★ 【鳥籠の追想】過ぎし日の幻、もしくは懺悔 ★
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
管理番号156-7576 オファー日2009-05-10(日) 22:30
オファーPC シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
<ノベル>

 そこは、銀色の鳥籠。
 そこは、鳥籠を模した温室。
 咲き誇る花もなく、辺りは闇に包まれ、銀のテーブルと銀のイスが置かれているだけの場所。
 けれどそこには、一羽の小鳥が囚われているという。
 歌も忘れ、飛ぶことも忘れ、眠り続けるその小鳥にまつわるひとつの噂。
 それは――



 磨き上げられた大理石の床に靴音を響かせて、シャノン・ヴォルムスは何もない空間を歩く。
 銀の格子に嵌め込まれたガラスの向こうにあるのは、完全なる闇だけだ。ガラスの中にはあるはずのシャノンの姿は映り込んでいない。
 静寂に包まれた鳥籠。
 それ以外にはなにもないガラスの温室。
 何の気配もないはずなのに、何かで満たされている不可解な場所。
「何もなければ、何も調査できないということになるんだがな」
 見えないモノを見据えるように、視線をゆるりとドーム状の天井へ向ける。
 そこにもやはり銀の格子とガラス、そしてその外側に闇があるばかりだ。
 何もない。
 何ひとつない。
 だが。
 再び視線を正面へと転じてみれば、いつの間にか遮るものとてないこの鳥籠の中央に、まるでスポットライトを浴びているかのような存在感で銀のテーブルと銀のイスが出現していた。
 ほんの数瞬前まで、そこは確かに虚ろであったはずなのに、だ。
 薔薇の透かし彫りが施された、一見して高価であることがうかがえる精緻かつ優美なひと揃えに目を細める。
「……ほお? 噂どおりということか」
 別段驚くでも慌てるでもなく、シャノンは不敵な笑みをその口元に浮かべ、自ら手を伸ばし、銀のイスに腰かけた。
 鳥籠に眠る小鳥の噂。
 銀の椅子と銀のテーブルにまつわる、ひとつの噂。
 その真偽を確かめに来たのかと問われたなら、ソレも目的のひとつだと返すだろうが、本当のところ明確な言葉にはできそうもない。
 シャノンは思いのほか座り心地の良いアンティークチェアに背を預け、両目を閉じた。
 ふわふわとしたまどろみが、目蓋から自身の内側へとゆったりゆっくり染み透っていく。
 眠りには重さがある。
 意識が、その重さで闇色の底へと滑り落ちていく。
 つかの間訪れる、漆黒。

 そして。

 懐かしい香りがそっと鼻先をくすぐった。
 やさしい指先が、そっと頬に触れた。
「シャノン」
 ひそやかな囁きが、耳に届いた。
 目を開ければ、慈しみに満ちた蒼い瞳、滑らかな白皙の肌、それを縁取る甘い琥珀色の髪が視界を埋める。
 薔薇園に横たわっていたのだと遅れて気づくことができたのは、屈みこんで自分に呼びかけ触れる彼女を彩る背景だったから。
 そうでなければもうしばらく、自分がどんな状況でいるのかも分からなかったはずだ。
「あなたにこうして触れるのは、とてもとても久しぶり」
 いとしげにそっとそっと彼女はシャノンの頬を撫で、シャノンを見つめ、シャノンに微笑みかける。
 彼女の触れる指先の優しい温度を感じながら、しかし、シャノンはいまだ動けずにいた。
「……あなたの心にいまだ、こんなにも色鮮やかに留まることができるなんて、とてもとても幸福なこと」
 彼女の声、彼女の温度、彼女の仕草、彼女の微笑み、すべてに息が詰まるほどの愛おしさを抱きながら、同時に、自分が触れることで砕け散る儚い《夢》の不安定さを恐れた。
 彼女の名を呼べば、彼女は応えてくれるだろう。
 だが――
「シャノン、あなたの胸に留まる私の十字架は、いまだあなたを捕えておりますの?」
「――っ!」
 そのセリフが、引き金となった。
 彼女を貫く、無数の刃。
 彼女を襲った、数多の牙。
 赤く染まり、引き裂かれ、永遠に停止した彼女。
 それらが、見える。彼女の向こう側に透けていくつも見える。彼女はそこにいる、けれど、彼女のすぐそばで息絶えた彼女の『本来の姿』がいくつもいくつも見える。
 添い遂げることを誓った。永遠の愛を誓った。なのに、彼女の命は、同胞の手により、あっけなく潰された。この喪失、この痛み、この絶望を、声なき慟哭に変えたあの日の夜を、シャノンはまざまざと思い出す。
「シャノン」「ねえ、シャノン」「どうか」「シャノン」「どうか」「――生きて」
 たまらず、ついに彼女へ手を伸ばす。
 せめてもう一度と願い、身を起こし、何度も何度も繰り返し、幻の中で再会を願い続けた彼女の頬へと手を伸ばす。
「……お前を失って、俺の世界は終わった」
 届かなかった、叶わなかった、護れなかったこの両手、この無力さへの悔恨が、胸から血のように噴出するのを感じながら、彼女を捉えた。
 だが。

「「シャノン」」

 今度は《赤》が視界いっぱいに弾ける。
 燃えるような赤。燃えるような赤い髪。シャノンの頬をそっとなで、微笑みかける、その輪郭を縁取るのは、琥珀ではなく、けれどそれに劣らぬ美しく濡れた赤だった。
「シャノン、久しぶりね。とてもとても久しぶりだわ」
 覚えているかと問う彼女に、忘れるはずがないと心が叫ぶ。
 十字架を残していった彼女の喪失、その痛みを埋めるかのように寄り添い、身を任せてくれた彼女の名を、シャノンは口にしようとする。
 愛していた。
 愛している。
 孤独に苛まれていた日々の中で、シャノンに家族のぬくもりを思い出させてくれた。
 けれど。
 またしても終焉の幻想が彼女の周りであふれだす。
 ようやく巡り会えた二度目の愛すらも、あの赤い月の夜、十字架が並ぶあの墓地で、絶望の鮮赤に染まって息絶えたのだと、思い出す。
 愛を誓った。命果てるその日まで愛すると誓った。彼女さえいれば、それ以外の一切は不要だった。誰に認められずとも、幸福になろうと誓った。
 人と人ならざる者の間に横たわる深い溝を顧みず、いや、その溝を確かな愛で埋めて、共にあろうと誓いあった。
 幼い子供を抱いて微笑む、強い彼女の存在に惹かれていた。
 なのに、またしても失った。
 間に合わなかった。
「――っ」
 声にならない慟哭とともに、シャノンは跳ね起き、幻の彼女たちを追う。
 琥珀の髪をした彼女の、胸を貫く幻影。
 真紅の髪をした彼女の、胸を引き裂く幻影。
 愛を誓ったふたりの女は、愛を誓ったが故にその身を赤に染めた。
 求め、手を伸ばし、そのたびに、彼女たちは赤を振り撒いて砕け散り、また別の薔薇の中に彼女たちが己の形を作り出しては死んでいく。
 赤く、紅く、淦く、銅く染まった薔薇の花びらが、ざぁ…っと一斉に舞い上がっては彼女たちを掻き消していく。
 奪われる。
 愛すれば、失う。愛を求めれば、ソレがそのまま罪となって具現化する。彼女を殺した。シャノン・ヴォルムスという存在が彼女たちを殺した。
 紅く染まる彼女たちの向こう側、あるいは目蓋の裏に、白い少年の姿が見える。
 赤く染まる記憶の向こう側、あるいはこちら側で、ほんの少しだけ恥ずかしそうに頬を染めながら笑みを浮かべ、佇み、自分を見つめる白い少年の姿を《視》る。

「  」

 ついに、シャノンは愛する者の名を、口にする。
 赤で埋め尽くされた幻想の中で思わず求めたその少年もまた、いずれ失う存在だ。
 夢の神子がもたらした奇跡の内に結実した彼という存在は、その奇跡、その夢の終わりとともに永久に失われることがはじめから定められていた。
 手を伸ばせば、届く。
 狂おしいほどに愛おしく、渇望に呑まれるほどに激しく、求め、抱きしめ、束縛したいと思う相手が佇んでいる。
 赤い彼女たちの囲まれた、白の幻影。
「……まだ、求めているんだな……」
 足を止め、胸に掻き掴み、そうして己の内側になるモノを認め、言葉に変える。
「お前を、お前たちを、殺したのに、俺の傍にいることを願い、誓ってくれた、そのためにお前たちは絶望の赤に染まってしまったというのに、まだ、俺は別の者を愛し、幸せになろうとしている」
 普段の、自信に充ち溢れ、不遜で不敵なシャノン・ヴォルムスの面影はなく、ただ、喪失の罪悪感に苛まれる姿があった。
「俺は、罰せられなければいけないはずだ」
 ふたつの愛を鮮赤に染めた。
「俺は、赦されてはいけないはずだ」
 なのにまだ、望むというのか。
「俺は――」
 己を断罪する言葉は、薔薇園を駆け抜けた風によって巻かれて掻き消え、そして、
「「シャノン」」
 ふたつの重なる声が差し込まれる。
 薔薇に翻弄されるように、鮮やかに舞い上がり、砕け、消えては姿を現す幻影、ではない。彼女たちは確かな存在感で、穏やかな笑みをシャノンに向けていた。
「あなたの瞳には今、誰が映っていらっしゃるのかしら?」
「あなたの孤独を今、誰が癒してくれているのかしら?」
 彼女たちの声音はやわらかく、非難ではなく、相手への想いに満ちていた。
「あなたにはあなたの心のままに自由に生きてほしいと望んだだけ。あなたを苦しめたくはありませんわ」
「あなたの胸に刻まれた傷が癒えてほしいと願っているの。あなたの枷になりたくないわ」
 なのに。
 幸福になることに怯えていないかしら、とふたりの声がそろう。
「……俺は、幸せになっても、許されるのか……?」
「当然ですわ」
「当然でしょう?」
 愛する者の幸せを望まないモノがいるわけがないと、彼女たちは言外に告げる。
「……では、お前は……お前たちは……」
 ずっと聞きたかった。ずっと、どれほど繰り返そうと決して得られない答えだと分かっていながら、繰り返し繰り返し胸の中で問い続けていた。
「俺と共にあると誓ったこと、後悔はしていないのか?」
「後悔なんてするはずがありませんわ」
「あなたを選んだことを、どうして悔やまなければいけないの?」
 出会ったことこそが幸運だったのに、と彼女たちは愛おしげに笑みを深くする。
「お前たちは、……幸せ、だったのか?」
 自分といて、幸せだったのか。
「幸せでしたわ」
「幸せだったわ」
 永劫の罪を背負い、永劫の喪失を抱え、永劫の闇を歩み続ける自分に向けて、彼女たちは互いの手を取り、その指をからめ、まるで一対の可憐な小鳥であるかのよう寄り添いながら、頷いた。
 一片の曇りもない、鮮やか微笑とともに贈られた言葉。
「……ありがとう……」
 口をついて出たのは、謝罪ではなく、感謝の言葉。
 銀幕市という夢を見る世界で、自分は愛しいものを得た。
 二度もこの手で救えなかった愛する者を、今度こそ守り抜くために、自分に素直に、正直に、そして誠実であろうと決め、最後の最後、一秒、一刹那の時間も残さず傍にいようと誓う。
 その想いを与えてくれた、この渇望を生んでくれた、自分の根幹をなす彼女たちへ、その存在へ、その愛へ、その慈悲へ、シャノンは祈るように告げる。
「ありがとう」

 ちゅぴり。
 ちゅぴり、り、りりりりり……

 耳を打つ、それはかすかな小鳥のさえずりだ。ガラスのように澄んだ、透明な歌。透明すぎて儚い、遠い日の記憶のような旋律。
 神への祈りにも似て、厳かで、静かで、そうしてひどく切ない愛に満ちたさえずりによって、シャノンは、銀のイスにもたれたまま、まどろみから目覚めを迎えた。
 眠りについた時は違う感覚が体を包み込んでいて、何物もいない空間に満たされた《何か》、それに自分は確かに触れたのだと知る。
「……喪失と別れの夢、か……」
 口元に、微かな笑みが浮かぶ。
「何も悪夢であるというわけでもないようだな」
 幼い神子の起こした《奇跡》の中で得た大切な存在たち。
 それまでは望むことすら赦されないと思っていた存在を得ることができた、この幸福を手放したくない。
 できることなら、夢の終わりなど永遠に訪れなければいいさえ思う。
 反面、それほどの《願い》を抱く己れの渇望に苦しむ。
 自分の内側に存在し続けていた罪悪感、幸せを求めながらも幸せになるべきではないのかもしれないという想い、その矛盾。
 だが、これらは《彼女たち》によって解消された。
 目眩がするほどに甘やかで優しい薔薇の芳香の中で告げられた言葉、彼女たちは初めから赦しを与えてくれていたのだと気づく。
 それを自覚したとき、またも小鳥のさえずりが耳を打った。
 ここではないどこか、どこでもないどこかで奏でられる、遠くて近いその旋律は次第にシャノンを取り巻いて――


「ん?」
 シャノンは事務所のソファで三度《目覚め》を迎えた。
 穏やかな日差しが、カーテンの合間から優しく注がれる。
 全身に広がる気だるさと、ソレを覆うようにして自分を満たす、かすかな痛みを伴った幸福感に、つい苦笑と呟きが漏れた。
「……なるほど……すべて夢、ということか」
 鳥籠に眠る小鳥の噂――その真相解明を求められた『依頼』は、はたして現実のものだったのか否か。
 昨日確かにこの事務所にやってきた依頼主を思い出そうとしても、その姿は漆黒のドレスをまとう少女めいた影絵でしかなく、その輪郭すらもどんどん曖昧になっていく。
 だが、《鳥籠》にまつわる現象のひとつひとつは分からなくとも、そこで何を得たのかは十分に理解しているつもりだ。
 依頼など始めからなかった。
 むしろ自分をあそこに招くことこそが目的だったと考えた方がずっといい。
 そんな解釈に辿りつき、とりあえずはと、目覚めの水を求めてサイドテーブルの水差しに手を伸ばして。
 指先に何かが触れた。
 ころりと転がったモノを反射的に摘み、目の高さに掲げてみれば、ソレが小さな小さな卵を模した石であることが判る。
 触れた肌に吸いつくほど滑らかなその石は、朝陽を反射して鮮やかにきらめく海を映した瑠璃色をしていた。
「せっかくだ。これを見せてやろうか」
 この思いつきは悪くない。
 口実などなくとも会いには行ける。
 だが、口実があればもっと楽しい気分で会いに行けるだろう。
 シャノンはひどく上機嫌な笑みを浮かべて、透明な光を宿した石をジャケットのポケットへと滑りこませ、軽やかな足取りで事務所から、あの少年へとつながる扉を開いた。
 夢はいつか醒める。
 いずれ来る別れの時、この存在が消失するだろう最期の瞬間まで、シャノン・ヴォルムスはあの少年を愛する、そこに罪悪感も躊躇いもないのだという確信と幸福に満ちた想いを抱いて。


END

クリエイターコメント《鳥籠》の中にて語られるななつ目の《夢》をお届けいたしました。
二度にわたり愛を誓った女性を失った痛みと、それゆえに抱き続けた彼女たちへの《問い》と《葛藤》を、多重幻影という形で鳥籠に映させていただきました。
どうか、夢の中で得られた答えによって、この街での幸福な時間を一片の曇りもなく抱きしめることができますように、と祈っております。

小鳥が眠るこの鳥籠へとお立ち寄りくださり、ありがとうございました。
公開日時2009-05-26(火) 18:10
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