らし、馬を呼ぶ。馬はおそるおそる、といった感じで降りてこようとしたが、ボエレスの我が儘のせいでこうなったくせに、とゼフュロスまで怒り出したのだ。
「こっちにおいでコナボス。大丈夫、怒ってないから」
 二人は交互に馬を呼び合い、馬はどちらに行けばいいのか迷いだす。こうなってはもう止まらないのが兄弟喧嘩だ。ボエレスとゼフュロスが今にも殴り合いそうな感じで言い争う。呆れた顔で止めに行こうとした縁は、三頭の馬がそわそわしだしたので動けなかった。
―どうしてこうなるの―
 それぞれが、止めに行くか馬を捕まえに行くかしようとしたときだった。トトの金魚、アカガネとクロガネが小さくなってトトの袖をつつき、袖の中に逃げていった。
「……風が…白月さん、何かに捕まって。強い風が……くる」
 ディーファが空を見上げながら言う。空にはぐるぐると渦巻いた雲があり、風が強くなってきた。周囲の木々がざわざわと音を立てながらその枝を斜めに傾かせてきた。
 白月は傍にいた縁とトトを引っ張り馬と自分の間に押し込めると、遠くにいる神月、薺に向かって大声で叫んだ。
「樹に隠れるか捕まるかしろ!飛ばされるぞ!!」
―どうしていつもいつもこうなるの!!!!―
 一瞬の無風、その後に凄まじい音をたてて風が吹き荒れた。馬の嘶きも遠く、倒れる木の音すら風の音に掻き消される。上下左右前後、風は一定方向ではなくどこからでも吹き荒れる。子供が三人飛ばされたが、彼等は光に包まれて空中で留まっていた。空を飛べたらしい。
 神月は薺を抱えて樹の影に隠れたがあちこちからくる風に飛ばされそうになる。舌打ちをした後、頭の上にいたバッキーを薺に預けて樹の幹を殴りつけ、片腕を中に埋め込んだ。これで自分たちが吹き飛ばされる事はない。樹が倒れなければ何とかなる。それ以前に風が強すぎて息ができなくなりそうだ。
―ぼくはリオネに会いに来ただけなのに!どうしてボエレスとゼフロスはいつも喧嘩するの!どうしてエウロスは何もしてくれないの!!!―
 身を寄せ合って怯えていた馬が逃げ出しそうになるのも押さえていた白月は急に風が弱まったのを感じた。勘違いではないのは自分の懐にいる二人が深呼吸をしているのでわかる。彼等の周りに、そして神月達の周りにも幾つか小さな黒い球体が浮かんでおり、それが風を吸い込んでいた。ぐるぐると廻る球体は風の流れを追いかけている。
「…これ以上は大きくできない…です。」
 ディーファは強風の中で静かに佇んでいる。彼の使う黒い球は小さなブラックホール。これ以上大きくすれば全てを飲み込んでしまう。樹も馬も人も。何もかも。
―もういやだいやだいやだいやだお腹空いた疲れたリオネに会いたい!!!― 
「落ち着いてノトス!魔法つかっちゃいけないんだから!」
「お前だって使ってるだろ!」
「じゃぁボエレスは飛ばされればいいだろ!」
 こんな時でも喧嘩する二人と違ったのは、エウロスだった。彼はなんとかノトスに近寄ろうとしていたのだが、二人の言い争いが聞こえると風がまた強くなり、近寄れない。
「白月さん!なんとかしてノトスのとこに行けないかな!」
 縁の叫びを聞いた白月はびっくりして縁を見下ろす。真剣な顔で見上げる縁は何か策があるのだろう。だが、危険であることに変わりはない。彼女だけ行かせるには風が強すぎる。かといってトトを一人置いていくのも不安だ。
「ボクお馬さんと一緒にいるから、大丈夫!」  
 トトが大きな声でそう言うと、馬の間に挟まった。両手に手綱をもって頷くと、白月はディーファの方を見る。ディーファも頷き、掌には新しい球体がある。
「縁!息止めてろ!」
 水に潜るようにすぅと息を吸い込んだ縁は両手で口を抑えた。白月が縁を抱えて走り出す前には、ディーファの放った黒い球体が風を吸い込んで道を造る。それでも強風と呼べる風の勢いは凄まじく、飛び散る枝や葉、小石などが白月の身体に小さな傷をつくる。
―もういやだいやだいやだいやだやだやだやだやだやだ―  
 ノトスの目の前に白月が辿り着くと、縁は手を延ばしノトスに近寄った。急がなければまた風が来る。縁の手が、ノトスに触れる。
「いぃぃぃいかげんにしなさぁぁぁぁぁい!!」
 ぱっしーーんと音がすると風がぴたりと止み、飛ばされていた物がぼたぼたと落ちた。正直、力業で止めると思っていなかった白月も唖然としている。
 何が起きたのか解らず、ぱちくりと瞬きをすると頬がじんじんと痛くなってきた。叩かれた、と理解したノトスが泣きそうに顔をしかめると縁が怒鳴りつけた。
「泣かない!!男でしょ!そんなんじゃ立派な神様になれないわよ!」
 大声にビクっとしたノトスが縁を涙目で見上げるが縁の言葉は止まらない。
「みんなが手を貸してくれてるのに貴方達が台無しにしてどうするの!森はめちゃくちゃ私達は濡れる白月は怪我する!だいたい!いきなり知らない所に放り出されてた馬だって可哀想じゃない!あーもう!あと何があったかわからなくなってきた!」
 内容に色々と突っ込みたい所だが、誰もが成り行きを見守っていた。神月は腕を樹から出し、ディーファの出した黒い球体も消えている。トトは自分が怒られているように、おずおずと馬の間から身体を出す。
 泣くのをこらえてたノトスが嗚咽をもらし、
「ご、ごめ・・・な・・さ・・・」
 と呟いた。
 縁はふーーと深い溜息をついてから、両手をあげる。ビクっと体を震わせたノトスの前で自分の両頬をぱーーんと叩いた。いきなりのことでびっくりしたノトスの涙がひっこんだ。いっつーと言いながらしゃがみ込んだ縁は苦笑してノトスと目線をあわせた。
「叩いてごめん。痛かったよね。でもさ、馬だって恐かったし、辛かったとおもうんだ。あたしも痛かったし。これでおあいこ、ね?」
 にこっと笑った縁はわしわしとノトスの頭を撫でながら、言葉を続けた。
「ちゃんとごめんなさいって言えて、偉いえらい」
 撫でられて安心したのか、ぼろぼろと涙が流れだす。縁に背中を押され、ノトスは神月と薺の傍に泣きながらかけより、謝っている。
 縁が立ち上がって振り返ると、ボエレスがまんしつつもぐしぐしっと泣いてトト、白月に、ゼフュロスは静かに涙を零し、ディーファの袖を掴んで見上げると、二人ともごめんなさい、と謝っていた。
 誰もが、頭を撫でたりもうしないように、と言っている中、エウロスが見あたらなかった。見渡せば彼は最後の一頭の手綱を持って、ゆっくりと降りてきた。馬の首を撫でながら、エウロスは困った顔をして俯いている。
 そんなエウロスを見た縁が軽く片眉を上げるが、薺に肩をたたかれ、ふぅ、と溜息をついた。子供達のすすり泣く声の中、薺はエウロスの傍にちょこんっとしゃがみこんだ。
「あのね、泣くことは恥ずかしいことじゃないんだよ。カッコワルイことでもないの。だからね、我慢しなくて良いんだよ」
 俯いていたエウロスが顔を上げると、薺はにっこりわらってハンカチを差し出す。
―元気で明るいボエレス、賢く優しいゼフュロス、素直で可愛いノトス、それにくらべてエウロスは…―
「いっぱい我慢して、いっぱい溜め込んだら、苦しいよ?……ゆっくりでいいから……ちゃんと言わないと。ね? 」
 その言葉を聞いたエウロスが、ぽろぽろと泣き出した。何かを言いかけて口を閉ざし、ひゅっと息を吸う音がする。
 神様といえども、まだ子供。四人の兄弟はそれぞれの個性故に比べられ、大人達の他愛もない言葉にすら心に傷をつくる。小さな傷は些細なことで深く大きくなったり、新しい傷をつくったりする。
 エウロスは沢山本を読んだ。嫌われないように、ちゃんと話せるように。みんなと仲良く遊べるように、と願ったから、沢山の本を読み、勉強した。そうすることしか、彼にはできなかった。エウロスはいっぱい勉強すれば、沢山本を読めば、その答えが見つかると思ったのだ。
「・・ごめん・・・・なさ・・い・」
 遠い場所でやっとエウロスは知った。それは答えじゃないかもしれないけど、エウロスにとっては初めて自分の言葉を待ってくれた人なのだ。
 エウロスは何度も、何度も心から謝った。すると自然と涙が止まらなかった。
 他の兄弟も見たことがなかったエウロスの涙に本当に自分たちは悪いことをしたのだと気が付いた兄弟達も、大声で泣き出した。




 
 子供が一人、目を覚ました。いつ寝たんだっけ、と思いながら起きあがると、目の前に金魚がいた。びっくりしすぎて声が出なかった子供は、金魚が窓から外にでると、遠くで起きたって〜と声がした。ピンクと黄色の可愛らしいタオルケットにくるまれて兄弟達と一緒に寝てたらしい。四人で、並んで寝たのは、初めてかも知れない。
「おはよう。もうすぐご飯できるからね。」
 薺に暖かいタオルを渡され、顔を拭っていると兄弟達が起き出した。



 大泣きした子供達は泣き疲れて眠ってしまったのだ。今までの疲れもあったのだろうし寝かせてあげようとなったはいいが、放って置くわけにもいかなかった。
 そこで、薺の家に子供達を寝かせ、皆でご飯を一緒に食べよう、となった。もともと縁と薺は一緒に食べるつもりだったので材料はたっぷり買ってあったのだ。二人分かと聞きたくなるほど沢山の材料が。
 馬は鞍を外してもらうと仲良く四頭並んで庭に座った。日影を造ってあげよう、とキャンプ用のシートをセットしてたのは薺と神月、それにトトの三人クロガネは高いところを手伝い、アカガネは子供達を見守っていた。
 台所では縁が、と言いたいところだが仕事柄ディーファと白月の方が手早く綺麗に、何より美味しく出来ていた。悔しがりながらつまみぐいをする縁に白月が突っ込みをいれ、ディーファがほほえましく見ていた。
 楽しい時間が過ぎる。
 怒られたことも大人数での食事も、準備をしたのも片付けを手伝った事すら初めてだった兄弟にとって、何もかもが新鮮で、楽しかった。
 わいわいやっている間に日も暮れて、対策課から迎えが来た兄弟は戦車に乗って帰っていく。
「……いっちゃったね」
 トトが寂しそうに呟くと、神月がその頭を撫でる。
「やっとリオネに会えるんだし、いいんじゃないかな。」
 縁が笑って言えば、薺も笑って頷く。白月とディーファも笑顔で見守る向こう、兄弟は仲良く並んで手を振っていた。




―数日後―

 ふわりと涼しい風が頬を撫でる。気が付けば机の上に、ポケットに、袖の袂に、ピンク色のリボンで止められた小さな白い袋があった


 神月は珍しく部屋にいた。ふいに彼のバッキー、ソールが頭をたしたしと叩く。気が付けば机の上に見覚えのない袋があり、ソールはあれを開けろ、と言っているようだった。溜息混じりにリボンを解いてみると、少しつよい風が彼の熱さを拭ってくれた。彼は微かに微笑むと窓から青空を見上げ、呟いた。 
「こちらこそ、素敵な贈り物ありがとうございます」



 縁は今日も薺の家で宿題をやる、予定だったのだが終わっているのは新作お菓子の食べ比べばかりだ。ごろんと寝転がり、窓から空を見ているとお茶を持ってきた薺がそれなぁに、と言い出した。
 机の上には二つの袋が置かれており、二人とも自分のではない、と言う。威勢のいい掛け声とともに縁がリボンをひぱると、二人の洋服をふわりと持ち上げた風が窓から出ていった。顔を見合わせて笑った二人は窓から身を乗り出し空に向かって叫んだ。
「みんな仲良くしなさいよー!」
「元気でねー!ありがとー!」
 


 ディーファはバイト先の開店準備をしていた。テーブルを拭き終わり、カウンターに向かうと店とはイメージの違う袋がちょこんと置かれていた。誰のだろう、と袋を持ち上げ、店長に声をかけるとリボンがするりと落ちた。穏やかな、心地よい風が袋から溢れだし、店内を包み込んだ。
 良い風ですね、と彼が慕う店長が言う。彼もまた、優しそうな笑顔で見えない風を見つめながら、呟いた。
「こちらこそ、ありがとう」



 白月は恒例のつまみ食いをしようとケーキに近づくと、ケーキのよこに見慣れない袋があった。袋を手に取り、不思議そうに思って開けてみると、彼の前髪がふわりと揺らめいた。口端が歪み、嬉しそうに窓の外を見る。
「兄弟喧嘩はほどほどになー」
 


 トトは今日も川に足を浸し、大好きなアカガネ、クロガネとのんびり涼んでいた。今日も強い日差しを見上げ、手で顔を覆うと、袖の中で音がした。何か入れてたかな?と探ってみると、袋が一つ出てくる。二匹の金魚が袋をつつくと、ぱらりとリボンがほどけ落ちた。トトの身体を中心に、螺旋状に動く風にのって、二匹の金魚もトトの周りをまわる
「ボクもうれしーのー ありがとうー」



 袋から出てきたのは、熱い気温を吹き飛ばす強さを持った優しく穏やかな風。その風はとても安定した心地よさと、四人の幼い神様からのメッセージが込められていた。


   ありがとうございました 


 もうすぐ、夏は終わる
 風が、そう教えてくれた


クリエイターコメントこんにちは、桐原です。

参加してくださいました六名様、本当にありがとうございました。
無事子供達は再会、そしてひとつ成長して帰れたと思います。

今回、少し出番に差ができてしまったかな、とも思いますが、皆様のらしさ、言葉にはださない行動の優しさや気遣いがでていれば、と思います。

お読み下さりありがとうございました。
また次のシナリオでお会いできる事を願って(礼)
公開日時2007-08-21(火) 10:30
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