★ 呪雛 ★
<オープニング>

 ――ガシャン!!

 何かが壊れるその音に目を覚ましたのは、午前3時を少しばかり回った辺りであった。
 家の主、小野寺は咄嗟にベッドから上半身を起こし、寝室を見回した。
(「強盗か?」)
 覚醒しきっていない頭に、さっと過ぎる不吉な考え。枕元の電気スタンドに手が伸びる。冷たげな朧の光が部屋を満たした。
 幾らもせぬ内に目が慣れてくる。割れた窓ガラスの破片が、室内に飛び散っていた。そこから不届きなる輩が侵入したことは、想像に難くない。
 と、部屋の片隅で蹲るものがある。反射的に身構える小野寺であったが、彼の意に反して一向に襲ってくる気配がない。

 ぴちゃ、ぴちゃ……こり、こり……。

 耳障りな咀嚼音と共に、異臭が小野寺の鼻を突いた。
 脂汗がどっと吹き出る。
 逃げ出したい衝動に駆られながらも絨毯に足を付け、恐る恐る『それ』に近づいていく。
「な、何者だ!?」
 乾いた喉からやっとのことで搾り出した、震え声――否、声として自らの口より発せられていたかも疑問だが、とにかく言わんとしていることは通じたのだろう。『それ』はゆっくりとこちらを向いた。
 その様は、小野寺の眠気を完全に吹っ飛ばすには十分過ぎるものであった。
 初め、彼は『それ』が能面を被っているのかと思った。しかし、纏っている十二単といい、袖から見え隠れする生気の感じられない白い手といい、正に人形そのもの。
 切れ長の瞳が、小野寺を捉える。口に薄茶色の肉塊を咥えて。今し方まで貪っていたのは、何と彼の飼い猫であった。
 口の周りを血でいっぱいに汚しながら、人形はけたけたと笑う。
 呆然とする小野寺はしかし、頭の片隅で愛猫と同じ運命を意識していた。


「つまり、その犯人はもう一度、貴女の前に現れると言ったのですね?」
 銀幕市役所対策課の植村直紀が、事件内容の記載された書類から目を上げ、視線の先の依頼人に確認する。
「はい。正確には『月無き夜、丑の刻にてそなたの元へ参る』って言っていたと思います」
 小野寺の一人娘、美代が白い頬を更に青ざめて頷いた。
 父親の悲鳴と共に駆けつけたあの晩の惨状を思い出したのであろう。細かく身震いする。
 当の小野寺といえば、一命を取り留めたものの、現在は面会謝絶で予断を許さない状態である。父一人、子一人の父子家庭で、近隣の親戚もない。美代の心中を思うと、植村は胸が痛んだ。
 顎に手を当てて、一言ずつ確かめるように植村が言葉を紡ぐ。
「お父様は近所でも有名な人形コレクターであったそうですね。犯人の姿形からして、そこら辺も無関係とは言い難い。何か心当たりはありませんか?」
 少しばかり首を傾げていた美代が、はっと息を呑む。
「そういえば以前、雛人形を手に入れたと言って、私に見せてくれたことがあります。父は何の変哲もないその人形を大層気に入っていた様子でしたが、私は何だが不気味な印象を受けました。でも、それが先日無くなってしまったんです。そうだわ……。今思えば、父を襲った犯人はあの雛人形にそっくりでした」
 一気に捲くし立てる美代に、植松が微かに眉を寄せる。
 今回の怪事件が恐怖映画『雛人形』の物語に酷似していたからだ。
 生まれたばかりの娘のためにと、薄幸の人形師、吾郎松は雛人形を作る。だが、人形が完成した夜、賊が押し入って一家皆殺し。盗まれた雛人形に吾郎松の怨念が乗り移って、賊を喰い殺した後も次々と替わる持ち主を襲うというおぞましい内容である。
 その雛人形が実体化し、小野寺親子を亡き者にしようとしているなら、事は一刻を争う。
「『月無き』とはつまり、新月を指すのでしょう。そして、次の新月は……3日後か」
「どうか、私達を助けて下さい。お願いします!」
 美代は痛々しい程懸命に、植村へ頭を下げるのであった。

種別名シナリオ 管理番号426
クリエイターあさみ六華(wtbv7387)
クリエイターコメント 初めまして。あさみ六華です。
 当シナリオ『呪雛』が初担当となりますが、よろしくお願い致します。

 今回は呪われた雛人形退治と、美代の護衛です。
 攻撃方法は引っ掻く、噛み付くなど単調なものですが、動きが素早いのでご注意を。
 また、戦闘時は供養されないまま捨てられた人形を3体召喚します。

※補足として。
 小野寺家はごく一般的な住宅であるため、室内で立ち回るのは難しいでしょう。敵を外へ誘き出す等、何らかの対策を立てる必要があります。
 雛人形に話し合いを持ち掛けることも可能ですが、説得の成功率は非常に低いです。

 皆さんのお力で一刻も早く呪われた人形を眠らせてあげて下さい。

 それでは、ご参加お待ちしております。

参加者
花咲 杏(cyxr4526) ムービースター 女 15歳 猫又
刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
南雲 新(ctdf7451) ムービーファン 男 20歳 大学生
ベルナール(cenm1482) ムービースター 男 21歳 魔術師
狩納 京平(cvwx6963) ムービースター 男 28歳 退魔師(探偵)
<ノベル>

●それぞれの、思い
 今回の怪事件を聞きつけて、小野寺家に集った猛者は5名。
 ベルナールもその1人で、 実体化しているかも分からない主の手掛かりを得られぬものかと、市役所を訪れていた際、小野寺親子の話を偶然耳にしたのである。
(「正直、人間が如何な被害に遭おうとどうでも良いが、あの様子を見て知らぬ振りをする程薄情ではない」)
 一度引き受けたからには、手を抜くつもりはない。敵の情報を少しでも収集するべく、小野寺家のリビングで映画『雛人形』を観ていた。
 丁度、吾郎松一家が盗賊に惨殺されるシーンに差し掛かる。
 目を覆いたくなるような場面も、数多の戦を経験したこの御仁には、全てが貧弱な模造に感じられた。だが、その模造の世界がここにあり、雛人形は確実に美代の命を狙っている。
 古来より、人形には人の念や思いが宿り易いと言われてきた。そして、それが家族を皆殺しにされた男であるとするならば、持ち主を喰い殺すのは、己が命諸共奪われ、なくしたものへの嫉妬と怒りなのだろうか。
 視線をテレビ画面へ向けながら、ベルナールは吾郎松の心中へ思いを馳せる。

「これ、猫さんへ思ってなぁ」
 そう言って、花咲 杏は手にしていたノースポールを美代へ差し出した。
 猫又である彼女は、実は小野寺の飼い猫と知り合いであった。件の出来事もその筋のネットワークで知り、興味を抱いたのである。
「どうも有り難う」
 顔色は良くなかったが、美代は心から感謝の意を述べた。
 手向けの花は、ここへ向かう前に友人より手渡されたものである。季節は既に春といっても、まだまだ寒風吹き荒ぶ日々。花弁は、その殆どが硬く閉じられていたが、何よりも美代にはその気遣いが嬉しかった。
 束の間の安らぎが流れる、女の子同士の空間を目前にした狩納 京平が、
「純白の花を手に微笑むは、美女2人。いい絵だねぇ」
 ソファにどっかりと腰を下ろしながら、咥え煙草のまま満足気に頷いた。
 退魔師である彼は対策課で美代を見掛け、何かに憑かれていると直感して、ここへやって来た。
 故、ともすれば無作為にその能力が発揮されてしまう訳で、先程も杏の正体に気付いた京平が、うっかり口を滑らせそうになったのを、目配せで制されるという一幕があった。
 ここは暗黙の了解。言わぬが花、聞かぬが花、というやつである。
「ほらギア、美代ちゃんにご挨拶や」
 美代の護衛を最優先だと考える南雲 新もまた、彼女の傍にいて、出来る限り不安を取り除いてやろうとする。
 美代が不思議そうに見詰めていると、バッキーのギアが新のパーカーのフードから、もそもそと顔を出した。
 円らな瞳を眠たげに瞬かせる薄紫色のバッキー。その愛らしい仕草に大分緊張の糸が解れたのか、美代も釣られて笑みを浮かべる。
「まあ、可愛い。触っても良いですか?」
「勿論」
 ギアを抱き上げる美代。
 初めは迷惑そうな様子だったギアも、次第に彼女が気に入ったのか、ぎゅっと目を瞑って動かない。

 さて、一行から少し離れた窓際では、その縁に腰掛けた刀冴が外へ睨みを利かせていた。
 陽が傾き、茜色の斜光がレースのカーテン越しに彼の身を染め上げる。丑の刻まで、まだ十分に時間はあった。だが、戦いへ赴く者が前以って軍場とその周辺地理を見知ることは、武人として当然の行いであろう。
 刀冴に怨念の何たるかは分からない。彼は酷い、惨い艱難辛苦を経て今日に至るのだが、誰かを憎み恨んだことは一度たりとてなかったのである。それは自分に執着せず、顧みることが出来ないという虚無を持ってしまった彼を癒してくれる存在が幾つもあったためだ。
 だから、思う。一つの念に囚われた人形を憐れだと。歩むべき道はそれしかなかったのかと。
(「強い強い恨みを持ち続けるってのは、一体どんな気分なんだろうな。それはある意味、完成された魂というべきなんだろうか」)
 何度問うてみても、答えは見付からない。

 日が暮れようとしていた。
 長い夜の訪れである。

●月無き丑の刻
 かち、かち、かち……。
 夜が深々と更けていく中、壁掛け時計の秒針の音が、やけに大きく感じられる。
 声を発する者はなく、リビングに座して、あるいは佇んで時が満ちるのを待った。
 美代は護身符を握ったまま、身動き一つしない。
「こいつがあれば奴に嬢ちゃんの姿は視えねぇ。だが、絶対に声を出すなよ。符の効力が切れちまうからなぁ」
 そう言って、京平に手渡された品である。
 額に玉の汗を浮かべ、気の毒な程に顔色は真っ青だ。無理もない。あの恐怖が再び小野寺家を訪れようとしているのだから。

 時計が午前2時43分を指し示した頃。
 突然、リビングの照明がふっと落ちる。否、全ての灯りが吸い取られてしまったかの如く、小野寺家全体が夜に飲まれた。
 皆が身構える中、ドアがゆっくりと開かれる。
 闇よりもなお、どす黒い気を纏った者が衣擦れの音と共に蠢いていた。
 身の丈が成人の女性くらいであるとすぐに見て取れるのは、体全体が燐光を放っているからであった。時と場が違えば、それも幻想的であったのだろうが、相手は招かれざる客である。今は不気味以外の何者でもない。
「娘や、娘。そなたは何処ぞ。喉笛喰ろうてやろうかな。目玉啜ってやろうかな」
 妙な節を付けたおぞましい猫撫で声が、ねっとりと耳に貼り付く。
 姿形は美しい雛人形でも、込められた怨念は吾郎松。新は、男性の声にしては、やけに高いと感じた。
「娘や、娘」
 もののけは刀冴達には目もくれず、糸の様な細い瞳で室内をねめつける。美代を探しているのだ。
 相手が気を取られている隙に、杏がロケーションエリアを展開する。
 と、何処からともなく猫の声が響き渡ると共に、全員の夜目が利くようになった。
 これに驚いたのは人形で、リビングに踏み入れた足を引っ込めて飛び退る。その素早さたるや、美代のような平凡な一般人から見れば、信じられないスピードだ。
 人形が感情の篭っていない目を、一同へ向ける。
「そなた等、この家の者ではないな。あの娘を何処に匿った?」
「さて、何処かねぇ。素直に答える程、人間、出来ちゃいないんでね」
 このような状況下でも、長い足を組んで紫煙を燻らせる京平は、何処吹く風である。
「余計な邪魔立てをするのであれば、そなたも彼奴等同様、喰ろうてやるわ」
 『彼奴等』とは、今までの犠牲者であろう。想像に難くない。
「そいつぁ、ご苦労なこった。何なら、力尽くでやってみるか?」
 煙草を灰皿に押し潰すと、ソファから立ち上がって嘲った。
 人形の口から青の炎がちろちろと見えている。一触即発の事態に、
「ちょい待ちいや!」
 慌てて間に入ったのは、杏であった。
 彼女は、ほんの僅かでも希望があるならば、それに賭けたかった。吾郎松を説得したかった。でないと、大切な人が悲しむから。
「なぁ、何が不満なんか分らんけど、もう復讐し続けるんはお仕舞いにしたら? そもそもあんた、可愛がられて、一緒に生きるために作られたんと違うん?」
 彼女の切なる願いに、新が続く。
「その体は、誰かを呪い殺すための物やないはずやろ。それじゃ、人殺しに使われとる人形が可哀想や」
 懸命に訴える彼らの気持ちは、届いたのだろうか。
 人形は依然、無表情であったが、それまで京平と対峙していた体制を、ほんの少しだけ崩したようにも見えた。
「どれだけ持ち主となった者達を殺めたとて、恐らく孤独なる心が満たされることはないだろう」
 ベルナールの問い掛けに、人形は暫しの沈黙後、ぽつりぽつりと語り始めた。
「そうだ。その通りよ。復讐の鬼となり、賊を喰い殺した私には、もう何も残っておらぬ。だから、現世から消えてしまうその日まで、普通の人形として密やかに過ごしていこうと思った。それなのに、私利私欲に狂った人間共は私を手に入れようと躍起になった。争った。彼等は皆、吾郎松という人形師の作品が欲しいだけなのだ。娘のために拵えた、この人形そのものを慈しんだのではない。所詮、価値の有る、無しでしか人は何事をも判断出来ぬ堕ちた生き物よ」
 語気を荒げて、続ける。
「彼奴等は賊と何ら変わりない。だから私は決めたのだ。この仮初の生がある限り、貪欲な金の亡者共を皆殺しにしてやるとなぁ!」
 禍々しい吾郎松の怒りと悲しみが織り交ざり、燐光が一層強まる。
 彼もまた、一家を惨殺された被害者であることに違いはなかった。彼なりの正義を掲げ、ここまで来た。復讐という名の曲がった正義を。
「へっ! 死人に亡者呼ばわりされるたぁ、見縊られたもんだな」
 独り善がりの自論を一蹴する京平の横で、それまで黙っていた刀冴が口を開く。
「それはちっとばかし違うんじゃないのか?」
「何?」
 人形へ真っ直ぐに向けられた彼の眼差しは、怒りというよりも、不憫の色を表していた。
「持ち主となった奴が誰一人として人形を愛しちゃいないなんて、誰が決めた? あんたの作品が素晴らしいものだと、大切に扱ってくれたことに変わりはないだろう。あんた、自分で思うよりずっと、必要とされているじゃないか」
 淡々と述べる刀冴の言葉は、混沌たる渦の中に一粒の光を与えたのか。
 彼を見据えたまま、人形はゆるゆると力なく首を振る。
「違う……」
 否定の語を吐きながら、彼は無意識の内に泣いていた。
 血の涙を流していた。

 ――愚かな人間に制裁を与えるのだ。私は正しい。
「美代ちゃんまで、あんたとおんなじ思い、させるつもりなんか?」
 ――汚らわしい人間の命を刈り取ることで、無念の死を遂げた娘と妻が喜ぶのだ。
「このまんま、壊し続ける言うんやったら、お人形さんのことも壊さなあかんようになるんやで……?」
 ――同情するな。
「静かに眠る気はないか?」
 ――生暖かい感情など、いらない。

 無駄とは分かっていても、心の内から叫ぶ新と杏、ベルナールによって、人形師の閉ざされた心は開きかけたかのように思えた。
 だが、長きに渡って深海よりも深い暗闇を彷徨っていた彼にとって、ほんの小さな灯りすら、今は眩し過ぎる。
 それは、狂おしい程に。
「止めろ止めろ止めろぉぉっ!!」
 人形はリビングにどうと倒れ、頭を抑えて悶え苦しんでいる。煌びやかな十二単が乱れ、冠や扇が辺りに飛び散った。
 そのあまりにも凄まじい光景に、美代の手から護符が落ちる。
「あっ!」
 気付いた時には、遅かった。
 それまで、地べたをのた打ち回っていた人形の動きがぴたりと止まる。
「そこにおったのかぁ」
 にたりと笑う口の端が裂け、みるみる内に血が滴り落ちた。
 唇を真っ赤に染めた異形の怪が、飛び起き様に獲物へ迫る。
 寄り添っていた新が美代を庇おうとした。
 が、間に合わない。
 馬乗りになって美代を押し倒す人形の爪が、美代の心の臓を抉り取る――はずだが、実際は虚しく床を突いたのみ。
 屍の代わりに転がっていたものは、一房の髪の毛と、形代であった。
 今頃、本物の美代は結界で守られた別室にて、京平の式神、太郎丸に護衛されているはずだ。その上、美代の被ったダメージを肩代わりするベルナールの魔法まで掛けてあるという、防御の徹底っぷり。
 つまり、先程までここにいたのは、形代等によって京平に作り出された偽者なのであった。
 因みに、形代とは紙で作られた人形(ひとがた)のことである。雛祭りの原形という説が主流で、穢れや災いをこれに移し、川へと流す『流し雛』が現在でも各地で行われている。
 これは京平の演出か偶然か。ともかく、吾郎松にとっては、皮肉以外の何物でもない。
「おのれ、たばかったなあっ!」
 今や、黒髪はおどろと四方へ乱れている。
 切れ長の目を更に吊り上げ、口惜しいとばかりにぎりりと歯噛みするその顔付きは、従来の人形のものではなかった。
 奈落の悪鬼が、そこには在った。 

●戦慄の闇
「おぬし等も喰うてやるわいな。四肢を喰らい、頭を砕き、骨までしゃぶり尽くしてやるわいな」
 儚い光は、渦へと飲まれ、消えていく。
 もはや殺戮人形と化した吾郎松へ、慈悲の声は届かない。気が触れたかのようにけたけた笑うのみだ。
 抑えきれない負の念が、御霊を支配している。
 やるしかない。
 とはいえ、このような場では上手く立ち回れないだけでなく、美代を巻き込んでしまうだろう。小野寺家から人形を遠ざける必要がある。
「確か、家の裏にだだっ広い空き地があったはずや」
 一も二もなく駆け出す杏に、刀冴、京平が続く。
「あんたの無駄に素早い動きが、どうも気になってしゃあないわ。悪う思わんといてな」
 追いかけようとする人形へ、すかさず新がスチルショットを放った。
 エネルギー弾は見事、人形を捕らえる……ことなく、リビングの壁に着弾する。
「あっちゃあ。外してもうたわ」
 ぽりぽりと頭を掻く新の隣で、杖で床を叩く無言のベルナール。
 忽ち魔法に掛かった人形の動きが、若干鈍くなった。
「あんた、やるなぁ!」
 ベルナールはこのくらい何でもないといった調子で、感心する新を見遣ると、ローブを翻して杏達を追った。

 人形はぎこちない動きで、一同に迫る。
「おのれ、おのれぇっ! 許さぬぞ! 我が同胞よ、来たれ!」
 呪いの言を吐きながら、袖を振る。すると、闇の中から3体の鬼火が現れた。それは徐々に形を作り、それぞれが片足の千切れ飛んだフランス人形、牙を生やした巨大な熊のぬいぐるみ、塗りの剥げ上がった五月人形と化した。
 だが、その程度で気後れする者はない。
「俺は武人だ、民に害なす輩を見逃す訳には行かねぇ」
 機を逸することなく、刀冴がロケーションエリアを展開する。
 周囲が金色の夕日輝く平原へと変化した。
 闇夜から瞬く間に解放された全員が、あまりの眩しさに目を細めたが、直ぐに立て直すと、人形達目掛けて一斉に動く。

「ほう。廃棄された人形召喚とは、流石人形師と言ったところか」
 後衛のベルナールが敵の位置を確認し、杖を構える。
「だが……詰めが甘い!」
 杖で地面を叩くと、再び人形達の動きが鈍くなった。
 杏は少女の姿から猫又へと変化し、爪を剥き出して熊のぬいぐるみへと飛び掛る。鋭い牙で噛み付かれそうになるのを易々と交わして、後頭部をばりばり引っ掻いてやる。
 黄ばんだ詰め物が散乱する中、妖火が絡み付くのだから相手は堪らない。
「堪忍したってや」
 ぬいぐるみは断末魔の悲鳴こそ上げなかったものの、身をくねらせながら炎の中に消えていった。

 日本刀を構えた京平と五月人形は、互いに一歩も譲らない。
「へえ、ちったあ骨のある奴のようだな」
 その台詞が合図であったかのように、地を蹴って一気に間合いを詰める。
 刀身がぶつかり、火花が散った。
 腕力も互角。
 だが、切り結ぶ中で動いたのは管狐の翡翠と焔炎であった。主人に忠実な2匹は、素早い動きで敵を撹乱する。
 京平を退け、鬱陶しそうに管狐を払い除けようとするあやかしへ、
「高天原天つ祝詞の太祝詞を持ち加加む呑んでむ。祓え給い清め給う」
 祝詞を唱え、鮮やかに村正を捌く。
 一瞬にして刃の先に見えた物は、調伏した鎧の塊。
「あんた達を哀れにゃ思うが、俺は怨霊に施す慈悲なんざ持ち合わせちゃいねぇんだよ」
 退魔師という命を課した定めだからこそ、冷徹でなければ務まらないのだろう。そして、京平は誰よりもそれを知っている男だ。

「出来れば使いとうなかったけど、しゃあないか」
 説得は難しいと判断した新が観念して、腰の得物『威虎』と『臥竜』を抜刀する。
「ギア、よう掴まっとき!」
 フードの中の相棒に声をかけると、突進してくるフランス人形目掛けて躍り出た。
 そのまま、擦れ違い様に一閃。
 また一太刀。
 抵抗する間もなく、人形の肢体はばらばらと転がった。

 一方、刀冴は吾郎松と対峙していた。
「あんたは十分に苦しんだ。だから、もう休んでもいいんだぜ」
「笑止の至り。去ね!」
 飛んで来る弾丸を素手で掴むような、桁外れの動体視力と肉体を持つ刀冴に、端から雛人形は敵ではなかった。ただただ、浄化だけを望んでいた。
 彼は敵の繰り出す攻撃を紙一重で避けつつ、覚醒領域という天人(エルフ)独特の個体フィールドを発動させる。
 刀冴の瞳が光り輝いた。
「慈眼王、第一節『静夜盃』」
 途端に景色が夜へと変貌し、大きな満月が東の空へと顔を出す。高殿より注がれる光が、人の根幹をなす負の感情を昇華させ、安らかな眠りに誘う魔法だ。
 いわばそれは、吾郎松への慈悲ある死。
「くたばれぇっ!!」
 牙をがちがちと鳴らし、爪を翳して刀冴へと迫る人形。
 ――その動きが、止まった。
 あの不気味な燐光が消え、体中が柔らかな光で包まれている。
 操られていた糸がぱちんと切れたかの如く、くずおれる人形の足元に、1人の男が立っていた。
 姿は透き通っていて、輪郭がぼやけているが、
「あれって……」
「吾郎松はん?」
 間違いない。昼間、ベルナールが観ていた映画『雛人形』の人形師だった。
 刀を下ろした新と、いつの間にか少女へと戻った杏が、呆気に取られている。

 人形師、吾郎松。
 大分、疲れているように見えたが、怪奇の色はもうなかった。
 一行に向かって小さく唇を動かすも、その声は届かない。
 口元を見詰めていた刀冴が、動きに合わせて「すまぬ」とだけ呟いた。
 吾郎松は天へと昇っていく。
 やがてそれは空に溶けて、消えた。

 薄幸の人形師は、皆の彼を思う気持ちにようやっと満たされたのだろうか。
 それとも、これまでと覚悟を決めたのだろうか。
 怨念の消えた今となっては、誰にも分からない。
 代わりに、プレミアフィルムが落ちていた。
 復讐の雛人形。その成れの果てを、京平がそっと拾い上げる。

 空が、白み始めていた。

●夜は、明けた
「本当に、有り難うございました。皆さんは私達親子の恩人です」
 美代が満面の笑みで、ぺこりと頭を下げる。
「礼には及ばん。当然のことをしたまでだ」
 覚醒領域を使用したことから来る痛みに呻きつつも、お礼にと手渡されたチョコレートパイの紙袋をしっかりと握っている甘党、刀冴であった。
 そして、特筆すべきはもう一つ。彼の魔法のおかげですっかり回復した小野寺も、2、3日の内には退院出来るだろうとのことだった。
 もっとも彼本人は美代が心配で、今すぐにでも退院すると言って聞かなかったのだが。

 別れの挨拶もそこそこに、帰りしなの道すがら、新が未だ腑に落ちないといった調子で切り出す。
「何で吾郎松は美代ちゃんを襲わなかったんかな?」
「え?」
「だって、小野寺のおっさんに致命傷を負わせた夜、『また来る』言うて一度、逃走したわけやろ。本気で殺すつもりなら、そんな回りくどい方法取る必要ないやん。なのに……」
 そういえば、と杏と2人して考え込む新へ、ベルナールが静かに語った。
「もしかすると、心の何処かでは自らの所業を止めて欲しかったのかもしれんな」
 それはきっと、人間だった頃の唯一の良心の欠片だったのだろう。
「それって、行動と矛盾していると思うけど……」
 すると、前を歩いていた京平が振り向いて、
「人の心なんざ、善悪の物差しでは到底計れねぇもんだ。だから、興味深いのさ」
 酸いも甘いも噛み分ける彼だからこそ、言える台詞である。
 その返答に若人の新は、ただ曖昧な返事をするに留まった。

 今日も今日とて、青い空に雲が行き、太陽が世界を満たす。
 この当たり前の平和な風景が、例え束の間の幸せであったとしても、杏は信じずにはいられない。
「なあ、吾郎松はん。この世界も人間も、まだまだ捨てたもんやないんやで」
 人知れずくすりと笑みを零すと、皆の後を追いかけていった。


End.

クリエイターコメント 初シナリオへご参加いただきました5名様、有り難うございました。
 このような結果になりましたが、如何でしたでしょうか。
 皆様の素敵なプレイングを元に出来上がった物語を、少しでもお気に召していただけましたら、幸いです。

 最後になりましたが、ここまでお読みいただいた全ての方へ感謝を込めて。
 あさみ六華でした。
公開日時2008-03-08(土) 11:20
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