★ 【終末の日】君と見た夢。 ★
<オープニング>

 その日は何のまえぶれもなく、訪れた。
 いや――
 兆しは、あったのだ。
 不気味に蔓延する『眠る病』。杵間山に出現したムービーキラーの城。青銅のタロスの降臨。そしてティターン神族の最後の1柱となったヒュペリオンの、謎めいた行動――。さらに言うのなら、2度にわたるネガティヴゾーンの出現も、それにともなう幾多の悲劇も、また。意図されたかどうかにはかかわらず、それらはみなこの日へとつながっていたのだろう。

 このままでは、いつか、銀幕市は滅びることになる。

 そうだ。そのことは、今まで、何度となく指摘されてきたではないか。
 そもそもこの魔法それ自体、人間が生きる現実には、あってはならないものなのだから。

「それでも……、人はいつだって生きることを願うもの。そうだろう?」
 言ったのは白銀のイカロスだった。
 タナトス3将軍が、その空の下にたたずんでいる。
 杵間山での戦いが決着した、その報せと時を同じくして、銀幕市の上空に、まるで鏡合わせのように、もうひとつの蜃気楼のような街があらわれたのだった。
 アズマ研究所では、ネガティヴパワーの計測器の針が振りきれたらしい。急遽、ゴールデングローブの配給が急ピッチで進んでいる。
「どう見る?」
 青銅のタロスが、空を睨んだまま、うっそりと訊いた。
『ネガティヴゾーンであろう。本来なら、山にあらわれるはずだった』
「そっちがふさがれてしまったので、別の場所にあふれてきたということか」
「もはやそこまで……猶予をなくしているのだな」
『左様。このままでは、我らの使命が果たされぬうちに、この街が滅びることにもなりかねぬが……』
 そのときだ。
 空を覆う蜃気楼が、ぐにゃりと歪んだ。
 そして、まるで絵を描いた布を巻き取るように、その図案が収縮していく。
「あれは……」
 人々は、戦慄と畏怖をもって、それを見た。
 蜃気楼の街は消えた。
 しかしそのかわりに……市の上空に、あたかももうひとつの太陽のようにあらわれた光球と、そこから、いくつもの小さな光が飛び出すのを。


『非常事態だ。繰り返す。非常事態だ。これは訓練ではない』
 マルパスの声だった。
『あの巨大な光球は、それ自体がネガティヴゾーンであることが判明した。飛びだした光はディスペアーと考えられるが、中型規模で、強いネガティヴパワーの反応をともなっている。この対象を、以後、『ジズ』と呼称する。ジズ群は1体ずつが銀幕市街の別々の場所に向かっており、地上へと降下を行うものとみられる。降下予測地点について対策課を通じて連絡する。至急、各所にて迎撃にあたってほしい。……諸君の健闘を祈る!』

 ★ ★ ★

 ――ねぇ、ちょっと変なこと聞くけど、夢って見たことある?
 そう。寝る時に見る夢。
 あたしね。
 実は、見たことがないの。


 強い日差しが、じりじりと肌を焼く。肌を撫でる風は、ぬるりと温かい。
「暑い……」
 二ノ宮沙羅は、そう呟くとペットボトルの水をごくりと飲んだ。水の残りを見、背負ったリュックに入った水の重みを確かめる。多めに持って来ておいて正解だった。
「確かに、南の島でも行きたいなー、とは言ったけどさ」
「南の島そのものでしょ?」
「そうかなぁ……? 南の島っていうよりは、秘境、っていうカンジだけど」
 冴木梢の言葉に、沙羅は手で顔をあおぎながら答える。
「ふっ。貧弱ね、沙羅」
「じゃああんたには水分けてあげないから」
「私が悪かったわ」
 涼しげな顔で言った深井美月に、沙羅が視線も向けずに言うと、美月はすぐに謝った。彼女は「私は平気よ」と言い張り、手ぶらでここまで来たのだ。
「でも、久しぶりだよね。三人でここに来るの」
 三人は、怪獣島ダイノランドへとやって来ていた。


 ――正確には、覚えてないって言った方がいいのかな? 夢って、みんな見るモノらしいから。
 でね。以前は見ていたはずなの。こっちの世界に来る前。夢のことも、日記に書くことがあったはず。
 でも、今は記憶が曖昧。こっちに来た時、日記は持ってなかったから。
 『自分が出ている』映画は、一度も見てない。


「大変だったよね。あの時」
「あんたのせいでしょうが」
「貴方のせいでしょ」
 梢が笑顔で言うと、間を置かずに二人からの突っ込みが入った。
「えへへ……ごめん」
 梢は、苦笑いを浮かべ、髪をいじる。以前、彼女はダイノランドの怪獣にさらわれるという目に遭ったことがある。
 ――原因は、彼女の不注意というか、好奇心のせいだったのだが。
 彼女の救出に、沙羅と美月もかかわった。


 ――この世界の人たちから見れば、あたしたちは夢の世界の住人かもしれない。
 でも、あたしにとってみれば、こっちが夢の世界のようなもの。
 ああ、だから夢を見ないのかな?
 いきなり知らない街が現れて、でも、パパもママもいて。
 それで、梢や美月に出会って。
 楽しかった。――ううん、楽しい。今でも。
 でもね。怖いの。
 夢は、いつか醒めるものだから。
 それでもいいやって思ってた。
 ウジウジ悩むのなんて、あたしのキャラじゃないし。


「でも、大変だったけど、今となってはいい思い出かな」
「そう決めてしまうには早すぎるかもしれないわ」
 沙羅が青空を見上げながら言うと、美月が神妙な面持ちで口を開く。
「何で?」
 沙羅が問うと、美月は虚空を見つめ、押し黙る。相変わらず特に意味のない発言らしい。
「美月ちゃん、また何も考えてないんだ」
 前を向いたままの梢の独り言に、美月は屈辱で、沙羅はおかしさで体を震わす。自分の頭の中で考えていることをつい口に出してしまう彼女と、こうやって上手く付き合える自分たちは、なかなか天晴れだと、時々自画自賛したくなる。
「あ、誰かいるよ!」
 そんな事情を露ほども知らない梢が指差した方に、人影が見えた。
 三人は、そちらへと向かってみることにする。


 ――でも、明らかに異質な出来事が起こるようになって、それがどんどん日常を侵食してきて。
 いつか、全部壊れてしまうかもしれない。崩れてしまうかもしれない。
 それが、とても怖い。


「こんにちは〜!」
 梢が声をかけると、帽子を被った男性は慌てて振り返ったが、相手が少女たちだと知って安心したのか、笑顔になる。
「ああ、こんにちは。ちょっとビックリしました。この島に来ているのは、もしかしたら私たちだけかと思っていたので」
「すみません、驚かせちゃって。ご家族ですか?」
「はい。息子夫婦と、孫が二人です。孫が、怪獣が見たい見たいというものですから」
 後から来た沙羅が言うと、男性は前方を目で示した。そこには、眼鏡をかけた背の高い男性と、サファリスーツ姿の女性が、小学生くらいの子供たちを連れ、空を指差している姿があった。その先には、幾つかの大きな鳥のような姿が見える。
「怪獣に生贄を捧げて、邪悪な儀式をとり行うのね」
「はい?」
「すみませんっ! この子、ちょっと変わってるんで気にしないでください!」
 ようやく追いついてきた美月が突然物騒なことを言い出したので、沙羅は慌てて取り繕う。梢もそれを察したのか、口を挟んだ。
「あの、こんなところに来て危なくないんですか?」
「それはあたしたちが言えるセリフじゃないでしょ!?」
 沙羅が思わず声を上げると、男性は静かに笑う。
「仲が良いんですね」
 沙羅も、つられて笑みをこぼした。


 ――もちろん、家族は大好き。
 梢も、美月も大好き。
 今まで出会ったたくさんの人も、この街の人も、この街も、みんな大好き。
 だからね。


「『ダイノランドパーフェクトガイド』……へぇ、こんな本があるんだ」
 沙羅は、女性から手渡された本をめくり、感嘆の声を漏らした。オールカラーで写真が豊富に載った本には、ダイノランドに生息している怪獣や植物の生態や、安全な観光の仕方などが書いてある。
「でもさぁ、『パーフェクトガイド』にしては、『調査中!』とか、『未開地域』っていうのが多すぎない?」
「ま、まあね……」
 梢のもっともな指摘に、沙羅は言葉に詰まった。女性もくすくすと笑う。
「あっ! なんだろう? なんか光ってる!」
「ひかってぅ!」
 そこで、少年が唐突に声を上げた。少女も、舌足らずの声で真似をする。上空に、何か光るものが見えたのだ。その光は、だんだんと大きさを増している。
「ふっ。あれは恐ろしい悪の大魔王なのよ!」
「えーっ! こえー!」
「こえー!」
 腰に手を当て、不敵な笑みを浮かべながら言った美月に、少年と少女は大げさに声を上げる。
 だが、それは冗談では済まなかった。


 ――だから、同じ夢なら、良い夢のまま醒めて欲しい。


 禍々しい光だった。
 太陽のようでいて、太陽の光とは全く違う、温かみも生気もない光。けれども、やけに明るい。
 そしてその光の球には、コウモリのような翼が生えていた。
 それが空を滑り、不気味なほどの静けさで近づいてくる。島のあちらこちらから悲鳴のような奇声が聞こえ、ただならぬ振動が伝わってくる。
 怪獣たちが逃げているのだ。この光から。
 誰も、何も言えず、ただ立ちすくみ、空を見上げていた。皆、知らず知らずのうちに身を寄せ合っていた。それは、どこか奥底で知っているからだ。
 この光は、危険だと。
 自分たちの根底を覆すほどに、危険だと。


!注意!
イベントシナリオ「終末の日」は複数のシナリオが同時に運営されますが、一人のキャラクターが参加できるのはいずれかひとつになります。

種別名シナリオ 管理番号998
クリエイター鴇家楽士(wyvc2268)
クリエイターコメント●このシナリオに参加された皆さんには、ダイノランドへ向かっていただきます。

現在ダイノランドにいるのは、NPCの二ノ宮沙羅(cbfz3110)、冴木梢(crsv2069)、深井美月(cbuu9252)、そして60代くらいの男性、それぞれ30代くらいの息子夫婦、10歳くらいの男の子、5歳くらいの女の子の8人です。

8人は、銀幕市から人が訪れる時に船着場としてよく利用される場所から、歩いて十数分の位置、ちょうど密林がいったん途切れ、開けた場所に出る辺りにいます。

●OPの時点では、沙羅はゴールデングローブを装備しておらず、持ってもいません。このままだと、ネガティヴパワーの影響で、ムービーキラーになってしまう可能性があります。そのため、参加されたどなたかには、ゴールデングローブを運んでいただくことになります。

また、怪獣たちは『ジズ』を怖れて逃げていますが、ネガティヴパワーの影響する範囲内に入ってしまった場合、キラー化する恐れがあります。

●NPCの3人は普通の女子高生なので、戦力などには全くなりません。ただ、何かの手伝いなどは出来るかもしれません。

以上を踏まえて、プレイングをお書きください。
また、プレイングには、PCさんが好きな言葉と、嫌いな言葉をひとつずつ書いてください。
それから、文字数が余った場合など、何でも良いので思いついたまま書いていただけると、何らかの形で採用されるかもしれませんので(採用されなかったらすみません)、ご自由に書いていただければ幸いです。

それでは、皆さまのご参加、お待ちしております。

参加者
レドメネランテ・スノウィス(caeb8622) ムービースター 男 12歳 氷雪の国の王子様
ベアトリクス・ルヴェンガルド(cevb4027) ムービースター 女 8歳 女帝
梛織(czne7359) ムービースター 男 19歳 万事屋
メラティアーニ・サニーニャレウルスト(cvyc3751) ムービースター 女 21歳 意志を継いだ領主
ミリオル(cwyy4752) ムービースター 男 15歳 亜人種
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
中沢 竜司(ccwp4589) エキストラ 男 35歳 美容師
<ノベル>

 街中がざわめきに満ちていた。
 空を煌々と照らす幾つもの光が、異様な事態だということをいやでも認識させる。
 梛織は、人でごった返す対策課の中にいた。彼のように迎撃のため、『ジズ』の降下予測地点の情報を得に来たものや、何とかして銀幕市を守りたい、守るために何かをしたいという者もいるが、ただパニックになって押し寄せた者、文句を言いに来ただけのものもいるようで、職員は対応に追われていた。
 そのような状況だから、なかなか欲しい情報がスムーズに得られない。梛織が迷いと苛立ちを抱えていると、ふと女性の声が耳についた。
「助けてください! お願い! お願いです!」
 そちらを見ると、小柄な女性が人に揉まれながら、必死に叫んでいる。しかし、誰もその姿を気に留めていない。
 梛織は、反射的に動いていた。

「ダイノランド?」
「はい……主人と息子夫婦、孫たちが行っているんです。そこが、そこが『ジズ』の、こ、降下予測地点になってるって……」
 梛織は女性に声をかけると、対策課から出、少し人がいないところまで引っ張ってきた。女性は慌てて家から出てきたのか、エプロンを着けたままだった。
 話を聞き、梛織は頷く。元々迎撃のための情報を得に来たのだ。断る理由などない。
「分かりました。俺が何とかします」

 ◇ ◇ ◇

 ミリオルは、銀幕港に向かって急ぐ。梛織と待ち合わせをしているのだ。
 空を見上げると、相変わらず眩い光が輝いている。こんな光景は滅多に見られない。街中もとても騒がしくて、なんだかワクワクした。
 やがて、少し先に見慣れた姿が見えてくる。ミリオルはさらに足を速めた。
「おにいちゃん!」
 梛織の近くまで行くと、ミリオルはタックルをするかのような勢いで飛びついた。梛織は、少しよろけながらも抱き留めてくれる。
「ダイノランドに行くんだよね? 楽しみだなぁ!」
「おまえ、大変な仕事なんだぞ? 分かってるか?」
「うん。あの光ってるのをやっつけるんでしょ? 楽しみだなぁ!」
 梛織は、それを聞き笑みを浮かべ、頭を撫でてくれる。
「レドも来るんだよね?」
「ああ」
 大好きな人たちと一緒にいられること。とても嬉しいこと。
 それは、あんな光が消せるものではない。

 ◇ ◇ ◇

「はっ、はっ」
 レドメネランテ・スノウィスは、肩で息をしながら走る。
 何故こんなに悲しいことばかり起こるのだろう。
 胸が痛くて、涙がこぼれてしまいそうだった。でも、泣きたくはなかった。
 それは、笑顔でいると決めたからだ。
 悲しみや苦しみばかりのネガティヴゾーンや、ディスペアーの事件は早く終わらせてあげたい。
 それは、きっととても辛くて苦しいはずだから。
 銀幕市に来て、梛織という兄や、ミリオルやベアトリクスという友人、他にも沢山の大切な人が出来た。時には帰りたいと泣いて、酷いことをしたこともある。
 けれども、自分を許してくれて、幸せであらせてくれるこの世界を護りたい。そして、同じくらいの幸せを、のぞみという少女にも感じて欲しい。
 この世界は夢なのかもしれない。いや、夢なのだろう。
 それならば、また見たいと思える夢でありたい。
 空を見上げると、不気味な輝きが目に映る。
 この異様な事態に、街中がざわめいていた。

 やがて見えてくる待ち合わせ場所に、梛織とミリオルの姿が見えた。そこでまた泣きそうになったが、一生懸命堪える。
 それでも。
 足は梛織へと真っ直ぐ向かい、手は思わず体に抱きついていた。
「レン、大丈夫か?」
 梛織の優しい声に、レンは顔を上げ、微笑む。
「うん。一緒に頑張ろうね」
 梛織は微笑み、優しく抱きしめ返してくれた。
 絶対に負けない。
 皆を――そして自分を、信じている。

 ◇ ◇ ◇

 今日は、楽しい日になるはずだった。
 ベアトリクス・ルヴェンガルドは、空を見上げる。そこには相変わらず気味の悪い光が居座っていた。
 ダイノランドに向かって、レドメネランテと一緒に、あの清掃活動の時のように、貝を拾って遊んで。
「べ、別に残念だなんて思ってないぞ! マルパスの呼びかけがあったし、大事であるから仕方がないのだ。島へ渡ってしまう前だったのが幸運であったな」
 ベアトリクスがひとり言った言葉を聞き留めるものは誰もいない。皆、自分のことで精一杯なのだ。
 自分の言葉を聞いてもらえることが、反応してもらえることが、どれだけありがたいことなのか、身にしみる。
 やがて、皆の姿が見えてきた。自然と、小走りになる。
「やぁ、皆の者。ご苦労である」
 銀幕市。大切な思い出の場所。大切な人たちがいる場所。
 失う訳には、いかない。

 ◇ ◇ ◇

「じゃ、行ってきます!」
 中沢竜司は、近所にでも出かけるかのように、至って普通に店を出る。ただ、あれやこれやと物を詰め込んだデイバッグを背負い、鉛入りの木製バットを差している姿ではあった。
 妻は、竜司が『ジズ』の迎撃に参加したいと言った時、笑顔で頷いてくれた。それどころか、「足を引っ張っちゃダメよ」と釘を刺された。分かっていたことではあったが、自分を信じてくれているのだと改めて感じ、嬉しかった。
 自分はムービースターではない。バッキーという不思議な生き物も持ってはいない。でも、自分の大切な街のために、何かしたいと思ったのだ。
 しかし、どこへ行くのが一番良いのだろう。
 勢いで出てきてしまったものの、具体的にどこへ向かうかは、まだ決まっていない。
(とりあえず、対策課か)
 対策課に行けば、人手が足りないところや、出来ることなどの情報を得られるかもしれない。
 彼は、ひとり頷くと駆け出した。

 ◇ ◇ ◇

 禍々しい光に照らされて、街はぎらぎらと輝く。
 あれが、この世界を壊そうというものか。
 メラティアーニ・サニーニャレウルストは、空を見上げ、思った。
 突然の出会い。
 この銀幕市には、かつての主君もいる。だから、壊させない。
 そう決意して足を速めようとした時だった。
「あっ、悪ぃ! 急いでるもんで」
 横の道から急に男が飛び出してきて、ぶつかりそうになる。
 メラティアーニもそちらに注意を向けていなかったので、詫びの言葉を口にした。男は頭を下げると、メラティアーニに背中を向ける。
「あの、どちらへ行かれるんですか?」
 その様子を見て、何かひらめくものを感じたと同時に、メラティアーニの口からは言葉がこぼれていた。
 男は振り向き、目を瞬かせると、早口で答える。
「ダイノランドにあのバケモノの迎撃に行くんだ。定期便は出ないから漁師が船を出してくれるらしい」
「私も参ります」
 そう言ったメラティアーニを、男は少し困ったような顔で見る。恐らく、自分の姿が頼りなげに見えるのだろう。だが、彼はすぐに白い歯を見せて笑った。
「分かった。――俺は中沢竜司。よろしくな」
「私は、メラティアーニ・サニーニャレウルストと申します」
「メラ……?」
「メラティアーニですわ」
 しばしの間が空いてから、竜司は頭をかきながら言う。
「俺、長い名前覚えらんなくてさ。『メラ』って呼んでいいか?」
 そんなことを言われ、少し驚いたが、メラティアーニは穏やかに返した。
「ええ、少々不服ですけれど、我慢いたしますわ」
 二人は顔を見合わせ、思わず吹き出した。

 ◇ ◇ ◇

 シャノン・ヴォルムスは、事務所から出ると、駐車場へと向かう。
 『ジズ』迎撃のために、どこへ向かうか。
 そんなことを考えていると、携帯電話が鳴った。ディスプレイを見ると、『二ノ宮沙羅』の文字。通話ボタンを押し、耳に当てると、シャノンが言葉を発するよりも早く、急く声が耳に入った。
『もしもしシャノンさん?』
「ああ」
『ごめんなさい。他に頼れる人が思い浮かばなかったの――今、えっと、ダイノランドにいて、何か羽の生えた光の玉みたいなのが空に――どうしよう、どうしたらいい?』
「まずは落ち着け」
 シャノンが穏やかな声で言うと、沙羅は上ずった声で謝った。
『そうね。ごめんなさい』
 そこで、シャノンの胸に一抹の不安がよぎった。『ジズ』の存在が確認されてからの警告。急遽進められた作戦――。
「ゴールデングローブは持っているか?」
『ゴールデングローブ?』
 聞き返す言葉の後に、間が空いた。不安は的中した。沙羅にも、その言葉が何を意味するのか、分かったようだ。
『――どうしよう、持ってない』
 彼女の言葉は震えていた。その後の沈黙に動揺が表れている。
「ゴールデングローブは俺が何とかする。まずは状況を説明してくれ」
『……は、はい。今は、船着場から、しばらく歩いたところにいる。ここにいるのはあたしの他には梢、美月、子供が二人に、そのお父さんとお母さん、お祖父ちゃんがいるわ』
「分かった。とにかくその光る玉から出来るだけ離れろ。俺もすぐに向かう」
 シャノンは通話を切ると、ため息をつく。
 冗談ではない。
 ダイノランド。今回もあの三人組が絡んでいる。既視感を感じさせた。
 そして、あの時とは違い、更に危険なレベルである事は間違いない。
 もちろん、放って置けるわけもない。
 シャノンは愛車に乗り込むと、走らせた。

 ◆ ◆ ◆

 海風が、耳元で唸りを上げる。それほど大きくはない漁船は騒がしい音を立て、よく揺れた。
 七人は、それぞれの思いで船に揺られる。
「嬢ちゃんも、ホントに行くのか?」
 竜司がベアトリクスに声をかける。ここまで来ておいて行くも行かないもないのだが、彼としてはどうしても自分の娘の姿を重ねてしまう。
 もちろんそんなことなど知るはずもないベアトリクスは、いつものように尊大な口調で答えた。
「余を『嬢ちゃん』などと気安く呼ぶでない。余はルヴェンガルド帝国187代皇帝、ベアトリクスである。呼びにくければ陛下と呼ぶがよいぞ」
「愛称は『ビイ』って言うんですけどね」
 梛織が横から口を挟む。それを聞き、竜司は白い歯を見せ、ベアトリクスの頭を撫でる。
「そっか。ビイ、よろしくな」
「うわーん! ナオ、余計なことを言うでない! もっと気安くなってしまったではないか!」
「まあ、いいじゃない。これから一緒に銀幕市を護る仲間なんだから。……本当は、こんな形じゃなくて会えたら、もっと良かったんだけど」
 レドメネランテはそう言ってから、はにかんだような笑顔を見せる。
「ボクのこと、『レン』でも『レド』でも、好きなように呼んでください。えっと……」
「竜司だ」
「ごめんなさい。竜司さん。よろしくお願いします」
「宜しくな」
「ぼくはミリオル! それで、こっちがなおにいちゃん」
「梛織です。そんで、あの金髪の別嬪さんがシャノン」
「誰が別嬪だ」
 そうやって皆でわいわいと自己紹介をしていると、それを眺めていたメラティアーニが穏やかに微笑んだ。
「皆、仲がよろしいのね」
 皆の視線が、彼女に集まる。
「あら、ごめんなさい。私はメラティアーニ・サニーニャレウルストと申します。……愛称は『メラ』だそうですわ」
 そう言って目配せをすると、竜司は苦笑いを浮かべる。
「ところで、ダイノランドにはムービースターもいらっしゃると聞きましたけれど」
 その言葉に、シャノンは頷く。
「俺が確認できている範囲では、ムービースターは一人。ただ、合わせて八人の人間がいる。皆特殊な能力は持たないし、女子供もいるから、少々厄介だな……とりあえず、俺たちが着くまで、『ジズ』から出来るだけ離れろと指示はしておいたが」
「余もゴールデングローブの予備を持ってきたのだ」
 ベアトリクスが、腕輪型のゴールデングローブを取り出して言う。ふと顔を上げると、皆の視線が集まっていたので、彼女は慌てて目を逸らした。
「べ、別に心配している訳ではないぞ! 他にもスターがいて、その誰かがキラー化なんてことになったら厄介であるからな!」
「そうだな」
 シャノンにあっさりとそう言われ、頭をポンポンと優しく叩かれると、ベアトリクスは恥ずかしそうにうつむいた。ミリオルに「ビイってかわいいね」と言われても言い返すことが出来ない。
 そんなことをしているうちに、島が近づいてきていた。


「ぼく、先にいくね」
 島に上がると、ミリオルが真っ先に口を開いた。
「ひとりじゃ危ないだろ。兄ちゃんも行くから」
 梛織が心配げに言うと、ミリオルは背中の四本の脚をひらひらと動かす。
「だって、森の中だったら、ぼくがいちばん速く動けるよ? 先にきてる人たちだって、脚をつかって助けられるし」
 生い茂る木々は人が歩くのを妨げるが、ミリオルの脚ならば、逆に街中よりも移動しやすいといえるだろう。
「そりゃ、そうだけどさ」
「任せよう。危険だと感じたら、すぐ引き返してくればいい。一刻も早い保護が必要だ。俺たちだって急げばいい」
 シャノンがそう言って梛織の肩に手を置く。
「大丈夫だよ! おにいちゃん。ぼく、ちゃんとできるから」
 ミリオルの笑顔にも押され、梛織は不本意ながらも頷く。
「絶対、無茶はするなよ? 約束だからな」
「うん」
「はい。気をつけてね。ボクたちもすぐに追いつくから」
 レドメネランテはそう言って、ミリオルにゴールデングローブを渡す。
「ありがと。じゃあ、いってくるね!」
 ミリオルは言うが早いか、森の中へと消えていった。
 一同も、急いで後を追う。

「あいつマジで速ぇな」
 竜司がミリオルの後姿を見ながら呟く。彼の背中は、どんどん遠ざかっていく。
「っていうかあの二人も速ぇ!」
 『あの二人』というのは、シャノンと梛織のことである。二人とも、森の中であることは全く障害になっていないように見えた。彼らの姿も、段々と小さくなっていく。
「能力に差があるのは仕方がありませんわ。それは個性ですもの」
 そう言って竜司の脇を走るメラティアーニも、見た目の印象よりもずっと動きが良かった。レドメネランテとベアトリクスも、良くついてきている。

「ほい、ほい、ほい、ほい!」
 景色がいつもの何倍もの速さで過ぎていく。
 久しぶりの感覚だった。四本の脚を伸び伸びと使える。銀幕市に来てからは、なかなか脚を使って思い切り動ける機会がなかった。
 事の重大さは分かっているつもりでも、どうしても爽快感と子供らしい無邪気さが顔を出してしまう。ちらりと後ろを振り返ると、かなり離れたところに、皆が必死で追いすがってきている姿が見える。何となく、鬼ごっこをしているような気分で楽しい。
「あ! あのひとたちかな?」
 やがて、人の姿が見えてきた。ミリオルはそちらへと急ぐ。
 一行は、ミリオルの姿に最初は少し驚いたようだったが、すぐに救援と分かり、安堵の息が漏れた。
「ありがとう。助けに来てくれて」
「えへへ。はい、ゴールデングローブ」
 沙羅と名乗った少女に、ミリオルはゴールデングローブを手渡す。彼女はすぐにそれを身に着けた。
「怪我人がいるんです。運んでもらえませんか?」
 別の少女が示した方には、座り込んでいる男性の姿があった、足を痛そうにしている。捻ったのかもしれない。
「うん。わかった」
 ミリオルが男性を運ぼうとしたその時、地面が揺れた。悲鳴が上がり、咄嗟に皆、下に伏せる。舞い上がった土や小石などが飛んで来た。
 上空にいた『ジズ』が衝撃波のようなものを放ったのだ。
 ミリオルは起き上がると、むっとした表情で声を上げる。
「なにすんだよ! いきなりひどいじゃないか!」
 そうして『ジズ』の方へと向かおうとした彼を、沙羅が引き止めた。
「お願い。怪我人を先に」
 ミリオルはそう言われ、口を尖らせたまま、空にいるジズと、怪我をしている男性や、それを心配そうに見ている子供たちの姿を見比べる。
 やがて、こくんと頷いた。
「わかった。仕返しはあとにする!」
 そうして、ミリオルが男性を脚で持ち上げ、来た道を戻ろうとした時、シャノンと梛織が到着した。
 『ジズ』は相変わらず空をゆらゆらと漂っている。
 シャノンはすぐにミニミ軽機関銃を構えた。装填しているのは火炎弾。設定威力は最大。
「沙羅。お前たちは急いでここから離れろ」
「分かった。どうか気をつけて」
 シャノンの言葉に、沙羅は素直に頷き、すぐに梢たちや家族に声をかけ、動き始めた。彼女にも、思うところはあるだろう。しかし、ここにいては足手まといにしかならないのは明らかだ。
 彼女たちがある程度離れたのを確認してから、シャノンは火炎弾を放った。
 爆音と共に、火炎弾は一直線に『ジズ』に向かう。ざしゅう、と音がして、光の玉の一部が焼け焦げ、煙を上げた。
 そして。
「跳べ!」
 そう言って左方に跳んだシャノンに続き、梛織も反対側へと跳躍する。
 その直後、轟音と共に、一本の木の根元が吹き飛び、ばりばりと音を立てて他の木を巻き込みながら倒れる。沙羅たちを離しておいて正解だった。
「お兄ちゃん! シャノンさん!」
「何かすげぇ音がしたけど大丈夫か!?」
 そこに、レドメネランテと竜司、続いてメラティアーニとベアトリクスが駆けつけてくる。
「ああ、『ジズ』が反撃してきたんだ。――くそっ、あんなとこにいられちゃ、蹴っ飛ばすことも出来ないな」
「あの衝撃波も厄介だ。まずは羽を狙うか」
 梛織とシャノンが言うと、ベアトリクスはひとり頷き、レンに耳打ちする。
「レン、余に考えがあるぞ。氷のつぶてを沢山出すのだ」
「う、うん。分かった」
 レンは事情が飲みこめないながらも頷く。
「私は回復魔法でサポートいたしますわ」
「来るなら来い!」
 メラティアーニは他の者の動きを邪魔しないように少し後ろに下がり、竜司はそれを庇うようにデイバッグから出したバットを構える。
「ああ! ぼくもぼくも!」
 そして、そこにミリオルも戻って来た。

「えいっ!」
「シルフたちよ!」
 レドメネランテが幾つもの氷のつぶてを出現させると同時に、ベアトリクスが風の精霊を召喚する。突風に乗ったつぶては氷の雨となって、『ジズ』の左の翼に降り注いだ。それを追うように、シャノンの火炎弾が閃く。翼は穴だらけになり、そして燃え上がる。
 『ジズ』の体がゆらり、とゆらめいた。そしてゆっくりと落下する。
「やったか!?」
 誰かが上げた声に応えるように、『ジズ』の体が揺れる。皆、咄嗟に地面に伏せていた。それを追うように、衝撃波が来る。吹き抜ける爆風で、地面がえぐれ、木々も折れて飛ぶ。
「仕返しだーっ!」
「待てミリオル! 危ないって!」
 風が止むと、真っ先にミリオルは起き上がり、土埃がもうもうと舞う中、『ジズ』の元へと向かう。梛織は慌てて後を追った。他の者もそれに続く。
「――!?」
 その時、何ともいえない嫌な感覚が、全員の体を這った。
 そして、闇が拡がった。

 ◇ ◇ ◇

「ここは……?」
 気がつくと、辺りは濃密な白い霧に覆われていた。地面は黒ずんでいて、乾いている。
「恐らく、ネガティヴゾーンだろう」
 レドメネランテの呟きに、シャノンが応えた。それぞれのゴールデングローブが反応している。
「嫌な気分がするな……」
 ベアトリクスがげんなりした調子で言う。
「真っ白でなにも見えないね」
 ミリオルが興味深げに周囲を見回していると、梛織が言う。
「竜司さんとメラティアーニさんは?」
「はぐれた――いや、恐らく分断されたな」
 シャノンは周囲を窺いながら答える。あれだけ近距離にいてはぐれるというのはおかしい。何らかの力で分断されたと考える方が納得が行った。
 それでも一応皆で声をかけてみるが、やはり、反応はない。
「美月さんたちは、このネガティヴゾーンに巻き込まれなかったかな……? そうだといいんだけど……」
 もうすでに大分遠ざかっていただろうから、巻き込まれていないことを信じたいが、如何せん、このネガティヴゾーンの広さが掴めない。

 う゛ぉぉぉぉん。う゛ぉぉぉぉぉん。

 その時、奇妙な音が聞こえた。
 何かが鳴っている音のようでもあり、叫んでいるような音でもある。
 何だろう。酷く嫌な感じがする。
 喉元まで出かかっているのに、言葉に出来ない。もどかしい。

 う゛ぉぉぉぉん。う゛ぉぉぉぉぉん。

 そう。これは何度も味わったことのある感覚。濃厚な孤独の気配。
 ――死の臭い。
「伏せてっ!」
 否。
「レン、後ろに跳べ!」
 梛織の上げた声に、レドメネランテは我に返る。しかし、咄嗟に動けない。声を上げたと同時に駆け寄っていた梛織が、レドメネランテを抱きかかえてそのまま跳んだ。その後ろを、鞭のようなものが通り過ぎる。
「大丈夫か!? レン」
「お兄ちゃん……ありがとう」
 今のは、幻覚だったのだろうか。
 いや、確かにそう思ったのだ。何かが頭上から襲い掛かってくると。
 何故だろう。
「来るぞ!」
 シャノンはそう言うと銃を構える。

 う゛ぉぉぉぉん。

「――!?」
 何故か、シャノンは発砲しなかった。我に返ると、目の前に黒くしなる鞭が迫る。
「もう! ボーっとしちゃダメだよ」
 それを、ミリオルの大きな脚が挟み込んで止めた。そのまま力を込めていくと、ざくり、と音がし、鞭が折れる。下に落ちたそれは黒い灰となり、地面と同化した。
「すまない。助かった」
 シャノンはミリオルに礼を言うと、落ちたばかりの灰を見つめる。
「これは……」
「木であるな」
 ベアトリクスがそれを見て言った。
「だが、木にしては変な感じがするのだ。精霊の気配もしないしの。……あっちの方から伸びてきたのだ」
 そう指差した彼女の動きが固まる。周囲を見回すと、時折見える霧の合間からは、灰色の木々が沢山見えた。
「つまり、敵さんに包囲されてるって訳か」
 梛織はそう言うと、地を蹴った。

 ◆ ◆ ◆

「どこだ、ここ……?」
 竜司とメラティアーニもまた、気がつけば灰色の木々と濃い霧の中にいた。
「恐らく、ネガティヴゾーンですわね」
 『ジズ』から闇が広がり、皆それに包まれた。
「他のやつらはどうなったんだろう? ――おーい! 皆いるかぁー!」
 しかし、竜司の呼び声は、霧の中に吸い込まれ、何事もなかったかのように消える。
「俺たちだけか……もしかして、分断されたか?」
「ええ。そうかもしれません」
 何故だろう。
 メラティアーニは、真っ先にそう思った。
 何故、自分と竜司の組み合わせなのだろう。何か違和感がある。
 もちろん、皆バラバラになったのかもしれず、自分たちは偶然一緒になったのかもしれない。
 しかし、単に距離的なものであれば、他の者と一緒になることも十分考えられた。
 何が、この状況を作り出したのだろうか。
「どうした?」
「ええ……でも、あまりお話をしている場合ではなくなりましたわね」
 二人の前方には、うねりながらこちらを狙っている『枝』があった。

 ◇ ◇ ◇

「はっ!」
 梛織は下から襲ってきた『枝』を跳んで避けると、足を蹴り上げ、胸元を狙ってきた枝をへし折る。それは弧を描きながら飛び、途中で灰になる。
 続いて左手から来た『枝』を身を捩ってかわし、また下を狙ってきた『枝』を踵で踏み潰す。
「ちっ」
 先ほどかわした『枝』が、頬を掠めて皮膚を切った。赤いものが飛んだが、大した傷ではない。避けていなければ、目をやられるところだった。左手でその『枝』をつかむと、巻きつかれる前に左の膝で割った。
 攻撃もそんなに巧みなわけではなく、そんなに頑丈なわけでもない。ただ、数が多いのと、休みなしに来るのが厄介だった。
 ちらりと後ろを窺うと、レドメネランテとミリオルの姿が見える。梛織が前線に出ているので、あちらに向かう『枝』の数は少なくなっている。
(レンとミリオルは必ず俺が守る)
 夢が覚める事を怖れ、でもそれでも気丈に明るく振舞うレドメネランテ。
 無邪気で人懐っこく、でもどこか危なっかしいミリオル。
 どちらも大切な弟たちだ。
 絶対に、守らなければ。

 う゛ぉぉぉぉん。

 そうでなければ、また独りになってしまう。
 ――ぞくり、とした。
(何考えてんだ、俺……?)
 自分の思考が、自分の意図しない方向へと向かっている。
(まずい!)
 そんなことを考えている場合ではない。
 だが、我に返った梛織の右足首を、『枝』が捕らえた。そのまま勢い良く引っ張られる。
「くっ!」
 両の手のひらを地面に着け、何とか後頭部を強打することを免れるが、『枝』は強い力で引っ張り続けた。足首がきりきりと痛む。
「お兄ちゃん!」
「なおにいちゃん!」
 そこに駆けつけたのは、レドメネランテとミリオルだった。レドメネランテが魔法で『枝』を凍らせ、ミリオルが脚で叩き壊す。梛織の足に巻きついていた『枝』は、黒い灰となって砕けた。
「すまない。兄ちゃんが助けられちまった……情けないな」
 梛織が苦笑いをすると、レドメネランテが首を横に振る。
「そんなことないよ。いつもお兄ちゃんはボクを助けてくれるから」
「そういうのはね、『お互いさま』って言うんだよ」
 ミリオルもそう言って笑う。」
 梛織も、つられて笑った。

 ◆ ◆ ◆

「竜司、ちょっとお待ちになって」
 そう言うとメラティアーニは、竜司の持つバットに向かって、優しく語りかけるように歌った。すると、バットが淡く輝きだす。
「ここではあまり強力な魔法は使えませんが、それでも、幾分か良いはずです」
「おお! サンキュ!」
 竜司は、嬉しそうにバットを何回か振るって見せた。
 メラティアーニの影に潜む忍びたちも、ゴールデングローブの影響で、本来の力は発揮出来そうにない。

 う゛ぉぉぉぉん。う゛ぉぉぉぉぉん。

 この戦いも、平和への礎となるのかもしれない。
 ――もちろん、勝てればの話だが。
 穏やかな笑顔が思い浮かぶ。いつも浮かぶのは、その笑顔だけ。
(私――?)
 そこで、メラティアーニの足が止まった。
 今、自分は何を思った?
 何を、思った?
 皆が言ったのだ。平和への礎だと。
 それは、メラティアーニにとって唾棄すべき言葉だった。
 なのに何故。
「どうした?」
 竜司がかけた心配げな声も、どこか遠くから聞こえてくるようだった。
 そうだ。こんなことを考えている場合ではない。目の前のことに集中しなければ。

 う゛ぉぉぉぉん。う゛ぉぉぉぉぉん。

 目の前の――処刑場が。
 いや、違う。
「メラ! 危ねぇ!」
 気がつけば、しなる『枝』の先が目前に迫っていた。

 ◇ ◇ ◇

 『枝』がするすると音もなく近づいてくる。それは、獲物を狙う蛇のようだった。そして、まるでベアトリクスを馬鹿にするかのようにゆらゆらと揺れる。
「サラマンダーよ!」
 ベアトリクスは『枝』に視線を向けたまま、炎の精霊に呼びかける。燃え盛る炎が、目の前の『枝』を焼き尽くす――はずだった。
「なんだと!?」
 だが、極端に魔力が落ちた現在は、全部を燃やすことが出来なかった。『枝』は気を取り直したかのように、また静かに迫ってくる。

 う゛ぉぉぉぉん。

 絶望。
 そんな言葉が、脳裏をよぎった。
 そんなことを考えてはいけないと思っても、まるで誰かが耳元で囁くかのように繰り返される。
 絶望、絶望、絶望。
 体が、上手く動かない。
 殺されるかもしれない――そう思った時、目の前の『枝』が燃え上がる。
「大丈夫か?」
 『枝』を燃やしたのは、シャノンの火炎弾だった。緊張感が解けたベアトリクスは、思わずその場に座り込む。
「れ、礼など言わぬからな! 家臣が皇帝を助けるのは当たり前なのだ!」
「そうだな。お姫さま」
 そう言ってシャノンは笑みを浮かべ、ベアトリクスの頭をぽんぽん、と叩く。
「余は姫などではない! 皇帝である! 無礼ではないかぁ!」
 まるで駄々をこねるかのようにそんなことを言いながらも、本心では嬉しかった。
 守ってくれる人が、気にかけてくれる人が、大切な友人がいることが、嬉しかった。

 ◆ ◆ ◆

 ばぎり、と音がする。
 竜司がバットで『枝』を叩き折ったのだ。
「大丈夫か?」
「ええ。ありがとう」
「良かったぁ」
 竜司が思わず安堵の笑みを浮かべると、それを見たメラティアーニの表情が変わった。
 上手く表現できなかったが、カメラのピントが合ったかのような印象だった。
「私、笑顔が好きなんですの」
「そりゃ何よりだ」
 そう言って竜司がまた笑顔を見せると、メラティアーニも微笑む。
 しかし。
「竜司!」
 ざしゅっ、と音がして、赤いものが飛び散る。咄嗟に避けたが、『枝』が竜司の肩口を切ったのだ。
 彼は振り向きざまにバットを下から薙ぐ。『枝』はちぎれ飛び、黒い灰になる。
「竜司、逃げてください。私は護衛もいることですし、何とかなります」
 メラティアーニの言葉に、竜司は頭を振る。
 いつの間にか、幾本もの『枝』に囲まれている。
「女を置いて逃げるような卑怯者、なんて言われちゃあ、一生モンの恥だぜ」
 自分は特殊な能力があるわけでもない、普通の人間だ。だから、決して無理をするつもりはなかった。
 けれども、こんなところにメラティアーニを置いて逃げることなんて出来ない。

 う゛ぉぉぉぉん。

 恐怖が足元からざわざわと肌を舐めながら上がってくる。心が挫けそうになるのを必死で堪える。
 幸い、バットには魔法がかかっている。きっと何とかなる。
 いや、してみせる。
(絶対無事で帰るからな)
 妻と娘の顔が浮かんだ。ここで死ぬ気などさらさらない。
 突然、背後から歌が聞こえた。肩の傷が少しずつふさがる。メラティアーニも分かってくれたらしい。
 そして、『枝』が動く。

「竜司、あなたは私も含め、皆とは初対面ですわね?」
 動き回りながら出来るだけ攻撃を避け、二本の『枝』を灰に帰した時、メラティアーニが唐突に問いかけて来た。竜司には彼女の言っている意味が全く分からない。
「そうだが、それがどうかしたのか?」
 そう答えると、彼女は少し黙ってから、再び口を開いた。
「竜司、一緒に試していただきたいことがあります」

 ◇ ◇ ◇

「変だよな?」
 梛織の問いかけに、シャノンは頷く。
「ああ。恐らく『ジズ』の本体は別のところにあるのだろう」
 倒しても倒しても『枝』はまた現れ、襲ってくる。
 戦いながら移動しているが、一向に景色は変わらない。

 う゛ぉぉぉぉぉん。

 諦めてしまおうか。
 そんな考えが、シャノンの脳裏に浮かぶ。
(――馬鹿馬鹿しい)
 それは、すぐに脇へと追いやられる。
 バシュッと音がして、また『枝』の一本が燃え上がり、黒い灰と化す。

 う゛ぉぉぉぉぉぉん。

 もう、全部投げ出してしまえば、楽なのかもしれない。
 何が楽だというのだろう。諦めたらそこで終わりだ。
 いや、諦めこそ始まりかもしれない。
(くそっ)
 自分の思考が鬱陶しかった。

 う゛ぉぉぉぉぉん。 う゛ぉぉぉぉぉん。

 この、忌々しい音。
 操られるわけでもない。幻覚が見えるわけでもない。
 ただ、思考を誘導される。引っ張られる。自分の考えたくない方へ、嫌な気分のする方へ。
 そしてそれを打ち消そうとするたびに、迷いは大きくなる。いつの間にか自分の思考に囚われ、集中力を散漫させている。
 大したことはない。大したことはないのだ。
 でも、戦場の中では、少しの不注意が致命傷になりかねない。実際、敵は攻撃の手を休めてこない。脆いけれども途切れることはなく、皆に疲労が溜まって行っているのは明らかだった。

「みんな暗いなぁ。もっと明るく仕事しようよ」
 皆の姿を見て、ミリオルは目の前の『枝』をまた灰にしてから、暢気な声で言った。
「おまえ、平気なのか?」
「何が?」
 梛織に問われ、ミリオルは首を傾げる。何のことを言っているのか分からない。
「この音だよ」
「音? ……ああこれ? うん、平気だよ。うるさいなぁとは思うけど」
「嫌なこと浮かんできて、頭の中が混乱しない?」
 レドメネランテに尋ねられ、ミリオルは首を横に振る。
「ぼく、嫌なことなんてないよ。大好きなおにいちゃんたちと、楽しい仕事ができてシアワセだもん」
 そう。
 皆、ちょっと忘れてしまっているだけなのだ。
 それは誇りであったり、笑顔であったり、何かを成し遂げる喜びであったり、人生を切り拓く意志であったり、大好きな人たちと過ごす楽しさであったり――どんなどす黒い渦の中にあっても、良いことや幸せは必ず見つけられる。
 それをちょっと忘れているだけだ。
 ミリオルが笑顔を見せると、皆の表情が変わった。きっと、気づいてくれたのだと思った。
 それならば、大丈夫。
 そう思った時――唐突に人影が現れた。
 皆、一瞬身構える。しかし、それが誰だかわかると、驚きと、安堵の息が漏れる。
「竜司さん! メラさん!」
 皆の歓迎に、メラティアーニは穏やかに微笑み、竜司は照れくさそうにピースサインをした。

「ゆっくり話していられる状況ではありませんので手短にお話しいたしますわ」
 メラティアーニが口早に説明する。
「何とかして皆で一斉に『ジズ』の本体にたどり着くことを願わなければいけません」
「それで、本体にたどりつけるんですか?」
 梛織の問いに、メラティアーニは頷く。
「恐らく。それは、私と竜司が皆と合流できたことが証明していると思いますわ」
「まあ、手を尽くすしかないわけだからな」
「ボクは、きっと上手く行くような気がします」
「まぁ、どうしてもやって欲しいというのなら、やってやっても良いぞ」
「ぼくもやる!」
 皆の納得がいったところで、梛織がミリオルに言う。
「ミリオル、お前が指揮をとってくれ」
「指揮?」
 ミリオルが目を瞬かせる。
「皆、いっせーのせ、で『ジズ』の本体まで行きたいって願う。その号令をかけてくれ」
「面白そう! ぼくやる!」
「よし!」
 この状況に一番影響されていないミリオルが指揮をとるのが一番良いだろう。他の者も、異存はないようだった。
 そして話が決まった途端、『枝』が次々と狂ったように襲いかかってくる。
「焦ってる焦ってる」
 他の者が取り乱した姿を見ると、意外に人は冷静になるものだ。皆の中に、余裕が生まれる。そして余裕が生まれれば、『枝』が何本来ようが怖くはない。

 う゛ぉぉぉぉぉん。う゛ぉぉぉぉぉん。う゛ぉぉぉぉぉん。

 不気味な音が速いテンポで鳴り続ける。
「いくよ〜!」
 ミリオルは体を揺らし、四本の脚を指揮棒のように揺らしながら、音の合間を縫って、号令をかける。
「いっせーのー、――せ!」
 それに合わせ、全員が意識を集中する。
 そして、白い霧は溶けるように消え、視界が一気に開けた。


「うぇぇぇぇぇ……さっきの発言は訂正する。木ではないな」
 その姿を見て、ベアトリクスが気持ち悪そうに言う。
 木のように見える何者かが、枝に見える触手をうねうねとくねらせている。
 これが『ジズ』の本体か。
 木の幹の上方に、赤く見える部分があった。それは爬虫類の目に似ていた。
 あれが恐らく『ジズ』の核となる部分だろう。明らかに質感が違う。
「こいつらは俺たちが引き受ける! シャノン、あれを撃ってくれ!」
 梛織が襲いかかってくる『枝』と格闘しながら言う。
 三人の魔法の威力が極端に落ちている今、あの距離にあるならば、撃破出来るのはシャノンの銃しかない。
 シャノンは銃を構え、狙いを定めた。
 霊撃弾を――放つ。
 それを阻止しようと、『枝』が幾本も伸びて来た。
「ウンディーネたちよ!」
「させないっ!」
 だが、ベアトリクスが召喚した水の精霊たちにより、『枝』に水が降り注ぎ、それをレドメネランテの魔法が凍らせ、動かなくする。
「はあっ!」
「おおおっ! パリパリ割れるよ!」
「こりゃ楽だな」
 それを梛織とミリオル、竜司が叩き壊した。
 さらに霊撃弾が『核』に届く直前、美しい歌声が放たれる。メラティアーニの魔法だ。それは弾にさらなる力を加え、輝く弾丸は、『核』へと静かに吸い込まれていく。
 そして光と轟音が迸り、『ジズ』は弾けた。


「結局、分断された理由はなんだったんでしょうか?」
 浅いクレーターのようになった草原を見ながらレドメネランテが言うと、メラティアーニが穏やかに答える。
「とても些細なことですわ。皆は友人であったり、知人であったりした。竜司と私はそうではなかった。そして、皆と会う前に、少しだけお互いを知っていた。だから、『ジズ』のネガティヴゾーンが展開された時、思わず繋がった」
「本当に些細なことだな」
 シャノンがそう言って笑みを見せる。
「でも、人生って、そんな些細なことの積み重ねだと思いません? 些細な記憶が人と人とを結び、歴史を作っていくのだと思いますわ。……まあ、必ずしも一緒にいる時間が長ければ良いというわけではないですけれども」
 そう言うと、メラティアーニは、どこか寂しげな表情を見せる。
「俺だって奥さんと出会ったきっかけは些細なことだったけど、すっげぇ大切な存在になったもんな」
「どさくさに紛れてノロケて」
「ははは。うるせぇ」
 梛織が肘でつつくと、竜司は平手で梛織の背中を叩く。
「いてっ! いや、ツッコミにしては痛いですって」
「おにいちゃんをいじめちゃダメ!」
「でも、ボクも、今日のことだって、皆のことだって、きっと忘れないよ」
 レドメネランテの言葉に、梛織は頷く。
「そうだな」
「ぼくも忘れない!」
 ミリオルも笑顔で言う。
「余だって忘れぬ」
 視線がベアトリクスに集まる。その視線にさらされ、彼女は顔をぷいと横に向けた。
「べ、別に変な意味ではないぞ! 大きな事件だったから、記録として覚えておくという意味だぞ!」
 それを聞き、皆、笑顔をほころばせた。


 ――戦いが終わって、皆無事で。
 それが分かった時、涙が出てくるのを止められなかった。
 そして、改めて思ったの。
 あたし、皆に出会えて良かった。
 銀幕市に来られて良かったって。
 それだけで、良かったって。
 だから、あたしはこの夢を忘れたりはしない。
 絶対に、忘れない。

クリエイターコメントこんにちは。鴇家楽士です。
この度はご参加ありがとうございました。お待たせしました。ノベルをお届けします。

おかげさまで、ダイノランドの被害は少なくて済みました。また、ゴールデングローブを皆さんが運んでくださったので、沙羅も無事です。
おじいさんは、逃げるときにちょっと足を捻ってしまいましたが、家族も含め、無事救出していただきました。

好きな言葉と嫌いな言葉に関しては、こういった形でノベルに反映させていただきました。
少しでも、ノベルを楽しんでいただけることを祈ります。

銀幕市という世界、キャラクターの皆さんと触れ合うことが出来、かかわることが出来たこと、本当に嬉しく思います。
本当に、ありがとうございました!
公開日時2009-04-22(水) 22:00
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