★ 守りゆくべき ★
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
管理番号96-7455 オファー日2009-04-22(水) 22:25
オファーPC シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
<ノベル>

 鏡面に銃口を向けているかのようだ。
 黒いシャツに黒いコート、胸元には銀のロザリオが揺れている。絹糸のような金色の長い髪に透き通るように白い肌。鋭利な刃物を思わせる眼光は宝石のような緑の光彩をまとい、かたく結んだ唇は形よく艶めいている。
 向かい合う男は、シャノンと比べてもひとつとして差異のない姿態をしていた。シャノンが言葉を発しようと唇を動かせば、男もまた同じタイミングで口を開く。右眉を動かせば右眉を、リボルバーの引鉄に指をかけるタイミングも、コートの内側にしまいこんでいるナイフに指を伸ばすタイミングまで、まるで誤差がない。まさに鏡面を覗き見ながら銃口を構え持ってでもいるかのようだ。
 腹の底で小さな息を吐き、シャノンはわずかに目を細める。もしもわずかにでも意識を逸らせば、眉間に風穴を開けられるのは自分かもしれない。少なくとも、もしも向かい合う男が同じような仕草を覗かせたなら、シャノンは躊躇すら覚えずに引鉄を引く。踏み込み、喉を掻き切って、頭上に光るあの昏い月を赤く染め上げるだろう。
 ――たぶん、このハザードを抜け出す術は二通り。その他に手段はない。すなわち、どちらかの死による終結、それの他には何一つ。

 ◇

 あまり後味のよくない仕事をひとつ終えた、その帰り道。――そもそも、気持ちの良い仕事というものは記憶にないに等しい。けれども、今回こなしてきた依頼の内容は、病に臥せがちな幼い息子を救いたいがために禁術にはしり、結果、異形を化してしまった息子の手によって自らも異形の徒と化してしまった母と子を闇に葬ることだった。ふたりを葬るのはけして難しいことではなかった。しかし、母親の心を思えば、その願いはけして愚かなものではないようにも思えた。
 ともかくも、その仕事を終え帰路につく頃には、いつも通りに街中が眠りの底に就いていた。シャノンはヴァンパイアハンターだ。対象の大半は落日後にしか活動しない。ゆえにシャノンは闇に身を紛れさせ、闇と呼吸を重ね、闇を屠り、闇に消える。
 その、寝静まった街の中、靴の音すらたてずに歩き進めていたシャノンは、歩き慣れた路地の角を折れ曲がったところで眉をしかめ足を止めた。
 ――不可視の壁をくぐり抜けてしまったような感覚。遠くないどこかでガラスか何かが割れた音がしたようにも思えた。それと同時に空気の流れがぴたりと止まり、物々しい、圧し掛かってくるような闇の気配を感じた。
 小さな舌打ちをひとつ吐き、愛用している銃を構え持って周囲を取り囲む闇をねめつける。シャノンにしか感じられないであろう、細く抑えこんだ、けれども肌に突き刺さるような殺気が漂っている。どこから? ――存外に近い位置からだ。
 シャノンは殺気を放つ相手の懐に潜りこむように、アスファルトを蹴り上げ、すぐ横手の廃ビルの壁を数歩のうちに駆け上がる。街灯が明滅しながらシャノンが翻すコートの影を映しだす。
 たった数歩壁を蹴り上げただけで、シャノンは廃ビルの屋上に立つことができた。とはいえ、五階建てほどの高さだ。難などあるはずもない。
 錆びて倒れたフェンスを越えて屋上に立つ。飲用水をためておくためのタンクの裏に向けて銃口を向けると、シャノンは目を細めた。
 全身を黒で包み込んでいるシャノンに対し、そこに立っている男は全身を白で包み込んでいた。白いシャツに白いコート、夜の色に沈むことのない長い髪はまるで美しい金糸のようだ。
「――貴様」
 シャノンが口を開いた、その瞬間だった。
 男は片頬を歪めあげて薄い笑みを浮かべ、構え持っていた銃の引鉄に指をかけたのだ。その動作にはわずかな逡巡も躊躇も感じられない。――迷いのない殺意がそこにある。
 弾はシャノンの髪をわずかに削りながら闇の中に消えていった。それすらも、シャノンでなければ間違いなく脳髄を吹き飛ばしていたであろうほどのものだった。弾道を見切ったシャノンは首をかしげ、放たれた殺意をまさに数センチほどの間をおいて避けたのだ。
「おとなしく死ねよ、――偽者」
 男は歌うような口調でそう告げた。その声すらも、
「……貴様は……“俺”か」
 眉をしかめて吐き出したシャノンの言に、男はいよいよ酷薄めいた笑みを浮かべて表情を歪める。
「答えは“ノー”だ。貴様のような男にシャノン・ヴォルムスを名乗れるはずがない。……俺が本物のシャノン・ヴォルムスだ」
「……なんだと」
「今日の狩りはどうだった? 可哀相な母子を屠るのはどうだった? 胸が痛んだか? 良心とやらが痛んだか? なァ、どうだった?」
 言いながら、男は次々に引鉄を引き続ける。男はシャノンと同じ、FN Five-seveNを二挺構え持っている。高い初速と貫通力を誇る自動銃だ。威力は100M先の防弾チョッキをも貫通するといわれている。もちろん相応の反動をも伴う代物だが、男はシャノンと同様、その反動をものともせずに繰っている。
 弾道はシャノンの眉間を、喉を、胸を、時には両脚を、寸分の乱れもなく狙い定めていた。足元のコンクリートが抉られ穴が開く。シャノンは間髪おいてその弾道から逃れ、貯水タンクの裏に身を隠して銃の弾を確認した。そうして息を吐くとすぐ、タンクを挟んだ真向かいをめがけて引鉄を引く。
 タンク内に残されていた水が勢いよく噴き出した。錆のせいなのか、あるいは長年放置されたままでいたせいか。鼻をつく臭いが、水の腐敗を知らしめる。続けてもう一度、シャノンは引鉄に指をかけた。
 タンクの向こうには男がいる。やはり酷薄めいた笑みを浮かべ、障害物をものともせずに、やはりシャノンと同じく、引鉄を引いていた。
 弾道と弾道とがぶつかり合い潰れる音がした。
「この街に来てからの貴様はすっかり腑抜けたようだ。大事なものが増えたか? 護りたいものが増えたのか? ――そんなものが自分に必要はものだと、貴様は本当にそう信じているのか?」
 男が言う。姿形も声も、まるで遜色のない。男はシャノン・ヴォルムスだ。
「…………」
 唇を噛み、シャノンは足もとのコンクリートを蹴り上げる。タンクの上を跳躍し、眼下に立つ男の額を定めて銃口を向けた。
 男はシャノンを仰ぎ見ながら薄く笑い、ゆっくりと唇を動かす。“貴様ニハ無理ダ”。
 シャノンが放った弾が男を撃ちぬくよりも速く、男もまたコンクリートを蹴り上げ跳躍していた。そうしてシャノンの鼻先にまで顔を近付け、囁くように告げたのだ。
「――“俺”が幸福に包まれ、安穏と生活していくことなど、赦されるはずもないんだよ」
 言って、男は銃口をシャノンの胸に押し付けた。
 銃声が闇を割き空気を揺らす。
 辛うじて弾道から逃れたシャノンだが、しかし、弾道はシャノンの腹を抉りとっていったようだ。シャノンの身体は生温かな液体を撒き散らしながら、コンクリートを濡らした腐った水の中に落ちる。
「貴様を屠る」
「……俺を殺す、だと」
 片膝をついて身を起こし、自らの血と水とでずぶ濡れになった髪をかき上げながら、シャノンは呻くように呟いた。
 男は首をかしげて微笑み、同じように髪をかきあげながらうなずく。
「貴様を屠り、ここから俺が貴様に成り代わる。そうして、貴様を腑抜けにしたもの全てを壊してやろう」
 だから安心して死ね。
 そう続けて嗤い、男はゆっくりとシャノンに近付く。
 男の後ろには細い月がある。白々しいほどに明るい、清らかな光を放つ下弦の月だ。
 男の姿は月光を受けて一層ひらひらと閃き、闇を凌駕するほどに立っている。
 それに対し、シャノンは闇に沈むような黒を身にまとっている。月光の影に隠れてしまうような暗色だ。
「幸福であることは赦されない、だと……?」
 腹を押さえながら立ち上がり、目の前の男をねめつける。男はシャノンの声に小さく喉を鳴らして嗤った。
「まさか、自分が光の中を歩み続けていけるような身だとは思っていないだろう? 心を許せる友人や仲間たち、――そんなまどろみの中で安穏と生きていけるとは、本気では思っていないだろう?」
「…………」
「本気なはずがないよな。“俺”に幸福は似合わないんだよ、シャノン」
 男は再びシャノンの目と鼻の先に顔を寄せた。言いながら、今度はシャノンのこめかみに銃口を押し当てる。そうしてもう一挺をシャノンのアゴ下に押し当ててやわらかく嗤った。
 同時、シャノンの銃も男のアゴ下と眉間とに押し当てている。
「これだけの近距離にあれば、手負いの俺でも確実に貴様を殺すことができる」
「そうだな。貴様も俺も、条件は同じだ。どちらにジャッジが降るか、試してみるのも一興だ」
 男は美しい微笑みで目を細めた。
 ――死への渇望や執着がまるで感じられない微笑だ。
 シャノンはわずかに背筋が粟立ったのを感じた。そうしてその直後、シャノンの心を読んでいるかのように低く嗤う男の声を聞いた。
「貴様は腑抜けた。シャノン・ヴォルムス」

 銃声が数発、闇を轟かせる。
 
 シャノンは辛うじて身を翻し、弾道から身をかわした。男は白い頬に赤い筋を引き、後ろに飛び退き弾道を逃れたシャノンを見下すように見据えている。
「無様だな。――そうまでして生きたいか」
 問われ、シャノンは間を置かずに応えた。
「ああ」
「怖いのか、死ぬのが」
「――――ああ」
 うなずき、立ち上がる。そうして息を整えると、シャノンはまっすぐに男の顔を見つめた。

 男が何者であるのか。もしかするとシャノンのドッペルゲンガーのようなものであるのかもしれないし、あるいはハザードによる影響なのかもしれない。とにかく、眼前の男には生きることへの執着が一切ない。死への恐怖をわずかにも持ちえていないからこその強さを、男は携えている。生への執着ゆえに戸惑うべき一歩を、男は寸分にも持ち合わせてはいないのだ。ゆえに男は強い。おそらく、生への執着や死への恐怖を感じてしまっているシャノンよりも、はるかに。
 考えて、シャノンはかぶりを振った。
 ――違う。そうではない。
 シャノンが恐れを感じる原因は、シャノンの命が失われることにあるのではない。シャノンが失われることによって、眼前の男はたぶん宣言通りに行動するだろう。
 シャノンの幸福たる象徴たちを片端から屠っていくだろう。
 ――失われる。
 そう考えついた瞬間、シャノンの脳裏をかすめたのはいくつもの笑顔だった。

「……俺が幸福に包まれることが赦されないことぐらい、解っている」
 応え、シャノンは傷口を押さえていた手を避けた。
 流れ出た血は存外に多い。ともすれば昏倒しそうにもなる意識を奮い立たせ、シャノンは眼前の男をねめつけた。
「貴様の言うことは、おそらく、正しい。――だが、貴様に俺の位置を明け渡してやるわけにはいかない」
 銃口を構え、息を整える。
 月を背にした男の顔は、今は窺いにくくなっていた。嗤っているのかどうかすら知れない。
「俺は俺だ。――代わりは誰にも務まらない。……残念なことにな」
「……幸福にしがみつくのか」
「ああ」
「そのために足掻くのか」
 問われ、シャノンは目を細めた。
「ああ」
「腑抜けめ」
 男の笑い声が闇を揺らす。
 銃声が二発、月を割いた。

 どこかでガラスか何かが割れたような音がした。

 ◇

 廃ビルの階段を下る途中、シャノンはわずかに熱をもった額を冷たい壁に押しつけて長い息を吐き出した。
 

 シャノンが放った弾は男の眉間と喉とを砕いた。男は引鉄に指をかけながら、それを引くことはなかった。
「せいぜい足掻け。足掻いて、最期にせいぜい苦しむがいい。――貴様が屠ってきた闇共の怨嗟を抱えてな」
 そう言い残して、泡のように闇に溶けて消えたのだ。

 男が何者であったのか。それを正しく知る術はもはや残されてはいない。否、それを知ったところで、何ら意味はないだろう。
 
「……似合わない、か」
 低く呟き、シャノンは自嘲気味に呻き嗤った。
「足掻くさ、……せいぜい、悪足掻きしてやるさ」
 
 呟きは静寂の中に消えた。応えるものも、聞くものもいない闇だ。
 その闇よりも暗い暗色に身を包み、シャノンはひとり、寝静まった街の中へと姿を消した。

クリエイターコメントお届けが大変に、大変に遅くなってしまいました。
心からのお詫びを申し上げます。

お気に召していただければ幸いです。
公開日時2009-06-16(火) 18:40
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